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2012-04-26 『世界を歩いて、考えよう!』

来月、5月19日頃、ちきりん3冊目の本となる、『社会派ちきりんの 世界を歩いて考えよう!』が出版されることになりました。


う〜ん、感激!


何が感激かというと、これまでに出した本、3冊が、ゆるーくシリーズ化していることが、ちょっと嬉しかったりしてるんです。

・最初のがイエロー、二冊目がオレンジ、そして今回がブルーと、テーマカラーが変わり、

・どの本も、タイトルの最後は “考えよう!”

・どの表紙にもプロの方が描いてくださった “ちきりんの似顔絵” が載っていて

・すべての本の最後が “そんじゃーね” です!


       


どの似顔絵もかわいいですねー。これが続くなら、10冊くらい出せた暁には「ちきりんの似顔絵展」が開けそう。もちろん“ちきりんお面 10組セット”も売り出しましょう!


中でも嬉しいのは、タイトル末尾を「考えよう」で揃えられたこと。「やっぱり、あたしが伝えたいのは、“考えよう!”ってことなんだなー」と、しみじみしました。

みなさんもご存じのように、ちきりんは決して博学な人ではありません。寧ろ何も知らないほうです。でも、「考える」ことだけはやたらと好きです。

何を見ても「なんでなの?」「それがなんなの?」と考えているし、自分の考えを文章にしたり、人に話すのも大好きです。


今回の本は、ちきりんが世界を歩いて“考えたこと”をまとめたものです。旅行の本ではありますが、いわゆる紀行文でも観光地の紹介本でもありません。

初めて海外旅行をしてから既に20年以上がたっているので、「縦の比較(時系列)」と「横の比較(異なる国の比較)」(『自分のアタマで考えよう』より)を駆使しながら、「もしかして、こういうことなんじゃないの!?」的に、異国の社会を“ちきりん視点”で、ばっさばっさと分析&解説しています。目次は下記の通りですが、内容は、まさに“社会派”なものになっています。


『世界を歩いて考えよう』  目次


第一章 お金から見える世界

第二章 異国で働く人々

第三章 人生観が変わる場所


第四章 共産主義国への旅

第五章 ビーチリゾートの旅

第六章 世界の美術館


第七章 古代遺跡の旅

第八章 恵まれすぎの南欧諸国

第九章 変貌するアジア


第十章 豊かであるという実感

さいごに 旅をより楽しむために

若者の海外旅行離れについて 〜あとがきにかえて


旅の途中で考えたこと、感じたことのアレコレは、旅行中には同行者に、また帰国直後には友人や家族に話してきました。今回の本には、それらを全部まとめて書いています。

パソコンと写真に向かい、「あたしは過去20年、世界を歩いて、何を考えてきたんだっけ?」と、ひとつひとつ振り返りながら書いていくのは、とても楽しい作業でした。20代の時、30代の時、あんなこと考えてたよね、こんなことがあったよね、って思い出しながら書きました。

ちょっと大げさに聞こえるかもしれないけれど、「旅すること」は、ちきりんの人生そのものです。そして「考えること」も、さらに「書くこと」もまた、ちきりんにとって人生そのものなんです。

だから「旅をしながら考えたことを、書く」という“大好きなことの三乗”が実現できた、今回の本の企画は私にとって僥倖です。すばらしい機会を与えて下さったすべての“ちきりん読者”の方に、心から感謝です。(みなさんがこのブログを読んでくださらなければ、こんな機会が私に与えられることはないんです。)


原稿を書きながら、ずっと考えていまいした。この本を読んでくださる皆さんが、読んでいる途中に、「ちきりんと一緒に旅してる」、そう感じてもらえたらいいな、と。

私はブログを書くとき、画面の向こうにいる読者の方に話しかけるつもりで文章を書いています。読んでいる方が、画面からちきりんの声が聞こえる!と思ってもらえるように、文章を作っています。

今回の本は、読みながら「一緒に旅行してるちきりんが、興奮気味に自分に向かってまくしたててる!」感じが出せたらいいなと思いました。「あーで、こーで、こーなのよー! 聞いてる!?」という早口の声がページから飛び出してくるような、そんな本にしたいと思いました。

多くの方に楽しんで頂けたら嬉しいです。


そんじゃーね!


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ちきりん
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2012-04-23 大都市のターミナルエリアは消費のブラックホールへ・・

GWを前にして、渋谷ヒカリエなど新たなショッピングビルがオープンするというニュースを聞きながら、「このしわ寄せはどこに行くのかね」って思いました。

よくよく考えてみてください。日本は人口も減っていて、中でも若年者人口は減り続けています。収入も可処分所得も延びてないし、ということは、個人消費の総額だって伸びてるはずがない。

全体として個人が使うお金の総額が変わらないなら(というか、むしろ減っているのだから)、こんなにどんどん新たにショッピングビルができれば、当然、その分、売上が減っているお店なり、エリアがあるはずです。

過去10年、六本木ヒルズにミッドタウン、その他にも原宿から銀座、新宿、そして東京駅周辺からお台場まで、新たにできたショッピングビルやエリアは数え切れないくらいたくさんあります。大阪だって駅ビルがスゴイことになってるし、ミナミにも新たなお店が増えてます、全部が全部、流行っているわけでないにしても、それらの場所が吸い込んだ「消費マネー」は相当額に上るはず。

ではその分の消費は、どの店、どのエリアが失ったんでしょう?

