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Chikirinの日記 RSSフィード

2015-01-29 大学で得た「今、もっとも役立ってること」って何?

「貧しい家庭の子供は大学進学率が低い。親の貧困が教育格差を通して連鎖する!」って主張してる人に、

「で、あなたが大学で学んだことで、今、いちばん役立っていることは何ですか?」って聞くと、

返ってくるのは、「それって授業料の対価として得られたものじゃないですよね?」みたいな答えが多い。


大学時代にスポーツクラブやサークル、NPO などの課外活動で学んだとか、

大学時代にアルバイトで学んだとか、

大学時代に起業して学んだとか、

大学時代に海外を放浪して学んだとか、

大学時代にたくさん本を読んで学んだとか、


そんなんばっかりで、

「いやそーじゃなくて、大学に授業料を払うことでしか手に入らないもので、人生でめっちゃ役立ってることは何なんですか?」って聞き直すと、


「えっ? えー、えーっと」みたいになったりする。


別に NPO もスポーツもサークルも放浪も起業もアルバイトも読書も、大学なんか行かなくてもできるじゃん。


★★★


大学時代にかけがえのない仲間と出会った、とか、

周囲にスゴイ奴が多くて刺激を受けた、とか言うのだって、


大学に行くかわりにベンチャー企業にでも入ってれば、もっと多くの「スゴイ仲間」に会えたのでは? 議論だって大学より圧倒的に内容が深くて活発だよ。

別に今時のベンチャー企業じゃなくても、日本は地方の零細企業の町工場にだって、やたらと「スゴイ人」がいる国なんだから、大学なんか行くよりそっちで働いたほうが、よほど「すげえっ!」って人に会えるんじゃない?


「貧困家庭の子供が大学に行けないことで、生きる上で不利益を被ってる」というのなら、「大学に行って手に入る、そんなスゴいものって一体なによ?」っていう問いにきちんと答えて欲しい。


もしも、大学に授業料払って得られる最も価値あるものが「卒業証書である」=「大卒である証明。もしくは、どこの大学を卒業したか、という証明書である」と言うのなら、

「価値にふさわしい価格」以上は、払うべきじゃないよね。


誰でも知ってるように、卒業証書の価値には大学によって大きな差があります。だから「ものすごく価値のある卒業証書」なら、大枚はたいて手に入れてもいいけど、価値の低い卒業証書を大金払って手に入れる必要はまったくない。

しかも日本は(スタンフォードや HBS など、卒業証書に価値があるほど授業料が高いアメリカと異なり)、「価値ある大学卒業証書」ほど安く売られてる。民主的な国なんです。


だから、「東大に受かった。でも学費がないから進学できない」って子がたくさんいるなら、そういう子に「返済義務のない奨学金を!」という提案も理解できるけど、

「名も無い大学に受かった。でも学費がない」って人に学費援助をしても、儲かるのは「名も無い大学」だけでは?

当の本人はそのお金と引き替えに、何を得られるの? (←当エントリ最初の質問)

その大学にいけば就職に困らないとか、生きるに困らないとか、そういうコトがほんとに期待できるわけ?


大卒以上って書いてある求人に応募できるって?

それ、応募できるだけだよね? 採用してもらえるわけじゃないよね? 

応募できますってだけのために、「名も無い大学」に 数百万円も払って。学び盛りの 20歳前後の 4年間まで捧げて卒業証書を購入するのって、ほんとに意味のある買い物なの? ホントに値段に見合ってる? その「応募券」って・・・?


★★★


東大生の親はみんなお金持ちだって? 


塾や(授業料の高い)有名私立高校に行けないから東大に入れないのだと言うのなら、地方の国立大学にいけばいーじゃん。それとも、東大を出たら成功できるけど、東北大学や広島大学だと成功できないわけ?


「いやいや、塾にいかないと地方の大学にも合格できないのだ!」って?


だとしたら問題なのは奨学金じゃなくて、公立高校の教育能力でしょ。そっちを改善した方がいいと思います。


★★★


おそらく「授業料の対価として大学で得たものが役に立った!」と断言できる人の大半は、「職業系の教育訓練」を受けた人だけじゃないかな。

医者や薬剤師や看護師、プログラミングなどを学べる工学部とか情報学部、管理栄養士とか建築家とか。


だとしたら、つまりそれって、「大学の価値は、実学職業訓練にある」ってことだよね? 


でもいまや、それさえ授業料を払わなくても手に入るようになってきてます。プログラミングはもちろん、もっと高度な内容でさえ、無料で学べるサイトが増えてるんです。

世界でも日本でも、MOOC (Massive Open Online Course)とかいって、大学自身が授業をどんどん外部に公開し始めてる。

これなら高校を出てスグじゃなくても、働き始めてからでも勉強できるし、いわゆる授業の中身については、授業料を払わなくても手に入るようになる。



大枚はたいて大学に行く価値は何なのか?

みんなもーいっかい、よーく考えたほうがいい。


もしも「みんな行ってるから行ってるだけ」なら、

そのうち行かない人が増え始めたら「行かない人も増えてきたから僕も行かない」になり、

もう一歩進めば、「みんな行かないからアタシも行かない」に変わってく可能性も、十分にあるのでは?


