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Chikirinの日記 RSSフィード

2011-12-27 中田宏さんと対談しました!

ビジネスメディア誠にて、前横浜市長、中田宏さんとの対談記事の連載が始まりました。

→“中田宏さんとちきりんの対談 特別編 前編

→“特別編 後編


私が中田さんの本を読んでショックを受け、「是非お話を聞きたい!」とお願いしたところ快く受けて下さり、対談が実現しました。こんなおちゃらけた匿名ブロガーと対談してくださったことに、心から感謝しています。

政治家の殺し方

政治家の殺し方


中田さんと話した内容は誠サイトに連載されますのでそちらをご覧頂くとして、今回は対談で感じたこと、受けた印象など書いておきます。

対談をさせて頂く前、ちきりんはちょっと緊張していました。その証拠に今回ちきりんはスーツを着ています。会社辞めてから1年強、スーツを着たのは3回くらいですから、“気合いの入り方”について想像していただけると思います。

でも実際にお会いしてみると、中田さんはとても丁寧かつ謙虚な方でした。礼儀正しくフレンドリーというのは「有権者にたいする政治家の姿勢」として当然なのかもしれませんが、それだけではなく、話している中でも中田さんの誠実さを感じる機会が何度もありました。


たとえば何かについて「こうなんですよ」と言われた後、ちきりんが「でも、違う例もありますよね?」と聞くと、すぐに「あっ、そう言われれば確かにそうですね!」と意見を変えられたりします。

当たり前のことに思えるかもしれませんが、実際には、一度自分の口からでた意見を“さっ”と変えるのは簡単なことではありません。誰にでも自分の意見を守りたい気持ちがあり、ついつい「いや、そうは言っても・・」と言いたくなるものです。

私もよくそういうことがあり反省するのですが、中田さんはそういうことがほとんどなく、すごくよく「聞く耳を持っている」方だと感じました。


また、ご自身の詳しくないことに話が及んだ時には、「そうなんですか、おもしろいですね。でも僕はその件に関して何か気の利いた意見はいえないですね」と正直におっしゃいます。

これも「なんであれ、適当に意見を言ってみる癖」のあるちきりんにはとても新鮮で、誠実な態度と感じられました。


ちきりんは政治家になりたいと思ったことは一度もなく、かつ、政治家になりたいってどういうことなのかもよくわかってなかったのですが、今回、中田さんが言われていた、

「今、自分達が生きているこの社会は、自分達の努力で手に入れたものではなく、今までの人達が築き上げて残してくれたものでしょ? だから自分達も未来の人達に、より“よいもの”を残していく義務があると思うんですよ。」という言葉は心に沁みました。

ちきりんなんて、この豊かで平和で安心な日本という国の恩恵を人一倍享受しています。今回の対談を終え、私もなんらか未来の人のためにできることをやらなくちゃね、と思いました。


対談の詳しい内容は誠サイトでご覧ください。個人的にとても勉強になる対談でした。中田さんはこれから大阪の改革も支援されるとのこと、大いに期待したいです。

そしてみなさんも、「改革をしようとする政治家がどんな目にあうのか」理解するため、是非こちらの本を読んでみてください。→ 中田さんの本に関しての過去エントリ 「今、私たちが読むべき本」 私たちはこういう“実態”を知ることにより、既得権益に切り込む人達を支援することができるのです。



さて、本日のエントリをもって当ブログの今年の更新は終了です。いつも「Chikirinの日記」をご愛読頂きありがとうございます。来年もどうぞ“ちきりん”をよろしくお願いいたします。


そんじゃーね!

2011-12-24 世の中を変えるもの

世の中を大きく変える要素にはどんなものがあるのか、考えてみました。


<技術>

「技術が世の中を変えた」というと、今ならすぐに「インターネット!」と言いたくなりますが、歴史を振り返れば、「世の中を変えた技術」は多数存在します。たとえば、


・印刷技術:これによって「思想」を広めることができるようになりました。聖書の印刷による宗教権力の拡大、技術書の印刷による学びの継承が実現し、共産主義思想だって印刷技術なしには広まらなかったでしょう。

・動力:産業革命につながるエネルギー技術の革新も世の中を変えました。汽車から船、そして飛行機という、人力の限界を超えた力による移動&運搬が可能になり、また製造業の生産性も一気に引き上げて、世界を圧倒的に豊かにしました。

・食料関係の技術:保存や冷凍、収穫量を上げる農薬や交配技術など様々な分野の技術を含みます。これがなければ「70億人の人口」は実現していません。ちきりんは「経済発展とは人口増加のこと」とさえ思っていて、それを可能にしたのは、生きるために不可欠な食料分野での不断の技術革新のおかげでしょう。

・もちろんインターネットを含む通信技術や、今後はバイオ技術や宇宙開発も大きく世の中を変えていくでしょう。


<自然>

これは技術より大きい要素だと思います。たとえば気候変動です。氷河期がやってくれば大半の生物は死んでしまうし、温暖化で灼熱の世の中になっても生きていけません。

地震や噴火、地盤沈下により(“日本沈没”のように)国が丸ごと消えてしまうことさえありえます。宇宙から星屑が飛んできて一気に地球滅亡とかもあるかも。

また、HIVはなんとか押さえ込めているようにも見えますが、感染症により崩壊した古代文明があるように、万が一、超高い致死率と伝播力をもつウィルスが拡がれば現代文明だって崩壊の危機に瀕するかもしれません。

