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Chikirinの日記 RSSフィード

2013-04-30 「Chikirinの日記」 月間 200万PV 時代へ!

2013年4月、「Chikirinの日記」は、単独で初の月間アクセス 200万PVを達成しました。ちきりんブログをここまで育ててくださった読者の皆様に心より感謝します。

正確には 205万1308PVですね。

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(Google Analytics画面。この数字には「ちきりんぱーそなる」(約16万PV)は含まれてないので、ちきりんブログの合計では220万PVです)



そして、この一か月間に書いた文章は15本すべて、プロ格闘ゲーマー梅原大吾さん関連のエントリでした。梅原さんにも心より御礼申し上げます。

ぴーす!

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 全15エントリのタイトルとリンクは、下記ページでご覧いただけます。

  →  2013 04 梅原大吾さん 関連エントリ by ちきりん まとめ



下記は、ブログ開設以来のPVの推移です。2005年3月に書き始め、今日まで丸 8年と1か月を数えます。2010年末に会社を辞めた頃がちょうど月間 100万PVほど、それ以降の 2年半で 200万PVへと倍増しました。

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・2009年までは“はてなカウンター”、それ以降はGoogle analyticsのデータ  

・2010年6月「ちきりんぱーそなる」を本体ブログから分離(グラフでは緑の部分)


★★★


以下、「Chikirinの日記 for DU」 の舞台裏です。

今から遡ること一か月ちょい前の 3月下旬、私はエープリールフールに何を書くか検討中でした。去年までは、「オレが男だって知らないのかよ、みんな?」とか、「いよいよ還暦。人生もそろそろ終盤戦・・」などと書いていたのですが、今年も同じ路線で書くとしたら、「私は実はインド人あるよ」くらいしか書くことがありません。

でもそれじゃあ、あまりに芸がない。てゆーか、そんなんで騙される人はいません。


その時ふと目に入ったのが、「3月29日 梅原大吾さんと対談」という予定表の文字。29日に対談するなら、4月1日はそのことについて書くのが自然です。そこで、「梅原さん絡みでエープリールフールエントリが書けないかな?」と考えました。

とはいえ詳細は決めきれないまま対談の日に。

対談(というよりインタビュー)はとても楽しく、内容も盛りだくさんで、話してる途中、「この話だけで余裕で 5回くらいは書けそう」と感じ、「今後は梅原さんの話しか書かないって宣言するのもおもしろいかも?」というアイデアが浮かびました。


一応、許可とるべきかと、対談後、勇気を出して本人に聞いてみました。

「あのー、あさってエープリールフールなんですけど・・・ネタにしてもいいですか?」

 → きょとん

「4月1日のブログに、これからは梅原さんのコトしか書かない!って、書いても問題ないですか?」

 → 大笑い

了解が得られました! 

(なんでも自分に都合良く解釈する技を発動)


★★★


対談翌日(=エープリールフール前日)、最初は「もう永久に梅原さんのことしか書かない!」みたいな文章だったのですが、あまりにも嘘くさかったのでちょっと捻りを入れ、「経団連が彼を講演に呼ぶまで書き続ける!」に変更。

これなら「マジかよ!?」って思う人や、一部には信じる人もでるでしょう。しかも、4月1日にそう書いたうえで、3回、4回と関連エントリを書き続ければ、「えっ? あれってエープリールフールじゃなかったの?」と思う人が出てくるはず。

楽しそう!


ということで、できあがった最初のエントリがコレ → 「プロゲーマー梅原大吾さんと対談しました

ただこの時点では、あと数回、梅原さん関係のエントリを書いて、「みんな、マジだと思ったでしょ? だまされたでしょ? おほほほほー」って感じで終わりにする予定だったんです。

ところが・・・


エープリールフールとは無関係に、月替わりタイミングだったのでブログのアクセス数を確認したところ、なんと3月は、

・「Chikirinの日記」 184万PV (エントリ数 8本)

・ちきりんぱーそなる 20万PV (エントリ数 4本

合計でいきなり200万PVを超えていた!


えーーーー、これはショック!!


まじなのか。。。なんのイベントも無しに 200万PV超えるって超残念じゃない???

数日に一本しか更新せずに 200万PVってけっこうスゴイことのはずなのに、こんな誰も(てか本人も)気が付かないまま達成されてるとかヤダすぎる・・・

と、しばし呆然


その後、レアチーズケーキを食べて気を取り直し、「せめて、本体ブログだけで 200万PVを達成する時は、もうちょっとイベントフルにしたい」と考えて出てきたのが、「4月は梅原さん関連エントリだけで 200万PV達成しよう!」というアイデアでした。

これならちょっとした記念になるし、適度にチャレンジング。というのも、毎日エントリを書けば 200万PV達成が難しくないことは前からわかってたんです。でもそれじゃあつまんない。残業時間をのばして給料を増やしてもしゃーないでしょ。

といっても人為的にエントリ数を制限して挑戦するのもなんか無粋。それに比べて、トピックを限定して達成するのは、大喜利みたいでオシャレかなと。(自ずと本数も限定されるし)


でも実際やってみると結構大変でした。8本目くらいまでは余裕でしたが、中盤はいろいろこじつけるのに苦心。ただここにきて新たに思考が進み、今はまだあと3回くらい書けるかなって感じです。(もう書きませんけどね)

あと“ちんたら系”の私としては、目標をたてて頑張ること自体が3年ぶりだったので、久しぶりに毎日アクセス数を確認するなど、ちょっとドキドキの一ヶ月でした。



そんな中、すごく嬉しかったのは読者のみなさんからの感想!


知り合いの編集者さんからも、こんな感想が。

梅原プロの連続エントリ、とてもおもしろいですね! 私はゲーム経験ほぼゼロのため、ゲームに対するイメージが180度変わり……というより、こんな可能性に満ちた新天地があったんだと、世界をぐわんと広げていただきました。


「梅原さんのエントリだけで、月間 200万PVを達成したい」というのは、私の個人的な目標でしたが、みんなにも楽しんでもらえてよかった! 経団連からの連絡はまだみたいですけど、「そのうち来るでしょ」と思ってるんで気長に待ちます。


いつも思うことですが、私がこうやって様々な分野の方とお会いでき、お話する機会を頂けるのは、10万人以上の方がこのブログを読んでくださっているからです。

「Chikirinの日記」の価値の源泉は、文章や内容のクオリティにあるのではなく、マーケットからの強い支持を受けていることにあります。(中身がすばらしくても、アクセスの少ないブログはたくさんあります)

ちきりんブログを読んでくださっている皆様に、これを機にあらためて御礼申し上げます。ほんとに、感謝しています。


お礼として私ができることは唯ひとつ。皆様からいただいた力で、いろんな話を聞き、学び、その結果として得たもの、そして考えたことを、できるかぎりわかりやすく、おもしろい文章で伝え続けることです。

明日からブログの名前も「Chikirinの日記」に戻ります。for DU ではなく、for you であり、for everyone です。

これからも、末永くよろしくお願いいたします。


そんじゃーね!

これからは献本の傾向も変わるかも?


追記) 2016年 6月 対談本が出ました! 紹介エントリはこちら

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2013-04-27 悔しい気持ちが大好きです

梅原大吾さんの本を読んだとき、思わず固まってしまうくらい衝撃を受けた箇所があるので、少し長いのですが引用しましょう。

なお冒頭の“当時”とは、彼が中学・高校の頃のことです。

当時は、職業としてプロがあるわけでもなかったし、僕がどれだけ大会で優勝したところで人助けができるわけでもない。


だから、特に目標をもつことなく、毎日毎日、目の前の相手を倒すことだけに集中していた。


だけどやっぱり、勝負事でこれだけ頑張っていれば何かあるかもしれない---。

もうひとりの自分が、そう囁き続ける。


そんなはずはないのだけれど、ある日、誰かが僕のことを認めてくれるかもしれない。


ゲームが上手いということだけでは認めてもらえないかもしれないが、僕がやっていることは“人を理解する”ことが欠かせないし、表面的な戦略だけでは勝ち続けられない高尚な世界だ。


そこを追求して勝ち続けているのだから、いつか誰かが評価してくれる。


その評価によって、僕の人生は変わる。

そう願っていたのだろう。


ゲームに対する周囲の評価も変えたかった。


僕のように真剣に考えている人間、とことん追求している人間を見ることで、「もう少しゲームに注目していいんじゃないか」と考えてほしかった。


もちろん、野球やサッカーと肩を並べるほどとまでは思ってなかったが、ゲームがメジャーな存在に近づいてもいいだろうと思っていた。


だから、いつかゲームが認められる、その日のために僕は成長し続ける必要がある。


人を唸らせるような考えを持っておく必要がある。そう感じていた。


よくひとりで、インタビューのシミュレーションをやっていた。

「梅原さんは、どんな思いでゲームをしているんですか?」

「(待ってました!) 僕は・・・」


こんな質問をされたら、こう答えよう。

どのような覚悟でゲームと向き合ってきたか、誰にも負けることのない僕の熱い気持ちをこたえられるようにしておこう。

頭の中で、そんなことを考えていた。


これを読んだとき、しばし茫然としてしまいました。

いつか誰かが自分のことを理解してくれる。そう信じたいけど本当にそんな日が来るのか、もしかしたら一生来ないかもしれない。

でも、自分は準備しておかなくちゃいけない。誰かがマイクを向けてくれたその時に、最高の答えをするために。


自分の進む道を周囲がどうしても認めてくれない。

そんな環境の中で自分を鼓舞し続ける中学生の切ない思いが溢れてるでしょ。


★★★


また梅原さんは何度も、「考えることなく、どんなに長い時間やっていても、まったく巧くならない」と繰り返しています。

これ、トップアスリートの方で同じように言われる方が多いです。

いわゆる根性論の否定ですね。もちろんビジネスでも同じです。


思考せず、夜中までひたすら作業に没頭しているような人が「仕事がデキる」ようになったりはしません。

デキるようになる=生産性が高くなる=巧くなる、のは、「考えて、新しい方法でやってみる」という仮説検証のプロセスを常に回している人だけです。


このように、他分野のトップクラスの人とまったく同じことを言っているのに、ゲームの世界にいる梅原さんの言葉が注目を集めることはありませんでした。

彼は「小さい頃から、テレビでいろんな人が話してることについて、それってオレが言ってることと全く同じだよ、ってよく思ってた」そうです。


自分と同じことを言っている人の言葉が、テレビで注目されて賞賛されてるのに、自分がやっていることは「なんでいつまでもゲームばっかりやってるんだ?」という目で見られる。

そういう中で彼は、ひとり脳内インタビューを繰り返していたんです。


よくひとりで、インタビューのシミュレーションをやっていた。

「梅原さんは、どんな思いでゲームをしているんですか?」

「(待ってました!) 僕は・・・」


★★★


前にこんなツイートをしたことがあります。

「誰かに憧れてるようではお話しにならない。スゴイ人にあったら悔しいと思わないとダメ。そうじゃないと超えられない」


私はこの「悔しがる」という気持ちが大好きです。すごく大事だとも思ってる。

なぜならこの気持ちこそが、飛躍へのエネルギーになるからです。

私のところにビジネスプランを見せに来たり、イベントの企画を持ってくる学生や若手社会人がいます。

彼らにたいして、私はけっこう厳しく対応してます。たとえばこんな感じ↓

学生 「こういうことやりたいんですけど」

ちきりん 「それって、やったらできると思う?」

学生 「はい思います」

ちきりん 「ふーん。やったらできるとわかってることを何故やりたいの? やればできることに人生の貴重な時間を使うのって無駄じゃない? 誰かに褒められたいから、できるとわかってることをやるの?」


みんな、とても悔しそうな表情をします。


私は彼らを、悔しがらせたいんです。

「くそー!!!」って思わせたい。

それが、ひとつ上のステージに上がるための原動力になるから。


テレビの中で自分と同じことを言って賞賛されている人がいるとき、

「いいなあ、あの人」って憧れたらダメなんです。

「なんでこんなに違うんだよ!」って、悔しがらないと。


上に引用した箇所が好きな理由も同じです。すごく悔しい思いが伝わってきたから心に刺さった。


子供も大人も、たくさん悔しい思いをしたらいいと思います。

自分自身が感じる悔しい思いを大事にするべき。

噛みしめて、味わって、自覚するんです。

「自分は今、すごく悔しい」って。


そして考えるんです。

「何がこんなに悔しいんだろう?」って。

そしたら、

何をやるべきかが見えてきます。


子供たちにも強烈に悔しい思いをさせてあげましょう。

その気持ちが無いと、けっして山が越えられないから。


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そんじゃーね。


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2013-04-25 つながる世界のその先へ

一か月前にプロ格闘ゲーマーの梅原大吾さんと対談し、関連エントリを書き始めました。

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意外な組み合わせだったとは思いますが、概ね好意的に受け止められたみたい。


梅原さんネタだけを書き続けていることに関しても、


一部の方には心配されたりもしましたが・・


シリーズ自体はかなり好評!


