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Chikirinの日記 RSSフィード

2011-09-30 微妙なバランス感覚が問われるふたつの市場の使い分け

ちきりんはブログを始め、最近はいろんなとこで文章を書いたりしてるわけですが、コンテンツの作り手である「ちきりん」と、その文章の最終消費者である読み手をつなぐ場(仕組み)には、「直接市場」と「間接市場」の2つがあります。

ちきりんのメインフィールドである、この「Chikirinの日記」で文章を公開することは、「直接市場」を利用したコンテンツの提供です。直接市場では、ちきりんはほぼ自分の意思だけに沿って、自分が発信したい内容をそのまま読み手に伝えられます。

スケジュールやその形式についても完全にちきりんがコントロールできます。書きたくなければ書かなくてもいいし、短くても長くてもいいし、更新日もいつでもいいです。

ここで“はてな”(ブログサービスの提供会社)は、直接市場のインフラ会社として存在しており、ちきりんの提供するコンテンツ内容や発信方法に影響を与えることはありません。


一方で、ビジネスメディア誠などネットメディアにコラムを書いたり、書籍を出版して、ちきりんの文章を読み手の方に届けるのは、「間接市場」を介したコンテンツの提供方法です。

この場合、ネットメディアや出版社の方が「自社メディアに載せて流通させたい」と思うコンテンツだけが掲載されるので、ちきりんが「これを載せて欲しい!」「これを出版したい!」と言っても、それがそのまま記事になったり本になったりするわけではありません。中間メディアである企業の責任者の方が気に入ったもの(妥当だと判断されたもの)しか、読み手には届かないわけです。

また当然に、スケジュールや文字数、形式について様々な要請やルールがあり、それを守った形でコンテンツを提供する必要があります。とくに既存のテレビメディアを介する場合は、各種の制約は相当に大きなモノだと思います。

さらに、時には形式やスケジュールだけでなくコンテンツの内容にたいしてさえ、中間メディアの嗜好や意向が反映されます。これはかならずしも中間メディア側が圧力をかけるという話ではなく、提供側が営業的な観点から自主規制することがありえるからです。


しかしながら、間接市場を介してのコンテンツ提供には大きなメリットもあります。第一に、伝播力にレバレッジがかけられる、ということです。たいていの場合、直接市場におけるコンテンツ・クリエーターの伝播力は、中間メディアの伝播力には全く及びません。(マンガ市場などその典型でしょう。)

読み手の数だけで言えば、堀江貴文さんのような方なら直接市場だけでも相当の伝播力があります。でも、たとえば「地方の高齢者にコンテンツを届けたい!」と思えば、地方新聞や地方テレビ局のような中間メディアの伝達力をもつ人は未だ存在しません。

コンテンツの作り手は、多種多様な中間メディアを通して発信することで、様々に異なる市場に、大きなレバレッジをかけてコンテンツを届けることができるようになるわけです。


間接市場のもうひとつのメリットは、よく言われているように、マネタイズの仕組みがしっかりしている、ということです。これも堀江さんなどはメルマガの収入だけでもすごい額らしいので、例外がないとはいいませんが、大半の人にとっては、間接市場の方がマネタイズは簡単だと思います。(あとでも書きますが、メルマガがどちらの市場の仕組みなのかという点はやや微妙です。)


ただ、伝播力が強くてマネタイズが容易だからといって、中間メディアを介してのみ発信することのリスクは、今や多くのコンテンツの作り手が感じているところでしょう。

たとえどれだけコンテンツが読み手に支持されていても、中間メディアの意思決定者に気に入られなければ(ある日なにかで、それらの人を怒らせれば)、コンテンツの作り手は意見の発信場所を維持できません。

特に中間メディアの大半は規制業種なので、価値観も行動様式も似通っています。なので、いったん「こいつは使うな!」となれば、全メディアが特定のコンテンツ供給者を拒否することも起こりえます。


だからといってそれを避けようと、中間メディアの意向を過度に慮かる発信ばかりをしていたら、今度は直接の読み手からダメ出しをされてしまいます。また、(よほどの売れっ子を除き)中間メディアとコンテンツの作り手である個人の力関係は圧倒的に前者が強いので、流されるような仕事をしていたら、いいように使われて終わりです。

そういったことを考えると、直接市場において一定規模の最終消費者とのパイプを維持しておくことも、発信者にとっては非常に重要です。直接市場でのプレゼンスの大きさは、発信者が中間メディアと交渉する際の唯一かつ最大の切り札だし、万が一の場合の「足腰の強さ」にもつながります。

(株式でも、少数の機関投資家に過半の株式をもたれているより、多数の個人投資家が株を保有してくれていた方がメリットが大きいことがあるのと同じです。)


★★★


この「直接市場」と「間接市場」をどう使い分けるか、どういう組み合わせや割合で使っていくか、というのは、今、コンテンツの作り手にとってとても重要な判断になりつつあります。

直接市場がほとんどなかった昔は、もっとシンプルでした。


ステージを追って書くと下記のような感じだと思うのですが、これでいえば、昔はステージ2がゴールだったわけです。ところが最近はステージ3が見え始めたので、話がおもしろくなってきました。


ステージ1:直接市場で最終消費者の支持を集める。

ステージ2:間接市場を利用して、知名度を上げ、最終消費者の裾野を広げ、マネタイズする。

ステージ3:重要な部分(価値的な意味と経済的な意味で)を直接市場に再移管する。


(ちなみに、コンテンツに限らず、物販でも同じです。

ステージ1:地元で大人気のケーキ屋さんが

ステージ2:楽天市場で大人気。全国区人気へ!

ステージ3:自社販売サイトの直販比率アップにトライ! みたいな)


ここのところ、ステージ3に関する様々な変化のスピードはついていけないほど速くなっています。

今までほとんど不可能であった「直接市場におけるマネタイズ」の方法もそれなりに整ってきました。直接市場におけるインフラを提供する企業が次々と現われているからです。しかしそういった仕組みは、いつ何時廃れてしまうかもしれません。そうすると、それをみこして、自分でその仕組みを作ろうとするコンテンツ・クリエーターもでてきます。

また、既存の中間メディアの淘汰、衰退が進む中で、新しい中間メディアがどんどん産まれています。たとえば“メルマガ配信会社”やニコニコ動画(ニコニコ生放送)などは、新しい中間メディアなのか、直接市場のインフラのひとつと捉えるべきなのか、ちきりんにはまだよくわかっていません。さらに、SNSなど“ソーシャル君”が、一定の伝播力を身につけつつもあります。


もちろん今でも「ずっとステージ2で稼ぎまくるのがゴール」というモデルの人もたくさんいるのですが、これからは多くの(しかも力のある)コンテンツの作り手は、当然にステージ3を強く意識した戦略をとってくるだろうと思います。今後、誰がどんな感じでこのへんをコントロールしていくのか、けっこう興味深いところです。


そんじゃーね。

2011-09-27 なんで全員にリーダーシップを求めるの?

