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Chikirinの日記 RSSフィード

2011-11-28 今、私たちが読むべき本

ちきりんは大きな選挙がある日は夜の予定をいれません。余程のことがないかぎり、家で選挙特番をみるようにしています。昨日も早めの夕食を済ませて20時にテレビのスイッチをNHKに合せました。

そしたら大河ドラマをやっていてびっくりしました。驚いて他のチャンネルを見てみましたが、地上波はどこも選挙報道をやっていません。

国政選挙の場合、NHKはもちろん地上波の大半の局が投票締め切り直後から選挙特番を始めます。なぜ昨日は一切そういうことがなかったのでしょう?


テレビ局は「今回の選挙は地方首長選であり、国政選挙ほど重要ではない」と判断したのでしょうか?

これは、最もいい方に解釈した場合の理由です。実際には彼らは、「社内規定で、“国政選挙は特番”、“地方選挙は速報&ニュースでカバー”と決まってるんで」的に、なんの判断もせず「今回は地方選だから特番無し」と決めたのでしょう。


その後テレビを諦めてネットを探すと、MBS毎日放送とUstでネット配信が行われていると知り、さっそくそちらを視聴しました。NHKはそのうち特番を始めるかな?と思い、消音で画面だけだしておきました。

ネットでは平松市長の(なにそれ?)みたいな会見のあと、松井新知事と橋下新市長の挨拶、そして記者との質疑応答が始まりました。それは、なんと9時から12時まで3時間も続いたのです。


ちきりんもツイッターをしながらフォロアーの方と一緒にその記者会見を見ていました。最初に驚いたのは、橋下氏の挨拶に全く「嬉しそうな」「浮かれた」「達成感」の言葉や感情がなかったことです。それは彼が「これから起こること」をよくよく理解していることを示していました。

次に印象的だったのは、彼が「できるかぎり民主的になろうとしていた」ことです。ご存じのように反対陣営は今回の選挙を「独裁」と「反独裁」という対立にしようとしていました。橋下氏は「独裁といわれようとも強く出なければならない時がある。」という気持ちを滲ませながらも、慎重にそうならないよう気を配っていました。

ひとつは、「市議会の決議が必要なこと」に関しては、質問者がいくら煽っても一切、断言しなかったことです。これを断言してしまうと「選挙で選ばれた議員を無視するのか?独裁だ!」という話になり、議会はすぐさま「審議拒否!」と言い出します。

さらに彼は、3時間にわたって記者の質問を延々と受け続けました。選挙戦を終え、彼がどれほど疲れていたかは、想像に難くありません。1時間でも十分でしょう。しかもこの記者会見を生放送している地上波テレビは皆無なのです。

(NHK@東京は大河ドラマのあと、少しだけニュースで大阪の選挙結果を伝え、その後は、原発の特別番組を放映しはじめました。なんでわざわざ選挙の日にそんな特別番組を流しているのか、ちきりんには全然理解できません。)

それでも彼は3時間、回答を続けました。


途中、聞き慣れた関西弁の言葉が飛び込んできました。知らない人には酔っぱらいの乱入に思えたかもしれません。それはざこば師匠でした。

ざこば師匠は(ちきりんも大ファンで)すごくナイスなおじさんですが、その質問は一瞬、場違いな、乱暴なものに聞こえました。

でも、橋下知事の回答とそれに続く会話を聞いて、ちきりんは理解しました。こういうのを受け止められて初めて地方の政治家ってつとまるんだな、ってわかったからです。こういう質問にきちんと答えられなかったら、政治家なんかできないんです。


ざこば師匠は「あんじょうしてくれるんやな!?」と大声で叫びました。彼は「もちろんです!」とか「まかしてください!」という威勢の良い言葉を聞きたかったのです。師匠は「強いリーダーの決めぜりふ」を欲していました。

でも、橋下氏はそういう「威勢の良い断言」をしませんでした。彼は、そういう回答をしたら自分がどう見えるか、わかっていたのです。


★★★


記者との質問、回答は延々と続きました。「生の記者会見がそのまま流されること」のメリットは、「報道の曲解を防ぐ」ということだけではありません。昨日の記者会見でちきりんが一番、意味があったと思うのは、「質問をしている記者のレベルが手に取るようにわかったこと」でした。

また、この記者会見を流そうとする地上波テレビがひとつもなかったことについて(ツイッター情報では大阪NHKでさえ、記者会見の全体ではなく、情報分析など“スタジオからの放送”をしていたとのこと)最初ちきりんは「ありえない!」と思いました。でも途中で、「地上波テレビがこれを流さないのは仕方のないこと。いや、むしろ、当たり前」と考えが変わりました。

第一に、この記者会見の内容はあまりに高度すぎて、地上波テレビが想定している視聴者のレベルには合っていませんでした。加えて、テレビ(および、他の既存メディアはどこも)「伝達するコンテンツの作り込み」に強いこだわりを持っています。

「作り込む」ことにこそ価値があると思っているし、「作り込みのプロ」だと自認しているのです。「生の情報をそのまま伝えるだけでは自分達の存在価値がない」と言うのでしょう。これは紙媒体も同じで、あの会見をすべて文字おこししてくれたら、それだけでバカ売れすると思うのですが、紙メディアにしてみれば「それは屈辱的なこと」なのだと思います。


ちきりんも「作り込みの価値」はよくわかります。それはそれですばらしい。しかしだからといって「生のコンテンツのもつ力」を無視したらお話にならないです。「メディア」とは「中間体」という意味です。その付加価値は「作り込みの巧さ」にあるのではなく、「最もすごいものを消費者に伝える媒体であること」です。ここを無視したら、「作り込み」はそれを生業としている人の職を守るための言い訳に堕してしまいます。

まっ、いずれにせよ、テレビには向かない高度すぎるコンテンツではありました。


これも含め、以前から「テレビ、大丈夫か?」的な徴候はたくさんありました。小沢さんの件もそうだし、エジプトの政変が確定的になった時、アルジャジーラのツイートでそれを知ってから、NHKが速報を流すまで数時間も(ニュース報道はさらに後)かかった時にも「こりゃーお話にならない」と思いました。

そして昨日、この3時間におよぶ記者との応答を聴いたことで、ちきりんはさらに決定的に「メディアの交代」を感じることになりました。私は3時間の記者会見が終わった後、お風呂に入り、寝てしまったんです。


なにが言いたいかって?