途中やや息切れしたのがバレてる?


★★★


看板効果で、新たな論点をいただいたり、


最近話題の、将棋の電脳戦についても書いてほしいと言われ、


なんと、電脳戦でプロ棋士(四段)に勝利した将棋ソフト開発者の方からも!


緊張しつつお返事してみたら↓


とんとん拍子にお話が・・


ツイッターすごいー、話が早いー


★★★


一方、「ゲームと教育と研究とイノベーション」というエントリには、大学の先生からコメントを。


ゲーミフィケーションの勉強会を主催された千葉大学の藤川先生


シリアスゲームの研究者である藤本先生からも!


慶應義塾大学の中村伊知哉先生からは下記が。


★★★

もうひとつおもしろかったのが、運と才能の話。

梅原さんは、「自分がここまでこれたのは努力の賜物。年をとって勝てなくなったら、それは今まで自分は努力じゃなく才能で勝ってたということだから、ちょっと残念」とまで言われ、彼の周囲の方も「ウメハラは努力でここまできた」とおっしゃってます。

でも、遠くからみればどうしても「才能でしょ」、「彼はもともと特別」などと言いたくなる。


で、ツイッターで聞いてみた。

そしたら環境や遺伝子、運によって今持っているものを得たという人が大半で、「努力で大半を手に入れた」と言う人はすごく少なかった。


その後、これに「なるほど」と思った。


ちきりんの返事


イチローもよく自分は努力でここまで来たと言っている。でも多くの人が「とはいえ、才能でしょ」と考える。

あたしは今回、気が付いた。「努力でここまできた」と言ってる人は、才能の有無はともかく、普通の人の常識を超える努力をしてきてる。

だからそういう人に「才能でしょ」とか、「努力できるのも才能のうち」なんて言うのは、とても失礼。それって、彼らの尋常じゃないレベルの努力に対するリスペクトが足りてないってことなんだなと思い至りました。


★★★


14歳は大人ですのエントリで、ちきりんはいろんな分野のスペシャルな人の例を挙げました。彼らも外から見れば「才能があるんでしょ」って思われてる。

でも、そうじゃない。才能だけだと最初はちょっと目立ってても、彼らみたいにはなれない。「小さい頃は神童と呼ばれてた」で終わってしまう子は世界中にたくさんいる。

彼らのうち、尋常じゃない努力をした人だけが、ああいう結果を出せているんです。違いはやっぱり努力の量と質にある。そこを忘れちゃいけないんだよね。


そういえば、当然に世界を目指すのであろうテフ君(17歳かな?)も、このエントリを読んでくれたみたい。


あと、こんな17歳もいますよというのも教えてもらった。

正直、この子(とか呼ぶこと自体失礼)、この人のインタビューの受け答え、17歳とはとても思えない・・


ちきりんが書いたエントリでは、アスリートや勝負師、音楽家だけだったけど、もはや商品開発やビジネス企画の分野でも年齢なんて関係なくなってきてる。


★★★


あと、「ゲームが社会を救う!」的な論調も、あちこちに。


この話は当時も話題になったのを覚えてる。最近はTedにも「みんながもっとゲームをしたら社会がよくなる!」っていうスピーチがある。 


最後に、ツイッターで教えてもらったこのブログエントリは非常に示唆的。


いわく、自分が最近思う、頭のいい人とは、

・ゲームやパズルに熱中していて

・勝負師(ギャンブラーやチャレンジャー)だという内容。


これ、ほんとにそうかも。



上記のイギリス人高校生を見ても、「いい大学に行くなんて、なんの意味があるの?」みたいになってきてる。それより自分の好きなことに思い切り熱中して、ここぞと思ったら大胆に勝負する、そういう姿勢が成功に不可欠。

いい大学からいい会社に入ろうとする保守的な人、すなわち、23歳から守りに入ろうとするような人が、10代から「自分で勝負する」生き方をしてきた人に、勝てると思う?


子どもを塾に通わせてせっせと「いい大学」コースを狙わせてる人は、マジで時代がどう変わろうとしているか、よーーーーーーーーく考えたほうがいい。

自分の子供にそんな保守的な姿勢を教え込んでしまったら、わざわざ“まったく時代についていけない人間”をつくろうとしてるようなもんです。



そんじゃーね

2013-04-23 ゲームと教育と研究とイノベーション

まずはこれ → EVOとニューヨーク大学が格闘ゲーム奨学金制度を創設


EVO は Evolution Championship Series っていうファイティングゲームの大会で、もとは1996年から、正式には2002年からラスベガスで行われてて、よくわかんないけど、すごい大会です。→ 英語のwikipedia about EVO

梅原さんも何回か優勝してますが、wikipediaにある入賞者リストを見ると、アメリカ人と日本人が大半。そこにちょこちょこ韓国人がいて、一昔前の全米自動車・車種別売上ランキングみたいな表になってます。 (意味不明な説明ですみません・・)

一言でいえばEVOは「格闘ゲームの世界で最もメジャーな大会」で、参加者も千人単位、集めてるお金の額も半端ないです。

で、その大会(主催者)が、格ゲーコミュニティーに属する人向けに、NYUのゲーム大学院で学ぶための奨学金制度を創設するとのこと。


以下、記事から抜粋すると・・

現代ゲームデザイン文化において最も画期的で革新的な側面の1つは、ハイレベルな競技的ゲームの存在感です。

このセンスは素晴らしいよね。

ゲーム産業を盛り立てたければ、超ハイレベルな競技が行われ、ファンを魅了し続ける必要がある。最先端が超クールじゃなくちゃ、人もお金も集まらない。

スポーツ興行含め、エンタメ産業はみな同じ。感動できないエンタメが産業として盛り上がるわけがない。だからEVOのような大会の存在意義はめちゃめちゃ大きい。

こう書くと当たり前にも思えますが、日本だとすぐ「ゲーム産業の振興? じゃあ、ゲーム資料館を建てましょう」みたいな話になるんだよ・・


別の記述

格闘ゲームはチェスにおける戦略性の深さと物理的なスポーツの技術習熟が組み合わさっています。

私は今まで、こんなふうに考えたことがありませんでした。チェスや将棋なら戦略性が大事とわかるけど、格闘ゲームに深い戦略性が必要だと思ってる人はまだ少数なのでは?

後段に関しては、先日 NYUの対談で梅原さんが「格闘ゲームは、距離が関係するのがおもしろい」って言ってました。シューティングゲームだと弾はどこまでも飛んでいくけど、格闘ゲームは距離を間違うと技が届かない。距離の概念があるのがおもしろいって。確かにそういうところ、スポーツ技術的なのかもしれません。


そして、格闘ゲームコミュニティの民族的・経済的多様性を考慮すると、EVO Scholarship制度は、ゲームデザインの世界に求められる新たな視座をもたらしうる、今のところ過小評価された意見をゲーム産業に組み上げる道程を提供する機会となるでしょう。

これはどういうこと?

NYUになんてまず留学できないような国や経済層の中の人から、次世代の格闘ゲームのイノベーションを起こす人がでてくるかもしれない。だから、その可能性のある人に奨学金を出してNYUで学んでもらおう、ってことかな?

金を出してでも、世界から才能を集めよう! というのが、いかにもアメリカ的よね。


さらに、

「ゲームは子供の遊び」なる意見はいずれ世界的に少数派になる、いやもうすでになっているのかもしれません。とくに格ゲーはやりこめば一種の学問になることはゲーマーなら誰でも知るところ。

後半の一文びっくり。「格ゲーはやりこめば一種の学問になることは、ゲーマーの常識」だったの??

そうだったのか。

マジで驚いた。

とりあえず私は、格ゲーについて全く理解できてないんだなってことだけはわかった・・


★★★


もうひとつ。先日、(以前、ちきりんも講演したことのある) NPO法人企業教育研究会の勉強会がゲーミフィケーションを取り上げてました。

講演されたのは、藤本徹 特任助教(東京大学大学院情報学環)で、下記のつぶやきは主催者側の藤川大祐教授(千葉大学教育学部)のものです。(開催要項 



だよね。車の免許を取る時に教習所で使ったマシンなんて、そのままドライビングゲームだったし、うちの母は50歳を超えてから、シューティングゲーム諷タイピング練習ソフトでタッチタイピングをマスターした。

ちきりんが前に勤めてた会社のマネージャー研修でもロールプレイングゲームが使われてました。徹夜して働くと病気になったり、家庭より仕事を優先すると配偶者が怒りはじめるとか、よくできてるゲームだった。


まじなの? 変わり身早いなー。まさか著者まで同一人物だったりはしないでしょうね?


特に教育、高齢社会、メンタルヘルス分野の3つで大きな効果が期待できると思う。どれも、これからの日本では本格的な問題解決が求められる分野なので期待大。


ゲームがあれだけ人を引き付けるのは、動機付けシステムとして超よくできてるからなんです。そういう仕組みって研究こそすべきであって、忌避してどうするよと思う。

人をどう動機づけ、いかにミッション達成に夢中にさせるかは組織運営論の中心的な課題なんだから、そのヒントをゲームに求めればいい。アイスブレーキングゲームなんて、実際すごい有効じゃん。


またしても海外先行。これだけゲーム大国の日本なのに本格的にゲームを研究する人が少ないのね。研究予算が付かないってこと? それとも興味をもつ学者の卵が少ないの?


そうそう、めちゃ向いてる。てか、学校にしろ社会制度にしろ、もう大半のことはマンガとゲームで教えたほうがいいと、ちきりんは思ってる。そのほうが圧倒的に伝わりやすい。


ゲームの短所が、「勝つことが学習より優先されること」ですって? 

だったら、この本を副読本にすればいいですよー。勝つことだけを優先してたら勝てなくなる、って、骨身に沁みて理解できます。

勝ち続ける意志力 (小学館101新書)

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成績評価に経験値とレベル評価使うの、おもしろそう!

