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Chikirinの日記 RSSフィード

2011-02-25 ブログとツイッター

ちきりんがツイッターを始めたのは去年の秋、会社を辞めた時なのでまだ半年ほどです。当時、「ツイッターを始めるとブログの更新が極端に少なくなる」ということが多くのブログで起っていたので、「私もツイッターを始めたらブログ書かなくなるかな?」と思ってました。

で、半年。結論としては、そういうことは起らなかった。

それより少し前(昨年の6月)に身辺雑記のための別ブログ、“ちきりんパーソナル”を分離したことで本体ブログの更新頻度は減りましたが、ふたつのブログを合せると以前と同様のペースです。

ということは、私にとっては「ブログとツイッター」は代替可能ツールではなかった、ということなので、じゃあ何が違うのか、について考えてみました。


ちきりんにとってのツイッターはまず (1) プロモーション・メディアです。

ここでプロモーションしているのは、

・ブログのエントリ

・他所に書いた記事や取材された記事

・本

・講演予定などと、

・ちきりんというキャラ (←これ大事)


次に(よく言われているように)、(2) 速報メディアとしての意味が大きいです。

ムバラク氏の退陣とかクライストチャーチの地震とか、まず最初にツイッターで知りました。そもそもフォローしているアカウントの2割くらいはニュースサイトです。これはとても便利で、グーグルニュースのツイッターアカウントをフォローし始めた後は、グーグルニュースのサイトを見にいく回数が大幅に減りました。


(3) メモツールと呼ぶべきかな。ちきりんが連続してつぶやく時の大半はテレビを見ながらです。討論番組とかドキュメンタリーをみて、内容のうち「へー」とか「ほー」と思ったことをつぶやきます。

テレビみてると情報がどんどん流れていくけど、気になったことをつぶやいておけば記憶にも記録にも残るので、後からブログネタに昇華しやすくなります。


あと(4) 情報収集ツールとしても価値が大きいですよね。

自分から「どこどこに行くので、いいお店を紹介してください」など聞くこともたまにありますが、そういう情報収集よりは、自分が勉強したい分野に詳しい人をフォローしておいて、その人がつぶやいたりピックした情報で新しいことを学ぶというのが多いです。

個人的には、政治、経営者、メディア、あとIT系の人なんかをフォローしていますが、すごく勉強になることが多く、ツイッターってよくできたラーニングツールだなーって思います。教科書や学校などで学ぶのに比べて「縦横無尽に情報が入ってくる」感じ。情報鮮度も圧倒的。



一方のブログはというと、ちきりんの場合はなんといっても(1) 主張&思考の発信メディアとしての役割が大きいです。

ツイッターでは140字ごとに細切れになるので、主張や思考を一定のまとまりをもった形で伝えるのはとても難しいです。ツイッターには「考えてないこと」(=思ったこと、感じたこと)を書き、ブログには「考えたこと」を書く、という感じで使い分けています。


また、それらの(2) 思考の格納場所としてもブログはツイッター(や、そのまとめサイト)より圧倒的に優れています。

ブログは残高がすべてです。「Chikirinの日記」には月に2000程度のブックマークが付きますが、このうち2割くらいは過去のエントリにつけられるものだし、アクセスも3分の1くらいは過去エントリへのアクセスです。

検索で過去エントリのひとつを読み、そこから継続的な読者になっていただける方も多いので、幅広い過去エントリを「残しておくこと」がとても大事なので、最近は「後から読んでも意味がわかるように書く」ことを心がけてます。

たとえば大きな事件だと「今日起こったあの事件」と書いても、その時にはわかりますが、2年たってから読むと意味不明です。なのでブログでは、「誰が何をどうした事件」というのを必ず書くようになりました。ツイッターは「残しておくもの」ではないので、そういうのは全く意識しないです。



というわけで、ちきりんにとってはTwitterは、

(1) プロモーション・メディ

(2) 速報メディア

(3) メモツール

(4) 情報収集ツール


ブログのほうは、

(1) 主張&思考の発信メディア

(2) 思考の格納場所

となっており、代替物というより、並存・補完サービスとして使い分けています。



その他、関連しそうなことや、質問がきそうなことを書いておくと、

・メルマガはブログと競合するんじゃないか、と思ってます。

・ただし“代替できるか”というと、またそれは別の話、という感じです。


・なおメルマガは完全に“仕事”なので、ちきりんは今のところやる予定はないです。

・「本は仕事じゃないのか?」といわれそうですが、メルマガとは全然違います。

プロの作家さんならともかく、ちきりんなんかの場合だと、本には締め切りもなにもなく「原稿ができれば出版の可能性があるけど、できなければそれまで」です。

「やってもやらなくてもいいこと」は、ちきりん的には仕事ではありません。ブログも同じです。「書きたいときだけ書く」のは仕事ではなく趣味です。メルマガはいったん始めたらそうはいかないです。


・パーソナルブログはTwitterとやや競合するかなと思うけど、韓国ドラマなどについて考えたことは140字では表現しきれないし、料理の記録は文章と写真をセットで“格納”しておきたいので、いまのところ並存価値があります。


・話は逸れますが、ブログにしろツイッターにしろ、ちきりんは「ネット上では議論しない人」です。なのでいずれも「議論ツール」としては認識していません。

理由のひとつは「複数の主張があっていいから」です。ちきりんがAだとブログで書き、誰かが「Aではない、Bだ」というブログを書いたとします。

AかBのいずれかが正しく、いずれかが間違い、という場合は、両方を読んだ人が判断すればいいと思っているので、ちきりんが「いやBではない。Aだ」とあらためて書く必要を感じません。

また、実際には「Aとも言えるし、Bという見方もできる」という場合も多いので、だったらネット上にいろんな意見が表明されてるのはいいことじゃんと思います。

いろんな意見の人がいるのは健全であって、みんなで議論して「意見をひとつに統一する」必要性自体がよくわからないです。選挙でも会社の運営でも意見の統一なんてしませんよね。最後は投票して多数決で決めるだけです。それでいいじゃんと思ってます。

もうひとつ、ちきりんがネット上で議論をしないもうひとつの理由は「あまりに議論効率が悪いから」です。実際に会って話し合う議論効率を100とするとネット上で議論する効率は10以下じゃないでしょうか。同じ結果を出すのに10倍の手間がかかるので、時間の無駄感が大きくやる気になれません。


というのが今のところの感覚です。いろいろ新しいサービスもでてくるし、一年くらいたってコレを読み返したらどんな感じで変わっているのかなーというのは楽しみです。


そんじゃーね。

2011-02-23 ライターとカメラマン

職業として文章を書く人(広義のライター)と、写真を撮る人(カメラマン)って似てるよね。たとえばこんな↓感じで共通点が多い。

(1) 元々なりたい人が多くて供給過多 なところに

(2) ネットインフラや簡易機材の進化で、ハイスキル素人が大量に市場参入


(3) でも市場が効率的でないからチャンスは偏っており、ごく一部のトップに仕事が集中

(4) そのため大半の人がワープア


(5) 体系的な職業訓練が受けられる組織が限定的 (だから自己流か徒弟制でワザを磨くしかなく)