欧米(特にアメリカ)の入学試験や、外資系企業の面接で常に聞かれるのが、「あなたのリーダーシップ体験について話してください」という質問です。

大学の入試エッセイでも書かされるし、大学や企業の面接では、過去にどんな場面でどうリーダーシップを発揮したか、事細かに聞かれます。

もちろん入社してからも、リーダーシップは主要な評価項目のひとつとなっています。

ところが日本ではリーダーシップについて問われる機会はごく限定的。中には「今まで、一度も問われたことがない」という人さえいます。


なので、その概念自体あまりよく理解されていません。

たとえば私が日本人からよく受ける質問は、「欧米ではなぜ全員にリーダーシップを求めるのか?」というものです。

質問の意図は、「リーダーシップという、組織を率いるごく少数のトップ人材だけが持っていればいいものを、なぜ欧米の大学や企業は全員に求めるのか?」とか、

「 10人のチームで 10人が強いリーダーシップを発揮したら、チームとしては巧く動かないのでは?」といったところでしょうか。


これらの質問は日本ではごく常識的なものです。

そして、それにたいする私の答えもシンプルです。

全員にリーダーシップがある組織は、一部の人にだけリーダーシップがある組織より圧倒的に高い成果がでやすいんです。

だから学校も企業も、欧米では(&外資系企業では)全員にリーダーシップを求める。


★★★


例で説明しましょう。

高校の文化祭で各クラスが出し物をすることになりました。まずは何をやるのか話し合います。

最初は誰も意見を言いわず黙りこくっています。

責任者で司会役のAさんは、意見を言ってくれそうな人を指名して、ようやくいくつかアイデアを出してもらいます。


それらを黒板に書き出し、「そろそろまとめに入ろうか」という討議の終盤になって、今度はたくさんの意見が出始めます。

校則問題をとりあげた演劇をやろう、バンドはどうだろう、食べ物屋を出店して売上を寄付するのはどうか、討論会か講演会を主催して有名なゲストを招きたい・・・云々。


ここで出た多くの意見をどうやってひとつの意見にまとめるべきか、Aさんは考え、それぞれの案のいいところと悪いところをまとめてもう一度討議し、最終的に多数決をとることに決めました。

Aさんは翌週の放課後をすべて使ってそのための資料をまとめ、必要な予算も先生と相談します。


2回目のクラス討議。

Aさんはまとめてきた資料を配り、各案について、全員が参加できるか、必要な設備はあるか、他のクラスとかぶらないか、などのポイントを説明します。

みんなは「ふーん」という感じて聞いています。

ここでもひとりだけ、極めて熱心に「演劇で校則問題を取り上げたい」と主張する生徒がいました。

彼は自説を長々と説明し、ようやく他の案の検討が始まっても、すぐに「校則問題を扱った演劇」に話を戻してしまいます。

それがあまりにウザイので、他の生徒は次第にしらけ始めました。


そのうち、あからさまにAさんをにらみ「お前、なんとかしろよ」という視線を送ってくる生徒も出始めます。さらに何人かは「用事がある」と言って席を立ってしまいました。

Aさんは、延々と話している生徒をなんとか静かにさせ、他の意見をもっていそうな生徒に発言を求めますが誰も積極的に話そうとしません。

するとまた「演劇で校則」の生徒が「ちょっといいですか?」と話し始めてしまいます。


話がいよいよ進まなくなったところで、汗だくのAさんを見ていた先生が介入しました。

先生は他の生徒を次々と指名して、他案について意見を出させてくれました。Aさんは心からほっとします。

その後はなんとか議論が進み始め、多数決で「誰かゲストを呼んで講演会をやろう」ということに決まりました。

時間の大半が使われた「校則問題を扱った演劇の案」の賛成者は数名だけでした。


これ以降は省略します。

後は想像できますよね。誰を呼ぶのかを決めるにも一悶着あるし、依頼の方法も、提示する説明資料もAさんが中心になって考えねばなりません。

人気講師が来てくれることになったらなったで当日の段取りも大変です。

列をどう整理するか、受付はどこに設置するのか。マイクを確認して演台を用意して飲み物も必要だ。誰がどの役を担当する?

当日になって「ごめん、オレ、部活の出し物と重なってた。受付、できなくなったわ」とか言い出す人もいます。

遅れてきたり、いつの間にか持ち場を離れてしまう人も。講師謝礼用に用意していたお菓子が見あたらないというトラブルも発生・・・


★★★


さて、ある企業で 10人がチームを組み、新しいプロジェクトを始めるとします。

この 10人全員が、高校生の時にAさんの立場を経験しているのと、ひとりしかAさんの立場を経験しておらず、残りの 9人はその他の生徒の立場にあった、というチームでは、どちらがパフォーマンスのいいチームになると思いますか?

10人全員がAさんの経験をしているチームは、「 10人全員がリーダーシップ体験のあるチーム」です。

もうひとつは「リーダーシップ体験をもつ一名だけがリーダーとなり、残りの 9名はそういう経験のない人達」というチームです。

後者のチームがどうなるか、想像できますよね。


正しいかもしれないけど、物事を前に進めない発言を繰り返し、

本旨に関係のないくだらないことにいつまでもこだわる。

ちょっとでもややこしくなると、あからさまに無関心な態度を示し、

ドタキャンをしたり勝手に役割を離脱したり・・・、するのは、「自分がリーダーとして苦労したことのない人」ばかりです。


また反対に杓子定規な態度を崩さず、

「完璧でなければ一歩も進みたくない」

「一切の妥協は許したくない」

「明文化されなければ、一切やるべきでないと思う」などと言い出す人もいます。


「組織を動かして成果を出すことがどれほど大変か」、実体験で学んでいない人がチームにいると、恐ろしく非効率なことになるのです。


たかだか 20人ほどの忘年会でさえ同じでしょ。

一回でも忘年会の幹事をやれば、店の選び方について後からどうでもいい意見を言ってみたり、参加可否を問うメールを放置して返事をしなかったり、たいした用もないのに遅れてきたり、「オレは酒が飲めないから安くしろ」と言ってみたりすることが、どれくらい慎むべき行為かすぐに理解できます。

リーダーシップ体験のない人って、すぐわかります。彼らはまさに上記のような言動をし、それの何が悪いのかさえ理解していません。

そういう人を見るといつも「ああ、この人は一度もリーダーシップを発揮したことがないんだな」と思います。


人はリーダーシップ体験を積むことにより、「高い成果を出せるチームの構成員」になれるのです。そのために、全員にリーダーシップ体験が必要なんです。

上記の例でAさんは、リーダーとしてはスキル不足だったかもしれません。それでも彼がその経験から得たモノは、彼の「チームメンバーとしてのパフォーマンス」を大きく向上させます。


★★★


欧米の教育機関や外資系企業は「組織が高い成果を達成するためには、各メンバーがチームの中でいかに振る舞うべきか」、体験的に理解している必要があると考えています。

だから「全員に豊富なリーダーシップ体験が必要だ」と言うのです。


しかも、リーダーの立場を何度も経験した人は、結果として高いリーダーシップ(スキル)を身につけています。

リーダーシップというのは、本を読んだり勉強して身につくものではなく、日常生活における様々なリーダー体験を通して学ぶものです。

というか、そういう体験を通してしか身につきません。

大変な思いをしたAさんですが、次に別のイベントの幹事をするときには、前回よりは一歩、上手くできるようになっています。

それを繰り返した回数こそが、その人のリーダーシップのレベルを決めるのです。


だから「豊富なリーダー体験」をもっているかどうかを問えば、リーダーとして高い成果を挙げるスキルを持っているか否かも、きっちり判断できます。

それが目的で欧米の学校、企業、そして外資系の企業や団体は、リーダーシップ体験について、事細かに質問するのです。


ちなみに私は 20年近く米系企業で働きましたが、その間に「フォロワーシップ」などという言葉を聞いたことは一度もありません。

欧州企業の日本法人社長を 10年以上つとめる某有名経営者の方も「うちも海外オフィス含め、フォロワーシップなんて言葉はまったく使わない」と言われてました。

未だにそんな言葉を使ってるの、日本だけなんじゃないでしょうか。

まっ、だから政治の世界でもビジネスの世界でも、リードするのはいつも欧米企業で、日本企業はいつでも“よきフォロワー”になってるのかもしれませんけど。


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 そんじゃーね


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2011-09-25 次の「ちきりん本」の発売日が決まりました!

