クリス・ヘッジス『リベラル階級の死』第1章 抵抗(1)

クリス・ヘッジス(Chris Hedges)の著書Death of the Liberal Class (Nation Books, 2010)が面白かったのですが、まだ日本語版が出ていないようなので、紹介をかねてとりあえず第1章だけを翻訳してみます。

Death of the Liberal Class

Death of the Liberal Class

クリス・ヘッジスは、アメリカのジャーナリストで、2002年に、『ニューヨーク・タイムズThe New York Times スタッフの一員として、911およびテロリズム関連の記事により、解説報道(Explanatory Reporting)部門でピュリッツァー賞を受賞した。

また、キャスリン・ビグロー(Kathryn Bigelow)監督のアカデミー賞受賞映画『ハート・ロッカー』The Hurt Locker(2008年)の冒頭で、著作『戦争の甘い誘惑』War Is a Force That Gives Us Meaning (2002)の一節が引用された。『戦争の甘い誘惑』の他に『本当の戦争——すべての人が戦争について知っておくべき437の事柄』What Every Person Should Know About War (2003)が邦訳されている。
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I/抵抗

人間の運命と人間を取り巻く自然環境、そればかりでなく購買力の量と使い途までもを、市場メカニズムだけに支配させることを許せば、社会は荒廃するだろう。というのも、商品としての「労働力」をこき使い、見境なく使い、あるいは使わずに放置しておいたとしても、たまたまこの特殊な商品の所有者である人間個人に必ず影響を及すからだ。システムは、人間がもつ労働力を使うとき、それに付随して、「労働力」というタグが付けられた肉体的・心理的・道徳的実在としての「人間」を使うことにもなるのである。文化的諸制度という保護膜が取り外されて社会に曝されれば、その結果、人間は滅びるだろう。人間は、悪徳、堕落、犯罪、飢餓を通じた急速な社会的混乱の犠牲者として死ぬことになるだろう。自然は元素にまで分解され、身の周りや風景は穢され、河川は汚染され、軍事的安全は伸るか反るかの状態に曝され、食料や原料の生産力は破壊されるだろう。[asin:4492371079:detail]
アーネスト・ローガン・ベルは、25歳の海兵隊退役軍人で、ニューヨーク州北部の国道12号線を歩いている。大きな星条旗が彼の緑色のバックパックにくくり付けられている。かすかに霧雨が降っていて、彼は緑色のアーミー・ポンチョを羽織っている。私が車を停めると、小柄で、筋肉質で、愛想が良く、短く刈り込まれたアーミー・カットの黒髪のベルは、ビンガムトンからユーティカへ向かう6日間90マイルの自称「自由の行進」の途中だと言う。ドン・キホーテよろしく、 民主党の現職下院議員マイケル・アーキュリーに第24選挙区の共和党候補として挑む予定なのだ。ベルは、道行きの3夜を野宿し、他の夜は安モーテルに宿を取った。彼は、民主党が多数派を占める連邦議会を先ごろ通過した健康保険法案に反対し、イラクおよびアフガニスタンにおける戦争終結を要求し、連邦準備制度の廃止を提唱し、連邦政府によるウォール街への財政出動に反対し、自分も含めた長期失業者への政府による一刻も早い救済を希望している。彼は「連邦準備制度を終らせろ」(End the Fed)と書かれた手書きのプラカードを持っている。この言葉は、合衆国下院議員ロン・ポールの著書のタイトルで、この本をマイケル・アーンハイムの 『バカにもわかる合衆国憲法』とともにバックパックに忍ばせている。ロン・ポールの著書をユーティカのアーキュリー事務所に届けるつもりだと彼は言う。
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車が追い越しざまにクラクションを鳴らして支持を伝えると、「ノーウィッチを通ってきたところだよ。ものすごいテー・パーティの運動をやってたよ」と答える。

