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Chikirinの日記 RSSフィード

2008-11-30 あの産業が世界を移動する日

ビッグスリーの経営危機について、ちきりんは本当にわくわくしているので、これについて“妄想”を書いてみるです。

これから世界で起こりそうなこと列挙で書いたように、アメリカではこの3つの自動車会社が潰れるか潰れないか、いや、“潰すか、潰さないべきか”という点が国民的議論になっています。状況としてはGMがもっとも深刻と言われており、象徴的に「GM問題」とも称されます。

日本だってトヨタが潰れるかも、という日が来たらもちろん大問題でしょうし、そこに公的資金を入れて救済するなんて話は大議論を呼ぶでしょう。ましてや今まで市場経済を謳歌・推進してきたアメリカですから、そもそも「公的支援の是非」が話し合われていること自体が驚愕ともいえます。話し合う余地があるんだ?という感じです。


とはいえ民間企業である自動車会社の救済を税金で行うという話は相当の風当たりがあり、マスコミの報道は"They want your money."です。すごい表現だな、と思います。“公的資金注入”という上品な表現とはインパクトが違うよね。

しかもDCでの公聴会によばれた3人のCEOに、いかにも保守派の政治家の人が「今日、この公聴会に普通の飛行機会社の飛行機に乗ってきた人はいますか?いたら手をあげてください。」とか聞くんです。

3人は沈黙。んなもん、プライベートジェットで来てるに決まってます。

その政治家が続けて聞きます。ふふんと鼻を鳴らしながらね。

「では、今この場で、“税金を使わせてくれといっているのだから、プライベートジェットは処分する”と約束できる人、いますか?いたら手をあげてください。」と。

3人、苦笑しつつ下を向く。


で、このシーンを報道するテレビキャスターが「彼らがプライベートジェットを手放せないという理由がなんと“セキュリティのため”なんですって。とんでもないですよね〜」「ほんと、納税者をバカにしてますよね〜」とかいう掛け合いをやってて、“おお、古館っぽい”って思った。このあたり日本もアメリカも同じです。


でまあ、それはともかく、どーすんだろ、ということなのですが、ちきりん的超大胆予測は、東方汽車とか政府系ファンドとかどこでもいいんですけど、中国がお金入れるんじゃないの?ってことです。

中国の政府系ファンドがアリコに出資するとかいう話を聞いた時に、なるほど、それもありかも?と思いました。ここんとこブッシュ大統領が胡錦濤国家主席とやたらよく話をしてるのですが、大半の人の読みは「アメリカが必要な資金を調達するために国債の大量発行を行う。その引き受けを依頼している。」ということのようです。が、ちきりんとしては、「GM問題を話し合ってるんじゃないの??」とか思ってます。*1


★★★


ちょっと戻って状況を振り返っておきましょう。今回のビッグスリーの苦境、もしくはGMの苦境というのは、直接的、表面的には資金繰り問題ですが、根本的には“需要縮小問題”であり“社会保障制度問題”です。


需要問題というのは、そもそも自動車需要が圧倒的に縮小する、ということです。今アメリカって1700万台くらい車が一年で売れるんだと思いますが、来年以降どんどん減って、おそらく1200万台くらいまでは確実に市場が縮小すると思われています。もしくは800万台まで減ると言っている人もいます。ビッグスリーのうち一つだけ残れば足りるってわけです。

アメリカは日本と違って車の必要性は高いのですが、今まで6年で買い換えてたのに12年に一度の買い換えになれば年間需要は半分になってしまいます。アメリカ人の個人消費の多くが“借金”や“投資収益”に支えられていたわけですが、個人与信自体が大幅に小さくなることは確実ですから、今までと同じサイクルで車が買い換えられたりはおそらくしません。

というわけで、基本的に北米はすごいレベル(=供給キャパが需要の倍以上)での“オーバーキャパ”状態になると予想されている、ということなのです。他の自動車会社(トヨタとか)が安易に助けられない理由のひとつはここにあり、そもそも不要なもの(余分な供給キャパ)を買って儲けられる人は誰もいません。それじゃあお金を捨てるのと同義です。

日本も車離れが言われていますが、今後世界において車需要が伸びる可能性があるのは中国、インドなどの人口の多い新興国だけです。台数的にはかなりの伸びしろがあります。しかしインドで28万円の自動車が発売されたことが象徴するように、それらの市場で売れるであろう自動車はGMが作っているものとは全く違います。

つまり、「全く不要な工場が、アメリカ国内にいっぱいあります。これどーしますか?」という状態なわけで、経営の巧い下手、生産性の少々の高い低いはほとんど関係ありません。そしてこの面から言えば答えは見えています。不要なものは「閉鎖する」しかないんです。

会社の閉鎖でも工場の閉鎖でもいいけど、とにかく「生産能力」自体が圧倒的に過剰なのですから。(これからブッシュ政権が始まるという時期なら、GMには戦車を作らせて助けるという方法が実はあるんですが、オバマさんは海外で戦争する気がないのでこの手が使えません。)

★★★

もうひとつの“社会保障制度”としてのGM問題。あちこちでよく言われている問題です。簡単に言えば“ビッグスリー”の社員というのはアメリカでは例外的に(まるで日本のような)社会保障、福利厚生制度の恩恵を会社から提供されています。

彼らに比べてトヨタやホンダの車に価格競争力があるのは生産技術云々の理由だけではなく、ビッグスリーが余りに多くを社員に約束しすぎてきているため、労働コストの差が大きいためでもありました。

したがってGMが経営破綻するという意味は、この社会保障や福利厚生を次は誰が供給するのか?という問題なんです。これも選択肢はたくさんはありません。アメリカ政府が提供する(日本のような国民皆保険的な制度をこれから作る)か、誰も供給しないかです。後者の場合、一部の社員は貧困層となり最低限の保証は政府が与えることになります。

これは民間企業の倒産という話ではなく、「米国の社会福祉制度を誰が担うことにするのか?」という議論です。彼らの“経済思想”の根幹にかかわる事態なのです。これがあるから“あのアメリカ”で自動車会社に税金をくれてやるなどということが議論になっているわけで、この点がなければ(単なる失業問題であれば)既に決着はついていたと思います。(=税金なんてありえない。潰れなさい、って方向で。)

★★★

というわけで選択肢は、潰れる、ごまかす、国営化(政府が助ける)する、の3つしかないのですが、もし「政府以外の誰かに助けてもらう」という再生への選択肢がありえるとしたら・・・それはもう世界には“中国政府”しかないんじゃないの?というのがちきりんの大胆予測です。


では中国にはGMを救済する意味があるでしょうか?中国はまだ“世界に輸出できる自動車を作る技術と経験”をもっていません。これを一気に手に入れられる方法と見れば魅力的なオプションと感じるかも、です。製造施設としては受給バランスからいって全く“不要”ですが、“製造訓練工場”としての価値にいくらか払う、という考え方です。

さらに「アメリカの本丸である自動車産業に慈悲深い救いの手をさしのべる」というのは政治的に大きなパラダイムチェンジを演出できます。中国ならそれにいくらか予算をつぎ込んでもいいと考えるかもしれません。(ただしアメリカ国民の心理的ショックは相当大きいと思います。)

しかもこの話をアメリカからもちかけて中国がそれに“応じてあげる”場合は、「そのかわり当面チベットのことは言わんといてや」とか条件をつけることも可能かも。

とはいえいくら中国でも米国の社会保障を引き受ける気はないでしょうから、ある程度問題を潰してから(=いったん破綻させ、労組との既存の約束を白紙化した後)でないと話は前に進まないとは思います。

これがまた産業組合だから難しいんだけどね。GMが潰れるとして、潰れてないフォードとクライスラーの労働者の権利も一緒に引き下げることができるか。なかなか難しい問題です。

★★★

ところでちきりんは今回、IBMが連想グループ(レノボ)にPC事業を売却した一件を思い出したんです。もしも今回GMが中国の会社になったら・・これってまさに「産業の国際移動」じゃん!?と。

昔アメリカにはテレビを作っているメーカーがたくさんありました。しかし日本企業との競争に敗れ“テレビ製造業”はアメリカから消えてしまいます。これは「テレビ製造産業がアメリカから日本に移動した。」とも言えます。IBM→レノボはそのPC版です。

それと同じように“自動車製造業”が北米から消えるかもしれないのです。そしてそれがどーんと太平洋を渡り、中国に移動するのです。(別に工場の立地はどこでもいいんですが。)


自動車というのはまともな商品を世界で作っている国が10カ国弱しかないんです。(工場のある国ではなくメーカーのある国ね。)今ややたらと拡大してますが、一番最初の“G7”ってのが“自動車産業を持ってる国”なんですよね。*2 

世界には200カ国くらいの国があるけど、残りの190カ国はこの10カ国から自動車を買っています。しかも実はその190カ国のうち普通の人が新車を買えるのは50カ国くらいです。残りの140カ国では「車を買う」とは「トップの10カ国の人達が乗り捨てた中古車を買う」ということを意味しています。

たとえば農業はほぼすべての国に存在します。小売り流通業も金融業も洗練度合いはともかくすべての国に存在するでしょう。自動車産業とは最も偏在している産業とも言えるわけです。すなわち、世界は「自動車産業をもてる国」と「持ってない国」に分かれていると言ってもいいくらいなんです。*3

世界で10カ国だけがその産業を独占している自動車産業。20世紀の“富と技術と力の象徴であった自動車製造業”がアメリカから消えるかもしれないのです。アメリカはその産業を持つ10カ国から出て行くかもしれない。そして中国が入ってくる。

こんなおもしろい“世界の変わり目”はなかなか見られない。



とか考えてわくわくしちゃっているコンラン・ラバー*4のちきりんです。



まあ、“妄想 on 妄想”なんで、とりあえず信じないでください。

ではでは〜。



*1:よい子の皆さんはちきりんの話なんて信じない方がよいです。ドル防衛について話し合ってるだけでしょう。

*2:カナダはおまけ

*3:鉄鋼業、半導体産業なども同じかな。

*4:コンラン・ラバーって何?という方はこちらをどうぞ。http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20080930

2008-11-29 バックラッシュ 〜すべてをチャラに〜

インドやタイで起こっていることをみると、円が高くなるのはよくわかる。いくら麻生総理の支持率がさがっても彼が外遊中に成田がデモ隊に占拠されちゃうとか考えにくいし、ホテルオークラと帝国ホテルが同時に武装勢力に占拠されるってのも想像しにくい。世界中の人がそう思うから円が高くなるのだ。


それにしてもインドとはまた絶妙なロケーションでのテロだと思う。

過去10年続いてきた“新自由経済体制”の最も大事なキーワードが“グローバリゼーション”だった。そしてそのグローバリゼーションを象徴する国がまさにインドだった。その動きから最も大きな恩恵を受け、姿を変えた国がインドだったのだ。テロはその“アメリカ的価値観”の象徴の都市を狙った。あまりにもよく考えられた、インパクトの大きな事件だと思う。


同様にタイの混乱の源となっているタクシン元首相も自由経済的な政策を強力に進めてきた実力者だ。そしてウオールストリート企業のトップと同様に、市民には考えられない額の報酬を自分と家族だけで受け取った。そのことにタイの市民は激しく怒っている。これもまた、今まさに崩壊しようとしている新自由経済といわれる体制へのバックラッシュと言えるだろう。

そう考えると、GMというイチ民間自動車会社をアメリカの政府が国営化するかもしれない(さもなくば破綻か)という動きが起こっていることも、過去10年という時代の大原則であった“市場原理”へのチャレンジとして捉えられる。



すべてがチャラになろうとしている。



って感じがするよね、こうして考えてみると。世界中で過去10年の間に積み上げられてきたことの“すべてをチャラにする”という誰かの強い意志さえ感じてしまうほどだ。



もしも本当に誰かが(いったい誰だというのか)、この10年に世界が謳歌してきた身勝手な原則と、それによって積み重ねられたすべての成果物をチャラにするというのなら、他に何が狙われ、毀損される可能性があるのだろう?

たとえばWeb2.0と言われる新しい形のネットコミュニティやオープンソースと言われるような新しいIT技術のあり方だって過去10年の世界の成果物の一つだろう。遺伝子工学やバイオ技術による人体と生命への関与度の深まりや、植物の種子に広く遺伝子技術が施されるようになったことも過去10年のひとつの“達成”だったはずだ。食料を車の動力にしようなどという傲慢な思想や、“監視社会”とも言えるような滑稽なセキュリティシステムの広がりもこの時代を象徴している。

もしもその“誰か”が、単なるどこかの過激派などではなく、“神”と呼ばれる範疇の存在であるならば、そういったものが次の挑戦を受けることにならないと誰が断言できようか。



世界はどこに向かうのか。次の世界はどんな様子なのか。




かなり楽しみ。


そんじゃーね。

2008-11-28 オーバースペックの本質

先日、「なぜ日本はこんなにオーバースペックなのか?」と書きました。国民性を含め複合的な要因があるのでしょうが、一番大きな理由は「イノベーションが起こせないから、オーバースペックに陥っている」ということでしょう。


下記の図をご覧ください。

“商品A”が発売された最初の時点(左下の起点)では、技術は未熟で不良品も多く、故障率も高い不安定な商品です。

それが何年も売れ続けているうちにどんどん改善され、最終的にはほとんど壊れない商品になります。たとえばテレビは今やほとんど故障しませんよね。技術的に安定し、かつ、消費者が求める機能は全部装備されています。この改善が赤の実線です。

その後もこの企業が商品Aしかもっていないと、(クリーム色の)“オーバースペックゾーン”に入り込んでしまいます。求められている以上に品質を向上し(=その商品を50年使う人はほとんどいないのに、50年壊れない部品を使うなど)、おせっかいな機能を装備し、といった具合です。これが赤の点線部分です。

f:id:Chikirin:20081127234552j:image


しかし、もしもこの企業が“イノベーション”を起こして“商品B”の開発に成功すれば、企業はより儲かる新商品Bに事業をシフトしていきます。これが緑の曲線部分で、イノベーションによるジャンプです。

その後、商品Bもまた“十分なスペック”に到達するまで改善が進み(=青の実線)、それが一定のレベルに達した頃には、またイノベーションにより次の商品に移る。このように、イノベーションが一定期間ごとに起これば、その企業なり産業の商品はオーバースペックにはなりません。

一方でイノベーションが起こせない企業は、いつまでも既存商品や既存技術にしがみつくことになります。毎年毎年、細かい改善がなされ、でも消費者はそんな細かい改善に価値を見いださないので対価を払いたがらず、結果として価格競争に陥ってしまう。


具体的には携帯電話のカメラが5メガから7メガになるとか、本体の光沢が今までになかったレベルだといった話です。まさにオーバースペックゾーンでの戦いですよね。もしも途中でiPhoneが開発されれば、ドンとそっちに飛べるのに、そういう商品がでてこないと延々と細かい改善を続けることになります。

自動車なら、プリウスを開発するとAからBにジャンプできるけど、そうでないと、ガラスがUVになって日焼けしないとか、シートが抗菌仕様などというレベルでの勝負に入ってしまいます。

工業商品だけではありません。批判されることの多い道路公団や国土交通省の人も、他に意義ある仕事があればそちらを優先するでしょう。しかしそういった“高い価値のある仕事”は高度成長期に比べて激減しています、だからといって公務員は首にならないので、仕事が無くても何かしなくちゃいけない。そこで「日本全国の道を順番に掘り返して舗装でもやり直そう」みたいな話になってしまうのです。

農産物でも果物や野菜の“形や大きさを揃える”というレベルで差別化しようという話になるのは、画期的に商品価値をあげる方法を思いつかないからですよね。

小売り・流通企業も同様です。競合店と全く同じモノしか仕入れられないから、価格競争に陥るのです。セレクトショップがそうならないのは、“セレクト”する付加価値で勝負するからですが、そういう力がないと利益度外視の過剰サービス競争に走るしかありません。

このように、イノベーションが起こせないから、旧態依然とした既存の仕事を延々細々と改善し続ける、という事態は、商品開発だけでなく日本のあらゆる組織、場面で行われています。