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そんじゃーね。


<参考サイト>

日本オープンオンライン教育推進協議会

NTTドコモとNTTナレッジ・スクウェアが運営するオンライン講座

東京大学オンライン講座

京都大学オンライン講座

オンライン学校 スクー

アメリカの大学のオンライン講座のポータル

スタンフォードとグーグル共同運営サイト

KHAN ACADEMY 数学やファイナンスなど


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2015-01-23 理想の社会なんて信じるのはやめましょう

今年は東京でオウムのサリンテロが起こってから 20年目です。

既に記憶がないという人も多いでしょうが、地下鉄サリン事件(私は「地下鉄サリンテロ」って呼ぶべきだと考えています)は、

世界を震撼させた先進国・都市型の無差別テロであり、化学兵器テロでした。

東京のど真ん中で起きた大規模テロということで、世界でも大々的に報道されたのです。


私はあの朝いつものように、半分眠ったまま地下鉄に乗っていたのですが、降りようとした霞ヶ関駅で突然「駅に汚物が撒かれたため、停まらず通過します」という車内アナウンスが流れました。

「まじ!? 遅刻するじゃん!? 誰よ? 朝から汚物撒いたの?」などとブツクサ言いながら次の駅で降りたところ、

地上には多くの救急車と消防車が集まっており、その騒然とした雰囲気に一気に目が覚めました。

10分早起きしていたら、私も被害者のひとりだったのかもしれません。


★★★


既に忘れている人も多そうですが、地下鉄サリンテロのそのまた 20年前。1970年代の日本はテロの頻発国であり、世界中にテロリストを送り出すテロ拠点国でした。

1970年には日本航空が乗っ取られ、犯人らが北朝鮮に亡命しています。

彼らの多くはその後も、偽ドルのロンダリングや日本人拉致事件に関わったと言われます。


1972年には日本のテログループ(日本赤軍)がわざわざイスラエルまで行き、空港で無差別に銃を乱射するという、とんでもないテロを起こしました。

この事件では 3人の日本人テロリストが 26人を殺害、+重軽傷者も 70人以上と、先日起こったフランスの雑誌社、シャルリー・エブド襲撃事件の倍以上の人が殺されました。

突然のテロで血の海となった空港は大パニック。「日本人、怖すぎ!」と世界中が震え上がったのです。


その 2年後にも日本の武装過激派がクェートで大使館を占拠するという事件が発生。

もちろん海外だけでなく、丸の内のビジネス街でも、爆弾が破裂させられ、何人もの罪無き人が殺害されました。(犯行グループ名は東アジア反日武装戦線)

さらには欧州発の日本航空機がハイジャックされ、ダッカ空港に着陸させられて人質など様々な要求をつきつけた事件も、日本人テロリストが起こしています。


このように当時は、国内はもとより世界各地で日本人がテロを起こしていました。日本は(平和で安全な国なんかでは全くなく)歴としたテロ国家だったのです。

今みなさんにとって、「テロが頻発し、世界中にテロを送り出してる迷惑な国」ってどこの国のイメージですか? 

それだったんですよ。たかだか 40年前の日本は。


★★★


日本でも世界でも、こういう大規模なテロ活動を行う集団の発想はいつも同じです。彼らは、

・理想の世の中が存在する

・その実現のためには、暴力を使って現在の社会を破壊してもよい

と考えています。

中国の文化大革命で「造反有理」が唱えられたのも、共産主義革命において暴力革命が正当化され、「革命無罪」が主張されるのも同じです。


「あるべき姿」としての理想社会を信じる人達は、

・今の社会は理想の姿から遠すぎるから、少しずつ変えていく方法ではいつまでたっても理想社会には到達しない


・だから、今の社会を破壊しよう。そのための暴力は許される。

・なぜなら自分たちが目指している理想の社会は、現実の社会より圧倒的に正しい姿だからだ

という理屈を使います。


この理屈のうち、多くの人は後半の「暴力を正当化する」部分を非難します。そして、

・理想社会を目指すべきだ。今の社会が、理想からほど遠いのも、その通りである

しかし、

・理想の実現のためとはいえ、暴力を使うのはよくない!

って言うんだけど、


あたしは、「違うんじゃないの?」って思ってます。

そもそもの間違いは、その前段階の「理想の社会が存在する」っていう発想から始まってるんじゃないかと。


現実の世界には、理想的な社会なんて存在しないんです。

いろんな問題や矛盾や理不尽がある。それらは決して無くならない。

だから無くす努力が無意味だという意味ではなく、無くす努力は大事だし、無くす努力をすれば状況は改善されるけど、だからといっていくら頑張っても、理不尽が存在しない「理想の社会」なんて、ありえない。

それが、人間がたくさん集まって住むってことの現実なんです。


その現実を認めず、「いや違う。理想の社会は実現できる!」などという誤った夢を持つから、暴力が必要になっちゃう。

目指す場所が実現不可能な空想の国だから=あり得ないモノを実現しようとするから、暴力やテロまで必要だと言わざるを得なくなるんですよ。


★★★


しかも「理想を掲げる」と、洗脳が極めて簡単になります。言葉だけで構築される理想社会は、誰も反対できないキレイで完璧な姿だからね。

そして、「その理想社会のために一緒に頑張ろう!」と言われると、みんな反論できない。


最初は懐疑的だった人も、いくら考えても「理想の社会を実現すべきでない理由」が見つからないから、そのうち「ホントにその通りだ! 自分はなぜ気付かなかったんだろう!?」と思い始める。これが洗脳への第一歩。

