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Chikirinの日記 RSSフィード

2008-08-31 自由であること

今日の表題は、ちきりんがプロフィール欄で「人生のテーマ」としている「自由であること」

これって言葉にしただけで黙ってしまうくらいちきりんにとっては大事な言葉。いつもいつも自由に生きたいと思っているけれど、自由に生きられているとは一度も思ったことはない。死ぬまでにそういう境地に達することができるのか、半ばあきらめながら、それでも一生のテーマとしてはこれ以外思いつかない。

自由に生きることを意識したのは大学生の頃だと思う。当時ちきりんは一人暮らしを始め、誰にも制約されず、大学だって行く必要もないし、なんの悩みも課題もなく、まるであたかも“自由であるかのように”生きていた。

そしてそんなさなかに、というか、そんな生活をしていたからこそだと今は思うけど、「あたしは全く自由じゃない」と気がついた。

形式的に自分を縛るものがあると、たとえば生活のために働かなくてはならないとか、何か世話をしなくちゃいけない人がいるとか、なんでもいいのだが、そういうわかりやすい縛りがあると、まるで自分はその縛りがなければ自由になれるかのような幻想をもつことができる。もしくは「自由にいきられないことの言い訳」を非常にたやすく手に入れられるとも言える。だから悩まなくて済む。

だけど、そういう縛りが何もない生活をしてみると、「じゃあ、自分の今の生活は自由なのか?」という問いが顕在化してしまい、ああ、全然自由じゃないよね、ということがわかってしまう。そして自分がいったい“何から”自由でないのか明確になってしまう。

そういう意味で、ああいう脳天気な生活を数年でも送ってみることは、それなりに意味があると思います。

★★★

たとえば「自由だから他人を殺していいか」と言えば、それはNoであろうと思います。しかしながら、最大限大きく境界線を引くとしても、たとえば「他人に迷惑をかけてはならない」というところに線をひいたとしても、「やってはならないこと」などというのは非常に少ないのです。

実際には他人に迷惑なんて全然かからないのに、「やってはならない」と自分で思っていること、いや「私がやるべきことではない」と思い込んでいることはやたらと多く存在し、自分でも驚いてしまう。好きなように生きているようでいて、結局そういう「“なんとなく”やってはいけないと思い込んでいること」には一切足を踏み入れない。

そういう生き方について、あまりに「自由」という言葉からは距離があり、時に自己不信というか、あきれかえってしまってクラクラしてしまうほど、であったりする。

たとえばちきりんは、自分の収入以上の生活をしたこともないし、幼稚園から大学院まで一度の寄り道もせずレールを踏み外すことなく、その後だって、ずうっと正社員で働いているわけで、こんな人生が「自由に生きていたら」起こっているわけはない、と思います。

明らかに自分にたいして自分で「まっとうな人生」の枠、というものを設定していて、「その範囲内だけで」やりたいこと、好きなことを選んできた、その結果がこれってことでしょう。

経歴の話だけではない。一度だって「平気で人を傷つけたり」「生活の規律が全くない」ような人たちと人生を真剣に共有したことはなく、友人というレベルで関わる人でさえ、「一定の規律の上に生きている人」ばかりであるという事実を、「自由に生きてはいるがたまたまそうなっているのだ」と言い張れるほどには、残念ながらちきりんは厚顔でも無知でもない。

★★★

遺伝子でそんなことが規定されているわけはなく、当然、小さい頃から育ってきた環境、受けてきた教育、自分で選んで取り込んできた考え方などが、ちきりんに無意識に、そしてあまりに奥深く「まっとうな生き方」なるものをすり込んでしまっている、と思うわけ。

それに気がついたのが18歳くらいの時だった、ということ。



たいていの場合「自由に生きている人」というのは、「火宅の人」であったり「破綻した人格」と言われていたり、「情死」や「のたれ死」に近い形で人生を終えていたり、いやべつに、そうなりたいわけではないし、そんなものに、デカダンという言葉の下に?、甘美な夢をみているわけでもない。

しかしながら、彼らがおそらく経験したであろう「精神の自由」というものが、結局のところ決して手に入らないと観念しているからかもしれないけれど、それはちきりんには余りにもまばゆく、尊く、貴重なものに思えてたまらない。

そういうものを一度も手に入れないままに自分の人生が終わってしまうとしたら、それ以上に悔しいことは存在しないと、歯ぎしりをしたくなるような焦燥感に襲われる。



一生に一度も自由に生きられないとしたら、私が私に生まれてきた意味はどこにある?



★★★

今までに何度か、この人生の縛りに対して(それなりに本気で)挑戦しようとしたことがある。そしてそのたびに、自分が自分の人生に押しつけている規律という縛りのあまりの強固さに打ちのめされ跳ね返されてきたわけだ。

そして中途半端に挑戦することでかえって、その壁の絶望的なほどの高さに気がつき、結局あんぐりとしてしまい、いつものようにお天道様のサイクルにあわせて生活するという“まっとうな”生活に戻っていく。「ああ、あたしのような人間のレベルでは、居るべき場所はせいぜいここなのだ」と諦念しつつ。



なぜ自由に生きられないのか。それはもう明々白々に理解できている。ひとつは「怖い」から。もうひとつは「プライドが邪魔している」から、だろう。

自分がコントロールできると把握できている地帯の外に足を踏み出すことは、本当に怖い。時々こっそり覗きにいったりはするけれど、小心なちきりんにできるのはせいぜいそこまでだ。こっそりのぞいて、ピンポンダッシュで帰ってくるのだ。安心で安全で心地よいあたしの世界へ。

プライドの方もね。こんなものがなければ、ちきりんの人生は本当に大きく違ったものになっていただろうと思う。人間って(てか一般化する必要があるのか?)、なんでこんなややこしい感情を持っているのだろう。


自由に生きないことと引き替えに、ちきりんは“それなりの”人生を手に入れている。




自由にいきること。

いつかそうなりたい。

人生の間のごくごく短い時間でもいい。


自由に。



じゃ。

2008-08-30 よど号メンバー9名の記録

1970年 3月 31日、共産主義者同盟赤軍派の 9名が、羽田発 福岡行きの日本航空 351便(通称よど号)をハイジャック。福岡、ソウルを経て北朝鮮に亡命。乗客乗員は最終的には全員解放されました。

この事件、ちきりんは超がつくお気に入りです。下記は自分用の覚え書きエントリで、たまに加筆アップデートしてます。



<メンバー 9名について>


(1)田宮高麿

大阪市立大学生。赤軍派の軍事委員長。1943年生まれ、当時 27歳

よど号ハイジャックグループのリーダー。乗っ取った飛行機を降りる時、乗客にむかって演説し「我々は“明日のジョー”である」と言った。

1995年 11月 30日、平壌で突然病死(心臓麻痺と発表された)。日本から訪朝していた昔の赤軍仲間、塩見孝也氏と会い、元気に話していた翌朝の突然死であったため、その仲間との“危ない会話”を盗聴されたが故の粛正ではないかとの疑いもある。享年 52歳。

妻は、1953年生まれ。父が朝鮮人、母が日本人である森順子。77年に結婚。森は欧州での日本人拉致に関わったとされ、国際手配中のため帰国できず、今も北朝鮮に在住。


いつまでも田宮高麿とともに

いつまでも田宮高麿とともに



(2)小西隆裕

現在も北朝鮮在住。国際手配中。当時 25歳。現在 63歳

東大医学部 東大全共闘のサブリーダー格であった。田宮亡き後、グループのリーダーとなる。

1975年に当時の恋人であった看護婦の福井タカ子が、小西を追って東欧経由で北朝鮮に入国し結婚。この結婚を機に他のメンバーの“結婚事業”が開始され、北朝鮮に親和性があると判断された多くの日本人女性が日本から北朝鮮に連れて行かれた。妻は現在は日本に帰国。



(3)若林盛亮

現在も北朝鮮在住。国際手配中。当時 23歳。現在 61歳。

妻は黒田佐喜子( 1954年生まれ)専門学校でチュチェ思想研究会の幹部であった。76年に北朝鮮へ。森順子とともに欧州での拉致疑惑で国際手配中。



(4)赤木志郎

現在も北朝鮮在住。国際手配中。 当時 22歳。

妻は金子恵美子 ( 1955年生まれ)同じく専門学校でチュチェ思想研究会の幹部であった。



(5)安部(魚本)公博

現在も北朝鮮在住。旧姓安部。国際手配中。当時 22歳。

妻は魚本民子(1952年生まれ)高校から新左翼活動を始め、プロ学同に参加していた。76年に北朝鮮へ。現在は日本に帰国。


(2)(3)(4)(5)の 4名が現在も北朝鮮で存命中。



(6)田中義三

明治大学在学中に運動に参加。当時 21歳

1996年 3月 カンボジアで偽ドル所持の容疑で拘束され、タイに移送。その後 2000年 6月に帰国し逮捕される。2003年 6月 懲役 12年の判決が確定、収監。 2006年 11月に肝臓癌のため大阪医療刑務所に移監、最後は千葉の病院に移送され 2007年 1月 1日に死去。享年 58歳。

妻は水谷脇子( 1956年生まれ)愛知大学学生の頃から地上の楽園、北朝鮮に憧れていた。77年に北朝鮮へ。1980年にパリで活動中に保護され日本に帰国させられるが、その後 2ヶ月半で逃げだし北朝鮮へ戻った。現在は日本に帰国。

よど号、朝鮮・タイそして日本へ

よど号、朝鮮・タイそして日本へ



(7)岡本武

京都大学。当時 24歳。

82 - 83年頃( 36歳くらい)に思想再教育の為の施設に収容される。その付近の海岸より漁船で国外脱出を図るが失敗し拘束されたらしい。その後行方不明。強制収容所的なところに送られた可能性が大きい。

1988年に土木作業中の土砂崩れで妻と共に死去したと発表されているが、真偽は不明。いずれにせよ現在はすでに死亡しているとみられる。

日本赤軍のテルアビブ空港乱射事件の岡本公三は弟。

妻の福留貴美子は高知出身。76年に短大卒業。その夏“モンゴルに旅行に行く”といったきり失踪。80年に東京にいたことが目撃されていたとのこと。

二人の子供は他のよど号メンバーに育てられ、現在は日本に帰国。



(8)柴田泰弘

当時 16歳の高校生でハイジャックに参加。ハイジャックの前年、赤軍が山中で軍事訓練を行っていた「大菩薩峠事件」でも逮捕されている。

1985年に東京に潜入し日本で活動していたとみられる。34歳だった 1988年 5月に偽名として使っていた中尾晃として逮捕され服役。懲役5年の有罪判決を受け,1994年、40歳の時に出所。

その後は一般人として日本で暮らしていたが、2011年 6月、大阪のアパートで病死しているのが見つかった。享年 58才。

元妻は八尾恵。1975年、兵庫県出身。高卒。チュチェ研究所に誘われ参加、そこはすぐ辞めていたものの、21歳の時に“すぐ戻れるから無料で旅行に”という口車に乗せられて北朝鮮へ。柴田と強制的に結婚させられた、と後に告白。よど号グループメンバーの、日本人拉致への関与について、本に書いたり裁判で証言している。

謝罪します

謝罪します



(9)吉田金太郎

当時 20歳。ブント系反戦青年委員会で活動。9名のメンバーの中では唯一の高卒労働者。

1973年までは生存が確認されている。1976年にはすでに死亡していたとみられる。( 76年頃から北朝鮮に住み始めたよど号の妻達が、吉田の存在を知らないため)非常に早い時期に粛正されたとみられる。


★★★


最初の 9名のメンバーのうち、(1)田宮、(2)小西は、活発な活動家であり“覚悟のハイジャック、北朝鮮行き”であったと思われます。一方 (3) 〜 (7)の 5名は活動家ではあったけれど、必ずしも覚悟して参加したかどうかは疑問です。

