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Chikirinの日記 RSSフィード

2017-07-23 機械に合わせて生活を変える時代へ

これまでの技術や機械は「人間の生活をより快適に、便利にするため」研究・開発されてきました。

このため生活の中で使えない技術や機械は、未熟な技術、未熟な機械だとして受け入れられませんでした。

反対にいえば、「その製品や技術が完成、成熟したかどうか」は、「生活の中で使えるレベルになったかどうか」によって決まっていたわけです。


でも今は「技術や機械が未熟なら、生活のほうをそれにあわせて変えればいいじゃないか」となりつつあります。

その典型例が自動掃除機のルンバ。

今、家具店に行くと、「下にルンバが入れる高さです」と表示されたソファやベッドが売られています。

いままでなら「掃除機に合わせて家具をデザインする」なんて考えられなかったでしょう。

従来の発想では、足の短いソファやベッドの下にも入れるよう、ルンバ側が薄型化を実現せねばならなかったのです。

実際、日本の掃除機メーカーは「ベッドやソファの下も掃除できます!」とアピールするため、ヘッドの薄型化を進めていました。


衣類と洗濯機の関係も同じです。

一昔前であれば、洋服デザイナーは素敵で着心地のよい洋服を作り、

洗濯機や洗剤メーカーのほうが「そんなおしゃれ着でも家で洗える機械や洗剤」を開発してきました。

でも最近は「家で洗えるビジネススーツ」まで現れています。


この

「おしゃれ着が洗える洗濯機の開発」と、

「洗濯機で洗えるスーツの開発」は、

一見、同じように思えますが、実は完全に逆方向の発想からできています。


前者では、消費者の好むおしゃれ着が最初に存在し、それに合わせて洗濯機が開発された。つまり、機械が人の選択に合わせたのに、

後者では、現時点での技術や機械にあわせて、人が着る服を変え始めたのです。

今後、普通のスーツが洗える洗濯機が登場しても、「別に今の洗濯機で洗えるスーツを着るからそれでいいよ」という人は一定数に上るでしょう。


食洗機も同じ。

普及率が欧米より低い理由のひとつとして、日本には熱湯をかけつづけるべきでない漆器のお椀や、機械では洗いにくい多彩な形状の和陶器が存在するからと言われます。

このため各メーカーはこれまで、日本の食器でもきれいに洗える食洗機の開発にしのぎを削ってきました。


でもね。もはや「食洗機でもきれいになる食器しか使わない」という家庭もでてきてると思うんです。

てか、「電子レンジに入れられない食器は買わない」って人なら、既にたくさんいますよね? 


私は留学中にアメリカで食洗機を使っていましたが、食器なんて平皿とボウルとコップくらいしか存在しないんですよ、あの国には。

だから日本のように「食洗機では十分にきれいにならない」みたいな話はありません。

ここで「食洗機を日本の食器に合わせて進化させよう!」となるのか、それとも「使う食器のほうを変え、洋食器だけ使おう!」となるのか、それが転換点です。


そういえば私はある時から、カレーにジャガイモを入れなくなりました。ジャガイモは冷凍・解凍すると美味しくなくなるからで、

これは「電子レンジと家庭用冷凍庫」に合わせてレシピを変えた、ということを意味しています。

また、今後マンションをリフォームする際には、一切の段差を無くすでしょう。

高齢化に備えてのバリアフリー化というよりは、ルンバや「そのうち一家に一台になるロボット」が動きやすい家にしたいからです。


★★★


この「今の慣習に合う機械の開発を目指すべきか」、それとも「今ある技術や機械に合わせて、生活や慣習のほうを変えるべきか」という問題については、ビジネスの世界でもしばしば判断が問われます。

欧米の企業が IT システムが利用しやすいよう、従来の業務プロセスをどんどん変更していったのに対し、日本企業の多くは、自分達の仕事のやり方に合わせて IT を開発(カスタマイズ)しようとしました。

