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Chikirinの日記 RSSフィード

2008-07-30 ビール飲みに行こう!

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最近、スーパーで売ってる枝豆が美味しい。(ちきりんは固めにゆでるのが好み)


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2008-07-28 おそうじサービス

昨日ちきりんがブログを書いている間、ある男性がちきりん家のお風呂を大掃除していました。それは誰かというと、“お掃除サービス会社のスタッフ”の方です。

そう、ちきりん生まれて初めて“おそうじサービス”なるものを頼んでみました。っても、実家では最近定期的に頼んでいるので、自分が自分の家のために頼んだのが初めて、ってことなんですけどね。

最初はクーラーの掃除だけ頼もうと思ってた。あれは特殊な機械も必要だし、長らくやってないから最近風がくちゃいし、と。

でも2カ所頼むと割引もありますよ、という営業トークに乗せられ、「お風呂も頼んでみる?」と思ったわけです。お風呂の方はお値段1万6千円。ちなみにクーラーは1万円。二つ頼むと一部割引あり。



こういうサービスを頼むに至るまでには、いくつかのハードルがあるよね。ちきりんも結構悩んだですよ。

第一に経済的な壁。そんな高い金払って掃除してもらうなんて・・というやつね。ただ、ちきりんの場合、もう形あるものを買わないので(背景はこちら)こういうのはまさにお金の使いどころ、というわけで、この点はクリア。


第二が道義的な壁。「掃除を他人に頼むなんて何事か!」みたいなやつ。共働きで、子育て中で、介護中、とかいうなら問題ないのでしょうが、ちきりんなんて働いてるだけだからね。

もちろん自分のお金だし誰に文句言われるわけでもないのだが、なんとなく“いけないこと”をしているような罪悪感がでるもんですね、これ。

今回は「新しいサービスをいろいろ体験するのは社会派として重要でしょ!ブログネタにもできるし」という自分への言い訳をご用意させていただきました。


第三が納得感の壁。これが実は大きい。クーラーの掃除って機械も必要だし自分ではまず無理。しかしお風呂の掃除は、やろうと思えば自分でもできる。エプロン(バスタブの側面パネルね)を外して掃除するのは、やたらと力もいるし時間もかかる。けど、できないわけではない。お風呂の天井を洗うのも、危ないし腕も疲れる。けど、できないわけではない。

自分ができるものに関しては「他人に頼むと、払った額に見合うサービスの質であったか?」というチェック感覚がでてくるわけです。1万6千円も払ってこれ??みたいな掃除の仕方だったらどーしよう?と、これじゃあ自分でやったほうがきれいじゃん、みたいな結果だったらどーしよう?と。

で、結構うだうだ悩んでいたのだが、結局は「これは一度体験しないことにはデータが集まらないよね」と思ったので、とりあえず一回頼んでみることにしたわけ。

★★★

結果はどーだったか?


いーんじゃない!?


スタッフのおじさん(おにーさんか?)は、こけそーになったり自分のポケットにいれたドライバーを探しまくったりと鈍くさい面もありましたが、態度&スキルとしてはかなりきちんとお掃除してくださったと思います。

お風呂が2時間近く、クーラーは1時間半くらいかな。ちきりんがブログ書いて、夕食の下ごしらえしている間にバスルームはぴかぴか!

ガラスの水滴の痕?がきれいに消えたのはびっくりしました。エプロン内部もすごくきれいになりました。なるほど。さすがプロの技。



今の心境は?

たぶんこれからも定期的に頼むかも、です。これねえ、最初のバリアは高いですが、一度使うとかなりリピートされやすいビジネスなのではないかと思いました。(←自分への言い訳??いやそーじゃなくて)

だって、上記に書いた“壁”のうち、(2)と(3)は「一回使うと壁がなくなる」んです。(2)は最初しかないのよね、そして(3)は最初の業者の結果に満足すれば納得してしまう。

すると(1)に問題なければ、壁は何もなくなってしまうってわけ。

ただ、2カ所で3時間半も他人が自宅で掃除してるってのは、こっちも(何してりゃいーの?って感じで)結構大変でした。ので、一回に頼むのはせいぜい2カ所かな。



というわけで、初体験のお掃除サービス外注でしたが、満足満足のちきりんなのでありました。


そんじゃーね!


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2008-07-27 新聞業界 崩壊の理由5つ、いや6つ

「毎日新聞の英語版オンラインウエブサイトに、英語で、ほとんどポルノ小説のような記事が長期間掲載されていて、海外の日本人等多くの人から警告やクレームがあったにもかかわらず毎日新聞が事態を放置。

結局、毎日の HP に広告を出していた企業が広告を引き上げる、という状況になって初めて毎日新聞も事態の深刻さを理解し収拾に乗り出した」という事件。

記事を書いていたのは「英語と日本語はできるが、それ以外の能力は(社会性も判断力も含め)何もない」というよくいるタイプの外人さんのようで、毎日側にはそういう人を管理する意思も能力もなかったんでしょう。

それにしてもこの事件で一番不思議に思えたのは、「毎日新聞がわざわざコストかけてネットで英語記事を書く必要って何?」という点。

“日本語かつ紙媒体”という本丸市場の方でさえ「毎日新聞不要論」が根強いのに、なんで毎日が英語で記事書く必要があったんだろうね。かなり不思議。

★★★

新聞社が今後やっていけなくなるであろう理由をまとめておくと、


<市場の縮小>

基本的なトレンドとして、新聞を読まない人が増えてる。ニュースはパソコンでも携帯でも見られるし、可処分所得も減ってる。年間 3 〜 4 万円かけて紙の新聞を購読する人が急減するのは当然。

また、昔は「新聞も読まないような奴は使えない」と言われた時代もあったのに、今や大前研一氏が看破するように「今時、新聞を読んでるような奴は使えない」時代。

新聞を読んでいるのは、「ネットを使いこなせない高齢者」+「惰性で読んでる人達」だと思われ始めている。

読む人が減ってるだけじゃなく、将来の社会のオピニオンリーダーであったり、高い購買力を持つ層に見放されてるのがつらい。


<マス広告価値の低下>

先日「“マス”という呪縛」で書いたとおりです。

今や「馬鹿でかいカバレッジ」より「より特定のセグメントにピンポイントでリーチする」ことの方が意味=価値がある時代なのに、新聞はもテレビもずっと「マス」にこだわってる。

今やマスに向けて一般的なことを訴えかけても商品やサービスが売れなくなった企業側は、

高校生向けなら携帯で広告を、学生や若者向けならネットへ、高級品の広告は市販されていない富裕層向けの特別な雑誌に広告を打つ、というように、

自分たちの商売に必要なメディアをそれぞれに開拓し始めた。

この多様化時代に“マス”をターゲットなんて、使えなさすぎる。


それに、そもそも日本市場が縮小しているのだから広告の総額も増えない。

広告費の総額が変わらない中、新広告ツール(メディア)がどんどん登場してるのだから、既存のマスメディアである新聞や地上波への割り当て分は当然に少なくなる。


次は<販売システムの崩壊> もしくは、戸別訪問押し売りシステムの限界。

新聞購読の勧誘なんて、受けたことあります?

若い人でこんなの受ける人いません。だって家にいないもん。

昔はどの家も主婦と親世代が家にいました。だから個別に家に行って営業できたんです。

今や家にいるのは高齢者だけ。だから一人暮らしの老人に 10年後までの購読契約をさせるというような詐欺的な営業が行われる。

戸別訪問で契約を取る歩合営業マンは、「契約のハンコを一ヶ月に何個とってこい」みたいな指示を受けてる。だから実際の契約が始まるのが 8年後からの 2年契約でもOK。

一人暮らしの高齢者でちょっとした粗品と引き替えに 10年後までの契約をしている人(させられている人)はたくさんいると思います。


こんな方法ではもう購読者数は増えないですよね。売るシステムが崩壊したら、売れないっしょ、というお話。


<編集特権の消滅>も大きい。

新聞の権力性がどこにあるかといえば、それは「どの記事を紙面に載せるか」という判断権を持っている点にあるわけです。

何を載せ何を載せないか、何を一面にして何を後ろに持ってくるか、それぞれの記事をどの大きさで報じるか。

これらを通して新聞はそれぞれの事件なり出来事の「価値判断」をするという特権を持っていた。

「彼らが大事だと思ったことが一面のトップで大々的に取り上げられ」、たとえちきりんが「これは大事!」と思っても、新聞社がそう思わなければその記事は葬り去られる。これは絶大な権力です。

もちろん戦争の時も、新聞が「日本は勝っている!」と言っていても信じてない人はたくさんいたわけで、大それた嘘が通用するわけではありませんが、小さな事件なら「なかったことにする」ことはできるくらいの権力を持っていた。

ところがネットの出現でこの特権が失われます。


第一にネットには「紙面の量の制約」がありません。どの記事を載せるか載せないか、という判断は不要なんです。全部掲載しても誌面が足りなくなったりはしない。

次に一面という概念がない。確かにウエブにもトップページや特集ページはあります。しかし読む人の大半は「検索」したり好みのカテゴリーから順に読み始める。

何を大事と思うかは、新聞社ではなく読者が決めることになった。

「編集権」が意味をなくした瞬間でした。「デスク」と呼ばれる権力者は、社会の権力者から「新聞社内だけでの権力者」に格下げされたのです。



このことと毎日新聞の事件がどう関連するか?

