石川博品 - トラフィック・キングダム

いずれも石川博品がウェブで公開していた中篇作品を三つ集めた作品集。ただし、『Fallout3』の二次創作となる「がんばれドッグミート」だけはkindle版からは削除されており、作者ブログからDLすることになる。

自己宣伝というかウェブでの露出を増やしていく戦略の一環だろうと思われる、小説家になろう、やカクヨムといったサイトでそれぞれ公開されていた作品だけれども、いずれも面白いし、手法においてもバラエティに富んでいて非常に読み応えのある作品集だ。

先生とそのお布団

先生とそのお布団(石川博品) - カクヨム
冒頭に置かれた「先生とそのお布団」は、タイトル通り田山花袋「蒲団」の書き出しをパラフレーズしながら、「蒲団」パロディゆえの信仰「告白」にして、自らを滑稽化して描くユーモアに満ちたライトノベル私小説というか、「私ラノベ」。売れないライトノベル作家「石川布団」の日々――創作過程、創作論、通らない企画を抱えた出版社まわり――を描きながら、小説への信頼、小説を書くということへの意思を強く示し、自らにもそして読む人へも励ましを送ろうとする誠実さに貫かれた一作だ。

今作最大の仕掛けとなっているのは「先生」と呼ばれる猫の存在だ。一人暮らしをはじめるタイミングで作家の先輩から譲り受けた猫は、人語を喋る読書家の猫だった。主人公は、ライトノベル業界の事情にも詳しいその猫から「オフトン」と呼ばれ、アドバイスや苦言をもらい、対話とともに一緒に小説を作り上げていく。そのままでは鬱屈に満ちた日常になりそうなものを救うこの存在は、『アクマノツマ』の悪魔妻とも共通する設定で、この二人のやりとりの妙がこの作品のユーモアを担う。

「書いても書いても発表まで行きつけなくて……僕は小説の神様に見はなされてしまったような気がするんです」
「志賀のことなら気にするな。あいつはもう死んだ」

この手の文豪ジョークが結構笑ってしまう。オフトンが作中作、『両国学園乙女場所』という女性だけの相撲ラノベ*1の書き出しに悩んでいるときに、『吾輩は猫である』や『夜明け前』をパロったオフトンの案に、「タイトルを『中入り前』に変更しろ」と返すところとかが楽しい。

作中でのオフトンの創作過程、創作論はどれも興味深いけれど、百合物のラノベを書こうとして、編集者にラノベは男子中高生がターゲットだから男性主人公でないとダメだ、と言われる場面がある。意気消沈した主人公が『To LOVEる』をモデルにしたっぽいラブコメ漫画(ウェブ版は「A LOVEる ブラックネス」、紙版は「DO LIVEる」と変わっている)の主人公にヒントを得る場面がいい。

「そうだ……この毎回毎回女の子の裸に動揺する主人公のミトさん……彼がいなければこの作品の魅力は半減してしまう。女の子が裸になるだけなら、それはただのちょいエロ漫画にすぎない。だがここに、裸を見てしまった永遠のピュアボーイ・ミトさんが加わることにより、エロスは倍増する。彼の真ん丸になった目――これが僕の企画に足りなかったものだ。あの白い丸になってしまった目は、読者が物語世界をのぞく窓だ。あの白い丸を埋めるのは読者の瞳だ。エロスがただ存在するだけでは読者にとって遠いものでしかない。男性主人公はエロスと読者をつなぐ回路だ。それが必要だったんだ。よし、僕は書く。男性主人公を書く。たとえ設定が根底からくつがえったとしても僕は書かねばならぬのだ」57P

後宮楽園球場』に迷い込む女装主人公、そして『四人制姉妹百合物帳』で、話を聞くことになる男子の存在を思わせる。

あとやはり良いのは観察と描写の細かさだ。高校生でデビューした売れっ子女子大生作家が、元飼い主の代わりに先生の様子を見にオフトンの家を訪れるときの、「蒲団」らしくそこにエロスの混じった絶妙に細かい描写。

 体があたたまって血のめぐりがよくなったせいか、先生の毛が障ったか、彼女はしきりに太腿を掻いた。白い肌に赤い痕が線となって走る。触れると熱そうに見えた。先生が彼の視線に気づいたか、寝返りを打って彼女の太腿を隠し、愉快そうにニャーンと鳴いた。P49

エロい男だなー、というこの視線、印象に残る。イラストでもこの女性作家の妖しいところが出ていて、カクヨムで公開していた時とかなり違った印象がある。オフトンのイラストもかなり意外だったけど、なるほど、と思った。

細かいと言えば猫の仕草や行動への観察も細かい。作者自身も飼ったことがないけど、欲しいものを絵に描くと画力が上がったという鳥山明にならって、猫を書くことにしたという。

