ブログトップ 記事一覧 ログイン 無料ブログ開設

Chikirinの日記 RSSフィード

2009-07-30 ありゃりゃ、どんどん貧乏に

国民生活基礎調査*1を見てたら、「日本人がどんどん貧乏になってまっせ」というデータが載ってたのでグラフにしてみました。

下記は世帯主年齢別の平均所得です。単位は万円。赤い線は平成6年の所得(7年の調査)で、青い線は平成19年の所得(20年の調査)です。間隔は13年ですね。*2過去13年で年代別の所得がどう変わったか。

うーん、ずいぶん下がってるんですね、私たちの所得・・


f:id:Chikirin:20090730112150j:image:w500


思ったことはふたつ。ひとつは「全年代で下がってるんだな〜」ってこと。

ふたつめは「やっぱりちゃんと、中高年の所得が“より”下がってんじゃん」ってこと。

世の中ではよく「中高年もらいすぎ論」が言われてますが、ちゃんとその修正が進みつつあるのね。てか20代とかそもそも貧乏すぎて、これ以上は下げられなかったのかもしれませんが。


50代なんて平成6年には世帯収入平均で900万円近かったのに、150万も下がってます。50代と言えば子供は20歳そこそこ。一番学費がかかる時だし、ローンも終わってないだろうし、加えて親は80歳に突入するし・・・大変です。

あと、そもそも平均900万って高すぎないか?と思いますが、これ世帯収入なので奥さんの(パート)収入も含めてそういう額なのでしょう。そして平成6年よりは今の方が働く奥さんも(共働きにせよパートにせよ)多くなってるだろうと考えると、世帯主の給与は、上記グラフ以上に下がっているのかもしれません。


それと、平成6年の赤い線をもう一度見てみてください。以前は「40代から50代にかけて、ぐぐいと所得が伸びていた」のがわかりますよね。ところが平成19年の青い線では、40代から50代にかけてほとんど所得が伸びなくなっています。

これは過去10数年の間に企業が「年功序列から成果主義」という人事政策の大転換を行ったことの帰結ではないかと思われます。企業も、“定年前10年間”(=50代)の給与が高すぎる、ということは、よくよくわかってたということかと。



次に、同じペースで所得が落ちるとしたら、ということで書いてみました。緑のラインが平成32年の予測値です。


f:id:Chikirin:20090730112149j:image:w500


同じペースで給与調整が行われれば、そのうち「所得のピークは50代ではなく40代」になってしまいそう。でもそれも自然な話かもしれませんよね。実質的な仕事の価値って、40代(40才から49才)の方が50代(50才〜59才)より高そうな気がするもん。


ちなみに実際に起こることとしては「40代から50代にかけて所得がぐぐいと伸びる人はこれからも存在するが、そういう人は選ばれたごく一部の人であって、他の大半の人は40代から50代にかけて一切所得が伸びなくなる」ということでしょう。

40代でも50代でも大半の人は中間管理職です。役員になる、社長になる、というように、「仕事が明らかに変わった」というごく一部の人以外の所得は伸びなくなる、と思われます。


しかもこれって、平成6年に20代だった人は平成32年には40代後半、同じく平成6年に30代だった人は50代後半になるわけだよね。個人で見るなら、平成6年には赤い線の20代にいた人が、平成19年には青い線の上の“30代と40代の中間”に移動し、平成32年には緑の線の上の“40代と50代の間”に移動します。

つまり、平成6年頃に20代とか30代で、その頃“赤い線”の資料だけを見せられて「今はお前は安月給だけど、年功序列給与だから将来はどんどん所得が上がるよ。この赤い線のようにな。」と言われていたのに、実際に自分がその年代になった時にはすっかり昔のような高給保証は消えていて赤い線なんてもう幻じゃん・・・ってことです。まさに「騙された!」って感じではないでしょうか。


大変



今30代の人ってあと10年くらいかけて年間所得が100万円くらいは増えるんだけど、その後はもう落ち始めるかもしれない。人生80年時代だっつーのにどーすんでしょう。しかもこの人達ロスジェネ世代で、まともな仕事についていない人も多いし、非婚率もあがっててその観点からも世帯年収が増える見込みがない。

今40代の人に至っては「もう所得は伸びない」と考えておいた方がいいんじゃないかな。今もらってる給与がピークだと。えっ家はもう買っちゃったって?だったら子供の学校くらいは今からでも間に合うからよく考えた方がいいかもね。

こうなってくるときっと社会全体で、“贅沢のコンセプト”が変わるんでしょう。たとえば「子供を私立にやる」とか「妻は家で子育て」とかって、昔で言えば「ベンツに乗る」とか「首周りやら指にでかいダイヤがじゃらじゃら」と言うのと同じくらいの「贅沢」になるんじゃないかと。「子供を私立に」なんて一部の高給エリート社員にしか望めない“夢”になる。

「○○さんのお宅って、奥様パートしかしてらっしゃらないのよ。知ってた?」

「ま〜あのお宅、そんな贅沢を?」とか言われたり。



いったいどうすればいいのか、って?


ん〜、基本は「自分は親より貧乏になる」「子供は俺より貧乏な人生を送る」ってことを想定して生きればいーんじゃないでしょうか。たとえば、


・親の家は一戸建て→自分の家はマンションで我慢→自分の子供は一生賃貸

・自分の親は自分を中高一貫校に入れてくれた→自分の子供は高校までは公立に行かせる。

・母は専業主婦→妻はパート勤務→子供の嫁はフルタイムの共働き

・親の趣味は旅行→自分の趣味は漫画→子供の趣味はエコと節約

とかね。


あと、40代で所得が最大化するってことは、子供が10代の頃にピークアウトするってことでしょ。大学に行く費用は親が出すんじゃなくて子供が“自分で借りる”“自分で稼ぐ”“自分でもらう(奨学金)”のどれか、という世の中になっていくんじゃないかしら。


そんなどんどん所得が落ちるってことはないだろう、とか思う人がいたりするかな。

でもさ、将来のどこかでまた日本が成長し始めるってどんな感じなのか想像つきますか? また経済成長するかしら。もしくは企業が(日本人への)労働分配率を増やしてくれるかしら。



うーぬ。



そんじゃーね。*3




--------------------

35歳辺りが昔に比べてすごく貧乏になってる・・という本が続々と

  

→ちきりんのお勧め BOOK SHOPはこちら

*1:データ:http://www.mhlw.go.jp/toukei/list/20-20.html 20代のところは正確には“29歳以下”

*2:ネットに掲載されているうちの一番古いデータと一番新しいデータを使ったので、13年なんてちょっと中途半端な間隔です。

*3:天下の三菱総研様も同じようなこと書いてる。http://www.mri.co.jp/NEWS/column/thinking/2009/2009015_1801.html

2009-07-28 二大政党はどこに位置すべきか

昨日は政府のあり方について、(1)政府サイズと(2)税金の優先分配先という基準軸があると書きました。この2軸でわけると“政府のあり方”には4パターン存在します。今日はそれを図に表して、実際の例を入れてみました。

縦軸が「政府の大きさ」で、上部が大きな政府、下段が小さな政府です。下に入るのは先進国ではアメリカのみですが、中進国や途上国ではそもそも“小さな政府”しか選べない国もたくさんあります。


f:id:Chikirin:20090728215132j:image:w400

横軸は「政府資金の分配先」で、左側が「先端分野」、右側が「底辺分野」を優先する場合です。

産業政策、国土開発、研究・教育、外交・軍事分野などに優先的に税金を配分し、経済大国、軍事大国、政治大国を目指す国は、左側の赤とピンクのボックスに入ります。これらは「大国思考の国」であり、「世界のトップを目指す国」です。

右側の水色、青に入る国は、弱者(高齢者、貧困者、失業者、障害・疾病者)の生活保障や支援に、より優先的に税金を配分する「高福祉国」です。なお、右下は、国民総幸福度を掲げるブータンのような国でしょうか。


国の横の矢印は最近の傾向を示します。中国やロシアは開放経済、資本主義化により小さな政府側に向かっています。一方でアメリカはシティやGMを実質国有化するなど大きな政府側に少し動いています。ただし、彼らは右側に動いていません。アメリカはあくまで「リーダー国」でいられる左側(赤とピンク)にしか関心はありません。この点、“一カ国での経済大国化”をあきらめて自国通貨まで捨ててしまったドイツやフランスとは全然違います。


さて次に、日本の政党を各ボックスに入れてみました。自民党は「大きな政府」で「経済大国を目指せ!」の政党です。今まで一度も福祉を成長より優先したことはないでしょう。共産党や社民党は明確に右上です。「大きな政府で、成長より弱者優先」です。


f:id:Chikirin:20090728224418j:image:w400


民主党は一時期、左下のピンクにいた気がしますが、今は右上にいるようです。彼らのマニュフェストには「日本経済が今後どう成長していくのか?」という視点はありません。優先順位は明確に「福祉大国」にあるようです。

上表では自民党に矢印を着けましたが、彼らも(元々若干右よりの公明党と共に)一段と右に移動しようとしています。このため現在は「自民党と民主党の言ってることが同じに聞こえる」わけです。


今の世論では、右上の民主党が政権をとる可能性が高そうなのですが、でも国民の多くが本当に「高福祉大国を目指すべき」と考えているのかどうか、ちょっと疑問のちきりんです。

高福祉大国を目指すなら、日本もフランスやドイツがフランやマルクを捨てたように、「アジア統一通貨は円でなくてもよい」と覚悟する必要があります。国連の常任理事国になる“夢”も捨てれば、世界にばらまいているODAもやめて、その分を国内の貧困問題に充てられます。

先端技術は日本以外のアジアから生まれ、アジアのノーベル賞は中国からしかでない、という時代になるかもしれませんが、「それでもいい。我が国のお金の優先的な使い道は底辺層の支援なのだから」というのが、高福祉国を目指すという意思決定です。

そういう決断を国民がして、そして右上の民主党を選ぶのかどうか。この辺が微妙なところですね。


本来は、「二大政党」にするには、対立ボックス、つまり、右上と左下に一つずつ政党が必要です。そしたら国民は「日本はこういう国であるべき」という政党を選べるはずなのです。(下記)

f:id:Chikirin:20090728224415j:image:w400

今の自民党(大きな政府で成長を優先)はもう終わり、ってことで×をつけときました。ここの箱は「途上国の発展モデル政府」なんです。高度成長の時代には、国家が中央集権的に強い力と予算を独占し、国家的視点で産業、経済を発展させるのがいい方法でした。今の中国も同じです。

でも、成熟時代の日本に必要なのは、右上と左下の対立軸なんです。ところが、左下のボックスには政党がない・・・だから二大政党にならないんですよね。


なかなかむつかしいです。

そんじゃーね。

2009-07-27 大きな政府と高福祉社会

昨日「巨大な政府」という話を書いたのをきっかけに思い出したのですが、「大きな政府」「小さな政府」という概念と、「高福祉社会」「低福祉社会」という概念について。

この二つの概念は、無関係とはいいませんが、対になっている言葉ではありません。が、その違いが整理されているのを余り見かけないので、今日はそれを書いておきます。


パターン1)大きな政府で高福祉社会

税金や社会保険費用の負担は大きい。

そして公立保育園や公営の特別老人養護施設がいつでも入園&入居可能なほど存在し、国立や県立市立の大病院や総合大学が各地にあって、公的な教育訓練施設や大規模なハローワークなどが多数存在する、という社会です。

病気になったり、失業したり、離婚で一人親世帯になったり、障害ができたり、高齢で一人きりになったりした場合、「公的な施設やサービス」が日本の隅々の町にまで建設されており、誰でも格安(もしくは無料)で利用できます。

国立○○センター、県立○○所、市立○○館などがたくさんあり、そういう公的なところで働いている人(公務員とか準公務員のような人)が多い社会になります。



パターン2)大きな政府で低福祉社会

税金や社会保険費用の負担は大きい。

ただし、その税金を福祉ではなく、

・地方空港や高速道路や地方大学の建設&維持費用にあてたり、

・産業政策(エコポイント制度に税金を投入して車やテレビが売れるようにする政策、高速道路を土日格安にして観光業を支援する政策、潰れそうな半導体企業に公的融資を行う政策、多大な広告費を使ってデジタルテレビを推進する政策など)に使う社会です。

・また福祉関連にお金を使う場合も、“失業保険金”を失業者に直接払うことより、職業体験施設「私のしごと館」などの公的な大施設の建造を優先させます。

年金についても、手元にあるお金を年金原資として支払いにあてるよりも、グリンピアという宿泊施設を建造することにあてたり、「年金の不払いを撲滅するためにタレントを雇ってポスターを作ったりキャンペーンを繰り広げる」ためにお金を使う、という社会です。



パターン3)小さな政府で高福祉社会

税金や社会保険費用の負担は小さい。

ただし、国は福祉のみにしかお金を使わない=国土開発や産業政策にお金を使わない。また福祉に使う場合も、直接配布を基本とすることにより公務員の数を減らし、公的な“建造物”も作らない。

