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Chikirinの日記 RSSフィード

2010-01-30 ココロを揺さぶる旅の記録 Part 2

大好評(?)のPart1に引き続き、心を揺さぶる旅の記録 Part2です。

ちきりんお勧めの旅の目的地、二カ所目はイースター島です。

ラパ・ヌイ島(先住民の言葉で大きい島の意、Rapa Nui)、もしくは、スペイン語でパスクワ島(Isla de Pascua=復活祭の島→イースター島)とも呼びます。チリ領です。


ここもすばらしい場所でした。「地球の表面に立っている」ことを意識できる島です。

地球の表面には海が拡がっていて、その大海原の真ん中に小さな土地(島)がある。そこに自分は立っている。平地なので海からの風が直接的に吹き抜けていきます。地球の表面を流れる風です。建物などがほとんどないのでその風を直接的に体に受けます。すると「地球の表面に立っている」と意識させられる。

大陸の国はもちろん、日本列島も大きすぎて地球なんて感じられませんよね。でもイースター島では実感させられます。「私は今、地球の上に立っている!」と。下記の写真にあるように、地表と海はすぐそこでつながっているから。

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そして、そこにずらりと並ぶモアイの像

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海岸線に並ぶモアイ。海からの風を直接受け、荒涼感がココロに沁みる。以前はもっとたくさんのモアイ像があったが、大地震と津波のため海にたくさん沈んでいるそう。この海に潜れば、そこには多くのモアイが横たわっているということ。すごい。

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本当はこういう目が入っています。モアイを造った後、最後にこの目をいれると「魂が宿る」と言われている。

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イースター島は火山島ですが、緑も豊かです。静かな島です。この空気と時間の流れ方が、写真では伝えにくい。この風景の中に立つ必要がある、と思う。

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緑に向かうモアイはまた格別な雰囲気。

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モアイの表情は、なんだかもの悲しそう。いったい何のための像なのか・・

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これがモアイの切り出し場です。横たわっているモアイが見えますよね。こうやって造るのです。

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モアイの在庫置き場。あちこちにモアイがごろごろしてます。こんなにあるもんだとは知らなんだ。

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(下の方、写真画面が乱れているのは人が写ってたのを隠したためです。)



最後に島の踊り団。観光客向けのショーとはいえ、すごい迫力でびっくりです。

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もう一回行ってみたいとは思いますが、難しいかもしれません。飛行機の着陸時からすごい風に煽られて、「今から地球の表面に着陸するんだ」と思いました。島のあちこち回るうちに、じわじわと“ここは特別な場所だ”と感じました。印象が強烈でした。元々は、モアイを見にいったんです。でも行ってみたらそこには宇宙と地球がありました。びっくりした。感動したです。


そんじゃーね。


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→→→ ココロを揺さぶる旅の記録 第三弾はこちら!

2010-01-26 辺野古への基地移転問題に思うこと

一昨日、沖縄名護市長に、名護市への基地移転反対を訴える稲嶺進氏が当選した。投票率は76.96%、負けた現職の島袋吉和氏は基地移転容認派だった。

勝った稲嶺氏は民主党、社民党などの支援を受けており、負けた島袋氏は自民党と公明党の支援を受けていた。昨年夏の衆議院選でも、沖縄の合計4区で選ばれた議員は、民主党2人,社民党1人,国民新党1人の4名で、自民党は全滅だった。

もはや地元の民意は余りに明確だ。


それでも名護市で基地移設反対派の市長が選ばれるのは、基地が争点化した過去4回の選挙で今回が初めてのことだ。今まではずっと「基地容認派」の市長が選ばれていた。だからこそ辺野古沖への移設が決定されたのだ。

なぜ、今までは容認派の市長が選ばれていたのか?


ひとつの理由は、基地の見返りとして約束されてきた膨大な「地元振興対策費」だ。地元の人がそれに踊らされたわけではない。自民党時代の地方政治はどこも同じだ。

多額の国費が大規模建造物の建設費として投下され、ゼネコンや地元の工事業者、それにまつわる“様々な”人達を潤す。彼らはその膨大な利権維持のために強固な“組織選挙”を展開する。この構図が、これまで基地容認派候補の当選を支えてきた。


“地元振興対策費”はしかし、必ずしも地元の人達を潤すわけではない。大規模な工事の間は、建設作業員の飲み食いだけでも地元の商店街や飲み屋は潤うかもしれない。しかし、そもそも市場性のない多くの建造物は、工事が終われば地元になんら経済的な利益を残さない。

後に残されるものは“基地”という地雷のようなお荷物だ。日本の警察や司法が手を出せない外国の兵隊による性犯罪、治安の悪化、騒音、事故の危険、発展性のない基地依存の地元経済。

沖縄はこういったものを、半ば宿命として受け入れながら戦後の60年余をすごしてきた。


1990年までの東西冷戦時代。日米安保は自由民主党が選んだ戦後体制の要の一つだった。日本政府は「日米安保」の錦の御旗の元に国民を欺くこともなんら厭わず(いわゆる“密約問題”)、「基地を受け入れずして、沖縄に未来はない」と無情な圧力をかけ続けた。

地元の人達はそれらの圧倒的な力に諦念した。圧倒的な権力である中央政府と、巨額の利権に群がる既得権益業者の前に、住民達にできることは多くなかった。


言うまでもないことだが、沖縄は日本で唯一地上戦を経験した地域だ。いつも暮らしている自分の村、その道角や丘の影から、武装した米兵が銃口を向けて自分に向かってくる図を私たちは想像できるだろうか。

地上戦というのは、B29が爆弾を降り注ぐ空襲とはまた全く風景の違った戦争だったろう。多くの証人達が語るように、しかも住民に死を選ばせたのは、必ずしも敵兵ばかりではなかった。本土の子供達は田舎に疎開していた。しかし沖縄の子供達にはその時、逃げる場所もなかったのだ。


その沖縄を日本は敗戦で手放した。日本で唯一地上戦を経験した沖縄は、米軍に占領されたまま、朝鮮やベトナムの地上戦に投入される米兵達の、最前線基地となった。

沖縄が本土復帰を果たしたのは1972年。実に敗戦から27年後。本土は既に高度成長を謳歌していた時代だ。車の通行方向が変更され、沖縄に行くのにパスポートが不要になった。“沖縄返還”は、沖縄以外の人にとって、“戦後という時代の完了”を意味した。しかし沖縄はそれからもずっと、「基地の島」として放置された。

