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Chikirinの日記 RSSフィード

2012-02-14 「作り込み」と「ダダ漏れ」の間

既存メディアとネットメディアの大きな違いに、「作り込みレベルの差」があります。テレビ、新聞、雑誌や書籍など、既存のメディアは、ものすごい勢いで“作り込む”んです。

テレビの公開収録を観にいくと、司会者から出演者のタレント、評論家を含め、全員が「役者」だとわかります。全員が整然と「自分に割り当てられた役」を演じる。「まさにプロ!」です。

細部の細部まで書き込まれた台本に沿って、表情作りや会話、ボケ&つっこみ、“白熱した(ように見える)議論”が進み、

さらに編集で「あらかじめ決められた構成」に向け、余分な部分を切り取り、見せたい順番に並び替え、強調やらなんやらと効果(エフェクト)を追加し・・。

NHKだと3日くらい密着取材して得た材料を“煮詰めに煮詰めて” 1 時間の番組にするし、討論番組でさえ 2時間の番組のために 10時間近く(しかも複数の)カメラを回してるんじゃないでしょうか。

驚くほど大量の材料を集めてその大半を捨て、事前に想定した構成に合わせて組上げる。これはラジオも同様で、収録した音声をバラバラにぶった切った上でつなぎあわせたりする。

ほんとスゴイです。


あの「作り込み」の中には、一種の「美学」があります。職人のこだわりとか匠のワザみたいな。

だからできあがった番組を見ると、(内容のばかばかしさは別として)非常にテンポ良く物事が進んで安心感があり、上げるトコで上げる、落とすトコで落とす、笑うところで笑わせる、と、“想定ストーリー”が滞りなく進行します。


これはテレビに限らず、雑誌も書籍も(多分)新聞も同じでしょう。雑誌の 1ページの取材記事でも、最低 1時間は話を聞いてるだろうし、

誌面に載せるたった1枚の写真のために何十枚も撮影します。そして大半を捨て、残したモノを「どう配置するか」「どう見せるか」をめっちゃ細かく考える。

これが「作り込みメディア」とも言える、既存メディアの手法です。


それに対してネットメディアは基本が“ダダ漏れ”です。

ブログにしろツイッターにしろ「垂れ流し系の文章」だし、動画だって「単にカメラが回ってるだけ」みたいなのが多い。

ustの対談なんて、出演者や話の内容が相当に興味深いものであったとしても・・・「それだけを見る」って、かなりキツくないですか?

なんの背景もない壁の前で、公民館のテーブルみたいなところに、メークもしてないダラケた恰好の人が数人座り、なんのストラクチャーもない話を延々としてて、時々内輪話が紛れ込む・・・他の作業をしながら聞くのはいいけど、あれを集中して視聴するのは、ちょっとキツイです。

ust対談などをみるたびに、「あー、ほんと、テレビ番組ってすんごい作り込まれてんだなー」と痛感します。これってテレビや映画しか動画コンテンツがなかった時代には意識していませんでした。あまりに「そのまんま」なネット動画がでてきて、初めて気がついたのです。


しかし・・・作り込みは時に「マンネリ」につながります。

また、作り込みはヤラセとの相性もすこぶるヨイです。「できあがりの姿」にこだわりすぎ、それを忠実に作り込もうとする余り、材料として存在しないモノまで入れ込んでしまう、それが「ヤラセ」です。


一方のダダ漏れ系は、何が起こるかわからない「ハプニング性」をもっています。なんの脈絡もなく、いきなり「えー、ソレを言っちゃう!?」みたいな発言が出てきたり、時には「マジの喧嘩」がそのまま流されたり。

そして今、その二つの間に、様々なバリエーションが出現し始めています。

Youtubeにアップされている動画には、「完全に素人のダダモレ映像」から、「それなりの経験と技術を持った人が、ある程度作り込んだモノ」が混在しています。

ネットメディアでも「とりあえず配信」もあれば、なんらか“形”を作ろうと試行錯誤を始めているところもあります。

超作り込みのテレビと、完全ダダモレ配信の間に、グラデーションを描くように「いろんな作り込みレベルの映像」が出始めている、わけです。


これはテキストも同じで、たとえば私が文章を書く場合、

ツイッター → ブログ → メディア記事(ネット) → メディア記事(紙媒体)→ 書籍

の順に、作り込みのレベルが上がります。メディア記事と書籍の場合は「編集者」という作り込みのプロが付くし、「作り込みのためのプロセス」もある程度、標準化されています。


ここで興味深いのは、「いったい視聴者や読者は、コンテンツにどのレベルの作り込みを求めているの?」ということです。

テレビ番組のレベルまで作り込まれたものについては、多くの視聴者が「作り込みすぎ」「予定調和すぎ」「毎回同じパターン」「ヤラセ」「お仕着せ」と感じ始めています。

じゃあ ust対談やニコ生対談のレベルが好まれているかというと、もう少し作り込まないとコンテンツの内容が発散して密度が高まらず、途中でどうでもよくなってしまいます。


その中間にある、「軽ーくストラクチャーされており、うっすらとストーリーじみたモノも見える。余りに不要なものは切り捨ててあるから、それなりの密度になってる」けど、「おきまりのパターン」でも「作り手の意図通り完全に作り込まれたもの」とも違う。あたりに、今後の主流があるような気もします。

いずれにせよ、電子書籍もニュースサイトもネットラジオもこれからは、「自分達はどのレベルまで作り込むのか」を、意識的かつ戦略的に選択していくことになるのでしょう。


そんじゃーね。



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追記)エントリアップの後 頂いたtweetsです。


↓どっちからスタートした人か?によって、正反対になってるかも・・。


↓これは「なるほど」と思った。



↓たしかにスポーツ番組って、あの実況で興奮するところもあり、だけど行き過ぎると興ざめる。なかなか“適切な作り込みレベル”が難しい。



↓これは、ちきりんは違う意見かな。たかじんさんの番組(そこまで言って委員会)は収録を観にいったけど、あまりに完璧な作り込みようでビビった。なんばグランド花月も、たかが素人の客の反応くらい完全に読まれてて、その上で作り込まれてる。まさにプロと感じました。