一方、株主の利益要求圧力が高いアメリカでは、オーバースペックゾーンでの競争を延々と続けることは不可能です。そんなことをしていても十分な利益が得られないので、経営者は据え変えられ、余分な技術者はリストラされてしまいます。挙げ句の果ては企業自体が身売りされたり、消滅させられます。

ところが日本企業は解雇もできないし、経営者も赤字になっても厳しくは責任を問われません。自社を身売りするという決断をする経営者もほとんどいません。だから延々とオーバースペックゾーンでの競争を続けるのです。“ネギが縦に入るから長もちする”とアピールする冷蔵庫のCMを見た時はさすがに唖然とさせられました。


というわけで、日本の商品がやたらとオーバースペックである理由として、細かいもの好き、高機能好きの国民性もないとは言いませんが、やはりそれだけではないでしょう。

高度成長時代には、テレビ、冷蔵庫、掃除機、炊飯器、レンジ・・と、次々に新しい商品が開発され、その頃は日本の商品も“オーバースペック”に走ってはいません。寧ろ人手は足りない時代ですから、メーカーの開発現場でも「よし、炊飯器の改善はもういいから次は炊飯ジャーにかかれ!」とか、「テレビはもういいから次はビデオだ!」という感じだったでしょう。

今、日本の供給者の多くは、既存商品の改善以外になんの付加価値も創造できない状態、つまり、定期的なイノベーションが引き起こせない状態に陥っており、それこそがオーバースペックな商品を街に溢れさせている原因だと思います。

“革新、創造”ができないから“改善”に逃げる日本企業。“改善”は決して“日本のお家芸、競争力の源泉”などではないのです。


そんじゃーね。



2008-11-26 小泉容疑者の“食べていく方法”

ここんとこ連載モノのちきりんブログですが、タイムリーな話を先に書くって意味で今日は例の事件(年金官僚を狙った殺人者)について書いてみる。

まだ全貌はわかってないようですが、とりあえず今のところちきりんが“おもしろいじゃん”と思っているのがタイトルの件。「あいつはずっと無職なのに何で食べる金をもってたわけ?」というのが話題になってるようなので、それについての“おちゃらけ一考察”。



(1)0歳〜大学(8年在学)中退まで・・・親のお金で食べる。


(2)大学中退から10年くらい・・働いて食べる。


(3)直近の10年くらい・・・脅して食べる&騙して食べる。


(4)今から死ぬまで・・・牢屋で食べる。



その時その時で一番楽そうというか、一番自分に向いている方法を選んでるって感じだよね。(2)から(3)に移った時は、働くよりタクシーに飛び込む“あたり屋”の方がオレ向いてるかも、とか考えたんだと思う。騒音がうるさいって文句つけたら工事屋が「これでひとつ」って金一封くれたりするしね。“あっオレ、宅配便配るのより脅す方が得意かも”とか。

でもまあそれも結構めんどくさいな、って感じになってきたから、“これからは(4)にしよ”って思ったのかな。「もう体力ないし。脅したりどなったりするんも疲れるわ」って?



別の観点でいうと、

彼の生活費を払ってきた人


(1)親


(2)宅配便会社、ITの会社など


(3)タクシー会社、保険会社、工事会社、その他の脅された個人など


(4)納税者




もうひとつ別の観点で。

“彼に生活費を払ってきた理由”


(1)親の義務だから


(2)労働力の対価だから


(3)怖いから


(4)法律だから



★★★

なお、理想はこんな感じかしら?


(1)0歳〜大学卒業まで・・・親のお金で食べる。


(2)大学卒業から10年くらい・・働いて食べる。


(3)その後ずっと・・・宝くじで食べる。




凡人コースだとこんな感じか。


(1)0歳〜大学卒業まで・・・親のお金で食べる。


(2)大学卒業から35年くらい・・夫のお金で食べる。


(3)直近の15年くらい・・・退職金と年金で食べる。


(4)最後の10年くらい・・・子供のお金で食べる。




ん〜。案外バラエティなさそうかも。

んじゃね。

2008-11-25 “格安生活圏”背景解説

過去3回にわたり“格安生活圏”について書いてきましたが、賢明な読者の皆様は「なるほど」と思われると同時に半分くらい「これまじ?」とも感じられていたと思います。たくさんの方が読んでくださっているようなので、その辺、ちょっと解説しておくです。

最初に結論だけ書くと、初日の「もうひとつの解」は大まじめ。2日目の「格安生活圏ビジネス」はまあ半々。そして最終日の「F本氏の独白」は大半がネタ(ブログの更新がぷっつり途切れる点も含め)です。というかスタイルとしてネタ、かな。


では細かく解説していきましょう!(って、なんだよ、偉そーに!)



初日の「もうひとつの解」について。

大半本気で書いています。日本は“基礎生活費が高すぎ”です。貧困問題の解決方法として、景気をよくするなり雇用状況を改善するなりという方向(は大事だと思いますが)のほかに、「低所得でもある程度楽しく生きていける環境を作る」という“もうひとつの解”を併用すべきだと思っています。より正確には「併用せざるを得ない」と思っています。

具体的には、公的セクターが老朽化した民間のアパートを買い取り、敷金礼金なし、週払い、同居人許可で貸し出す、などの方法も含め、低コスト住宅の供給を大幅に増やすことです。これは東京や名古屋、大阪では相当規模で必要であり、それらはできるだけ庶民的なエリア(安い定食屋があるエリア)にすべきだとは思います。

とにかく住宅費を下げないと社会保障に頼って生きざるを得ない人、ホームレスに陥る人、ぎりぎりの生活を余儀なくされる人をむやみに増やしてしまいます。特に今まさに始まりつつある“非正規雇用の大削減”に対応するためには緊喫の課題だと思います。少なくとも例の2兆円は日本全国にばらまくよりはこちらの対策に使うべきお金だと思います。



二日目の「格安生活圏ビジネス」ですが、

様々な企業が“低所得者層”をひとつの「ターゲット顧客層」として注目しはじめていることは事実です。なので、そういった市場はある程度でてくると思います。

たとえばすかいらーくが今後は事実上「ガスト」のみを残していく方針をだしたようですが、最初は“すかいらーく”だけだったのに、途中で市場ニーズに対応するために低価格店舗の“ガスト”を開発し、今後はそれのみを残していくという方針は、彼らがターゲットとする顧客層が少なくとも1段階は切り下げられたことを示しています。

最近なにかと名前のでることが多いサイゼリアも1年ほど前に友人に連れられていきましたが、メニューに展開されたその価格帯はこの店がどういう層を主要顧客と考えているかを明確に表してると感じました。おおっぴらには発表しないけど、多くの食品、生活用品のメーカーや流通企業も同じことを考えていると思います。また教育サービスに関しても同じようなコンセプトのものは間違いなくでてくると思います(たぶん、既にあるんでしょう。ちきりんが知らないだけで)


というわけで、そこまではアリだろうと思いますが、格安生活圏ビジネスがある程度発達したとしても、それにより子供が増えたり老人介護問題が解決するか?というと、少なくとも短期間ではなかなかそこまでは難しいでしょうね。一気に“三丁目の夕日”の時代(大家族モデル)に日本が戻ることができるか、ということですからね。戻りたいと思っている人は実はそこそこいると思うので絶対無理とは言いませんが、もっと複合的なビジョンと方策が必要だし、それにしても相当の長期間かかりますよね。

むしろここで言いたかったことは、“教育費に関しても(他の基礎生活費と同様)あまりに基礎教育費が高すぎる”のではないか?ということでした。そしてそのために、本来は貧しいほど子だくさんの方が有利ともいえるはずなのに、(育てるコストが高いために)貧しいから子供をもてない、という状況に陥っているということを反対の方向から書いてみた、って感じです。



3日目ですが、F氏の“政策”は実際には不可能です。

一定エリアの地価を“政策的に”下げることが可能だとは実は思っていません。それらの政策は、家主だけでなくそのエリアのすべての住民の財産を毀損してしまうからです。たとえばゴミ処理場の新設などと同じです。多くの人がその必要性は認めるものの、自分の家の近所に欲しいという人はひとりもいません。格安生活圏も、そういうものが必要なのではないか、と思う人はいても自分のエリアがそうなってもいいか、と言われると反対する人が圧倒的に多いであろうことは当然でしょう。*1

ただし、自然発生的にそういう地域ができてくることは可能性があります。そしてその場合、そういったエリアの首長に選ばれた人がF氏的な政策を採用することはあり得ます。いったん格安エリアになってしまえば、これらの政策も“よりよい方向”への政策に過ぎないからです。

なので結果的にこの3日目に書いたようなことが起こりえる可能性はあるのですが、ここではF氏がそれを掲げて政策を推進したような形でストーリーを書いています。これは「ない」と思ってます。すみません、ややこしい書き方して。

★★★


で、じゃあ「政策論的な展開はないよね」と思いつつも、ちきりんが3日目をああいう形で書いた理由は何か?

もしくはF氏の独白を読まれた方の中にも、実現性には懐疑的ながらも「これもアリかも」と思われた方もいらっしゃったかもしれないのですが、それはいったいなぜなのか?


実は説明的な文章で書くよりも、ああいった独白の形で書く方が“具体的な詳細”を書けるかな、と思ったので、ああいうスタイルで書いてみたのです。具体的な詳細を書けば、多くの人に、

「もしかして日本ってオーバースペックなんじゃないの?」

って感じて頂けるのでは?と思ったので。

その感じを伝えたくてああいう書き方にしてみたのです。つまり、


この国ではすべてが不必要にオーバースペックになっているために、無用に最低生活コストが高くなっている。それが多くの低収入者層を苦しめているし、社会福祉費の増大にもつながっている、と。

先日来どこかのブログで話題になっていた「日本は高機能で高価格の家電ばかり」というのと同じで、オーバースペックというのはこの国の大きな特徴です。

家電だけではありません。道路も道路標識も“老朽化して壊れてる”のなんか見たことないでしょ。全部“壊れる(ずっと)前に新品に取り替えてしまうから”なんです。もしくは日本の道路は穴ひとつあく前に全部掘り返して舗装し直すんです。特に年度末にはね。

車検だって、本当にあそこまでのことが必要なんでしょうか?

ここまで完璧に停電も断水も起らないインフラにするには、他の先進国よりいったいどの程度多くのメンテナンス費用を掛けているのでしょう?

あまりに生鮮食品が(工業製品のように)形が揃っていないですか?不揃いの野菜がひとつもできていないということなんでしょうか?それらを分別する手間、コストは誰が負担しているのでしょう?イチゴ並び変えてるのは誰やねん?と。

異常に頑丈で、異常に高機能で、異常に見た目が整っていて、異常に行き届いていて、異常に過剰包装で、他国の3割増しの値段。みたいなね。しかもマンションでも家具でも、格安な中古ではなくやたらと割高な新品が好まれる。


3日目のエントリを書きながら、こういうの具体的に読むと「今って何でこんなオーバースペックなんだよ」とか「よく考えたら、ここまでする必要ねーじゃん」とか「安くなるなら、イチゴとかバラバラでいいんじゃね?」とか。そう感じてくれる人、多いんじゃないの?と思って。


今の日本の「普通の生活」は、余りにも画一的に「オーバースペックかつ不適正に高い値段」であり、だから収入が低いとすごく苦労する、みじめな感じを味あわされる。

だけど、そんな“オーバースペックでそのため割高な基礎生活費”は、実は普通の所得のある人だって別に望ましい状態と思ってるわけではないんじゃないかと。そんなの望ましいと思ってる人は、むしろ少数派なんじゃないかと。




で、そうなると本当に切り込まなくてはならない問題は、

そもそもなんで日本はこんなに“オーバースペック”なのか

っていう点なんです。

で、そのことについていろいろ話が(妄想が?)頭の中に拡がっているのですが、ちと忙しいのでまた明日。(か、そのまた明日)


ではでは



*1:例としては他に、刑務所、精神系の病院、原子力発電所なども同様で、“存在すべきだが、私の周りにはやめて!”という扱いを受けるものは社会的な存在意義が必須や重要なものでも、たくさんあります。

2008-11-22 2024年 F本氏の独白

東京近郊、都市圏への通勤圏内にあるS市。3期12年目務めた任期も来月で満了する。市長の“F本”は感慨に満ちた視線で、古びた市庁舎の4階にある市長室の窓から街の様子を眺めていた。左手に握りしめた10枚ほどの紙片を持つ手が少し汗ばんでいた。


F本は思った。満足な12年だったと。立候補して公約を掲げた時、市民の多くが戸惑いと不安を口にした。近隣の市長や県知事はもっと直截に反対を表明した。「本気なのか?」と多くの人が驚いた。

自分も若かった。もうこれしかない。そういう気持ちだった。2008年に起った世界同時金融危機で日本全体が不況に陥っていた。S市の工場でも期間工は一斉に職をとかれ、街に失業者があふれた。翌年の選挙で自民党は政権を失い、跡を継いだ民主党は迷走を続けた。日本はダッチロールしながら暗黒の闇に落ちていった。

F本が市長に初当選したのは2012年だ。ふるさとのS市は疲弊し不況のどん底にあった。F本は当選以来、思い切った手腕でこの街を立て直してきたのだ。


彼が過去12年でやったこと。それをひとことでいうならば

S市を“格安生活圏”として再構築

することだった。


F本はまず“レント・コントロール”という条例を作った。米国の例にならい、家賃の値上げを条例で管理するものだ。これによりS市のアパートは家賃の値上げができなくなった。F本はそれに加え、礼金や敷金の禁止、週ごとの賃貸契約や又貸し、共同賃貸を認める“S市特別賃貸契約書”を使うよう市内の家主に要請した。

もちろん強制ではなく、動機付けとして税制優遇なども行い、大家が自主的にこの契約書を使うよう促した。老朽化したアパートの空室率の高さに悩んでいた家主の間に、新しい賃貸契約は少しずつ浸透した。


また、S市は電力会社と話し合い、市内の電線や施設のメンテナンス期間を国の基準の倍に緩和した。たとえば他地域では3年ごとに取り替える電線もS市内では6年使われる。水道に関しても同様の工夫をした。これによりS市の水道代、電気代は隣接する各市の3割安になっている。

日本のメンテ基準は非常に厳しい水準に設定されているので、S市で水道管破裂や停電が増えたわけではない。いや、実際には一年に一度くらいトラブルは起っているのだが、市民は納得している様子だった。

またS市内の街灯は今やすべて個別の太陽光発電方式になっていた。そのため、日照時間の短い冬場は午前3時には街灯が消えてしまう。しかし、年間数億円もかかっていた“街灯電気代”は他の費用に振り向けることが可能になった。

S市には、中古家具店や中古衣料店がたくさんあるし、家電店には日本製品がほとんどなく、韓国や中国の商品ばかりが並んでいた。単機能でシンプルかつ格安な家電の品揃えが豊富で、休日には他都市からも買い物客がやってきて賑わっていた。また、S市には本屋は一軒もなく、あるのはブックオフなどの中古品販売店だけだった。

食べ物にしても、S市のスーパーで売られている野菜は、キュウリは曲がっているし、トマトは大きさが揃ってないなど不揃いのものばかりだった。しかし価格は他エリアの4割近くも安い。

S市で生まれ育った子供は、他のエリアではなぜイチゴがパックの中ですべて同じ方向を向いているのか理解できず、たまに他県のスーパーにいくと驚いてまじまじとイチゴのパックを見つめてしまう有様だった。

また、日本が輸入するミニマムアクセス米の大半はS市が購入し、公的な施設で使うほか、一般の定食屋にも卸していた。市役所の食堂や市が運営する施設の食事はすべてミニマムアクセス米だ。米のコストが4分の1以下というのは本当にありがたいことだった。


「あれはもう少し規制を強くする必要があるな。」F本が唯一気になっているのは、F本がS市に誘致した大規模な治験施設だった。薬は欧米など海外で長年の使用実績があっても、日本で認可される前には日本で実際に人に使ってみての検査も必要だ。一定の条件の患者、もしくは健康な人が集められ、半分は砂糖水などの偽薬、半分は薬を投与され、結果を比較して実際の効果を計るのが治験である。