活動に参加し始めたあとも、その活動に人生を捧げる意義が超わかりやすい。なんたって、「理想の社会を実現するため」なんだから、何一つ迷う必要はありません。


こうして多くの人たちが洗脳され、「理想の国の建設に捧げられるオレの人生、めっちゃ有意義やん!」と嬉々として活動にのめり込みます。

その上、絶対的な善のための活動なんだから、少々の問題には目をつぶるべき。という理屈も易々と生まれてしまう。これで洗脳完成。


70年代の過激派の人達は、大企業や資本主義が人間を抑圧している資本主義社会を破壊して、理想の共産主義社会を実現すべきだと考えていました。

オウムのメンバーも彼らなりの「理想社会」を信じていたらしいし、イスラム国の過激派達も同じなんでしょう。


★★★


まともで現実的な変革者は、理想の社会を語るのではなく、今の社会を変えるための一歩として、まずは何を変えるべきか、という話をします。

でもこの話法では、突っ込みどころが満載なのです。

「そんなふうに変えたら、こういう問題が起こるのではないか?」

「そんなふうに変えても、こういう問題は解決されない!」

と、改革の反対者達はツバを飛ばして叫びます。


夢の理想社会と違って、現実の改革案にはいくらでも反対の理由が見つけられるからです。

そして、「理想の社会が実現しないのであれば、現実を一歩たりとも変えたくない」という人達もまた、「理想社会の存在を信じ、理想社会以外は一切認められない」という点においては、過激思想に染まった人達と発想が同じです。

理想しか信じない人は、今を一歩も変えようとしない。こっちの人達も同様に害悪です → 関連過去エントリ:「日本が次のステージに進めないワケ


★★★


理想の社会はマル! それ以外の社会は全部ペケ!

このタイプの発想は、間違ってるとか役に立たないという以上に、とっても危険な発想なんだということを、よく理解しておきましょう。


人間はみんな身勝手だし、ワガママです。自分の子供だけ幸せならいいと思っている人と、自分の国だけ平和ならいいと思っている人が、みんなで集まって暮らしているんです。

誰だって自分がいったん握った権益は手放したくないし、自分が持ってない何かを苦労せずして保有している人がいる社会は「なんでやねん?」と思うんです。


でも、だからといって「そんな問題が一切存在しない理想の社会」なんて信じちゃイケません。だって・・

そんな世界は存在しないのだから。

そんな世界を信じたら、「どんな手段を使ってでも実現すべきだ」って話につながっちゃうんだから。


理想社会なんて信じるのはやめましょう。

ソレ、すごい危険な思想なんで。


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そんじゃーね


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2015-01-16 暴力的な言葉を使わない。それだけ。

去年の 6月、シリアとイラクにまたがる地域に、イスラム国という国が現れました。その後の行動を見る限り、まさにテロ国家の誕生です。

その行動は、人質の処刑(首切り)を youtube で公開するなど、残虐性を極めています。しかも驚くのは、アメリカやイギリスを含め、先進国からこの国に馳せ参じ、戦闘員になる人が少なからず存在するということ。

彼らが本国に戻ってテロを起こすケースもあれば、先進国でテロを起こした後、イスラム国に逃げ込む人もでてきています。

アメリカは空爆も始めたけれど、事態が劇的に好転しているとも思えません。先進国での(彼らの影響を受けた)テロも頻発しています。

「コレ、いったいどーすんの?」って感じです。


とはいえ、日本も他人事ではありません。オウムは世界を震撼させた日本オリジナルのテロ集団だし、イスラム国や過激派の行動に共感した日本人の存在も報道されています。

そしてなによりも、数年前からひどくなっているヘイトスピーチが、いっこうに収まる気配を見せません。


去年の 8月には国連人種差別撤廃委員会が、日本政府に対して、ヘイトスピーチ(憎悪表現)を法律で規制するよう勧告しています。海外から見ても、「目に余る」状態になってきたわけです。

デモの動画やニュースを見ると、ヘイトスピーチをしている人達の言葉の汚さには愕然とします。

まだ若い女の子までが「死ねー」「くたばりやがれっ!」「お前ら消え失せろ」などと叫んでいるなんて、いったい何が彼ら・彼女らをそんな行動に駆り立てるのでしょう?


こういう活動にのめり込む人達は、ネット上で誤った(&偏った)情報を読み、「外国人が不当に優遇されている」「彼らは狡くて不公平で許せない」と信じ込みます。

でもね。たとえ本気でそう思うのだとしても、「死ね」だの「クズ」だの、罵る必要は全くありません。そんな汚い言葉を使わなくても、何がどう問題なのか、どの制度をどう変えて欲しいのか、普通に主張すればいいだけです。


主張の中身がなんであれ、多くの人は、あんな汚い言葉を使う人達の意見を、まともに聞こうとは思いません。それは彼らもわかっています。つまり彼らがやりたいのは「意見の主張」などではないのです。

じゃあ、何がやりたいのかって? 

