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Chikirinの日記 RSSフィード

2013-08-30 始点に立っていても、ゴールまでの道筋は見えません

昨日は、『未来の働き方を考えよう』の発売記念講演@新宿コクーンホールでした。

文芸春秋本社で行われた柳川先生との対談、丸善丸の内本店と、大阪での紀伊国屋書店グランフロント店での講演に続き 4か所目。全体で 900名の方にご来場いただいたことになります。本当にありがとう。

さて今日は、昨日の講演で会場から頂いた質問のひとつについて、ちきりんの回答を共有したいと思います。


その質問は、「ちきりんさんは市場で稼ぐ力をつけるためには、ブログ読者やツイッターのフォロアーを集めたり、ヤフーオークションでモノを売ることから始めればいいと言うけれど、そんなことで稼げる額はごく僅かで、食べていくための生活費を得る所までには大きな隔たりがある。その距離はどうやって埋めればよいのか」というものでした。

たしかにその通りですよね。質問の趣旨も、不安な気持ちもよくわかります。そしてこの質問に対する私の回答は、下記のようなものでした。


目指しているゴールと、今、自分が立っている地点との距離は、通常とても離れています。そして、その時点からゴールに辿り着くまでのステップや道筋も、見えていないことが大半です。


でも、その間の道筋が全部きれいに見えてから歩き始めようと考えている人が、ゴールに辿り着くことは決してありません。


辿り着けるのは、ほのかに見えるゴールに向けて、今できることを実際にやってみる人、最初の一歩を踏み出してみる人です。


なぜなら、実際に一歩を踏み出すと、そうする前には見えなかった「その次のステップ」が見えてくるからです。


そうやって一歩進むごとに異なる景色が見え、新たな選択肢が浮かび上がってきます。それをひとつずつ進んでいくと、ある日ゴールに辿り着くんです。



たとえば、今のあたしの立っている場所、ブロガーとして十万人以上の読者を抱え、本を出せば平均 7万部の刷り部数が実現でき、500人の有料講演のチケットが一週間で売り切れる。

最初のブログエントリを書いた 8年前の私には、そんな「今のちきりん」に至るまでの道筋なんて、全く見えていませんでした。

「こうやって、ああやって、その次にこれをやれば、ほぼ確実に人気ブロガーになれる」、なんていう方法論は存在しないんです。


自分もそうなりたいと思う人にできる、もっとも意味のある最初のステップは、「どうやったら人気ブログが書けるのか、あらゆる手段を尽くして研究する」ことではなく、「ブログを書き始める」ことです。

「最初の一歩を踏み出すこと」は、多くの人が思っている以上に重要です。なぜなら一歩踏み出した時に見える景色は、今立っている地点から見える景色とは、全く違っているからです。

一歩進むたびに、異なる景色が現れます。一歩進むたびに取りうる選択肢が増え、今までには思いつかなかったアイデアが出てきます。

一歩を踏み出した時に得られる情報(フィードバック)は、その一歩を踏み出す前には(=その一歩を踏み出さない人には)決して手に入らない、極めて貴重な情報ばかりなのです。

換言すれば、次に何をやるべきかという情報を手に入れられるのは、動き出した人だけなんです。


「始める前に、ゴールまでの道筋を徹底的に研究しよう!」とか、「この道を行けば大丈夫だと、ある程度、見えてきたら歩き始めるつもり」などと考えていると、いつまでも動くことができず、ずうっと同じ場所に立っていることになります。

そんなところでいくら考えていても、ゴールは一ミリたりとも近づいてきません。


一歩を踏み出すんです。そして、その次もまた一歩を。

それを続ければ、どこかに辿り着きます。それは、当初、自分が想定していた場所じゃないかもしれません。むしろ「想像もしていなかったどこか」に辿りつくことのほうが多いでしょう。

私自身も、まさかこんな場所に到達するとは想像もしていませんでした。



繰り返しておきましょう。

目の前の一歩を踏み出す人だけが、ゴールにたどり着ける可能性をもっています。

始点において、ゴールまでの道筋が見えていないことを不安に思う必要はありません。既にゴールに辿りついた人でさえ、そんなものが見えていた人は誰もいません。

ゴールに到達した成功者に訊ねても、期待できるのは「最初の一歩」を指し示してもらうことだけです。ゴールまでの道筋を示すなんて、誰にもできません。

それは各人が、自分で一歩ずつ進みながら、見つけていくものです。てか、ゴールに到達している人は、みんなそれをやったから、今いる場所に到達できているんです。


組織を離れても食べていける人になりたいですか?

だったら、ごく小さなことでいいから、個人として何かを始めましょう。


その一歩がどのようにゴールにつながるのか、きちんとした道筋が見えていないと不安ですか?

でもね。その不安を払拭する方法は、一歩を踏み出さないと手に入らないんです。




f:id:Chikirin:20130830023939j:image:w400

講演を行ったコクーンホール。コクーンは繭(まゆ)という意味。蚕の繭の中で何かが育っていく感じを表現してるのかな。すごくインパクトのあるビルです。


そんじゃーね


<過去の関連エントリ> 

 → 「成長したければ、ひたすら変化すべし」

 → 「情報は看板に集まる」


http://d.hatena.ne.jp/Chikirin+personal/  http://d.hatena.ne.jp/Chikirin+shop/

2013-08-29 遠い国の子供たちを不幸にする意味

オンライン上で動画による教育コンテンツを無料提供しているカーン・アカデミー


久しぶりにサイトを見たら、もともとあった算数だけじゃなくて、経済学からファイナンス、化学に物理、さらには(アメリカでのセンター試験にあたる)SATやGMATの準備まで、内容がどんどん充実してきてる。

コンピュータサイエンスのセクションでは、初心者でもプログラミングが学べるようになっていて、英語ができる人なら(=インド人とかフィリピン人とかなら?)、学校に通うお金がなくてもこういったスキルを身につけ、クラウドで仕事を受注して・・・生きていけるようになりそう。


てか日本の家庭だって、子供を英語塾に通わせ、かつ、数学の塾にも通わせるって二重に無駄じゃない? 

小さい頃から youtubeで英語のアニメを見せて育て、その流れでカーンアカデミーの動画も見せとけば、自分でさくさく英語で算数を学んでいったりするかもしれないじゃん。しかもぜんぶ無料で。


★★★


話を戻しましょう。

「世界中のすべての人に無料で教育を届けたいと本気で考えている」と語る創始者のサイマル・カーン氏は、バングラディッシュからアメリカに移住した父母の下に(米国で)生まれています。

最初、いとこの女の子の家庭教師をするために作ったこのサイトは、数多くの篤志家の協力を得てどんどん発展。今や彼のいう「無償の教育を世界中のすべての人に」という目標は、決して夢ではないと思えるほどです。

既に日本語への翻訳の取り組みも始まっているし、スペイン語、ヒンドゥ語バージョンなどもあります。


創業者のカーン氏が、このサイトを立ち上げた経緯や思い、現在の教育の問題点などについて語っている下記の本を読みました。



その中の一部を引用

私もひとりの親として、わが子が世界でいちばんかわいいと思う気持ちはよくわかります。どんな母親も父親もそうでしょう。それは生物学上の問題です。


しかし、この生物として自然な親の愛情には、何やら危険な影響がつきまといます。ときに私たちは、個人としても社会としても、子どものためなら身勝手になってもかまわないと考えることがないでしょうか。


どう見ても、これでは偽善者です。それでも私たちは、みずからのDNA、みずからの家族のために行動します。感情的には正しいけれど、道徳的には誤っていることを、自分たちには無条件で認めます。わが子が教育を受けているかぎり、よその町、よその国、よその大陸のこのことなど気にもかけません。


しかし、この孤立主義的・自己優先的な立場をとることが、本当にわが子のためになっているのでしょうか?


