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Chikirinの日記 RSSフィード

2009-04-30 インフルエンザに備えて

豚インフルエンザが流行る前から本命として警戒されている「鳥インフルエンザ」 その大流行に備えて日本の役所が「食料の備蓄」を国民に呼びかけているのを皆様、ご存じでしょうか?以前からなんとなく違和感がぬぐえなかったこの“食糧備蓄推進”。ようやく意味がわかりました。

さて、このインフルエンザ対策としての食料備蓄、これってどの役所が呼びかけているのでしょう?


「インフルエンザの対策なんだから厚生労働省でしょ」って?

「感染症対策本部のパンフレットに書いてあるのでは?」と思う人もいるかな。

「いやいや地域に密着した都道府県が呼びかけているのでは」とか?



甘い甘い。そんな甘い考えでは厳しい世の中を渡っていくことはできませんよ!








「食料の備蓄」を呼びかけているのは当然、農水省です。


“当然”でしょ?




次の質問です。農水省の備蓄の呼びかけによると、「最も備蓄に適した食料」は何だと思いますか?




そう、勘のよいちきりんブログ読者の皆様ならもうおわかりですね。




 「お米」を中心とした備えをしましょう。 と農水省様がおっしゃっています。




なるほど、そりゃーそうですよね!!

さすが農水省。



なお、米が備蓄にむいている理由もきちんと書いてあります。

誤解しないでくださいね。農水省は米を売らんかなのためにこんなことを言っているのではないのですよ。ちゃんと国民のために、インフルエンザの流行を心配し、いろいろ検討した結果、「備蓄すべきは米だと確信」したからこそ、国民の皆様にお勧めしているのです。

お米は保存性の高い食品です。また、栄養的にもエネルギーの供給源となり、調理のしやすさ・多彩さ、費用、保存スペースのどれをとっても優れていますので、備蓄の柱としましょう。

とその理由も明確に書かれていますので、皆さんも理解できましたね?「どれをとっても」お米は備蓄に優れているんです。

それに「備蓄の柱」という言葉もすばらしいです。なかなか美しい日本語ですね。


★★★

そして、ここまで言ってもアホな国民がいろいろに言い訳をして米の備蓄を行わない可能性があるので、農水省様はすばらしいカラーのパンフレットをわざわざ印刷して配布もしています。このパンフレットはホームページでも見られるのでその一部をご紹介しますね。


たとえば質疑応答セクションでは、とても役立つ下記のような質問事例が載せられています。


質問:うちには備蓄するスペースなどありません!

回答:玄関や階段の下などにスペースがないか、もう一度チェックしてみて下さい。意外と気付いていない有効スペースがあるものです。

なるほど、「玄関に食糧備蓄」という概念はなかったです。とても参考になりますね。


質問:備蓄のためにまわすお金がないんです。

回答:お米を中心に少し時間をかけて備蓄していくとお財布への影響も小さくすみます。チェックリストできちんと管理すれば、無駄使いも減り、むしろ経済的!

なるほど。やっぱりここでも答えは「米」ってことなんですね!



えっ? なんだか、主婦向け雑誌に農協がスポンサーして書かれてる“家事の工夫”みたいな記事だって?

そんなふざけたことを言ってちゃだめですよ。これは何十倍もの倍率を勝ち抜いて公務員になった皆様が、私たちから集めた税金を注ぎ込んで、慎重に徹底的に検討した結果の結論であり、それをわざわざフルカラー印刷で用意したパンフレットなのです。

農水省様のおっしゃるとおり。「金がない、スペースがない」などとアホなことを言ってないで、早く米の備蓄をしてください。玄関が空いてるでしょ。



そんじゃーね




パンフレットはこちらです。表紙にもちゃんと米袋の絵が描いてありますね。http://www.maff.go.jp/j/zyukyu/anpo/pdf/gaido.pdf

2009-04-29 虐待事件ふたつに思うこと

幼児&児童虐待のニュースをたまたまふたつ見かけた。ふたつを比較してちょっと思ったことがあるので、それについて書いておくです。


ひとつは、大阪市西淀川区の事件。9歳(小学校4年生)の女児が、実の母親(34歳)とその内縁の夫などに、ベランダに一晩放置されるなどの虐待を受けて死亡。その後、奈良の山中にある墓場に埋められていたというもの。

逮捕された大人3名の取り調べが続いているけど、周囲の人の話や女児の体のアザなどから虐待が日常的に行われていたと見られている。また、この女児には双子の妹がいて、こちらは今年の初めに実の父親に引き取られていた。それまでは妹も虐待を受けていた様子。

母親がこの双子を産んだのは25歳の時だよね。実の父親は今38歳なので当時は29歳。テレビで見る限り、実の父親は「虐待を知っていれば二人とも引き取ったのに」という感じだった。


この事件は・・・もちろん悲惨な事件ではあるのだが、じゃあどうすればよかったのか?という点で言えば、わりとわかりやすい。周囲の人も学校も「虐待」についてはある程度気がついていたようだ。早めに誰かがこの「実の父親」に連絡していれば、双子は両方とも父親側に引き取られ、難を逃れたのではないかと思われる。

また、これは殺人罪なので母親も内縁の夫もおそらく一定期間は拘置される。その後、刑期を終えてでてきても、この母親が再度、子供を産むことはおそらくないだろう。刑期が長ければ年齢的に出産が難しくなるし、そうでなくても、おそらくこの母親が再び「産む決断をする」という可能性は高くない、と思う。

というのは、この母親は、9年前に双子を産んでからは(ニュースで聞く限り)出産していない。この9年の間に妊娠したことがあるかどうかは知らないけど、少なくとも「出産」ということに関しては「産まない」という意思があった9年間であろうと思う。

なぜ「産まない」という意思があったかといえば、実際に自分が産んだ子がいる生活をしている中で、「産みたくない」「産んでも育てられない」「育てたくない」「子供なんて要らない」などの気持ちがこの母親にあったからだ。そしてそれは「極めて全うな判断であった」と言える。


整理すると、この母親は一回出産して、その後は「産まない」という決断をしている。一回経験したところで「産む」ということの意味を理解し、「産んで育てるのは無理、もしくはイヤ」と判断し、実際に「産まない」という状態を9年間継続している。

この母親をかばう気はさらさらないが、人間は一回はやってみないとわからないことはたくさんある。結婚とか就職とか親になるとか。多くのことは頭で想像しているのと全然違う現実がある。やってみて初めて「自分がどういう人か」に気がつくこともある。

だからといって生まれてきた罪のない子供を殺していいわけはないのだが、少なくともこの母親は「自分は子供を適切に育てられない」ということはわかっていたのだと思う。だから過去9年間は子供を生んでいないのだ、と思うわけ。

そして、「ちゃんとそれを9年間、守ってきた」ということから類推するに、将来また妊娠してもおそらく「産まないという判断をするだろう」と思うのです。



なんでこんなことを書いているかというと、もうひとつの事件との対比で、なんです。

こちらは足立区の19歳の母親が2歳の娘に熱湯をかけて大やけどをさせた事件。赤ちゃんのお風呂用のタライに熱湯をいれて、そこに足をつけさせ、加えて茶碗で熱湯をすくって肩からもかけた。

テレビで熱湯に入るお笑い芸人の番組をみたことがあり、「実際どうなるか見てみたかった」のでやってみた。「泣き叫ぶ長女の姿がおもしろかった」と。

お仕置きのきっかけは、この女児が、食べさせたシューマイが熱いといってはき出したことらしい。「2歳でシュウマイ」ってのは・・確かに熱いかも、だ。

ちなみこの母親には8カ月の長男もいる。長男は今年2月、“足首を持って子供を振り回した際にできやすいという頭部外傷”で入院してる。8ヶ月だよ。足首持って振り回す!?

父親は20歳で働いてる。虐待は知らなかった、とのこと。ええっと、母親は今19歳だから、16歳で妊娠、17歳で長女を産み、産後1年すぎたあたりで第二子(長男)を身ごもっている。この母親がひとりで子育てをしていたのかどうか、ニュースだけではよくわからない。たとえ専業主婦であっても、ほとんど年子に近い二人の乳幼児をひとりで育てるのはかなり大変なはずだと思うのだが。


でね。こっちの事件は・・・解が見えないんだよね。虐待に父親か誰かが気がついていた、としましょう。するとどうなったでしょう?少々この父親が育児を手伝うくらいでは虐待が収まると思えないでしょ。しかもこのご時世、20歳の父親が3人の家族を養っていくのは大変なことだ。彼が気がついていたからといって虐待を辞めさせたりできたかしら?

じゃあ、できないね、ということになればどうなっていたか。おそらく子供を福祉施設に預けることになる、というのが最も正しい選択肢なんだろう。

で、それも簡単ではないとは思うが、もしもそうなっていたとしましょう。理想的な解決方法が実践された、としましょう。すなわち、早期に父親が虐待に気がつき、いろいろ検討した結果、二人の子供は施設に預けた方がよいと判断し、行政に相談してそれが受け入れられた、としましょう。



その3年後、何が起ってると思います?

ちきりんの予想では、3年後にこの母親は22歳になり、またもや2児をもうけていて、その2歳と1歳弱の子供を虐待してんじゃないの?と思うんだよね・・・


実際にも、今回は女児はやけどはしたけど死んでいない。この女児と男児は、おそらく今後は母親と一緒に暮らすことはなく、児童福祉施設などで育つことになるでしょ。

なんだけど、母親は虐待(傷害罪)で逮捕されてもたいして長く拘置されるわけではない。反省したり、家庭環境が複雑だったり、今はまだ19歳だし、みたいな話になれば、拘置さえされないかもしれない。拘置されてもそんなに長くはないです。で、そしたら3年後、どうなってると思います?

下手したら(今回の二人の子供とはまた別の)2歳と8ヶ月の子供の母親になっていて、また虐待してるかもよ。

って思いません?


こちらのケースでは、この母親は第一子を産んでから、1年後に次の子供を身ごもり、その子を産んでいる。二人目の子供の意味は「妊娠しない」「子供を作らない」「子供を産まない」という意思が、この母親、というか夫婦にはなかった、ということの証ですよね。

それともまさかこのご時世に、避妊の方法も中絶という方法も知らなかったのだと?んなこと考えにくいよね。


ここが最初のケースと全然違うかなあという気がするところです。17歳で最初の子供を産んだら、普通は“すごい苦労”をすると思うのです。まだ自分自身が遊びたいさかりで子供に付きっきりの生活を強いられる。ちゃんと育てている人でも、普通に「きゃー勘弁!」と思うはず。

なのに、その状態で(しかも虐待とかしながら)2年以内に次の子供を産もうと思うって、どういうことだろ?

つまりこの母親は第一子を産んだ後も、「子育てが大変だ」「子育てがいやだ」「子供なんていらない」とは切実には感じてなかった、ということなんじゃないかと。だから次の子供の妊娠がわかっても産むことに躊躇がなかったのではないか、とさえ考えられる。



このふたつの虐待ケースは、この点で大きく異なると思うのです。第一子を産んだあと9年間、産んでいないというのは「育児が大変。やりたくない。やれない。」という判断が母親にあったからで、なんでそんな判断ができたかというと、子育てに関して一応は「産んだら、こうしなくてはならない」ということが意識されていたからだろうと思うのです。

が、後者のケースでは、その意識さえなかったのかな、と思います。産んで虐待して(時には死んじゃって)、そのことをなんとも思わないから、次ぎにまた妊娠したら産んで、第二子もまた虐待して・・・「それがどーしたの?」ということであるなら、さらに次の子を妊娠しても産むのかもしれない。何人でも産むことを躊躇しないかも、この人、という気さえします。


というか、今回逮捕されて、ごく短期間拘置されて、その後、まだまだ妊娠可能年齢の間に外に出てくると思うのですが(というか、そもそも拘置されない可能性の方が高そうなのですが)、その後もこの女性が子供を産み続ける可能性ってのは十分あると思います。だって、今回の逮捕の意味がわかるくらいなら、第一子を産んだ後に出産や子育ての意味もわかっていそうなものだもの。

ホラーとして考えれば、いつかどの子かを殺して長期間にわたって拘置されるか、もしくは妊娠不可能年齢になるまで、同じことを繰り返さないとも断言できない。時々、乳児・幼児の白骨死体がアパートの押し入れの中の段ボールから4人、5人分も見つかった、という事件がありますが、ああいうケースってのが、まさにこれと同じような人なんだろうなと思います。

自分で産んで、その子が死んで、段ボールにいれて押し入れの奥に放り込んで、で、次ぎにまた妊娠した時に、それでも「産む」という判断をする。


最初のケースより圧倒的に理解しにくい。

なんなんだろね、これは。


というか、多分全然違う“解”が必要なケースなんだよね。



と思います。




それではね。

2009-04-28 若い方、後はよろしく!(麻生より)

一昨年まで

民間企業が景気よくお金を使い、投資を拡大する一方で、

霞ヶ関はバッシングを受け、ひたすらに緊縮財政を迫られていた。



今や、

民間企業は必死の形相で経費を削減し、

霞ヶ関はかってないジャブジャブの予算を、できるだけ短期間に、ばらまけるだけバラマク、という仕事に忙殺されている。




なんたって、遅くても9月には選挙。今はとにかくできるだけ多額のお金をばらまき、「麻生さんのリーダーシップで助かった!」と有権者に思わせること。それが大事。

自民党には千載一遇のチャーンス! 

小沢民主党よ、この景気刺激策に反対できるものならやってみろ!

