ブログトップ 記事一覧 ログイン 無料ブログ開設

Chikirinの日記 RSSフィード

2011-01-06 ちきりん最初の職業選び

今日は私が学生時代、どのように「自分に適性があり、やりたいと思える仕事」を探したか、という「やりたい仕事探し」のプロセスについて書いておきます。

まずは大学に入った直後、「もう試験は受けない」と決めました。

試験で人を絞ると、おもしろくない環境になるとわかったからです。

私が通った小、中、高、大学の中で一番おもしろかったのは中学校です。

すべて国公立ですが、学力試験で入学者を絞っていたため、高校と大学はとても同質的な集団でした。

結果として入試がなく、校区が(小学校より)広い中学校が、一番楽しかったのです。

中学校時代に関するエントリはこちら


大学に入って「なんじゃこれ?」と思いました。「こんな偏った集団の中では、リアルな社会を学ぶのは無理ざんしょ」と思えたのです。

だから「これ以上試験を受けたら、周りの人がさらに画一的になりそう」と思え、法学部だったけど司法試験も公務員も選択肢に挙がりませんでした。


その後、学生時代にはいろんなアルバイトを経験しました。最初は時給のよい家庭教師。

ところが私はこれを数ヶ月で辞めてしまいます。

教えていたのは私立中学校に通う男の子。

大学まで続く付属校に通っているのですが、成績が悪くて付属高校への進学が危ぶまれていました。

いい子だったけど、教えていても全くおもしろくありません。


その子は勉強なんて好きじゃなかったし、勉強に才能があるとも思えませんでした。

おとなしく素直な子で、彼自身も「お母さんに悪いから頑張る」という感じ。私もお金をもらっているから教えているだけでした。


最初の中間試験で、彼の成績が少しだけよくなりました。

本人もご家族も喜ばれましたが、私は「この仕事を続けるのは無理だなー」って思いました。

ある時、たまたま平日の夕方なのにお父さんがいらっしゃいました。

お母さんに「○○の成績があがったのよ。先生に挨拶を」と促されたお父さんは、深々と頭をさげ、「先生、よろしくおねがいいたします」と言われました。


私は(感謝されたにも関わらず)全く嬉しいと思えませんでした。

必死で働いて一家を支えているお父さんが、大学名がいいだけの小娘にこんなへりくだる必要があると思えなかったからです。

私はとても戸惑いました。

自分の父親にこんな行動をさせる学生がいたら、とても気分が悪いだろうと思え、約束した数ヶ月が終わった後、続けてくれといわれたけど、お断りしました。

行くのが気が重いような仕事を続けるべきではありません。

この経験で私は、「お金じゃないよね、仕事は」と理解したのです。


家庭教師に匹敵する時給をもらえる仕事としては水商売がありました。

これはおもしろかったです。


仕事の内容より、同僚の女の子達の生活が余りに余りで衝撃的で・・・

妊娠したり中絶することを、食べ過ぎておなかを壊す程度の失敗だと考えてる人がいると初めて知りました。

いつの間にかテレビに出てたり、AVに出てたりする子もいたかな。


当時はバブルが始まった矢先で、女子高生以下は商品化されておらず、「女子大生」は最強のブランドでした。

とてつもないお金の使い方をするおじさん達がたくさんおり、女の子はみんな興奮していました。

私はそれを見て、「お金が世の中を動かしているんだ!」と感じ、「メーカーより金融業界に就職するほうがおもしろそう!」と考えました。


同時に、いろんな人と話すのは楽しく、客商売は向いているとわかったのですが、「お店でお客さんを接待する」のは不向きだと感じました。

「店で客を待つ」のはとても受身な仕事だから。

おもしろいお客さんが来ることもあるのですが、そうでない日が続くこともあります。

誰に会えるかは相手によるのであって、自分では決められません。

なので「客商売がやりたいけど、小売店や飲食店より外回りの営業のほうがいいなー」と思いました。


セブンイレブンでもアルバイトをしました。

今ほどではありませんでしたが、コンビニ、特にセブンイレブンの商売の仕組みはゾクゾクするほどおもしろいものでした。

途中からバイトのスケジュール管理や発注もやらせてもらいました。

それらを通して、オーナーの働きぶり、バイトの管理方法、棚作り、(売れ残ると廃棄リスクのある弁当など)日販モノの発注リスク、フランチャイジーとザーの関係など、学校では学べないビジネスの現場やリアリティに触れました。

本部が招待してくれる、巨大な倉庫に作られた「棚作りのサンプル会場」(巨大な倉庫に、コンビニの棚の実際の例が大量に再現されている!)を歩きながら「ビジネスの仕組みを考えるのって、めっちゃおもしろい!」と興奮しました。