憎悪を撒き散らしたいだけですよね。憎しみや嫌悪の空気を、社会に蔓延させたいだけなんです。それは戦前にヒトラーがやっていたのと全く同じ事であり、「表現の自由」などという言い訳の下で、許容すべきものでは決してありません。


★★★


最近よく思うのは、ああいった汚い言葉を連発していると、憎しみの感情が増幅されるってことです。

子供のイジメの世界でも、「臭い」「死ね」「クズ」といった言葉が使われます。ネット上で誰かが叩かれるときや、ヘイトスピーチでガナられる言葉も、それとほとんど同じです。


集団イジメからヘイトスピーチ、そして過激思想者の叫びまで、狙い定めたターゲットにたいして容赦なく発せられる暴力的な増悪表現は、どんどんエスカレートし、最終的には暴力を伴い始めます。

憎しみの言葉は、それを口にする人の憎悪感情をさらに刺激し、より過激な言葉へ、より過激な行動へと駆り立ててしまうのです。


この本に書いたように、私は日常生活で使わない言葉は、ネット上でも使わないと決めています。知ってる人に言わない言葉は、見知らぬ誰かにも、投げかけたくはありません。

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たしかに人間だから、ついアタマの中で「ナンだコイツ!?」と思うことはあるでしょう。それをゼロにするのは難しい。でも、口に出して人を罵るのは、マトモな大人なら思いとどまれるはずです。


テロやヘイトスピーチや社会的な集団イジメに関して、あたしにできることは何もありません。だからせめてもの抵抗として、「汚い言葉を使うのをやめよう」と呼びかけることにしました。

イジメからテロまで、どこでも憎悪感情の表現ツールとして、全く同じような暴力的な言葉が使われています。

この世からそれらの言葉を追放することは、最終的には暴力そのものを無くすことにつながります。暴力的な言葉を許容する社会の延長線上に、暴力的な社会が出てきてしまうのです。


自分の口から発せられる言葉に、意識的になりましょう。それは自分の大事な人達に、自分の子供たちに、自分と同じ社会を構成する人達に、投げかけたい言葉でしょうか?

匿名だから? みんなやってるから? 相手が悪いのだから? だから罵りの言葉を吐くのは「当然」で「許されること」なのでしょうか?


暴力的な行為を無くすために、まずは暴力的な言葉を無くしましょう。

汚い言葉は使わないと、ひとりひとりが決めればいいだけ、それだけです。


多くの方に賛同していただけますように。


そんじゃーね。


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2015-01-10 通勤手当なんて廃止すべき

首都圏で働く多くの人が、片道でも 1時間、時には 1時間半や 2時間など、全員あわせれば膨大ともいえる時間を通勤に費やしてる。

往復だと 2時間から 4時間にもなるし、混み方も尋常じゃない。

座れないとか人とぶつかるってレベルじゃなくて、「なんで他人とここまで密着しなくちゃいけないわけ?」みたいな状況。

時にはヒールで踏まれたりコートに口紅を付けられたりもするし、顔に他人の汗や髪の毛がついたりもしてマジ気持ち悪い。

妊娠してる人や足が悪い人、閉所パニックなどの持病があれば、身の危険を感じることもあるはず。


このヒドい通勤事情をさらに悪化させてるのが、会社が通勤手当を払うという制度です。

たとえば、

A) 会社から 2駅の A駅近くに住むと家賃は 10万円だが、通勤定期代は月 3千円、通勤時間は 15分


B) その駅から 10駅(合計 12駅)離れた郊外の B駅近くに住むと、家賃は 8万円になるが、通勤定期代は 1万円、通勤時間は 1時間 5分になる

という場合、会社が通勤手当を支給すると、B駅在住の方が実質的な生活費が 2万円増えるんだよね。

(両方とも通勤定期代の負担はゼロ。ただし家賃負担が B駅選択の方が 2万円安いため)


もちろん A駅の方が通勤は圧倒的にラクなので、「 2万円より、人生の時間と気持ちよさの方が大事」な人は A駅を選ぶ。

でも世の中には、「 2万円も生活費が増えるなら、月に 44時間という拘束時間は喜んで差し出す!」という人もたくさんいる。( 44時間= 1日 1時間×往復×月 22日の出勤の場合)


ちなみに片道 1時間の通勤に 2万円の通勤定期代を負担してくれる会社って、社員に時給 454円で、毎日 2時間、通勤電車に乗るというアルバイトをさせてるようなもので、

「週休 2日、一日 8時間勤務、基本給 xx万円、ただし毎日 2時間は、時給 454円で満員電車に乗るというアルバイトをすることが条件」って会社なんです。

つまり今って、「本来の仕事」と「通勤電車に乗るという仕事」が、抱き合わせ販売されている。


★★★


当然、「そんなアルバイトしたくない」って人もいます。

だってこのアルバイト、めっちゃ拘束時間が長いんだもん。

月44時間 = 年間 528時間 = 年間 44日間分の活動時間(睡眠時間等を除き、1日の活動時間を 12時間と仮定した場合)にも相当するアルバイトだから、

「そんな時間があるなら、通勤という低価格バイトではなく、別のことに使いたい」と考える人もいます。


そしてそういう人は、

・狭くていいから会社のすぐ近くに住む

・フリーランスになる

・出勤時間が遅い業界や職種に就職、もしくは転職する(必要通勤時間は同じだが混まなくなる)

