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Chikirinの日記 RSSフィード

2009-12-29 笑えるブログに福来たる

これは本年最後のエントリになります。

読者の皆様、今年も一年“ちきりんブログ”をご愛読いただきありがとうございました。


ちきりんは“おちゃらけ社会派”と称しており、グーグル検索でも“おちゃらけ社会派”でトップ表示してもらえるようになりました。(・・検索対象が少ないだけです)

政治、経済、社会問題などについて書くことが多いですが、ご存知のようにそれぞれの分野でより専門的、本格的なサイトはたくさんあります。そういったサイトとちきりんブログの最大の違いは、“おちゃらけ”という点でしょう。

専門家でもなく不勉強なちきりんには(そもそも)まじめな社会派ブログを書くことは不可能ですが、じゃあ「書けたら書きたいのか?」と言われると、それもまた答えるのが難しい質問です。

なぜならちきりんが書きたいのは、やっぱり“社会派ブログ”ではなくて、“おちゃらけ社会派ブログ”だと思うので。


なんで“おちゃらけ”ることがそんなに大事なのか。

第一の理由は、ちきりんが“関西人”だからでしょう。関西には「笑わせてナンボ」という価値感があり、笑いのヒエラルキーにおいて上位にいることは、頭がいいだの、美人だの、大金持ちだのと同じか、時にはそれ以上に“すごい”ことだと刷り込まれてる。

第二の理由は、「笑うこと」の価値を強く感じた個人的体験があるからでしょう。介護的な経験の中で“一日一度でも笑ってもらえること”は千金に値する、と感じました。普通の人でも皆、なんやかんやつらいことや大変なことがありますよね。疲れ切ったり、面倒であほらしくて・・。そんな時に、思わず苦笑いしてしまうとか、読んでて噴出してしまうとか、後から思い出しても笑っちゃうような。

ちきりんが書きたいのはそういうブログなんだと思います。



「笑う門には福来たる」

昔の人はいいこというよね。



一日一回 笑えたら、生きている意味が感じられる。

一日一人 誰かに笑ってもらえたら、生きている意義が感じられる。

そんな気がしとります。


年の瀬の風がちょいとだけ冷たい方、新しい年を迎えるのに不安を感じる方、なんとはなしに心の沈む方。

ちっとでも笑っていただければうれしいです。


過去エントリをいくつか。


言葉遊び

http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20051221


終電

http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20081103


声を出して笑える文章

http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20090205


恐怖体験

http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20050526


韓流スター結婚報道から

http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20080726


半島丼

http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20091221


皆様、よいお年を。

2009-12-27 年末総集編

温泉に行ったりお正月の用意をしたり(その前に家の掃除をしたり)と忙しく、ブログを書いている暇がない。どうすれば・・と悩みつつぼんやりテレビを見ていたらヒントをもらった。

そうか、こういう時は“総集編”で過去のコンテンツを適当に切り貼りして乗り切ればいいんだ!


というわけで、今日の総集編のテーマは“子供の頃のちきりん” 

これを読むと、ちきりんの“人となり”を知る重要なヒントが得られるかもしれませんよ!


などと思わせぶりに煽る技もテレビから学んだ。


そんじゃーね。



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一枚の葉書から

 http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20051214

父の一言

 http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20080624

ちきりんの小学生時代

 http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20080131

雪の日、中学時代

 http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20080203


また明日。

2009-12-25 今年最もおもしろかった政治文書

10日も前の発表なので既に皆さんご存じなのかもしれませんが、↓asahi.comの12月15日のニュースによると、

自民党の政権構想会議(議長・谷垣禎一総裁)が15日、自助自立の精神や国の均衡財政をめざす方針などを記した第2次勧告をまとめた。これを受け、党綱領改定のための作成委員会を設置し、来年1月の党大会で新たな綱領を発表する方針。作成委には歴代総裁らも加わる。綱領改定が決まれば、結党50年だった2005年11月以来となる。

http://www.asahi.com/politics/update/1215/TKY200912150224.html?ref=reca


つまり、今後の自民党の綱領のモトとなる重要な“勧告”ができた、ってことですよね。で、その文章を自民党のウエブサイトからダウンロードして見てみたのですが、こんなおもしろい文章にはなかなかお目にかかれないと思えたので、転載しときます。全文だと長いので、3の「政治理念・政策の基本」のところだけね。


いいですか。もう一度いいますよ。

これは自民党が発表した彼らの「政治理念・政策の基本」です。もう忘れちゃった方もいるかもしれませんけど、自民党ってのはこの前まで政権をとっていた政党で、またこれからも政権をとりたいと思っている政党ですよ。その政治理念を今から皆さん、読むんですよ。いいですね。


ではどうぞ。


3.政治理念・政策の基本


(1)品性ある国民、品格ある日本

(イ)頑張れるものは頑張る

(ロ)それでもだめなら皆で助ける

(ハ)自律と秩序ある市場経済

(ニ)地域社会と家族の絆の再生

(ホ)「和」のこころや「温かさ」の回復と共生


(2)不必要なことをせぬ政治

(イ)自分だけ良ければ良いのではない

(ロ)今だけ良ければ良いのではない

(ハ)自助、共助、公助の条件づくり


(3)憲法改正

(イ)日本型保守の価値感を基本に、時代の変化に対応する憲法

(ロ)人類の新たな目標、国際社会に貢献する憲法

(ハ)権利と義務のバランス、地方自治を明確にする憲法


そこのアナタ!

品性ある国民になれ、って言われてますよ。

自民党の言う“品性ある国民”っていうと・・森喜朗さんとかかな。古賀誠さんや、もしかしたら山崎拓さんとか?


それに

頑張れるものは頑張るんだよ!!

それでもダメならみんなで助けるからね!!!

幼稚園でそう習ったでしょ。



しかも、大事なのは、和の心なんだよ。

(クリスマスより正月を大事にしましょうね!)



自分だけ良ければ良いんじゃないんだよ。

今だけ良ければ良いんじゃないんだよ。

確かにこれは大事だよね。

そこの若い人、聞いてる?



極めつけは「不必要なことをせぬ政治」だよ!

日本中に要らんダムを造りまくってた自民党が「不要なことをせぬ政治」とか言うとりますよ。



なんか小学校の道徳の授業みたいだな、という内容はこの際どうでもいいとして、いくらなんでも文章が下手すぎませんかね。これが日本の保守本流の国語力なのか?

コピーライター雇うお金もなくなっちゃったのかな。

ちきりんに声かけてくれればよかったのにね。



そんじゃーね




↓あえて全部読みたい人はこちら

http://www.jimin.jp/jimin/seisaku/2009/seisaku-029.html

2009-12-23 第三の道について、ちきりんも深く考慮中

先日、元財務官の榊原英資氏が「今のデフレは、マネタリーな現象ではなく構造的なものだ。日本は中国と近いためにデフレが深刻なのだ」とおっしゃっていた。

この意見にはちきりんもほぼ同意。よく指摘されていることだが、グローバリゼーションの進行により日本の財・サービスの価格は中国の財・サービスの価格と均衡するところまで下がり続ける運命にある。

そしてそのサービスの価格には“労働単価”も含まれており、私たちの給与は今後、日中で同じレベルに収束するまで、中国では上がりつづけ、日本では下がり続けるだろう。


このような構造的デフレに対して“マネタリーな対策”、すなわち日銀が市中への資金供給を増やすなどという対策は(資金ショート問題にはそれなりの効果があるだろうが)景気に対してはたいした効果がない。

現在でも金融機関は“日銀からはじゃぶじゃぶの資金”を供給され、一方で貸し出したい中小企業はないし、借りてくれる大企業もない中、“余った金で国債を買う以外ない”状態だ。まあ、おかげで少々国債発行額が増えてもその消化には全く問題がなさそうだが。