これら治験では薬や事前の診察はすべて無料であり、薬を投与した後はデータを集めるため、患者は一般の場合より細かく身体の事後経過を観察される。高い薬を購入する財力のない人たちには悪い話ではない。しかも薬の多くは、既に欧米で何年も使われているものなのだ。

また、治験の協力者には報酬が支払われるので、アルバイトとして参加する人もいる。適切なルールが守られればいいのだが、それをすり抜けて“体を売りに来る”若者もでてきた。

彼らの将来を考えると、短期間に何度も治験に参加できないよう規制するなど、しっかりしたルールが必要だ。それらを管理するためのデータベースを構築しようとしているのだが、これは自分の任期中には終わりそうにない。「もう1年早くとりかかるべきだったな」と頭の中でつぶやいた。

★★★

F本の市長室には雑然と書類が積まれているが、その中には中国語や韓国語の書類もあった。それ以外にも外国語の書類が多い。「時代も変ったものだ」とF本はつぶやいた。

東京まで40分程度であり、格安生活圏として認知され始めたS市は、海外からやってきた留学生や働き手の“最初の居住地”として選ばれることが多かった。市内には中国や韓国からの留学生、インドネシアやフィリピンからの介護支援要員らがたくさん住んでいた。短期的に東京観光にやってくるバックパッカーも多くがS市を拠点に東京観光をするようになった。

最初は住民達との細かいぶつかり合いがたくさんあった。しかし数年もするとこれらの人たちを相手に商売をしようという人たちが現れた。ボランティアも多くなった。街には格安で中華料理、韓国料理、インドネシア料理が食べられる食堂がたくさんある。街角で話される言葉も本当に様々だ。

さらにF本は、増え続ける外国の子供の教育問題を解決するため、公立小学校や中学校に「外国語での授業」を導入し、教師はそれらの国から呼んできた。

S市の小中学校の授業は、中国語、韓国語、英語、日本語など様々な言語で行われ、日本に来たばかりの子供は現地語のクラスへ、日本語を覚えれば、日本語クラスに移行する、という予定だった。

ところが、思いがけないことが起った。友達と一緒に授業を受けたいと、日本人の子供達が一部の授業を中国語や英語などで受け始めたのだ。彼らはお互いの言葉をお互いに教えあい始めた。

F本はこれを利用した。事実上、「どの言語で授業をとってもいい」という方針に変更したのだ。文部科学省からは相当の嫌がらせを受けたが、“日本の国際化の最先端事例”としてニューズウイーク誌がS市を取材してくれたことが後ろ盾となって流れが変り、霞ヶ関からの反発を抑えることができた。

いまやS市で育った子供らの就職状況は極めて良好だ。中国語、韓国語、インドネシア語、フィリピン語などを、英語とともに操るS市出身者に多くの企業が関心を示し始めているからだ。


そんななかで、所得が高くなると都内に引っ越す人も増えてきた。それを「もったいない」と嘆く人もいるのだが、F本は「これでいいのだ」と確信していた。

いまや東京周辺には格安度合いの異なる複数の格安生活圏が存在している。皆S市の成功を目にして考えが変ったのだ。

昔の日本は、5%の高級エリア、90%の中流エリア、5%の貧困エリアに分かれていた。90%の中流エリアの生活コストはバカ高く、そのためにホームレスになる人が増えていた。ところが今は、

高級エリア5%

中流エリア(年収800万円〜の4人家族,400万円〜の単身向け)30%、

格安生活圏(年収600万円〜の4人家族,300万円〜の単身向け)30%、

超格安生活圏(年収400万円〜の4人家族,200万円〜の単身向け)30%、

貧困エリア5%というレイヤーに分離していた。


S市はその中で超格安エリアとして位置つけられていた。F本は思った。そこで育った子供達が、出世するなり、事業で成功するなり、宝くじが当たるなり、玉の輿にのるなりして引っ越すのもまたいいじゃないか、と。

NYのラガーディア空港のそばにフラッシングメドーというエリアがある。元々は日本人が多く住んでいたエリアだが、日本人が金持ちになって出て行くと次はコリアンが住み着き、今はチャイナタウンになっている。「代替わり」とか「ヤドカリ型」、そんな感じのイメージだろうか。


とはいえ、S市にはかなり年収の高い人も住んでいた。「この自由な雰囲気が好きなんだ」という人もいたし、「ここに住めば、3年働けば一年は海外放浪する資金が貯まるから」という人もいた。

いずれにせよS市は順調だった。どのアパートは古いけれど、近隣行政区のように“路上にはホームレスが溢れているのにアパートには空室がたくさんある”という状況ではない。旅行者も多く、子供も多くて活気にあふれている。

フィリピンやインドネシアから介護士としてやってきた人たちは、最初はS市に住んで東京で働く人が多かったのだが、家族をもち彼ら自身が子供をもつようになると、地元で働こうという人も増えてきた。このため、S市は日本で唯一介護福祉士の募集に困らない市になっていた。

一番心配した治安だったが、有人交番をあちこちに復活させかなり治安に気を遣ったせいか、今のところ大きな問題にはなっていない。ただこれは、これからも一番大きな成功の鍵になるだろう。

治安に関して一番大事なことは、とにかく犯罪に走らなくても食べていける街を作ることだとF本氏は考えていた。だから彼はS市を高級エリアにする気はなかった。ここには、安くておいしい定食と、同じように貧しい仲間達がいる。そういうことが大事なんだ。



「そろそろ俺の役目は終わった。老兵はただ過ぎ去るのみだな」


F本はくるりと振り返り、12年使ってきた市長の机に手をついた。机の上には先月オープンしたS市の“長距離バスターミナル”のオープン式典の写真が散らばっていた。新幹線や飛行機は庶民には高すぎる。そう考えたF本は、深夜の夜行長距離バスを集中して発着させるターミナルをS市に建設したのだ。

今までは東京駅前や新宿の狭い発着場を使っていたバス会社がこぞってS市発のバスを増便し、今やS市のバスターミナル付近は昔の上野駅前のような賑わいを呈していた。

F本はそれらの写真の上にゆっくりと視線を滑らせた後、左手に持っている紙をもう一度見るために老眼鏡を胸ポケットから出して鼻にひっかけた。

その紙は何度も何度も読み返したせいで皺だらけになりクタクタになっていた。F本は丁寧に皺を伸ばしながら一枚目の上部をみた。



Chikirinの日記 もうひとつの解



2008年にこれを読まなければ自分の人生は大きく違ったものだっただろう。こんなことができるなんて、あのエントリを読むまでは考えたこともなかったのだから。

F本は、市長になろうと決意した時のことを思いだしながら、ゆっくりとその紙を閉じ、大事そうにジャケットの内ポケットにしまった。

さあ、4選目には出馬しないと表明する記者会見の時間だ。

そろそろ行こう。



<参考書籍>

ルポ 貧困大国アメリカ (岩波新書)

ルポ 貧困大国アメリカ (岩波新書)

2008-11-21 “格安生活圏”ビジネス

同じミネラルウオーターのボトルが、駅の南側と北側で倍も異なる値段で売られていると聞けば、日本人の多くは奇異に感じますよね。でも実際にはそういう国はたくさんあります。

たとえば旧市街の市場では一本1ドル、30分離れた新オフィス街では倍の 2ドルで同じ飲料が売られているのです。

店舗の家賃の差ではありません。同じ屋台でも、高級ホテル前の路上に出ている屋台では1本 3ドル、市場の屋台では 1ドルだったりする。

地域の経済格差が大きくなると、モノの値段は「そのエリアの人がいくらなら払えるか」によって影響を受け始めます。

だから水に 3ドル払う人がたくさんいる地域では 3ドルで売り、1ドルじゃないと売れない場所では 1ドルで売るわけです。(もちろん仕入れ値はどちらも 1ドル未満)


日本にも最高級店と格安店はあります。しかし、格安の牛丼屋はオフィス街にも学生街にも住宅街の駅前にも存在し、どのエリアでも同じ価格で同じモノを売っています。

安い牛丼屋があるからといって、そのエリアの物価が安いわけではありません。

一流ビジネス街に格安飲食店があれば、「一定のお金のある人が節約する」ことはできますが、「低収入な人が格安に、快適に生活する」のはそれでは実現できません。

低収入でも生活を楽しむには、家賃から光熱費、食べ物の値段、売られているものの値段までが全体に低い“格安生活圏”が必要なのです。


★★★


世界の家電販売店と日本の家電販売店は、今、その店頭光景が大きく異なり始めています。

日本では、冷蔵庫や洗濯機、テレビなどの主要製品の大半が日本メーカーの商品です。

毎年どんどん価格は下がっているとはいえ、10万円以上する家電製品も決して珍しくありません。

しかし海外の家電販売店にいけば、これらの日本製品が“最高級品”として並べられている一方、中級品として韓国メーカーのものがあり、さらに普及価格品として中国製品やその国のローカルメーカーの家電が並んでいます。

その価格差は数倍にもおよびます。

そこでは、客は自分の収入にあわせて 10万円の高級家電を買うこともできれば、数万円の普及品や、単機能でシンプルでノーブランドの一万円の家電を買うこともできます。

中古車の販売店も同じです。

日本は中古車とはいえ、どれもこれも本当にキレイでいい車ばっかりです。

数年で壊れてもいいから数万円で買える車が欲しいと思っても、選択肢は多くありません。

海外の中古車販売店では、そういう車もたくさん売られています。


生活インフラについても、日本は停電がとても少ない一方、電気料金の高さはよく指摘されるところです。

しかし実際には日本でも、電気代金が払えずに電気を止められている人はでてきています。

それなのにいつまでも、“安定供給”のために高い基本料金を払わせ続けることが生活者のためになるのでしょうか?


また、日本はどこのお店に行っても驚くほど丁寧に包装をしてくれるし、サービスの質も非常に高いです。

それはとても気持ちの良いことではあるけれど、一方で、それらにかかるコストはすべて価格に転嫁されており、一定のお金がなければ利用できないものになってしまっています。


海外の都市部に存在する「ふたつの異なる物価水準のエリア」では、売られている商品の質はもちろん、店の雰囲気、内装のレベル、清掃状況から包装紙の質、レストランであれば皿の値段、さらには接客する店員のレベル(時給およびサービスレベル)まで違っています。

そのかわり、通常エリアであれば年収 400万円未満だとやっていくことが厳しいのに、格安生活圏では年収 200万円でもそれなりに楽しみながらやっていけるというわけです。


★★★


さらに少子化にしても、「教育資金が払えないから子供を生まない」のは、親に「お金がなくても子供を育てられる」という選択肢が見えないからです。

海外の格安生活圏に住んでいる人は誰も、子供の習い事や塾、子供服やおもちゃなどに多額のお金はかけないし、大学進学もよほど優秀で奨学金がもらえる子供でない限り、考えません。

こうなると子育てに大金がかかるわけではなくなり、「低収入だから少子化」とはなりません。


また、今の日本では「年収 200万では結婚できない」などと言われますが、これも高所得層にしか実現できない専業主婦モデルへの未練が、すべての所得層の人にあるからでしょう。

本来は、年収 200万円のふたりが結婚したら世帯年収は 400万円になるわけですから、低所得者ほど早く結婚してひとりあたりの生活費をさげるのが合理的です。

そういった選択肢が普通に見えるエリア(大半の人が低収入でも早く結婚しているエリア)ができれば、「お金がないと結婚できない」というコンセプト自体が崩れるはずです。

また、結婚が早まりお金がなくても子だくさんで、親戚、兄弟などが近いエリアに住んでいれば、多額の老後資金を貯められなくても、祖父母の老後を数多くの子供や孫が共同で支えることができます。

戦後の日本が目指してきた「核家族で、専業主婦、持ち家があって、教育投資をしっかり行う子育て」といったパターンとは違うライフスタイルが存在し得る、別のタイプの経済圏がそろそろ日本にも必要な気がします。


★★★


ところで、こういった地域の正否をわける要素としては、「イメージ」と「治安」のふたつが重要です。

イメージに多大な影響を与えるネーミングに関しては、「スラム」はもちろん、ビジネス全体を「貧困層向け」と呼んでしまうと、多くの人がその存在に抵抗感を感じるでしょう。

しかし、「肥満の方へ」より「メタボでお悩みの方へ」の方が商品を買ってもらいやすいのと同様、「貧困層向けエリア」では住む気がしなくても、「お得な生活圏」や「格安生活エリア」と言えば、受け入れやすく感じる人もいるはずです。

また、治安に関しても日本は今のところ先進国の中でももっとも凶悪犯罪の少ない国であり、こういったエリア運営がうまくいく条件を備えています。


今後、望む望まないに関わらず、そういった地域は自然発生的に出現してくるんじゃないでしょうか。

誰だってお金のない時は安い家賃の部屋に住み、余裕ができれば少しずつ家賃の高いところに引っ越したり、家を買ったりしますよね。

でも日本では、下げられるのは家賃だけで、電気代も物価も高級エリアと大して変わらない。だからお金がすごく貯めにくい。

家賃だけじゃなく、生活費が丸ごと格安なエリアがあれば、最初はそういうところに住んで、お金を貯めて少しずつステップアップして引っ越していくという、海外の大都市みたいな住み替え方が、日本でも可能になるんじゃないでしょうか。



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そんじゃーね!


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2008-11-20 もうひとつの解

前回ちきりんはこちらのエントリで、

(1)「時給の仕事」で一生食べていくのは無理である。

(2) しかし現在の日本では、「時給の仕事をしている生計の主な担い手」が1000万人近くいる。

とし、企業が非正規雇用の労働者1889万人のうち半分以上の1000万人を正社員にしないとこの問題は解決しないと書きました。


しかし企業側は、

(3)「国際的な競争力を維持するためには、それは不可能」

といいます。(ちきりんには「中高年正社員の高すぎる給与を守るための詭弁」にしか聞こえませんが、今日の論点はここではないので突っ込むのはやめておきます。)


この(1)(2)(3)を前提とするならば、この1000万人は年収200万円でずっと生きていく必要があり、その人達には、従来の日本人が想定していた“中流ライフ”を送ることは不可能です。ではどんな人生になるのでしょう?