これなら親も「あんたまだレベル12なの? 隣の太郎君はもうレベル25だって言ってたわよ! 困ったわねえ。。。ちょっとママに貸しなさい。あなたがお風呂入ってる間に、ママがレベル上げしといてあげる!」みたいな感じに・・


いいなあ。ボスを倒して学期末試験終了!


日本の大学でもやってるのね。期待したい。


そういえば最近は音声認識も可能だから、アイテム名が英単語になってて、エル(L)とアール(R)なんかも含め、アイテム名を正確に発音しないと、そのアイテムがゲットできない仕組みにしたらどう? 発音の攻略本が出て、日本の子どもの英語発音がいきなり向上しそう。


★★★


これらの話を聞いて思ったのは、やっぱりイノベーションを興すためには研究活動とそれへの投資が必須なんだなってことです。

日本はクールジャパンにしても、「今あるものを売って外貨を稼ごう」みたいな発想だけど、そうじゃなくて「ゲームに関する次のイノベーションがどこで、どのようにして起こるのか」が、実は一番キモなんだよね。

だからEVOは「格闘ゲームにおいて、次世代のイノベーションを興せる人が研究に参加できるよう奨学金を出す」わけ。海外でのゲーミフィケーションに関する査読付き論文の急増も、次のイノベーションを目指して多くの研究が進行してることを示してる。


研究開発や投資が重要であることは、日本でも「技術」についてはみんな理解してる。でも、「文化」や「人間」や「社会」に関しても、それがクリティカルに重要なのだってことは、一般にはそこまで理解されてない。

ましてや「ゲーム」や「アニメ・漫画」や、「お笑い」に関しても、さらなるイノベーションが必要で、そのためには研究と投資が要るんだとは、ほとんど意識されてない気がします。


クールジャパンを支援する方法として、政府がリュックに商品詰めて売りに行くというのは、まさに発展途上国方式でしょ。中国の政治家がアフリカでやってることと全く同じ。

韓国も政府広報やマーケティング支援でドラマや音楽を世界に売りまくった。日本だって、一昔前はジェトロがそれを担当し、首相はトランジスタ商人と笑われてた。

そういうのが国による産業支援の一つの在り方だということは否定しないけど、少なくとも先進国にとっては、それが唯一の方法でもないし、ベストな方法でもありません。

高度成長期に成功したことを、いつまでもいつまでもやり続けたい人がホントに多い。



アニメやゲームやお笑いの産業規模を今の何倍も大きくし(=今の何倍もの人が、それらの産業の中で食べられるようになり)、

東京や大阪に世界からその分野の一流の人材と才能が集まり(=必要なら奨学金を出してでも世界から集め、)世界最高の大会やフェアがトーキョーやカンサイで開催され、

大学と教育界、自治体や産業界の連携の中で、ゲームやアニメやお笑いに関する最先端の研究と、それらを社会問題解決ツールとして活用するための実証実験が行われてる。

その結果、それらの分野における次のイノベーションが日本で起こり、世界の人を興奮させる!


そういう世界はありえないのかな?


技術分野にイノベーションが大事であるように、

ゲームにもアニメにもお笑いにもイノベーションが重要だし、

そのためには一定の質と量の研究活動と、それを可能にする投資が必要ですよと。


そんな難しい話じゃないと思うけど?


そんじゃーね。

2013-04-21  「人生の時間配分」 = 「どう生きるか」

先日“「ゲームは一日15分」の時代背景”というエントリを書いたら、「我が家はこんなルールでした」というツイートをたくさんいただきました。(Thanks!)


子どもの教育や育て方に関しては各家庭に様々なルールがあり、どれかのみが正しいということはありえません。

ゲーム機も買い与えず、一切ゲームをさせないという方針で育てたら、子どもが勉強にも運動にも積極的に取り組み、期待通り文武両道の優等生になることもあるだろうし、

そういうものに一切触れずに育ったがために、将来、巨大な成長産業となるゲーム関連分野に興味もセンスも持てない、みたいなことも起こりえるでしょう。

何が良くて何が悪いかなど結果論に過ぎず、親は子供のために良かれと思ってそうしているのだから、

子どもから見て(それがたとえ結果的に、イマイチな教育方針だったとしても)、それで親を怨むようなことはありません。

子どもに必要なのは正しい教育方針ではなく、親の愛情だからです。


ただ学校に関して言えば、できる限り「思考停止にならないよう」教育したほうがいいかなとは思います。

たとえば、「なぜ本は学校に持ってきてもいいのに、マンガを持ってきてはいけないの?」とか、

「なぜ読書は一日 3時間でもよくて、ゲームは 1時間しかだめなの?」という問いは、

論理的に物事を考える訓練をするための非常に良いトピックです。

なのに、「それは我が校のルールなのだ」(から、そんなことを説明する必要も、議論する必要もない!)と、思考停止するよう求めたり、

「ゲームのやりすぎはよくないからだ」などという、なんのデータも理屈もない結論を押し付けるのは、

教育機関が子供たちに対して「組織や年上の人の言う事には、何も考えずに思考を止めて従え」と教えてるようなもので、それってさすがにマズイでしょ。


★★★


前回のエントリで、ゲームは一日 15分というルールだと、ドラクエが一生クリアできないと書きました。

「じゃあ、一回セーブしたら終わりというルールにしたらどう?」と聞いたら、「雑魚敵相手に延々とレベル上げするだけならまず死なない。

宿屋と往復してたら、一度もセーブしなくても何時間でもプレイできるから、それじゃあ子供は何時間でもやってる」と言われ、

「じゃあ、一日 1時間というルールならいいの?」と聞けば、「ラストダンジョンは 1時間じゃ終わらない」と言われる。


ではどういうルールが適切なの?

ってことを、親子なり先生と生徒なりで話し合って考えればいーじゃん。


そんな中から、一日 30分ルールなんだけど持越可能で、3日我慢すれば1時間半やってもいいとか、(外で遊べない)雨の日はちょっと長くやってもいいというルールはどうだとか、いろんな案が出てくるし、そもそも何がよくないんだっけ? という議論だってできるはず。

こういうルールを、子どもに自分で考えさせることの方が、「一日一時間」とかのルールを上から決めるより、よっぽどいい教育になるのでは?

社会は「組織や上司が決めたことに素直に従う人」ではなく、「自分で判断できる人」を求めてるのに、なんでそういうふうに教育しないのかなという話。


★★★


ちょっと長くなるけど、先日の呟き



ちょっとあちこち行っちゃってるツイートですが、言いたいことは、「自分の時間をどう使うか、それについて自分の基準をしっかり持つって大事だよね」という話。

人生の時間を「成長につながること」、「社会に価値の出せること」、「人に評価されること」に使わないといけない、みたいな強迫観念は、ちきりんにはありません。

ひたすら自分が好きで、楽しいことをやっていたい。


人間にとって最も限られてるリソースは「人生の時間」なんです。

「お金がないと何もできない」的なことをいう人も多いけど、実際には何より限られているのは時間であってお金じゃない。

お金は工夫で増やせるけど、時間は無理。お金は貯めておいて一気に使うこともできるし、貸し借りも可能。

でも時間だけは刻々とリアルタイムで消費されていく。20代は 10年しかないし、30代も 10年しかない。

どう生きるかを決めるというのは、「自分の人生の時間を、何にどれだけ配分するか決める」ということなんです。

なのにそれをいつまでも他者(親や所属組織)に決めてもらってるようじゃ、どーしようもない。


小学校から高校までは決められた一定の時間、学校の教室に座ってないといけない。でも大学に入れば、時間の使い方はほぼ自由になる。

だから初めて「人生の時間配分の全権を持った」大半の人が、自分の時間を何に使うべきか、わからなくなってしまう。(私も最初の半年くらい、生活がめちゃくちゃになってました)

でも、それを通して「あたしは自分の人生の時間を、どう使いたい?」ってのが理解できる。

シムシティや韓国ドラマにはまるのも同じ。なにかに時間を取られると「私は自分の人生の時間を、何にどう使いたいんだっけ?」って自問することになる。

それを通して、自分なりの「人生の時間配分の方針」が決まってくる。


多くの人は、就職して会社に入ると再び「人生の時間配分権」を自ら組織に献上し、手放してしまう。

そして 20年。40代半ばになって、ふと気が付く。「これってホントにオレの人生?」、「あたしってこういうふうに生きたかったんだっけ?」


子供たちは大人から「○○は一日○時間」と言われる生活から、どこかで「俺は人生の時間のこれだけを○○に使う」と、自分で決める人にならなくちゃいけない。

もちろん中には「自分の人生の時間を何にどれだけ使うのか、自由度が少ないほど気楽だ」みたいな人もいるんだけど。


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そんじゃーね


<ちきりんパーソナルブログからのセレクション>

タンザニア サファリの写真集

とても素敵な写真です。ぜひお楽しみください。


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2013-04-19 「ゲームは一日15分」の時代背景

小学生だった梅原大吾さんが友達の家でゲームをやって遊んでいた頃、「ゲームは一日一時間」というルールのある家が多く、時には「一日15分」と言われることもあったとか。

ちなみにプレイしていたのは、当時の大ヒット RPG、ドラゴンクエスト

ソレ、ちょっとおもしろいなと思いました。

ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち - 3DS

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たとえば私は小学生の頃、本を読むのが大好きだったけど、「読書は一日一時間」なんてルールはうちにもないし、友達からも聞いたことがない。ましてや「読書は一日15分」とか、そんな家があったとは思えない。

ゲームの場合は、放っておくと子どもがいつまでもやってるから?

でも、あたしだって放っておくと一日中、本を読んでた。時にはごはん食べるのも面倒なくらい本に熱中してて、何度も呼ばれないと食卓につかず怒られた記憶がある。それでも、一日の読書時間に上限を決められたりはしない。


想像してみてください。

自分の子供が学校から戻った後、毎日 4時間くらい本を読んでる。

→ 一日の読書時間の上限を決めたほうがいいかな?って思いますか?

想像してみてください。

自分の子供が学校から戻った後、毎日 4時間くらいゲームしてる。

→ 一日のゲーム時間の上限を決めたほうがいいかな?って思いますか?

答えが違うとしたら、その理由は何?


マンガやテレビアニメはどうだっただろ?

マンガに関しては、毎日 5時間読むには物理的に 5時間もつ分量のマンガを日々手に入れる必要があるから、時間制限が必要なほどは毎日読み続けられない。

テレビアニメも、昔はリビングにしかテレビがなかったので、アニメの時間が終わると、親にチャンネルをとられちゃう。だから視聴上限のルールは不要だった。(ただ、多くはないけど「テレビは一日○時間」というルールがある家は存在してた気もする)


それと私は、「そんな暗いとこで本読んでたら、目が悪くなるわよ!」とか

寝転んで本を読んでる時に、「そんな恰好で本読んでたら、目が悪くなるわよ!」と言われたことはあるけど、

「そんなに本ばっかり読んでたら、目が悪くなるわよ!」と言われた記憶もないです。


否定されるのは「読む環境や姿勢が悪いこと」であって、決して「読むこと」じゃなかった。でもゲームなら、「そんなゲームばっかりしてたら、目が悪くなるわよ!」って言われるでしょ。

微妙な差だけど大きく違う。こう言われて育つと、無意識のうちに「読書は長くやっててもいいこと」で、「ゲームは余り長くやってはいけないもの」と刷り込まれる。


ファミリーコンピュータ 本体

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それにしても「ゲームは一日15分」って、ちょっと極端じゃないですかね。 

対談の時、梅原さんは「そんなルールじゃ一生クリアできない」って笑ってました。

当時のドラクエはセーブポイントが少なく、ダンジョンクリアしないとセーブできないので、一日15分とか30分のルールだと、永久にゲームを終えられない。

そりゃそうだ。


少なくとも、この「一日15分ルール」を決めた大人は、ドラクエの仕組みを知らない、よね? 自分はそれをやってない可能性が高そうでしょ。

なのに、「一日15分以上やったら、子どもに悪影響があるものだ」と判断してる。それって、何からそう判断するんだろ?