また(8) (9)の 2名、柴田と吉田に関しては年齢も若く、活動も若者の“クラブ活動”レベルのイメージで参加していたと思われ、「ハイジャック、かっこいいっすね!」「北朝鮮か。飛行機も外国も初めてだ。戻ってきたらもてるだろーなー」レベルの感覚で参加したのではないかと想像されます。

いずれにせよ(1) (2)の 2名を含め、その全員が「遅くても数年で帰国するつもり」だったわけで、まさか 40年も戻れないとは全く予想していなかったでしょう。

★★★

9名のうち、粛正されて死亡したと思われるのが 3名です。

まずは事件後すぐに (9)吉田金太郎が躓いています。北に渡ってすぐの時期にメンバー全員が「これはやばい」と感じました。他メンバーは皆、瞬時に「今どのような態度をとるべきか」を察知し、北朝鮮体制に媚び始めます。

しかし吉田は若く、ひとりだけ(理屈をこね回す大学生活動家ではなく)純粋な労働者代表であり、シンプルに「これはおかしい」「僕は帰りたい」と主張。北朝鮮生活になじめず、結果として再教育施設に送られたとみられています。


次に脱落したのはエリートの岡本です。

彼が反逆を始めたのは北に渡ってから 10年を過ぎた頃。このままでは一生日本に帰れないと感じたタイミングだったのでしょう。

しかし密航脱出をはかったことで、粛正から逃れられなくなったとみられています。彼がこの時、密航脱出に成功し日本に帰国してすべてを暴露していれば、拉致問題も今とは全く違う展開になったかもしれません。


最後に田宮。25年にわたって慎重にメンバーを率いてきた彼ですが、日本で服役していた仲間の塩見が出獄して北にも訪ねてくるようになり、気がゆるんだか、北の当局を甘くみたのか。塩見にたいして(酒の力も手伝い)拉致への関与に関してなんらかの事実を漏らしたことで、翌朝に殺されたと(ちきりんは)みています。

これは、よど号ハイジャック犯を「彼らは革命の子だ、面倒をみてやれ」と指示した金日成が死去した翌年のことです。

彼らを保護すると決めた金日成のいる間は、疎ましくても手がだせなかったよど号メンバーも、今は北朝鮮からみても相当程度「うっとうしい奴ら」なのでしょう。


他のメンバーが今でも北朝鮮を礼賛し、決して拉致等についての口を割らないのは、「何か言えばいつでも自分は殺される」ということを十分に理解しているからと思われます。

特に田宮の死は、彼らに「自分たちの立場」を知らしめるのにあまりにわかりやすい事件だったろうと思われます。


その他は、3名が粛正で死亡の他、 1名が日本で投獄中に病死。 1名は逮捕服役を経て自由に(その後、2011年に死亡)。残りの 4名が北朝鮮に残っています。


★★★


なお、彼らの生活は最初は北朝鮮が丸抱えしていたようですが、途中からは日本とのつながりを活かして外貨ショップを運営し、外貨を稼ぎ、北朝鮮政府にもそれなりに上納している様子です。

「革命だ」、「世の中を変える」、「労働者の権利を守るために資本家を倒せ」と叫んだ若者達が、賄賂で潤う北朝鮮の特権階級相手に、安っぽい腕時計や外国製のシャンプーやチョコレートを転売することで生計を立てているというのは皮肉なことです。

実際には日本人拉致に加え、偽ドル、偽円、やくざ相手の商売(薬系)など、もっと多くの“人様に言えないこと”にも携わってきた可能性もあります。

元左翼少年の志は今どこに。


★★★


なお、“よど号の妻達”も小西の妻の福井タカ子を除けば全員が騙されて北朝鮮につれていかれており、そのまま監禁されているわけで広義で言えば誘拐監禁(拉致)事件です。でも今までのところ多くが北側の主張に沿った発言をするなど「幸せそうに」されています。

彼女らは日本国中からばらばらに集められているのですが、最初から「文句を言わなさそうな人」を選んでつれていっています。

たとえば片親が北朝鮮の人であったり、在日の人であったり、そうでなくてもチュチェ思想研究会に入るなど北朝鮮に興味があった女性らです。おそらく彼女らを日本国中から見つけてきたのは朝鮮総連の各支部でしょう。

ただ、今問題になっている拉致問題では、そういう北との親和性は全くない人達が大勢連れて行かれています。

なぜ、日本海側の小さな町とかからいきなり子供や若いカップルを拉致せずに、よど号の妻の場合のように「北に親和性のある人」を連れて行かなかったんだろ?ってのは疑問です。その方が、現地で定着させるのは明らかに楽なはずなのに。

ここはまだよくわかんないところですね。


★★★


よど号事件には興味深いエピソードも多いです。



エピソード1

よど号のJALパイロットだった石田機長。北朝鮮から無事日本に戻ってきた後、マスコミが追っているのも気づかず愛人の自宅に帰宅し、不倫が公になって大問題に。結局、日航を退職。その後も不遇な人生をおくり、最後は夜間警備員に。2006年に死去。


エピソード2

山村新治郎 運輸政務次官(当時)が、ソウルから人質の代わりとなってよど号に乗り込み、北朝鮮に向かいました。これにより“男・やましん!”“身代わ新治郎”などとマスコミにもてはやされ、「これで一生、選挙は大丈夫」と言われた・・・にもかかわらずその後落選。

北朝鮮でよど号メンバーと別れた後も、なにかとよど号メンバーのことを気にかけていたが、1992年、事件から 22年ぶりに北朝鮮を訪問するその前日に、自宅で次女に刃物でめったつきにされて死亡。

この次女は“男やましん”が北朝鮮から帰国した際は 2歳で、空港まで迎えにつれていかれてます。このことから世間の注目をずっと受けつつ育った次女は、父親殺害の際、精神を病んでいたと言われている。


エピソード3

本当はハイジャック計画のリーダーは当時、共産主義者同盟赤軍派議長の塩見孝也のはずであったが、実施予定日 2週間前の 3月 15日に喫茶店で公安に見つかり逮捕されている。公安は塩見の手帳に“ H・J ”というメモを見つけていたがこれがハイジャックを意味すると全く気がつかなかった。

塩見はそのまま20年弱の投獄生活を送り、非転向のまま 1989年の平成の世に出所。出所直後は出版講演など活発に活動していたが、現在は「その辺のおじさん」として平和に過ごしている?


エピソード4

よど号には 131名の乗客が乗っていたと言われているが、実際にはもう 1人乗っていたという報道がある。その一人は、当時米軍が事実上占領していた韓国のソウルで米軍側に紛れ込み、他の人質とは別ルートで脱出したと言われている。

この人物は、キリスト教の布教に来日していると見せかけた米国側スパイであったと言われており、北朝鮮に連れ去れた場合、機密がもれることを恐れた米国側がこの人物を取り戻すために、よど号事件解決に積極的に協力したと言われている。


エピソード5

ハイジャック計画はもともとは 3月 27日に行う予定であったが、メンバーの多くが“遅刻”し、実際に飛行機に乗れた人数が少なすぎたためこの日は延期された。

遅刻の理由は、大半が貧乏学生のため飛行機の乗り方を知らず、電車のように 5分前に駅に着けば乗れると思い込んでいたため。予約が必要だと知らない者もいた。

また彼女の家で最後の別れを惜しんでいて寝過ごしたメンバーもいた。遅刻せずに飛行機にのったメンバーは福岡に着いた後、所持金の少なさから飛行機で羽田に戻ることができず、夜行列車で東京に戻った。

なお、31日の実行日にも参加予定メンバーのうち何名もが当日現れなかったため(結果として)難を逃れている。


エピソード6

よど号はソウルの金浦空港に着陸し「ここが北朝鮮だ」と言われたが、空港には迷彩色の軍服を着た黒人兵が多数おり一目で「米軍の管理下の韓国」であるとわかる状態だった。

田宮らは「ここが北朝鮮だというなら金日成の写真を持ってこい」と言った。そんなものあるわけもなく、田宮らは「ここは北ではない」と見破ったと言われている。

これは田宮偉い!と言いたくなるエピソードに聞こえるが、実際にはもしも北朝鮮でそんなことを言っていたら「なんだ、首領様の写真をもってこいだと!?」と怒りを買ってその場で殺されていた可能性もある気がするので、不幸中の幸いだったかも。


以上です。

ほんとにこの事件はおもしろい。

リーダーの田宮が、「時代と共に幸せに」なった邊見氏と 2歳違いと、ほぼ同世代であることも興味深い。同じ時代に生まれてこの人生の違い! びっくりじゃない?


そんじゃーね。




よど号事件を知りたい人はまずこのドキュメンタリーを読むべき。名著です。

宿命―「よど号」亡命者たちの秘密工作 (新潮文庫)

宿命―「よど号」亡命者たちの秘密工作 (新潮文庫)


この本の内容はかなりゾクッときます。まじっ?って感じ。

「よど号」事件122時間の真実

「よど号」事件122時間の真実


★関連エントリ★

1970年代という時代

永田洋子氏 死亡

2008-08-29 昭和と平成(途中まで)

<昭和第一期:軍事国家への歩み>

(昭和1年〜昭和20年= 1926年〜1945年)


 I-a) 陸軍国家への歩み (昭和1年〜11年、1926〜1936年)

  • 1927 金融恐慌
  • 1932 満州国建国
  • 1936 2.26事件

 I-b) 戦争拡大期 (昭和11年〜16年、1936〜1941年)

  • 1937 盧溝橋事件、南京事件
  • 1941 東条内閣成立、12/7 真珠湾攻撃

 I-c) 太平洋戦争の時代 (昭和16年〜20年、1941〜1945年)

  • 1942 ミッドウエー海戦
  • 1943 ガダルカナル撤退
  • 1945.8 降伏、終戦


<第二期:被占領の時代> 

(昭和20年〜昭和27年= 1945年〜1952年)


 II-a) 占領下の日本 (昭和20年〜22年、1945〜1947年)

  • 1945 GHQ支配開始
  • 1946 東京裁判 (吉田茂内閣スタート)
  • 1947 新憲法発布

 II-b) 保守反共・西側の一員へ (昭和22年〜27年、1947〜1952年)

  • 1947 2.1ゼネスト中止
  • 1949 中華人民共和国成立、国鉄三大怪事件勃発(下山、三鷹、松川事件)
  • 1950 朝鮮戦争、レッドパージ
  • 1951 サンフランシスコ講和条約
  • 1952 占領機関の廃止


<第三期:経済大国へ> 

(昭和27年〜昭和64年= 1952年〜1989年)


 III-a) 政治と経済の混濁 (昭和27年〜35年、1952〜1960年)

  • 1954 経済白書“もはや戦後ではない”
  • 1955 自由民主党成立 (55年体制の確立)
  • 1960 安保騒動

 III-b) 高度経済成長時代 (昭和35年〜48年、1960〜1973年)

  • 1960 所得倍増計画(池田勇人首相)
  • 1964 東京オリンピック開催、新幹線完成
  • 1972 新左翼運動の崩壊(政治の時代、最後の残り火の消滅)

 III-c) 変調と乱調 (昭和48年〜64年、1973〜1989年)

  • 1974 第一次石油ショック
  • 1975 ベトナム戦争終戦
  • 1979 第二次石油ショック
  • 1985 バブル株高、土地高の始まり

    <昭和天皇崩御>



<平成第一期:非成長の時代へ> 

(平成1年〜平成20年= 1989年〜2008年)


 I-a) 失われた10+年 (平成1年〜13年、1989〜2001年)

 I-b) 小泉時代 (平成13年〜18年、2001〜2006年)

 I-c) 崩壊の時代(自民党勝利の場合)、

    混乱の時代(民主党勝利の場合) 

     (平成18年〜xx年、2006〜20xx年)



あと17年で昭和元年から100年。その時、1926から2025年の100年とはこういう時代だったというまとめが完成します。


大正と明治も追記してみたい。

またそのうち。

f:id:Chikirin:20150810175729j:image:medium


http://d.hatena.ne.jp/Chikirin+personal/  http://d.hatena.ne.jp/Chikirin+shop/

2008-08-28 時代と共に幸せに

何かの手違いで(?)「イトーヨーカ堂 成長の源流」という本を読んだ。イトーヨーカ堂の元常務の邊見敏江さんという方が書かれた本。

イトーヨーカ堂成長の源流

イトーヨーカ堂成長の源流


ヨーカ堂社史と、“業務改革”というあの会社独自のオペレーションについての紹介本、を足して2で割ったみたいな本ですが、同時に著者・邊見さんの自分史という側面ももっており、各所に“時代背景”が見えて、それがとても興味深かった。

本の“帯”は、イトーヨーカ堂の名誉会長の伊藤雅俊さん。いわく「商人・経営者として私が大事にしてきた「お客様第一」「従業員第一」という創業期の理想を邊見さんが具体的な形にまとめてくれました。」と。


正直、邊見さんなんて誰も知らないでしょ?