もし紙面が限られていたら、どんな記事でも他の記事と比べられ、「どっちを(どこにどの大きさで)載せるか」という判断が行われるわけです。紙の新聞ってのは毎日そういう判断をしています。

でもネットには“紙面”のような量の制約がありません。コンテンツは寧ろ多ければ多い方がいい。広告を載せるスペースが増えるし、アクセス数を少しでも稼いでくれるならそれで価値があるからです。

紙面という量の制約がない → コンテンツは多ければ多いほど(アクセス数につながるので)好ましい → 記事がさほど厳しくチェックされることもなく掲載される、ということ。

反対に言うと、今までだってデスクは「記事の品質のチェック」なんてやってなかったのです。ではなくて、「限られた紙面に載せる記事を選ぶため」に各記事が読まれ「質が高い、低い」というのは、その「記事を選んだ理由」として後付されていただけ、ということ。

だから記事をそこまで厳選する必要がないネットにおいては、記事の品質チェックがかなり甘めになる、ということなのでしょう。

★★★


もうひとつ最後に。たぶん一番根本的な理由。

それは、<記者の能力の相対的かつ圧倒的な低下>です。

昔が一流だったとは言わないが、少なくとも今よりはマシだったんじゃないかと思います。

今回の毎日の事件が象徴していると思うんだけど、この事件がなんで(様々なクレームがあったにもかかわらず)放置されていたかというと、日本の新聞社のデスクなり管理職で「英文記事をすらすら読めちゃう」という人がほとんどいなかったからでは?

だから対応に時間がかかった、という気がします。


毎日新聞は最近は紙面でもお詫び特集を繰り広げてますが、“識者の話”とかででてくるのも全部日本人。英語の記事で問題起こしたんだから、実際の英文の記事を見ていた海外の識者のコメントとってくれば?と思うけど、海外の識者なんて話したこともないかも?

読者と記者のレベルというのが、同等と言うより、かなりの部分で逆転してしまっている。読者の方が英語のおかしな記事を先に見つけるようになってしまっているわけです。


英語に限りません。新聞記事よりおもしろい日本語ブログはたくさん存在する。

新聞の論説委員より深い洞察、新聞記事よりも適切なデータ分析、記者の付け焼き刃のようなものとはレベルの違う専門的な知識を、惜しげもなく無料で提供するネット上のサイトは多数にわたる。

読者はそれらを日々見て成長している。英語が読める人ならその数はあまりに圧倒的だが、日本語サイトだけでさえ今や相当な質と量だよね。


こうなると、“プロの記者”の価値ってなにさ? ってみんな思い始める。


★★★


まとめておきましょう。


新聞が後世に残れない理由。

1.市場の縮小

2.マス広告価値の低下

3.販売システムの崩壊

4.編集特権の消滅(価値判断主導権の読み手への移転)

5.記者の能力の相対的かつ圧倒的な低下


そしてもうひとつ。このような「未来のなさ」に気がつかない「先見性のない学生」が未だに新聞社に入りたい入りたいと毎年押し寄せていること。

「時代の先見性のなさが原因で潰れていこうとしている業界に、毎年毎年新たに、先見性に欠ける学生が続々と入社する。」



大変なこった。

そんじゃーね

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2008-07-26 韓流スター結婚報道から

先週、韓国のクォン・サンウさんという人気男優が元ミスコリアのタレントさんと結婚すると発表したんですが、それに関する報道がめっちゃおもしろく突っ込みどころ満載なのでご紹介しましょう。記事はすべて朝鮮日報の日本語オンライン版から引用です。

ちなみに男性が31歳、女性は27歳。女性の方がいわゆる“恋多き女性”で過去にいろんな恋人との報道があり、つい8ヶ月前にも他の有名人と別れたばかり。

その時の会見で「当面誰も愛せないかも」と泣いてたくせに、ということで、男性側のファンにはぶーぶー言っている人も多い、という背景があります。


★★★


まずは男優側の記者会見について

クォン・サンウは、生後6カ月で父が肝がんで死去し、母が苦労して育ててくれたことを、目頭を熱くさせながら語った。サンウは「結婚したとしても、妻は第1ではないと思う」と語り、母の面倒を見たいという思いをのぞかせた。

結婚の記者会見で「結婚しても妻は第一ではない。」=「第一は母だ」って言葉に出して言うってすごくないですか?

日本とはだいぶ違うよね。日本だったらこれで結婚を考え直す女性がいてもおかしくないかも。

反対に韓国でお母さんになるなら「息子」を生まないとね、と思わせるコメントですね。“超オモニ文化”の韓国ならでは。


★★★


これは結婚会見前の熱愛を報じる記事ですが、ほのかに韓国的だなと思えます。

二人の熱愛説を証言する芸能関係者は後を絶たない。また、クォン・サンウとソン・テヨンが結婚適齢期であることから、結婚を前提にした交際との見方も一部から出ている。

「結婚適齢期 → 結婚を前提にした交際との見方」って、その辺のOLさんとサラリーマンの結婚話みたいですよね。芸能人同士の結婚(特に男性側はトップスター)でも、こういう概念ってあるんですかね?


★★★


特にクォン・サンウは韓流スターの中でもトップクラスの一人だ。国内でも多くの女性たちの心をときめかせた「万人の恋人」であるだけでなく、韓流ブームを巻き起こしている地域すべての、すなわち「アジアの恋人」であるといえる。

そんなクォン・サンウが「一人だけの恋人」になる結婚を発表したことにより、ファンが減り、活動範囲が狭くなり、収入も減るとの見方が支配的だ。

しかしこのような意見には、結婚という問題は個人の「幸福追求権」の問題という考えが欠けている。


・・・大げさすぎないか?


★★★


クォン・サンウの結婚のニュースが中国大陸をも揺るがしている。



揺るがしてないと思うよ。中国大陸なんて・・

中国は今、オリンピックとテロ対策と株暴落で忙しいんだから。




続けて記事は、

ある女性ファンは「ドラマの中のクォン・サンウの涙を見ながら、男の涙もこんなに美しいということを初めて知った。クォン・サンウの結婚のニュースを聞いて血の涙を流す女性たちが多いだろう」と落胆と失望を隠さなかった

血の涙って、こういう時に流す涙なのか?


★★★


これもおもしろい。

クォン・サンウが結婚を認めたことに対し、ファンは「心からお祝いしたいが、できない」といいながらも「もう決めたのなら、ぜひ幸せになってほしい」「本当の愛を見つけたのであるよう祈る」「あなたの幸せを心から応援する」と祝福した。

だが、その一方で「結婚しないと信じていた」「これは違うと思う」「もう一度考え直して」と無念さを隠しきれないファンもいる。一部は心配のあまり「ガッカリ」「相手がソン・テヨンと聞いて余計に傷ついた」とも。


「これは違うと思う」って、  「何がちがう」?

「もう一度考え直して」って、  考え直すと本気で思う?

「結婚しないと信じていた。」に至っては、なんでそんな突拍子もないことを思い込むに至ったのか、是非じっくり聞きたいところだ。


若干揚げ足取りだが・・笑えます。


★★★


それをうけて、本人が、

そして、「僕、サンウとソン・テヨンさんの出会いは皆さんに祝ってもらえないものですが、それでもファンの皆さんに真っ先にこうしてメッセージを送るのは、皆さんに対する僕の誠意であることを信じてください」と理解を求めた

かなり極端なこと言ってますよね。

日本ではもう、本人がここまで言わないといけないほど芸能人の結婚を責める風潮はないと思うけど・・・それともジャニーズ事務所が強すぎてこういうこと(人気スターの結婚自体)が未然に潰されてるってことなのか?


★★★


最後に極めつけ。

最後に、「お金や名誉を追いかけても、きりがありません。“もっと仕事がほしい、もっとお金が稼ぎたい、もっと人気が欲しい”と言って愛をなくしたり、逃したりする人もいます。僕はそうなりたくはありません」と率直に(自分のブログに)書いた。 括弧内はちきりんが追記


こっ、これは・・・恋人と別れて結婚を取りやめ、延々とファンに夢を見せ続けて人気を維持し(稼ぎ続け)ているペ・ヨンジュン(36歳)やイ・ビョンホン(38歳)への嫌みだろうか?



そこまで言うか、サンウ。

おもしろすぎだ。韓国芸能界。


そんじゃーね。

2008-07-24 いくら出す?

教師の採用や校長・教頭への昇進に関して、現金を受け取っていたという大分県の県教委の汚職事件なんですけどね。これって、驚くような驚かないような微妙な事件ですよね。


ちきりんは教職には全く関係ない世界にいますけど、それでも「先生の採用ってコネだよね」っていうことは、ある種の常識としてこれまでずっと認識していたように思います。

今テレビで、やたらと驚愕の表情を振りまいているキャスターだって、知ってたはずでしょと思うよね。


なので、今回「実は口利きがあった」とか言われても、「そりゃー、あるでしょ」と思うし、「教師の親が、自分の子供を教員にするためお金を払うなんて!」とか言われても、「皆そーでしょ」と思っただけです。

親も子も教師ってすごい多いし、てか、あれって半分“世襲”みたいな職業だと思ってました。


なので今回驚くべきは、「なんと教師の採用にコネがありました! しかも、お金を払って頼んでいたのは、自身も現役の教師である親だったのです!」なんてところではなくて、

「その額がきちんと決まっていたこと」とか「関係者は皆、その相場額を知っていたこと」とか、あとは、「結構高いね」ということとか、なんじゃないかと思うのだけどね。

てか、各県の相場額を調べて報道してくれたらとてもおもしろいと思いますよ。やっぱり都会が高いのか、それとも他に職のない地方の方が高いのか、とかね。興味あるじゃん。


あとね。

どうですかね、先生になるのに200万円


高くない?

校長や教頭なら150万円から400万円だったらしいよ。どう?


一生安定した仕事が手に入るなら安いものなのかしら?



いったい皆さん、今の仕事を得るのに、いくらまでなら払います?