私はその後、もうテレビをつけなかったんです。


過去の選挙でも選挙報道をテレビで見ながら、ツイッターをやったり、ネットの速報を見ていました。でも、「テレビを見ずに、ネットだけで選挙報道に満足できてしまった」のは昨日が初めてだったんです。・・・これはちょっと覚えておきたいと思っています。「それは、私にとっては2011年でした」、ということを。


★★★


さて、長くなってしまいましたが、今日のエントリのタイトルに戻りましょう。

前回、ちきりんは「TPPより11月27日」というエントリで、この本を薦めました。

体制維新――大阪都 (文春新書)

体制維新――大阪都 (文春新書)


もちろん、今からでもこの選挙が何を意味するのか知りたい方は上記の本を読んで頂ければと思います。しかしその上でという前提であれば、今、私たちが読むべき本は、こちらです。↓

政治家の殺し方

政治家の殺し方


中田さんの本の感想は後日きちんと書きたいと思っているので、今日は詳しい内容には触れません。ただ、この本を読めば、大阪の新体制についてこれからマスコミが報道するであろうこと、市議会がやるであろうこと、市役所の職員がやるであろうこと、が手に取るようにわかります。


ちなみに、橋下氏と堺屋氏の本は現在アマゾンでは売切れです。あの本を紹介した時にはいっぱい在庫があったのに、昨日の選挙結果を受け、今日はすでに売りきれです。そして中田さんの本は今でも「在庫あり」です。

この本を読んでおけば、私たちはこれから「報道されること」の意味を理解できるようになるでしょう。そしてそれは、とても大事なことなんです。

別の言い方でいえば、

多くの人がこの本を読んでおけば、私たちは、「橋下氏の顔写真がちょんぎられた表紙の本」を読まなくても済むだろう、ということなんです。


そんじゃーね。

2011-11-24 ギリギリまで「まとめに入らない」能力

会社で働いていた頃、「この人、すごいっ!」と思う人にたくさん出会いました。

中でも私が一番感心したのは、「超ギリギリのタイミングまで、まとめに入らない人たち」です。

なんでもそうですが、何かを作り上げる時には「作る」+「整える」という二段階の作業が必要です。

最初の「作る」は「中心的な価値」を生み出す作業で、

後半の「整える」は、生み出した価値をお客様に説明しやすく&売りやすくするため、細部や体裁を整え、きれいにパッケージする、みたいな作業です。

この「作る」から「整える」に移行するタイミングを「まとめに入る」と呼びます。


たとえば 10日後に締め切りの企画書があるとしましょう。

このとき、デキる人は最初の 9日間は「まとめ」についていっさい意識せず、思考をどんどん発散させて、考えることに集中します。

一方、6日目くらいからは「まとめ」を意識して「落としどころ」を探りに入る人もいます。これが凡人と呼ばれるタイプの人です。


前者と後者が生み出せる価値の絶対値は大きく異なります。

当然ですよね。

前者は考えるのに 9日と、後者が使った 5日間の倍近い期間を「価値を高める」ことに投入しています。

本質を考えるために使った時間が倍近いから、成果の価値が倍近く高くなるのです。


なんでもそうですが、まとめに入った後に行われるのは、「見栄えを良くし、店頭( or 机上)で映え、見やすくする」ための作業に過ぎません。

「整える」ことによって本質的な価値が上がったりはしない。だから高い価値を出したければ、できるだけ「まとめに入る」タイミングは遅くする必要があります。


一般的に、自信のない人ほど早めにまとめたがり、自信のある人ほどぎりぎりまで本質的な議論や検討を続けようとします。

自信というのは、「本質的な価値さえ出れば、整えるのは最後の 1日でもできる!」という自信です。

早めにまとめに入る人はこの自信がありません。まとまりきらずに締め切りが来てしまうのが怖いのです。

だから、遅いタイミングで(たとえば 7日目あたりに)いいアイデアがひらめいても「今頃こんな根本的に違う案をもち出したら、まとまらなくなってしまう」と自己規制してしまいます。

周りの人も 8日目くらいに出て来た「画期的だが、今からそれは間に合わないだろ?」みたいな意見を、それとなーくボツにしてしまいます。

一旦「まとめ」モードに入ると、全員にこういったメンタリティが働くため、本質的な価値を上げることができなくなるのです。


★★★


仕事のデキ、仕事力、というのは、この「最後にこれだけの時間が確保されていたら、オレはまとめてみせる!」と思える期間を、どれだけ短縮できるか、ということです。

最初は怖くて 6日を「作る」ために使い、締め切りの 4日前からはまとめに入っていた人でも、ある時、なにかのきっかけで 3日だけしかまとめに使えないという経験をしたとします。

それでも「なんとかなった!」という経験を何度かすれば、その人はその後「最初から 7日は考える!」という姿勢に代わります。「 3日あればまとめられる」という自信を得たからです。

こうした経験を積み重ね、「ギリギリまで本質的な議論や思考を続けても、最後の 1日でキレイにまとめられるという自信を得る」ことが、「仕事がデキルようになる」ということです。


スキルのない人から見ると、いつまでもマトメに入ろうとせず、あれこれ発散するアイデアをいつまでも議論している人、全く落としどころを意識しない議論を締め切り直前まで続ける人のやり方は、時にリスキーで怖く見えます。

「今からそんなこと言い出したら、まとまらないじゃん!?」と不安になり、ハラハラします。

でも、大丈夫。

彼らは「本質的な価値さえ出せればすぐにまとめられる」という自信を過去の経験から得ているのです。


★★★


反対に、早くからまとめに入る人は「たいした価値も無い中身」をこねくり回し、「それらしく見せる」コトばかりに長い時間を投じて、「整えるスキルや知恵」ばかりを身につけます。

個々の仕事はそれでも乗り切れるでしょう。

でも、ある程度の年齢になった時、そういう人が「ものすごくいい仕事のできる人」になっていることはあり得ません。

「まとめに入るタイミングの差」が積み重なり、大きな実力差につながってしまうのです。


しかも恐ろしいことに、そんな人ばかりが集まった組織もあります。

日本の大企業の中には、10日後に何かを仕上げろ!と言われたら、初日からまとめに入るような人さえいるんです。

彼らは最初のミーティングで、「で、落としどころは?」とか言い出します。

スタート時点からまとめに入ったら、なんら新しい価値は生まれません。既にあるものをコネクリまわしてキレイに整えるだけです。

怖いことにそういう「作業」を仕事だと思っている人もいっぱいいる。てか、「そういう仕事=作業しか、したことがない」という人もいる。


彼らは多大な時間を「まとめ」に使うので、見栄え“だけ”はいいモノを作ります。

そして更に怖いのは、彼らの多くが既に(自分では気づいていませんが)「新しい価値を作りださねば!」という意欲さえ失ってしまっている、ということです。

無意識のうちに「締め切りまでにキレイにまとまったものが出せれば、それでいいんでしょ?」などと思ってしまってる。


若い人がそんな企業や組織でキャリアをスタートするのは、結構やばいことです。

「価値を創り出す」という本質的なスキルが全くつかないどころか、「初日からまとめに入る」のが正しいやり方だと覚えてしまったりすると、マジでやばい。


ということについて書いたのが、下記のエントリです。

若者の将来価値を毀損する大きなワナ


f:id:Chikirin:20150810175729j:image:medium

そんじゃーね!