ある時、友人が一緒に仕事を始めようと誘ってきたのでやってみました。

一流大学のモテない男子学生に、女子大の女の子との合コンを斡旋するというビジネスです。

あちこちの学食に潜入してテーブルにビラをまいたりしました。

「お嬢様学校ってこんな雰囲気なんだーーーー」と驚きました。


やってみて、イチからビジネスをするというのは(こんなにシンプルな商売でさえ)、ものすごくたくさんやることがあるんだと驚きました。

儲けるってめちゃたいへんだなーと知ったし、女の子が集まらなくて自分で飲み会に参加したりしていると「なにやってんねん」感に襲われました。

一番困ったのは、パソコンも携帯もなかった時代なので、客からの電話を待つため遊びにいくこともできなかったことです。

私はこれでストレスがたまりました。

そして、「自分には起業より、土日や有給休暇など決まった休みが確保できる会社員が向いている」と理解できました。

“起業家ちきりん”というキャリアが消滅した瞬間です。


当時、国際電話を独占していた KDD の交換センターが新宿にあり、そこで交換手のアルバイトもしました。

簡単な英語が必要なので時給がよかったのです。

フィリピンの女の子から大企業の経営者へのコレクトコールで「しゃちょさんにつないで」みたいな電話がたくさんありました。

コレクトコールを拒否する経営者もいますが、応じてくれる経営者も多くてびっくりしました・・「えっ、この電話を会社につないでいいの??」って思いました。


最初はおもしろかったけど、コールセンターで働くのも私には無理と思いました。

結局は同じような電話ばかりで、1ヶ月もたつと日に数時間でも飽き飽きしました。

周りには何年もやっている人がいて、「あたしって忍耐力ないなー」と気づきました。

この仕事、募集時には「英語が活かせる国際的な仕事」と書いてありました。

「国際的な仕事とか、結構マユツバだなー」と募集広告の読み方も学びました。


飲食店のバイトでは、食材の仕込みや調理補助、接客、皿洗いなどを担当しました。

毎日大量のジャガイモの皮をむいていると、手が荒れて荒れて悲しかったです。

そういうところで何年も働いている母子家庭のお母さんや中国人留学生に会って、恥ずかしながら「日本にこういう生活をしてる人がいるんだ」と初めて知りました。


昔、学生運動家だったという人がひとりでやっていちカウンターだけの小さな居酒屋(赤提灯)でもバイトをしました。

ここで一番感謝しているのは、料理を覚えたことです。

私の作る料理はいまでも「居酒屋のおつまみみたい」といわれます。

この店のお客さんには個性的な人が多く、大学では出会えないいろんな人に会いました。

世の中広いなーって気づきました。


当時の女子の就職活動は(男性の内定が全部でた)4年生の夏くらいから始まっていました。

バブルが始まりかけとはいえ、女子は門前払いという企業も多く、男子に比べれば圧倒的に厳しい就職活動でしたが、

一方で大学の名前はすごく有効で、親が子供に勉強させたいと思うのはきわめて合理的なのだと理解しました。


当時、日本の大企業は女性をアシスタント以外では全然採用しておらず、女子学生の間で人気なのは、リクルートとIBMでした。

両方とも女性を男性と同等のポジションで、かつ大量に雇ってくれたからです。

また、公務員を含め試験を受けてつく職業も「男女格差が少ない」という理由で女子の間で人気でした。


でも、私はそれらをどこも受けていません。

「優秀な女性が殺到する職場はちょっと怖い」感があったからです。


一流大学でも、男の子には「大丈夫、君? ちゃんと働ける??」みたいな子もたくさんいました。

バブルが始まり、日本の伝統的な一流企業はそういう子だって(男子なら)ホイホイ採用していました。

一方で、一部の限られた職場に殺到する女子学生の優秀さは、驚くべきものでした。

あんなところに入って自分が評価されるとは思えなかった。

「どう考えても、あほな男子が多い会社にもぐりこんだほうが得でしょ」と思えました。


そこで 3つの日本の金融機関を受けました。

そして卒業後、そのうちのひとつに入社しました。

受けた 3つのうちひとつの金融機関で、ある面接官が(ほぼセクハラと言える)あまりにもふざけたことを言うので、私は面接途中で怒って帰ってきました。

帰り際に本社ビルを見上げながら「こんな銀行、潰れるぞ!」と悪態をついて。

そしたら(ずっと後ですが)本当に潰れたので驚きました。


あと、就職活動の最初の頃に BCG とかいう聞いたことのない会社から「 1週間で 10万円!」というバイト(インターン)の募集葉書がきていました。

「こんなの洗脳系の宗教に違いない」と思ってすぐ捨てました。

今でいう“情弱”=情報弱者な学生だったということでしょう。


というわけで、資格試験も受ける気にならないし、家庭教師もすぐやめちゃうし、店舗型接客業も続かなかったし、オペレーターも飽きちゃうし、起業も全然向いてないし、情弱だったけど、

「会社員で、お金の力のダイナミズムに触れられて、ビジネスの仕組みが見えて、いろんな人に会える仕事がいいなー!」と思っていたら、その通りのキャリアを(その後)進むことになりました。


★★★


この話からわかること、それは、私には「耐えられなくてすぐやめた仕事」がたくさんあるってことです。

この、「コレも合わない、今度の仕事もおもしろくない」っていうのを、学生時代ではなく卒業後にやっていたら、いわゆる「職を転々としたが、どれも長続きせず」な人になってたはず。

でも私はそれを学生時代にやりました。

そして就活を始める前には、知識としてではなく経験値として「自分にはどんな仕事が合うか」「自分がやっていて楽しいのはどんな仕事なのか」を理解できていました。

だから、卒業後に入社した会社は(転職した会社も含め)とても自分に合った会社ばかりでした。


みんなも、「合わない可能性のある仕事はできるだけ学生の間にやっとけば?」と思います。

学生時代って、「ちょっとやってすぐ辞めても誰も気にしない」という意味で、ものすごくリスクフリーな時間なんだから。


f:id:Chikirin:20150810175729j:image:medium

そんじゃーねー


http://d.hatena.ne.jp/Chikirin+personal/  http://d.hatena.ne.jp/Chikirin+shop/