この“グローバリゼーションによる構造的デフレ”が、菅副総理の言われる“第二の道”が、日本において政治的に失敗した理由だろう。第二の道とは、規制緩和や自由化により企業の国際競争力を上げ、日本が生む富の合計量を上昇させよう(=GDPをあげる=経済成長させる)という方策だ。

しかしながらこの方法をとれば、まだ当面の間、企業は国際競争力をつけるためにそのコスト(人件費を含む)を中国企業のそれと均衡するところまで引き下げるはずで、雇われている人達の給与はまだまだ下がるだろう。

しかもそれは工場労働者の話だけではない。彼らにとっては工場で日本諷の餃子を焼く作業も、ミシンでジーンズを縫う作業も、日本式の経理書類を会計ソフトに入力する作業も、システムのプログラムを書く仕事も、たいして難易度は変わらない。その代替範囲は大半の日本人のホワイトカラーの仕事に及ぶのだ。


人件費が中国を含む第三世界と均衡した後に、次は“世界で勝てる企業となった日本企業が高い付加価値を生む出すようになって”初めて雇用を増やしたり、給与水準をあげる段階に入るのかもしれない。

しかしながらその日がくるのは、今すぐに自由化や規制緩和を始めたとしても早くて3―5年後である。すなわち、自由化、規制緩和の道を選べば、当面は給与は下がり続け雇用は減り続ける。

さらに、5年後に「より強い供給サイド」を持つ日本が増やす雇用とは、必ずしも“弱者を含む国民全員”ではない。その“高付加価値の供給“に参加できるのは、労働者のうちの一部にすぎないだろう。しかも“世界で勝てる企業”になった日本企業が雇いたいと考えるのは「優秀な日本人」でさえなく「優秀な人」である。


では、雇用されない人はどうなるのか?

「底辺の仕事でもらえる報酬で足りない部分は、セーフティネットで救えばよい」というのが、規制緩和論者(第二の道の主張者)の意見だろう。つまり、稼ぐ力のある人が稼ぎ、稼ぐ能力のない人は福祉で生きていく社会、を彼等は想定している。(“彼等”とか書いてますが、ちきりんも“第二の道”しか解はないと思ってます。)

が、しかし菅副総理は「雇用」が大事だ、という。底辺の人にも“日本で食べていける額を稼げる仕事”がある社会を目指している、らしい。ここが第二の道論者との大きな違いだ。

第二の道の人は、そういう人は「福祉」で(もしくは“底辺にまで流れてくる低付加価値のお仕事”をしながら福祉でサイドを支えてもらって)生きればいいと思っているが、副総理は(あんなに福祉重視の政権のナンバー2でありながら)福祉ではなく「雇用」で生きていけるようにすべきだという。ここは大きな違いなのだ。


労働市場がグローバルに統合された後、稼ぐ能力のある人が稼ぎ、稼ぐ能力のない人は勝ち組が納めた税金によるセーフティネットで生きていく世界

と、

「日本国民である限り(世界で競争力のある能力をもっているかどうかに関わらず)全員が日本の物価でたべていけるだけの給与を確保できる雇用を得られるようにしたい。そんな第三の道を探したい」という意見

は、

根本的に違う。


すなわち、菅副総理は「グローバリゼーションの中で、日本は“その流れに巻き込まれない”違う生き方を模索する」と宣言されているのであり、世界のほぼ全部の国と違う方向に解を見いだそうとするその大胆さに、ちきりんはある種の感銘を受ける。

そういう第三の道とは、150年以上前に既に名前がついていた例の道と酷似しているし(それがなんと呼ばれてきた道か、賢明な人なら皆もうわかっているだろう)、今や“国の意思としてグローバリゼーションに背を向けようとしている国”は、ちきりんの知る限りキューバと北朝鮮、それにアフリカのいくつかの国しか存在しない。

もしくは日本の歴史においても同じようなことをしようとした時代があった。たしか・・その時代は江戸時代と呼ばれていた。



とか、おもいっきりチャカしながらも、それでも、ちきりんは大臣という国のリーダーが、そういうことを言う意義は感じるですよ。

世の中は猫も杓子もグローバリゼーションだ。ちきりんのような不勉強な人には、そういう“世界が言っていること”しか思いつかない。凡人ってのはそういうもんだ。周りが言っていることが、大きな声で言われていることが、まるで正しいことのように聞こえるのだ。

どんなアホみたいに聞こえることでも、「いや、でも違う可能性だってあるかもしれないじゃないか」と言い続ける人からしか、完全に新しい世界観は生まれない。たしか昔は「地球の方が回ってる」と言ってた人だってバカにされてたと聞くし。


リーダーの役割、という意味ではね。

いいんじゃないかと思う。

第三の道とか言ってれば。



そんじゃーね。




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↓過去の(多分)関連(してるであろう)エントリ

「私は違うと思います」

2009-12-21 半島丼

下記をご覧ください。

左側は韓国の刺身ソースです。韓国ドラマでお金持ちが刺身を食べるシーンがよく映るのですが、見てると調味料が赤いんだよね。

醤油ではないみたい。で、調べてみたところ韓国にはこの赤い(とんがらしベース、コチジャンベースの)刺身ソースなるものがあり、お刺身はこれで食べるらしい。


で、早速買ってみました。それが左側のソース。ボトルに刺身の写真が載ってます。これ、「こんな辛いソースつけたら、鯛もマグロも区別つかないでしょうよ?」というレベルの濃い味ですが、結構、癖になる味でもあります。


f:id:Chikirin:20091222002854j:image:w400


一方の右側はスーパーで売っている“タコキムチの素”で、こちらもコチジャンベースの辛いソース。ただ左の刺身ソースは“甘酸っぱい”味がするのだが、右のソースは酢の味はしない。どっちもコチジャンベースだけど、かなり味は違う。


ふたつとも刺身とかタコ、ホタテのような生の魚介につけるソースなので、そのふたつの味がどう違うか、ちきりんなりに理解したいと思った。そしたら使い分けられるからね。


ところがこの二つのソースの味を舌で区別するのが非常に難しい。

いえ、一瞬分かるんです。刺身ソースには酢が入ってる。そこは大きな違い。でも、その後が分からない。あと何が混ぜてあるの?ってのが知りたい。


ところが、どっちも一口目はいいんだけど、二口目からは口の中が「辛!辛!」になるため、結局いつも味が区分できない。

これが、最近のちきりんの悩みだったわけ。


で、全く同じ材料(さしみ)を和えてみて、一口ずつ交互に食べたら、さすがの私も区別できるだろうと思い、たまたま安売りをしていたマグロの切り落としを和えてみた。

それだけだと辛すぎるのでご飯にのせ、春菊(菊菜)をゆでて一緒に食べることにした。


できあがったのが下記↓ 右のが“タコキムチの素”ソース、左のが“韓国刺身ソース”で和えたマグロ。

f:id:Chikirin:20091222002848j:image:w400


で、さて順番に一口ずつ食べて「今日こそ味を区別するぞー!」と思ったのだが、できあがった丼は色味がとても綺麗だったので写真を撮ろうと思った。


その時カメラをのぞきながら「この料理に名前をつけなくちゃ」と思い立ち、何か韓国にちなんだ名前がいいよね、「ケンチャナ丼とか?」と考えていたら・・・


“半島丼”という名前が頭に浮かんだ。


そう、春菊が38度線で、右と左に分断された二つのコリアン。


お〜、“半島丼”と呼ぼう!と決めた。超いいネーミングじゃん?