もしくは、今、一番なりたい仕事につけますよって言われたら、いくらまで払います?

200万円って結構安い感じなのかな?


15分ほど考えてみましたが、200万円も払ってつきたい仕事は思いつきませんでした。何にせよ、あたしが払えるのはせいぜい30万円くらいです。


そんじゃーね。

2008-07-23 カモネギ “成長フリーク”層

最近このセグメントにターゲットしたビジネスが急拡大してるなあ、と。で、一応まとめておくです。

ターゲットされているのは「成長フリークな人達」。別の言い方もできる。「向上心に溢れる人達」「勉強好きな人達」「成長神話の信者」「焦ってる人達」「幻想好きな人達」「もっともっと病の人達」などなど。


商品群はいくつかに分かれる。



<学校系>

日本国内だと「社会人大学」「ビジネススクール」「英会話学校」に分かれます。海外だと「MBA」と「英語短期留学」かな。

趣味として売るのはいいと思うのですが、「社会人大学院に行ってキャリアアップ」とか「ほんまかいな?」と思うようなキャッチで売られているので“いかがなもんか”と思うです。社会人大学院でキャリアアップとか大学教授への道が開けるとか、ちょっとありえなくない?と思うけど。“地域の演劇同好会に入って女優を目指す!”とかいう感じだよ。

ビジネススクール系の学校も大流行のようだが、(しかもみんな忙しい帰宅後や休日を投資して通ってる・・)これって「成長と学習意欲が満たされ自己満足による幸せ感の獲得」には役立つと思いますが、それで「仕事ができる人」になったりすることはないんじゃないかなと思います。

英語は、ちきりんは大事だと思っているが、英会話学校に週2回、半年とか一年とか通うことがその手段として必須とも効果が高いとも思えないです。今はテレビのニュース番組も大半が2カ国語放送やってるし、無料の語学番組も多いでしょ。英字新聞だって500円で一部買えば1ヶ月くらいの読解力の練習教材に使えるよね。大半の人は英会話学校を「勉強の強制力」や「きっかけ」として使ってると思う。英会話学校行く人って「そこでしか英語は勉強しません」って人の場合も多そうだ。


というわけで、ひとつは「学校系」商品&サービス。

★★★

もうひとつ大きい市場が<書籍・雑誌系>です。

上記の学校の教材として売り出されている「MBAシリーズ」みたいなのもあるし、もうひとつ大きなカテゴリーは「ビジネス本」「経営本」というカテゴリー。これは最近急拡大している気がする。雑誌も多いですよね。「自己成長中毒な感じのサラリーマン向き」な雑誌。

こういうの買ってる人ってもしかして一人で一年に10冊以上とか買ってると思うのよね。いや、30冊買っている人がいても驚かないかな。すごく偏っている気がする。買わない人は全然買わないと思われるので。

ああいうのって読むと一種の“高揚感”が得られるんだと思うのよね。でも別にそれに書いてあることを実践するわけでも実現するわけでもないので、少し時間がたつとその高揚感が薄れてしまう。で、また次の本を買う。

読んでる本人も半分あほらし〜と思いつつ、また同じこと書いてあるなあ〜とわかりつつやめられない、みたいな。タバコみたいなもんだなと思います。読んでいる瞬間からその後すこしの間だけ「俺はもっともっとできるはずっ!」とか「くそぉ〜、俺の可能性は無限だぜ!!」、みたいな気持ちの高ぶりが得られるんだと思う。

そーゆー“自己成長の高揚感中毒”になっている人達が結構増えていて、大きなマーケットになったよね、これ。

★★★

最後が<資格・検定系>ですね。

これはね〜、上記と違い「官」まで参入してるのがエグい。資格ビジネスというのは、儲かるのは3ソース。ひとつは「資格試験料」ですね。受験料とかいうもの。合格率3割なら7割の人は“リピート顧客”(来年も受けてくれる客)にできる可能性が非常に高い。

もうひとつは「維持料」です。宅地建物取引主任の資格とかいくつかの資格は、取得した後毎年「登録料」とか「会員費」を数千円から1万円くらい払う必要があります。コレも大きな収入です。毎年新たに合格した資格会員が増え、彼らが“死ぬまで”毎年数千円ずつ払ってくれるんだよ。どんだけでかいねん?って感じです。しかもたまーに会報みたいなのを送ってくるだけ。ぼろもうけです。

これは試験が難しければ難しいほど、(今の自分の仕事にはなんの関係もなくても)皆、資格の失効を怖れて払い続けてくれます。よくできてます。

3つめの収入源、これも大きいのだが「勉強本」、とか「勉強するためのコース」ですね。たぶんああいう資格の勉強本って、実際に資格試験を受ける人の10倍くらいの人が買ってる可能性あると思う。コースなんて通信教育とスクーリングで数十万みたいなのもあります。

検定も同じです。最近は官も続々参入。こちらも受験料、登録料、関連雑誌など多彩な収入が得られます。

資格や検定は「国家資格」にできると一気に「販売価格」が高くできるので、民間が仕掛ける場合は担当官僚を接待して国家資格の認定をしてもらいます。その際、毎年の登録料から公庫に「管理料」として上納金を納めることももちろん提示します。

官は最近「自分でやったらもっと儲かるかも?」とか思い始めたりしてもいます。ご当地検定とかがそうなのですが、あまりにも考えが甘い行政体が多く、儲けるはずが「赤字」になってる検定もあります。あほみたいです。

★★★

こういう「成長したい人向けビジネス」がここ数年日本で大流行になっているのには理由があります。

そもそもこういう「成長フリーク病」は30代に出現しやすい(はしかみたいな)流行病です。どの世代も30代あたりで皆ある程度はこれにかぶれます。ところが10年くらい前に、この今の30代の人がちょうど就職氷河期に社会にでることを余儀なくされたために、今の30代に関してはこの「はしか」が非常に強固なウイルスを形成しました。

その30代を「初めて成果主義の洗礼を受けることになった40代」と「人生において初めて経済不況期しか知らない20代」がサンドイッチすることで、「一大“自己成長フリーク層”」が日本に出現した!ってことなんだと思うのです。で、この「成長支援ビジネス」が異常な盛り上がりを見せている、というわけ。

この「成長フリーク層ビジネス」、“キャリアアップ教”“自己成長教”が広く普及しているアメリカではかなり巨大な市場。ってことは日本ではまだまだ成長の可能性があるビジネスなのかもしれません。

実際、「こんな収入では結婚できない」とか「こんな収入では将来が不安で不安で」という多くの人達が、こういった「成長系ビジネス」には多かれ少なかれナケナシの資金を投入してるんじゃないでしょうか。



まあ、人様が自分のお金をどう使おうとちきりんの知ったことではありませんが、でもまあもうちょっと冷静になってみるのもありかもね、とは思います。1600円の経営本を買うよりも、同じ値段でカルビ買って焼き肉でも食べた方が、高い効用が得られる場合もあるんじゃないの、とも思うので。



そんじゃーね。

2008-07-22 涼しいところで遊んできたです

暑いですね。関西は東京より5度くらい暑くて、その間に「重要な境目」がある感じです。「大阪の平均気温は最近では石垣島より高い」とかいう(ほんまかいな?)みたいなことを言っているテレビ番組を見たけど、あながち嘘っぽくもない感じだ。

といっても、ちきりんは猛暑の関西を逃げ出して北海道で数日避暑してました。洞爺湖とか大沼公園で船遊び。涼しかった!北海道は久しぶりでしたが、このシーズンが一番いい気がする。

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朝市で魚介定食食べまくって、夜もジンギスカンで飲みまくって・・・確実に2キロくらい重くなって帰ってきました。

どーしよ。

とりあえず帰宅報告のみ。


また明日から書きます。(たぶん)


そんじゃーね

2008-07-16 「情報」と「結論」の間

最近、「若者の○○離れが進んでいる」というニュースがやたら多いでしょ。あれ聞くたびにほんまかいな?と思っている人って多いと思うし、ちきりんもよく元記事まで辿って読んでみるのですが、元記事にさえ必要な情報が掲載されてないことが多く、結局その記事の結論が論理的に正しいのかどうか確認できなくて困ってました。

で、必要なデータを探していたのだが、なかなかまとまっているのがなくて、結局、オリジナルの人口データを自分で加工することにしたです。

同じように感じていたみなさんも、ご利用くださいませ。



最初は、20代の人(20歳から29歳)の人の人数(実数)です。大正9年から5年ごとのデータを棒グラフにしました。ただし直近のみ間隔が(5年ではなく)3年になってます。横軸は以下すべて同じです。

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こうやってみると、「20代の人数」というのが、実はかなり変化していることがわかります。たとえば、「19●●年に自動車を買った20代の人は○○万人だが、今年自動車を買った20代は○○万人で、○%も減少している。」という記事を書きたい場合、基準年となる19●●年を、1975とするか1985とするか、で結論を全く逆にできます。

だって、この10年で386万人も「20代の人口自体」が少なくなってるんで、どちらを基準にとるかで全然違う。かなり意図的な結論を導くことができそうです。

★★★

次は、「全人口に占める20代の人の割合」を時系列に並べました。こちらも一貫して減っているのかなと思っていたのですが、そうではなくかなり上下していました。

こちらは「19●●年に自動車を買った人のうち、20代の人が占める割合は○○%であったが、今年自動車を買った人のうち20代は○○%に過ぎない。」とか言っている記事との比較に使えます。

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ちなみに1970年に19%を占めていた20代人口は今や全人口の12%にすぎないので、ここを起点にした場合は減少幅が7%以内に収まっているなら「若者離れ」とは言えません。