でも、イトーヨーカ堂の伊藤さんが“帯”を書いてくれたら、この本は「イトーヨーカー堂 WAY の正史」として認められる。つまり邊見さんというのは、そういう立場の人(イトーさんが帯を書いてくれる立場の人)ということです。


★★★


で、彼の人生なんだけど。


長岡近郊の街に1941年に生まれている。貧乏でも金持ちでもない普通の家。実家は小さな商売と農業をやっていた様子。6人兄弟の4番目というのも、当時としてはごく普通の家族構成だと思う。

1941年生まれだと物心ついたら戦後だから戦争の記憶はないでしょう。田舎だから戦後の混乱にも巻き込まれず、貧しいながらも楽しい我が家、という感じでごくごく平凡に育ってると思われます。

で、まず、高校進学時の話がこれ。

地元での進学校は長岡高等学校がトップだったが、私は父と兄・光雄のすすめもあり、長岡商業高等学校への進学を決めた。しかし私の本心としては、商売というもの自体があまり好きでなく、商業学校を卒業しても違う道に進みたいものだとの思いをずっと持ち続けていたのであるが、進学校への受験は父が許さなかった。


「父と長兄」という「家長」がその下の兄弟達の進路決定にもっている権限というか影響力がよくわかる文章だよね。今の人が読めば「なぜ長兄が?」って感じかもしれない。

時代って本当に大きく変わる。彼が15歳の時だとして1956年の話です。いったいこの後何年くらいまで、こういう「進学校の受験を許さない父」というのが、ごく当たり前に存在したのだろうね。

当時の田舎では“地元トップ校”に行く、というのは大学に進学するかもしれない、ことを意味し、それは「稼ぐのが遅くなる人生」を意味する。今で言えば「博士課程に行く」のと同じくらい覚悟のいることだった。だから「父が許さない」わけです。

というか、“進学校”とは文字通り“大学に進学するための高校”という意味であり、反対に言えば“進学校以外”を出たら皆高卒で就職する、仕事を始めるということ。そっちのほうがまだ一般的であった時代、ということです。



そしてこの文章もおもしろい。高校卒業時に東京に出ることにした時の記述です。

兼業農家の三男である私は、ふるさとに残ることはできず、ともかく家を出ることが義務づけられていたのだった。

なるほど。東京に出たいから出る、のではなく、「三男だから出る」のです。そして反対に言えば「長男だから地元に残って田んぼと家を引き継ぐ」のです。何番目に生まれた男か、で人生が決まってしまう。

さらに女であれば「女に生まれた私は進学や就職などはできず、二十歳前に嫁にいくことが義務づけられていたのだった」となるわけですね。


★★★


イトーヨーカ堂の入社面接は、その頃まだ36歳だった青年経営者の伊藤雅俊社長本人が担当しています。受ける側はなんと、お母さんも同席しています。


18歳だし田舎から出てきて面接受けるのだから、母親同席ってのは当然なのかしら?と思って読んでいると、やりとりはこんな感じ。


いま思い出してみると、入社面接でのやりとりはこのようなものであった。


まず伊藤社長と母との応答であった。

「大切なお子さんを預かることになるが、心配はありませんか?」

「ええ、大丈夫です。」

「東京での生活に不安があると思いますが、東京にはご親戚などいらっしゃいますか?」

「弟が葛飾区の水元小合町におりまして、連れ合いの姉が世田谷区北沢におります。」


そして私の番がきた。

「小売業はとても大変な仕事で、朝早くから、夜遅くまで働かなくてはならないが、やっていける自信はありますか?」

「ハイ!」

「希望する仕事はありますか?」

「事務系の仕事を希望します。」


簡単な応答の最後は伊藤社長の一言で締めくくられた。

「就職担当の山田先生からもよく頼まれています。ご心配なく。」


私は晴れてヨーカ堂の社員になったのである。


どう??

こーゆー面接で採用が決まるわけですよ。そしてこの人は、この後46年この会社で働くことになる。46年ってほとんど半世紀ですよ。「お子様を預かります」で46年。すごい長い期間、預かっちゃったね・・。


1959年というのはそういう時代だったんです。

時代ってすごい。



仕事はね・・・

また仕事もきつかった。朝9時から夜10時頃までデスクに向かって仕事を続け、休暇も月に一日あればいい、というハードワークであった。男性社員はすべて会社の寮に住み込みで、会社の通りを挟んで向かい側にあった寮や歩いて3分くらいの寮と、職場を往復するだけの毎日に辟易していたのも事実である。


当時はどこも週休二日ではないけれど、それにしても一日13時間労働で月に一日休めるかどうか、なんて今なら確実にブラック企業扱いされるだろし、“搾取されてる”“耐えられない”と大騒ぎになるに違いない。

こんな働き方が当たり前だったのもこの時代、ってことです。その代わり、毎月家には新しい家電が増えていくなど、皆が「豊かになっていく実感」が持てていた時代です。

それと、こんな働き方ではそりゃー「男しか採用しない」のは当然だろうとも思います。夫と妻の“分業”が不可避な働き方ですよね。


★★★


そして彼は、成長を続けるイトーヨーカ堂と共に順調に出世の階段をあがっていき、まだまだ貧しい日本で早くから海外出張や海外視察の機会を得たり、休職して大学院で学ばせてもらったり、ハーバードビジネススクールがイトーヨーカ堂のケースを作る時の担当者になったりという経験を積んでいく。

本を読んでいると、希有な経営者であった伊藤氏の右腕として順風満帆の職業人生を歩んでいく様子がよく分かります。まさに「高度成長する日本」と成長の歩みを合わせ、幸せな古き良き時代を生きた人。そして長生きし、人生を振り返る自伝的な本を出したら伊藤元社長が“帯”を書いてくれた。


こんな幸せな人生あるかな?


と思うような人生に見えます。



もちろん裏返しとして、全く家庭を顧みることのないハードワーカーだったと思うし、会社が成功したのも、彼が出世したのも「時代だけ」の理由ではないでしょう。この時代の人、皆が皆そういう体験を得られたわけでもありません。

でも、この時代にはやっぱりこういう「時代と共に幸せだった」という人がたくさんいたのだろうと思います。



引退後はいろんな大学で教鞭もとっている。今は東京大学ものづくり経営研究センターの特任研究員だそうです。そして66歳の時、人生の集大成としてこういう本を出す。

本の印税が必要なわけではない。イトーヨーカ堂の退職金も(最低2回分、社員と役員と)あるし、桁違いに安く買ったセブン&アイグループの株式もたっぷりお持ちでしょ。年金も十分に逃げ切り世代です。


父と兄に進学校へ進むことを止められた三男坊は商業高校で簿記を学び、

「三男だから家をでるしかなく」高卒で東京にでて就職することになり、

「高校の就職担当の山田先生が勧めてくれた」中堅小売り業の会社の面接で、

「大事なお子さんを預かります」と言ってくれた何代目かの若社長とその会社に、人生のすべてを捧げてきた。


そしたら幸せな人生だった。



「時代と共に幸せになれる」というのはこういうことだ。


「時代と共に不幸になりつつある若者達」にはまばゆい歴史なんじゃああるまいか。



そんじゃ。

2008-08-25 ご飯シリーズ

本日は“ご飯シリーズ”です。

とある休日。「今日は、イタリアンの日にする!」と決めたわけです。


まずは朝ご飯

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おなじみのモッツァレラ+トマト+バジルのサラダを作り、ハムと一緒にトーストしたパンに乗せてオープンサンドで。かなーり美味しかったです!ホントはもっとイタリアーンなパンにしたかったのだが買い忘れた。

ちなみにこのハム「鎌倉ハム」ってとこのなんですが、ここのハムは本当に美味しいです。ハムに関してはちきりん御用達。

★★★


ランチ。鰺のハーブ詰めソテー。

最近はハーブや海外の野菜がごく普通のスーパーでも手に入る。すごく香りがよくて新鮮。日本で作り始めてるってことですね。

で、鰺のおなかにタイムをタップリ詰めて焼いてみました。オリーブオイルで炒めたトマトと合わせて美味しかった。けど、普通の塩焼きも美味しいかも?とか、鰺って刺身も美味しいよね、とかとも思う。本当はちきりんは和食好きである。

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★★★


夜はお酒のおつまみ的に、と思って、まずはサーモンマリネ。

これはなかなかヒットでしたね。たくさん作ったので明日からのおつまみにも食べられる。おいしい〜。

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それとイカとアスパラのガーリック炒め、なのだが、ちょろっと醤油を垂らしたらすごく美味しくて・・でもこれじゃー和風じゃん?という味になってしまい、

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で、結局最後の一品は完全に「焼酎用」のおつまみに変わってしまいました。ミョウガとふかしたジャガイモカボチャ。

うまっ

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ちなみに最近我が家ブームの焼酎は宝酒造のジャパンっていう焼酎。韓国焼酎に味が似てる気がするぞ。



まっ、というわけで「本日はイタリアン!」と決めたものの、途中で結局、和風に変わってしまいましたという一日でございました。

うーん、イタリアン好きなんですけどね。でもちきりんは“やっぱり和食”なのかもしれない。

★★★

“はてなフォトライフ”にフォルダー機能ができてたので、写真を整理してみました。

「ごはん」というフォルダーを選んでみてみてください。

 ちきりん写真館


美味しいご飯って幸せだけど、写真見てるだけでも楽しくなる。本当に“食べる”って素敵だ。


そんじゃーね。

2008-08-23 ちきりん的“大人”の条件

ちきりんは“子供な人”が苦手です。

いい大人の年齢に達しているのに、精神的な態度や成熟度という意味で子供っぽい人と一緒にいるととても疲れます。

では、“大人である”というのは具体的にどういうことなのか。今日は独断と偏見による“大人の定義”を書いてみます。


(1)不満を感情で表現するか、否か。

誰しも不満なこと、気にくわないことはたくさんありますよね。

世の中では自分の思い通りになることより、ならないことの方が圧倒的に多い。

「誰かが大きな愛の傘で守ってくれている」という状況から一歩外に出れば、この世は矛盾と理不尽に満ちあふれています。

そういう時、自分の不満な気持ちをどう表すか。ここに大人と子供の違いが現れます。

子供は、不満を表現する方法として“感情で表現する”という方法しか持っていません。典型的には、「泣く」「ふてくされる」「すねる」などです。

中学生くらいになると、「うぜーんだよ、ばばあ」などと悪態をついたり、物理的に暴れるなどして不満を表現する人もでてきます。


大人でも自分の不満をすぐに、皮肉、攻撃的な言葉などで明らかにする人がいます。

「俺は不満である!」ということを周りの人に伝えなければ気が済まない人です。

子供の頃、感情を垂れ流していたらママが問題を解決してくれた、そういう経験が忘れられないのでしょう。


次のふたつのことに気がつくと、人はこういう態度をとらなくなります。

ひとつめは、「自分だけが不運で不幸で、不満を感じているわけではない。他の大人はそんなことを感情的に垂れ流さないから、見えないのだ」ということ。

もうひとつが「不満を感情的に表現することは、誰にとっても(もちろん自分にとっても)何一つメリットはない。それどころか大きな害がある」ということ。

この二つに気がつくと、人は不満を感情爆弾で表そうとは思わなくなります。大人への階段をひとつ上る瞬間といえるでしょう。


(2)理解できないものがあると、理解しているか、否か。

世の出来事の大半はとても複雑で、そんなに簡単に何かが「わかった!」りしないのもです。

もし「わかった!」と思うことがあったなら、それは結局のところ「実はわかっていないから」です。わかっていないという事実を理解できないから「わかった!」と思うのです。