人生の中で大きなお金が必要になるのは以下の4つです。

(a) 日々の生活資金

(b) 家を買う。(or 一生分の賃貸料を払う)→「住宅資金」

(c) 子供を産み育てる。→「子育て資金」

(d) 老後を自分のお金で過ごす。→「老後資金」


このうち、生計の主な担い手でありながら時給の仕事にしか就けていない1000万人に稼げるのは日々の生活資金だけであり、住宅、子育て、老後資金の調達は不可能でしょう。


そのため、次のようなことが起こると考えられます。

(b)住宅資金が払えない→病気、けがや失業などで簡単にホームレス化する。

(c)教育資金が払えない→少子化が回復しない。

(d)老後資金が払えない→高齢の生活保護世帯が急増する。


この事態の解決法として「だから経済成長が大事なのだ」という意見があります。たしかに規制緩和や中央集権制度の打破により、自由で多様性に富んだ環境を作り、再び経済成長を目指すことも重要です。

しかし「経済を活性化させて全体に底上げすれば貧しい人にもお金が回ってくる」というのは嘘ですよね。先端の企業や個人がいくら国際競争力を手に入れて稼いでも、自然に下々までお金が回ってくるわけではありません。先端は先端、底辺は底辺なのです。


ちきりんは、そういう空想的な解決法以外に現実的なアプローチも必要なのじゃないかと考えています。それは「集積エリア解」とでも言えるもので、「日本の中に年収200万円でも暮らしていける場所と仕組みを作る」というものです。

たとえば住環境。東京で一番多い家賃は6万から13万円くらいまでのアパートやマンションでしょうが、これは、都心から地下鉄や私鉄で1時間ほど離れてもほとんど下がりません。家賃が半額となるエリアまで移動すると、静岡や山梨まで行く必要があり、すっかり通勤圏外になってしまいます。

一方、海外先進国の首都には“移民を含む低所得者層が集まって住む格安生活エリア”が都市の周辺(移動時間1時間以内)にもそこそこあります。

それらは“スラム”というより“格安生活エリア”という感じで、家賃が安いだけではなく、家賃の週払いや、部屋の一部を「又貸し」することによる共同賃貸生活が可能です。不動産や同居人も不動産屋を通さず、フリーペーパーやネット、張り紙で集めるので手数料もかかりません。こうすると一人あたりの住居費用はかなり低くなります。

東京にももちろん家賃3万円以下の物件はありますが、その数はとても少ないし、たくさんある7万円の部屋を借りるには、なんだかんだで30万円くらいの初期費用が必要です。家賃の週払い制度もないし、共有や又貸しも禁止が大半です。光熱費の基本料金も高く、日本というのは「最低生活費が非常に高い国」なのです。

仕事の多い都心部に敷金や礼金が不要で、家賃3万円だけれど週払いが可能なアパートがたくさんあれば、時給の仕事の人でもアパートを維持することは、現在よりかなり容易くなるはずです。


また、そういう格安アパートが多く集積するエリアができれば、“そういうエリアの商売物価”が形成され、その水準に合わせた“エリア特化型ビジネス”もでてきます。

たとえば、「5時間以内に賞味期限が切れる弁当と総菜だけを売るコンビニ」とか(←近隣エリアから店長が自転車で毎日持ち込む!)、ミニマムアクセス米しか使わないけれど、ご飯は食べ放題の定食屋、不要品引き取りで集めた衣類と家電、家具しか置いてないお店(常設のフリーマーケット的な店舗)に、電車の置き忘れ雑誌だけを集めた本屋など・・・。

いろいろ工夫をすれば、時給の仕事=年収額面200万円でも日々それなりに楽しく暮らせ、かつ、病気をしてもホームレスにならなくてすむエリアができるんじゃないでしょうか。


ちきりんが思うのは、現実問題として収入格差が既に「所与の条件」となっているのであれば、地価や生活費にも、もっと格差がないと生きづらいでしょう?、ということです。

日本は、生活インフラの要求水準が“一億総中流時代のまま”とどまっていて、今や、基本的な生活費を払うだけのために、収入の大半を注ぎ込まざるをえない人が出て来てしまっています。

そういった人の収入が増やせるならそうすればいいですが、それが無理なら、生活に必要な費用水準を下げることも考えるべきです。

就業人口6500万人の二割近くに上る1000万人が年収200万円で暮らさねばならないというなら、それでも生活や人生が成り立つ地域が、日本全体の住面積の2割は存在しないとバランスがとれません。しかもそういうエリアは、仕事のない地方ではなく都会に必要なのです。


んじゃ。



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2008-11-19 殺す理由

厚生労働省の年金制度企画に関わっていた引退後の官僚の方、およびその家族の方が殺傷された事件は、久しぶりに背筋が寒くなる感じの事件だ。日本にいないので社会的にどの程度の衝撃なのかわからないのだが、ネットで読むだけでもちきりん的には大きな衝撃だ。


殺人というのは、大半の場合、顔見知り間で起るものだ。日本の場合、家族・親戚内の殺人が約半分を占める。その他にも友達、知人が4分の1を占め、職場関係者と続く。たいして知らない人を殺すというのは非常に珍しい。意外に思うかもしれないが考えればあたりまえだ。誰かを殺したいと思うほど憎むにはそれなりの“関係の濃さ”が必要になる。

その辺の道で出会ったとか、なにかの会で一回一緒になった、くらいの人を私たちは殺したいほど憎んだり恨んだりはしない。というか、できない。長年一緒に暮らしていたり、この人にこそと思うからこそ「殺したい」ほどの感情にとりつかれるわけで、殺人の多くが家族親族やら内縁・恋人やらの“濃い関係”の二者間で起っていることは極めて自然なことだ。


だからこそ秋葉原の事件のように「誰でもよかった」という殺人が“異常”扱いされる。これらの場合、「殺したい理由」は殺す側と殺される側の関係性には存在しない。加害者が「殺したいほど憎んでいる」のは「社会」だからだ。「社会から阻害された自分」が「社会を構成する誰か」を殺したいほど憎んでいたということだろう。ちなみに日本ではこういった「無関係者」を殺すのは殺人の1割に満たない程度だ。


今回の事件、まだふたつの事件に関係があるかどうかもわかっていないようだが、もしも二つが関係しているとしたら、これらは「年金制度改悪への怒り」からの殺人、ということになる。

もう一段分解すれば、「世直しのために俺が犠牲になって正義を実現する」思想犯系か、「俺がこんな生活を余儀なくされてるのはおまえのせいだ」系、つまり逆恨み系かのいずれかと考えられる。

前者の思想犯系の殺人は歴史的に例が多い。“問答無用!”と右翼青年(最近は右翼オヤジのケースが多い)に刺される政治家は残念ながら後を絶たない。自爆テロと同様、彼らは「社会悪と信じる誰か」を殺すことで、英雄になれると幻想する。っていうか、それ以外に彼が英雄になれる道はない。「つまらない自分の人生の最大の活用方法」としてテロリスト、暗殺犯となることを選ぶのだ。

後者の方は、たとえば自分がもらえる年金が余りに少なくてハラがたったとか、社会保険事務所で冷たく断られて(10年しか払ってないでしょ。だからあなたの年金はありませんよ、とか言われて)怒ってるかとか、そういうやつだ。

今のところどちらかといえば前者なのだろう。これって結構めんどくさい犯行だからね。引退した官僚の住所を調べてる。しかもきちんと「ミスター年金」と言われた人を個人として特定してる。そして埼玉から中野まで移動する。自分の年金が少なくて頭に来てという後者の犯罪なら、自分の家の近くの社保庁事務所に火をつけるとか、もっと単純な形の犯罪になりそうだ。



いずれにせよ、ちきりんが恐怖するのは、この「年金」というものが「人を殺したいほどの理由」になりえている、ということだ。特にコレが「思想犯」になりえるとしたら、それは本当にびっくりだ。


たとえば右翼が政治家を暗殺する時、その理由は「天皇陛下」であったり「亡国」やら「売国」やら、彼ら的には自らの組織の存立基盤となるような、彼ら視点で言えば“世の中の根底の思想”に関わることなのだ。

左側同士で内ゲバやるのも(外部者にはなんのことか意味不明ながら)、彼ら的には「真の革命家」と「日和見主義者」だの「修正主義者」だのの「本物と偽物の戦い」なのだと思う。つまり「すごい重要なこと」なのだ。



それが、「年金」って・・・

いったい「年金制度」が誰にとってそこまで重要な思想たり得るのか。それがちきりんが驚愕した点なのだ。

たかだか社会保障制度のひとつに過ぎない制度を理由にして、人を殺したいと思うって、どーゆーことだろ、と。それともマスコミに乗せられて、これが何か世の中を変える制度だと刷り込まれ踊らされたの?


もしも本当に「年金」が、「年金制度の改悪」が、人を殺したいと思うほどの理由になり得るのだとしたら、これからは「生活保護制度の運用に関する暗殺」やら、「後期高齢者医療制度に関するテロ」やら、はたまた「消費税増税に関する殺人」とかが出てき始めるってことなのか??

いやもちろんその前に「患者たらい回し事件に関するテロ」とかが起るのだろう。



つまりね、本来もっと“動物的なもの”であるはずの、誰かを殺したいという衝動が、あまりにも社会的なことに関連付けられたことに、ちょっと違和感を覚えるですよ。「誰かを殺したいほど憎む」ということが、なんでこんな制度論的な、ある種、どうでもいいようなことに向けられるんだろうと。

人を殺すというのは同時に自分を殺すということだ。それくらいの破滅的な気持ちと共に訪れる衝動だと信じたい。最初に書いたように日本の殺人の半分は家族・親族を殺しているものだ。親や子や兄弟を殺す気持ちはいかほどのものか。犯人本人を突き動かした衝動は尋常のものとは思えない。でしょ。それはすごく“本能的”な“動物的な”衝動だと、ちきりんは思うわけ。

“社会”に絶望し憎み倒したアキバ事件の犯人も同じだと思う。彼のどうしようもない衝動や、恐ろしいほどの絶望や、表裏一体となって混濁した愛憎は“社会制度論”とは関係ない。まさに動物的な突発的な感情の発露でしょ。

もしくは右やら左やらの思想犯だって、個人を超えた絶対の国家や信条を守り抜くために人を殺してきたのだ。彼らにとっては“魂を賭けた殺人”ですよ。


それなのに「年金」・・人を殺す理由が。


ん〜。

それとも、この「年金だなんて・・ある種、どうでもいいことでしょ」というちきりんの感覚が、最早ズレてしまってるってことなんだろうか。特定のグループの人たちにとって、年金制度は何かの根幹に関わることなのか?何かの存在意義を脅かすほどのものなのか?本能的な衝動に火をつけてしまうような何かなのか?



ちょいと愕然としてしまいます。





言いたいこと、伝わってるかしら?

“殺す理由”はいったい何なんだ、と。



という感じで。


また明日。

2008-11-18 旅のスタイル(後編)

アメリカから

私の環境はふたつの点で変わりました。会社員から学生に。そして居住地が東京からカリフォルニアに。

これにより旅行先は一変します。

アメリカに留学中 2年間の旅行先の大半は“南米”“中南米”となりました。休みごとにメキシコに行ったし、カリブ海にも何度も泳ぎに行きました。

だって南米って日本からやたら遠い。そしてアメリカからやたら近い、わけではないが“安い”ので。


このエリアは、

・ちきりんの大好きな遺跡とビーチの両方がある。

・食べ物が(比較的=アメリカより)おいしく、音楽がナイス。

・安い。

ということで、私向き、学生向きだったと思います。


当時は学生だったので、お金はありませんでしたが時間はたっぷりありました。

スペイン語が母語の友人と一緒に旅するなど、この頃の旅行は一人旅半分、友人と一緒半分、だったと思います。

遊び方も好きな遺跡を見に行くのはあるのですが、それとは別に飲んだり騒いだり泳いだりと、“観光旅行”っぽくない旅行が増えました。

メキシコシティの路上で大騒ぎしながら新年を迎えたのは今でも鮮烈な記憶です。


それ以外には、学生という立場の時にと思って北朝鮮にツアー旅行(その時はツアーでないと参加不可だった)に行きました。

入国に際しいろいろ個人情報を登録しないといけないので、勤務先も決まっていない、立場が流動的(かつ住所も流動的)な間に行きたかったのです。

おもしろかったけど・・旅行の最後に空港で「(禁止エリアで)写真を撮った」といちゃもんをつけられ“カメラ”を没収されました。


変じゃない??

没収すべきはフィルムだろ?と思って、「何か禁止物を撮ったというならフィルムだけ押収すればいいでしょ!!」と主張しましたが、なぜか先方の理不尽な主張が通り「カメラも」没収されました。

それって単なる泥棒じゃん?

でも日本に帰ってきたかったので泣く泣くあげました。てか、あんな国でもめるのはマジ怖いです。


あとは、友人や家族が米国に遊びに来たときに一緒にアメリカ内も旅行しました。

が、アメリカ内の旅行はそんなに好きではなかったです。

ナイアガラの滝もグランドキャニオンも確かに“すごい”のですが、私はこの“壮大な自然系”というのが古代遺跡ほどには響かない。見て、写真撮って、はい終わりって感じです。

遺跡のようにあれこれ思索にふけることができないというか。


まあとにかく全然勉強せず(日本の大学時代よりは勉強したけど・・)2年間の大学院生活を(半分南米で・・)すごしたちきりんなのでした。



再び社会人へ

卒業後、一文無しのちきりんは再びお金を稼ぐべく働き始めます。

ただし今回はある程度、時間の自由がきく仕事。仕事はかなりハードでしたが長い休みもとれるため、中東への1ヶ月旅行、東欧や中欧を巡る旅行、エーゲ海クルーズ、タヒチやイースター島など今まで行ったことのない場所に行き始めました。

この時期の特徴はお金に余裕ができたこと。

結構遠いところにいけるようになったし、昔と違ってきちんとしたホテルに泊まり、おいしいモノを食べるようになりました。

ガイドさんを雇えるので、歴史的背景とか意味とかもよくわかるようになりました。

また、昔は貧乏旅行で放浪したパリやロンドンも再度訪ね、じっくりと1週間以上滞在して美術館やお芝居などと楽しんだりしました。


この頃は家族と旅行したり友達と旅行したりで一人旅はぐっと減り、初めてパッケージツアー(JALパック!)にも参加するなど“旅行の普通化”が進んだ時期だと思います。昔のような冒険旅行ではもうありません。



“行き急ぎ”再び秘境へ

その後、また数年、秘境づいた時期があります。

新疆ウイグル地区の砂漠を訪ねてミイラにおののき、ケニアでサファリに感動、アマゾン川のマナウスからベレンまで日系移民の地を訪ね、マチュピチュの遺跡のすぐそばに泊まり、ナスカで地上絵を見て、キューバではグランマ号とゲバラ廟を訪ねました。そうそうロシアも再訪しました。

まとめれば秘境系と共産国の残り火を訪ねる旅、って感じでしょうか。


実はこの直前にちょっと考えるところがあり、「元気なうちに行きたいところは全部行かなくちゃ」と痛感したからなんです。

ちきりんは(ひつこいですが)長生きする自信がないので、「定年後にマチュピチュ旅行」なんて絶対無理。

なのでちょっと「行き急ぐ」=「生き急ぐ」感じで旅行してたかも、って思います。これが数年前まで、って感じです。仕事も楽なものに変えたので、せっせと旅行していました。



リラックス、そして国内旅行へ

ここ1,2年は、そしてこれから数年もそういう予感がするのですが、「リラックス系」と「国内旅行」というのがキーワードかなあと思っています。

行きたい秘境は行き尽くした感もあるし、もう 疲れたよ!というのもあるし。


今年はモルジブに行きましたが、その前の数年は石垣島に行きました。ビーチでゆっくりするのがリラックス系。

もう一つは国内旅行で、ここ数年は、北海道、京都、奈良、広島や宮島、山口(萩など)など、結構あちこち行ってます。

あと、温泉旅行も増えたかな。もともと好きなのですが最近は“老舗の名旅館”に泊まるのが大好きです。



来年は?

よくわかりませんが、ユーロが安くなってるのでイタリア辺りに美術館巡りに行ってこようかな〜などとは考えてます。後はビーチと温泉かな。当面はリラックス系でいくのではないかしらん。

でもそのうち元気がでたら、アジアももう一度回ってみたいですよね。

会社辞めたらブログで旅の同行者を募ります。“ちきりんと行くおちゃらけ社会派のベトナムグルメ旅”とかね。(やや支離滅裂なタイトルだな・・)


まあ、そんな感じで。“ちきりん的 旅のスタイルの歴史”終わり。

こうやって書いてみると、長い間に結構変わってるもんだな〜と思います。人それぞれいろんなスタイルがあり、それも一定でなく変わっていくんだろうな、と思うです。

人生ってよく旅にたとえられるけど、なるほどねって気もします。


んじゃね〜

2008-11-17 旅のスタイル(前編)

長く読んでくださってる方はごぞんじと思いますが、ちきりんはかなりの旅行好き。

過去にも何回か旅行について書いていますが、今日はちきりんの“旅行スタイルの変遷”についてまとめておくです。



北の旅

一番最初に“旅行した”という感覚があるのは、北海道と東北に旅行した時のことです。大学生の一年の夏に東北、二年の夏に北海道に行きました。いずれも一ヶ月くらいじゃないかな。一人旅です。

北を選んだのは関西出身だったから。関西で高校まで過ごしたので西の方には修学旅行などでよくいく機会がありました。

一方で東京より北、東というのは未体験ゾーンだった。なのでその地域に、と思ったわけです。

学生の貧乏旅行ですから飛行機は使わず、でも電車は夜行も乗りました。

青春18切符ではなかったような気がする。泊まるのもユースホステルが多く、まともなところに泊まったのは当時まだ旅館だった斜陽館(太宰治の生家)だけ。

ユースホステルは・・・なんか夜にミーティングしたり歌を歌ったりする時代で・・・ほんのちょっと驚きましたよ。

難しいこと聞いてくる人もいました。「学生であることの甘えをどう思うか」とか。


知らんがな。


東北はけっこう言葉が通じにくくて驚きました。

あと人が少なすぎる村とかびびった記憶があります。北海道ではよくヒッチハイクしました。

大型トラックに乗せてもらった時もあるし、学生などが旅行している車にも同乗させてもらいました。“青春”な感じの旅行だったと思います。



海外へ

3年生の夏休みからは海外にでかけはじめました。最初がイギリス、そしてヨーロッパ各国へ。この時から卒業するまでの2年間、ほぼすべての長期休暇を海外旅行に使っていたと思います。

格安チケットで南回りや季節外れのアンカレジ経由でも一番高いのが飛行機。一度いったら3週間くらいは滞在しました。

日本からの往復飛行機チケット以外はすべて現地で自分で探すスタイルで、いわゆるバックパッカー的な旅行です。

基本は一人ででかけましたが旅先で会った人(必ずしも日本人ではない場合も)と何日か一緒にすごしたり、他の一人旅をしている友人と向こうで落ち合う約束をして「特定の日の特定の時間にエッフェル党の下で会おう!」とかロマンチックな約束をしたりもしました。


ただし、


エッフェル塔が予想以上にでかくて・・


下ってどこやねん?