=例:失業者には失業保険として現金を支給する。が、ハローワークは存在せず、失業者はリクルートなどの民間人材紹会社や求人誌で仕事を探す。公営の老人ホームや病院を作るのではなく、お金のない人に直接現金を支給する。そのお金で民間施設や民間病院にいって貰う、という方式。

国が国土開発や産業政策を手がけないので(それでも一定の経済成長やインフラ整備が行われるためには)、徹底した規制緩和や市場主義の導入、一定の割り切り(外交的・軍事的な大国になることをあきらめる。宇宙開発もしないしノーベル賞やオリンピックのメダルも競わない。また、田舎と都会は便利さが異なることを受け入れるなど)が必要。



パターン4)小さな政府で低福祉社会

税金や社会保険費用の負担は小さい。

そして国は国土開発、産業政策、福祉など様々な分野にわたって最小限の支援だけを行う社会です。

たとえば、公的な年金や医療保険の制度も存在しなかったりします。また警察官も十分にはいないので、普通の人も自分で銃をもって自衛することが当然と考えられています。

先端大学や大学院は国立ではなく民間に任せればいいと考えているし、美術館や芸術団体などの文化活動も税金ではなく寄付で運営されるべきと考えているような社会です。ホームレスなども、宗教家(教会)、ボランティア、NPOなどが助ければよい、と考えている社会でもあります。


★★★

つまり、「大きな政府」とは、「公務員が多い」「公的な建造物が多い」システムのことです。「高福祉な社会」を「大きな政府」と呼ぶわけではありません。


「高福祉社会」とは、社会の「先端」ではなく「底辺」に優先的にお金を配分する社会のことです。(反対に“産業政策”などは「先端」側にお金を配分する考えに基づいています。)どこにお金を使うか、という優先順位の問題と、政府の大小の問題は独立して設定することが可能です。


このように「政府の大小」と「福祉分野の優先順位の高低」はリンクした概念ではありません。もちろん上記では大小、高低で考えましたが、それぞれ「中」という選択肢もあると思います。(極論好きのちきりんは“中”の話をエントリに書く意義を感じないだけです。参考エントリ:http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20090404



そんじゃーね。

2009-07-26 そして“巨大な政府”へ

民主党は、高校の実質無料化や医学部の大幅定員増など矢継ぎ早に新公約を打ち出している。対抗して自民党もなんやかんやと耳触りのよい政策を搾り出す。第三極とやらもおんなじだ。

このままでは8月末までには、教育機関は全部無料、医療も介護も大幅供給増(税金投入額アップ)、年金も生活保護も大盤振る舞い的な(それでいて税金は一切上げないと)、まるで「日本って産油国だっけ?」みたいな“ドでかい政府案”が出来上がるに違いない。


先日書いたように、民主党の公約は多岐にわたって矛盾に満ちている。なんでこんな支離滅裂な政策になっているかといえば、それはひとえに「田舎と都会の両方の票を得ないと政権がとれないから」だ。

自民党はこれまで「田舎的であるもの」の票だけで政権を維持してきた。“田舎的であるものに支えられた政府”とは、中央集権的な“大きな政府”であり、都会で集めた税金を、巨大な官僚機構を通して田舎に配分する、という仕組みそのものであった。

そして、その資金配分方法は“市場”ではなく、“政治家と官僚と一部の業者の恣意の手”に長く委ねられてきた。そこに生まれるものを人は“利権”と呼んできたわけだ。

たとえば、官僚は彼らのプライドをくすぐる“権力”と、その資金配分機関への天下りによる幾度もの退職金を手にし、政治家は当然のように見返りの献金を懐に納め、そして彼らに取り入る業界だけが、完全に内向きなまま世界から取り残されても、なんの問題もなく利益を確保できた。


ところが今、「田舎的であるもの」だけの票では政権が維持できなくなった。そのため民主党も自民党も、「都会的なるもの」からも票を得ようとしはじめた。もちろん一方では田舎的なるものからの票を維持しながら。


ところで、“票になる都会的なるもの”とは何か。

それは、生活に苦しむ母子家庭や高齢世帯などの貧困家庭であり、まともな仕事にありつけず将来の展望が描けないロスジェネであり、障害者や病気に苦しむ弱者たちのグループだ。

民主党がまずこの「都会的なるもの」に目をつけた。しかし彼らは(政権をとるためには)「田舎的なるもの」も捨てられない。だから先日書いたように、彼らの政策は矛盾に満ち満ちている。しかし民主党だけでもない。いまや、すべての政党が同じ道を我先にと行こうとしている。



この先にあるものは何か。


都会的なる弱者へのバラまきだ。

田舎的なるものへのバラまきに加えて、の。


そうして日本は“巨大な政府”の構築に向けて突っ走る。




なんでやねん


といいたいところだが、その理由は明白すぎる。



「小さい政府は票にならない」からだ。


それは普遍的な事実だ。あまりに論理的な帰結だ。


小さい政府は、誰にも利権を分配できない。小さい政府とはコントロールできる資金量が“小さい”政府、という意味だ。その定義からして、利権を生みにくい。

そして、利権を生みにくいということはすなわち、票にならないということなのだ。



小さな政府を支持する多くの人に聞いてみればよい。

あなたは一度でも誰かの選挙を手伝ったことがあるか?ポスターを貼ったり、街頭演説の旗を持って立っていたり、支持者へのお願いの電話を1時間かけ続けるという“お手伝い”をしたことがあるか?

あるわけない。なんのメリットもなくそんなことをする人はいない。


しかし現実には、街のあちこちの壁にポスターを張って回ってくれる人がおり、政党のチラシをいちいちマンションのポストに放り込んでくれる人がいて、毎朝、早朝から駅でマイクを握る候補者の横で“のぼり”をもって立ってくれる人までいる。その大半は“自発的に選挙を手伝ってくれる支持者”たちなのだ。


彼らはなんでそんな面倒な“支持”活動を熱心に行うのか?


“小さな政府支持者”などには想像できない“なにか”があるからだ。

そしてそれこそが“大きな政府”の意味なのだ。



「小さな政府は票を生まない。だから、私達が小さな政府を実現することは不可能である。」



という文章は、

論理的、

現実的、

政治的に、


正しいか?

2009-07-24 政権交代とかけて引越しと解く

今回の衆議院の解散にあたって引退表明をした議員の方が24名いらっしゃいます。政党の内訳別では下記のとおり。

自民党17人、民主党3人、無所属2人、公明党1名、共産党1人

(注:自民党からの引退は18名という報道もあり。また無所属の1名は元自民党。だとすると自民党合計は19名)



自民党議員の引退が多い。

そりゃあそうだよね。今回の選挙は自民党の代議士にとってすごくハードルが高い。今までなら当選は間違いないと思えた人でも今回は当選できないかもしれない。

しかも選挙戦は真夏のめっちゃ暑い時期だ。通常でさえ選挙活動中は数時間しか眠れない、声が枯れてしまうなど、老体の政治家には負担が重い。「勝てないかもしれない」選挙で「真夏の消耗戦」を戦うべきなのか。

というわけで、「つらい選挙をして、それで落選して引退するよりは、今の段階で現役議員として引退したほうがよい」と思う人が多くても不思議はない。


政権交代ってこういう意義もあるんだな、と気がついた。毎回どうせ自民党が勝つよ、という状況では引退なんて全然考えなかったような人も、「今回は勝てない」「しかも野党になるのかも」と思えば、「引退」を考えるわけだ。

民主党側だって高齢者の議員はたくさんいる。でも引退するのは3名だけ。だって「夢にまでみた政権取り!」だもの。でも次回もしも(民主党がすごく失敗して)「やっぱり自民!」という選挙が行われるとしたら、その時は民主党側の「高齢」で「当選が厳しいかも」という議員が一斉に引退を表明する可能性があるわけだ。

ならば政権交代を頻繁に行えば、そのたびに「引退」を考える人が自民、民主側に順番にでる。「かなりのご老体」の方々中心にね。


なるほど。







全然関係ないけど、長期間、引越ししないで同じ部屋に住んでいると、家の中にどんどん要らないものが増えるじゃん。“要らないなあ”と思いつつ捨てるタイミングが見つけられなくてどんどん溜まるでしょ。

それがいざ“引越し”するとなると結構思い切って捨てられるんだよね。だから定期的に引越しするのも大事。で、定期的に不要なものを処分する。すっきりして気分いいし。


いやナンも関係ないけど。





以下、引退表明議員の方々を政党別、年齢順に並べてみました。敬称略

<自民党>

津島 雄二(79)

仲村 正治(77)

萩山 教厳(77)

大野 松茂(73)

小杉  隆(73)

河野 洋平(72)

佐藤 剛男(72)

玉沢徳一郎(71)

遠藤 武彦(70)

臼井日出男(70)

-----------------------

鈴木 恒夫(68)

小泉純一郎(67)

岩永 峯一(67)

-----------------------

佐藤  錬(58)

小野 晋也(54)

木村 隆秀(53)

-----------------------

杉村 太蔵(29)


<民主党>

藤井 裕久(77)

岩國 哲人(73)

-----------------------

金田 誠一(61)


<公明党>

丸谷 佳織(44)


<共産党>

石井 郁子(68)


<無所属>

野呂田芳成(79)・・郵政離反(元自民党)

前田 雄吉(49)



★★★


ああ、そうそう。

タイトルの続き



「政権交代とかけて引越しと解く」


その心は?


「捨てる決心が付く」




そんじゃー

2009-07-22 民主党:混乱メニュー発表!(開店前)

さて、衆院もようやく解散したわけですが、何度か書いてるようにちきりんは“混乱ラバー”なのです。*1にもかかわらず、先日来起こっていた自民党内のドタバタ的混乱には全く関心がもてずニュースも見る気がしなかった。

混乱好きといっても、ちきりんには“好きなタイプの混乱”と“いまいち関心がもてない混乱”の二種類があるみたい。関心のもてない混乱とは、いわば“バーゲン会場の混乱”ってやつ。自分の利益だけしか考えない大勢の人がパニック的に騒いでいるだけ。あんなん何もおもしろくない。

それより圧倒的におもしろそうなのが「政権をとったあとの民主党の混乱」です。めっちゃおもしろそう。滑稽で奇妙でずるりとコケちゃいそうな混乱。みんなが汗だくで全力で引っ張っているのに全く前に進まず、ところが全員へとへとになった後で、実は全然違う方向に綱を引っ張ってた人が何人もいたと気がつくみたいな。「あれ、お前そっちに引っ張ってたの?」「えっ、こっちだろ、普通」みたいなね。

真性“混乱ラバー”のちきりんとしては、そういう混乱を待ち望んでおります。


というわけで、近々永田町にオープンする予定の「民主党レストラン」の「混乱メニュー」もとても楽しみ。次の選挙が終わり次第オープン予定のこのレストラン、シェフは「鳩山兄シェフ」なんだけど、厨房にもフロア担当の人達の中にもシェフとは全然違う考え方の人もいるみたい。まさに「混乱レストラン」の条件は十分。

このレストランがオープン直後から最初の1年くらいをかけて“珠玉の混乱メニュー”を次々と饗するらしいとのもっぱらの前評判なんです。うーん、期待が高まりますね!

そこで今日は、新しい混乱レストランのオープンが待ちきれない皆さんと一緒に、極秘に手に入れたそのメニューを一緒に見てみることといたしましょう。



<混乱メニュー>

(1)郵政民営化

「郵政民営化の中止・後退」が唯一の公約とも言える国民新党と統一会派を組んでおり、既に西川さんも更迭すると明言してしまっている。亀井さんを担当の総務大臣に任命するっていう案まであるんですよ!本気かしら。どうする気かしら。まずはこの点が一番おもしろそう。

民主党政権で郵政国営化再び! あれれ、官と戦うんじゃなかったの?


(2)公務員改革

労組におんぶにだっこされて選挙をするってのに公務員改革なんてできるわけないじゃん。自民党は“ヤミ専従”の農水省職員を処罰できるけど、民主党にはできないでしょ?労組は社保庁、郵政、教育の全部にかかわるから、年金の社保庁(の新しい組織の)改革だって一筋縄ではいかないと思うな。

もしかしてキャリア官僚だけをたたいて、ノンキャリの長〜く労組にいる人は優遇したまま残してあげたりとかするのかな。この点も楽しみですね。


(3)財源確保

無駄遣いをやめることでひねる出せるとか言ってるけど、農家に所得保障する、という別の形の無駄遣いにお金がかかるはず。それに今年はすごい税収不足が見えている。のに、既に“高校は実質無料化”の一方で“消費税増税は凍結”と明言してる。

自分の手を最初に縛ってしまう、といのがどうやら民主党のやり方らしいけど。こんなことしてたら国債発行額をめっちゃに増やさないともたなくなるよ。どーすんだろ。超楽しみ!