来月、28日に、ちきりん2冊目の書籍、


『自分のアタマで考えよう』

〜「知識」にだまされない「思考」の技術〜


が発売されることになりました。


うっかりしてる間にネット予約が始まってたので、お知らせします。

→ アマゾン 予約画面

→ 楽天ブックス 予約画面

→ セブンネットショッピング 予約画面




いったいどんな本なのかって?

そんなことは・・・

自分のアタマで考えよう!


・・無茶、言うな、と・・



だから、どんな内容なのさって?

うーん。文字通りです。


文字通り、

「他人のアタマじゃなくて、自分のアタマで考えたほうがいいんじゃない?」とか、

「自分のつま先じゃなくて、自分のアタマで考えたほうがいいんじゃない?」とか、

「自分のアタマで瓦を割るのも悪くはないけど、自分のアタマで考えるのもアリなんじゃない?」とか、

そういう感じ。


って、(我ながら書いてることが)あまりにつまらなすぎて、関西人の名が泣くよ。

ってか、こんなつまらんことしか書けないやつの本とか売れるのか!?


という気がしてきたのでやり直します。


★★★元へ★★★


来月、28日に、ちきりん2冊目の書籍、


『自分のアタマで考えよう』

〜「知識」にだまされない「思考」の技術〜


が発売されることになりました。


ぼんやりしてる間にネット予約が始まってたので、お知らせします。

→ アマゾン 予約画面

→ 楽天ブックス 予約画面

→ セブンネットショッピング 予約画面



いったいどんな本なのかって?


そんなことは・・・


恥ずかしくて言えません!!


???


あっ、いえ、そんな本じゃないです。こんな年になってそんな・・・


→やり直し。


★★★元へ★★★


来月、28日に、ちきりん2冊目の書籍、


『自分のアタマで考えよう』

〜「知識」にだまされない「思考」の技術〜


が発売されることになりました。


のほほんとしてる間にネット予約が始まってたので、お知らせします。

→ アマゾン 予約画面

→ 楽天ブックス 予約画面

→ セブンネットショッピング 予約画面



いったいどんな本なのかって?


そんなことは・・・


○○○○○○○!!



上記「○○○○○○○!!」が、本日の大喜利のお題です。回答はツイッターかブックマークコメントでお願いします。おもしろい回答はリツイートさせていただきます!




おいおい、ホントにこんなエントリでいいのかって?


いいんです。


ゆるく考えよう



あっ、間違えた! 


今度でる本は、『自分のアタマで考えよう』です。



・・・まずいな、こんなエントリじゃ売れないよ。。やり直します。


★★★元へ★★★


来月、28日に、ちきりん2冊目の書籍、


『自分のアタマで考えよう』

〜「知識」にだまされない「思考」の技術〜


が発売されることになりました。


もぐもぐしてる間にネット予約が始まってたので、お知らせします。

→ アマゾン 予約画面

→ 楽天ブックス 予約画面

→ セブンネットショッピング 予約画面



以上、サブリミナル効果で予約したくなるかどうか試してみる実験でした。

(サブリミナルと言うより単なるリピート・・)


そんじゃーねー!




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★本の目次や概要を真面目に知りたい方はこちらをどうぞ! 

     →「本の内容紹介(まじめ版)

★発売日記念エントリでは、思考に関する考察をチラ見せしています!

     → 「思考と分析の違いとは?

2011-09-22 未完の「能力リスト」

「頭がいい」「あの人はデキる!」とか、「あいつは能力が高い or 低い」などと言いますが、こういう言葉って具体性がないですよね。

なので、具体的な能力をリストにまとめてみました。

書きかけなので、適宜、付け足したり変更していきます。ずっと作りかけかもです。


<理解系能力>

・理解力 (概念や関係性を把握する力と、その理解の早さ=瞬発力)

・読解力 (書き手の込めた行間を読み取る能力)

・数的処理能力

・思考体力 (長時間、考えても頭が疲れず、考え続けられるアタマの体力)


<記憶系能力>

・短期記憶容量 (例:ちらっと見ただけの数字の羅列や英単語を、すぐにそらんじられる)

・長期記憶容量 (例:読んだ本の内容、電話番号や人の名前、タレントの名前やプロフィールを大量に記憶してる)

・超長期記憶容量 (例:子供の頃の記憶や、何年も前の食事の内容を鮮明に再現できる)


<メタ認知系能力>

・洞察力 (表面的な事象から本質的なポイントを抽出する深化系の能力。想像力、パターン認識力を含む)

・構築力 (ストーリー構築力、仮説構築力など、洞察力と反対方向の能力。たぶん先見性はここに含まれる)

・俯瞰力 (上下ではなく、広範囲を見ることができる能力)


<表現系能力>

・言語を使いこなす能力 (語彙の豊富さと適切な語彙の選択力)

・口頭コミュニケーション力

・文章力

・プレゼンテーション能力 (言葉だけではなく、スタイル全体)


<決断系能力>

・判断力 (どうすべきか“わかる”)

・決断力 (“決められる”)

・行動力

・大胆さ (思い切りの良さ)


<対人系能力>

・リーダーシップ

・交渉力

・指導力 (部下の育成力)


<人間力>

・個性 (個人インパクト、一度会ったら忘れない強い印象)

・好感力 (常にニコニコしてる。人当たりがいい。誰からも好かれる)

・善性 (正義感、公正さ、誠実さ)


<意欲系能力>

・自主性

・志 (公共マインド、目線の高さ、信念=ぶれなさ)

・挑戦的な目標設定能力 (高いところにゴールを設定する力、満足しない力)

・冒険心 (リスクをとる能力)


<根性系能力>

・精神的な根気 (飽きずに続ける力)

・体力的な継続力、エネルギーレベル

・意思力 (易きに流れない自己管理能力)


<創造系能力>

・新奇性 (ユニークなことを思いつく力、アイデア力)

・発想力 (枠を設定せず、自由に発想する力)

・好奇心、探求心


<実施系能力>

・慎重さ

・正確さ

・器用さ


<感情系能力>

・自己の感情のコントロール力

・相手の感情の読み取り力、他者の感情への敏感さ(センシティビティ)

・共感力


<精神的能力>

・楽観力  (“お気楽さ”、前向きさ = Positive mental attitude)

・精神的強靱さ (タフネス、鈍感力、傷つかない能力)

・肯定的解釈力 (ネガティブな事象を自己内に溜めないでよい形に変換する力)

・集中力


<身体的な体力>

(ちょっと違う分野に入るので、詳細は略)


有名な“すごい人”や、自分の周りの“すごい人”を思い浮かべながら、リストしてみました。


書いてみて、人生の各関門において求められる能力は、かなり違ってると思った。受験なら“記憶系能力 6割 + 根性系能力 3割 + 理解系能力 1割”で乗り切れる。

でも就職面接だと表現系能力や人間力などがより大きく問われ、働き始めたらまた別の能力が問われる

・・・だから「人生大逆転!」が起きるわけですよね。


この年になると、「自分がどれを持ってて、どれを持ってないか」は、自分でもよくわかる。

みなさんも自分自身や上司、部下、もしくは自分の子供などについて「コレはある、コレはない。コレは、、、うーむ!」などと吟味してお楽しみください。

てか、複数の部下がいる管理職なら、部下の能力一覧を作っておいて「こいつについては、来年はコレを伸ばしてやろう!」とか考えてくれると嬉しいかも。

もしくは、今年入ってきた超ダメダメな新人に関して「一番ヤバイのはどの能力なのか?」って考えてみて、まずはそこを集中的に教え込むとか。。。

おっ、もしかして使える?