「あの人はいい人だ」とか「あいつは悪い奴だ」と言えば、わかった気になれるかもしれません。

しかし世の人は、「いい人」と「悪い人」に分かれたりはしません。

人を含めすべてのものには「いい面」と「悪い面」があり、「よく見える見方」と「悪く見える見方」があります。

大人は、「いい・悪い」というような二元論的な区分が嘘であることを経験的、感覚的に理解しています。

だから 「俺は全く悪くない。悪いのはあいつだ!」というような、子供っぽい考えをもちません。


また、世の中の大半のことに「正しい答えはない」とわかっているかどうかも、大人と子供の大きな違いです。

子供が通う学校では、「物事には答えがある」と教えます。「こうやって答えを出すのですよ」と指導し、答えが上手に出せるかどうか、テストして評価までします。

子供は「答えがある世界」に住んでいるのです。


でも大人は違いますよね。

大人の住む世界には「正しい答え」はありません。 大人の世界で答えがすぐに見つかるのは「どうでもいいこと」だけであり、世の中の多くの「大事なこと」には答えがないのです。


必要なのは、自分が何もわかっていないと知ることです。それが、より理解したいという動機ともなります。

「わかった」と思うことは思考の終着点(思考停止と同じ)を意味します。

そう思った瞬間に、 その人の認識世界のサイズ(境界線)が確定してしまうのです。


子供の世界が狭いのは、すぐわかった気になるからです。子供ってよく言うでしょ。「ママ、僕わかったよ!」と。

大人なのに“むやみな自信”をもつ人もいます。

彼らは子ども同様、とても狭い世界に(多くの場合、自分で境界線を引いて狭い世界を作り出し、その中で)生きています。

(ただし、自分が理解できない世界の絶望的な広さを認識した上で、「だからこそ自信を持つことが大事なのだ」と気持ちをコントロールしている、“覚悟の自信”がある人も一部います)

というわけで、大人への二つ目の階段を上る時、それは、「世の中は思ったより複雑で奥深く、自分は何もわかってない」と理解できた時でしょう。


(3)多様な他者を理解しているか、否か。

天才棋士は何十手も先を読むそうですが、日常生活では、たった 2歩ほど先が読めれば大人として振る舞えるようになります。

2歩とは、「次に相手が打つ手」と「それに応じて自分が打つ手」の二つです。

相手が打つ手を想像するためには「相手がどんな考え方をする人か」と想像する必要があります。

ところが子供は「他者も自分と同じである」という非現実的な前提を信じており、「誰でも自分と同じように感じるはず、考えるはず」と思っています。

相手の立場から見れば物事は違って見える、ということを知りません。


実際には、人はそれぞれ感じ方も考え方も全然違います。

したがって相手の次の手を読むには、まず“自分とは違う人”を理解する必要があるのですが、これが子供には難しい。

この、多様な他者を想像できるか、という点が子供と大人の大きな違いです。


こうして、「自分がこういう言動をとれば、 相手はこう感じてこう反応する可能性がある。すると自分はこう感じるよね」というところまで想像できるようになると、

その後に自分に起こる状況があらかじめ想定できるようになり、最初の自分の言動を変えようというフィードバックが働き始めます。


これはつまり、2歩先を読むと最初の自分の行動が変わってくることを意味しています。

自分の言動がどう自分に戻ってくるかを事前に理解すれば、人は、腹いせ的な行動、むやみに短絡的な言動をしなくなります。

しかもその際、「自分とは違う考え方、モノの見方をする人」という要素を組み入れて想像する必要があるので、行動前にじっくり考えるようになります。

これが客観的には「思慮深くなる」ということであり、大人になるとはまさにそういうことです。

というわけで、大人への 3つ目の階段、それは「自分とは異なるものへの想像力」を手に入れ、それをフィードバックとして使いながら自分の言動を選択することができるようになる、という段階です。


★★★


まとめると、ちきりん的大人の条件とは、

(1)“思い通りにならない現実世界”にたいして、感情を垂れ流さず、

(2)自らの未熟さと人間の力の限界を認識し、

(3)人間の多様性についての洞察と想像力をもっていること であり、


反対にいえば子供とは

(1)不満を感情として他人にぶつけて解消しようと考え、

(2)なんでもわかった気になれる”単純な世界観”に生きている、

(3)自分と違うモノ、多様性を理解しない人である。 ということでしょうか。


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そんじゃーね


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2008-08-20 いつでも辞められる

私は自分で買った分譲マンションに住んでます。

今日一緒にご飯を食べた友人は、海のそばに 100坪の土地を買っていて、自分で設計した別荘がつい最近できあがったと言ってました。2階のリビングからどどーんと海が見えるらしい。

それは素敵ですね。

不動産の買い方って、買わないというチョイスも含めて、結構その人の性格をよく表す、と思います。


私の場合、賃貸ではなく分譲マンションを買おうと思った理由はいくつかあるのですが、最大の理由は「家さえあれば、いつでも会社を辞められる。」ということでした。

東京って家賃が高いから、賃貸だと突発的には会社が辞められない。

もしくは辞めるとすぐに貯蓄が底をつく。すぐ次の仕事を探す必要がでてきます。

でもとりあえず家さえあれば(家賃を払う必要がなければ)、コンビニのバイトくらいでも生活費は払えます。

年収 200万円って、そこから家賃払うと考えるとワープア状態ですが、家賃別なら月 15万円以上あるわけなので、なんとか暮らせます。

なので、住宅ローンが終わった時には「ああ、これで私も自由だべ」と思いました。


それなりにストレスの多い仕事をしていると、この「とりあえずいつ辞めても(経済的には)困らない」と思えるのは、心的にとても楽ちんです。

頭にきたり、あまりに理不尽!とか、あまりにばかげてる!と思ったら、後先考えずに「辞めます!」と叫べばいい。

そう思えるだけで、とりあえず住む場所が確保されてることは、とても意味がある、と思います。


同じ“ラストリゾート的な安心感”を得る方法として、収入のある配偶者を得る、とか、とりあえず実家に住んどく、みたいな方法もあるでしょう。

でも私の場合は、誰であれ他の人に(家や生活費を)出してもらうと、結局はその人に遠慮したり、嫌われないようにしなくちゃという気持ちがでてきて余り自由になれません。

なのでできれば「自分のおうち」が欲しいと思っていました。なので今はとても気楽です。


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じゃね。


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2008-08-18 ちきりん自己ベスト10エントリは?

さて本日は、「ちきりんが選ぶ、過去エントリトップ10!」


市場を信じるちきりんとしては、ブックマークやコメントや★など、外部の方からのフィードバックを尊重すべきとはもちろん思うのですが、でもやっぱり、「自分としてはこれが好き!」というエントリがあります。

なので、それをちょっとまとめてみようかなと。


でも、さすがに自分でも何を書いたか全部覚えているわけでもなく、とりあえず「エントリ名の目次」を一月分ずつ見ていったのだけど・・・そこから学んだことは、「エントリ名はきちんと考えてつけるべき」ってことですね。

昔のエントリには適当にタイトルをつけている日や、タイトルが全く意味不明な言葉、という場合もあって・・・そういうのは中身の文章も見ないと選べなくてすごく大変でした。反省しました。

というわけで、全部ちゃんと見たのか?と言われると正直自信はないのですが、まあ一応、ざっと見た感じでは、下記が「ちきりん自己ベスト」

うーん「ベスト」っていう言葉は必ずしも“しっくり”はしないですね。いいとか悪いとかではなく、「ちきりんが自分で気に入っているトップ10」って感じです。

それではお暇な時に、ごゆるりとお楽しみくださいませ。

そんじゃーね!

★★★

世界の美術館の違い

二大政党制に必要なもの

(3)との遭遇(やり直し)

問題の範囲と当事者の範囲

労組って必要なんだけどね

年金も消費税も5年後に考えるべきだよ

石油危機<サミット>石油危機

誰が勝ち組だって?

分業と非分業

税金の使い道



順不同です。

ではね〜

2008-08-17 花火!

花火、観に行った。


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花火の写真って、ちゃんとピントが合ってるのより、こういうほうが好きだったりします。


そんじゃーね!

2008-08-16 どっちも多分同じ

運命には、「戦う」という方法と「受け入れる」という方法があるんだけど。

たぶんどっちでも結果は変わらないんだなと気がついた。

変わるのは結果ではなく、経過なんだと。


生きているといろんなことがあります。いいことも悪いことも。

大きな苦難に見舞われた時、あっさりとそれを受け入れてしまう人もいるし、必死で抗う人もいます。

どんなに困難な運命でも、決してあきらめない人もいるし、そして中には、ありえないような不利な状況から奇跡を起こし、困難を克服する人もいます。


でも結局、そうやって全力でひっくりかえした運命は、どこかで回りまわって戻ってきます。

実際のところ運命を変えられたわけではなく、ほんの少しだけ猶予が得られたり、違うように見えていただけです。

その結果だけをみれば、運命に抗う努力は無駄とも見えます。

そんなに必死で抵抗しても何も変えられないと思えば、最初からすんなりと運命を受け入れ、諦めたほうがよいようにも思えます。


ただ、結果は変えられなくても、どちらのプロセスを選ぶかにはそれなりの違いがあります。

なぜなら人は「プロセスによって、結果によってよりも大きく影響を受けることがある」からです。

受験をして失敗した場合、失敗するなら受験しないのと結果は同じですが、受験する人生としない人生は違う人生です。


私は「たとえ結果が伴わなくとも努力をすれば必ず報われる」などというおとぎ話は信じていません。

無駄な努力をせず運命をさっさと受け入れ、別のことに時間を使うのもひとつの生き方です。

言いたいのは、結果は変わらなくても、運命を受け入れるか、戦うかという判断はけっこう大事な判断だということです。

人生の時間の使い方自体=プロセスこそが、人生の中身であり、自分で選ぶべきものだからね。


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んじゃ


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2008-08-15 終戦の詔勅(ちきりん語訳とともに)

