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Chikirinの日記 RSSフィード

2011-03-13 03.11 大惨事とミラクル

地震の当日 11日、夜 10時過ぎにホテルの方がロビーに小さなテレビを設置してくださった。

この時点では何が起こったのか全くわかっていなかった人達が、寝ていた床からゆっくり起き上がってテレビの周りに集まった。

私もくるまっていた毛布から出て見にいった。

午後 2時 46分に地震があってから 7時間後、初めて情報らしい情報に触れたのがこの時だった。


テレビは信じられない映像を流していた。

文字通り一瞬のうちに津波で流される街。


衝撃だった。

テレビを見始めた人はみなひとつの声もあげず、誰も彼も沈黙して画面を凝視した。

見ていられなくなってテレビの前を離れる人もいた。


テレビの中の津波に飲み込まれる街を見ながら、神戸の地震を思い出した。

あの時も私はテレビを見ていた。

早朝に地震があって、東京にいた私は仕事の最中もずっと関西にいる家族に電話をかけ続けたけれど、誰にも全くつながらなかった。

もしかして天涯孤独になったんだろうかという恐怖と共に、夜までずっとテレビで火災の映像を見ていた。

なんの消火活動も行われにまま燃えていく街を前に、「テレビの中継車が来とるのに、なんで消防車が来おへんのや!?」と関西弁で詰め寄るおばさんの声が悲痛だった。


今回の津波も同じに見えた。

地震じゃなく、火災や津波など「地震の次」がむごたらしく街を破壊してしまう。

テレビの映像はそれをキレイに捉えているのに誰にも何も出来ない。

あっという間に多くの人の命が“映像に記録されながら”無下にされてしまう。


今回の地震があった時、私がいたのは茨城県。

東京よりは強い揺れを感じたはず。幸いにもその場でのケガはありませんでした。

長い揺れだったし瞬時に停電したのでタダごとじゃないのはすぐに理解できました。

参加していた会合は即時停止され、7階から階段でおりて建物の外に避難。


その会合に東京から参加しているのは私だけだったので、ひとりで東京に戻ることになった。

動いていたローカルバスに乗って最寄り駅に向かった。

後から考えれば、その時間には既に幾つかの沿岸部の街は津波に襲われていたのだとわかる。


地震から 1時間もたっていない頃で、みんなまだ何も判断ができなかっただろう。

私もこの時点では、震源が東北で相当な規模だということ以外は何もわからなかった。携帯も全く通じなかった。


駅ではすべての交通機関が止まり、多くの人が(今から考えれば何の意味もない)長い列を作っていた。

動いているのはいくつかのローカルバスだけで、土地勘のない私には意味のない行き先だった。とりあえず東京に戻れる方法がありそうか情報を求めた。


動いている自動販売機があったので、甘いジュースとお茶を買った。

何か食べ物も買いたかったけど、お店はどこもかしこもドアを閉めてしまっていた。

停電しているからレジも動かないし、店に人をいれたら危ないのはよく分かる。

でも、こういう時は少なくとも食料を売っている店は客を受け入れるべきだと思った。


トイレも長蛇の列だったし、水も流れない状態だったけど、みんなが譲り合って使っていた。

女性用トイレでは誰ともなく使用済みのペーパーを便器にいれないように皆が次の人に伝えていた。


とりあえず 4時間くらい、日が暮れる頃まで駅にいたけど、どうにもならないことは誰の目にも明らかだった。

難しかったのは、その土地に関するなんの知識ももっていないこと。

どの程度のホテルのキャパがある街なのか、来る時に使った以外のどんな交通機関があるのか、歩いて行けるのはどの範囲までなのか、そういう知識がないとなにひとつ適切に判断できない。

「遠出をする時は最低限の地理を頭に入れとくべき」と学んだ。


暗くなりかけた頃、駅の方が「もう今日は何も動きません。行政より帰宅を諦め、夜を過ごせる場所を探すよう案内がありました」と伝え始めた。

その声に応じて三々五々、人が散り始めた。職場が近い人は帰宅を諦めそこに戻るのだと思われた。

残っているのは土地勘のない、近くに行き場のない人だけ。野宿はきついと思われる温度と風だったので、とりあえず夜を過ごす場所を確保しようと思った。


駅員さんにホテルのある方向を聞いて歩き始めた。

幸いにも最初に行ったホテルで、(満室なので)ロビーに寝てもいいと言っていただけた。タイトスカートをはいていたちきりんは、子供らの次に毛布も貸していただけた。

同じくロビーに避難されていた多くの男性の方々は毛布もなく、椅子に座って一夜を過ごした。

防災用毛布は、ラムで目のつまった非常にあたたかい毛布だった。

街は停電していたけどホテルは電気がついていたから、近くから携帯の充電をするためにホテルに来る人もいた。(周囲の一般家庭では電気、水、ガスも止まっているようだった)