ってことで、会えなかったりね・・



初めて海外を見て、すごくいろいろ刺激を受けました。移民とかホームレスとか、当時の日本にはなかった社会の一面を初めて見たのも彼の地だったと思います。



第三世界へ

が、しかし、そのうちちきりんは「先進国の外国」に飽き始めます。

たしかに日本とは大きく違う世界。だけど、結局は「国の制度は同じだ」という感じがしてきたからです。

一定時間そういう旅行をすると、「だいたいホテルのシステムはこういう感じ」「交通機関のシステムはこういう感じ」とわかってしまう。「同じじゃん」と思えてしまうわけです。


「つまんないな」

と感じました。


一番最初に外国の地に降り立った時のように、すごく強い刺激が欲しくなった。

「ああ、また来た」ではなく、「空港を降りたとたん、恐ろしくて不安でびっくりで」みたいな旅行をしたいと。

そこで旅行地に選んだのが、共産主義国、そしてアフリカでした。



学生の間にいけたのは当時ゴルバチョフ書記長が人気だったソビエト連邦。そしてポルトガルからフェリーでわたったモロッコ、だけでしたが。



働く人へ

この後ちきりんは日本企業に就職し、長期休暇はとれても9日間(土日2回とその間の平日5日)が最大、という「日本の会社員」になってしまいます。これではアフリカなど遠いところに行くのは難しい。

しかも証券会社なんで年始年末は休めない(大発会、大納会に休むなんて首になります。)ある程度給与はもらえるので高い時期(GWなど)も旅行はできるのですが、それでも回数にも限界がある。

そこでちきりんは、行き先を「アジア」に変更します。そして、一回に一カ国、できるだけ少ない都市数しか行かない、と決めて、毎回異なるアジアの国に旅行することにしました。

相変わらず(ツアーではなく)フリーの旅でしたが、飛行機の他、ホテルと現地の長距離交通機関は事前予約する場合も増えました。9日間で行って帰ってくるためには「完全に現地で調達」方式ではなかなか巧く旅行するのが難しかったので。

この方式で行ったのが、インド、ベトナム、ビルマ、タイ、韓国、中国(エリア別に訪問)などなど。


これは結果としてとてもよかったと思います。先進国へは出張ででかけることもありましたし、いい加減“慣れ”もでてきていました。でも、一人ででかけるアジアの国々はどこもエキサイティングで楽しいことばかり!


当時はとった写真をまとめてアルバムにして周囲の人に見せていたのですが、そのうちの一人、JALに勤めている先輩から連絡がありました。そして、

「この前、見せてくれたベトナムのアルバムを貸してくれる?」と。


何かといえば、当時の日本航空はベトナムへの初めての直行便を飛ばす計画を検討中で、空港施設などの現地調査に先遣隊を送ることになったと。

彼はその準備をしている部署にいるのだけど、「実際に行く人たちにあの写真を見せてあげれば、事前にどんな国かイメージがつかめて出張の準備ができていいかなと思って」とのこと。

ちきりんはホテルの食事やお風呂やトイレの写真など、街の風景以外もすごくたくさん写真をとっていたので、一般的な写真より出張準備に役立ちそう、ということだったのでしょう。もちろんお貸ししました。



こうして数年続いたちきりんの「アジア一都市集中、9日間の旅」ですが、その後ちきりんはこの会社を退職。そして旅のスタイルもまた次のスタイルに変わっていったのでありました。




って、やや大げさだが。



とりあえず前編はここまで。また明日(たぶん)後編を書きます。




ええっと、上記「第三世界へ」のところで書いたソビエト旅行については過去に詳しく書いていますのでご関心のある方は是非お楽しみください。


ソビエト旅行記(↓この日から数日連続ものです)

http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20060404


ではね!

2008-11-16 “自由”になる会社達の行方

過去数十年、企業にとっての「株式公開」(IPO)の意味は様々に変わってきました。*1その昔、敷居の高かった株式公開は、2000年のITバブル前後に次々と新興市場が創設され、ピーク時には年間200社以上がIPOしました。しかし2006年のライブドア事件、その後のリーマンショックと株価低迷を経て、現在はその10分の1の水準まで減少しています。


株式公開のメリットには「名前」と「お金」があります。


上場すると「名前」が有名になり、それは

・取引の際の信用力向上

・販売時の知名度の向上(マーケティング、広告)

・採用時の人気の向上(上場会社に就職!)

・経営者の名声の向上(上場会社の社長さん!)

につながります。


お金の方は、

・資金調達手段が増える。(公募)

・M&Aの財務選択肢が増える。(株式交換)

・採用インセンティブに株式が使える。(ストックオプション)

・公開時に多額の資金が手に入る。(投資資金調達+創業者利得)

などがあります。


一方で、株式公開のデメリットもあります。

・経営の自由度を失う。

・買収される可能性がある。

・管理にコストと手間が生じる。


「経営の自由度を失う」「買収されるリスクにさらされる」ことを嫌う企業の中には、サントリーなどあえて株式を公開しないところや、アパレル大手のワールドのように途中から非公開化するところも存在します。

昔は、株式公開と言えば“企業の達成目標のひとつ”であり“憧れ”だったのだと思うのですが、最近はそのメリットとデメリットを比較し、資金調達や採用に困らないのであれば敢えて株式公開を目指さない経営者や株主も増えていると思います。

というのも、最近の新しい企業にとっては株式公開のメリットが必ずしも大きくないからです。たとえば採用においても、採用したいと思う層が「就職先企業が上場企業かどうかを気にする層」ではなければ、この点での株式公開メリットはありません。

知名度に関しても、「ネット上で十分な知名度さえ築ければそれでいい」ところもあるし、取引上の信用力についても、株式を公開するより「グーグルやヤフー、IBM、マイクロソフトなどのビッグネームと取引がある」という方が意味のある時代になりつつあります。

早くから投資ファンドなどが資金提供をオファーしてきた場合は、資金超達手段としての意義も薄れます。また最近はそんなに多額の資金が必要ではない事業も増えてきました。


そういった会社にとって唯一意義が大きい株式公開のメリットは、積極的なM&Aが可能になるということでしょう。ソフトバンク、ファーストリテイリング、ヤフー、エイチアイエス、楽天、ディエヌエイなど、2000年の前後10年間にIPOした企業の多くが、積極的なM&Aを成長の源泉としています。

反対にいえば、M&Aを多用して急成長を目論むのでなければ、IPOはいよいよ意義をもたなくなります。そして「そんなに急成長する必要はない。」と思う企業の中には、最初から株式公開を目指さない起業人がでてくるのです。

そうなると、次に興味深いことは、それらの企業が自ら設定する「企業としてのゴール」がどのようなものになるのか、という点です。

株式を公開すると企業は投資家から、「利益を出し続けろ」「成長を続けろ」というプレッシャーを受けます。一方、株式公開をしなければ、各企業は「自分でゴールを定める自由度」と「自分でゴールを設定する必要性」を手にします。

これは個人も同じで、世間が要求する「いい大学、いい会社、いい家庭」のようなおきまりの目標を受け入れると、束縛はされるけどやるべきことが示されていて、ある意味ではラクなのです。

一方で「別に大学にいかなくてもいいし、別にいい会社に入る必要もない。家庭ももっても、もたなくてもいいよ」といわれると、どう生きていけばいいのかわからなくなり、悩み始める人もでてきます。中には「自分探しの蟻地獄」に足を取られて動けなくなる人も出ます。

企業に関しても「必ずしも成長を続けなくてもいい」という状況におかれると、同じようなことが起こるのではないかと思うのです。自由というのは、面倒でつらいものです。多くの人はそれを“もてあまし気味”になります。個人にとっても企業にとっても自由度が高まることは諸刃の剣です。


企業が常に外部から利益と成長を求められるという公開株式会社の制度は、これまで世界の経済成長と社会資本形成に大きな貢献をしてきました。では、その束縛から自由になった企業は何を社会に残していくのでしょう?

「生きたいように生きる個人」と「利益にこだわらずやりたいことをやる会社」--- 言葉はかっこいいけれど、実際には自由に生きられる人が極めて少ないように、自由にやっていける会社も限られています。

自由になり、押しつけられた使命から逃れれば、そのかわりに「自ら使命を掲げ、それにコミットし、自らを動機つけていく」ことが求められます。それは実は、決まった使命を押しつけられるより圧倒的に大変なことです。

ちきりんとしては、「株式公開を目指さない」とあえて言う起業家達がそのチャレンジを乗り切り、企業という社会的な器の存在意義に新たな地平を開いてくれることを期待しています。


そんじゃーね。


2008-11-15 180度変わっちゃう

昔(だいたい20年くらい前を想定)は親が海外勤務の場合、子供が男の子だと高校生からは母親と子供だけは日本に帰国する、みたいなケースがあった。それは息子を日本で大学に進学させたいからであり、そのために必要な勉強を日本でさせるため、ということだった。

当時は海外で大学を出ても、日本の受験ヒエラルキーでは“番外”扱いになってしまい英語屋的な仕事以外の“まとも”(とされる)仕事に就けない、という“常識”があったのだと思われる。また、いわゆる“帰国子女枠”なるものは一流の国立大学ではまだとても限定的だった。

なのでわざわざ「男の子が大事な時期なので」と母親と一緒に一足先に帰国、みたいなことまでしていたのだ。


今時はこういうケースは非常に少ない。息子が優秀なら海外の一流大学に進めるだろうし、そうでない場合(いわゆる勉強的に優秀な息子でないなら)なおのこと、海外で英語だけでも流暢になった方がその後の就職でも超有利、というのがたいていの親が考えることだ。

それどころか今や何の縁もなくても子供の教育を海外で受けさせたいという親はたくさんいて、留学どころか日本にいてもわざわざインターナショナルスクールに通わせるのが流行るくらいなのに、親の都合で海外で暮らしてるのに子供だけ早く日本に帰らせようなどという親は少なくとも欧米に居住するケースでは極めて少なくなっていると思う。*1

ずいぶん変わったもんである。

★★★

ところで最近は日本にも日本語がぺらぺらの中国人の人が多い。彼らは日本に留学して日本で働いて・・・ところが、中国人同士で結婚して子供ができると、子供の就学年齢のタイミングで「子供の教育のために中国に戻る」と言い出す。

上の裏返しです。ちきりんが聞くと言いにくそうにしてはいるが(それでも彼らははっきり言うのだが)「日本の学校は教育レベルが低いから心配」なんだって。だから子供には中国で教育を受けさせたいと。

しかも「日本は空気もきれいだし食べ物も安心でおいしい。ずっとこっちに住みたいけど、でもやっぱり子供の将来が心配で」中国に戻ることにしました、みたいな。

清華大学とか復旦大学とか、日本に付属校でも出したらすんごい流行るんじゃないかな。在日中国人の師弟市場で。と思わされる。


昔の日本人家庭みたいなケースも最近は散見される。父親は仕事の都合で日本に戻り、お母さんと息子だけが中国に帰っていく・・・


★★★

現在、日本人の在外居住者って北米より中国の方が多くなってると聞いた。ところが子供の教育方針事情はこのふたつはまだ大きく違う。

アメリカに父親が勤務することになると、非常に多くのケースで家族が一緒に渡米している。そして、子供は(昔と異なり)多くが現地校に通う。もっと言えば「子供を現地校に通わせられる地域に家を探す」と言ってもいい。アメリカは地域によって公立校のレベルが非常に違うので、いいエリアを探せば子供を安心して通わせられるからだ。

反対に、中国駐在の場合、まだ父親だけが単身赴任というケースが多い。赴任先が北京や上海か、もしくはもっと不便な場所かという違いもあるだろう。しかしたとえ北京、上海でも、子供が一定年齢以上の場合は家族がついていかないケースはまだ結構あるようだ。

ましてや、子供を「現地校」に通わせよう、という家庭は非常に少ないのではないか。中国にもいわゆるエリート中学校や高校は存在しており、外人の子供でも絶対入れないわけではない。(もちろんアメリカほど外人受け入れに慣れてはいないが。)それでも親はインターナショナルスクールか日本人学校を選ぶケースが大半だ。

これは韓国などでも同じで、親にしてみると「子供が英語が話せるようになるのはすばらしい。」が「子供が中国語や韓国語が話せるようになっても仕方ない」ということらしい。


でもねそのうち、「子供の頃に自然に中国語が学べる機会があるのに、現地校に通わせないなんて、なんてもったいない」という時代も、20年もしないうちにくるんだろうな、と思う。過去の変化を見ていると、そういうことが起ると予測するのは全く不思議じゃない。

親っていうのはいつの時代も、時代からだいたい30年ずれている。そう。親は「子供は、親が生きてきた時代を生きる」と仮定してる。その差が30年なのだ。


★★★


既にあちこちで聞く話ではあるが、最近の大学生に聞くと就職活動時の彼らの外資系志向がすごく強いことに驚かされる。

で、「なんでそんなに外資系に行きたいの?日本企業に行きたくないの?」と聞いてみると、こういう人がいるのだ。

「絶対外資系というわけでもないんですけど、先輩を見ていると優秀な人はみんな外資系に行っているから。」って。


これも20年くらい前の状況を知っている人には信じられないことだと思う。



他にはこういうこと言った子もいたよ。「父が外資系を勧めるから」って。で、「お父さんはどこにおつとめなの?」と聞くと、「三○物○です。」って、財閥系の一流商社の名前を挙げる。

おいおいお父さん、って感じです。



これもまた20年後には「お父さんが勧めるから○○公司を希望してます」とか「優秀な先輩はみんな欧米系か中国系の会社に勤めているので・・」とかいう時代になるんでしょうか。



大丈夫かな、この国。



*1:むしろ子供は生まれてから18までずっと海外生活のためアイデンティティ確認のために日本に帰国する、という“アイデンティティ帰国”が結構多いかもね。

2008-11-14 よくわかる“定額給付金”

定額給付金を巡る議論が楽しすぎる。


なかには「本当に景気浮揚に効果があるのか?」などと言っているまじめなのかアホなのかわからない人がいますが、そもそもこの施策の目的は景気浮揚ではありません。本来の目的は「自民党&公明党としては是非、選挙前に清き一票をお持ちの皆者に現ナマを配りたい」ということなわけで、その本質はずばり“選挙買収活動への公的資金注入。


だから「住民票の登録住所に引換券が送られるこの方式ではホームレスやネットカフェ難民など、本当に困っている人は給付金が受け取れない」とかいう指摘も意味不明。だって「選挙のお知らせが届く場所(=住民票住所)に定額給付金のお知らせも届ける」ことこそがまさに重要なわけで。むしろ“選挙に行かない人にはお金を渡さなくて済むすばらしい方法”なんです。

あと、麻生さんが「俺はもともともらう気がない」と何度も言っているのを「麻生さんは金持ちだから要らないと言っているのだな」と思っている人も間違ってるよ。あれは「俺はそんな金もらわなくても自民党に一票を入れる。そんな俺に買収資金を渡す意味はないだろ」ってことです。