人間はこれに“技術”で対抗しようとしていますが、今のところ勝てるメドは全くついていないようです。


<人>

世の中を変えるのは、「技術」、「自然」、「人」です、というと、綺麗な結論になりますね。実際、歴史は卓越した個人によって作られてきたといっても過言ではないでしょう。

ただこの話は深掘りすると別のテーマになってしまうので、ここで止めておきます。


<グローバル化>

これも今だとすぐに「TPP?」みたいな矮小な議論になってしまいますが、大昔から私たちの文明は「つながること」により大きく発展してきたのです。

古代には、エジプト文明、メソポタミア文明、黄河文明、インダス文明、さらにアンデス文明など、地球のあちこちで異なる文明が発展しました。それらはいつしか“つながり”始め、“交易”が始まって、特定の地にのみ存在した貴重なモノ、技術、人などが共有、交換されはじめます。

機械動力のない時代にさえ、歩いて、もしくはラクダにのって、文明と文明をつないだ人がいて、さまざまな“異種”の出会い、混合、衝突、融合が起こりました。それは島国であった日本でも同じで、遣唐使や遣隋使を通じて、また黒船襲来を機に社会は大きく変化しました。

この「遠くにある異質なものとつながる、ぶつかり合う、混じり合う」ことによって引き起こされる“化学反応的なる現象”が、世の中を大きく変えたと思いますし、移動や通信の発展により、このことが起こるスピードは格段に速くなりつつあります。今も、そしてこれからも、「つながる」ことが世界を大きく変えてゆくでしょう。


<社会制度・社会的イベント>

私が欧米人やアラブ人であったなら、今日のエントリの最初に挙げるべきは「神」もしくは「宗教」であったでしょう。

でもここでは、宗教も含め「社会制度」や「社会的なイベント」が大きく世の中を変えうる、と規定しておきます。宗教は避妊や離婚を禁じて「人口増加」を推し進めたり、戦争の理由となったり、新大陸への移民を促進して新しい価値観のグループを作り出したりしました。

「共産主義体制」という社会制度は、その成立により世界を「東西対立」というレジームに追い込み、その崩壊もまた新たなパワーバランスへの導線となりました。もちろん世界大戦を含む戦争の多くが、世界の体制を変えてしまいます。

産油国の民族主義の台頭から始まったOPECの結成も、“エネルギー”が先進国世界の生存権を握るというパラダイムシフトを引き起こしました。中国のような巨大な国が「一人っ子政策」を採ることが、どれほど歪な社会を創り出すか、私たちはこれから見ることになるでしょう。

ユーロの結成(そして崩壊?)、アラブの民主化など、世の中を大きく変えうるであろう社会体制の変革、大きな社会イベントは今も継続的に起こっています。



というわけで、世の中を変える要因は様々に存在しており、これからも世界は変わり続けます。私たちは今後もそれらの変化に翻弄されつつ、楽しく生きていくことにいたしましょう。


そんじゃーね!

2011-12-20 世界は分断されている

最近、世の中って分断されてるよねーと思うことが多い。


(1)平日の昼間に美術の企画展などに行くと「高齢者&女性」しかいない。びっくりするほど「働き盛りの男性」がいない。今までいた場所の“裏面”を見てる気がする。


(2)渋谷に行くと「この国はめっちゃ若いな」と思い、ニコタマ(二子玉川)に行くと「世の中の女性はみんな専業主婦なの?」と思い、郊外の住宅地に行くとあまりの高齢者比率の高さに「どう考えても移民が必要でしょ?」って思う。


(3)大手町や丸ノ内に行くと、男の人がみんなダークスーツ着てて驚く。青山や表参道辺りに行くと「ビジネススーツって禁止なの?」って思う。


(4)去年の末まで(働いている間は)、毎日何十本も英語のメールを読んだり書いたりしてたのに、今年一年で、ちきりんが書いた英語のメールは多分3本。

以前は当然のように毎日英語で話してたけど、この一年で英語で話したのは海外旅行をのぞくと 2回だけ。。


(5)今まで、大学に「文学部」とか「社会学部」があるってことは知ってたけど、そういうところを卒業した人に会ったことがなかった。今年は「そういうところを卒業して、普通に働いてる人もいるんだ!」と学んだ。


(6)ネットで知り合った若い子と約束して待ち合わせると「渋谷の裏道のカフェ」だったりして「ほー、超イマドキっぽい!」と感激する。

昔の会社の友人と食事の約束をして、予約してくれたレストランに行くと、コースが 1万 8千円から始まってて国が違うのかと思った。


(7)統計をみてる限り、勤め人(会社員や公務員)が多数派らしいけど、最近まわりには自営業の人しかいない。不況で一旦会社に入ったらすぐには辞めなくなったと聞くんだけど、周りには「辞めました」な人ばかり。なぜ?