(6) 仕事の種類には厳然たるヒエラルキーがある。


(6)のヒエラルキー構造も酷似していて、内部の人が「こっちの仕事のほうが高尚である」と思っている順に並べると下記のような感じ。ちなみに赤字は全体に占める人数の比率(ちきりん)推定値。


1.アーティスト ・・・0.1%未満

・カメラマンの場合=写真が美術館に飾られる。個人で個展が開催でき、作品が売れる

・ライターの場合=文芸作品、批評などの分野の作家で、権威有る賞の受賞者、さらには選考委員である大先生。ノーベル賞候補だったりもする。


2.商業トップ・・・0.9%

・カメラマンの場合=一流企業の広告撮影(被写体はトップ女優や海外ロケなど)を担当。有名女優の写真集カメラマンにも指名される。

・ライターの場合=推理小説やサスペンス、娯楽小説、エッセイなどの分野で、出版する本のすべてがベストセラーとなる。


3.商業ハイエンド・・・4%

・カメラマンの場合=一流媒体向けにモデルを撮影。もしくは一流メディアと契約。写真で食べていける。

・ライターの場合=複数の著書があり、雑誌やメディアに掲載枠をもち、文章で食べていける。


4.商業マス・・・15%

・カメラマンの場合=通販雑誌、情報誌、折り込み広告の商品写真からカフェメニュー写真やカットモデルの写真、地域の学校イベント写真まで、幅広く仕事を請け負う。なりふり構わなければなんとか食べていける。

・ライターの場合=街角配布型の無料雑誌の記事、特集雑誌の一部担当、ウエブ媒体での連載、パンフレットの文章作成、インタビューの書き起こしなど、頼まれた仕事は全部受けて休日もなく走りまわり時には経費も請求できない。なりふり構わなければなんとか・・・。


5.大半(上)・・・30%

・カメラマンの場合=選り好みしなければ月に複数の仕事が入るが、カメラだけではとても食べていけない。撮影時間より、勉強時間や営業にかけている時間のほうが長いくらい。

・ライターの場合=同上


6.大半(下)・・・50%

・カメラマンの場合=友人知人依頼のボランティア的な仕事しかない。ごくたまに低額な報酬を受け取るが、主な生活の糧はバイト、配偶者の収入など。

・ライターの場合=無料のブログやウエブ媒体記事のようなボランティア的な仕事しかない。ごくたまに低額な報酬を受け取るが、主な生活の糧は同上。



7.番外:戦場カメラマン(含一発屋タレント)&戦場ジャーナリスト



おそらく市場構造自体は昔から変わってないのだけど、今はネット時代でどんどん“副業系”の人が参入して価格破壊が起こり、プロを目指す人にはより厳しい時代になりつつあるのでしょう。


で、こういう状況が根本的に改善されるには、ふたつの方策が必要で、それは

(1) 市場自体を拡大する(需要拡大)

(2) 実力のある人が迅速に見つけられ評価される“市場の構築”


と思っていたら、おもしろいサービスを見つけたのでご紹介。


これ↓

“あなたのランをプロが撮る!”


フォトクリエイトという会社がやっているサービスで、たとえば東京マラソンの時、各スポットにプロカメラマンが待機していて、走ってきた人の写真をどんどん撮影する。ランナーは後からウエブに掲載された写真を見て、気に入ったらその写真を購入するというサービス(ビジネス)。

類似サービスで原始的なのだと、観光地でフェリーに乗る時に勝手に撮影され、降りた時に「一枚千円」とかで(買っても買わなくてもいいけど)販売してる、のがよくあるでしょ。

あれだと自分達のカメラでとるのとたいして変わらないけど、マラソン途中の臨場感ある写真は素人撮影では難しいし、家族が撮るにしても1地点でしか撮影できない。でもこうやって複数地点でプロに撮ってもらえて、スポーツ雑誌に掲載されるような“かっこいいモード”なスポーツ写真になるなら、それはなかなか素敵かもしれない。しかも複数ポイントで撮影された写真を比較して、一番気に入ったのだけを買えばいい。

というわけで実際、結構人気なんだそうです。特に東京マラソンなんて素敵な写真が残れば一生の思い出になるし。


んでもって今回ちきりんがおもしろいと思ったのは、この「全体の仕組み」です。これ、フォトクリエイトに多くのフリーカメラマンが登録し、フォトクリエイトが日本各地のスポーツイベントの主催者と交渉して写真撮影機会を開拓してカメラマンを送り込む、という仕組みになっている。

このページをみると、スポーツだけじゃなくて学校とかサーキット、ダンス大会やステージなんかにもプロカメラマンを送り込んでいるようです。たしかに動きの速いサーキットやダンス大会なんかも、素人とプロの写真では相当クオリティが違うんじゃないかと思えるので、いいサービスかもしれません。これからは主催者側から「是非派遣してほしい」みたいなのもでてくるかもしれない。


でね。これってつまり、フォトクリエイトという会社は「プロカメラマン」が活動できる市場の新規開拓を担当している、とも言える。もちろん第一義的には自社のビジネスのためにやってるんだけれど、個別のフリーカメラマンがあちこちのスポーツ主催団体と協議して市場開拓するなんてまず無理なわけで、その意味ではこの会社、カメラマン界(?)にそれなりの貢献をしてると言ってもいい。

さらに当然「誰が撮った写真がよく売れる」というフィードバックがフォトクリエイトにもカメラマンにも入るだろうから、売れる写真が撮れるカメラマンはどんどん大きな大会に呼んでもらえるようになる。その中から、上記に書いたヒエラルキーを越えてキャリアアップしていくカメラマンがいてもおかしくない。そうです、「効率的な市場」が形成される一助となるわけ。

となると、上に書いた「解決のために必要なふたつの方策」そのものでしょ。


しかも東京マラソンのように大きなイベントだと、同じスポットで複数のカメラマンが撮影するから、カメラマンにとっても、「自分と同じ立ち位置で撮影した別のカメラマンの写真」を見ることができて、撮影技術の勉強という意味でも役立ちそう。徒弟制度だと自分の師匠の技しか学べないけど、これならいろんな人のスタイルを学べる。

それはつまり、組織による育成機会に恵まれないフリーの人達に、「市場による育成機能」が提供される、ということでもある。


というわけで、別にこの会社(=フォトクリエイト)はカメラマンの育成やら市場化を目的としてるわけではなさそうだけど、でも結果として“けっこういい感じ”になってるんじゃないかと思った。


そんじゃーねー!