よく地方では「イオンのショッピングモールができて、駅前の商店街が死んだ」と言われます。それ以外でも、郊外型の大型店によって、駅前小売店の売上がごっそり奪われるのはどの地方でも同じです。では東京や大阪の新ショッピングエリアは、どこの売上を奪ってるんでしょう?


たぶん、ターミナル駅沿線の駅前商店と駅ビルですよね? 新宿に新たなショッピングエリアができれば、中央線の各駅、京王線、小田急線の各駅前にあったレストランや飲み屋さん、あと、雑貨屋や洋服屋、靴屋さんなどが少しずつ売上を失ってるはず。渋谷や池袋、恵比寿からの沿線も同じでしょう。

東京駅周辺や銀座は特に、近隣県の各都市からも売上を奪っています。千葉や埼玉の中途半端に都心に近い町は、けっこうな影響を受けてるのでは? 大阪だって兵庫県のJR,阪急・阪神沿線の各町はもちろん、和歌山や奈良からも消費を奪っているはず。


しかも東京の地下鉄はここ20年くらい、延長だの新規開業だの乗入れだので、めちゃめちゃ便利になってます。郊外の住宅地からターミナル駅の巨大ショッピングエリアに、消費者を運んでくる力がどんどん増強されている。(だから休日でも電車がスゴク混んでいる!)

一方、新宿や渋谷から10駅以内くらいの駅の周りには、安いメシ屋、コンビニ、スーパーマーケット、パチンコ屋、薬屋など、日々の生活に必要な、ごく身近なモノを売る店だけが残り、それ以外は都心のでかいショッピングエリアに行けと、そういう感じになってます。


結局のところ、生産性の低い店が生産性の高い店に客を奪われるという流れは、地方だけじゃなく、都心でも起こってるわけです。というか、たぶん地方で起こっているよりよほど大きな額が、「沿線駅前」から「ターミナル駅付近の巨大ショッピングセンター」に移ってると思います。

ただ、それでも都市部の場合は人口が半端なく多いので、地方における「シャッター通り」みたいな問題は起こらない。

それと、東京の沿線の駅前なら、下手に店を続けているよりは、店を閉じてアパートやマンションを建てた方が儲かるから地主も困りません。むしろその方が楽に儲けられるし、その観点から見れば、ターミナル駅に新たなショッピングセンターができるのは、むしろ歓迎すべきことです。

そうなると、沿線の町はどんどん「住宅地」になっていき、住む場所と、消費する場所がますます乖離していくのでしょう。


都心のターミナル駅周辺では、今でも集中的な大規模開発が続いており、どこもかしこもずっと工事中です。10駅どころか1時間圏内(もしかして、もっと?)から客が呼べると(奪えると)いう目論見でしょう。さらに言えばこの巨大な消費集積自体が、地方から大都市への人口流入の動機にもなっていると思われます。

最近の渋谷なんて“行きたくなくなる”ほど多数の人が集まっており、凄いことになってきたなと感じます。最近ちきりんが理解したのは、日本の大都市って、もう十分に開発されちゃったのかと思っていたら、全然そんなことはなかったんだということです。

東京は、まだまだ全く発展途上です。日本全体は停滞してるのかもしれないけど、少なくとも東京と大阪だけは、今でも高度成長期を続けているというわけです。


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そんじゃーね。


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2012-04-20 医療を基幹産業にする、という発想

少し前のことになりますが、医師である北原茂実先生の講演を聴きにいきました。合計5時間、ひとりで話しまくられ、その勢いに圧倒されました。話の内容も刺激的で、メモが10ページにもなりました。

北原先生は八王子の医療法人社団KNIの理事長、つまり医療法人の経営者です。マスコミで取り上げられることも多いので、ご存じの方もあるでしょう。病院システムの抜本的な改革や、医療制度の改革案などにつき、積極的な提言をされています。

その主張は極めてユニークで、加えて、実際にそれらを実践されている姿勢にもとても感銘を受けました。今日はその内容の一部をご紹介したいと思います。



<主張その1:医療を産業として認知せよ>

厚生労働省は医療費総額が28兆円であった1997年に、「このままいけば、医療費は2006年までに59兆円に達する」と発表しました。しかし2006年から4年も後である2010年現在、日本の総医療費は35兆円です。

これをみると、官僚の「国民をビビらせることにより、保険料や税金の値上げについて、“やむなし感”を高める」という作戦がよくわかります。「このままでは大変なことになる!」と連呼して、保険料や税金を上げたがるのは、医療費(健康保険料)だけでなく、年金(保険料)も財政(税金)も全く同じ。「超ワンパターンだな、霞ヶ関!」って感じです。


さて、私たちが「現在の日本の総医療費が35兆円」と聞く時、多くの場合、その数字は「国民の医療費としてかかるコスト」に聞こえます。だからそれが59兆円になると言われれば、「そんなに費用が跳ね上がったら、国民負担も財政負担も大変だ!」と感じるのです。

しかし、北原先生は「医療は産業である」と言われます。もしこれが産業であるなら、今35兆円の総医療費が、将来59兆円になるとしたら、それは「医療業界は非常に有望な産業である」ということを意味します。

産業なら大きいほうがいいんです。産業規模が大きくなれば、その業界内で雇用を得られる人も増えます。産業として国際競争力を付ければ、輸出だって可能になります。


産業として認知すれば、生産性の低いパパママショップ(これが医療業界内で何にあたるかは敢えて書きません)が淘汰され、生産性の高い大企業や、斬新な新サービスを提供するベンチャー企業が栄えることも、悪いことではありません。