てか、15分以上やったらダメだと言われるものって、相当に悪玉扱いされてるよねと思って調べてみた。

そしたら、こんなサイトが見つかった → 文部科学省のページ


これ読んであたしは初めて、その時代背景を理解しました。ゲーム害悪論は任天堂がファミコンを発売した1983年から5年ごとに大ブームになってるんです。

・昭和58年=1983年  (ファミコン発売)

・昭和60年=1985年  (ドラクエ発売)


・昭和63年=1988年  ゲーム悪影響論のピーク  (梅原少年 7歳)

・平成5年=1993年   ゲーム悪影響論の再ピーク  (同 12歳)

・平成9−10年=1997−1998年  三回目の悪影響論ブーム勃発  (同 17歳)


そもそも文部科学省が税金使ってこんな調査してるくらいなので、相当の社会問題になってたんでしょう。そしてこの時期はゲーム自体が大ブームとなり、梅原さんがそれに集中していった時期とも完全に一致しています。

完全アゲンストの風の中でゲームにのめり込んでいくって、ほんと大変だったんだろうな。しかもこのページがまたすごい内容で、「ここまで言われたら、そりゃあ子供への悪影響が心配になるかもね」って感じです。


前に紹介した下記の本に、「人は急速に流行るモノにたいして、内容の如何に関わらず恐怖を感じ、警戒する。そして、なんらか悪いものに違いないと思い込む」って書いてあったんだけど、まさにそういう感じ。


一般に人は、自分がよく知らないモノにはいい印象をもちにくいんです。インターネットだって最初はかなり警戒されてた。ケータイも悪者扱いされたよね。

最近は、自分自身ゲームやマンガが好きだった人が親の世代になり始め、認識も大きく変わってきてる。けど、当時の大人は初めてゲームを見た人が大半。

自分の知らないモノが空前の大ブームになり、子どもたちが目の色を変えて没頭してる。これはなんかヤバいに違いない!!! って感じだったんだね、きっと。


というわけで、今やゲーミフィケーションという言葉が生まれたり、アニメやゲームも含めて日本のポップカルチャーを盛り上げようなどと役所が旗を振る時代なのに、ちょっと前まではすごい勢いで悪玉扱いされていて、やったことなくても「一日15分まで!」とか言いたくなるような代物だったんだなと、ようやく理解した次第です。


そんな時代を乗り越えてプロになったのね。

大変すぎ・・



てか、文部科学省のレポートどう??

これが国が税金かけて作るべき報告書なのかな??

視力への影響とか、確かにあるかもしれないけど、ゲームが登場する前の時代だって、読書で目が悪くなってた人はたくさんいたと思うけどね。そっちは調べたのか? とか聞きたくなるよ。


そんじゃーね

2013-04-17 情報は看板に集まるでござる

かれこれ 2週間ほど梅原大吾さん関連のエントリを書いてるんですが、その間いろんな人から情報をいただきました。

たとえば「Ted にゲームに関するスピーチがありますよ!」とか、

「梅原さんは過去にこんなこと言ってました。ブログの話と矛盾しませんか?」

「ウメ昇龍というのがあるんですよ、知ってます?」などなど。

他にも「僕もゲーセンでいろいろ学びました!」とか。

コレも笑えましたね。ありがちすぎ → 日本最大の格ゲー大会 “闘劇2012”がスゴイことに! 

極めつけは「ちきりんさんのブログ読んで、NYUで行われた梅原さんの講演に行ってきました。200人ほどの会場は立ち見がでる大人気。対談後も梅原さんとのツーショット写真を求めるファンが列をなしてて、そのヒーロー性にびっくりしました」というレポートメールまで。

情報を送ってくださった皆様には心から感謝しています。


★★★


さて、こういうのをビジネスの世界では、「看板効果」と言います。

看板効果とは、「新しいビジネスを始めるとき、十分な知識や実績がない段階でも、まずは看板を掲げるべし。そしたら情報が集まり、これから何をすべきかわかる」というものです。

たとえば商社が、まだ十分な実績がない段階であっても、「ミャンマー工業団地・進出支援 推進室」という看板を掲げたとします。

(看板を掲げるとは、新部署を作る、ニュースリリースをする、ということです。警察が対策本部を立ち上げるときや、政府が戦略本部を作るときに、よく看板掲げてるでしょ。あれです)

で、看板を掲げると、いろんな人がやってきます。たとえば、


・「実はミャンマーに進出したいと思っていろいろ調べてるところなんですが、法律が未整備な点が一番不安なんですよね。御社はこの辺、どうなると思います?」などと問い合わせてくる企業や、

・「ミャンマーに新たな円借款(ODA)を行う予定があるんですが、道路や空港、港湾など、どういったニーズがあるのか教えてもらえますか?」と聞いてくる政府 ODA 関係者、

・「僕はミャンマー人で東京の大学に留学しています。書類制作や通訳ができます。なにかお手伝いできることがありますか?」と聞いてくる就職希望者、

・「ミャンマーにご関心をお持ちいただき、ありがとうございます。ぜひ一度ご挨拶を」と連絡してくるミャンマー政府の担当者、

と各方面から連絡が入り始めます。


この会社、最初はたいした実績もなかったのに、看板を見て集まってきた人たちと話をしているだけで、どんどん情報が集まり、ネットワークが拡がります。

大事なことは、最初に看板を掲げることです。

同じ事業に進出しようと準備を進めていた 2社があり、うち 1社だけが看板を掲げ、他社は「もう少し体制が整ってから看板をあげよう」と考えたとします。


最初の段階では、2社の実績や持っている情報、技術、ネットワークなどに差がなくても、半年後から一年後、最初に看板を掲げた会社は、もう一社より圧倒的に多くの情報とネットワークとノウハウを持つに至ります。

その理由は「先に看板を掲げたから」に他なりません。


昔は「看板を上げる」方法は限られていて、日経新聞に『○○社が○○新規事業を始める』という記事を書いてもらうくらいしか、方法がありませんでした。

これだと、日頃から経済紙や雑誌記者とつきあいのある大企業じゃないと、看板が揚げられません。


でも今は、個人でもスタートアップ企業でも簡単に看板が揚げられます。特に個人のキャリア形成関係で看板効果が上がっているケースをよく見ます。

中学生くらいでも「将来プログラマーになる!」とか、「政治家になる!」と宣言して発信を始めると、

「やめとけ」とか「そんな甘い世界じゃない」といった声とともに、

「本当に政治家になりたいなら、こういう勉強をしておけ」とか「こういう覚悟で臨め」など、玉石混交のアドバイスが寄せられるのです。

本当になれるかどうかはさておき、自分の進む道を決めるために必要な材料は、看板を上げることで、すごく集まりやすくなるというわけ。


おもしろいのは、有益な情報は看板に集まるのであって、情報を直接的に求める人のところに集まるわけではない、ということです。

たとえば「プログラマーになるにはどうすればいいでしょうか?」みたいな質問をする人のところではなく、「プログラマーになると決めた!」と看板を掲げた人の方に、より多くの有益な情報が集まるんです。


ブログも同じです。「○○について教えてください」と毎日書いてたって、誰も何も教えてくれません。

でも、「あたしは今月は、ゲームについてだけブログを書く!」と宣言すると、いろんな人が情報提供をしてくれます。

最初に宣言した時にはたいして書く材料も持ってなかったのに、宣言したことで情報が集まり、こうやって延々とエントリを書くことができる。


「情報は看板に集まる」と言われるゆえんです。


「1ヶ月分、ブログに書けるネタを集めてから書き始めよう!」と思ってる人は、情報収集に長い時間がかかってなかなか書き始められないのに、

ネタも無いのに「今月これについて書きます!」と宣言した人にはどんどんネタがあつまる。


世の中には、「内容が足りてないのに看板を出すなんて(不誠実なことは)できない」と考える人もいるし、何かが流行りそうになると、とりあえず最初に看板を掲げることで、ノウハウを全部もっていこうとする人もいます。

当たり前ですが、看板効果は「最初の看板」で非常に大きく、5枚目の看板、10枚目の看板では得られるものはごく僅かとなります。

大事なのは最初に看板を掲げることなんです。

良し悪しはともかく、とりあえず、「情報は看板に集まるのだ」ってことは覚えておきましょう。

てか最近だと、「ネットワークも看板の下に集まる」ため、看板効果の価値はこれまで以上に大きくなっていると感じます。


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そんじゃーね。


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2013-04-15 14歳は大人です

今回、梅原大吾さんと対談して、“ 14歳 オレ様 起源説”を確信しました。

“オレ様”の解釈はどーでもいいのですが、意味としては「業界トップになる子は、14歳の時点ですでに頂点を意識している」ということです。


梅原さんは、14歳の時には「自分は、世界で一番(格闘ゲームが)強い」と思っていたそうです。

新宿や池袋のゲーセンで無敵だった彼は、そこにやってくる海外からのゲーム好きな大人の旅行客にも勝っていたようで、それにより世界の中での自分のレベルを理解したのでしょう。


さてみなさん。自分の 14歳の時を思い出してください。


「何かで自分が世界で一番だと思う」という状態を想像できますか?

質問は、「あなたは 14歳の時、何かで世界で一番でしたか?」ではありません。

また「あなたは 14歳の時、何かで世界一だと思っていましたか?」でもありません。

質問は、「 14歳の時の自分がそんなことを思う、という状態自体を、想像できますか?」です。


私も自分が 14歳だった時のことを思い出しつつ考えてみたんですけど・・・想像もできないのですよね。

14歳で自分が世界トップだと感じる、っていう状況自体が。

どうやったらそんな状況になりえるのか、皆目見当もつきません。


ところが、いろんな分野のトッププレーヤーについて考えてみると、その大半が 14歳では既に「世界一」を視野に入れています。

たとえばイチロー選手やダルビッシュ選手などは、14歳ならほぼ確実にプロ入りを意識してたでしょうし、(今、それくらいのレベルの少年なら)間違いなく「大リーグで活躍する自分」を夢想していることでしょう。

ゴルフの石川遼君や宮里藍ちゃんも高校の時にプロ入りですから、14歳であれば、すでにプロ入りを決めたか、少なくともプロ入りのタイミングを真剣に検討していたはず。

浅田真央ちゃんだって 15歳の時には世界のトップクラスの選手でした。

横綱になるような相撲の力士も中卒で入門が普通だし、オリンピックで入賞する選手も大半がそんな感じ。

北島康介さんは 14歳の時に才能を認められ、高 3でオリンピックに出ています。錦織圭さんも 12歳の時に全国小学生の大会で優勝し、13歳ではアメリカのテニスアカデミーに留学してます。


将棋の森内名人や羽生王位もプロ入りは 16歳と 15歳ですから、14歳には当然、頂点(将来の名人)を意識してたはず。

最近は欧州のコンクールで優勝する日本人音楽家も多いけど、2010年にジュネーブ国際音楽コンクールのピアノ部門で優勝した萩原麻未さんも、13歳でイタリア・パルマ・ドーロ国際音楽コンクールで史上最年少優勝してます。

バイオリンやピアノ、バレエなどのアーティストもだいたい 13歳から 15歳には欧米の名門校に留学が決まったり、国際コンクールで入賞していたり・・・

もちろん美空ひばりも宇多田ヒカルも、15歳の時にはすでに天才少女、稀代の歌姫と呼ばれてました。

草間彌生さんなどアート系の人も、その頃から「周りの子とはぜんぜん違う」感性を発揮してますよね。


これが他の分野にどれくらい一般化できるのかはよくわかりません。

たとえば将来ノーベル賞をとるような研究者は 14歳くらいの頃、どんなだったのか、偉大な起業家は 14歳の頃、どんな子供だったのか。哲学家や思想家、作家はどうなのか、など。

14歳で世界レベルになるのがスポーツ分野だけなら身体能力のピークが 10代というだけの話ですが、将棋からアートまでとなると、数的能力、思考力や感性までかなり幅広い能力の話になります。

もし、ビジネスやエンジニアリングや研究分野でももっと早くから( 10代向けの)エリート養成機関があったら、14歳で頭角を現すビジネスパーソンや技術者がでてきもおかしくないと思いません?