2011-02-22 ツイッターはとても市場的

あたしは常々「ツイッターはすごく市場的だ」と言ってます。

価値あることを呟いたりリツイートしていれば、無名の人でもフォロワーが増える。

反対にそうでなければ、少々有名だったりテレビに出たりしていても、フォロワーは増えない。

フォロワーの数は、その人の価値を表す株価のようです。


もうひとつ、ツイッターの市場性を高くしているのが、ブロック機能です。

発言が評価されてフォロワーが増えるという方向とは反対に、「この人とつきあいたくない」と思われると、どんどんブロックされてしまう。

この機能も極めて市場的。

人気のないお店は客が来なくなり、淘汰されるのが“市場的”というのと同じ意味でね。


★★★


市場には、フィードバック機能があります。

たとえばブロックされた人は、ブロックされることで初めて「自分の発言が他者にどう聞こえるのか」について、学ぶことができます。

実生活ではそういう機会はほとんどないため、これはとても貴重な学びの機会です。


たとえばAさんがBさんにブロックされた場合、Aさんは、「あっ、こういう発言をするとブロックされるんだ!」って学べる。

そしてその後は、(他の人にもブロックされたくないと思うなら)どのように発言すればいいか、考えることができます。


でもリアルな環境だと、こういう明確なフィードバックはなかなかもらえません。

リアルな環境では、Bさんは“すっとその場を離れる”とか、“次回からAさんの近くにやってこない”という行動をとるだけなので、Aさんは自分が“ブロックされている”ことにさえ気がつけないんです。


ネット上でいろんな人からブロックされている人は、リアルな社会でも周りの人から密かに距離を置かれている可能性が高いと思います。

でも、リアル社会では、そのことは本人にはほとんど伝わりません。

それがわかるのは、あからさまに「お前、嫌い!」と言い合うような小さな子供の世界だけで、

大人の社会では、相手に対して明示的に「私はもうあなたとコミュニケーションしたくありません」と伝えるなんて、ほとんどないでしょ。

そんなことするの面倒だし、文句言われて逆ギレされたら鬱陶しいもん。

だからリアルな世界ではは、人はなぜいつも他者が自分から去ってしまうのか、なぜ自分のネットワークはあまり拡がらないのか、いつまでも理解できないんです。


ところがツイッターなら明示的にブロックされるから、それらがすぐに理解できます。

「なんと! こういう言動をすると、コミュニケーションを拒否されることもあるのか!」って。

なお、「なぜブロックされたのかわからない」と言ってる人は、昔、学校で散々弱い子をいじめておきながら、「いじめた記憶はない」って人と同じです。

イジメに関しては、多くの場合いじめてる側はその意識が薄い。

同窓会で自分をあからさまに避ける人がいたとしたら、その理由は「いじめられた側だけが、それをよく覚えているから」でしょう。


★★★


なお、自分の言動の結果、誰かに拒否されたとしても、言動を変える変える必要などない、と考える自由は誰にもあります。

「いくらブロックされようと言いたいことを言う」のもひとつの考え方だから。

特にネット上では、同じようにブロックされた人同士が集まり、それらの人だけで仲間の輪を形成することも可能ですからね。

なのでリアル社会とは異なり、「他者に拒否された自分」でも仲間を見つけられます。そういう仲間と快適に過ごすというのも、ひとつの選択肢なのです。


★★★


大事なコトは、ネット上ではブロック機能のおかげで「言動を変える、変えないというふたつの選択肢が自分側にある」「その選択をするためのフィードバックが明示的に得られる」ということです。

これがリアル社会とは異なる、ネットコミュニティの大きなメリットだと思います。

リアルな社会だとフィードバックが直接的じゃないから、選択肢がふたつあることにすら気づかず、言動を変えるチャンスを逸して、いつのまにか 100人もの人が自分を避けている・・・みたいなことが起こりえるし、

それに気づいた時には既に手遅れで、リカバーができなくなってたりもします。


昔、尊敬する上司が言ってました。「厳しいことがどんなにやさしいことか、そのうちわかる」と。

誰かに拒否されたことがわかるツイッターと、それがわからないリアル社会と。どちらが「やさしく」どちらが「厳しい」のか。

実は「明示的に拒否されたことが分かるネット社会」のほうが、よほど優しい社会だとも言えるのではないでしょうか。


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そんじゃーね。


http://d.hatena.ne.jp/Chikirin+personal/  http://d.hatena.ne.jp/Chikirin+shop/

2011-02-21 “厳しいからやさしい”市場

先日の「就職できない若者は、地方議員への“選活”も視野にいれたら?」というエントリについて、

fresh524 さんが水俣市のデータを示したブログを書いてくださったので リツイートし、ブログにも紹介した。

そしたら翌日、下記のようにつぶやいてらした。


で、思った。やっぱり工夫が大事だよねと。


インターネットは「価値あるもの」を提供すればそれなりに報いてくれる。

よく「インターネットは大海。いくら価値あるものを投げ込んでも見つけてもらえなければダメ」と聞く。

それはそうでしょう。


でもその一方で、「見つけてもらうためのプロモーション」ばかりやってても、見つけてもらったものに価値がなければ、それもまたお話にならない。

まずは「なんらか価値のあるもの」を作って、「どうすれば見つけてもらえるか」工夫するという 2段階が(あまりにも当たり前だけれど)必要。

そして、そういう人には、それなりに報いてくれるのがネットだと思う。


それともう一つ。「市場」には人を育てるという大事な機能がある。

ネットという市場ももちろん同じ。自分が発信したことに反応があったり、もしくはなかった時に「なぜだろう?」と考えることで、自分にフィードバックがかけられる。

どうすれば反応がもらえるだろう? 自分の欲しい結果が得られるだろう? と考えることができるんだよね。

株式市場も同じ。政治家や経営者の判断や方針発表によって株価が上がったり下がったりする。

それにより、政治家も経営者も「何が受け入れられ、何は拒絶されるのか」を学んでいく。

労働市場だって同じ。面接で落とされたら「なんで?」って考える機会がもらえる。


この市場の人材育成機能はとても大事で、だからこそちきりんは“市場がやさしくある必要はない”と思ってる。


ママが子供にやさしくすることは否定しない。

でも市場においては、価値のないものははっきり拒絶するほうがいい。

くだらないものを受け入れると、その人はずっと気がつかない。

それでは育たない。鍛えられない。いつまでも(市場で)通用するものを作れない。

市場は「厳しいからこそやさしい」んだよ。


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そんじゃーね。


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2011-02-20 びっくりな地方議員の報酬

昨日のエントリに関連して、id:fresh524さんが、水俣市議のケースでデータを集めて下さいました。衝撃の内容ですね。。

http://d.hatena.ne.jp/fresh524/20110219/1298110274


どこもかしこも、地方議員の給与は本当に高いです。


(2) 新宿区議でさえ、最低1400票で当選し、なんと年収950万円!

新宿区議会議員でこれってことは、東京都議会議員の年収っていったい・・



(3) 萩市議会は、852票以上で当選、470万円



(4) 神戸市になると年収が1600万円近い! 

そういえば今話題の名古屋市議もそれくらいでしたね。これくらいの年収が4年間確保されるなら、2年くらいかけて“選活”し、最低得票数の5000票確保を狙うくらいの長期計画でも、やってみる意義があるのでは? 神戸あたりの学生さんどうかしら?

http://d.hatena.ne.jp/tekk+books/20110220


というか、神戸で年収1600万円稼げる給与所得者って他にどんだけいるんだろ?しかもコレ兼業可能なんですよ・・・議会は一年中開いているわけではないしね。神戸ってもしかして景気がいいの??神戸市って黒字なの??



