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Chikirinの日記 RSSフィード

2015-10-28 お、ねだん以上、ニトリ

最近、ダイニングテーブルやスツールなど、「普通、こんなもん壊れないよね?」みたいなものが次々と壊れてしまいました。

でも、よく考えたらどれも 15年以上使ってる。なかには 20年を超えたものも・・・

「そりゃーガタも来るよね」ってことで、久しぶりに ニトリ にいって、いくつか家具を買いました。


そしたら、

・配送料 2000円 (一回)

・配送の時間指定  1000円(一回)

・組み立て料  2000円 (一点)

・不要家具引き取り手数料 3000円(一点)

と言われ、あれこれ考えて、合計で 7000円くらい手数料を払うことに。


こういった手数料について、「高い!」とか「サービス悪い!」と思う人もいるのかもしれませんが、私は、このタイプの分離プライシングをする企業に、極めて好意的です。

だって、「配送料も組み立て料も無料!」とした場合に何が起こるかというと、それらにかかるコストがすべて、商品全体の値段に上乗せされる(不可視化される)だけだからです。


そうなると、

1)自分で車で持って帰る人が、配送してもらう人のコストを負担し、

2)自分で組み立てる人が、組み立ててもらう人のコストを負担、

3)自分で粗大ゴミに古い家具を出す人が、ニトリに不要家具を引き取ってもらう人のコストを負担する

ことになります。


たとえば今回 買ったものの中には、170センチ高のシェルフがあるのですが、これは、本体 7000円、組み立て料が 2000円です。

このシェルフを買う人の半分が組み立てを依頼するとすれば、ニトリはそれを、

8000円のシェルフ。組み立て無料!

と言って売ることもできます。


でもこれじゃあ、自分で組み立てられる人まで、1000円高く払わされてしまう。


今回は“シェルフ 9000円 組み立て料込み!”と考えても、十分に安い(リーズナブルな)値段だと思えたので、私としては消費者に選択肢のある、

本体 7000円、組み立て料が 2000円

という売り方の方が、よほど誠実だと思います。


★★★


特にこれからは人手不足で人件費も高くなるので、こういったサービスを「無料!」にしてると、商品に(こっそり)上乗せされるコストは相当に大きくなります。


そんなのフェアじゃないでしょ?


これに限らず私は、全てのサービスを

・分離し、

・個別プライシングする

ことで、サービスの受益者負担を明確化する方法の方が大好きです。


反対に、

・次々と端末を買い換える人のコストを、長くひとつの端末を使う人に


・何度もキャリアを変更する人のコストを、長年、同じキャリアの契約を続ける人に、


・ヘビーユーザーが利用するサービスのコストを、ライトユーザーに、


・窓口で初期設定まで全部、店員にやってもらう人への接客コストを、なんでも自分でできる人に

長年、負担させ続けてる携帯・スマホ業界のプライシングは、ホントに腹立たしい。

っていうか、それって非合理なだけじゃなく、消費者にたいして不誠実でしょ?


★★★


今回はいろいろ考えた結果、買ったもののうち、大型の家具は組み立てを頼み、(キャスター付けるだけとか)ごく簡単なモノだけ自分で組み立てることにしました。


大型の家具もやろうと思えば自分で組み立てられるけど、一人でやるのは面倒だし、2000円なら、友達に手伝ってもらって御礼に食事を奢るより安くて気も楽です。


でも、これがもし学生時代だったら、当然、自分で組み立てます。学生なら自分も友人もヒマだし、御礼に奢るご飯だって 500円の定食で十分だしね。


このように、ひとりひとりが、「このサービスは自分にとっていくらの価値なのか?」と考えて選択できる。こういう分離プライシングが、もっと拡がるといい。


価値とプライシングについては、こちらの本に書いた通りで、この本を読んでくださった方は、ニトリが売っている“価値”が、“家具”なんかではないことに気が付いているはず。



それに・・・今回の場合、手数料に 7000円を払っても、合計金額と買った家具(複数)の内容を比べると、確かに、


お、ねだん以上 ニトリ!


って思えます。


家具が安いから、相対的にサービス料が高く感じるけど、それはむしろ商品本体の価格が品質に比較して安すぎるからで、

ニトリってほんと、家具界のユニクロだなと思いました。( or ユニクロがアパレル界のニトリなのかもしれませんが)



ところで、“お、ねだん以上 ニトリ!” っていう音(メロディ)の商標は、さっそくに取得したんでしょうか?