今日は終戦記念日というわけで、「終戦の詔勅」、いわゆる“玉音放送”を現代語訳してみました。

黒字が原文(仮名は追記)、赤字が“ちきりん現代語訳”です。



終戦の詔勅


朕深く世界の大勢と帝國の現状とに鑑み

非常の措置を以て時局を収拾せむと欲し

茲(ここ)に忠良なる爾(なんぢ)臣民に告

世界の情勢と日本の現状を慎重に検討した結果、

思い切った措置をとることで、事態を収拾したいと考えたので、

ここに、忠実なあなたがた臣民に伝えることにした


朕は帝國政府をして

米英支蘇四國に対し

其の共同宣言を受諾する旨通告せしめたり

私は日本政府担当者に

米、英、中国、ソビエト連邦の 4カ国に対して、

日本が(ポツダム)共同宣言を受け入れると、伝えるよう指示した


抑々帝國臣民の康寧を図り

万邦共榮の楽を偕にするは

皇祖皇宗の遺範にして

朕の拳々(けんけん)措(お)かさる所

私たち日本国民が穏やかに安心して暮らせ、

世界全体と繁栄の喜びを共有することは、

歴代の天皇が代々受け継いできた意思であり、

私自身もそれを非常に重要なことと考えてきた


曩(さき)に米英二國に宣戰せる所以も

亦実に帝國の自存と東亞の安定とを庶幾するに出て

他國の主權を排し領土を侵すか如きは固(もと)より朕か志にあらす

最初に米英二カ国に宣戦を布告した理由も

日本国の自立とアジアの安定を願う気持ちからであり、

他国の主権を侵したり、その領土を侵したりすることは、もともと私の目指すところではなかった


然るに交戰已に四歳を閲し

朕か陸海將兵の勇戰

朕か百僚有司の励精

朕か一億衆庶の奉公

各々最善を尽せるに拘らす

戰局必すしも好轉せす

世界の大勢亦我に利あらす

けれども戦争は既に 4年も続いており、

我らが陸海軍人たちの勇敢な戦いぶりや

行政府の役人らの一心不乱の働きぶり、

そして一億の民の協力

それぞれが最善を尽くしたにも関わらず

戦況は必ずしも好転せず、

世界情勢を見るに、日本に有利とはとてもいえない状況となっている


加之敵は新に残虐なる爆彈を使用して

頻(しきり)に無辜を殺傷し惨害の及ふ所眞に測るへからさるに至る

而(しか)も尚交戰を継続せむか

終に我か民族の滅亡を招來するのみならす

延て人類の文明をも破却すへし

その上、敵は新たに残虐な新型爆弾を使用して多くの罪のない者達を殺傷し、

その被害は、はかることもできないほど大きなものとなっている

もしもこれ以上戦争を続ければ、最後には我が日本民族の滅亡にもつながりかねない状況であり、

ひいては人類の文明すべてを破壊してしまいかねない


斯の如くは

朕何を以てか億兆の赤子を保し

皇祖皇宗の神霊に謝せむや

是れ朕か帝國政府をして共同宣言に応せしむるに至れる所以なり

そのようなことになれば、

私はどのようにして一億の民を守り、

歴代天皇の霊に顔向けすることができようか

これが私が政府担当者に対し、共同宣言に応じよと指示した理由である


朕は帝國と共に終始東亞の解放に協力せる諸盟邦に対し

遺憾の意を表せさるを得す

帝國臣民にして戰陣に死し職域に殉し非命に斃れたる者及其の遺族に想を致せは五内爲に裂く

且戰傷を負ひ災禍を蒙り家業を失ひたる者の厚生に至りては

朕の深く軫念(しんねん)する所なり

私は、アジアを(西欧列強から)解放するために日本に協力してくれた友好国にたいして大変申し訳なく思う

また日本国民であって、戦地で命を失った者、 職場で命を落とし、悔しくも天命を全うできなかった者、そしてその遺族のことを考えると、 心も体も引き裂かれんばかりの思いがする

戦争で傷つき、戦災被害にあって家や仕事を失った者の暮らしについても、 非常に心配に思っている


惟ふに今後帝國の受くへき苦難は固より尋常にあらす

爾臣民の衷情も朕善く之を知る

然れとも朕は時運の趨く所

堪へ難きを堪へ忍ひ難きを忍ひ

以て万世の爲に太平を開かむと欲す

この後、日本が受けるであろう苦難は言うまでもなく尋常なものではないであろう

皆さん臣民の悔しい思いも、私はよくよくそれをわかっている

けれども私は時代の運命の導きにそって、

堪へ難きを堪へ

忍び難きを忍び

これからもずっと続いていく未来のために、平和への扉を開きたい


朕は茲に國體を護持し得て

忠良なる爾臣民の赤誠に信倚し

常に爾臣民と共に在り

私はこうやって日本の国の形を守ることができたのだから

忠誠心が高く善良な臣民の真心を信頼し、

常にあなたがた臣民とともにある


若し夫れ情の激する所濫に事端を滋(しげ)くし

或は同胞排擠(はいせい)互に時局を亂り

爲に大道を誤り信義を世界に失ふか如きは

朕最も之を戒む

感情の激するがままに事件を起こしたり、

もしくは仲間同士が争って世の中を乱し、

そのために道を誤って世界からの信頼を失うようなことは、

もっとも戒めたいことである



宜しく挙國一家子孫相傳へ確く神州の不滅を信し

任重くして道遠きを念(おも)ひ総力を將來の建設に傾け

道義を篤くし志操を鞏(かた)くし

誓て國體の精華を発揚し世界の進運に後れさらむことを期すへし

なんとか国全体が一つとなり、子孫にまでその思いを伝え、神国日本の不滅を信じ

責任はとても重く、行く道は非常に遠いことを覚悟して、将来の建設に向けて総力を結集し

道義を守り志と規律を強くもって、 日本国の力を最大に発揮し、

世界の先進国に遅れをとらずに進むのだという決意をもとうではないか


爾臣民其れ克く朕か意を體せよ

私の臣民達よ、是非ともこの私の意思をよくよく理解してもらいたい


御名御璽

昭和二十年八月十四日


★★★


現代語訳は、私の個人的な訳なので必ずしも正確ではありませんが、声を出して読んでいると感動して思わず右翼になっちゃいそーですね。

昭和天皇の玉音放送音声は下記にて聞くことができます。

最初は、「これを耳で聞いて理解できた当時の人ってすごい!」と思ったんですが、実は、陛下のお言葉の後に NHK が解説してるんだそうです。


玉音放送を含む、当時の NHKの放送音声(youtube)

玉音放送は誰が書いたの?



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そんじゃーね



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2008-08-14 オリンピック模様

北京オリンピックについてアレコレ雑感を。


その1:開会式

歌を披露した少女が口パクだったとか、足跡の花火が実はCGだったとか。笑えるよね、さすが中国!!

口パクについては、「オーディションの結果、A子ちゃんが一番歌が上手かった。でもB子ちゃんの方がかわいかった。だからA子ちゃんが楽屋で歌う声にあわせてB子ちゃんに舞台で口パクさせた。」ということらしい。

人口が16億人もいるんだから、「かわいくて、かつ、歌も上手い」子が何で見つけられない??って気もする。

歌っていた子もたしかに「かわいかった」けど、別に絶世の美少女ってほどでもなかったしさ。Aちゃんの“見かけ”っていったい・・・

でも当人のA子ちゃんは「歌声を世界に届けられただけでも幸せ。悔しくはない。」とのコメントを発表。


けなげだ。


でも「かわいくなかったから楽屋で歌わされたA子ちゃん」としては、今更メディアに顔を出したいとは思わないだろうな・・親も今更娘をメディアに出したくないでしょ?ねえ。

どーっすか、自分の娘なら、こーゆーオファーが来たら歌わせます?「舞台には立てませんが、舞台裏で歌ってもらえますか?」って。

うーん、自分が親ならどーかはわからんが、自分なら十分それでもいいよ。歌います。楽しそうじゃない?後から「実はあれは、ちきりんの声なんだよ!!」って、一生使えるネタゲット、って感じで。


アメリカのメディアが「中国当局は、幼い子供に口パクをさせることの非倫理性を理解していない。」と報じているとか。


他国の石油を横取りするために、“大量破壊兵器がある”と嘘をついてまで、イラクの国土と国民の生活をめちゃめちゃに叩き潰したことの“非倫理性”に先に気がつけよ、ばーろー。

ではある。

★★★

その2、野球。

ダルビッシュがメタメタで第一戦を落とした星野ジャパン。うーん、そーねー、まあ、これ、どう見るか難しいのですが、少なくともダルちゃん起点で考えれば「ものすごくいい経験」になったんじゃないかと思うよ。

あの若さで「球界一」とか、最低でも「パリーグイチ」とか言われてしまうとね、人間やばいわけです。すごく早い時期に認められるのは、すごく大きなリスクなんです。誰にとっても。

で、今回の経験は彼に強烈な屈辱感を残すと思う。リベンジへの希求感を残すと思う。成長にはそういうものが必要なわけ。

だから、よかったんじゃないの?と思うちきりんである。


日本野球にはたいした未来はないが、ダルビッシュには大いなる可能性があるからね。

★★★

その3は、平泳ぎの北島選手、マラソン欠場の野口選手、そして“ママでは銅”の谷亮子選手。彼らにみる明暗の分かれ目がすごく印象的。ほかにも柔道の鈴木主将、体操の富田選手の結果もドラマティック。


ちきりんは「努力は報われる」という虚構が大嫌い。「嘘つくな」と思います。

「努力は報われる」と主張する人は、北島ほどは、野口や鈴木、谷が努力していなかったからこんな事態になったのだとでも言うのだろうか。



「努力は報われないかもしれない。それでも俺は私は努力する。」そういう人がいる、そういう気持ちになれることがある、ということの方が、よほど大事なのに。

「努力は報われる」という言葉は大事なことを“おじゃん”にする言葉だよね。


そういう意味で、今回のオリンピックは興味深い。


努力は報われない。報われるものは何なのか。

ね。



★★★

以上です。他に何が関心あるかって?

もちろん、中国とアメリカのメダルの数ですよ。これはすごいことになる。


それじゃーね。

2008-08-10 「実力」×「プレッシャー耐性」

ちきりんは「古き良き時代の日本企業」で働いた後、極端にアグレッシブな人事制度をもつ米系の投資銀行でも働いたことがあります。

転職前には「そのうち日本企業も年功序列や終身雇用を維持できなくなる。だったら早めに欧米的な組織環境に慣れておいた方がいいよね」と思っていました。

けれど実際に外資系企業で働いてみてわかったのは、「こんなに高いプレッシャーの下で楽しく働けるのは、ごく一部の人達だけだ。大半の人はこんなところでは力が発揮できないだろうな・・」ということでした。


別にそれは、あからさまに目に見える厳しさではありません。そこら中で誰かが罵倒されているとか、毎週誰かが解雇されるとか、そういうことではないのです。

職場には冗談も飛び交っているし、みんなよく笑います。同僚や上司とランチを食べ、帰りに飲みに行くこともあり、一見すれば日本企業と何も変わりません。中には何も教えてくれない先輩もいるけれど、新人にはトレーニングや指導の仕組みがある企業が大半です。

では何が個人にプレッシャーをかけるのでしょう?