(5) 神戸と大阪の間にある西宮市。最低1805票で年収1100万円ゲット!

神戸より年収は低いけど、必要な得票数は神戸の半分以下だから、選挙効率を考えると神戸より得かもしれませんね。詳しくは下記をどうぞ。

http://tomozo2626.blog121.fc2.com/blog-entry-367.html



(6)稲毛区の20歳以上の学生が団結すれば、二人は選活に当選できます!

それにしても千葉市で1400万円っていいお給料ですねー。



※議員報酬には「ボーナスを除いた数字」が書いてある場合が多いのでダマされないように調べてみてくださいねー!


こちらもどうぞ!

2011-02-19 パンが無いならケーキを喰え的 立候補の勧め

先日、「地方議員って存在価値あるわけ?」というエントリを書きました。その後、こんな本が出てるのを見つけました。

読んでみて、なるほど合理的だよねと思いました。先日のエントリでも触れたけど、小さな行政区の議員だとホントに少ない票数で当選できる場合があります。

だったら若い人だって、この就職難のご時世、就職先のひとつとして地方議員を目指してみるというのはひとつの選択肢だと思いました。

1.21人に1人が当選! “20代、コネなし”が市議会議員になる方法

1.21人に1人が当選! “20代、コネなし”が市議会議員になる方法

(キンドルあります!)


就職活動をするのと地方議員の選挙に出るのを比べながら考えてみると、

・25歳以上の日本国民なら立候補できる


・選挙は金がかかるというけど、自転車でまわれるような小さな行政区なら実はそんなにお金をかけなくても当選できる可能性がある(詳しくは本を読んでね)。


・「就活はリクナビがあるけど、選挙なんてノウハウが分からない・・・」という人のためにこういう本がでているわけです。なるほどこうやって選挙活動(略して“選活”)するのね、って感じです。


・議員は究極の好待遇職業。一度みんな自分の街の市議会議員などの報酬と活動費の額を調べてみてください。本にも書いてあるけど、議員の報酬は一年目も60歳の時も同じです。つまり初年度から年収1000万円も夢じゃない。20代で議員になるのは非常にお得。民間企業なんてメじゃないです。


・「選挙はそんな甘くない。大変なんだぞ」と思うでしょ。そりゃあそうです。だから、ちきりんだってバブル期ならこんなことは勧めない。

でも今やどうせ就活も大変じゃん? 同じ大変さなら、選挙も選択肢にいれてみたらいいじゃん、というのが、こういう本が最近相次いで出版されてる理由だと思う。


「オレは就活が相当大変そうだ」と思う人は、一度、自分に縁のある地域の議員選挙の「最下位当選者の得票数」を調べてみればいい。その票を取るのと就職活動に勝利する(!?)のとどっちが楽そうか考えればいいってことです。


・若いということが売りになる、というのもあるよね。就活してると、ライバルは全員若い。若い人の中から企業は「デキル人」だけを採用しようとしてる。

でも地方議員なら場所を選べばライバルは高齢者ばっかりだよ。でもその地区にだって若い有権者は一定数いる。議員になるための最低得票数はたいして多くないんだから、若い人の立候補が少ない地域なら「若い人の投票率を上げる」ことができれば当選できる。


・「ダメダメ人生」さえ売りにできる。大学時代に無為に過ごしてしまったとか、就職できなくてバイトや非正規で働いて大変な思いをしたとか、そういう経験が「だから社会を変えたいんです!!」という立候補理由になるし、有権者に共感を呼ぶ。就活に勝てる人と選挙に勝てる人は、同じじゃない。


・ダメだった場合のメリットもある。就活で100社受けて落ちたら、絶望したくなるでしょ。「オレは社会に求められてない・・・」と思うじゃん。しかも「100社落ちて就職浪人」した人を、企業は翌年に「採用したい」とはなかなか思わない。「落ちた」ことが全く活きない。

でも選挙は違う。準備も含めて一年やってみて、たとえ落選しても多分「絶望的」な気分にはならないと思う。それなりに学びがあり、それなりに自分の成長が実感できるはず。

しかも、その経験をひっさげて就活市場に乗り込むのもアリだよね。自己PRとか志望動機とかサラサラ書けちゃうと思う。

気分的にも、必死で活動した選挙に落ちるのは、就職活動で100社から落ちるより、相当マシだと思うよ。


というわけで、「パンが無いならケーキを喰え」的な立候補の勧めなわけだけど、ここでのポイントはパンを手に入れるために必要な能力とケーキを手に入れるために必要な能力は違ってるってこと。

就活に競争力のある人と地方の選挙に強い人は違うんだよね。だからパンが手に入らない人にも、もしかしたらケーキは手に入るかもしれない。


だったら100社も落ちる前に、ケーキを狙ってみたらどうよ?

と煽ってみる。



あら〜、あたしったら相変わらず無責任!



そんじゃーねー!


→ 関連エントリ ★地方議員がいかに高給取りか、知ってます!?★

2011-02-16 ネットのちきりん・リアルな私

最近はフェースブックの流行で、“いよいよ日本もネット実名制?”と話題になっていますが、今日はちきりんのネット&リアルステイタスについて図表化してみました。


まずは6年前、2005年にちきりんはブログを始めました。当時は会社員だったので、図で表すと下記のような感じでした。“ちきりん”とはネットのみに存在するキャラであり、一方で実名の私はネット上には不存在でした。こういう人は今もたくさんいると思います。


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ところが、次第に“ちきりん”はリアルにも登場しはじめます。お面をつけて、とはいえ、対談や講演を始めたからです。

またリアルな私もLinkedinという転職活動系のSNSに実名登録を始め、ネット上に登場しました。2年くらい前の話です。


f:id:Chikirin:20110216113135j:image:w400



そして昨年の秋、リアルな私は退職して無職となり、同時にちきりんはTwitterを始めました。このタイミングは関連しています。会社員として働いている間はTwitterなんてやる暇はなかったし、ちょっとしたつぶやきで仕事内容が漏れることも警戒せざるを得ませんでした。


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そして“実名の私の退職後”、“ちきりん”は講演や出版という形で“リアル”での活動領域を広めています。

その一方で実名の私はフェースブックにアカウントを開き、リアルなコミュニティをネット上に作り始めました。会社を辞めて“社縁”の切れた私には、フェースブックは非常に便利な同窓会ネットワーク維持ツールです。


f:id:Chikirin:20110216113133j:image:w400


ところでこの表から、上段と下段の間に“黒い帯ライン”を入れました。これは“ちきりん”と“実名の私”は異なるキャラとして存在し、将来も混じり合うことはない、という意思表明です。

この件については、私もそうすべきだと思っていますし、知人・友人・家族も「分けておくべき」という意見です。誰一人として“同一化させるべき”という人は(実際の私とちきりんの両方を知る人の中には)いません。