私はそうは思いません。むしろ、不平等が拡大し、不安定さが増す世界で生きることを子供に強いるようなものです。わが子を救うもっともよい方法は、すべての子供を救うことです。


この文章の最後の部分。あたしも以前、これとほぼ同じ意味のことをツイッターでつぶやいた(つもりだった)んだけど、結果としてちょっとした炎上になりました。

今回この文章を読んで、「なるほど、こういう言い方をすればいいのね」と学んだ次第。まっ、ここまで間接的な言い方をしたら、何を批判してるのか理解できない人も多そうだけど。


★★★


そうなんです。

わが子を救うもっともよい方法は、世界中のすべての子供を救うことなんです。


なのに世界は反対に向かおうとしてる。強烈な憎しみを子どもたちの心に植え付け、将来への希望を奪い取るという方向に。


そんな方向に進んだら、自分の子供の将来も危うくなる。

なんでそれがわからないかな。


そんじゃーね

2013-08-25 福島の原発事故処理に世界の知恵を

原発に関して、“推進”か“脱 and/or 反”かという議論がよく行われていますが、これに関して私は強い意見を持っていません。(だからあまり発言していません)

推進も“脱 and/or 反”も、どちらかが正解でどちらかが間違いというわけではないでしょう。どちらを選ぶかで、今後の日本の姿(産業環境や外交政策や予算問題など)は変わると思うけど、どっちを選ぶかは国民の選択です。


そうであれば、粛々と民主的な手段で決めればいいわけで、特に立地自治体(近隣含む)の首長&議員選挙は、そのカギになるはずです。

福島のあれだけの惨状を見ても、我が地域の原発を稼働させたいという知事や市村長をその地の住民が選ぶなら、東京に住む私がそれに反対する理由は何もありません。現在、福井県の大飯原発が稼働しているのは、福井県知事の積極姿勢があるからです。

一方で、近隣住民の人たちが稼働を許さないという意思を選挙において明確に示せば、今の状況で、国や電力会社が、知事や市・村長の意向を無視して原発を推進することは不可能だと思います。



それよりも私が「早急にやり方を変えたほうがいいのでは?」と思っているのは、現在進行形で福島第一原発で起こっている、様々な問題の解決方法です。

チェルノブイリと福島は被害が大きいのでよく取り上げられますが、原発事故は他でもたくさん起こっています。東海村JCOの臨界事故やもんじゅのトラブルあれこれを含め、日本でも世界でも定期的にどこかの原発でトラブルが起こってるんです。(参考:List of civillian nuclear accidents


事故の原因は地震など自然災害であったり、人為的なミスや設計上の問題、機械のトラブルや老朽化など様々ですが、ひとつ言えることは、「原発事故はこれからも世界のあちこちで起こり続ける」ということです。

地震大国の日本ではもちろん、これから原発が急増する新興国では(その数の増加に合わせ)今までより頻繁に事故が発生すると考えるべきでしょう。


これを見てみてくださいな → 世界の原発建設予定 中国は今 14基の原発を 70基にする予定なんですよ。

てか、人口が1億人の日本に50基の原発があるんだから、中国の原発が最終的に何基になるのかは、ちょっと想像もできません。。。


世界中で増え続ける原発では、これからも定期的に事故が起こるでしょう。軽微なものもあれば、深刻なものもあるはずです。それはもう避けられないし、たとえ日本だけが脱原発を成し遂げても、「だから安心で無関係」というわけではないのです。


これからの世界は、

・廃炉

・原発事故処理

・使用済み核燃料の安全な保存方法

などについて高い技術と経験値を、早急に蓄積していく必要があります。


中国やインドなどこれから経済発展期を迎える国々は、安全かつ低コストの原発を建設して運営する技術には関心を持っても、上記のような技術に投資をしようとはなかなか思わないでしょう。

実際に大きな事故を起こし、現在進行形でその処理に当たっている日本こそ、そういった技術開発の中心となるべきなんです。

しかしながら、それは「日本だけで問題を解決する」ということではありません。そうではなく、「日本がハブとなって、そういった問題を解決するプラットフォームを創っていく」ことが必要です。


汚染水流出問題などが、選挙が終わるのを待っていたかのように次々と明らかになりましたが、この問題の解決を東電だけに任せているなんて本当に無責任なことです。

国が全面協力するのは当然として、私としては更に広げ、「この問題は、世界で解決するという方針に転換すべきでは?」と考えます。

先日、オープン・イノベーションやオープン・プロブレムソルビングの動きについて書きました。

→ 「世界の知をクラウドで集め始めたグローバル企業


今の福島の問題解決にこそ、こういったアプローチが有効なのでは? この問題を解決するには、原発には直接には関係ないような多彩な分野の技術(ざっと考えただけでも、より効果的で動きやすい防護服の開発からワーカーの健康管理方法、遠隔操作技術から浄化装置にタンクの製造技術など様々な技術)が必要なはずです。

それらすべての分野について、必ずしも日本が一番進んでいるわけでもないでしょう。しかもこれから日本では、原発関連分野において優秀な研究者や開発者を確保することが今までより難しくなります。(志望者も減るだろうし、過去のような潤沢な研究予算がつきません)

でも世界全体で見れば、原発は将来有望な期待の分野であり、次々と新しい頭脳がその分野に流入してきます。

日本国内だけで考えても、現在、東電や経済産業省と取引をしている企業以外にも、役立つノウハウや技術を持っている零細企業や個人の技術者もたくさんいるはずです。


NASAがやっているように、福島の原発事故に関わる様々な問題を解決するためのサイトを立ち上げ、現在、直面している問題をすべて開示し、解決方法のヒントを世界中の研究者や技術者から募集する。

そんなオープン・イノベーション&オープン・プロブレムソルビングのテスト運用を始めてみるべきでは?


日本には「自分の起こした問題は自分たちで解決すべき」という考えがあります。それが責任ある態度だと思ってます。でも、今は本当に「日本だけで解決しよう!」とするべき時でしょうか? この問題は、そういう範囲の問題でしょうか?

そうではなく、「福島を助ける知恵と技術を、世界中から募集します!」と呼びかけるべきでは? そう呼びかけることのデメリットは、いったい何があるんでしょう??

一流の技術力を誇る国がそんなことをするのは恥ずかしい? 原発輸出に悪影響が出る? だから助けを求めないの? それが本当に正しいやり方?


日本は地震大国です。応急措置に追われる福島第一原発を含むエリアが再度、大きな地震に襲われる可能性だってゼロではありません。今そんなことが起こったらいったいどうなるのか、想像するのも恐ろしいです。(参考:最悪の事態は福島ではなく

福島で必要とされている技術は、いつか世界が必要とするものばかりなんです。この問題を、世界で解決しようという姿勢は、きっと大きな支持を受けるはず。


そんじゃーね

2013-08-23 国家的パニックの収束に必要な年月

2001年のニューヨークで起こった911テロ、そして2011年の東日本大震災に伴う福島第一原発の事故。このふたつを見ていると、国家的なパニックを引き起こすほどの大事件が起こった際、国民が平静を取り戻すまでには、最低でも3年くらいはかかるんじゃないかと思えます。


911が起こった 2か月後の11月、仕事でニューヨークやボストンなど、米国の主要都市を訪れた私は、その異様な風景に衝撃を受けました。テロ跡地であるグランドゼロの惨状に、ではありません。

道行く車の多くがアメリカ国旗を掲げ、テレビが一日中、あからさまに特定の宗教や地域をターゲットにして、報復機運を盛り上げる“煽り口調”のニュースを流し、

セキュリティや荷物検査が格段に厳しくなった空港では、国籍に関わらず(=アメリカ国民であっても)“アラブ諷”の名前や風貌の人たちだけが、1時間近くも荷物を調べられるなど、ひときわ長く拘束されているのを見て、

さらに言えば、そういう人たちだけが特別に厳しく調べられることを受け入れてしまう他の人たちの様子を見て、衝撃を受けたのです。


人種のるつぼと言われる米国で、根強い人種差別が存在していること自体はみんなわかっていたことでしょう。でも、彼らは決してそれを“良し”とはしてきませんでした。

それは良くないことであり、克服すべきことであり、どうやったら克服できるのか、と真剣に議論し努力する。その姿勢に嘘はありませんでした。


でもあの頃のアメリカは、その冷静さを完全に失っていました。恐怖に怯えていたのでしょう。あれだけの事件が起こったのだから当然です。

報復のために「大量破壊兵器を隠し持っているイラクのフセイン政権を打倒すべきだ」と主張する政治家の声は、喝采をもって迎えられ、

「本当に大量破壊兵器があるのか?」

「本当にフセイン政権を打倒すれば、世界からテロの恐怖が減るのか」

といったごくまっとうな疑問さえ、「それを口にするだけで、非国民的な言動である」という空気に封殺されました。


テロが起こるまで支持率が低迷していた大統領は、北朝鮮、イラク、イランの3国を「悪の枢軸」と明言し、自分たちが彼らを成敗するのだと高らかに宣言することで、一躍、国民の支持を集めます。