ところが、箸をつける直前に思った。「あたしって余りに脳天気じゃない?」と。民族が二つに分離されてしまって長年苦しんでいるのに、それを丼の名前にするなんて我ながらひどすぎるんじゃないかと。

そして、思った。「38度線をまず食べて無くしてしまうべきだ」。で、まず春菊を食べてしまった。だってそれが、その時のちきりんにできる精一杯のことだったから。

その後、右と左とどっちから食べるべきかと考えた。やっぱり北側(ちきりんの家では右側にあたる)から食べてしまって消滅させてはどうか?と。


しかし、それもひどいよね。


必要なのは、民族統一じゃん!?



で、右と左を混ぜて食べた・・・民族は融合し、半島は統一された。しかもかなり美味しかった。


結局・・、ソースの味の区分は今日もできなかった。


そんじゃーね。





韓国料理レシピ本(ただし“半島丼”は載ってません・・)

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2009-12-19 終身雇用はなぜなくならないか

日本の大企業および公的組織における

(1)新卒採用

(2)年功序列

(3)終身雇用

の3点を特徴とするいわゆる日本型雇用について考えてみます。


この制度、いろいろ批判があるにも関わらず今のところ大きく揺らいではいません。この制度がなかなか崩壊しない理由を、判例法である解雇規制のせいにする意見があるんですが、ちきりんは、民間大企業の日本的雇用が崩れない理由が解雇規制にあるとは思っていません。

だって大企業は法律があろうとなかろうと、やりたいことはやるし、やりたくないことはやらないんです。

実際、残業代を払わない(サービス残業)、実質的に有給休暇を取得させない、偽装請負に近いような非正規社員の使い方をするなど、自社の利益のためならたとえ法律違反でも大企業は平気でやってのけます。現実において、彼らが労働法規をそんな厳密に気にしているとは思えません。

大企業は、解雇規制があるからイヤイヤ“日本的雇用”を維持しているのではなく、それが自分達にとって得だと思える強固な理由があるからこそ、それを維持しているんです。

もちろん、そこで働く人達側にとってはこの制度はすばらしいお宝制度であり、決して手放したくないものでしょう。

したがって、大企業とそこに勤める人達は、お互いにその関係を維持したいという自由意思によって利害が一致しているんです。他者がなんと言おうと両者には関係ありません。


この制度に反対している人達は、「大企業に雇って欲しかったが、それをなしえなかった人」、すなわち、選ばれなかった人と、「かってはそういった組織の社員であったが、何らかの理由により袂を分かった人」のいずれかです。

構図としては、相思相愛の夫婦がいるんだけど、その関係性に「昔、この夫婦のどちらかに振られた人」と、「昔、その夫婦のどちらかと結婚していたのだが、関係が破綻して離婚した人」が「あいつらの今の関係はおかしい。解消すべきだ」「離婚できないのは離婚規制のせいだろう。そんな規制は一刻も早く解消すべきだ」と息巻いているようなものです。

そりゃあ夫婦だからいろいろあるけど、基本的には相思相愛の夫婦本人達にとっては「大きなお世話」以外のなにものでもありません。


では社員側はともかく、大企業側にとってのこの制度のメリットは何なのでしょう?


(1)“仕事のやり方”ではなく、“我が社のやり方”を知っている社員が望ましい。

これが一番大きな理由でしょ。

日本の大企業にはホワイトカラーの仕事を標準化しない、という信念、もしくは伝統があります。そこでは、業務用パッケージの導入が不可能なくらいに、柔軟、場当たり的、独自のやり方で業務をこなすのがその特徴で、これが生産現場に比べて圧倒的に生産性が低いと言われる我が国のホワイトカラーの特徴なんです。

そういう組織において必要とされるのは、営業、人事、法務、調達などの標準化された知識や機能スキルではなく、上司の癖や組織のあうんの呼吸をくみ上げてなんなりと対応してくれる超がつくほどフレキシブルで非生産的な(=長時間働く)人材です。

なので、市場から「営業のプロ」とか「人事のプロ」とかを雇ってくるより、新卒から「なんでもやる社員」を育てた方がほよど“使い勝手の良い社員”に仕上がる。これが“日本的雇用”を大企業が好む最大の理由だと思います。


(2)長期間の貸し借りが可能

長期雇用を前提にすると、社員と企業の間で、複数年の貸し借りが可能になります。「若い時は我慢してもらって、部長になってから報いる」とか、「景気の悪い時は我慢してもらって、いい時には、その分、上乗せする」というふうにね。

日本企業は分厚い皮下脂肪(バッファ−)を抱えることで危機対応しています。そのバッファーとして社員が協力してくれると、経営者はとても楽ちんです。自分の経営が失敗してもバッファーが吸収してくれる。しかし長期雇用じゃないと誰も組織のバッファーになんてなりません。

また短期雇用が前提だと、その年の落とし前はその年に付ける必要がある。景気が悪ければボーナスも人員数もカットして、よければ多額に払う、という体制になります。

しかし日本企業は「今年の業績が良かったのは社員の働きもあるけど景気の影響も大きい」「今年赤字なのは社長の経営がまずかったのもあるけど、円高の影響も大きい」と思っています。

組織の結果は、必ずしも社員や経営者の力ではなく、「他力」によってより大きく左右される。だから、短期の業績によって社員や経営者の単年度の報酬が大きくぶれる制度は、必ずしも公正な制度ではない、と思っているんです。

なので長期間の公正を期すためには「全体を長期間に均す」ことが望ましく、そのためには組織と構成員の間で長期間の貸し借りを可能とする制度、すなわち長期雇用が必要になるのです。


(3)継続維持よりコストがかかる新規獲得を避けたため、市場を潰してしまった。

リピート客の維持は新規客の獲得より圧倒的にコストが安い。これは何のビジネスでも同じ。

だから皆、ポイント制度やら“プラチナ会員”制度を作って「リピート客」の獲得に血眼になります。労働市場でもそれは同じで、同じ人をずっと雇っている方が“採用・研修費用”は圧倒的に低くてすみます。

一方で、リピート客ばかりひいきにしていて新規顧客の取込みを怠ると、長期的には顧客の高齢化が起こるし、新しい潮流に乗り遅れ、また、どこかで飽きられてしまう。

つまりリピート客主義は維持獲得コストが安いかわりに、長期的には革新性や新規性が犠牲にされ、若返りが行われなくなるというデメリットがある。だから、どんなビジネスでも新規客とリピート客のバランスをとろうとするんです。


ところが日本の大企業の場合、高度成長期においては毎年どんどん組織が拡大したため、たとえずっと同じ社員を雇っていても、それよりも圧倒的に多い数の新入社員が入ってくることによって、組織の活性化が実現できていた。そのためにわざわざ既存社員の入れ替えをする切実なニーズを感じなかったのでしょう。

で、彼ら自身が長い間リピート客しか相手にしなかったことで、今や日本の労働市場では中途人材の新規獲得コストが異常に高くなり(=高品質人材の中途採用市場が整備されないままとなり)、企業は今更方針を変えられなくなってしまっているんです。

高度成長期と違い、今やどこも新入社員の数は多くないため、時代に合わせた人材の入れ替えができない日本の大企業は、思考の新規性、革新性を完全に失ってしまっており、その結果として高い付加価値のあるユニークな商品を生み出せなくなっています。

そのことに既に彼らは気がついているのだけれど、自分達が市場を潰してしまったために、今更方法を変えられないのです。



まあ、他にもありそうだけど、つまりはこのように大企業側にも日本的雇用はいろいろメリットがあるわけで、だから簡単には崩れないのだと思いました。



じゃあ、どうすればいいんだって?



残念ながらそんな難しいことを考えている暇はちきりんにはありません。



なぜなら今から年末の大掃除をする必要があるからね。

  

重曹を水で練って洗面ボールや蛇口、お風呂をこするとびっくりするくらい綺麗になりますよ!