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 そんじゃーね!


→ ニトリのオンラインショップはこちら


追記)さっき不要になる家具の処分を「粗大ゴミセンター」に申し込んだら、大型の家具でも 700円程度でした。


ニトリに配送のついでに持ち帰ってもらっても 3000円かかるコトを、行政は 700円でやってくれる。当然、税金の補助が入ってるからです。

(行政がこの価格を敢えて安くしてるのは、不法投棄を促進しないためでもあります)


ありがたいことでやんすね。



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2015-10-21 終末期医療について考えよう!

私はよく 10年前に書いたブログをツイッターで紹介しています。

これを続けるためには、10年後に紹介できるエントリを今、書いておく必要があるので、今日は「終末期医療」について書いておきます。


このトピックは、10年後くらい後には大問題となり、おそらく法制化も議論されているはずだからです。

そうなった時、「あたしソレ、10年前に書いてるから」と言えるよう、今、書いておこうという作戦なんですが、

よく考えたら、あたしが 10年後に生きてるかどーかのほうが不確かなので、この作戦が成功するかどーかはよくわかりません。


★★★


終末期医療というのは、高齢者が最期の時を迎えた時の医療のあり方です。

これ、本当は“高齢者”に限定された話ではないのですが、今回は平均寿命付近まで生きてきた高齢者に限定して考えます。

概ね 85歳を超えた人がこういう状態に陥ったら、という前提でお読みください。


昔は、多くの人が自宅で亡くなっていました。でも、今は大半の人が病院で亡くなります。

(赤い線が病院で亡くなる人の比率、青が自宅で亡くなる人です↓)

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 ( 厚生労働省・資料


これにより私たちは、死ぬその瞬間まで「死なないよう」万全の医療を受けることになりました。


口から薬が飲めなくなった患者にも、点滴や注射で薬剤を投与し続け、

出血したら輸血、

呼吸ができないなら人工呼吸、

ご飯が食べられないなら鼻チューブや胃瘻(いろう、胃へのチューブによる直接的な栄養補給)、

血液が浄化できないなら人工透析、

心臓が止まったら電気ショックに補助人工心臓です。


それも数日や一週間という話ではありません。

医療技術が進むにつれ、こういった延命治療によって年単位で、時には十年を超えて人間は生きることができるようになりました。

もちろんベッドの上で、です。


★★★


これらの「できる限りの治療」は、本人が「無駄な延命治療をしないでほしい」という意思を持っていたとしても、病院にいる限り必ず行われます。

なぜならそうしないと、医者は殺人罪に問われてしまうからです。


たとえ妻や息子、娘が医者に「お父さんは延命治療なんて望んでいなかった。止めてください」といっても、簡単には止められません。

今の日本の法律では、家族であっても勝手に他人の命を止めることはできないし、そもそも「配偶者の意見」でさえ、「家族の総意」ではありません。


息子と娘の意見が異なる場合もあるし、妻と子供の意見が一致して「父は延命治療を望まない。その意思を尊重したい」と言っても、

ほとんど会ったこともない父の兄弟が見舞いに来て、「ずっと支え合って生きて来た、たった二人の兄弟なんだ。最期までできる限りのことを!」と言い出す可能性もあります。

そういう人からの訴訟リスクもあるので、医師はその職業的な使命に忠実に、「できる限りの(延命)治療」を行います。


★★★


唯一延命治療が止められるのは、「始める前」です。

たとえば、既に何年も寝たきりの家族が自宅で体調を崩した時、救急車を呼んで病院に運ばれてしまうと、延命治療が始まりますが、

「救急車を呼ばず、自宅でできる限りのことをする」という選択肢を選べば、自然死がありえます。

(この場合は死因検査が行われ、「家族が殺したわけではない」というチェックが行われます)


もうひとつは、体に傷を付ける必要のある延命治療を始める前の選択です。

たとえば胃瘻については胃に穴を開ける必要があるので、家族の同意なしに医師が行うことはありえません。(と理解してます)