★★★

一応、全世代の人口構成比のグラフも載せときます。一番下の赤系の3色が、10歳未満、20歳未満、30歳未満。「赤系は若い人」と読めばよいです。

次の紫、緑、水色が、下から30代、40代、50代、なので「中高年」とか「労働中心層」と見てください。

最後のグレーのところが60代以上の10歳刻みです。

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赤系の若年層がぐぐっ〜と下がってきて、グレーがどどんっと増えてるのは、ご存じのとおりです。

★★★

最後は、世代別の人口実数グラフ。本当はこのグラフのデータ、つまり他世代の実数も各記事の検証に必要になります。だって、「20代の自動車離れ」が起っているのが事実としても、同じ比率で(もしくはより大きな度合いで)「40代の自動車離れ」も起っているかもしれず、だとしたら単に「自動車が売れません」というだけの話であって年代論ではないのでね。

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というわけです。グラフから数値読み取るの大変と思いますが、一応の目安としてお使いください。



なお、ロジックの方もまとめておくと、ああいった記事が正しいかどうかを検証するには、

(1)記事中にでてくる実数や比率の変化が、上記グラフにある「20代の人口自体の実数や比率の変化」より、本当に大きいかどうかのチェックがまず必要。

(2)次に、その変化は、他世代における変化より大きいのかどうか、というチェックが必要。


(1)については、上記のグラフがあればチェックできますが、(2)は記事データ側からの提供がないと読者にはわかりません。

しかも「20代」等ではなく「若者」とかいう記事もあって、「それ何歳の人のことですか?」もわからなかったりする。上記にみたように年代の人口って結構上下するので、いくらでも情報操作が可能な感じです。

全くなんでこういう不完全な記事が多いんだろうね。読者に手間掛けさせるのやめてほしいよね。ってか、

「情報」からなんらかの「結論」を導きたいなら、その間がどうつながっているか、をきちんと明記するのは書き手の責任のはずなのにね。


ああ、そうそう。

あと(1)(2)がクリアされたとしても、(3)もあります。

(3)それが(本当だとして)それって、問題なわけ?ってのもある。


50年前には「若者のふんどし離れ」が起っていると、憂いている人がたくさんいたに違いない。そして50年後には「若者の“絵文字”離れ」が進んでいると朝日新聞が嘆くのだ。(50年後に朝日新聞が存在するかどうかが寧ろ微妙)


「若者の○○離れ」がおこらない社会とは、「全く進化のない社会」と同義だからね。

そんじゃー

2008-07-14 夏に美味しそうな料理

最近ちきりんは「ちゃんとしたものを食べる」ってのに凝っている。一種のマイブームですね。形あるモノを買うのをやめているので、食べ物に凝るのは悪くない。残んないし。


最初はラムチョップのソテーです。添え物にレタスとバレンシアオレンジを使ってみた。オレンジが肉に合うんじゃないかと思ってね。夏らしくていい感じです。

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下記は大根おろしにシラス(ちりめんじゃこ?)を散らしたサラダ。お酒のおつまみなどによく作るのですが、この時は“夏らしさを出してみるべ”ということでレタスをひいてみました。そしたら見た目も味の組み合わせも悪くなかったのでご紹介。しらすに塩味がついているのでドレッシングいらないです。レストランならトマトか炒めたジャコで色目を整えるところでしょうが、自宅で“ンな”めんどーなことはできません。

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こっちは豚肉にミョウガとキュウリを巻いてソテーしたもの。ミョウガを豚肉に巻くと美味しいというのはこのまえ気がついて、それ以来いろんなものを巻いていたのですが、キュウリが非常に合う、とわかりました。(お酒のおつまみの場合ですけどね。ご飯と食べるなら、キュウリのような水っぽい野菜ではない方がいいと思います。おつまみの場合はしゃきしゃきして美味しいです。)ミョウガ自体の味を楽しめばいいので、味付けは塩とレモンだけで十分。

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こちらは白身魚にマサラ(カレー粉?)をまぶして炒めたもの。付け合わせのもやしとニラは美味しかったが、魚の方は“まあね”というレベルか。日本人的には普通にポアレしてポン酢の方がいいかもしれない。上のミョウガも夏みかんもそうなのですが、季節感を出したいので、「夏はスパイシーに」と思って作ってみたんですけどね。付け合わせの方が美味しかったです。ご飯は雑穀が混じってます。f:id:Chikirin:20080714125728j:image


これは朝よく食べるヨーグルト。4つセットで売っている“十勝”というヨーグルトに、岩手産のブルーベリーです。今までカリフォルニア産のブルーベリーしか駅前のスーパーにはなかったのですが、最近“国産野菜、果物”がすごく増えていて、ブルーベリーも岩手産が手に入るようになったので、そっちに変えました。だって、こんな傷みやすそうな果物・・・アメリカから運んできたら、どんだけ防腐剤やら防虫剤やら掛けてるやら、って思うよね。岩手なら夜中にくれば一日だろー、と。

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最後は花。別に花食ってるわけではないのだが、うちの近くのスーパーで300円均一、一本100円とかで花を売ってるんで、時々買います。下記も1本100円で2本買ったもの。

最近、食べ物より花って安いですよね。上のブルーベリー、上記の量だけでも100円以上です。で、この花が1本100円。なんか昔と感覚が違うなあと思ったので、写してみた。

そんだけ。

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★★★

最近友達に「料理をできる仕事がいい」という話をするのですが、そうすると選択肢はふたつだね、という話になります。ひとつは、食べ物屋になる、という選択肢と、もうひとつは、在宅で仕事をできるようにする、という方法。

今の仕事が在宅でできれば非常にいいなあと思います。全部でなくても、週の半分は在宅とかね。そしたらすごくちゃんとしたご飯が食べられるなあと。

もうひとつのほうですが、今更“シェフ”だの“プロのコック”だのにはなれないので、今の会社のすぐ近くのビルのマンションの一室でも借りて、残業飯を食べに来る社員を相手に定食屋をやったらどうか?という案がでています。メタボ気味の社員も多いし、栄養が偏る人達も多いので、家庭料理系のメニューで、コストは安く、値段は高く(辛ラーメン定食も2000円!!)。で、たまに仕事の相談にものる、みたいな。

それもいーじゃん?と思ったけど。

収支計算してみたらあいそーにないのでやめました。目指すは在宅。


そんじゃーね!

2008-07-11 「人間がやるエコ」の時代 What or How ?

エネルギー消費について、環境問題について、いわゆる“エコ”について、今年が変節点であることは、多くの人が指摘&感じているし、実際にそーなんだろう。問題は、これがHowとWhatのどっちのステージなのか?ってことです。


70年代のオイルショックを経て日本は“省エネ”モードに入った。“高エネ時代”の1970年代から“省エネ時代”の1980年代に移行した。でも、それは消費者には全然関係なかった。

なぜなら省エネというのは、「電気やガスを利用する機器を作るメーカが、同じ効果を少ないエネルギー量で達成できる機器を開発すること」だったから。

“一ヶ月の電気代が10年前の商品の半分です”みたいな冷蔵庫やクーラー。リッターあたり走行距離が何割増しになった自動車、一定の温度になると自動的に消えるファンヒーター。どれもこれも「機械が勝手にやってくれるエコ」だった。

つまり消費者は全く行動を変える必要がなかった。消費者は相変わらず冷房をガンガンかけて、でかい冷蔵庫を備えて、車で遊びに行こう!ってな感じだった。「エコってのは機械がやるもんで、人間様がやるもんじゃあなかった」わけ。

★★★

ところが、今年からは多分違うのよね。エコってのは機械がやるもんじゃなく、人間がやるもんになる。「消費者の行動が変わる」エコになるのだ。それが2008年以前と以降の違いになる。ただ、人間の行動の変わり方が、「What」なのか「How」なのかが、まだ見極められない。

たとえば、「タクシーや自家用車をやめて、バスや電車や地下鉄を使いましょう」と。これはHowなんです。「どうやって移動するか」という方法論が変わるわけですよね。「移動する」ということ自体が変わるわけではない。


いや、なんでそんなややこしいこと考えているかというと。ちきりんが今年の前半6ヶ月に受け取った株式からの配当が30万円弱。その4分の1はトヨタ自動車からの配当なんです。

で、昔「トヨタ自動車の株をかって年金代わりにしよう!」という本がでていたのを思い出したのだ。センス悪くないタイトルだったとは思う。(読んでないので中身はしりませんが。)

たしかに半年で7万円以上もらえるのだから、今の6倍のトヨタ株を保有していれば配当だけで毎月7万円もらえるってことで、これって基礎年金より多いじゃん、という考えは悪くない。しかも、「政府とトヨタ自動車とどっちが財政的に健全か」というと圧倒的に後者だし、もっといえば「どっちが信じられるか」「どっちが将来性あるか?」だって、後者だと思う人も少なくないだろう。

だったら「年金払うより、お金貯めてトヨタ株買おう」と思う人がいてもおかしくないし、センスとしては悪くないと思うのよね。

ただ、じゃあ実際数十年の単位で見た時に、本当にトヨタ自動車という会社に将来性があるのか?という話をすると、当然に「そもそも石油で動く自家用車に未来があるのか?」という今回の石油高騰なりエコ社会への転換なり、そういうことと絡めて疑問符を持つ人がいるのも当然だと思う。

ちょっとそれるけど「若者の自動車離れ」みたいな話がよく言われるが、それとトヨタ自動車の業績なんてなんの関係もないです。日本の若者の数なんてどうせたいした数じゃない。全員が車を買うのをやめても、となりの国の「ひとつの省」の若者が車買えるようになったらその方が人数多いですから、みたいな規模なんでね。