などの問題回避行動を、個人的に採用するわけ。


でも、全員がそんなことできるわけじゃない。だからやっぱり、「通勤ラッシュをなんとかする」っていう方向で考えるべきなんじゃないの? とも思う。

政府も企業も鉄道会社も。そしてもちろん、ひとりひとりの個人も。


★★★


具体的には、まずは通勤手当を止めたらいーんじゃないでしょうか。

会社が通勤手当の 2万円を給与として払えば、Bさんは間違いなく、もっと近くに住もうと考えます。

会社の負担額も Bさんの生活費も変わらないのに、Bさんの通勤時間は短くなる。

これは、社員を遠くに住ませるための通勤手当という制度を廃止すれば、全員が得するってことを意味します。


もしくは通勤手当の代わりに、会社の近くに住む人に「近隣居住者向け家賃補助」を出せばいい。

会社だって、社員が朝からラッシュで疲れて出勤してくることを、望んでるわけじゃないでしょ?

だったら「近くに住む」ことへのインセンティブ制度を作るべきです。「遠くに住むと得する通勤手当制度」の代わりに。


もちろん厳密に言えば税額が異なるなどの細かい話はあるけど、税制なんてしょっちゅう変わってるんだから、そっちを変更したらいいじゃん。

「税額が違うから、通勤手当を給与に振り替えるのは無理!」とかいう(屁)理屈をいう人って、

・問題を解決できない理由を考えて発表するのが、大好きである

・つらいことを我慢するのも嬉しい

・お上が決めたことは、絶対に変更すべきでないと思ってる

のどれかだと思う。


あとね、この話をするとすぐに「通勤時間は読書が出来て有意義」とか言い出す人がいるんだけど、そういう人って、

・自分の手の届かない場所にあるブドウは、すっぱいブドウだと考える性格である

・自宅が汚く、通勤電車よりも不快な環境である

・カフェなど、通勤電車の中より読書に向いた場所の存在を知らない

のどれかでしょう。


都心に安い住宅が少ないとかいうのも、ニワトリ卵な話です。

渋谷のベンチャー企業に勤める若い人たちが渋谷周辺に住もうと考えるから、その周辺に単身者用の賃貸住宅が増える。

都心なんて高層化すれば、いくらでも床面積は増やせるんだから、さっさと都心部における低層住宅の建設を規制して、マンハッタンと同じくらいの高層化率を実現すべき。


あと良く聞く反論は「単身の人にしか、近くに住むのは無理」って意見なんだけど、コレも全く理解できません。

なんで夫婦共働きだと、単身者にできることができないの? ふたりで家賃を負担すれば、ひとりあたりの家賃は確実に低くなるんだから、無理なわけ無いじゃん。

それに、子育て中の共働き夫婦こそ、時間がものすごく貴重なんじゃないの? 

家賃が割高でも会社の近くに住むのは、「お金より時間が貴重」って人にこそ合ってるスタイルなんだから、ほんとは単身者より子育て世代の方がメリットは大きいんだよ。


★★★


鉄道会社側で言えば、通勤定期の割引率も問題。割引率を下げれば、企業側も全額補助するのがつらくなり、「社員には、もっと近くに住んでほしい」という方向で、知恵を絞り始める。

通勤定期が高くなれば、ワークライフバランス大流行の昨今、会社だって残業代を 1時間減らすのと、通勤時間を1時間(片道 30分)減らすという両方の選択肢を使い始めるはず。


そもそも今は、どこの業界でも人手不足が半端ない。しかも、これから日本の生産人口はどんどん減っていく。政府は「女性や高齢者にもっと働いてもらおう」とよく言ってるけど、

今既に働いてる人の、無駄になってる時間を解消するだけでも、全体としてはものすごい有意義な時間が捻出できる。

たとえば通勤に往復 2時間かかってる男性が、それを 30分にできたら、残りの 1時間半は家事や育児の分担に回せる。

保育園に迎えに行き、夕食の買い物をして料理をする。 1時間半って、それだけのことが可能になるほどの大きな時間なのに、今はそれが「電車の中」で浪費されてるんだよ。


子育て中のお母さんだって、通勤時間が「チャリで 15分」だったら働ける、という人はたくさんいる。だけど片道 1時間といわれるから、職場復帰も断念せざるを得なくなる。

もちろん高齢の人にとっても、通勤不要なら働いてもいいけど、60代になってから、あの電車で通勤してまで働きたくないって人は多いでしょう。

女性と高齢者の力で労働力不足を解消しようと提言する人も多いけど、そういう人達がまったくこの問題(通勤時間の問題)に触れないのは、ちょっと想像力が乏しすぎる。



大事なことは、

・問題を問題と認識し、

・問題を解決するためにはなにをすればいいのか

という方向で思考することです。


問題を「仕方のないこと」「我慢しよう」と考えてしまい、「できない理由」ばかり声高に叫ぶ人が増えてしまうと、世の中は進歩しない。

先日の 通貨のエントリ でも書いたように、面倒なこと、理不尽なこと、大変すぎることに関しては、「これってちょっと変じゃね?」って声に出していいましょう。

そして可能なら、個人としてどんどんそれらを避けましょう。


ひとりひとりがそうすることで、問題解決への道が拓けるのです。


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 そんじゃーね!



