死ぬのに最高の日

ポクポクライフ

私の好きなブログであるポクポクライフのポックリボーイさんは
その暴飲暴食をがたたり、最近も瀕死状態で入院という
パンチのある方で
そりゃ中本の北極6日連続で〆で食ってたら血も吐くわ、って感じですけど

信じられないほどの吉祥寺界隈の飲み屋食い物屋を
信じられないペースでアップしている方で
いつか吉祥寺で会うであろうことを楽しみにしているのですが
その人の5/7の記事がいつもふざけてるのにちょいと真面目で
ぐっときました。

勝手に引用してしまっていいのだろうか。してしまおう。

ここ数年でけっこう死の近くまで行ったんですよね。

おととしは呼吸不能寸前まで喉が腫れて気管切開するまでにいたったり、今年の3月には吐血して意識不明で倒れたり。

このタイミングでちょっと「死」というものを考えたときに出た結論が「死はぜんぜんあり」というものでした。なぜなら、いま僕はわりと長らく続く人生の絶頂期だからです。思春期とかはコンプレックスやら社会に出たくなさでひたすらびびって精神が泥沼以上に淀んでいたのに25歳を超えたあたりからバカみたいにどんどんノンストレスになっていってしまった。その頃から如実に自分自身の思い込みやしがらみから解放され、世の中や人々や自分に対する諦念がいい感じに醸造され、警戒心は減少の一途をたどったと思います。

たぶん25歳を過ぎたくらいからいまに至るまで僕がこの世界に存在する楽しさは加速度的に増幅しています。世界はおそろしく楽しい。端的にいえばそういう状態です。皮肉なことに、2年前に死にかけたというイベントさえも、先月死にかけたというイベントさえもその楽しさの中に含まれてしまっている。臨死すらエンターテインメント。何もかもが楽しいというフィーバー状態。そんな最中に還らぬ人になったら僕だけの問題としては最高に幸せな死に方です。

それだけに逆に考えてみたのですが、現状に納得してないまま死ぬことほどキツいことはないと思うわけです。思い悩んで自殺とか苛烈な闘病生活や老衰で先が見えずに衰弱死とかそういうのはキツい。であれば、これほどまでにノンストレスで楽しさだけで満ちているこのタイミングで急に死ぬのはまるで問題にはならない。つまり、あのまま死んでいても僕はいっさいの後悔はなかったなと思っています。言いかえれば、いま僕はいつ死んでも後悔しない状態をキープしているので恵まれすぎにもほどがあるということです。

そういう意味において僕は「死」というのは必ずしもネガティブなものじゃないと言いたいわけです。確実に訪れるものを否定しすぎるのはナンセンスなんじゃないか。あまりにも「死=ネガティブ」の関連づけが過剰な気がするんです。

ものすごく真理だと思います。
ノンストレスでいつ死んでも後悔しない状態。

人生の目標はこれだな。
世の中がいかに終わってても
自分だけフィーバー状態で楽しみ、駆け抜ける。

もらった命、笑い転げながら使い切る。
いいね。
こうなるためなら努力したいわ。
違うアプローチでここ目指そう。