数学オリンピックみたいな単発のイベントではなく、世界トップレベルの教育を 10代そこそこの子に正式に与えられる機関が必要では?


欧米と異なり飛び級制度もない日本では、そういう子に「 18歳で医学部か東大に入ればいい」といった“ものすごく低い(しかも遅い)目標”を与えることで、将来の可能性を殺してしまってる気もする。

最近はそれがちょっと心配な私です。


それにしてもオムツしてた時代も含めて、赤ちゃんからたった 14年で世界トップレベルに達するなんてびっくりですよね。

経済成長とともに人生 50年が 80年となり、一般の人は社会にでる年齢が、15歳→ 18歳→ 22歳→ 24歳とどんどん遅くなってます。

けれどスペシャルな人の才能開花のタイミングは、全く遅くなっていません。彼らは昔も今も、14歳には世界で勝負できる位置に達してる。


というわけで、自分の子供を見た時に、14歳の段階でそういう状況でなければ基本は凡人確定であり、

反対に、なんであれ 14歳の時に突き抜けたレベルだったら、「せめて高校くらいは卒業を」とか、「勉強しなさい」とか、くだらないことを言うべきじゃない。


しかもそういう年齢で業界トップを見据えている子供は、その時点で大勢の大人と“対等かつ真剣に”関わっています。

15歳の真央ちゃんだって、当時 19歳の先輩スケーターからどんな目で見られていたか。決して子ども扱いなんて、されてないでしょう。


14歳が子どもだと思われてるのは、大人と勝負できるモノを持たない大半の子供たちが「子ども扱いされてるから」です。

ごく少ないけれど、その時点で大人と勝負できる何かを持ってる子は、すでに大人として世界を見ています。

そして実はなんの才能も持ってないように見える子の中でも、このあたりで“大人”が始まってる子はたくさんいるんじゃないのかな。

その分野のエリート養成コースが確立されてないがために見えてないだけで・・・。


だから学校とか先生とかの大人は、あんまり子供をバカにしないほうがいい。

14歳の子供達の中には、すでに普通の大人を大きく凌いでいる子が一定数いるんです。

彼らは、あなたよりよほど才能に溢れ、既に成熟してる。それを忘れないほうがいいでしょう。


というわけで今日の結論 → 14歳は大人です!


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そんじゃーね。


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2013-04-13 売って稼ぎたいだけ? 文化で?

4月13日夕方(現地時間)、ニューヨーク大学のゲーム大学院で、梅原大吾さんと、Seth Killianさんの対談が行われます。Seth Killianさんは元格闘ゲーマーで、カプコンで働いてたり、EVO(アメリカの有名ゲーム大会)の主催側でもあった人です。


NYにいたら絶対見に行きたかったなー。そろそろブログネタが枯渇し始めてて、新たなネタを仕入れたいという切実な理由も・・・

二人とも格闘ゲームのプロフェッショナルだけど、話の内容はそれ以外のことにも触れるみたい。まっ、あたしの期待としては、ぜひ Killian氏にはビール片手に対談してほしいもんだよ。(意味わからない方はこちらのエントリを

梅原さんに聞いたところ、「学校から講演・対談に呼ばれるのは今回のNYUが初めて」とのこと。つまり日本の大学・学校からは、まだ講演や対談に呼ばれたことがないらしい。


いかにもの話よね。京セラが創業期、日本の大企業に商品を持ちまわったのにどこも買ってくれなかった。

ところがアメリカに持っていったら「これはスゴイ!」ということで、あちこちの企業が買ってくれた。日本企業はそれをみて、「アメリカで売れてるなら」と、京セラとの取引を始めた。

古典的な話だけど、構造は全く変わってない。梅原大吾を最初に講演に呼ぶ大学は、クールジャパン推進会議だのポップカルチャー分科会だのを税金投入して開催してる日本じゃなく、アメリカの大学だってこと。

NYUは世界でも屈指の名門大学で、ゲーム大学院は2008年に作られてる。ウエブサイトによると、ゲームを重要な文化創造活動と捉え、ゲームに関する研究はもちろん、ゲームデザインやゲーム制作に関する授業や公開講座を提供し、今回もゲーム大会を主催してる。 →  NYUゲーム大学院のサイト


で、クールジャパン推進会議って何やってんの?


★★★


そういえば梅原さんて格闘ゲームでは日本人初のプロゲーマーらしいけど、スポンサーしてる企業もマッドキャッツっていうゲームの周辺機器メーカーなんです。日本で市場シェアが低かったマッドキャッツは、彼をスポンサーすることで、日本での売り上げを拡大した。


これもやや不思議。なんで、彼のスポンサーがアメリカの会社なんだろう?


日本には、ゲームの会社ないの? 

テレビゲームで大成功した会社、ゲーム本体やソフトで大儲けした会社、アーケード運営してる会社とか。

実は同じ種類の周辺機器を作ってる日本の会社もあるんです。でも彼らは、梅原さんがゲームシーンに登場してから15年間、何もアクションせず、結局マッドキャッツに彼を取られてる。(結果として市場シェアや価格決定権も失ってる)


てか、少々分野が違っても、ゲーム業界のイメージがよくなったら、めちゃくちゃ得する会社で、かつ、めちゃくちゃ儲かってるゲーム会社もあるじゃん? ゲームの中で分野が少々違うとか、どーでもよくない?

ゲーム業界全体の地位が向上したら、すべてのゲーム関連企業には大きなメリットがあるでしょうに。


彼がプロになったのは29歳の時で、本人も「今頃かよ。自分は15歳から世界一だったのに。今頃プロになるのかと思った」って言ってました。ホントそうだよね。

それでもアメリカの会社が手を上げなければ、梅原さんでさえ別の仕事に就かないといけなかったかもしれない。もしかしたらまた、介護の仕事に戻ったかもしれない。彼みたいな人を「ゲームでは食べていけない」状態にするって、もったいなくない?


その一方で、霞が関に大御所が集まって、「日本のポップカルチャーをどう世界に広めるか」、話し合う。


なんの冗談?


★★★

この本の中でも彼は、「日本のゲーセンで世界一になった」と言ってるんです。「日本のゲーセンはすごいレベルが高い。あそこですべて学んだ」って。

それなのに、「日本が世界に誇れる文化を生んだ場所」として、「ゲーセン」を理解している人がどれくらいいる?

勝ち続ける意志力 (小学館101新書)

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もし日本企業しかなかったら、今も彼はプロじゃないし、大学にも呼ばれてない。アメリカ企業にスポンサーされ、アメリカの一流大学に招聘されて話すジャパン・ポップカルチャーのシンボリックアイコン、DAIGO, the BEAST, UMEHARA.


★★★

ニューヨーク大学ゲーム大学院の使命は、「ニューヨークを、ゲームという重要分野におけるイノベーションの中心として確立すること」だと書いてある。(It is part of our mission to establish New York City as a center of innovation in this important field.)


日本のクールジャパン推進会議&ポップカルチャー分科会の使命は何なの?

日本のアニメや漫画やゲームを輸出して稼ぐこと?

カルチャー輸出で外貨を稼ぐ韓国を真似したいの?


テレビが売れなくなったから、他に輸出できるものを探したい。日本にはアニメや漫画やゲームなどのすばらしいコンテンツがあるし、芸術的においしいスイーツや料理がある。だからそれをもっと海外に輸出しようよと。この発想はよくわかる。

でもね。日本には、それらのカルチャーに対する根本的な尊敬の念が欠けている。それが重要な文化のひとつであり、研究に値する知的分野であり、っていう社会意識がない。

だから Legend と呼ばれるほどのゲームの達人にも、それを生んだゲーセンという場所にも、一流という概念をかぶせられない。これは漫画やアニメなど、他の分野に関しても全く同じ。


そして、それがために「人気があるから、もっと売って外貨を稼ごう」という発想にはなっても、知的におもしろい分野だから研究しよう、そういう道に進む人をもっと増やして、世界のエクセレンスを集めよう、という発想にならない。

クールジャパン推進会議が考えようとしてるのは「今あるものをどう売るか」だけど、NYUが目指してるのは、「ゲームにおける将来のイノベーションを、ニューヨーク発で起こしたい!」ってことなんだよ。


本当に韓国だけが目指すべきモデルなの?


日本って文化を創り出す国なんじゃないの?

テレビやアニメを売って外貨を稼ぐ国なの?


ほんと、

自分のアタマで考えよう

自分のアタマで考えよう

 →「思考と分析、その微妙かつ決定的な違い


そんじゃーね



追記: http://wired.jp/2015/06/08/video-game-hall-of-fame/

2013-04-11 裾野 & てっぺん

対談後の雑談時、梅原さんが、「最近のゲームは、ちょっと強いキャラとか技があると、すぐに調整が入る。もっとチャレンジさせてほしいのに」と言われていて、「にゃるほど」って思いました。

勝ち続ける意志力 (小学館101新書)

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新しいゲームがリリースされて大勢の人が一斉に遊び始めると、すぐに「ものすごい強いキャラ」とか、「ちょっと効果が大きすぎるでしょ、この技」みたいなのが見つかるわけです。

それを放置しておくと、みんなそのキャラばっかり使い始めたり、その技ばっかり使って勝とうとするので、ゲーム自体がおもしろくなくなってしまいます。

だからゲーム開発会社はすぐにバージョンアップを行い、特定の技の効果を減じるなど、戦闘力をバランスさせるための調整を行います。

★★★

ゲームの開発側から見れば、「異常に効果の大きな技」が見つかってしまうのは、ある意味“バグ”なわけです。そんなのがあると、ゲームの面白さが半減してしまう。だから調整する。

でも、そこには“ウメハラ”みたいなプレーヤーもいます。彼は、たとえバグと呼べるほど強いキャラや技があれば、なんとかしてそれを攻略しようと考えます。


普通の人はその技を使ってラクに勝とうとするけど、彼は反対に「一年かけてでも攻略してやるっ!」ってことの方に熱中するわけですね。というか、そっちのほうがラクに勝つよりおもしろい、と思ってる。