追記)後日談 ↓



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2015-01-06 問題の名称をわかりやすく変更しよう!

世の中で「問題だ! 問題だ!」と言われてても、何が問題なのかぜんぜん分からないコトが多いんだよね。

たとえば、

東京一極集中が問題だ!

って、何が問題なの?


東京が過密になって家賃が上がるとか、通勤電車がさらに混むことを心配してくれてるのかな?

もしそうなら、「東京の住環境や通勤環境が劣悪な問題」と呼ぶべきだよね。そうすれば、「もっと東京のインフラ整備に投資しよう!」って話になるじゃん。

関連過去エントリ→ 「東京は 24時間化&高層化を目指そう!


それとは別の問題として、「若い人が東京に集まるから、子供を産む世代が地方にいなくなってるのが問題」って人もいるんだけど、

それって東京の問題じゃなくて、そういう若い夫婦を呼び込むことが出来ない地方側の問題でしょ。

だったらこの場合も、問題の名称を「地方に魅力のある仕事がない問題」に変えたほうがいい。「東京一極集中」なんて言う僻みっぽい名称を使ってても、なにも解決しない。


★★★


限界集落が問題だ!

ってのも、何が問題なのかな。


そもそも困ってるのは、

・限界集落に住んでる人なの? それとも、

・限界集落に住んでない人=限界集落の維持費を税金で負担してる人なの?


前者=限界集落に住んでてほんとに困ってる人は・・・既に近くの地方都市に転居してんじゃないの? 

てか限界集落どころか、今はそこそこの規模の地方都市に住む高齢者でさえ、郊外の一戸建てを売却して便利な駅近マンションに引っ越すケースが増えてる。

「不便な生活は耐えられない!」って思った人の多くは、自分で問題を解決してるんです。


にもかかわらず今もずっと限界集落に住み続けてる人は、「たとえ不便でも、死ぬまでココに住み続けたい!」っていう強い意志があるんじゃない? 都会の人からみれば不便な生活でも、本人は毎日好きな野菜作りとかして、楽しく暮らしてそうじゃん。


「いやいやそーじゃありません。限界集落に住んでる人は、実はみな近くの町の便利な地域に引っ越したいんです。だけど貯金もなく、農地や家を売っても近隣都市に転居するための資金が手に入らないのです」、というのなら問題は、

「限界集落から近隣地方都市に引っ越したい人が多いのに、農地と家を売ってもお金が足りない問題」って呼ぶべき。

そしたら、自治体が何にお金を出すべきか明確になり、「限界集落から近隣都市に転居するなら、農地と家の買い取りに補助金を出しますよ」っていう政策につながる。


それに、どっちかというとこの問題は、限界集落に住んでる人の問題というより、住んでない人の(負担の)問題なんだよね。

つまり、「たいした人数が住んでるわけじゃないのに、集落のインフラ維持に莫大な経費がかかる」という問題なわけ。だからこちらもより正確に、

「限界集落は維持費が高すぎて、限界集落に住んでない人の税金が高すぎて大変な問題」って呼べばいい。

こう呼べば、「何にいくらかかってるのか調べよう」→「こういう工夫をしたら、もっと費用を減らせるのでは?」っていう建設的な議論につながるでしょ。


「限界集落が問題だー!」みたいな不正確な名称で騒いでても、その騒いでる本人が限界集落に引っ越すわけでもないし、なんの解決にもならない。

むしろ問題が不明瞭なために、「限界集落に若者を移住させよう」みたいな意味不明な政策につながってしまうリスクも大きい。

こんなことやってたら、そのうち政府は「奨学金が返せない場合、限界集落に 10年住んだら、返済義務を免除する」とか言い出しかねないよ。

昔、医者とかでそういうの(金がないから奨学金もらって医学部にいった苦学生は、一定期間は無医村で働け、的なの)やってたじゃん。


★★★


地方の自治体の多くが消滅するのが問題だ!

コレも何が問題なのかよくわかんない。


自治体が消滅して困る人なんて、

・町長さん、村長さん、市長さん

・町議会議員、村議会議員、市会議員

・その区域選出の国会議員

くらいしか思いつきません。

困るのが政治家ばっかりだから、この問題はよく政治課題になるんだよ。


どうせ日本の人口はどんどん減っていくんだから、自治体だってどんどん減るのが当たり前。人口が半分になるのに、自治体が全く減らないとかありえないでしょ。

そんなことしたら、市長(村長や町長)と市議会議員(村議会議員と町議会議員)の数が、人口比で今の倍になるんだよ。そんなこと、だれが望んでるの? みんな今の倍の税金を「市長と市議会の維持」に使いたいの??

関連エントリ→ 「地方自治体はどんどん消滅すべき



少子化が問題だ!

WHY ?