この“医療はコストではなく産業”という視点の切り替えは、見える風景を大きく変えてくれます。この点が、まず私が北原先生のお話を聞いて感銘を受けた点です。


<その2:国民皆保険が諸悪の根源!>

これも「よく言われていること」に真っ向から反論するすばらしい主張です。

「国民皆医療保険は日本が世界に誇れるすばらしい制度」とよく言われます。でも先生に言わせると、これも(他の多くの日本の社会制度と同じように、)今まではすばらしく巧く機能してしたけれど、今は時代について行けず、制度疲労を起している制度である、となります。

国民保険があるせいで、日本の医療費用は異常に安く抑えられており、そのために様々な弊害がでていることが指摘されています。たとえば↓

・フリーアクセスの下、過剰な医療が求められている(寝てれば直るのに病院に来る。近くの病院でいいのに大学病院にくる)

・同じ治療なら、全くスキルレベルの違う医者に診てもらっても同じ価格であり、市場構造を激しく歪めている(=淘汰されるべき人が淘汰されず、報われるべき人が報われていない。その“とばっちり”を患者が受けている)。

・効果があるのに高い薬が(保険認定すると医療費が掛かりすぎるという理由で)認可されにくくなっている。(日本では、他の先進国では使える、効果のある薬が使えなくなりつつある←これって、日本が先進国ではなくなりつつある、最初の一歩とも言えます。)


特にちきりんが慧眼だと思ったのは、「若者は病気になりにくい。病気になるのは高齢者だ。そして日本の高齢者はものすごい額のお金を貯め込んでいる。このお金を社会に環流させるために最もいい産業が、医療産業なのだ」という視点です。(もちろんセーフティネットはつけて)

ほんとそうですよね。何千万円、何億円とため込んでるお年寄りが病気になられた際には、「最高の医療」を受けてもらって、そのお金を社会に環流してほしい。しかし、それを阻んでいるのが、“国民皆保険”なのです。


<その3:メディカルツーリズムではなく、医療制度の輸出>

最後がこれです。医療で外貨を稼ぐというと、「欧米や中国のお金持ちに日本の病院に来てもらって、高い料金をとって稼ごう」というメディカル・ツーリズムの話になりがちです。

しかし北原先生は「それでは金持ちしかメリットがない」と非難されます。「そうではなく、世界の人に、日本のすばらしい医療を受ける機会を提供できる、病院や保険制度の輸出をめざすべきである」と言われます。

「日本の医療制度は(いろいろ問題が指摘されている今でさえ)世界に誇れるすばらしい制度とレベルである。これを他国に移植(輸出)することで、世界中の人が高いレベルの医療をリーズナブルな価格で受けられるようになる。

一方、メディカル・ツーリズムは、「金持ちだけがいい医療を受けられる」というアメリカ式医療制度の輸出であり、日本が推進、もしくは、参戦すべき市場ではない」というのが北原先生の主張です。


こういうメタなレベルの「ビジネス構造」は、メディカル・ツーリズムがそうであるように、たいていの場合、欧米から発信&提案されます。日本企業も日本人も、その「欧米から伝わったビジネスの仕組み」の中で、なんとか勝ち残ろうとあがきます。これが業界を問わず、私たちが日常的に見ている世界の構造です。

しかしここですばらしいのは、北原先生が「欧米発のメディカル・ツーリズムという新市場の提案」に対して、「日本のゲームのやり方を世界に広めるべき」と提案されている点です。そして、実は先生は既にそれをある国で始めようとされています。

ひとこと、「あっぱれ」です。


★★★


というわけで、他にもご紹介したい論点はたくさんあるのですが、(ありすぎて書けないので、)ご関心のある方はとりあえず下記の本を読んで下さい。(北原先生ご自身も言いたいことがありすぎて、この本もホントはページ数が全然たりてない感じですけど・・)


さらに、震災後の東北で医療活動、ボランティア等をされながら、先生が感じられた知見も「なるほど!」の連続です。「被災地で起こっていることってこういうことなのね」ってわかります。てか、おぞましすぎて怖くなります。

「病院」が東北を救う日 (講談社+α新書)

「病院」が東北を救う日 (講談社+α新書)


北原先生のご意見は、「医療制度どうあるべき?」に関心のある人は皆、(内容すべてに賛成する必要はありませんが)一度は理解しておくべき視点だと思います。

ちきりんもこういう「ユニークで破壊的で大胆で、かつ圧倒的に未来志向な思考」ができるよう、精進したいと感じさせられる本&お話でした。


そんじゃーね。



★過去関連エントリ★  「すれ違う前提(医療編)」

2012-04-17 ビバ道州制

ちきりんは2年前に「日本が採用すべき10個の政策」について書いていて、その中で道州制を支持をしています。今日は「道州制」についての、ちきりんの考え方をまとめておきます。


<道州制のマイ定義>

いろんな方が提案しており、「どれが正しい定義か」というのはありません。ちきりんがイメージしているのは、下記のようなものです。

・国は外交、国防、憲法、天皇制に関することのみを業務として担当。

・現在、国が担当しているそれ以外のことはすべて「道州」が担当する。(例:税制&税率、教育、社会福祉、雇用規制、移民規制、公用語の設定、医療制度、その他)