そんじゃーね。

2009-12-17 友愛をどう訳すか

先日、海外の記者が鳩山政権について話し合うテレビ番組を見た。オーストラリア、イタリア、韓国、中国の人が出ていた。皆やたらと現政権への評価が高くて驚いた。

中でもおもしろかったのは、鳩山首相のスローガンである「友愛」について、韓国や中国系の人がすごく高く評価していたことだ。

たしかにアメリカには普天間の件で「私と社民党とどっちが大事なのっ!」と言われ、「来年になったら必ずはっきりさせるから。もうちょっとだけ待ってくれ」とか言ってる一方で、中国には200人の国会議員が訪問ですからね。外交的な優先順位はあまりに明らか。

民主連立政権が「先端より底辺に優先順位」をおいているのはわかっていたけれど、ここまで「アメリカより中国・アジア」優先であるとは、政権スタート前には想定してなかった。そーかー、やっぱ社民と連立だし、そもそも半分が旧社会党だし・・と思い知ったちきりんです。


さて、そのテレビ番組の中で、韓国・中国の人が「鳩山首相の友愛精神」を高く評価するのを聞いて、イタリア人とオーストラリア人の人が興味深いことを言っていた。いわく、

「中国文化圏の人にとっては“友愛”というのはおそらくすばらしい精神性をあらわしているんだと思う。でもその英語訳の“fraternity”という言葉は全くインパクトのない言葉で、一国のトップのスローガンたり得ない単語だなんだよ」と。

なるほど、これはおもしろい視点だと思いました。おそらく中国文化圏の人は“友愛”を無理矢理訳さずに“字面”で判断しているんじゃないかと思うんです。韓国もエリートは今でも漢字文化を共有してるしね。

すると“友愛”という字面、文字の表す意味、は、もしかすると日本語の“ゆうあい”という若干間の抜けたイメージより、さらに高尚な印象を、中国文化圏の人達に与えている可能性があるんじゃないか、と思った。


ご存じのように、“友愛”というスローガンは、元々彼の祖父である鳩山一郎氏が提唱したもので、鳩山一郎氏はドイツ・オーストリアの政治家の言葉に感銘をうけてそれを使い始めたらしい。なので、もともとはドイツ語だったのが、鳩山一郎氏がその邦訳である“友愛”を使った、で、それが今は英語で“fraternity”になった、という変遷を辿っている。

で、元々のドイツ語は“Brüderlichkeit”なのだが、これをネット上の辞書で英語に訳すと“Brotherhood”になる。ただし、“fraternity”をドイツ語に訳すとやっぱり“Brüderlichkeit”に戻る。ので、“Brüderlichkeit”→“友愛”→“fraternity”は、語学訳としては正しいんだろう。

ただ、それぞれの言語において“訳としては正しい”、すなわち“同じ意味であるはずの言葉”が、それぞれの言語圏において聞き手に与える心象が、必ずしも同じではない可能性はある。今回は特に英語においてその心象が弱いというか、曖昧すぎ、意味不明、なのかもしれない。


なのであれば、“友愛”を正確に“fraternity”とは訳さずに、

「LOVE & PEACE」

とでも訳していたら、なにかしら別の印象を与えたのではないか、という気がした。正確な訳語であることより、各言語圏においてどういう心象を残したいか、の方が大事とも言えるじゃん。


「辺野古沖に決めたはずじゃないか」「いや、そうだけど、やっぱり“Love & Peace”の精神で沖縄から基地を無くしたいんだよ」とか、「社民党とアメリカとどっちが大事なんだ?」と言われたら、「どっちも大切に思ってるんだ。みんなでLove & Peaceで話し合おうよ」とか。


これなら、ちょっとは前向きな感じがしない?


・・・しないか。



しませんね、


すみません。


そんじゃーね。

2009-12-15 アメリカのMBA、終わりだよね

アメリカのMBAは終わったよね、と思う。

あたしは 27才の時、新卒で就職した会社をやめて米国で MBA をとるために留学したのだけど、もし自分が今 27才だったら同じ決断はしないと思う。

もちろん全くなんの価値もないという気はないので、コストがかからない人なら、つまり、大企業から派遣してもらえる人なら楽しい 2年間になると思う。

もしくは趣味の問題として「日本よりアメリカが大好き!」という人なら、大枚はたいて憧れの国に住むのもアリだとも思う。

でも、“日本人が”、“今から”、自分のお金で”、“キャリアアップのために”、“米国の MBA に行く”、というのは「もうナイでしょ」というのがちきりんの感覚です。


理由はシンプルで、

(1)コストが高すぎでしょ

(2)米国 MBA の旬が過ぎちゃった

というふたつ。


(1)のコストですが、いま米国 MBA に行くと 2千万円近くかかるんじゃないかな。

これに 2年間の間に稼げた額と、“ふたつ年齢が上がる”という時間コストもかかる。

MBAを目指す人ならちゃんと投資効率を考えられるんだと思うけど、そんな額、取り返せますかね。

大企業をやめてそんな決断をしたら、投資を取り返すどころか生涯賃金が減りますよ。


(2)については、ふたつの意味で旬が過ぎたよね〜という気がする。

ひとつは「アメリカ一国モードが終わった」という点。

もうひとつは MBA が最も得意としていた「財務系の世界」が産業として主役舞台から降りた、という点。


「アメリカ一国モードが終わった」ことがひとつの理由なので、欧州やアジアにある MBA に行けば、今はまだそれなりに価値がある。

欧州の MBA はアメリカより圧倒的に国別参加者のバランスがいいし、欧米 MBA がアジアに作った分校や提携校では、今後世界の中心となっていくエリアを実体験できる。

そういう意味では若干はマシ。ただそれでもコストは同じくバカ高い。その額を正当化できるか? といわれると、やっぱり厳しいと思う。


英語力をつけるだけならニュージーランドあたりに英語留学すれば費用は 4分の 1もかからない。

リーダーシップ体験だのアントレプレナー体験だのは、普通にベンチャーに就職すればよほどリアルな体験が手に入る。

必要な授業はネットで動画で見られるし、ネットワークだってアクティブにツイッターでもやる方がよほど世界が広くなりそう。

まあ、「○○さんもどこどこの MBA なんですね」的なブランド価値はまだ当面残るのかもしれませんけど。


というわけで、かなり終わった感じだよね、と


じゃあ、自分がもし今、27才だったら何をするのか?(会社に勤め続けるのか、そうでないとしたら、どういう道を選ぶのか?)と言えば・・・それはまた別の機会に。


f:id:Chikirin:20150810175729j:image:medium

そんじゃーね。


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2009-12-12 IMF危機下の韓国ドラマが伝えるもの

高校生の頃、パール・バックのThe Good Earth ( 邦題 「大地」 )を読んで驚嘆しました。「この小説の中には、人生で起こりうるすべてのことが書いてある」と思えたからです。

小説って、恋愛とか事件とか、なんらか“ひとつの出来事”にスポットライトをあて、それを深掘りして書くものだと思っていました。ところが「大地」には、すべてが描かれています。人生で起こりうることのすべてを、他人に伝えられるレベルまで言語化できるって、どんだけすごい才能なんだろうと思いました。


時代が変わり、最近ちきりんは、韓国ドラマを見ながら同じことを感じています。韓国ドラマの中には、人生のすべてがある! (笑うとこじゃないです。まじめに書いてます)


特に、韓国がアジア通貨危機に巻き込まれてIMF管理下に置かれた、1997年あたりに作られたドラマがとても興味深いです。この年、IMFから緊縮財政策を押しつけられた韓国社会は大混乱し、大不況に見舞われました。