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そんじゃーねー



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2011-09-19 性教育について(生まれて初めて)考えた

この本、おもしろくて勉強になりました。

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わたしはジェンダー関連の話にはあまり興味はないのですが、ふと「他国の性教育ってどんななの?」と思って読んでみました。

以下、質問形式でご紹介します。


質問1:皆さんはどんな性教育を受けましたか?

私は「女子だけ集められて、おしべとめしべのビデオを見る」という意味不明な教育を受けた世代ですが、「女子だけ世代」は 30代以上だそうです。

それより若い世代は、男女とも性教育を受けてるらしい。(地域差あり)

なお日本では 1992年が「性教育元年」と呼ばれていて、この年から性教育が拡充されています。理由は、80年代後半に「エイズが流行ったから。」


質問2:今の性教育の内容を知ってますか?

今の日本の小学生がどんな性教育を受けているか、知ってます?

自分の息子や娘が小学生高学年だという人、子供達がどんな教育を受けてるか、知ってます?

私は全然知らなかったので、この本読んで「ふーん」と思いました。


質問3:世界でどんな性教育が行われているか、知ってます?

たとえば世界ではこんなことを教えているらしい。


・アメリカ、メイン州では、幼稚園から高校まで&障害者教育でも、性器の「正式名称」や、性に関する「正式用語」をきちんと教える。

理由は、「レイプや暴行を受けた場合、裁判所で、何をされたかかきちんと説明できるようにするため」


・オランダやアメリカでは、木の棒やバナナにコンドームをつける“実習”が小学校で行われる学校もある。


・フィンランドの教科書の内容

13歳向け → 体の仕組みや解剖学的な知識と、マスターベーションなどの性行動について解説、

14歳向け → コンドームやピル、リングなどの使い方を写真付きで詳細説明

15歳向け → 各種の性感染症の症状、感染経路や治療方法についての説明


・カナダのトロントには、いじめで学校に通えなくなったセクシャル・マイノリティの高校生の学習権を確保するための高校があるんだって。

教育内容は普通の高校と同じだけど、先生自身もゲイ、レズビアンなどセクシャル・マイノリティ。自分の性意識が他者と違うと気づいて傷ついた子供たちの「自己肯定感」を高めるためのプログラムや、「カミングアウトの手紙」の書き方を習う授業もある。


・中国では「生身の人間を使った、実写版の思春期性教育教材シリーズ」が広く使われていて、その中身は日本だと刑法 175条に規定されてる「わいせつ物頒布罪」に問われそうなものばかり、、、、らしい。

13億人がそんなの見てるのか。。。


質問4:もし「日本の性教育の内容を、あなたが自由に決めていいよ!」って言われたら、いつ何を教えるべきだと思いますか?

これ、結構悩むよね。この本を読んでいて、「性教育」ってすごく範囲が広いのだと知りました。たとえば、


・生物学的な体の違いについて

・性欲、生理や射精、マスターベーションなどについて

・思春期の気持ちの変化や、恋愛感情について


・性行為について

・避妊の具体的な方法と効果について


・性犯罪、デートバイオレンスなど犯罪知識、防止策について

・性病になった時の対処法、レイプの被害への対処方


・社会的性差について

・性的嗜好と性同一性障害など多様性問題について


・子供を持つ、育てるということについて

・世界の性にまつわる常識の違いについて


これだけ広い範囲のことを、「いつ」、「どのように」、「どこまで」教えるか、って、すごく難しい。誰かが決めた現状について文句を言うのは簡単だけど、「じゃ、自分で決めていいよ」って言われたらすごく悩みそう。


質問5:性教育の選択権は誰にあるんだろ?

性教育に関しては、「寝た子の目を覚まさせるな」という考えと、「そんなこと言ってて何も教えないと大変なことになる!」と考える人の間で、どの国でも保守的な人と進歩的な人の意見の隔たりが大きいのですが、加えて、海外では宗教も絡むから大変です。

欧州にはイスラム系の移民がたくさんいて、「義務教育で何をどう教えるか」は必ずしも欧州的な価値観だけでは決められないし、アメリカでは避妊や中絶を「神に対する犯罪」だと考えるキリスト教徒もいます。

韓国みたいに儒教の影響が強く、未だにドラマの中では婚前交渉がほとんど行われない、みたいな国もある。


他にも、「自分の子供にいつどんな性教育をするのか、それは誰が決めるべき?」というのも論点です。

もし「国」が決めるのであれば、何をどう教えるかは義務教育で定めるべき。

けど「親」が決めるべきだと考えるなら、「うちの子供にはそんな性教育は受けさせない!」という拒否権が親に与えられるべき、となります。


さらに、「親でも国でもない。あくまで子供本人が決めるべき」という考えもあって、親が同意しなくても中学生に(本人が求めれば医師が)ピルを処方する国もある。

こういった、「性教育は、誰の価値観に基づいて行われるべきか」という点についても、「ちきりんの意見は?」って問われたら、今すぐには答えられない。

「あたしってこういうことについて、一度も考えたことがなかったんだなー」ってことがよくわかりました。


★★★


ところで、アメリカの性教育の一環で、中学生に「これはあなたの子供だから、一時も目を離してはいけないよ。ちゃんと抱いていてね」といって紙袋を渡し、一週間すごさせる、っていう模擬子育て教育があるそうです。

一週間後、生徒は「子供をずっと抱いていると日常生活がすごく不便で、やりたくてもできないことが多い。子供をもつってすごく大変なんだとわかった」という感想をもつそう。


これ、めっちゃいい教育だよね。

子供を育てるということへの想像力を欠いたまま、避妊せずに性行為を経験し、気軽に子供を生んじゃってから「困って、戸惑って」育児放棄や虐待が起こると・・・最終的には(親が)逮捕されてしまい、子供は施設に送られる。

事件が起こってから逮捕するという対処方法だけでなく、こういう事前の教育もちゃんとやるべきじゃん!って思いました。

この「紙袋もって一週間」っていうの、日本では男女ともやったほうがいいんじゃないかな。

てか、男性なんて 30才になってからでもいいから、一週間、紙袋もってすごしたらいいかも。


★★★

もう一点、示唆深いなと思ったのが、あとがきに書いてあった下記の文章。

日本の教育を発展させるために、私たち研究者は長年にわたって海外の性教育を研究してきました。その成果は、出版物の形でときどき世に送り出すのですが、読者層がきわめて限定的なため、一般の人たちの目に触れる機会はあまりないといっていいでしょう。