・全国は5〜8個くらいの道州に分かれる

・その下に、住民サービスを手がける基礎自治体(今の市のレベル、大都市では区のレベル)が存在する

・結果として、国会議員の数は100名以下でいいし、霞ヶ関もほぼ解体。道州の長は直接選挙がいいと思います。



<道州制支持の理由>


理由その1:中央集権を続けていることが日本停滞の最大の原因

明治の官僚機構から戦争遂行体制(野口悠紀雄先生の言われる40年体制)が、そのまま残っていることが、日本の社会制度、政治制度が全く機能しなくなっている最大の原因です。

「中央がすべてを決めて、本来は事情も異なる多様な地域や個性的な個人がみんなでそれに従う」というこの体制は、発展途上国向けであり、軍事国家向きです。豊かな消費者、豊かな生活者のいる先進国家を運営するには不向きな体制なのです。

家庭でも部活でもそうでしょ? 家父長一人が家族全員の生活のルールを決めるとか、部長が全メンバーの役割や動き方を一人で決めるとか、今の時代にそんなのありえません。そういうのは「非常に貧しいところから、全員一丸となって生き残る&のし上がる」時代にのみ有効な体制なのです。

一定の水準に達した豊かな社会では、何にしても“中央で一律に”ではなく、できるだけ個人に近いところでそれぞれが決め、多様なスタイルを選べるようにするのがあるべき姿です。



理由その2:政治と行政に競争原理が働く

今の日本で政治や官僚制度がなんでこんなむちゃくちゃなのかと言えば、それは「国民には他にチョイスがない」からです。(東電が未だにむちゃなコスト計算をしてくるのも同じでしょう)

他と比べられないもの、どんなにダメダメでも見捨てられない人や組織は必ず堕落します。その典型例が政治であり官の組織です。

道州制になれば、日本の中に複数の「異なるリーダーに率いられる、異なる質や方式の政治体制、官の体制」が存在することになります。政治に関して超細かい悪口を大げさに騒ぎ立てることが使命であるマスコミも、そうなれば、「どこの州はいいけれど、こっちの州はそれに比べるとダメ」という論調に変わらざるをえません。

有権者も、「○○州はできているのに、なぜうちの州ではあれをやらないのか?」といった疑問をぶつけやすくなります。道州の政治家も、他の州のやり方を見ながら、自分にかかるプレッシャーを意識するようになるでしょう。

競争原理を政治と官の世界に持ち込めること、これが道州制の大きなメリットなのです。



理由その3:国民は多様な価値観での生活を選択できる

たとえばA州は、「日本語と英語を公用語にする」と決め、すべての道路標示、公的な書類を日英で作り、小中高校でも半分の授業は英語で行い、大学はすべて英語の授業として、海外からの学生が3分の1になる。

B州では、税金を下げ、高所得者や商業施設(当然、他の州からも買い物客がやってくる)、企業をどんどん誘致する。

C州では共働き家庭がフィリピンなどからナニー(子守兼家事手伝い)を雇うことができるようにして子育てを完全バックアップ。もちろん高校まで無償化、子供の医療費無料化などにより、州内に子だくさんの家庭がどんどん引っ越して来て、日本のなかで唯一、高齢化が進まない州となる。

D州では大規模開発をできるだけ抑え、古いモノ、日本的なもの、自然なものを極力残す。加えて学校では、武道、古典、伝統芸能をしっかり教えるなど、日本の美徳と文化を最大限に尊重。

E州では自然エネルギーのみで運営。大規模工場はみんな出て行ってしまうし、夏場には常に節電を求められ、それでも時々停電したりはする。一方、大学の周りには研究都市を造って、エコ技術、環境技術の企業や研究者、ベンチャーを集めていく。野菜も有機農法のもの以外は税金が高い。


という感じになれば、みんなどこに住みたいかを考えるようになる。「道州制にすると東京など大都市だけが有利」みたいなこと言う人って、想像力が決定的に欠如してるよね。A州が東北だったら、そっちで子育てしようという東京の人はたくさんでてくる。

もう、消費税や原発に賛成とか反対とかいつまでもウダウダ言ってないで、国民に複数の選択肢を与えるべきなんです。話し合って一つの結論にするとか無意味です。いろんな価値観があり、いろんな生き方がある。無理矢理ひとつの結論にせず、複数の価値観の世界を用意すべき時代になっている。


というわけで、ちきりんは“ビバ道州制!”です。


そんじゃーね!

2012-04-14 キャリアのVSOP

誰に聞いたか、何で読んだのか、覚えてないのですが、ずっと昔に聞いて「なるほどその通りかも。おもしろい!」と思ったのが「キャリアのVSOP」という話。

VSOPはブランデーの等級を表す言葉ですが、それにひっかけ、各年代でどうキャリアを積んでいくべきか、アドバイスする話です。


<V:20代はバラエティ>

20代で大事なことは、とにかく多彩な経験を積むこと。

自分が何に向いているか、やってみないとわからない。

あまり頑なに「自分はこれが向いているはず」と思い込み、それ以外のコトは見ない、触れない、みたいな生活をしないこと。

この時期にあれこれやってみるのは、決してリスクなんかじゃない。

多彩な世界に触れること、バラエティを保つこと、視野を広め、見えている世界をできるだけ広げておくこと、そして大いに迷うこと、20代ではそれが大事、という話。


<S:30代はスペシャリティ>

30代は、20代で経験したいろんなことの中から「オレはコレで行く!」という分野を見定め、その分野に集中して専門性を高め、「この分野ならあいつ」と言われるよう知識、スキルを築いていくべき時期。