その結果、日本では IT を導入してもまったく生産性が上がらず、単に「無駄な作業を追認する摩訶不思議に複雑なシステムが、多額の費用を掛けて次々と構築される」事態が生じました。

IT投資による生産性向上の効果において、日本は欧米に大きく遅れをとったのです。


それがどれほどバカらしいコトであったか、笑い話のような実例を紹介しておきましょう。

ある企業では初めて全社員にメールアドレスを割り振ることになった際、メールアドレスを見て役職がわかるよう、アドレスに役職を入れ込むよう依頼してきました。

たとえば田中等さんが課長であったなら、そのメールアドレスは、Tanaka_Hitoshi_Kacho@gmail.com にしたいと言うのです。


田中さんが部長になったら? 

もちろんメールアドレスも変更です。Tanaka_Hitoshi_Bucho@gmail.com に・・・

これではいくら IT 投資をしても、仕事の生産性が上がったりはしないでしょ。


笑ってる場合じゃありません。同じような事例はあちこちで見られます。

下記の「斜めに押せる電子印鑑」もそうだし、


最近、荷物の再配達コストが社会問題化したため、個人宅用のパーソナル宅配ボックスが大人気なのですが、

それらにはボックスに荷物をいれたあと、配達伝票に「受領印」を押す機能まで装備されてます。


でもね、よく考えてみてください。 ホントにそんなモンいる?


「自分の家専用の受取ボックスなんだから、受領印とかいらんやん!」という方向ではなく、受領印を押すシステムが搭載された宅配ボックスをわざわざ開発する。

これこそが「今の慣習」をどこまでも大切にする(=一切変えたくない!)ジャパンクオリティ。


そんなのなくても、「宅配ボックスに荷物を入れた後、配達員がスマホで写真をとっておく」くらいでよくない? それで「確かに荷物を入れましたよ」っていう証拠は残せるじゃん。

しかもこの受領印機能。ちゃんと「判子は 1回の使用で 1回しか押せない」ようにプログラムされているらしい。

呆れるというかなんというか。。。そこまで煩雑な機能をつけるから商品の値段が高くなり、日本でしか売れない商品になるんだよね。


他にも製造業の世界では、今 Industry 4.0 と言われる動きが起こってるんですが、ここでも日本企業はふたたび同じ道を選ぼうとしてます。

日本のビジネス慣行ってホントに変わらない。


んが!


個人のほうは企業とは異なる選択をし始めた、ってのが最初に書いた話です。

家具屋に「ルンバが入れる高さのソファ」が目立つようになったのは、それを選ぶ消費者が増えているからでしょう。

パナソニックが自動掃除機の開発に出遅れたのは、「仏壇にぶつかっても、ろうそくや線香立てが倒れず、火事にならない自動掃除機の開発が必要」と考えていたかららしいのですが。

そんなことお構いなしに、ルンバは普及しました。

消費者側が「倒れたら火事になるようなモノは家の中に置かない」「そういう部屋にはルンバを使わない」と決めればそれで済む話だからです。


「技術は生活を便利にするためにある」と考える企業は、必死で人々の生活にあわせ、製品やサービスを開発しようとしています。

彼らは「消費者は、未熟な技術に合わせて生活を変えたりしない」と思い込んでいるから。

でも消費者のほうは既に、「大幅な生産性向上が期待できるなら、現時点で利用可能な技術のレベルに合わせ、生活のほうを変えるのも大ありだ」と考え始めています。

だから「完璧を期すまえに、どんどん市場に出してくるメーカー」の商品が、先に市場を奪ってしまえる。

「技術が未熟だからまだ商品化できない。もっと時間をかけて開発を進めよう!」となりがちな企業は、「生活者は機械のために生活習慣を変えたりはしない」という思い込みを、いちどゼロから見直してみはいかがでしょう?