ってなかんじ。







ええっと、将来の納税者の方々へ

だいたい現在29歳以下あたりの方へ。もちろん乳幼児まで含む子供達にも、伝えたい。



「後は頼んだ」と。




今回、麻生内閣の支持率を(選挙前に)引き上げるためにばらまかれる15兆円は、おそらく将来この借金を“増税”という形で負担してくれるであろう29歳以下の日本国民の数で割ると、ひとりあたり40万円程度。利子は含まない額でね。



さんきゅ! (麻生より)

2009-04-27 豚インフルエンザやば〜

ブログを始めて苦節5年、言いたいことがタイトルだけで書ききれた!と思えたのは今日が初めて。


そんじゃーね。

2009-04-26 注目は法人パソコン市場

昨日の続きなんですけど、“パソコン市場”という時に、ビジネス的にはふたつの異なる市場があります。いわゆる個人市場と法人市場です。このふたつの市場って商品自体はそんなに違わないんだけど、売られ方が全然違います。

“パソコンってなくなるんじゃない?”という昨日の話に関して、“きっかけとして重要”なのは実は法人市場だと思うんですよね。なので、ちょっとその話を書いてみるです。


個人パソコンって量販店かネットで売られるのが一般的で、ひとりひとりが選んで買うでしょ。ところが法人は“一斉に同じパソコンを大量に買う”んです。たとえば大きな金融機関の社員・行員って2万人とかの規模です。メーカーでも工場のラインの人を除いても数万人という大企業がありますよね。ああいうところが一人に一台のパソコンを配布すると、数年ごとに一斉に2万台、同じ型のパソコンが売れるわけです。

もっとすごいのは欧米系の外資系企業。これらの企業の多くは“グローバル・パーチャシング”(国際調達)といって、パソコンなどの機器を本社で一括購入契約します。これにはボリュームディスカウントを狙うと同時に、世界中の支社で同じソフトをつかい、同じセキュリティレベルを確保する目的もあります。また、これによりサポートセンターも世界でひとつだけの設置にできたりします。


販売するメーカー側はHPやデル、レノボ(元IBM)などなわけですが、販売契約自体は欧米の本社同士で決定され、出荷は彼らの製造拠点(台湾や中国など)から世界中に行われる。巨大なグローバル企業だと十万台規模のパソコンが世界に向けて一括販売されます。


というわけで、個人市場の方は何かが変わる時に、少しずつ変わりますよね。すごく先端的なユーザーがまず使って、普通のユーザーが、その後ろの・・といろいろな人が順番に変わっていく。国によってもいろんなニーズの違いもあるから、どこかの国ではこうなったけど、この国では・・、みたいなものも残りやすい。

だけど、法人市場ってのは個人市場に比べて圧倒的に“同質性”が高い。というか、“高い同質性を要求される。”ので、変わる時には一斉に変わる、んです。


たとえば電話回線とかもそうでしょ。個人だとパソコンでスカイプ使う人もいれば、電話機で光電話の人もいて、もちろん普通の電話回線の人もたくさんいる。で、ちょっとずつちょっとずつ普通の電話回線が減っていく。が、法人が「固定電話をIP電話に変える」と決めると、一気に数千、数万回線の固定電話網が使われなくなる。企業の中のひとつの課だけが電話回線やめてIP電話にする、なんてありえない。

しかも大企業がそういうことを決める時というのは、供給側(法人向けIP電話システムの販売会社側)にそういう体制が整った時なので、彼らによって大企業向けに一斉に営業販促活動が行われる。そのコスト削減額たるやものすごい額なので、数年の間に急速に、まるで“オセロの角”をとった時のように一斉に変わっていく、わけです。


なのでパソコンが無くなるという話に関しても、個人に関して言えば「最近パソコン使わない人が増えてきましたね」みたいになるのでしょうが、法人については、どこかでどどっと変わるんじゃないかと思います。

大企業やグローバル企業がどれくらいの間隔でパソコンを買い換えているのかよく知りません。4〜5年でしょうか。この数年に一度の「全社員のパソコン買い換え」ってのは、企業にとって半端ではない大きな経費です。一台10万円のパソコンが1万円のネットブック的なものに置き換えられたら、2万人の会社で20億円の予算が2億円にできます。

大企業100社がこれをやると、パソコンメーカーの売り上げは2000億円から200億円に減ります。売り上げが1800億円減るということは、300億円くらいはパソコンメーカーの人件費を下げないといけないということで、これは年収600万円の人を5000人首にする必要があります。たった100社が動いてもパソコン業界にとっては相当のインパクトです。



今のパソコンに置き換わる商品がどんなものになるのか、ちきりんにはわかりません。“ネット端末”とか“ブラウザマシン”的なものになるのかな〜とも思うけど、まあこれはちきりんの想像など遙かに超えるものがでてくるのでしょう。

また、それらがなんと呼ばれるか、もあまり意味がないと思ってます。iPhoneのように“電話ですよ”的なネーミングかもしれないし、“パソコン”という名前を残したものになるのかもしれません。

が、ビジネスの視点では重要なのは“単価”なんです。単価が10分の1のマシンに変われば“市場規模が10分の1になる”ってことであり、それはすなわち、産業規模が10分の1に、その産業で働く人が(人の数、もしくは、その人の給与が)10分の1になる、ってことだから。

もしくは、「ふたつの機器がひとつになる」のも同じインパクトがあります。今は携帯とパソコンと両方持っている人がたくさんいる。でもその二つの機器が融合した新機器ひとつになったら・・同じく、機器の合計金額は半分くらいになるかもです。会社のPCと家でもPC持ってるって人が、どちらかしか保有しなくなる、というのも同じです。こういうことが起ると市場規模(金額)、つまり産業規模自体が大きく縮小するのです。

そして産業規模が半分になれば、供給会社の顔ぶれは完全に変わってしまいます。特に日本のメーカーはどこも終身雇用ですから人件費を簡単に下げられません。また、製品企画と開発だけをやっているなら、商品価格が大きく下がっても企画・開発利益は確保できるのかもしれませんが、日本のメーカーの多くはすべてのビジネスプロセスを自社グループ内に抱え込んでいます。

つまり、市場規模金額が半分になるとなれば、日本のパソコンメーカーの多くはその新市場に挑戦しても最初から赤字確定となり、否応なく“撤退”せざるを得なくなるかもしれません。これが、世界のIT産業地図をまたもや書き換えることになるかも、と思うちきりんなのです。


ではこれは“すぐに”起るでしょうか?

法人がこういう大きな方針転換をするのは大不況の時です。そういう意味では今年、来年は環境が整っています。が、この1,2年ではコトは起りません。それは供給側の体制が整ってない、からです。

昨日も書いたように「パソコンの代替商品ぽいもの」は見えてきているけど、必ずしもまだパソコンを置き換えるのに十分なものには進化していません。また、個人市場と違って法人市場は、供給側の体制が完全に揃わないと動かない市場なのです。

たとえば、個人市場は“ちょっと実験的なマシンを作って試しに販売してみる”ということが可能な市場です。実際に個人市場では自分でパーツを買ってきてマイマシンを作る人がいるわけで、メーカーだって「アメリカ限定」とかで売り出しても何の問題もありません。

iPhoneもひとつの国で先行販売、しかも国ごとに販売会社を分断!でも何の問題もありません。個人用途だから。が、法人にはそれでは売りにくいです。前述した国際調達ができるようにならないと、ということもあるし、そうでなくとも多くの企業は欧州やアジアの企業との取引が日常的に発生しています。販売、メンテ含めて他国と連携しにくい機器は「できるようになってから買う」のが基本です。*1

つまり法人は「システム全体として完成」しないと買わないです。端末だけが完成して、それがいくらファンシーでも、それを世界で導入するプロジェクトの管理全体を引き受けてくれるSIなりシステム販売会社が現れて、かつ、サポート体制まで含めて“世界中で供給する”と言ってくれないと、導入は難しいです。

たとえば現在の一般的なパソコン(デスクトップでもノートでも)には、そういう「法人販売体制」が完全に整っています。が、ネットブックにはそういうものが全く整っていません。ここに真剣に取り組む企業がでてきて初めて法人市場は動きます。(なお、今パソコンの法人販売を担っている会社は、わざわざ端末を安いものに置き換えたりしたくはないので、積極的には動くことはないでしょう。)


というわけで、(1)端末側がもうちょっと進化が必要、(2)法人に販売する体制を誰かが整えるのに、まだ3〜5年くらいかかるんじゃないかな、と思います。



でも、法人が動いたらインパクトはとても大きいです。ITにすごく詳しい方、好きな方は、個人でパソコンを買う、使う、ということを始められた方だと思います。でも、一般的なパソコンユーザーには、「初めてパソコンに触れたのは会社だった」とか、「使い方も会社で習った」という人がたくさんいます。こういう人は会社がパソコンを使わなくなったら、わざわざ個人でそれを買いたいと思うほどの商品認知をする機会さえ失うでしょう。

学校でパソコンを使って勉強しましょう、というのが日本でもようやく始まっていますが、学校という法人が何を採用して何を教えるか、は市場形成に大きな意味があります。(だからゲイツ氏の財団はやたらと学校にパソコンを寄付してるわけで。)


というわけで、法人市場が動く日がおもしろそうだよね、と思っているちきりんなのでありました。

まあ、まだ当面は難しそうかもだけどね。



そんじゃーね!


*1:話はそれますがアップルはあんまり法人市場に関心をもってる(ターゲットしてる)企業ではないですよね。最先端個人ユーザーの市場で商売することにしてます、ってふうに見えます。

2009-04-25 パソコンってやばそうだよね。

ここ1年くらい、パソコンっていう商品について、結構「ヤバイ感じ」がしてきてますよね。ヤバイってのは「なくなるんじゃないの?」って意味なんだけど。

自分自身を考えても、今持っているものをもう一回くらい買い換えるかなあ、という感じ。それで「個人でパソコン買う」のは最後になるかもとさえ思います。その後に買うのは別の商品(別のコンセプトの商品)になるんじゃないかと。

まずはお断りですが、私はIT業界の人でもなく、その分野に詳しい訳でもありません。なので今日書くのは、単なるイチユーザーの感想です。


さて、なんでそんなふうに思い始めたかというと、

(1)周囲の人で、携帯しか使わない人が増えている。

(2)自分自身もパソコンの用途がすごく限定的になってきた。

(3)パソコンの代替品的な商品が実際に出てき始めている。

という3つ。


(1)についていえば、以前から若い子が全然パソコン使わないなあ、とは思っていましたが、最近は中年以上の人でも携帯派が増えている気がします。

彼らはメールも(個人のメールに関しては)携帯のみだし、私のブログも携帯で読んでくれている。(ちきりんブログは長いので、ちょっとつらい日もあるみたいだけど)

たぶん携帯がすごく便利になったんだよね。画面も大きくなってきたし入力も相当工夫されててとても楽チン。ネットも早いし、パケ放題で値段もやすいしとか。

あと、携帯とパソコンとをひとりで二つ維持するってお金かかるよね。携帯で1万円、ブロードバンドでネット接続すると5千円、みたいな。だから大人でも働いてない人を中心に、「携帯の方が主流」の人が増えてるんじゃないかな。


(2)について。自分自身もパソコン使わないなあと思い始めた。家でパソコン使う用途の大半はネットとメールです。これだけなら、格安のネットブックで十分だし、もっと簡素化して「パソコン」の範疇に入らないような端末でもまったく問題ない。

こんな長いブログを毎日書くなら、入力部分と画面だけはでかい方がいいので、ディスプレイとしてはテレビ画面につなぐ、あとはソファでくつろぎながら、手元にワイヤレスでつないだキーボードを使ってブログを更新できれば理想的。

今は会社でも、ひとり一台のパソコンを配布されてると思うけど、こちらも最近は使う機能が限定的だなあと思います。自宅と同じようにネット、メール、あとは文書作成くらい。

エクセルやパワポも使うけど、機能の大半は使わないので、こんな複雑なソフト要らんよね〜とよく思う。もっと簡単な、ネット上で使える無料ソフトでも十分事足りるって感じです。


こうなってくると、会社のマシンも「ネットブック」+「キーボード」+「液晶画面」でいいよね。仕事をネットブックでやれといわれて困るのは「キーボードが小さすぎて仕事にならないよ!」と「画面が小さすぎて仕事ができないよ!」という点だと思うのだけど、その二つは外付けでつなげばいいだけ。キーボードなんて数千円だし液晶スクリーンも最近はすごく安い。

処理能力という意味では、パソコン本体はネットブック的なるもので十分な気がする。

それに、そもそも“パソコンを家に持って帰って作業”絡みの情報漏洩とかが問題になってるんだから、仕事の資料なんて全部サーバー側に保存させた方が安全そう。


というわけで、法人パソコンさえ、ちきりんは「5年くらいで要らなくなるでしょ」とか思ってる。

もちろんここでいう法人ってのはITとかグラフィックとかに関係ない会社ってことです。あと金融など一部の仕事でも、処理能力の高いマシンが必要という業界もあるんでしょう。

だけど、一般的なメーカーの管理部門とか営業部門の事務処理用については、現在のパソコンは明らかにオーバースペックだと思えます。


三番目。とはいえ、今まではパソコンしか商品がありませんでした。ところがここにきて「そうそう、こういう感じの商品でいいんだよね」ってのが出てきたよね。ネットブックの方向性をもっと推し進めれば、iPhoneしかりだし、通信機能の付いた携帯ゲームしかりだし。

これらの商品が「パソコンなくてもいいや」ってくらいまで進化するのに、後数年はかかりそう、と思うので、今日の最初の方に「パソコンの買い換えはあと一回かなあ」と書きました。その後は、そういう商品で十分だろうと。


今はiPhoneとかを使ってる人って、ITガジェット好きの人が多いでしょ。つまり当然にパソコンももっている。ネットブックだって「セカンドマシン」として買ってる人が多そう。つまり現時点ではこれらの商品は“パソコンの代替品”ではなく、“パソコンの補完商品”もしくは“併用商品”として存在してる。

でも、そのうち「普通の人はメインとしてそれ一台」みたいになると思う。少なくとも今みたいな、10万以上する複合的な高度なマシンを、普通の人が数年ごとに買い換えるなんて時代は終わりでしょ。



もちろん、ここで書いているのは「普通の人の話」なんで、IT系の仕事をする人がプログラム書いたり、アート系の人がグラフィック作品を制作したり、という用途では、フルスペックのパソコンはもちろん残るでしょう。サーバーも全く別の話。

反対に言えば、「あっ、パソコン持ってるんですか。ってことはITのお仕事の人ですか?」とか「“はてなー”はパソコンもってる率が高い。」みたいな状態になるみたいになるんじゃなかろうか、と。


まあ、こんな話も消費者側からは気軽に「あーだ、こーだ」と言ってればよいですが、メーカー側からすると「そんなことをお気軽に予想しないように」って感じなのかな。パソコン産業って大きな業界ですからね。“市場消失”なんてしたら大変なことです。

もちろん次に替わる商品を出してきたところが新たな産業を率いることになるんだろうけど、それが日本メーカーか、と言われるとおおかたの予想はそうじゃなさそう。


日本のPCメーカーって、NEC 98時代から始まって、ウインテルの時代に翻弄され、台湾メーカー時代にずうっと苦戦を続け、と大河ドラマさながらの産業史があるわけですが、もしかするとこの壮大なお話も、そろそろ最終回が見えてくるんじゃないの?


