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Chikirinの日記 RSSフィード

2009-08-05 市場として捨てられた日本(製薬編)

2029年、Z氏は上海行きの飛行機に乗っていた。短いフライトタイムが過ぎ飛行機が下降体勢に入ると、上海の見慣れた景色が目に入ってきた。上海の空は今日も排気ガスで煙っている。

機内アナウンスが現地の気温を伝えていた。今日はそんなに暑くないようだ。体調が悪くなければ診察の後、少し街を歩いてみてもいいかもしれない。

Z氏が2週間に一度上海を訪れるようになってから既に1年近くになる。昔は仕事で何度か中国を訪ねたけれど、まさか“病院通い”のために上海に通うことになるとは当時は想像もしていなかった。



海外旅行が好きだったZ氏は昔よく「日本に生まれた幸運」を感じた。発展途上国に行くと、教育も医療も、また文化的な一切の恩恵も受けられない多くの人達を目にしていた。海外旅行を繰り返すZ氏に比べ、彼らの多くは一生海外を訪れるチャンスを得ることはなかった。

先進国に生まれるか最貧国に生まれるか、政治的に安定した国や時代に生まれるか、戦争中やテロが頻発する国に生まれるか。同じ才能を持ち、同じだけの努力をする、全く同一の人間が地球上に二人存在しても、生まれる国が違うだけで二人の人生は全く違うものになる。

Z氏は「日本に生まれるということは、世界から見れば本当に恵まれたことなのだ」と何度も痛感した。当時の日本でもホームレスが問題になっていたが、日本では公園の隅にある古びた水道の水を飲んでも病気にならない。海外でそんなことをしたら感染症で命さえ失いかねない、そういう国がたくさんあったのだ。


★★★


おかしくなりはじめたのは2015年くらいだっただろうか、とZ氏は振り返った。いや2009年にも既にその兆候は始まっていた。

最初は“HIV(エイズ)薬”の話だったと記憶している。当時アフリカはHIVが猛威を振るい、滅亡の危機にある民族さえあると言われていた。既に欧米で開発されたHIV薬は一定の効果が証明されていたが、貧しい国が多いアフリカではそれらの高価なHIV薬を利用できる人はほとんどいなかった。

HIV薬の開発には多額の研究開発費がかかっている。それらの投資がまだ回収できておらず、かつ特許も切れていない時期に、欧米の製薬会社もおいそれとそれらのコピー品を認めるわけにはいかなかった。

しかし「アフリカ大陸をエイズから救え!」という運動は世界的に拡がり、多くのミュージシャンや文化人が欧米製薬企業の姿勢を非難した。国際会議でも対策が話し合われた。「薬は存在するのに、お金のある国の人達だけしか救われない。それでいいのか」と。

最後に製薬会社が妥協した。彼らは「特定の国でしか使用しない、その国内でしか売らない」という条件の下で、HIV薬のライセンス製造をアフリカやインドの企業に任せた。これにより、それらの国においては「格安のHIV薬」が利用できるようになった。


次に、同じことが2013年に大流行した鳥インフルエンザでも起った。東南アジアから発生した猛毒性の鳥インフルエンザは急速に拡大した。しかし一方で世界トップクラスの製薬会社が一斉にワクチン開発に資源を集中し、一定の効果がある予防接種薬が開発されたのだ。

ところがその薬は(開発費が膨大なだけに)極めて高価な薬であった。一回1万円を超える単価の接種薬を2週間の間隔で2度打つ必要があるという。貧しい国の人には手の届かないワクチンであった。

その時、欧米の製薬企業と交渉を続けていたWHOが緊急声明をだした。「欧米製薬会社は発展途上国内でのみ販売することを条件に、ワクチンの製造ライセンスを格安で現地製薬企業に供与することを決定した」と。

これを機に発展途上国では一斉に「ワクチン」の製造が始まり、アフリカ、インド、東南アジアなどでは「格安」で手に入るようになった。なんとそれらの国では同じワクチンが一回300円という価格になったのだ。