この頃の韓国ドラマには、頻繁に“IMF不況”という言葉が出てきます。突如として倒産に追い込まれる財閥や企業家、突然のリストラ、失業、物価高騰に直面し混乱する人々、経済危機に乗じた詐欺師の暗躍などが随所に描かれています。

またドラマの中では、そういった社会情勢の下、ことさらに家族間の愛情や、儒教的な価値感が強調されます。国を揺るがす金融危機に際して、人々が「お金以外の価値」を求め、確認しようとしたことがよくわかります。

愛国心を高めたり、国民を励ますためのシーンも多く、「団結!」とみんなで叫ぶような場面が多々挿入されています。財閥の息子が父親に、「この時期に貴重な外貨を使うんじゃない。バカ者」と言われて、留学を断念したりするのも“愛国心”を示すためのエピソードでしょう。

細かいところでは、ゴミ出しのシーンで「踏んでぺちゃんこになるのがアルミ、ならないのがスティールなの。きちんと分けて出すことで貴重な資源がリサイクルできてお国のためになるのよ」などという、「公共広告?」みたいなシーンもさらりと挿入されています。


さらに2年後の1999年頃になると、韓国ドラマに出てくる“お金持ち”が、財閥から「アメリカで成功したベンチャー企業の経営者」に変わります。

アメリカではITバブルが起こり始めており、その一方、為替レートの関係から「ウォンで稼いでも全く意味がないけれど、ドルで稼げれば韓国内では大きな財産に相当する」という当時の韓国の経済情勢をそのまんま反映し、この時期だけ、韓国ドラマのヒーローやヒロインが「財閥の御曹司」ではなくなっているわけです。


この時の韓国で何が起っていたのか、ちきりんはマスコミ報道以外に知ってるわけではありません。でも、ドラマの中に描かれた「韓国のIMF危機」は、とてもリアルで、哀切です。


この頃のドラマのクライマックスには、苦しむ韓国国民に向けたメッセージが埋め込まれています。「人生にはいい時も悪い時もある。みんなで団結してそれを乗り越えよう」とか、「貧しく厳しく、何もよいことのない人生に見えても、愛する家族さえいれば、人生は本当にすばらしいのだ」みたいなメッセージばかりです。

下記で紹介したドラマでは、お正月の日の出シーンで、昇り行く初日の出が感動的な音楽を伴って長写しされ、俳優達の決意の表情が次々と映し出されます。

「いつかまた日は昇る。それを信じてみんなで頑張ろう」ということです。まさにIMF管理下で流行りそうなドラマです。


★★★


ここ数年、欧米のビジネススクールに、日本人より多数の韓国人学生がいることは珍しくありません。人口が圧倒的な中国やインドならともかく、人口が日本の3分の1の韓国の方が、留学生が多いのです。

しかも昔は「日本人と韓国人は英語が下手」という感じでしたが、今や韓国人は中学生、高校生から留学を始めているケースも増えており、英語が格段に上手になっています。人口比の一般留学生の数でも、韓国は日本を大きく上回っているんです。


実際、韓国では田舎の家を売ってでも子供を留学させるとか、母親と子供だけが渡米して英語を学び、韓国に居残った父親が仕送りを続けて何年も別居するケースさえあります。格安のフィリピン留学という形式が開拓されたのも、その流れです。

そういう風潮が、科挙文化を共有するアジア特有の「教育熱心さ」にあると、今までちきりんは思っていました。日本も“受験地獄”と言われた時代があったので、韓国は今、そういう段階なんだろうと思っていたんです。ですが、ここのところ何本かIMF危機の頃に作られた韓国ドラマを見て、「そうじゃないんだ」とわかりました。


1997年といえばまだ10年ちょっと前です。人々の記憶に新しい経済危機です。彼らは痛感したのでしょう。「外貨の稼げる人にならないと、生きていけない」、「外貨を稼ぐ企業で求められる人材にならないと、生き残れない」と。

「韓国の中だけで稼げる人にはもはや価値がない」、「ソウル大学を出ただけではダメ」なのだと、国民全体が、身を切る思いと共に理解させられたのです。


翻って日本の中に「競争などしなくていいではないか、友愛で行こう」的な考えが拡がるのは、日本の今の世代に「世界に勝てない惨めさ」を実感している世代が、もはや存在しないからかもしれません。この国は、そういう気持ちを体感した世代が20年前に引退してしまった国なのです。


日本がアジア危機に巻き込まれなかったのは、外国からの投資や借金が少なかったからです。この「海外からお金が入ってない」というのは、良くも悪くも日本を独自の道に進ませているひとつの重要な要素でしょう。


何が不幸で何が幸せかわからない。

と、韓国ドラマをみていて思います。




大地 (1) (岩波文庫)

大地 (1) (岩波文庫)

↑文庫の出版年は1997年ですが、書かれたのは1931年です。翌年の1932年にピュリッツァー賞を、7年後の1938年にはノーベル文学賞を受賞している超のつく名作です。この本の中には人生のすべてが書いてありますが、読んでる間に人生が終わるんじゃないかと思うほどの長編です。


↑DVD発売は2005年ですが、ドラマの制作年は1997年です。韓国は世相を積極的にドラマの背景に取り込むので、歴史や社会情勢の勉強になります。こちらも人生のすべてが描かれています。

2009-12-11 3つともやったらどうよ?

現在、デフレで不況です。

デフレで不況の場合、下記の3つの対策があるようです。それぞれの対策は、それなりに有効と考えられていますが、一方でそれぞれにデメリットもあります。簡単にまとめるとこんな感じ↓


No.分野方法メリットデメリット
1財政政策補正予算需給ギャップが埋められる財政赤字が大きくなり、将来世代に多大な負担を残す
2金融政策日銀から市場への資金供給増加キャッシュショートで倒産する会社が減る。金利を下げ、円安にできる。名目的に物価を上げる効果があるインフレが管理できなくなるリスクがある。金融政策の幅が狭まる
3成長戦略規制緩和、技術革新、起業、投資などを促進経済全体のパイを拡大できる勝者がより強くなり、経済格差が大きくなる可能性がある

このうち、自民党も民主党も (1) しかやりません。(1) はやりやすいのです。国民の税金を使うだけだから、官僚も政治家も躊躇がありません。

(2) が行われない理由は、(2) は独立している日本銀行の判断であり、かつ、その当事者である日銀はインフレが大嫌いだからです。でも最近になってさすがの日銀もヤバイと思ったらしく、ちょっとだけ量的緩和に踏み切りました。


じゃあ、最後の (3) はなぜ行われないのか。

これが今日のクイズです。三択なので下記から選んでください。


(a) 責任者である副総理が未だに「深く考慮中」だから。

(b) 天下の亀井静香さまが反対しているから。

(c) なんたって友愛社会だから。


なお、上記以外に答えがあると思う方は、ネット空間のいずこかにおいて140字以内で回答しておいてください。




念のため一言申し添えておきますと、ここは“おちゃらけブログ”なので、このクイズのルールは、

“よりおもしろい答えが勝ち”です。



そんじゃーね。




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追記)今のところ↓コレが一番笑えました。

http://twitter.com/finalvent/status/6552578750

2009-12-09 「何を言われたか」ではなく「何を言うか」

最近、政治家はもちろん大臣の要職にある人まで自分のブログで、しかも今まさに話題になっていることについて書いてたりする。画期的だよね。大臣の直接的な言葉が日本中一斉に同じ条件で読めるってすごい。

岡田外務大臣のブログ(リンク先は12月7日のエントリ)は更新頻度も高いし内容も充実してる。福島大臣のブログは、話し方と書き言葉が同じでおもしろい(口調=書調)。もちろん、ふたりとも非常に慎重に(あたりまえだが)書いてらっしゃいます。


