Hatena::ブログ(Diary)

Chikirinの日記 このページをアンテナに追加

2010-04-07 グローバリゼーションの意味

近ごろ日本企業の課題としてよく指摘されるのが、「グローバル企業への脱皮」だ。素材メーカー、電子デバイスなど部品メーカー、さらに、工作機械、自動車や電気製品メーカーなどを中心に、日本企業には世界中に商品を輸出し、売上の半分が海外という企業も少なくない。

しかし、これらの企業が“グローバル企業”か?と問われた時、自信をもって「もちろんさ」と言える状態にはない。なぜだろう?なぜ海外でも名の通った有名大企業さえ、世界からグローバル企業として認識されないのか?

それは、グローバル化しているのが「技術と商品」だけだから。反対にいえば「組織と人」が全くグローバル化していないからだ。


日本人男性だけで構成される役員会、日本人で固めた世界各地の現地法人の責任者、日本の本社だけで行われる企業研修、日本人だけに適用される給与テーブルや退職金制度・・・

たとえ世界中で商品を売っていても、たとえ技術が世界中で賞賛されていても、組織はかたくなに「日本人(の男性)だけ」で運営される。これを“グローバル企業”と呼ぶ人はいない。


これらの会社が世界市場に進出する時の方法と、欧米企業が世界に進出する時の方法は大きく違う。

欧米企業は自社内に、世界各国にルーツをもつ社員を抱えている。なぜなら、まず社会全体が移民や留学生を大量に受け入れており、様々な国の人材が多く暮らし学んでいる。企業は優秀でさえあれば彼らを雇う。ビザの問題などハンディを抱えながら欧米企業に雇われる移民や留学生は、普通のアメリカ人学生と比べてもとびきり優秀な場合が多い。

彼らは必ずしも“海外要員”として雇われるわけではない。その企業の基幹社員として雇われ様々な経験を積む。そしてある日、その企業が海外進出を検討した際には、極めて質の高い現地インテリジェンスを提供できるし、実際に祖国での市場開拓の仕事に志願する人もいるだろう。

欧米企業は、世界各国で育った社員=当然に現地語が話せ、現地の慣習に無理なく溶け込める仲間を最初から組織の中に持っているのだ。もしくは、進出にあたって現地の人に事業を任せるべく、外部から適任者を探してきて雇う場合もある。


一方の日本企業はどうか?

彼らは世界のどこに行くにも“自分達で出て行く”。自分達とは日本人男性のことだ。北米に、欧州に、中国に、中東に、まずは“臨時事務所”を開き、次第に大きくして“駐在員事務所”とし、さらに数年を経て“支店”や“現地法人”にしていく。時には10年、20年をかけて、海外に(日本人による)拠点を築く。もちろん相当の規模になるまで、それらの拠点のトップはすべて日本人だ。

現法が大きくなると若手社員を送り込む。彼らももちろん“日本人男性”だ。若手に海外で働く体験をさせ、時には半年から一年間、現地で語学学校に通わせる。日本企業にとって「世界に進出する」とは、「日本人男性を外国に送り込むこと」を意味している。


ところがこの方法はお金がかかる。自社商品を買ってくれる国が10カ国あれば、それぞれの国に事務所が必要だ。相当の大企業でさえ、アフリカの各国に自前の事務所を置くのは容易ではない。

というわけで日本には“総合商社”という業態が発展した。各メーカーが皆それぞれにバンコクやジャカルタやマニラに人を送り込むのは効率が悪い。じゃあ、○○物産や△△商事が、これらの都市に事務所を開き、各企業はそこを通して商売すればよい。

つまり総合商社は、「輸出メーカーの合同・海外営業事務所」であり、「輸入企業の共同買い付け事務所」である。彼等は、日本企業から“海外支店機能のアウトソーシング”を請け負って大きくなったのだ。

欧米には日本の総合商社のような業態は発達していない。そりゃあそうだ。彼らはアフリカにでるならアフリカ人を雇い、インドネシアにでるならインドネシア人を雇い、彼らにビジネスを“任せよう”と考える。けれども日本企業には“日本人以外は信じない”という大方針があるから、下っ端のスタッフは現地人を雇ってもいいが、責任者は日本人でなければならない。したがって、自社で出られないなら、別の日本企業に委託するしかない。それが商社だ。


先日紹介した二冊の本、“グラミンフォンの奇跡”“ブルーセーター”の話をしたい。

バングラディッシュでグラミンフォンをたちあげたのは、アメリカに留学しそのままアメリカで働いていたバングラディッシュ人だ。一方のブルーセーターの主人公はアメリカ生まれ、育ちの白人アメリカ女性である。

後者の本には、彼女がアフリカ人に受け入れてもらうまでの苦労、彼女自身がアフリカ人や社会を理解することの難しさの記述に大量のページが割かれている。彼女の苦労の3分の1から半分は、彼女がアフリカ出身の黒人であれば経験することはなかったものだろう。一方、自らの祖国でグラミンフォンを創設したバングラディッシュ人の起業家は、少なくともそのタイプの困難には直面していない。