その時、日本人は気がついた。それらの「格安ワクチン」は、「日本人」だというだけで自分の手には入らないのだ、という事実に。

欧米製薬企業はあくまで「人道的見地」から、また「自分達の国への感染を防ぐ目的で」、まだ開発費の回収が終わっていない新薬を発展途上国に分け与える決断をした。しかし、その分は米国、日本、欧州などで儲ける必要がある。彼らだってボランティアではない。利益を出さなければ次の薬の開発費は確保できない。そのため、発展途上国でのコピー薬が先進国に流入しないよう、極めて厳重な管理が行われたのだ。

その結果、HIV薬も鳥インフルエンザワクチンも、アフリカではひとり分600円程度なのに日本では二万円以上となった。継続して飲み続ける必要があるHIV薬の負担は特に大きい。また鳥インフルエンザのワクチンも、保険で3割負担でも一人6000円かかる。もちろんこちらは、保険に入っていて経済的に余裕のある層にとっては決して高い価格ではない。命がかかっているのだから。


しかし、その時日本では恐ろしいことが起った。6000円さえ払えないホームレス、保険証を失効してしまった貧困層や派遣切りされた失業者達、そして家族5人分の3万円はとても払えないという低所得で子だくさんな家庭などを中心に鳥インフルエンザが広まったのだ。お金のある人の中には「危ないから貧乏な人が多いエリアや、格安のお店には行かないようにしている」という人まで現れた。派遣村支援のボランティアに行こうとする息子を親が引き留める、という事態にまで発展した。



「貧乏人は死ねというのか!?」


連日デモが行われたが、多くの「それでもまだ経済的な余裕のある日本人」達はそれらの運動を冷ややかな目で見ていた。所詮は他人事のように見えていたのかもしれない。また、そんなデモをしている人はワクチンを打っていない可能性がある。近寄らない方がいいという判断だったのかもしれない。


「インドなら300円でワクチンが打ってもらえる」という噂は拡がっていたが、当然それらの国までの旅費はワクチン代よりも高い。「日本でお金のある人」は問題なかった。「インドの人」も問題なかった。それぞれワクチンが手に入ったからだ。しかし、「日本に生まれたばっかりに」格安ワクチンが手に入らない人達がたくさん出現した。

テレビでは、経済的理由からワクチンが打てず8歳の子供が亡くなったという父親が涙をこらえながら声を絞り出して訴えた。「インドに生まれてさえいれば助かったのに・・・。日本に生まれたばっかりに・・・この子にワクチンが買えなかった」と。



しかし、本当に深刻な事態が起ったのはその後だった。

中国は2010年にGDPで日本で抜き世界第2位の経済大国になった後も順調に経済成長を続けていた。一方で日本はいつまでも高齢者と農家と官僚が既得権益を手放さず経済がずっと停滞していた。

そんな日本を、欧米の製薬企業は「市場として見放し始めた」のである。


どういうことか?

欧米の製薬会社にとって、日本市場は非常に魅力的な市場だった。薬会社にとって魅力的な市場とは、「病人が多い」(=高齢者が多い)、「経済力が高い」「医療保険制度が整っている」の3つの条件を兼ね備えた市場である。日本はまさにそういう市場だった。

だから、彼らは日本を「最重要市場」と認識し、欧米で開発された最先端の薬を日本でも販売できるよう“認可”を得ようと努力した。

この薬の認可プロセスは極めて複雑、煩雑で手間がかかる。国際的にも特に日本のプロセスは大変だと言われていた。また、厚生労働省が「日本の製薬企業を守るため」「欧米製薬会社の新薬が入ってくるタイミングを少しでも遅らそうとしているのではないか?」と言い出す人もいた。昔、薬害問題を引き起こした非加熱製剤事件と同じことが起っているのではないか、というのである。官僚と学者が製薬会社からバックマージンをもらって、日本人の健康を売り渡しているのではないか、と。

その真偽はわからないが、それでも2012年くらいまでは問題なかった。日本はまだまだ「高齢者が多い」「お金持ち」で「医療保険制度が整備されている」国であり、世界中の製薬会社にとって「最重要市場」の一つだったから、いくら薬の認可プロセスが煩雑でも、治験コストが高くても、彼らは「なんとかして日本での販売認可を受けよう」と努力をした。