さて、今年の秋頃(退職1年後くらい)を目処に、実名での私も、ブログなどネット上の活動を更に追加していこうと考えています。

実名の私にも(フェースブックのようなリアルベースのネットワーク内だけではなく)ネット上で広く伝えていきたいと思っていることがあるからです。これも退職しなければ(時間的な意味と、情報管理の両方の意味で)できなかったと思います。

今は実名の私はネット上においては無名の存在ですが、ブログを始めれば、“ちきりん”を目標として頑張っていくことになるでしょう。


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上表では「ブログ and more?」と書きましたが、ブログ以外のネット上活動、たとえば「実名でもTwitterをやるのか?」などは、余りに難しくて今は判断できません。そのうち考えるつもりです。


ところでこの計画を話すと、多くの友人がアドバイスをくれます。そのアドバイスは、「実名ブログの最後には“そんじゃーね”って書かないほうがいいと思うよ」というものです。


みんな、あたしをアホだと思っているみたいです。



そんじゃーね。

2011-02-14 存在価値を問われる仲介業者=地方議員

先日、転職エージェントに関して「存在意義を問われる仲介業者」という趣旨のエントリを書きました。

2月6日の名古屋・愛知のトリプル選挙で起ったことの意味も、それと同じでしょう。


まずはまとめから。

2月6日(日)、(1) 愛知県知事選、(2) 名古屋市長選、(3) 名古屋市議会の解散を問う住民投票、のトリプル選挙が行われました。

市長に再選された河村たかし氏と、タッグを組んだ大村秀章氏の支持陣営の圧勝です。民主、自民なども候補者を擁立しましたが、全く歯が立ちませんでした。


愛知県知事選・・(投票率 52.52%)

当選  1,502,571 大村 秀章

次点   546,610 重徳 和彦


名古屋市長選・・(投票率 54.14%)

当選   662,251 河村たかし

次点   216,764 石田 芳弘


名古屋市議会解散の住民投票(選管最終発表)・・(投票率 54.17%)

賛成   696,146

反対   252,921


支持者の投票率を上げるため、任期途中で辞任して市長選の同日投票に持ち込んだ河村氏のやり方や、財政赤字下での減税案などについては反対論も多いようですが、私は河村氏を支持しています。

何度も書いていますが、大きな変革を起こすときに、混乱も犠牲者も手続きの瑕疵も一切無く、すべてがスムーズに進むなんてありえません。

強引すぎる手腕と、自身への批判をモノともしない胆力のあるリーダー無しには世の中は何も変わらないのです。


さて、今回の市民の選択、その結果の解釈については、様々な言葉で表現できます。

たとえば、「政治における中央集権制の終焉(=自民、民主など中央政党の敗北)」とも言えるし、「地方首長カリスマ時代」なのかもしれません。

それらの中でちきりんは、今回の問題の本質は、“仲介業者としての地方議会・地方議員”が存在意義を問われ始めたということだと理解しています。

(前市長が暴走しすぎたけれど、阿久根市問題も全く同じです。)

ちなみにここで“地方”という言葉は“中央=国政”との対比で使っているので、港区議会(&議員)も東京都議会(&議員)も“地方議員”です。


“地方議会&議員”は、住民自治=民主主義の象徴的制度として導入され、手厚く遇され、強い権限を与えられてきました。しかしながら現実には、長期間にわたり、多くの自治体において、地方議員も議会も全くその役割を果たして来ていません。


現状では、

・住民は区議会選、村議会選、市議会選に全く関心を持たない。

・低い投票率の中、業界団体などの既得権益団体の支持があれば比較的楽に当選できる。

・議員の報酬はお手盛りで議員によって決定される。

・活動費の使用使途についてもほとんど監視を受けていない。

・議員職はしばしば世襲される。

・議員は兼職できるため、多くのゼネコン企業関係者が議員となり、議会で街の工事計画の決定に参画するなど、利益誘導型の政治が横行している。

・特定の利益団体からの要望によって極めて偏った政策、予算配分が通ってしまう。

など、“日本で最もダークな組織と職業”と言えるほどのひどい状況です。


今回、河村氏らが市民の絶対的な支持を得た背景には、減税云々よりも、この「地方議会の議員って、意味がある仕事をしているのか?」という本質的な問いかけがあったと、ちきりんは考えています。


半年ほども前でしょうか。批評家&作家の東浩紀氏がテレビ番組の中で、「インターネットを利用すれば、小さな地方自治レベルなら直接自治が可能になる」と話されていました。

直接自治とは、地方議会を通さず、市民が直接、全員で政策について話し合い、決議(=投票)していく体制です。

ネット選挙さえ実現していない現在では、直接政治・直接自治の実現にはまだまだ遠いかもしれません。

しかし投票や決議は無理でも、意見交換や議論であれば、ネット上のツール、サービスを使うことにより議会の機能の一部を代替することはもはや十分に想定できるでしょう。


そもそも可能でさえあれば、団体の運営は構成員全員が話し合って決めるのがベストです。10人や20人の部活動なら、部の運営方針は全員で話し合って決めますよね。

それを、“構成員の代表者をまず選んで、代表者に議論させ、政策を決めさせる”という間接方式に変えたのは、構成員の数が多すぎて、集まる場所がない、集まるコストが大きすぎる、人数が多すぎて話し合えない、など“実務的に難しかったから”に過ぎません。

“次善の策として”“しかたがないから”、“他に方法がないから”、議員や議会があっただけです。可能なら「直接話し合えないか、すべてを直接投票で決められないか」と常に模索すべきなのは当然です。


“地方議会&議員”そのものが、“仲介業者”なのです。

メーカーも小売店も多すぎて直接納品なんてできないから問屋が仲介業者として存在するように、ホテルの数も宿泊希望者の数も多すぎるから旅行会社が仲介業者として存在するように、地方議会&議員は、有権者の数が多すぎるから存在していた仲介業者です。

したがって、問屋や旅行会社が受けつつあるネットの洗礼を、今後は地方議会&議員も受けることになる、というのはごく当然の流れです。

他の業界の仲介業者と地方議会&議員の違いは、後者が「独占業者」であり「公的業者」である、ということです。だから待っていても“市場の淘汰”は起りません。存在意義は今回の名古屋のように、政治プロセスとして問われることになります。


★★★


とはいえ、いくらネットが普及しても仲介業者自体はなくなったりはしません。

直接取引の方が常に便利なわけではないのは、アマゾンなどの新しい仲介業者の興勢をみれば明かです。誰も本をそれぞれの出版会社のウエブサイトで、個別に買いたいなどとは思わないでしょう。

ネットという新しい技術とインフラを得て、

・より高い価値をより安いコストで提供できる(生産性の高い)仲介業者

・供給業者ではなく、消費者側から選ばれる仲介業者

が、高コストで業者側にべったりだった既存業者に取り代わっていくだけです。


地方議会と議員という「地方政治の独占仲介業者」は、今ようやくその価値を問われ始めました。

しかし、だからといって仲介業者のない“直接自治”がその回答となるわけではありません。

そうではなく、独占仲介業者であった既存の地方議会と議員職を置き換える“新しい仲介業者”がでてくるのかどうか、そこが次のチャレンジとなるでしょう。

もちろんまず「議員と報酬を減らす」というのは、ステップとして意味のあることです。

けれどそれは、JTBがリストラをするのと同じです。それだけではなく、楽天トラベルや一休ドットコムが出てこなければ、消費者(有権者)は新しい付加価値の恩恵を受けることはできません。

しかし、既存仲介業者である議会&議員の淘汰が自然に興らないのと同様に、「新規業者の勃興」もここでは市場原理から自然に出てくるわけではありません。

こちらも“政治プロセス”として設計され推進される必要があるのです。だからこそその実現には、“強力なリーダーシップ”が必要です。

最近は若手を中心にコネも地盤もない有意の人達が新たに地方議員を目指すケースも増えています。

ちきりんが彼らに期待するのは、「議員として頑張って活動する」レベルの話ではありません。彼らには是非、「地方自治における新たな仲介業者の姿」を模索し提示して欲しいものです。


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そんじゃーね。


↑このあたりの現状に疎い人には必読書!