菅副総理もちょっと前にブログで、日本の(おそらく)成長戦略について「現在、第三の道を深く考慮中」と書いてらした。それにたいして「今頃、考慮中なんて遅すぎないか」とあちこちで批判され、揶揄された。

ちきりんが興味を感じたのは、菅副総理がこれを書くことについてどの程度逡巡・躊躇されたのかな、という点。政権交代したばかりの新政権で、国家戦略部門のトップが、今の時点で「どの道を行くか、まだ分かっていないので検討中である」と書くってそれなりにインパクトがあると思ったので。


菅さんって、とても良い方っぽいけど、ちきりんには若干“脇が甘い”印象があります。年金不払い(未加入)問題の時も、調べてみれば自分が悪いわけではなかったのに、マスコミ報道だけでさっさと辞任したし、厚生労働省と渡り合って人気絶頂になった後には、女性問題でミソをつけた。と考えると、今回ももしかして特に何も考えず、素直に今の気持ちをブログに書いたのかもね、と思えます。


最初に書いたように、一国のNo.2にある人の考えがストレートにブログで読める時代はすばらしい。だけど同時に、こういうのって怖いよね、とも思う。

下手をすると大きな問題(議論、炎上の可能性)になるし、大臣の発言ともなれば時には市場に影響を与える。海外メディアが「日本の外務大臣が自身のブログで○○という意見を・・」と報じる可能性だってある。

自民党もTwitterの勉強会を始めたらしいけど、ネットでの政治家の直接的な発言が増えると、政治が身近になり、政治家にも民意が伝わりやすくなるなどメリットもある反面、それをどう戦略的に使うか、そして、いかに自分で墓穴を掘らないか、とても大事になるよね。


それはつまり「何を言われたか」を気にする時代から、「何を言ったか」が圧倒的に大事な時代への移行ってことなのですよ。政治家でさえ、「報道される対象」から「表明する人」になるわけ。

一般的に政治家は常にマスコミやジャーナリストに批判されている。でも「何を言われているか」は今までほど気にしなくてよくなると思われる。明らかな誤解や中傷については、自分のブログで反論すればいい。大臣のブログなら確実に一定のアクセスを集められるんだからね。


その一方で「何を言うか」には、これまで以上に気をつける必要がでてくる。今までなら「あんなことを言った覚えはないのに曲げて報道された」とか「一部の発言だけを取り出して放映された」と言っていればいいけど、これからはそうはいかない。

これからの政治家のスキャンダルは「書かれる」ことではなく「書くこと」によって起るのかもしれない。政治家は、自分に関して批判的なジャーナリストの記事に目を配るより、自分の言葉に注意を払うほうが、よほど大事になる。


大臣のブログとは比較にならないけど、ちきりんの日記にもブックマーク、ツイッター、さらにはトラックバックでいろんな意見が寄せられる。賛成や賞賛のコメントもあるし、批判や罵倒のコメントもある。

でもその内容を気にする必要はあまり感じない。なぜなら多くの場合、そのコメントで評価されるのは“コメントの書き手”であって、ちきりんではないから。


誰かがちきりんブログに大絶賛をするコメントをつけたとしても、それを読んで「そうか、このエントリはすばらしいのか」なんて思う人はほとんどいない。

批判の場合も同じ。私が誰かのエントリに「意味不明な内容だ」とコメントしたとしましょう。いくらちきりんファンの人でも、それだけでそのエントリが意味不明だと決め込む人はいないよね。一方で、そんなコメントをするちきりん自身の「読解力」や「ちきりんの人格」は、厳しく問われることになるでしょう。


リアルな世界でも同じです。周りの人が自分の悪口を言っても、あまり気にする必要はありません。その悪口を聞いた人がそれを鵜呑みにし、あなたのことを悪く思う可能性は必ずしも高くないからです。

だけれども、「自分の言動」には気をつけるべきです。それによって、まさにあなたは評価されるのです。誰かの悪口を言っている時、それによって評価されているのは「悪口の対象」ではなく、「悪口を言っている自分」だってことを忘れてはいけません。


★★★

国家戦略局のトップという立場で、「自分はまだどの道を進むべきかわかっていません。今考えつつあるところです」と公言する菅さんは、あまりに素直で無防備に見えます。これを見て、政治家でさえ、週刊誌に「どう報じられるか」より、自分が「何を書くか」の方がよほど重要な時代になるんだなと思いました。

文章は、ブログであれつぶやきであれコメントであれ、書き手の性格や思想、姿勢、論理性、政治性から感情の表し方まで、多くのものをビビッドに伝えてしまいます。直感的には、短い文章であるほど端的にそういうものを伝えるように感じます。

つまるところ、「何を言うか」は「何を言われるか」とは比べものにならないくらい重要だということです。

文章をパブリックな空間に残すことの意味を再認識させる、そんな菅さんのエントリでした。もちろん、こんな大量な文章を公開して残している自分への意味合いとして、という話。


そんじゃあね。 

2009-12-08 風邪からの復帰食

先日のエントリを書いた直後から約 3日、倒れてました・・高熱で。

本日は熱も下がりようやくちゃんとしたご飯が食べたい!!と思えたので、早速ネットスーパーを利用。便利すぎ。


昼過ぎに食べたメニューは、

“鶏肉とほうれん草の大根おろし鍋”

これは驚くべきおいしさですよ。宇宙の驚異と言えるレベルです。

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作り方は、普通に鍋を作るみたいにするだけです。大根下ろしの味が生きるようにあっさりしたものだけを具材にした方がいいと思います。ここではほうれん草、鶏肉と白滝(糸こんにゃく)で。

大根下ろしを鍋にいれるタイミングに個々人違う意見があるんですが、ちきりんは最初に一部を入れて煮た後、できあがり直前に暖める程度に大量の大根下ろしを入れます。こうするとビタミンCも残りそうだし、汁に溶け込んでしまわず大根下ろしの味が楽しめます。

ポン酢で食べるか、だしで炊いて最後に柑橘類を搾ればより本格的です。あとは盛りつけてできあがり。まじで美味しい上に、風邪防止、風邪からの回復食として完璧な料理だと思います。簡単だしね。




その後ご飯も食べたくなったので“牡蠣と大根の炊き込み飯”にしてみた。ホントは牡蠣も鍋用に買ったんだけど。

牡蠣ご飯って、牡蠣を別に炊いて後から混ぜる方が美味しいと思いますが、面倒だったので全部一緒に炊き込みました。十分です。炊飯器の偉大さには神が宿っていると感じることがある。(かなりオーバー)

まだ鼻づまり状態なのでせっかくのお焦げの香りがイマイチよくわからないのだが・・

f:id:Chikirin:20091208175804j:image



というわけで、3日振りにまともなものを食べて(&3日振りにお風呂に入って)生き返った・・・実は、高熱がでる直前の日はふぐ鍋コースを食べに行っていた。奢ってもらったのにお礼のメールもまだ送ってないという失礼さ。仕事もどうなってるんだか。

社会派ブログ?そんなもん知りません。さっきテレビをつけたら亀井さんの顔が大写しになってたのですぐ消した。この国は何日か寝込んでるくらいでは多分何も進んでないから大丈夫。