年金財政が持たなくなるから? だったら「少子化問題」ではなく、「年金がもたなくなる問題」って呼ぶべきだし、少子化対策ではなく、年金制度の改革に取り組むべき。

ってか、年金制度をやめればいーじゃん。

過去エントリ→ 「年金なんて廃止しちゃえば?



というわけで、問題って、もうちょっと本質がよくわかるような名称で呼んだほうがいいと思うんだよね。たとえばこんな感じで・・・↓


「東京への一極集中問題」

   ↓

「地方に住みたい若者が少ない問題」

  or

「地方に住みたい若者はわんさかいるが、彼らは地方の仕事をしたくない問題」

もしくは、

「東京への一極集中問題」

   ↓

「東京の高層化が進んでなくて、都市部の家賃が高止まりな問題」

  or

「在宅勤務が進んでなくて、通勤ラッシュが解消されない問題」


「限界集落問題」

   ↓

「限界集落の維持費が高くて、税金が足りない問題」

「地方消滅問題」

   ↓

「地方の町長や町議会議員が失職する問題」


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 そんじゃーねー!


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2015-01-03 圧倒的に新幹線(高速鉄道)

先日、金沢に行ったら、今年の3月から東京と新幹線で結ばれるってことで、駅にすごい気合いが入ってました。

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今、長距離の高速移動を可能にする手段としては、

・鉄道

・飛行機

・高速道路+自動車

・船

があるわけですが、この中で鉄道は圧倒的に使い勝手がよいです。


高速道路&自動車って、

・渋滞や事故があり、移動時間が読めない

・誰かが長時間、運転する必要がある(疲れるしヒューマンエラーも多い)

・外国人や高齢者、免許を持たない若者には使えない(高速バスは別)

・高速代金、車の維持費などがバカ高い


自動車が向いてるのは、長距離の都市間移動(東京から金沢まで)ではなく、家から東京駅とか、金沢駅から目的地までといった、「鉄道に乗る前 & 降りた後の目的地までの移動」なんだよね。

なお、彼女と仲良くなるためのツールとか、地方の生活の足としての自動車利用は、長距離移動の話じゃないんでここでは無関係。


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自動車に加え、飛行機も面倒

・原則として予約が必要

・地方と地方を結ぶ路線がほとんど無い

・搭乗の 20分も前に空港に着く必要がある。

・荷物を預ける必要がある(パッキングが必要で、紛失や壊れる可能性もある)

・立ち席がなく、満席になると乗れない

・いろいろ面倒(出入り口が少なく乗り降りに時間がかかる。ランディングやテイクオフにはシートベルトに縛られ、電子機器を切れといわれる。気圧が変わり耳が詰まるなど)

・空港は広すぎ、歩行距離が長くて疲れる

船は・・・船しか手段がない場合以外、高速移動の手段としては既に選ばれてないと思うので略。


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面倒な飛行機や自動車(高速道路)に比べて、新幹線や特急電車などの高速鉄道はほんとーに便利。

・予約不要だし、予約も駅に行ってからで十分可能

・満席でも立ってりゃ乗れる

・駅に 5分前に着けば乗れる

・荷物も足下に置くか、せいぜい網棚にのせるだけで手間無し

・乗ってる間、寝ててもいいし、弁当も食べられるし、仕事もできる

・他と比べ、圧倒的に時刻通りに運行されてる

・価格が安定してる

・時間に超正確

・日本語が読めない人や、健康に問題のある人にも乗りやすい。


あたしは、日本中もっともっと新幹線でつないでしまえばいいと思ってて、整備新幹線への投資にも賛成です。

時間距離っていう、物理距離とは異なり、何時間で到達できるかで距離を捉える概念があるんですけど、

今、東京からだとだいたい 6時間で国内の大半のところに到着できます。

こんな感じ・・


なんだけど、今ある空港+新幹線をもっと延ばして、

・東京、大阪など人口の多いところからは、3時間くらいで全国どこでも行けるように、

・名古屋、福岡、仙台など地方の中核都市を起点とした場合も、最高 5時間くらいで行けるようにしてほしい。


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快適で便利な高速移動網の整備は、経済にも文化にも、そして企業活動にも個人の人生にも大きなインパクトを与える、非常に有効な社会投資だと思うんだよね。

個人的には、

・飛行機は、超小型(20人乗りなど)飛行機を地方から地方の空港に頻繁に飛ばす、というスタイルも導入し、


・高速道路は料金を無料に、& 大都市は高速バスターミナルを整備して高速バス網を充実させ、


・新幹線は日本海側も、青森から山口まで直通で走らせる。んで、太平洋側を走る新幹線と何カ所かでつなぐ

くらいのことは、ぜひやってほしいと思ってます。


なおリニアは、日本ではそこまでの価値がなくとも、中国やブラジル、インド、アメリカなど、日本より圧倒的に広い国なら、やっぱり時速 500キロくらいは欲しい。

なので鉄道輸出を考えると(てか、人類全体のためには)、開発意義があります。未来のいつか鉄道が飛行機の時速を超えてくれば、陸地上の高速移動は全部、鉄道にした方が便利。


ただし、整備新幹線には賛成ですが、「整備新幹線が予定されてるから、めっちゃ豪華な駅を作ろうぜ!」という意見には、全く賛成できません。価値に関係ないものも含め、なんでもかんでも豪華に作りたがるのは、昭和のオヤジの悪い癖です。


というわけで、もっともっと新幹線で日本中つないで欲しい。

よろしくお願いします! (←誰宛?)