なので、この段階で「そういう治療はしない」と決めることはできます。


ただし、体に傷を付ける必要のない治療は、病院にいる限り(救急車を呼んだ段階で)自動的に行われると思ったほうがよいでしょう。

家族は、「入院させた」「救急車を呼んだ」時点で「死なないように、あらゆる治療をやってほしい」と病院に依頼したと判断されるからです。


★★★


今までは、これらはあまり大きな問題ではありませんでした。なぜなら、

1)自宅で亡くなる人が多かったので、病状が急変しても、できる治療は限られている

2)医療技術が進んでいなかったので、延命治療を行っても寿命は長くは延ばせなかった

からです。


でも今は、そしてこれからは、大半の人が病院で最期を迎え、進んだ医療技術の恩恵を受けて、ベッドで寝たきりのまま 10年、20年と生き続ける可能性がでてきています。

もちろん本人の意思に拘わらず。というか大半の場合、本人の意思は確認できないままに、です。

そして(敢えて書いておきますが)、その治療費の大半が「若い人達が働いて納めた税金や保険料」から支払われます。


★★★


最大の問題は、本人の意思を反映する法的な枠組みが整備されていないことです。これは、「リビングウィルの法制化」といわれる問題です。

ちなみに、「延命治療を拒否して自然死を迎えること」は「尊厳死」と呼ばれます。

もう十分に生き、本人も望んでいないであろう延命治療を延々と続け、ベッドの上で意思表示も食事もすることなく、何年も「死なせてもらえない状況」を拒否するのが「尊厳死」です。


これとは別に「安楽死」という言葉もあります。

これは、不治で末期の病状にある人が、原則として本人の意思により、医師など第三者に、薬物などを使って死期を早める措置を行わせることです。

病気の苦痛に日々耐えかねている患者さんに、塩化カリウムなどを注射して命を終わらせると共に、その苦痛から解放する、といったイメージです。

安楽死は「自殺幇助」そのものですが、一定の条件の下に、罪にも罰にも問われないことが決められています。


たとえばオランダでは、 2001年に安楽死が法制化、2014年の 1年だけでも 5306人が安楽死で亡くなっています。これは年間に死亡する人の 数パーセントにあたります。

2015年末には重い認知症の人でも(=本人の意思確認ができるか微妙な人でも、という意味)安楽死が選べるようになり、年間 80名以上が安楽死(2014年)、希望者は増え続けてるらしい。

また、アメリカではやオレゴンやワシントンなど、いくつかの州で安楽死が合法化されているため、末期の病状にある患者さんが(安楽死が認められていない)他州から引っ越してくる、という現象も起こっています。


が、私が今日のエントリで書いているのは、安楽死ではなく尊厳死についての話です。

個人的には安楽死も法制化すべきとは思っていますが、議論を丁寧に進めるためにも、まずは尊厳死について考えるべきだと思うからです。


★★★


さて、延命治療が必要になるような状況では、多くの場合、本人の意思確認はできません。たとえ意識があっても、まともな思考力が残っている状況ではないからです。

そして、たとえ尊厳死が法的に認められても、医者が単独でその決定をすることはありません。


法制化の後も、医者はあくまで、

・法的に認められる状態だと確認され、

・本人の(意識不明になる前の)意思が確認されたり、(法律がそれを許すなら)家族が尊厳死を望んだ場合に治療が止められる(治療をしないと決められる)だけです。


だから今もそうであるように(たとえ法制化されても)「本人の意思も家族の意思も確認できない患者」は、ベッドの上で延々と生き続けることになります。

意思表明をしていない身寄りのない人が道でのたうち回り、救急で運ばれてきたようなケースですね。


治療費はどうするんだって?

ケースワーカーなどが家族を探すのだと思いますが、誰も見つからない場合は入院したまま生活保護が受けられますから、医療費は国から支払われます。

(生活保護を受給すると医療費は完全に無料です)


こういった、「本人が意識不明になった時、家族がいない」という人は、これからは急増するでしょう。

結婚していない人、結婚しても子供がいない人(←夫婦が同時に死亡しない限り、残った方は「家族がいない」状態になります)、もともと家族はいたけれど、縁が切れてから何十年もたっている人も増えているからです。