(4)株価暴落

上記の税収不足を補うために、配当課税、証券課税の優遇措置の廃止を検討するんだって。へえ〜すごいね。今時、株価が暴落しても支持率が維持できる政党があると思ってるとしたら、こりゃあ素敵。


(5)雇用対策

元社会党の皆さんにあおられて「製造業への派遣禁止」を実施するっておっしゃってます。ほほお。各メーカ−、一斉に日本からの工場撤退を検討し、またもや失業者が溢れますよ?しかも今は円高だから海外投資(海外への工場移転)がコスト的にも非常にやりやすい。こんな時期に国内の条件を一層厳しくするなんて、なんて勇気のある民主党!ほれぼれしちゃいます。


(6)経済(音痴)政策

未だに「内部留保を取り崩して雇用を守るべきだ」とかいうトンデモなことを言ってる議員がいてコケました。どーすんの、そんな経済音痴で。しかも、民主党の経済政策って、いったいひとつでもなにかあったっけ?何ひとつ目玉政策を聞いたことないんだけど・・もしかして経済なんて大事じゃないって思ってる?

ちなみに経団連は全く民主党なんて信じてないですよ。彼らがやりたいのは「自民党にお灸をすえたいだけ」です。忘れないようにしたほうがいい。衆院選の一年後は参院選なのだから。


(7)外交

そういえば韓国は在日の方の選挙権問題では民主党に期待してるみたいですよ〜。アメリカとの協業は、沖縄の基地移転問題も含め全部ストップしちゃうんだろうな。思いやり予算も打ち切りを申し出るって本気ですかね〜。交渉、大変そうだな〜。

まあとにかく外交に関しては、民主党の“党内に右から左まですべての意見を取り揃えております”って感じですからね。そのうちどれを党の方針として採用するのかが見物です。


(8)スキャンダル

自民党のスキャンダルはゼネコンからお金もらうか浮気系の2種類しかないけど、民主党は麻薬からガセネタに踊らされるまで多彩ですからね。民主党が政権党になれば、自民党は手持ちの情報をどんどん出してくることでしょう。どんな“びっくり”がでてくるか。想像も付かないだけに楽しみです。



他にも何か抜けてるメニューがあるかしら?

もちろん上記のメインディッシュのすべてに「ライスか内紛」と「分裂コーヒーもしくは分裂紅茶」がついてます。あとプラス150円で「再編サラダバー」が“何回でも”ご利用いただけます!



楽しみ楽しみ。今からオープンが待ちきれませんね!

あっそうそう、このレストラン、興味のある人はオープン直後に行ったほうがいいです。衆院選挙の直後にオープンしても、来年の夏には参議院選。その頃には潰れちゃうって噂もあるんで。



そんじゃーね。


*1:“混乱ラバー”初出エントリなど:
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20080930
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20090526

2009-07-21 タイミング

世の中はタイミングが大事だと思う。巧くいくことも失敗することも“タイミング”の要素が大きい。時には一回タイミングを逃すと、次のチャンスが巡ってくるまで一世代必要だったりもする。


グーグルがYou Tubeを使って、広く政治家(候補者含む)への質問を募り、立候補予定者からの回答を動画で集める、という試みを発表した。すばらしいタイミングだよね、と思った。

現在の公職選挙法では選挙が公示されるとネット上の活動が大幅に規制されてしまう(と解釈されている)。グーグルの試みも当然この制限を受ける。ところが今回は麻生さんがものすごい変則的なスケジュールを選挙に持ち込んだ。

なんと解散すると明言してから実際の今日の解散までが1週間もあり、その上、解散日から選挙公示までもにも3週間以上(一ヶ月弱)の間があく。つまり「選挙があるとわかってから、ネット上での選挙活動が制限されるまでの期間」が1ヶ月以上にもなる、ということだ。

これはグーグルが行う新しい試みにたいして、現行法の規制下で許される範囲内では極めて有意な条件が与えられたことを意味する。ちきりん的にはこれは麻生さんが総理大臣として行った決断の中で最も貴重で意義深い決断だと思う。


これだけ幸運な環境が整うとはさすがのグーグルも予想していなかったのではないか。もしくは、それがありきで今回の動きに踏み切ったのかもしれない。だとすれば驚くべき機動力だ。

もしも「解散明示」と「選挙の公示」の間が一週間しかなければ、今回グーグルが実験できることの規模は全く異なったレベルのものにすぎなかっただろう。

今回「一ヶ月の実験」が行えれば、将来の「ネットでの選挙活動解禁」に向けて、グーグルも有権者もそれぞれに多くの“学び”と“教訓”を得ることができる。グーグルのスピードなら数回の試行錯誤まで回せるかもしれない。まさに「麻生様々」であろう。

別にグーグルだけに限らない。ネットが選挙に活用できれば、と思っていた候補者自身やなんらかの意見を世に問いたい各種の団体などにとっても、こんな機会はなかなかない。問題はグーグルのように機動的に動けるか、という点だけだ。


“時機が勝負を決する”とはこういうことなんじゃないかな。この希有のチャンスを見てすぐさま「今回これを試すべき」と発意、決断したのだとすれば、この「タイミングを逃さずすぐ動くことができる」機動性こそが、会社にしろ個人にしろその人の、最終的に成し遂げられること(成果)を規定する。“ぼんくら”している人の中には、この1ヶ月という異例な時間の意味さえ未だに気がつかないまま、という人もいるのだから。



もうひとつ。天皇皇后両陛下がカナダを訪問された件。お二人ともご高齢で健康、体調が心配されていたが無事に行程を終えられた、というニュースを聞いていて思った。

「天皇終身制」を私たちはいつまで堅持するのか。伝統だから変えられないという人もいるのだろうが、昔とは人間そのものの寿命も違う。昭和天皇の晩年を覚えている人も多いだろう。

一人で歩くことも覚束ず、いつ倒れるかもしれないような状況になっても、衆人環視の中、様々なセレモニーにひっぱりまわして出席させるという過酷な仕事を、私たちはまた今の天皇と皇后にも求めているのか?

肩書きが大事だというなら、天皇という身分自体は終身制としても、「70歳公務引退制度」くらいは検討してもいいのではないか?


とは思う。

思うのだが、これを検討するには今はいかにも「タイミングが悪い」のだよね。


理由は多くの人に想像がつくはずだ。


皇后様はカナダの小児病院で子守歌を歌われた。そこまでいかなくても簡単な挨拶でさえ、私たちは皇太子妃の肉声をいつから聞いていないだろう。今のタイミングで、天皇の定年制や公務の引退制度などを話し合うことは、別の問題への意識を嫌でも高めてしまう。

だから、この問題は当面アンタッチャブルなまま放置される。そして、こういうことが話し合えるチャンスは「次の世代」までやってこない。



タイミングってのは大事なのだ。


決断すべき時を逃さないように。

「今かも?」と思うそのタイミングは、もう次の40年間やってこないかもしれない。

仕事においてもパーソナルライフにおいても。



そんじゃーね。

2009-07-20 逡巡

今ちきりんが見ている韓国ドラマのひとつに、すんごいかっこいい人がでてくるんです。脇役なんだけど主役より圧倒的にかっこいいです。プレーボーイというか遊び人キャラなんです。で、ドラマの中で彼は男性の友人とルームシェアをしてるんですが、その友人と携帯で話す下記のようなシーンがあるんです。


同居してる友人:「お前、最近全然帰ってこないな。外泊ばっかりしてないでたまには帰ってこいよ」


そしたらそのかっこいい人が言うのです。

「今日も難しいな。女達が俺を待ってるんだ」って。





きゃぁぁ! かっこい〜




とか書くのが、ブログのアクセス数が増えるとすごく難しくなりますよね。

前はもっと気軽に書けたのに、今日は上記を書いて「保存する」のボタンを押すのに小一時間迷っちゃいましたよ。3連休だからまあいいか、と意味不明な言い訳をぶつぶつと唱えながらアップロード。


これがそこまでして言いたいことなのか、って?いや、だってこういうことこそ、まさにリアルの世界では誰も聞いてくれないことなわけで・・。社会派の話は実際に会う人にもそれなりに興味をもって聞いてもらえるのだが。


世の中つらいね。

2009-07-18 小さな欺瞞・大きな勘違い

テレビのインタビュー番組に、元TBSの企画局長で今は放送評論家という肩書きの田原茂行さんという方がでていらした。田原さんは地上波の番組の質の低下を嘆きながらも、「実はあちこちの地方局が非常に質の高い番組を作っているんですよ」と、ある地方の村興し活動を密着取材したドキュメンタリー番組を例に挙げながら熱心に話されていた。

そして、それらの番組がそれを制作した地方局のエリアだけで放映され、全国には全く放映されないと嘆いていらした。キー局は視聴率がすべてであって、たとえ質が高くても「地方興しの記録」のような地味な内容の番組を放映しないのだ、と。

ちなみにその地方興しの番組はDVDにされて3000円で売られていて、これは予算を補うと共に、他エリアの人にも見てもらいたいという思いで行っている、とのことでした。

また地上波のキー局の番組編成について、「良質のドキュメンタリー番組などは深夜にしか放送枠をもらえない」ともおっしゃっていました。



うーん。


どうですか?


この主張を「なるほど、その通りだ!」と思える素直な方もいるとは思うけど、「なんだかな」と思う人もいるでしょう。

だって今時「全国の人に是非見てもらいたい!」と思うなら、まずはネットに載せればいーじゃん。別にYou Tubeにのせろとはいわないが、いくら地方局だって自分のウエブサイトくらいもってるだろうし、そこにその番組を載せてしまうことはナンの問題もないように思えるよ。

既にDVDで売ってるということは、(&また出演者も地元の人ばっかりなんでしょ?だったら)、テレビ関係者が“番組をネットに流せない理由”として「錦の御旗のように掲げる権利関係という言い訳」についてだって問題なさそうなのに。

今は“ネットで有料で”ということも可能だから、わざわざDVDにして3000円で売るくらいならネットでもっと安い料金で視聴できるようにすれば、それこそ「もっと多くの人にみてもらえる」んじゃない?一番組3000円なんて普通の視聴者は払えないじゃん。300円なら見たいと思う人も少しは増えるでしょ。


しかもこの人が活動する団体で「全国テレビドキュメンタリー」という“紙の本”まで毎年作ってるんだよね。その年のテレビドキュメンタリーで優れた作品を一覧にしたような本です。いろんなローカル局のドキュメンタリーを含め、一年分で200本くらい良質の番組を紹介する“紙の本”です。

また“テーマごとの一覧”も作っているらしい。たとえば“医療問題”というキーワードで、それら全国のテレビ局が作った番組を一覧できるリスト。そのリストらしき“紙”を手元におもちでしたよ。

んで、田原さんは「これをですね、東京でもって全国に放映してほしい。見られるようにして欲しいという一念でやっているんです。」と。「(そうできないことは)一種の社会的な不公正だと考えざるを得ない。」とまでおっしゃるんです。

確かにこれらの“熱い”言葉を聞いていると、ちきりんにも(一瞬)その言葉に嘘はないように思えました。


だけどさ。


そこまでいいつつ、そういう番組をネットで公開すること関して40分ものインタビューの中で全く言及しないのはなぜ?“インターネット”という言葉が全くでないってさすがに不自然じゃない?しかも「ドキュメンタリーは制作した局が(音楽以外の)権利を全部もっていることが多い」とまでいいながら。


なぜ?


考えられる理由としては、

(1)この人の発想には、そもそも「ネット」という概念が存在しない。

(2)良質の番組をキー局で放映して欲しいとは思っているが、ネットでは流したくないと考えている。

(3)ネットを見ている人の中には、そんな高品質番組に関心のある人はいないと考えている。

などがあるのだが、どれなんだろう?それとも(ちきりんが思いついていない)それ以外の理由があるのかな。


「より多くの人に見てもらいたい!」というのが本音なら、コピーライトを手放してネットに載せればいいだけだ。内容によっては誰かが勝手に英語や中国語の字幕をつけてくれて、それこそ何億人がみてくれるかもしれない。

しかしそうはしない。ただただ「キー局が全国放送してくれない」と嘆く。うーん、これじゃあ「いい番組が一地方に埋もれている。できるだけ多くの人に見てもらいたいのに」といいつつ、その本音は異なるのではないか?と思えてしまうよね。


と思ってたら別の話がでてきて、ちょっとだけ話が見えてきた。インタビューの中ででてきたのは、「ドキュメンタリー番組を対象にした賞」の話だ。

田原さんによると4つくらい良質の番組やドキュメンタリーを対象にした賞(コンクール)があるらしい。地方の時代映像祭とかギャラクシー賞、放送文化基金、民放連賞とかいうらしい。

一年に数本ずつしか受賞できないが、それでもこうやって良質の作品に賞を与えることで、ドキュメンタリーに光を当て、ドキュメンタリーの火を消さないようにしている、とのこと。“質の高いドキュメンタリーに与えられる権威ある賞が、こういう番組を作る人へのインセンティブになっている”ということらしい。


で、これを聞いて、ああ、なるほど、極めて「テレビ時代的発想だよね」と思った。


ネットで、たとえばYou Tubeで“いい作品”を探したければ、その目安になるのは“賞をもらった作品”ではなく“より多くの人が見たもの”ということになるだろう。再生回数こそが、その作品にたいする市場の評価を表す。海賊版は大きな問題だと思うが、海賊版も作ってもらえないような作品は世界に通用しない、というのもまた事実だ。

テレビ番組は「権威ある賞」をめざし、ネット上に公開された作品は「何回見てもらえたか」を競そう。まあここは議論のあるところで、ブログとかでも“アクセス数”を目指すものもあれば“ブログ大賞”とかを目指すものもあるかもしれないので、必ずしも「ネットは賞に無縁」とは言う気はない。“賞をとった映画”だからこそ、さっそくネット上でだって話題になるわけで。

それに“再生回数”が“視聴率”同様、必ずしも質を担保する万能ツールとも思いません。が、ここは大きく“発想”の異なるところなのだと思うのです。

“権威ある賞”をとるってことはね、“少数の専門家”、“業界の大御所”に評価してもらうってことだよね。それを目指す世界は、世界中で数多くの人がダウンロードしたり、コピーしたり、(ストリーミングでももちろんいいのだが)見てくれたか、ということを意識する世界とは、コンセプトが違う世界だと思えるわけ。「日本レコード大賞」と「着うたダウンロード件数一位」の違いというか。


話を戻しましょう。

「こういう良質の番組を是非多くの人にみてほしいのだ」と言いつつ、


本当のところ彼が切望していることは、こういう番組を

「(ネットではなく)テレビという特定のメディアで」

「キー局がゴールデンタイムに放映してくれる」ことであり、

「権威ある賞」をもらうこと、なんじゃないの?