ティー・パーティの大半は、恵まれないアメリカ人の運動なんです。彼らは何かがおかしいと解っているし、ひとこと物申してやろうと思っているんです。私の地元でティー・パーティーに参加してる連中の多くは民主党員なんです。みんな混乱してるんです。彼らは爆撃を喰らったみたいにショックを受けて、何を考えていいか解らないんです。でも、問題が1月20日[バラク・オバマ政権発足の日]に始まったみたいに振る舞うのは馬鹿げてる。歴代大統領じゃなくて今の大統領を名指しするのは、現状を明らかにするのには生産的じゃない。*2
ニューヨーク州ランシング在住のベルは、抵抗運動の新顔だ。彼は若く、軍隊文化に慣れ親しみ、連邦政府に大いに懐疑的で、リベラル階級を認めず、仕事が見つからず、そして怒っている。彼は、ティー・パーティ運動に加えて、右翼と左翼のポピュリズムの間で右往左往し、ロン・ポールとデニス・クシニッチ民主党下院議員への賞賛を表明している。彼は、前回の大統領選挙でジョン・マケイン支持者としてスタートしたものの、マケインに、そして、共和党とウォール街とのつながりに反感を抱いた。結局彼はその選挙で投票しなかった。彼は、自分のキャンペーンのために隣人や友人から千ドルほど掻き集めた。格闘技に熟練した彼は、ジョージア州フォート・ベニングで開催された2010年陸軍州兵格闘技大会の準決勝に進出、その最後の試合で鼻を骨折し、対戦相手のあばらと太腿の骨を折り、僅差で敗れた。

「将来のことを考えると本当に怖いんだ」と彼は言う、

全ては、近い将来に実体経済全体にわたる崩壊が訪れることを指し示していると思うんです。おそらく、中間選挙の前ということもありうる。これが原因で多くの現職議員が出馬を取りやめる思います。彼らには何が起こるか分っているみたいだし、もちろん、鼠たちはサッサと船を跳び降りて年金を手にするでしょう。政府にも共和党にも苦痛を遅らせることなんて何も出来ないし、袋の中にはもうタネも仕掛けも残っていないでしょう。断言しますが、みんなが苦しむことになるでしょう。もちろん、大企業や銀行のエリートは別です。帝国は崩壊させておけばいいってことです。生まれ変わるために死ななければならない時だってあるんです。現状の政治システムが本当の変革や社会的正義をもたらす望みはほとんどない。私たちは、自分の手で一矢報いることで、このクーデターに備えようとしてるんです。今や失われた僕たちの民主選挙制度をもう一度正常に戻すことによって、支配、権力、言論の伝統的な手段を取り戻すよう務めなければならなりません。不幸なことに、そんなことは大した役に立たないかもしれないけれど、やってみる価値はある。専制に抵抗することは、私たち愛国者の義務なんです。私たちは、この抑圧の鎖を断ち切り、私たちの政府を万人のための自由と平等に基づく原理に戻さなければならない。プラカードを持ってビルの外に立ったって根本的な権力の移行に役立つのかどうかは自信がない。だって、闘争のない権力委譲なんてそうそう起こりはしない。不可侵の権利は、連邦政府の好意で与えられているものじゃない。私たちは、路上に立って、沈黙を拒否しなければならない。企業に支配された政治を退けて、地方分権的な政治構造と社会を再建することに焦点を合わせなければならない。革命なければ、完全な降伏と敗北あるのみ。冷たくつらい苦しみや痛みは、真の革命のための唯一の希望であり、それだけは間違いない。僕たちは勇気をふりしぼらなければならないんです。
ベルはオークウッドで育った。ダラスとヒューストンの間にある東テキサスの小さな町だ。彼の父はアルコール中毒と戦い、今は回復している。両親はケンカが絶えず、別居し、よりを戻したものの、ベルが13歳のときに離婚した。残った母親がひと間のアパートで弟(現在、陸軍第82空挺部隊に所属)と妹とともにベルを育てた。お金はほとんどなく、母は時おり掛け持ちで働くこともあった。卒業を控えたベルの高校には18人のクラスメートがいたが、オークウッドには仕事がほとんどなく、数人のクラスメートともに軍隊に入隊した。

「父は私たちを養育するために2つの仕事を掛け持ちしていて、アルコール中毒を患ったけれど、いい人で、父として私たちをサポートしようとつとめていました。」とベルは語る、