いえ、完全な素人な戯言なんですけど。たんに個人的に「ちきりんは、もーこんなマシンいらんかも」と思っただけです。


そんじゃーね



追記:ネットブックはパソコンだというご意見をたくさんいただいています。そうでしょうけど、今のフルスペックパソコンからネットブックを見れば、その進む方向性がよく見える、という趣旨です。

2009-04-23 ワライバと新自由主義経済

昨日ワークライフバランスについて書いていて、ふと“これって別の観点から書いてみてもおもしろいかも”と思った。

なんだけどその前に“ワークライフバランス”ってやたら長いので、今日は“ワライバ”と略すことにするです。

で、そのワライバと、とある経済理論(主張?)が構造的に似てる気がしたので本日はその話を。


ある経済理論ってのは、例の「減税して規制緩和して経済を活性化させれば、企業が儲かり経済全体のパイが拡大する。それを続けていれば全体として経済レベルが底上げされ、そのうち“下々のモノ”にもお金が回ってくる。なので、みんなハッピー」みたいな理論です。新自由主義経済と呼ぶのが正しいのかどうか、呼称はよくわかりませんが、そういうやつね。

で、この経済理論は“下々の方”に言わせると「嘘つくな、俺たちのとこになんて全然金は回ってこなかったぞ!」ということだろうし、主張者側に言わせると「まだまだ改革が中途半端だから皆様のところまでメリットが届かなかったのです。つまり改革が足りなかったのです!」ってことになる。

どっちが正しいかはちょっとおいといて、ワライバの話に戻ります。


ワライバも同じ構造にある、と思うんだよね。政府は労働規制を強める時にたいていまず大企業にそれを推進させます。だって産休や育児休暇はもちろん、中小零細企業の中には「全員が有給休暇を完全取得したら、事業が立ちゆかない」くらいのところだってあるわけで、監督省庁側まずは大企業に制度を徹底させようとする。

なので労働関係の規制では「資本金○億円以上の企業は」とか「社員数○○○人以上の事業所では」みたいな感じで規模を限定して規則を適用したり罰則を科したりすることがよくある。


この「労働規制の強化は大企業から」という方針は、景気のいい時はそれでいいような気がするわけ。まずは大企業から「有休の完全取得」とか「産休取得の推進」とか「男性の育児休暇取得事例を作ろう」とか順次普及させて、そのうち中小企業でもそれが当然の時代が・・、みたいな。実際、週休二日制なんかはそういう順序で普及したと思う。

でも景気が悪くなると、若干ややこしい。大企業だって派遣社員を全部切り、正社員の早期退職プログラムを導入してるところがある。でもそれらの企業では、引き続き「男性の育児休暇取得制度を推進しましょう」って話もやってるわけで、これはなかなかに複雑な思いの人もでるだろうなあ、と思うわけ。

だれかが育休をとってもその人のコストは普通ゼロにはならない。加えて会社は誰か別の人にその仕事をカバーさせる。すると必ず一定の二重コストがかかる。その分は当然、全体の「経費削減必要額」に上乗せされて、別の誰かの雇用が脅かされることになる。

なので、「一方で首切りしながら、他方の社員についてはワライバをどんどん改善していくってどうよ?」みたいな意見もでてきそうだ。


ところで、“いやいや、育休をとった人のカバー分の雇用が増えるんじゃないか?”という、“ワライバはワークシェアにつながるはず”という意見もあるかしら。そうなるなら正社員の待遇改善により“下々”までメリットが及ぶ、といえる。

のだが、実際にはおそらくそうはならない。仕事は“恵まれた人達”だけの間でまわっていて、下には降りてこない。切られていく人達と、“育休をとる人&その代替の仕事をする人”は全然違う層なのだ。(この点に関してはこちらのエントリでも→http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20070328)


この点も経済の方の話と同じなのよね。“順次下にも降りてきますよ”と言われた富の配分は結局上の方だけでぐるぐるまわってしまうのでは?と思われる。

なんか似てるでしょ。



ふたつの話の構造を対比してみるとこんな感じ↓


新自由主義経済の反対派:企業や金持ちのための減税をする前に、末端の国民の福祉に金を回せ!

ワライバの反対派:恵まれた正社員のワライバを整える前に、末端の派遣社員の契約を継続しろ!!


新自由主義経済の主張者:いえいえ、福祉にお金を回してもすぐに消えてしまいます。まずは企業や金持ちにもっと稼げる環境を整え、そうしたら、あなたたちにも“そのうち”お金が回ってくるようになりますよ!

ワライバの主張者:いえいえ、派遣社員の契約継続にお金を使っても日本の労働環境は全く改善しません。まずは公務員や大企業の正社員がワライバに働ける環境を整え、そうしたら、あなたたちにも“そのうち“ワライバ的環境が回ってくるようになりますよ!


みたいな。



ちきりんは別に上記のような論争が今起こっているよ、と言っているわけではないです。単に「実際に派遣社員を全部切って正社員の残業も賃上げも凍結している企業で、正社員のワライバ推進には継続的に取り組んでいる企業は結構あるでしょ。」って言ってます。「世界同時不況で大変な時だから、育児休暇制度は当面ストップしましょう」みたいな話は聞かないよね、と。

ていうか、少なくとも公にそういうことを言う企業がでてきたら、かなりたたかれるのでしょ。経費削減は問題ないが、ワライバ後退は許されないことなんだな、と。いや、それはそれでいーんだが・・




かくして労働環境って益々格差が大きくなるんだよね。


っていうのも、経済理論の方で起こったことと同じじゃん。



と思ったわけ。つくづくこのふたつって似てる・・・。



そんじゃーね。

2009-04-22 ワークライフバランスってさ

しばらく前から“ワークライフバランス”という言葉をよく聞くようになりました。背景として、「現在の日本では“ワーク=仕事”に配分される時間が長すぎて、“ライフ=個人生活”への時間配分が少なすぎる。」という問題意識があるのでしょう。

ただワークライフバランスが語られる時、“微妙な違和感”を感じることもよくあるので、それをまとめておきます。


(1)過重労働とワークライフバランスは別の話

日本では、労働者が余りにも過酷な労働環境下におかれ、過労死やうつ病の増加が問題になっています。サービズ残業や“みなし管理職”問題も、社員の忠誠心の範囲とはとてもいえないレベルの酷さです。

残業代を払わない、有給休暇を取らせないなどは違法行為であり、異常な労働時間を強いるのは時に“人権問題”でさえあります。労働法規違反は犯罪としてきちんと取り締まるべきです。

ワークライフバランスとは、“病気にならない程度に働く”ことではありません。カタカナの流行言葉を持ち出すまでもなく、まずは適法な労働環境を確保することが必要です。


(2)“いいところ取りの議論”は無意味

この話はたいてい欧州との比較で語られます。フランス、ドイツ、スウェーデン、イタリアなど欧州に住んだことのある人が、彼の地のワークライフバランスがいかにすばらしいか強調します。

一方韓国では一昔前の日本のような“ワーク偏重”の傾向もまだ強いけれど、注目されるのは「いかにサムソン電子に国際競争力があるか」という側面ばかりです。アメリカのトップエリートも日本の経営者よりよほど大変な環境で働いているように思えますが、それらが取りざたされることも多くありません。

技術革新やアイデアの独創性ではシリコンバレーにかなわないと嘆き、ワークライフバランスでは欧州に比べて余りにも見劣りするとぼやき、成長可能性において中国やインドと比べものにならないと悲観する。そんな国際比較をすることに意味があるでしょうか。

必要なことはまず、私たちが全体としてどんなタイプの社会を志向しているのか考えることです。


たとえば欧州の多くの国では消費税は20%に近い水準です。これは徴税面でも「ワーク(仕事からの所得税)ではなく、ライフ(消費生活からの消費税)に重点をおいた税制」といえます。一方で所得税や法人税の高い日本の税制は、今でも「ワークから付加価値が生まれる」という思想に基づいています。

また欧州では、ベビーシッター、家事ヘルパー、介護職、サービス業など人手のかかる産業に、低賃金で働く移民が大量に流入しており、それにより社会のインフラ・コストが低く抑えられてきました。これも人々が、(残業時間など)ワークの時間を減らしても、生活が維持できる理由のひとつです。

このように国のあり方というのは総合的な設計であって、“いいところ取り”の議論は意味がないのです。


(3)「9時-5時の仕事をすること」=ワークライフバランスではない

ワークライフバランスとは、「一切残業をせず、9時-5時の仕事をすること」なのでしょうか?多忙な仕事をすることは「悪いこと」なのでしょうか?

たとえば「めちゃめちゃ働く5年間」→「主夫として子育てに専念する2年間」→「9時-5時で働く3年間」→「めちゃめちゃ働く5年間」→「一年間放浪、もしくは留学」のように、人生全体としてバランスをとるのも、ワークライフバランスと言えますよね。

年間でみても、「無茶苦茶働く9ヶ月」+「南の島でぼんやりの3ヶ月」の方が、一年中通して「9時-5時」よりバランスがよいと思う人もいるはずです。

また仕事内容や時間が同じでも、在宅勤務になるだけで、十分にワークとライフのバランスがとれる人もあるだろうし、会社員を辞めて自営業となり、スケジュール管理が自分でできるようになるだけで、たとえ労働時間が長くても「いいバランスだ!」と思う人もいるはずです。

ワークライフバランスという概念を“残業時間”とか“週当たり労働時間”のような偏狭な定義の中に閉じ込めず、個々人がその時々に自分にとってのベストバランスを追求できるような労働市場を作っていくことが重要なのです。

★★★

つきつめて考えれば、ワークとライフがバランスできない理由は、ワークの生産性が低いか、ライフの生活コストが高いかのどちらかです。

仕事の生産性が低いと長時間働く必要があるし、生活コストが高すぎると残業を増やしてでも収入を得る必要が出てきてしまいます。

だからワークライフバランスの改善には、生産性の向上と生活コストの切り下げの、少なくともいずれかが必要です。


生産性をあげるには、個人、組織の両方のレベルで仕事のやり方を変える必要があります。無駄な会議や決済プロセスを省き、ITを利用してより短い時間で従来と同じ収入が得られるようにするのです。

また生活コストを下げるには、お金をかけない生活様式に転換したり、格安な社会インフラを整備する必要があります。

具体的には子供の大学進学費用は本人に借りさせるとか、あまりにオーバースペックな社会インフラを見直して低価格化させるなどです。


ワークライフバランスというのは、個人の人生の設計の仕方や社会のあり方、企業や産業の生産性の問題などと深くつながっています。

「長時間働くことにより初めて生活が成り立っている人」が多い社会をそのままにして、いくら声高にワークライフバランスを叫んでも、なんら具体的な解決にはなりません。景気が悪化すれば「喜んで長時間働く!」という労働者が市場に溢れてしまうのですから。


そんじゃーね。

2009-04-20 そんじゃーね

皆様こんにちは。


“そんじゃーね”の結びで有名なちきりんブログです。*1


ってなんやねん。



先々週まで長く海外に行っていて、戻ってきたら録画された韓国ドラマがごっちゃりあって、早く見ないとHDの容量がたりなくなるんです。

で、毎日毎日寸暇を惜しんで見てるんですが、その間にも新たなものがどんどん録画されるため、全然追いつきません。

ちなみに今一番ナイスなのは「第五共和国」というドラマで、朴正煕大統領が暗殺されるところから始まり、全斗煥大統領がクーデターで実権を握って・・・という政治ドラマ。

韓国の歴史ドラマって実録フィルムをふんだんに取り入れてあるので臨場感に溢れていてめっちゃおもしろいです。

朴大統領暗殺の報を聞いた側近達がまず最初に“犯人ではないか?”と疑うのは“金日成”です。まずは北からの暗殺団に殺されたのか?と疑います。

そしてとっさに“休戦ラインは大丈夫か?”と身構えます。朴大統領が死んだのに乗じて、北が休戦ラインを超えて攻め込んでくるのではないか?と心配するのです。(ちなみに朴大統領の暗殺は1979年)

その次に疑われるのが「アメリカ」です。実際には韓国中央情報部(日本の戦前の特高みたいな組織)のトップである大統領の側近が“単独犯”として逮捕、処刑されますが、ドラマでは「黒幕としてアメリカの関与があったかどうかは、証拠のでていない今の時点ではなんとも言えない」っていう論調です。

おもしろーい!