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そんじゃーね。


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2017-07-08 勝手に失望し、勝手に裏切られる人たち

SNS 時代になって急増してるのが「勝手に失望し、勝手に裏切られる人」です。

これ、思春期の子供にはたくさんいます。でも最近はそういう「大人」が増えている。

思春期の仲良し友達の場合、以前はトイレに行くにも腕を組んでいたのに、突然「裏切られた! 許せない! 絶交する!」とか言い出します。

というのも、この年代の子供たちは「親友には自分を 100%肯定してほしい」と期待してるからです。


思春期の子供たちは「自分の完璧な理解者」を探しています。

これまで「自分を 100% 受け入れてくれていた母親」に代わる誰かを見つけることこそ、思春期のミッション。

だから彼らは親友だったり、初めて心ときめいた異性だったり、時には自分にやさしく話しかける見知らぬお兄さん(実は優しくない!!)にその役割を求めます。


けれど身も蓋もないことを書いてしまえば、世の中には「自分を完全に理解してくれる誰か」なんて存在しません。

ある面では気が合うとか、仕事では尊敬できるみたいなことはあっても、大人になれば、「何から何まで同じ」なんてありえない。

むしろ「その事実を受け止め、理解するのが大人」だとも言えます。(参考過去エントリ 「大人の条件とは?」)


一方、思春期的発想では、「すべてにおいて同じ意見だからこそ、◯◯ちゃんと私は親友なの!」と考えます。

そして、「意見が違う」「感じ方が違う」事態に遭遇した時に、「なるほどねー、○○ちゃんと私は気が合うけど、こういうコトに関しては感じ方がこんなに違うのねー。へー」と大人になっていく人と、

「親友だと思っていたのに 許せない!」みたいに思ってしまう「まだまだ子供」な人が混在しています。思春期とはそういう時期です。


★★★


問題は、最近そういう大人が増えていることです。

ネット上には、有名人にたいして「◯◯さんがそんなこと言うなんて失望しました」「昔はすばらしかった○○さんがひどく変わってしまってがっかりです」みたいに嘆き、怒る人がたくさんいます。

これは「○○さんが嫌いです」とはまったく違います。

失望している人たちの多くは、「もともとは期待していた」んです。なのに裏切られた。だからショックを受けている。


彼らは「○○さんは劣化した」などと悪態をつき、ときには執拗に攻撃までします。

その際にも「嫌いです!」ではなく、常に「昔は大好きだったのに、こんなことするなんて許せない!」と表現する。

自分が相手に期待していたという事実。そして裏切られたという(本人にとっての)事実。だからこそ失望したという自分の受けたショック。

それらをどうにかして伝えたい。わかってほしい。

悪いのは自分ではなく「信頼を裏切り、変わってしまったあなたのほうだと気づいてほしい」−−切にそう願うから。


さらには、相手と自分の間には「相互理解」が成立していると思い込んでいるため、「少々攻撃的な言い方をしても、あの人ならきっと私の真意を理解してくれるはず」とまで考えます。

そして、「自分からだけの一方的な信頼に基づく、極めて身勝手な非難」を相手に送ってしまう。

で、それが原因としてブロックされたりした日には、それこそ一生をかけて恨み続ける。

客観的に見れば「会ったこともない人にそんな口のきき方をしたら、ふつー拒絶されるでしょ」っていう状態なのにね。


★★★


私はそういう人を「勝手に失望する人」「勝手に裏切られる人」と呼んでいます。

なぜ「勝手に」かといえば、彼らの大半は、自分を裏切った(と思い込んでいる)相手に会ったこともないからです。

せいぜい SNS で一度リプライをもらった、というレベル。相手から見れば「あんた誰?」な状態です。


そんな状態でありながら「○○さんが不倫をするなんて信じられません!」とか言い出す。

・・・正直、ある程度、仲の良い友達でさえ、不倫してそうかどうかなんてわかりません。

ましてや、会ったこともない人が不倫しそうかどうかなんて普通わからんでしょ? 

会ったこともない人に「○○さんが△△するなんて信じられない!」などとまで言える「信頼」を、一体どうやって(勝手に!)築いたのか? 