冷静に考えてみてください。いくら気に入らない国だとはいえ、独立した他国のことを「悪の枢軸」」などと呼ぶのは、宣戦布告にも近い暴言です。


その後、数多くの好戦的な施策が「テロとの戦い」というスローガンのもとに正当化されました。

「イラクには、本当に大量破壊兵器があったのか」とメディアが検証的な報道を始め、

「国民のヒーローになれると言われて軍に入り、イラクに赴いて命を落とした自分の息子の死は、本当に意味がある死だったのか?」と、泣きながら訴える母親がホワイトハウスの前に座り込んだことを、メディアが報道できるようになるまでには、

3年から5年の歳月が必要でした。


★★★


2011年の大震災に伴う福島での原発事故においても、同じようなことが起こっていると感じます。


最近になってようやく「本当に、このままの方法で除染を続けるべきなのか」といった報道がでてきました。

「除染が終われば、村&町には人が戻ってくるのか?」

「除染の費用対効果はどう考えればよいのか」


そんなことを口にするだけで「非人間的だ」と後ろ指を指されるような空気が支配的だと、誰も彼もが「本当にひどいです。きちんと除染を行ってほしいものです」みたいなコメントを、したり顔で続けるしかありません。

あまりにも理不尽な目に遭った人たちが「何が何でも俺の故郷を元に戻してくれ」と望むなら、何年でも何回でも除染を続けます、という方針に疑問を持つような人は、他人の気持ちのわからない“人でなし”だと後ろ指を指されるからです。


使用済み核燃料を含む、放射能汚染物質の最終処分地をどこにするかの議論も同じです。福島県の汚染地域にそれらを集中的に保存することは、少なくとも議論されるべきひとつの案でしょう。

でもそれは、その地域で生まれ育ち、故郷を失い、事業基盤を失い、既に2年も不便な仮住まいを続けながら、故郷に戻れる日を切望している人たちの気持ちを考えたら、議論さえすべきでないと考える人もいます。

あの日、ニューヨークのワールドトレードセンターで亡くなった人のことを思えば、「イラクという他国の政権を、米国の軍隊が崩壊させにいくことに、本当に意味があるのか?」などと考えること自体が不謹慎であると、多くのアメリカ人が考えていたように。


議論が許されるようになるまででも 3年、冷静かつまともな議論が交わされるようになるには、おそらく5年・・・国家的なパニックが起こった場合、最低でもそれぐらいの年月は、どこの国でも必要なのかもしれません。


そんじゃーね

2013-08-20 二つの全く異なる人生を生きられる(くらい、働く時間は長くなる)

『未来の働き方を考えよう』には、「人生は二回生きられる」という副題がついています。

ここでの「二回の人生」の意味は、「転職してふたつの異なる会社で働くこと」でも、「途中で職業を変え、ふたつの職業を経験すること」でもありません。もっと広い意味なんです。


これからは働く期間がどんどん長くなるのだから、私たちは、

・一生の間に、ふたつの異なるコンセプトの働き方を体験できるはず、もしくは、

・ふたつの異なるスタイルの働き方を選べるはず

ということ。つまり、転職回数自体は、ゼロでも 10回でもいいんです。


そして、本書のブログ書評大賞に選ばれた方のブログを読んでいると、「ふたつの働き方」「二回の人生」には、読まれる方の立場に応じてさらに多彩な意味があると感じます。


<大賞ブログその1>

「人生をシェアしあうこと」 Rosebush

「子育てで30代使っちゃったなぁ」と未練がましく不貞腐れていた私、と自称される女性からの書評↓

結局、人は自分の人生を一度きりしか生きられない。

・子どもを産む/産まない(或は、産めない)

・働き続ける/続けない(或は、働けない/続けられない)

・親の介護に時間を費やした/殆ど費やさ無かった


等々、一人一人の人生は全く違うシナリオで、たまたまある一時期だけ「親族」や「友人/同僚」として共に誰かと過ごす事はあっても、基本的に「巻き戻し」無しの一本道を一人で歩いている。


だからこそ「これまで歩いた道」をシェアし合いたいと渇望するのかもしれない。 本(物語)は「別の人生」を擬似的に体験出来る優れた「横糸」だ。

本当にその通りですよね。(そして、なんて素敵な表現なのでしょう)


上記は、私のひとつ前の本、『世界を歩いて考えよう』の感想(だと思うの)ですが、たしかにあれだけの旅行をしようと思えば、切り捨てなければならなかった人生があるし、反対に、他のものを選んだために、「世界を歩く」という選択肢を切り捨てたという人もたくさんいるでしょう。

本を読むと、そういう“自分が選ばなかった方の人生”を想像体験できると。確かにそうですね。


そして「人生は二回、生きられる」の意味は、そういった「 Aを選んだから Bは一切なし」、「 Bを選んだから Aは私には無関係」ではなく、「最初に Aを選び、ずっとそれでやってきたけど、次は Bを実現できないか?」と考えてみてもいいじゃない!? という呼びかけなんです。


それは、簡単なことではないでしょうが、「そんなことは考えるのも無駄」なことでもありません。人生は、そして働く期間は、私たちの想像を超えて長くなりつつあるからです。

しかも、いろんな働き方を可能にする技術やインフラが次々と登場し、普及し始めています。

最終章に書いたように、「自分はどんな生活をしたいと思っているんだろ?」と真摯に考え、それにいたるシナリオを複数、想像してみて、さらに「市場で稼ぐ力」を付けていく。

そうしたら、「ありえなかったはずの、もうひとつの人生」も手に入るんです。



<大賞ブログその2>

ふたつめの書評大賞は、就活を終えたばかりの大学院生の方が書いてくださいました。

14年卒の就活を終えた大学生が選んだ未来の働き方 れぽわーるず.comより


以下、引用↓

23年くらい生きてきて臨んだ就職活動ではありませんが、自分の将来について考えれば考えるほどよくわからなくなってしまうのが本音でした。大学は工学系、しかし、エンジニアとしての道に違和感を感じつつ、手探り状態で始めた就職活動だったのです。


そんな僕に対して、「将来やりたいこと」を聞かれても、ハッキリとはイメージ出来ませんでした。できれば、「働きながら考えたい」と思っていたのです。実際にビジネスの現場に立って、そこから得られた経験から将来を想像する、そんな働き方を理想としていました。

(原文ママ)


これも「ほんと、その通りだよね」と思いました。

20代前半、まだ働いたこともない学生に、「このタイミングで、一生やるべき仕事(勤めるべき組織)を選べ」というのは、(よく考えれば誰にも分ると思うけど)あまりに無茶でしょう。

「働きながら考えたい」のは当然です。それの何が悪い?


『未来の働き方を考えよう』では、目安として 40代でのオリジナル人生の設計を勧めていますが、これは、

・ 20代から 10年程度は、とりあえず働きながらアレコレ体験し、

・ 30代を通して、自分のやりたいことを見極め、複数の将来シナリオを作っていろんな選択肢を考えながら、

・ 40代になったら、自分オリジナルの働き方に移行しようよ

という話です。


「 40代の再出発」と言うと、「そんな年齢から再出発なんて遅すぎて不可能では?」と感じる人もいるようですが、今の学生さんなんて確実に 70歳までは働くわけで、それって 40才からでも 30年あるんですよ。

遅すぎなんてことはあり得ないし、世の中のコト、自分のことがよくわかってきて、しかも一定のスキルや経験がついてきたそういう時期こそ、「オリジナルの働き方に移行するベストタイミング」なんです。

寧ろ反対に、40歳の段階で「あと 30年、何も考えず今のままの道を進めば楽しい人生である」みたいな人って少数派じゃない? もっと他にもやりたいこと、試してみたいことがあるでしょう?


