ブログトップ 記事一覧 ログイン 無料ブログ開設

Chikirinの日記 RSSフィード

2010-07-30 日本はアジアのイタリアに

2ヶ月ほど前に「日本の将来像をお選び頂けます」というエントリ(→こちら)で、ギリシャ、イタリア、イギリス、スウェーデン、アメリカの5つのモデルを挙げ、日本の将来はどれだと思いますか?と書きました。

そのエントリには“日本はどれを目指すべきか”、もしくは“ちきりんとしては、どれになると思っているか”は書かなかったんだけど、今日はそれについて自分の考えを書いておくです。


結論からいえば、消去法によっても、日本のもつ強みから差別化を考えても、目指すべきは“イタリアモデル”だろうと、は考えています。

まず消去法で考えてみましょう。

ギリシャにはなんないです。そんな簡単に日本は破綻しない。消費税を 20%にしたらいいだけだから。

移民を大量に受け入れるイギリスモデルは日本国民が選ばない。この国の人って移民がやたら嫌いだから。私は移民賛成派ですが、国全体でそれが政策として選ばれると思えない。


そしてそれはアメリカモデルも同じ。私はこのモデルも悪くないと思ってるけど、日本国民全体での多数決(選挙)において、これを選ぶことにはまずならないでしょう。みんな“競争”も嫌いだから。

それに、スウェーデンみたいな国になるのはとてもソンです。ああいうのは、森と泉しかない国の戦略であって、日本には人口密集から生まれる文化も含め、豊かな資源がたくさんある。

スウェーデンのようにナンにもなければ(あの条件においては)ああいう国家運営もひとつの選択肢だと思うけど、日本がそんなのマネするなんてアホすぎる。


というわけで、ちきりんは「イタリアモデルこそが日本の進むべき道」だと思うし、「それって結構よい道じゃん」と思ってます。具体的に言えば、前回も書いたようにこんな国↓です。


(経済)世界で10から20位くらいの間(先進国のしっぽのあたり)

(政治)ぐちゃぐちゃ。こんな奴が首相でいいのか?と言いたくなるレベル

(国際社会でのプレゼンス)特になし

(歴史)現代より、歴史=過去に栄光あり!


(首都)世界の人が憧れる大都市。ユニークに熟れた都市文化が存在

(田舎)訪ねるのは不便だが、すばらしく美しい。地元ならではのおいしいモノもたくさんある


(教育)この国の教育レベルが高い、などという人は世界にいない

(英語)みんな下手くそ


(企業)ごく少数の国際レベルの企業あり

(闇社会)マフィアもやくざもそれなりのプレゼンスがあり、クスリも蔓延

(失業率)常にそこそこ高い

(格差)わりと大きい。田舎に行くと都会とはかなり生活レベルが違う。都会にも貧しい人が多い

(出生率)低い。少子化が止められない国家


(国家ブランド)強い。“イタリア製”“日本製”という言葉には独特の付加価値がある

(食事)世界トップレベルの美味しさ。 世界中でブームが定着

(ファッション)食事と同様、独自のスタイルが世界の注目を集める

(観光産業)海外から、特に圏内(日本の場合はアジア)から多数の人が押し寄せる

(文化)世界にはない(アメリカのエンターテイメント産業の真似ではない)ローカルカルチャーが花開いている。イタリアと日本は、あのフランスが文化面で憧れる世界で唯二の国。


(まとめ)グローバル国家ではなく、超ドメ志向。“オレの国が一番いいじゃん系”



既にほとんど一緒でしょ?

イタリアと日本の違いは“気の持ちよう”だけです。

イタリア人の多くが“これでええねん”と思っているのに、日本には“これじゃあかん!”と言う人が多すぎる。一部にそういう人がいてもいいけど、みんながそんなことを思う必要は全然ないのにね。


というわけで本日は、日本はグローバル国家になんかならないよーん!というお話でした。

みんなで「オレは、私はめっちゃ日本が好きやねん!」っていう国になればいいんです。(過去参考エントリ→“日本、大好きなんで”)


だから、私たちがこれから大切にしなくてはいけないのは、英語力とかじゃないんです。私たちが大事にすべきこと、それはまさに!・・・(以下略)



f:id:Chikirin:20150810175729j:image:medium

そんじゃーねー!


http://d.hatena.ne.jp/Chikirin+personal/  http://d.hatena.ne.jp/Chikirin+shop/

2010-07-28 維持費が蝕む自由

人間も会社も家族もコミュニティも、ビジネスもボランティア団体も国も軍隊も、持てば持つほど動けなくなります。

現代の資本主義社会において、「持たずに生きる」ことがこれほどに難しいと痛感したのは、数年前に「持たない生活」を目指すようになってから。

一緒に旅行に行く友人は、ちきりんがあまりに何も買わなくなったので驚愕しています。私を含め多くの人にとって“モノを買う”行為は有効なストレス解消方法だし、何かを所有したいという欲望は強弱の差こそあれ、もたない人はいないくらいの自然な欲求です。

何も持たずに生まれてきたように、もう一度、何も持たない生活に戻りたいと思うのに、それは相当のエネルギーを注ぎ込まないと実現できません。それどころかぼーっとしていると、いつの間にか前ではなく後ろに進んでいたりします。


ときどき、18才で一人暮らしを始めた部屋を思い出します。学生街の6畳一間のアパートは、荷物も本当に少なかった。それでも特に何も困った記憶もない。多くの人も同じでしょ。今、部屋の中を見回して、なんでこんな多くのものがあるのか、理解ができない人は私だけではないはずです。

生活費も同じ。会社を辞めるにあたって、生活を維持するのにいくらかかるのか計算してみました。驚いたのは固定費の高さです。固定費とは一口も食べなくても必要な経費、毎月決まって払わなくてはならない費用のことです。

これ、子供とかいる人はもう怖いから計算しない方がいいですよ、っていうくらい高い。別にお金持ちでもなく、特に贅沢してる人でもなく、ごくごく普通に働いて、ごくごく普通に生活している人でも、一度まじめに計算したら、その固定費の高さに驚くんじゃないかと思います。


ちなみにここで固定費と呼んでいるのは、下記。みなさん、電卓取り出して計算してみてくださいな。

・家賃(またはローン)

・固定資産税、管理費

・光熱費

・新聞やメルマガの購読料

・電話代、スマホ通信費、ネット通信費など

・テレビ視聴料

・車があれば、ローン、保険料、税金、車検代、駐車場代

・社会保障:年金、健康保険、(雇用保険)

・生命保険、火災保険、地震保険等

・ジム会費、その他会費、資格の維持費、授業料など

・子供の授業料、給食費、塾や習い事代、もしくは保育園費用

・その他、毎月支払うことが確定している経費

食費、雑費、交際費、衣服代、本代、旅行代、交通費、ガソリン代などは変動費としています。


仕事を辞めると言った時、子供3人を養う知人から「働かないとか信じられない。羨ましすぎる」と言われました。その時は、「宝の維持費が高いのはあたりまえ」と答えたちきりんだけれど、持っているものがどんなに貴重なモノであれ、その維持費を考えると目眩がしそうになる人は少なくないでしょう。


それは企業も全く同じです。毎年毎年採用してきた優秀な(優秀だった)社員達、始めてしまった多くの事業、建ててしまった立派な本社や最新鋭の工場、進出してしまった多くの海外拠点。こういったものを、持てば持つほど動けなくなるし、それらを維持するだけでも毎年の必要経費は目の玉が飛び出るほど高い。

日本という国も同じです。手厚い福祉に整った医療体制、当然のように大半の人が進学する高等教育機関、大量の議員に公務員、国中を網羅する鉄道や道路、空港、日本中に存在する美術館や音楽ホール・・。


余りにも多くのものを抱えてしまって動けない人、組織、団体、企業、国。維持費や固定費に蝕まれる、私たちの自由。それらの維持費のために日々を働く。そのことに生き甲斐や存在意義を見いだせと言われている私たちの生活。



自分の持っているものに、

自分が苦労してやっと手に入れたものに、

縛られて生きる私たち。


大変です。


そんじゃーね。

2010-07-25 縄文人の勝ち

中高年の代表的な口癖といえば、「最近の若いモンはだめだ。オレ達の若い頃はもっと大変だったし、もっと苦労した。それでもオレ達は頑張った。だからここまで来れたんだ。お前らも文句言わずに頑張れ」というパターンのものです。

でもこれって、そう言っている中高年の人だって、その上の世代の人からは同じように言われていたはず。そしてそれを遡ると、最後には・・・



.