この差が、海外に進出しようとする欧米企業と日本企業の間にも存在する。現地人のリーダーに任せればごくごく容易にできることでも、日本から行った日本人がやろうとすると桁違いのコストや時間がかかることがいくらでもある。

日本の総合商社には、一流大学をでて厳しい就職戦線を勝ち残った精鋭達が集まっているのだろう。しかし今や“海外市場”とはアメリカやイギリスの事ではない。それは中東でありアフリカであり中国でありインドでありブラジルだ。

30歳に近くなってから、言語も文化も全く異なる国に送り込まれ、そこからえっちらおっちら“海外市場を勉強しています”的な“日本人駐在員”の出る幕が本当にあるのか?しかも、欧米ならともかく、アフリカの国に10年単位で居住する(家族は??)覚悟が彼らにあるだろうか?数年単位で交代などさせていたら、それこそ全くモノにならない。

「世界で格闘する日本人ビジネスマン」的なドキュメンタリー番組を作るなら悪くない材料だろうが、その企業の海外進出において、それが本当に最も適切な方法なのか、よく考えてみればいい。

現地で生まれ育った上で、欧米先進国で高等教育と実務経験を積んだスタッフと、30台半ばからその国に駐在する日本の商社マンでは、「その国でのビジネスポテンシャルを判断するタイミング」において、また「何かトラブルが起ったり、引き際を検討する際の判断」において、大きな(時に致命的な)差が出やしないか?


もうずっと昔にアジアや南米、アフリカを旅した時、モロッコの迷路の奥にある薄暗い小売店でニベアやネスレの商品を見つけて驚いた。南米のジャングルの中の国境事務所脇にある売店の棚に、ユニリーバやコダックの商品を見つけた時も同様だ。「こんなところにまで商品を届けるなんてすごすぎる・・」と思った。しかもそれらの商品のメーカーはいつも同じなのだ。

今から考えればよくわかる。こういった企業は、そもそも自分の国(欧米)に留学してきた人、移民でやってきた人の二世や三世を、自分の国の人と同じように雇用し、訓練し、彼等に事業を任せている。

だから、アフリカの○○という国がそろそろ経済的に商売になるレベルになってきたとか、どこどこの国はまだ内戦中ではあるけど、こういう商品へのニーズがすごく高まってるとか、そういう情報がいち早く手に入るし、じゃあ実際に行ってみるかとなった際にも、「アメリカ生まれ・アメリカ育ちのアメリカ人」を送り込んで市場調査をやるよりよほど迅速に、正確に、リスクをとった判断ができるわけだ。

★★★

3月9日の日経トップ記事は、“日本の電機メーカーがアフリカ市場を開拓する”という内容だった。3月15日には、来年の新卒採用についての記事があり、“中国市場の拡大のために人員拡充の動きもある”と書いてあった。ところが一方で、必ずしも外国籍の人材採用に積極的とは言えない企業の姿勢についても書かれており、正直ちょっと驚いた。

海外市場が大事だと(海外市場しかないと)わかっているのに、外国籍社員を増やさないってどういうことだろう。しかも日本語もできる留学生の採用を増やさない?もしかして未だに、日本人をイチから海外駐在員に育てて、世界で勝負できると思っている?相変わらず“新卒採用する基幹社員は日本人だけでいい”と考えてたりする?


これからのグローバル競争の時代、「すべての重要なビジネス判断は日本人で行う。そのために英語ができる人材を採用する。採用した人に海外経験を積ませる」などと悠長なことを言っている間は、日本企業が“グローバル企業”と認知されることはないだろう。

グローバリゼーションとは、日本人に英語を習わせることではない。それは、世界の人を受け入れること。世界の多様性を受け入れることを言うのだ。

消費財メーカーが世界にでていきたいのなら、“世界の消費人口と同じ割合”で社員を雇う必要がある。その社員は、権限ももたず出世の可能性もない“現地担当者”ではない。経営とビジネスのリーダーシップ・シェア、マネジメント・シェアを、世界の消費人口と同じ割合にする必要があるってことだ。


日本企業がグローバル企業に脱皮できない理由は語学力ではなく、「自分達とちょっとでも違う者は意思決定グループメンバーには入れたくない」というその偏狭さにある。

日本企業はよく、“自分が主人、外人は使用人”という形の現地採用をやっているが、“使用人になりたいと思う優秀な人”は世の中にいない。

また、せっかく外国籍社員を雇っても彼らの価値感は一切受け入れず、日本的年功序列や賃金カープを押しつけ「いやならでていけ」とか「郷にいれば俺たちのルールに従え」とか言ってるあほらしさが、わかってるのだろうか。「自分達と同化する気がないなら、仲間には入れない!」という宣言は、まさに「多様性の拒絶」に他ならない。

結局のところ、多様性を受け入れるのは、彼等のためではなく自分のためであり、そのために努力する必要があるのは自分の方なのだということが理解できていない。多様性を受け入れる理由は人権問題でもボランディアでもない。それは成長のために必要不可欠な戦略なのだ。


社員の英語研修なんていくらやってもグローバル企業にはなれないよん。

「多様な価値観、自分達とは異なる思考や経験をもつ人を、意思決定や組織運営を共に行う仲間として迎え入れること」

それができないかぎり無理ざんす。


そんじゃーね



 .