というわけで、せっかくの“国民の税金を使っての自民党の選挙対策資金2兆円”、できるかぎり幅広く有権者に配る必要があるし、できる限り効果的なタイミングで配る必要があるし、できる限り民主党に批判されない形で配る必要がある。



まず最初の「できるだけ幅広く有権者に配る」という点からいう当然、全員に配りたい、というのが本音でしょう。減税方式ではなく給付金方式にするのは年金暮らしのお年寄り(多額の貯金があっても月々の収入は少ないので税金は払っていない)にも配りたい、ということであり、ワープア状態で自民党に怒り狂ってる若者達にもお金渡さなくちゃ、ということだよね。

有権者には幅広く、という意味では本当は所得制限なんかしたくないのだけど、それだと民主党からの「ばらまき」批判がかわせない。で、所得制限という話がでてきてる。

その所得制限、今でてる目安が「年収1800万円」だってのがホントお笑い。そんな年収の高い人何人いるの?って感じです。こんなところで線を引いても“払わなくて済む総額”は微々たるものだと思います。たぶん年収をイチイチチェックするための事務コストの方が大きくなる。つまり、税金はすごく無駄になる。(そういう無駄遣いの税金をまかなうために、3年後には消費税を上げるらしい。)

しかも、お父さんは年収1億円の社長さん!というおうちでも、その奥様と子供2人はちゃんと給付金がもらえるわけで、結局のところはバラマキなわけですが、それでも「一応、所得制限をした!したがってバラマキではない!」と選挙で言いたい。それだけ。

いずれにせよ「年収800万円」とかでは線は引けない。そんなところで引くと「失う票」が多すぎるから。自民党にとって、「今回給付をしない、と決めた人の票」はそのまま民主党に流れる、という覚悟が必要なわけで、「所得制限はするけど、もらえない人の数は極めて少数に抑えたい」というのが本音ということでしょう。



さて、タイミング。ばらまき批判を避けるために年収基準を入れたい!と考えたのはいいですが、事務の手続きに時間がかかるのは避けたい。なぜなら、これは「選挙前に有権者に現ナマを配る」というのが目的なわけですから、お金を配るタイミングは選挙のタイミングと密接に関連しています。

事務がたいへんでお金を配るタイミングが大幅にずれこんだら、選挙もその前後までできません。だから、「早く選挙してほしい」と思っている人ほど「年収制限は不要」みたいなことを言ってます。このあたりもそれぞれの人の“個別事情”が透けて見えてほんとおもしろい。



この年収制限をいくらにするかを地方行政団体に振ったのも超おもろい。もうすぐ再選を考えている市長は所得制限なんて絶対したくないだろう。しかも隣の市が所得制限をしない場合、自分ちだけしたりしたらアホみたいですよね。世田谷区は所得制限するけど杉並区はしない、では区長も区議も次の選挙がもたない。

それにそもそもこのお金は中央の財源から出るわけで、本来なら地方としては入ってくるお金を少なくする(しかも事務も大変になる)所得制限なんて誰もつけたくない。一円でも多く、自分の県や市に住んでる人にお金が落ちてくる方が得でしょ。なんで国が地元民に“くれる”といってるお金を、わざわざ余計な手間をかけてまで一部返却する必要がある?

なので、当面みなさん様子見(中央に睨まれたくないから)だけど、ほんとにこのままの制度で行けば事実上、所得制限なし、ってことになっていくんじゃないかと思います。


で、これはまた皆にとってハッピーなことで、自民党は一応「バラマキではない。所得制限を提示した。」と言え、実際には“地方の判断において”所得制限は行われず、票も逃さず選挙タイミングもそれなりにコントロールできる、と。

おーいいじゃん。

って感じですかね。




あと結構うまいよね、と思うのが、給付の仕組み。人口の少ない超過疎な村を除き普通の都市部では、住民票登録住所に郵送されたクーポンを市役所に持って行き、IDを見せて口座を登録して、でようやく還付されるらしい。でね、確実にいえることは「選挙にいかないよーな奴はたぶんこんな面倒な手続きをとらないだろう」と予測されてる、ってこと。

住んでる市から封書が届いても開封もしないで放っておく人たちってのはたくさんいる。そういう人たちの大半は選挙にも行ってない。そして今回もその封書を開けもせず、したがってクーポンを見つけることもない、と。票につながらない無駄金を使わなくて済むすばらしい方式だよね。



もうひとつ。今回うまいな〜と思うのが、65才以上と18才未満の人への加算金です。ひとり1万2千円なんだけど、高齢者と子供には8千円上乗せして2万円配る、というルール。これもね〜、ものすごく巧く設計されていると思います。

18才以下の子供がいる、特に二人以上いる、となると親の年齢はだいたい35才以上なんです。つまり、上記の“追加加算”により、基本的には若者よりも中高年以降の人に多くのお金を配ることができる、という制度設計になっています。これは、今までも書いているように“選挙に行く層”なわけで、この施策のそもそもの趣旨である「票を金で買う!」という点に照らして余りにもきれいに設計されてますよね。ほんと頭イイ人たちだ。



まあ、ちきりんとしては今回の施策、そんなに反対でもありません。結構いろいろ値上がりしてるし、国民に一定額のお小遣い配るのは悪くないかも、と思うし(国においとくよりいいでしょ)、お年寄りと子供に手厚いのも悪くない。財政赤字がっていう人がいますが、そんなんこんな規模でどーこーなる話じゃないし。

ただこんなややこしい仕組みにすると確実に「これをネタにした振り込み詐欺」が急増するわけで・・・総額2兆円のうち、1兆円くらいが高齢者に配られるじゃん。で、そのうち1割の1000億円くらいが振り込み詐欺されて若者に還元される感じかな、と思う。で、その1000億円の詐欺を防ぐために、警察が対策を強化するでしょ。その予算がだいたい2000億円くらいで、それが税金として増税される、と。さて、全体の国民負担はいったいいくらでしょう?と。そんな感じ?*1




というわけで・・どうせこんなあからさまなことするんだったら、もっと明確にしちゃえばいーんじゃないか、とも思うよね。たとえば「選挙に行った人に、投票所で1万円渡します。」とかね。おっとそれじゃあ与党にいれてない人にも渡すことになるからだめか。

じゃあ、「公明党か自民党に入れると約束した人に1万円渡します」ってのはどう?「麻生支持の人には8千円加算あり」で。

あと、給食費の滞納が多いそうだから、子供に関しては「学校にまとめて支給し、給食費滞納してる場合は相殺」とかどうかしら?

その他、「非正規雇用の人に一律3万円!」とか、「失業したら10万円!!」「できちゃった婚で2万円!!!」とか。どうせバラまくなら派手に行こうぜと。


こういうのブログ界隈で案を募れば山ほど楽しい案がでてきそうだけどな。「派遣切りをした企業の正社員には配布無し!」ってのはどうよ?


そういえば、アメリカの電話会社とかって「ライバル会社からうちに切り替えてくれると○○円」というキャンペーンがよくあるので、そういうのも使ってもいいかも。

「初めて選挙行く人に1万円!」

「今まで野党に入れてたのに今回は与党に入れるなら5万円!」

ええい、今まで共産党にいれてた人には、転向奨励金8万円だあ!」

みたいなね。



まあ、好きにやってください。なんせ「世帯ごとに現ナマ入り封筒を配る」ってのは創価学会が大好きな方法ですからね。頭痛いですけどしかたないです。


そんじゃーね。





追記)本当はお金は何に使うべきなのか?

こちらをどうぞ↓

http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20081202

*1:おちゃらけブログですから・・真に受けないように

2008-11-13 体力ないなあ〜

こっちに来てから初めての休日の大半を、熱にうなされベッドの上ですごしたちきりんです。あ〜疲れた〜。まだ結構、熱は残ってる。ムカムカふらふらするし。つらいなあ。食べ物もひどいし。



いつだったか、これからの時代、実力に加えて「プレッシャー耐性」が必要だと書きました*1。先日までの大統領選挙を見ていてもうひとつ感じたのは、非常に高い「エネルギーレベル」(=体力と気力)もこれから活躍する人には必須だよな〜ということ。

マケイン氏、72才ですよ。信じられます??

72才であの選挙運動。一日7つの州を飛行機で回ってシャウトしながら遊説。

ちきりんなんて今でも無理だわ。倒れちゃうと思う。



やっぱ一国のリーダー。有事の際には不眠不休で指揮をとらないといけないわけで、一定の体力がない人は(選挙期間中に)脱落するように作られている。それなりのシステムだよね、と思います。

日本なんてちょっと地方遊説が重なったらのどを痛めて入院、みたいな人がトップを狙ってますからね。全然ちゃうよな〜と思います。

もしも戦争になったら軍備とか資源とかで圧倒的に勝っていても、リーダーの体力ひとつで負けそうだよね、日本って。って思います。



よく「これからは体力が大事」という時、「体力」と「知力」を“対”にして、つまり相反するふたつの能力として位置づける人がいるけど、ちきりんはそれは違うよね、と思っています。

今や「知力の前提は体力」だと思う。体力のない人が他人より深く深く考えたり、より意味ある結果にたどり着くのはもう無理じゃないかな。「考える体力」がないと「考える能力」だけあってもどーしようもない、って時代になってると思う。

だってさ、まずは舞台が広くなっているでしょう。交通機関が発達してない頃は“江戸市中”だけで勝負してればよかった。でも、新幹線と飛行機で“日本国中を飛び回って”という仕事の仕方が生まれ、今や“世界を飛び回って”働く人も少なくない。

「毎月一度はシリコンバレーから日本に帰ってきて」とかいう仕事の仕方って、体力のある人にはなんのこともないのでしょうが、実はすんごく疲れることです。しかもそれを数年やるだけならともかく、30代から20年ずっとそうしてます、みたいなのって、もう能力とか先見性とか行動力とかの話じゃなくて、純粋に「体力勝負」みたいになってると思います。

長距離移動に耐えられるだけでなく、時差もあるし、環境の違いも大きい。どこでも寝られて何でもおいしく食べられる、世界のどこでも体力を日々リカバーできる。そういう人でないとこれからは“何かを成し遂げる”のは無理かもね、って思います。



そして、マケイン氏を見ていてもわかるわけですが、こういう体力が必ずしも年齢に相関しないってのが事実なわけで、これが後天的なモノなのか先天的なものなのかわかりませんが、ちきりんなんてのは、たぶん先天的にあんまり体力がありません。っていうか、数で言えばあんな異常なエネルギーレベルがある人ってのは極めて限られているし、そこまでいかなくても世の中で一定レベル認められる人が持つエネルギーレベルってのは、普通の人にはないレベルのものだと思います。

そして、自分がそういうエネルギーレベルをもっている、と思わないのであれば、早めに仕事以外のこと、たとえば趣味なり家族なり友人との遊びなりに軸足を動かした方がいいかもね、とも思います。仕事の選び方もしかり、ですが。


ところで、自分に能力があるかどうか、というのはなかなかわかりにくいでしょ。なんだかんだ言っても皆「あると信じたい」から判断が難しい。だけど自分には高い体力・気力(エネルギーレベル)があるか?ってのは比較的客観的に判断できるんじゃないかしら。

そして「ああ、そうでもないかも」と思うなら、早めに軌道修正するってのが悪くない気がするですよ。(反対にこれまで「俺って能力系では負けてきたよな〜」とか思う人でも、体力に自信があるなら結構可能性あるんじゃないかな。)

だいたい休日をだらだらウロウロ過ごすのが好きな人にエネルギーレベルの高い人はいないと思う。“おうちご飯”が好きな人に何かが成し遂げられたりはしないよね、と思います。



So what ?


いや別に。


じゃね。




.

*1:「実力」×「プレッシャー耐性」:http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20080810

2008-11-11 出張飯

本日はここ数日ちきりんが食べているものの写真を。


まずは朝ご飯でよく頼むベーグル+クリームチーズ。アメリカの食べ物の中で数少ない好きなモノのひとつ、ベーグルですが、固くて消化に力がいるので、元気な時はいいけど疲れてくるとつらい食べ物です・・

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アメリカは(ってか、世界中かも)すんごい寿司ブーム。下記のようなボックスランチが1000円ちょいで手に入ります。ご飯はおいしくないが、ネタは非常においしい。ランチによく買います。

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下記もよく食べるデリランチ。NYのデリには「量り売り」のビュッフェがたくさんありバラエティも豊富です。下記で1000円くらい。円高のおかげでいつもより安いです。

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下記は店で頼む時の定番、シーザーサラダ。ちきりんなんてこれとパンだけで十分。たまにすごおくおなかがすいてればスープも頼む、って感じで、メインなんて全く必要ありません。

これもね、野菜はいいのですがチーズたっぷりでおなかにもたれます。

ああ、さっぱりしたものが食べたい。

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だんだん疲れてくると、コンビニでバナナとカットフルーツ(すみません、食べかけ写真です)買ってきて終わりにしたりします。

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最後はホテルのウエルカムフルーツのチョコイチゴ。イチゴもチョコも大好きなのでちょっとひといき。きれいだし。

f:id:Chikirin:20081111192108j:image


ちなみにここで載せている食事は全部、自分一人でご飯を食べた時のものです。他のメンバーとレストランに行ったり、大きなイベントで食べたり、もあり、そういう時はどどんとアメリカ的フルコースだの巨大な肉だの食ってます。

ですが、そーゆー時は食事の写真は撮らないです。食事とはいっても仕事中だから、という理由もありますが、レストランで食事の写真撮ると必ず誰かに「ちきりんさん、もしかしてブログ書いてるの?」とか聞かれるからなんです。

嘘つきたくないので、できる限り人前では写真とらないちきりんです。



というわけで、まだまだ続く異国の旅。

頑張ります!

ではね!!