戻りましょう。

★★★

この「エコの時代に自動車産業、もしくは、トヨタ自動車に、将来性はあるのか?」問題は、今後のエコが「How」の時代なのか「What」に突入するか?で大きく異なる。

もしそれが「How」変化であるなら、すなわち「移動の方法が変わる」のであれば、トヨタ自動車は非常に可能性のある会社だ。だって、プリウスを含め、ガソリン以外の動力でも動く「なんらかの新しい移動手段の開発競争」になるわけでしょ。

ガソリン車の時代が続くなら、トヨタもホンダも韓国や中国のメーカーにそのうち勝てなくなるはずだった。家電がそうなりつつあるように、技術が成熟してしまった商品って技術力以外が勝負になっちゃう。でも、「一定のエコ基準を満たさないと売らせない」と先進国が決めるだけで、これらの国の企業は「世界で一番」にはなれなくなる。

これ、すごいラッキーなことですよ、日本の自動車会社にとっては。


基本的に、「欧米の会社」→「日本の会社」→「韓国の会社」→「中国の会社」というように主導権が移ってきたのに、途中で「あっ、このスペックの商品はうちではもう販売禁止です」って言われちゃうんだよ。

もちろん中国とインドだけで売れればいいのだ、という考え方もあるだろう。それだけでも先進国全部合わせたよりでかい市場なわけだからね。

なんだけど、もし、欧米も日本もガソリン車以外の車ばっかになっちゃって全く空気が汚れてないのに、インドと中国は経済発展とともにすごい量の車が売れて走っててそれが全部ガソリン車で国中“すす”だらけで、って状況は多分放置できなくなる、と思う。彼らの政府も。

そんなことになったら優秀なインド人はもうシリコンバレーから戻ってこないし、今は世界規模で人が動くから「ひでーなうちの国」ってのもわかっちゃう。

それに、いい会社ってのはいつだって「先進国で一番売れる会社」を目指すもんだし。


というわけで、「How」側に動けば、「再び技術開発の時代がくる」。「技術的には成熟してしまった既存商品の大量生産の時代」ではなくて。

★★★

一方「What」が変わる、すなわち「移動自体が少なくなる」ということが起るかどうか、というのは別問題だ。

たとえば、「みんな小学校から大学まで家の近くで通え」とかね。「大学だからって、わざわざ新幹線乗って東京にでてこなくていいさ」とか。

通勤だって「世田谷に住んでる人は世田谷で働いてください」みたいな、したがって通勤というもの自体が消滅するような、そういう「What」が変わるとね、運輸手段自体が不要とまではいわないが需要が少なくなるでしょう。

食物だって「とれた畑から100キロ以上動かすのは禁止。輸入食品は港から100キロ以上遠いところに運んで販売するのは禁止。」とかになったら「近くでとれたものを食べる」世界になる。これは「What」が変わるってことなんです。相変わらず“あきたこまち”を九州まで運ぶんだけど、その運び方を変えます(=Howを変えます)という話ではないわけ。

こうなるとさすがに運輸機器製造会社の未来はかなり厳しい。


みんな生まれた街で小中高、大学にも歩いて、もしくは自転車で通い、ごくごく近いエリアにある会社に勤める。近隣でとれた食物を食べ(近くの港に輸入されたものを含む)、遊びにいくのもディズニーランドとか遠いところにはいかない。近くの遊園地に行く。

多分、結婚相手も隣町のあの娘、なんだよね。結婚式も都心のホテルじゃなくて近くの市の施設でいいし、自然と親戚の住むエリアも近くなるから冠婚葬祭でさえ長距離の移動が不要になる。

企業だって「支店で働く人は全員そのエリアの人を雇う。」みたいになったりね。

てな生活になると、輸送自体が減るよね。これ、日本だと奇異な感じがするかもしれませんが、今でも南仏とか欧州の田舎なんかだとそーゆー感じなわけで、ありえないわけではない。「一生をこのエリアで過ごす」みたいな人って今でもたくさんいるだすよ、先進国でさえ。

こういう方向、つまり「What」が変わる方向にいくと、輸送、移動機器は需要自体が減る、ということになる。そうすると、トヨタにも川崎重工にも未来はない。


しかし、「How」の変化なら、日本の輸送機器メーカーは基本的にとても有利だ。たとえば田舎なんて皆が車を持っている。そうしないと生活できないからね。だから「軽自動車」とか売れまくるわけです。この方向だと、将来「中国の東方汽車から40万円軽自動車を輸入!」みたいな時代が来たかもしれない。

しかし、「How」が変わり、田舎でも15分おきにミニバンが走るようになったとしましょう。しかも電話で呼べば家の前までくるし、降りる場所も病院でも友人宅でもスーパーマーケットでも、好きなところまで行ってくれます、と。ある程度多くの人が一斉に自動車を手放せば、相当の需要ができるサービスだし、軽自動車を家族3人が3台持つよりは年間コストは安く利用できるんじゃない?という気がするわけ。

実際、高齢化も進むわけだし、そういうシステムに「街全体で移行しましょう」ってのは非現実的ってなほどでもない。という気がする。


するとね、そういうミニバンみたいな「新たなタイプの自動車」のニーズが大量発生するわけです。軽自動車は売れなくなるけど、「GPS装備で“呼び出しボタン”を押したお年寄りの家をすぐにナビに表示して、一番近いバスが駆けつけられるようにシステムが組まれた“電気で動くコミュニティバス”」は売れまくる、みたいな感じになる。うまくいけば、日本だけでなく欧米の田舎でもそういうのが必要になる。しかもそれは、中国の自動車メーカーでは入ってこれない市場として出現する。


ってなことが起っても全然不思議でない。



誰が得しそうか?

悪くないでしょ。

★★★

もちろん、サミットの身勝手な提案にインドと中国が即刻「しらん」と言い切ったように、多くの国ではまだまだガソリン車は相当程度売れ続ける。まずはこの市場を制することができるかどうか、だ。

しかし、石油の高騰と、「人間がエコする時代」への潮目の変化は、結構大事なファクターだとも思う。



そしてその変わり目の方向が“Howならトヨタ株買い増し”、“Whatなら買い増しはしない”。どっちかなあ・・・



ああ


未来を見る目



ほしいよね。



んじゃ

2008-07-09 辛ラーメン

最近は近所のスーパーでも普通に売られている韓国のインスタントラーメン、「辛ラーメン」がなかなかおいしいのでご紹介。

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野菜たっぷりと豚肉も乗せて具だくさんにして食べる。あと、卵を切らずに丸まま一個いれるのが“ちきりん流”。卵を切って半分だけいれると、お汁の味がしみて卵まで辛くなってしまうので、それを避けるためです。辛さを中和するために卵入れたいのにさ。



またね!

2008-07-08 石油危機<サミット>石油危機

サミットって「頂上」って意味だよね。

すごい傲慢な呼び方だと思わない?



「世界の頂上」に君臨する国々の、「それぞれの国の頂上」に位置する大統領や首相が集まり「世界をどうするべ?」を話し合う、そのコンセプトからして、その「頂上会議」という名前からして、あまりにも傲慢なこの会議。

始まったのは1975年。

なんでかって?

前年のオイルショックで「やばっ」って思ったからだよね。


それまで搾取に搾取を重ね、いいように弄んできた中東の国々が「石油は俺たちのもんや!メジャー資本の好きなようにはさせへんでえ!」と立ち上がったのが1974年。これにより第一次オイルショック勃発。

それにたいして「頂上の国々」が「おっ、なんかヤヤこしいこと言うとるで?」ってなもんで「ちょっくら話合おか?」と集まった。それが1975年の第一回サミット。そのときに入ってた国が6カ国。Group of sixでG6。

アメリカ、イギリス、フランス、西ドイツ、イタリアと日本。


「なんでイタリアが?」と思った人はG5とも言ったりする。

(ただし、イタリア人は“なんで日本が?”のG5だと言う)

★★★

次回からはカナダが怒った。「うちも先進国や!!」

アメリカが味方した。

「そやな。うちの他は全部、欧州とアジアやもんな。カナダも入れたってくれや」


他国は、当然同意する。

「どないでもええわ」


翌年からG7。




「あんなん(=カナダ)入れるんやったら、EUもいれてくれ」とフランスとドイツ。

「ええで」とアメリカ。「そやけど、EUは国とちゃうからゲストや。そやからG8やなくてG7でええか?」

「ええで」(フランスとドイツ)



“G7の時代”続く


★★★

途中でロシアが資本主義国になった。

「西側諸国になったんやから入れてくれ」

「おお、ええで」←米国

G8。


★★★

今回、洞爺湖に(正式に)来ている国のリストは下記。


日本

アメリカ

カナダ

英国

フランス

ドイツ

イタリア

ロシア

以上8カ国とEU


中国

インド

メキシコ

ブラジル

南アフリカ

韓国

インドネシア

オーストラリア

の8カ国


タンザニア

ガーナ

エチオピア

ナイジェリア

アルジェリア

セネガル

の6カ国

全部で22カ国とEU。

★★★

何を意味している??


「サミット=頂上の国だけでは、問題が解決できなくなった」ことを意味している。「頂上の国だけで話し合っても、なんの意味もない時代が来た。」ことを意味している。




「頂上の国々」だけで話し合えば世界をコントロールできた時代。それは「サミット」に意味のあった時代である。しかし、現在起っているどの問題も「頂上の国」だけでは解決できない。

環境問題も食料不足も、問題の大半が「人口の多い国」で引き起こされる。「頂上の国」とは「経済的に頂上」の国だったわけだが、人口数では必ずしも頂上の国ではない。それどころか大半が少子化に悩む国々だ。

石油を消費するのも、今や「経済力」ではなく「人口」だ。先進国はもうガンガン石油を使う工場を建てないし、洋服は化繊より麻やら絹やらが人気だ。一方で人口爆発の国では、車を含む交通機関だけでも今後もすごい量の石油を使うことになる。


「金持ちだけで集まっても、なんも決まらんなあ。問題は、頭数や」ということになってきた。たった8カ国ほどで世界の富の大半を握っていた時代の終焉。「インドと中国」抜きに「世界の人口の大半」は押さえられない。しかも今やそっちの方がよほど大事なコンセプトなのだから。

それとも“戻ってきた”とも言えるのか?農業と狩猟の時代には、金なんかじゃなく、家族の頭数が重要であったように?