上記で紹介した地方興しの名ドキュメンタリーの制作者が「私の願いは何かと言えば、これが全国で放映されること、それだけだ」と言っている、という発言もありました。なるほど、この制作者の方は比較的“正直”ですよね。“自分の望みは全国放映”です、と。“地方のテレビマンの夢”ってのがどういうものなのか、よくわかります。



他にもこんな話をされてました。「川口までいけばNHKの番組のアーカイブが見られる」とか「横浜に来てもらえば放送ライブラリーという財団法人が数百本の番組を蓄積している」と。

なるほど、いい番組を見たいなら川口と横浜に来いと?一方で「多くの人にいい番組をみてもらいたいのにそれが実現できない」と憤ってるわけですね。わかります。みんな何で川口や横浜までこないのだ、と?




小さな欺瞞大きな勘違い

この話には、そのいずれかが存在してる。

どっちだかはわからんけど。

(“大きな欺瞞”と言わないところがちきりんの良心)




最後に彼の言葉を紹介しておきましょう。


「まさに宝の持ち腐れなんです。」


何がって?

「地方の優れた番組をキー局が全国放送しないこと」をさして“宝の持ち腐れ”とおっしゃっているようです。



ふむ。


「宝の持ち腐れ」


なるほど。


そんじゃーね。

2009-07-16 “派生格差”のまとめ

ここ数年頻繁に使われるようになった“格差”という言葉。普通は“格差”といえば、“経済格差”のことを指すことが多いですよね。つまり「いくらお金を持っているか」の差だと。

また、“格差の固定化”とか“格差の世襲化”などと言われるように、格差が世代を超えて受け継がれることを問題視する考え方もありますが、この場合も世襲(相続)され、固定化するのは“経済力”、“資力”の話なので、基本は「格差と言えばお金の話」ってことなんだと思う。

それにたいして、「経済面以外での格差」が“経済格差”によって生まれている、という議論も最近はよく聞きます。今日はそれをまとめてみたいです。

いうなれば「二次格差の一覧」というか「派生格差の一覧」かな。「格差デリバティブ」と呼んでもいいけど別にカタカナにする必要もないので、とりあえずタイトルは“派生格差のまとめ”にしてみました。



(1)教育格差

これが一番よく指摘される“派生格差”だと思います。


具体的な教育格差発生のメカニズムとしては、生活保護世帯、母子世帯等を含む貧困世帯において、

・大学進学、高校進学自体が経済的理由により困難。

・塾や模試代、予備校費用などが払えず、経済的理由により成績が上げにくい。

・(高校生や大学生が)アルバイトに追われ、勉学に避ける時間が少なくなる。

・下宿が必要になる離れた大都市にある大学への進学をあきらめざるを得ない。芸術系大学などへの進学も苦しそう。

・留学や英会話学校、資格取得予備校などに通えず(就職等に重要とされる)教育を受けられない。

などが考えられます。


また、“二次派生”ではなく“三次派生”的なメカニズムもあり、たとえば

・親や兄弟などが誰も大学に行っていないので、そもそも大学進学を選択肢として意識しない。

・夜逃げや、親の家出、育児放棄等々の問題から、勉強する環境にそもそもたどり着けない。

などもあるでしょう。


日本では学歴は経済力に大きな影響を与えるので、「経済格差→教育格差→経済格差」というループは非常に強固に存在すると思われます。



(2)健康・医療格差

これもありますよね。いくつかのカテゴリーにわけて書いておきましょう。


まずは、直接的な医療格差

・健康保険料を払っていないため、病気になっても医者に行かない。(行けない)

・健康保険証はもっているが、3割負担が払えず(同上)

・健康保険が効かない高度な自由診療が受けられない。&高額な薬が買えない。


次に早期発見と治療環境の観点からの格差

・定期的な検診を受けていないため、病気を見逃す、また早期に治療開始できない。

・時間給雇用のため生活のために仕事が休めない。そのため、必要な治療が行えず病状を悪化させる。もしくは正規雇用であっても、治療しつつでは仕事が続けられないため、雇用のために治療を後回しにする。

・糖尿病、高血圧など食事制限が重要な疾病に関して、食事コントロールが困難で病状を悪化させる。(お金があれば“糖尿病食”"高血圧食”などの通販が利用できる。自分で塩分を計算しつつ料理するのは大変です。)


さらに一歩手前で、未病環境での格差

・過酷な労働条件の下で長時間労働を続けるなどにより、身体が受けるダメージが大きい。またそのケアにもお金がかかるため、適切なケアが行われていない。

・栄養の偏った食事、脂っこい食事、インスタント食品などばかりを摂取しており、病気になりやすい。特に子供の間の栄養の偏りは影響が大きそう。

・喫煙、飲酒過多などの健康を損なう可能性のある生活習慣に陥りやすい。(通勤してたら毎日朝まで泥酔するのも難しいし、“お金のある人”の多い場所って、最近は喫煙に極めて厳しいでしょ。)


と、こちらに関しても、経済力の格差により「病気になりやすさ」×「早期発見の可能性」×「治療の環境」×「手に入る医療の質と量」のすべてにおいて大きな差異がでると思われます。

また、これも反対側への影響力もあります。健康なら一定額を稼げるのに病気になったとたんに収入が途絶えてしまう場合も多いからです。



(3)家族維持能力の格差

・経済力がないために配偶者として選んでもらえない。(下記参照)

・経済力が心配であるため子供がつくれない。(子供をもつ決断ができない)

・経済的な問題(借金問題等)が離婚につながる。

・経済力がないため、介護負担を“人力”で受け止めるしかなく介護疲れによる問題を惹起する。


経済力と結婚可能性の問題についてひとつ補足。これって主には、結婚に際して経済力を期待されることが多い、結婚適齢期の男性の話だと思います。

でも女性に関しても全く無関係じゃないかもとも思うし、また中高年以降の結婚においても経済力の影響は大きいかなと。まずお金のある人って「老ける」ことを一定範囲で遅くできるでしょ。これは男女共。“おしゃれ”だって一定のお金がかかりますよね。

このあたり「経済格差→容姿格差→家族格差」という流れがありそう。

あと、男性でかなりの高齢で若い女の子と再婚する人ってたいてい相当の経済力があります。“金もないオヤジ”でモテまくる人もいないとは言わないけど。


と、話がずれそうなので戻りましょ。というわけで、ここでも「結婚する→子供をもつ→結婚を維持する→親子の関係を維持する→親の面倒を見る→自分の老後の準備をする」という“家族形成の起点から終点までの全プロセス”において経済力が影響を与えると思われます。

あと、こちら特に“弱者”を家族に抱えた時に格差が増大すると思います。障害者や介護が必要な人がでた時に、経済力のない家では、家族が人生の時間のすべてそちらに投入する必要がでてきてしまうからです。一人子で、介護の必要な親の面倒をみるために結婚をあきらめる人とか、いそうですよね。



(4)社会関係維持能力の格差

・犯罪を起こしやすくなる。強盗する人の大半は借金があります。名義を売る人や、借金返すために体を売る女性もいるでしょう。「お金があれば犯罪に手を染める必要はなかった」という人は一定数存在しそう。

・犯罪に巻き込まれやすくなる。自分が悪いことをする気がなくても、せっかく就職した会社で「この仕事はやばい・・」と気がついても辞められない、ようなケースです。お金がないと危ない橋を渡らざるをえなくなる。

・大人の世界は、友人、知人、同僚、親戚関係などの人間関係の維持に一定のお金がかかります。「つきあい」のためのお金が払えずこういった人間関係を失うケースも多々あるのではないでしょうか。冠婚葬祭も趣味もお金かかりますよね。

・経済格差が“情報格差”を生む場合もある。今の世の中は“情報”があれば簡単に解決できる問題が、情報、知識がないとこじれにこじれてしまいます。たとえば多くの福祉制度は、そもそも自分で知っていて申請にいかないと全く適用されません。お金がない人ほど、これらの情報が重要なのに、お金がない人ほど情報を得るのが難しいんじゃないかな。


とりあえず今のところ思いつくのはこれくらい。


あと、上記で書いたのは「経済格差」が「教育」「健康」「家族」「社会関係」格差を生む、という方向の話なのだけど、実際にはそれらの格差がまたもや経済格差にもどってくるってのも自明ですよね。

教育は最も効率の良い投資だし、「健康なればこそ」というのはどの世界も同じ。家族や社会関係も、何かの時に大きな支えになる。経済的問題によってこれら4点の“アセット”が形成、維持できないと、それがまた経済問題に戻ってくる。


というのを絵にすると↓んな感じ。

f:id:Chikirin:20090716153433j:image



・・・なんだよ、この“まんま”な絵は・・・


まあいいか。




というわけで、また明日。*1



*1:本当は“経済格差”と“貧困問題”は全然ちゃう話なのだが、今日はごっちゃになってますね。すんません。とりあえず“格差”が行過ぎて一定レベル以下の範囲に入ってしまう人、という意味でお読みくださいませ。

2009-07-14 あなたの孫はインドか中国で生まれます

最初は10歳以下の子供にむけて「あなた達の将来はね!」という話を書こうかと思ったのだけど、どう考えても「このブログを読んでいる10歳以下の子供」は多くないかも、と思い直しました。

寧ろそのくらいの年の子供がいる、という人のほうが多いかも、ということでタイトルを変えました。


今日の日経トップ記事は“日産が中国で2割増産。ホンダも設備増強。日本車各社が一斉に中国事業を拡大する”という記事。一面以外でも“カネボウ化粧品、中国に専用ブランド投入”という記事も。

またミニコラムでは日本総研の寺島会長の“ブラジルに日本の新幹線を売り込む際には、建設に関する専門性も訴えて欲しい”が“建設業界は海外で人材不足に悩み、海外事業拡大に慎重だ。「大型プロジェクトを管理できる人材を育てるべきだ」と建設業に発破”という話が紹介されています。


これらはすべて同じ流れの話です。

基本的に今後、「市場としての日本」は全く将来性がありません。

唯一、日本において将来性のある市場は高齢者向けの市場、医療や介護市場だけであって、いわゆる壮年、若者が主に購入する財&サービスの市場規模については、(移民を入れるという判断をしないかぎり)今後、“原則として右肩下がり”が確定しています。

壮年、若者が主な購入者である財&サービスとは、飲料や食料品、お酒や外食産業はもちろん、アパレル、靴などの衣料品、学校や塾や文房具などの学校関係サービスと財、映画やゲームなどのエンターテイメント全般、雑誌や新聞などの紙もの全部、車や家電など、家やインテリア関係、などなど。つまり“ほぼ全部”です。


人口が減っても「一人当たりの消費量が多くなる商品やサービス」であれば売上げは維持できるかもしれません。

しかし現実的には、「一人当たり消費量」が伸びるものはほとんどないでしょう。若者が今までよりも、より多くの食料を買ったり、より多くの酒を飲んだり、より頻繁に旅行をしたり、より高い車を買ったり、しないでしょ。

今の若者は昔の若者より稼ぎが悪く、昔の若者より将来に悲観的なため、節約意識も高いです。

彼らが「今後消費を増やすもの」の大半は、ベンチャーや海外企業が提供する格安、もしくは無料のネットサービスのようなものばかりであって、それらは既存の財やサービスの“より安い代替品”として消費が伸びるだけです。


というわけで、生産人口の急速な減少とともに、「市場としての日本」は縮小を始めます。企業にとって「市場が縮小する」とは「売上げが落ちる」ということであり、「売上げが落ちる」とは「経費も落とす必要がある」ということです。

