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Chikirinの日記 RSSフィード

2017-11-19 武勇伝バイアスに気をつけよう

先日ツイッターで「子供の頃、夏休みの宿題はいつも 8月末にまとめてやってた」と呟いたら、「オレも!私も!」というリプライがいくつもありました。

私はこのタイプの呟きを「武勇伝ツイート」と呼んでいます。

人は誰でも自分がやっていた“やんちゃな行為”について誇らしげに語るのが大好きです。


ただ、ネット上では注意が必要で、たいしたことがない(or 誰でもやってるようなこと)でも不法行為を喧伝すると炎上して大変なことになるので、

バイト先で冷凍庫に入った写真とか、店員に無茶なクレームをつけて暴言で謝らせた武勇伝動画をアップするなどといったアホな行為はもちろん、

「未成年だったけど新歓コンパで酒を飲んだ」とか、「払うべき公共料金や税金、年金を払っていない」みたいなことは、ネット上では決して言うべきではありません。

(ごく少数のフォロワーしかいなかった一般の人で、そういう呟きをしたためにネットリンチに遭い、自殺にまで追い込まれた人もいます)


また世の中には、イベントや飲み会などリアルの場で見聞きしたことを「あの人が○○と言っていた」とわざわざネットにアップする人もいます。

そういう人がいる場では不用意な発言を控えるべきだし、できればそういう危ない人とは接点をもたないほうが無難です。


そしてもうひとつ、とても有害なのが妊娠と出産に関する武勇伝です。

バリバリと働いている女性のコミュニティでは、この手の武勇伝があちこちに溢れています。


典型的には、

「あたしは生まれる 2日前までバリバリ働いてた。一週間前まで出張してたのよ」とか、

「出産の翌日から仕事のメールにバシバシ返事してた」といったものです。

リアルな場で語られることもあれば、ツイート、ブログ、インスタ、フェイスブックなど SNS で発せられることもあります。


こういった発言や発信がなぜ罪かというと、非常に個人差の大きな妊娠・出産前後の体調に関して、多くの人に「妊娠や出産はたいしたことではないらしい」と思わせてしまうからです。

たしかに出産直前までバリバリ働いている女性もいるでしょう。それが嘘だという気はありません。

でも「誰でも(頑張れば)同じことができる」というのは、明らかに嘘です。


なかには妊娠中ずっと体調が悪く、仕事どころか家事もまともにできなくなった、栄養がとれず点滴が必要になった、絶対安静といわれて緊急入院した、さらには、無理に仕事を続けていて流産したという人もいるはず。

出産後は半年で職場復帰しようとしてたけど、自身の体調不良でそれどころではなくなり、キャリアの変更を余儀なくされたという人もいるし、

精神のバランスを崩し、薬が手放せなくなったり自殺したり思わず虐待に走ってしまった、みたいな人もいます。

けれど、そういった女性たちの苦しみの声が、SNS で広まることはありません。


流産した女性にとって、それは言葉にしたくないほどつらい経験だし、「他の女性はすぐ復職してるのに自分はできない」とき、それを「しゃーないやん」と思える人は多くない。

むしろ「普通のことが普通にできなかった自分」を責めてしまう。(実際には“普通のこと”ではないのに、武勇伝ばかり見ているので、誰でもできて当たり前だと思わされてしまう)


一般に人は自分の病気や体調不良を大声で語ったりはしないし、知人の体調不良や病気の情報をネットで拡散したりもしません。

だから武勇伝ばかりが拡散され、まるでそれが「普通」であり「頑張れば誰でもできる」かのように思われる。

これが「武勇伝バイアス」です。(バイアス=偏り)