★★★


とはいえ、話が複雑なのは家族がいても同じです。

自分の親の命を左右する決断をするのは、子供にとっても、ものすごく重い判断です。


そういった状況に陥いる親は 80代、子供は 50代くらいで、共に生活していたのは既に 30年も前のこと、だったりもします。

子供といえど、親が自分の人生をどう考えていたか、想像さえできないし、そもそも親とそんな話自体したことがない、という人が大半ですよね。


こういう場合、突然(ほんとは突然じゃないんですけど)倒れた親にパニックした子供は、

往々にして「これまでは全く親孝行ができなかった。だからせめて今から最大限の親孝行を!」と考え、

「先生、お金はいくらでも出します。できる限りのことをしてください!!」と言ったりするわけですが、

そんなのは「自分のこれまでの、親不幸な行いへの償い」に過ぎません。


そんなことを言い出したら、更に親不幸を拡大させる(=親に、本人が望んでいないベッド上での長期間の治療の苦痛を耐え続けさせることになる)可能性さえあるんです。

これじゃあ、親不幸を償うどころか、親不幸の拡大延長です。

そもそも親が元気なうちに孝行をしていない子供に(=親の生き方や人生についてじっくり話をしたこともなかった子供に)、親の人生を左右する決断なんてできるわけありません。


★★★


それでも、親や配偶者ならまだマシです。

叔母や叔父、(親の離婚や再婚に伴う)義理の兄弟や義理の親、遠い親戚の誰かが倒れて病院に運ばれた時、

その治療方法についての判断を医師から求められ、

適切に答えられる人、

もしくは、自分が答えるのが当然だと思える人なんて、いるんでしょうか?


先ほども書いたように、延命治療が延々と続けられれば、膨大な医療費の負担が必要になります。

それらは、人数も少ない若い世代(今の子供達)の負担になります。


命を「コスト」で語ることを、不謹慎だと思う人もいるでしょう。


でもね、


・(意識はなくなってるけど)本人も望んでない、

・医師も、自分だったらこんな治療は受けたくないと思ってる、

・家族も同様だけど、自分で「それをやめる」判断なんて怖くてできない


という治療に、月に何十万円もかかり、それを何十年もの間、次の世代に負担させるしか選択肢がない。


こんな制度を放置していて、いいんでしょうか?


★★★


急ぐ必要はありませんが、

「本人の意思で延命治療の選択を行うことができ、万が一意識がなくなった時も、その意思に基づいた治療が行われる」

「それに沿って治療を行った & 行わなかった医師が逮捕されることのない制度」について、

そろそろ議論を始め、考えて行くべき時期がきていると思います。


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 そんじゃーね!



この問題への入門編としては、この本くらいがいいかな。キンドルもあるので、「今まで考えたこともなかった」という方でも手軽に読めます。

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なんでもそうですが、まずは自分の意見をもつこと、それがモノを考えるための第一歩となるのです。


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2015-10-11 ノーベル財団めちゃすごい

みなさん、ノーベル賞に関して “一番すごい” のはどこだと思います? 

アメリカ? 日本? それともカミオカンデ?


どー考えても一番すごいのはノーベル財団ですよね。

この賞に関しては、“受賞者より授与者”の方が圧倒的にスゴイです。


なんたって、ノーベル賞を自国の人が受賞すると、アメリカや日本はもちろん、中国だって(平和賞や文学賞みたいな嫌みな賞は別として)その受賞をめっちゃ喜びます。

アメリカと対立してるすべての国、ロシアだろうがイラクだろうが中南米の国だろうが、ノーベル賞を喜ばない国はありません。

国の価値観や宗教や政治的な立場に拘わらず、独裁国だろうが民主国だろうが共産国だろうが、みーんな自国研究者の受賞を喜ぶんです。


加えて、国内のすべてのグループがそれを喜びます。

今、シリアの学者が自然科学系でノーベル賞をとれば、アサド大統領も、反政府勢力の人達も、そしてテロ集団の I S でさえ喜ぶでしょう。

日本だって、安保反対の人も原発反対の人も、全員が日本人の受賞を喜ぶ。オリンピックには「誘致反対」の人も存在するけど、ノーベル賞の受賞を苦々しく思うなんて人は、存在しない。

こういう賞を作り上げたということ、そして、それを与える権利を持っているというのは、本当にスゴイことなんです。


ノーベル財団は、ダイナマイトの発明者であるアルフレッド・ノーベル氏が創立したのですが、彼はずっと昔に亡くなっており、

今いったい誰がこの“ノーベル賞という仕組み”を運営してるんだか、よく知らないのですが、私には、そのパワーは近年ますます大きくなっているように思えます。

ノーベル賞の運営者たちはものすごく戦略的だし、マーケット感覚に溢れてるんです。


ちなみに「アメリカのノーベル生理学・医学賞」とも言われるラスカー賞だって、一般の人に名前が知られるようになったのは「ラスカー賞をとると、ノーベル賞を取る可能性が高まるから」なんですよね。