まだ7回分しか見てないけど、既にちきりんは「軍事クーデターのポイント」をかなり学んだよ。まずは押さえるべきポイントとか、動くタイミングとかね。(でも今後の人生において軍事クーデターを首謀することは多分なさそう。)


前にも書いたけど日本もこういう近現代の政治ドラマを作ってほしいよね。角福戦争とか、小沢一郎が若くして幹事長になってその後離党を決意して、、、みたいなのとかね。55年体制の時の駆け引きや、社会党政権誕生秘話なんかもおもしろそう。


ところで皆さん、ちきりんはいつもスカパーで韓国ドラマを観ているのですが、いったい今(というか、一時期に)どれくらい多くの韓国ドラマが放映されてるか皆様ご存じでしょうか?

多分、ちきりんのようにこの分野にはまってる人以外はそのすさまじさをご存じないのではないかと思います。


というわけで下記をご覧ください。↓

http://www.skyperfectv.co.jp/drama/hang-ryu/lineup/

これが、現時点(今月)放映されている韓国ドラマの一覧です。スクロールしてみてね。


いやホラ、めんどくさがらずにちゃんとクリックして! マジですごいんだから。


見た?


めちゃくちゃな数でしょ?


どうやってこれを見ればいいのか。

人生はなんと短いのか。

仕事したりブログ書いてる時間がほんとうにもったいない。



というわけで、


そんじゃーね!



.

*1:すばらしいセンスですよね。感心しました。 → http://d.hatena.ne.jp/Hash/20090416

2009-04-19 ちょこっと解説編

ちきりんはブログの中で、自分がこー思った、あー思った、と好き勝手に書き散らしているわけですが、「どんな人に向けて書いているか」というのを当然に意識して書いています。

これは、雑誌やテレビが「ターゲットセグメント」、「主な読者層」を意識して作られるのと同じで、子供向け、若者向け、シニア向け、などもあるだろうし、○○の志向の人向けとかもあるよね。雑誌は「誰向け」なのか比較的わかりやすいし、新聞だって朝日と産経は相当違う層を想定して書かれていると思います。

が、どのメディアもおそらく“ターゲット以外の人に読んで欲しくない”などとは思っておらず、できるだけいろんな人に読んでほしいとも思っているでしょう。(多分ね)

ちきりんもそれは同じで、「こういう人に向けて書いてます」というのはあるけど、読み手の中に範囲外の方が多数含まれることは、ありがたいと思います。

そして、そういう読者想定外の方が読まれると、ちきりんが考えてもいなかった形で解釈をされることも多々あります。もちろん想定内読者でも同じことは起りますが、より頻繁に、かつ、よりぶっ飛んだ形で、それが起ります。

前はそういうことにたいして「どうやったらちきりんの言いたいことが伝わるだろう」と考えたり、「伝わらないのは私の文章力の限界だわ!」などと思っていたのですが、最近はあまりそう思わなくなりました。

ネットに限らず、ただしネットは特に、ということだと思うけど、「本当に幅広い層の方に読まれる場所に文章を置くということ」なんですよね。そしてそれは、ひとつの文章がすごく違う角度から解釈され、受け止められるということなんです。

個別のコミュニケーションにおいては、「ちきりんが言いたいことがストレートにそのまま伝わる」というのが“コミュニケーションの成功“なのだろうけど、ネット上のブログでは必ずしもそれを目標にすることはできないと思います。

むしろ「いろんな人がいろいろに感じ考えることのできる材料にしてもらえばいーじゃん」と思っています。ちきりんのブログを読んだ人が、それぞれに自分の関心のあるポイントだけをピックアップして、どんどん視点や考え方が拡がっていくのは、悪くないじゃん、と。


下記では、ここ直近のエントリで「これじゃあ何がいいたいのか意味不明だよね」という感じになってしまってるエントリについて「ちきりんが伝えたかったこと」を書いておきます。

ただし、上にも書いたように下記のように解釈するのが正しいわけでも何か良いことがあるわけでもないです。それぞれの人が好きに解釈してくだされば共思います。それぞれの皆さんの解釈で、お楽しみくださいませ。


★★★


急がば回れ!

これは、「ふたつの正反対の意図を持つ人が、同一の行動を支持することがある。」という事例がおもしろいと感じて書きました。

たとえば仕事の取引で交渉をしているAさんとBさんが「○○でやりましょう!」と合意する。ところがお互いの目的とするところは全く真逆である、ってことがあるよね、と。夫婦の間で何か合意する、友達の間で何か合意する、という時もそう。意見が合致して「お〜、同じ意見だよ〜」とか「合意できたじゃん!!」とか喜んでいると、実はお互いの目的は完全に相反している、という場合があるよね、と思った。

そして、それを意識している人と意識していない人が交渉すると、すごく交渉上の立場に有利不利がでるな、と思いました。これを意識して交渉すると、たとえ合意しても「相手の目的は自分の目的と真逆だ」と理解してるわけですから、合意してからも気を抜かないだろうし、むしろ合意してからの方が大事だと思うでしょ。

一方の人は「やったぜ、合意できたぜ」と喜び、そこがゴールであるかのように感じているわけで、これはこの後の進み方に相当違いがでてくるなあと。そして、「この仕組みを“意識的に”上手く利用している人達も結構いる」よね、とも思いました。

“二世三世が是か非か”、“田舎の利益と都会の利益が云々”みたいな話は(それに焦点をあてて別の方が別の考えを展開されるのはなんの問題もないし、むしろそれこそが“つながるブログ”のおもしろさだと思います。*1)この日のエントリに関して言えば焦点ではないし、急がば回れなんていうタイトルは完全に遊びです。すんません。



もうひとつ。

全体最適 vs.オレ様最適

これは一種の反省文みたいなエントリですよね。今までちきりんは「全体最適で考えないなんて、なんて目線が低いの?」と思ってきました。でも、そうじゃないよな、と。結局「全体最適=自分最適」になりやすい立場にいるから、そういう思考になりやすいだけなんだな、と最近思うことがあったので、そのことを書いてみました。

「全体最適って、社会的な強者の理論だな」と思ったんです。「地球を守るために中国も煙出すな!」みたいなね。

全体最適に考える理由として(1)(2)(3)とみっつ書きましたが、(1)や(2)だと思っているけど、結局(3)なのではないか、というのが、この日の主題だったと思います。

そして実はもう一歩いえば、(3)の人が“自分の意見は(3)だ”とあからさまに表明することが憚られるために、(1)とか(2)の考え方を“世界に布教してるんだな”と思ったんです。そこが“一番すごいとこ”なんだよね、と。

ゲームってのはルールを作った人が圧倒的に強いってことです。そしてそれこそが“強者の強者たる所以”だよね。



最後にもうひとつ。

保育所が永久に足りないであろう理由

「解決されない社会問題の多くは、社会が解決しなくてもいいと思っている問題なんだな」と感じたので、保育園の例を使って書いてみました。

世の中には何十年、何百年と解決されない問題があるでしょ。技術的なものは別として、社会的な問題でそういうものは、結局のところ、本音では、多くの人が「解決できなくてもいい」「解決する必要はない」「解決できない方がいい」と思っていることなんだ、と感じたんです。

なので専任の大臣をおいても予算をいくら増やしても問題は解決されないと思う。社会はそれを解決したいとは思ってないですよ。

これはたぶん貧困問題も同じです。だから解決されない。そこにつなげたのがこちらのエントリ→反“貧困問題”の思想まとめです。

国際関係でいえば戦争とか紛争とかも同じ。武力行使だって“紛争解決の手段としてなくす必要はない”というのが多数派意見なんだよね。と思います。



というわけで、きりがないのでこの辺でやめます。最初にも書きましたが、これが唯一正しい解釈なんかではありません。そう言えば昔、国語の試験で文学を含め文章を読ませた上で「以下の中から著者の意図を選べ」っていう問題がよくありました。あれ、ちきりんは「超きらい」な問題だった。著者の意図など読者にわかるわけもないし、その意図通りに理解させること(それ以外の理解を排除させること)に意味があるとも思えない。

好きに解釈してください。


そんじゃーね!



*1:ちきりんは結構よくトラックバックいただいたエントリを読ませていただいてます!

2009-04-18 急がば回れ!

突然ですが、私はこれから “政治家の世襲に賛成する”ことにしました。

え〜 こんなエントリ→ 「麻生内閣メンバーの出自がスゴイ!!」書いといて、それはないだろって?

大丈夫、あなたもこのエントリを読み終わった頃にはきっと政治家の世襲に賛成してますよ!


有権者には世襲政治家の多さに苦言を呈する人、批判する人、反対する人、がたくさんいる。ってか、過半の人が「政治家の世襲反対」でしょ。

それは理解できる。当然ですよね。

選挙で選ぶから民主主義なのに、実際には地盤看板鞄(順不同)が揃ってる二世しか当選できない。

これじゃあ民主主義じゃないよね。普通の人が政治家を志しても当選はとても難しい。親が政治家ではなかった、という理由だけで。


おかしーじゃん!


と言いたくなるのはよくわかります。私もそう思ってました。



ところが最近、政治家の中からも「政治家の世襲はよくない」って言う人がでてきた。

民主党とか、自分が世襲じゃないとか、新人議員とかが言うならわかるんだけど、「あんたも世襲でしょ?」とか「あんたがそれ言う?」みたいな人が「政治家の世襲が多すぎるのはよろしくない」って言いだしてる。

たとえば森元首相とかが最近しょっちゅうこぼすわけ。「よくないよ、二世、三世ばっかりになっちゃって」と。特にお酒の席ではよく言うのよね。


なんであんたが言うさ?


って思うじゃん。森派改め町村派はいったいここまで何代続けて世襲の総理大臣を担いできたんよ? あんたが世襲反対なんて、ちゃんちゃら可笑しいって思うっしょ。


で、考えてみた。なんで森元首相みたいな政治家まで「世襲はいかん」と言い出したのか。


理由は明確だった。

森さん始め、最近の自民党の大物政治家は皆、ある危機感を覚え始めてる。

それは「世襲の政治家が増えると、田舎を地盤とする正当な保守政党である自民党の屋台骨が崩される」という、とても本質的で、深刻な危機感なんです。


どういうことか。


自民党という「もう終わったでしょ」と思われて久しい政党が、何で未だに政権与党なのかというと、一番の理由は「選挙に強い」からです。特に地方の小選挙区において、彼らはめっぽう強い。

それは農水省という役所が、「もう終わったっしょ」と思われてから久しいのに、未だに他省庁と統合されず単独で生き残っているのと同じ。

なんだかんだいって都会の若者なんて選挙に行ってない。行っても、毎回「風にのった」候補者に投票する浮動票にすぎない。


でも田舎には「祖父母の代から3代、自民党の先生にしか入れたことがない」っていう家がいっぱいある。そして彼らは、雨の日も風の日も嵐の日でも投票所に行く。

「前の日飲み過ぎた」とかいうふざけた理由で「めんどくせ」とか言って投票に行かないとか、絶対にナイ。しかも彼らの票は、一票の価値が都会の倍ですからね。すんごい価値ある票が“確実に”自民党に流れ込む。


つまり、この「地方での圧倒的な強さ」が自民党を支えてきたんです。

では「地方」はなぜそこまでして自民党を支えてきたか?


理由は明確。“自民党は地方を必死で守ってくれる”からです。

世界の潮流に背を向けることも全く厭わず、ただひたすらに地方を守ってくれる政党。それが自民党なんです。

意味不明なロジックで一切の農産物輸入を拒む農水省を支え、たとえ我が身が除名されても郵便局の民営化に反対し、どんだけ批判されようとも地方にダムやら道路やら干拓農地やらを作って工事従事者を雇ってくれる。


自民党の政治家は文字通り「地方に心血を注いできた」のです。

それが、小沢さんが「民主党の若手が全くわかってない」という“票の集め方”なわけです。


ところが、ある時、森さんら旧世代の政治家は気がつき始める。「田舎が地盤のくせして、都会型の政治政策を支持する政治家が出てきた」ということに。


・・・それって・・・


そう、二世、三世の議員達のことです。

彼らの多くは父親が議員だから小さな頃から議員宿舎や(大物の場合)東京の高級住宅地で成長してる。

選挙の時に一時的に田舎に戻ることはあっても、人生の大半を東京で過ごしている。しかも親が金持ちだから多くが私立の一流一貫校に通ってる。

自分の周りの友人で農家になる人なんて誰もいない。慶応大学や成蹊大学ですごす彼らの友人の多くは「外資系」や「IT系」に就職していく。もしくは起業する。世襲組の多くはそういう友人の中で育って「二世議員」になっていく。


こうした環境は、知らず知らずのうちに彼らの支持する政策に滲み出てくる。

地方で苦労してきた一世議員とは違う。農業も知らない。公共事業しかない現状も知らない。いや、「知識としては知っている」のでしょう。だけど「切実には」全然わからない。地方における郵便局の意味も。公共事業の意味も。


大学時代からの友人達と話せば、“日本の国際競争力のためには・・”などという話が飛び交う。

加えて世襲議員の多くはご丁寧に、箔付けのためにアメリカに留学していたりする。そこで彼らがどんな思想に感化されてくるか、想像に難くない。

世襲議員の多くは、カリフォルニアやボストンを、自分の日本の選挙区である田舎より「懐かしく」感じてさえいるかもしれない。



「やばっ!」


と森さん達は気がついた。世襲議員は田舎を知らない!

世襲議員に“田舎の利益のために理不尽なまでの心血と情熱を注ぎこむという気概と魂”が失われつつある!

それこそが長年我が党を支えてきた自民党の基盤そのものであるというのに!