すごく不思議。


きっと他にも「分断された世界」の存在に気がついてる人はいると思う。

例をTwitterでお送りいただければ、なるほど!と思えたものを、こちらのエントリで紹介(引用)させていただきます!

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そんじゃーね。


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<以下、みなさんから頂いたツイート>


やや想像したくない景色・・・


反対に「周りにもらってる人いっぱいいる・・」みたいなケースもあるんでしょう。


海外の大都市の「日本人コミュニティ」ではどこでも、駐在員と現地採用のスゴイ断絶が存在してる。



これ最近よく言われます。マスメディアとウエブの分断というより、「自分の関心空間」と「それ以外の世界」の分断とも思える。ネットをよく見る人でも「Chikirin」を知らない人はたくさんいる。


この前、日経新聞に『自分のアタマで考えよう』をとりあげてもらった時、記事の中に「世の中にはブログというものがあって」みたいな説明文章がついてたのを思い出した。

ちなみにこちらも同じ話→「 尖閣ビデオ流出のもうひとつの意義


そうそう、私も働いていた時、夜の9時に既にできあがった状態で繁華街の駅から乗ってくる会社員を見て、「何時から飲んでるわけ?」って思ってた。


「全員がアップル製品を持ってる集団」、「全員がガラケーいじってる集団」と「やたらとレッツノート比率の高い集団」が分断してる気もする。


地方の議会はほんと異世界。


そういえば以前、こういうエントリも書いてました。

→「格差の見えにくい国、ニッポン


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(2回目の)そんじゃーねー!


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2011-12-16 退職決断のための「黄金基準」はこれだ!

『自分のアタマで考えよう』の第五章「判断基準はシンプルが一番」の中に、

「ものごとが決められないのは選択肢が多いからじゃなく、選択基準が多すぎるからです!」という話を書いています。

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上記の本では婚活女子の例で説明した「2×2の表」ですが、これって他の判断にもスゴク便利に使えます。

たとえば、会社を辞めようかどうか迷って迷って迷ってなかなか決められない人。決められない理由は判断基準が多すぎるからです。

「経済的にはどうなる?」「次の仕事がより楽しいとは限らないよね?」「今の職場でももっとやりようがあるかも?」「今がベストのタイミングなの? もしかして来年の方がいい?」などなど。

こうしていろいろ考えれば考えるほど何も決断できなくなり、何も決めないまま人生が終わってしまいます。


というわけで、今日はちきりん流「会社を辞めるべきかどうか」を決める“黄金基準”をご紹介。

会社を辞めるかどうかに関しては(いろんなコトがあれこれ気になるのはわかりますが)、それら多くの判断基準のうち下記の二つを優先基準として決めればいいと(私は)思ってます。

その1「楽しい?」

その2「大事なことが学べてる?」


本でも説明したようにこの二つの基準を使って図を書くと下記のようになります。

もし「あっ、自分はグレーのところにいる!」と思ったら、速攻辞めた方がいいです。この箱にとどまるのは「人生の時間のムダ遣い」以外のなにものでもありません。

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この図、もちろん右上ボックスにいるのがベストなのでしょうが、ちきりんは「楽しければOK!」な価値観でもあるので、右下でもいいと思ってます。

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ストイックな性格の方は人生の一時期、左上ボックスにいるのもありなんでしょう。でもあんまり長くいるのはやめた方がいいと思いますけどね。てか、長続きしないです、ソコ。

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★★★


ちなみに就活するときは、相手の会社の人達が、どのボックスにどれくらいの割合で分布してるかを考えてみればいいと思います。世の中にはマジでこういう会社がありますから・・・↓

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こんな会社に入って、自分だけ右上のボックスに入れるなんてありえないですよ。


ちなみにグレーのボックスにいる人が、それでも会社を辞めない理由は3つあります。

(1) 35年ローンを組んで家を買った。

(2) 他に仕事がない。

(3) 生まれてこの方、周囲の人と異なる判断をしたことは一度もないので、そんなことは怖くて絶対できない。


ただし彼らがクチにする理由は(上記ではなく)これです 

→ 「家族のためにオレは頑張ってるんだ!」


こういう言い訳に使われちゃうご家族も、さぞかしお幸せなことでしょう。


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そんじゃーね!


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2011-12-14 もしもあなたが“ジャパンサミット”を主催するなら?

先日、“Japan Summit 2011”というイベントをのぞかせて頂きました。(多くの考えるきっかけを頂け、とても有意義でした。それらについては今後少しずつ書いていこうと思います。)


これは経済誌“The Economist”を発行するエコノミストグループ主催のカンファレンスで、朝8時半から夕方6時まで様々なトピックについて政治家や経済人による講演とパネルディスカッションが行われました。場所はホテルオークラの巨大なバンケットルームです。(参加者は150名くらいでしょうか)

日本では11回目の開催だそうですが、同グループは、ベトナム・サミット、中国・サミット、インド・サミットなど他地域でも同様の会議を開催し、さらに地域ではなく課題をテーマにしたもの、たとえば“Women in Asia”や“Healthcare in Asia 2011”“Feeding Asia”なども主催しています。(もちろん欧州、南米やアフリカなど他地域でもやっていると思います。)