専門家から見れば、ラスカー賞にはそれ自体として大きな価値がありますが、一般の人にとってのラスカー賞の価値は「これをとればノーベル賞をとる可能性が高まること」です。

つまりノーベル賞は、他の権威ある賞を“子分”扱いしてしまうくらいマーケティング的に成功してるわけです。


別の言い方をすれば、「権威のある国際的な賞」という市場で、ノーベル賞は一人勝ちしています。

彼らは、「たとえ極めて高度に専門的な賞であっても、大事なのは専門家だけからの評価ではなく、科学なんて全くわからない一般の国民からの支持である」と看破しました。

この感覚が、彼らの今の地位を作り上げ、かつ、「専門家だけが理解できればいい」と考えていた他の賞とは、全く異なるレベルの影響力を彼らに与えたのです。


★★★


ノーベル賞は名誉を与えるだけではありません。

受賞者が出た国では、受賞分野に大きな科学研究予算が割り振られ、時には教育のあり方にまで影響を与えます。

将来ノーベル賞をとりたいと考えるちびっ子たちの進路にも、少なからず影響を与えるでしょう。

近年、平和賞に加えて文学賞も、ものすごく政治的な意味合いが強くなっていますが、こういうことができるのも、自然科学分野でのノーベル賞の影響力が非常に大きくなってきたからです。


彼らは平和賞や文学賞の授与を通して、「世界において好ましい価値観はコレである」と提示します。

アメリカが自国の価値観を主張しても聞き入れない国はたくさんあるし、スイスや北欧の国、ドイツが(もし)その価値観を強く押し出しても、必ずしも多くの国が賛同したり、注目したりするわけではありません。

でもノーベル賞は、自然科学系の賞で「すべての国がノーベル賞を歓迎し、歓喜する」という立場を獲得したことを利用して、

世界の覇権を握っているはずのアメリカの価値観よりも、自分たちの価値観のほうが遙かに正しく、高尚かつ重要であるかのように思わせることに成功しています。


てかね、こんだけ強烈に自分たちの価値観を主張しながら、こんだけ“中立的”に見えるなんて、ありえないくらいスゴイことなんですよ。

普通は強く意見を押し出せば押し出すほど、「偏っている」と認識されます。(あたしのブログなんて、その最たる例です)


なのにノーベル賞は、強い主張を“偏っていない”と思わせることに成功しています。

どうやって?

自然科学系のノーベル賞授与が獲得した権威を、平和賞や文学賞に利用することにより。です。


★★★


今後のノーベル財団は、自然科学系の賞についても、独自の価値観を強く押しだしてくるかもしれません。

たとえば先進国に多い病気に効く薬の開発者と、アフリカなど未開の地に多い病気に効く薬の開発者のどちらに賞を与えるか、という判断は、「科学者の使命とは何なのか?」という問いに対する答えを示唆することになるでしょう。

平和利用されて大きなインパクトがあった技術と、軍事的にも大々的に利用された技術の開発者のどちらに賞を与えるか、といった判断も同じです。

原子力発電の分野と自然エネルギー分野で、科学的には同じレベルの大きな貢献があったとしても、そのどちらに賞を与えるか、という判断には、多分に「世界はこうあるべし」という価値観が含まれます。


カミオカンデ、スーパーカミオカンデのような超巨大な実験施設を必要とする研究は、どこの国でもできるわけではありません。国家にそれだけの投資をする財政的な基盤が不可欠です。

つまり、最大でも世界で 10ヵ国くらいしか、こんなものを作れる国はないんです。

だとしたら、その負担をしてくれた国にノーベル賞を与えれば、その国はこれからも、より多額の予算をその分野につぎ込んでくれます。


カミオカンデでの研究成果にノーベル賞が与えられていなくても、日本はスーパーカミオカンデに予算を投入したでしょうか?