森さんらはこのことになぜ気がついたか。

「何代も続けて世襲議員を首相にしてみて初めて気がついた」んです。

たとえば小泉さん。


小泉さんはなぜあんなにラディカルだったか。ひとつは圧倒的に都会化が進んだ地域を地盤としていたことでしょう。小泉氏の選挙区は神奈川県。だから郵便局の民営化は、彼にとって全く自然な施策だった。

でも、森元首相らが本当に驚いたのは「安倍さん」だったと思う。

あの人の政策に「田舎的なるもの」が全然感じられなかったんでしょう。思想的にはやたらと右な人だけれど、たとえば「再チャレンジ」なんて完全に「都会型の起業希望です的な学生&若者」層を想定した言葉なんです。


森さんは思った。(と、ちきりんは思った)

「お前の地盤は山口県やろ?」と。


そうです。彼は山口の政治家です。でも安倍さんは、東京生まれの東京育ちでもある。成蹊大学出身のおぼっちゃまです。

知らないよね、山口県のリアルな姿なんて・・もちろん彼も政治家だから陳情があれば地元の要請に添った政策を後押しするし、頭の中では理解しているでしょう。

だけどだんだん“浸食”されてくるわけ。「自民 & 田舎の DNA」が「都会の強者の理論」に。

だって、彼ら二世はまさに「都会の強者」なんだもん。


「やべ〜」


と森元首相は思ったわけ。(多分ね)


で、彼は考えた。「伝統の自民党を守るには、都会育ちの二世より、田舎からでてくる新人を支援して増やしていった方がええんとちゃうか?」と。これが森さんのような政治家までが政治家の世襲を困る、と言い出した理由です。


ってことは、ちきりんのように「田舎のことしか考えない政治家が国を率いるのはもうごめんだ!」と考えてる人にとっては、もしかして「どんどん世襲が増えた方がいい」んじゃないか?と最近思い始めた。


だって彼らは“都会の勝ち組”そのものですよ。アメリカ留学の経験率だって、一般有権者より圧倒的に高い。

中途半端に立身出世の意欲に燃えた田舎出身の優等生みたいな人に“初代”の政治家になってもらうより、二世、三世の方がよほど都会の利益に敏感なはず!

いくら頭で「大事なのは田舎の選挙区だ!」と考えようとしても、人生の長い期間をかけて形成された思想は間違いなく彼らの政策選択や政治行動に影響を与える。


彼らにとって、公共工事や農業へのバラマキ補助金を通して、「何があっても永久に田舎に金と利権をばらまき続けなければ!!」という切実な気持ちを持ち続けるのは、決して容易いことではない。

彼らの奥さんも彼ら自身も、彼らの周りの友人も、誰もそんな環境の中で育ってきてはいないのだから。



なので。


ちきりんは「政治家の世襲に賛成します!!」

さて、ここで問題です。(今日の本題はここからです!)


問1:上記の文章の内容を最も的確に表していることわざを以下の3つの中から選べ。

a) 犬も歩けば棒に当たる

b) 急がば回れ

c) 転ばぬ先の杖



回答は本日のエントリのタイトルをご覧ください。


f:id:Chikirin:20150810175729j:image:medium

そんじゃーね。


http://d.hatena.ne.jp/Chikirin+personal/  http://d.hatena.ne.jp/Chikirin+shop/

2009-04-16 全体最適 vs. オレ様最適

「全体最適」という概念があります。

個々の構成員にとってではなく「組織や社会全体にとって最も価値が高くなる方法」を選ぶ考え方です。


最近よく聞くようになった「トリアージ」

大災害や大事故が起こり、治療を要する人が大量に発生して医療キャパシティがたりない時、専門の医師が治療の優先順位を考える手法のことです。

優先して治療を受けるべしとされるのは「より重症の人」ではなく、「治療する意味のある人」なので、その時点で「手を尽くしても既に治療の甲斐がない」と判断されると優先順位が低くなります。

こうすることにより、救える命の数が「全体として最大化」できるわけですね。


もうひとつの例は、倒産しそうになった企業を国が税金で支援すべきかどうかという議論です。

銀行や日本航空には国の支援が入りましたが、普通の民間企業が倒産しそうになっても税金での支援などありえません。

ここでも「特定の企業に関しては、税金で救うことが国の経済全体の利益になる」という全体最適の理屈が使われ、国の支援が正当化されます。


この「全体最適の考え方」は決して自然な思考ではありません。

なぜなら一番自然なのは「自分最適」だからです。

だから子供は全体最適なんか考えません。目の前にお菓子が 4個あって人が 4人いても、自分が食べたければ 4つとも全部食べます。

一方で、たとえば遭難しているボートの上であるとすれば、「食べ物は最初に漕ぎ手に配分する」という考え方が全体最適です。

結果として「そうすることが全員の利益になる」でしょ。

だからたとえ漕ぎ手以外の乗客に餓死しそうな子供がいたとしても、まずは漕ぎ手に食べ物を与える、という考え方が全体最適。

人道的に考えれば、まずは餓死しそうな子供や高齢者に食物を配分すべきですが、そんなことしてボートの漕ぎ手が疲れ果てたら全員が助からなくなってしまいます。

こういう場合、「やむを得ず」子供を見殺しにしてでも漕ぎ手に栄養補給をし、ひとりでも多くの人の命を助ける。

こういう「全体最適」って、基本的には正しい考え方であると思われてるのですが、私たちはそういう感覚を、いつどこで学ぶのでしょう?


(1) 仕事を通して、全体最適が合理的な思考であると教えられる

家庭で「全体最適で考えなさい!」としつけを受けた人は多くないでしょう。学校でもそんなことは教えていません。

成績のいい子が学芸会の研究発表を担当し、運動神経のいい子が運動会で多くの種目に出場し、作業が丁寧な子供は「給食係」になれば全体最適ですが、学校では全く逆です。

全員で勉強し、運動会では全員なんらかの競技にでろと言われ、給食係も全員で分担すべきというのが、学校の理屈です。

ところが会社では明らかに「全体最適で考えるべき」と指示されます。

自分の営業成績や自分の部署のことだけを考えていると「身勝手、セクショナリズム」と責められ「視野が狭い」と言われます。

「全体最適を考えられる人こそ、昇進すべき人」というのが企業社会の考えです。

会社が家庭や学校と違うのは、「組織のアウトプットの最大化」が使命であるということです。

企業というのは、そもそもが個人ではなく組織の利益を増大させるための仕組みなので、個々の構成員はみんな自分の利益よりも全体最適を考えろ、という話になっています。


(ところで、“国”は、全体のアウトプットの最大化が目的の集団なのかどうか、という点は興味深い点です。国として先進国になったり経済大国になることが目的なのか、必ずしもそうではないのか、当たり前のようで難しい問題です)


(2) 価値観として“全体最適エライ論”が存在する。

企業社会は「アウトプット最大化のために、個の利益を犠牲にするのは合理的である」という考え方ですが、それとは別に「全体のために個を犠牲にする行為は尊い」という価値観も存在します。

日本では、この「個々人の欲望を全体のために抑制すること」を是とする考え方や、「自己犠牲をするのはエライ!」、「自己抑制をすることは美しい!」という価値観が強く、「全体最適で考えないなんて身勝手である」という感覚さえ存在しています。


(3)「全体最適=自分最適」の人が、全体最適思想を主張・推進している。

たとえば銀行の経営者が「銀行に公的資金を入れるのは日本経済全体のためになる」と主張するのは、「全体最適=自分最適」ですよね。

これでは全体のことを考えているように見えても、ほんとは単なるエゴでは?という気もします。

しかも世の中には、全体最適で考えると「自分の人生において一度も得をしない人」もいると思われます。

そういう人にとっては、常に我慢をさせられて、イザという時に自分を助けてくれない全体最適という考え方は「詐欺的な理屈」に思えることでしょう。

理屈では、全体最適の追求において、特定の個が常に得したり常に損したりすることはない、というのが前提です。

けれど実際には「かなりの確率で得する個」と「かなりの確率で損ばかりしている個」に分かれているようにも思えるんです。

そして、「かなり得しやすい個」は「全体最適で考える人」になり、全体最適では自分は常に「犠牲側」もしくは「益が少ない側」に置かれてきたという経験や記憶のある人にとっては、全体最適なんて受け入れがたい考え方だということになります。

もしも「かなり得しやすい個」の人達が社会の指導層にいれば、その社会全体で「全体最適で考えるべきだ」という思想が啓蒙されます。

ちなみに自分がどちらに入るのかは、必ずしも客観的な判断ではありません。

主観的に、もっといえば被害妄想的に、「全体最適で判断されてオレ様が得することは絶対ない!」と思い込むケースもありそうで、そういう人は全体最適の理屈を決して支持しないでしょう。

つまり全体最適というのもまた「強者の理論」とも言えるのです。

だから、「全体最適で考えるのは、あたりまえ」と思う人は、今一度考える必要があるのかもしれません。

そう考えないことは、本当にそんなに視点の低い、考えの足りない、責められるべきことなのかと。


もしかして天に唾?


f:id:Chikirin:20150810175729j:image:medium

ん〜じゃ。


http://d.hatena.ne.jp/Chikirin+personal/  http://d.hatena.ne.jp/Chikirin+shop/

2009-04-13 反“貧困問題”の思想まとめ

貧困問題について議論する際、よくでてくる反論をまとめてみた。

反“貧困”ではなく、反“貧困論議”の考え方です。=「貧困なんて、寄ってたかって真剣に議論するほどの問題でもないでしょ」的意見の方のその理由集、みたいなもんです。



(1)自己責任論

貧困に陥ったのは社会の責任ではなく本人の責任である、という説。本人の勤務態度の悪さや努力不足、貯金をしてこなかったことなどを責める場合が多い。従来は反貧困問題の理論として最もオーソドックスな意見であったが、最近は「まだそんなことを言っているのか?」と勉強不足や認識不足を指摘する声が強くなり、急速に姿を消しつつある。


(2)絶対的貧困の不在説

日本における貧困層は、アフリカ難民などの貧困さと比べれば全く貧しくなく、日本には本当の意味での貧困問題は存在しない、とする説。すなわち「生存のための必要最小限カロリーの摂取に困るレベル」の貧困者の数は日本では社会問題としてとりあげるほどの数ではない、という主張。

貧困ラインを絶対値で、しかもかなり低いレベルで認識しており、「必要な医療が受けられない、子供が高校に通えないようなレベルも日本では貧困と捉えるべき」という意見を否定する。


(3)南の島へ行け論

貧困の人達は、居住費をはじめ生活費の高い東京などの大都市にいるから貧困なのである。もっと生活費の安いところに行けば貧困ではなくなるのだから、まずはそういうところにいくことによって貧困から脱するべきである、という意見。

たとえば南の島へ行けばテントのような家でも凍え死ぬこともなく、衣服もほとんど不要。テントの周りに芋や菜葉を植えるだけで食べていけるはずである、などと主張される。

昔、米国の中西部の都市がホームレスにロサンゼルス行の片道飛行機切符を支給し問題になったことがあった。その際の中西部都市側が「ここにいてはホームレスは凍死する。人道的措置として切符を配った」と説明したが、これもこの説にのっとった政策と考えられる。(ロサンゼルスは怒っていた。)


(4)現物支給で解決論

日本では食べ物の4割が廃棄され、各家には要らない洋服や生活雑貨が溢れている。という現状から、貧困問題にあえぐ人は、そういった「残り物」を得られればそれだけで貧困から脱することができるはずである。問題はそういう「余った食物」や「廃棄される生活雑貨」が貧困者に回される仕組みがないことにある、という考え。

また家に関しても生活保護費を払うよりは、地方の土地の安いところに震災時の仮住居的なプレハブを作って、そこに入ってもらうような現物支給方式で行うべきと主張する。


(5)仕方ないだろ論

貧困のない社会など歴史的にも、また他国でも存在したことはなく、どんなに社会制度を整えても結果として必ず存在するものであるのだから仕方の無いことであり、ことさらに問題視する必要はない、という考え。たとえば共産主義国にも貧困は当然のように存在していた(いる)という例がよく取り上げられる。

また「先端の企業や個人が国際競争力に欠けることのほうがよほど問題である」という考えと共に語られることが多く、社会課題の優先順位を考えた時に、貧困問題をそれ以外の問題より相対的に劣後させてとらえる思考でもある。


(6)税金支払いによる貢献済み論

日本にも貧困が存在しており解決しないといけない問題であるとしても、それは国の役目であり、自分達一般の人達は納税行為によってこれらに貢献しているので、それ以外に貧困問題解決のための特別な行為をする必要(求められる必要)はない、という論理。


(7)進化論への挑戦は無謀だ論

弱者が淘汰され強者だけが生き残るのは、進化論の原則に沿った流れであり、生物界を支配する大きな掟である。したがって、現代社会のルールによって生き残れない人達が現在の社会から淘汰されるのは一種の自然の摂理である、という説。進化論に挑戦するのはいいが、所詮は無駄な努力に終わる可能性が高く、結局は弱者を救えるわけではない、と考える人達の論理。



ちきりんが聞いたことある「貧困議論に異議あり!」な人達の理屈は以上です。また別のを聞き次第、追記したいと思います。


ではね。

2009-04-11 キム家三代の男たち

朝鮮半島の北半分で実権を握るキム家の皆さんなんですけどね、ここの3代の男性の「権力の握り方」がすごくおもしろいなあと思ったので、ちょっとまとめときます。

実はちきりんは将軍様のご長男の「正男」君が結構好きなんです。(告白!)