2008-11-09 長距離バスターミナルを作って欲しい

私は昔、いわゆるバックパッカーというか放浪系の海外一人旅をしていて、その頃よく「なんでこれって日本にないの?」と思っていたのが、大規模バスターミナルです。

一番ナイスなのは中南米や南米。あのあたりって長距離旅客輸送におけるバスのシェアがすごく高い。

最近ではブラジルなど、国内線飛行機に乗る人も増えてるけど、貧しい人は飛行機には乗れないし、そもそも小さな町には飛行場もありません。

当然、自家用車を持たない多くの庶民にとって、バスは唯一の長距離移動手段なんです。(念のため書いておくと、鉄道網もありません)


一方、たいていの街や村にバスターミナルだけはあって、その路線網たるやすごい密度で国土をカバーしています。バスに乗ればほぼすべての村に行けてしまうというくらい。

もちろんバスはおんぼろで、大半が欧米で使い古された中古バス。それがまたウン十年使われてる。

そういえば昔、ベトナムでは京都の市バスが走ってましたね。今でも日本の中古バスの多くは、アジアに売られているのでしょう。


南米のバスは日本よりかなり早いスピードで走るけど、高速道路じゃないし国土もでかいので、丸 2日間バスに乗り続ける、みたいな場合もあります。

でも、この“一昼夜のバスの旅”ってのがバックパッカーにはなんともいえず情緒があって、まさに旅の醍醐味なんです。

私も長距離バスに加え、バスターミナルそのものが“陶酔”できるレベルに大好きでした。


大都市の長距離バスターミナルは巨大な建造物で、排気ガスでグレーにくすんでる。

周辺には路上で夜をすごす宿賃を払えない(払いたくない)人たちが寝そべっている。

建物の中では様々にごちゃごちゃな旅人達が交差する。

誰彼なく話しかける客引きや物売りの子供たちも。


排ガスをまき散らす巨大で壊れかけたバスの大列は真夜中まで発着を続けてて、

泣き叫ぶ子供を背中にくくりつけ、何人もの子供達を引き連れるお母さん。

片隅に座り込む片足のない物乞いに、大声で喧嘩する人たち。


そういう喧噪と埃の中で、たった一人で、何時間もその景色を眺めているのが大好きだった。

楽しいというより陶酔してしまう感じ。フェリーニの映画の世界のような、何か特殊な側に入り込んでしまう感覚。

静かな興奮と奇妙な幸せ感とともに、何時間も何時間もバスターミナルですごした記憶があります。


自分のバスが来て乗り込むと 1時間後に出発。真っ暗闇の中をバスは疾走する。

高速道路ではなく一般道路。ところどころ舗装も途切れてるし、もちろん街灯もないから、バスのライトが照らす数メートル先までしか明かりは届かない。

それでも相当のスピードで時に大きくジャンプしながら一気に闇を切り裂いて進むおんぼろバス。

数時間に一度、休憩するんだけど、真夜中だというのにほとんど裸のような少年達が闇から現れ、しなびた果物や奇っ怪な食べ物を売ろうとする。

トイレは板垣の中に穴を掘っただけのような簡易版。近寄りたくないと思える異臭と顔に激突してくる巨大なハエ。


固い座席に耐えられず、まずはバスを降り、トイレを済ませ、ストレッチ。

集まってきたモノ売りから、いくらかマシに思えるオレンジやバナナを選んで買う。

決してカメラを出して撮影しようなどとは思えない光景。


バスが再度走り始め、強い眠気が襲ってきても、まずは鞄や貴重品をあちこちにくくりつける。

バスに乗り込む悪党達にとって、ちきりんなんて本当によいカモだから。


明け方に見知らぬ街のバスターミナルに着いた時もほんとうに感動する。

出発地の大都市の巨大ターミナルとは異なる、田舎の寂れた、平和でほっこりとしたバス乗り場。

薄ら明るい夜明けに、薄い豆の皮が浮いたスープを売る屋台と、立ったままそれを両手に抱えて大事そうに食べている人たち。

ちきりんが大きなバックを肩にしょって歩き出すと、多くの客引きがやってくる。

私が今日泊まるホテルを探いていることは、すべての人にとってあまりにも自明のことだから。


・・・と、んなこと書いてると長くなるので、話を長距離バスに戻します。


長距離バスは欧州、そしてアメリカにもあるよね。

アメリカでは“グレイハウンド“が大手かな。他に、各地のチャイナタウンをつなぐ“チャイナバス”が最近は人気。

欧州でも大都市には結構大きなバスターミナルがある。

というか、そもそもこの欧州のシステムが植民地政策とともに南米に持ち込まれたんじゃないかな。

国際列車、飛行機網ともに発達している欧州でも“長距離移動手段のバス”は一定の地位を占めている。

加えて韓国ドラマを見ていると、すごくよく“長距離バスターミナル”がでてくる。

ソウルのそれはかなり大規模で近代的。バスもとても快適そう。


それにしても、なんで日本は長距離バス文化がないの?


日本の特徴は鉄道網が異常に発達してること。

どんな辺鄙なところでも、バスではなく鉄道を誘致しようとする日本の行動はかなり異常な気がする。

バスが一日 2便到着するのは問題ないけど、すんごい立派な駅舎を作って停まる電車が一日数本とか、持つはずないじゃん。


で、ずっと思ってた。「なんでだろ???」って。

なんで日本には長距離バス文化がないのだ?って。


ただ最近は、東京駅の八重洲口だったり、、京都駅だったりに夜に行ってみれば、少しだけあのバスターミナルの雰囲気が味わえる。

今、東京駅と各地方を結ぶ格安バスが大人気だから。夜中になると駅の周りでバスを待つ人たちがすんごい賑わってる。

ようやく日本にも長距離バス文化が! と思うと同時に「ああもったいない」とも思います。


やっぱり多くのバスが集中的に発着する長距離バスターミナルを、東京にも是非作ってほしい。

そして日本中に向けて走るバスを夜中に出発させてほしい。


東京駅、あんなごちゃごちゃなバス乗り場を放置してたら、そのうち事故が起るだよ。

それにバス乗り場が広くなったらもっとバスも路線も増えて経済効果もあるですよ。観光促進にもきっとメリットあるよ。

なので、(誰の役目だか知らんが)検討してね!



f:id:Chikirin:20150810175729j:image:medium

そんじゃよろしく。


http://d.hatena.ne.jp/Chikirin+personal/  http://d.hatena.ne.jp/Chikirin+shop/

2008-11-08 無力な人

昨日のエントリが“小室哲哉を含むホットエントリ”にリストされてて驚いた。

「含んでないじゃん、んなもん」と思って。


でも“関連エントリ”のところにもちゃんと他の方が書かれた小室関係の記事やエントリが並んでる。


なんで?



読んだ人が“ああ、Kっていうのは小室のことだ”とわかるのは当然だ。でも“はてな”のシステムが(まさか手動じゃあるまいし)、あれが小室のことだとわかるのはなぜ?



理由は・・・多くのブックマーカーの方が“小室哲哉というタグ”をつけたから、だよね。


つまり、そのエントリが“いったい何についてのエントリなのか?”というのは、書き手が決められることではない、ってこと。ちきりんが何について書こうが、タグが小室なら、“はてな”システムはあのエントリを“小室についてのカテゴリ−”と認識するわけ。


言われてみればそりゃーそーだ。ちきりんが“これはすごい!”と思ってもブックマーカーさんが“これはひどい”と思えば、そう認識されるわけで。


あっそう、って感じである。


あっそう。



なにって?


昭和天皇のまね。


あっそう。



★★★

筑紫哲也さんのご冥福をお祈りします。

何度かお目にかかりましたが、非常に骨のある、時代を体現した方だったと思います。

ああいう人を見ると、一定の年齢からは“芯”が大事だな〜と思います。古いといわれようと時代遅れと言われようと、俺はコレ、というのがあるのはいい感じだなと。敬愛できる感じになりますね。



中年よ、大芯を抱け!





あっそう。



んじゃ。

2008-11-06 オバマ氏 大勝!

遅くなってすみません〜。ようやく落ち着きました。

いや〜、オバマ氏、予想通り(予想を超えた?)大勝でしたね。


ちきりんもアメリカ入りしており現地で精力的に活動しております。

皆さんにいろいろお伝えしたいこともあるのですが、無料のブログに書けることには限界もあり & ちきりんもまだまだちょっと忙しいので、書ける範囲で一番おもしろかったインタビューコメントをひとつだけ書いておきましょう。


ちきりん:「オバマ氏大勝ですね!うれしいですか?」


オバマ氏応援集会の参加者:

「もちろんうれしいさ。(オバマの勝利を)この国で喜んでるのはせいぜい1億人だけど、今この瞬間に世界中で50億人以上が心から喜んでくれてるかと思うと、ほんとに“いいことした”って感じがするよ。」



なかなかナイスなコメントでしょ?


じゃーまたね!

2008-11-04 起業家達の2008年

リーマンショックから始まった世界の金融混乱、その結果としての信用収縮が不動産業界を直撃したことにより、逝ってしまったふたつの会社について書いておきたいと思います。


株式会社リプラス

創業者社長は、姜 裕文(かん・ひろふみ)氏。1971年(昭和46年)兵庫県生まれ。

灘高から東大経済学部へ。大学時代は芝居にのめり込む。95年に新卒でボストンコンサルティンググループ(BCG)=戦略コンサルティング会社に就職し3年在籍。

その後、家業の経営に参画するが“理屈と理想”に先走った改革が大失敗。創業者である祖父に会社を追い出される。

2000年、BCGの大物パートナーが退職して創業したドリームインキュベーターというベンチャーキャピタル(かな?)の創業に誘われ執行役員として参加。

2002年、株式会社リプラスを創業。

「保証人や多額の保証金、敷金、礼金等がなくてもアパートが借りられる仕組み」を提供する事業を開始。フリーターや元ホームレス、留学生でもアパートが借りられるということで事業は急成長。会社は2004年年末に東証マザーズに上場。最近は不動産開発投資事業にも積極的に関与。

今年 8月民事再生の申請。従業員(単体)で 800人弱。



都市デザインシステム

代表梶原文生。1965年東京生まれ。

1989年、東北大学工学部建築学科卒業。大学時代はボート部に所属。卒業後、起業のための 3年間と考えて、リクルートコスモス社に入社。マンションの設計、営業、企画などを経験。

1992年 都市デザインシステム設立。コーポラティブハウスのコーディネイト事業を開始。

最近は、古いホテルのデザインホテルへのリノベーションや、企業の社員寮を老人ホームへ改修転用するコンバージョン事業、大規模なリゾート開発などにも事業を拡大。

今年 8月、民事再生法の適用を申請。従業員は 200名弱。


★★★


今あなたが大学生で、将来起業したいと思っていて、もしもある程度成功したと思える時がきたならば、こういう人にアドバイスをもらいに行けばいいと思う。

個人的な指向と事情があうならば、順調に成長しつつあるあなたの会社の取締役への就任を依頼するのもいいかもしれない。

このふたりがもつ経験値は、まさにこれからの若き起業家達に必要な知恵そのものだから。


孫正義氏が起業を考えていた頃、当時日本マクドナルドを率いていた藤田田氏を訪ねてアドバイスを乞うた話は有名だけれど、溢れ出るエネルギーと高い志、新しいものへの強い希求をもって起業する若い人達にとって、波乱の歴史の中で様々な成功と失敗の経験をもつ先輩達の助言は、千金の価値を持つはず。

シリコンバレーが起業家の孵化エリアとしてもつ機能の一つは、こうした“起業家としての先輩”がすぐ近くにたくさんいて、それぞれの発展段階で必要な知恵と助言を与えてくれる先輩を、しかも自分に合う人を、容易に見つけられることだと思う。

“日本でもベンチャーが育つ風土を”という試みはお役所主導で何度も行われているけれど、日本で若い起業家達に意味ある助言ができる経営者はまだ多くありません。

孫氏が藤田氏を訪ねたのも、経団連企業のような大企業だの財閥企業だのの“組織内部で上り詰めた型の社長”に会っても、自分にとって意味ある助言が得られないと考えたからでしょう。

ましてや日本で一番保守的な選択をした公務員の人達に“起業家支援”とか言われても・・って感じだよね。

その他にも、孫氏は京セラの稲盛氏にも助言をもらいによく通っていた。稲森氏も創業型の社長であり世界を舞台にできる起業を育てた経営者です。孫社長が、“自分に必要な知恵を誰が持っているか、ということに極めて意識的”だったとがよくわかります。


日本に起業という産業が(起業という生き方ではなくて)根付くためには、一定数の起業経験のある人達の層が必要となります。これから相当数の起業家がでてこないと、“企業の成長の各段階でアドバイスをしてくれる、成功経験者と失敗経験者”が揃わない。

でも今後は、そういう人も少しずつ増えてくるよね、と、上記 2社の破綻を聞いて、ちきりんは感じました。「この破綻の経験は、これから起業する人達にも、むっちゃ役に立つでしょ」と。


★★★


日本における起業家の歴史をどこまで遡るか。パナソニックもホンダもソニーも、その“創業のストーリー”はまだ色あせていないし、それぞれの創業者達もとても魅力的です。


とはいえ、もうちょっと近いところから始めれば、ちきりん的には 1999 / 2000年辺りの“IT起業ブーム”が第一次起業ブームだったと思う。

当時、若者達は夜な夜な渋谷に集まり、連日名刺を配り集めるだけの“ネットワーキング”を“起業準備”だと思っていた。彼らの集まりに専用飛行機だかヘリだかで駆けつけた孫さんは、彼らの時代のヒーローでした。


2000年にITバブルが弾けた後にやってきた二次ブームの担い手達が、一次ブームから抜け出た“ホリエモン”であり折口氏、三木谷氏などです。

彼らは時代の波を捉え、“六本木ヒルズ”という成功の館に集まります。資本という権力を手にいれた彼らは、高らかに既存勢力との戦いを宣言したけれど、その多くが“体制側にある権力”や“既存制度の巧妙さ”にねじ伏せられ退散せざるを得ませんでした。


最初に書いたリプラスの姜社長と都市デザインシステムの梶原社長は、その後の起業グループです。第一次の起業家達は“時代のブームに乗った”人達。二番目のグループは、無謀ともいえるその言動が特徴的な“社会からとんがりでた人達”でした。


ではリプラスと都市デザインシステムの共通点は?


(1)ふたりとも最初から起業を目指してた

姜氏の選んだキャリア(外資系コンサルティング→実業経営参画→創業に参加)は、今となってはあまりにも典型的な“起業への道”だし、梶原氏も最初から“業界の仕組みを学ぶために 3年だけ働く”と決めて就職しています。

ふたりとも“最終的には起業する”と決めていて、そのために新卒時の就職をしてる。“何も考えずに興銀に入った”三木谷社長とは異なるキャリアの選び方です。


(2)社会構造の変革を目指してた

姜氏がなぜ“保証人がいなくてもアパートが借りられるシステム”を作ろうと思ったか、理解できない人はいないでしょう。

梶原氏が始めた“コーポラティブハウス”は、一生をかけてなローンを組んで買う家という商品が、あまりにも供給者側の論理で作られていることへの、建築を学んだ学生からの素朴な反発だったと思います。

ふたりとも「今の制度はおかしいだろう? 世の中はこうあるべきだ!」という気持ちから、最初の事業を選んでいます。


(3)どんどん“普通”に近づいてる

第一次起業ブームの時、『ネット起業! あのバカにやらせてみよう』という本がでてました。これは当時のブームをよく表している。当時起業していたのはまさに「あのバカ」であり、そこにでてくる人達は、ちょっと自分の周りにはいないよね(いると困るよね)と思えるほど変わった人達でした。

第二次ブームの人達は、それよりは普通の人達だし、事業内容もより現実的。

しかしながら彼らの既存産業との戦い方は、やはり既存のビジネス常識からはかけ離れていたんだと思います。制度ができたばかりの介護事業になんのノウハウもないところから参入したり、テレビ局を買収、野球球団を保有するなど、猛スピードで既存の体制を変えようとしたり・・・。

「なんでそこまで過激で戦闘的かな」と思うような仕事のやり方や、創業者であるトップがテレビにでまくり「広告塔」となって企業価値をあげ、事業拡大に利用するモデルもこの時期の特徴だったと思います。

今回のふたりも、“平均的な大学生”ではなかったかもしれないけれど、とはいえ、ものすごく特殊、という感じもしません。

仕事のやり方も、世間に喧嘩を売るようなやり方ではありません。起業家が、起業するということが、どんどん“普通のこと”になってきている、と感じられます。


(4)企業の誕生、成長、終焉のパターンが同じ

第一次ブームの起業は、潰れたというより“始まってなかった”って感じがします。中身のないことがブームで騒がれ、ブームが終わるとなくなった、それだけ。

第二次ブームの人達は、株式公開が間に合った。株価が高いうちに多額の資本を手に入れた。それを元にして、成長をドライブ。そして潰れ方も共通している。“無茶をして調子に乗りすぎ、既存権力に潰されました”ってパターン。

今回の 2社も、その軌道を一つにしています。


創業はバブルの後で必ずしも景気のいい時ではない。社会の“おかしさ”に目をつけた若者が、有るべき姿を目指して起業。ニッチ市場ではあるけれど、一定のニーズを掴んで成長する。

でも、ニッチな分野だけでは既存の産業に追いつけません。

結局はどんどんレバレッジを掛けて事業を拡大していく必要があります。その矢先、リーマンショックで資金が完全に引き揚げられ、すべてが終わってしまう。


事業そのものとは無関係に見える「信用収縮」ということが、これだけ簡単に何年もの創意工夫と努力と熱意をかけた事業を一瞬にして潰してしまうのだという事実は、彼らにとって驚愕であり、文字通り信じられないことだろうし、茫然自失の出来事だと思います。

だからこそ、“起業家としての経験”という目で、この二人と二社の歩みを見れば、まさに今回の破綻こそが「こんなに貴重な経験をもつ人達が日本にも出てきた始めたよ!!」という声を上げたくなるほどの価値ある経験と学びだと思える。

こういう人こそが、日本にたくさん必要なのだよね。こういう衝撃的な体験をした人がたくさんいて、後輩にアドバイスを始めて、そして初めて日本でも、企業成長の各ステージにおける種々の難関を乗り越えられる人が出てき始める。


★★★


第一次ブームで「そうか、事業実体がないと単に仲間で盛り上がって起業してもあかんのだな」と気がついた。

第二次ブームで「金に物を言わせ、派手に既存産業に喧嘩を売るようなやり方は賢くないな」と学んだ。

そして第三次ブームで「ビジネスはいつ何時何があるかわからない。何十年も成長を続けるには、そういった危機を乗り越えないとだめなんだ」と学んだ起業家たち。


そう。パナソニックやホンダは、オイルショックも円高も対日バッシングも乗り切った。マイクロソフトも多くの訴訟やネット時代への対応遅れを乗り切った。

リーマンショックも含め、こういう「どうしようもないだろ?」と見える危機を乗り切る企業だけが世界トップに駆け上がることができる。

グーグルをはじめ、世界の高みを狙う企業の多くが、経営者のアドバイザリーとして二回りも年代の違うシニアな先達を積極的に迎え入れることにはちゃんとした意味がある、ってことだと思う。



リプラスと都市デザインシステムの破綻は残念なことです。ふたりとも立ち直るのに最低でも数年は必要でしょう。

けれども、彼らが今回手にいれたものは、宝の杖です。彼らがこれからの数年で学んでいくであろうことは、大企業に何十年勤め上げて出世しても決して手に入れられないものなのだから。


何事にも時間のかかる国ではあるけれど、それでも少しずつ進化していると思える。


若者よ。大志を抱いてね。少しずつ、条件は整っていくですよ。


頑張って!