この時期に自分の「コア」を作る、「何の専門家なのか」を明確にする。それが大事、という話。

反対にいえば、この時期にまだ「あれにしようか、それともこっちに行こうか。オレは何をすべきなんだ?」とか言ってたらダメですよ、と。

30代になったら迷わない。そのためにも20代でやりたいことをすべてやって、ちゃんと迷って、ちゃんと決めておかなくちゃいけない。集中と深掘りの30代。


<O:40代はオリジナリティ>

40代になったら、専門性だけでは勝負できません。日々、新しい技術やトレンドが生まれ、それらにたいして、より高い専門性や感度をもつ 若手が現れる。

だからこの年代で発揮すべきは、マニュアル化できない「自分らしさ」。

「これはあの人の作品だよね」「あの人の仕事はユニークだよね」「そんな考え、普通はでてこないよね!」と言ってもらえる仕事をしないとダメ。

他の人が担当していたら違うものになったはず、自分が担当したからこそ、こうなった、といえる「オリジナルな何か」が必要。

そうじゃないと市場から求められない。「学んだ何か」ではなく、「自分が生み出した何か」で勝負する。それが40代。


<P:50代はパーソナリティ>

そして 50代になれば、パーソナリティがすべて。

専門性なんて若い世代にかなうわけがない。オリジナリティだって、持ってて当たり前の年代。

だから50代になれば、「あの人と仕事がしたい」と思ってもらえるかどうか、人格とキャラが切り札になる。

したがってこの年代までに、人間としての魅力をしっかり身につけておく必要がある。

「あの人がいるからあの会社で働いてみたい」と思わせないと、経営者として人も雇えない。

「ぶっちゃけ内容はよくわかってないんだけど、あの人がリーダーなんだったら内容に関わらずやってみたい」と思ってもらえるかどうか、最後は人間力勝負、という話。


★★★


この話、最初に聞いたのは 20代で、その時もすごく腑に落ち、「なるほど!」って思いました。そして、ちきりんの場合、ちょうどこのとおりにキャリアを積んできました。

20代では多種多彩なアルバイトをして世界各国へも旅行をし、アングラな人を含めていろんな人と会い、転職や海外留学も体験しました。

30代では「これで行く!」という分野を決めて邁進。そして 40代は「私の仕事」と言える分野で、「ちきりんならでは」と言われるものを作ってきました。

さらにこれからは「ちきりんさんと会いたい」「ちきりんさんと仕事してみたい」と思ってもらえるかどうかで、できることが決まっていく段階。


キャリアのVSOP。すごくよくできた話だと思うのに、出典がわからなくて残念。ご存じの方がいらしたら教えて下さいませ。


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そんじゃーね!


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追記)皆様のご協力により、原典の本がわかりました!  しかも意外なオチがあってびっくりしたよ。

↓ クリックすると説明エントリに飛びます。

http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20120829

感謝です!

2012-04-10 企業内・国際分業のススメ

大赤字を出したシャープに、台湾の鴻海(ホンハイ)精密工業が出資して筆頭株主になるというニュースは、久しぶりの明るいニュースでした。

発表の翌日にはシャープの株価はストップ高となり、市場も高く評価したようです。

最近ちきりんは、「このグローバル分業の時代に、企業内の全機能を、すべて同じ国の人が担当する必要はないよね」と考えています。


欧米のグローバル企業では、インド人や中国人、東欧人など、様々な国の出身者がマネジメントメンバーに入っています。なのに日本企業だけが、すべての役員が日本人だなんてスゴク不利です。

だって、日本人の得意な分野ならいいけれど、不得意な分野まで日本人が担当したら、全体として巧くまわらないでしょ。


というわけで、「企業の中で、様々な国の人が自分たちの最も得意なことに集中して分業したらいいじゃん」と思うのです。

たとえば日本には、「グローバル環境で大企業を経営する」スキルをもった経営者が非常に少ないです。ゼロとは言いませんが、とても少ないのです。その理由は・・

・そもそも「経営」が大事な機能だと思ってない。


・「経営」が、「開発」や「経理」「法務」など他の専門分野と同様、一定のスキルセットや知識が必要な機能分野であり、それを担当する人は、まずは経営を勉強し、さらに実践的に経験してスキルを高めることが必要、とも理解していない。


・その上「経営」を「60歳以上の日本人男性」にしか担当させないと決めている。(もし、「開発を 60歳以上の日本人男性にしか担当させない」と決めたら、どうなるか考えてみてくださいな)


結果として現状では、「グローバル市場において、大企業を経営できるスキルをもった日本人」って、本当に少ない。

だったらいっそのこと経営については、別の国の人に任せてしまったほうがいい。

たとえば製造業に関しては、「モノ作りもわかっているし、迅速な意思決定も得意。前例がないことでもリスクをとって大胆に決められる」、台湾、韓国、中国の人にやってもらったほうが、巧くいくでしょ。

そして日本人は「開発」に注力すればいいんです。

そういう意味で、今回のシャープへの台湾企業の資本注入は(第一歩として)非常にいい感じ。経営は台湾の人、開発は日本人がやればいいじゃん!って感じです。


日本の輸出産業と言えば、長らく自動車産業とエレクトロニクス&ハイテク産業だったけれど、今、自動車会社はまだなんとか持ちこたえているのに、後者が軒並みアウトになっているのは、後者の方が圧倒的に環境変化が激しく、経営にスピードが求められるからです。