企業は、売上げが 5%落ちれば、社員の給与を5%下げるか、社員のうち 5%を解雇する必要があります。そして、「毎年毎年○%縮小する日本市場」で商売をすることは、「毎年毎年、社員の給与を○%落とす」か、「毎年毎年、社員の○%を首にする」ことが必要になります。


まともな企業なら、当然「これはやばい!」と思い、手を打つことになります。打つ手は明確です。「日本国外にいる人に買ってもらう」しかありません。

それがどこかといえば、「できるだけ若い人の数が多く」「一人当たり所得がまだ伸び続ける」国で、できれば「日本ブランドが生きる国」です。つまりそれがインドとか中国、インドネシア、また日系人が多いペルーやブラジルなのでしょう。


今 10歳以下の子供達の多くは、将来は「インド人に車を売る」、「中国人に化粧品を売る」、「ブラジルで工場立ち上げの支援をする」ような仕事に就くことになるのです。

彼らの親の世代がこれまで「日本で、日本人にものを売る、日本で、日本企業向けにサービスを提供する」仕事に就いていて、かつ、そういう仕事をやっていればどんどん給与が上がってきたのは、

「日本が市場として成長していたから」です。しかし皆さんのお子さんには、そういう将来は用意されておりません。


彼らが大人になった時に、就ける仕事というのは下記しかないんです。

(1)日本で高齢者向けの仕事(医療関係か介護関係など)に就く。

(2)インド人や中国人に消費財や消費サービスを売る仕事に就く。

(3)インド、中国の他、中東や南米などを含め世界のどこかで産業材を売る仕事に就く。


(1)は医者はまだしも、介護系は給与がワープアレベルです。(2)か(3)に入れば、主に海外で働くことになります。それ以外の選択肢は(4)日本で失業する、(5)日本で一生給与の上がらない仕事に就く、しかありません。

つまり“きちんと給与があがっていく仕事にありつく”人の大半は、海外での仕事(広く言えば“海外絡みの仕事”)に従事することになるわけです! 


海外市場に本格的にシフトせざるを得ないことの必要性は、すべての消費財メーカーや関連企業が、すでに痛感していることです。若い人の人口が伸びない国で、ビールや缶コーヒーが売れ続けたりはしないのです。

今の 10歳の子供が 30歳になる 20年後、彼らは「インド人好みのビールを開発」し、「インド人にウケる広告を考え」「インド人がよく行くスーパーマーケットで、インド人好みの販促のキャンペーンを準備する」仕事をしているでしょう。

長期出張だか転勤・駐在だか知りませんが、今の私たちが想像するより遙かに多くの日本の若い人達が海外に居住し、働くことを余儀なくされるでしょう。

だって自分の国にはもう大量のビールを飲んでくれる若者も、車を買ってくれる若者もいないのですから。


というわけで、現在10歳前後のお子さんをおもちのご両親(もちろん、それより小さいお子さんをおもちの場合も同じですが)は、将来、

「インドからの電話で孫の誕生を知る」とか

「今年の夏休みは中国から孫が初めて帰ってくる」という感じになると思うし、


なかには

「うちの息子の嫁は中国人」

「うちの娘はインド人と結婚して・・」

みたいなケースも増えるでしょう。


自分達が年老いて、夫婦のどちらかが入院!というような時にも

「早くインドの息子に連絡して!」

ってな感じになるんだと思います。



いや別に、だからどーだとかいうことではないんですけど、「多分そうなりまっせ」ってことだけ。


「英語を勉強させたほうがいだろうか」って?

ん〜。どっちでもいいと思います。

インドで必死に働けば多くの人が5年後には立派なインド英語の話者になるでしょう。

わざわざ今お金をかけて英会話学校に行く必要はない気がする。必要になれば語学なんてなんとかなります。今の日本人が英語が苦手なのは「んなもん要らんから」です。


現時点で 10歳以下の日本人が生きることになる世界では、そんな贅沢は許されません。

今、スウェーデン人の大半は英語を話せます。人口の小さな国=市場として小さな国、の人達は概して英語が上手です。発展途上国でも、何カ国語も駆使しながら客引きをする子供もいます。でも彼らは英会話学校なんて全く行っていません。

それよりは“胃腸が丈夫な子”に育てた方がいいかも。ちきりんみたいな「日本食のないところには住めない!」ようでは今後は将来性がありません。インドのスパイスや脂っこい食事に耐えられる胃腸のほうが役立つかも。


まあ・・・頑張ってください。


f:id:Chikirin:20150810175729j:image:medium

そんじゃーね。


http://d.hatena.ne.jp/Chikirin+personal/  http://d.hatena.ne.jp/Chikirin+shop/

2009-07-13 時を超えて

今日は新疆ウイグル自治区について。

といっても、現在起きている暴動のことでも、独立運動や中国の民族問題の話でもありません。ちきりんはそれらのことについて判断したり書く知識をもっていません。

そうではなく、私が2004年にウルムチをはじめ「新疆ウイグルエリア」を旅行した時のことを書いておきます。

私は“歴史、遺跡”好き。シルクロードの世界も大好きで、このエリアもずうっと関心がありました。

実際に旅行プランを立ててみると日本からのアクセスも案外いいんですよね。西安までは毎日飛行機が飛んでいるし、その後は中国の鉄道が整備されています。寝台なので長距離でも安心、安全、格安。

で、敦煌、トルファン、ウルムチと定番の観光地を訪れました。


この旅行でちきりんが一番感動したのは、敦煌の莫高窟でも西安の兵馬俑でもなく、ウルムチの博物館でみた何体もの“ミイラ”でした。

楼蘭美人と呼ばれる有名なミイラの他にもいくつかの古代の人のミイラが展示されているのですが、それがもう圧巻で、言葉を失いました。

それまで私にとって、ミイラとは、エジプトのミイラでした。

それは布でぐるぐる巻きにされた“ボディ”であって、「あの布を外したら人の体が入っているらしい?」とは思うけど、中身は見たことない。布で巻いてあるどころか、様々に飾られた棺桶に入っていたりもします。

なので、ミイラったって、実際には人間の姿として認識されるわけではありません。

たまに資料映像で見るそれは「骸骨と、骨にへばりついた皮」というようなものであって、生きている人間の姿とは全く異なる「人体模型」とでもいうべき代物であったわけです。


ところが、ウルムチで見たミイラは「人間がそのまま乾燥している」んです。

なかなか言葉では説明しにくいのですが、本当に人間のそのままが乾燥してる、ものがミイラ、なんです。そのリアルなこと。驚愕です。息をのみます。動けなくなります。

爪、眉毛、髪の毛、ひげ、顔の肌、そのシミなど。すべてが“そのまま”乾燥して、ガラスケースの中に入っているのです。

もちろん洋服も着ています。服も一枚の布きれ、というより、ベルト的に巻かれた布や、飾りの部分などもそのままに残っています。

まるで「水を掛けて3分待ったら起き上がるんじゃないか?」と思えるほどのリアルさです。


「人間て、そのまま乾燥すると、こうなるんだ・・・・」と思いました。


それは余りにリアルな「乾いた人間」でした。

あちこちの国に旅行に行きましたが、あれほど衝撃を受けたものは他に思い浮かばないです。何時間、あの博物館にいたかも覚えていないくらい長い間、その博物館を離れられませんでした。


当時は安普請のぼろい建物でした。「こんなとこに貴重なミイラを置いといても傷まないわけ?」と心配になるほどでした。

でも実際のところ、博物館のショーケースの中だけではなく、ウルムチの町全体が「ミイラ製造都市」みたいなところであったわけです。

ウルムチも高温、乾燥、そしてやたらとホコリっぽい町です。新疆ウイグルのミイラは「いろいろ加工してミイラになった」わけではなく、「その辺に放置されてて数千年たったらミイラになっていた」ってものなわけです。

「人間そのままのミイラ」・・ある意味、私が見たのは「死体」なのです。

「死体」なんてそんなにまざまざと見る経験は普通、ありません。それがガラスケースに入って、何千年の時を超えて、生きていた時とほとんど変わらない姿で横たわっているのです。

そして、それを私たちは(ガラスケース越しとはいえ)たかだか20センチ離れたところから凝視できるのです。


「これが、数千年前の人間なんだ」と。


それは、その人の人生や生活にリアルに想像がおよぶほどの「現実感」をもった「人間の亡骸」でした。


★★★


駱駝でおなじみのシルクロードですから、このエリアの基本は“砂漠”です。あちこちにオアシスがあるし、天山山脈の雪溶け水が流れこむ川や滝などもあり(なんせ広大なエリアですから)山あり河ありなのですが、でも基本は“砂漠”です。

私は長距離は鉄道で移動しましたが、各滞在都市ではガイドさんとドライバーさんを雇って車で移動していました。昔の砂煉瓦の王宮など様々な見所がありますが、それらの見所の多くもパサパサ・カラカラに乾いた“砂”の迫力です。

時には車で2時間くらい走っているのに、景色としては砂しか見えない、というエリアが続くこともあります。オアシスの蜃気楼も見えますし、砂嵐の時には観光も中止になってしまいます。

「こういうエリアなんだ〜」と思いながら進んでいると、ところどころに、ぼこっと砂が盛り上がっているものが見えていました。一カ所に数個から数十個まとまって「砂場に作ったお山」みたいなものがあるのです。

私はガイドさんに聞きました。「あの盛り上がっているのはなに?」と。

ガイドさんは答えました。「あれはお墓です。この辺りには火葬の習慣がないので、無くなった人は砂の中に埋めるんですよ。」と。



私は・・・再び言葉を失いました。



今日亡くなった人も、砂漠に埋められているのです。

そして数千年後にその体は「そのままのミイラ」になって、誰かに掘り出されるのかもしれません。数千年前の人のミイラを博物館のショーケースで展示しながら、今日なくなった自分の身内を砂漠に埋めて祈る。

人間と地球の関わりのなんと普遍的で、深い契りでしょう。

「ここで死ねる人はすごい幸せだ」と思いました。文字通り「地球から生まれてきて地球に戻るのだ」という感じでしょ。

人生を終える場所が選べるなら、ここで死にたいかも、とも感じました。普通の人の人生が、歴史になれる場所だと思えたから。


★★★


話はこれで終わりです。最後に旅行の写真の一部を紹介しておきましょう。ミイラの写真はありませんからご安心を。


現在バスがひっくり返されたりと暴動が起こっているウルムチの町です。5年前の写真なのに、案外、大都市で驚きますよね。

こういう「大発展」から得られる利益の多くを漢民族のビジネス層や役人層が独占してしまっていることが、ウイグル族などの人達の不満として鬱積していると思われます。

f:id:Chikirin:20090713202436j:image


イスラム教の人が多いのでこういう建物が多く、中国というイメージとはかなり違います。

f:id:Chikirin:20090713202429j:image


高昌故城という昔の王宮です。すごい迫力です。

f:id:Chikirin:20090713202420j:image

f:id:Chikirin:20090713202413j:image


比較的水が少なくても育てられるブドウが特産とのこと。これはブドウを乾燥させる小屋だと思います。ブドウも、炎天下にこういう砂の物置の中に放置しておけば乾燥して“ぶどうのミイラ”ならぬ、乾燥レーズン、になるわけです。

f:id:Chikirin:20090713202409j:image


民族衣装の子供達。写真にとられることで“お小遣い稼ぎ”をやってます。

f:id:Chikirin:20090713202358j:image


帽子屋さん。遊牧民族系の人も多く、動物系の毛皮も多く利用されてます。この人達も漢民族とはちょっと違いますよね。

f:id:Chikirin:20090713202346j:image


以上です。


そんじゃーね。

2009-07-12 旅行&権利行使

旅行に行ってた。


f:id:Chikirin:20090712193127j:image


ちゃんと選挙に間に合うように帰ってきた。


f:id:Chikirin:20090712193112j:image


帰ってきてすぐ、さっき公民館に行ってきた。


f:id:Chikirin:20090712193059j:image


権利行使してくるために。


f:id:Chikirin:20090712193043j:image


とりあえず自分の年代の投票率をあげとくのは大事だから。


f:id:Chikirin:20090712193029j:image


そんじゃーね

2009-07-10 「地球の歩き方ブランド」の力

「地球の歩き方」という海外旅行ガイドブック。今は一般旅行者向けにも有用な本ですが、1979年に発行されてから当初の10年程度は“バックパッカーのバイブル”でした。

たしか表紙に「一日10ドル以内で旅する人のためのガイドブック」と書いてあったような記憶があります。


日本円が圧倒的に強くなったのは1985年9月のプラザ合意からです。それまで一ドル240円程度だった円の価値は、この合意からの2年間で1ドル120円と価値が倍になりました。