日本政府も本土の私たちも、米軍基地の7割を抱える沖縄を「問題」として可視化できなかった。高度成長においていかれた沖縄の失業率は、常に全国平均の倍近い。つい2年前まで好景気に沸く名古屋地区の自動車工場に、片道交通費丸抱えでつれてこられた期間労働者の中には、仕事のない沖縄で採用された若者達が多く含まれていた。

長年にわたり巨額の地元振興費が注ぎ込まれていても、沖縄の若者達には、好景気に沸いていた2年前でさえ、島に残るための仕事はなかった。


基地がある限り、沖縄の戦後は終わらない。けれども基地以外の仕事は何もない。食べていかねばならない地元の人達、日米安保を絶対支持する自民党、巨額の公共資金を逃したくない既得権益のパイプ、無関心な本土の人達。それらが過去3代の基地容認派の市長を選出し、普天間基地の辺野古沖移転を決定させた。


2009年8月末、民主党・社民党・国民新党の連立政権が誕生したことで、沖縄の人達は“希望”を取り戻した。彼らの民意は常に「これ以上、新たに、沖縄に基地を作るなんてありえない」というものであったろう。

今になってまだなお「補助金をやるから新しい基地を造れ。お前にもそれが得策だ」と言い切る中央の横暴を、政権交代がなければ彼らには受け入れるしか道がなかった。


アメリカはいらついているかもしれない。でも別にこんなことで、日米関係が壊れたりはしない。アメリカは他の多くの国と、もっともっと大変なこじれた関係を抱えている。アメリカが逃したくないのは、あまりに潤沢に日本政府が払ってくれる、相当額の軍事支援費にすぎない。

今回の名護市長選が終わるまで、この件になんの結論も出さずにひっぱったのは、鳩山首相の作戦だろう。彼は危ない橋を渡ろうとしている。この問題は政権を揺るがす可能性がある。辺野古の住民は喜んでも、問題が先送りされる普天間の住民は複雑だ。

住宅地の真上を軍用機が飛び、時には学校に墜落し! なんども繰り返される地元少女らへの性犯罪に絶望しながら、普天間がこれまでに払ってきた犠牲も、それこそ目を覆いたくなるような悲惨なものだ。移転先が“ゼロベースでの再検討”に戻れば、ふたたび普天間は見通しのない未来をぶら下げられたまま“軍用機の空の下の街”であり続ける。


それでも、この時期に来て、

「まだ、今から沖縄に新しい基地を造るなんて正気なのか?」とか、

「この“環境”の時代に、世界に誇れる辺野古の海に本気で巨大なコンクリートと鉄骨をぶち込むのか?」

という、もっともベーシックな幾つかの質問に、私たちの関心を向かわせてくれるだけでも、今回の基地移転問題の議論には意味がある。


55年から続いてきた自民党政治が、ここでも終わろとしている。冷戦構造の中で日米安保を国家存立の基本とし、国民の犠牲と不満はゼネコンに巨額の税金を投下することで(選挙をゼネコンに助けてもらうことにより)押さえ込む。

こういう仕組みが昔の日本にはあったのだ、と、私たちは次の世代に過去形で語ることができるだろうか。


潜りにいくだけじゃなく。ちょっとは関心をもってみようと。そう思えたニュースだった。


そんじゃーね。



   

2010-01-23 裁判員制度の意義

昨夏に始まった裁判員制度。熱狂報道もようやく一段落しましたね。一般市民が重要犯罪の裁判に参加するこの制度を、次の3つの理由により、ちきりんは高く評価しています。


(1)司法判断に多様な価値観が反映できる

日本で職業裁判官制度への支持が厚い背景には、「国民の大半が同じ価値観を共有している。だからみんなで話し合って決める意義は小さく、知識と経験のある職業裁判官が代表して裁けばよい」という前提があるからでしょう。

しかし今や日本人の価値感も相当に多様化しており、それらの“多様な考え”を判決や量刑に反映することには大きな意義があります。

たとえば、年老いた病気の妻を何年も介護し、その生活に疲れた夫が妻を殺害したというような事件に関して、有罪か無罪か、どの程度の量刑が適切か、という意見は人によって違います。

裁判官になるような人は、その多くが似通った環境で育っています。「老老介護の現実」について思い浮かべることも、裁判官と一般市民では大きく異なるかもしれません。そうであれば、多くの人の考え方を反映した判断がくだされることの意義は小さくないはずです。


ちなみにアメリカでは、有罪か無罪かのみを陪審員が決めるのですが、彼らから見れば職業裁判官に総てを委ねるなんて“ありえないくらい不公正な裁判制度”に見えるでしょう。

被告が黒人やヒスパニック、犯罪被害者が白人の場合、白人の裁判官に裁かれると聞いただけで「そんな不公正な裁判では勝てるはずがない」と考える人もいます。人種差別云々の話だけではなく、価値観や人生において“見知ってきたこと”が大きく違うと考えるからです。


正義とは天から降ってくるものではありません。「誰か自分達より優れた人」が決めてくれるものでもないのです。その時代に、その社会に生きている人達がみんなで、「今のこの時代において、何が正しいとされるべきなのか」という価値感を形成するのです。

社会における価値感がますます多様化しつつある今、こういった制度を導入したことの意義を、ちきりんは高く評価しています。


(2)司法プロセスの質の向上が見込める

今まで検察官や弁護士は裁判において「いかに裁判官を説得するか」を競ってきました。検察官と裁判官、さらに弁護士は元々は同じ試験勉強をし、一緒に研修を受けた仲間です。過去の経歴も似通っています。

しかしながら裁判員制度になると、検察官は裁判官に加えて、“多様な一般市民”をも説得する必要がでてきます。

「自分のよく知っている人達」を説得するのと、「よく知らない、毎回違う、いろんな人達」を説得するのと、どっちが大変ですか?どちらが「より周到な準備」が必要でしょう?