http://d.hatena.ne.jp/Chikirin+personal/  http://d.hatena.ne.jp/Chikirin+shop/

2011-11-21 今、日本で最も時代遅れな団体=「経団連」

「ポジショントークという言葉の意味が知りたければ、経団連会長のインタビューを見ればいい」、それくらい最近の彼らの発言は、自己の利益に誘導的です。そもそも業界利益団体とはいえ、昔はここまで露骨ではありませんでした。彼らもいよいよ余裕がなくなってきたということでしょう。

製造業が悪いとは言わないけれど、日本が過度の製造業依存から抜け出す必要性があることを、ちきりんは何度も書いてきています。最近の経団連はなにかというとすぐに「日本から出て行かざるを得ない」と(政治家や国民を)恫喝するけれど、狼少年みたいなことばっかり言ってないで、出て行きたければ出て行けよ!って感じです。

「日本の雇用が維持できるよう製造業を大事にしろ!」とか言っておいて、景気がよくなれば「人手不足だから、単純労働者の移民を受け入れろ」と言い出すなんて、詐欺師以外の何者でもありません。


中国など新興国の工業化に伴い、日本の「脱・製造業依存」がこれだけ言われながら、何年もの間全く話が進まない最大の理由は、製造業に代わる“日本を代表する産業”が他にひとつもでてきていないからです。

これに関して、政治家と官僚は過去10年ずっと「環境、農業、医療の分野で成長戦略を!」と言っていますが、これは「環境、農業、医療の分野に補助金をより厚く分配し、これまで以上に天下りを送り込みたい」という意味です。そんなんで基幹産業になんてなるはずがありません。

日本において「製造業」だけが基幹産業であるという状況を変えるには、早急にそれなりの対抗馬を育てる必要があるのに、政府・官僚は全く当てにできないのです。


一方、民間人の中にはこの点に関して、アメリカやイギリスを手本にし、IT産業や金融産業を押す意見も多いのですが、前に「日本に金融業は無理!」というエントリで書いたように、ちきりんはこの国に金融業が向いているとは思えません。

IT産業については、「金融業よりは相当マシだが、まだまだこれから」という段階でしょう。この分野、日本でも若い人にはそれなりのリテラシー、技術力、発想力があると思います。けれどそれが大企業、ひいては大産業に育てていけるレベルかというと、そこまでいくにはまだ相当のジャンプが必要です。

なんといっても、まだ「世界で売ることに成功している企業」が、任天堂、ソニー以来出て来ていません。これらは「テレビ時代のゲーム会社」であって、「ネット時代のゲーム会社」ではありません。「日本のテレビ」が世界で勝っていたように、日本のテレビゲームも世界で売れていました。では、日本のネットサービスが世界で売れるのか?、今はまだ何も見えていません。

一方、世界に名前の通ったIT系の大企業の方は、金融業界の大企業と同じくらい将来性がありません。“既に雇ってしまった正社員を雇い続けるために必要な仕事量”を確保するだけでも、これから数十年、茨の道が続くでしょう。


ITもゲームもそうですが、日本はサークル的に小さなグループのメンバーのために高度に作り込むサービスが大好きです。そういうビジネスはニッチグループに熱狂的に支持される価値は提供できるけれど、国の経済を支えるレベルにはなりえません。

国を支えるビジネスになるには、規模が必要なんです。そのためには「普通の人に売れること」と、「海外で売れること」が必須です。そういう意味では、テレビや音楽などエンターテイメント産業はちょっとしたヒントになるかもしれません。AKB48制度も海外に出始めていますが、この業界には山口百恵さんが活躍していた頃から「日本+アジアでも売る」という慣習があります。この感覚は、ネット時代のエンタメ企業でも大いに参考にできるんじゃないかと思います。


んが、


製造業の代替産業として、ちきりんが一番可能性があると思っているのは「ホスピタリティ産業」です。

高いサービスレベル、正確なオペレーション、気持ちの良い対応、そういった“おもてなし”系のスキルが中心価値のひとつとなり得るホスピタリティ産業には、様々な分野が含まれます。

旅行業、小売り業、外食産業、調理法、輸送・配送業、美容業界、事務手続き業、修理業、クリーニング業・・・、どれもこれも「モノを作っていない産業」です。昭和のおじさんは、日本の「モノ作り産業」に競争力があるといいますが、ちきりんから見れば、日本はこれらの「モノを作らない産業」も相当すごいです。


しかもこれらの産業の多くは、「ニッチなグループの中での高付加価値」ではなく、規模を追求することに経験と親和性があります。多くの小売り、外食産業はチェーン店システムですよね。店舗数、規模が大きくなればなるほど利益率が上がるビジネスであり、こういうのは海外展開に非常に向いています。

そしてこの分野、日本は圧倒的な競争力があります。アメリカのスタバで、スタッフの態度があまりにあまりなため、ゲンナリしてコーヒーが不味く感じられた経験のある人も多いはずです。にこやかにきびきび対応しても、ムスッとぞんざいに対応しても労働時間は代わりません。けれど「客が感じる価値」は圧倒的に違います。日本は「ホスピタリティの生産性」が非常に高い国なんです。


いまや経団連は、重厚長大産業への利益誘導団体であることを隠そうともしなくなりました。彼らが自然エネルギーなんて全くやる気になれないのは、中心メンバーである重電会社も電力会社もそんなものでは儲からないからです。特定産業の利益団体が存在すること自体はかまいませんが、(特定産業の利益しか見てないくせに)「日本の経済界の代表」のような顔をされては迷惑です。

ちきりんはそろそろ、「ポスピタリティ産業のための経済団体」も作ったほうがいいんじゃないの?、と思っています。そして業界の地位をあげていくよう努力すればいいのです。

今、日本の一流大学の卒業生で、こういった産業に就職する人はまだまだ圧倒的に少ないです。彼らは未だに製造業の方が、もしくは、過去一度もグローバル競争力をもったこともない金融業の方が、「格の高い産業」だと思っていたりします。学生が世の中を知らないのはいつものことですが、産業界側にも伝えるための努力が必要でしょう。


だからホスピタリティ産業のための団体を作り、彼らも、自分達に有利なポジショントークをどんどん繰り広げればいいんです。政治献金をして政治に影響を与えるのもいいと思います。エコカー減税とかに対抗して、「ネット予約減税」とか「外食減税」を勝ち取るべきでしょう。

オリンパス事件でも明白であったように、今は日経新聞も粛々と経団連の御用新聞を勤めています。けれどメディアなんて広告費さえ払えばすぐにすり寄ってきます。利益を出し、広告量を増やせば、新聞もテレビも尻尾を振ってついてくるんです。


そうやってまずはとにかく「ホスピタリティ産業」の地位をあげましょう!