平成生まれの人

「就活が大変すぎる・・・。こんな時代に大学を卒業するなんてホントに不幸だ・・」


   


昭和初期生まれの人

「オレの若い頃は親からの仕送りなんかなかった。大学に行くために東京にでてきても、夜も寝ずに必死でアルバイトして、むしろオレの方が親に仕送りをしてきたんだ。そんな状態でもオレは幸せだった。今の若者は親から仕送りをしてもらって、大学を卒業してからも援助してもらってのもいる。それで不幸なはずがないじゃないか。」


   


明治時代生まれの人

「オレの若い頃は、田舎から東京にでるなんて不可能だったよ。その上、中国と戦争するわ、ロシアと戦争するわ、そのたびに赤紙が来て徴用されるしさ。でもそんな状態でもオレは幸せだった。昭和生まれの人はせいぜい疎開したくらいで徴用もされてない。親を田舎において都会にもでていける。それで不幸なはずがないじゃないか。」


   


江戸時代生まれの人

「東京にでる?ああ、江戸のことか。でもオレの若い頃なんて、そもそも移動の自由がなかったんだ。明治時代なら関所ももうなかったんだろ?それだけじゃないよ。江戸時代は身分制度があって職業選択の自由もない。名字さえないし。それに鎖国してるから旨いモンも少なかったしな。なんの自由もなかったけれど、それでも俺たちは幸せだった。牛鍋やカステラを食ってた明治時代の奴が不幸なはずがないじゃないか。」


   


戦国時代生まれの人

「オレの若い頃は毎日が戦(いくさ)の日々だった。いつ上杉勢が責めてくるか分からないし、いったん戦となれば、殿のために命を捧げるのがオレ達の人生だ。それでもオレは幸せだった。江戸時代なんて剣の訓練も所詮は遊びの平和な時代だろ。参勤交代で命を落とすわけじゃなし。そんな江戸時代の奴が不幸なはずがないじゃないか。」


   


奈良時代生まれの人

「オレの若い頃は実力でのし上がるなんて不可能だった。そもそも貴族以外は人間扱いされず、ドでかい大仏を作るからと徴用されたりする。平民はいくら優秀でも貴族にはなれない。それでもオレは幸せだった。でも、戦国時代は実力社会だろ?実際、秀吉は百姓から太閤様にまでなったんだし、努力が報われるいい時代だよ。そんな時代の奴が不幸なはずがないじゃないか。」


   


弥生時代生まれの人

「オレの若い頃は律令制なんてなかった。政治も経済も、卑弥呼とかいうおばちゃんが鹿の骨を焼いて呪術で決めていた。しかも運が悪いと祭祀の時には“生け贄”にされちゃうんだぜ?そんな世の中でもオレは幸せだった。奈良時代なら律令制度が始まってるから論理の通じる時代だろ?そんな時代の奴が不幸なはずがないじゃないか。」

   


縄文時代生まれの人

「オレの若い頃は稲作なんてなかった。だから食料は毎日山や川に探しに行く必要があったんだ。食料が手に入らない日が続くと仲間がバタバタ餓死してしまう。だから毎日、生きるために必死だった。それでもオレは幸せだったよ。弥生時代なら米作が始まって高床式倉庫もあったんだろ?そんなんで不幸なはずがないじゃないか。」



・・・


以上、自分が若い時にどんだけ苦労したか、また、そんな苦しい中でもオレ様がいかに前向きに生きてきたかを自慢する、“オレの若い頃の不幸を自慢する大会”の中継を終わります。

優勝はもちろん縄文人でした。


そんじゃーね。

2010-07-22 世界の都市人口ランキング

ライフネット生命の出口社長の本の中に、

「思考軸」をつくれ-あの人が「瞬時の判断」を誤らない理由

「思考軸」をつくれ-あの人が「瞬時の判断」を誤らない理由


ちきりんが大好きなデータが取り上げられていました。

それは、1000年前の世界の都市人口ランキングのデータです。

<西暦 1000年の人口が多い都市トップ10>


1. コルドバ(スペイン)

2.開封(中国)

3. コンスタンチノープル(トルコ)

4. アンコール(カンボジア)

5. 京都(日本)

6. カイロ(エジプト)

7. バグダッド(イラク)

8. ニーシャプール(イラン)

9. ハサ(サウジアラビア)

10. アンヒルバーダ(インド)

Tertius Chandler, Four Thousand Years of Urban Grwoth, An Historical Census (1987)

注)世界の都市人口には、“都市の括り”も含め様々な集計・推定方法があり、資料によって順位や数字が異なります。


この「地球上で人口が多かった都市ランキング」を歴史を追って見ていくのが好きで、さらにそれらの都市を実際に訪ねる旅行も大好きです。

そんなとき現地ではよく「千年前にはここが世界の大都市だったんだー」などと感慨にふけります。


とてもおもしろいデータなので、もう少し見てみましょう。元にしたデータはこちらこちらのものを使っています。

まずは直近の「世界の都市人口ランキング」を、様々な資料から拾ってみましょう。一番上が調査名で、二行目はそれぞれ何年の人口か、という情報です。その後、人口の多い順にトップ10の都市圏名がリストされています。


調査によって順位が違うのは、都市の境界線をどう定義するかとか、昼間人口と夜間人口をどうみるかなど、「都市の定義」がいろいろと違うからです。

ところが、表を見ると一目で分かるように、東京はどんな調査でみても、つまり、どう計算しても、世界トップの人口を擁する都市圏なのです。


メトリポリタン・トーキョー すごいでしょ。私たちは世界一の大都市に住んでいるのです!


f:id:Chikirin:20100722202721j:image:w550


さらに、どの調査でもトップ 10の大半がアジアの都市です。インドやバングラディッシュ、パキスタンまで含めれば、7割以上。いまや“世界の大都市と言えばアジア!”なんです。


★★★


次に、時系列で見てみましょう。なんと紀元前 1800年前から推計値があります。これを見ると、世界の大都市が存在していたエリアが、過去 4000年の間にどう変わって来たか、よくわかります。

f:id:Chikirin:20100724155942j:image:w600


テーベはエジプトのルクソールの近くにあった古代都市ですね。その後、長安、ローマ、コルドバというように世界トップの都市は移り変わっています。この表にはありませんが、1700年頃だと江戸もトップ 3に入っています。

西暦 1900年のリストをみると、欧米先進国の都市がずらっと並んでおり、「西欧の時代というのは1900年あたりだったのね」とわかります。1800年代にイギリスで産業革命が起こったのが大きいのでしょう。それで世界が一気に「西欧のもの」になったわけです。


そして、こういう資料を見ていて自然に思い浮かぶ疑問は、西暦3000年のトップ 10都市はどこだろう?ということです。

上から全部、漢字の都市名だったり、インドと中国だけでトップ10を独占するなど、いろいろ考えられますが、そんなふうにはならないでしょう。

2050年や 2100年ならそうかもしれません。でも 1000年単位ってすごい長い。今から 990年後の西暦 3000年に、この地球はどうなっているのか? どんな大陸のどんな都市が栄えているのか。考えただけでわくわくします。


最後にもう一度、西暦 1000年のトップ 10都市と 2000年のトップ 10をみてください。日本からは 1000年に京都(平安京)が、2000年には東京がトップ 10入りしています。

こんな小さな島国でありながら、1000年の時を超えて世界の都市人口トップ 10にランキングされ続けているニッポン。ちょっとすごいと思いませんか?