ところが2015年くらいからその傾向が変わりはじめた。欧米の製薬企業は新薬の開発が終わると、日本よりも中国での治験、そして販売認可の取得を優先するようになったのだ。すでに中国の富裕層の数は1億人に達し、日本の人口と同一規模になっていた。つまり、中国も薬の市場として魅力的になりつつあったのだ。また中国での治験コストは安く、新薬の認証プロセスでも欧米での臨床データが活用できるなど柔軟かつ非常にシスティマティックで、現場のリーダー達の意思決定も早かった。

中国政府は欧米製薬会社に多額の関税をかけるなどややこしいところもあったが、不文律の規制が多く、治験体制に圧倒的な不備があり、意思決定スピードも非常に遅い日本での認可申請を優先する必要は、欧米製薬企業にはもうなかった。しかも日本は人口も減り始め、一方で貧乏な人が増え始めており、市場として必ずしも中国より魅力的とは言えなくなってきていたのだ。


そしてその後10年、欧米製薬企業が開発した画期的な新薬は、まずは欧米で利用可能になり、その次には中国とインドで利用可能になるという時代がやってきた。

画期的な新薬については、患者達とその家族から「早く認可してほしい!」という声が非常に強いにもかかわらず、欧米製薬企業は“日本市場の優先順位”をどんどん下げていた。「最初に中国で認可をとり、次はインドで、その次はブラジルで認可をとり、その後で日本でとればよい。」という感じだった。


厚生労働省はその時になってようやく「認可プロセスをスピーディに行います。不透明な判断は排除します。治験体制の整備にも協力します!」と訴えたが、もう手遅れだった。いくら「プロセス処理を速める」といっても、日本での申請自体が後回しにされてしまいなかなか行われない時代になってしまったのだから・・・



Z氏は、ある日診察の最後に医者から言われた言葉を聞いて驚愕した。「Zさん、残念ながら日本にいるとこの病気の特効薬は処方できません。おそらく認可までにまだ数年はかかるでしょう」と。「でも、もし上海の病院に通う気であれば、すぐに治療が始められます。健康保険もききませんし交通費もかかります。でもZ氏さんの経済力であれば月に2度ばかり上海に通い処方を受けることは可能ではないですか?やってみられますか?」と。

そんな時代になっていたのだ、とZ氏は驚いた。鳥インフルエンザワクチンが発展途上国の人は格安に手に入るのに日本人の貧困層には買えなくなっている、という話は数年前から聞いていた。しかし、お金のある人達にまでこんな影響がでるなんて・・


Z氏は経済的にも恵まれており、今の段階ならまだ「上海まで通院する」ことができる健康状態であったが、もしも飛行機に乗れない病状になれば薬を手に入れることさえできなくなる。

Z氏は迷わず医師に答えた。「中国で診療が受けられるよう、紹介状を書いてください。」


「わかりました」と医師は答え、インターホンで助手を呼んだ。“王美齢”という名札を付けた女医さんがでてきた。「この方のカルテと紹介状をお願いできますか?」と医師は書類を渡しながら彼女にいった。王さんは「任せてください」と答えてZ氏の方にやさしく目を向けた。「安心してください。中国で治療を受ければ治りますよ。」



Z氏の心に、ある言葉が響いた。

「日本に生まれたばっかりに」という時代になったのだ。





Z氏は滑走路が見え始めた窓の外にぼんやりと目をやりながら、右手でシートベルトを握りしめた。自分は若い頃「日本に生まれた幸運」を何度もかみしめた。でもこれからの日本人達は「インドに生まれていれば」「中国に生まれてさえいれば」と思うようになるのかもしれない。



いつからこうなってしまったのだろう。

なんでこんなことになってしまったのだろう。



Z氏はランディングの軽い衝撃をシートに感じながら、合わせて深く息を吐いた。






★★★

参考サイト:外資系製薬企業のグローバル戦略について

http://www.randdmanagement.com/c_gijuts/gi_248.htm