新しい経済団体の名前はどーすんだって?

うーん、そんなことは自分のアタマで考えて下さい。まっ、とりあえず今の経団連には「日本経団連・昭和組」とでも名前を変えて頂いたらいいんじゃないでしょうか?


そんじゃーね。

2011-11-18 会社辞めて1年をQ&A形式で振り返る

ちきりんが会社員を辞めて約一年たちました。“振り返りエントリ”を書くべきかしらと思いつつ、何書けばいいのかわからなかったので、ツイッターで質問を募集してみました。



そしたら、たくさん質問をいただいたので、以下それに答えることにします。



関西に生まれ育ったことは私の誇りです。“おちゃらけ”なのも「笑かしてナンボ」の世界で育ったからです。でも、住む場所としては圧倒的に東京が好きです。東京の多様性は関西を含め他都市とは比べ物になりません。



(1) 十年以上 (2) 「働かない生活」をやってみたかったから。 (3) 貯蓄+執筆活動の対価(広告含む)



「辞めた直後」&「今」で比べれば、あまり変わりません。



日々のワクワクはあまり変わらない、というか、どっちもそんなにありません。ワクワクするのは旅行など非日常の時が多いです。その意味では今のほうがその機会は多いです。



よかったこと=圧倒的な自由度を得たことです。拘束時間が大幅に減ったこと。特に平日昼間に遊べるようになったこと(どこもメチャすいてる)、日程の決まっているイベントに行けるようになったこと(長年の夢だった雪祭りやB1グランプリに行けました)など。

さらに、意思決定が自分だけでできるようになったことも大きいです。たとえば会社員の間は“ちきりん”として本は出せなかったと思います。ブログを書いているのが誰か、ということがバレたらどうしよう、という不安感からも解放されました。精神的に超自由です。


後悔していること、残念なこと=あまりないですが、働いていた時は「私のチーム」「私のプロジェクト」が持てていたというのは、幸せなことだったのだと(懐かしく)思います。

今は、「誰かのプロジェクト」に参加はしますが、「私の・・」はありません。別の言い方をすれば「リーダーシップを発揮する場」が皆無になったということです。それはとても気楽であると同時に、残念なことかもしれません。



会社での拘束時間10時間×5日として、週に50時間、月に200時間の自由時間が手に入りました。その200時間が、(1) 睡眠時間、(2) 趣味時間(料理、韓国ドラマ、美術館めぐり、飲み会など)、(3) 家族との時間、(4)ちきりん活動の時間(人と会うとか執筆など)、(5) 旅行時間にそれぞれ40時間ずつ(40×5=200)配分されているという感じです。



ないです。



合います、というか、“昔の同僚”以上に話が合う人がいる(に出会える)とは思えません。それくらい“昔の同僚”と話すのは楽しいです。



起きるのは9時くらいです。睡眠時間は平均で1時間は増えました。変化は上記をご覧ください。



収支は非公開です。生活スタイルについては上記をご覧ください。



うれしいです。ヒマではありません。忙しすぎます。仕事をしたいとは全く思いません。本は書いてますが、文筆業を職業にしたいとも思いません。



会社ってのは「コミット=お互いに拘束しあうという合意」だと思います。(「家庭」も同じですね。)

「働く」については・・・(全部持つ必要はないと思いますが)「仕事(働く)」「家庭」「個人の趣味」は人生の基本的な構成要素だと思ってます。私は働くこともすごく楽しかったのですが、働かないこともとても楽しいので、幸運だなって思います。

ただし、いずれも「辞めて初めてわかった」ことではありません。前からわかってました。



怖い顔をしなくなったと思います。



収入源は既出。将来やりたいこと=将来というより“これから”ですが、もっと旅行したいです。アジアのあちこちに短期間住みたい、日本中を旅行したい、世界でもまだ行きたいところがたくさん。



既出です。



わかりません・・・



“ちきりん活動”が忙しいので、社会との関わりは(分野は変わりましたが)大きくは減っていません。



貯金で食べてます。誰にでも有用なアドバイスは『ゆるく考えよう』に書きました。すなわち、35年ローンとか組まず、不要な保険に入らず、広告に煽られて無駄なものを買わず、分をわきまえて生活すればお金はたまります。



その二つが境界を接してると思ってません。



ないです。



何割かわかりませんが、貯金はまだたくさん残ってます。



無関係です。



忙しさ・・



すべて既出ですね。



自分の老後のために、若者には国民年金をきちんと払うよう勧めてます。



既出です。基本はだらだらしてます。



学生(二十歳くらい)の頃から「独立してもやっていける」=「何やってでも生きていける」と思ってました。「独立してやっていけないから、会社員をやっていた」わけでもないです。



なにかあるかな。。。特にないような気がします。



既出です。



もっとヒマで(したがって、もっとやりたいことができるのかと)思ってました。“ちきりん活動”が予想以上に忙しいです。まあ、コントロールすればいいだけですが。

気分は予想通りです。退職後は緊張感がなくなり穏やかに楽しくすごせています。ストレス総量が相当減ったと思います。「全力をださないと乗り切れないこと」が以前はたくさんありましたが、今は皆無です。



どちらも既出です。



会社に辞める意思を伝えた時点では、どちらの本の出版も決まっていませんでした。

ただ、「会社を辞めたらあんなことしたい、こんなこともしたい」という予定はいろいろ考えていました。

どっちかというと「計画なんてなくてもなんとかなるのよ、おほほほほ」って感じです。



既出ですね。後悔したことはないですねー。



余り変わりません。仕事だけの関係だった人とは会わなくなり、個人としてもつきあっていた人とは今までどおりです。



通勤。服装の縛り。型式的なイベントでも断れないことがあること。



貯金が無くなったら働けばいいだけなんで、特に不安はないです。



自分がどんな生活がしたいか、どう生きていきたいのか、わかっていることです。



働いていたときは、「やりたいこと」と「やらなくちゃいけないこと」が5:5くらいだったと思います。今は8割が「やりたいこと」です。

「やりたいこと」を「見出す」のに努力や方法論は必要なかったです。常に「あれもやりたい、これもやりたい」状態です。

「辞めようの境地」というほど深刻な感じではありませんでした。「働く人生」と「働かない人生」の両方を(一生の間に)経験したかったので、「そろそろもうひとつの方をやろう」という感じです。具体的な辞めるタイミングは、自分が雇った部下がみんな一人前になり、これでやっていけるよね、という感じになったところで決めました。