ノーベル財団は、前者にノーベル賞を与えることで、日本政府にこの分野へのさらなる投資を決断させることができます。

これは、ノーベル財団が経済的に余裕のある国に向けて「今後もこの分野に投資をするように」と指示(示唆)しているのと同じです。


もしも日本で、カミオカンデ関連や iPS 細胞関連の研究が予算を得やすく、それ以外は研究予算を得るのに苦労をしているとしたら、それは「ノーベル財団がそこに投資しろと言ったから」です。

彼らは一国の研究予算配分を、事実上、左右できるだけの力を持ちはじめています。

もしも韓国にノーベル賞が狙える研究者が現れたら、韓国政府はその分野に、めちゃくちゃすごい額の投資をすることでしょう。それはもはや、納税者の意思でも自国研究者の意思でもありません。


今までなら科学技術予算を牛耳る官僚組織に、研究の価値や意義を認めてもらうことが、予算を獲得するための方法でした。

でもこれからは、国際的に権威のある賞と個別の研究がマッチングされる“科学研究評価市場”で認められることが、予算獲得の鍵となるのだとしたら・・・

それは、他の分野でも次々と起こっている“組織に認められるより、市場に認められるほうが大事”という市場化という潮流の一例です。


世界で大きな影響力をもつには、軍事力や経済力で他を圧倒するというのが一般的な方法でした。

でも、それらをもたない合議体としてのノーベル財団が、ここまでのパワーを持ち得ているのは、その運営者、意思決定者たちの英知のレベルが(そしてマーケット感覚が)、どんだけ卓越しているかということを、如実に表していると思います。


そんじゃーね



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2015-10-06 日本の科学研究の未来は?

なんとまた日本人研究者がノーベル賞を受賞。そんなニュースが流れた昨日、私もリツイートした下記の呟き。


確かに受賞者の多くはご高齢。素人目で見ても、かなーり昔の功績にたいしての授与っぽい。

ただそれはノーベル賞の「賞としての特徴」の話なので、今も日本の若手研究者の方が、国際的に評価される論文をたくさん書いていらっしゃるというなら、なんの問題もありません。


なんだけど、「いや、実は日本の科学研究の未来は暗いのだ!」と言う主張もちらほら。

たとえば昨年末に文部科学省の学術政策研究所が出したこのレポートを見ると、日本の科学分野の研究論文って、数でも質でも世界でのプレゼンスがここ 20年ほど、大幅に低下してる。

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アメリカに次ぐ 2位だった論文数は、今や中国、そして、人口が日本より遙かに少ないドイツ、英国にも抜かれて 5位に。

論文の質(被引用数の数やシェア)でも、米・英・独に続く世界 4位だったのが、中国、フランス、カナダに抜かれて 7位。注目度が極めて高い論文だけで比較すると更に下がって 8位。


また、アメリカと比べると、博士課程やポスドクなど若手研究者が筆頭著者になる論文が少ないとか、

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「長期の時間をかけて実施する研究」が減り、「一時的な流行を追った研究」や「短期的に成果が生み出せる研究」が増えていると感じる人が増加してるという関係者アンケート、

大学教員の研究時間割合が、2002 年調査の 46.5%から 2013 年調査の 35.0%まで下がってることなど、いろいろ分析されてます。


★★★


その後、今年 5月に発表された鈴鹿医療科学大学 豊田長康学長の 「運営費交付金削減による国立大学への影響・評価に関する研究」 なんて、サマリーページの一部がこんな感じ・・・↓


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ずいぶん激しい言葉ですよね。とはいえ、こんな状況(↓)では口調も厳しくなる?

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イノベーション、イノベーションと声高に叫ばれるわりに、企業の新規プロダクトイノベーション実現割合と高い相関を示す GDP あたり論文数も先進国では最も低いとか・・

f:id:Chikirin:20151006122200j:image:w600


★★★


まあでも文部科学省のレポートは、「文部科学省が財務省から予算を引き出すために、敢えて危機感を煽ろうと作られた資料」であり、

豊田学長のレポートは、「大学が文部科学省から予算を引き出すために、敢えて危機感を煽りたいと書かれたもの」にも見えるので、

どちらも“ポジショントーク”(自分のポジションに利益をもたらす結論を引き出すための主張)という可能性もあります。


もしそうだとしたら、何も心配する必要はありません。日本では今も、未来をリードするさまざまな研究が行われているのだと信じたい。


大村智博士のノーベル医学生理学賞、梶田隆章博士の物理学賞の受賞、本当におめでとうございます。


そんじゃーね!


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