いずれにせよ、「人生は一回勝負」で、「 20代前半の学生の時に、正しい道をひとつ選ぶべし そして一生その道を行くべし」という意味不明な思い込みは捨てたほうがいい。もう一回あるんだから、最初は「働きながら、考える」でいいんです。

このブログは、「それが自然なことでしょ?」という気持ちを、すごく素直に綴ってくださったと思います。



<大賞ブログその3>

3つ目の大賞ブログは、「キャリアを 40代で捨ててリセットするのはリスキー?」「馬場秀和ブログ」です。

下記、引用↓

 こう、何となく「今は不景気だから仕方ない。いずれ景気が上向けば雇用環境も改善される」だとか、「とりあえず定年までは我慢。その後にゆっくり人生を楽しもう」だとか、自分でも薄々「嘘くさい」と感じている考えに身を任して、とりあえず今日を生きている私たち。そんな私たちの「思考停止」を、ちきりんさんは容赦なく突いてきます。


それまでに築いてきたキャリアを40代で捨てて、職や働き方をリセットする。そんなリスキーなことに挑戦するなんてボクには無理です、という読者を想定して、どうしてそれが最も危険が少ない、幸せな人生への近道であるのかを説得してゆきます。


貯金(ストック)より収入を得る状況(フロー)の方が重要、それまでの会社にしがみつくと「市場で稼ぐ能力のない人」になる危険が高まる、人生の有限性を真剣に考えよう、そもそも自分が心からやりたいことが何なのか考えたことがない人生ってどうなの。


私の本からの引用と、それをご自身の言葉でまとめていただいた上記のような部分がテンポよく、ざっと読むだけで、『未来の働き方を考えよう』で伝えたいことの肝がきれいに伝わります。


最後にこう書いていただけたのも、ありがたかったです。

 「若者は就活なんでやめて起業せよ」とか「これからは会社に縛られないノマドな働き方がトレンド」とかいった、けっこう無責任に感じられるビジネス書と違って、「 40代になって色々と判ってから働き方を見直そう」というのは、地味ながら、現実的で、説得力のある力強い提言だと思います。自分の人生を主体的に生きたいと思うすべての人、特に 20代および 40代の方にお勧めします。


私のメッセージを、「転職しろ」とか「起業しろ」であると誤解している人がタマにいますが、そんなことを言ってるつもりは全くありません。

私が一貫して言ってきたのは、「考えよう」ってことなんです。

「もう、この仕事を続けるしかないのだから、他の働き方なんて考えるのは時間の無駄」とか、「会社を辞めたら食べていけないのだから、そんなことは考えないようにしてる」とか、「なんの取り柄も資格もないから、他の道なんて(考えても)見つかるわけがない」とか、


それって完全な思考停止じゃん!?

とりあえず考えてみようよと。


私がこの本に書いたのは、「未来の働き方を考えるベースだけはまとめておいたから、あとはみんなそれぞれ考えてね!」、「その時、考えるプロセスはこんな感じでどうでしょう?」という、考えるための土台であり、提案に過ぎません。

kindle版はこちら  & ★楽天ブックス★


それぞれの道を選んだ方の、そして、それぞれの年代の方の、いろんな形の「2回目の働き方」、「ふたつの人生スタイル」がありえるはず。

みんなで一緒に考えましょう!


ブログ書評大賞の発表サイトでは、上記で紹介した3名の方に加え、5名の方の次点ブログが紹介されています。どれも“じんわり”響きます。ぜひご覧ください。

また、未来の働き方に関してツイッターで話し合う、Social book reading with Chikirin を 9月14日(土)の午後に開催です。


そんじゃーね!

2013-08-16 いろいろお知らせ) 『未来の働き方を考えよう』

新著に関するお知らせです!


<1.講演会>

8月29日(木)19時より ブックファースト新宿店様の主催により、西新宿コクーンホールにて、『未来の働き方を考えよう』の出版記念講演を行います。

おひとり様1000円の有料イベントで、事前予約が必要です。詳しくは下記をご覧ください。(追記:満員御礼)

ちきりん講演会(西新宿) 詳細ページ

今回は、今までの常識を超えた新開発のお面(なんと 3D) で登壇の予定です。

なお、8月21日(水)は紀伊国屋書店様主催で、大阪グランフロントにて講演を行います。(こちらはチケット完売済です) 皆様、お楽しみに!



<2.電子書籍のお知らせ>

電子書籍も発売されました!


キンドル他、各種電子フォーマットで発売開始です。なおキンドル本は、無料アプリをダウンロードすれば、iPhoneやアンドロイドスマホでも読めるようになります。詳しくは下記をご覧ください。



<3.書評ブログ大賞>

『未来の働き方を考えよう』の書評ブログ大賞が発表されました!!

7月中旬までに、ブログに感想を書いてくださった方の中から、文藝春秋社の担当編集者と私で、大賞ブログ 3本と、準大賞の 5本を選ばせていただきました。

 → 祝 ブログ書評大賞!

どの書評も、読んでくださった方のお気持ち&読後の思考が手に取るようによくわかる素敵な文章ですね。

また、就活中の方、専業主婦の方、働き盛りの方、転職直前&直後の方など、様々な立場の方から真摯な感想を頂けたことがとても嬉しいです。皆様、本当にありがとうございました。


その他にも多く方のブログ、そして書評サイトにも感想をいただいています。本当にありがとうございます。

→ ブクログ

→ 読書メーター



<4.ネット上での読書会を開催>

9月14日(土)に、ツイッター上でみんなで未来の働き方について話し合う Social Book Reading with Chikirin を開催します。(このイベントは終了しました)

午後 3時スタートで、6時までの予定ですが、状況により延長します。短時間に大量のツイートが殺到し、議論をするのが難しかった前回の反省を踏まえ、時間を長めにとり、質問を事前に公開せず、その場で皆さんのご意見を募ります。

ぜひカレンダーに、ご予定をマークしておいてくださいね。

未来の働き方を、みんなで考えましょう。



<ちきりん本リスト>

発行日単行本文庫本電子書籍オーディオブック
2011.01ゆるく考えよう文庫本kindle版ページなし
2011.10自分のアタマで考えようなしkindle版ページオーディオブック
2012.06世界を歩いて考えよう!なしkindle版ページなし
2013.06 未来の働き方を考えようなしkindle版ページなし
2013.11紙の本はありませんなし「Chikirinの日記の育て方」kindle版なし

→ 楽天ブックスはこちら


そんじゃーねー

2013-08-13 「ハマる」ことって、実は大事じゃない?

前回、○○中毒や△△△依存症について書いたのは、最近“まったく反対のこと”を考えてたからなんです。

つまり、「何の分野であれ高い成果を上げるためには、一定期間、何かにハマる経験がめっちゃ重要な気がする」ってこと。


仕事で大きな成果をあげてる人の中には、生活時間の大半(人生と言ってもいいほど)を仕事だけに投入してる人がたくさんいるよね。彼らは仕事が大好きで大好きで大好きでしかたないんです。

自分の研究分野で突拍子もないことに思い至る人の中にも、数年から数十年もの間、寝ても覚めてもそのことを考え続け、その間、衣食住やら人付き合いやらに関しては、文字通り“ほったらかし”にしてた人もいるでしょ。

ゲームやプログラムの分野で一流になる人も、それにハマったからこそ、今の地位があるという人が多そうだし、物書きになってる人の中には、食事時も片時もページから目を離さなかった、みたいな人もいるのでは?


★★★


あたしが最近よく考えるのは、「偏っていることの有利さ」なんです。


今までは(日本だけじゃないと思うのだけど)バランスのいい人が一般的には「優秀」だと言われてた。だから義務教育や国公立大学の受験勉強では、あれもこれもとやたらと幅広く勉強させる。勉強だけじゃなく人格的なことに関しても、「バランスがとれている」のが最高で、理想的だと思われてる。


でもね。本当にそうなんだろうか?

学校では今でもそうでしょう。でも、社会に出てからも本当に「バランスのいい人」、「なんでもある程度できる人」が重宝されてると思う?