時間の変化は既出。バーチャートは面倒なので略。(一日の時間の使い方が複数パターンあり、バーチャート一つで表せません)



両方既出ですね。どちらもNOです。



質問が理解できてるかどうか不安ですが、「働く人生」については、やりきった感が100%を超えたのでもう辞めました。「働かない人生」については、一年たった今でもまだ全く達成感がなく、当面はこれをやっていきたいです。



詳細は非公開ですが、収入も支出も減ってます。私はほぼ自炊なのでエンゲル係数は高くないと思います。支出のうち比率が高いのは旅費です。



(1) 視野は確実に広がりました。多くの仕事は「狭く深く」の世界です。私もすごく狭い世界で仕事をしていました。たとえば会社を辞めるまで「文学部」の人とか「メディアの人」にほとんど会ったことがなかったのですが、辞めてからそういう人に会うようになり、すごく新鮮です。それ以外にも、働いていたらまず会わなかったであろう多くの人に会えるようになりました。

(2) 元の会社とめぐり合ったことは私の人生を変えました。本当に幸運だったし、心から感謝しています。だからといって今から戻りたいわけでもないので、元の職場を思い出して浮かぶのは「感謝の念」と「楽しかった思い出」です。



冷たいと思います。私が「ちきりん」であることを知っている人はいいのですが、それを知らない人に「会社辞めて遊んでる」と言うと、露骨に「なにそれ?」な顔をされます。イベントなどに申し込んでも、参加を(やんわりと)断られることもあります。無職って大変だな、って思います。



「組織で仕事をすることの面白さ」、「グローバルに競争力のある組織のやり方」などについては、勤めていたことで学んだことです。独立して働くより組織で働くほうが圧倒的に成長が簡単だと思います。


以上です!


そんじゃーね。

2011-11-15 「TPP」より 「11月27日」

この本、第一章で堺屋太一さんが「日本の現状をどうみるか」と、「今、日本に必要な改革とは何か」について書いていらっしゃいます。ちきりんはこの章を読んですぐに本を閉じてしまいました。

今の日本の問題とその処方箋があまりにキレイに言葉にされていたので、軽くショックを受けたからです。なんでこういう意見を知識として本から得る前に、自分のアタマで考えられないのか、絶望とまでは言わないけれど、「あああ」と思えてしまいました。

あたしって『自分のアタマで考えよう』って本を出したばかりなんじゃなかったっけ?


体制維新――大阪都 (文春新書)

体制維新――大阪都 (文春新書)


ちきりんは2年半前にも「3つの偽り」by 堺屋太一氏というエントリで、堺屋氏がもつ社会への洞察力とその表現力に感動(嫉妬?)しています。今回この本を読んでまたもや、「なんでこうパシッっと適切な言葉にできるかな」とうなってしまいました。スゴイ人はスゴイです。

とはいえ一方で「目標は低くもちましょう!」とも提唱している私。こんなスゴイ人と自分を比べれるのはさっさと諦め、分をわきまえて、アフィリエイトブログを書くことにでも専念するとしましょう。


ちなみにこの本の第一章で堺屋氏が言う「今、必要な改革」とは、「人事でも政策でもなく体制」という一言に凝縮されています。いくら首相のクビを挿げ替えても、さらに自民党を民主党に取り替えても、日本の政治が変わらずダメな理由は、「問題は人事ではないから」です。そして、社会民主主義的な政策にも自由主義経済的な政策にも解が見えないのは、「問題が政策ではないから」です。

変えなければいけないのは「体制」であり、明治維新で変わったのは「体制」であると。そして・・・(以下は本を読んでください。)


★★★


ここんとこ日本は「TPPに反対だ、賛成だ」と大騒ぎです。「TPPについてのエントリを書いて!」という要望も寄せられます。ところがちきりんはこの件に全く関心がもてません。TPPなんてどうでもいいし、なんでみんながそんなに騒いでいるのかよくわかりません。

日本がTPPに参加しようがしまいが、日本の農業は今後もずっと補助金で生きていくんです。その結論は何も変わりません。

経団連企業の多くはTPPに賛成のようですが、彼らは日本がTPPに参加すれば、アップルやLGやサムソンに勝てるようになるんでしょうか?そんなこと起こらないでしょ。

農業と製造業だけでなく、他のサービス業も全く同じです。これに参加しようがしまいが、すべての市場はグローバルな統合に向けて動き始めます。TPPに参加しなければ「平和に隔離された日本だけの市場」が維持できるなどと考えるのはおめでたすぎです。反対に「TPPに参加すればいきなり世界で売れ始める商品」なんてのも存在しません。

それこそ「問題は政策じゃない」んです。


ついでに言えば「アメリカが日本に無茶苦茶を押し付けてくるはずだ!」みたいな意見も、「ほんまかいな」って感じです。これから世界は「アメリカ」と「中国」が覇権を争う時代に向かうんです。(「ロシア」はそこに参戦する気でいますが。)

この世界のスーパーパワーのバランスゲームにおいて、日本はキャスティングボートを握る立場にいます。中国もアメリカも、日本だけは落としたくないと思うでしょう。(ちなみに他のコマは、欧州、南米、アフリカ&中東、です。一国でキャスティングボートを握っているのは日本だけです。)なんでそんなに「アメリカにいいようにやられてしまう!」みたいなことばっかり恐れているのか全然わかりません。


★★★


時を戻してお江戸幕末。当時の日本でも多くの人が「日本はこのままじゃもたない。日本は根本的に変わる必要がある。」と感じていました。

江戸幕府は巨額の財政赤字を抱えて動きがとれない状態でした。地方の藩の大半も事実上の財政破綻状態でした。そこに「国を開け!」と海外から黒船がやってきて、国中がパニックします。「国を開くべきか、開かないべきか」・・・国論を二分する議論が巻き起こったのです。

もちろん当時も「通商条約なんて受け入れたら黒船の国にいいようにやられてしまう!絶対反対!」「不平等条約を結ぶくらいなら鎖国を続けるべきだ!」とか言ってた人はたくさんいたんでしょうよ。


(念のため:今書いているのは、「江戸幕府の末期の状態」です。「TPPの話」ではありません。)


この時期、江戸幕府の中枢にいた人たちも改革の必要性を痛感していました。だから“安政の大改革”をブチあげ、思い切った政策転換により事態を乗り切ろうとします。さらに“首相を出す政党を変更”じゃなくて“将軍を出す家”を変えてみようと一橋家に将軍職を委ねてみたりしたのです。