<過去の関連エントリ>

“何が”問題なのか

“要らないもの”リスト ・・・(リストトップに地方議会と地方議員を列挙)



<構想日本が作成した地方議員の報酬等の国際比較資料>

地方議会のあり方について 2008/04/23

 教えて下さった@さんに感謝します!



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2011-02-10 人生を変えた一冊

お気づきの方もあるかもしれません。

先日だした『ゆるく考えよう』の「おわりに」は、ちきりんから両親への感謝文です。

ゆるく考えよう 人生を100倍ラクにする思考法 (文庫ぎんが堂)
ちきりん
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→ Kindle 版

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私は父母に感謝する気持ちが強く、大学(法学部、刑法のゼミ)の卒論で「医療過誤の刑事責任」というトピックを選んだのも、医師であった父に関心をもって読んでもらえるようにと考えたからでした。

4年間の学費、生活費の大半を出してくれた父に、自分が辿り着いた場所の報告をしたかったのです。


一方の母。

ここ数年書いてきた「Chikirinの日記」を母は読んでいません。

パソコンで文章を読むという習慣がなく、月間 100万 PVとかいっても意味不明。「結構人気があるんだよ」と言っても「そうなの。よかったね」くらいです。

でも、「本になった」と言えばインパクトが違います。

母の年代の人にとって、本というのはすごく権威のあるもの。だから出版が決まった時、「これで少しは親孝行ができるかも」と思いました。


実際にできあがった本を母に渡したら、「ホリエモンさんがコメントをくれてるのね!!!」とすごく喜んでました・・。

あたしが本を出したことより、そのことのほうが嬉しかったみたいで、あちこちで言いふらしてた。

「娘の本に堀江さんが! あのホリエさんよ! 知ってるっ?」

って・・・堀江さんには心から感謝です。


話を戻しましょう。

『ゆるく考えよう』の最後のセクションは、「自分の好きに生きたいなら早く自立しろ」という父の言葉で始まり、母の「よかった確認」で終わっています。

ふたりが私をどう育ててくれたか。本の最後の章には、それを書きたかったから。


★★★


さて、私には「人生を変えた一冊の本」があります。

子供の頃に読んで強い衝撃を受けた本。1970年始めにベストセラーとなった高野悦子氏の「二十歳の原点」です。


二十歳の原点 (新潮文庫)
高野 悦子
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1969年、立命館大学文学部史学科の 3回生だった高野悦子さんは、6月 24日未明、関東の実家から遠く離れた京都で踏切に立ち入り自死します。

当時は学生運動が盛んな時代。

親からの仕送りに頼る甘えた学生ではなく、ひとりの労働者として自立・連帯しようとアルバイトを始め、仕送りに頼らず生活しようとしたり、普通の若い女性として恋をしたり、あれこれ将来に悩んだり。

そんな彼女が残した日記はお父様によって整理、出版され、当時のベストセラーになりました。

後には彼女が 14歳からつけていた日記も、「二十歳の原点ノート」、「二十歳の原点序章」としてシリーズ出版されています。


内容は、友人の名前など一部は仮名(かめい)化されていますが、内容はまさに「日記」そのもの。

私がこの本を読んだのは 11歳の時。小学校 5年生の時でした。

20歳で自ら死ぬという決断や、憧れていた「ひとり暮らしの学生生活」の現実(と、当時は思えました)に幼いちきりんは驚きます。

加えて、他者の目を一切意識することなく書かれた文章がもつ余りのインパクトに、張り倒されるような衝撃を受けました。

この本(てか日記)を読むことで、自分の感じ考えたこと、感情そのものを、ここまで生々しく他者に伝えることができる日記という表現形式の大きな力を初めて理解できたのです。


そしてそれが・・・

「私も日記を書こう」

と考えるきっかけとなりました。

これが、「Chikirinの日記」の始まりです。


自分も日記をつけていれば、いつか命が絶えた時に、こんなレベルで自分の存在が残せるんだと。

そう考えた小学校 5年生の私は、その日からノートを用意して日記を書き始めます。

この時つけ始めた日記が 2005年に紙の日記帳からブログに移行し、今みなさんが読んでいる「Chikirinの日記」になってます。

日記には(ブログには)「今日なにをしたか」ではなく「今日なにを考えたか」を書く。「Chikirinの日記」のこのポリシーも、『二十歳の原点』から影響を受けて定まったものです。