今回、「新書」という形で本書を出版しようと考えたのは、ひとりでも多くの方に、日本の性教育の現状を知ってほしかったからです。そのためには、性教育が多少興味本位に扱われることも、よしとしました。

たしかに研究者の人って、せっかく研究しても、その内容は一般の人には全然伝わらない。だから何かあると予算が仕分けられそうになる。

専門書の出版や学会発表だけではなく、新書みたいな気軽に読める形で、かつ一般の人にわかるような言葉で、自分の研究内容を発表することを、公的資金をもらう研究者の義務のひとつにしてもいいのかも。


ちきりんは研究者は日本にはもっと増えていいと思ってるんだけど、その研究がどんな形で社会に関わってくるのかは、もっと(研究者側が)努力して世に問うべきだよね、って思ってます。

そうしないと、こんな財政赤字の国で、明日の“おまんま”につながらないことにいつまでもお金はつかない。そのうち研究資金が打ち切られちゃうよ。


というわけで、親として自分の子供にどういう性教育をすべきか迷ってる人はもちろん、それ以外の人にもなかなか興味深い内容の本だと思います。


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2011-09-15 いい国すぎて危機感がもてない

先日、知人と食事をしてたら、「なんで日本ってこんなに危機感がないんだ?」という話になったのだけど、ひとしきり話してから思った。「危機感なんてもてないよね。だって全然、危機じゃないもん。」と。

都心のヌーベルシノワをうたったおしゃれな中華レストランの奥まった席で私たちが堪能していたのは、1万円ちょっとの創作コース料理とシャンパンベースのカクテル。

日曜日だから人通りも少なく、節電とやらで街はいまだに暗いけど、食事を終えてめっきり秋らしくなった風を楽しみながらそぞろ歩きしていてもなんの問題もない治安の良さ。

こんないい国で暮らしてて、何にどう危機感を持つべきだと?

って思う。



別にあたしだけじゃない。その翌日は銀座のワインバーで昔の友人達と食事。ひとりは35年ローンで家を買い、別の一人は10歳若い彼女と千代田区のマンションで同棲を始めたという。もうひとりは海外赴任が決まった。そしてあたしはタヒチにいった話と、来月、イタリアに行く話をする。

株価が最安値だかなんだか知らんけど、ユーロが100円切るかもしれないけど、おいしい食事とワインとおしゃべりを楽しみながら、「この国も終わりだよね」とか言ってても全然説得力がない。


ちきりんは、自分がとても突出した立場にいて、自分の周りだけがこうだとは思えていない。実にたくさんの人たちが、こんな感じなんじゃないの?この国の危機感のなさは、まさにこういう人たちに支えられてる。


企業だって同じだ。貸出先がなくてめっちゃこまってる銀行は、名前の通った大企業に貸し出したくてうずうずしてる。就職先のない大学生も押し寄せるように応募してくる。自社の株価が少々下がってもなんの問題もない。そもそも日本の大企業の大半は、今や株式を上場しておく意味さえ見失いつつあるんだから。

確かに売上が伸び悩むようになってからボーナスが少なくなったし、今の役員が部長だった頃にもらっていた額は、今、部長職をやってる自分はとてももらえていない。

それでもつい5年前に35年ローンで家を買ったばかりだし(つまり、向こう30年はこのローンが払えるだけの収入があると信じているし)、それどころか妻は子供の進学や留学に、まだたっぷりとお金を掛けられるという前提で、あれこれ子供の将来を案じてる。

会社にいけば、そりゃあ危機感は感じる。もう儲かるようにはならないよね、と思える事業に2000人の社員がぶら下がったりしている。どうにかしなくちゃいけないとは思う。このままじゃもたないとも思う。

でも家に帰れば、秋の大型連休にはどこに行こうか、という相談が始まる。


なんだかんだいっても、私たちはあまりにすばらしい国に住んでいるので、なんの危機感ももてません。


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そんじゃーね。


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2011-09-13 この国の政治の不在、対極としての『コラプティオ』

先日来ちきりんが、『ハゲタカ』や『ベイジン』などを紹介してきたのは、ご縁あって著者の真山仁さんにインタビューをさせて頂く機会があったからです。2時間の予定だったのですが、白熱して3時間半(休憩無し!)のロング・インタビューとなりました。

キャリア選択の方法からエネルギー政策、移民問題や農産物の自給方針など、幅広い話題について話しましたが、「政治とリーダーシップ」についての議論は特に印象的でした。


きっかけは真山さんが言われた「なんで福島第一の原発事故は国がなにもせず、東電だけに対応させているのか?」という至極まっとうな問いかけでした。

普通、化学メーカーのコンビナートなどで火災が起こった場合、その原因が地震だろうと化学工場側のミスだろうと消防隊が駆けつけて消えるまで消火活動をします。大きな火災であれば消火ヘリを出し、空中から特別な消火剤を撒きますよね。そういった火災が起こった場合、消防隊がなにもせず、民間企業である化学メーカーが単独で消火活動をするなんてありえません。事故対応のリーダーシップを発揮するのは消防隊の方です。

ところが福島原発の事故では、ごく一時期に消防隊が出動しただけで、あとはずっと東電がやってます。これ、なぜなんでしょう?


どこの国でも原発はテロの標的です。戦争が起これば原発サイトが狙われる可能性があることは、軍隊にとって「想定内」のはず。とすると、当然、地元に原発がある消防隊や自衛隊は「原発が北朝鮮のミサイルにやられた場合」を想定して、対策を考えたり、訓練を行っているはずです。(ですよね???)

まさか・・「戦争で原発が狙われるなんて想定外だった。」とか、「原発は絶対安全なので、そんな訓練はしていませんでした」とか、言わないよね??? 


そうであれば、なぜ福島の事故だって、消防隊や自衛隊はもっと全面的に出動しないのか、ってことです。被害住民の方にお風呂を提供したり、津波に流された方のご遺体を探すのも大事な任務でしょう。だからといって、原発事故に対して、ここまで「オレ達には関係ないし」的な顔をしてるのはなんか変じゃないでしょうか?

これがアメリカやフランス、中国での事故であったなら、最初から軍隊が出動して対応したのではないでしょうか?(というか、今回だって米軍は“ともだち作戦”の前にもっと重要な協力を日本政府に申し出ていたのでは?)

でもその申し出を受けたのは、我らが誇る“市民活動家”総理であり、かなーり「軍隊嫌い」な思想をお持ちにみえるご夫妻であったわけです。

・・・今後、万が一キムさんの国がミサイル実験の手違いで、福井の原発の上にミサイルを落としてしまった場合、もしかしてその火災は、関西電力が自力で消すことを求められてるんでしょうか・・?