ちきりんがまず理解したのは、「メディアグループが、こういったシンポジウムを世界のあちこちで開く」という視点の持ち方と行動原理です。

彼らはこうした会を通じて「世界のどこに投資機会がありそうか、成長機会がありそうか」を常時ウオッチし、エコノミスト誌の読者であるグローバル企業のエグゼクティブに定期的にその情報を伝えようとしています。

同時に各国の政治家や経済人とコネクションを作り、その後の公式、非公式な関係強化を通じて、その国への理解を深める手立ても得ようとしているのでしょう。

最近は日本のメディアグループ(特に経済やビジネスに強いところ)が同じような視点でのカンファレンスを主催することも増えていますが、今回のイベントを見て、まだその広がりと能動性において、かなりの差があると感じました。


また「何年か後、既存メディアではなくネットメディアがこういうイベントを開くようになったら、カンファレンスの内容はどう変わるだろう?」と考えるのも興味深いものでした。

今回は壇上で講演する人も、会場の参加者もほぼ全員が伝統的なビジネススーツに身を固め、平均年齢も高く、さらに大半の人が世界的な大企業のビジネスパーソンでした。

会はいくつかの大企業がスポンサーしていますが、一般の参加料は10万円〜16万円であり、会議はクローズドで行われます。(後から一部動画がサイトには載ります。)


でも、将来ネットメディアがこういった会を主催するようになったら、参加者の服装が、まずは大きく変わるでしょう。参加料の設定、会議をネットで流すかどうかなど運営スタイルも変わるはずです。(シリコンバレーで開催されるネットやIT関係のグローバルカンファレンスなら、既にかなり“異なる風景”になっていると思うのですが、一般的な“政治経済”のカンファレンスの光景がいつ変わるのか?が、興味深いところです。)

さらにカンファレンスの骨格である、議論のトピックとスピーカーの顔ぶれ自体も、今回と同じにはならないでしょう。


たとえば、今回の議題は下記です。

(1)日本の再活性化に向けて

(2)日本のリーダーシップ体制(政治側?)

(3)エネルギーの未来

(4)分権型社会の到来

(5)モデル都市、未来都市の姿

(6)財政再建問題

(7)日本経済の展望(高齢化社会を迎えて)

(8)グローバリゼーションのための日本人の人材の質

(9)2012年 世界のリーダー

よく練られたトピック構成だと思います。でも、もし20歳くらい平均年齢が低いスタッフが中心のネットメディアが“ジャパンサミット”を主催すれば、トピック構成も違ったモノになりそうですよね。


そして下記のスピーカーとパネリストの顔ぶれも、主催者の性格によってずいぶん違うものになりえると思われます。


<政治家>

・民主党 政策調査会長 前原誠司

・自由民主党 政務調査会 会長 茂木敏充

・自由民主党 前政務調査会 会長、 元農林水産大臣 石破茂

・自由民主党 シャドウ・キャビネット 官房副長官 林芳正

・宮城県知事 村井嘉浩

・九州地方知事会 会長、 大分県知事 広瀬勝貞

・関西広域連合  広域連合長、 兵庫県知事  井戸敏三


<経済団体・企業人>

・日本経済団体連合会 会長  米倉弘昌

・トヨタ自動車 技監 渡邉浩之

・テムザック 代表取締役 高本陽一

・モンベル 代表 辰野勇

・メリルリンチ日本証券 調査部 日本チーフエコノミスト マネージング・ディレクター 吉川雅幸

・マッキンゼー・アンド・カンパニー 日本支社長 ジョルジュ・デヴォー

・ブリティッシュ・アメリカン・タバコ・ジャパン 代表執行役員、社長 フレデリコ・モンテイロ

・日本GE 代表取締役社長兼CEO マーク・ノーボン

・ブリティッシュ・アメリカン・タバコ・ジャパン 社長


<アカデミック・研究機関・国際団体>

・東京大学大学院経済学研究科・経済学部 教授 井堀利宏

・上智大学国際教養学部 教授 中野晃一

・政策研究大学院大学  教授  井川博

・政策研究大学院大学 教授 黒川清

・臨床教育研究所「虹」所長、法政大学キャリアデザイン学部 教授 尾木直樹

・一橋大学大学院 国際企業戦略研究科 客員教授 近藤正晃ジェームス

・東京大学社会科学研究所 博士研究員 元UBSグローバル・アセット・マネジメント エクイティ・リサーチアナリスト ポール・スキャリス

・テンプル大学ジャパンキャンパス 現代アジア研究所 所長 ロバート・ デュジャリック

・環境エネルギー政策研究所 所長 飯田哲也

・国連事務総長特別顧問(人間の安全保障) 前国連大使 高須幸雄


<その他>

・元経済産業省 経済産業事務官 古賀茂明

・都市計画家、 まちづくりカンパニー・シープネットワーク 代表取締役 西郷真理子


★★★


ちきりんは先日「ゼロベースで考えることが大事」というエントリを書きましたが、今回のカンファレンスはまさにその課題として最適なお題のように思えました。

もしも皆さんが今、「日本の今後を考えるためのジャパン・サミットという会議を主催するとしたら」、誰を呼び、どんなトピックで議論をしてもらいたいと思いますか?