昔「ちきりんが今一番、お酒を一緒に飲みたい男」に選んだのは共産党の志位委員長(こちらね→http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20051002)、その後が“世界で一番セクシーな視線”だよね〜と感じたプーチン大統領(当時)。だったんだけど、今誰と一番飲みに行きたいか?と言われたら、それは間違いなくキムジョンナム氏(金正男氏)です。

こうやってみると、3人とも「共産主義系のトップ」で、これがちきりんの「好みのタイプ」なんでしょうか。ちょっと怖いです。


で、なんで正男さんに関心があるかというと、この人すごく「ぶっちゃけてる」からなんです。お父さんともおじいさんとも違うなあと。で、考えてたらこの3代の親子&その子、結構タイプが違うんだよね。

なんで、その辺、今日はまとめとくです。


★★★


一代目:金日成氏

彼はどうやって権力者になったかというと、最初は「傀儡」だったんです。アメリカのCIAがよくやる「帰国子女系」を連れて帰ってトップにたてる、ってのがあるでしょ。アフガニスタンのカルザイ氏とか韓国の最初の李承晩氏みたいな。あれのソビエト版が金日成氏ですよね。

ソビエトは朝鮮半島を共産陣営にしたかった。で、そのためには民族主義を表にたてるのがいいので、誰か朝鮮人で適当なのはいないか、と探してた。で、その頃ソビエト領内にいた抗日ゲリラとしてイキのよかった金日成に白羽の矢を立てたわけですね。

ソビエトの軍事力の後ろ盾で彼は「北朝鮮のトップにつかせてもらった」のであって、自分でのし上がったわけではない。抗日運動をやっていたことは確かだけど、すごく功績があったわけでもなく、むしろ当時彼はまだ若くて「明るく元気で単純、血気盛んな抗日ゲリラ」だった。ソビエト軍にしてみれば「傀儡として最適」だったということでしょう。扱いやすい方がいいわけですから。

というわけで、彼は北朝鮮を建国した後では自らの神格化や権力掌握に非常な才覚を発揮したのは確かなのだけど、権力者に上り詰めた方法というのは、あくまで「後ろ盾のソビエトに選んで貰った」ということだと思います。



二代目:金正日氏

二代目の彼は、カリスマである一代目から順当かつ簡単に権力を譲り受けたボンボンと思っている人もいるかもしれませんが、実はそうではありません。

この人多分、金日成氏よりも「トップになるために苦労&努力した」と思います。相当大変だった感じです。

なんたって金日成氏は「建国の父」です。抗日パルチザンとしての活動歴も実際にある。しかも様々な局面で国民とも直接ふれあっている。

だけど自分は単なる「息子」にすぎません。なんの実績もないし、隠れて生活してきたので国民と直接関わるようなポジションにもいませんでした。しかも共産国政権の世襲なんて理論的にも支持は得られない。加えて「父世代の有力者」がまだたくさん残ってて、苦労知らずの二代目ぼんぼんへの世襲を快く思っていない。

そんな超逆風の中で名実ともに「自分が正当な後継者である」ことを示すのは半端なことではなかったと思います。軍部や古い世代のリーダー達にクーデターを起こされ暗殺される恐怖感も常にもっていたことでしょう。

それを乗り越えるために彼は、父親の死の前後15年程度もの間、相当におどろおどろしい権力闘争を繰り広げ、危ない敵はすべて罠にかけて追い落とすなどして実権を握っています。ソビエト政府に押し上げて貰って一足飛びにトップに立った父とは異なり、長期間にわたって警戒感を怠らず、陰鬱に巧妙に仕組んでようやく政権を掌握したのです。



で、三代目:金正男氏

この人ぶっちゃけてますよね。母親が亡命して死亡してたり、本人も海外が長いからでしょうけど、全く北朝鮮の洗脳の世界にいる人とは違います。資本主義国の人ほどではないにせよ、北京の人よりも自由な感じがします。

そもそも北京やマカオなんかでは普通に歩いてて記者に囲まれたりしてますからね。言うことも「いやいや僕の立場でそんなこと言えるわけないでしょ。勘弁してくださいよ」的なコメントだったり。カリスマ性は全然ないけど、「普通のおっちゃん感」には溢れた人です。

特権を利用して海外をあちこち贅沢に遊びまわりながら、立場を利用して適当に商売して儲けてみる。そんな今の生活が一番だと思ってるようです。もちろん彼は別に北朝鮮のトップになりたがってるわけでもありません。むしろ嫌がってる感じ。


が、だからこそ、この人がなるんじゃないの?とちきりんは希望的に予測してます。

そして、そしたら、そう。北朝鮮が変わるかも!です。


前に、「北朝鮮はそんな簡単に崩壊しないよ」と書きました。理由は「誰もそんなこと望んでないから」でした。こちらのエントリです→http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20050512

上記エントリにも書きましたが、実は正男をトップに据えるのを「望んでる」とまではいわないけど、「望んでもおかしくない」関係者がいます。それが中国です。

中国は、北朝鮮が自分の国みたいな国、になってくれることを望んでいるのです。決してアメリカ側につかず、つまり共産党独裁のまま、でも、あんまり問題を起こさず、支援要請ばっかりしてくる国ではなく、ある程度経済的にも自立して、みたいな。そういう国になってほしいと思っているわけです。

つまり自分達がやってきた“開放政策”を忠実に真似てくれる指導者がいい。とすると、この正男氏はまさに適任です。

金正日氏の健康は誰が見ても苦しい感じです。中国は今、真剣に「北朝鮮の次期政権への移行シナリオ」を検討していることでしょう。数人しかいない息子達の中でベストなのは、“北朝鮮の外の世界”を知っていて「開放政策」を支持する現実的なリーダーです。


正男、ぴったりじゃん!!


と、ちきりんは思うけど、

胡錦涛主席がそう思うかは、よくわかんない。

けどね。


期待したい。


その気もなかったのに胡錦涛氏に「お前やれよ、お前のオヤジがめちゃにした国、なんとかしなあかんやろ、俺らが支援するから。なっ!」とか言われて、「え〜、そんな面倒なことやりたあないわあ」と言いつつ、


「命の保証ないで、やらんのやったら・・」と胡錦涛ちゃんに睨んですごまれ、、

「え〜、こわ〜。んなら、しゃーないなあ・・・」

という感じになるんじゃないかと。




というわけで、キム家三代の男達!

・明るく元気で女好き、ソビエトから「傀儡ボーヤにぴったりハラショー!」と思われた“明”の金日成

・陰鬱な権謀術数に長けた“裏の帝王”タイプの二代目、“陰”の金正日。

・そして、適当に世の中を流して生きてきた“おちゃらけ”の三代目、金正男!



やっぱり“時代はおちゃらけ”の風?


ちきりんは心から楽しみにしてるよ!


そんじゃーね。

2009-04-10 おふたりのご見識に感動

ご結婚 50周年ということで天皇&皇后関係の報道が増えています。皇室ミーハーとして、ちきりんもこういった報道を興味深く見ています。

その中でも一番感動したのは、女性誌でアグネスチャンさんが紹介していたエピソードです。


彼女がまだ学生だった頃、留学生会館に今の天皇と皇后(当時は皇太子夫妻)がいらっしゃったそうです。

その時、現場で係の人が留学生を部屋の壁に沿ってぐるっと並ばせたそうなのですが、

その並ばせ方が「右から白人、次がアジア人、その次が・・」というように“肌の色の薄い人から濃い人に順に並ばせた”らしい。

白人から始まり、最後がアフリカ系の留学生、という感じかな。


この係員が宮内庁関係の人なのか留学生会館側の人なのか、わかりません。

アグネスはもちろん「これはちょっとな〜」と思ったそうですが、皇室の人と会うなんてすごく特別な機会で、現場もぴりぴりしていたため、みんな黙って指示に従ったらしい。

その場にいた留学生たちは(白人の人も含め)みんな同じような気持ちだったでしょう。


そして彼等がその微妙な気持ちを心に秘め直立して待っていると、そこにお二人が入ってこられた。

そして、入ってきてすぐにお部屋で待っている皆を見ると、顔色一つ変えずに「肌の色の濃い学生」の側から順に回り始められた。ひとりひとりにお言葉を交わしながら。

当時学生のアグネスはびっくりし、そして次の瞬間に大感激し、もうなんの言葉もなくてもその行動をもって一瞬にしてお二人を尊敬するようになったと書いていました。


これ、私にはこの係員の方を責める気はありません。おそらく 40年も前のことです。

係員の人は一度も海外に行ったことがなかったかもしれないし、自分が有色人種として差別される体験も一度ももってなかったかもしれない。

欧米追随とアジア軽視の教育をずっと受けてきた時代の人だろうし。いずれにせよ、そういう並ばせ方をすることの意味を理解できなかったのでしょう。

初めて黒人をみた子供が「おかあさん、この人の肌黒いよ!!」と叫ぶのと同じです。それを責めてもしかたない。


が、あまりに立派なのがお二人の行動だと思うのです。こういうことが自然に、しかも瞬時に判断できるのはすごいなあと。

おふたりは、自分達のその場での行動が=右から回るか左から回るかと言うことが、単に人種差別云々だけではなく、

日本にとって長期間にわたり、ものすごく深く大きな意味を持つであろうことを瞬時に理解されたのでしょう。


おふたりは当然、自分達が日本の元首、象徴と見られていることを理解されていた。

そういう人が「やっぱり白人尊重、アジア人や黒人を軽視」する感覚を持っていると思われたら、

様々な国からきている留学生達がこれからの長い人生の中で日本についてどういう印象を持ち続けるか。

国に戻ればエリートであろう彼等の話を聞いたそれらの国の他の人達が、日本をどういう目で見ることになるか。


並んでいた留学生の中にはアグネス始めアジアの国の人も多かったでしょう。

日本が占領したり攻め込んだりした国の人もいたはずです。これらの人にとって皇室の人は必ずしも尊敬できる対象ではありません。

「日本人は今でも自分達を劣った民族だと考えているのではないか? 自分達だけが白人と同様で、それ以外を見下しているのではないか?」と思っているアジアの人がいても不思議ではありません。


しかも、アジア、中東、アフリカからの留学生の中には、当時の日本での日常生活においても、差別的な扱いを受けていた留学生がたくさんいたでしょう。

お二人はそれを十分に理解されていたと思います。

そして、そんな人達の前に出た時に日本の象徴となる人達がとったとっさの行動の重みは、想像を絶するインパクトがあったことでしょう。


この時のおふたりの行動は、どんな言葉でそれを説明するよりも強力に「日本がこれから海外に向き合う時の基本姿勢」を示された、と思うのです。

お二人は特別な教育を受けた方ではあるけれど、当時はまだ 20代かせいぜい 30代です。

そういう若さでこれだけの見識をもつ方を国のトップ(当時はセカンドトップ)の象徴としてもてたことは、日本にとって大きな意義があると思います。


そしておそらくこの時だけではありません。似たような話が何度もあちこちであったのではないか、とちきりんは思います。

この二人が海外訪問等を通して残したすべての印象が海外の人にとって「日本が世界をどうみているか」を象徴してしまうのですから。

アグネスだって「お二人の思い出」として書いていますが、もしも悪い印象が残れば、それは間違いなく「お二人の行動」ではなく「日本人の行動」として記憶されたはずです。


今、日本の政治家は世界中で恥をさらしているでしょ。日本の大臣の酩酊会見をみた海外の人は、それをその個人の問題だとは思わないです。

「日本の政治家ってのは・・」「日本人ってのは・・」と思っているはずです。

ああいう立場の人は海外にでれば「日本人は、」と言われる立場にいるのです。

また、今は当時と違ってインターネット時代です。ひとりの人の行動が短期間で世界中に報道されてしまいます。

それなのに、人生の後半の年齢を迎えて政府の要職にあってさえそれを全然理解してない人が多い中で、

20代、30代の頃にそのことを体で理解し、とっさにこういう判断ができる人が日本の象徴として海外と接し続けてきたことにより、私たちの国が得たメリットはとてつもなく大きい。


むしろ残念なのは今がネット時代で、このエピソードの当時がネット社会でなかったことですよね。

当時既にすべての留学生がネットとつながっている時代であったなら、おふたりの行動は(いずれの行動であったとしても)数日中に世界中に伝わり、大きな反響を生んだのではないかとも思います。


この記事を読んだだけで感涙した涙腺の弱いわたくし。

もし自分がこの現場にいたら、その場で感動して泣いちゃってたかもと思います。


人が新しいことを学び、見聞を深めさまざまに体験することの意義があるとすれば、それはこういうとっさの時に

「自分の発する言葉ひとつ、小さな行動ひとつが他者からみてどういう意味をもつのか」

ということを、事前に、かつ深く理解できるようになることなんだな、と思いました。


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ではでは


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2009-04-08 保育所が永久に足りないであろう理由

今年はさらに大きな問題になっている保育所不足と待機児童問題。

供給側(行政)もサボっているわけではないけれど、供給以上に需要が増えてるため常に足りていません。

需要が急増してる理由は、「働くことを希望する母親が増えたから」もしくは「働かざるを得ない母親が増えたから」なんだけど、

もう一歩踏み込んで言えば、これっていわゆる「供給が需要を生む構造」がある市場なんで、「永久に足りない市場」とも言えるんです。


この構造は“特別養護老人ホーム”も同じで、預かってもらえないから自宅で介護してるけど、

「公的な施設がリーズナブルな価格で親身になって看てくれるなら(自分も)入りたい、(親に)入ってもらいたい」

と思う家はたくさんあるわけで、供給側が充実すればするほど「じゃあ、うちも」という話になる。


保育所も全く同じ。

「格安で、近所で、安心して、子供を預けられる」なら働きたいが、そうでない現実だから働くのを中断し、家で子育てしてます」という人は、待機児童数どころではない数(桁が違う数)存在します。

具体的な数字を見ると、全国の保育所の定員合計は 230万人くらいで毎年 5万人分くらいずつ増えてる(増やしてる)んですが、それでも毎年数万人の待機児童が生まれます。


最近は、1年に生まれる赤ちゃんの数が 100万人ちょっとだから、0歳児から 6歳児までの 7年分で 700万人以上の小学校入学前児童がいます。

保育園定員が 230万人ってことは、その差である 470万人もの子供が今は(一部は幼稚園に通いつつ)家庭で育てられてるってことです。( 470万人のうち 幼稚園児は 150万人くらい)


もちろん中には「たとえ自宅の隣が保育所であっても子供を預ける気は無い。自分で育てる!」という親もいるでしょう。

しかし普通に考えれば、保育所が増え、誰でも近所の認可保育所に安く預けられるよーになれば、

今は家で育ててる 470万人の中から、「だったら、あたしも預けて働こうかな?」と思い始める人が続々と現れます。


だから毎年 5万人ずつ保育所の定員なんて増やしても焼け石に水なんです。

だって、470万人の子供のうち 10人に一人が「うちの子も預かってもらおう!」となるだけで、 47万人分もニーズが増えるんだもん。

つまり毎年、数万人ずつ定員を増やすといった方法では、待機児童は永久に無くならないんです。


★★★


供給側もそれがわかってるから“適宜&漸次”増やしはするけど、一気に増やしたりしないし、

口では“待機児童ゼロ作戦”とか言ってるけど、完全な解決を図る気はそもそもありません。

「いつもの倍くらい作ったら足りるのでは」って? 