どっちかいうと、「ある点についてめちゃくちゃスゴイ!」という人のほうが、稼ぎやすく、そして、価値を生みやすい状況になりつつあると思いません?

一般的な言葉でいうと「専門知識や深いスキルが重視されるようになっている」ってことなんですが、もっとぶっちゃけて言えば、「特定分野で突き抜けていれば、それ以外がちょっとくらい微妙でも誰も気にしない」ってことです。


そして、この「めちゃめちゃ突き抜けた部分」、「自分はコレで勝負するのだ」という分野を確立するには、「なんでもバランスよく勉強しました」ではダメなんだよね。

むしろ、若い時期の一定期間、数か月じゃなくて数年というレベルで何かにハマりまくり、他人のアドバイスにも耳を貸さず、周りからはひたすら心配されながらも、ただただそれに没頭した、という体験が必要、もしくは、あったほうが超有利! とは言えないかしら?


★★★


ちょっと話を戻すけど、そもそも何かの中毒になり、依存することの、何が悪いんだっけ?


最大の問題は、健康を害することだよね。アルコール中毒や薬物中毒では、幻聴や幻覚や内臓疾患などの健康被害が起こるし、仕事中毒が高じて体調を壊す人もたくさんいます。

もうひとつは、経済的な破綻につながること。買い物依存症やギャンブル中毒のために収入を超えた支出を続ければ、どこかで経済的に破たんします。ゲームで課金アイテムを買いすぎて、も同じ。


このふたつくらい?


だとしたら、それにさえ陥らなければ「アイツは○○中毒と言われるくらいひとつのことに没頭する」のは、けっして悪い話じゃないのでは?

たとえば、数年間何かに没頭し、そのおかげでめちゃくちゃ太ってしまったというケース。健康に問題は起きてるけど、リカバーできないほどではないよね。「本を読み過ぎて視力が落ちた」なども同じで、確かに健康被害が出てるけど、だからといって一概に「寝ても覚めても本ばかり読んでいた数年間」を否定する必要はないでしょ。

自己破産するほど借金してハマるのはどうかと思うけど、「全財産をつぎ込む」とか、「貯金もせずにすべてをそれに捧げる」なんてのは、本人がそれでいいなら問題ないじゃん。


多くの場合、中毒や依存症の問題として挙げられる、「熱中していること以外の生活に時間が割けなくなり、おろそかになる」という点は、実は「バランス型の生活が望ましい」という命題がなければ、問題として成立しないんだよね。

たしかに、仕事中毒では家庭が放置されるし、ゲーム中毒では勉学がおろそかになるだろうけど、それが問題なのは、「すべての人は、仕事と家庭にバランスよく時間をかけるべきだ」とか、「子供は、勉強と運動と遊びにバランスよく時間を使うべきだ」という価値観があって初めて成り立つ問題意識です。


でも、本当に「バランスよくいろんなことをやる」、「バランスよくいろんな人と会う」のがそんなに大事なの?



なんてことを、最近よく考えてます。

何故そんなことを考え始めたかというと、「この人、すごいなー!」と思える人って、みんな一時期(もしくは、現在進行形で)何かにハマりまくってて、まったくバランスなんてとれてないんだもん。

反対に、バランスとれてる感じの人の“退屈さ”ったらすごいもんですよ。もしかして、何にもハマらずに魅力的な人になるのは無理なのかも、と思えるくらいに・・・。


というわけで、ほんとーに「バランスとれてること」がいいことなのか。

よーく考えたほうがいいかもしれない。


とか思ってる。


そんじゃーね

2013-08-11 依存症と中毒について

○○中毒、△△△依存症という言葉をよく聞きます。一番、伝統的(?)なのは、アルコール依存症、ニコチン中毒、麻薬や覚醒剤、睡眠薬中毒とかかな。便秘薬も依存性ありますよね。

もうひとつメジャー(?)なのがギャンブル分野。競輪、競馬、競艇などのギャンブル依存や、パチンコ中毒。


その他、最近よくとりざたされるのがネットサービスへの依存です。

ケータイ中毒から始まって、ネット中毒、スマホ中毒、ツイッター依存症、オンラインゲーム依存症など。

仕事中毒=ワーカホリックも伝統的かつ広く知られた中毒症状です。創業社長でもない単なる会社員なのに、「俺が休むと仕事が回らない」などと妄言し、休暇をほとんど取らず、帰宅後も頻繁にメールをチェック、みたいな人は明らかに仕事中毒です。


たまに有名人の事例が話題になる「買い物依存症」については、特に裕福でもない女性もかかってて、行き過ぎるとカード破産につながってます。

破産はしなくても、給与の大半をコスメや洋服やカバンにつぎ込んでる女性はたくさんいます。

彼女らは明らかに「買うこと」に依存してる。買った後のモノ(服やカバン)を身に着けて活用することより、遥かに「買う行為」の方が楽しく、“やめられない”のです。


これも芸能人が告白して話題になったかな → セックス依存症。男性でも「あなた、キャバクラ中毒でしょ!?」みたいな人がいます。二日に一度は行かないと気が済まない。

活字中毒、テレビ中毒という言葉も昔からよく聞きますね。ご飯も食べずに本に熱中してる人とかずうっとテレビの前に座ってる人。

あと、「甘いもの中毒」の人も多い。ひっきりなしにチョコやジャンクフードやアイスを食べてる。口寂しいって感じで、ずうっと。オフィスの引き出しとかにもおやつがいっぱいの人です。もちろん過食も「食べる」という行為への依存ですよね。


加えて(さっき指摘されたのですが)、「韓流中毒」もありますね。今まで人気だったハリウッド映画とか、寅さんなど日本映画、日本のドラマなどへの傾倒ぶりとは異なるレベルの中毒性が現れていると思います。

どういうドラマに中毒性が発生してるのかよくわからないのですが、アメリカの一部の連続ドラマに関しても、中毒になってる視聴者がいます。これにかかると、借りてきたシリーズ DVDを、20時間くらい見続けるといった状況に陥ります。

その他、AKBや特定のタイプのアニメへの中毒症状が出ている人もいるでしょう。この分野だけ、なぜか「オタク」という特別名称が付されてますが。


まだ他にもありそうだよね・・。 

なお、中毒と依存症には微妙に意味の違いがあるんですけど、今日はそこが論点じゃないんで触りません。


それと、「人への依存」という分野があるんですが、これはちょっと別扱いとします。

例としては、「息子(をかまうこと)に依存してる母親」ですね。これ、「俺がいないと仕事が回らないはず」と思う仕事中毒の人と同じワナにはまってます。(しかも最近はマザコンより、息子コンの母親のほうが多そう)

「暴力をふるう夫に依存してる耐える私」や「神の力をもつあの人に人生を託して恍惚としている自分」(宗教系)など、絶対的な支配力やカリスマ性をもつ人への依存もよく話題になります。“洗脳”という言葉も使われる分野です。

ペットへの依存も、擬人化されているという意味で、人への依存の一種でしょう。


★★★


さて、依存症&中毒について考えたことをまとめておくと、


1)○○中毒、△△△依存症に関する問題は、○○や△△△の部分ではなく、中毒になっていること、依存症になっていることにあります。

買い物もマンガも活字もセックスも、そしてもちろん仕事も、それ自体が“悪”なわけではありません。それに依存する精神状態や、それによって引き起こされる状況が問題なわけです。

何に依存するかという、「依存の対象」は人によって異なりますが、依存を生む精神状態や状況、中毒に陥っていくプロセスには、依存の対象に関わらず、多くの共通点があると思います。


この「依存のメカニズム」、「中毒に陥るプロセスやその影響」について、私は一度も教育を受けたことがありません。(私が学校に通ったのはもうずいぶん前なので、今の教育ではカバーされているのでしょうか?)

上記を全部を合わせると、多くの人が一生の間に一度くらいは、何かへの依存に陥るのではないでしょうか? 