最近はビジネス界だけでなく、アカデミックな分野でもNPOの分野でも、また学生向けのものなど、様々なカンファレンスが開かれます。日本だけで開かれるものに加え、日中韓合同やアジア全体の会議、グローバルなイベントも増えています。

日本でもこれらに参加する人も増えてきていると思うのですが、今回感じたのは、「参加」という立ち位置の他に「主催」という立ち位置で考えてみるのもおもしろいかも、ということです。

「ジャパン・サミット」という言葉を額面通り受け取れば、この会議にでれば今後の日本にとっての重要課題が網羅されており、それらについて「キーパーソン」と言える人達が議論をする、そういう場だということになります。

そのトピックやスピーカーを考えることは、まさに「今、日本にとって重要なことは何なのか?」を考えることでもあります。


「自分のアタマで考える」のが大好きなちきりんブログの皆さんには、是非「自分が“ジャパンサミット”の主催者だったら、どんな議題を選ぶだろう?誰を呼ぶだろう?」って考えてみてほしいです。それらの主催企画案を議論すること自体が、たぶんとってもおもしろい。

たくさんの学びが得られた会だったのですが、まずはこのことから。


そんじゃーね。

2011-12-11 リピートがすべて

最近ホテルはもちろん、レストランでも「お客様の声をお聞かせください」という紙をよく見ます。いわゆる「顧客満足度アンケート」ですね。


ちきりんがこれ系のアンケートを見ていつも思うのは、まず最初に聞くべきは

「このサービス(施設、商品など)を利用されるのは何度目ですか?」

「次回も(or○年以内に)このサービス(施設、商品など)をもう一度利用しようと思いますか?」

という質問だと思うのだけど、案外見ないもんです。


2番目の問いはたまに載ってるのもあるけど、大半のアンケートは機能やサービス、価格など様々な項目について「とても満足した」から「とても不満」までの5段階で評価しろという形式が多く、最後に「総合点では?」と聞かれます。

確かに個別の機能やサービス項目ごとに満足度を聞けば、結果が出たとき「何を改善すればいいか」が明確になるので、アンケートの作り方として悪くはないと思います。

けれど、実際には「満足した」からといって再度使ってもらえるとは限らないし、いろいろ「不満」をもちながら、再び使ってくれる客もいます。

将来の売上は後者の客から上がるのだから、ちきりんに言わせれば、大事なのは「今回の購買経験に満足したかどうか」ではなく、「リピートしてもらえるかどうか」です。


★★★


実はコレ、人も同じです。就活では「もう一回会いたい」と思わせた学生だけが次のステップに進めます。立場が逆転していて、学生側がどこに就職しようか決められる場合も、企業側は「この会社の人にもう一回会いたい」と学生に思わせられなければ選んでもらえません。

仕事でも同じ。最初に会った時に「もう一回会いたい」と思ってもらえて初めて仕事がつながります。これは、就活にせよ仕事の顔合わせにしろ、さらにいえば男女や将来の友人との出会いも同じ。誰か新しい人と会った後は、「自分が相手側の立場だったら、今日の自分にもう一回会いたいと思うだろうか?」と考えてみればいいんです。

その後の話が進展するかどうかは、「いい人だった」「充実していた」「おもしろい話が聞けた」ではなく、「もう一回会いたい」と思ってもらえるかどうか、つまり「リピートがすべて」なのです。


ちなみに、このことは

「供給過剰で競争が熾烈な市場」

「高いモノ、必要不可欠ではない贅沢品やサービス」

に関して特に重要です。


供給過剰な市場においては、消費者は「満足した!」場合でも「別のものも試して見よう!」と考えるので、相当のインパクトを与えないとリピートしてくれません。反対に駅前に1軒しかない食堂なら、満足度はたいして高くなくてもリピートされます。

また、高いモノ、贅沢品(必需品ではないモノ)ほど、リピート率が顧客満足度より重要です。ひとり2万円するレストランでは「大満足」した顧客でも、多くは二度とやってきません。

人間にとっては食事は必須ですから、誰でもどこかで食事をします。家で作るか外食か、中食か。その場合、どの店か。平日のランチなど必需品としての食事の場合は、人は「少なくとも一つは選ぶ」のです。

しかし、2万円の食事は生きるための食事ではなく「贅沢品」であり「エンターテイメント」です。こういう「必ずしも必要不可欠でないもの」については、まず(1)リピートする必要性を感じさせ、(2)加えて、同じ店でリピートしてもらう、という2段階の動機付けが必要です。「食べる必要がある食事」では(1)が不要なので、リピート実現の容易さが全く異なるのです。


ちなみにブログだって、一度「おもしろい!」と思われても、継続的に読んでもらえるかどうかは別問題です。毎回毎回「ヒドイ内容だ! とんでもない!」とか言われながらも、更新するたびに読みにきてもらえるブログもあります。当然ですが後者の方がアクセス数も伸び、マネタイズも容易で、「人気ブログ」に育ちます。