★★★

最後に真山さんと話したのは、日本における「政治リーダーシップ」の在り方でした。国家の存続に関わるくらい大きな事故が起こっているのに、「民間の起こした事故だから民間が対処してます」という国の態度。これほど「日本における政治の不在」を感じさせる象徴的な事例はないでしょう。

真山さんの新作小説『コラプティオ』は(例によって“虚構の自由度”を利用して)、いったいこの国はどんな政治リーダーを求めているのか?ということを問う小説です。


コラプティオ

コラプティオ


真山さんは大学も政治学科だし、新聞記者時代も政治部を希望されていました。「この国の政治の在り方」についてはずっと考えてこられたのでしょう。この本の背景として「これからは経済の時代じゃなくて、政治の時代だと考えました。」と言われました。

「政治の時代」とは興味深い言葉です。それはちきりんにとって、必ずしも“いい時代”、“住みやすい社会”を意味しません。たしかにプーチン首相のもつ権力の凄みはゾクゾクするくらい魅力的です。だからといって誰もがロシアに住みたいとは思わないでしょう。

真山さんも「日本には独裁的なカリスマリーダーより、権力機構の運営者としてのリーダーが向いているかもしれない。」とおっしゃっていました。日本人は価値観が画一的だから、カリスマ型リーダーが出現すると全員が同じ方向を向いてしまう危険がある、というのがその理由です。


なのですが、実は『コラプティオ』には“カリスマ総理”が出て来ます。また、周りに新聞記者やニュースキャスター、政治家秘書、官邸サポートスタッフ、NPO活動家など様々な立場の人が登場します。それらの登場人物はとても魅力的で生き生きとしており、「こんな人たちが実在していたら是非とも会ってみたい!」と思えるようなすばらしいキャラクターばかりでした。

ところが小説の中で描かれる、“投資銀行出身で、自ら大胆に産業政策の舵を取り、国際政治の舞台に切り込んでいくカリスマ総理”は、私にはどうもピンときませんでした。

理由は前回書いた『ベイジン』の話と同じでしょう。“フクシマ”が起こる前には、日本人はだれも「日本での原発事故」をイメージできませんでした。同様に“投資銀行出身のカリスマ総理”がこの国に登場する姿を思い浮かべるのは、今の時点ではやはりとても難しいのです。

でも、これまた『ベイジン』同様、虚構の自由度を活かして、真山さんは「日本にとっての政治の時代ってどんな形なんだ?」と問いかけています。

現実社会では今月、野田内閣が発足し、既に経産大臣がマスコミに血祭りに上げられて辞任しました。いつまでこんなことを続けているのかわかりませんが、現実とは別に、真山さんの得意技である「虚構の自由度を利用して議論を前進させる」という手法を借り、「私たちはいったいどんな政治リーダーシップの形を求めてるんだろう?」ということは、考えてみてもいいかもしれません。

★★★

さらにもうひとつ、この小説には論点があります。それは、「日本がもっている原子力発電の技術を(フクシマがあったからという理由で)捨ててしまっていいのか?」という問いです。

フクシマに助けに来ているのがアメリカとフランスだけであることからもわかるように、最先端の原子力発電の技術をもっているのは(日本も含め)ごく限られた国だけです。

そして、本当に90億人の人口を地球上に擁し、その多くが先進国レベルの生活水準を求めるのであれば、(日本自身は節電でなんとかなるとしても)「原発は不可欠」という国はたくさん出てきます。しかもそれらの国が求める原発の数は半端なく多いのです。

日本がいきなりIT立国や金融立国になることも非現実的なのだとすれば、今、日本が持っているこういった技術をどう活かしていくのか、様々な可能性をゼロベースで議論するのもありなのかもね、とあらためて考えさせられる小説でした。


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そんじゃーね!


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2011-09-11 東アジアで協力しよう!

この前、「一歩外にでればたくさんの子供が生まれてて食料もエネルギーも足りなくなるかも!という状態なのに、

なんで日本の中だけで子供増やそうとするかな?」というエントリを書きましたが(エントリはこちら)、じゃあどうすればいいの?ってのを考えてみました!

まず下記をご覧ください。

東アジアの出生率のグラフです。出生率は 2.08を境にして人口が増えていく国と減っていく国に分かれるので、人口増加国と減少国を青と赤に色分けしています。


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(資料:アメリカ中央情報局「The World Fact Pack」)



で、解決方法なんですけど、人口が増えている国と減っている国で協力しあえばいいと思うんですよね。だいたいこんな感じで組み合わせたらどうでしょう?


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・日本は高齢化が著しいので、出生率の一番高いフィリピンと協力を!(明るい国だから自殺率も下がりそうだし、英語も学べそうで一石二鳥!)


・シンガポールはお隣のマレーシアと。


・インドネシアとブルネイはイスラム教つながりでヨロシク!


・中国とインドは絶対数として多すぎだから、とりあえず合計で世界人口の半分を越えないように気をつけてもらう。


・ベトナムとカンボジアは、いい加減仲良くするよーに。


・韓国はどさくさに紛れて半島統一を実現!


だいたいこんな感じでいいでしょ? (あっ、バングラディッシュつなぐの忘れてた!!)



協力内容は、子供の多い国が少子化社会側に必要な労働力を提供し、それに伴い納税や年金加入で資金的に貢献。

引き替えに、高齢者が多く人口が減っている国の方は、余り始めてガラガラの子供用インフラ(小学校から大学までの教育機関、エンターテイメント施設(映画やテーマパークなど))や住居、食料を優先的に提供するという契約を結ぶ。

もちろん高度医療も使ってもらう。(健康保険も加入者激増!)

契約を結んだ国の間では、両国民はその契約期間の 20年(その後は10年ごとの自動更新)の間は、自由にビザ無し渡航ができるってことにして、もちろん両国間の空港は多数の LCC でがんがん結ぶ!


解決じゃん?


えっ?どこがパートナー国になるかで大違いだって?

そうなんです。いいところに気がつきましたね。だから早めに“いいパートナー”を確保すべきなんですよ!


そんじゃーねー!!


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2011-09-09 少子化対策なんて不要でしょ!

昨日、「世界の市場は一体化しつつあるよん」という話を書きましたが、ちきりんはビジネスだけではなく、もっと根本的なことも「世界はひとつ」という視点で考えるべきだろうと思っています。

その根幹にあるのは人口です。日本は“少子化少子化!”と騒ぎ、多額の税金を投入してまで「子育てを応援しよう、少子化をなんとかしよう!」としています。

ですが、世界全体でみれば「人口問題」とは明らかに「人口が増えすぎて困る問題」です。


みなさん、世界の人口を何億人だと習いましたか? たぶん小学校の半ばくらいで習うので、その数字が下記グラフのどの年にあたるか、確認してみてください。(ただしその数字をつぶやいた瞬間に年齢がバレます。なので、それを利用して年齢を誤魔化すことも可能です。)

ちなみに現在の小学生が習っている世界の人口は、2010年の68億人でしょうか。そのうち26億人(全体の38%=4割近く!)が中国人とインド人だということも習ってるんですかね・・。


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(アメリカの統計局 USCB による2008年のデータ、20年ごとにピンクにしてます。)


世界人口は今後もどんどん増えると予想されていて、40年後には90億人を超えると言われています。しかも、今の68億人のうち先進国ライフを送っているのはせいぜい10億人ですが、将来は90億人のうち30億人くらいは先進国ライフを送ろうと狙っています。


こんなんもう無理ですよ。

エネルギーと食料が足りないもん。環境汚染だって、どんだけ進むんだか・・



なので、日本はもう人口なんて増やさなくてもいいです。世界中に人が溢れて、エネルギーと食料の熾烈な取り合いが始まるっていうのに、


・日本列島には子供が少なくて困っているので、

・日本列島の外には多数の子供も含め89億人も人が溢れかえっていて、彼らは食べるものにも困っているんだろうけど、その子達&人達を絶対日本には入れたくない、

・けれど、日本列島内ではどんどん子供を増やしたい。


って、なんか変じゃないですか?

そんなことにナンの意味があるんでしょ?