そんじゃーね。

2010-07-20 少子化対策 貧乏になればいいのでは?

「経済的な問題で子供がもてない」という話をよく聞く。若者の貧困が少子化の原因というような理屈もあるみたい。でも、これってほんとなの?

世界全体でみれば、「貧しい国ほど、たくさん子供を産んでいる」んじゃないだろうか。細かくみれば一部逆転してるケースもあるだろうけど、大きなトレンドとしては一人当たりGDPが高い先進国で出生率が低く、一人当たりGDPが低い貧困国ほど子供は多いでしょ。

日本の昔と今を比べても、貧しかった時の方が子供は多かったわけで。もしかして、少子化の原因は豊かになったことなんじゃないの?もう一回、国全体で貧しくなれば、子供は増えるんじゃないの?


日本全体の分布を見た場合、違う世代を比べればたしかに裕福な方が子供が多い。つまり、将来の経済的な見通しが明るかった団塊世代の方が、経済的に厳しい展望しかもてない今の30代より多くの子供を産んでいた。でも同じ世代で比べても本当にそうなの?

年収が低い男性の婚姻率が低いというデータはあるんだけど、じゃあ、結婚している男女において、年収が高い方が(年収が低いより)子供が多いのかしら?

世帯年収がかなり高いのに、子供ゼロや子供ひとりという夫婦は実はたくさんいる。でも年収が高くて子供が5人以上という家庭って、なかなか出会えない。ちきりんが知ってるケースでは「金持ちの子だくさん」は橋下大阪府知事だけだよ。子供が5人以上いる家の世帯収入って、本当に一人っ子家庭の世帯年収より高いんだろうか?昔だって、地主や金持ちの家には3人しか子供がいないのに、貧農に子供が8人とかいて、「貧乏ほど子だくさん」というイメージがあるんだけどな。

つまり、日本は裕福になったから出生率が下がっているんだよ。だから子供が増やしたいなら、これからどんどん貧乏な国になればいい。そして、実際そうなりそう(貧乏な国になりそう)だから、放っておいてもそのうち子供は増えると思う。このまま政治が混乱しつづけ、経済が停滞し続けていれば、きっとそのうち日本は貧しい国に戻って、出生率も上昇し始めるに違いない。子供の数だけが未来だというなら、日本の未来は明るいーー!ってことじゃん。


★★★

だいたい、貧しくて子供が多い国って、子供の教育にお金がかかったりしない。それどころか子供もみんな働いてる。農村なら農業の手伝い、都市ならゴミ拾いから靴磨き、客引きや餅菓子の売り子まで、なんでもやってるよ。自分の食い扶持を稼ぐどころか、家族を養っている子供も多い。

日本は子供に働かせないから、子供を産むインセンティブが働かないのでは?なので、少子化を食い止めたいなら、義務教育も義務じゃなくして、児童労働を禁止する法律とかも廃止しちゃって、子供も働いていいよ、ってことにすれば子供を産む親も増えるんじゃないの?


それに、貧しい国(や時代)にはコンビニもないしファストフードもないから、一人暮らしなんてめんどくさすぎて(非効率すぎて)できない。そうなれば大家族で住むしかないし、子供も親から離れたければ結婚するしかない。国全体が貧乏になって娯楽の種類自体が少なくなれば、お一人様だのディンクスだのが生活を楽しむことも無理になる。

ほらやっぱり、少子化問題をなんとかしたいなら、国全体でもっと貧乏になればいーんじゃないかしら!?

それに、一人暮らしで学生なんてやってたら楽しくて婚期が遅れるから、昔みたいにごくごく限られた人以外は大学生になれないようにしてしまったらいいと思うよ。楽しい学生生活と違って、働き始めるとそれなりにつらいことも多いから、きっとみんな結婚が早くなる。国全体が貧しくなれば大学進学率だって2割くらいの世の中に戻るだろうから、この点でも貧しくなった方がいいよね。


というわけで、出生率を上げたいなら日本は貧乏な国になろう!というのが今日の結論です。なお、そのためには特になにもする必要はありません。ほうっておけば、この国はどんどん貧しくなりそうだから。


そんじゃーねー

2010-07-18 就職活動 今・昔・将来

近頃の新卒学生の就職活動はすごく大変なんだと聞いた。事故PR、じゃなかった、自己PRとかいう作文を書いて暗記していく必要があるらしいし、ネットで何十社もエントリーしたり、すぐに申し込まないと説明会もすぐに席が埋まってしまったりするらしい。

大変そうだ。


昔は就職活動なんて全然適当だった。(たぶん)

バブルの頃なんて、焼き肉をご馳走してもらって内定もらって“そんじゃーね”だった。

ハワイに連れて行かれて内定もらって“そんじゃーね”という人達もいたらしい。

ちきりんでさえ、ディズニーランドにつれていってもらって、内定もらって“そんじゃーね”だった。


残念ながら、そんな時代はもう戻ってこないだろう。

なので、皆さん頑張って下さい。



というか、別に昔より悪くなってるわけじゃないと思う。ちゃんと進化してるんだよね。昔は“超適当”に行われていたのが、今は“超大変”になってて、将来はきっと、ちっとはまともになるんだと思うよ。


んな感じで↓


f:id:Chikirin:20100717231625j:image




まあもちろん、こういう可能性もなくはないけど・・・↓


f:id:Chikirin:20100718030910j:image





最後に関連エントリを紹介しとくので、若者はこれでも読んで更にがっかりしてください。

→ 「時代と共に幸せに」




そんじゃーね。

2010-07-15 改正貸金業法について

一ヶ月ほど前、6月18日に「改正貸金業法」が完全施行されました。2006年の12月に成立した法律で、最も重要な、

(1)上限金利の引き下げ

(2)総量規制の導入

の適用が始まったのです。


これにより貸し出しの上限金利は20%となり、それ以上の利子は無効で刑事罰の対象となります。さらに個人については、年収の3分の1まで(複数の会社から借りている場合は合算して)しか借りられなくなります。総量規制の趣旨は「返済能力を超える借金をさせてはいけない」ということです。

これ、ものすごい“子供扱いでおせっかい”な規制ですよね。「返済能力を超える借り入れをしてはいけない」なんて当たり前だし、そんなことをして困るのは借り手本人です。貸し手だって、返済能力を超えて貸したら戻ってこないのだから、わざわざこんなことを法律で決めなくてもいいはずです。

ではなぜこんな規制が必要になったのでしょう?