この日、私は半年ぶりにスーツを着ていた。

ユニクロにスニーカーの日には元カレに会い、たまにスカートをはくと地震に遭うのが人生。

毛布が大きかったので一瞬、毛布にくるまってスカート脱ごうかと思ったけど、

余震が続いていたので、イザ逃げる時にスカートを履くヒマがないとまずいと思いそのアイデアは却下。 (当日の私の格好はこちら


ロビーにはずっと起きてる人もたくさんいたけど、私はできるだけ寝ようとした。

4時間も風に当たっていて悪寒がしていたし、体力勝負だということは明白だった。

貴重品と体を毛布にくるんで寝られるだけ寝た。


真夜中にホテルの方が炊き出しをしてくださった。小さな塩おむすびとお味噌汁が半分ほど。

ロビーにいた多くの人が粛々と列を作り受け取った。

総出・徹夜で支援してくださったホテルの方にも感謝だし、ものすごい秩序だって行動していた避難客もすごいと思った。みんな本当に静かだった。


ホテルでは携帯電話の充電器もいくつかロビーで使えるようにしてくださってたけど、使用したい人が多くて電源は全く足りなかった。

それにどうせ携帯は全然つながらない。

ロビーにはひとつだけ公衆電話があったので、そっちの列に並んで自宅に電話をした。固定電話は夜中の 3時につながった。

家族に身の無事を報告した後、電話を切ったら、投入した 100円玉が戻ってきた。NTTは既に公衆電話回線を無料で開放していた。


朝にもホテルの炊き出しでおにぎり一個を頂いた。

地震に遭ってから上野にたどり着く 20時間余で食べたのは、このホテルで頂いた炊き出しのおにぎり 2個だけだから、本当にありがたい。

駅前のコンビニもレストランも全部閉まっていたので、これがなければ何も食べられないところだった。

夜中のあいだずっと余震があったけど、不思議と怖い感じはしなかった。

一番怖かったのはテレビに映る東北の惨状。私も途中見るのをやめた。見ないほうがいいものもあると思えた。


朝、駅で状況を確認した。この駅まで電車が動く見込みはないと言われた。

ただ、電車が動き始めた駅まで車で 1時間ほどらしく、そこまで臨時バスがでることになったと聞いた。ありがたい。

こんなに迅速に臨時バスが出せるってすごいなと思った。

運転手やバスをどうやって確保したんだろう? 徹夜でそういうことを手配してくれた人がいるんだよね。


長い長い列に並んだ。花粉症で困っている人に予備のマスクをあげた。一番うらめしかったのはパンプス。

スニーカーが欲しかったけど、お店は開いてなかった。

すごいなと思うのは、食べ物を置いている店も含め、どの店も全く襲撃されないこと。

カリフォルニアにいた頃、山火事があると繁華街の店のガラスが割られいきなり襲撃されていて驚いた。

大ハリケーンが襲ったニューオリンズも、被害の後すぐに州兵が四辻でライフルを片手に警備を始めていた。


大規模な災害が起っても全くそういうことが起らない日本は本当にミラクルだ。

ホテルが配るおにぎりだって、最後にまだ余っていても誰も「 2回目」を取りに行かない。

残ったおにぎりは、まだ食べていない人が他のフロアにいるだろうとホテルの人が配りにいった。この 24時間で何度も「この国はちょっとありえない」と思った。


臨時バスの長い列もみんな静かに並んでいた。

途中から、座っていきたい人と、立ってでもバスに乗りたい人、と列がふたつに別れた。なんと秩序だった国かと驚いた。

料金は 1200円。私はいつも余り現金を持ち歩かないのだけど、ある程度の額のキャッシュを持ち歩くことは大事かもと思った。


所要 1時間と聞いてちょっと悩んだけど、次のバスはいつ来るかもしれないので立ち席で乗ることにした。

そもそも路線のない場所を走るので、ものすごく細い道をクネクネ走行しちょっと大変だった。

くたびれ切った時に到着したJRの駅もまたごった返していた。(今この時点でも、この駅から北は不通なので、ここから先は本格的な被災地なんだと思う)


エレベーターも止まっていて、長い階段を昇った。駅員さんも「電車がいつくるか」「来た電車がいつ発車するか」全くわからない状態だった。

それでもみんな静かに待っていた。そんなことを聞いても、不眠不休で働いている駅員さんを煩わせるだけなのだから。


電車がホームについた時、それは満員電車だった。

そりゃそうだ。東京で足止めされ、(こちら側まで)帰宅できなくなっている人の方が圧倒的に多いはずだ。

いつものようにアナウンスがあった。「降りる人を優先してください!」


どのドアでも、降りる人がみんな降りてから、列を作っていた人が粛々と乗り込んだ。席を取ろうと走る人さえいなかった。(みんなそれほど疲れ切っていたとも言えるけど)