そういえば本作りの打ち合わせの際、編集者の方が「ちきりんさんのブログのタイトル、変ですよね?」と言われました。

怪訝な顔をしたら「だってこれ、日記じゃないでしょ、どうみても」と。

確かにそうだと思いました。

そしてあらためて、なのになぜ「Chikirinの日記」と命名したのか、ずっと昔の記憶を思いおこしました。


自死する半年前、成人の日の日記に彼女はこう書いています。

「独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である」


「二十歳の原点」といえばこのフレーズ、と言えるほど有名な一節です。

なんと冷たくて厳しい原点でしょう。

11歳の私は怖くて震えました。

「私も二十歳になったらこんなふうに感じるんだろうか?」

「独りであることや、未熟であることに堪えられなくなってしまうんだろうか?」

「そんな思いから逃げられなくなって、死にたくなったししてしまうんだろうか?」と。


その後も「独りであること、未熟であること」という言葉に代わる、自分の原点と言えるものについて、ずっと考えてきました。

そして今回、『ゆるく考えよう』の最後のページにそれを書きました。


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不思議な縁だと思います。

高野悦子さんの日記は、彼女の死後、お父様の手によって出版され、

その日記に衝撃を受けた小学校 5年生の女の子が書き始めた「ちきりんの日記」はネット時代にブログとなり、

今ふたたび『ゆるく考えよう』という紙の本になりました。


時代を超えて読み継がれる青春の名著と、自分のブログ本を並べて紹介すること自体、恥ずかしく申し訳なく感じます。

けれど、彼女がもし「ゆるく考えていたら」、彼女は死ななかった。私にはそうも思えるのです。

ゆるく考えることで人は救われる。自分自身もそうであったから。


でもまたその一方、彼女の死がなければ、極めて私的な日記であった『二十歳の原点』が世に出ることはありませんでした。

だとしたら、それに衝撃を受けた私が日記を書き始めることもなかったかもしれない。

そしたらこのブログも存在しない。


なんだか不思議でしょ。

私にとってこのふたつの日記は、何十年の時を隔てて絡み合っているように思えるのです。


独りであること、未熟であること


自由であること、楽観的であること


ゆるく考えようの「おわりに」は、父と母への感謝の言葉であると同時に、ちきりんの人生の扉を開いた『二十歳の原点』への自分なりの回答なのです。


二十歳の原点 (新潮文庫)
高野 悦子
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そんじゃーね。


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2011-02-08 永田洋子氏 死亡

永田洋子氏が亡くなった。2011年2月5日夜、東京拘置所で享年65歳だって。ここ1年くらい危篤だと言われていたので驚きはないけれど。


「それ誰?」という人はこちらでもどうぞ。

Wikipedia 永田洋子


ちきりんはこの事件にものすごく興味があって、彼女が逮捕されてから出した本、関係者の坂口弘氏はじめ他のメンバーが出した本など、連合赤軍関係者が出した本は大半を読んでいる。

何がこういう行動を引き起こすのか、個人の資質や適性の問題なのか、時代と思想の問題なのか、それとも構造的に不可避ななにかの力ためにそういう行動に追い込まれたのか。興味は尽きないんだけど、いくら読んでも全然わかりません。

周りの人の言い方では「個人の資質論」が多いんだけど、ややお手軽な結論のような気もする。永田洋子と私は、根本的に何か違うのか、状況が同じだったら私も同じことをした可能性があるのか。断言できない。



彼女の本。余りに身勝手な論理展開で、被害者関係者はやりきれないだろうと思います。人を殺すということに、こんなに淡々としてていいのか、というのは衝撃。

十六の墓標 上―炎と死の青春

十六の墓標 上―炎と死の青春


元夫で同志の坂口氏の著書。この人のほうがやや客観的かな。こんな弱い人間がこんなことするのね、と思った。というか、弱いからこんなことになっちゃったんでしょうが。

あさま山荘1972〈上〉

あさま山荘1972〈上〉



彼女は上記の本の中で、指導者だった川島豪(当時も妻帯者)にレイプされた経験にも触れている。でもその後も川島氏を指導者として活動を続けている。

坂口弘氏とは夫婦だったのだけど、それも「革命に向けての活動のためには夫婦として同志となることが望ましい」的な理屈が展開される。

何人もの同志をリンチで殺害して、最後のほうは坂口氏さえその標的になりつつあった。そしたら当時のリーダー格だった森恒夫と関係を持ち、「坂口と離婚して森と結ばれることが革命のためには必要」云々な理屈になる。


こういうことから思うのは「感情より理屈を優先したらアカンよね」ということです。

普通、自分をレイプしたオヤジと一緒に革命なんか目指す?怒って暴露するか、奥さんにいいつけるか、誰にも知られたくないなら逃げてしまえばいいでしょ。(警察は“権力”だから想定外)

坂口氏と結婚するのだって好きか嫌いかの問題だし、森氏とのことだって単なる心変わりに過ぎない。それをイチイチ「革命のためには結婚するべき・離婚するべき」みたいな話にするのは、「私は彼が好きだから結婚したい!」といえないからだよね。


でも、この場合は理屈が「革命のため」だから皆「変だよ」とわかるけど、実は「感情の赴くままに行動することは低俗なことで、理屈に基づいて行動するのが正しいのだ」というトラップは、誰の心にも起こりえるものだよね。

実際、同じような屁理屈で感情を肯定したり否定する人はたくさんいる。というか、感情を“よくないもの”と思っている人は、理屈によって自分を正当化するというワナにはまりがち。



覚えておきましょう。

たいていの場合、感情は理屈より圧倒的に正しい。

だからそのふたつに矛盾を感じたら、迷わず感情に沿って生きるべき。



そんじゃーね

2011-02-06 絶滅危惧職=ヘッドハンター

インターネットが駆逐していく代表的な職業といえば“仲介業”。ネットそのものが巨大な市場であり、需要側と供給側を低コストでスピーディにマッチングしていく機能を持っている。ネットがなかった時代にリアル社会に営々と構築された様々な“仲介機能”は、そのコストの高さ、カバレッジの限界から、ネットに太刀打ちできなくなる。

というのは、あちこちで見られる現象なわけですが、最近のTwitter, Facebook, Linkedinなどの広がりを見ていると、そろそろ“ヘッドハンティング業”(エージェント、人材紹介業などの呼称も含め)も“絶滅危惧職”かもねー、と思えてきます。


★★★

整理をするために、人材仲介業市場を4つにわけておきましょう。


(1) 本来の意味での“ヘッド”をハント

大企業の米国本社が日本法人社長を探す場合や、日本の一流大企業が外部取締役を探すようなケースです。(例:日本マクドナルドの社長を探す、東京電力が女性役員として迎える人を探す、など)

誰でも埋められるポジションではないので、最初に“求められる人のスペック”が合意され、条件に合う人に目星をつけ、固有名詞のリストを作って順次コンタクトしていきます。


(2)事業責任者を探す

・大企業の部門責任者を探す

・比較的小さな外資系企業が日本代表を探す

・中堅、中小企業が社長の右腕や後継者候補を探す

・ファンドが投資先に送り込む人材を探す

・特定分野での高度な専門職を探す

などがあります。

候補者の年齢は40代くらいで、このポジションで実績を残すと、(1)のヘッドハントの対象として上っていくことができます。(1)のように最初から固有名詞で探すのではなく、各業界における「優秀な人が集まっている企業」の人に片っ端から会ってみて候補者を探す、方法がとられることが多いです。また、紹介によって芋ずる式に“候補者リスト”を作ったりします。


(3) ポテンシャル人材を探す

30才前後で、まだ実績はあげてないけど明らかに潜在能力があって、元気はつらつな人に、「ちょっと背伸びした実力主義のお仕事に従事してみませんか?」と誘うような市場。

・ロスジェネ年代の人材層が薄い大企業が外部から補充しようとする

・新卒採用は非効率と考える外資系企業が中途採用でコア人材を採用しようとする

・業容絶賛拡大中の成長企業が、即戦力を大量採用する

・上記(2)の人の手足になれるスタッフを探す

などで使われます。


(4)転職斡旋

リクルートエージェントとかエンジャパンなどが手がけている市場です。数としては最大だし、業者も星の数ほどあります。「登録型」と呼ばれ、転職したい人が自分の情報を登録し、人を探している企業が求人をポストする。民間ハローワークですね。


というあたりが、いわゆる「人材仲介業」です。

★★★


このうち(4)はあまり問題はないでしょう。既に彼らの仕事ツールもネットベースになりつつあるし、人材側も求人側も非常に数が多いので、形式が統一されたITシステム(DB)をもつエージェント経由でマッチングする合理性は残ります。大企業(大手エージェント)への寡占は進むとは思いますが、SNSがその市場を代替するのはまだまだ非効率でしょう。