それは日本では、“道徳や体裁”が契約や法律より強い力をもっているからです。このため日本人は経済的に破綻しても、個人破産を極力避けようとします。そのために貸し手は、本人の返済能力を超えて貸しても、資金回収ができてしまうのです。


例で見てみましょう。

・40代男性が「返済能力を超えて借り、もう自力では返せない」場合=田舎の70代の親が田畑を売って、子供の借金を払う。自分の老後資金で払ってくれる場合もある。

(地方では、ひとりが自己破産すると家族全体の世間体に影響します。息子が自己破産したら“家の恥”となり、兄弟の縁談にまで悪影響が及ぶのです。)

・30代の主婦が返済能力を超えて借り、もう自力では返せない。夫にも言っていない場合=AV出演などの仕事を斡旋して、返させる。

・40代男性が返済能力を超えて借り、もう自力では返せない。親も貧乏な場合=振り込め詐欺の引き出し屋や、通帳名義、携帯名義の譲渡、もっといけば、中国からの麻薬の運び人などの仕事を紹介し、その報酬で返済させる。

もしかすると「首をくくれば、生命保険で返せるぜ」などと言う場合もあるのかもしれません。


このように、本人の返済能力を越えて貸しても、戻ってくる手立てがあるため、貸し手はいくらでも貸せるわけです。

もし上記の3人が、皆「返せないから自己破産する」という道を選んでいたら、業者は返済能力の範囲でしか貸さなくなるでしょう。そうすれば、年収の3分の1までしか貸してはならない、というようなお節介な法律は不要になるのです。

★★★

消費者金融業界は、株式を上場している大企業から、中小企業、零細企業、そして“闇金”と呼ばれるところまで“多重階層”になっています。有名大企業の役割は、借金が初めての客を市場に引き込むことです。華やかで親しみやすいCMで“初めての客”を呼び込み、できる限りの額を貸します。

返済能力を超えて貸しても何の問題もありません。大企業から借りているだけの客なら、返せなくなった時には“より融資基準の緩い中小の消費者金融”から借りてきて、そのお金で自分のところの借金を返してくれるからです。

そして次々と同じことが繰り返されます。消費者は“より融資基準が緩く、金利はより高い会社”から借りたお金で、“基準が厳しく、金利は安い”会社から借りているお金を返します。

消費者金融企業からみれば、これはまさに“ばば抜き”です。他社から借りて自社の借金を返してもらえれば、そこで“ババ”は下の企業に渡せます。

最後に借り手は“自己破産させずに取り立てる”役割の金融会社に辿り着きます。“闇金”と呼ばれる会社です。そこで彼らは24時間、会社や家族、近所中を巻き込むめちゃな取り立てに責められ、正常な思考能力を失わされます。その上で「これをやれば返せるぜ」と“返す方法”の提案を受けるのです。地獄における悪魔のささやきです。


この壮大な罠を成り立たせているのが、「借りた金は“なんとしても”返すべき」とか、「カネのことを考えるのは汚いことだ」という道徳です。たとえば日本には、自己破産を勧める公的機関がほとんどありません。

この法律が成立する前、大阪府八尾市の老夫婦が借金苦のために踏切に飛び込み自殺しました。二人は死ぬ前に警察に相談にいっていました。恐ろしい形相の人達が毎日毎晩アパートにやってきて、すさまじい言葉と共にドアを蹴って騒いでいく。怯え、疲れきった二人は最後の望みをつないで警察に救いを求めたのです。

しかしその彼等に警官が言ったのは、「そりゃあ、借りた金はかえさなあかんやろ」という言葉でした。

なぜこの警官は、「返せなくなったら自己破産するべきですよ」「市役所の○○窓口に行って、自己破産の方法について相談してください」「そんな取り立ては違法なので今度きたら警察に電話してください」と言わないのでしょう?

法律を守らせるのが仕事であるはずの警察官までが、法律ではなく道徳を語るのがこの国の実態なのです。*1


もうひとつの道徳観である「カネのことを考えるのは汚いことだ」という感覚も問題です。このために、日本ではお金に関する教育が全くというほど行われません。

儲けることの意味、自分の収入内で暮らすことの意味、にこやかな消費者金融のCMの意味、借金をすることの意味など、何も習いません。自己破産という制度も知らないし、言葉を知ってもどこにいって何をすればいいのかわかりません。

自己破産が安易に利用できるようになったら、わざと借りて自己破産に走る人がでてくる、という人もいますが、それは杞憂でしょう。現代社会において“クレジット”(お金を借りる能力、資格)なしに生活するのはとても不便であり、誰も彼もが悪意の自己破産に走ったりするとは思えません。

★★★

最初に書いたように原則論でいえば、ちきりんはこんなお節介な規制は嫌いです。貸し手も借り手も、いくらまで貸してよいか、いくらまで借りてもよいか、利子はいくらが適切であるべきか、自ら判断できるはずです。杓子定規な規定を作ることは、市場を歪めてしまいます。実際にいろんな弊害がでるでしょう。

しかし、こんな規制の不要な“まっとうな社会”の実現のためには、ふたつのことが必要です。

まず最初に、お金に関する消費者教育を義務教育に取り入れること。もうひとつは、貸す時は「法と契約」で貸すくせに、返済させる時は、借りた人を違法行為に追い込む仕組み自体を取り締まることです。

闇金や違法な取り立て行為を徹底的に取り締まり、かつ、返す時も「法と契約」に基づいて、自己破産という手段を利用しやすくする必要があります。

「返済能力以上に貸したら、借り手は自己破産して資金回収できなくなる」と思えば、業者は返済能力を超えた貸し付けをしません。それが市場原理です。

彼らは今まで「返済能力以上に貸しても、最後は自殺か犯罪によって、もしくは道徳と世間体に縛られた親が返してくれる」から、返済能力を大きく超える額を貸しだし、巨額の利益を得てきたのです。

お金に関する教育と、「過剰貸し付けを犯罪によって回収する業界構造」の摘発、是正を進め、一刻も早くこんな子供じみた規制が不要な国になってほしいものです。


★★★

お金のことについてほとんど知識がないけど、自分で家計を管理することになった、という初心者向けの本。とても平易でわかりやすく、常識的なことが書いてあります。いくつかシリーズがでているようです。

年収200万円からの貯金生活宣言

年収200万円からの貯金生活宣言


消費者金融ってどういう業界なのか、ちきりんはこの本で理解しました。この本を読まなければ、上記のような考えにはならなかったと思います。“下流喰い”というタイトルが秀逸です。消費者金融業界は“底辺の人”を“最底辺”に突き落とした後、更にしゃぶり尽くす商売だとよくわかります。

下流喰い―消費者金融の実態 (ちくま新書)

下流喰い―消費者金融の実態 (ちくま新書)


エンターテイメント小説として読めて、借金の怖さがヒシヒシと学べる本です。カードを使いすぎているあなた、他人事ではありません。

火車 (新潮文庫)

火車 (新潮文庫)



どのくらい借金してもいいか、自分で判断できる大人の国を目指しましょう。


そんじゃーね

*1:追記:この事件での警察の対応が問題視されたため、老夫婦の自殺の後に大阪府警はこの闇金の捜査に着手。2年かけて親玉を割り出し沖縄まで追いかけて、出資法違反と貸金業規制法違反で摘発しました。求刑7年に対し、2011年4月8日に大阪地裁で懲役4年、罰金100万円の判決がでています。

2010-07-13 格差問題@一票の価値

今回の参議院選では、121の議席が改選されました。73名が選挙区、48名が比例区です。参院選の選挙区は一票の格差が衆院選より更に大きく、今回も鳥取県民は神奈川県民の5倍の権利を与えられました。

実際に、神奈川県では70万票近くを獲得しながら落選した候補者がいる一方で、鳥取、徳島、高知県では16万票以下でも当選です。そこで今日は、「もしも選挙区割りがなく、得票数の多い順に当選していたらどうなっていたのか」をみてみましょう。


下記は、選挙区の候補者を獲得票順に並べたものです。全国の有権者の票が同じ重みであれば、この表の上から73名が当選するはずでした。

白の欄の人は順当に当選した人です。

青色の人は、「本来この得票数なら当選するはずなのに、一票の軽さのために落選した人」です。

皮肉なことに、このあからさまな格差選挙を有効であると強弁する最高裁のお仲間、現職法務大臣の千葉景子氏が「最も多くの票を獲得しながら落選した人」です。


また、表の下部にはピンクの欄の人がいますが、彼らは本来なら落選だったはずなのに、ひとりが何票も与えられている“権利富裕層エリア”で立候補したために当選できた人達です。この20名の政党名や都道府県名も、よーくご覧になってみてください。


f:id:Chikirin:20100712183630j:image:w400


一票の価値格差のために落選した20名の候補者(青色の人)が集めた票は、なんと計860万票です。今回落選した青色の人に投票した860万人は、有権者ヒエラルキーの最底辺に暮らす人達なのです。この数がどれほど大きいか、上記の一人当たり得票数と比べて頂ければわかるでしょう。

ワーキングプアならぬ“ボーティング・プア”(voting poor)として、有権者社会の底辺に暮らす860万人。彼らは法律にも行政にも顧みられることなく、もう何十年もずっと社会の底辺に放置されています。

一方で、ひとりで何票もの票を与えられた“権利富裕層”達は、これからも悠々と“所得保障”や“オラが村の郵便局への税金投入”など様々な権利を勝ち取っていくことでしょう。


★★★

ところで、もしも票の多い順に当選していたら、各政党の獲得議席はどうなっていたでしょう?