そうであれば、そういう「人間のメンタルな弱さ」、「そこからの逃避行動と逃げ込む先」みたいなことについて、高校生くらいで一度、教えたらどうかなと思います。


2)○○中毒、△△△依存症という言葉を論じる際、自分の価値観を反映させ、選択的に(一部の依存対象物に関してのみ)「○○や△△△側に問題がある」という論調で報じるメディアがや人が存在します。

たとえば、買い物中毒については「支出をコントロールできないこと」を問題視するのに、「ネット中毒」については、「ネットの怖さ」を問題視する、みたいな態度ですね。

活字依存症やキャバクラ依存症については気にもしないけど、ゲーム依存症については「人格を破壊する」だの「頭が悪くなる」だのと、平気で“とんでも科学”に飛躍します。

何を問題だと考えているのか、論じる側、報道する側の価値観が見えて、非常に興味深いです。


3)とはいえ、中には「麻薬やニコチンは存在自体が悪だろう?」と言われる人もいるでしょう。

ここは議論のある点でしょうが、私としては「存在自体が悪」とまでは言えない気もします。

現在、薬については医師の処方が必要だし、たばこやアルコールやギャンブルについては年齢制限が導入されています。

つまり「使用方法を守れば問題はない」と認定されているわけです。中毒性のある薬でも、緩和ケアに絶大な効果があったり、アルコールが存在したおかげで仲間と分かり合えた、妻にプロポーズできた、みたいな人もいるでしょ。


一番、議論になるのは、ニコチンとギャンブルかな。やらない人にとっては、メリットなどまったく感じられないかもしれません。たしかに、「雇用と税収」という社会全体のメリットがなければ、正当化の議論は組み立てにくいようにも感じます。

でもこれらはどちらも日本では(日本でも)公的部門が絡んで提供してる分野なわけですから、「社会的な絶対悪だ」というコンセンサスがあるとは、現状ではとても言えません。


いずれにせよ、○○側、△△△側を社会から抹消できない以上、なにか特定のモノや行為に依存してしまうメカニズムの方に焦点を当てたほうが、よほど建設的だと思えます。



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2013-08-09 クラウドソーシング 総まとめ

思いがけず多くのクラウド・ソーシングに関するエントリを書いたので、リンクをまとめておきます。


<連載エントリ>

01) ランサーズ訪問

全ての始まりはここでした。秋好社長(右)、山口さん(左)、ありがとうございました!

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02) 「戦力外労働力」の市場参入が始まる

03) 企業の競争力を左右する新しい労働力調達市場

04) 世界の知をクラウドで集め始めたグローバル企業

05) すべての人、企業、国がもつふたつの選択肢

06) 市場が組織のルールを変えていく

07) 会社員も市場に評価される時代へ

08) 個人にとってのクラウドソーシング

09) 「低価格ジョブ」は民主的な市場に不可欠

10) 防護壁、そして障壁としての言語の壁


<参考図書>

「クラウドソーシングとは何か?」という基本から、その広がり、可能性まで、一冊で全体観がわかります。6月に出たばかりなのでデータも新しくてお勧め。なんだけど、この本自体が、電子版とオンデマンドプリント(紙)しかなくて、書店での販売がないらしい。すごいな。。

(→ キンドル版もあります



<クラウドソーシング関連サイト>

日本のクラウド・ソーシングサイト

ランサーズ  (↓社員の皆様)

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リーズナブルな人力翻訳サービス Gengo

・その他、こちらのサイトがきれいにまとめてくださっています


アメリカのクラウド・ソーシングサイト(一般)

oDESK

ELANCE

Amazon Mechanical Turk (MTurk)

(当然ですが、他にもいっぱいあります)


アメリカのオープン・イノベーション系のクラウドソーシングサイト

INNOCENTIVE

P&G運営 Connect + Develop

NASA Pavillion


その他

関連アンケート調査


いろいろ新しいことが学べて、ほんとーに楽しいです。



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そんじゃーねー


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2013-08-07 防護壁、そして障壁としての言語の壁

私がネタ元にしてる下記の本には、映画会社の日活が会社創立100周年の記念ロゴを、クラウド・ソーシングで募集した事例が紹介されています。

→ キンドル版はこちら


この仕事には当時、一週間で 152デザイン(人数は100名ほど)の応募があり、採用されたロゴのデザイナーには報酬として 7万円が支払われました。これかな? → 日活創立100周年ロゴ決定!


上記の本によると、もし「会社創立100周年のロゴを作ってほしい」と、従来通り広告代理店経由でデザイン会社に発注した場合、152件の候補デザインを出してもらうには 1000万円以上、かつ 3か月以上がかかるとのこと。

とはいえ従来型の発注では、候補デザインを 150個も出させるなんてことはまずないので、おそらく

・一ヶ月かけて、

・100万円以上の予算で、

・3つ程度の候補デザインを出してもらう、

あたりが、妥当な線でしょう。


それがクラウドソーシングを使うと、

・1週間で

・7万円の報酬で

・152件の候補デザイン

となるんだから、


「なんで、他の企業はこの方法で募集しないの?」って感じです。


そんなんじゃ、いいデザインが集まる可能性が低いって?


たった 1週間でわかるんだから、広告代理店に発注する前に(もしくは同時並行で)試してみればいいじゃん。格安ですぐに結果が出るんだから、最初から排除する必要は無いでしょ。150ものデザイン案が手に入るんだよ!?


オリンピックの誘致活動に伴うプロモーションビデオやパンフレットデザイン、各種イベントの告知ポスターや旗、ロゴ、シンボルマーク、その他にも、ご当地マスコットやゆるキャラなど、

クラウドソーシングで依頼したら、リードタイムも必要経費も桁違いに短く&安くなる可能性が高いわけで、日本政府&日本の大企業は使わないのかもしれないけど、他国の政府や大企業は早晩、積極的に使い始めそうだよね。


そういえば私もこの似顔絵↓は自分で書いたんだけど、今なら間違いなく、クラウド・ソーシングで発注するでしょう。てか、次から名刺のデザインを頼もうかなと思ってたり。

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そう考える人&小企業が増えれば、クラウドソーシングによって大幅な価格破壊が起こる一方で、市場規模自体は維持される可能性もあるんだよね。

従来型の100万円規模の仕事が 5万円の仕事に置き換えられても、5万円の仕事が新規に19個増えれば、全体の市場規模は縮小しないわけだから。


とはいえデザインに関しては、価格下落分を補うだけの新規需要が生まれるのか否か、私も確信はないのですが、「価格破壊が起これば、市場規模は確実に今より大きくなりそう」と思えるのが、翻訳クラウドソーシングの分野です。


先日も紹介した Gengo ですが、最近は個人向けミニ翻訳のニーズに加え、企業サイトの翻訳も増えているそう。

トリップアドバイザーという、ホテルやレストランなど旅関係の口コミサイト(アメリカ発)は、サービスを海外展開する際、サイトの情報を現地語に翻訳するのに Gengo を利用したらしい。確かにこういった、「口コミ情報がキモ」なサイトが、クイック&格安に翻訳されることの意義はひじょーに大きいよね。


たとえば英語圏で何十万件もの口コミを集めても、これまでは日本人向けにサービス展開を始める時には、またイチから日本人が口コミを(日本語で)書いてくれるのを待つ(もしくは、仕向ける)必要がありました。それって、超大変。

アマゾンみたいに書籍という万国共通のキラーコンテンツを持ち、世界中に知られたブランドを持つ企業なら、どこの国でも短期間で(現地語の)口コミを集められるでしょうけど、他のほとんどの口コミ系サイトにとって、それは容易なことではありません。

ところが、口コミみたいなカジュアルな文章でもクイックに翻訳してもらえるようになったら、一国で集まった口コミは、そのまま全世界の顧客に向けて発信できるわけです。

そうなれば、事業を海外展開する時に「ゼロからの再出発」じゃなくて、最初の国で積み上げた資産を持って参入できるようになります。


たとえば食べログには山ほど口コミ情報が集まってるけど、あれが中国語になるだけで、人気レストランには中国からの観光客がわんさかやってきそうじゃない?


「アットコスメ」や「価格コム」のレビューを読みたいアジア人って、たくさんいるのでは?


楽天が売ってる商品の多くも、レビューが英語になってれば、海外からの注文も圧倒的に入りやすそうでしょ?


ニコニコ動画の画面コメントを、ほぼリアルタイムで中国語や英語に翻訳できたら!?


クックパッドの人気レシピだって、ボランティアをクラウドで募集して訳せばいいんじゃないの? 