つまり、経営の舵取りが難しい分野だからです。

日本の大組織は意志決定が驚くほど、たまげるほど、びっくらこいてしまってシャックリが止まるほど遅いので、ハイテク分野の企業経営なんて、もう無理だと思うんです。

なのでこの分野の企業経営は、中国人や韓国人に任せたほうがいいでしょう。

もちろんマーケティングや商品設計も外国人に任せたほうがいいよね。

グローバル市場のニーズを理解する、といった時、顧客は(もうほとんどモノを買わなくなってしまった)「日本の中高年」ではなく、伸び盛りの国の若者であり、ファミリー層なんだから、商品企画担当者はそういった環境で育ってきた人に任せた方が圧倒的に土地勘が働くはず。

調達も彼らに任せましょう。

これからはグローバル調達が基本ですから。そうそう、M&Aや買収した子会社の経営ももちろん外国人に任せましょうね。英語もできない人にそんなことやらせるのは無理です。


じゃあ日本人は何を担当するのかって? もちろん日本人がとても強い分野を担当しましょう。たとえば・・

・基礎研究

・技術開発

・オペレーションの改善(工場での製造工程の他、サービスオペレーションも含む)


・販売員、店舗スタッフや、ホテル、レストランなどのサービススタッフの教育と育成

・味覚関連商品の開発


・ファッション、センス系のデザイン

・キャラクター開発、アニメ系クリエイション、おもしろグッズの発明

などなど。


日本人は重箱の隅をつつくのも大好き(かつ得意)なので、“経費計算業務”なども向いてるんですが、こういうのは給与が低いフィリピン人にやってもらったほうがコストパフォーマンスがいいんで、東南アジアでやってもらいましょう。

あと、人材育成と人事関係はアメリカ人に任せましょう。日本には、経験を知識化して教えるという文化がないので、人が育つのがめっちゃ遅いです。

この点、アメリカにはすべての暗黙知を「trainable」にするという文化があって、人を育てる仕組みを作るのがとても上手。加えて業績評価や解雇(すること)にも慣れてます。なので人事・研修関連は全部、アメリカ人に任せたほうがいいと思う。


「日本企業だから日本人だけで経営する!」なんてのは、「高知県の会社だから高知県出身者だけで経営する!」とか「横浜市の会社だから横浜市出身者だけですべてを担当する!」と決めるのと同じくらい馬鹿げてます。

どこの人でも、得意な人に任せるべきでしょ。


というわけで、企業内の機能、全部を日本人がやる必要はありません。特に経営は他国の人に任せよう。

どうせ日本人って、経営が大事だと思ってないじゃん。

だから「経営が向いてる人」じゃなくて、「技術者として優秀だった人」とか「営業でいい成績を上げて来た人」「社内政治が得意な人」に経営者をやらせるんでしょ? 

それよりは他国の若い人で、経営が得意な人、好きな人、それを勉強してきた人、やってきた人に、任せたほうがいいと思うよ。


分業、分業!


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そんじゃーね。


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2012-04-07 依存性ビジネスの猛威

最近ちきりんが「猛威をふるってる・・」と感じるのが、各種の「依存性ビジネス」です。

売り上げが急拡大していたり、巨大な市場に成長していたり、この不景気の日本でも依存性ビジネスだけは勢いが衰えません。このままじゃそのうち、個人消費の1割くらいは依存性ビジネスになるんじゃないの?と思えるほどです。


依存性ビジネスとは何かって? 典型的なのは、アルコール、たばこ、ドラッグの3つです。どれも多くの国で広告規制、年齢規制があり、さらにドラッグは違法化されている国も多いのに、どの時代、どの地域でも相当規模の市場が存在しています。

「タバコは日本を始め先進国では市場が縮小しているはず」とか言う人もいますが、ちょっと考えてもみてください。通常の商品やサービスが、タバコと同じレベルのネガティブキャンペーンを受け、かつ、あれだけの税金が課せられたら、普通は一年ももたずに市場は消滅します。

むしろあれだけの逆風を受けても市場が存続しえること自体が、タバコという依存性ビジネスの底力を表しているのです。


御三家以外の依存系ビジネスで大きいのはギャンブルですね。パチンコ、バカラ、カジノ、FXとどれも大きい。いずれもハマって身上をつぶした人も多いでしょう。

ギャンブルとゲームの中間では、ソーシャルゲームやネットゲーム、また、お金は動かないけれど多大な時間を浪費するという意味では、ソリティアやフリーセルなども中毒性ゲームです。

もちろん、ちきりんが人生の5%を浪費したシムシティやダービースタリオンも依存性ゲームだし、やったことはないけれど「美少女育成系ゲーム」も依存性が高そう。


ゲーム以外で隠れ依存性の高いのが、テレビショッピングです。毎日数時間ずつアレを見ながら、次々と要らないものばっかり買ってる人はすでにやられてます。

最近は楽天やファッションサイトでネットショッピングに依存している人も多く、彼女らは「コレかわいい!」とか言いながら、クリックを続け、次々とカートに商品を放り込んでいます。