しかしそういった、江戸の人たちの改革の試みはことごとく挫折します。そしてその時、次代に向けて国の体制変革をリードしたのが、薩摩と長州の人たちでした。

江戸幕府の中枢にいた役人でも代々の将軍を出してきた御三卿でもなく、江戸から遠く離れた鹿児島や山口の地の人たちが新しい時代への扉を拓いたのです。江戸の末期、中央幕府はまだ一応の権威を維持してはいたけれど、地方にも先見性あるリーダーが生まれつつあったということです。

吉田松陰はもちろん、高杉晋作にしろ伊藤博文にしろ木戸孝允にしろ、明治維新の10年、20年前から、つまり江戸幕府がまだ実権を維持していた頃から、それぞれの地で「次の時代がどうなるのか」、「今の日本の体制をどう変えていくべきなのか」、「海外と日本の関係はどうあるべきなのか」、必死で考えていたわけです。

振り返って当時の江戸の役人や論客達は、その頃、薩摩や長州で何が起こりつつあるか、どんな論争が行われているか、知っていたでしょうか? 気が付いていたのでしょうか?


薩摩も長州も江戸からすごい遠い上に、テレビも全国紙も、もちろんネットもない時代です。江戸の人は「薩摩や長州で何が起こりつつあるか」、結構遅くまで気が付いてなかったんじゃないかと、ちきりんは思うのです。明治維新が始まって、新政府のリーダーがみんな薩長の人じゃん!ってことになって初めて、「あいつら、ここまで準備してたんだ!」と驚いたんじゃないの?と思うのです。

今の東京と地方の格差同様、当時の江戸も、日本の中では圧倒的に文化的で、高度に発展した都市でした。江戸の人達は、まさか江戸以外の都市から次世代の日本を率いるリーダーがでてくるなんて考えてもいなかったんじゃないかな。


実はちきりん、先日のブログの最後に「27日がとても楽しみ!」と書きました。そしたらツイッターやブックマークで、「27日って何があるの?」というコメントがきて驚きました。「27日に何があるか知らない人がいるわけね・・」って。

でももしかすると、江戸時代の末期にも(薩長出身者以外の)江戸住民たちは、誰も薩長で何が起きようとしているか、理解していなかったかもしれません。


というわけで、このエントリを書きました。

「27日ってなに?」、「なんでちきりんは、TPPより27日が大事、とか言ってんの?」と思う方、とりあえず、この本、読んでください。27日に問われているものが「独裁」vs「既得権益」などという構図にしか見えていないという方には必読の書です。


えっ?

「本を読む前に自分のアタマで考えたい」って?



うーむ。そうキタか・・・。

まっ、とにかくまずはこの本を読んで、考えるのはその後で!



そんじゃーね。


体制維新――大阪都 (文春新書)

体制維新――大阪都 (文春新書)

2011-11-13 「ちきりん応援大賞」 結果発表!

「ちきりん応援大賞」に多数のご応募を頂き、ありがとうございました! 

推薦文数で 200以上のご応募をいただきました。今日はその中から 10個の「ちきりん応援大賞」を発表いたします!


ご応募のあった中から、ダイヤモンド社担当者が広告に掲載したい推薦文を選定し、その中から私が「ちきりん応援大賞10名」を決めさせていただきました。

ダイヤモンド社選定による「採用推薦分」の一部は、本日(11月29日朝刊)の日経新聞の広告に記載されています。


<日経新聞広告>

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選ばれたのは、下記の10の推薦文(10名様)です。


思考体力を鍛えたいすべての学生に - 東大では教えてくれないこれからを生き抜く術

自分の仕事のほとんどが“思考ゼロ”の作業だと思い知らされる一冊。失敗する就活、結論の出ない会議……、それは情報収集で満足してしまうのが原因だった。

「復帰後のために」と思うなら、転職雑誌よりも100倍役立ちますよ!産休・育休女性必読です。

この本は、社会人よりも学生のうちに読むべき本。親として息子に伝えたい、身につけてほしいことが詰まってる。

あれこれ面接を受ける前に、とりあえずこの本を読んでもらいたい。遠回りのように見えて、それが近道

人生最大の幸運は、入社一年目でこの本に出会えたこと。人生最大の不幸は、就職活動時にこの本に出会えなかったこと

MECE、ロジックツリー、仮説思考、構造化、バリューチェーン、GAP分析……が、こんなにわかるなんてすばらしい。そんな用語をひとことも使っていないところがまたすばらしい。

あなたは知識や情報の罠に溺れずに自分のアタマで考えていますか?思考と分析を混同していませんか?研究者や医師、法曹をはじめ「考える仕事」を志すすべての人にお勧め

自分のアタマで考える子を育てたいと思いませんか?親が変われば子供の将来が変わり、子ども達が変われば未来の世界が変わります。私はこの本をそばにおいて子育てしています。

今まで考えていたことが、考えたつもりになっていたことを気づかされました。


以上です。どれもご自身の身近な方にご自分の言葉で『自分のアタマで考えよう』を強力にプッシュしてくださっている、すばらしい応援文だと思いました。本当にありがとうございました!


そんじゃーね!

2011-11-09 「100年安心年金」なんて超不要!

東日本大震災の復興資金をまかなうための財源は、向こう 25年の所得税増税等でまかなうってコトになりそうなんですが・・ 25年間の増税を、“時限増税”って呼ぶのは無理でしょ。完全にふつーの恒久増税ですよね。

それとね、ちきりんが一番、「政治家&官僚のアタマの古さがよく表れているよね」と思うのが、この「時間感覚」です。


年金についても「 100年安心年金」という言葉が使われ、それが実現できないことに批判が集まっていますが、そもそも「向こう 100年も安心」という目標設定をすること自体が時代に合わないのだ、ということにそろそろ気がつくべきでしょう。


「 100年安心」するためには、向こう 100年、何が起こるか想定し、その上で「大丈夫!」と言わなければならないのですが、この前提には「向こう 100年を想定できる」という、あまりに傲慢(もしくは無思考)な前提が含まれています。

今から 100年前の 1911年、日本は前年の日韓併合を経ていよいよ帝国主義国家への野望に一歩を踏み出し、中国では辛亥革命で皇帝の時代が終わりを告げようとしていました。

考えてみて下さい。その時代に、今日まで通用する年金制度を作る、というのが、「 100年安心年金」の意味するところです。そんな目標をたてるのが、本当に妥当だと思いますか?