そんじゃーね!


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2015-01-01 伝え続けていくということ 10年目の起点として

今年の 3月で、このブログを書き始めてから 10年になります。会社を辞めてからは丸 4年。両方ともついこの前のことに思えるのに、ほんとに時間のたつのは早いです。

そういえばブログがブームだった時代もすっかり過去のこととなり、周りでも止めてしまった人がたくさんいます。

いろいろ形を変えながら、ではありますが、このブログが 10年を超え、まだまだ続きそうに思えるのは、私にとって「書くこと」が「考えること」と同義であり、ちょっと大袈裟に言えば、ほとんど「生きること」とも同義だからでしょう。


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私は「書く」にあたって、ツイッター、ブログ、書籍という 3つの媒体を使っています。

この 3つの媒体の役割は複層的で、最初に思いついたことは、ツイッターで呟いてみます。

それは外部からのインプットにたいする初期的な感想であったり、ちょっとした思いつきであったり。何も考えず、無防備に発信できるのがツイッターの手軽さです。

呟きに対する反応を見ながら、少しずつ思考が深まり、ある程度まとまってくれば、ブログのエントリとして「伝えたい!」メッセージに昇華します。

なので、そこまでは何度か、ツイッターでエアブレスト(?)を行います。


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伝えたいメッセージが固まると、ブログを書こうという気になります。

「Chikirinの日記」の育て方』 や 『「自分メディア」はこう作る! 』 を読んでくださった方ならご存じのように、私のブログは行動の記録ではなく思考の記録であり、その起点には常に「伝えたいメッセージ」が存在します。

とはいえブログで伝えようとするメッセージは、ごくシンプルなものが多いのですが、

ひとつひとつがメッセージを含むブログを長く書き続けていると、次第に、より大きな思想のようなもの(というと大げさですが、なんらか、まとめて伝えたいこと)が形成されてきます。

そうすると、今度は書籍を書くタイミングです。

こうして、過去4年間の間に 書き下ろし(オリジナル) 4冊を含む、6冊の本を出しました。


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「もういい加減、伝えたいことも尽きたかな?」と思ったコトもあったけど、最近は「やっぱりまだまだ伝えたいことはたくさんある」ってわかりました。

それと、会社を辞めて丸 4年、試行錯誤しながら自分の生活スタイルを模索していたのだけど、昨年はやってみたかったことをかなり実践できたこともあり、

今年は、ちょっと方針を変えていこうかなとも。


というのも、「ちきりん」ってたくさん本を出してるように見えるかもしれませんが、実は、昨年出したのは、『多眼思考』 と 『「自分メディア」はこう作る! 』 の 2冊だけです。

どちらも、過去の発信をメッセージとしてまとめたものなので、新たに書いた本ではありません。つまり、私は過去 1年で言えば、新たな本は書いてないんです。


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で、去年は何をやってたかというと、ひたすらアチコチ旅してました。モロッコに行き、スリランカに行き、マレーシアに行って、長崎に行き(軍艦島にも!)、福岡に行き、沖縄(那覇や辺野古にも)行き、石垣島から離島にも行き、旭川や金沢や湯沢にも行きました。

取材や対談などの仕事は数えるほどしか受けておらず、ひたすら「いつもと違う風景を見て考える」時間を楽しみました。

それは本当に楽しい時間で、「そうそう、あたしは会社を辞めて、こういう生活がしたかったんだ」って再認識しました。


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おかげですっかりリフレッシュできたので、今年はもうちょっと積極的に本を書いていこうかなと思ってます。

さっき書いたように、まだまだ「伝えたい」ことがあるんだってわかったし。

デジタル出版もできるようになったので、出版スタイルに関しても、いろいろ試してみたいです。内容も、今までとはちょっと違うものも含めてチャレンジしてみようかなと。


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とはいえ、1年に 5冊も 6冊も本を出すって話じゃありません。そんなの私には不可能です。基本はとても「ゆるい」人なんで・・・

相変わらず旅行もするし、韓国ドラマもたっぷり見続ける予定だし、いろんな人と楽しく美味しい食事を楽しみたい。

そんな中でも今までよりホンのちょっとだけ、「書くこと・伝えること」に舵を切っていこうかなと思ってるだけです。


目標低すぎ?

すみません。頑張りすぎる人生はヤなんです。


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それと、今年は念願だった読者の方との小規模イベントもやる予定で、これもとっても楽しみにしてます。

ブログが人気化してから、大規模な講演会はできても、読者の方と触れあう機会が全く無かったので、どんな方がブログを読んでくださってて、どんなふうに思ってくださってて、ってのを直接お会いして聞けるのは、ほんとーに楽しみ。


というわけで、今年もゆるく頑張ります。

いつの日か、「今年は、ブログを始めて 20年です」と書けるその日まで。


そんじゃーね!


※写真は金沢旅行で撮った写真です


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