明日から、活動開始したいです。


ではでは


http://d.hatena.ne.jp/Chikirin+shop/

2009-12-05 この国は“無駄”で食っている

“格差”を絵で表現すると下記のようになります。

左側の水色さんは丸々太ってメタボ気味だし、コートも来ているし、両手に貯金も持っている。

一方、右側の黄緑さんは皮下脂肪の蓄えもないし、コートもなければ貯金もありません。


恵まれている人は二重三重のセーフティネットに守られているんです。正社員で、病欠も認められ、貯金もあり、助けてくれる家族もいる。

けれど寒空に凍える人は雇用も不安定で貯金もなく、親族もみな同じような状態だから頼る人もいない。


こういう二種類の人がいる世の中が、大不況に陥りました。寒風が吹き、仕事もなくなった。

でも水色さんには大きな痛みはありません。

ぬくぬくしたコートを着ているし、食べ物もある。ボーナスは減ったけど、まだ貯金もあります。

一方、不況は黄緑さんには死活問題です。寝るところ、食べるもの、生きる意味、すべてが危機にさらされる・・。


f:id:Chikirin:20091205093857j:image:w400



さて、ある社会に 100人の人がいるとしましょう。

ルイ王朝とか帝政ロシア下の社会では、水色の人が一人しかおらず、残り 99人は黄緑さんです。

水色の人はマリーアントワネットやエカテリーナなど王族、貴族で、数はごくごく限られてます。

この社会では大半の人は黄緑さんで、度が過ぎると革命が起ります。フランスやロシアのように。


一方、社会の全体 100人のうち、95人が水色さんの状態だと、その社会は「総中流社会」と呼ばれます。

一部には貧しい人もいるけれど、95人が経済的に困っていないから、たった 5人を助けるのは難しくありません。

水色さんは、自分の痛みをほとんど感じることなく弱者を助けることができます。

高度成長期に日本が作り上げてきた社会はそういう社会でした。


今の日本社会はどうでしょう? 

私の感覚では、おそらく 3割くらいの人が黄緑さんになりつつあるんじゃないでしょうか。

7割の水色さん達は、今までは見えなかった黄緑の人が社会に増えてきたことに衝撃を受けています。

お金が払えなくて修学旅行に行けない子供、お金がないから病院に行けない人達、アパートで餓死する失業者、地下道や川辺で眠る人の群れ。食べるに困る老後。

テレビで特集されるそれらの悲惨な黄緑さんの人生を目の当たりにして、多くの水色さん達は衝撃を受けました。


そして「こういう世の中はなにかがおかしい」と強く感じ、政権を変えるべきだと思いました。

世界で勝つことを目指す小泉・竹中路線ではなく、社会の底辺にも温かい目線と手をさしのべる政権が望ましいと思った。

これが福祉志向、底辺志向の民主党政権につながりました。


なんだけど、3割の黄緑の人達を助けるためには、自分達に回ってくるべきお金の一部を差し出す必要があるのだと、水色の人達が気が付くのは、その後のことでした。

この国には、打ち出の小槌も、生産性が高く国際競争力のある産業も、さらに多額の借金を積み上げる余地も、もうありません。

資金を捻出するには、「事業仕分け」という方法で「不要不急の予算」を削るという方法しか残っていない。

で、ここがポイントなのですが、実は水色の人達は、それら「不急不要の事業」のおかげで収入を得ているんです。


事業仕分けの次に「公益法人の仕分け」という言葉がでてきました。遠からず特別会計の様々な分野も「仕分け」対象となるでしょう。

そうなれば、日本経済がもつひとつの特徴が明確に浮かび上がるはずです。

それは、水色の人達のうち、おそらく半数近くが「仕分けされるべき無駄な事業」に携わって生計をたてている、ということです。

この国の経済は「無駄によって支えられている経済」だから。


要らないダムや空港を造ることで多くの人達が食い扶持を得ています。

どうでもいいような政府キャンペーンを推進するための多額な予算が、多くの準公務員達を養い、広告業界にもお金を流してる。

使いもしない“住基ネット”のシステム開発のおかげで、大規模 IT 企業は社員を雇用し、下請け会社に仕事を回してる。


★★★


「無駄な支出を削り、その分で弱者を助ける」という言葉は甘美です。

そうやって社会の底辺で困っている黄緑さんたちを助けてあげたい。そう願う水色さん達の言葉に嘘はありません。

水色さんらは善意で、心の底から、そう思っているのでしょう。


しかし水色さんは、そうなれば自分達の半数近くは「仕分けされるべき対象である」、ということには気がついていません。

善意に溢れる水色さんに足りないのは“リアリティ”です。


ダムや道路だけではありません。

多くの役所は役所ごとに重複する、ほとんど使われない多数の制度を設計し、そのための特別なシステムの構築を民間業者に発注しています。

それらのITプロジェクトの仕事は、NTTデータや野村総研を窓口として、幅広く裾野のSIerに流されてる。

IT産業のうち公的部門が(発注量に)しめる割合はかなりのものです。

それらが大幅に削減されれば、多くのIT関連企業の仕事量(雇用&売上額)に多大な影響を与えるはず。


過剰な検査体制もこの国の特徴です。

世界で一番優秀な車に、あんな頻繁に車検をやる必要はないから、無駄を削減して行政コストをさげようと言えば、多くの水色の人は賛成するかもしれません。

しかしそれは、日本中の車検事務に携わる人達の仕事が半減することを意味しています。


家の水道蛇口を見てみてください。この国では水道の蛇口にまで「規格シール」が張ってある。

そんなものをイチイチ検査する必要があるのか?と言い出せば、それらの検査機関に勤める人達の雇用はどうなるのでしょう? そんな例はいくらでもあります。


繰り返しておきましょう。


この国では、ものすごく多くの人が「無駄な仕事で生きている」ということを。


本当に無駄を省いて弱者に回す資金を捻出し、底辺の人を救いたいと思うなら、覚悟が必要なのは善意溢れる水色の人達です。

彼らは少なくとも、両方の手に持つその貯蓄袋の一つくらいは、手放す必要があるでしょう。

持ち家か、子供の大学進学か、安定した老後か、そのうちのひとつくらいは諦める必要があるってことです。



「仕分けられる」のは、私であり、あなたなのです。


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<関連エントリ>

日本が次のステージに進めないワケ


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2009-12-04 戦争よりデノミ

北朝鮮がデノミを実施したと報じられています。100ウォンを新1ウォンに交換するそうです。ポイントはその「交換総額」に上限があることです。

デノミをやる国は他にもありますが、こんな交換上限をつけるのは資本主義&民主主義の国では、ありえません。北朝鮮のデノミの目的はインフレ対策ではなく、「地下マネーの無効化による、政権の優越的地位の維持」です。

隠れて脱北費用を床下に貯めていた人とか、悲惨です。密貿易で儲けたお金を賄賂として使い、一定の自由度を得ていたような人の力も一挙に削ぐことができます。なんたって交換限度額を超えるお金は全部紙切れですからね。絶対権力ってのは本当にすごい。


日本でもこんなことが可能で、「明日から今の100円を新1円とする。ただし、ひとりあたり、新円に交換できるのは“旧100万円=新1万円”まで!」と発表しちゃえるなら・・・


明日から、

ちきりんの全財産=新1万円

鳩山総理の全財産=新1万円

鳩山総理のお母様の全財産=新1万円

・・・以下略


となるわけで・・究極の格差解消策ですね。

希望はデノミ?



てか、本当にそうなると決まれば、鳩山さんは“友愛の精神”に基づいて、「わかった、俺の財産のうち100万円以上は全部、貯金が100万円未満の人に分け与える!」とか言いそうですね。

だって100万円以上もっていても誰も明日以降にそれを持ち越せないわけだし。で、すごい数の人が鳩山家の豪邸の前に列をつくる。列の整理は湯浅誠さんのとこの団体スタッフが担当。「はい、みなさん、ここが最後尾ですよ。まだ間に合います。公園の仲間の人にも声をかけてください。」ってね。抑えた声にも隠れた興奮が滲むっ。

しかもこれが配っても配っても全然なくならなくて、「すげえ、まだ配る金があるみたいだ!」とか、「さすが9億円も献金して脱税してただけのことはあるなぁ」などの感嘆の声が列のあちこちから漏れる。


ふむ。なんかいい案の気がしてきた。

まさに友愛社会。


もちろん100万を交換限度にすると反対する人がめっちゃ多そうですが、たとえば交換限度を1億円くらいにすれば、反対する人の数は極めて少なくできます。しかも彼らは数は少ないけど、額としては膨大な貯金をもっている。北朝鮮と同じように“床下”に税金を払ってないお金を貯めてる人もそれなりにいそうです。

いい案じゃん?


