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Chikirinの日記 RSSフィード

2015-10-21 終末期医療について考えよう!

私はよく 10年前に書いたブログをツイッターで紹介しています。

これを続けるためには、10年後に紹介できるエントリを今、書いておく必要があるので、今日は「終末期医療」について書いておきます。


このトピックは、10年後くらい後には大問題となり、おそらく法制化も議論されているはずだからです。

そうなった時、「あたしソレ、10年前に書いてるから」と言えるよう、今、書いておこうという作戦なんですが、

よく考えたら、あたしが 10年後に生きてるかどーかのほうが不確かなので、この作戦が成功するかどーかはよくわかりません。


★★★


終末期医療というのは、高齢者が最期の時を迎えた時の医療のあり方です。

これ、本当は“高齢者”に限定された話ではないのですが、今回は平均寿命付近まで生きてきた高齢者に限定して考えます。

概ね 85歳を超えた人がこういう状態に陥ったら、という前提でお読みください。


昔は、多くの人が自宅で亡くなっていました。でも、今は大半の人が病院で亡くなります。

(赤い線が病院で亡くなる人の比率、青が自宅で亡くなる人です↓)

f:id:Chikirin:20151021114951j:image:w550

 ( 厚生労働省・資料


これにより私たちは、死ぬその瞬間まで「死なないよう」万全の医療を受けることになりました。


口から薬が飲めなくなった患者にも、点滴や注射で薬剤を投与し続け、

出血したら輸血、

呼吸ができないなら人工呼吸、

ご飯が食べられないなら鼻チューブや胃瘻(いろう、胃へのチューブによる直接的な栄養補給)、

血液が浄化できないなら人工透析、

心臓が止まったら電気ショックに補助人工心臓です。


それも数日や一週間という話ではありません。

医療技術が進むにつれ、こういった延命治療によって年単位で、時には十年を超えて人間は生きることができるようになりました。

もちろんベッドの上で、です。


★★★


これらの「できる限りの治療」は、本人が「無駄な延命治療をしないでほしい」という意思を持っていたとしても、病院にいる限り必ず行われます。

なぜならそうしないと、医者は殺人罪に問われてしまうからです。


たとえ妻や息子、娘が医者に「お父さんは延命治療なんて望んでいなかった。止めてください」といっても、簡単には止められません。

今の日本の法律では、家族であっても勝手に他人の命を止めることはできないし、そもそも「配偶者の意見」でさえ、「家族の総意」ではありません。


息子と娘の意見が異なる場合もあるし、妻と子供の意見が一致して「父は延命治療を望まない。その意思を尊重したい」と言っても、

ほとんど会ったこともない父の兄弟が見舞いに来て、「ずっと支え合って生きて来た、たった二人の兄弟なんだ。最期までできる限りのことを!」と言い出す可能性もあります。

そういう人からの訴訟リスクもあるので、医師はその職業的な使命に忠実に、「できる限りの(延命)治療」を行います。


★★★


唯一延命治療が止められるのは、「始める前」です。

たとえば、既に何年も寝たきりの家族が自宅で体調を崩した時、救急車を呼んで病院に運ばれてしまうと、延命治療が始まりますが、

「救急車を呼ばず、自宅でできる限りのことをする」という選択肢を選べば、自然死がありえます。

(この場合は死因検査が行われ、「家族が殺したわけではない」というチェックが行われます)


もうひとつは、体に傷を付ける必要のある延命治療を始める前の選択です。

たとえば胃瘻については胃に穴を開ける必要があるので、家族の同意なしに医師が行うことはありえません。(と理解してます)

なので、この段階で「そういう治療はしない」と決めることはできます。


ただし、体に傷を付ける必要のない治療は、病院にいる限り(救急車を呼んだ段階で)自動的に行われると思ったほうがよいでしょう。

家族は、「入院させた」「救急車を呼んだ」時点で「死なないように、あらゆる治療をやってほしい」と病院に依頼したと判断されるからです。


★★★


今までは、これらはあまり大きな問題ではありませんでした。なぜなら、

1)自宅で亡くなる人が多かったので、病状が急変しても、できる治療は限られている

2)医療技術が進んでいなかったので、延命治療を行っても寿命は長くは延ばせなかった

からです。


でも今は、そしてこれからは、大半の人が病院で最期を迎え、進んだ医療技術の恩恵を受けて、ベッドで寝たきりのまま 10年、20年と生き続ける可能性がでてきています。

もちろん本人の意思に拘わらず。というか大半の場合、本人の意思は確認できないままに、です。

そして(敢えて書いておきますが)、その治療費の大半が「若い人達が働いて納めた税金や保険料」から支払われます。


★★★


最大の問題は、本人の意思を反映する法的な枠組みが整備されていないことです。これは、「リビングウィルの法制化」といわれる問題です。

ちなみに、「延命治療を拒否して自然死を迎えること」は「尊厳死」と呼ばれます。

もう十分に生き、本人も望んでいないであろう延命治療を延々と続け、ベッドの上で意思表示も食事もすることなく、何年も「死なせてもらえない状況」を拒否するのが「尊厳死」です。