ネット上の文章もすごい数なので、「供給過剰で競争が熾烈な市場」です。だから「おもしろかった!」と「もう一度読みに来てもらえる」の間には大きな差があるわけです。


★★★


ところで、楽天市場にはそれを買った人のレビューがついていますが、その中でよく「リピ」という言葉がでてきます。

「うーん、たぶんリピはないです」とか

「リピします!」「もう何度もリピしてます!」

などという表現が頻繁にでてきます。

ここでの「リピ」とは「リピート」のことで、再度買うか、何度も買っているか、ということを表しています。


これを読む度にちきりんは「消費者って本当にエライよね!」と思うのです。

アンケートを作る店側はリピート率より各項目の満足度ばかり気にしていますが、レビューを書いている消費者は「何を伝えれば、この商品のお勧め度合いを最も巧く伝えられるか」ということを、直感的に理解しているんです。

くだくだと値段がどーの、味がどーの、使い勝手がどーの、と書くよりも、「リピするかどうか、リピしているかどうか」を書いた方が、圧倒的に自分の評価が伝えやすい!と彼女ら(彼ら)はわかっています。

だから「リピはたぶんないです」「リピしました!」って書くのです。


消費者ってホントにエライ。


そんじゃーね!






<追記ツイート>


2011-12-09 もうひとつのゼロベース思考

よく聞く「ゼロベース思考」の意味は、「固定観念や既成概念にとらわれることなく考えましょう」というもので、ちきりんも『自分のアタマで考えよう』の中で「知識と思考の分離」と称して同じことを言っています。

ですが、「ゼロから考える」という思考手法には、もうひとつ重要な側面があります。それは、「既存制度を前提とせずに、あるべき論(あるべき姿)を考えよう」というものです。


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たとえば税制について考える時、「消費税が低所得者に不利というのはホントなの?」と考えるのが前者です。

「消費税は逆累進的だから低所得者に損な制度」というのは“常識”らしいので、それに「ほんと?」と疑問を投げかけるのは「固定観念や既成概念に疑問をもつ思考」です。(これはこれで重要です)


一方、「既存制度を前提とせずに、あるべき論を考える」というのは、「自分は、そもそもどういう税制が望ましいと思っているのか」と考えることです。

たとえば「税金なんて一切不要」というのもひとつの考え方です。この人は「税金のない社会」(=国家というものが成立する以前の原始社会みたいな?)を「あるべき姿」として唱えているわけです。

他にも「税金は消費税一本でいい!」という考え方もあるし、「収入全部、国家が召し上げて必要に応じて配分すべし!」という考えもありうるでしょう。後者は税率100%であり、共産主義的な制度となります。


これらの「あるべき姿」には“現実性”はありません。だからといって「あるべき姿を考えること」に意味がないわけでもないのです。

現実を離れ「もしも、なんの移行措置も考える必要がなく、かつ自分が全権をもっていたら、どんな制度にしたいか?」について考え、それを語れば、その人が目指す方向にどんな世界があるのか、明確になります。

そしてそこから、その人の「制度設計の思想」を読み取ることができます。


たとえ現実的には「現状の制度をどう修正するか」について議論する場合でも、議論する人がそういった「自分なりの基本思想」をもっていることはとても重要です。

思想のない人に制度設計をやらせると、話があっちゃこっちゃにぶれ、常に“足して二で割る”結論になってしまうからです。


★★★


ちきりんは、みんな「自分の本丸」についてくらいは、一度、最低でも1日くらいかけて「あるべき論」を考えておくべきと思っています。

たとえば学生なら、「もしも自分がゼロから大学を設計できるとしたら、どんな大学を作るだろう?」と考えてみてほしいのです。

全権が自分にあり、なんの制約もなく制度設計をしてもいいといわれたら、どんな入試を行い、どんな基準で先生を集め、教える科目は何にしますか?具体的な選考方法を考え、必須授業の科目名やシラバス、想定教授のプロファイルを書きだしてみるのです。

「日本の大学もアメリカの大学みたいにこうすべき」とか、「もっとこういう授業をやってほしい」というのは、「現状を修正する意見」です。そうではなく、「法律も文部省の規制もなんも考えなくていいから、自分がこうあるべきと思える大学を作れ」と言われたら、どういう大学を作るのか?

そう考えるのが「あるべき論を考える」ってことです。


社会人も同じです。周りに会計士の人がいたら、「企業会計と監査制度って、ゼロから設計したらどうあるべきだと思う?」って聞いてみて下さい。最近の司法制度にぶーぶー文句を言っている弁護士に「あなたがゼロから司法制度を設計できるとしたら、どんな制度を作るの?」って聞いてみればいいんです。

もちろん一般企業で働く人でも同じです。「この業界のやり方は古すぎる。もう持たない」と言っている人がいたら、「じゃあ過去のしがらみを一切離れて貴方がゼロから設計できるとしたら、どんな姿が理想なんですか?」と聞いてみましょう。


ちきりんは今までこの質問をいろんな人に聞いてきました。自分の専門分野であっても「あるべき論」を考えたことがある人(したがって、すぐに答えられる人)はそんなに多くありません。というか、「あっ、一回も考えたことがなかった!」という反応の人はまだ“マシ”な方です。

一部の人は、「そんなこと言ってもいろいろ制約もあるし」「それは法律で決まってるんで」・・・など様々な理由をつけて「あるべき論を考えることさえ拒否する」んです。


「どうせ変われない理由があるんだから、あるべき論を考える必要はない」という発想は、典型的な「思考停止」です。

せめて自分の業界、自分のビジネス、自分が所属する組織に関してくらいは、「自分がゼロから設計できるならこうする!」という意見を持っておいてほしいです。


ちなみにみなさんは「自分がゼロから税金制度を作っていいよ」と言われたら、どんな税制を作りますか?