それはさらっとした、本当にさらっとした、「成果による評価」です。


想像しやすいよう新卒学生で説明しましょう。23歳で就職し、同期入社は 5人だったとします。内定時から一年間何度も飲みに行って仲良くなり、NY本社で行われる数ヶ月の新人研修では共に助け合った仲間です。

働き始めて 2年たった 25歳の時、同期の一人が昇格します。年収は他のメンバーより 800万円高くなります(年収が 800万円になるのではなく、同期との年収格差が 800万円になるってことです)。「お前やっぱすげえな!」と同期で祝福します。


半年後、同期からもうひとり昇格します。「おめでとう!」と皆で飲みに行き、残った 3人は「俺らもガンバんないとやばいよな〜」と自嘲気味に笑い合います。

その半年後、今度は彼らより一年後に入社した後輩が一人、昇格します。彼がまだ内定学生だった時代には、あなたが 1年目の先輩としていろいろ教えてあげた、そういう後輩のひとりです。


その頃、まだ昇格していない同期 3名のうちのひとりが、妙な動きを始めます。

実力のある上司のまわりをちょこまかと動きまわり、個人的な用事まで手伝いながら成果の出やすい仕事を回してもらおうとする。か、のように周りには見えます。

このあたりから残りの 2人に漂う空気が重くなります。

そしてどちらともなく言い出します。「おれ、転職も考えてるんだ。この仕事はやっぱり向いてなかったかなって思うこともあるし」、「なんだよ、もうちょっと一緒にがんばろうぜ」


解雇される前に自分で退職したいと思うのは、26歳の若者の精一杯の自己保身術です。元気で、能力が高く、多くの学生の中から選ばれた就職勝ち組の優秀な若者が、自分を守るための言動を始めるのです。たかだか 20代半ばという年齢で。


★★★


中途採用で入社する人の場合、個人の受けるプレッシャーはさらに大きくなります。

新卒で入社した人は最初からそういう環境にいますが、中途採用の人は「別の世界」も知っています。

「自分はそれを捨ててきた」という思いがある彼らにとって、「実はあっちの方がよかった」という感じてしまうことは、そのまま「後悔」「人生の選択の失敗」という否定的な感情につながってしまうからです。


彼らの多くは家族を抱えています。転職に反対する奥さんを説得して、転職してきた人もいます。気軽に弱音を吐くこともできません。

早朝から深夜まで仕事がハードなため、多くの人がオフィスに近い都心に住みます。外資系企業には社宅はないため、夫婦と子供の 3人家族なら家賃 30万円は“ごく普通”の水準です。

なので転職するにしても、間隔が数ヶ月あくだけで百万円単位の貯金の切り崩しが必要です。辞める判断もまた簡単ではありません。


★★★


最初に私が勤めた日本企業では、新卒入社した社員に「格差」を実感させるのに 15年もの時間をかけていました。同期の格差は 30代後半にならないと“目には見えない”のです。


外資系に転職した時、私は「おごる」という慣習がないことに驚きました。でもすぐに「おごるというのは、上司は必ず部下より年長で、部下よりずっと給与が高い」という条件下でしかありえない慣習だと気がつきました。

「年収が 800万円違う」と懐具合は相当違います。

でも、だからといって入社 3年目の 26歳で(自分より 800万円年収が少ない)同期の友達におごったりしないでしょ? 失礼すぎますよね。

また、入社時の上司を数年で追い越して昇格したら、"元上司である部下”におごれますか?

「誰がおごるべき人なのか」が“自然で自明”でない限りああいう慣習は成り立たないのです。


とはいえ日本企業も、過去 10年で大きく変わりました。今でも“古きよき”時代を保てている企業の多くは“規制業種”です。

規制により不当な利益が確保されている企業、業界以外で、今やそんな“やさしい”環境を維持できているところは少ないでしょう。

もちろん外資系金融の世界とはまだ相当の距離はあるにせよ、成果主義導入や昇格の年齢逆転、より厳しい査定と報酬決定方式など、それなりに“違う世界”に近づきつつあるはずです。


それに、儲からない事業をいつまでも抱える日本企業では、外資系とはまた違うプレッシャーが個人にかかっています。


名ばかりの管理職として利益責任を追及される契約社員の店長、

完全に歩合給与で、成果が上がらなければローンも払えなくなる営業マン、

法律ぎりぎり(もしくはアウト)の行為を強要されてまで成果を求められるブラック企業の社員

いつ契約が切られるかわからない契約社員からその日暮らしに近い日雇い派遣まで・・・


何がいいたいかって?


「プレッシャーのない世界がなくなりつつありますよ」ってことです。


昔言われていた「いい大学をでていい会社にはいれば、」という言葉の後段は、「プレッシャーなく安心して人生を送れますよ」でした。

でも、既にそんな企業は非常に稀なのです。

今の子供達について考えるなら、そんな場所はもはや存在しなくなると言ってもよいでしょう。それは今の 40歳以上の人が体験してきた時代とは、全く異なる世界となるのです。


★★★


よく「実力次第」というけれど、これから大事になるのは、「一定のプレッシャー下で、どの程度その実力を発揮できるか」ということです。

それは「実力」×「プレッシャー耐性」の掛け算で算定されます。実力のある人でも、プレッシャーに弱い人は、成果が出せなくなるのです。


周りが皆よい人で、わきあいあいと助け合って、締め切りまで余裕があって、首になる可能性はほとんどないような環境であれば、私はすごくいい仕事ができます!などということは、ほとんど無意味になります。

「実力 100×プレッシャー耐性 20の人」より、「実力 50×プレッシャー耐性 60の人」の方が高い成果が出せる時代になるのです。


昔は、期待されていてもオリンピックになるとプレッシャーに負けて結果を残せない日本人選手がたくさんいました。でも最近は日本人選手でも、プレッシャー耐性が非常に高い選手が増えています。

ちきりんは「日本人が自然とプレッシャーに強くなった」とは思いません。そうではなく、コーチや本人達が、「大きな大会で勝つためには、プレッシャーをマネッジすることが重要」と気がつき、そのための訓練を始めたのです。

今やプロアスリートの世界では、メンタルな力がフィジカルや技と同等以上に重要だということは、十分に理解されています。

そして、そういう認識と訓練が、今や一般の人生を送る人にも必要になりつつあるのです。


これまでは、オリンピック選手や、自分で選んで外資系企業に転職する人だけに必要だった「プレッシャー耐性」が、ごく普通の人にも必要になりつつあります。

「プレッシャー」とは何で、そういう時、自分は何を感じ、どんな気持ちになるのか。それを避けるため、乗り越えるため、気持ちをどのように保てばよいのか。そういったことについて何の知識も訓練もないまま、高いプレッシャーの世界に放り込まれる人達は本当に大変です。

アメリカでは、かかりつけのカウンセラーや精神科医がいるビジネスパーソンは珍しくありません。彼らもまたプロの手を借りて、プレッシャーをさばく支援をしてもらっているのです。“職場うつ”が増加しつつある日本でも、こういったサポート体制の必要性は益々高まることでしょう。


大変な世の中です。


それではね。


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2008-08-08 雇用と利益、経営者と政治家

米国では企業経営者は利益を出すことに責任を負っています。

儲けることが経営者の責務だから、会社が赤字になって株価が下落、配当も減ると、株主が経営者を見限ってしまいます。

そして次の経営者を(多くの場合、外部から)連れてくる。


一方、米国では経営者が社員のリストラ、すなわち「解雇」をすることは全くとがめられません。

それどころか大半の場合、社員の大量解雇を通して会社の業績は回復するとみられ、リストラ計画の発表によって株価が上がります。さらに期末には実際に利益もあがったりする。

すると経営者はむしろ称えられ、ボーナスの額もあがります。

平社員の首を切り、自分の報酬を引き上げる。だから叩かれるわけですね。


この仕組みを一言で言えば「米国では、経営者は利益に責任を負うが、失業には責任を負わない」ということになります。

「利益と雇用」を比べると、経営者にとっては「利益」の方が圧倒的に優先度が高い。

だから雇用を犠牲にしてでも利益をだそうとする。それが「正しい経営者」だと信じられています。


★★★


とはいえ失業は米国でも大きな社会問題です。

自己責任の国だからと言って失業者、そしてホームレスが街に溢れてもいいと思っているわけではありません。

では失業者が増えると誰が責任を問われるか?

それは、経営者ではなく「政治家」です。


米国では失業者が増えると政権基盤が揺らぎます。だから、失業者がでそうになると政治家はすぐに「対日圧力」や「対中圧力」をかけてきます。

たとえば日本車に米国自動車メーカーが駆逐され、大量の失業者がデトロイトに溢れた時、政治家は強力な対日圧力をかけてきました。

今のターゲットは中国です。

中国からの安い商品の輸入で米国人の雇用が脅かされている、と米国社会が言い出すやいなや、米国内の、米国人の雇用を守るため、米商務省は中国と戦います。

このように、米国で「失業に責任を問われる」のは時の政権であり、政治家なんです。


★★★


さて、日の丸日本。

「日本の政治家は経団連とべったりだ! 派遣法の相次ぐ緩和など、労働者を犠牲にして大企業の言うことばかり聞く!」という人がいるけど、それは当然です。

なぜなら日本では、「企業が利益を出せるように環境を整備する」ことが政治家の責務だと思われているからです。


派遣法改正だけではありません。円安に誘導し、法人税を安く設定し、不況に陥った業界には補助金を出したり、利益が出易くなるように会計基準を変則解釈までします。

自民党にとって何よりも大事なことは「日本の景気がいいこと」=「日本の企業が儲かっていること」だからです。


じゃあ、誰が日本では雇用に責任を持つの??


企業です。

(正確には過去形かも・・)


日本では、政治が企業の利益に責任をもつかわりに、企業側、すなわち経団連が「雇用に責任を持つ」、「解雇はしない」というのです。

「首を切るなんて経営者として失格である!」と国の経済界の代表である経団連会長が公に言い切る国です。

「会社が株主のものだなんておかしい。従業員を守った後での株主だ」と彼らは言うのです。


この“ねじれ”

アメリカと全く逆です。


日本は経営者が雇用に責任をもち、政治家が利益に責任を持つという分担です。

だから企業は社会の“公器”と言われ、国は「株式会社ニッポン」といわれるわけです。


★★★


問題は、本来、競争に最適の組織体であるはずの企業が「雇用の維持」などという社会福祉分野を担当することです。

こんなことを「組織として重要なミッションである」と考えていたら、「競争」側で勝てるはずがありません。


しかも、資本取引が自由化され、海外の株主が日本企業の株を買うと、当然ながら、「利益をだせ」というプレッシャーがかかります。

最近は日本企業の株主にも青い目の投資家が入ってきました。

エクセレントカンパニーと呼ばれる会社ほど、外国人株主が多くなっています。こうした株主は、当然のこととして経営者に求めます。「利益あげてね」と。

だって経営者の責任は“利益”を出すことだから。


でも、日本の経営者は困惑します。

「えっ? それは日本では政治家の責任なんですよ。わたしらの責任は雇用を守ることなんで・・」とは言えません。

だって、世の中はグローバル化。という名のアメリカ支配。アメリカ様の言うことは聞かざるを得ない。


で、大論争。「企業は誰のものか」


「客だ、社員だ、株主だ」



大論争で勝ったのは?


当然、アメリカ様。


なので「企業は株主のもの」と決定!



で、「経営者の責務は利益をあげて株価を上げたり、利益を配当として株主に配ることだよ」と統一されました。経営者の目的は、利益を出すことだと明確になったのです。


えっ、でも・・日本の場合、政治家の目的も企業の利益を出すことなんですけど・・・

じゃあ・・・誰が雇用に責任をもつの? 誰が失業の責任を負うの??


こうしてこの国では、皆が「利益を出すこと」にそのゴールをおき、だーれも「失業と雇用」に目的と責任をおかないという状況が出現しているのです。


いえもちろん未だに「雇用を守ること」を「利益を出すこと」より優先し、経営者みずから「社会の公器として社会的な責任を果たしていく」とか言ってて・・・まったく利益が出せなくなってる企業もありますけどね。


ぶー


f:id:Chikirin:20150810175729j:image:medium

そんじゃ。


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2008-08-06 ゴキちゃんに10年会ってないんだぜ、えっへん

ちきりんは過去10年、ゴキちゃんに会ったことがない。


正確に言えば、「自分の家では」で、あるが。

別にちきりんは北海道に住んでいるわけではない。ゴキちゃんに会っていない理由は、ただひたすら「会わないための努力」を積み重ねてきたからである。(ややおおげさである。)


なんでかというと、ちきりんはマジでゴキちゃんが嫌いだからである。

世の中でゴキちゃんとお化けだけは本当に嫌いである。

考えただけでゾゾゾッってのが背中を走るのである。

(なお、お化けの方は今まで会ったことがあるわけではない。)


ので、食わず嫌いとも言える。

いや、お化けを食う奴はいない。


そんな言葉尻をとらえて・・



で、今ここに、ゴキちゃんに会わないで済む方法を皆の者に伝授する。(ずいぶん高ぴしゃだな。)



忍法その1 (忍法かい?)