いえ、それでも足りません。

だって、たとえば中野区がそれをやれば、杉並区の夫婦で子供が生まれた人は中野区へ引っ越しますから。

保育園確保が死活問題のお母さんにとっては、都内の引っ越しなんて簡単なことです。


ちなみに老人福祉施設や保育所に加え、医療に関しても厚生労働省は同じように考えてるフシがあります。

それは「医者を増やすと医療費が増える」、すなわち「供給を増やすと需要が増える」というロジックです。

ここ数年「救急患者のたらい回し」や「勤務医が働き過ぎ=労働基準法違反」状態にあることが頻繁に報道されたため、ようやく昨年「医師が不足してる」って認めましたが、

おそらく厚生労働省には、「供給を増やすと需要が増える」という恐怖感というか既成概念が非常に強いんでしょう。


「保育所なんて増やしたら、今は家で子供の面倒をみてる女性が働き始める」

「老人施設なんて増やしたら、今は家で面倒をみてもらってる老親が施設に移り始める」

と思ってるから、「ちょっとずつは増やす」けど、ドーンと増やす気はありません。


★★★


本気で待機児童を無くしたいならどうすればいいかって?

子どもの数と同じだけ、定員を確保すればいいだけです。

小学校の待機児童って存在しないでしょ。それは、そういう決め方をしてるからです。


そこまで行かなくても、妊娠から出産までは一年弱あるわけだから、待機児童ゼロを本気で実現したいなら、「妊娠時の申し込み制度」にすればいい。

母子手帳を交付した段階で「何歳から保育所に入れたいですか? 入れたい時期と希望のエリアを申請してください」と聞き取り、その希望に応じて保育所を増やせばいい。

1歳児の申し込みに関しても、0歳児の親に「来年から預けたい方は一年前に希望を出してください」と言い、希望者数のとおり、次の 1年をかけて定員を増やせばいい。


毎年毎年、「今年の待機児童が 1000名だったから、来年は受け入れ定員を 1000名増やします」とか言ってるのは変でしょ。

今年の待機児童数と来年の入所希望数にはなんの関係もないんだから。


来年生まれる子供の数も、来年 1歳になる子の数も 1年前にはわかってんのに、なんで役所が需要を予測する必要があるんでしょう? 

どうせはずれる需要予測なんかせず、生まれる子供の実数(&預けることを希望する親&子の数)をダイレクトに供給に反映させたら、待機児童はゼロにできるんです。


でも、そうはしない。


なぜ?


理由は・・・そんなコト(実は)したくないという「政治家の思想」があるからです。


安倍元総理とかもそれっぽいですけど、保守系政治家の中には「子供は母親が自宅で育てるべき」という信条を(密かに)強くもっている人がたくさんいます。

保育所とは、やむを得ず働かざるを得ない母親や家庭のために整備するものであって、

「そんなものをたっぷり作って、子供のいる母親がみんな仕事を持つのが当然、みたいな“すさんだ世の中”になったら大変だろ!」という感覚がある、んですよ。


これって地方の首長も同じでは?

東国原(宮崎県)知事、石原都知事、森田(千葉県)知事とか思い浮かべてみてください。

この人たち、「女性が子供を持つことで仕事を犠牲にしなければならないような世界はおかしい!」と心から思っていそうですかね。


大きな声では言わないけれども、男性政治家の中には

「やっぱり子供が小さい間は、女性は家にいるべき」「家事と子育てがまず基本であり、

それができたうえで、仕事もやりたいというのなら俺は心から応援するよ!」みたいな人がたくさんいるんですよね。


彼らからは、「母子家庭とか夫が病気とか、どうしても仕方ないなら、母親も働けるように整備する」けど、

「積極的に、母親が仕事に出るような流れを加速する政策はダメ!」という本音が透けて見えます。

だってね、

この国では、夫婦別姓を(希望者にだけでも)認めたら、日本の家族観や価値観が崩壊するからダメって言ってる政治家が未だに多数派なんですよ。

そういう政治家がホントに「希望するすべての母親が、外で働けるように支援しなければ!」と考えてると思います?

思えないでしょ。


彼らは本音では、「保育所は、常にちょっと足りないくらいがちょうどいい」・・・そう思ってるんじゃないでしょうか。

医師や老人保健施設についても同じ。

「医師が山ほどいて、医療がめっちゃ手厚く受けられて、誰も彼も 100歳まで生きるようになったら、年金支払いで国が滅びるだろ?」と思っていたり、

「老親の世話は子供が見るべき。

人生において子供を作らなかったような“大人として失格の人”は、老後が大変でもあたりまえだ。

むしろ、そうじゃないと誰も子供を作ろうと思わないだろ?」くらいの考えが、あるんじゃないの?


というわけで、保育所は永久に足りないと思います。

「供給を増やしたら需要を増やしてしまうので、完全に足りてる状態を作るのは無理」と思っている役所と、

「女は、まずは家事と子育てをしっかりやってから働けばいいじゃないか?」と思っている政治家のせいで。


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ふんじゃね〜


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2009-04-07 “あなたの知らない貧困”

3月21日号の週刊ダイヤモンド特大号が、貧困を特集していました。真っ黒の表紙に白いでかい文字で「貧困」と書いてあってインパクトがありました。

ちきりんがこの号を買った最大の理由はこのタイトルがおもしろいと思ったからです。

「あなたの知らない貧困」って、おもしろくないですか?


「あなたの知ってる貧困」と「あなたの知らない貧困」があるってこと? 

というのがとても興味深く、買ってみたわけです。


「あなたの知らない」という意味は、私が想像するに

「週刊ダイヤモンドなんかを読んでいるあなたは、当然に大企業の正社員か中小企業の経営者にあたる人で、たぶん部長やら役員やらで、当然に高給取りで、親戚やら友人知人を含めても、本当の意味で貧困の人なんて目に見える範囲にはいないでしょ?」「だけど、世の中にはあなたが想像できないくらい貧乏な人が実はたくさんいるんですよ!」ってことなんだろうと。

想像したんだけど、違うかしら?


他に「あなたの知らない貧困」ってどう解釈できます? 「あなたの知ってる貧困」との差はなに?


ちきりんは友達と飲みに行くと、よく自分から「貧困問題についてどう思う?」と話を振ります。ですが、友達の方からそんなことを聞かれたことは一度たりともありません。

しかも私から話を振り出しても、この議論にのってくる友人は非常に少ないです。

多くの人が「なんでそんな話、してんの?」って感じです。

二人で飲みに行っている時はちきりんもある程度粘りますが、数人で飲みでる場合は、たいてい 15秒くらいでスルーされちゃいます。

誰もそんな議論に興味がないです。そして知らないです。「わたしたちの知らない貧困」です。


二人で飲みに行っていて、かつ相手がこのブログの存在を知っている場合、つまり私がこの問題に関心があることを知っている場合、かつ、相手がちきりん(という人間の思考)に強い関心がある場合のみ、ある程度議論が続きます。

相手が貧困に興味がないのはこの場合も同じですが、「まあ、ちきりんがそこまでこの話がしたいなら、僕はつきあいますよ!」って感じです。お情けで話につきあってもらってるみたいです。


このことを私は長らく「自分の環境がとても特殊なのだ」と思っていました。そして「特殊な環境にいる人の世間知らずさ」を問題だと感じていました。

でも、この雑誌を見て思いました。ちきりんのいる環境は決して特殊ではないんだと。そう言う人が一定数以上(大多数かどうか知らないけど)いるんだなって。


「あなたの知らない貧困」を「この雑誌を読むことによって知ることができますよ!」という雑誌が成り立つわけだから。

そして、「ああ、だから解決できないわけだよね」とも思いました。私たちにとって貧困とは“雑誌や本で学ぶコト”であり“お金出してお勉強して学ぶこと”なわけで・・・“中世フランスの農地改革”とかそういうのと同じようなリアリティのない話なんだと。*1

実際この特集の中では「貧困問題を学ぶにはこの本を読め!」みたいな推薦図書も載っていて・・まさに「貧困とは本で学ぶモノ」であり、日常にあるものではないという扱いでした。


この“見えにくさ”にはいくつか理由があるとは思うのですが

→ 関連過去エントリ

格差の“見えやすさ”」

格安生活圏的なものがない


貧困の偏在や隔離、そして補色的な見えにくさについては日本社会の特殊性からくるものも種々あって、ここを探っていくと結構おもしろいかな、と思いました。


ちなみに週刊ダイヤモンドの記事には“このナイスなタイトル”に呼応する分析は特になく、「目に見えない貧困が拡がっている」とか書いてありますが、「なんで見えないのか」という一番おもしろい点には注目していません。

代わりに生活保護世帯数などのグラフをふんだんに掲載し、データを示すことによって「ほら、あなたの目には見えてないでしょうが、データにはこんなにきれいに表われていますよ」とたたみかけています。



「データにこんなに綺麗に表れているのに、なぜ見えないのか?」こそおもしろい点なのに。

センスないなあ、と思いました。


でもまあタイトルだけでもナイスだったので、許してあげる。

何様?

ちきりん様

奢れるなんとか久しからず



あ〜、また叩かれる!


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そんじゃーね。



<参考図書>



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*1:“私たち”に他意はないですが、とりあえずここでは“週刊ダイヤモンドのターゲット読者”ってことで

2009-04-06 愚鈍なる人生の安逸

“鋭敏な感覚”を持つ人というのは人生がつらいと思う。

特に若い時はそうだよね。

他の人が何も感じないことにこの世の矛盾が凝縮しているように感じるし、何気ない他人の言葉や表情の中に、絶望的な拒絶や身勝手な横柄さ、救いようのない愚かさを見た気になる。

そして一人で奈落の底まで落ち込んでいったりする、でしょ。

なんだけど、そんな人も年齢を重ねるごとに少しずつ愚鈍になる。


誰でもそうなるし、否応なくそうなる。

そしてそれはものすごく幸せなことです。


もちろんその人が希代の芸術家だというのなら、それは“才能の枯渇”を意味してしまう。

なんだけど、実際にはそういう可能性は 99.9%無い。

なので、大半のケースにおいて、年をとれば幸せになれる。愚鈍になることによって。


年をとると、他人とのほどよい距離感のとり方など、若い頃に余りにも難しいと感じたことも感覚的に理解できるし、“気にせずにすます”という技をいつの間にか習得してたりする。

人生も世界も圧倒的なレベルまで偶然に支配されていると気づくと、考え悩むことの無意味さもわかる。

過去において、これは人生をかけて考え尽くすべき深遠なテーマだと思ったことさえ、あまりに単純な原則の上に成り立っていることが見えてしまう。

そして昔想像できた境界線の外の世界の広さを知ると、今までの頑張ってきた自分を滑稽にも許してあげようと思える。


どれもこれも精神の鋭敏さを失うことで実現することであり、大人になるってことはそういうことなんだと。


愚鈍になるということ。

それはとても幸せなことです。


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そんじゃーね。


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2009-04-05 平壌より

金正日:どや? 日本はミサイルの件で騒いでるか?

側1:大成功です。日本中大騒ぎで・・・全部の警戒が日本海側、しかも東北側に偏ってるんで、太平洋側や九州側はガラガラです。

金:そうやろ?そうなる思たわ。日本は視野の狭い国やからな。ミサイルや言うたらそっちでパニックしてしもて、他の事には全然目が向かへん。で、うまく運べよんやな?

側1:はい。もう完璧です。偽札も薬もチャカも、九州と四国側から予定通り山○組に引き渡しました。

金:そうか。ほな、明日打ち上げでもええんか?

側1:いや、できればもう一日、日本には日本海側だけ見といてもらえたら助かるなあと。できれば他にもいくつか極秘で運びたいもんがあるんで。

金:ああそう。ほな、そういうことで打ち上げ担当者とよう相談しときな。まあとにかく上手くいってよかったな。



側近2:首領様!大変です!!

金:なんや?

側2:日本の秋田県のニュースが「発射した」と伝えてます!

金:えっ??発射したんか?ワシまだ命令しとらへんで?

側2:でっでも、自衛隊が確認したらしいんですけど・・(おろおろ)

金:それ、よお調べや。韓国がなんか別のもんを先に打ったんちゃうんか?


側3:首領様! あれは自衛隊の誤報のようです!!

金:誤報??ほんまか?日本が誤報??

側3:はい、秋田県はまた全市全村に“誤報でした”って連絡しなおしてます。

金:へえ。自衛隊も大日本帝国軍の頃から人騒がせな軍隊やからな。びっくりさせんといてほしいわ。



側近4:また日本で「発射が確認された」言うて報道してますっ!

金:どうせまた誤報やろ?

側4:でも今度は全国です。どのチャンネルも全部速報を流してますっ!

金:ほんまか?でも、ワシ、発射の命令してへんで。NHKはチェックしたか?NHKは慎重やろ。いっつも当確も一番最後まで出さへん。NHKはなんて言うてる?