比較的 将来推計が容易い人口政策においてさえ、日本はこの 100年の間に、

 「人口が多すぎるからブラジルなど海外に移民を送り出す」

→「戦争のために人が足りないから、産めよ増やせよキャンペーン」

→「人口が多すぎるから一家に子供は2人まで!と、中絶を合法化、家族計画の意義を強調」

→「少子化が大問題なので、少子化担当大臣を置く」と、

全く真逆の方針に何度もコロコロ転換してきているのです。


人口政策についてさえこんな調子なのですから、ましてや技術や社会の動向、世界との関係について、向こう 100年も見通すなんて不可能です。

つまり、政治家や官僚が「 100年安心年金を目指します!」と言い出したら、国民である私たちは、「あほか。そんな先のこと考えてどーするよ。10年安心年金を目指せよ」というべきなのです。


最近、年金制度はモメにモメています。大きな問題は、会社員の専業主婦だけの優遇問題、非正規雇用の労働者の年金加入問題、そして年金の受給年齢の再度引き上げの問題です。

私はこれらのうち最初の 2点について、「制度設計の年限を長く取りすぎるから生じた問題」だと思っています。

「会社員の夫に専業主婦の妻が一般的な家庭である」という時代が 100年続くと思っていたからこういう制度設計なのです。


この制度を作った頃の官僚も政治家も(もちろん国民も)、女性が子供を産んだ後も働くなんて想定もしていませんでした。

ひとりの男性が一生の間に、会社員→起業→また会社員→自営業、になるような時代がくるとも思って無かったのです。

パート、アルバイトの人の年金加入問題も同じです。まさかこんなに非正規雇用の人が多い時代が来るとは思ってなかったのでしょう。


唯一想定できたはずなのは、寿命が伸びることです。

にも関わらずこれについても「将来もずうっと変わらない」という前提が置かれていました。想定していれば、最初から「年金受給開始年齢は、平均寿命マイナス 15年とする」と決めておくという発想もでてきたはずなのにね。


★★★


私が問題だと思うのは、政治家も官僚も「制度設計をする際の、想定年限が長すぎる」ということです。というか、「長ければ長いほどイイ」とでも思っているかのようです。

この国のエリートはやたらと長持ちする物が好きだし、一般の人も「長い期間、安定していて変わらない」ことを好みます。そして「未来は今と変わらない」という前提のもとに、数十年もの期間を想定した制度を作ろうとします。


しかし、実際には時代は大きく変わります。そんな先のことは誰にもわかりません。ちきりんは、今後は「制度設計は向こう 10年のことを考えて行う」という方針を閣議決定してほしいと思っています。

私たちが、いま学びつつあることは、「変わらないという前提を持つことの愚かさ」です。

多くの人が、10年もつ制度より 30年もつ制度の方がよい制度だと思い、できるだけ長くもつ制度を作ろうとします。しかし、それは本当に正しいアプローチでしょうか?


時代は変わるんです。人の考えも、世界の状況も、技術も、変わります。予想を超えて大きく変わるのです。であれば、「変化を前提とした社会を作ること。変化を前提とした制度を作ろうとすること」が重要とはいえないでしょうか。

100年先の年金について、今、安心する必要なんてありません。常に「向こう 10年」が安心であれば、それでいいのです。


もう一度、言いましょう。100年安心年金を求めるというのは、1911年の段階で今日まで安心の年金制度を作ろうという話です。日露戦争が終わって 5年後、韓国併合の翌年、太平洋戦争勃発の30年前(!)の時点で、今日までもつ年金制度を作ろうというのが「 100年安心年金」制度です。


そんなもんいりません!


そんじゃーね。

2011-11-06 自由のありがたみを感じる個人、感じない組織

不自由な世界が自由になると混乱します。

ちきりんが知る限り最も混乱してたのは、ソビエト連邦が崩壊した時です。何の自由もなかった国が一気に自由になって、めちゃくちゃになってました。

明治維新の時も、身の周りのあらゆるコトが自由になって混乱しただろうなと思います。それまでは農民に生まれれば農民、武士に生まれれば武士だったのに、突然「好きな職業選んでOK!」とか言われても困るでしょ。「どこに住んでもいい」とか言われても、「どっ、どこに住めば??」って感じよね。

個人でも、親の家に住んでた時期はきちんとした生活だったのに、一人暮らしを始めて自由度100%になったら、突然むちゃくちゃな生活になる人も多いです。自由って怖いのよね。


★★★


現代日本においても、平成になったあたりから人生のクリティカルポイントが自由になったため、やたらと混乱しています。昔は「誰とでも結婚する時代」だったのに、今は「好きな人と結婚する時代」になりました。圧倒的に自由になったように見えますが、結婚できない人が急増しました。

「誰とでも結婚する時代」なら、親、親戚、世話焼きの仲介人などの言うとおり、2回も会えば結婚を決めていたのに、自由な結婚市場ができてしまうと、そんなんで決断する人はいなくなってしまったからです。自由って圧倒的にめんどくさい。


就職も全く同じ。昔は「どこにでも就職する時代」だったのに、今は「入りたい会社に就職する時代」になりました。革命的に自由になったようでいて、仕事を得るために必要な費用や手間やエネルギーは何十倍にも増えました。

ちなみに昔の就職活動がどんなだったか、これ読んでみてください。ちょっと感動しますよ。→ 「時代と共に幸せに


実際、「自由がなかった昔はいろいろ手に入っていた人が、世界が自由になったとたん何も手に入らなくなった」という妙なことになってます。これじゃあ「自由なんておかしい!昔の方がよかった!」という人がでてくるのも当然です。

もちろん一部の人は「自由になったこと」の恩恵を最大限に受けています。いわゆる“市場原理下での勝ち組”の人達です。そういう人は多くないので、嫉まれるし大きな反発を受けます。自由になると「結果平等」が崩れるので、社会は分断されるわけです。


ちなみに分断後のグループはこの3つです。

・「自由なんてクソくらえ! 不自由な世界に戻りたい。戻るべきだ!」(←規制強化派)、

・「自由はいいけど、やってけないオレ達に手厚い補償を!」(←大きな政府派。左派)

・「不自由な時代に戻るなんて時代錯誤!問題は市場で解決すべき!」(←自由主義者)

(政党もこの3つに分かれればいいのに、民主党はすべてのグループを党内に抱えているので仲間割ればかりしています。)


★★★


さてこのように、「自由って大変」なのでありますが、個人レベルでみればそれでも大半の人が「自由になったことで引き起こされた問題は、自分達の努力や市場の工夫で解決すべき」と考えています。

たとえば、「親が写真交換して結婚」の時代が終わり、結婚相手を見つけるのが難しくなっても、「写真と釣書を見て2回会って結婚したい!」と思っている人よりは、「婚活サービス会社にお金を払って、自分も最大限努力して結婚したい!」と思っている人の方が多いでしょ。

就活がすごい大変だ大変だと言うけど、彼らだって、先生や教授が「あなたはここの会社、キミはあっちのお店で働いてね」って言ってくれたらオレは喜んで従う。だからそういう方式に戻せ!と主張してるわけじゃなく、なんとかもうちょっと合理的な自由就職の方法論があるはずだろ?それを探すべきだ!と言っているわけです。


ところが組織レベルになると、「昔に戻せ派」がやたらと増えます。彼らはすぐに「派遣制度なんて廃止しろ」とか、「貿易をやめて鎖国しろ!」などと言い出すのです。

この個人と組織の行動の差がすごく興味深くて、ずっと「なんで違うんだろ?」と考えていました。で、最近わかったのは、個人の場合は「自由がない」ことがすごくつらいのに対して、組織ってあんまりつらくないんだな、ということです。


だっていくら結婚できて就職できても、個人の場合、「2回会って結婚」とか「はい、キミはこの魚屋で働いてね」って割り当てられた仕事に就くのは、つらいでしょ?