揺れ揺れのバスに立ちっぱなしで足の皮があちこちすりむけていて痛かったので、途中からパンプスを脱いで裸足で立った。


ツイッターもネットも災害時に様々に役立つとは思うけど、私が家に着くまでの 24時間に関していえば、ネットも携帯も全く見られなかった。

外部とつながったのは緑の公衆電話と、ホテルが用意してくれたテレビだけ。

途中で一緒だった多くの人達の中にはスマートフォンやタブレット、パソコンを持っていた人も多かったけれど、ネットに接続できていた人はほとんどいなかったと思う。

電気も電波も後方支援のツールとしては価値があるけど、現場に情報を伝える力に関しては過信しないほうがいいと思った。


上野駅に着いた時、驚いて思わず声がでた。

東京で足止めされていた人の数は、私のように地方で足止めされて東京に戻れなくなっている人とはケタが違うんだと初めて理解した。

しかも、この上野駅の秩序は驚愕モノだった。


ホームに一定数ずつの人を順次いれるために、階段や改札、いたるところで規制線が張られ、ロープで止められた人達が指示通りに少しずつ前に進んでいた。

警備をしているのは警察庁のおまわりさん。

ものすごいかっこよかった。


待っている人達の落ち着き振りもすごかった。

ほぼすべての人が着の身着のままで一夜を過ごし、みんなが空腹で寝不足で不安で。

しかもこれから東北方面行きの電車に乗る人には、家族が心配な人もたくさんいるはずなのに。


私は断言できる。

あれだけの人がひとつの駅に押し寄せた時、あれだけの秩序を保てるのは世界に日本しかない。

私たちは本当にこの国を誇りに思うべきだ。


JRを出る時、地方に向かう人で埋め尽くされた改札ではなく、事務所通路を通って外に出るよう誘導された。

切符はチェックされなかった。運賃を取るより大事なことがある。

その他も含め、JRのオペレーションには凄みに近い気合いを感じた。

「オレ達の使命は一刻も早く電車を動かすこと!」という気合い。

「やっぱり元“官”って違うんだな」って思った。NTTやJRって“官”だった時の行動様式が組織に残っている。自然災害時に自分達がどう動くべきか訓練されている。


コンビニだって(どうせ腐らせてしまう)弁当やパンだけでも(停電したからといって店を閉めずに)手作業ででも売る(配る)べきだったと思うし、停電したショッピングセンターもドアを閉める前に毛布やスニーカーだけでも門前で売ってほしかった。

そういうのを見て初めて、神戸の震災の時、被災地のダイエーをすぐさま営業させた中内功氏はすごい人だったのだと理解できた。

普通はみんなそこまでなかなか頭が廻らない。


何かが起った時に、その場で適切な判断ができるのは相当の人だけだ。

であれば、事前にそういう想定をしておくことが大事なんだと思う。

元官の企業ってそういうコンセプトがまだ組織に残ってるのねと思った。

でもこれからは民間企業含め、多くの企業が学ぶんだろう。


その後は動いている地下鉄を乗り継いで家に辿り着いた。

途中で足が痛すぎて裸足になった。

上野駅のコンビニで買ったチョコが美味しかった。

チョコか飴を常時持ち歩くべきだと思った。


ようやくマンションについたらエレベーターに“要点検”の赤い札。なんだか笑っちゃいながら、最後の階段を上った。

自宅に着いたら東京に戻ろうとしてからちょうど 24時間が過ぎていた。


★★★


自分がこんなに大変だったというために書いてるわけでないことは、理解していただけると思います。

ちきりんが体験したのは、地震の被害でもなんでもない。

混乱とさえいえないようなちょっとした不便にすぎないけれど、覚えているうちにどんなだったか書いておきたかった。


最も伝えたいことは、この国の人のミラクルに近い行動様式のこと。

私はこの 24時間に「怒っている人」「怒鳴っている人」「文句を言っている人」に、ひとりも会わなかった。

上野駅で我が儘を言う酔っぱらいのおじさんを一人見ただけ。

この国は本当にミラクル。


戻ってからあれこれ倒れてる部屋の片付けをしながらテレビを見てるけど、企業も個人もみんな一生懸命頑張ってる。

特に余震の続く中、原発の敷地内で作業をされている方には心から感謝と尊敬を感じます。


他にもいろいろ書き止めておきたいことはあるけれどとりあえずここまで。


直接的な被害に遭われた方、大切なご家族を亡くされた方には言葉もありません。


たくさんのミラクルが起ることを祈ります。


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(追記)当エントリは、英語、スペイン語、オランダ語、フランス語、ポルトガル語に翻訳されています。英訳は下記ページに掲載。他の言語へのリンクも下記ページにあります。

”On Catastrophes and Miracles, a Personal Account”, Global Voices