これにより普通の人にとっても海外旅行は一気に身近なものとなり、「地球の歩き方」も急速に成長しました。

自分も昔はよく利用したこのガイドブックについて、ちきりんは“複雑な思い”があります。なので今日は「地球の歩き方の功罪」について書いてみます。


功の部分は明確で、下記の2点です。

功(1) 自分で手配する個人旅行のスタイルを推奨し、普及させたこと。

功(2) 実際の旅行者から情報を集めてガイドブックを編集したこと。


昔のジャルパックに代表されるように、旅行会社がすべてを事前に予約し、添乗員が日本から同行。ホテルから食事までプリセットされ、観光には専用バスが使われる。

そういったパッケージ旅行とは異なる、「自分で旅程を組み立て、ホテルを予約し、現地の公共交通機関を使いながら旅行する」スタイルを紹介し、具体的なノウハウを掲載することで、初めて海外旅行をする日本人にも個人旅行を普及させた意義は非常に大きいと思います。


また旅行ガイドブックでは、「掲載料を払ってくれたホテルやレストランを掲載する」という事実上の広告方式が一般的なのに、当時の地球の歩き方は「広告ではなく、実際に旅行した人から無料で情報を集める」ことで作られました。

そのため情報は時に不正確なものを含みながらも、いわゆる「広告情報誌」とは異なる消費者の正直な声で構成されたガイドブックだったのです。

格別にお金持ちでもない日本人が、海外を自由に旅行しようというきっかけを作ったという点ですばらしいガイドブックだったと思います。


★★★


罪の方は何でしょう?それは上記の功の(1)と(2)そのままの裏返しです。


罪(1) “地球の歩き方・オリエンテーリング・トリップ”とでもいうべきエセ自由旅行を生み出してしまったこと。

罪(2) 今でも消費者からの直接の情報で紙面構成されているかのように“地球の歩き方ブランド”が使われていること。


いつからか「地球の歩き方に掲載されている場所を訪ねる旅行」をしている人をよく目にするようになりました。

掲載されている町に行き、掲載されているホテルに泊まり、掲載されている店を探し出して食事をし、掲載されているお店でお勧めのお土産を買う。その様子はまさに「地球の歩き方を片手に、オリエンテーリングをやっている」ようです。


多くの現地客で繁盛していても地球の歩き方には載っていないレストランには全く目もくれず、掲載されている店を必死で探しだして、たとえそこが“がらがら”でも、もしくは日本人客しかいなくても、全く意に介さず「ここだ!よかった、見つかった!」と入っていく。

そしてメニューが出てくると、メニューを見るのではなく、地球の歩き方に書いてある(写真が載っている!)料理を「メニューから探す」人たち・・・。

このガイドブックを手に旅行する人たちの多くは、「パッケージ旅行は嫌い。自分で自由に設計できる自由旅行が好きだ」といいます。しかし、それは本当に自由な旅行でしょうか?


地球の歩き方に掲載されたレストランで掲載されている料理を注文する人に、なぜそうするのかと問えば、「だって誰か他の日本人が食べておいしいと思った料理を食べる方が安心でしょ」という答えが返ってきます。

なるほどそういう人にとっては、「現地の人に大人気のレストランに行ったら、わけのわからない料理を食べさせられて不味くてびっくり」などというのは、全く意義のあることではないのでしょう。そんなことになったら大失敗だし、準備不足の旅行だということになります。


そこには、「たとえ自分の口に合わなくても、その国で人気の料理がどんな味か知りたい!」という好奇心は存在しません。

楽しい旅行の定義とは、他国に「日本と違う何か」を見つけ、自国とは異なる風景、空気、文化や人々に、心躍り、ワクワクし、感動することではなく、「日本で食べるのと同様の(日本人の味覚にとって)おいしい食事を楽しむ」旅行だということなのでしょう。

そして「海外でも日本と同様に快適に過ごしたい」という旅行者に合わせるように、ガイドブックの説明文にも、「日本人好みのお土産が揃っている」、「日本人の舌に合う味」、「日本のような細やかな気配りのある宿」などのような記述が増えていくのです。


また、こうした強固な「地球の歩き方信者」を生み出しているのが、読者の「地球の歩き方は実際の旅行者の声でできている」という思いです。

もちろん今でも旅行者からの情報は掲載されていますが、先進国や留学編、リゾート編などを中心に、既に投書情報をあまり使わず構成されたバージョンもでてきています。

それでも昔と同じ表紙デザインやレイアウト構成が、「地球の歩き方は、広告ではなく本当においしいレストランを掲載しているはず。だって、情報は旅行者からの口コミだから」と購読者に思わせ続けるのです。


★★★


私が感嘆するのは、このあまりに強固な「地球の歩き方」のブランド力です。ここまで多くの人の行動に強い影響を与えられる本というのは、他に思いつきません。「地球の歩き方」は日本において最も成功したブランドのひとつでしょう。

ゼロからこういうものを作り上げた人の功績は大きな尊敬に値しますし、人生において、こういうものをひとつでも生み出すことができたら、ものすごい達成感が得られるだろうと羨ましくも思います。


そんじゃーね。

2009-07-09 “大機小機”から

ちきりんは日経新聞を平日朝刊だけキオスクで買って読むのですが、この新聞の中で「これは読む価値あるよね!」と思える好きなコラムがいくつかあります。それは、


(1) 「大機小機」・・・マーケット総合面の左上に載っている、業界人の匿名コラムです。持ち回りで数人の方が書かれています。

(2) 「経済教室」・・・外部の学者など専門家の寄稿欄です。となりの「ゼミナール」や「やさしい経済学」なども勉強になります。

(3) 「私の履歴書」・・・最後の面に載っている有名人、企業人の自伝ですね。大半がゴーストライターが書く口述筆記伝だかな。あと、いくら有名でも「かなりの高齢にならないと」掲載依頼をしてもらえないです。


もしもちきりんが「中年のおっさん」であれば、(4)として「最終面のポルノ小説」も挙げたかもしれませんが、ちきりんにとってあれは、「日本経済、および、日本経済新聞社が、いかに男性オンリー社会であるかを高らかに宣言することが目的」としか感じられません。日経新聞の経営者の半分が女性になるまで、あの連載はあんな感じなんでしょう。


というわけで、上記の(1)から(3)のコラムはいろいろと勉強になるし、さすがと思わせる視点や思いがけない思考の切り口にも遭遇でき、歴史観や時代を勉強するにも役にたつのでほぼ毎日読みます。ところで、この3つのコラムには共通点があります。


それは・・・





(1)(2)(3)とも、「日経新聞の記者が書いているコラムではない」とういことです。すべて書き手は“外部の人”です。

「日経新聞社の記者以外の人が書いている」ことが、ちきりんが「日経新聞の中でここが一番読む価値があるよね!」と思う3つのコラムの、共通点です。



いや、もちろん、たんなる偶然だと思いますけどね!



さて、今日の本題は以上で終わりですが、以下、昨日の「大機小機」を読んでの雑感を書き留めておきましょう。担当はペンネーム腹鼓さん。タイトルは“最高裁判所の国民審査”です。

内容を一部引用すると、


最高裁の裁判官は内閣が決める。通常、国民が関与する機会は、任命直後の総選挙の際に行われる国民審査だけである。

と説明があります。遠からず行われる総選挙で、この最高裁判事の信任を問う国民審査が同時に行われるわけですね。


しかし、最高裁は

たとえば、民主主義の根本である一票の格差問題。国政選挙のたびに裁判所に持ち込まれる問題だが、最高裁は、格差が衆議院は3倍、参議院は6倍を超えなければ憲法違反ではないという判断を長年続けている。

ほんとこれてひどいよね、とちきりんも思ってる。日本の司法の頂点にたつ機関は、自らの義務を放棄しており、事なかれ主義に徹している。こんなひどい格差でさえ「行政と立法にお任せします」ってう態度にはあきれるばかり。“三権分立”って言葉の意味を知ってるのか、一度聞いてみたいもんだ。司法なんていらんじゃん、こんな大事なことを丸投げするなら。


でね、コラムは最後にこう締めくくられる。

問題は判断材料がろくにないことだ。


(中略)


とりあえず今回の国民審査にあたっては、どなたかしかるべき方が、審査対象の9人の裁判官に質問し判断材料を提供していただけないだろうか。仮に「回答しない」という答えであっても判断の一助にはなる。

ほんとにそうだよね。


というわけで昨日の腹鼓さんのコラムには「100%そのとーり!」って感じなのだが、特に一番最後のパラグラフ(上記の“中略”の後の文章)は、考えさせられることが多い。


これを読んでちきりんはこの人に「だったら貴方が調べてくれたらいいのに!」とはとてもいえない。そういうことをするには一定の時間と一定のエネルギーをこの問題のために使う必要がある。それなりの立場や知識もいるかもしれない。フルタイムで仕事をもち働いている立場の人には無理だろう。


ふむ。


そしてちょっと考えたのだけどね。こういうのを「おし、俺がやってやろう!」という人が現れたらそれってすごい大きな社会貢献だよね、と思った。たとえば法律関係や裁判所関係、大学の法律の先生などの仕事を定年した人とかね。

普通だとそういう人は定年後もそれなりの“行き先”があって、結構な給与でお車なんかもつけてもらって“顧問”みたいになるか、もしくは、別の形でまたばりばり働かれたりするんだと思います。

もちろんそれもいいと思うよ。だけど定年後の人が働き続けることって若い人の働く場所を奪うことでもあるわけで、ちきりんとしては「できるだけ早く引退しましょうよ」ともいつも思ってる。


んで、上記のコラムを読みながら考えたわけ。

こういう「すごく社会のために意味があるけど、働きながらではできない、もしくは、誰もこれに対価をはらってくれないから、食べていくために働いている立場の人ではできないことって、あるよねえ」と。

「でも一方で、既に多額の年金が確保されてて、働く気力や必要な知識まであって、んで、なにか世の中にインパクトを与える仕事ができたら」と思ってる人って結構いるんじゃないの?と。

実は上記の一票の格差の判決では“反対意見”を表明している判事の人もいるわけです。そういう人が定年した時にリーダーシップをとって、「それぞれの判事の判決履歴」をきちんと開示する、みたいなことだって本当は可能なはず。

なんだけど、実際にはああいう世界は「完全に仲間内」の世界なので、定年したからといって「今までの仲間がちょっとでも嫌がることは絶対しない」のが掟。だから元判事とかの人には期待できないでしょう。それでもね、一定の知識があって、そういう活動(NPO的な活動)に関心がある人はいてもおかしくない。と思う。


もちろん早期引退を目論むちきりんにとってもこういうのは示唆に富む話であって、上記の話が「時間と手間」だけで可能なら自分の引退後の営みとして十分に魅力的だ。ただ実際には、これらの判事の方が今までに担当した裁判の記録を読み解くことから、それを素人の国民一般にわかるように解釈して伝えることが必要にもなるので、この特定のことについては、スキル的にちょっとちきりんには無理かな、とは思う。


でもね、別のことで、もしくは、分業ならできるかもしれない。


ちきりんのブログも最近はそれなりの数の人に読んでいただける。しかも、ちきりんが考えている読者層が増えているようにも思う。まだまだ先は長いのだけど、今から“引退のその日”(←考えただけでワクワクしますね!)までにもっと信用や影響力のベースを重ねていければ、「知らせる場」としてだけなら使っていただく事も可能になるかもしれない。

いや、別に上のようなトピックでなくてもよくて。いろいろあると思うんです、これを広く説明して知らせるべきだよね、ってことが。世の中にはね。



とか、いろいろ考えたりした。


まあ、思いつきみたいな話ですけどね。


とりあえず“朝イチで日経新聞”を読んでいてもすぐに思考が“リタイヤ後”のことに飛んでしまう自分をなんとかした方がいいかも、って感じではある。



そんじゃーね!

2009-07-06 目標は低くもちましょう!

ちきりんはとても目標が低い人間です。今までの人生において“達成が不可能なこと”を目標に掲げたことはありません。“達成が困難なこと”や“多大な努力が必要なこと”を目標にしたこともほとんどありません。

それは“多くをあきらめてきた”ということではなく、そんな苦労をしてまで達成したいことが特になかったからです。

「宝くじが当たったら何を買う?」というようなくだらない妄想にはよく浸りますが、だからといってお金を稼ぐために必死で努力したいとは思いません。手の届く範囲で暮らせれば十分です。


また、個人としてだけではなく、自分の国である日本の将来に関しても大きな期待はしていません。だから日本の将来についても極めて楽観的です。

皆さんの中には“国を憂うちきりん”というイメージをお持ちの方があるかもしれませんが、それは誤解です。ちきりんは日本が大好きな上に、日本の将来にもとても楽観的なのです。なぜなら過大な期待がないからです。

日本の将来に悲観的な人の多くはそそもそも“期待値が大きい”んですよね。たとえばそういう人達は「世界第2位の経済大国である日本」を維持したいと思っているのではないでしょうか。もしくは、「国際社会でリーダーシップを発揮し、諸外国から尊敬される日本」を夢想しているのかもしれません。

確かにそんな高い目標を掲げたら悲観的にならざるをえないでしょう。だってこんな体たらくの国では、そんな目標はとても実現不可能ですから。でもちきりん的にいえば、そもそもそんな高みを目指す必要は全くありません。

世界には200もの国があります。その中で、なぜトップ2を目指す必要があるのか、全く理解できません。トップ2位とは、トップ1%に入るという意味です。みなさん今まで自分の人生において、トップ1%に入ることを目指したことがありますか?