下記の表、最初の行には各政党の今回の当選者数が、次の行には上記の表での当選者数、すなわち、もしもちゃんと獲得票数順に当選していたらこうなったはず、という当選者数が記載されています。最後の行はその差です。

一目瞭然ですよね。今回の選挙で自民党がなぜゾンビのように復活してきたのか。権利富裕層の多く住む地方の“一人区”(定員一名のみの選挙区)で、今回、自民党は29戦21勝と圧勝しました。“一人が何票も持っている田舎を根こそぎ抑えたこと”、これが自民党勝利の大きな、そして唯一の理由です。


f:id:Chikirin:20100712181730j:image:w450

(この表に比例区での当選者数、非改選議席を加えたものが各政党の議員数です)


民主党もみんなの党も、まず今、何をやるべきか、何をやらねばならぬのか、よーーーーーーーく考えてほしいものです。


そんじゃーね。



-------------------------

追記) 関連エントリ「国民の代表の選び方」 http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20090809

2010-07-11 変化

「変化が大好き」と常々ブログに書いているちきりんについて、

「ちきりんブログの大ファンです!」と言ってくださる方の中にも、

「ちきりんさんには、ずっと変らないでいて欲しい」と言われる方があり、ありゃりゃと思います。


変ることが嫌いな人、変ることをネガティブに捉える人って多いよね。たとえば今、なにかすごくおもしろいものがあるとする。それにたいして「ずっとおもしろいままでいてほしい。変わって欲しくない」と考える人と、「どんどん変わって、もっともっとおもしろくなって欲しいーー!」という人がいる。

ちきりんは明らかに後者。今の生活が楽しいからといって、“ずっと”この生活を続けたいとはあんまり思わない。こんなに楽しい人生があるなら、もっと楽しい人生だってありえるに違いない。人生は有限なんだから、できるだけいろいろ体験しておきたい。


変化を好ましく思わない人は、「変化によって今よりおもしろくなる可能性」より、「おもしろくなくなる可能性」の方が高いと(無意識に)想定してる。つまり、未来は現在より暗いと予想してるんでしょう。

今のインドや中国には変化を厭う人は少ないと思う。同じ意味で高度成長の頃の日本だって、“変化=より明るい未来”だったわけで、日本人も今よりは変化を肯定的にとらえていたんじゃないかな。そう考えると、ちきりんは今でも未来にとても楽観的だから変わることにポジティブなのかも。


今想像しえるモノしか存在しない5年後の世界なんて、ありえないくらいつまんないし、

今想像しえるものにしかなりえない5年後の自分なんて、あまりにも残念だし、

今想像しえるものにしか遭遇できない5年後の世界なんて、あまりにも退屈だ。



変化大好き。

予想できないくらい大きな変化が起こってほしい。

混乱上等。


そんじゃーね

2010-07-08 「能力のない人へ」ができるまで

今日は、先日書いた「能力のない人へ」というエントリができあがるまでのプロセスについて書いてみます。たまには“ちきりんブログの舞台裏”をお楽しみください。


<Step 1:コア・メッセージの抽出>

きっかけは1ヶ月ほど前にみた“ガイアの夜明け”です。不振に陥った地方の旅館やホテルが、再建請負人の指導のもと事業を立て直すという特集でした。再建のプロと紹介されていたのは、関東近郊の人気ホテルやエンターテイメント施設の経営者で、再建ファンドに雇われて地方のホテルの再建指導をするとのこと。

舞台となる、とある地方ホテル。再建請負人(以下、再建リーダー)に指示された従業員達は必死になってコスト削減や売上増加策を考えるのですが、再建リーダーは週2回くらいしか現場にこられません。番組ではひとりの従業員に密着。彼は3日間ほとんど徹夜して、バス旅行のような企画をたてました。で、その案を東京からやってきた再建リーダーに説明。するとリーダー「これじゃ赤字でしょ。広告費が含まれてないですよね。やり直し」と。・・・しかも「ここまでやったんだから明日の朝までにできるよね」・・・「はい」みたいな会話が。

その時、ちきりんは思いました。「えー3日も徹夜したのに、また明日の朝までに資料作り直すの??」「この人、倒れちゃったらどうするの??」「脳溢血とか心疾患だと死んじゃうかもよ。これくらいの年齢だと小さい子供とかいそうだよ?」と。

そして思ったんです。「でも、こういう“スキル不足を根性と労働時間で補う”ってのが、日本のあちこちの企業で行われてるんだよなー」って。


この社員さんは、旅行企画を作るなんて初めてだったでしょう。大学をでて、地元のホテルに就職して、接客などホテルサービスの訓練は受けたはずです。立派なホテルマンだったかもしれない。でも、元々お客はJTB始め旅行会社がつれてきてくれるものであって、地方のホテルに企画や独自のマーケティング機能があったわけではありません。彼だってそんなスキルや知識をもってないのは当然です。

ところが会社が傾いた後、企画も、マーケティングも、損益管理も、なんの訓練も受けておらず知識もない人が、ある日突然「企画を作れ」と言われる。だから3日も徹夜する。3日後に突然だめ出しされて、また更に徹夜をする。


「なんて非効率なやり方なんだろ」とため息がでてしまいます。誰か(この再建請負人でもいいし、その部下として、そういうスキルを指導できる人でもいいけど)が、初めて損益管理を含めた企画案をたてることになった彼等に、3時間くらいベーシックなトレーニングとして、コスト計算や企画書の書き方を教え、また、3日も放っておくのではなく、一日に一回、作業途中の資料をメールで送らせて適宜アドバイスする、というようにしていれば、少なくともこの人は4日も徹夜する必要はなかったと思うんです。

でも、意図的なのか仕方ないのかしりませんが、そういう「ノウハウをきちんと学んで(教えて)効率的に仕事する」より「何日も徹夜して根性で仕上げる」ことをよしとする(もしくは、問題と思わない)なにかが、この国の職場にはあるよなーと。テレビをみながらそう思いました。

そこで「スキル不足を長時間労働で補うという愚」というメッセージが頭に浮かび、「今度これをブログに書こ」と思いました。これが始まりです。



<Step 2:伝達スタイルの決定>

次に、このコア・メッセージをどう書いて読者に伝えるようか、と考えました。ストレートに、「スキル不足を長時間労働で補うのは愚かしいですよね」と書いても、「そんなんあたりまえでしょ」って感じです。そんなんじゃ、おちゃらけ社会派の名が廃ります。

そこで思いついたのは、むしろ反対の主張にした方がメッセージは伝わりやすいかも、ということでした。反対にして、「スキルがない人は、長時間働いてスキル不足を補おう!」と書けば、多くの人が「ちきりんは何をアホみたいなことを言ってるんだ? スキル不足を長時間働いて補うなんて、愚の骨頂だ!」と思うでしょう。そうなればしめたものです。だって、それがまさにちきりんが伝えたいコア・メッセージなのですから。