というわけで、今年の「サミット」は「22カ国+1が集まることで」、世界に象徴的に示したと思う。「世界の皆さん!頂上の国々だけで世界を支配できる時代は、今、ここ洞爺湖で終わりましたよ!」と。



おもしろいのは、その「サンドイッチ構造」だ。

サミットは1975年、人類史上初めてのオイルショックを受けて始まった。「頂上に君臨する先進国様に、初めて刃向かった中東の産油国」を「頂上の国々様がどう押さえ込むか」を話し合うために、集まり始めたのだ。

そして、2008年、新たなオイルショック元年の今年、そのサミットの寿命が終了した。


“石油ショック<サミット>石油ショック”

サミットは、20世紀のオイルショックによって始まり、21世紀のオイルショックとともにその役割を終えた。


世界の国を支配するのは、もはや「経済的に頂上の国」ではない。この地球を支配するのは、“地球の奥底に黒々と輝く化石燃料”。そして“食べて、寝て、排泄する人間達”の頭数。




さらばサミット!

さらば石油も大人口ももたないニッポン!


さらば!読者の皆さん。おやすみなさい!!

2008-07-06  24兆円 捻出作戦!

前に原油価格が7倍になるというのは、ロシアと中東の財産の価値が7倍になることを意味すると書きました。(http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20080607

一方日本にとって原油価格が7倍になるというのは、「同じ量の原油を買うのに必要な資金が7倍になる」ってことです。



ふーん

で、それっていくらなの?



そもそも、日本って毎年何バレル原油を輸入してるんだ?

ってのを調べると、過去35年、年間で2〜3億キロリットル輸入してるみたいです。

輸入量にずいぶん幅がありますが、一番多いのが石油ショック前の「放漫消費」の時期で3億キロリットルに近い。2度の石油ショックを受けて、省エネや原子力へのシフトで少しずつ減り始め、でも、バブル時期に景気とともにまた輸入量が増大してまた3億キロリットルを狙う勢いだったけど、その後はバブルがはじけて不況になるにつれ輸入量が減少、という感じ。石油ショック以降はだいたい景気と相関している感じです。


ちなみに1キロリットル=6.29バレルなので、バレルに直すと年間12.6億バレルから18.9億バレルくらいってことなんですが、とりあえず間をとって「日本が一年に輸入する原油=16億バレル」とおいてみましょう。これは大体直近の輸入量にも近いので。


16億バレルの原油の価格は、

・1バレル20ドルの安定時期には320億ドル=3.8兆円(@120円/$)

・1バレル40ドルの2年前には640億ドル=7.7兆円

・1バレル145ドルの現在は2320億ドル=27.8兆円


というわけで、5年前までは4兆円弱しか払ってなかったのに、今や28兆円いりますよ、というのが、日本が原油を手に入れるために必要な額ってことなんです。差額で24兆円分です。

★★★

この24兆円の意味はなにか?というと、日本の消費者からロシア人とアラブ人へのプレゼントというか、所得移転分ですね。しかも一回じゃなくて毎年ね。毎年毎年24兆円ずつプレゼント!すごいな。

これ以外にも食料もあがってますから、別途その値上がり分を、日本人の消費者はブラジル、オーストラリア、中国などの食料輸入元の国々に支払ってるわけですが、今はとりあえず原油に限定して考えましょう。

24兆円の大きさはどう想像すればいいか、ということですが、いろんなもんと比べてみましょう。日本人全体が一年で払う消費税の総額がだいたい10兆円なんで、その2.4倍です。消費税5%で10兆円入ってきてて、これを15%に増税すると30兆円入ってくる。その差額が20兆円。これが最近よくでる消費税増税のお話ですが、原油値上がり分の24兆ってそれより大きい、ってことです。

もうちょっと意味のあるものと比べましょうかね。日本の個人消費の総額が250〜300兆円の間くらいですから、24兆円ってのはだいたい個人消費の1割って感じです。

すなわち月に30万円消費している家庭なら、大体3万円くらい「原油高」のための値上がりが生じている、もしくは今後生じる、ということになります。

結構でかくないですか?

ってか実際にはこれ以外に食料の値上がり分も加わるわけですから、下手すると2割くらい「支出が増えますよ。アラブとロシアと中国とブラジルにプレゼントしなくちゃいけないんでね」ってな感じなわけです。

で、当たり前ですが所得がそんなに増えるわけではありません。ってか収入なんてもうほんと伸びないですよね。すると、同じ生活をするために、この1割分をどこかで切り詰める必要がある。

何を切り詰めるか?



食料?

携帯電話代?

外食費?

車を手放す?

旅行をやめる?


もし、食料を減らせば農家とスーパーマーケットの売り上げが減ります。携帯電話代を減らすとドコモやSB,auの収入が減る。外食をやめれば外食産業の売り上げが減り、車を手放せば自動車産業の売り上げ、旅行をやめれば交通機関やホテル、エンタメ業界の収入が減ります。

ってことです。そして、そういう産業で働いている人の給与も減るでしょうし、株主も配当が減ります。

★★★

コンビニは夜閉めろ!みたいになってますが、コンビニの年間総売上は7兆円。コストで大きいのは人件費と仕入れ代金ですよね。電気代ってどれくらいだろ。1割いくかな。1割として7千億円。これを夜8時間閉めると3分の1ですが、冷蔵庫は消せないとかその通りなので5分の1くらい減るとして7千億円÷5=1400億円。これが、電気代の節約分です。このうち、原油価格の寄与分はもっと小さいですよね。半分以下とか3分の1とかでしょ。つまり数百億円分の原油を節約する、みたいな話です。(注:かなり適当な試算です。今、コンビニ業界あたりが必死で計算してると思います。“意味ありませんよ”という結論を導く試算をね。多分もっとグッと小さくでると思うんだけど。)


話がずれてますが、何がいいたいかというと、原油値上がり分の24兆円を、とにかく日本国民が全体でなんとか捻出しなくちゃいけないってことなんです。実際には食料も、その他の石油商品(大半の衣類とか軽工業系の生活用品)も輸入してるものはすべてあがるはず。若干乱暴だがざっくりいって「今までと全く同じ商品を買うのに」だいたい50兆円くらいはたくさん払う必要がでてきますよ、ってことなんだと思うのよね。

そうすると、その50兆円を別のところで使っていた分から回さなくちゃいけない。個人消費の大体15〜20%分を「何か別のものを買うのをやめて」「今までと同じ量の石油、食料、石油系製品をかう」ために振り向けなくちゃいけなくなるわけです。

個人の消費がそういう動きをとるとね、それはつまり、どこかの業界から50兆円分の「売り上げ」が消えるってことなんですよね〜。


今でている議論は、コンビニにそのうちのいくらかをもってもらいましょう、って話で、それ自体が意味不明だしどーでもいいのだが、いずれにせよんなもんで済むわけではない、ということは皆理解しておいた方がいい。


皆さん、自分の消費の1〜2割を節約しなくちゃいけません。何を節約しますか?


みなさんが節約する商品を扱っている企業と産業が、その分の「売り上げ」「市場規模」を失います。そして、その業界で働いている人の給与もね。ん〜、もしかすると失われるのは給与じゃなくて職そのものかも?



てな感じで。



そんじゃーね

2008-07-05 1970年代という時代

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本を処分、整理する目的で机に積んだので撮影してみました。

「よど号事件」(それに関連して北朝鮮関係)と「連合赤軍、浅間山荘事件」の本が大量にあります。このふたつの事件に関する本は他にも持ってて、中でも当事者の著作に関してはほぼ全部読んでるかも?って感じです。

なんでこれらの事件にそんなに興味があるのか、というと・・


ちきりんは「時代に翻弄される個人」が大好きなんです。私は個人の力なんて全然信じておらず、たとえ何かを成し遂げた大物であっても、それって単に時代とマッチしたからでしょ、とか思っています。

「時代に翻弄される個人」というのは、たとえばラストエンペラーの溥儀であったり、上記の本の主役である70年代の新左翼活動家たちのこと。出来る限り「人生を狂わされた」振り幅の大きい人の人生に興味があります。

基本的に「自分でコントロールできることなんか、たかがしれてるよね」と思っている私には、まさにそれが“証明されちゃったような人達”なんですよ。反対に、計画たてて努力してその通り実現しました!みたいな人生には関心がないんです。



「よど号」「連合赤軍事件」というと、“左”に関心があるの?と言われますが、それは全く違います。ちきりんは完全に資本主義系の人であり、市場原理の信奉者です。

左翼に関心がないのに、上記のような本に関心がある理由は、それらの事件の“時代性”です。“70年代という時代の中での新左翼”に関心が引かれるのです。


70年代って日本にとってどういう時代だったか。1960年代に日本は高度成長を始めてますが、1970年は、日本のほぼすべての人が「これは、行ける!」と確信し始めた時期です。ここが1960年とは全く違います。


1960年にはまだ、「日本は本当に立ち直れるのか?」という疑問がごく普通に社会に存在してました。だからこの時期は、移民として他国に移住した日本人もいたし、ルーツが朝鮮半島にある人達の中には「夢の楽園、北朝鮮」に渡った人も多い。日本がここまで経済発展すると思っていたら、そんな決断をする人はいなかったでしょう。