リアルな社会で私たちは、「会ったこともない人」にそんな期待は持ちません。

それがありえるのは冒頭に書いた思春期か、相手が営業目的で妄想をバラまいている場合(身近系アイドルやキャバ嬢&ホスト)だけです。

なのに最近は、ツイッターやインスタグラム、ブログなどネット上の情報だけで、相手にたいして「○○さんと私は完全に意見が同じ! この人はすごく信頼できる!」と思いこめる人が増えています。


★★★


SNS は、妄想を育てやすいメディアです。

たとえ多くの情報に触れているつもりでも、実際にはリアルに会うのに比べ、圧倒的に情報量が少ないから。

いくら熱心なファンやフォロワーであっても、相手の人生や人格や性格の数パーセントも理解できてないのが普通です。

なので読み手はそれを想像力で補うわけですが、「自分を完璧に理解してくれる人が、広いネットのどこかには存在するはず」というネット万能神話によって、

すべての情報が「自分として、こうあってほしいと考える相手の姿」を補強するために使われてしまいます。

そしてある日ひとつでも自分とは違う部分が見つかってしまうと、「あの人がそんなことを言うなんて!」と失望し、裏切られたと決めつけて怒り始める。


★★★


「 9割は共感でき、1割だけしか意見や感じ方が違わない」

リアルな社会ではそんな人にはなかなか会えません。そこまで理解しあえれば、親友やパートナーや起業仲間になれます。

でもネットの世界では、9割は共感でき、1割だけ意見や感じ方が異なる人にたいして大袈裟に失望し、「あいつは堕落した!」とマジメに憤る人がたくさんいます。


彼らが求めるのは 9割の共感ではなく、10割の=完璧な共感だからです。

そして時には「裏切りを償わせよう」とか、「裏切り行為に気づかせて、反省させよう」と思ったりまでします。

こうなると完全な粘着ネットストーカーのできあがりです。


自分の思い込みがズレていたと分かっても普通に「そうなのね」と思えばいいだけなのに、なぜ彼らは失望や怒りをネット上で表現するのか?

その理由は、「期待していたのに」「信頼していたのに」と伝えることで相手の猛省を促し、ふたたび自分の期待に応えてくれるよう、願っているからです。

相手に自分の失望や怒りを伝えれば、相手が再び自分の期待したとおりのキャラクターに戻ってくれると今でも「信じて!」いるのです。

会ったこともないのに・・・


★★★


こういった現象は、「自分を完璧に肯定してくれる人、完璧に共感できる誰か」を探す人の多さを示しています。

遠からずそういう期待に応える AI(付きロボット)が誕生するとは思いますが、少なくともリアルな世界では、そんな人は見つけられない。

だから私たちは、アイドルに、韓流スターに、二次元のキャラクターにそれを求めます。

それは何も悪くありません。

彼らは「商売」として(夢と称する)妄想を売り、客側もそれを理解してお金を払い、現実にはありえない甘美な世界を楽しむ。

エンタメ産業とはそういうものです。


でも、リアルには「自分の完璧な理解者」も「自分と完全に同じ意見の人」もいません。

一時期はそう思えても、長く追いかけていれば必ず「自分との違い」が目に付くようになります。あたりまえでしょ。

もし今あなたに SNS 上でそう思える人がいるとしても、それは単なる妄想です。

勝手に期待した挙げ句、勝手に裏切られ・勝手に失望する人になってしまうと、最悪の場合、「勝手に人間不信に陥る」「勝手に世の中に絶望する」みたいな不毛な状況に追い込まれてしまいます。


「目標は低く」持ちましょう。

すべての考えがあなたと同じ人などいません。あなたの完璧な理解者など、世の中には存在しないのです。

それがわからず、自分の期待に応え続けないという理由でイチイチ批判をしていたら、あなたは本来得られたはずの、多くのチャンスを逃してしまうことでしょう。


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そんじゃーね


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