ちきりんがはまってる韓国ドラマも明らかに依存性ビジネスですが、一日中ツイッター画面が気になる人、FBを常時チェックしてる人も、ツイッター中毒、FB中毒だと思います。(ちきりんブログにもやや中毒性があるとの指摘がなされています。ご注意ください。)

機器自体にはまる人もいて、けーたい中毒、スマホ中毒、パソコン中毒な人も多そうです。


というわけで、最近流行るもの、ビジネスとして調子のいいものは、その多くが依存性ビジネスで、当然ですが、その分、普通のビジネスが割を食っているはずです。

依存性ビジネスにはまる人って、それ以外のあらゆる支出をぎりぎりまで削減しますからね・・。


最初に挙げた3つは昔からある商品だし、依存性ビジネス自体は最近現れたものではありません。でもちきりんには、ここ数年くらい、いわゆる「依存性ビジネス」が多様化し、広がっているように思えます。

そして、その背景としては「ハマる暇ができた人が多い」んじゃないかなと思ってます。家族総出で農業をやってて一人がネットゲームにハマるとか、なかなかできないでしょ。9時5時でずっと大部屋で働いていても、ツイッターにハマるのは難しい。

でも最近は、自己規制ができなければ、誰にも咎められず(見られず、バレず?)何時間でもどっぷり依存していられる環境にある人が増えています。また、一人暮らしなら自宅にいる時間はずっと同じことをやっていても誰にも咎められません。

団塊世代の本格定年が始まりましたが、仕事が無くなって呆然とする元企業戦士のうち何%かは、確実にアルコール依存の予備軍となりつつあることでしょう。


まっ、私もいろいろハマってきた人なので他人様が依存ビジネスにハマってるからといって何の文句もないのですが、最近ちょっと多いよね、という気がしたので書いてみました。


あなたも近頃、何かにどっぷり依存していたり、しませんか?


そんじゃーね

2012-04-04 大企業を辞めるという合理的な選択

高度成長期以来つい最近まで(大半の人にとっては今も?)、大企業(公務員含む)に入社し、ずっとそこにいるというのは「合理的に考えて一番トク」な道だったと思います。


・金銭的な報酬が圧倒的に高い。(給与も退職金も企業年金も)

・磐石に安定してる(大企業だという理由で政府や銀行が潰さない)

・雇用も守られているし(日本で解雇規制が存在するのは日系の大企業だけ)

・仕事もおもしろい(名刺力も抜群、資本力も大きい)

・加えて様々なチャンスがあり(海外勤務とか大きなプロジェクトなど)

・世間の評価も圧倒的に高く(合コン市場や親戚間において)

・成長機会も多いし(留学や研修などの制度が充実)

・福利厚生も充実してる


と、いいコト尽くめです。これじゃあ起業したりベンチャーや中小企業に行くより、大企業を目指すのが「合理的に正しい選択」だと、ちきりんでさえ思います。


しかしながら最近、そういった大企業にいったん入社しながら、20代、30代で退職する人も少なくありません。

彼らはいったいなぜこの船を降りるのでしょう?その選択は、彼らにとって合理的な選択なのでしょうか?それとも彼らは単に「変わった人」であり、非合理的な選択をしているのでしょうか?

ちきりんには、明らかに前者に思えます。20年前に大企業を辞めた人は単なる「変わった人」(=非合理的な選択をする人)だったけれど、今そうする人は「彼らなりの合理的な選択」をしている。だから増えてるんです。

では彼らは上記以外のどんな点に価値をおいてその選択をしているのでしょう? ちょっと考えてみました。


<大企業を辞める人が重視する価値>

・通勤や服装に求められる規律からの自由

・働く時間や、個人生活を優先する自由(恒常的な長時間労働や有給休暇の取得問題)

「間欠泉的キャリア」で書いたようなキャリアの柔軟性

・組織の序列からの自由(若い人には長い下積みが求められる)

・やりたい仕事を“今”やることの価値


といったところでしょうか。こういったことを重視する価値観をもっている人には、たとえ高給で安定していても、必ずしも大企業が「絶対、手放すべきではないお宝」に見えなくなりつつあるのでしょう。

加えて、大企業価値として最初に挙げたうち、いくつかは明らかに揺らぎ始めています。

高給の代名詞だった業界でさえ40代の年収はピーク時から相当程度下げられているし、部下のいる役職に就けないまま遊軍として何年もすごすバブル期入社の社員もいます。事実上のリストラが始まった企業も少なくありません。

条件はいいけれど、アジアや中東の国への赴任から10年単位で戻って来れない人もでているし、市場の成長が終わった中で生き残るため、既得権益を守るため、的なくだらない仕事をする人も増えています。「ここ数年、仕事はリストラとコスト削減のみ」みたいな人も多いでしょう。

こんな環境では「これは違うよね・・」と思う若い人が出てくるのは当然です。


そしてもうひとつ、ちきりんが「若い人が大企業を辞めはじめている理由」として感じるのは、彼らにとって今の大企業の40代、50代が「すごい」と思えなくなっているのだろうということです。

ちきりんが就職した頃は、なんだかんだいっても20代半ばの新入社員と40代、50代で働き盛りの会社員の間には、圧倒的な実力(仕事力)の差がありました。情報や知識も、判断力も胆力も、さらに様々な経験知も。少なくとも私は、当時のそれくらいの年令の先輩を尊敬していたし、すごいと思えていました。