こうして“煽り&反語スタイル”という伝達スタイルが確定しました。



<Step 3:プロットと構成の決定、文章化>

コア・メッセージと文章スタイルは決まりましたが、これだけでは一日分のエントリになりません。文章は10行くらいで終わってしまい、「なんでわざわざこんなことでエントリを起こすの?」という感じです。

そこで、スキル不足を補う方法として、長時間労働以外によく使われる方法にはなにがあるだろう?と考えてみました。それがいくつか思いつけば、「スキル不足を補う方法はこの3つ」というようなエントリに仕上げられます。

で、いろいろ考えた結果、「情報の抱え込み」とか「一言ネガティブコメント」を思いつきました。能力がない人でそういうやり方でごまかしている人はたくさんいます。この3つなら、一貫したテーマにそってまとまりもできます。

こうして“エントリの骨格=プロットと構成”が頭の中でできあがりました。そこで、初めて文章に起こします。このエントリだと短いので10分くらい。倍くらい長いものだと30分近くかけて文章化します。



<Step 4:推敲>

できあがった下書きを読み返してみます。すると、「この3つは、企画や会議が多い仕事をやっている人にはピンと来るけど、それ以外の仕事の人には意味がわからないかも」と感じました。情報を集めて加工、分析したり、それをもとに会議をする職業はそんなに多くありません。これでは「おもしろい」と感じてくれる読者数が少なすぎると思えたのです。

そこで、「なにかもっと一般的なことで、同じメッセージでくくれる事例はないかしら?」と考えて思いついたのが「自己啓発本」でした。今、書籍として最も売れているカテゴリーですから、買っている人も多いに違いない。それを題材にプロットを増やせれば、そういう人達にとっても「あるある!」と言えるエントリにできます。

というわけで、4つめのアドバイスを追記しました。なので、1ら3のアドバイスを読んで膝を打つ人と、4を読んで「そうそう!」と思う人は、別のセグメントかもしれないと今でも思っています。



<Step 5:告知方法の工夫>

最後に、告知方法を考えます。タイトルは採用した「能力のない人へ」というのがシンプルでインパクトがあると思いましたが、これだとプチ炎上するかな、とちょっとだけ日和りました。

でもタイトルをぼかすと全体にぴりっとしなくなるので、やっぱりこれでいくことに決定。あの高ピーなちきりんが「能力のない人へ」なんて書いてたら絶対クリックしたくなるだろう、と思えてわくわくしました。

その代わり冒頭の注意書きを赤字で加えました。いつも読んでいる人はいいのですが、検索でいきなりこのエントリだけを読みに来る人も多いので、何も書かないとマジだと思われる可能性があります。


最後にもう一度読んでみました。


うーん、やっぱりプチ炎上必至?と思えたので、もう少しなにか工夫ができないかしら、と。で、ブログ更新のお知らせツイートを下記のようにしました。


  

これで「ちきりん自身も、あのタイトルはやばいかも、刺激的過ぎるかも、って自覚してるんだな」ということが伝えられます。しかもこれをつぶやいた後にすぐ寝てしまえば、朝までずっと「最新ツイート」としてこの発言はブログのフレームにも表示されますから、ツイッターをやっていない人にもその文章を読んで貰えます。


おー、これでいーだろーということで、アップロード。


気をつけた効果かどうかはわかりませんが、思ったよりたたかれてなくてほっとしてます。「スキル不足を、長時間労働のような、くだらない方法で補うことの愚かしさ」というコア・メッセージが伝わっていれば、とても嬉しいです。(まあでも適当に解釈してもらえればいいので、全然違うメッセージが伝わっていても、それはそれでOKです。どうせおちゃらけだし。)


以上、エントリの裏側シリーズでした! (シリーズなのか?)


そんじゃーね!

2010-07-07 能力のない人へ

注意:このブログは“おちゃらけブログ”といいまして、笑い話が書いてあるブログですから、真に受けないように気をつけて下さい。


能力のない人へ

アドバイス4つ


アドバイス1)考える力のない人は、情報をため込みましょう

自分は考える能力が弱い、思考力がないと思う場合は、とにかく情報をため込みましょう。そして自分が手に入れた情報は安易に周囲に開示しないこと。まずはこれが大事です。

特に公務員の方などは、国民の税金で調査したデータの詳細を決して国民に開示してはいけません。そんなものを開示したら、自分と国民の間の差が、能力差ではなく「もっている情報の量の差」だとばれてしまいます。しかもその情報は、自分で集めたわけでさえなく、国民の税金により、天下りが何人もいるシンクタンクに依頼して集めたものだとばれたら、「なにそれ?」と言われてしまいます。ですから、絶対に情報は開示してはいけません。



アドバイス2)仕事のスピードが遅い人は、長時間働いて埋め合わせましょう

自分には効率的に仕事をする能力が欠けていると思うなら、頼るべきは“根性”と、働く時間の長さです。この二つの武器を持てば、能力のある人に少しだけ近づくことができます。

彼らが寝ている間に、彼らが人生を楽しんでいる間に、彼らがのんびりとつぶやいている間に、働き続けましょう。尋常でない時間にわたり働き続けるために大事なものが“精神論”です。くじけそうになった時は、「この仕事は社会の役にたっている」「俺がいないとうちの部門はまわらない」などの意味不明な呪文を口にだして復唱しましょう。死ぬほど働けば、能力のある人達が出す成果に、ほんの少しだけ近づくことができるでしょう。



アドバイス3)構想力のない人は、ひとくち批判コメントを使いましょう

非の打ち所がない、すばらしい提案が能力のある人からなされた場合、どんなにそれが気に入らなくても、決して長々と批判をしてはいけません。長々と話せば、あなたには論理性も議論の構築力も全くないことがばれてしまいます。

それよりはただひとこと、「合成の誤謬だな」とか「前提条件がぶれてるんじゃないか」というようなコメントをするのがよい方法です。そういった意味不明なコメントをしておけば、相手は当然意味がわからないため、効果的、論理的に反撃することができません。

この方法は特に初めて会う人達との会議で有効です。初めてなら、この方法によってあなたがアホだということはまずバレないでしょう。ただし、既にアホだということが周囲にバレている場合は、「またやってる」という冷笑を浴びるリスクもあります。とはいえかしこい人は余裕があるため、そういう批判を大声でいうことはないので、冷笑はあびても悠然とさえしていれば乗り切れます。



アドバイス4)不安な時は自己啓発本を読むか、もしくは、買い増しましょう

自分が能力が足りないのではないか?という不安に襲われた時は、すかさず自己啓発本を読みましょう。「あほらしいな−」とか「どの本も同じような内容だよなー」とか言いつつも、自己啓発本を読んでいる間だけは、自分の能力問題から意識をそらすことが可能になります。

また自己啓発本には意外な効用もあります。それは、読むのではなく買うだけで安心できる、という効用です。いくつも似たような本を読んだのにそれでも不安な場合は、とりあえずアマゾンであれこれ見定めながら、更に何冊か本を買い増しましょう。多くの自己啓発本は、読むよりも買った時に最もあなたを安心させるでしょう。



そんじゃーね!