なのに、それを攻略しようと必死で取り組んでいる間に、いきなり“バグ修正”が行われて、「次のバージョンから、その技の効果は半分になります」と言われてしまう。

ラクに勝てる技を失った一般プレーヤーも「ちぇっ!」っと思うのでしょうが、それをなんとか攻略しようと燃えていたウメハラ系プレーヤーも「ぶー」なわけ。

★★★

この話を聞いて、「裾野の大きさと、てっぺんの高さって、両方必要なんだな」と思いました。

スポーツとか勝負事というのは、才能の取り合いをやってます。たとえば30年前なら、運動神経のいい男子の大半はプロ野球選手に憧れました。でも、10年前くらいから、その半分はサッカー選手に憧れるようになりました。

野球のほうが圧倒的に裾野の広いスポーツだったのに、その半分が(半分以上?)が、サッカーに持っていかれつつあります。

この「裾野の大きさ」は非常に重要で、これが大きくないと新しい担い手が出てこないし、全体のレベルも上がらない。産業としても儲かりません。

同じことはゲームでも起こっていて、昔は誰でも楽しめたファミコンゲームが、だんだんマニア向けに細かくチューニングされ始め、どこかの段階から、初心者には楽しめないような高度で複雑なゲームになってしまう、ということがあります。

こうなると、裾野のプレーヤーが少なくなり、新規に入ってくる人がいなくなって、どこかの段階でブームは終焉を迎えます。マニア的プレーヤーは次第に高齢化するし、開発会社側もプレーヤー人数が少ないと儲からない。

この「裾野が広くないとダメ!」っていう話は、よく知られており、ちきりんも理解してました。

それに加えて私が今回、理解したのは、「同時に、てっぺんの高さもすごい大事なんだな」ってことです。


世の中には「てっぺんが十分に高くないとやる気になれない」という人たちがいるんです。たとえば、登山家。

もし地球上に2000メートル級の山しかなく、雪も降らず、誰でも簡単に登れる山ばっかりだったら、今の一流登山家らの大半は、登山家になっていなかったのではないでしょうか。

彼らは別の、もっと難しい冒険にチャレンジした可能性が高いのです。海をヨットで渡るとか、気球で地球を一周するとかね。


こういう人たちは、「山が好き」ということに加え、「あり得ないほど困難な目標を成し遂げるのが大好き」なんです。

「やればできるとわかっていることをやるなんて、超つまらん!」、「そんなことに時間を使うのは人生の無駄」とさえ考えてるかも。


スポーツでも同じです。サッカーは誰でもできて裾野がすごい広いのに、その一方でワールドカップ優勝という、ものすごい高いてっぺんがある。だから、世界中の才能ある人たちがこぞってサッカーを選ぶんでしょう。

「金メダル獲得!」というてっぺんがあるから選ばれるオリンピック種目も同じ。そういう「世界の頂点がないスポーツ」は、卓越した身体能力と尋常じゃないレベルのチャレンジマインドを持つアスリート予備軍の子供に選んでもらえない。

つまり、「裾野が広いこと」と「てっぺんが十分に高いこと」は、スポーツにしろゲームにしろ、他の勝負事、芸事に関しても、とても重要なことなのです。

新装版 青春を山に賭けて (文春文庫)

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他にも、研究者になる人たちも、宇宙であり、脳であり、人間の死や老化であり、という「解明や克服がめちゃくちゃ難しい」ことがあるからこそ、研究者になるんでしょう。

哲学とか数学も同じで、「いくらでも高みを目指せる」という領域があるからこそ、“スゴイ人”がその分野を専攻する。

反対にちきりん的一般ピーポーは、いつだってもっと実務的な分野、すなわち「頑張ればなんとかなるとわかっている分野」を選択しています。


★★★

さて、冒頭の梅原さんの話。

ゲーム開発会社も、「裾野の大きさの重要性」は痛いほどわかっているはず。マニアしか楽しめないものにしてしまったら、彼らには死活問題です。

でもその一方で、「ものすごい高い山を求めている人」を惹きつけられないと、そういう人たちは別のゲームや別の勝負事に流れてしまうかもしれません。


ゲーセンにいる今10歳の少年の中に、次のウメハラがいるかもしれない。彼らに「十分に挑戦しがいがある。おもしれー」と思わせられないと、異常な頑張りをする子を、そのゲームにとどめることができなくなる。

もちろん大半の人たちは、大きな大会で勝つことを「てっぺん」と考えるので、そういった大会が盛り上がっている限り、飽きずにプレイするのかもしれない。

でも、本当に惹きつけたいのは、「大会に優勝できればそれでハッピー」な人よりも、バグにさえ正面からチャレンジして勝ちにいく“ウメハラ系プレーヤー”だったりするんじゃないかな、と思ったりもします。


たぶん会社でも一緒なんでしょう。普通の人が「この会社で働きたい」と思う、わかりやすい好条件も大事だけど、やっぱりそれだけじゃ足りない。

ものすごい難しいものに挑戦したいと思っている特殊な人にも、心からワクワクできる仕事の領域が用意できないと本当にいい人は入ってこないんです。


安定した大企業に、尖がった人が入社しなくなる現象があります。「東大生が応募に列を作るようになったら終わりの始まり」と言われる所以です。

裾野は広いけど、てっぺんはたいして高くないという企業は、秀才には選ばれるけど、卓越した才能を引き付けることはできない。そうなると、長期的な帰趨は見えてしまうよね、と。


裾野を広げつつも、そびえ立つ“てっぺん”を維持する。

長期的に成功する分野にはこの二つが必要なんだけど、その両立がけっこう難しいっぽい、というお話でした。


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そんじゃーね


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2013-04-09 安易な道を選ばない それだけで食べていけます

プロゲーマー梅原さんの名言が溢れるこの本から・・

勝ち続ける意志力 (小学館101新書)
梅原 大吾
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以下は引用

安易な道、裏技は使わない

ここまでインターネットが普及すると、誰でも知っていることが多くなる。


例えば、このやり方が相当強い。それを知らない人にはだいたい勝てるといった戦い方もかなりの量流布している。最強ではないが楽に勝てる方法はたくさんある。


しかし、そんな方法を使っては僕が戦う意味がない。だから、誰にでもできる戦法は選ばないし、それによる不利を苦とも思わない。遠回りすることでしか手に入れることのできない強さがあると信じているからだ。

確かにゲームって必ず裏技があるよね。

キャラの組み合わせによる有利不利もあるし、攻略本にもアレコレ書いてある。でも、彼は「自分はそれを使わない」って言うわけ。

もし100人くらいの味方を引き連れて団体戦を行うことがあれば、たぶん便利な行動、便利な戦法を味方に教えると思う。


みんなが選んでいる、だれでも使える戦法は効率がいいので、「これを覚えたら勝てる」と教えてあげる。

「この戦法だけやっておけばいい。その先は望まなくていい。十分戦えるから」と言って。


けれども、僕自身に限っては絶対にそうはしない。

自分のジャンルで安易な道を選ぶことは考えられない。

始めはこの部分を「すごいねー、このお兄さん。ストイックだねー」とか言いながら読んでたのですが、

最後の「自分のジャンルで安易な道を選ぶことは考えられない」のところを読んで、「そういえば、これは私も同じかも」と気がつきました。

ほとんど常に安易な道を選んでいる私でさえ、「自分のジャンル」ではそうはしない。


私が安易な道を選んでいない唯一のジャンル、それは「文章を書く」というジャンルです。たとえば、

そうだね(笑)

とか、

そうだね (^^)

って書けば、自分の伝えたいニュアンスが簡単に伝えられる。


でも、こういう表記法を多用すると、文章力が鍛えられない。長く続けてると必ず文章力が落ちます。

だからこういう「ラクで手軽な表記法」は、極力、使わないようにしてる。

文末に(笑)って書く代わりに、文章自体で「これは冗談だからね! 笑って読んでね!」って伝えるためには、どう書けばいいのか。

そう考え、トライし続けないと、文章力は向上しない。それは私にとって、大変なことでも嫌なことでもないです。

だって私も「書く」ということに関しては、安易な道を選びたいとは全く思わないから。

言い回しや表現など、「どう伝えるか」という工夫に時間を使うのは、喜び以外の何ものでもない。


ああいう表記法は、文字数に制限のあるツイッターでは特に使い勝手がいい。だから意識してないと、ついつい使いたくなる。

でも反対にいえば、140字しか書けないツイッターこそ、文章力を鍛える最適ツールだとも言える。ツイッターで ( ゚Д゚) や(笑)、wwww などを使わないと決めるだけで、文章力は確実に上がる。

私は文章を書くことが好きだし、文章の力を信じているので、やっぱりテキストだけでクスリとさせたいし、「ここは笑いながら書いてるんだよ」と伝えたい。

制約条件が厳しい方が鍛えられるのは何でも同じ。加圧トレーニングみたいなもんです。


おお!

もしかしてあたし、世界の DAIGO UMEHARA とおんなじこと言ってる!?


つまりね。何か一つでいいから「安易な道を選ばない」分野があれば、それでいいってこと。そうすると、それで食べていけるようになる。

普通はみーんな安易な道を選ぶんです。

大半の人は、無意識のうちにラクな道を選んでる。だからこそ自分だけそれを使わずに勝負してたら、必ず他の人より圧倒的に高いレベルに到達できる。

私だって書くこと以外では、気軽に安易な道を選びます。他の人が顔文字を使うのも気になりません。他の人は使えばいい。便利だもん。でも、あたしはやらない。


私にとってたったひとつだけ、「これに関しては安易な方法は使いたくない。そんなことして勝ててもおもしろくない」と無意識に思えた分野があった。

それが「文章を書く」というジャンルだった。

そしたらいつのまにか、文章で食べていけるようになっていました。


みんなも「自分はこれで勝負したい」と思う分野があるなら、その分野に関しては飛び道具を使わず、できるだけ素手で勝負したほうがいい。

そんなことしてたら、最初は負け続ける。アイツはあほだなーって言われる。こんな便利なものがあるのに、何で使わないの? 知らないの? ってね。

それでも素手で戦い続ける。そうすることによって、他の人には無い力がつく。

結局のところ、何かで食べていってる人って、みんなそうやって「食べていく力」を鍛えてきたんだと思う。


というわけで本日の金言

「自分のジャンルで安易な道を選ぶことは考えられない」 by 梅原大吾

「自分のジャンル以外は、徹底的に安易な道を選んでもオッケー!」 by ちきりん

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そんじゃーね。


追記) 2016年 6月 梅原さんとの対談本が出ました。

悩みどころと逃げどころ (小学館新書 ち 3-1)
ちきりん 梅原 大吾
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2013-04-07 まさに、人間と人間の勝負

梅原さんの本における印象深いプロットのひとつ。それは、彼が格闘ゲームを何度も「人間と人間の勝負」と呼ぶことです。

どんな相手でも、ひとりの人間を攻略するのは容易ではない。

強気なのか謙虚なのか、好きなものは何か、どういう家庭環境で育ったのか、どんなゲームが好きなのか、これまでどういうゲームをやってきたのか・・・。

そこまで考えて、必死に分析してもなかなか理解できるものではない。


(中略)


試行錯誤を繰り返し、いろんな戦い方をテストし、成功と失敗を繰り返して初めて、ひとりの人間を倒すことができる。それが、本当の人間と人間の勝負だと思う。

僕がやっていることは“人を理解する”ことが欠かせないし、表面的な戦略だけでは勝ち続けられない高尚な世界だ。


そうだったんだ。対戦ゲームって人間ゲームだったのね。


で、よくよく考えてみたらゲームには、「人間と人間の戦い」と、そうでないものがあるんだよね。


実は私も、過去いくつかのゲームにはまってました。

そもそも「ちきりん」という名前自体、ダビスタ(競馬馬育成シミュレーションゲーム)で大活躍した馬の名前であり、あのゲームなくしては「Chikirinの日記」自体が存在していません。

ダービースタリオンDS

ダービースタリオンDS


その他、今まで私が熱中したゲームは↓

1.シムシティ(都市運営)やダビスタ(競馬)などシミュレーションゲーム

2.鬼武者(←刀で相手を斬りまくる)やガンコンを使ったシューティングゲーム

3.ファイナルファンタジー(RPG)

あたりでしょうか。


ストリートファイターも一時期、それが大好きだった友人に誘われて何度かやったことはあるんですが、全く熱中できませんでした。

なぜでしょう?