日本もどんどん人口を減らして、世界に貢献しましょう!

ペットボトルのリサイクルなんかより、そっちの方がよっぽどエコです。

地球にやさしく!


そんじゃーね!!



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<追記&関連ツイート>

2011-09-07 「輸出・輸入」→「市場の一体化」

最近よく感じるのが、「輸出・輸入」→「市場の一体化」の流れの加速です。これは今後、ほぼすべての地域、分野で顕在化し、定着することになるでしょう。

たとえば、エンターテイメント市場。今までは「ハリウッドが世界に映画を輸出する」、「日本が世界にアニメを輸出する」、「韓国が日本にドラマを輸出する」のように、「原産国」が世界にそれを売る、という感覚でした。

でも今起こっていることは、エンターテイメント市場自体の世界での一体化です。どの国にもハリウッド映画を観る人もいるし、嫌いな人もいる。どの国にもアニメが好きな人もいるし、全く興味をもたない人もいる。というように、「市場が一体化」しているのです。


ふたつの違いをみてみましょう。「輸出・輸入」においては、輸出する側と輸入する側に明確な境界線があり両者は分断されています。

たとえば原産国では1万円の汎用品が、輸出されると3万円のブランド品として売られる、というのは、典型的な「輸出・輸入」型の市場です。昔の洋酒や欧州のブランド品がそうでした。今やそんな価格差はほとんど存在しません。


発売タイミングに大きな差がでる、というのも市場の分断の証拠で、「輸出・輸入」型の特徴です。本国で公開されてから、他国で公開されるまでに年単位のタイムラグがある。もしくは、他国での公開予定は最初には決まっていない、といったスタイルです。

今は映画でも「世界同時公開」や「世界での公開スケジュールが最初から決定されている」ものが増え、プロダクトでも「世界同時発売」が増えて来ました。明らかに市場は一体化しつつあります。


さらに商品企画についても、「輸出・輸入」型では「原産国のニーズに基づいて商品企画が行われ、完成される」→「その後、海外仕様に少しだけ変更して輸出」というパターンでしたが、「市場一体化」モデルでは、最初から世界で売ることを前提として商品企画が行われます。

iPhoneやWindowsなどは言うまでもなく、既に韓国ドラマも「日本で受けるか?」ということを存分に意識して企画されるようになっているし、テレビゲームは巨大な北米市場で人気があるもの、というのが開発の最重要ポイントです。


さらに教育も同じです。今までは日本で教育を受けるのが当たり前で、海外の大学に進学するのは「境界線を越えていく、特殊な動き」でした。しかし次第に「どこの国で大学に行くか」をゼロから考える人達が増えています。研究者レベルでは事態はもっと進んでおり、「在外研究」などという「輸出・輸入」型のコンセプトは早晩消え去る運命にあるでしょう。

労働市場も急速に一体化が進むでしょう。「海外駐在」とか「本社採用・現地採用」という概念はまさに「輸出・輸入」型時代の制度です。

世界中の支社で同じ基準で人材を採用し、どこで採用されてもおなじように育成し、同じ基準で優れていると判定された人が、グループ全体の経営者に抜擢される。こういった「ビジネスパーソン市場の一体化」も欧米系企業ではごく普通になりつつあります。


日本は今まで「輸出国」というアイデンティティにこだわりすぎ、「市場の一体化」モデルへの対応が遅れていました。自国市場が十分に大きかったこと、日本で優れているものがそのままに世界で受け入れられてきたこと(日本ウェイで経済成長が達成できたこと)も、その背景にあったのでしょう。

テレビや自動車などの機械モノについても、日本の市場が成長頭打ちになってからは「最初から世界市場をみて考える」が常識になりつつありますし、これからは食料品や生活雑貨さえ、そうならざるをえないでしょう。人に関しても同じです。

コンセプトとしての「輸出・輸入」型思考から逃れられない人や企業は、「市場一体型」でキャリアを積み、ビジネスを展開する人や企業に太刀打ちできなくなるでしょう。


また、今までは世界の「貿易秩序」も「輸出・輸入」型の市場を前提として、いかにその上でモノやサービスの移動をスムーズにするか、公平にするか、という観点で作られてきました。関税交渉やFTA、為替レートの調整など、すべてそういった視点からでてきた「調整のための手段」であったと思います。これも今後は大きく変わっていくでしょう。

今、ヨーロッパの財政危機、ユーロの危機を見て、「市場の一体化、通貨の一体化の失敗例だ!」と思う人もいるのかもしれません。

でも、ちきりんは反対だと思います。市場は否応なく一体化します。ヨーロッパは一足先に、そのチャレンジを受けているに過ぎません。


一般的に自国と他国の境界線に一番こだわるのは、人、企業ではなく「国」です。国こそ、その境界線の存在に、自己の存在がかかっているからです。もちろん日本の役所もみーんな「輸出・輸入型マインド」です。未だに「輸入反対!」とか言っていて、論外すぎてコメントする気にもなれない役所もありますが、そうでなくてもせいぜい「日本のいい物をいかに世界に売るか」しか考えていません。

でもこれから大事なのは、「いかに自国のモノを世界に売るか」ではなく、「いかに一体化された世界市場で生き残っていくか」という感覚です。

そういう感覚がないどころか、このふたつの概念の違いさえ理解できない人が舵取りをしているような組織は、早晩“あっちゃっちゃー”な状態に追い込まれることでしょう。


そんじゃーね。



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<過去関連エントリ>

グローバリゼーションの意味

最初から世界へ


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<関連ツイート>

※ツイートの掲載を望まれない場合は、ご連絡いただければ削除いたします。

2011-09-05 「虚構の自由度」、そしてその価値

先日ご紹介した『ハゲタカ』の著者、真山仁さんのもうひとつの名著『ベイジン』を読了。『ハゲタカ』とはまた違う意味で衝撃的でした。この本、今のタイミングで日本人が読むとかなり複雑な気持ちになると思います。

〜以下、ややネタバレ気味に『ベイジン』のあらすじが書かれています。あらかじめご了解の上お読み下さい。〜


2008年に出版されたこの小説は、中国が北京オリンピックにあわせて世界最大の原子力発電所を稼働させるという計画をたて、そのために指導顧問として日本から派遣された原子力技術者が、中国の技術者を指導するという話です。

その中で一貫しているのが、「世界最高の技術力をもち、世界で最も安全な日本の原子力発電」の関係者が、「中国の危ない原発の建設&運営を指導する」というトーン。中国人労働者や技術者がいかにいい加減か、日本人技術者がいかにきまじめで安全に気を遣っているかが、延々と描かれます。


ちきりんは思いました。「あたしが中国人だったら、今、こんな小説を読んだら怒るだろうな」って。「お前ら何ゆうてんねん。事故おこしたんは誰や?空気と海も汚されて、中国も迷惑しとんねん!」って言いたい気分になるでしょう。

なので先日真山さんにお会いした時、「これって日本人として奢りすぎじゃないですか?実際には事故は日本で起こったじゃないですか?」と聞いてみたんです。

そしたら言われました。「日本の原発を舞台にしたら、ここまで書けなかったと思うんです。」って。


「あー!なるほど」って思いました。真山さんは『ベイジン』を書くに当たって数多くの原子力発電の専門家を取材されています。でも、もし彼が「日本の原発でSBO(ステーション・ブラックアウト=全電源喪失状態)が起こる設定の小説を書いてます。」と言っていたら、取材自体が進まなかったかもしれません。