ビールの香りを残さないこと。


ゴキちゃんはビールの臭いが大好きである。したがって、以下のような行為はゴキちゃんを誘惑しているに等しい。

(1)飲み終えたビール缶をその辺に置きっぱなしにする。

(2)飲み終えたビール缶を、そのままゴミ箱に放り込む。

(3)ビールを飲み終えたコップをその辺に置きっぱなしにする。


正しい行為は、「飲み終えたビール缶は、水で洗ってからゴミ箱に捨てる。」である。面倒な時はとりあえず流しのおけ(ある?)に水を張っておいて、そこに放り込んで置くのも可である。



忍法その2

油を残さないこと。


ゴキちゃんがビールとともに大好きなのが油である。したがって、下記のような行為はゴキちゃんを誘惑するに等しい行為である。

(4)コンビニ弁当の食べ残しや食べ終わったトレイをその辺に放っておく。(全部食べたとしても油がトレイに付着してます。)カップラーメンのカップも同様である。

(5)料理をした後、ガスレンジを拭かずにそのままにする。←水にぬらしたタオルでささっと拭くだけで違います。

(6)フライパンや中華鍋など油の付着した鍋をコンロの上などに置いたままにする。(扉のある収納庫にしまうべきなのだ。)


以上である。




これであなたも次の10年間、ゴキちゃんに会わないで済むだろう。

いやもしかしたら一生会わないで済むかもしれない。

一期一会である。



多分、言葉の使い方が違う。


終わりである。




あっそうそう。

上記は個人の感想であり、効果には個人差があります。


この一文で虚偽広告にも薬事法違反にも当たらないのである。




なんでこんなことについて書いてるのかって?


たまには実用的なエントリも書いてみるべきだと思ったからである。


そんじゃーね。

2008-08-05 過去20年、労働市場で起ったこと(まとめ)

二日前に書いた話、あの日には“脳みそ切れ”で書けなかったことを補足的にまとめておきます。早めに書いとかないと忘れてしまうからね。とどのつまり「過去20年間にこの国の労働市場でいったい何が起こったのか。」


まずはデータをもう一度見てみましょ。

35歳未満:人口78万人増、正社員が239万人減、非正規雇用が373万人増

35〜54歳:人口267万人減、正社員が35万人減、非正規雇用が273万人増

55歳以上:人口383万人増、正社員が254万人増、非正規雇用が394万人増。


皆が最も注目するのが、唯一正社員の絶対数が増えた55歳以上層でしょう。当時35歳〜だったこの世代は、経済大国になった日本で正社員雇用され、すべての人生を会社に捧げてきた人達です。いわゆる団塊世代を含み、労組の組織票の中心世代でもあります。

この層の雇用を守るということが、過去10年以上にわたって経済後退に苦しんだ日本の最大の優先事項だった。そのことを「既得権益者のエゴイズム」とちきりんは昨年12月のエントリで書きました。

経済不況が長引く中、賃金の高いこの層の雇用を守るために、日本は新卒正社員の採用を極端に抑制。「首を切るのは経営者として失格である。」という美談を維持するために、「既存社員の首は切らないが、新しい人は雇わない」という人事方針が産業界で広く採用されたのです。


上記の数字を単純に解釈すれば、当時35歳〜のこの層の高齢化により、現在の55歳〜の人口は383万人増加しました。そのうち3人に2人は正社員職にとどまっています。残りの1人が非正規雇用に変わっています。これを問題とみるかどうか、なのですが、この間の経済状態を考えると、あまり大きな問題、という気は正直しません。

55歳以上の人の3分の1ですからね・・昔は「60歳定年の後も正社員として子会社で再雇用」されていた人が今は「定年の後の再雇用は契約社員になります」程度の変化が起っただけ、って感じですよね。寧ろここんとこの経済状況の中で彼らの3分の2が正社員職にとどまっていることの方が驚くべきことだと思います。


次に、この世代で非正規社員が394万人増えているわけですが、このうち129万人は上記のように正社員から非正規に変わった人ですが、残りの265万人は「今まで働いていなかった人が非正規雇用で働き始めた」人数と言えます。

今までなら引退している人が非正規雇用で働き続けているのです。なぜか?ふたつの理由でしょう。ひとつは体力的、精神的に引退するほど老いていないということ、昔の60歳とは違うってこと。定年延長制度もできたし、と。もうひとつは経済的な理由。年金不安、子供も就職していない、住宅ローンを返したら退職金がなくなった等々。


というわけで、55歳以上層では、過去20年の変化としてふたつのことがわかりました。

(1)20年前の中高年に関しては、多くの人が正規雇用を守った。

(2)高齢になっても(60歳を超えても?)働き続ける人が多くなった。

★★★

真ん中の35歳〜55歳は、人口267万人減、正社員が35万人減、非正規雇用が273万人増です。

正社員数が35万人減っていますが、そもそも人口がそれ以上に減っているので、この正社員減はすべて「自然減」とも考えられます。つまり、20年前に正社員として就職できてさえいれば、それを死守することができた過去20年であったかも?ということです。

また、人口が大幅に減ってるのになんで正社員がそれほど減らないの?と言えば、「今まで働いていなかった人で、正社員で働き始めた人が多くいるから」ということで、それが誰かと言えば・・・そう、雇用均等法時代の効果が現れている、ということでしょう。女性が正社員として働き始めたわけですよね。

(注1:この年代で男性で働いていない人はそんなにいないので、“新たに働き始めた”のは基本的に女性と判断されます。以下同じ。

注2:女性の正社員がもっと大幅に増えていて、男性がはじかれたという仮定もあり得ます。ここでは検証していません。)


そしてもうひとつ、人口が減ったのに、非正規雇用が増えてる。なんで??この273万人も“新たに被雇用者として社会にでてきた人”ですよね。これも大半が女性でしょう。育児の後に非正規雇用で社会に戻って働き始めた人の数とも言えると思います。

理由はいろいろで、パートで働かざるを得ない経済状態になった、というのもあるだろうし、結婚・育児と働くことを両方という概念がかなり定着してきたとかね。

そりゃあ少子化にも大きく影響しているはずです。



というわけで、この層でわかったこと。

(3)バブル崩壊前に正社員になった人も雇用を守っている。

(4)女性が正規雇用で働き続け始めた。

(5)多くの結婚、出産後の女性が非正規雇用で働き始めた。

★★★

最後に35歳未満の層。20年前には15歳以下だった人達です。

人口78万人増、正社員が239万人減、非正規雇用が373万人増


人口増78万人+正社員減239万人=317万人分(最大値)が“正規雇用からの脱落者”と推定されます。タイミングが悪くそもそも新卒以来一度も正社員になれなかった人も最大78万人いるのかもしれない。

正規雇用からの脱落者の最大数の317万人は、非正規雇用増の373万人でカバーされますから、つまりこの層では正社員社会からの脱落者の大半が非正規雇用で働く道を選んだということになります。

55万人くらい新規で非正規雇用で働き始めた人がいますが、これは進学率低下というよりは、大学生や院生をしながら非正規社員という人が増えているという仮説の方が妥当そうかな。


さて昨日グラフにしましたが、正社員減少数の239万人のうち3分の2が男性なのはなぜなのか?

これ、全体に言えることなのですが、今回の数字はコホート分析ではなく、当時のこの年代と今のこの年代、の比較です。つまり20年前の35歳未満と今の35歳未満を比べているというわけで、こうなると、男性の正社員が女性の正社員の倍減っている理由は単に「20年前の35歳未満の女性には、まだまだ正社員で働く人が男性ほど多くなかった」ってことなんじゃないかなと思います。必ずしも男性が女性より“より不幸”になっているわけではないと考えるのが自然でしょう。


ということでこの層で言えることはずばり、

(6)35歳未満世代は昔より圧倒的に正社員になりにくくなっており、非正規で働くことを余儀なくされている。

★★★

さて、まとめると、

(1)20年前の中高年に関しては、多くの人が正規雇用を守った。

(2)過去20年の間に、高齢になっても働き続ける人が多くなった。

(3)バブル崩壊前に正社員になった人も雇用を守っている。

(4)女性が正規雇用で働き続け始めた。

(5)多くの結婚、出産後の女性が非正規雇用で働き始めた。

(6)35歳未満世代は昔より圧倒的に正社員になりにくくなっており、非正規で働くことを余儀なくされている。


並び替えると、この20年に労働市場で起ったことはこの3つ。

A. 長期にわたる経済後退期において、バブル世代までの人達の正規雇用が不自然にも死守され、そのために若者の雇用が容赦なく犠牲にされた。

B. 雇用均等法は施行後20年でそれなりの効果をあげ、労働市場を大きく変えた。

C. 経済的理由と“生き甲斐”理由から、定年(60歳)を超えても働き続ける人、育児を終えた後に働き始める人(いずれも非正規雇用中心)がこの20年で大幅に増加した。日本は誰もが働く国になりつつある。

ということだ。


この最後のCのみは経営者団体のいう「非正規雇用は多様な働き方を実現した!」論が“かろうじて”適用可能な部分だよね。「Aが問題だ!」と指摘する人にたいしてそれを言うのは明らかな詭弁とよくわかる。

まあCの人にしても、年金不足、夫の収入不足でパートでも働かざるを得ない人も多いだろうから、そこに「多様な働き方」とか言われても苦しいところはあるが。


あと、BとCが、被雇用者全体が1000万人も増加したことの主要因ですね。

★★★

ちきりんは、Aについては数字がなくてもあまり気にしてませんでした。だから去年のエントリを書いたときも数字がなくても言い切ってた。

なんだけど、それに加えてBやCが同時に浮かび上がったことは結構嬉しいと思えた。こっちも“当然でしょ、数字なんてなくてもわかるじゃん”という人もいるのかもしれませんが、ちきりんとしては、3つの変化が見えたことで、結局なんだったの?という“全体感が数字から”浮かび上がったことにとてもわくわくした。

この3つが、「過去20年の日本の労働市場で起ったこと」として掲げるのに、あまりに象徴的であり、あまりに腑に落ちるから。日本がどういう国になろうとしているのか、あまりによくわかるから。



これからちきりんに向かって「中高年の既得権益のエゴで、若者が割を食ったんだよな」とか酒のつまみに言いだす人がいれば、ちきりんは得意げに説明するだろう。「それだけじゃないんだよ。過去20年、日本の労働市場では3つのことが起ってる。ひとつは今あなたが言ったこと。でも、じゃあ後の二つが何だかわかる?」と。

タイムマシンがあるとすれば、「中高年の・・」と言い出した方が去年の12月のちきりん、得意げに問い直す方が今のちきりん。


人はこれを進歩という。

か?



ほんとはここまで書きたかったんだよね、あの日。でも時間も脳みそも足りなくなったので途中でやめた。すんませんでした。&あーすっきりした。


そんじゃーね。

2008-08-04 官でやれることからは、民は出て行け!