そういえば、私の家族はボードゲーム好きで、正月などに集まるとすぐにモノポリーを始めるのですが、私はこれも全然やる気になれないんです。

「私が熱中できるゲームとそうでないゲームは、いったい何が違うの?」 

今までわからなかったのですが、今回の梅原さんの本を読んで気が付きました。


私は、「ゲームで人間と人間の勝負をするのが嫌い」なんです。


格闘ゲームは梅原さんが言うように「人間と人間の戦い」だし、モノポリーも他のプレーヤーとの戦いです。麻雀もそうです。(梅原さんは麻雀もプロ級です)

小さい頃、家族で麻雀をやってましたが、私は全く勝てません。なぜなら・・・すべてが顔や態度にでるからです。

チャッソを待っていれば、誰かが索子(ソーズ)を切るたびに瞬きし、1秒ほどもその牌を熟視してる。こんな人に麻雀はできません。


私には、人間と人間が勝負するタイプのゲームは向かないのです。

他のプレーヤーの表情や心理を読んだり、自分が読まれないように気を付けたりするのが苦手で、そんなことやっていると疲れてしまう。そういうゲームは楽しめない。

だから、ひたすら一人でのめり込めるシミュレーションゲームや、一人で撃ちまくって敵を殺しまくるゲームが好きなんでしょう。


そういえば、梅原さんはゲーム中の無表情さが特徴で、よく「スゴイ集中力だ」と評されています。

たとえそれが「集中力の結果にすぎない」のだとしても、あれだけ無表情では「人間と人間の勝負」において、対戦相手が彼から何かを読み取るのはとても大変だろうと思います。

というわけで今回、私は初めて、ゲームには「人間と人間の勝負」と、「人間と勝負しないタイプのもの」があり、私は後者じゃないと楽しめないのだとわかったのです。


★★★


ところで彼は対談の中で、「ゲームにおいて常に相手のことを読もうとしているので、そうでない場所で会った人でも、この人はどんな人で、どんな考え方をする人なのか、無意識に考えてしまいます」と言ってました。

「以前は、皆もそうなのかと思っていたけど、今は、そんなことを考えているのは自分だけだと気が付きました」とも・・。


あの対談会場にいた皆様は、この瞬間、あたしが 3秒くらい固まっていたことに気づかれたことでしょう。

・・・だって怖いっしょ。 そんなこと言う人と 2時間も対談してるなんて。

きっと前世の悪行までバレたに違いないよ。


★★★


気を取り直して、思考を続けましょう。

ここでさらなる疑問が湧いてきます。梅原さんは「人間と人間の勝負」が好きで、常に相手のことを読もうとしている。

一方のあたしは、そんなゲームはうっとうしくて嫌い。なんだけど、じゃあ私が人間に興味がないのかというと・・・、そんなことは決してないよね。


私も人間にはスゴイ興味があるし、というか、人間とその集合体である社会にしか関心がないといえるほどです。


質問 → じゃあ人を読むことが嫌いな私は、その関心をどうやって満たしているんでしょう?

答え → 私は口に出して、質問しまくって、相手を理解しようとするんです。


★★★


先日行われた梅原さんとの対談は、5分ほどの休憩を挟んで 2時間。司会はおらず、ふたりでしゃべり続けました。

でも、会場にいた方ならわかるはず。アレは「対談」ではないですよね? 実際には「インタビュー」だったんです。

2時間の間、ずっと私が質問し、梅原さんが答えるというスタイルが続きました。(念のため。梅原さんは無口な方ではありません。話すのは上手だし、回答はどれも具体的で、とても饒舌です)

数えてはいませんが、たぶん私は 50くらいは質問したはず。もし時間があと 2時間あれば、きっと 100の質問をしたことでしょう。


でも、彼から私への質問は・・・ゼロなんです。


おもしろいと思いません?


★★★


対戦ゲームで勝つために相手のことを理解しようとする際、口に出して質問するなんてありえません。「今日はどんな感じで攻めるんですかね?」とか聞けないでしょ。

直接聞くのではなく、事前の振る舞いやゲームの内容から、相手の考えていること、次にやろうとしてくることを読むわけです。

NYUのサイトには、「ウメハラはほとんど超能力者のように、相手の次の手が読める」と書いてありました。

(前世の悪行は絶対にバレてる・・)



一方の私は、ひたすら言葉にして質問を投げかけ、相手のことを知ろうとします。読むより聞いたほうが早いじゃん! って感じです。

しかも私は、相手が楽しく、自分からいろいろお話ししてくれるよう、あれこれ工夫して質問するのが超得意。


これってもしかして職業病なのかも? お互い?


★★★


でもそういえば・・、先ほど「梅原さんから私への質問はゼロです」と書きましたが、対談前の打ち合わせ時間を含めると、2つだけ、彼から私への質問もありました。


それは・・・


ひとつめ → 「えっ! ビール飲んでんですか?

その 20秒後くらいに二つ目の質問 → (結構冷たい声で) 「お酒、強いんですか?」



今から対談だってのに生ビール飲んでる私の姿は・・・何も問わずとも超能力者のように相手の行動が読めてしまう世界のウメハラでさえ想定外の、思わず口にだして訊ねてしまうほど、衝撃的なものだったのでしょう。


そんじゃーね・・・


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2013-04-05 研究者・勝負師・芸術家

<1>

私は、最初の仕事(金融業界)で「マーケット」の洗礼を受け、次の仕事(外資系企業)で、ひたすらに「ロジック」を鍛えられました

「マーケットで勝負する世界」と、「情報を分析し、論理で考える世界」の二つを学んだことが、私のバックボーンとなっています。



<2>

右脳と左脳が両方尖がってる、とあるクリエイターの方と話したとき、「ごくごく普通の日常の所作を、いかにアートにできるかが大事」と言われててナルホドと思った。



<3>

企業が「帝国化」する 』を読んだら、「グローバルビジネスパーソンとして生き残るために必要なのは、創造性です。アートと言ってもいい」と書いてあった。

「グローバルビジネスの成功に必要なのが、英語でもリーダーシップでもなく、アートなの?」って思った。



<4>

で、あたしは「ロジック」と「マーケット」だけで生きてきたけど、もしかしたら「アート」が抜けてたのかもしれないと考えはじめ、こんなエントリを書きました。 → 「Logic, Market and ART

f:id:Chikirin:20130306134446j:image:w360



<5>

上記のエントリを読んだプロ棋士の方が、「研究者・勝負師・芸術家」とツイートされているのを見ました。


ロジック=研究者

マーケット=勝負師

アート=芸術家


もしかして、将棋界にはそういう言葉があるの?



<6>

と思って調べたら、谷川浩司九段(十七世名人)が、2004年に臨床心理学者の河合隼雄氏との対談で話された言葉だとわかりました。

以下この本から引用

「あるがまま」を受け入れる技術 (PHP文庫 か 1-2)

「あるがまま」を受け入れる技術 (PHP文庫 か 1-2)

(文庫なのに絶版? みんなで「この本のキンドル化を希望します」ボタンを押しましょう)


棋士にはどういう素質が必要かということで、少し考えたことがあります。

そこで思ったのですが、将棋の棋士には「勝負師」の部分と、「芸術家」の部分と「研究者」の部分がある。

あまりにも芸術家の部分が強すぎると、ちょっと自分が悪い手を指した時には嫌気がさしてしまって、勝負に対して淡泊になってしまうことがあります。

逆に勝負師の部分があまりに強すぎると、その一局だけ勝てばいいということで、見ていて面白い、価値のある将棋が指せないということになってしまう。それはまたそれで、プロ棋士としてはどうかと思います。

今は本当に情報化社会で、お互いの対局の棋譜がすべてパソコンで検索できるような時代です。ですから、事前に情報を調べておいて研究をするということの比率が非常に高い。

(中略)

ですから、今の棋士には研究者としての資質が欠かせなくなっているのですが、ただ、それだけに偏ってしまうと将棋に面白味がなくなってしまいますね。



<7>

対談の前に、梅原さんの本を読み直していたら、こんな言葉に出会いました。以下この本から引用

勝ち続ける意志力 (小学館101新書)

勝ち続ける意志力 (小学館101新書)


10の強さを手に入れるのは、さほど難しいことではない。

それは誰かが歩いた道を辿りなおすような作業で、道は当然、明るく照らされている。

一方で、10を超える強さを手に入れるための道は暗闇に包まれている。

10の強さをもった人は、素人が見てもその強さがわかる。

この必殺技を使っているから強い。このコンビネーションを繰り出しているから強い。

この守り方ができるから強い・・・。すべて言葉で分析できる強さだ。


しかし、よくわからないけど強いというのは、おそらく究極だろう。

言葉で言い表せない以上、だれもその強さを分析することはできない。

強さの秘密を知っているのは、強さを手に入れたものだけ。

だから、そういうプレイにのみ「神」が宿り、だれもが興奮して、心を動かされる。



・・・もしかして、みんな同じこと言ってない??



どんな世界でもトッププレーヤーになるには、

・研究者 = 過去のすべての打ち手・指し手を知識として学び、研究し尽くす

・勝負師 = そのうえで勝つための大胆な決断が必要

・芸術家 = さらに「説明できないけど、すげえ。感動する!」ってものがないとダメ



過去の情報を徹底的に調べて分析し、数多くのセオリーを勉強すれば、

理屈的には最高の商品ができるけど、

勝てないし、売れない。


・・・うん。あるよね、そういう商品。「いいのに売れない」


それらを極めたうえで、勝ちにこだわり、ここぞというタイミングで独自の判断に踏み切れば?

勝てるし、売れる!

けど、それらは“ベスト・コモディティ”にしかなれない。


ベスト・コモディティってなんだって? 

韓国製のテレビとか、ハイアールの洗濯機とかですね。

コモディティの中でベストなもの


そこに「アート」が入ると、どういう商品、どういうサービスになるか。

書かなくてもわかるでしょ?


★★★


梅原さんは言っていた。

「勝ちにこだわると、アートの部分が犠牲になる」


だから勝ちにこだわらないの?

まあたしかに「コモディティの中でトップになったってしゃーないでしょ」とか考えてそう。


でも、だとしたら「トッププレーヤー」と「それ以外の人」って、最初から優先順位(目指すもの)が違う世界に生きてるってことだよね。


ふーん


ところであたしの本は?