500人の高校で、勉強でも運動でもいいですが「俺はトップ5人に入る!」などと思っていたでしょうか。たいていの人はそんな希望をもったことはないでしょう。もちろんちきりんもそんな高い目標をもったことはありません。


世界第2位でいたいとか、世界でリーダーポジションを獲得したいとか、分不相応なことを考えるから「日本はこのままじゃだめだ!」という話になるんです。

歴史を振り返っても、分不相応な考えをもって、西欧列強と同じように植民地を持ちたい!などと過大な夢を見たからボコボコにされたのです。歴史から学び、過大な夢をもたないようにするのがなによりです。


ちきりんとしては、日本は「ぼちぼちやっていければいいんじゃないか?」と感じています。既にひとりあたりGDPはこちらのデータによると世界で23位です。為替レートによる変動を考慮に入れても今の日本の経済的な豊かさは世界ではせいぜい15〜25位でしょう。

一方GDPの総額では、アメリカが1位で日本は長らく2位でしたが今年はいよいよ中国に抜かれるようです。また、中国に抜かれた後に日本は3位を維持できるかといえば、他にもインドやロシアのような人口の多い国や資源国が控えていますから、そのうち世界で6位くらいになっても不思議ではありません。

でも、200カ国のうちの6位なら十分じゃないでしょうか?ちきりん的にはトップ5%の10位以内くらいであればなんの不満もありません。


また「アジアで一番」の地位を中国に譲り、「日本がアジアで2番目の経済大国」になることを「悲しい」と思う人もいるようです。けれどよく考えてみて下さい。経済規模の絶対額で、人口1億人の国が13億人の国に勝てたりするほうがおかしいのです。負けて当たり前だと考えるべきです。

今でこそ野球のWBC(ワールドベースボールクラッシク)も日本が優勝しています。しかし「日本チームにはイチローはひとり」しかいませんが、同じ確率でああいう人が出現すれば、将来の中国チームは「補欠まで含め、13人のイチローがいる」という感じになるでしょう。

せいぜい今のうちに勝っておいて、全然勝てなくなった将来には「あの頃はよかったのう」とか言って縁側でお茶でも飲んでればよいのです。


実際、数百年単位でみても1位や2位が“たとえ一時期でも”張れる国というのは限られています。無敵艦隊スペインとか、大英帝国とか、ローマ帝国など、ある時代は栄華を極め世界のトップにあった国が、数百年後に“6〜10位あたり”に落ち着くというのは、悪くないんです。

日本も次はそのあたりでいいではないですか。「自分が生きているあいだに2位を経験できてラッキー!」くらいに考えておけばいいのです。


ちきりんも別に原始時代に戻りたいわけでも、戦後の焼け野原に戻りたいわけでもありません。でもバブル直前の1985年あたりの経済規模まで、戻っても日々の生活がそんなに不便になるとも思えません。

むしろ、糖尿病などの贅沢病も減りそうだし、平均寿命も少し短くなって高齢化問題も少しは緩和されるんじゃないかと思います。


世界のリーダーシップに関しても、アメリカ、中国、ロシアなど、野望の大きな国に任せておけばいいように思います。別に日本がリーダーじゃなくてもいいし、国連常任理事国なんて本当にどうでもよいです。

シリコンバレーを例にとって、「日本人はグローバルに活躍できていない」と言われることもありますが、日本より圧倒的に人口の多いインドネシア人や、同じ先進国であるフランス人やドイツ人は、シリコンバレーで活躍しているんでしょうか?


日本はとにかく目標が高すぎるんです。なぜ「アメリカと互角に!」とか「中国には負けるな!」とかいう話になるのか。

アメリカや中国なんて特別な国なんです。小学校とか中学校にひとりやふたり、そういう同級生がいますよね。やたらと勉強ができて、やたらと運動ができて、いかにもリーダーという感じで生徒会長と委員長と運動部の部長などに常に選ばれる生徒が学年に2,3人いますよね。そういう人に凡人が勝負を挑むのはばかげてます。

というわけで、


気楽にいきましょう。


先日も書いたように、こんなにご飯が美味しい国はなかなかないし、街は安全だし清潔だし規律正しいし。


目標が低いのは楽ちんです。幸せになりたかったら、高い目標を掲げるのはやめましょう。


そんじゃーね!

2009-07-05 初の被爆国からの事務局長 おいくら?

国際原子力機関(IAEA)の次期事務局長に日本人の天野之弥さんが選ばれた件です。62歳だって。すごいねえ。その年齢よりずっと早く働くことから引退しようと考えているちきりんとしては、そんな年齢からこんな大変そうな仕事をやろうと思うこと自体に感心しますよ。ほんとに高齢者って元気だよね。

おっと、そんなことはどーでもいいのだが。


今回の新しい事務局長選び、もめにもめてました。3月に一度選挙があったんだけど決着が付かず、今回も何度も選挙してようやく決まったみたいです。

一応さらっとおさらいしておくと、この国際機関は加盟国はいっぱいあるんですが、その中で事務局長の選出選挙に投票権があるのは35カ国の理事国、なんですね。

んで、その「有効投票数の3分の2」を獲得しないと事務局長に当選できない、というルールになっている。35カ国の3分の2以上となると、つまりは24票が集まれば確定ってこと。

当初、事務局長の候補者は3人いて、今回選ばれた天野氏以外には、スペインの候補(ルイス・エチャバリ氏)と南アフリカの候補(アブドゥル・ミンティ氏)がいました。

3月には誰も規定に足りる票が集められず、今回がやり直し選挙でした。もちろんその間にすさまじい勢いでの「国際選挙活動」が行われたであろう事は想像に難くありません。


なぜなら、このIAEAってのは、国際機関の中でも最も政治的な意味のある団体だからです。なんといっても「核の番人」ですからね。各国の国防にそのまま関係してくる。

核を持つ超大国と、もたない国々との対立、アメリカとロシアや中国との対立、新たに核を持とうとしている国の思惑などなど、いろんな魑魅魍魎が渦巻いて、ものすごいことになっている。

天野氏は当選後のインタビューで「日本は核兵器を持たず、核軍縮と核不拡散に最大の努力を払ってきた。原子力の平和利用でも実績があり、日本の経験をモデルとして世界と共有できることに大きな意味がある」と言ったらしいけど・・・核の世界において「日本モデル」なんてのは超の付く辺境モデルであって、誰もそんなもん追随しないってば、って感じです。


で、選挙の話ね。最初の投票で、天野氏20票、ミンティ氏10票。エチャバリ氏は5票。ここでエチャバリ氏が脱落。その後は、天野氏とミンティ氏の対決で投票が3回繰り返されたんだけど、3回とも天野氏23票、ミンティ氏12票。で、どちらも当選できず。

これは、投票をしている理事国が全く「ぶれず」に自国が決めた候補を支持しているってことですよね。だから3回やっても一票も動かない。で、選挙規定により、候補者各自への信任投票に移行。ここでも「3分の2以上」が必要。


ところが、最後に決着が付く。“ある国”が棄権したからです。その国はそれまではミンティ氏に票を投じていた。ところが、天野氏の信任投票では“棄権”した。すると、投票総数は34票。その3分の2と言うことは23票だから・・・天野氏は票を増やさずに当選確定!となったわけです。

結構「裏技」ちっくですよね。票を奪うのではなく、有効投票数を変化させて規定数のバーを下げるという策。ふうううううん、って感じ。なお投票は無記名なので「どの国が日本に日和ったのか」は不明です。


さて、決着の付かなかった3月の選挙以来、日本はこれを外務省の最優先事項くらいの扱いにして取り組み、必死の選挙活動を行ってきました。こういう場合、たとえばどういう交渉をするかというと、


天野さんに票をいれてくれたら、

(1)円借款をあげますよ。ODAをあげますよ。

(2)○○国際機関の選挙の時にはあなたの国の候補者に投票しますよ。

(3)あなたの国の人が日本に入国する際の観光ビザの取得を簡単にしてあげますよ。もしくは、先日来もめてる輸入規制の件で日本が譲歩しますよ。

(4)あなた個人のポケットに秘密のプレゼントを入れてあげますよ。

などなどと約束して、


(5)麻生さん、歴代総理、世界中の在外公館(大使館等)が全力をあげて各国関係者を接待、説得。

するわけですね。

あともちろんアメリカなどの「この機関のトップには、アメリカの言うとおりに動く国の人をつけたい」と思っている国に、理事国にプレッシャーをかけてもらったりもします。(欧州の国は必ずしも日本支持だったかどうかは不明でしょう。彼らはアメリカとも一枚岩ではないので。)

日本は国際的に「アメリカの犬」と見られているので、今回、天野氏の選出につよく反対していたのは、中国やロシアなどの反アメリカ系の国。あとは発展途上国だと思われます。そして発展途上国の多くは反対派の首謀者である(?)中国などからODAを受けたりしています。どろどろですね・・。


で、最終的にようやく「信任23、不信任11、棄権1」と、天野氏の票数は一切かわらないけど、基準値が変わったおかげで決着がついた。というわけで、「唯一の被爆国・日本」からの選出となったわけでございます。

対立候補への支持に寝返ることに抵抗がある途上国も、棄権ならやってくれるかも?という日本の作戦があたったわけですが・・・多分、中国は「誰だよ、裏切り者は?」と怒っていると思う。

中国がここから1年くらい、何を見張ってるか、わかりますか?「日本から急にODAが増えた国」がどこかってのを、じーっと見張るんですよ。そうすれば誰が裏切ったかわかるからね。

怖っ。



で、ちきりんが一番関心があるのが「最後の一カ国って、いくらくらいのお金で“棄権”にひっくり返せたのかなあ」ということ。

お金はこの一国だけではなく、最初に23票を集める段階でも相当かかります。が、最後の一国には相当のインセンティブが与えられたと思います。それが、どれくらいの額なのか興味があるのですが、こういう分野に関しては全く想像もつかないですね。

ちきりんは別にお金出すのが悪いとはいわないです。国際機関のトップ選挙なんてどこもそんなもんですからね。特に軍事力も政治力もない日本に出せるのはお金だけ。相手国の財政規模にもよりますが、相当ださないと票なんて集められない。なのだが、いったいどれくらいもらえたら(中国ににらまれるリスクを冒してまで)“棄権しよう”と思えるのかなあと。

おそらく円借款系の援助と、本人やその国の権力者(大統領や政権与党)への非公式な寄付の2本立てなんじゃないかと思います。後者の方は例の「機密費」から支出されるんだと思う。

円借款は、一応ローンだけど、なんやかんやでチャラにされて帰ってこない場合もよくあります。それも含めての円借款。


ふむ。円借款って数百億円くらい?数十億ではさすがにどんな小国でも動かない感じがするんだけど、どーだろ?数千億は大きすぎる気がするけど、そんな額だったりする?いずれにせよ、海賊などに日本人を解放させるのに渡す身代金(おそらく数億円からせいぜい20億円程度)とはかなり違う額なんだと思うんだけどね。

たいていのことって「桁」くらいは想像付くのだけど、こういうのってほんとわかんない。どこかで誰かが暴いてくれるとうれしいな。

というのが、今回の件でちきりんが一番関心のある点です。


ちなみにこの方「カリスマ性がない。リーダーシップがイマイチ」というのが人物評らしいです。たしかにインタビューを見ていても、言葉にインパクトがないですよね。国連の潘基文(パン・ギムン)事務総長も同じですが、アジアの外交官とか大使とかって、こんな感じの人が多いのかしら?力も毒も魅力もないというか。

やっぱり「国自体の外交力」が貧弱だからですかね。たいした人物がでてこない理由は。アメリカ、中国、フランスなんかだと「外交力」って国にとってすごい大事だし戦略的な分野だけど、日本の大使なんて「ODA配布係」みたいな仕事だからかな。


天野氏は当選後、「日本に感謝している」とおっしゃってましたが、そうですね。納税者にせいぜい感謝してほしいもんだす。


そんじゃーね。

2009-07-04 画一性の呪縛

NHKに「みんなの体操」という5分くらいの番組があるのですが、この番組を見る度に「日本はホントに見かけが揃っていることが好きな国だなー」と思います。出てくるインストラクターの女性が、ウエアはもちろん、背格好から髪型、化粧法まで酷似していて、誰が誰だかわからないくらい似ているからです。

同じ番組を欧米で作れば、「差別じゃないか?」と言われないよう、できるだけ「見かけの多様性」を確保しようとするでしょう。

けれど日本では反対です。「とりあえず見かけを揃えよう」という気持ちが強いです。前に、「留学生が肌の色順に並ばされた」という話を書きましたが、これも差別意識というより「色が揃っていた方が綺麗じゃん」くらいの考えだったんじゃないか、と思います。「見かけが揃っていること」に美意識を感じる文化があるのかもしれないとさえ思います。