そんじゃーね。

2008-11-03 終電

ある日の夜。ちきりんは新大阪から東京にむけての新幹線に乗り込んだ。東京までいく今日の最後の新幹線だ。乗客はサラリーマンが多い。さすがにみんな疲れた顔をしている。ちきりんも疲れている。

多くがビールを飲むか、眠りこけている。話している人はすごく少ない。昼間ならパソコンで仕事している人もいるのだが、さすがに最後の東京行き。空気がどんよりしている。

ちきりんも乗り込んですぐにうたた寝を始めた。ぐったりしていた。


と、近くから「すみません、起きてください。すみません!」という大きな声が聞こえた。ちきりんもはっと目が覚めたが、ちきりんだけではなく、その席の周りの人が数名不機嫌そうな顔で眠りから目覚めた。

話しかけられているのはちきりんではなかった。ちきりんの斜め前の席、三人席の通路側に座ったおじさんだった。(ちきりんはひとつ後ろの列の二人席窓側に座っていた。)

そのおじさんはすっかり赤い顔でぐーぐー眠っていて、全く起きる気配がなかった。さっきの駅から乗り込んできたらしい若手サラリーマンのお兄さんが、通路に立ったままそのおじさんを起こそうとしていた。「そこ、僕の席だと思うんです。起きてくださいっ」って。


でもおじさんは全く起きない。

ちきりんは時計を見た。どうやら名古屋を過ぎたらしい。この若いお兄さんは名古屋から乗ってきたのだろう。車会社に行ってきたのかなあ、と思った。

お兄さんは困っていた。手にはビールとお弁当。早く座って食べたいだろうに。


そこに検札のための車掌さんが通りかかった。若いお兄さんはほっとして車掌さんに訴えた。「私の席だと思うんですけど、この人が起きなくて・・」若いお兄さんは自分の切符を車掌さんに渡した。

車掌さんは切符と席を確認して、「そうですね」と言った後、おじさんを起こし始めた。声だけでなく肩に手をおいて揺り動かしながら起こそうとした。「お客さん!起きてください。すみませんが席の確認をさせてください。切符お持ちですか?」って。

うるさくて寝られなくなったちきりんはぼーっとそのおじさんを見ていた。ホント迷惑なやっちゃな。飲み過ぎだって。早く起きなよ。若いおにーさん、可哀想じゃん。


もうひとりの車掌さんが通りかかった。最初からいる車掌さんはわりと年配の人、後からやってきたのは新人って感じの車掌さんだ。何事かと席をのぞき込む。大人が3人も通路に立っているからなんだか大ごとモードになってきた。

年配の車掌さんは、「すみません、お客さん、切符は?切符は?」と酔っぱらいさんの顔面でのぞき込む。ようやく酔っぱらいおじさんは少しだけ目覚めたらしい。内ポケットに手を入れようとしている。そこに切符があるんだろう。

でも酔っぱらっていて全然手が定まらない。宙に浮いている。


困った感じの空気が流れた。


そこへ若い車掌さんが動いた。さっとその酔っぱらいの人の上着の内ポケットに手を差し入れたのだ。もう片方の手で上着を大きくひろげて。「すみません、見せていただきますよ」って言って。

おおっ!やるじゃん!!

と思った。そうさ、それくらい許されるだろーよ。


切符はすぐに見つかった。若い車掌さんはそれを取り上げて自分の目の前にもってきた。

やれやれ。

手のかかるおっさんである。


年配の車掌さんが言った。「席どこ?二人で連れて行こう。」と。

そうね、それがいい。

それにしても車掌さんって大変な仕事だな。結構メタボなおじさんだ。きっと重いだろう。ちきりんはあくびをして様子を見ていた。



新幹線は名古屋を出てからもう15分は走っている。次は新横浜だからまた停車までには時間があるが、こんな長い時間立たされてちゃあ、席をとられたサラリーマンのお兄さんはいい迷惑だ。


若い車掌さんはまだ切符を見ている。

「席どこ?」年配の車掌さんがもう一度言った。

「あっ、はい。」新人車掌が答えた。



「この人の切符、



博多行きです。



新大阪から。」





周辺の全員が固まった。

ちきりんもはっきりと目が覚めた。






ほんの数秒間だが、二人の車掌は


お互いを見つめ合っていた。








実話。

(笑っていただけました?)





まとめ

(1)この新幹線は東京行きの“最終”である。

(2)次の停車駅は新横浜である。

(3)明日も平日である。



その後のお話

(1)おじさんは結局新横浜まで目覚めなかった。

(2)若いサラリーマンはグリーン車の空き席に案内されていった。(普通席はほぼ満席だった。)

(3)新横浜で車掌さんが二人戻ってきて、酔っぱらいさんを(文字通り)引きずりおろした。

(4)その後はわかんない。




大変だっただろうな。

奥さんに怒られただろうな。(ある意味あそこで目覚めるよりは、幸せである。)

上司にも怒られただろうな。(翌日会社に間に合うとは思えない)

お金もかかっただろうな。(確か日付が変わると新たな切符が必要)

寒かっただろうな・・(どこに寝たんだろ??)


飲み過ぎに気をつけましょうね。

2008-11-02 立法は(ネットで)全員で。

ちきりんはITやネットに全くついていっていない*1。知識も経験も関心もレベルが低い。なんだけど、ネットやらITへの“期待”は非常に大きい。これはすごい!と思ってる。世の中を変える、と確信してる。


新聞業界は崩壊するよね、と書いたエントリ*2のコメント欄でも触れたけど、大事件が起きた時にそれに関するすべてのサイトをまとめて表示するようなサイトを、遠くない未来にグーグルとかが立ち上げてくれると信じてる。

たとえば脳疾患を起こした妊婦が搬送先を見つけられずに死亡した、という事件が起これば、時系列の説明サイト、当事者のHP(病院や東京都や厚生労働省の関連ページ)や、専門的な医学的解説をしている医師のブログ、過去の医療事故の判例(体制が整っていないのに受け入れてしまうこと自体が罪になる可能性があるなど)が詳説してあるサイト、記者会見やニュースの動画、妊婦の死亡事故の過去の統計ページ、個人が感想を書いたブログなどを即座にまとめたサイトが自動的に生成される、みたいな。

ニュース版のウィキペディアと言ってもいいし、まとめサイトの一種と考えてもいい。それが今のグーグルのニュース画面みたく、分野別に列挙され載っている。毎日更新される。そしてネットが苦手な人向けに、事件ごとにそういうのをプリントしてファックスしてくれたりテレビに配信してくれるサービスができる。(アーカイブを管理するビジネスのイメージ)

そういうのが出来たら、「医師が一人いるならなぜ受け入れられなかったのか?」のような意味不明なコメントを繰り返す単細胞なキャスターや、厚生労働省や地方自治体を責めればよいと考えている安直な新聞の存在価値は消えてしまうだろうが、反対に「じゃあ、この問題はどう解決していけばいいのか?」という、より実践的で問題解決型の議論が起こりやすくなる、と思う。

そしてネットの中でそういう議論を率いていく人が、“ネット世代のリーダーシップ”という概念を新たに作っていくだろう。それ諷に言えば“リーダーシップ2.0”だ。

今までって“リーダーシップ”っていうと、すごく“人間系”のスキルが重要だった。話し方、プレゼンス、リアル社会での知り合いの多さ、顔の広さ、みたいなね。

でも、ネット上の議論を率いるリーダーなら、ITやネットに関するリタラシー、議論の方法論に関する知識、ネット上で議論するための経験値(生産性のない非難の応酬をどう避けるかなどの知恵)の方が大事なんじゃないか。世間で典型的に想像されるリーダー像よりは、もっと“オタッキー”なタイプのリーダーが、そういうのを率いていくんじゃないか、という気がする。


と、前置きが長くなった。


へっ? まだ前置きだったの???


すみません・・・


本題に入ろう。


ちきりんが、ネットがリアル社会を大きく変えると期待しているひとつの分野が「政治の世界」だ。これも繰り返し*3だが、生体認証により、投票がネットで(携帯かPCから)できるとなれば、投票者のプロファイルは大きく変わる。これは世の中を変えうるインパクトを持つと思うし、反対に“それ以外にこの国の政治体制を変える方法論なんてありうる?”くらいにちきりんは考えている。

このことの必要性(可能性ではなく、必要性ね)を強く感じるのが、あまりにも顕著な「考えの足りない立法措置」の連続だ。

たとえば、障害者自立支援法。障害者が日々の生活をするのに必要な支援を受けると、その費用の一割を負担すべし、という内容を含む法律だ。この法律、分断されていた障害者関連法案をひとつにまとめるなどそれなりの意義もあるのだが、「根本的におかしな思想」が含まれている。

だって障害が重度の人ほどより多くの(長時間の)サービスの利用が必要ということは誰でもわかる。そして障害が重度なほど収入が得られないということも誰でも分かる。すると、障害が重度な人ほど、「収入は少ないのに、必要な支援が多い=(一割)負担額も大きくなる」となってしまう。

誰が考えても“変”でしょ。普通は障害が重度であればあるほど、負担を少なくすべきだし、多くの支援を受けられるようにすべきだ、よね。

ちきりんはこの「根本原則が変」という法律が最近多いなあと思うのですよ。


後期高齢者医療保険も同じ。保険ってのは「若い健康なうちにお金をためておいて、年をとって病気になりやすくなったら医療費を払ってもらう」という仕組みだ。なのに、病気になりやすくなった人だけを分離して(保険)制度を作るってどーゆーこと?それは保険と呼ばないだろう?

ご丁寧に役所は、若い人が入っている保険組合に対して「あなたがたの払っている保険料がこんなに高齢者の医療に使われているのですよ」などというプロパガンダを始めているのだが、あまりに意味不明。

官僚はこの宣伝によって「そうか、じゃあ、高齢者を分離してくれてありがとう!」と若い人が考えると思っているらしいが、「自分は一生年をとらない」と信じている国民は多くない。

将来のために今負担を払っている保険という制度で、「ほら、病気になりやすい年齢に達した人達は分離してあげましたからね、嬉しいでしょう?」と言われても・・・困るよね。


障害者自立支援法も後期高齢者医療保険も、“施行の段階になって初めて世の中が騒ぎ始めた”というのが共通点だ。世の中とは、一般人だけではく大マスコミも与党の国会議員も含む。彼らでさえ立法時にはこれら法律の意味するところを全く理解してなかったんじゃないかな。

なんでこんなことが起こるのか?なんで立法議論の段階でもっとちゃんとした議論ができないのか?


これがいわゆる“官僚主導政治”ってやつですよね。これらの法律は、支出を少なくしたい厚生労働省などの役所が机上で考えてテクニカルに法律に仕上げて通してしまっているのだ。

実際にそれが施行された時に、どんな問題がでて(結局もたなくて骨抜きにしなくちゃいけなくなる)などということは、世間を知らない官僚組織には予想もできない。第一、施行される2年後には自分は別の部署にいるし、ってのが官僚のキャリアパスだ。


昔はどうでもよかったのです。だって日本は成長していてお金はたっぷりあった。だから作る法律は基本的に国民に利益があるものばっかりだった。だから官僚が適当に作っても問題ない。しかし、今は国民負担を増大させる新法もたくさんある。だから官僚が適当に法律を作ると、「おいおい、いくら金がないといっても、これはないだろ??」みたいな法律が増える。それが、今起こっていることだと思う。



法律って年間どれくらいできているか?

国会で成立するのはだいたい150〜200くらいです。ただし、大半は既存の法律の一部修正なので、完全な新法、もしくは非常に大きな意味を持つ改正は30〜50本くらいじゃないかと思われる。

「そんなたくさんの法律ができてんの?」という感じもするが、一方で「年に40本くらいの法律なら、もっと皆で深く議論できるんじゃないの?」とも思う。

国会ってある種のショーだから、そのうち2本くらいの目玉法律のみ議論して、マスコミもそれについてしか報じないでしょ。たとえばインド洋で給油するかどうか、とかだけ議論し報道する。

でもそれ以外にも私たちの生活に影響を及ぼすたくさんの法律がある。でもそれらは議論も注目もされず“こっそりと”成立させられる。

で、施行されてから大議論になり、大混乱になり、骨抜きになり、政局になる。


あほらしくない?


で、ちきりんは期待するわけ。新法や既存法の大きな改正に関しては、官報などという「なにそれ?」みたいなメディアではなく、「ネット官報」で国会議決までの間一定期間は開示されなくてはならない、とかになれば。

そして、そこで開示された法律案について、わかりやすく解説したり、いろんな思想的立場の人が意見を述べ合い、立法者側ももちろん応戦すればいい。

そしてグーグルみたいなところが、それに関する情報を(上記に書いたニュースサイトのイメージで)集めてくる。議論サイトができあがる、みたいな。

そーゆーの簡単だとは言わないが、今のネットの動きをみていると少なくとも「夢物語ではなくなってきた」という気はするのですよね。


いやもちろん、もっと進めば、そこで投票すればいい。つまり、国民投票って今までみたいに「憲法改正だけ」みたいな重い制度である必要はなくなってくる。

国民全員が投票することの事務的コストがITやネットによって大幅に下がったら、ごくごく普通の立法だって全員でできんじゃなの?ってさえ気がしてしまう。なんでわざわざ「国民の代表」を選んで議論させる必要がある?自分たちで直接やりゃーいーじゃん。

ローマの時代から今まで、すべての国が「国民の代表」を選らんで、彼らに立法を委ねていた。それは「全員で立法する」っていうのが実務的に無理だった、ということ以外に理由があるんだろうか。

もしも実務的に可能になるなら、なんでそっちに戻らない?(ここで衆愚政治などというアホな議論がまたぞろ起こりそうなのだが、とりあえずその話は今は無視。)

行政や司法には選任担当者が必要だと思うが、立法は直接政治が可能になるんじゃないの?ってのがちきりん的予測なんですよね。


あほみたいなこと言ってるかも?

そうね、ちきりんはネットやITに関して、最初に書いたように非常に期待値が大きく、楽観的です。「そんなの簡単にはできないよ」という意見が大半なのだろうし、普通なのだと理解しています。

でも、ちきりんの意見は違います。「きっとできるよ」と思ってる。「そのうち実現するよ」と思ってる。

ちきりんがネットに関心をもっているのは、この点、すなわち「リアルな社会を根本的に変える可能性」に尽きると言ってもいい。「世の中の変わり目をみたい」ちきりんの希望は、今まで予想していなかった形で実現されるかも、そんな希望がもてるだす。


そんじゃーね。


*1:関連エントリ:Web2.0最後尾: http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20080908

*2:関連エントリ:新聞業界崩壊の理由: http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20080727

*3:関連エントリ:政治影響力: http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20080921