とかね。



今まで日本で起業する人って、相当イケてる人&企業でも、アメリカの企業みたいに「最初から世界展開」を考えるところは少なかった。その理由のひとつが言語の壁だったんじゃないでしょうか。

その壁が低くなれば、「語学は苦手だけど、最初から世界に!」と考える人もどーんと増えそう。


ここまでクラウドソーシングの話を書いてきましたが、その多くは「給与レベルが低い国の人たちに仕事を奪われる日本人」という方向の話でした。でも実際には、反対方向の効果も当然に出てくるだろうと思います。

日本語という言語の壁が崩れれば、企業も個人も世界中の人と競争することになる。そして同時に、社員の半分が外国語ペラペラみたいな企業じゃなくても、世界で勝負しやすくなるはず。というか、デメリットだけじゃなくて、メリットもどんどん享受すべきでごじゃろうよ。


言葉の壁は、日本人を“グローバリゼーション”から守ってくれる防護壁であったと同時に、

日本が世界に出ていくための障壁でもあったんだから。


世界がつながる未来って、ほんとーに楽しみ!


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2013-08-04 「低価格ジョブ」は、民主的な市場に不可欠

アメリカでも日本でもクラウド・ソーシング市場では、びっくりするほど単価の安い仕事がたくさん掲示されています。

それを見て、「これでは(先進国に住む人の)給与が下がってしまう」、「搾取が助長される」などという人もいます。ですが、廉価な仕事が市場に溢れていることも、一概に悪いとは言えません。


たとえばライティング(文章作成)はデザインなどと並び、クラウド・ソーシングの主要分野のひとつですが、大半の仕事の単価はめちゃ安で、「ブログを毎日書いて、月に1万円」などとなっています。ひとつのエントリの値段は 333円。

たしかにこれをプロのライターの報酬と比べるなら「やってられないくらい安い」と言えます。でもね。もしもちきりんが今、中学生だったらどうでしょう?


私は当時から文章を書くのが好きでした。一日 500字くらいの文章を書くのは全く苦にならない。せいぜい30分ほどで書けるでしょう。

これをふたつやって月に 2万円のお小遣いが得られたら、「中学生のちきりん」にとっては、他のどんなバイトより圧倒的に楽に稼げます。今でもそういう(文章を書くのが好きで得意な)中学生は、たくさんいる。

中学生の彼ら・彼女らにとって(それがたとえ他人のアフィリエイトブログであったとしても)自分の文章が売れ、公開されるのは嬉しいことのはず。その上、もしも文章力や洞察力が認められたら、その後のキャリアチャンスさえ手にできるかもしれません。


いえ、そこまでいかなくても、彼らは顧客からフィードバックを得ることで、どんどん文章力を伸ばしていけます。学校では、平均的な文章力の子供に合わせた指導しか得られません。それでは作文の得意な彼らには、物足りない。

でも、大人からお金をもらって仕事を受ければ、たとえそれがどんなに安い値段でも、様々な学びを得、成長の機会を手にできるはずです。こうやって彼らは“市場から学び”、学校教育の枠を超えて、その力を伸ばしていけるのです。


「そんな安い単価のライターが現れたら、プロがオマンマ食い上げになる」って? 中学生に実力で差がつけられないようでは、遅かれ早かれやっていけなくなるでしょう。

プロだというならその経験とスキルを活かし、市場が求める付加価値を自分で定義して提供していく、そうやって仕事の単価を上げていくしかありません。


ウェブサイトやチラシに使うような写真も、「写真好きの高校生」が受注し始めるかもしれないし、もっと単純な(クリックするだけの)仕事や、言語が関係ない仕事なら、途上国の人たちも受注できます。

「誰でもできる単価の安い仕事」があるからこそ、「現時点で十分なスキルや実績を持たない初心者&新規参入者」でも、仕事を手にすることができ、実務経験を得られます。

低価格ジョブは、全ての人にチャンスを与える、民主的な市場に不可欠な要素なのです。


★★★


クラウド・ソーシング市場のライター分野に、「記事一本 5千円」とか、「一本、数万円」といった、一定の単価以上の仕事だけが掲示されていたとしましょう。これって、今の市場より良いと思いますか? 「これなら食べていける」、「搾取されない」、すばらしい市場ですか?


んなわけないじゃん。


そんな市場で仕事が得られるのは、既に実績のある作家やライターだけです。「今のちきりん」は受注できるでしょうが、「5年前のちきりん」は相手にもされません。

よく考えてみてください。5年前の私と今の私の文章力には、ほぼ何の差もありません。それなのに、5年前の私はこの市場では、「名前を知られていない」「実績がない」という理由で、仕事を得られません。でもね。仕事もさせてもらえないのに、実績を手に入れるのは不可能じゃない?

単価の高い仕事しかない市場は、無名の新人に門戸を閉ざして参入を許さない“非民主的な市場”です。「○○分野における 5年の実務経験のある人を求む」っていう求人ばかりの市場じゃ、すでに実績を積んでる人以外、就職できないでしょ。


民主的な市場には、「誰でもできる安い仕事」が不可欠だし、さらに「ほんのちょっとだけ、単価の高い仕事」や、「それなりの報酬の仕事」など、レベルと価格の異なる様々な仕事が必要です。そうすれば、最初は未経験者として安い仕事を受けていた人も、実力に合わせ、少しずつ収入を上げていけます。

(仕事の単価別に、掲示されているサイトが異なるのは問題ありません。また先日も書いたように、優秀なワーカーを囲い込むため、高レベルの仕事は“市場外”で提示されることにはなるでしょう)


また、どの分野であれ新人や未経験者は(ベテランの数より)圧倒的に多いのだから、低価格ジョブがベテラン向けの仕事より圧倒的に多いのも問題ありません。

しかもその市場には、単価の高い仕事が受注できるハイスキルな人は参入してきません。だからこそ、「今はなんの実績もないけれど、これから頑張りたい!」という人にチャンスが与えられる。そしてそこから、次世代を担うプレイヤーであり、クリエーターが現れるんです。

「俺の仕事にはもっと高い価値がある」という人は、それを証明して、自分でちゃんと稼げばいいだけです。新人が市場に入るチャンス、働く足がかりとできる格安市場の存在に、ケチをつける必要はありません。


★★★


途上国の空港を降りると、10歳そこそこの少年が、英語とフランス語とドイツ語と日本語で話しかけてきたりします。「タクシーはこっちだ」「ホテルを探してるのか?」ってね。

彼らは学校にも行ってません。それでも何カ国語も話せ、客引きやガイドができます。語学力とスキルを身につければ、他では得られない現金収入(しかも外貨収入)が得られるからです。


今、彼らは知らないだけです。もしも簡単なプログラムが書ければ、一日十時間以上も空港で客待ちをしなくても(客がひとりもつかず、徒労に終わる日も多い!)、一日数時間の仕事で家族が養えるほどの収入が得られるということを。

ちょっとしたプログラムを書けるようになるだけで、自分も兄弟も学校に通える。もしかしたら家族のために家が建てられるかもしれない。たとえ、その収入が「一日10ドル」でもね。


そういう成功例が村にひとりでも現れたら、多くの子供たちが(学校なんかに行かなくても)初歩的なプログラミングをマスターし始めるでしょう。彼らはこれまでも、そうやって外国語をマスターしてきたんです。

もちろん、彼らの英語がどこまでいってもブロークンなように、プログラミングだって、そんな高度なレベルにはなりません。でも、世界中からクラウド・ソーシング市場に押し寄せる、“ちょっとしたリクエスト”には応えられるようになるでしょう。


★★★


もうずうっと昔の話。ポルトガルから船に乗り、ひとりモロッコの港に着いた私は、船着き場で待ち受けたモロッコ人の男の子(たぶん10歳から13歳くらい)に付きまとわれ、でも最後には迷路のような旧市街でホテルやレストランに案内してもらったりと、とってもお世話になりました。

彼は流暢な英語を話し(フランス語とドイツ語もペラペラ)、観光客が知りたがることを先回りして説明できる聡明な子供でした。私は二日間ほどその子にガイドをしてもらった後、日本から持参していたカードに、簡単なお礼を書いて(ガイド代とともに)渡そうとしたんです。