こういう本読むと、「ベスト・コモディティ」にはちょっとだけ近づけますよ(超自虐的)とか言ってみる。

自分のアタマで考えよう
ちきりん
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そんじゃーねー。

2013-04-03 成長したければ、ひたすら変化すべし

これまでのあらすじ

梅原大吾さんと対談しました

梅原大吾さんとは? 『勝ち続ける意志力』

梅原さんが(格闘ゲームにおける実績を超えて)スゴイのは、トップであり続けるために何が必要かを、端的に&わかりやすく言語化できていることです。

たとえば変化について↓

自分を変えるとき、変化するためのコツは、「そうすることで良くなるかどうかまで考えない」ということだ。もし悪くなったとしたら、それに気づいたときにまた変えればいい。


世の中には、「これを変えたら、本当に状況はよくなるのか?」延々と検討し続け、「結果が良いとわかったら変えよう」と思ってる人や会社がたくさんあります。

しかし彼はいいます。

「変えればいい方向に向かうとわかっていることは、みんなもそれに気がついてる。そんなことやってもトップには立てない。トップであり続けるためには、それがわかる前にトライする必要がある」


そりゃそーだ! ものすごい論理的。


実はこの後、私は「じゃあ二番手でいいやと思った人は、変化の結果が自明になってから動けばいいのかな?」などというおバカな質問をしているのですが、今から考えれば、それでは二番手にもなれないよね。

これはスパコン予算仕分けの「一番である必要があるんですか? 二番じゃダメなんですか?」と同じです。トップを目指して必死で走ってる3名が1位と2位と3位になるんであって、最初から二番手を目指している人が入賞できたりはしない。


結果がいいとわかってから(今のやり方を)変えようとする人&会社には、その他大勢として流される道しか残されていないというわけです。

「これを変えれば本当に儲かるのか、わかるまで検討を続ける会社」や、

「これを変えれば本当に楽しい人生が待っているのか、わかるまで転職を悩み続ける個人」の場合、

彼らが何かを変えた時には、(変えるタイミングが遅すぎて)成功できず、「やっぱり変えなければよかった・・・」というバカげた結果になる可能性が高いということですね。



他にもこの本では、

・僕にとっての正しい努力、それはズバリ、変化することだ。

・成長というのは、とにもかくにも同じ場所にいないことで促進される。

など、「成長したいなら変化しろ」と繰り返し書かれています。


世の中には「成長するために頑張る」という人がたくさんいます。

でも敢えて極端な言い方をすれば、頑張っていても成長なんてしない。

「頑張る」っていう言葉は全く具体性を伴わない。具体性を伴わない言葉は、精神力や根性の世界へ人を導いてしまう。そして多くの場合、「とりあえず長い時間、働く」という不毛な結論に到達します。

そんなことしてもまったく成長しない。「成長したければ変化しろ。何かひとつでいいから、昨日と変えろ」というのが、彼のメッセージ。



別の方向から考えてみましょう。

私たちはなぜ、変化することが怖いんでしょう?  なぜ、梅原さんのように「変化し続けること」を自分に課せる人が少ないんでしょう?

たぶん、ふたつの理由があります。ひとつは前述したように、「結果が良いとわかれば変える。そうでないなら変えない」という(誤った)プロセスで思考するからです。

彼が言うように「変化はそれ自体、善なんだから、結果が予想できる前に動くべし」ということに気が付かない。


もうひとつ、私たちが変化をためらうのは、過去に手に入れたものを捨てるのが怖いからです。今までと同じことを続けていれば維持できる何かを、変化したとたんに捨てなくてはならなくなる。それが怖くて動けない。

それに対する彼の言葉がコレ・・・↓

築き上げたものに固執する人は結局、自分を成長させるということに対する優先順位が低いのだと思う。新しいことに挑戦する意欲も薄ければ、何かを生み出す創造性も逞しくないのだろう。

それではいつまでもトップランナーを超えられない。


このお兄さんはホントに・・・情け容赦無いです。


そうなんです。自分が持っているもの、苦労して手に入れたモノを守りたい人は、結局のところ、それほどの成長意欲を持っていないんです。

誰でもそうですが、長い時間かけて手に入れたもの、苦労して手に入れたモノは、「とにかく手放したくない」という気持ちになります。そして人生の時間とエネルギーを「それを守るため」に使おうとします。


これは既得権益を守ろうとする中高年の話ではありません。私自身、自分より若い人たちの中にさえ、自分が苦労して得たものを守ろうと必死になる人たちに何度も会っています。

全く面白くもなく続けていても意味がないとわかってしまっても、「せっかく入った大企業だからやめられない」などというのは、その典型です。

でも、過去に得たものを守るために自分の時間とエネルギーを使う人に、成長の余地はありません。(あたしも情け容赦ない・・)


言われてみればその通り。でも、この「理屈ではそうだ」ってことを実際に続けるのがどれほど難しいかも、私たちはよくわかっています。

だからみんな、(わかってるだけでなく)それを実行できている人を尊敬するのです。


★★★


今回の対談を通して私が理解したのは、

「成長したいなら、ひたすら変化すべし」

という、シンプルかつ明確で力強いメッセージです。


これ、今までだってわかってた気はするんです。でも私には、ここまでシンプルに言い切ることができていませんでした。それは何故でしょう?


私自身は変わることが好きだし、結果の良し悪しが見えない段階で変わることにも抵抗感がありません。でも私の場合、その理由は成長意欲ではないんです。

私は単に飽きっぽいんです。たとえ巧くいっていても、たとえ周りから評価されていても、同じことを続けるのに飽きてしまう。たとえ結果が今より悪いかもしれなくても、とりあえず新しいことをやりたくなる。

その副作用として、(変化自体が成長につながるので)成長してきたようなもんです。でもこういうやり方だと、一定の成長はできるんですが、「成長するためには何が必要か」を言語化できません。

これが、「成長したくて、そのためのあらゆる方法を試した結果、変化することが成長のためには最重要だと気が付いた」梅原さんとの根本的な違いです。



これから私は、成長したいという人に「頑張れ」という言葉は使わないでしょう。

「成長したいなら変化すべし」

言うべきことはこれだけです。


成長したいなら、昨日の自分と、ごくごく小さい点でもいいから、違う自分にならないといけない。



ホントに名作です↓ キンドル版ならスグ読めて、しかも安いです!

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2013-04-01 プロゲーマー梅原大吾さんと対談しました

先週末、下北沢の書店 B&Bでプロゲーマーの梅原大吾さんと対談しました。今年一月に彼の著書を紹介(→ 『勝ち続ける意志力』)したのがきっかけです。

こんな超一流の人と対談できるなんて、長らくちきりんやってきた甲斐があるとゆーもんです。


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場所となった B&B はとてもユニークで、Book and Beerの名の通り、書店なのにビールを飲みながら本が買えるお店です。今回の対談チケットも2000円でワンドリンク付き。ソフトドリンクもありますが、ワインやビールも選べます。

なんの迷いもなくビールをチョイスしてウキウキしてた私は、のっけから梅原さんに「ええっ! ビール飲んでんですか??」と呆れられてしまいました。(こんな直接的な言い方ではありませんでしたが、明らかに目はそう語ってました)


「えっ?」と思って見てみたら、(ビール好きだと聞いていたのに)彼の手にはソフトドリンクのコップが・・・

まじなのか!?  (←それはこっちのセリフでしょ! という声が・・)



言われてみれば確かに、お客様はお酒を飲みながら聞くのもいいけど、出演者のあたしが飲んじゃいけなかったのかも!?  しかも今日はあたしがインタビュアーじゃん? と思ったけど。


後の祭り


なので、気にするのはやめました。


それにしてもすごいな、梅原さん。さすがプロフェッショナル!

てか、どーなのよ、あたし?

(あたしの方が年下だったらきっとリアルに怒られてたんだと思う・・)



まあいいや。ゆるく考えよう



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今回は対談する二名の分野が大きく違うため、会場にも二種類の聴衆の方が混じっていらっしゃいました。

最初に「格闘ゲームが好きだ、もしくははまってた、って人はいらっしゃいますか?」と聞いたところ、3分の1くらいの方が手を挙げられたのですが、


それに対する反応は、

梅原大吾さん 「少なっ!」

ちきりん 「こんな多いの?」



対談後にはメディア取材があったのですが、まさか私が ファミ通 や 4Gamer の取材を受ける日が来るなんて思ってもみませんでした。どちらの記事もおもしろいけど、これで彼には“オレ様キャラ”というキャラ付けが定着することでしょう。してやったり。

(4Gamerの記事へはすぐ上のURLをクリック↑ 充実の記事 写真もあるよ)

→ ファミ通.comの記事はこちら


★★★


そもそも梅原さんは、ものすごい突き詰めた努力をする人で、著書の中でこう言われてます↓

普通、人はこっちの方向に何かあるはずだと当たりを付けて進むものだと思う。しかし、僕の場合は自分の足で全方向に歩くようにしている。正解がどちらのほうにあるのか、迷う必要さえない。すべての方向を探りつくすから、どこかで必ず正解が見つかるのだ。


・・・もし会社で部下がこんなこと言ってきたら、あたしは「頼むからそんな非効率なやり方で仕事するのはやめて!」と叫んだことでしょう。

ほんと、世界が違うよね。


と、いろんな面で異世界な組み合わせでありながら、実は梅原さんの発言には、ビジネスの世界でも使える貴重なアドバイスがたくさんありました。というか、


まさにその通り!


と膝を打ちたくなるような金言が次から次へと出てきたんです。対談後の取材で、「これからの梅原さんにどんな活動を期待しますか?」と聞かれた私は、「ぜひ経団連で講演してほしいです」と答えていたほど。


てか、経団連事務局の方、読んでます? マジで彼を講演に呼んで経営者向けに話してもらったほうがいいですよ!


なに? 世界で一位だかなんだかしらないけど、たかだかゲーマーでしょ? そんな小僧は天下の経団連様の講演には呼べないって?

あのね。彼はすでにニューヨーク大学から講演に呼ばれてるんですよ!? 「権威の裏付けのない人の話は一切聞きたくない!」がポリシーの経団連でも、これならOKでしょ?



なに? どんな話をしたんだか知らないけど、たかがゲームのプレイヤーに、経営者に役立つ話ができるはずがないって?

ああそう。そういうこと言うわけ?  (そんなこと言ってねーよ、って言われそうですね。すみません、経団連の方、コケにして・・・)

だったら、あたしにも覚悟がある。  (なんなんだ?)



決めました。


経団連が梅原さんを講演に呼ぶその日まで、もうこのブログでは梅原さんのことしか書かない!

彼の考え方や姿勢、そしてその言葉が、どれほど価値のあるものなのか、格闘ゲームという範囲を大きく超えて、ビジネスや人の生き方や社会の在り方にどれほどのヒントを与えてくれるものなのか、それがわかるようなエントリを延々書き続けることをここに宣言します!



まじかよ?

まじです。



あたしにだって意地がある。「ちきりんが紹介した本は、アマゾンの売り上げが常にトップランクになるよね」くらいの評判ではもう満足できません。これからは「ちきりんが紹介した人は、経団連の講演に呼ばれるよね」あたりを狙っていきたい。(きっぱり)



というわけで、本日をもって「Chikirinの日記」は、「Chikirinの日記 for DU」と名前を変え、梅原大吾さんから学んだことだけを書くファンサイトに衣替えします。

従来からのちきりんブログ読者の皆様には、(ちょっとびっくりかもしれませんが)内容的には今まで通り、いえ、今まで以上に楽しんでいただけるものになると確信しています。



それ、いつまで続けるんだって?

それはもちろん・・


経団連が彼を講演に呼ぶその日まで!


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そんじゃーねー!


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