セイテイノア




 井 底 之 蛙






要するに「井の中の蛙 大海を知らず」の四字熟語版だ。「井蛙之見」(セイアノケン)「坎井之鼃」(カンセイノア)とも言うらしい。ただし「井蛙之見」は、日本限定の四字熟語であるため、中国では通用しない。



荘子』秋水に、こんな逸話がある。古井戸に住む蛙が、海に住む亀に「私はこの広い井戸を独占し、自由に泳ぎまわることができて幸せだ。あなたも、この井戸へ入ってごらんなさい」といったところ、巨体の亀は井桁につかえてしまった。亀が海の広さと深さとを説明すると、蛙はびっくりして目を回してしまった。



荘子』は説く。「井蛙には以て海を語るべからざるは、虚に拘ればなり」と。狭い居場所にとらわれている蛙には海の広大さは理解できないというわけだ。



私たちはつい自分だけの狭い見識にとらわれて、他に広い世界があることを知らないで得意になるものだが、「井底之蛙」という故事は、そんな自身の独りよがりを戒めてくれよう。



本田宗一郎は『得手に帆あげて』の中で言っている。



《こうして発見した得手なものを、大事に育てることが大切である。育てるといっても、その得意なものを「井の中の蛙大海を知らず」式に、自分の小さな穴の中でいじり廻しているだけでは大成しない。》



小さな得意は、広い世界の中でさらに磨いて、はじめて大成するのだ。



参考までに、他の類義語も挙げておく。四字熟語ならば「管窺蠡測」(カンキレイソク)「蜀犬吠日」(ショッケンハイジツ)「尺沢之鯢」(セキタクノゲイ)「夜郎自大」(ヤロウジダイ)「用管窺天」(ヨウカンキテン)「遼東之豕」(リョウトウノイノコ)など。四字熟語を離れれば「葦の髄から天を覗く」「夏の虫氷を笑う」といった言い回しもある。