母さんは母さんで問題を抱えていました。母さんは今ワンルームの部屋に住んでいるんです。4年前に乳がんにかかり、保険もなく、貧しい暮らしをしています。システムが機能していないんだと思います。母さんは自分の田舎の小さな家のワンルームの小さな部屋に住んでいます。そこは両親がケンカしているときに僕と弟がときどき預けられていたところです。私たちは母さん父さん双方といっしょに、いくつかの家やアパートを転々としました。僕は17歳の時に家を出て、友人の家を転々とし、オークウッドに戻ってきました。そこは僕が高校を出た土地で、そこで祖父母と一緒に暮らしました。私の人生や価値観は彼らの根深い影響を受けました。私の人生は、一貫性がなく、混沌としていて、労働者階級的でした。この環境が私の性格や物の見方を助長したんだと思います。
「テキサスのオークウッドに留まっていては、仕事を手に入れることは出来ませんでした」と彼は言葉を続ける。

ベルは、海兵隊を除隊した後、2年前に3歳の娘シアーネと一緒に暮らすためにニューヨーク州北部に引っ越した。彼と娘の母親は別居している。ベルは、とある出張建設作業班で大工の仕事を見つけた。時給14ドル50セントで、週に800ドルも稼げることもあった。その時、金融崩壊が地域経済の勢いを奪い去った。

「私のアパートの住民は、ひとり残らず労働時間を短縮されるか、解雇されるか、最低賃金の仕事に就きました」と彼は言う。「私は去年レイオフに会いました。フリーの大工の職を見つけようと努力しています。健康保険もありません」。

求人不足のせいで、彼は時には月600ドルで生きることを余儀なくされたので、去年、ニューヨークの州兵隊に入隊した。たとえそれが、何らかのかたちでアフガニスタンに配属されることとほぼ同義だとしてもである。2万ドルという契約金の誘惑は、あまりに美味しくて断りがたかった。彼が配属されていた州兵隊は最近、アフガニスタンを回ったのち帰還した。

「私たちはアフガンに戻るためにトレーニングしています」と彼は言う。「州兵陸軍隊が、つまり州レベルの部隊がアフガン市街の警察活動に使われているという事実は良いことではありません。これらの部隊は、本当に過剰展開している。私たちに得はありません。私たちには、現役職業軍人のような健康保険がない。しかし、州兵はあんなに派兵されている。彼らの中には、2回、3回とアフガンを回る者もいます」。

「私は海兵隊を除隊してテキサスに10か月間もどり、ジョン・マケインのキャンペーンに参加しました」と彼は言う:

私は新自由主義にとことん幻滅しました。私はそれまで政治に参加したことがありませんでした。私たちは、彼らが言うところの「自由を守る」部隊が世界中に必要だという考えを、自分が国家建設に関与し、戦争を押し進める特殊な利権に関与したとき、やっと分り始めたてきました。外交と経済政策に限って言えば、二大政党には全く差がないことが判りました。あるのは、右左という嘘っぱちの枠組で、労働者階級の目を彼らの苦境の本当の理由から逸らしているんです。
「[ニューヨーク州の]冬は厳しい」とベルは言う:
仕事は少なく暖房費は高い。私は電気代とガス代に毎月約200ドル払っています。本当に金をかけずに生活しています。ケーブルテレビもない。外出もしないし、必要ないお金も使わない。努力しているんです。でも、少なくとも、生活できる額に満たない最低賃金の仕事を週40時間もやる必要はなかった。ここにいる人たちは、本当につらい思いをしています。能力以下の仕事に就いている人たちの実際の割合は、きっと、少なくとも20%に達しています。多くの人たちが、正規雇用で働きたいのに、非正規雇用で働いています。私のような、独立業務請負人や小さな事業のオーナーの人がたくさんいて、失業保険に入れません。私は1099書式の納税者、つまり独立業務請負人として働いていたので、建設会社で働いていたときも、失業保険は受けられなかったんです。
「人びとは怯えています」と彼は言う。「彼らは、自分の人生を生き、子供を育て、幸せになりたいんです。でも、それは不可能です。住宅ローンの次の支払ができるかどうかも分らない。彼らは、自分の生活水準が下がってきているのを自覚しています」。