「中国の原発で事故が起こるかも!」という小説のための取材だと言ったほうが、取材も書籍化もスムーズに進むだろうことは、ちきりんにも想像できます。実際その時点では、日本の専門家は日本の原発事故より中国での原発事故を心配していたのかもしれません。


「フィクションだから書けることがある」

今回、真山さんからお話を伺って、このことをあらためて理解しました。

白い巨塔』を読んで小説の力に衝撃を受けた、と言われる真山さんに(大変失礼な質問とは自覚しつつ)「山崎豊子さんが、目指す方向性ですか?」と質問しました。そしたら、「すばらしい方だけど、自分はどこまでリアリティに迫れるかということより、フィクションの自由度を利用して思い切った考え方を提示することを、より大事に思っています。」との回答でした。

たしかに山崎豊子さんの作品は、フィクションなんだかノンフィクションなんだかわからないほどのリアリティに溢れています。取材のために現地に泊まり込むなど「取材対象の体験を自分も実体験として得るまで取材する」って感じです。

一方の真山さんは「フィクションだと主人公に思い切った発言もさせられる。原発のSBOなど、あってはならない事態も小説の中なら起こせる。だからこそ表現できるものもある。そういうフィクションの自由度が気に入っている。」とのこと。


なるほど! これ、ちきりんもよくわかります。だってそれってちきりんが「おちゃらけ」と称する理由と同じだから。

世の中には「重箱の隅をつつきまくるのが生き甲斐!」という人がいます。そういう人は「細かい点に一点でも間違いがあったら、全体としての価値もゼロである」という宗教を信じています。

しかし、世の中には「まだ起こっていないことを含め、将来に向けて、大胆な仮説を提示しようとする人」がいます。そうすることが役割の人、そうすることが自分の仕事であり使命だと考える人がいるわけです。そーゆー人にとって「現実の制限」に縛られることなく、不特定多数の人に自分の考えを提示できる「虚構」という設定は、非常に使い勝手がよいのです。


『ベイジン』は虚構です。フィクションです。細かい点でいえば「こんなことありえないでしょ?」みたいなこともたくさんあります。詳細にこだわる人にはそれだけで「読む価値がない」とされてしまうのかもしれません。けれど『ベイジン』は、「虚構の自由度」を最大限に活かして現実の縛り(タブー)を脱することができた非常にパワフルな小説でもあります。

だって驚くなかれ、この小説には福島原発で起こったことがそのまま(2008年の段階で)書いてあるんだよ。電源がすべて消失するSBO,メルトダウン、水素爆発で建屋の屋根が吹き飛び穴があく、、、中国の原発への“津波の危険性”まで指摘されてます。

びっくりです。これを読んでちきりんは、「原発事故が起こったら何がどうなるのか」、専門家は昔からわかっていたんだと確信しました。

この小説のベースは、真山さんが取材した原発の専門家が言ったことです。彼らは「中国の原発で事故が起こったら、こんな感じになるでしょうね〜」という話をしたのでしょう。そしてそれらは全部、実際に起こったのです。

「なんだよ、全部、わかってたんじゃん!?」って感じです。わかってなかったのは、「中国じゃなくて、日本でも起こりえますよ」という点だけです。今回福島で起こった一連の事態は、実は全部「想定内」だったということを、この小説は証明しています。


けれど、それを「現実の予測」として提示することは誰にもできませんでした。安全神話がそれらの声を押さえ込んでしまっていたからです。

反対に、2008年の段階でここまで書けた理由は、「虚構」という形をとったからです。小説だから、フィクションだから、です。「虚構ですよ」と一言断ることで、「原発で事故が起きたらこんなことになるんですよ」ということが、福島以前のタイミングで提示できたのです。

「虚構の価値」ってこういうことね、とビビッドにわかります。


『ベイジン』の中で、ちきりんの心に一番突き刺さったセリフは、中国の原発で深刻な事故が起こった後に、中国人スタッフが茫然としながらつぶやく言葉です。

「今起きているのは、私たちの国が抱える慢心の象徴です。」

…泣きそうになりました。まったくもってその通り、でしょ?



まあ一回、読んでみてよ、コレ。

ベイジン〈上〉 (幻冬舎文庫)

ベイジン〈上〉 (幻冬舎文庫)


そんじゃーね。


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お断り:文中で「」内に示した真山さんの発言は、実際の発言のままではなく、発言の趣旨をくみ、ちきりんが文章化したのものです。

2011-09-03 よく考えたら、ほんのちょっとは進んでる

民主党の党首選と野田総理の組閣を見ていて思った。「なんだかんだ言っても、自民党時代より2センチくらいは進化してるよね。」と。たとえば、


党首を選ぶのに選挙してる

小泉さん以前の自民党って、派閥の長が集まって話し合いで決めてたり、陰の実力者の鶴の一声で、自民党総裁(事実上の総理大臣)を決めてたじゃん。しかも派閥の持ち回りだったり、選挙をやる場合でも派閥単位で立候補者を決めたりしてた。

それにくらべたら、今回は出たい人が5人、自分で代表戦に立候補し、演説して投票して選ばれた。このプロセスは確実に自由になったし、透明化された。もう「長老が集まって話し合って総理を決める」方式には戻らないことが明確になったよね。


大臣も派閥割り振りじゃなくなってる

小泉さん以前の自民党では、ポストは派閥が割り振っていた。「今回はうちの派閥は経産大臣と防衛大臣をもらった」というところから始まって、派閥の中で当選回数などに応じてポストを割り振っていた。

小泉元首相が、自分が大臣になってほしい人に直接電話して大臣就任を依頼したら、電話を受けた議員が驚いて、派閥の長に「こんな電話が来たんですけど、どうしよう!?」と騒いでいたのが懐かしい。たしか、「派閥を通さずに直接、依頼されても受けられない!」と(アホ丸出しなこと)言って、大臣就任を断った人もいたはず。

それに比べれば民主党になってからは、基本は総理が「自分が大臣になって欲しい人」に直接連絡してるっぽい。これもちょっとした進歩でしょ。


親が大臣じゃなくても大臣になれてる

3年前の麻生内閣なんてこんなんだったんだよ →  「すごすぎる!麻生内閣メンバーの出自!」

それに比べれば菅さんは市民活動家だし、野田さんも世襲じゃない。今回の内閣では世襲議員はひとりだけです。民主党政権の大臣の顔ぶれ全体で見ても、世襲は自民党時代に比べて劇的に減ったんじゃないの?これも進歩よね。


けっこう若い

野田さん自身54才だし、「40代で大臣」も“飛び離れ値”じゃなくなってきた。54才なら大半の大企業の社長より若いでしょ。経団連の親分なんて今74才だからね・・。もしかしたら、経済界より政治の世界の方が先に変わるのかもしれない。

今回も大臣には60代の人が何人かいるけど、今にも死にそうな人がいないのにも安心したよ!



「親が政治家でなくても、40代で大臣になれる可能性がある」ということが定着したら、優秀な人で政治家を目指す人も増えると思うよ。それは大事なことだよね。


というわけで、とりあえず「前向いて走ってるらしい」ことは確認できた気がする。いいんじゃない?たぶんあと38年もしたら、政策もまともになってくるって。 (38年に特に意味はありません。)


そんじゃーね!