でも今の20代の人って、会社に入って今のそういう年代の人を見て、必ずしもそう思えないのではないでしょうか?入社3年くらいまでは、自分が余りに何もできないので、それでもそれなりに学ぶことがあるし、上の人は「すごい!」と見えます。

しかし今や数年も働けば、「あの人たちどうなの?」という点があれこれ目に付き始めます。ネットで調べればすぐ済むようなことに長い時間をかけたり、バカ高いコストをかけていたり。「そんなことも知らないの?」的なことも多々あります。

なにより不可解と思えるくらい意思決定が遅かったり、中身より権威を重視するなど、組織内には意味不明な行動がまかり通っています。また、枠にはまった考え方しかできなかったり、何でも否定から入る癖がついてしまってる40代も多い。若い世代からみて「なにこれ?」みたいな40代、50代は急増しています。


そして彼らは考えます。「こんな人たちが上にいっぱいいる会社の将来性ってどうなの?」と。それこそ、自分のアタマで考え始めるわけです。「もしかして、ここにいたら自分もああなっちゃうの?」と不安に思いさえするでしょう。

そこに「人生は一度!」「若い時は一回しかない!」と煽られ(誰に??)、「辞めるってアリでしょ」と思い始める人が出てくるわけです。

もちろん、(大企業に入った後の人さえ辞め始めているのだから、)就職段階で「大企業に入ろうと思えば入れるけど、行く気がない」という人はその何倍もでてきています。



まとめれば、

過去)大企業に勤め続けることは圧倒的に正しい、合理的な選択だった。

変化)しかし最近は、

・若い人に、大企業では提供されていないことに「価値」を見出す人が増えてきた

・大企業が提供しているはずだった価値にも陰りが見え始めた

・大企業に長くいる人が、若い人からみて「スゴイ!」と思えなくなってきた

・実際に大企業を辞めて楽しくやっている人たちが増えてきた!

ことで、

今)“せっかく入った”大企業を30代そこそこで退職してしまう人が増えてきた。

かつ、“入ろうと思えば入れるけど”あえて大企業を選ばない人も増えている。


この流れはもう止まらないし、これからどんどん大きくなるでしょう。個々人にとっては既に「自分はいつ決めるのか」だけの問題なのです。


そんじゃーね。

2012-04-01 還暦を迎えて

さて今月半ばには、ちきりんもいよいよ還暦を迎えることになります。といっても、そこの若い人、還暦って何か知ってます?

還暦(かんれき)とは、干支が一巡し、起算点となった年の干支に戻ることで、簡単に言えば「60年生きてきましたよ!」ということです。昔は長生きの象徴で、赤いちゃんちゃんこを贈ってお祝いしていたらしいです。


「干支って12個じゃないの?」って? 

違います。組み合わせは60個あるんです。→ 「十干十二支 参考サイト


今や人生80年時代、還暦なんて関係ない!という元気な人も多いのですが、ちきりんはどちらかというと脱力系というか、生きるエネルギーが乏しい人なので、そんな自分が還暦を迎えるなんて、正直言って感慨深いものがあります。「ああ、よくここまで生きてきたなあ」という感じです。

私もここ10年くらいは、「年を取る」「老いる」ということが、どういうことか、身を以て体験してきました。ブログの読者には若い人も多いので、あまり書いてきませんでしたが、老眼でパソコンの画面もよく見えないわ、講演の前には白髪染めが欠かせないわ、目が乾くのでコンタクトレンズも使えなくなるわと、ほんとに大変です。

その上、やたらとよく転けるようになります。自分では気がつかないけど、足が上がりにくくなり、バランス感覚が悪くなるみたいです。それ以外にもあれこれ不具合がでてきて、病院通いが欠かせません。プーの身には医療費の負担もバカにできないレベルで、つくづく健康は大事だと思います。


たった一人の老い支度 実践篇 (新潮文庫)

たった一人の老い支度 実践篇 (新潮文庫)

(老い支度関係では、この本が実践的でよかった。お勧めです)



しかし何よりも衰えるのは集中力や創造力で、昔は30分くらいでサクッと書き上げていたエントリも、今や1時間弱もかかるようになり、パンチの効いたオチもなかなかでてきません。年を取るということは、如実に「知力の衰え」を伴います。

一方で、年をとれば「経験」は増えてきます。知力が衰え経験値があがれば、誰だって考えるより知識に頼りたくなります。過去の成功体験を振り回し、ワンパターンのオチで乗り切ろうとするようになるのはそのせいです。思考主体としての老化は、人としての老化以上に残酷なのです。


けれど一方で、60歳までこうやって元気で楽しくやってこられたことに、ちきりんは心から感謝もしています。18歳で東京に出て来て以来、42年間、やりたいことはすべてやり、これ以上できないというくらい楽しんで生きてきました。恵まれた環境にいたと思うし、幸運でもあったと思います。

これからいつまでこのブログを書き続けられるのかわかりませんが、そもそもこれは「Chikirinの日記」、つまり、私の生きている経過を記す場所です。年齢を重ね、変わって行くこと、変わらざるを得ないことを含めて楽しみながら、これからもボチボチ更新していければと思っています。



最後に若い人へのメッセージを書いておきましょうか。

1)年寄りにはやさしくしてあげてください

2)国民年金はちゃんと払うように


ほんならね。




追記)

去年の4月1日のブログはこちら

一昨年の4月1日のブログはこちら


新聞にしろ雑誌にしろウエブにしろ、何か読む時はちゃんと日付を確認したほうがいいですよ。