ベルは、彼と周囲の人びとは、土俵際から追い出されつつあると言う。彼は、社会的・政治的反動を恐れていると言う。

「私は、民衆革命を望みます」と彼は言う、

企業救済金や海外へ支出されているお金を私たちが受け取って、そのお金を自分たちのコミュニティーのなかで使わなければならない。もしそうならなければ、更なる怒りが巻き起こり、最後には暴力へと行き着くでしょう。人びとが何もかも失うのはあっという間です。何度探しても職を見つけることができなければ、銃乱射や自殺といった事態に至るでしょう。国内でテロ行為を目の当たりにするでしょう。国家は、大衆の異議申し立てをコントロールするために、私たちの市民としての自由を浸食するでしょう。私たちは現在、学生による異議申し立てを目にしているけれど、さらに規模が拡大するでしょう。その異議申し立てが建設的であることを望みます。しかし、人びとは、自分が生き延びるために必要なことをするでしょう。食料暴動みたいなことを。政治権力側の人たちは、いち早くそういう圧力を取り除く取り組みをしたほうがいい。
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[http://d.hatena.ne.jp/ChrisItagaki/20110630/1309453253:title=つづく]
[asin:1568586442:detail]

*1:Karl Polanyi, The Great Transformation (Boston: Beacon Press, 2001), 76

*2:アーネスト・ローガン・ベル(Ernest Logan Bell)、ニューヨーク州ノーウィッチにおけるインタヴュー, 2010年3月30日

クリス・ヘッジス『リベラル階級の死』第1章 抵抗(2)

怒りの感覚と裏切られた感覚——アーネスト・ローガン・ベルや大勢の職のない労働者たちが表現しているのは、これである。これらの感情は、過去30年間にわたってリベラル階級が労働者階級および中産階級の最低限の利益を保護できなかったことから生じている。その間、企業は民主国家を解体し、製造業セクターの息の根を止め、アメリ財務省からカネをぶん取り、戦費もまかなえず勝てもしない戦争を行い、一般市民の利益を守る基本的な法律を骨抜きにした。にもかかわらず、リベラル階級は、政策や問題について控えめな言葉で語り続けている。 リベラル階級は企業による襲撃に反抗することを拒否している。このような理由で、右翼のほうが、職を失った人びとによって明らかになった正当な怒りを捕えて表現している。

古典的リベラリズムは、概して、封建主義と教会権威主義の解体に対する反応として定式化された。 古典的なリベラリズムは、法の支配の下での不介入と独立を求めた。そして、 古典的リベラリズムは、 ペリクレスソフィストたちによって表明された古代アネ哲学のいくつかの側面を具現化しているが、アリストテレスの思想と中世神学の双方とは根本的に断絶した哲学体系でもあった。哲学者、ジョン・グレイによると、古典的なリベラリズムは、

4つの基本的な特徴あるいは視座をもっており、これが目に見えて分るアイデンティティを与えている。 古典的なリベラリズムは、一人の人間はいかなる集団に対しても倫理上最優位にあると主張する点で個人主義的であり、全ての人間に同一の基本的な倫理上のステータスを与えるという点で平等主義的であり、諸人種の倫理上の一体性を認める点で普遍主義的であり、批判的理性を以ってすれば人間は際限なく向上することができると主張する点で改善主義的である*1
Liberalism (Concepts in the Social Sciences)

Liberalism (Concepts in the Social Sciences)

トマス・ホッブス(1588-1679)、ジョン・ロック(1632-1704)、バールーフ・スピノザ(1632-1677)は、古典的リベラリズムの基礎を築いた。これらの理論家たちの仕事は、18世紀にスコットランドの道徳哲学者たち、フランスのフィロゾーフたち、アメリカ民主主義の初期の建設者たちによって拡張された。ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873)は、19世紀にリベラリズムを再定義し、富の再配分と福祉国家の推進を求めた。

19世紀の後半と20世紀の初期に栄華を極めた自由主義の時代は、工場における労働条件改善に取り組む大衆運動、社会改革の成長、労働組合の組織化、女性の権利、普通教育、貧困層への住宅供給、公衆衛生キャンペーン、社会主義によって特徴づけられた。この自由主義の時代は、第一次世界大戦で事実上終結した。この戦争は、人間の進歩の必然性に関するリベラルな楽観主義を断ち切り、その上、経済的、政治的、文化的、社会的問題に対する国家と企業によるコントロールを強化した。戦争は、大衆文化を創造し、消費社会を通じて自我の崇拝を涵養し、国家を恒久的な戦争の時代に導き、市民を脅してリベラル階級内部の独立的でラディカルな声を沈黙させるために恐怖と大規模なプロパガンダを利用した。フランクリン・デラーノ・ルーズヴェルトニューディール政策は、資本主義システムが崩壊したとき初めて実行されたが、これは、合衆国の古典的リベラリズムの政治的断末魔だった。しかしながら、ニューディール改革は、往々にしてリベラル階級の助けを借りて、第二次世界大戦後数年のうちにシステマティックに解体された。