2010-07-05 組織度(大)から個人度(大)へ

それぞれの時代には固有の“組織度レベル”がある。組織度(大)から組織度(小)まで。組織度(小)のことを個人度(大)と呼んでもいい。時代の移り変わりとともに、この数値は“大から小”、“小から大”へと連続的に変化する。

最初は大きな組織なんて存在しない。江戸時代なら豆腐屋とか鍛冶屋とか。戦後なら八百屋とか肉屋とか。商業が高度化すると次第に大組織が出現する。越後屋から百貨店に、パパママショップからスーパーに、繊維問屋が大規模商社になったりね。そしてそのうち企業グループが形成される。

行政組織だって、最初は小さな村なのにだんだん統合され階層化されて、巨大な官僚組織に仕上がっていく。どこの分野においても、最終的にはものすごい複雑で完成度の高い“組織社会”が作られる。


ところが組織度レベルが高くなりすぎると、それを息苦しく感じる人がでてくる。そういう人は最初は「ドロップアウト」とか「落伍者」と呼ばれる。でもだんだん組織の中で生きることを善しとしない人の方が増えてくる。むしろそっちの人の方がリーダーじゃね?みたいになってくる。すると社会の組織度レベルは下がり、“個人の社会”がやってくる。個人が組織に対峙するような社会ムーブメントが起る。


図にするとこんな感じ↓ 縦軸が組織度レベル


f:id:Chikirin:20100705195830j:image



左上から見ていくと、まず江戸幕藩体制という強固な組織。作り上げたのは家康から続く徳川の将軍達。でも300年もたつうちに形式的な組織のルールなんぞが増えてきて、“あほらし”とか思う人が出てくる。“こんなんじゃアカンやろ”と思う人も現れる。そしてそこに“脱藩”を志す人が登場。まさに「個人の組織からの独立」ですよね。

でも、江戸幕府の終焉という混乱を経た社会はすぐに次の組織を必要とする。精鋭達が必死で西洋に近代国家の統治機構という組織の在り方を学び、明治官僚体制が構築される。今も生き残る官僚国家日本の基礎はここでできあがった。そして、開国からまもないのに必死で先進国に追いつこうとする。組織一丸となる。富国強兵ってやつですね。


でも、「そんなん、つまんなくね?」みたいな人がでてきて、大正デカダン文化が花開く。「富国強兵のために生きるって変じゃね?」みたいな。「もっと好きに生きようよ」と。お上にたいしても好きなこと言おうよ、新しい思想を考えてみようよ、と。それが大正デモクラシー。

でも、そんな個人の時代も軍歌が聞こえてきたら終わり。社会は一気に「大政翼賛」に向けて組織度を高めていく。軍隊、地域のコミュニティ、家族親族、すべてが戦争体制のためにがっちりと組織化される。

それが敗戦で一気にぶち壊れると、その反動としてまたもや人は“個”を主張しはじめる。べ平連とか、新宿の地下街でのフォークゲリラとか、ヒッピー文化とか。若者達は“オレは組織に従属しないぜ”という主張を表現するために髪を伸ばし、ジーンズをまとう。

でも・・やっぱり高度成長の波には勝てない。「僕も髪を切って就職することにした」みたいになり、個人は再度、組織化されていく。全員が大企業社員と公務員を目指す社会。組織はどんどんでかく強固になる。


んが、最近になってまたみんな気がつき始めた。「会社のために病気になるまで働くなんて変じゃね?」と。「確かに安定はしてるけど・・人生は短いのに、ほんとにこれが、オレが自分の人生の時間を使いたいと思えることだっけ?」と。


組織度(大)→個人度(大)への移行期に私たちは生きています。


組織度(大)の時代に成功してきたお父さんは、子供の育て方を間違えない方がよいかもです。


そんじゃーね。

2010-07-03 ダムタイプ 古橋悌二氏  <S/N>

“六本木クロッシング2010展”に行ってきた。最近、美術館観賞の記録などは別サイト(“ちきりんパーソナル”)に書いているので興味のある方はそちらをどうぞ。

こっちに書いておきたいと思ったのは、その中で観たダム・タイプ(dumb type)が1995年に上映した舞台<S/N>の記録映像(80分)について。

ダムタイプは1984年に京都市立芸術大学の学生を中心に結成されたパフォーマンス集団で、中心メンバーだった古橋悌二氏はホモセクシャルでHIV+。<S/N>は、彼の感染告白を中心に構成されてる。

古橋氏は1960年生まれ、最初のボーイフレンドとの性交渉でHIVに感染、1992年に感染を公表し、1995年海外公演中に敗血症で他界。享年35才。今回見た映像も1995年に上映されたもので、古橋氏もかなり痩せている。当時はまだ多剤併用による効果的な治療方法が確立されていなかった。


メモランダム 古橋悌二

メモランダム 古橋悌二


この舞台の記録映像がすごいインパクトでちょっと圧倒されたので書き留めておきたい。ちきりんが感じたのは一言でいえば、“マイノリティであることの意識の先鋭化”ということ。

ちきりん自身は“女““日本人”というコンテキストで(一応)マイノリティであることを自身でも体験している。“女”として日本企業の世界で働いたり、“日本人”として西欧国に住んだりすると、ものすごい意識の先鋭化を体験する。それは“五体満足な日本人の男”で日本にしか住んだことない人には想像もつかない世界だと思う。(女でも今20代だとあんまり感じないとか、そういう時代性もあるとも思います)

この作品の中には“ホモセクシュアル”、“HIV+”“黒人”“日本人”“障害者”(作品の中ではDeaf)“セックスワーカー”という“マイノリティ・ラベル”を体に貼った(貼られた)人達が、それらの「ラベルから解放されたい」「解放されて愛の世界に生きよう」という強烈な思いを表現する。そういう舞台(映像)です。



memorandum [DVD]

memorandum [DVD]

↑S/Nに関してはDVD化されておらず、観られる機会が極めて限られている・・これはダムタイプの他の作品のDVD


HIVについては一応“特効薬“と言えるレベルの薬剤治療法がでてきて先進国の国民にとっては死病ではなくなったし、人種問題にしても障害者への差別とか、職業の貴賎とか、差別をやめようよ、ということで、それなりに世の中は“多様な人の共存”にむけて進んでいる。

それでも「自分は何者なのか」ということを問われるのは常にマイノリティ側にいる人達だけである、という事実は何もかわっていない。


たとえば日本人ばかりの会社にひとりだけタイ人がいれば、「あの人誰?」と問われた時に、みな「タイの人だよ」って言うでしょ。

男だけの会社にひとりだけ女の役員がいれば、「この人誰?」と役員一覧を指さされた時、人は「その人、女性役員なんだ」って説明するでしょ。

クラス写真の友人を指さしながら「この子はだれ?」と問うていけば、障害のある人に関しては「この子、耳が聞こえないんだ」って言うでしょ。


私たちは誰かを語る時、“わざわざ、その人がマイノリティであることを示すラベル“を探して説明するんだよね。だってそれが、それこそが「その人が他者とどう違うか」を表す最も効率的な方法だから。


それは「表現することの効率や効果」という意味では正しい方法なのかもしれないけれども、マイノリティ側に在る人達が、(常にそのラベルで呼ばれる人達が)、どう感じているのか、そう呼ばれることによってどう生きることを余儀なくされているのか、規定されているのか、という点については全くもって無頓着だ。


しかも。私たちはそういったラベルなしに自分を(他者を)語る言葉を見つけてもいない。マジョリティからマイノリティを分けるラベルではなく、ひとりひとりを表す言葉があるのか?というと、実はない・・・んだよね。少なくともそれは、「表現することの効率や効果」を追求する世界では成り立ち得ない。

たとえば、「あいつがどんな人間かってことは、あいつが踊るのを見れば分かる」とかいう話になれば、それを見るのに一定の時間やコストが必要になる。なんだけど、実際の話、人を語る、というのはそういうことなんだという(そんな簡単なことじゃないのよという)ことなのだ。



「あなたは何?」と言われた時に私たちが使う“ラベル”は何?


私は、

・日本人で、

・女で、

・こういう仕事をしていて、(もしくは “何もしていなくて”)

・家族構成はどうで・・

・・・・


仕事辞めたり、離婚したりしたら、「あなた」が変わるわけ?




自分をどう表現するのか、

どういう“ラベル”で私たちは自分を語るのか、

表現するのか。



私?