でも組織って「決められたとおりに、何も考えずに、過去行われていた通りにやっていたら利益がでました」みたいな自由度のない状況が、全然つらくないんです。いや、むしろ心地よいのだと思います。何十年も同じことやってて、それで儲かるなら超ハッピー!なんです。ここがまさに、個人と組織の大きな違い。


じゃあなぜ個人は「自由のなさ」に耐えられないのに組織は平気なのかというと、「自由度がないことのつらさ」は精神的なものだからです。だから個人としての“人間”はそれを感じるけれど、組織はそれをつらいと感じません。

「決められた仕事を決められた方法でやれ」としか言わない組織において、そこで働いてる個人は(たとえ給与がちゃんと支払われていても)「耐えられない!」と思うけど、組織の方は利益さえでてればいいんです。むしろ「儲け続けられるビジネスモデルがあって安泰。よかった!」と考えます。これは組織として当然です。


一言でいえば、「自由のありがたさというのは精神が感じるモノ」なので、個人はソレを感じるけど、組織はそのありがたみを感じない。だから組織は平気で「不自由な時代に戻りたい。規制強化しろ」みたいなことを言い出す、ってことです。

この点、一度自由を知ってしまうと、それが少々大変でも、自由のなかった時代に戻りたいとは思わない個人とは全く違います。


ここんとこの日本を見ていると、ちきりんはこの差をあちこちで痛感します。個人はみんなスゴク積極的に自由を求め始めているし、実際にどんどん自由になりつつある。

でも組織は本当に保守的。一歩たりとも前に進みたくないという姿勢が露わなところさえある。これじゃあ「組織を離れて自由に生きていきたい」と思う人が増えるのもあたりまえ。


これから日本でも個人はどんどん自由になると思う。それはホントにすばらしいこと。だけど企業であったり国であったり官僚機構であったりという「組織が変われるか?」というのは、相当強力な個人(独裁的に力業で組織をねじ伏せる個人)が現れない限り無理でしょう。

というか上に書いたように、自然な流れとして組織は必ず保守に向かう。保守的にならない組織というのは、組織の力を越えた個人がいる場合だけだと思ったほうがいい。そしてそれは多くの場合、カリスマでありオーナー創業者であり、さらには独裁者と呼ばれていたりするわけです。


何が言いたいかって?


27日めっちゃ楽しみ!ってこと。



そんじゃーね。

2011-11-03 古い客・新しい客、古い会社・新しい会社

最近よく見るタイプの海外旅行のパンフレット。わざわざ“50歳からの”とうたい、ターゲットが定年退職者を始めとする高齢者だと明確にしています。(妻が夫より年下なので“50歳から”なのでしょう)

全体にゆとりのある日程を組み、歩く距離を短くし、いいホテルに連泊する。そのかわりお値段はかなり高い。夫婦2人参加で100万円以上というのが多いです。今年くらいから本格的に団塊世代が引退し始めているので、旅行会社としても本番&本気モードです。


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上記はJTBのパンフレットですが、この業界、若い人はもうあまりJTBなど使わないですよね。HISのような新興旅行会社かネットの予約サイトを使う人が多いでしょ。

一方、高齢者は旅行のような高額商品をネットで購入するのはまだ慣れていないし、やっぱり安心できる“大企業”のツアーがいいと思っています。

というわけで、“古い会社は古い人をメインの顧客”とし、“新しい会社が新しい人(若い人)をメインの顧客”とする市場の棲み分けができてます。こんな感じ↓



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もちろんJTBを始めとする大手旅行会社も若い人を取り込もうと努力してるし、格安旅行社だって「団塊世代」を取り込みたいと切に願っていると思うけど、なかなか難しいことも多い。


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★★★


さて、先日来パナソニックがあれこれ大胆な事業撤退やリストラを打ち出しています。特にテレビ事業の不振が大きい様子。

パナソニックも古い会社の代表ですが、これはテレビが“古い人”にも“新しい人”にも売れなくなってしまったのでアウト!というわかりやすい構図です。


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「いったい誰向けに商品作ってんの?」という点が明確じゃないと、こうなりまっせという悪いお手本みたいな話ですね。(円高という言い訳があってほっとしてると思います。)



そして最近話題の、モバゲーを運営するDeNAが野球チームを買収するというニュース。DeNAは新しい会社ですよね。そして、新しい人である10代から20代の顧客にがっちり食い込んでる。

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でも、中高年以上にはどうか?というと・・・50才以上で“モバゲー”を知ってる人は一気に少なくなる。娘、息子がやってる場合、親としては知ってるけど、その場合は超イメージがよくない。「子供がモバゲーに夢中で勉強もしないし、お金もかかる!」と、思われてる。

そんな中、中高年以上に広く支持されているプロ野球の球団が売りに出された。これはなんとしても手に入れたい。

野球チームを買えば、これまた中高年以上に広く支持されている新聞に一年を通して「モバゲー」の文字が載り、プライムタイムのテレビニュースも毎日毎日「モバゲーモバゲー」言ってくれる。これらに毎日広告を出すのだと考えれば、年に20億円の負担は安いモンだという判断でしょう。


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彼らとしては、別に中高年がモバゲーにはまってくれなくてもいいんです。親として教師として為政者として、モバゲーに少しでもいいイメージを持ってほしい。子供がモバゲーやってるのを許してくれればそれでいい。そして、(壊滅的な打撃となりかねない)変な規制だけ導入したりしないで欲しい。というあたりでしょう。

そうなれば、新聞&テレビに連呼してほしい言葉はまさに「モバゲー」なわけで、「会社名を変えてでも!」みたいなイキリ立った話になってるわけです。


・・・


(1)棲み分けか

(2)中途半端なことして全滅か、

(3)それでも敢えてどっちも狙いに行くか


それが問題だ。


そんじゃーね!