ブログトップ 記事一覧 ログイン 無料ブログ開設

Chikirinの日記 RSSフィード

2010-05-17 “横の壁”が無くなる

ネットメディアは既存メディアと異なり、セグメント間の壁がすごく低い。

あまりに壁が低すぎて、多くの人は壁の存在に気がつかない。

これが理由で、多くの人が無駄にイラついたり、怒ったりしてる。


雑誌や新聞、テレビだと、基本は自分のセグメント向けに作られたものを見るでしょ。そもそも新聞や雑誌は有料だから、自分が属さない層向けのものは買わないよね。

若い女性がスポーツ新聞を読むことは希だし、若者が高齢者向けの健康雑誌を手に取る機会はほとんど無い。

地上波テレビもターゲットにあわせた番組編成をしてるので、超夜型の若者がたまたま朝まで起きてて、早朝の高齢者向け番組を目にする時くらいしか「違う層むけ」の番組は目に入らない。


ところがネットだと、検索エンジンは“サイトの性格”を検索するわけではなく、コンテンツ内の文字や画像を検索するから、みんな頻繁に“自分とは別のセグメント向けに作られたサイト”を訪れることになる。

たとえばグーグルのニュースページからは、普段はまず読まないようなスポーツ新聞や地方紙の記事によく誘導される。


人気ツイートだって RT が繰り返されるうちに、もともとのターゲットセグメント以外の人にも広く届いてしまう。

このため人気ツイートに含まれるリンクをクリックすることで、自分向けではないサイトを訪ねる人もたくさんいる。

しかもネットの場合、そういう時にも「このサイトは自分向けに作られたサイトではない」という意識がほとんどない。


リアルメディアだと、見た瞬間にどういう人向けのメディアかわかるから、自分向け以外のものを見ている時、読み手はそのことをちゃんと意識してる。

男性が女性ファッション誌を読む場合は、「そうか、女の世界はこういう世界なのか!」って感じだし、

ゴルフに関心のない人がゴルフ雑誌をたまたま目にしたら、「自分は今、ゴルフが好きな人のために作られた雑誌を見ている」という意識をもって読んでいる。


ところがネットの場合は、さすがにエロサイトに着いちゃうと「ありゃ、違うとこに来ちゃった」と気がつくけど、それ以外では「このサイトのターゲットセグメントは誰?」ってのが結構わかりにくい。

複数の記事を読めばそれなりに「ああ、中高年向けのサイトなのね」とか「こういう思想の人向けなんだな」とわかるけど、ひとつの記事を読んだだけでは判断がつかない場合も多い。

この「どのセグメント向けに作られたメディアなのか」のわかりやすさという点で、ネットメディアとリアルメディアには大きな差がある。


このためネットでは、次第にそのこと自体(=誰向けのサイトなのか?ということ自体)を意識しなくなる。

そしてついには、「自分が覗いているのは他人のために作られた庭だ」というコトを忘れてしまう。


新聞が無防備に「若者は厳しい仕事に耐えられずすぐ辞める」と書くのは、紙の新聞の読者がみんな高齢者だからです。

ところがそれをそのままネット配信するから若者から反発を食らう。

「もともと高齢者向けのメディア=紙の新聞上で書いた記事を、ネット上では若者が(高齢者向けの記事だと意識せずに)読んでムカついてるの図」です。


「婚活中の 30代女性の匿名本音ブログを、同世代男性が読む」とかもエグそうだし、

「生活保護で暮らす人が日常生活の喜怒哀楽を素直に綴ったブログを、生活保護以下の給与で毎日 12時間働いてるワープアの人が読む」と、“いい加減にしろ”という話になる。

実際ネット上で生活保護の人にたいして“甘えるな”“携帯代が高すぎる”みたいな議論が繰り返し起こるけど、あの理由もここにあると思う。


違うセグメントの人って“当然の前提”も思考回路も共有していない上、違う常識を持ってる。リアル社会だって、違う業界の友達と話すだけで「え〜!」みたいなことってよくあるでしょ。

ましてや 20代の人が 60代向けのメディアを読むとか、10代で結婚、妊娠と出産、離婚を全部経験して生活保護(母子家庭)で暮らしてる人のブログを 30代単身男性が読む場合、行間や表現されていない思いなどはまったく理解されない。


しかも最初にも書いたように、ネットの場合「セグメント間の壁」がとても低いので、それらが「別のセグメントの人達の話だ」と意識しないで読む。

だから呆れたり、ムカツク。


同じコトでも「これは高齢者向けの雑誌だ」と意識しながら読んでいればあんまり腹立たしく思わない。

高齢者向け雑誌に“最近の若者は・・”とか書いてあっても、若者としてはどうでもいいでしょ。

なのにネットではセグメント間の壁が低いから、そういう「違う人の世界の話」にまでみんなイチイチ反応する。

読売新聞の「発言小町」っていうコラムだって、紙の新聞だけに載ってた時はみんな「ふつーに」あのやり取りを読んでたのに、

ネットに乗り始めたとたん「なんだコレ!!!」みたいなことになってる。「ありえねー」とか騒いでるのは、「別の世界の人」なんです。


ちなみにこれは悪い話じゃない。元々年齢や性別、趣味嗜好が違うとリアルな生活においては全く接触しない。

その上、メディアも各セグメントに合わせて作られていたので、世界は分断されていた。

皆して「俺の常識は社会の常識と同じ」みたいに思ってた。


ところがセグメント間の壁が低くなると、誰でも簡単に「違うセグメントの世界」に入っていける。

「そんな世界があるわけ!?」とか、「まじかよ、それがそっちの世界の常識なのか??」みたいな気づきや学びもでてくる。長期的には多様性への理解が進む。

んが、

その一歩手前において、「理解できねえよ!」とか「ありえねえ!!」という反発や驚愕は、異質なモノ同士の理解コストとして必要な(避けられない)ものなのでしょう。


今はまだネットだと、自分がセグメントの壁を越境してると意識してない人が多いから、

右翼や左翼の書いた記事&ブログに「あなたの考えは偏っています!」と本気で憤ってる人もいるし、

「育児休暇を中学生になるまでとらせてほしい」というつぶやきに対して「私は派遣で働いていますが、育児休暇どころか出産休暇もとれないのにあなたは贅沢だ!」みたいなコメントがついたりする。

それはそれでひとつの問題提起だけれど、最初の課題とは“異なるセグメントが抱えている課題”です。

でもセグメントの壁がない世界では、「一緒に議論しろ!」と迫られる。


個人的には、自分の属さないグループの本音をこれほど生々しくのぞき見ることができるようになったのは、大きなメリットだと思ってる。

“ネットで世界が拡がる”というのは、日本にいながら外国の情報や映像が手に入る、ということだけでなく、「ごくごく身近にあるのに、全く知らなかった“違う世界”」への拡がりも意味してる。

というかむしろそっちの方が、海の向こうの出来事に関する情報なんかより、時にはよほど興味深い。


f:id:Chikirin:20150810175729j:image:medium

 そんじゃー。


http://d.hatena.ne.jp/Chikirin+personal/  http://d.hatena.ne.jp/Chikirin+shop/