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Chikirinの日記 RSSフィード

2015-10-11 ノーベル財団めちゃすごい

みなさん、ノーベル賞に関して “一番すごい” のはどこだと思います? 

アメリカ? 日本? それともカミオカンデ?


どー考えても一番すごいのはノーベル財団ですよね。

この賞に関しては、“受賞者より授与者”の方が圧倒的にスゴイです。


なんたって、ノーベル賞を自国の人が受賞すると、アメリカや日本はもちろん、中国だって(平和賞や文学賞みたいな嫌みな賞は別として)その受賞をめっちゃ喜びます。

アメリカと対立してるすべての国、ロシアだろうがイラクだろうが中南米の国だろうが、ノーベル賞を喜ばない国はありません。

国の価値観や宗教や政治的な立場に拘わらず、独裁国だろうが民主国だろうが共産国だろうが、みーんな自国研究者の受賞を喜ぶんです。


加えて、国内のすべてのグループがそれを喜びます。

今、シリアの学者が自然科学系でノーベル賞をとれば、アサド大統領も、反政府勢力の人達も、そしてテロ集団の I S でさえ喜ぶでしょう。

日本だって、安保反対の人も原発反対の人も、全員が日本人の受賞を喜ぶ。オリンピックには「誘致反対」の人も存在するけど、ノーベル賞の受賞を苦々しく思うなんて人は、存在しない。

こういう賞を作り上げたということ、そして、それを与える権利を持っているというのは、本当にスゴイことなんです。


ノーベル財団は、ダイナマイトの発明者であるアルフレッド・ノーベル氏が創立したのですが、彼はずっと昔に亡くなっており、

今いったい誰がこの“ノーベル賞という仕組み”を運営してるんだか、よく知らないのですが、私には、そのパワーは近年ますます大きくなっているように思えます。

ノーベル賞の運営者たちはものすごく戦略的だし、マーケット感覚に溢れてるんです。


ちなみに「アメリカのノーベル生理学・医学賞」とも言われるラスカー賞だって、一般の人に名前が知られるようになったのは「ラスカー賞をとると、ノーベル賞を取る可能性が高まるから」なんですよね。

専門家から見れば、ラスカー賞にはそれ自体として大きな価値がありますが、一般の人にとってのラスカー賞の価値は「これをとればノーベル賞をとる可能性が高まること」です。

つまりノーベル賞は、他の権威ある賞を“子分”扱いしてしまうくらいマーケティング的に成功してるわけです。


別の言い方をすれば、「権威のある国際的な賞」という市場で、ノーベル賞は一人勝ちしています。

彼らは、「たとえ極めて高度に専門的な賞であっても、大事なのは専門家だけからの評価ではなく、科学なんて全くわからない一般の国民からの支持である」と看破しました。

この感覚が、彼らの今の地位を作り上げ、かつ、「専門家だけが理解できればいい」と考えていた他の賞とは、全く異なるレベルの影響力を彼らに与えたのです。


★★★


ノーベル賞は名誉を与えるだけではありません。

受賞者が出た国では、受賞分野に大きな科学研究予算が割り振られ、時には教育のあり方にまで影響を与えます。

将来ノーベル賞をとりたいと考えるちびっ子たちの進路にも、少なからず影響を与えるでしょう。

近年、平和賞に加えて文学賞も、ものすごく政治的な意味合いが強くなっていますが、こういうことができるのも、自然科学分野でのノーベル賞の影響力が非常に大きくなってきたからです。


彼らは平和賞や文学賞の授与を通して、「世界において好ましい価値観はコレである」と提示します。

アメリカが自国の価値観を主張しても聞き入れない国はたくさんあるし、スイスや北欧の国、ドイツが(もし)その価値観を強く押し出しても、必ずしも多くの国が賛同したり、注目したりするわけではありません。

でもノーベル賞は、自然科学系の賞で「すべての国がノーベル賞を歓迎し、歓喜する」という立場を獲得したことを利用して、

世界の覇権を握っているはずのアメリカの価値観よりも、自分たちの価値観のほうが遙かに正しく、高尚かつ重要であるかのように思わせることに成功しています。


てかね、こんだけ強烈に自分たちの価値観を主張しながら、こんだけ“中立的”に見えるなんて、ありえないくらいスゴイことなんですよ。

普通は強く意見を押し出せば押し出すほど、「偏っている」と認識されます。(あたしのブログなんて、その最たる例です)


なのにノーベル賞は、強い主張を“偏っていない”と思わせることに成功しています。

どうやって?

自然科学系のノーベル賞授与が獲得した権威を、平和賞や文学賞に利用することにより。です。


★★★


今後のノーベル財団は、自然科学系の賞についても、独自の価値観を強く押しだしてくるかもしれません。

たとえば先進国に多い病気に効く薬の開発者と、アフリカなど未開の地に多い病気に効く薬の開発者のどちらに賞を与えるか、という判断は、「科学者の使命とは何なのか?」という問いに対する答えを示唆することになるでしょう。

平和利用されて大きなインパクトがあった技術と、軍事的にも大々的に利用された技術の開発者のどちらに賞を与えるか、といった判断も同じです。

原子力発電の分野と自然エネルギー分野で、科学的には同じレベルの大きな貢献があったとしても、そのどちらに賞を与えるか、という判断には、多分に「世界はこうあるべし」という価値観が含まれます。


カミオカンデ、スーパーカミオカンデのような超巨大な実験施設を必要とする研究は、どこの国でもできるわけではありません。国家にそれだけの投資をする財政的な基盤が不可欠です。

つまり、最大でも世界で 10ヵ国くらいしか、こんなものを作れる国はないんです。

だとしたら、その負担をしてくれた国にノーベル賞を与えれば、その国はこれからも、より多額の予算をその分野につぎ込んでくれます。


カミオカンデでの研究成果にノーベル賞が与えられていなくても、日本はスーパーカミオカンデに予算を投入したでしょうか?

ノーベル財団は、前者にノーベル賞を与えることで、日本政府にこの分野へのさらなる投資を決断させることができます。

これは、ノーベル財団が経済的に余裕のある国に向けて「今後もこの分野に投資をするように」と指示(示唆)しているのと同じです。


もしも日本で、カミオカンデ関連や iPS 細胞関連の研究が予算を得やすく、それ以外は研究予算を得るのに苦労をしているとしたら、それは「ノーベル財団がそこに投資しろと言ったから」です。

彼らは一国の研究予算配分を、事実上、左右できるだけの力を持ちはじめています。

もしも韓国にノーベル賞が狙える研究者が現れたら、韓国政府はその分野に、めちゃくちゃすごい額の投資をすることでしょう。それはもはや、納税者の意思でも自国研究者の意思でもありません。


今までなら科学技術予算を牛耳る官僚組織に、研究の価値や意義を認めてもらうことが、予算を獲得するための方法でした。

でもこれからは、国際的に権威のある賞と個別の研究がマッチングされる“科学研究評価市場”で認められることが、予算獲得の鍵となるのだとしたら・・・

それは、他の分野でも次々と起こっている“組織に認められるより、市場に認められるほうが大事”という市場化という潮流の一例です。


世界で大きな影響力をもつには、軍事力や経済力で他を圧倒するというのが一般的な方法でした。

でも、それらをもたない合議体としてのノーベル財団が、ここまでのパワーを持ち得ているのは、その運営者、意思決定者たちの英知のレベルが(そしてマーケット感覚が)、どんだけ卓越しているかということを、如実に表していると思います。


そんじゃーね



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