この記事には唖然呆然。

厚生労働省は2日、インターネットを通じて労働者に短期の仕事を紹介する「日雇い紹介システム」を構築する方針を明らかにした。


同省は不法就労が相次いだ日雇い派遣を原則禁止する方向で労働者派遣法の改正を検討している。日雇い派遣が禁止になると、これまで派遣会社に登録して、派遣会社の指示で就労していた労働者は、仕事を見つけにくくなる。日雇い派遣に頼ってきた中小企業も労働者の確保が難しくなる。


このため、同省は派遣会社に代わって、その間をつなぐしくみが必要と考え、ネットを通じて日雇いアルバイトを紹介するシステムを法律改正前につくることにした。


同省は9月中に法案をまとめて秋の臨時国会に提出する意向だ。


http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080803/plc0808030136001-n1.htm


なんなんだよ。

役所の仕事を確保するために、グッドウイルを倒産に追い込んだ、ってこと?

なるほどそーゆーことだったんだ。


グッドウイルを潰す時は「日雇い派遣自体がよくない!」といい、

官がやる際には、「日雇い派遣がないと、労働者も企業も困るだろう」と。


こうやって存在意義のなくなった自分たちの権益分野を再構築し、役所を生き延びさせるという作戦。それが公務員の雇用を守る道。で、そのための経費が必要だからと増税する、と。



この人たちは本当にずるいのよ。



★★★

下記は関連エントリだす。

だれが勝ち組だって?

巧妙な罠

まったく・・


そんじゃーね。

2008-08-03 正社員ポジションはどこへ?

昨日使ったデータについてさらに調べてみたら、おもしろかったのでまとめておきます。


その中には、昭和62年(1987年)と平成19年(2007年)の比較で次のような数字がありました。

1987年の被雇用者数=4306万(正規雇用3456万人+非正規雇用850万人)

2007年の被雇用者数=5326万(正規雇用3436万人+非正規雇用1890万人)


2007年のほうは、社民党、民主党、さらに“ロスジェネの味方のふりをしているマスコミ”が「今や会社員のうち35%以上が非正規雇用!」と報じる元データです。


でもよく見ると「あれっ?」と思いませんか?

だってこのデータをみる限り、過去20年で正規雇用数はほとんど変わってないですよね。非正規雇用が増えてるだけなんです。しかも1000万人も!

これだとその意味するところは、「正社員が減って、不安定な非正規雇用が増えた」のではなく、「正社員は減っていない。それに加えて、非正規で働ける機会が過去20年で大幅に増えた」のです。これはよく聞く経営者側の主張です。

20年前より今、この国で1000万人も(いわゆる会社で)働く人が増えているってどーゆーことなんでしょう?

それって誰が働き始めたの??と思って別の統計などを見てみたら、結構クリアに世の中の動きが現れていたのでご紹介。


★★★


まず、この20年における総労働人口の増減を調べてみると、25〜59歳人口は190万人増えています。でもこれでは働く人が1000万人も増えたことは説明できません。

そして正社員数はほぼ不変なのに人口増は3%増にも満たないので、「労働人口に占める正社員の割合」も過去20年で急激に下がったわけではありません。「正社員になりにくい世の中になった」というのは、国全体で言えば嘘に近いんです。


ところが、これを年齢別に見るとおもしろいことがわかります。この20年の間に、

35歳未満では:正社員が239万人減り、非正規雇用が373万人増えています。

35から54歳では:正社員が35万人減り、非正規雇用が273万人増えている。

55歳以上では:正社員が254万人増え、非正規雇用が394万人増えてます。


すごいクリアでしょ? 最初に「正社員の総数は減っていない」と書きましたが、35歳未満では「正社員は大幅に減っている!」わけです。

これは「35歳未満の人口が減ったから」なのでしょうか?次は年令別人口の変化を見てましょう。


25歳〜34歳の人口:78万人増加

35歳〜54歳の人口:267万人“減少”

55歳〜60歳の人口:383万人増加


なんと35歳未満の人口は減ってないんです。増えてるんです。それなのに、その年代での正社員は激減しています。


最初から全部見てみると、55歳以上では、人口も(それよりは少ないけれど)正社員数も増えていて、人数が増えた分の66%の人は正社員の座を確保しています。

35歳以上の中高年層では、人口は267万人も減ったのに正社員数は35万人しか減っておらず、実はこの層の人は過去20年で「より正社員になりやすくなって」ます!

そして、先ほども書いたように35歳未満では、人口が78万人増えているのに、正社員は239万人も減っています。この世代にいかにしわ寄せが集中しているか、明確に現れていますよね。

よく言われていることではあるのですが、数字で見るとやっぱり、ちょっとびっくりです。


★★★


というわけで、割をくったのが若年層であることは証明されたのですが、いったい誰がその「割をくわせたのか?」ということを詳しく見てみましょう。


ほぼ同じ20年で男女別、年齢別の「被雇用者数÷人口」の比率を見てみると、「新たに働き始めた1000万人って誰?」というのがわかります。

男性24歳以下:88%→88%

男性25歳〜34歳以下:86%→89%

男性35歳〜54歳以下:78%→86%

男性55歳〜64歳以下:63%→78%

男性65歳以上:37%→51%


女性24歳以下:91%→91%

女性25歳〜34歳以下:73%→90%

女性35歳〜54歳以下:64%→86%

女性55歳〜64歳以下:45%→75%

女性65歳以上:27%→43%

プラス変化の大きいところを赤にしてみました。


そう、新たに労働市場に参入してきたのは、「女性と高齢者」なのです。特に35歳以上女性の被雇用比率の上昇には驚くべきものがあります。これはまさに子育て時期の女性なので、子供を産まない人(結婚しない人含む)、子供を産んでも働き続ける人などが、この20年で急増したことを示しています。

実はこの20年はちょうど雇用均等法の実施期間でもあり、それに伴い「女性が結婚、出産で仕事を完全に辞めてしまう時代が終焉しつつある」と言える結果になっています。


★★★


でも女性の中高年なんてどうせスーパーのパートでしょ?彼女らに正社員ポジションを取られたわけではないのでは?という気もしたので、過去20年で正社員ポジションが誰から誰のところに移動したの?ってのをグラフにしてみました。


f:id:Chikirin:20080804021305j:image


水色の人が正社員ポジションを失った人達、オレンジの人達が正社員ポジションを得た人達です。一番最初に書いたように、過去20年で正社員数はほぼ変わっていません。でも、誰かがそれを失い、誰かがそれを得たんです。合計すると増えたり減ったりして変わっていないけれど、その中身は大きく変わっているのです。(ほんとはこれも人口比にしたいのですが、夕食の準備しないといけないのでまたそのうち)



これをみるとこの国で、誰が権力を持っているのか、よくわかるでしょ?

右から“強い順”です。

おもしろいのは、「シニア世代では相変わらず男性が強い」けれど、その下の年齢層では女性が男性を圧倒しているということ。たとえば35歳以上女性の正社員数プラス幅は大きくはないけど、同世代の男性と比べると健闘している。これは若者層でも同じ。35歳以下の男性の負けっぷりと比べれは、女性の負け分は半分に収まっている。


ふーん。



このグラフ見ていて思いました。選挙に行く比率、つまり投票率もこれと同じ並びなんじゃないかなって。(追記:投票率についてはこちらをどうぞ→http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20080921 元データには男女比も掲載されてます。同じ並びでしょ?)


そういうことなわけです。


そんじゃーね。



35歳からのリアル

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2008-08-02 1000万人を正社員に!とか

正社員を「月給の仕事」とすると、大半の非正規雇用の仕事は「時給の仕事」です。「一ヶ月働いて幾ら」ではなく、「 1 時間働くと幾ら」の仕事ってことですね。

時給は業種や地域により様々ですが、仮に時給 1000円で計算すると、一日 8時間、週に 5日働いて月 16万円になります。年に 48週間働くと、総労働時間が 1920時間、年収 192万円です。税金はほとんどかからなさそうだけど、社会保障費は引かれるので、手取りはさらに低くなります。

また、一日 8時間の「時給を稼ぐ時間」のために片道 45分かけて通勤し、ランチに 1時間、一日の休憩の合計が 30分とすると、8時間働くための総拘束時間は一日 11時間です。

時給 1000円は法定最低賃金よりかなり高いのですが、それでも一日 11時間拘束されて年収 200万円以下にしかならないと考えると、実家住まいや共働きでなければ「時給の仕事では食べていけない」と言えるでしょう。

しかも時給は長年働いてもほんの少ししか上がりませんから、「時給の仕事をしている限り、一生、ワーキングプアレベルの生活から抜けられない」ということになります。

★★★

もちろん単純作業的な仕事、すなわち企業側からみて時給支払いにせざるを得ない仕事は、どの国でも必ず存在します。ゼロにすることはできません。

しかしそういった仕事の数は、「生計の主たる担い手以外の労働者数」とマッチしていることが、雇用状況としては望ましいのです。

「生計の主たる担い手以外の労働者」とは、学生アルバイト、専業主婦のパート、年金を受け取っている人の補足的な労働などです。こういった立場であれば年収 200万円以下でもいいし、自らそれくらいのレベルで働くことを希望する人も多いでしょう。

したがって、そういう人の数の合計が「日本に存在してもいい時給の仕事数の上限」とも言えるわけです。反対にいえば、「生計の主たる担い手の数だけは、月給の仕事が必要」なのです。


では、日本の就業者(非正規雇用)のうち「生計の主たる担い手」と「それ以外の人」の数はどれくらいなのでしょう?

平成 19年就業構造基本調査(速報値)によると、現在の正規雇用者数は 3432万人、パート、アルバイト、契約社員、派遣社員(大手のみ)の合計が 1889万人(オリジナルデータ→ http://www.stat.go.jp/data/shugyou/2007/gaiyou.htm 速報値ベース)、あと自営業者が 670万人、経営者(役員含む)が 400万人です。ここまでで就業者数の合計は 6391万人となります。


非正社員雇用者合計 1889万人の内訳は

・高校生、大学生、専門学校生など学生= 177万人

・59歳以下の男性(学生除く)= 313万人

・59歳以下の女性(学生除く)= 1044万人(うち夫が有業の人の数は 504万人)

・60歳以上の人= 355万人(うち 75歳未満が 343万人)

となっています。


このうち、「生計の主たる担い手ではない」と推定されるのは、「高校生、大学生、専門学校生など学生」の大半と、「 59歳以下の女性で夫が有業である 504万人」および「 60才以上の人」の一部でしょう。

主婦の 8割が「主に夫の収入で生活している」と仮定し、高齢者の 5割が「主に年金や貯蓄で生活している」と仮定すると、学生とあわせて 758万人が「生計の主たる担い手ではない労働者」となります。

最も多く見積もって「夫が有業の人は全員が、主に夫の収入で暮らしている」「 65歳以上の人は全員が年金や貯蓄で主に生計を立てている」と仮定した場合は、(学生をあわせ)計 1036万人となります。

つまり、他に主な家計収入があり、「時給の仕事」でも食べていける人は、最も多くても 1036万人、妥当な推測では 758万人に過ぎません。

反対に言えば、非正規雇用で働いている人 1889万人のうち実にその半分が、「生計の主たる担い手でありながら時給の仕事で働くことを余儀なくされている人達」だというわけです。


企業や経済団体側はよく「非正規雇用は、多様な働き方の提供手段である」という主張をしますが、この数字をみる限り、企業側の主張は詭弁と言わざるをえないでしょう。

むしろ経営者には、この 1000万人近い「非正規雇用かつ生計の主な担い手である労働者」を正社員として雇えるよう、付加価値の高い仕事を創りだす責務があります。しかしそれは全く果たされていません。

非正規雇用に端を発する低所得者問題を収入増によって解決するためには、私たちは企業に対して「自社の非正規社員の半分を正社員に転換すべし!」という、極めて高い要求を突きつけることが必要になるのですが、企業側からすれば、これはほとんど実現不可能に思える水準の要求なのでしょう。


続く→ http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20081120


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