「ひとりで、ゼロから教育制度を作っていいよ」と言われたら、どんな学校やカリキュラムを作りますか?

「賛成!」「反対!」ではなく、そういう意見を持つことこそが、大事なんだと思います。


そんじゃーね。


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2011-12-06 「誰が言ったか」ではなく、「何を言ったか」が問われる時代へ

BLOGOSというサイトをご存じでしょうか。

2年前に開設されたネット・メディア、オピニオンブログのポータル・サイトで、多くの個人ブログとオリジナル記事によって世の中のニュースを伝えています。ちきりんのブログエントリも、その多くが BLOGOSに転載されています。


昨日、第一回 BLOGOS AWARD 2011 というイベントが開かれ、部門ごとに 6つのブログが賞を受賞しました。その中で、この「Chikirinの日記」は、“大賞”を受賞しました。

大賞の受賞理由として、「著書を出版したり、大手メディアでの連載を持つなど、多くのブロガーにとって、ひとつのロールモデルになったこと、また、オピニオンブログの地位向上に多大な貢献をされたこと」とか、「匿名でありながら非常に信頼感があるエントリー」などと言っていただけ、とても感激しました。

これもすべて継続的にちきりんの日記を読んでくださっている皆様のおかげです。心から感謝しています。


ちきりんは昨年までビジネスの世界で働いていて、その間ずっと若い人に向けて「これからは誰が言ったかではなく、何を言ったかが問われる時代になりますよ!」と言い続けてきました。

「誰が言ったか」が重視される時代には、「一流大学卒の学歴」、「一流企業の名刺」、「政府の審議会のメンバーなど、みんながスゴイと言ってくれる肩書き」を手に入れることが大事です。そういう時代においては、権威ある「誰」を手に入れるため、受験や就活を通して努力することや、一旦手に入れた大企業の名刺にしがみつくことは、極めて合理的な行動です。

けれど、ちきりんは「これからは、“誰が”じゃなくて“何を言ったか”が大事になるんだから、自分のアタマで考えられる人になること、自分の意見を持つことが、キレイな履歴書を手に入れることよりよほど大事になるんです!」と言い続けてきました。(もしくは“煽って”きました。)そして多くの人が、ちきりんの言葉に応じて実際にリスクをとる判断をしてもくれました。

だから私もいつかは、「立派な肩書きがなくても、言っていることに価値があると判断されたら、聞いてくれる人がでてくる。ついてくる人が現れる。」ということを、自分でも証明しなくっちゃ、と思っていました。

「会社名に頼らなくてもやっていけるはず!」ということを自ら示さないと、今まで煽ってきた人達に顔向けできないと感じていたのです。そして「Chikirinの日記」は、まさにそのための実験場でもありました。


そんな私にとって、昨日の大賞受賞はひとつの区切りになるものでした。ペンネームが意味不明なひらがな4文字でも、お面がエレファントマンそっくりでも!、「何を言っているか」という点だけで、とりあえずここまでは認めてもらえることは、「世の中、捨てたモンじゃないじゃん」と思えます。

特に受賞理由の中で「ロールモデル」という言葉を頂いたことをしみじみ嬉しく思っています。これから「自分の意見を世に問いたい!」と思う多くの方が、「ちきりんにできたのだから、オレにできないはずがない!」と思って下さったら、心から嬉しく思います。


みんな頑張れ!


そんじゃーね。




<ちきりんの日記 月間PVの推移>

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(ブログ開設の2005年3月〜2011年11月まで。はてなカウンターの数字。2010年半ば以降は“ちきりんパーソナル”を分離したので、その部分を茶色で表示)

ちなみに2011年11月のエントリ数は本体ブログでは9本です。これで162万PVなので、一本のエントリ当たりのPVは単純平均だと18万PVとなります。ただ、実際には過去エントリの閲覧数も多いので、その他のデータより、継続的に読んで下さっている読者の数は現時点で4万〜5万人と推定しています。



(1) アクセス数が増えたきっかけは何?という方はこちらをどうぞ→ 「祝!100万PV

(2)トロフィーやお面の写真はこちらに掲載しました!

2011-12-02 通貨制度という虚構のシステム

今回のユーロ危機でちきりんが再確認したのが、「通貨制度」というのはそもそも虚構のシステムだという伝統的な事実です。

その昔、小石を丸く削って通貨として使い始めた頃から今まで、通貨そのものには本質的な価値はありません。当時の通貨である丸い石も人々の空腹を満たしてはくれなかったし、現在の「通帳に印字された数字」「お札という紙に印字された模様」にも、なんの本質的な価値もありません。

通貨制度というのは、お札にしろコインにしろ、国家の権威が「これは価値があるものだ。みんな、そう信じるように!」と宣言し、一般人全員がそれを信じることによって成り立っている虚構のシステムです。

金貨や銀貨が使われていた時代や、金兌換制度の下ではもうすこし実質的な意味があったのか?というと、それも微妙なところです。金だって取引所や政府の独占管理などの制度的な裏付けなしに価値が規定されるものではありませんでした。虚構の制度という意味では同じに思えます。


最近、メディアでは「ユーロ崩壊」という言葉がよく使われています。これはいったいどういう意味なんでしょう?