そして、こういう案がでると顔を真っ赤にして反対する人も出て来て、すると「誰が金持ちなのか」がわかっておもしろいかも。たとえば、森永卓郎氏あたりが大反対するとかありそうじゃないですか?

いや、彼はそんなばかじゃないですね。きっと有り金全部ミニカーに変えちゃうに違いない。

でもそれもいいよね。お金持ちが一斉に1億円を超える分を消費に回せば・・・おお!景気回復しますよ、内需拡大で成長率もかなりあがるに違いない。


どうっすかね?

そんじゃーね。

2009-12-01 考)“販売以外”の店舗価値

一昨日、店舗販売からネット販売へのシフトに伴い、実店舗は販売以外の価値の提供拠点として先鋭化するんじゃなかろーか、と書いた。

そこで今日は「販売以外の価値にはどんなものがあるか」、ちょっくら考えてみるです。


(1)買い物の楽しみの提供

何も買わなくてもショッピングは楽しい。ので、“ブラブラ商品を見てまわる楽しみ”を提供できる店は残りそう。というか、それを主目的に設計されれば、今より楽しいお店がでてきてもおかしくない。

一番わかりやすいのはドンキホーテみたいな店です。主要価値は“販売”ではなく“溜まり場の提供”“暇つぶしの場所の提供”にある。もちろん“付随機能としての販売”も行われるんですが。

百貨店ももういちど夢を売ることができれば、いくつかは残ると思う。昔の新宿伊勢丹とかそういう場所だったように記憶する。ショッピングセンターなら“子連れママのためのコミュニティの提供”を主目的に再設計すればいい。

もちろん収益はネット側(販売)であげるんだけど、“楽しい場所である実店舗”で「見た見たコレ!」というものを買って貰う。ていうか、雑貨とか点数が多すぎるので実店舗で購買意欲を刺激するのは大事なことだと思う。


(2)ショールーム店舗

いくら機能が最重要なものでも実物を見てみたい、というニーズはあるはず。パソコンなら通販でもいいけど、テレビになるとやっぱり質感も見ておこうかな、とかね。なので、ショールーム的な店舗機能は残るはず。

実は今、キッチンシンクとかトイレタリー用品ってそういう売られ方をしている。松下電工やクリナップのお店はショールームとしてキッチン設備を客に見せている。TOTOやINAXも同じように各地にショールームを持っている。けど、販売はそこではほとんど行わず、工務店やゼネコン、リフォーム屋経由で売る。

家電や家具も今後はそういう諷に"ショールーム機能”と“販売”を分離するようになるんじゃないかな。もちろん販売はネットでね。


(3)フィッティング店舗

アマゾンは靴を「いくらでも注文して、要らないのを返品してください。買った靴の分だけお金を請求します」という形で売り始めてる。(ちきりんの体験記はこちらです!) ただバリエーションが圧倒的に多い服でアレをやるのは厳しそうだ。

じゃあってことで、たとえば、平日の夜にネットで「試着してみたい衣服10着」を選んでおき、土曜日の試着日を予約しておく。で、当日“フィッティング店舗”に行くと、そこに「予約した服」がすべてそろっていて、で、2時間くらいかけていろいろ検討して、その場で買うモノだけ選ぶ、ってのは便利そうじゃない?

しかも、デパートなら「ブランド横断的」に試着したい服を一カ所に集めておいてくれたら非常によいです。必要な人は「コーディネーション・アドバイザーの予約」もしておけば、販売員がついてくれる。

店舗がどう変わるかというと、百貨店の4階から6階まではすべてフィッティングルームになる。しかも4階はレディース専用、5階は小さな子供連れの人用として、フィッティングルームも2畳くらいのものにし、子供も一緒に個別ルームに入れるようにすると、お母さんは圧倒的に行きやすくなる。もちろん同じ階には喫茶店やレストランも置く。

で、フィッティング店舗は売上げの一定比率をメーカーから受け取る。

もちろん客が選んだ“試着したい服”にあわせて「この服を試着したお客様は、この鞄もお求めです」という例のアマゾン方式で、「余分な買い物品」もフィッティングルームに用意しておく。コーディネーションして“ついで買い”する人もいそう。


(4)非標準商品(サービス)へのアドバイザリー店舗

旅行にしろ金融にしろ、標準的なサービスはネット取引に移行する。でも「個別ニーズ」は人が対応するほうが効率的。パック旅行や決まり切った注文などの定型業務がIT化すれば、人は時間が余るからもっともっと「個別に対応サービス」が提供しやすくなるはず。

これは課金方法を考える必要があるけどね。(考えはあるのですが、長くなるのでまたそのうち)


(5)バックヤードとしての店舗

ちきりんが利用する駅前のスーパーマーケット。今までも宅配サービスはあった(買ったものを預けると当日か翌日に配達してくれる)のだけど、今はそれに加えて「ネット通販」も始めてる。その日の朝10時までに注文すれば午後に届くので超便利。

この利用が多くなると、スーパーマーケットの店舗はアマゾンの倉庫のように、バックヤード、もしくは、配送拠点としての店舗になる。もちろん現地で買う人もいるけど、売上の大半はネット通販注文からあがってくる。

各スーパーは、自分のスーパーから半径数キロのエリアだけをネット販売の対象とするので、注文をうけたら店員が袋に商品をいれてそれを軽トラックに載せる。軽トラックは30分事に近隣の配達に回る。ネット販売というよりほとんど“買い物代行業”ですね。

スーパーって夕食前の数時間だけが突出して混むんです。だから昼間の暇な時間の活用として、この“買い物代行業的”ネット通販スーパーは設備&人件費効率のためにもいい。ただ、今はほとんど手数料をとってないので大赤字なサービスだと思う。むしろ「これで食べていく」という“本気のビジネス構築”が必要だとは思います。


(7)取り次ぎ店舗

たとえば、時計の電池交換、靴の修理、クリーニング、住民票の請求など、すべてネットで見積もり、予約をして、“窓口で預けたり、受け取る”という方式になりそう。すると、この“取り次ぎ代行業的店舗”てのが現われるのではないか、という気もする。

最近でてきている“ミールデリバリー”(電話やネットで申し込むと食事が届けられる)も、家まで運ぶのもアリだが、この拠点で受け取る方式もできそう。もちろん、家(マンション)に宅配ボックスがない人の“荷物受け取り代行”も行う。


(8)自分がいく必要のある店舗

歯医者、美容院、ネイルアート、スポーツジム、レストランやカフェ、居酒屋などは店舗として残るよね。それでも予約はすべてネット(携帯からの予約含む)になりそうだけど。


というわけで、“販売”という主目的がなくなっても、店舗はそれなりに存在しえる。というか、むしろ“販売”という圧倒的に大きな(安直な)目的がなくなる方が、それぞれが厳しく存在価値を問われて、より素敵な場所になっていく可能性もあるんじゃないかな。

もちろん、顧客のニーズを把握した上で“販売以外の付加目的”を明確に定義でき、それを提供できる店舗だけが残っていくんだろうけど。


大きく言えば、今までは

「実店舗での販売をサポートするネット」だったのが、

「ネット販売をサポートするための実店舗」になっていくっていうかね。


ちきりんですらこれだけ思いつくんだから、実際にはもっとクリエィティブな実店舗がでてくると思う。


楽しみだよね。


そんじゃーね


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