当然、後者の方が難しいし、準備も大変ですよね。“あうん”の通じる部分が小さくなり、誰にもわかりやすい、世間で通用するロジックで資料を用意しなければ主張が通らなくなります。

裁判員制度について「プロの仕事の、市民への丸投げだ」という批判も聞くのですが、今回、司法関係者の仕事が(丸投げで)楽になったりしているわけがありません。寧ろ、その準備は格段に大変になったはずです。


今回の制度の導入で、検察側も弁護側も「仲間内だけで通じる論理と証拠」では公判ができなくなりました。彼らは「一般の人達は、どういうふうにモノを考え、なにを正しいと思うのか」を考えるようになります。「一般市民を理解する」ことが、職業司法人に求められるようになるのです。それってすばらしいことですよね。


(3)市民が国の運営に参加することに意義がある

上記は「プロ側が一般市民にたいする理解を深める」というメリットですが、反対に「一般市民が公権力や国の仕組みへの理解を深める」というメリットもあります。

裁判官や検察官が狭い世界で生きているように、一般の人だってごくごく狭い世界で生きています。裁判に参加することにより、私たちもまた広い世界を知ることになるし、その多様な人達のいる社会がどう運営されるべきか、考えを深めることができるでしょう。


死刑制度の存廃、脳死からの移植制度や少年法の在り方、責任能力の問題など司法に関することだけではなく、社会福祉の在り方やコミュニティの問題など、裁判をひとつでも体験し衝撃的な社会の現実を目にすると、人の考えは大きく変わります。

「自分とは全く異なる意見の人がいる」「自分には理解できない世界の人達がいる」と知ることの意義は、誰にとってもとてつもなく大きいはずです。


また、公権力がどういった力を持っているのか、について知ることも大事です。ちきりんは、司法だけでなく立法(国会)や行政(官僚組織)についても、国民がそれぞれ1週間ずつでも経験できる制度があればいいのにと思います。

参加する私たち市民には、社会制度への問題意識、社会を作っていく事への連帯感や責任感が醸成されるでしょうし、同時に、常に一般人に見られることになる公権力側にも確実にいい影響があると思います。



素人判断は危険という人もいますが、玄人の裁判官がやってきて、あれだけの冤罪があるのです。

裁判員を経験した人は、「人を裁くことが怖い」「本当にあれで正しかったのか今でも悩む」と取材に答えていました。まさにそういう感覚を持っている人こそが、人を裁くプロセスに参加すべきなのです。

万が一にもちきりんが被告席に立つことがあるなら、「人を裁くことの重さを、痛いほどに意識している一般の人」にぜひ裁判に参加して欲しいと思います。


もちろん、新しい制度ですから細部には改善が必要な点も多いでしょう。ちきりんは“細部まですべて完璧でないかぎり、一切始めないほうがいい”とは全く思っていません。新しいモノを創るプロセスとは、未完成なモノを継続的に改善していくプロセスなのです。

新しいことは、ある程度考えたら、後は実際にやりつつバグ出しをして直していけばいい。患者の命がかかっている外科手術でさえ、長い期間そういうプロセスを経て、現代の医学技術として確立されてきたのです。

裁判員制度が、今後も少しずつ改善され、日本社会に定着していくことを心から期待しています。


そんじゃーね。


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裁判員制度サイト

http://www.saibanin.courts.go.jp/


これ一冊で裁判員制度がわかる

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激論!「裁判員」問題 (朝日新書)

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2010-01-21 ニッポンの翼 5年後の破綻に向けて!

JALが 19日に再生法を申請しました。

日本航空の扱いについては、

1.破綻処理

2.更生法申請

3.私的整理

という3つの選択肢があったのですが、このうち 2番目の方法をとったことは、「よくやった」ともいえますし、「やっぱ破綻処理は無理なのね」とも思えます。


3の私的整理に持ち込もうとした“大株主かつ大口債権者”のメガバンクや既得権益者の粘り腰に屈せず“法的整理”としての 2の選択肢を選んだことには大きな意義があります。

この点についてはあるべき論と道理にこだわり続けた再生機構や公的金融機関(=元財務省筋)の英断に敬意を表します。

また、政権交代がなければこれは実現していなかったとも思われ、この点についても一定の評価をしたいと思います。


一方で破綻処理ができないのは「大きすぎて潰せない」問題が繰り返されるという意味で「これでいいのか?」感が残りますよね。

たとえば ANAの立場から見れば、ライバル会社がいきなり債務をチャラしてもらい、税金という補助金まで得てライバルとして甦るなど、受け入れがたい事態でしょう。これでは民業圧迫以外の何者でもありません。

ANAの経営陣のオフレコ発言として「JALの人材も機材も要らない。欲しいのは発着枠だけ」という本音が聞こえるのは、飛行機会社の競争力の源が結局はそこにあることを端的に表しています。


企業の再生にはふたつの改善が必要です。

ひとつがトップラインの改善、もうひとつがボトムラインの改善です。トップラインとは売上、ボトムラインとは利益を意味します。企業再生にはこのふたつが不可欠で、どちらかひとつでは成功しません。

ボトムラインの改善にはコスト削減が行われます。このコスト削減は 3の私的整理ではなく 2の法的整理を選んだことで圧倒的にやりやすくなりました。

とはいえ売上の上がらない中でのコスト削減では、企業は縮小しゆっくりと“消滅”に向かうだけです。


再生後の JALの目標絵図にはどのようなものがあるのでしょう?

JALが LCCみたいになろうとするとも思えないので、結局は今までと同じような= ANA とも同じような日本のフラッグシップ・エアラインとして再興することを目指すのでしょうか?

だとしたら ANA にとってはホントに災難だなと。急に需要が増える、燃料コストが大幅に下がる(円高も含め)など、神風でも吹かない限り、またどっちかが赤字になりそうな気もしますけどね。

果たして次に破綻するのは(またもや) JALなのか、それとも ANAなのか?


そんではね


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2010-01-18 “検察が逮捕したい人”一覧

検察が極めて恣意的に“逮捕したい人を逮捕する”ことに、多くの人が気づき始めています。

新聞やテレビなどのマスコミは“検察の広報部隊”と化しているので、この点についてネットメディアの意義は非常に大きいと言えます。


今日は“検察が逮捕したがる人の類型”をまとめておきます。



類型1:内部告発者、裏切り者

一時は自分達の仲間だったのに、内部告発しようなどという“ええ格好しい”はとりあえず逮捕。特にマスコミの取材をうけようなんてありえないので、速攻逮捕です。


例:三井環元大阪高等検察庁公安部長

平成14年に、検察内部での不正資金流用等について内部告発。

この件について、ジャーナリストの鳥越俊太郎氏とのインタビューが予定されていた。が、その予定時刻の数時間前に急遽、全然関係ない(超微罪)で別件逮捕される。

これにはマスコミも皆震え上がり、その後の報道はぴたりと止まった。 

自分が勤めていた外務省の内幕を赤裸々に暴露し、背任容疑や偽計業務妨害容疑で逮捕された佐藤優氏もこのカテゴリー。


検察の大罪 裏金隠しが生んだ政権との黒い癒着

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国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて (新潮文庫)