左翼、新左翼運動も同様。1960年の安保闘争は“実質的な国の方向性を決めるタイミング”だったし、活動をしていた人の多くが本気で「米国の同盟国ではない日本」=「(多分)共産国になる日本」という選択肢があると思ってたんでしょう。

「革命は夢ではない」というか「革命はもうそこまで来ている」と思う人がいたのは、不思議ではないし、その人達を「社会の流れの読めない人達」とは思いません。

実際に、その後企業のトップとなった人達の多くが、この頃は革命を信じていたり、その運動の先頭にたっていたわけで、むしろ社会のリーダーになるような人こそが、そういう方向を「あり得る」と考えていたわけです。


でも、1970年は違います。高度成長は既に目の前の事実になってました。誰でも「日本はいける!」とわかった時期なんです。失業率も低くなり、給与は毎年アップし、三種の神器をはじめとする便利な家電を毎年買いそろえていくことができる時代。

やっぱ共産革命なんてありえなかったな、ワハハハハの世界なわけです。

北朝鮮への帰国船に乗る人もいなくなってしまったし、中国共産党トップと米国大統領が握手して「そもそもイデオロギーなんて意味がなくなるのかも?」という気配さえ見えていました。

そんな時期に“革命だ”とかいって潜伏生活をするだの、山に籠もって軍事訓練とかいって汚い格好で走り回るなんて、「かなり変」でしょ?

相当、時代の空気が読めてないというか、変わってるというか、一言で言えば「あほちゃうか」という感じです。


そして、そのちょっとしたアホさ、まあ大半は若い学生なので社会経験もないし時代を読む目も欠落してた、そんなちょっとした「わけわかんなさ」が、取り返しのつかない人生につながっていく・・。

何十人もの人を殺すとか、一生刑務所で暮らすことになるとか、北朝鮮で人生を終えることになるとか。軽〜く空気が読めなかっただけなのに、とてつもない人生になってしまう、というのが、あまりにも残酷で、まさに時代の犠牲者という感じ。

これが、ちきりんが彼らを愛してやまない理由です。


世の中の空気が読めない人、明らかに得な、楽な方に進まずに変わった決断をする人は、いつの世にもいます。しかし大半のケースでは「あっ間違えた!」と思った時点で変更が可能です。

なのに、よど号にしても連合赤軍にしても、事件が起ったあの時点で彼らの人生は(たかだか二十歳そこそこで)終わってしまいました。こんな残酷な運命がありましょうか。


なぜ、すべてが巧く回りだした時期に、それに反するような方向へ進む人がいるのか?なぜ永田洋子は普通の女子大生みたいにおしゃれを楽しみ、結婚生活に憧れ、消費中心の生活、経済成長の時代に“乗っていく”という選択をしなかったのでしょう?

ちきりんは彼らのその心情にすごく関心があります。「いったい何を考えていたのさ?」と聞いてみたいですよね。そういう翻弄された人生を「どう思いますか?」と。

タイムマシンがあって1年間過去に留学できるなら、ちきりんはこのあたりの時代に大学生としてぜひ行ってみたいです。


そんじゃあね。

2008-07-03 給与は何の対価なのか?

年功序列の組織では年齢が上がるとポジションも上がり給料もあがりますが、「実際の仕事をしているのは若手のオレなのに、なんで部長の給料があんなに高いんだ?」と思う時もありますよね。

いったい給料とは何の対価なのでしょう?



新入社員〜3年目まで

(1)作業の対価・・・80%

(2)服従、拘束への対価・・・20%

“作業の対価”は、文字通り、指示された作業をやることの対価で、バイトの時給と同じようなものです。働き初めて3年程度はこの比率が非常に高いでしょう。バイトと違うところは、“水曜日は午後から”など、都合のいい時間だけ働くわけにはいかないし、残業も否応なく引き受ける必要があること。それが二番目の“服従、拘束への対価”です。

つまりは、「毎日、決められた時間に出勤すること」「言われたことをなんでもやること」が仕事。だから一生懸命で、まじめにやる人が評価されます。



3年目〜平社員の最後まで

(1)作業の対価・・・60%

(2)服従、拘束への対価・・・20%

(3)我慢への対価・・20%

作業の対価が給与の6割程度と新人時代より比率は小さくなりますが、実際にこなしている仕事の量は新人より多いです。またそこには若手の指導・育成も入ってきます。もちろん服従、拘束への対価も存在します。

加えて、我慢への対価も上乗せされます。下についた新入社員がどんなにダメダメでも我慢、上と下の板挟みになって文句のはけ口がなくても我慢、顧客の理不尽なクレームにも我慢です。

誰が悪くて起ったトラブルであろうとも、現場のクレームの大半はこの立場の人が謝って抑える必要があります。“ストレス”がたまり始めますが、だからこそ給与にその対価が入ってくるのです。



マネージャー、課長、部長

(1)判断の対価・・・50%

(2)組織管理の対価・・・30%

(3)仕事実務への対価・・・20%

いわゆる“管理職”になると、給与の意味は一気に変わります。

通常業務が巧くいっている時は社員だけでも仕事はまわります。管理職の重要な責務は、非定型なことが起った時に判断をすることです。

平社員なら「大変なことが起りました!どうしましょう!?」と言えますが、この立場では「それは大変だ!よし、こうするぞ!」と決めないといけません。

トラブルや突発事項など「何があっても、なんとかする」のが仕事であり、「逃げない」ことが最も重要です。だから、“自分スタイルのなんとか仕方”を習得しないとつらくなります。反対に、どんな時にも社長や役員から「なんとかしておけ」と言ってもらえるようになれば立場は安泰です。

仕事実務(作業)の割合が低くなるのがこの時期の特徴で、だから下からは「部長は何をやってるんだろう?」と思われたりもします。



経営者(取締役)

(1)資源配分への対価・・・50%

(2)結果責任を負うことへの対価・・・50%

経営者も“判断”が仕事ですが、その判断は特に“資源配分に関わる判断”に集中しています。

手元のお金をどの事業につっこむのか、優秀な人材にどのビジネスを任せるか、切り札となる技術をどう利用するか、次の1ヶ月の優先順位はどれか、など、時間、金、技術、人などの、企業がもつ限られたリソースの使い道を決めるのが経営者の仕事です。

また結果責任を負うことも経営者報酬の対価です。業績が悪ければ職を追われますし、欠陥商品、事故、違法行為などについても、自分の指示かどうかに依らず責任をとることを求められます。

なにかあった時に役員以上の人が「最善を尽くした」と開き直ると世間から叩かれるのも、この立場になればプロセスではなく結果に責任をとる必要があるからです。



アーティスト、プロ選手など

最後に、才能をベースに活躍する職業人の場合、たとえばプロスポーツ選手や、ミュージシャン、アーティストなどは、

(1)才能への対価・・・80%

(2)個人犠牲への対価・・・20%

でしょうか。基本は才能の商売です。ただし、プライバシーをあれこれ暴かれたり、疲れていても笑顔を作る必要があったりと、スターならではの悩みもあります。有名税とも言われる部分が“個人犠牲への対価”と考えられるでしょう。


このように給与の対価は立場によって、また業界や企業によっても異なります。ストレスの大きな仕事をしている人は、そのストレスに耐えることに対して報酬をもらっているのかもしれません。

自分の給与が低すぎる、高すぎると考える時に、まず「自分の給与は何の対価として支払われているのか?」と考えてみてはどうでしょう。

また、自分は何を対価としてお金を稼ぎたいのか?と考えれば、就職や転職に関しても新たな視点で考えることができるかもしれません。

じゃね。

2008-07-02 欺瞞と妥協

日雇い派遣の原則禁止が議論にのぼってきた。ちきりんも、企業があまりにも好き勝手に“人手”を使い捨てにできるような制度は禁止したほうがよいと思うので、方向性としては賛成だ。

まだまだ議論が残っているようだが、1999年に原則自由化された派遣可能職種が、1996年に定められた「派遣期間に制限のない専門性の高い26業種」に再度限定される、ことになる可能性が高いらしい。


さて、この「派遣期間に制限のない」=「日雇い派遣でも問題ない」、「専門性の高い26業種」というのが、どのような業種なのか、見てみよう。


(1)研究開発

(2)機械設計

(3)ソフトウエア開発

(4)放送番組演出

(5)放送機器等操作

(6)アナウンサー

(7)通訳、翻訳、速記

(8)広告デザイン

(9)書籍等の制作、編集

(10)事業の実施体制の企画、立案


なるほど、こりゃあ、専門性が高いよね!

簡単に誰でもできる仕事じゃあない。

★★★

(11)建築設備運転、点検、整備

(12)添乗

(13)OAインストラクション

(14)財務処理

(15)取引文書作成

(16)インテリアコーディネーター

(17)デモストレーション


ふむふむ。まあ、確かに一定の専門性がいる仕事よね〜。

でも、デモストレーションって何かを使ってみせることだと思うけど、モノによっては簡単な気もするかなあ。

★★★

(18)セールスエンジニア(営業)、金融商品の営業

(19)放送番組の大道具、小道具

(20)調査

(21)秘書

(22)事務用機器操作


うーん、そーね〜、

金融商品の営業って「FXで人生変わりますよ!」みたいな電話を朝から何百本もかけまくる仕事も含むのかなあ。

へえ〜“放送番組の小道具さん”も日本で26番以内に入るくらい「専門性」の高い仕事なんだあ。知らんかったなあ。

調査って、“道端で一日中椅子に座って(膝に毛布かけて)、通行人が女だったらカウンターを一回押す”とか、そーゆーのも“調査”かなあ?