ユーロ暴落、なら意味は分かります。1ドル、もしくは100円が、1万ユーロになる、というようなことが起これば、それはまさに「ユーロ暴落」です。しかし、そのユーロという通貨がドイツでもフランスでもイタリアでも使えます、という限り、暴落には一定の歯止めがかかります。

それらの国でユーロという通貨をもって商品やサービス、さらには土地や企業が買えるのであれば、それらの実物資産を「ぜひ買いたい!」と思う人がでてきて、それを買うためにユーロを調達することになりますから、そんなめちゃな暴落は起こりえません。

北朝鮮やミャンマーの通貨が1ドル、何万ウォン、何百万チャットになりえるのは、北朝鮮やミャンマーに、海外の人が欲しいと思う貴重な実物資産がほとんどないからです。(唯一海外の人が関心を示す土地は、規制により購入不可能です。)

一方、ユーロの国々には世界の人々が欲しがる資産がいくらでもあります。それらの国の人がユーロを信じている限り(=ユーロと交換に商品や資産を売ることを受け入れている限り)、様々なノイズはあるにせよ、為替レートはこれらの実物資産が平価する範囲でしか暴落しないと考えるのが普通でしょう。


では、(ユーロ暴落ではなく)「ユーロ崩壊」とは何でしょう?どこかの国がユーロを離脱することでしょうか?

ギリシャがユーロの使用を止めてドラクマを復活させる、と決めたとしましょう。その実現には物理的にお札を印刷して、交換して・・・、というだけでも2年近くはかかるでしょう。今から2年かけて、ギリシャがユーロの使用をやめ、ドラクマに戻しました。

これが「ユーロ崩壊」でしょうか?

ちきりん的にはこれは「ユーロ加盟国の減少」「ユーロ圏の縮小」にしか見えません。


じゃあドイツやフランスを含め、どの国もユーロを使わなくなったら「ユーロ崩壊」でしょうか?それこそかなりの準備期間がかかりそうです。今ソレを決めて、3年から5年かけ、どの国も昔の通貨を復活させたとしましょう。

これが「ユーロ崩壊」?

そう言ってもいいですが、価値観を除いて言えば「ユーロの廃止」「ユーロの消滅」でもいいはずです。


だから、「ユーロ崩壊」とはいったい何なのか?

多くの人が心配しているのは、「ギリシャなどの国債がデフォルトし、それを保有している欧州の金融機関が多額の損失を被り、金融機関の世界的な連鎖倒産が起こること」でしょう。

これはたしかに大きなリスクです。リーマンショックに匹敵する、もしくは、より大きな金融危機が世界を包み込むことになります。どこの財政当局にもこれらの金融機関を救済する余力のない今、世界中の人がそういった事態を心配するのは無理はないし、ちきりんも不安に思います。

でもそれは「世界的な金融危機」ではありますが、「ユーロ崩壊」ではありません。崩壊するのは「国際金融システム」なのです。


別の言い方をすれば、ユーロという制度が崩壊するかどうかは、みんなが「ユーロ」という通貨をいつまで信頼するか?ということに依存しているのです。ドイツやフランスの街角で、「ユーロ札をだせばレストランで食事ができる」、「ユーロ札をだせば、ブランド品のカバンや洋服が買える」限り、ユーロ崩壊ではありません。

たとえばパリでレストランに入ろうとしたら、入り口に「支払いはドル、ポンド、円のみで受け付けます」と書いてあるようになったら、それがまさに「ユーロ崩壊」です。欧州の国の人達が自国の銀行口座からユーロ貯金を全部引出し、ドルやポンドや円、さらに実物資産に変換(購入)しようと走ったら、それが「ユーロ崩壊」です。

つまり、一般の人達が広く、その通貨を信任し続けるかどうか、これが通貨制度が維持されるか、崩壊するかの境目です。「虚構のシステム」は、みんながそれを信じている間は「ホンモノ」であり続けられるのです。


ちきりんは思います。日本が少々経済停滞していても、財政赤字があまりに大きくても、高齢化で未来も厳しくても、日本人が「円」を強く信任している限り、円の価値は常に高く評価されるでしょう。海外からみても「日本人が円という通貨制度を強固に信じている」ことは、よく見えています。円高の本質的な理由はそこにあるのです。

円もユーロも(もちろんドルも)虚構のシステムです。その違いは「みながどれほどその虚構を信じているか?」というレベルの差だけです。そして円は今、どの通貨よりも「信じられている虚構」とさえ言える状態です。

このように、通貨制度の成立は「人々がその虚構を信じているかどうか」に依存しており、今問われているのは、“欧州統合通貨ユーロ”という虚構システムのひとつを、私たちが(欧州の人達が)いつまで信じるか、ということなのです。


そんじゃーね。