外国でスーパーマーケットに行くと野菜売り場でも果物売り場でも「いろんな大きさの野菜や果物があるなあ」と驚きます。日本のスーパーでは野菜も果物もあまりにきれいに見かけが揃っているため、不揃いな野菜を見慣れていないからです。

さらにイチゴやさくらんぼのパックになると、日本ではすべての粒が同じ方向を向いて並んでいます。「高級品とは揃っているもの」という感覚があるのか、山形のさくらんぼは揃えて売られているのに、アメリカンチェリーはぐちゃぐちゃで売られているのがおもしろいです。

小学校や中学校で制服を着せるのも同じかもしれません。「揃っているものは質がよい」という(完全に誤解だと思うけど、そういう)価値観があると思います。


だから日本は、同じモノを大量に作るベルトコンベア組立型の産業はすごく強いです。テレビとかデジカメとかネジとか、設計通りに寸分違わぬ“全く同じモノ”がどんどん出来てきます。

手先が器用とか細かいオペレーションが得意という理由もあるでしょうが、根底には「揃ってないと美しくない」という「美的感覚」もありそうです。「揃っていること」へのこだわりが強いから、ああいう工場の生産性が高いのでしょう。

ただ、この「揃っているものがいい」という感覚は工業製品を作る際には役立つのですが、こと生物的なものに適用されるとややこしいです。

「生き物にも“揃う”ことを要求する」デメリットをまとめると


(1)他者と同じでない人を抑圧したり排除してしまう。

本来人間は多様なものです。同じ民族でも誰一人として同じではありません。なのに強く画一性を求められると、「個性の抑制」が必要になります。そしてそれができない人を「集団から排除する」動きもでてきます。

人間はモノじゃないし、生物は機械じゃありません。なのに「見かけ上の言動が揃っていること」を要求するから、身体的な特徴でいじめたり、障害のある人を別の場所に隔離しようとする。「同じように行動し、感じ、発言しない人」を集団が排除して追い詰めてしまいます。

キャリアパスも同じです。高校に行って大学に行って働いて、途中で自己研鑽のためにちょこっと留学して、結婚して子供産んで、みたいな“標準的な生き方”に沿っている人を“まともな人”と呼びます。多様な生き方を認めないのも“揃っている”ことの偏重でしょう。。

「周りと同じでなければならない」という呪縛をかけられるのは、個性的な人にとっては生きづらい環境であり、そのせいで病気になったり日本を出てしまう人も多いんじゃないかと思います。(他国で楽しいならそれはそれでいいと思いますが)


(2)付加価値の高い独自性のあるものが出てこない。

日本が未来永劫「同じモノを大量に、同じクオリティで作って輸出する」という産業でやっていくというならいいのですが、それってもう無理ですよね。そういうのはより人件費の安い国でできるんです。

付加価値の高い仕事は「ユニークさ」、すなわち「他の人が発想しないことを考えつく」ということにその源泉があるのです。それなのに「出る杭は打たれる」などという諺が支配する世界で人材を育てていては勝ち目がありません。

特に世界で競争している企業は、このことをもっと真剣に考えた方がいいと思います。企業はどこも「ユニークで斬新な商品や事業を開発したい」と思っているはずです。だったら新卒一律採用なんて即刻辞めるべきです。「他の会社にはない、独自の視点で何かを開発したい!」と思うなら、いろんな業界でいろんな経験をしてきた人を雇うべきだと思いませんか?

毎年似たような大学から一斉に人を雇って、何十年も外の経験をさせずに、ずっと同じ会社、同じ環境の中で育てておいて、「他と違う発想をしてほしい。既成概念にとらわれない発想で開発して欲しい。」なんて言うのは、完全に矛盾しています。

学校の制服も同じです。18才まで制服なんて着せていたら、ファッションセンスも個性も殺されてしまいます。そういう分野に才能のある子供の可能性を奪っているともいえるでしょう。


(3)「揃える」ための無駄なコストが生じている。

不揃いの野菜は加工用に安値でしか売れなかったり、時には廃棄されることもあります。また、さくらんぼやイチゴを同じ方向に並べて詰める手間は価格に含まれていますから、その分高くなっています。

多くの有能なビジネスパーソンの仕事時間が、「資料の体裁を綺麗に揃える」という(とても付加価値の低い仕事)に使われてもいるのも無駄です。

ちきりんの記憶では、昔は日本のATMでお札を引き出すとお札の向きが揃って出てきていました。最近はどこでも、上下、裏表がバラバラにでてきます。あれも昔は、お札の向きを揃えるために無駄な工程が(もちろんコストも)かかっていたはずです。

さすがに銀行も最近はそんなアホみたいなところにコストを掛けられなくなったのだと思いますが、今でもIT開発費の何割かは「実質的な意味はないけど、綺麗に揃えて見せる」ことに使われてるのではないでしょうか?


★★★

そろそろ日本も「見かけが揃っていることは、質が高いということだ」という意味不明な信仰を捨てた方がいいように思えます。

NHKの体操番組は、若いお姉さんの他に、おばさん、おじさんや高齢者も出せばいいのです。髪の毛の色や顔つきもいろんな人を呼んでくればいいし、スポーツウエアも各自が好きなものを着た方が素敵です。そういう発想は、日本が世界に誇る“超画一的な組織”であるNHKからはなかなか出てこないかもしれませんが・・。


この番組、増え続ける高齢者の健康増進のためにすごく意義のある番組です。ジムにいくお金や機会のない人もいるし、一日ずうっと家にいて同じ姿勢でテレビをみているような生活の人にとって、とても役に立つ番組です。

けれど、ちきりんはこの番組を見る度に、「これって北朝鮮の番組?」と思います。「画一的であること」は、「抑圧された」イメージにつながるのです。反対に「豊かである」とは「多様であること」なんだということを再認識させてくれる番組でもあります。


そんじゃーね。

2009-07-02 新聞社の維持費を払うのは誰?

今までにも書いてきてるけど、新聞ってほんとにやばくなってきたよね。

おそらく昨年までは、それでも人気就職先だったのだと思うけど、今年秋から始まる就職活動ではどうだろう? それこそ“ほとんど社会のことを知らない、先見性がゼロ”という学生以外で新聞社を志望する人なんているんでしょうか??

昔は銀行だって潰れるとは思われてなかった。大半の銀行は(潰れるという形ではなく)合併したり名前がかわったりした。おそらく新聞も同じでしょう。

新卒採用&終身雇用って、企業側にとっても、海のものとも山のものともつかぬ学生を「40年契約」で雇い、学生側は「向こう40年間、その企業が存続し続ける」ことに賭ける。お互いにギャンブルをしているようなものだよね。


★★★


新聞が大変なのは、「どこにも解がない」ってことでしょう。

たとえば 1997 年頃、日本で銀行がバタバタ倒れた時には、海の向こうには“解”がありました。日本長期信用銀行はなくなったけれど、“変な会社には貸さない”という普通の方法に変えた新生銀行は立ち直ったし、日本の銀行の経費率は国際比較でもかなり高く、改善の余地が相当あった。

つまり「潰れそうな銀行」でも「こうやったら立ち直れる」という処方箋が見えていたなかでの破綻、再生だったんですよね。でも新聞業界の置かれてる状況は全く違います。今、世界中の新聞で“やばくない”新聞なんて存在しない。「解はどこにもない」んです。


新聞ヤバイという話をすると「ネットのニュースだって、元は全部新聞社が提供している」という人がいる。でもそれって、「だから何?」って感じだよね。

ニュースを買っているネット企業が、「新聞社がなくなったら困る」から、「新聞社を潰さないようになんとか努力してくれる」とでも?


「なくなったら困る」ものは「だからお金を払う!」という人がいれば残れるけど、「無くなったら困るけど、俺はカネは払わない」という人しかいなけりゃ無くなります。

伝統名品みたいなものってみんなそうじゃん。みんなして「残って欲しい」とクチでは言いつつ、誰もお金払わないから結局消えちゃったものっていくらでも例がある。


★★★


実は議論として、新聞が「なくなる」か「なくならない」というのは、たいしておもしろくない。資産を切り売りすれば新聞社の倒産自体は相当先まで避けられる。でもそんなの(ちきりん的には)どーでもいい。

考えていておもしろいのは、次の“報道”の世界がどのような形になるのか、という点だよね。


上に書いたように、ネット上でニュースを流してる企業は新聞社が潰れたら困るかもしれないけど、だからといって助けたりはしないと思う。大新聞社がなくなったら、失業した“元記者”を格安で雇えばいいだけでしょ。

つまり新聞社の社員記者のかわりに、大量の“貧乏ネットライター”が現れるだけです。そして市場原理のなかでそういった「元新聞記者が寄り合ってつくった通信社」みたいなのもできてくるんでしょう。


彼らの収入は「一回クリックされたら○円」という今の新聞社がポータル企業からもらっている価格と同じであり、それは自社サイトの広告料をいれても、既存の新聞社の売り上げとは桁がひとつ違うレベルになるだろう。今、新聞社のネットからの収入って全体の 10%にいくかいかないかだと思うけど、収入はそういうレベルに切り下がる、ってことだと思います。

そして業界全体の「収入が 10分の1になる」ということは、今の新聞人のうち生き残れるのは10人にひとりである、ともいえるし、もしくは全員生き残るとしたら年収が 1000万円から 100万円になる、ということでもある。

これってまさに「高給取りの大企業正社員の新聞社員」から「貧乏ネットライター」の世界への転換ってことだよね。

まあ実際には、人数3分の1、年収3分の1とかの組み合わせになるんだろうけど。つまり貧乏ライターとして残ることができる人、通信社的な集まりを構成して残ることができる人でさえごく限られているということ。


というわけで“月極購読で読まれる紙の新聞”というものはなくなり、その発行を主要業務とする企業は消えるでしょう。

一方で、取材をして記事を書いてそれをネットメディアや他のアウトプットメディア(未出)に売って稼ぐ“通信社的な取材記者の集まり”みたいな小さな企業がでてきそう。

ってあたりが普通に考えた帰結ですが、、


実は、まだ当面の間、「紙の新聞」を「お金を払ってでも維持したい」と思う人がいるよね。と思いついた。ポータル企業とか個人とかはお金出さないだろうが、「お金出しても残したい!」と思う人はいる。



それは・・



自民党ですよ。



なんで共産党が赤旗をもってるか。政教新聞とか幸福の科学とかでも新聞(か、定期紙)を持ってるんじゃないの? ああいう団体って基本的に「自分達のための報道機関」が欲しいんだよね。

すごく便利なのですよ。選挙公報的な意味合いで、年間通じて、自分の党のことやその活動、政策についてあれこれ報道してくれる新聞社があるのは。


今、自民党が(共産党とかと違って)自分で新聞社をもとうと思わないのは「既存の新聞社が、事実上、自民党の新聞だから」だよね。でも既存の新聞社が無くなるというなら、たとえば一部の派閥で「産経新聞に出資しよう!」とかいう話になっても不思議でないです。

自民党の極右の人達が「産経新聞」を、右・中あたりの人達が「読売新聞」を、民主の左の方の人達と社民党で「朝日新聞」を(会社として)買えばいいじゃん?

資金の少ない小泉チルドレン議員はお金を出しあえば、格安っぽい「毎日」くらいは買えるかも? んで自分達のことばっかり書かせるってのもいい案じゃない?


「日経新聞」はどうなるんだって?経団連に出資してもらったらいいんじゃないかな。(ってか今までも広告料の大半が経団連企業から来てたんだから同じか)

もちろん、それなりに規模の縮小は必要でしょうし、新人議員は“新聞販売ノルマ”とか課されて大変かもしれないけどね。


最近は、熱心に新聞を読むのは、50代以上ばっかりでしょ。で、実は政党ってこの「紙の新聞読む層」がターゲットなんだよね。選挙に行くのもその年齢層だから。

「ネットは見てるが紙の新聞は読まない」って人って投票率が低い、だから政党はあまり関心がない。

民主党だって公約の柱のひとつが「農家への個別所得補償」ですからね。この補償をうける人達は、ネットより紙の新聞を読む人達でしょ。ネット上に「民主党は農家にお金配ります!」と書いてもあんまり評判よくないじゃん。でも、紙の新聞に「民主党は農家の味方!!」って書いて配れば、まさに有権者にアピールする。

なので、政党は新聞欲しい!って思うかも。農家の多い地方紙とかに出資したらどうだろ? 

あと、「我が党が政権をとったら郵政の西川社長は更迭します!」っていう公約だって、特定郵便局の多い田舎では拍手喝采なんだろうから、今、民主党が買収するなら地方紙が一番いいかも。



いい案じゃん?


新聞社の皆さんも、内外から批判されながらも今まで必死で記者クラブを維持して、政治家と密な関係を構築してきたのがまさにここで活きるってわけですよ!


真剣に考えてみたらどうだろ?



そんじゃーね。



過去の関連エントリ

新聞業界 崩壊の理由5つ、いや6つ

テレビ&ネット時代は10年後?

目に見える危機 朝日新聞の本日の広告