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類型2:成り上がり

日本で一番偉くて最も尊敬されるべきは、東大をでて司法試験や公務員試験に合格した自分達であって、たかが民間で働いているような者や、“起業家”などという試験も受けずになれる卑しい職業の者では決してない。

彼等が経済的に成功したことでこの点を勘違いし、いい気になったり、目立ち始めた場合は、遠慮無く逮捕して、その辺のことについてきちんと教える。


例:ホリエモン、江副浩正、折口雅博


徹底抗戦 (集英社文庫)

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リクルート事件・江副浩正の真実 (中公新書ラクレ)

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類型3:官僚組織の敵

政治家を官僚組織の上に位置づけようとするような不埒な輩は、逮捕に追い込むのが基本。上記同様、「司法試験も公務員試験も通ってない奴」が自分達の上に立とうと考えるなど言語道断。


例:田中角栄、鈴木宗男、小沢一郎


汚名-検察に人生を奪われた男の告白 (講談社+α文庫)

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悪党―小沢一郎に仕えて

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類型4:反保守主義者

基本的に官僚、検察は自民党支持なので、日本の保守を貫く自民党に反対する左の団体、市民団体などは、邪魔になった時点で逮捕する。主に公安部門が担当。


例:自民党の政策であるイラク派兵に関して、自衛隊の宿舎のポストに反戦ビラを配った“市民団体”の人を逮捕。(参考エントリ:法治国家。なのか


公安警察の手口 (ちくま新書)

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類型5:逮捕しやすい人

大きな事件で世間の注目が集まっている場合や、責任が行政にある場合、法の不備、捜査ミスで犯人が逮捕できない場合などは、とりあえず「その周辺にいる、逮捕しやすい人を逮捕」して検挙率をあげるのが基本中の基本。

被差別地域の人や外国人(主要国以外の人)、微罪の前科のある人、定職についていない人などは、“マスコミが煽りやすく民意が得やすい”ので特に逮捕されやすい。


例:

・冤罪事件多数

冤罪 ある日、私は犯人にされた

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東電OL殺人事件 (新潮文庫)

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累犯障害者 (新潮文庫)

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以上



該当する人は気をつけてください。

特にビジネスが一定規模以上に成功した企業家の方は、検察や警察OBをコンプライアンス担当や法律顧問として年収3000万円くらいで雇用するのが得策です。“恣意的逮捕特権・未然防止保険料”としてはけっして高くはないはず。


この国の“最高権力”は本当にヤバイです。


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んじゃ。



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2010-01-16 ココロを揺さぶる旅の記録 Part 1

ご存じのとおり(かどうか)、私はあちこち旅行に行ってるのですが、その中には「ここは、人生観が変わるよね」と思った場所がいくつかあります。

そういうインパクトのある場所を、一つずつ紹介してみようと思います。言葉より写真の方がいいですよね。

ということで、今日はケニアにサファリに行った時の記録を。

私と同行者のカメラで撮ったものです。こういう光景が数メートルから 20メートルくらいのところで本当に見られます。


青い空の下のキリンの群れ。ダリの絵のよう

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動物がどれも綺麗でびっくりした。キリンはシマウマと一緒にいることが多い。

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シマウマもなにげに群れでいっぱいいる。おとなしい動物でも、こういう風景が目の前に現われると、最初はそれだけでちょっと緊張する。

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象の群れ

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正面に向かってくるとちょっと怖い。

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サバンナの茂みのキリン

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でも、なんといっても衝撃的だったのはこちら。キリンを食べるメスライオン。しかもこれ、ほんの数メートル先で、だったんです。

足の部分の肉を“手羽肉”を食べる時みたいに口でツイィーと引っ張ってました。すごい迫力だった。一時間以上かけて食べ尽くしていきます。木陰でハイエナがたくさん(ライオン達が食べ終えて去っていくのを)待っています。

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上下の写真を比べて見みてください。上と違って下ではキリンの模様が判別不能となっており、かなり食べ進んだことがわかります。

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そしてこちらは、食べられている仲間を遠くから眺める別のキリン。つらそうだ。

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満腹のライオンはほとんど寝そべっている。

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ライオンよりチータの方が圧倒的にかっこいい。

こんな“絵はがき”みたいな光景が目前にあると、緊張で言葉がでてこない。

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疾走してるところを撮るのは難しく・・

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オリックスというらしい。凛としたかっこよさ。

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サイ

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ほぼ総ての肉食動物に狙われている可哀想なインパラ

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“バルーンサファリ”と言って、気球にのってサファリができるんですが、緑の大地の上に浮かびあがり、空から地球とその生き物たちを見る。もう最高です。

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斜め上から見るキリン

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空から見ると象はネズミと似てる。

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ロッジからの風景

サファリは早朝と夕方なので、昼間はひたすらロッジでこういう風景を見ながら、ビール飲んだりだべったり本を読んだりしてるわけです。

食事は美味しいですが、電気の利用や水には制限があります。


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こういうところで本もパソコンも持たずに日長ぼーっと景色の移り変わりだけを眺めていると人生観が変わります。

世の中のほとんどのことはどうでもいいことだと。毎日“生きるために食べる”というのが人間も含め動物にとっての生きるってことなんだよなと。


早朝

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昼間

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まさに沈まぬ太陽

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行きたくなりました?