そしたら、浮世絵の女性像が描かれたカードを見ながら、その子は言いました。「きれいなカードをありがとう。でもコレ、なんて書いてあるのか、読んでくれますか?」って。


あたしがカードに書いたのは、本当にシンプルな英語でのお礼でした。今まで話してた彼の英語力で、読めないはずがない。


だけどそう言われて、私も気が付きました。

彼は年齢にそぐわないほど大人びた物言いをし、文法的にもきちんとした英語で話せるのに、それが紙に書かれたとたん“THANK YOU”の文字さえ読めないんです。だって、学校で(教科書とノートを広げて)英語を習ったわけじゃないから・・。

複数の外国語を(フランス語もドイツ語も片言の日本語も!)口と耳から学び、あれほど流暢な英語を話しながら、アルファベットさえ読めない少年。今から考えれば、母語の読み書きでさえ、できたのかどうか不明です。


「市場から学ぶ」っていうのは、こういうことなんです。市場の需要があることと無いことは、ここまで厳しく峻別される。彼には「仕事につながらない知識」を学ぶ余裕も理由もありません。彼の職場において、「読み書き」には、なんの需要もないのです。


あたしはちょっとの間、フリーズしてました。彼のために自分の書いた文章を音読しながら、ゆっくりとコトの意味を理解し、財布からあらたに数枚の米ドル札を取り出しました。

彼に渡すべきは、浮世絵柄のカードなんかじゃなくて、こっちなんだとわかったから。




そんな実体験をテーマごとに整理した“ちきりんの旅日記”。 ちょっとウルッときてしまう、世界各地でのエピソードが満載です。 (キンドル版は 680円




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2013-08-02 個人にとってのクラウド・ソーシング

前回まで、クラウドソーシングが企業に与える影響をまとめてきましたが、今日は個人事業主、フリーランスの立場で考えてみます。


この視点で何より重要なのは、「個人は受注者にもなるし、発注者にもなる」ということです。

フリーランスとして仕事を請け負い、収入を得ることもできるし、自分の仕事のうち、付加価値の低いプロセスを外注してコストを下げ、より意味のある仕事に時間を振り向けることができます。

たとえば取材ライターであれば、テープ起こしはクラウドワーカーに依頼し、最終の原稿化のみ自分でやればいいし、翻訳家も、原文を細分化してクラウド市場で翻訳してもらった後、自分が監修者として修正・校正し、最終的に質の高い翻訳に仕上げればよいのです。


本業のある人が講演を頼まれた時にも、手書きでざっくりとした講演資料の下書きを作ってクラウドワーカーに依頼し、アニメーションや音楽付のファンシーな講演資料に仕上げてもらえばよいでしょう。

講演者の本業スキルは、「パワポの資料作成スキル」ではないのですから。

アプリ開発者の場合も、キャラクターデザインと音楽と効果音、背景画像はアウトソースするとか、もしくは反対に、「ゲームのコンセプト設計とデザインだけ自分でやって、プログラムはクラウドワーカーに書いてもらう」のもありえます。

「そんな仕事するヤツいるのか?」って?  いるでしょ。インドのどっかに。


★★★


自分でウェブサービス(サイト)を作ったら思いがけず人気化したという人。中には、「コレって、海外でもイケるかも」ってサービスもありますよね。

でも語学の得意でない開発者にとって、それを各国語に訳すのはかなりハードルが高い。語学できないし、調べるのも面倒だし、そんなこと助けてくれる友達もいないし。

でも翻訳サービスも、クラウドソーシングとなれば一気に使いやすくなります。


今まで翻訳といえば、

・まだまだ使えないコンピュータの自動翻訳と、

・事前予約が必要で、リードタイムや納期も長くて、高価で高品質なプロフェッショナル翻訳

しかありませんでした。

つまり今までは、「自分の書いた電子メールをちょこっと外国語に訳してもらう」のに適した翻訳サービスが存在していなかったのです。


ところが Gengo のようなクラウド翻訳プラットフォームを使えば、ごく短い文章でも手軽&格安に翻訳が依頼できます。

しかも安かろう悪かろうじゃなくて、翻訳の質もちゃんとしてる(と顧客に評価されてる)。 Gengo の翻訳料金は“一文字(もしくは一単語)数円”と明朗会計で、短い文章でも依頼可能。 (こちらは Gengo のマネジメントチーム


こういうのを使えば、個人で作ったサイトやサービスも、最初から一気に複数言語でサービスインすることができます。

「自分のブログをこれで翻訳して世界に発信しよう!」と考える人もいるでしょうし、もちろんツイートを訳してもらうのもアリです。

世界に発信すれば、外国語での問い合わせもやってきます。でも大丈夫。それらの人たちとのやりとりメールだって、格安に翻訳してもらえる。つまり語学なんてできなくても、最初から世界に発信&応答できる時代になる。


他にも、「来月から海外留学するからアパートを探したい」とか言う人、今までなら、語学に自信がない人は、現地の不動産会社とのやり取りができませんでした。だから仕方なく日系不動産会社の(割高な)サービスを使う、って人もいたでしょう。

でもメール一本から翻訳してもらえるなら、話が違ってきます。

どこかマイナーな国に旅行しようとする時も同じ。現地の旅行会社に直接、旅行の手配をお願いするのも(語学力が無くても)できるようになっちゃう。

個人輸入の手続きや、アメリカでの税務関係の申告などもそうですね。語学力がなくても、海外輸入品販売サイトの運営が可能になる。

ちなみに翻訳じゃなくて、電話(スカイプ)での通話を通訳してくれる人も(gengoではなく)一般のクラウドソーシングサービスでは雇えます。


こうやって、「語学のできる友達にちょっと助けてもらう」感覚で翻訳サービスが受けられるようになったら、すんごく便利そうじゃない?


★★★


まとめておきましょう。

個人にとって大事なことは、

・自分が得意な、高付加価値の仕事をクラウドソーシングで請負い、

・自分が不得意な仕事は、どんどんクラウドソーシングで調達する

ことにより、自分の「働く時間の生産性を高めていくこと」です。


もうひとつは、「自分は○○が不得意だから」という理由で、何かを制限しなくてよくなるということ。その不得意な部分の機能が「市場から調達」できるようになるんだから。

語学が不得意なら翻訳サービスを、プログラミングができないならエンジニアを、デザインができないならデザイナーを、調達してくればいい。


そのうち「プロジェクト・マネジメントを提供するワーカー」だって出てくるかもしれない。

ブリッジエンジニアとして相応の経験がある人が、「予算規模の20%の手数料で、クラウドソーシング・プロジェクトのマネジメント引き受けます」って言い出したりね。

そしたらビッグアイデアだけ出して、あとは全部お任せ、も可能になるかも? 

「これだけの予算をかけても、これだけの収入が得られるはず」という見通し(=販売の自信)さえあれば、必要な機能はすべて外注で調達できる時代が来ても不思議じゃない。



だとしたら・・・自分自身で身につけておくべきスキルっていったい何?



ふたつあります。ひとつが、「世界中の労働キャパを必要に応じて、最適に使いこなすスキル」だよね。

クラウドソーシング市場の使い方、クラウドワーカーの管理の仕方と言ってもいい。

これ、大半は“慣れ”だと思うけど、具体的なスキルセットとしてリストアップし、意識的に学んでいくことも可能でしょう。

先日ツイッターでもつぶやいたように、これから企業の中間管理職にとって、「クラウドワーカーの管理スキル」は必須スキルになるはず。社内の部下(しかも自分と同じ国の人だけ)しか管理できないようでは、“管理職”は務まらなくなる。


日本人は企業も個人も“全部、自分でやる”のが大好きだけど、これからはそれじゃー、スピードも品質も広がり感も突き抜けられない。

反対に、「世界中のリソースを使って仕事を進めるスキル」が手に入れば、在宅でも、子育てや介護をしながらでも、自分の好きな場所(高原やビーチや故郷の街)に住みながらでも、相当、大きな仕事ができるようになる。


ほーんと 衝撃ざんす。

→ キンドル版はこちら



必要なふたつのスキルのうち、もうひとつについて書いてないって?


それはブログには書きません。



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