リベラル階級から生じた突然変異種が第一次世界大戦後に合衆国に現れたが、それは、熱烈な反共主義を是とし、国家安全保障を最優先事項と考えるものだった。その変異種は、人間の本質に対する深い悲観主義を特徴とし、イデオロギー的起源をキリスト教リアリストのラインホルド・ニーバーといった道徳哲学者たちに見いだした(政治的な悲観主義と帝国的冒険主義を正当化しようと目論む人びとによって ニーバーは度たび曲解され過度に単純化されてきたのだけれど)。この種のリベラルズムは、共産主義に対して寛大だと見なされるのを恐れ、価値の体系が国家によるコントロールの増大、労働者の弱体化、巨大な軍産複合体の成長とはますます相容れなくなってきていると表明することで、同時代の文化に地位を確保しようと努めた。冷戦期のリベラリズムが、グローバル化、帝国的膨張、足かせを解かれた資本主義のリベラルな立場からの擁護にシフトするまでには、古典的リベラリズムの一部であった理想の数かずは、リベラル階級を特徴づけるものではなくなっていた。

続いているのは民主的リベラリズムの事実ではなく、その神話である。この神話は、企業の権力エリートたちと彼らの擁護者たちによって、国益や民主的価値観の名の下に他国の支配や利用を正当化するために利用されている。サミュエル・ハンチントンのような政治学者たちは、この民主的リベラリズムの遺骸が彼らが文明度の低いと考える国ぐにに向けて、多くの場合は力によって、輸出可能な生き生きとした哲学的、政治的、社会的な力であるかのように書き記した。リベラル階級は、追いつめられ弱体化し、山積する不正義や企業国家の構造的な横暴と戦おうとする代りに、共産主義の——そしてのちにはイスラム戦士たちの——野蛮性を攻撃する政治的に安全なゲームに興じた。

血の気の失せたリベラル階級は、反証が多数あるにもかかわらず、人間の自由と平等は選挙政治と憲政改革の言葉遊びを通じて達成可能だと強弁し続けている。リベラル階級は、広範な参加型の権力を保証する伝統的な民主主義的経路が企業によって支配されていることを認めようとしない。おそらく、法が、リベラル階級の理想主義的な逃げ場となった。リベラル派は、議会に失望し、政治キャンペーンに真の議論が存在しないことに失望しつつ、法こそが改革実現のための有効な手段であるというナイーヴな信念をもち続けている。企業権力により法システムが操作され、それが選挙政治や立法審議の企業による操作と同様に明白であるにもかかわらず、彼らはその信念をもち続けているのだ。議会を通過した法律は、例えば、経済を規制緩和し、投機へと方向転換させた。法律は、ウォール街に利するかたちで合衆国財務省の簒奪を許した。法律は、人身保護を含む生死に関わる市民的自由を停止し、テロ共謀者と思われる合衆国市民の暗殺許可を大統領に認めた。最高裁は、法的前例を覆し、2000年フロリダの大統領選挙結果の再集計を取りやめ、ジョージ・W・ブッシュを大統領と定めた。

C. ライト・ミルズが言うように、「腐敗し脅かされたリベラリズムは、当てにならない無慈悲な政治的ギャングによって」武装解除された。リベラル階級は、権力エリートに立ち向かうよりも、空虚な道徳的ポーズを取ることのほうが思慮深いことだと考えていた。「市民的自由を称揚することのほうが、それを守ることよりもずっと安全で、市民的自由を形式的な権利として守ることのほうが、それを政治的に効果のある方法で使うことよりもずっと安全だ。これらの自由を覆すことにもっとも意欲的であろう人びとですら、自由の名の下で、通常そのように振る舞う」とミルズは書き記した。「過去に自由を行使した他の誰かの権利を守ることのほうが、「今だ」と今自分が力強く口にするよりもずっと簡単だ。市民的自由の防衛は——たとえそれが10年前の自由の行使についてであっても——リベラルなそしてかつて左寄りだった多くの学者たちの主要な関心事になっている。これらすべては、知識人による努力を政治的反応や要求から逸らす安全策である」*2

The Politics of Truth: Selected Writings of C. Wright Mills

The Politics of Truth: Selected Writings of C. Wright Mills

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Death of the Liberal Class

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