遠いし、それなりの費用がかかるのが難ですが、アフリカのサファリはさすがに感動します。

“動物が主役の世界に、人間が脇役として入れてもらっている”場所なんですよね。あと、空間の広がりが“地球“を感じさせてくれる。

ちきりんも是非もう一度行きたいと思っています。


そんじゃーね。


→→→ ココロを揺さぶる旅の記録 第二弾


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2010-01-13 JAL年金の変更決議が示すこと

今日の日経朝刊の一面トップ記事は、JALの企業年金制度の改正案(減額案)が賛成多数に必要な3分の2を集めた、という話だった。

やっとこさ賛意を得たのは、「既に退職しているOBが今後貰う年金は3割減、まだJALで働いている現役社員が将来貰う年金は5割以上の減になる」という案だ。

現役社員はまだこれから稼げる立場とはいえ、削減率はOBより2割も多い。既に“高給”正社員として定年まで勤め上げ、一部退職金も受け取り済みのOBに比べ、現役社員には今後、リストラ、賞与減、退職金減が待っている。持ち株会の株式は紙切れだし、年金額の半減は厳しいだろう。


にもかかわらず、現役社員の方は、今月4日には早々と減額案賛成数が3分の2を超えていた。そして先週末に減額賛成数は9割を超えた。活発な組合員もいるJALとしては驚くほどの団結力といえる。

理由は明確だ。現役社員にとっては、将来の年金なんかより「今、自分の働いている会社が潰れるか潰れないか」の方が重要だ。年金減額に賛成することによって倒産が回避できるなら、その方が余程マシと彼らは考える。だって厳密に言えば、法的整理では雇用契約だって破棄されかねない。そうなったら彼らは年金どころか雇用を失いかねない。


ところがOB側の意思は対照的だった。昨日まで減額議決に必要な3分の2の賛成(票数で5957人)は集まっていなかった。先週土曜日の9日に、賛成は約4000人と変更成立までまだ1900人もの票が必要、という状態だったのだ。

ところが、この連休中に事態は急展開した。政府と主要銀行(株主でもある)が法的整理をほぼ決断と報じられたからだ。もしも減額合意が成立しないままに法的整理となれば、おそらく減額幅はOBも含め6割以上になる。そのため、ここに来てOBの人達はいきなり態度を変えた。「それよりは自主減額の方がまだましだ」と思ったのだ。

で、連休後半の二日間で1900人が動き、週明けの12日午後に賛成数は5991人に急増。削減に必要な5957人を34人上回った。ただ、それでもまだ現役社員側の賛成率とは、かけ離れた賛成率だ。



・・・このふたつのグループの“投票行動の違い”が意味するところは、いったい何か?


結局のところJALのOBにとっては、JALが潰れるかどうかなんてどうでもいいってことだ。彼等にとって大事なのは、JALではなく自分達の年金だから。

それはあくまでJALの存続を第一に希望する現役社員とは全く違う考え方だ。今回はっきりしたのは、まさにこの“違い”だ。


そしてこれにより、もしも日本の財政がJAL同様に破綻しそうになった時、「既に年金を貰う側になっている人」がどういう判断をし、選挙でどういう投票行動をするかも、よーくわかった。

彼等はJALのOBと同じように考えるのだろう。「日本国なんてどうなってもいい。俺の年金さえ払ってもらえれば」と。


現役世代の人は、「将来の年金じゃなくて、今、国が破綻しないことの方が大事だろ!? 年金減額や財政緊縮に賛成してよ!」と叫ぶのだが、年金をもらっているOB達は聞く耳を持たない。「若いモンで借りられるだけ借りて、年金は払ってくれよ」と言い続けるのだ。

そして選挙では「どんなに将来の財政負担が増えても、高齢者の年金だけは減額しません!」という公約を掲げる政党に票を投じる。

人間というのは、何はともあれ「自分が優先」であり、国のためとか、自分が今まで40年も働いてきて、育てて貰って、お世話になった会社(JAL)や国のためとか、かわいい後輩や孫のためとか、そーゆーのでは結局ナイんだな、ということ。“将来が大事な人”と、“今が(今さえ)よければいい人”ってこれだけ投票行動が違うもんなんだなと。それが今回クリアに見えたかな〜と思えた。


今回のJAL破綻は、日本の財政破綻の日の縮図かもしれない。テレビや新聞のニュースを興味深く追いながら、この巨大な日の丸飛行機が墜ちていく姿を傍観している私やあなたの視線は、将来の“その日”、この巨大な日の丸国家が墜ちていく姿を緊張しながら見守る、世界の、そしてアジアの人達の視線ときっと同じだ。




重要)おちゃらけですので、真に受けないようにしてください。

2010-01-11 最初から世界へ

私がこのブログを書いている“はてな”というウエブサービスの会社が、日本だけでなく、世界で使えるサービス、“うごメモはてな”を始めたと聞いて思ったことを書いておきます。

私は使ってないので詳細はわかりませんが、任天堂 DSi とコラボした“ぱらぱら漫画的”な作品を作成、投稿 & 共有できるサービスのようです。

サイトを見ると、国や言語が選べるようになってます。事業としてどれくらい可能性があるのかは知りませんが、この「早い段階から世界でリリース」という方法には、大きな意味があります。


2年前、私は下記ふたつのエントリにおいて、日本企業の

「まずは日本市場で発売して成功し、市場が成熟した後で世界に打ってでる」

という“二段階商品リリース方式”もしくは“ツーステップ方式”について、それではこれからは成功しない、と書きました。


・長期的視野をもった経営?(けーたいガラパゴスについて)

・ツーステップ方式の限界 (日本企業の商品企画について)


さすがに最近は日本も人口が減り始めたため、日本企業の多くが世界市場を視野に入れ始めました。

これは「日本市場が伸びないから、海外市場へ!」というツーステップ方式の思考なのですが、そのうち彼らも、ワンステップ方式で市場を捉え始めるんじゃないでしょうか。


もちろん、誰しも長らく慣れ親しんだ思考から逃れるのは簡単ではありません。特に、その方法で過去に大成功を収めてきた大企業にとっては尚更です。

何十年もツーステップ方式でやってきた大企業では、「海外部門」と「国内部門」のように、内外の市場を担当する部門が組織的に分断されており、英語のできる人だけが海外部門に配属されるなど、

人事的にも組織的にも「日本市場を担当する人」と「海外を担当する人」が分離されてたりさえするからです。

そんな組織では「最初から世界を見据えて」という思考には到底ならず、どうしても「まずは日本。後から海外へ」というツーステップ方式になってしまいます。


なので、はてなのようなベンチャー企業が、開発まもない新商品(サービス)を“世界でほぼ同時にリリースする”ことには大きな意味がある。

なぜなら一度こういう体験をすると、その後は開発者もマーケティング担当者も、次の商品やサービスを開発する際に、「これは海外ではどうだろう?」と自然に世界を見据えた発想をするようになるからです。