が、(2)(3)あたりの市場は急速に、SNSに置き換えられるんじゃないかと思います。


理由はふたつ

・人材仲介フィーが付加価値比で高すぎるから(他の消え行く仲介業と同じ)

・人材サーチの基本である“金脈人材ネットワーク”こそがSNSに移動するから


最初の理由は言わずもがなですが、二番目の“金脈人材ネットワーク”がキモ。(2)や(3)のサーチ成功の鍵はひとえに「金脈となる優良な人脈ネットワークを掘り当てること」にかかっています。

ひとりでも「金脈人脈」の中にいる人にたどり着けば、あとは芋ずる式に「優良人材」を手繰り寄せることが可能。そういう人たちってのは基本的にどの業界においても“つながってる”んです。

で、Facebookなんてみてると、基本はそういうネットワークがそのまま移植されようとしていて、しかもエージェントだろうとなんだろうと“外部者”はその中に入れないのにたいして、“内部者”はその中で「こんな仕事の話があるよん!誰か興味ある?」とすぐに情報共有できるようになりつつある。

誰かひとりが情報を仕入れてくれば、全員がばらばらにエージェントとコンタクトする必要はなく、それらの情報に触れることができる。しかも「自分のネットワーク上にいる人の情報スクリーニングのほうが、エージェントの能力より余程信頼できる」という人は少なくない。

ちなみに今までもLinkedinの上で超有名企業のリクルーターが個別に候補者を検索して「会って話をしてみませんか?」みたいな活動を活発にやっていたけど、これだとあくまで一対一のお誘いにすぎない。その点はFacebookのほうが圧倒的に効率的。


(1)のヘッドハント市場だって、意中の人にいきなりTwitterで話しかけてアポをとることができるようになれば、候補者を直接誘う、ってのもできるようになるし。政治家の「立候補の候補者探し」にも使えそう。結構高いポジションの人がTwitter始めているし、米国でそうなりつつあるように過去の発言などでクレディビリティチェックや、仕事に対する姿勢の確認までできてしまう。


というわけで、年収2000万円の人を一人転職させたら、いきなり600万円も報酬がもらえるようなふざけた仲介業の終焉もそろそろかも。



そんじゃーね。

2011-02-03 夫が妻の「家を買いたい!」を断れない理由

「35年ローンで家を買うなんてあり得ないでしょ」とこれだけ布教してまわってるちきりんの周りにも、長いローンを組む人はたくさんいます。

他人事なので判断自体はどうでもいいのですが、多くの人がそうするってことは、彼らには彼らなりの理由があるわけで、それは何なのか考えてみました。で、とりあえずの結論はこれ↓

・35年ローンで家を買う人の多くは既婚者で、小さな子供もいる。

・夫が長期のローンに心の底では不安を感じていても、妻に強く「家を買おう」と言われると拒否できない。


これだけだと「ふーん」な感じなので、ちょっと掘り下げてみる。


Q2.夫が妻にノーと言えない理由は?


A2.大半の夫は、妻に引け目があるから断れない。


当然、次の質問がでてくる。


Q3.夫は何の引け目があるの?


A3.夫の多くは「妻には家のためにいろいろ犠牲にしてもらってる」という引け目がある。


なんの話だって? 


説明しよう!←(このアニメ知ってます?)


最近の30代以下の人はある種の理想を持ってるんです。「結婚して子供が生まれても、いずれか一人が負担や犠牲を背負い込むのはおかしい。ふたりで協力して平等にやっていくべきだ」という理想を。

実際、今の30代以下カップルくらいだと、女性の方が給与が高いこともよくあるし、「ボクより妻の方が優秀です」と言う男性も普通にいます。

妊娠がわかったその時点においてさえ「自分より、妻のキャリアの先行きの方が有望かも」と考える男性も少なくありません。当然、子供ができても「女性に負担全部を」とは思っていません。


が、現実は違います。たとえ子供ひとりでも、男性側の負担と女性側の負担は大きく違う。結果として多くの女性が働き方(=負担できる責任、報酬、将来の可能性)に制限を加えざるを得なくなります。

その現実に対して、多くの男性が「なんだか申し訳ない」という感覚をもつんです。

これは新しい世代に特有です。「結婚当初は働いてもいいけど、子供ができたら女性が仕事をやめるのは当然」と思っているバブル以前世代だと、男性はこういう罪悪感を持ちません。最初から「平等理想」をもっている30代未満カップルの特徴的な感覚だと思います。


一方の女性側にも「家を持ちたい」と思い始める理由があります。

上記のような経緯により、仕事が自分の“メインの活動”でなくなった段階で、それに代わる「自分の人生の中心となる活躍分野が欲しい」という欲求がでてくるんです。

これはごく自然な流れです。育児のために仕事は“サブ”にせざるをえなかった。だからこそ、“家”は私がメインで取り仕切る!という意欲がでてくる。

“家”のマネジメントにおいては、自分がメインで夫がサブ。夫はもちろんその立場を(前述した罪悪感から)喜んで受け入れます。


では、家のマネジメントとは何か?

1) 業績目標の達成(計画、実戦)

 ・子供の教育

 ・持ち家の獲得


2) 予算管理(家計管理)


3) 人事管理

 ・夫の健康、体型

 ・子供のしつけ、教育


4) 組織管理

 ・楽しい我が家と仲の良い家族の維持政策

 ・ソツのない親戚つきあい


仕事と同じでしょ。

そしてその中で“持ち家の獲得”と、それにむけた予算管理は、子供の教育と並ぶ「主要プロジェクト」なんです。これなくして、社長たるもの、その責務に人生を捧げる意義がありません。

すべての人は、高い目標をもち、それにむけて計画を立てて頑張っていく、そういう舞台を人生に求めてるし、そういう場所で自分だってやれるという感覚を得たい。男も女も同じです。


かくして女性は外堀を埋めていきます。「子供のお受験に不可欠、○○さん宅も今度。そろそろ買わないと定年までにローンが・・・」云々。「とりあえず今週末、モデルルームに行ってみようよ!」


最後の決断のあたりでは「やばくね?」と思ってる男性もいます。


でも彼らは強くノーとは言えない。もしかしたら自分より優秀かもしれない女性が(しかも、自分が愛している、人生を共にしようと決意した女性が)、キャリアを諦めてくれている。

一方の自分はなにも制限を受けずに、仕事も存分にやって、家庭も子供も手に入れた。せいぜいゴミ出しや風呂掃除を手伝うくらいです。


「ノーとか言えるはずない」



反対に、なんらかの工夫で女性側に「仕事=自分のメインの活動フィールド」という感覚が残せている場合は、こういう展開になりにくい。そういう意味では、香港みたいにお手伝いさんやナニーが安く雇えるようになると、話が変わるんじゃないかと思う。


もちろんこれ以外の理由で「妻にいろいろ引け目がある」ため、妻からの提案が何ひとつ断れなくなってしまってる男性もいますが、それはまた別問題。


そんじゃーね。