事務用機器操作、ってコピー機とか、パソコンとか、電卓のことだよね?ってことは“事務用機器操作”ってのは「これ、100部コピっといて」とか、「このすーじ全部エクセルに入力しといて」とか言われてやる仕事のこと?


ふううん。

★★★

(23)案内、受付、駐車場管理等・・・モーターショーとか大きなイベントの時とかにたくさん雇われているよね。夏の週末の海岸沿いの駐車場も「オーライオーライ」の人雇ってるよね〜コンサートの時に「二列に並んでくださいっ!」って人も"案内”だよね。


(24)ファイリング


(25)テレマーケティングの営業・・これは朝からうるさい電話かけてくる人ね。「お使いの回線はADSLですか?」とか言って。


(26)建築物清掃



なるほどこれが「高い専門性が必要ということで、例外として派遣期間を問わないと認められた26業種」かあ。



なんでこの26種なら派遣期間が短くてもOKなのかっていうと、この職種の場合、労働者側は高い専門性をもつ専門家なのだから、雇用主側に搾取されるなんてあり得ないってことらしい。時給もそこそこ高いはずだし、代替人材がたくさんはいないはずだから(専門性が必要だからね)、本人が雇用主ともそれなりに交渉できる地位もあるだろうってことで。だから法律は介入しません。派遣期間は当事者で決めてください、っていう、それくらい高い専門性を求められる26個の業種だってことらしいよ。





(23)案内、受付、駐車場管理等

(24)ファイリング

(25)テレマーケティングの営業

(26)建築物清掃




ちきりんの仕事はあんまし専門性高くないんで、この26種には入ってないのも当然ってば当然かもね。そういえばちきりんにはファイリングの専門性とかがないから、あんなに机もぐちゃぐちゃなのかもね〜


そんじゃあね。

2008-07-01 “マス”という呪縛

最近ちきりんにとって、“おもしろいじゃん”“これは読む価値あるかも”と思える、まあいえば“一番質が高いと思える雑誌”は、市販品ではない会員誌だ。ちきりんのとこには毎月3冊、うち2つはクレジットカードのゴールド会員向けの雑誌、もうひとつはマイレージ会員向けの雑誌が送られてくる。この3種の雑誌が、正直いって街で売られているどの雑誌よりもおもしろい。扱う内容の多様さ、深さ、等々。比べものにならない。

これらの雑誌がユニークな点がもうひとつある。それは執筆陣だ。これらの雑誌の大半の執筆者はいわゆる物書きではない。文筆業ではない人が書いている雑誌なのだ。多くのページが科学者、役者、スポーツ選手、宗教家、企業家、起業家、芸術家、学者、活動家、その他その他。小説家が書く場合も小説以外のものを書く、という意味で、いわゆる「書くことがプロ」の人の作品ではないページが多くを占めている。

つまり、これらの雑誌では「編集者」はいるが、いわゆるライターはほとんど活躍していない。そんな雑誌が一番おもしろく、質が高いという皮肉な状況になっている。

★★★

彼らの寄稿する文章のおもしろさの源泉は、まずは、結局どの分野であれ、一定の深さまで到達した人というのは“洞察力”のレベルが違う、というのがひとつ。付け焼き刃的な浅薄な見方ではないから畑違いでも感心させられる。

もうひとつは、一流の人というのは自分たちを客観視する余裕がある、ということだ。たとえばとある高名な科学者の方が書いていたお話。「仮説をたてて証明する。大半の場合、仮説は証明できない。そういう時たいていは仮説が間違っており、ごくまれに証明方法に問題がある。しかし、大半の科学者はまずは「証明方法に問題があったのだ」と思う。自分の仮説が間違っているのではないか?と考える科学者は非常に少ない。これが科学の進歩に時間がかかる最大の理由である。」と書いている。

こんなこと科学者以外の人が書いたら袋だたきにあいそうだ。すでに一定の実績を上げている科学者の方が書くから説得力をもつ。なるほど自分もあの人のような実績をあげたければ、アホな仮説にとらわれて時間を無駄にするのをやめればいいのだ!とわかるわけだ。

そしてそれは科学者だけの話ではない。ビジネスでも同じコトは日常茶飯事で起こっている。間違った自分のアイデアに固執し、貴重な時間や資源を無駄にするビジネスマンは山ほどいる。自分が例外だなどという気もさらさらない。

“できる人ってのは何が違うのか”、非常に明確にわかる。

こういうコンテンツが、非売品で、ライターがほとんど関与しない特殊な雑誌に満載であり、どれもこれも非常に含蓄に富んでいるのだ。

★★★

この「売られていない、(書くと言うことの)プロが書いていない」雑誌が、ここまで質が高い、ということは、“市場原理の敗北”であるとも言える。

本来であれば、市場の中で一定の価値のあるものが生き残り、価値のないものが消えていくはず。しかし実際にはこういった“質”を追求したもののほうが、市場の中では駆逐されてしまう。いろいろ批判はあるが、やっぱりCMではなく税金で成り立つNHKの方が質の高い番組を作ることができているのも然りである。

最近の乱発行される様々な書籍を思い浮かべて欲しい。800円だの1200円だのの対価をとって売られる本のあのクオリティ・・・

一方、もちろん会員誌は無料で配られているがコストはそれなりにかかっているだろう。しかし、価格や売上げの洗礼(市場からのフィードバック)を全く受けない雑誌が、あれだけの価値を保てるのはなぜなのか?


この国のマスコミ、ジャーナリズムの分野においては、市場は機能していない。少なくとも、“質の確保”という面で、市場機能は崩壊している。

★★★

新聞に広告がたくさん載ってるでしょ?あれ、結構高いのです。全国版でちょっとした大きさの長方形の広告。掲載費は日経新聞で200万円くらい。同じ大きさで、読売新聞だと500万円以上になります。(年間通して枠を買うと大幅ディスカウントなどもあり、実際の価格は広告主により異なります。)

この「読売新聞の方が、広告掲載費が日経新聞より2倍以上高い」というのはなぜか、わかりますよね。公称販売部数が2倍以上だからです。今でも1000万部だと言ってるんだっけ?日経はせいぜい400万部でしょ。

ところがね、たとえば経済関連書籍の広告を出すなら、どちらに出したいですか?当然日経に出したいよね。日経新聞読まないのに経済本買う人は少ないですよね。

もう一歩進めて「クルーズ旅行」の広告、どっちに出したいですか?こういうの行くのって、“大企業”を定年退職した人でしょ。定年前は確実に日経を読んでいる。60で引退したらいきなり読売を読むと思います??

もーっといえば、どっちの読者の平均年収や資産額が多いと思います?金融機関だったら、大型テレビの広告だったら、どっちに広告を出す価値があると思うか。

って考えるとね、“市場”には、日経新聞に広告出す方が価値がある、と思う人もたくさん存在するはず、だと思う。ところが、広告料はそうではない。公称の販売部数にほぼ比例して設定されている。


笑えますよね。“広告価値は低く、でも広告料は高い”一般紙に広告だそうって思うの誰さ?って感じ。当然、広告営業は非常に苦しくなっています。

それでも、「部数と広告料を相関させる」この業界の慣行は一切変わらない。

これは雑誌でも(少しはましだが)あまり変わらない。「少数のお金持ちが読んでいる雑誌」より「販売冊数が多い雑誌」の方が広告掲載料が高くなっている。

テレビの視聴率も同じです。



日本全国に「まったく同じような人しかいない時代」に作られた、「“マス”への浸透度合いに応じて広告料を決める」という“ゆがめられた市場原理”が未だに残っている。

今の時代、求めるモノは年代、世代、性別、職業、価値観、経済力、趣味等に応じて圧倒的に多様化している。「一定のセグメントにどれだけ絞り込めており」「その特定のセグメントでどれくらい浸透しているか」ということの方が「マスに何万部売れているか」より広告価値を左右するはずなのに、そうはなっていない。未だに「マスの何万人が読んでいるか」で決まっていく広告料。



市場は極めて正直だ。

たとえば100人の読者がいる。様々な面で彼らは多様であり、20人は経済に関心があり、10名は文化に関心があり、5名は宗教世界に関心があり、2人は・・・とする。しかし、100名とも美味しいモノを食べるのは好きだし、老後は不安だし、かわいい女優さんやかっこいい男優さんが好きである。そういう“あたりまえの共通項”もある。

どうなるか。上記に書いた“ゆがんだ市場原理”のために、メディアは“マスとしての数”だけが重要であるため、どのメディアも経済、文化、宗教などについて深堀りはしない。だって人数の絶対値が少ないもの。しかし「グルメ情報」や「アイドル歌手」や「年金問題」をとりあげておけば、とりあえず数は一番たくさんをカバーできる。このためにすべてのテレビ番組や雑誌がそーなってしまう・・・


悲惨

ってかんじ。

★★★

私たち日本人は、いつ、この“マス”という幻想、“マス”という虚構、“マス”という呪縛から解放される日が来るのか?




多くの人がネットってすごい、と言う。

ちきりんも、この虚構をぶっこわせるのはネットであろうし、ネットしかないと思ってる。しかしながら、こんなにも激流のように早く変化しているように見えるネットでさえ、この“マス”の幻想をぶちこわすのに10年もの年月が必要だというのだろうか。

どんだけ強固な虚構であり、既得権益やねんと。


ちきりんは可能性は信じてる。だけど、ゴールはまだまだだ、という気もしている。結局のとこ、ホリエモンは失脚したが、なべつねはまだまだ元気である。楽天だって、一生TBSをものにできない。



笑っちゃう。

そんじゃあね。