これとは別に「安楽死」という言葉もあります。

これは、不治で末期の病状にある人が、原則として本人の意思により、医師など第三者に、薬物などを使って死期を早める措置を行わせることです。

病気の苦痛に日々耐えかねている患者さんに、塩化カリウムなどを注射して命を終わらせると共に、その苦痛から解放する、といったイメージです。

安楽死は「自殺幇助」そのものですが、一定の条件の下に、罪にも罰にも問われないことが決められています。


たとえばオランダでは、 2001年に安楽死が法制化、2014年の 1年だけでも 5306人が安楽死で亡くなっています。これは年間に死亡する人の 数パーセントにあたります。

2015年末には重い認知症の人でも(=本人の意思確認ができるか微妙な人でも、という意味)安楽死が選べるようになり、年間 80名以上が安楽死(2014年)、希望者は増え続けてるらしい。

また、アメリカではやオレゴンやワシントンなど、いくつかの州で安楽死が合法化されているため、末期の病状にある患者さんが(安楽死が認められていない)他州から引っ越してくる、という現象も起こっています。


が、私が今日のエントリで書いているのは、安楽死ではなく尊厳死についての話です。

個人的には安楽死も法制化すべきとは思っていますが、議論を丁寧に進めるためにも、まずは尊厳死について考えるべきだと思うからです。


★★★


さて、延命治療が必要になるような状況では、多くの場合、本人の意思確認はできません。たとえ意識があっても、まともな思考力が残っている状況ではないからです。

そして、たとえ尊厳死が法的に認められても、医者が単独でその決定をすることはありません。


法制化の後も、医者はあくまで、

・法的に認められる状態だと確認され、

・本人の(意識不明になる前の)意思が確認されたり、(法律がそれを許すなら)家族が尊厳死を望んだ場合に治療が止められる(治療をしないと決められる)だけです。


だから今もそうであるように(たとえ法制化されても)「本人の意思も家族の意思も確認できない患者」は、ベッドの上で延々と生き続けることになります。

意思表明をしていない身寄りのない人が道でのたうち回り、救急で運ばれてきたようなケースですね。


治療費はどうするんだって?

ケースワーカーなどが家族を探すのだと思いますが、誰も見つからない場合は入院したまま生活保護が受けられますから、医療費は国から支払われます。

(生活保護を受給すると医療費は完全に無料です)


こういった、「本人が意識不明になった時、家族がいない」という人は、これからは急増するでしょう。

結婚していない人、結婚しても子供がいない人(←夫婦が同時に死亡しない限り、残った方は「家族がいない」状態になります)、もともと家族はいたけれど、縁が切れてから何十年もたっている人も増えているからです。


★★★


とはいえ、話が複雑なのは家族がいても同じです。

自分の親の命を左右する決断をするのは、子供にとっても、ものすごく重い判断です。


そういった状況に陥いる親は 80代、子供は 50代くらいで、共に生活していたのは既に 30年も前のこと、だったりもします。

子供といえど、親が自分の人生をどう考えていたか、想像さえできないし、そもそも親とそんな話自体したことがない、という人が大半ですよね。


こういう場合、突然(ほんとは突然じゃないんですけど)倒れた親にパニックした子供は、

往々にして「これまでは全く親孝行ができなかった。だからせめて今から最大限の親孝行を!」と考え、

「先生、お金はいくらでも出します。できる限りのことをしてください!!」と言ったりするわけですが、

そんなのは「自分のこれまでの、親不幸な行いへの償い」に過ぎません。


そんなことを言い出したら、更に親不幸を拡大させる(=親に、本人が望んでいないベッド上での長期間の治療の苦痛を耐え続けさせることになる)可能性さえあるんです。

これじゃあ、親不幸を償うどころか、親不幸の拡大延長です。

そもそも親が元気なうちに孝行をしていない子供に(=親の生き方や人生についてじっくり話をしたこともなかった子供に)、親の人生を左右する決断なんてできるわけありません。


★★★


それでも、親や配偶者ならまだマシです。

叔母や叔父、(親の離婚や再婚に伴う)義理の兄弟や義理の親、遠い親戚の誰かが倒れて病院に運ばれた時、

その治療方法についての判断を医師から求められ、

適切に答えられる人、

もしくは、自分が答えるのが当然だと思える人なんて、いるんでしょうか?


先ほども書いたように、延命治療が延々と続けられれば、膨大な医療費の負担が必要になります。

それらは、人数も少ない若い世代(今の子供達)の負担になります。


命を「コスト」で語ることを、不謹慎だと思う人もいるでしょう。


でもね、


・(意識はなくなってるけど)本人も望んでない、

・医師も、自分だったらこんな治療は受けたくないと思ってる、

・家族も同様だけど、自分で「それをやめる」判断なんて怖くてできない


という治療に、月に何十万円もかかり、それを何十年もの間、次の世代に負担させるしか選択肢がない。


こんな制度を放置していて、いいんでしょうか?


★★★


急ぐ必要はありませんが、

「本人の意思で延命治療の選択を行うことができ、万が一意識がなくなった時も、その意思に基づいた治療が行われる」

「それに沿って治療を行った & 行わなかった医師が逮捕されることのない制度」について、

そろそろ議論を始め、考えて行くべき時期がきていると思います。


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 そんじゃーね!



この問題への入門編としては、この本くらいがいいかな。キンドルもあるので、「今まで考えたこともなかった」という方でも手軽に読めます。

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なんでもそうですが、まずは自分の意見をもつこと、それがモノを考えるための第一歩となるのです。


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