世界で受け入れられる商品やサービスを開発できるかどうかは、そういう思考方法を“自然なものとして”組織に定着させられるかどうかが勝負なんだよね。


この「最初から世界を考えるか?」もしくは「後から、日本市場とは別のものとして海外市場を考えるか」というのは、日本企業と世界企業の大きな差です。

はてなの場合は、任天堂という、まさに「ワンステップ方式」で世界市場を捉えてきた企業と、京都という立地を共有しており、上手くコラボできたのが幸運だったのでしょう。


ツーステップ方式とワンステップ方式の違いをもう少し具体的に考えて見ましょう。

たとえば楽天は今、NYやアジアに住む日本人に対して「海外からでも、楽天サイトを通し、何でも日本からお取り寄せ(お買い物)できますよ」というビジネスを始めています。

悪くはないのですが、これって「アメリカのアジア系スーパーマーケットで日本人駐在員と日本人留学生向けに“一番絞り”を売る」のと同じです。

世界で商売しているように見えて、結局は日本人相手に商売しているだけ。日本の銀行の海外支店も全く同じで、海外に進出した日本企業ばかりを相手に仕事をしています。


一方、もし楽天がもっと早くからワンステップ思考で考えていたら、「楽天市場で買える商品の一部は沖縄のお店から届けられ、あるものは福井県のメーカーから届けられ、でも“本格四川ラーメン”を頼んだら、本当に中国の四川省から届く」みたいな感じになったかもしれません。

また、もっと早くから取り組んでいれば、物流企業と組み、ソウルや上海、台北市内なら翌日配達!くらいのロジスティックスだって、確立できたかもしれません。

そうなれば上海の富裕層が日常的に楽天で買い物をしていて、その商品の一部は四国から届けられてるけど、一部は香港から届いてる、みたいになったはずなんです。


今、楽天は自社の海外進出にも取り組んでいますが、同時に、日本市場におけるアマゾンの攻勢に慌てふためいてもいます。

ちきりん的にはこのビジネスバトルは非常に興味深いです。アマゾンは典型的な「ワンステップ方式」の会社だから。

楽天はツーステップ思考で、「日本ではもう楽天市場が十分にいきわたったから、さて海外へ」と考えていました。

そしてようやく「そろそろ世界へ」と思い始めたタイミングで、本丸の日本市場に「世界全体でショッピングサイトのデファクトになります」というアマゾンが背中から追撃を始めてきた。

楽天の築き上げた事業にはそれなりの蓄積もあり、簡単にアマゾンにやられてしまうとは思いません。

しかし、いつまでも「日本の会社」であり続けたら、「世界の会社」とは、そのうち戦えなくなります。


「世界の会社」は、圧倒的に多様な消費者に鍛えられ、圧倒的に多様なタレント(才能)によって経営されています。

アマゾンが日本市場に出てきた時、学者や研究機関のスタッフなど、「高価な書籍のヘビー購入者」の一部は、その時点で既に米国アマゾンの利用実績がありました。

彼らはアマゾンが日本でサービスを始めた段階で、そのブランドへの信頼感と使い勝手の慣れをもっていたのです。

これでは、あとから日本で本を売り始めたネットブックストアが太刀打ちできるはずもありません。ハイエンドな消費者の嗜好を、最初から押さえられているのですから。


こうして消費者が国境を越えてつながっていくのに、企業側が売る国を限定して商品やサービスを開発していては、とてもついていけなくなるでしょう。

しかも、“消費者の国境を越えたつながり”は今後ますます強くなります。

携帯サイトで洋服や靴・鞄を購入する若い女性は、そのサイトが(見た目が日本語でさえあれば)香港企業のサイトであってもイタリア企業のサイトであっても全く気にしないでしょう。


「最初から世界を考えるか?」というのは、日本企業と世界企業の大きな差でした。でも大企業が、この姿勢転換をするのは大変なことなんです。

だから私は、これからでてくるベンチャー企業に、より早い段階から(ちょっと早すぎるよね、と思えるような段階から)世界、アジアの市場で同時進行で事業を遂行してほしいよねって思ってます。


もはや世界市場とは「日本市場で成功してから出て行く市場」ではありません。「その企業が成功できるかどうかを決める市場」なのです。


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そんじゃーね


http://d.hatena.ne.jp/Chikirin+personal/  http://d.hatena.ne.jp/Chikirin+shop/

2010-01-10 休日のワンプレートランチ

休日のランチ(たいていは朝昼兼用のブランチ)は、残り物、買い置きもの、冷凍しておいた総菜を組み合わせてなんらか“食べられるもの”を作ります。さくっと10分ほどでできるものばかりです。


ご飯にキャベツとミンチの煮込み、ほうれん草のバター炒めを添えてます。

キャベツとミンチの煮込みは以前ロールキャベツを作った時に残った材料を(ロールキャベツの鍋の隙間で)適当に煮てあったものを冷凍してました。それとご飯を解凍してる間に、ほうれん草を塩こしょうとバターで炒めます。ワンプレートランチは、最低色合いだけ考えて組み合わせるようにしとります。

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次も完全に余り物でつくった丼ご飯です・・もやしとお肉を焼き肉のたれでササッと炒めたもの。カボチャは以前丸ごとを買って切ろうとして(固くて力を入れすぎて)指を切った記憶がトラウマになっているため、スライスしたのを買います。で、さっと水にさらしてレンジでチンするだけ。

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こちらはチキンの照り焼きにキャベツのスープ煮。キャベツのスープはいつも大量に作って冷蔵庫に保存してます。夜遅くにおなかが空いた時に(太りにくくて)よいので。この時は他に野菜がなかったので、そのスープの具だけ取り出して照り焼きに添えました。

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“トマト卵どんぶり”です。ニンニクと塩、砂糖などで味付けしてて、甘すっぱい味になります。トマトと卵をささっと炒めるだけなので5分でできます。カッカッカッとかき込んで食べます。

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これは鳥の手羽元に牛肉を混ぜて炒めているという無茶な一品。生野菜が余っていたのでサラダ添えにしてようやくバランスがとれました。味はナンプラーで仕上げ、パクチーを上にのせてベトナム諷の味付けです。

鶏肉も牛肉もいったん炒めて冷凍してあったのを、サラダを作っている間に解凍して混ぜたものです。その際に味付けしなおします。いつも余った食材は下味だけつけ半調理して冷凍しています。

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どれもちゃんとしたお料理とは言い難いのですが、そこそこ美味しく頂いております。


私が今もしも18才だったら「将来はカフェを開きたい!」とか言いだし、そういう専門学校を目指していたかもしれません。


あーよかった。

今18才じゃなくて (?)



そんじゃーね!