側4:NHKもわが国が発射した、て報道しとります。

金:えっ?NHKも? そうか。それはやばいな。・・・ちょっと誰か、ムスダンリのほうに電話してくれる?んで、まだ発射してないよな、いうて確認してや。

側4:はいっ、すぐ電話しますっ。



金:どや?電話通じたか?

側4:はいっ。まだ・・・発射してないそうです。

金:そらそうやわな。ワシの許可なく打ち上げはできんわな。ちょっと、テレビ持ってきてや。NHK見てみよ。



側5:はいっ、こちらでどうぞ。(薄型テレビを持ってくる)

金:・・

NHK:「ただいまの速報は誤報でした。ただいまの・・」



金:また誤報かい??

側5:日本はなんでこんな誤報が多いんですかね?

金:しっ!黙って聞いてみよ。


NHK:「誤報は政府の専用回線エムネットから流れてきたもので・・」

金:これ、どういう意味や?

側5:誤報はNHKのミスではなく、政府のミスや、と言いたいものと思われます。

金:ああなるほど。間違ったんは自分とちゃうでといいたいわけやな。NHKも大変やな。ほかのチャンネルはどうや?

側5:他も全部「政府からエムネットで誤報が流れてきたと・・・」


金:ふうん。おかしな展開になってきたな。ところで、日本はどでかい迎撃ミサイル用意してたやん。あれ、まさか誤報にもとずいて発射したりしてないやろな?

側5:たしかに心配ですねえ・・・調べてみます。

金:ほんま、危ない国やな。気ぃつけてほしいなあ。



金:うむ。誤報で迎撃されるくらいやったら、ちゃんと「まだ発射してないで」とか、こっちから教えてやったほうが安全かもしれんな。ちょっとその辺、検討しといてや。

側6:はっ!

側5:首領様! 先ほどの誤報でも迎撃システムは作動してないようです!

金;ああそう、それはよかった。安心したわ。


側5:どうやら日本の迎撃システムは「発射された」という情報が入っても少なくとも5分は動かないようです。

金:ふうん。そんな迎撃システム役にたつんか?

側5:確かに・・でもまあ、この前あの迎撃システムの特別車両、道に迷ったり、車輪がどっかに引っかかったとかで大騒ぎしてましたし。

金:ああそう。あの国も結構おもろい国やなあ。この緊急事態に・・ちょっと緊張感が足りんのとちゃうか?



側近6:首領様!そろそろ予定の4時になりました。

金:ああそう? ほんなら今日はもう帰ろか。

側近全員:はっ!

金:また日本のテレビが「発射した」言うても慌てんようにな。誤報かもしれんから、韓国のKBSと北京の中央電視台とかも確認するようにな。日本のテレビの報道だけやったら誤報の可能性が高いから。


側近全員:はっ! 日本の都道府県、市町村の警戒本部も「自衛隊と国から発射を伝えてきても、5分は信じるな。誤報だったという次の報道があるかもしれないから」と取り決めをしたようです。

金:ふうん。でも、そんなんじゃあ迎撃システムなんて全然意味なくないか?

側6:はい。なんの意味があるのかわかりません・・


金:まあええか。うちが心配したることでもないし。まあ明日も日本の「ミサイル祭り」でも見て楽しもか。道に迷たり何回も誤報してみたり、日本も楽しませてくれるなあ。はは。ほんならな!

側近全員:はっ!お休みなさいませ!

2009-04-04 “極論”という方法論

「パラサイトシングル」や「希望格差社会」などの言葉で有名な山田昌弘氏が、新聞のコラムで「今の“就活”問題を解決するには、大企業や役所が30才以下の若者を雇うことを禁止すればよい」と書かれていました。

すべての若者をまず中小企業で働かせ、その上で大企業や役所に入りたいなら30才で転職すればいいという意見です。

就活をする学生は、社会についても働くということについても、また「自分のこと」もよくわかっていません。価値観が未分化なそんなタイミングで「一生を決めるレース」に参加すれば、大半は無難に大企業を目指すでしょう。

そして同じゴールを目指して全学生がレースをすれば、優秀な人ほど、安定的で保守的な大組織に吸収されていきます。自由に発想することの意義も、リスクをとって行動することの小気味よさも、知らないままに。


一方、いったん全員が中小企業やベンチャーに勤め、社会の基本的な仕組みや自分の職業適性を知った上で30才で就職活動をすれば、今のように大半の学生が大企業や大組織を目指すとは思えません。

8年働けば、その間に銀行員とも役所の人とも大企業の人とも仕事上のつきあいが発生します。そしてそれが自分のやりたい仕事か、好ましいと思う働き方か、リアリティをもって理解することができるでしょう。

また、30才になれば結婚したり親になる人もでてきます。家庭のあり方も含め、自分がどんな人生を送りたいか、わかってくるでしょう。そうなれば仕事選びの基準は23歳の時より圧倒的に多様化するはずで、誰も彼もが同じ山の頂上を目指すことはなくなるでしょう。

そう考えれば、確かにこれはなかなか良い案に思えます。しかし新卒一括採用の不合理やデメリットの解消方法として「大企業や役所が30歳未満の人を雇うことを、法律で禁止すべき」という意見はあきらかに「極論」です。

それが実現できない理由はすぐさまいくつも挙げられるし、そのデメリットも簡単に列挙できます。素直でまじめな多くの人には、この意見は暴論にも聞こえるでしょうし、実現不可能な「机上の空論」と誹られるはずです。

それでもちきりんは、こういった「暴論・極論という方法論」が好きです。なぜなら暴論や極論には、「何が問題なのか」という核心を明確に浮かび上がらせる効果があるからです。上例でも、一見無茶にも聞こえる意見を通して、山田氏が「何が問題だと感じているか」が非常にビビッドにわかります。

★★★

堀江貴文氏も、いつもコトの本質をついた鋭い発言が多いのですが、彼の発言にもこの「極論・暴論の妙」をよく感じます。

以前、彼がベーシックインカム制度を支持する理由のひとつとして、「20万円の給与を貰ってマイナス30万円の価値の仕事をしている人がたくさんいる」と言っていました。

大半の人は福祉的な観点からベーシックインカムを語りますが、彼の考えでは「ベーシックインカムの導入により、社会に害悪を及ぼす仕事をしている人を排除できること」がベーシックインカム制度のメリットだというのです。

この「くだらない仕事をしている人には、お金だけ払って遊んでいてもらいましょう。」という意見を、多くの人は暴論、極論として批判するでしょう。

けれど重要なのはその中心にあるメッセージです。今の日本には、給与をもらって、高い能力を発揮して一生懸命働き、その上で社会に「マイナスの貢献」をしている人がたくさんいます。しかも下手するとそういう人が「権力の要」にいます。しかも多くの場合、彼らは自分たちが社会の進化の邪魔をしているという感覚をもっていません。

この、「お金を払ってでもそういう人には仕事を辞めてもらった方がいい。それくらい、これは大きな問題なのだ」というメッセージを伝えるために、「極論・暴論という方法論」が非常に効果的なのです。


★★★


ちなみに、この「極論という方法論」は、リーダー向きの思考方法です。

組織の上に立つ人にとっては、細かいことより先に、まずは進むべき道を大きく示すことが重要です。右に行くのか左に行くのか、何が問題で何が目指すべきものなのか、それを大胆に明確に示すこと。それがリーダーに求められることです。

「A案は○○の点ではよいが△△の点ではこういうデメリットがあり、××の点でみるとこうである。一方のB案は・・」こういう思考は実務家の思考です。そもそもこれでは、国として、組織全体として、どちらの方向に進もうとしているのかさえわかりません。大きな方向性が示されることはなく、ひたすら詳細を詰めることに執心する人が上に立つ組織の不幸さについては、日本人ならみんなよく知っているでしょう。

リーダーに求められることは、実務家に求められる資質とは違います。上に立つ人には批判を恐れず、「何が最も重要なことなのか」だけを明確に主張できる、大胆な極論をどんどん語ってほしいと思います。


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そんじゃーね


関連エントリ:ベーシックインカムの世界


http://d.hatena.ne.jp/Chikirin+personal/  http://d.hatena.ne.jp/Chikirin+shop/

2009-04-02 目に見える危機? 朝日新聞の本日の広告

最近、朝日新聞、おもしろい。特に以下のふたつのニュース

ひとつめ。「朝日新聞社の編集局員が、会社のパソコンから2ちゃんねるの掲示板に、繰り返し部落差別や精神疾患への差別を煽る書き込みをしていたとして、2ちゃんねるからは投稿制限を受け、朝日内でも社内処分も受けることになる模様」というニュース。

ふたつめ。「テレビ朝日が社員に自作ブログを書かせて、そのブログを番組で取り上げて“ネット上の情報がいい加減であること”を印象付けようとし、総務省から放送法違反で厳重注意された」ってニュース。


新聞もテレビも大変だな・・・


ってことで、本日、4月2日の朝日新聞の広告受注状況をレポートしてみます。関西での販売分です。地域によってある程度は異なると思います。ご了承ください。

新聞の広告は、「○段○分の1」というように縦横の長さごとに値段が決まるのですが、基本的には面積に応じて広告料が決められてます。

ここでは普通の人にもわかりやすいように、紙面の何分の一か、という形で表示します。たとえば、片面一面の全面広告、その半分が二分の一、その半分なら4分の1というように。


まず1面:一番下の段はずらっと出版社の本の広告。ここは常に出版広告です。面積的には、片面の6分の1。その他に、より小さな広告が3カ所程度。こちらは合計で12分の1程度。というわけで、


1面は、

・6分の1=出版

・12分の1=一般企業広告(ローカル)

となります。


同じように見ていくと、

2面: 3分の1=出版(有斐閣)

3面: 3分の1=出版(文藝春秋)

4面、5面: 3分の1=出版(雑誌4種)と、最初の5面はすべて出版会社の広告です。すごいね。売れない業界同士で助け合ってる?


6面は微妙な大きさですが、半分よりちょい少なめなので: 9分の4=大手金融

7面: 3分の1=自社系広告(朝日ウイークリーと、朝日ホームメール)

というように調べてグラフにしてみたのが下記。

名づけて

「2009年4月2日 朝日新聞(関西版)広告出稿企業の構成比グラフ」


f:id:Chikirin:20090402150832j:image:w400



まずは自社系列広告で12%

自社系列広告とは、、

・朝日ウィークリー

・朝日ホームメール

・朝日ドットコム

・朝日求人

・BS朝日

・朝日小学生新聞

・朝日新聞主催の絵画コンクール

などです。ずいぶん集めましたね!



次が出版。すごいですね。広告費全体の4分の1が出版業界から出てるんですね。



次の大手金融16%ってのがまた微妙で、2社だけなんですけど、どっちも外資。

片面一面・・・アリコの保険通販

3分の1・・・シティバンク



非金融の大手企業も一応11%あります。どこかというと、

・マクドナルド

・ビオフェルミン(胃腸薬)

・小林製薬(更年期障害の薬)

・メナード(化粧品)

・アートネイチャー(女性用かつら)


マクドナルド以外は全部「妙齢の女性用」の広告です。そりゃあそうですよね。朝日新聞ってのは中高年女性のためのメディアですから。


一方、マクドナルドは意味不明ですよね。あんなもん食べるの若者だけなのに、こんなとこに広告だしてどーすんだろ? 相当儲かってるってこと(=広告費が余ってるのかな)?

上記を「大手企業」と呼ぶことに抵抗のある方もあるかもしれませんが、知ってる人が多いと思ったので大手企業としました。



で、最後に37%をも占めるローカル&中小企業の広告。こういう中小企業に広告だしてもらおうと思うと、どのくらいディスカウントしないといけないのか、是非知りたい感じです。


具体的には、

・ゴルフ道具

・健康食品通販

・PC通販

・旅行、温泉

・パソコン教室

・リフォーム

・関西のお菓子屋さんの創立40周年記念広告

・テレビ欄のコンサート広告など

・あとは、地方版のページにごくごく地元の会社10社程度

以上



すごいな。もう普通の大企業って朝日新聞とかに広告だしたりはしないってことなんですね。


ほほほー

2009-04-01 思えば遠くへきたもんだ

ちきりんがこのブログを書き始めたのは2005年の3月。なので、昨日終了した今年の3月は、こちらのブログを書きはじめてから“5回目の3月”でした。


この“5回目の3月”の記録をまとめておくと、

・月間PV=402,751 (一日平均12,992)

・月間ユニークアクセス合計=271,532 (一日平均8,759)

・この一ヶ月にいただいたブックマーク数*1=約2,680個 (一日平均86個)

・3月のエントリに頂いた星の数=550個 (一日平均18個)


また、現在

・はてなアンテナにちきりんブログを登録してくださってる方が498名、

・ライブドアReader,fastladderに登録してくださっている方が893名らしいので、

合計で1391名です。

他のリーダーを使っていらっしゃる方、それに加えて普通にブラウザのブックマークを使って読みに来てくださっている方もあると思うので、一日のユニークアクセス数の8759と合わせて考えるに、毎日、数千人の方が読んでくださっているのではないかと推定しています。


というわけで、継続的に読んでくださっている方の数、またPVに関しても、本名で書いている方のブログまであと一歩、というところまで(ようやく)やってきました。

“完全な匿名”で、つまり、文章の力だけでどこまでいけるかチャレンジするのが、はてなでブログを書き始めた理由、というか目標だったわけですが、たぶん夏くらいには逆転もできそうかも、です。

でも、こっちの方が自由に書けて楽しいので、当面はてなでのブログも辞める気はありません。

5年目のちきりんブログをこれからもよろしくお願いいたします!



じゃーね!




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追記)後からこのエントリをご覧になった方へ:このエントリの書かれた日(月と日)を今一度ご確認ください!

*1:3月のエントリにいただいたブックマークが2,646個。あとは、この3月の一ヶ月間に過去のエントリにいただいたブックマークも結構あるのですが、こちらは数えるのが面倒だったので推定で約30個程度としました。