“引きこもり”って大半が男性なんですよね。

なぜ男性は引きこもるのか?なぜ女性は引きこもらないのか?

「生まれつき」、つまり「男子は引きこもり遺伝子を持っているのだ」という方向にいくと議論にならないので、ここでは環境要因を考えてみます。

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引きこもる人にとっては、「引きこもらない日常生活」は苦しくつらいものであり、それよりは「引きこもる生活」の方がまだマシ(よりポジティブ)なのでしょう。

まず男性にとっては、この「引きこもらない日常生活」が、女性よりも圧倒的に困難なのだと想像されます。なぜなら社会生活から受けるプレッシャーは、男女同権の今でも男性のほうがかなり大きいからです。

「フリーターのままだと結婚できない」と思う女性は少ないけど、男性はほぼ全員がそう感じる(思わされる)でしょう。この「男は稼いで当たり前」という社会通念だけでも、男性に大きなプレッシャーをかけていると思います。

仕事だけでなく個人生活においても、社会は常に男性にリーダーシップを期待します。「プロポーズはやっぱり男性がすべき」であり、「いざという時には男性が主導権を取るべき」、「何かの時には、女子供を先に保護すべき」といった感じです。

人前でうまくしゃべれない女性は「奥ゆかしい」「おとなしい」と言われますが、男だと「頼りない」「しっかりしてない」です。

つまり「外の世界」はまだまだ圧倒的に男性に厳しい。引きこもりたくなる男性が女性より多いのは当然と思えます。

それと、女性は「家事手伝いをする」ことで擬似的に「引きこもりつつ、引きこもりと呼ばれない」という逃げ道を持っていますが、男性の場合、“主夫”ならともかく、親の家で、未婚で“家事手伝いです”はちょっと厳しいですよね。「外で戦わないなら、引きこもるしか道がない」のが男性のつらいところです。

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同時に、「引きこもる能力」も男性の方が高いように思います。

引きこもった人が何をやっているかというと、今ならパソコン、少し前はテレビゲーム、その前の時代がマンガ、です。どれも元々圧倒的に男性ファン比率が高い娯楽です。そして、これらはどれも「引きこもって楽しめる」趣味ばかりです。

一方で女性が好きな「ショッピング」や「おしゃれ」「ケーキの食べ歩き」は引きこもっていては楽しめないです。

つまり、引きこもった状態を「そこそこ楽しくすごす」ための趣味が男性には多くあり、女性には少ないんです。言い換えれば「男性の引きこもり能力は、女性より圧倒的に高い」のです。

女性だって「人間関係も社会生活も苦手」な人はいるでしょうが、一方で引きこもっても楽しくすごせないので、「どっちもどっち」なわけで、そうなるとあえて引きこもる意味がない。男性とはちょっと事情が違います。


男女差の話とは違いますが、昔は引きこもりなんていなかった。子供に必ずしも鍵のかかる個室は確保されてないし、子供部屋にパソコンはもちろんテレビさえおいてない。すると「引きこもる生活」が不可能、もしくは、余りに退屈だから、物理的に「引きこもる」という選択肢がなかったのですよね。

つまり「引きこもるかどうか」は、「引きこもらない日常のつらさ」と「引きこもる生活の快適度」の比較で決まっているわけです。男性は日常生活が女性よりつらく、引きこもる快適さの方は女性より高い、ってことじゃないかと思います。

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男女差ではないですが、他に「引きこもり生活の快適さ」を高める能力には、「独り遊びの能力」があります。

独り遊びの能力とは、一種の“空想力”です。マンガやゲーム、ネットの世界、もしくは、自分の思考の中に作り上げた仮想世界に生きる能力が、長期間の引きこもり生活(=他者との関わりを最小化した生活)には不可欠で、これが苦手な人は引きこもれません。空想力が低いと、上記での女性の場合と同様、引きこもる生活の相対的な快適度が小さくなるからです。

興味深いのは、この“空想力”が、実は社会やビジネスの現場でも重要だということです。自分がこう言えば、相手(顧客や競合)はどう思うか、どう行動するか、こんな商品やサービスが実現したら消費者や社会はどう反応するか?を事前に空想する能力は、仕事に不可欠です。

ビジネスや社会生活に有用な能力が、一方で、社会と隔絶した生活を送るためにも役立つというのは皮肉なことです。


さらにいえば、この“空想する力が強すぎる人”は、敏感で繊細で傷つきやすい人達です。実際の世の中では、人は平気で他者を傷つけます。いちいち傷ついていたら心が持ちません。が、想像力の強い人は、相手が何気なく言ったことも必要以上にいろいろ妄想して傷つきます。それを避ける究極の方法が「部屋にこもって想像だけの世界に生きる」という選択肢なのでしょう。

ちきりんは“引きこもりが悪い”とも“減らすべき”とも強くは思っていません。大半の場合、生活費は親が出してるし、他人に迷惑をかけているわけでもないですから。

ただ、引きこもっている当事者の多くは「この生活から抜け出したい」と思ってる。だったら、なんらか支援してあげられたらいいよねと思います。

そしてその一つの方法は、これらの「とても傷つきやすい人達が、傷つかない能力を身につけること」、もしくは「うまく傷つく方法を学ぶこと」だろうと思います。


人は鈍感になれば傷つきません。感受性や想像力が強い性格を根本から“鈍感化”するのは難しくても、訓練によって“慣れる”か、もしくは、最初から“期待値を下げる”工夫などは効果があるのではないかと思います。

思えば昔は、子供の頃から傷つく経験はもっと日常的でした。小学校の最初から◎○△じゃなくて成績が付けられていたし、運動会でも順位は明確だった。学芸会の主役はくじ引きや順番ではなく、“見かけがよくて明るいはきはきした子”が先生から選ばれていました。親も自分の子供を守るために学校にイチイチ介入してこないし。「がっかり」「悲しい」「大ショック!」な機会は昔の子供の方が多かったと思います。

既に子供ではなく長きにわたり引きこもっている人の場合、これから社会復帰をしようというなら、“バッファー”として、少しずつ傷つくことに慣れながら働く経験ができる“訓練用職場”みたいな場所が必要かもしれません。そうじゃないと、“自室からいきなり社会”では、今の現実はちょっと厳しすぎると思います。


また、「一生の間に、人間は全員100万回傷つくものです」とか教えるのもいい方法かも。ショックなことが起こったら“正の字”を書いて数えればいい。何かあっても「ああ、これは100万回の中の一回なんだな」と思えるように。

他の方法でもよいのですけど、とにかく「自分が傷つかない方法」をそれぞれの人が発見して身につけていかないと、人生ってのはつらすぎるし、現実ってのは厳しすぎる。そんな気がします。


ではまた明日

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Chikirin
Chikirin

社会派ブロガー・紀行文筆家 (詳細は写真をクリック)