2010-01-07 日本の未来は明るいよ

ここ数日、暗い見通しのエントリばかり書いていて、これじゃあ読者の皆さんに「ちきりんは日本の将来に悲観的らしい」と誤解されると困るので、書いておくです。


結論 = ちきりんは日本の将来に楽観的です。


なんで日本の未来が明るいと思うか。


理由その1:日本には“ユニークバリュー”があるですよ。

ちきりんは個人的な趣味嗜好の問題として、この“あり得ないほど住みやすい日本”が大好きなんですが (→ 日本大好きなんで) 個人の好みの話はとりあえずおいといても、


日本てのはすごく“価値がある”国なんです。なぜなら、この国はいろんな面で“とても特殊”だからです。

ビジネスをやっている人ならわかると思いますが、価値の源泉は“他と違う”ということにあるんです。

“他と違うこと”を、マーケティング用語では“差別化要因”とか“ユニークバリュー”と言います。“他と同じ”で“あんなのどこにでもあるよね”では、全然だめなんです。他者と決定的に違う何かをもっていれば、必ず世界にはそれを“好ましい価値である”と感じる人がいます。

売春婦だって“スレンダー”でも“でぶっちょ”でもどっちでもいいんです。他と圧倒的に違えば“熱狂的なファン”がつきます。特徴のない、どこにでもある(他と同じ)モノというのが一番、商品性が低いのです。


ご存じのように“日本だけが世界で異質”という面はたくさんあり、それは“日本が世界に売り込めるユニークな価値を多く持っている”ということです。

ただ、日本はマネタイズが超下手クソなんです。

いろんな“他と違うユニークな点”をビジネス化して経済成長につなげることは全くできておらず“変わった国ニッポン”を自虐的、内輪的に楽しんでいるだけ。「めっちゃユニークですごい数のアクセスがあるのに、何のマネタイズも行われてなくて、それ系の趣味人だけが楽しんでるサイト」、みたいな国です。

でもね、ユニークバリューも差別化要因もない、つまり何の価値もないのにSEO対策とかマネタイズの工夫ばっかりやってるサイトより、今のところ全くお金になってないけど、「こんなサイトは他にはない」というサイトの方がよほど将来性があるでしょ。

日本に足りないのは“本源的な価値”ではなく、それを戦略的に事業化して“マネタイズする人”なんです。



理由2:若者が昔に比べて優秀になってるよ。

で、その“マネタイズする人”、国全体でいえば“国家戦略のリーダー”とか企業で言えば“経営トップ”が“あほんだらあ”だから、現状としては全然だめだめなわけですね。

でも実は今の20代の人達は、ちきりんが思うに20〜30年前の20代の人達よりはかなり優秀だと思います。遺伝子や知能指数が変わったとは思いませんが、社会的な意味で、生きる姿勢とか、社会にでるということについての考えとか、行動力とか英語力とか視野の広さとか、いろんな意味で、今の若者は昔の若者よりずいぶんまともですよ。

自分が大学生だった時と今の大学生を比べたり、当時の同級生と今の大学生を比べると、そう痛感します。昔は大学は文字通り“レジャーランド”だったけど、今の学生は勉強もするし、留学したり語学を磨き、他大学や外国の学生と交流したり、イベントやったり、ボランティアしたり、起業もしてみたり、社会とも絡んだり・・・ほんと、よくやってるよね、と思います。

というわけで、今の日本が“だめだめ”なのは、これまで日本を率いてきた今の中高年からシニア層が“アカンかったから”であって、多分これからはかなりマシになるですよ!


ただ、中高年以上の人達は“さすが年の功”で、いろんなことに巧みだよね。だから現状では若者はなかなか活躍させてもらえてない。彼ら(我々?)“昔の若者”は、可能性のある若い人を潰す技にも長けているし、若者が世界を変えようするなら、なんとしても、全力で変革を阻止するだすよ!という覚悟もある。

まあ、どうやって主導権を獲得していくのかは、若い人で考えてくださいな。がんばってね。(ただし革命とか起こすんだったら、ちきりんだけは見逃してね。これだけ褒めてあげてるんだから、その辺のとこヨロシク)



理由3:世界の中心に近くなる!

何度も書いてるように、ちきりんはこれからは世界の中心が“西欧”から“アジア”地域に変わると思ってる。これは日本にとっては非常に有利です。なぜなら、世界の中心が“ぐっと近くなる”から。

もしも今、今後の世界の成長センターがアジアではなく南米大陸やアフリカ大陸になってたら、日本はすごく不利ですよ。アフリカなら英&仏、南米が成長センターになってたらスペインとアメリカが圧倒的に有利だったと思います。

これまで、たとえば金融の世界ではNYとLondonが中心なわけですが、そこに行くだけでも12時間以上かかるは、会議をしようとしたら時差で真夜中に起きないといけないわ、超消耗します。

しかも他先進国の言語は基本全部同じローマ字だわ、食事もベースが同じだわ、契約概念や宗教慣行も同じでしょ。これまでって先進国の中で日本だけが地球の裏側にあって遠いし、唯一の“非西欧”でなんの文化的な共有ベースもないしと、日本だけやたら余計なコストがかかってたんです。

でも、これから世界の市場の中心が香港・広州、シンガポール、上海、デリーあたりになると、時差が少ない、移動距離が短いだけでも日本はとても有利になります。


今日ニュースで、「自動車の市場規模において、中国がアメリカを抜いて世界一になる」と報道されていたけど、そうなると欧米の自動車メーカーは「世界で最も大きな市場に出張」するだけで12時間かけてやってこなくちゃいけなくなるし、電話会議するにも時差も大きいです。一方で日本の自動車会社のトップは日帰りできちゃいます。

彼らが現地社員に中国語を覚えさせようと思ったら漢字とか意味不明だし、「げっ、縦に読むのかよ?」って感じでしょ。食事も“酢豚”とか「なんで豚肉とパイナップルなんだ?」って感じですよ。(注:これは“おちゃらけ”ブログです) 


物理的な距離だけではありません。ユニクロとZARAとGAPが世界で競争するにしても、最大の成長市場が西欧、アフリカや南米の場合と、いや中国・アジアである、という場合だと、ユニクロの有利さはいろんな意味で相当違うはずです。

文化ベースを共有していることの意義は、アジアでの日本の女性誌の人気、韓国ドラマのアジア全体でのブームなどを見ると明らかで、これは、食品、生活用品、アパレル、小売りなど様々な業界において競争上優位に働くでしょう。

というわけで、これが3点目の理由。世界のビジネス(市場)の中心が、遠くて異質な西欧から、距離的、文化的に日本に近いアジアに移りつつあることは、日本にとってとても有利な要素です。



まとめると、

1.日本にはたくさんの“ユニークバリュー“があるですよ。

2.しかも、次世代のリーダー層は今までよりはかなり優秀ですよ。

3.その上、世界の有望市場が、日本の近くにやってくるですよ。

というわけで、日本の将来は超明るい!