★★★


特に妊娠出産に関しては「こんなに簡単だった」という話と「無理だと言われたけど、やってみたらできた!」という話が、

「想像以上に大変で、働き方や生活設計の変更を余儀なくされた」とか

「大金をかけ、何年も必死で頑張ったけど結局ダメだった。しかもその過程でパートナーとの間にも溝ができてしまった」といった話より、圧倒的に多く流通しています。

それは「そういう人が大半だから」ではなく「そういう人しか発信しないから」です。


芸能人など有名人の書く本にも「40代(ときには 50代)の出産だったけどなにも問題はなかった」的なキャッチコピーで売られるものがあります。

苦労してようやく成功に至った時の大きな喜びを周りの人にも伝えたいという気持ちはわかります。

でも、そういった「ごく希な成功例を、頑張れば誰でもできるかのように語る」ことには負の影響も大きい。


それは当の女性達に「生んだ後は保育園さえ見つければいつでも仕事に復帰できる」とか「高齢でも簡単に妊娠・出産できる」と思わせてしまうだけでなく、

上司である男性に「出産後すぐに職場復帰できますよね!?」と言わせ、夫である男性を「子供はもうちょっと後でもいい」と安心させてしまうから。

つまり女性たちの発する武勇伝こそが男性の無理解と誤解を助長してしまい、回り回って他の女性を苦しめているのです。


★★★


普通、専門家は気軽に武勇伝を語ったりしません。

たとえばプロの登山家が「あの山なら初心者でも簡単に登れますよ」と言うことはありません。

そういうことを言うのは、登山を趣味とする素人であり、プロは常に「山を甘く見ないように」「簡単に見えても万全の準備を」「自分もけっして無理はしません」と言ってますよね。

山に限らず、スノースポーツ、マリンスポーツのプロも「無茶をして遭難しかけたけど助かった。なんとかなるもんですよ。アハハ」的に武勇伝を語ることはありません。


一方、素人はすぐに武勇伝を語ります。

「登山なんて簡単よー。誰でもできるわよー。山はきれいよー。ぜひ一緒に行きましょう!」的にね。


治安の悪いエリアに一人旅をし、寝ている間に身ぐるみ剥がれた経験だって、命に別状無く戻って来れた人にとっては、気軽に語れる武勇伝かもしれません。

でも、同じ国でお金のために命まで奪われてしまった人も実在します。

自分がそういう旅をするのは問題ありませんが、人にたいして「無茶をしてもまったく問題ない」かのように語るのは罪でしかありません。


ご存じのように、私もひとりでいろんな国に旅しています。でも下記の本の中でも「危ないことはせず、常に慎重に旅している」と敢えて強調しています。

私自身は一人旅も大好きだけど、異国での一人旅について甘く考えていいとは思いません。

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出産についても医師などプロが、それを安易に語ることはありません。一方、「出産を経験した女性」はプロではなくたんなる素人です。

だから素人のバックパッカー、素人の登山を趣味とする人と同じように、武勇伝を気軽に語ります。そこにはなんら悪意はありません。

でも読むほうは、体験談はあくまで素人の意見であるということを忘れてはなりません。


また語る方に関しても、特に命に関わることについては、素人であっても気軽に武勇伝を語るのはやめましょう。

「医師の処方が必要な薬をネットで買って飲んだけど、何の問題もなかった!」とか

「病院でもらった薬が効かないから飲むのをやめて代わりに○○を食べるようにしたら病気が治った!」

みたいなのは、他人の命を奪ってしまいかねない危険な武勇伝です。

「医者には止められたけど、妊娠中にマラソン大会に出た。完走したし赤ちゃんも元気に生まれたよー」みたいな無邪気な武勇伝発言も、ホントいかがなものかと思います。


★★★


私は、ネイチャースポーツも高齢出産も一人旅も「危ないからやるな」と言ってるわけではありません。

それは、絶対にやるべきではない「処方の必要な薬をネットで買って飲む」行為とは違います。

言いたいのは「甘く考えず、十分な準備とプロのアドバイスを得ながらやろうね!」ってことだけです。


また、ひとつの事例として個人的な体験を語ることも否定はしません。

個人が自由に発信できるようになったこと、それもまた、新しい時代の新しい価値です。だからそれを止めろと言う気はありません。

言いたいのは「読み手も書き手も武勇伝バイアスの存在を理解し、認識しておこう」ってことです。


あと、「素人経験者」として武勇伝を語る方は、少しだけ工夫してみてはいかがでしょう。

「私は無茶をしたけどたまたま助かった。でもあれはひとつ間違えたら大変だった」と伝えるのは、勇気と節度あるすばらしい態度です。

もしくは、「たくさんの武勇伝が語られているけど、それらを盲信した自分は今、大きな後悔をしている」という話を(たとえ匿名であっても)できる人がいるなら、その情報は極めて有用なものになるでしょう。

そういった私的な失敗談を匿名で発信できることこそ、誰でも発信できるネットの、価値ある役割だと思うのです。


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そんじゃーね


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