私は・・・

おちゃらけ社会派です。


っていうかね。この日記(ブログ)を全部読んでよ、と。それが私だからと。ラベルではなくて。

そういうやたらと時間とエネルギーのかかる大変な方法しか、この“ラベルの世界”から解放される方法は(人を語る方法は)ないってことだすよ。他者を理解する、自分を表現する、そこにはそんな容易い方法はないってこと。


そんじゃーね。

2010-07-01 世界のお札から

皆様の多大なご協力により完成した“各国のお札の図柄一覧”、呼びかけ後あっという間に情報が集まってびっくり&感激しました。(前エントリはこちら) というわけで今日は“まとめ”を書いておきます。


下記をご覧ください。まず大きく分けると、お札に人物を載せている国と載せていない国があります。人物を載せている場合、(1)政治家、為政者、(2)元首、そして(3)文化人に分かれます。人物を載せない場合は、建物か動物や偶像(女神像など)がメイン図柄となっていました。


f:id:Chikirin:20100701192403j:image



図をみていたら、いろいろおもしろかったので感想を順不同で書いておきます。


感想1:大国は政治家を載せる

アメリカは大統領を中心に政治家ばかり、中国もすべてのお札の肖像画を毛沢東で統一しました。世界のスーパーパワーを目指す国としては、「お札に文化人とかあり得ないでしょ」ってことなんだと思います。同じ意味で北朝鮮も大国主義ですから当然、首領様を載せています。


感想2:南米の歴史は力の争い

南米の特徴は「政治家=軍人」「革命家=為政者」というパターンが多いこと。国の権力のトップに就く人は選挙ではなく“力”でその地位に上り詰めるのだ、というのが南米大陸の歴史なんだなーって思いました。


感想3:建国の父は偉大すぎる

ベトナムのホーおじさん、トルコのアタテュルク氏、インドのガンジー氏など、すべてのお札にその一人が載っています。「我が国としてはこの人以外考えられません」ということなんだね。

また、インドネシアは複数人の肖像画ですが「オランダとの独立戦争の勇者」ばかりで、これもやっぱり「この人達のおかげで今の国がある」という強い想いを感じます。オランダからみると微妙でしょうが。

台湾もおもしろくて、5種類のお札のうち2つには人物が載ってます。中国の父である孫文と、台湾の存在理由ともいえる蒋介石です。ところが残りの3つのお札は野球チームだの望遠鏡だのとやや意味不明な図柄。これってきっと、「孫文&蒋介石に並べられるような人物は他には誰もいません」という意味なんですよね。だからこの2人以外はいきなり望遠鏡の絵になってしまう。台湾がどれほどこのふたりを特別視しているかが伝わってきます。


感想4:元首だと現役もありなんだ・・

人物の2パターン目は元首です。大英帝国系の国は“女王”を表面か最高額面に載せます。その他の王国も同じ。元首の場合「現役」の人を載せるのもあるのがすごいなーと思います。政治家だと現職大統領のお札はまず考えられないよね。


感想5:ロシアはなんで銅像なんだ??

ロシアの今のお札って、全部“銅像”が載ってるんです。なんの銅像かというと、ピョートル1世だったりキエフ大公だったりするので、帝政時代等の統治者や元首。これ、なんで肖像画を載せずに銅像を載せるんでしょう??ちょっと不思議。

ちきりんの仮説はこうです。ロシアはソビエト時代、何から何にまでレーニンの肖像画を載せていました。町中にレーニンの肖像が溢れてたんです。だから「偉い人の肖像画」をあちこちに載せることへ忌避感があるんじゃないかな。

レーニンの顔を町中に溢れさせていた時代は忘れたい時代だし、顔写真があちこちで見られるのはロシアの人にとっては「英雄の印」ではなく「独裁者の印」に見えるのではないかと。だから肖像画ではなく銅像を使うという、世にも回りくどい方法を採用してるのかなって、そう思いました。(いやたんなる妄想ですけど・・)

あとブラジルや香港のお札にも“女神像”みたいなのが載ってます。ブラジルは女神が丘の上で両手を拡げてる像も有名ですし・・・なにか具体的な人物が使えない理由があるんでしょうか。よくわかりません。


感想6:旧西欧のお札が文化人なのはいつから?

ユーロ直前の西欧諸国のお札の多くが「文化人」のみを載せています。これって示し合わせてこうなっているのでしょうか。また、いつからこうなんでしょう??たとえばフランスのナポレオンやジャンヌ・ダルク、ドイツのビスマルクなんかは、一度もお札に載ったことがないのでしょうか?このあたり、縦比較(時系列比較)も是非知りたいものです。


感想7:韓国はやっぱり儒教の国

韓国のセレクションも興味深い。世宗大王は王様ですから元首であり統治者なんですが、同時に儒教に基づく政治で有名な名君です。そして、彼以外の肖像画モデルにも儒学者が多い。と考えると、世宗大王も王様だから選ばれたのではなく基準は「儒教を重んじた人」なのかもしれない。

韓国ドラマをみていると、父親の権威とか“長男の嫁”感覚などをすごく強く感じ、儒教が生活に生きている度合いが圧倒的に高いといつも思うのですが、お札に載る人のセレクションにもその辺が現れてるみたいです。

アメリカの共和党候補は選挙中、日曜の午前中に家族で教会に行くのが欠かせませんが、韓国でも「親を大事にしない大統領」ってのは決して実現しないんだろうなと思います。


感想8:人が載せられない国には理由がある

人物を載せていない国は代わりに建造物か動物を載せるみたいですが、人物を載せない国にはそれなりの理由があるようです。

理由1)イスラム教の偶像崇拝:アラブの国(アフリカのイスラム国を含む)に人物を載せない国が多いのはその影響ではないかな。ただしサウジアラビアは王家を載せているので例外もあります。

理由2)人物は問題が多い:ユーロも各国の英雄は全部他の欧州諸国の侵略者なのでのせにくいよね。あとアフリカ諸国においては、植民地支配やアパルトヘイトが終わるまでの統治者は大半が支配者層(白人)なので、お札に載せる人がいないんでしょう。


★★★

というわけで、皆様のおかげでいろいろ勉強になったうえにとても楽しかったです。

なんども参照してるエントリですが、「分析の基本は他社比較と時系列比較」・・上記は典型的な他社比較分析ですが、やはり時系列分析も気になりますねー。たとえば、


日本の場合、戦前は神功皇后や日本武尊など皇族(神??天皇??)もお札に載っていました。それが戦後は政治家になり、1984年に文化人になった。戦前であれば、明治天皇の肖像画のお札があっても不思議でないのに実現していない理由とか知りたいです。やっぱり、天皇なんて載せたら(お札を)ぐちゃぐちゃに懐にしまったりできないし、不敬ってことなんでしょうか。

フランスは革命で共和制に移行した国だから、太陽王(ルイ14王)なんかを載せたくないのかな?フランス革命と王族、貴族を載せないことに関係があるのかどうか、関心あるよね。それと、フランスには文化人はそれこそ山ほどいる。どうやって“セザンヌ”が選ばれたのか知りたい。もちろんスペイン人のピカソを選ぶわけにいかないのはわかるけど。(それとも案外、純フランス国籍の芸術家って少ないの??)

中国も毛沢東をお札にしたのはいろいろ政治的な洗礼を経てのことなんだろうけど、これって中国暗黒史である文化大革命をある程度乗り越えたということ?それとも“元”の国際化を睨んでのなんらかの布石?とか。いろいろ興味深いです。


というわけで、次は、それぞれの国でのお札の図柄変遷をその国の歴史とあわせて調べたらおもしろいんじゃないかと思いました。おっと、でももうネット上での情報募集はしておりません。誰か学者さんにでも任せましょう。ちきりん的にはそういうのがまとまって新書で800円くらいで読めたら嬉しいです。

情報を寄せてくださった皆様、ほんとにありがとうございました。


そんじゃーねー