そんじゃーねー!

2010-01-03 暗い暗い暗い一年に臨もう

鳩山首相も長妻大臣も年の瀬まで、そして正月早々から“公設派遣村”の視察に忙しそうだった。一年前の正月に自民党の総理がそんなことをしていた記憶はないから、様変わりといえば様変わりだ。

一方で正月から多数の国会議員を自宅に集めて挨拶させてた小沢氏の正月は、昔の田中角栄家の正月を彷彿とさせる。この“新旧対比”はなんとも味わい深く、政治の現実は作り物の小説を圧倒するほどおもしろい。


ところで鳩山首相の派遣村視察のニュースには“相談”という言葉がやたらでてくるのであるが、あれはいったい何を相談しているんだろう。

・そもそも紹介できる仕事もないのに“相談”ばっかりしたって、意味ないのでは?とか、

・返せる当てもない人に“貸付金”制度とかいって借金させてどうすんだろ?とか、素朴に疑問です。

求められているものは本当に“相談”窓口なのか?“貸付金”なのか?

ちきりんが見る限り、求められているのは“相談”ではなく“仕事”だし、彼らが求めているのは“貸付金”という名の“借金”ではなく、まともな“衣食住”なんじゃないかと思えるけどね。


鳩山政権の国家戦略は、GDPを10年後の2020年度までに、今の470兆円から180兆円増やして650兆円にすることらしい。(これは戦略とは呼ばないよね。目標です。)

そもそも「友愛精神に基づいた人間のための経済」とかいいつつ、何で目標値をGDPという基準でたてるのか、それがわかんない。“人間のための経済”を計る指標は、貧困率でも失業率でも出生率でもなく、やっぱりGDPだと言うわけね。母親から「あなたには友達にやさしい人になってほしいわ。じゃあ、3年後の目標は偏差値70にしましょう!」と言われてる気になるですよ。


民主党連立政権の成立から4ヶ月、はっきり見えてきたことは、この政権は“トランジション政権”だということ。自民党政権は余りに長すぎた。自民党の構築した政治システムは日本の大都市から小村までの津々浦々、国から市町村のレベルまで、企業から労組まで、体の隅々にいきわたる毛細血管のように、この国のすべての組織や団体に浸透している。

その仕組みをトコトンぶち壊し、その上で新しい仕組みを導入する必要があるのだが、その前半のプロセスに関しては、いわゆる“ぶち壊し屋”と呼ばれるひとりの男が次の参院選、統一地方選挙に向けて粛々着々と手を打っている。

問題は、その後に導入すべき“新しい仕組み”なのだが、それがどういう方式なのか、について、国民はまだ決断も判断もできていない。そして私達がそれをきちんと理解した上で主体的に選ぶためには、このトランジションの期間が実は非常に重要なのだ。


小泉・竹中氏の時代に日本は“構造改革”をやろうとした。その第二の道に国民はNOと言った。それなら第三の道とやらはトコトンそれとは異なる道にしてみるべきだ。そうして初めて私達は、本当にそっちに行きたいのかどうか、それがほんとのところどんな道なのか、さらには「そんな道が本当に存在するのか」について理解することができる。

ちきりんは「今年の一年」の間、日本がずっと下降線をたどることになっても、それはそれでいいと思っている。人々が支出を抑え、デフレスパイラルがますます明らかになり、税収はより落ちこんで、雇用も全く上向かず、ホームレスと新卒無業者が再度大量発生し、生活保護数が今の倍になり、加えて企業がアジアに逃げ出しはじめて・・・というようなことが起こっても、それは日本の将来に“必要なプロセス”なのであろうと、ちきりんは思ってる。


というわけで、年始早々あえて書いておこう。

ちきりんは今年「暗い暗い暗い一年をも、迎える用意がありますよ」と。





そんではね。



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<本日の一冊>

ところで、毎度おなじみの“ちきりん流おちゃらけ記法”が(本気なんだか、皮肉なんだか、不真面目なんだか、自分だけは大丈夫などと高をくくってるんだか)なかなか理解しがたい、と思われる方のための一冊。

古典的名作なので内容はもちろんですが、表現方法が卓抜。おちゃらけ社会派としてのちきりんは、こういう作風をめざしております。

動物農場 (角川文庫)

動物農場 (角川文庫)

2010-01-01 変化の年へ

皆様、あけましておめでとうございます。

昨年はいろんな意味で“変化”の年でした。日本でもアメリカでも政権が変わりました。一昨年のリーマンショックが世界をどう変えるかが明確になった一年でもありました。

先進国時代の終わりが始まり、とある西欧の人は「我々はこれから、世界の中心が西欧ではなくアジアになることを理解しなければならない」と言っていました。昨年に引き続き今年も、いろんな意味で“変化”の年になるでしょう。


ちきりんは“混乱lover”として何かが大きく変わるのが大好きなのですが、バブルが終わってからの日本はただひたすら停滞するのみで、余りにも長くなにも起こりませんでした。

911で世の中のパラダイムが変わるのかと思ったけど、それもくだらない戦争を引き起こしただけでした。もしかしてこのまま何もたいしたことは起こらず、自分の生きている時代は終わってしまうのかしらんとちきりんは半分あきらめかけてました。


でも昨年はようやく“わくわく”する気持ちになりました。日本も世界もこれから大きく変わるかも、という気がするし、しかもそれは(決してばら色だけのものではないけれど)私達が楽しむことができる変化のような気がしています。加えて今年はおそらくちきりん自身も大きな変化を迎えることになるでしょう。


変わることには不安も伴うし、これまでと異なる事態に様々な戸惑いも出てくるだろうけど、それでも変化のないところには進歩もわくわくもないわけで。


今までと違う世界へ。

今までと違う日本へ。

今までとちがう自分へ。


ちきりんブログ、今年もよろしくです。

そして

皆様にとっても素敵な一年になりますように。


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下記は昨年のお正月に書いたエントリですが、毎年一回読み返すつもりでリンクしときます。

気をつけたいよね、この5つ


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(初)そんじゃーね!