個人的にも身につまされるのが、私とも同世代のこの主人公の境遇や家族関係の描写だ。さすがに本をいくらも出している作家と並べるのはアレだけれど、不安定な仕事をしながら売れない文章ばかり書いている身としてはいろいろ通じるものがあって、こう、複雑な気分になる。天パで眼鏡だし、ここに書かれてあるオフトンは私だ、とか言いたいところだけれど私はこんなに真面目じゃねーな、って。家族関係も微妙、ではないな。わりと生々しく書かれているこの書き手の背景事情、我がこととして感じてしまう人は多いだろうなと思う。

作品では、父がまったくオフトンの本を読まないけど、オフトンは父の本棚で育ったということを述懐する場面が印象的で、もう一つは母の料理がくそまずい、というところでの家族とのズレ、が主人公の独り立ちを必然的なものとしている。子供の頃はオタクグッズを禁止されていた、とか、幼少期、家族関係にはちょっとした距離感がある。

 つらい実生活から逃れたいと願う読者のためにライトノベルやその他の娯楽はあるのだ。彼自身がかつてそうした逃走にあこがれた若者だったし、いまでも家族やバイト先の雰囲気に居心地の悪さを感じている。
 実生活とうまく折りあいをつけられる者、居心地のいい空間を作りあげることのできる者はいい。だが多くの若い人にそんな力はないし、年を取っても彼のようにうまく行かない者がいる。彼らが世間に押しつぶされたままでいいのかと彼は思う。彼がペンを執るのは一種の抵抗であった。P61

ここで書かれている姿勢は、石川作品を読んでいてよく伝わってくるもので、やはり、と思うところがある。ただし同時に、帰ることの苦みをも書くのが石川博品だというのも、作品を読んでいればわかる。

最後にひとつ、印象的だったのは書き出しを工夫する場面だ。女性同士の相撲を描くにあたって先生の意見をいれながら三段階に直していくんだけれど、これが鮮烈。

 ――土俵の中央で裸の胸と胸がぶつかりあい、汗が弾けた。

 ――裸の乳房がぶつかりあうと、汗が弾けた。

 ――ぶつかりあう裸の乳房は、大きい方に分があった。68-69Pから

この三つ目、この文章で「石川博品」になった、と感じる。

作風故に、さまざまに引用したい場所、言及したくなる箇所が多い作品で、既に長くなってしまったけれどこんなところで。

フェイク私小説、ということでラノベ業界話的なものと創作論とを人語を話す猫という道具立てでユーモラスな作風に仕立てた作品で、読みやすいのでウェブで読める石川博品作品はどれか、というならとりあえずこれを読んでみるのもいいのではないかと思う。もちろん、ちょっとイレギュラーな位置づけだというのは確認した上で。

「がんばれドッグミート Dogmeat Can't Fail」

石川博品のおしゃべりブログ: 「がんばれドッグミート」まとめ
ゲーム『Fallout3』の二次創作で、作中の描写はゲームに負っているようだけれど、私はまったく知らないのでそこはわからない。ゲームに出てくる主人公に付き従うドッグミートという犬の視点、犬の語りで「ご主人様」の行動を語った作品。

このドッグミートの語りというのが、無邪気で、ちょっとバカで「ご主人様」大好き、というバランスでできていて、「ご主人様」を賞賛する節々でその「ご主人様」のダサいところ、間抜けところを語ってしまっているという愛嬌あるものになっている。この犬の視点による語りによって、荒廃したポストアポカリプス世界での荒事が、ポップでユーモラスなものに変えられている。荒廃した世界でさまざまなミッションをこなしていく様をスピーディに語り、ドッグミートの「ご主人様」への思いとともに、「ご主人様」もまたドッグミートに惜しげもなく貴重な水や回復アイテムを使ってしまう、この二人の信頼と愛情がアツい快作だ。

前作の猫に続き、今作も犬、というペット言うよりは大切な相棒、という体で書かれている。イラスト、擬人化されたドッグミートがちょっとかわいすぎるほど。

トラフィック・キングダム

http://ncode.syosetu.com/n3182di/
夜に出歩き喧嘩もするタフでワイルドな女子中学生を語り手にし、その独特の語り口調によって書かれた、表題作となる百合SF中篇。
「道路が車の群れに占拠されてしまった近未来。人々はパケットと呼ばれる乗り物で移動することを余儀なくされていた」という紹介がされており、書き出しが鮮やか。

 行くんだったら私、ベルフローラの方がいい。
 グランドエイトとか、明香は行きたがってるけど、この時間は男子とか西中の奴らとかいて、カラオケとかボーリングとかあるけど私お金ないし、結局、明香が昨日金髪にしたからそれを見せびらかしたいだけだろって思った。185P

年代は明らかにされていないけれど、ある程度未来、自動操縦で自律行動の自動車が挙げ句に本当に自動で動く車となって、道路を占拠し人を排除し始めた。人は仕方なく、道路の上空にリンクと呼ばれるパイプラインのようなものを整備し、そこにパケットと呼ばれる一人乗りの乗り物を走らせていた。そういう舞台設定だ。

ここにあるのは強い抑圧的な雰囲気で、人は防音壁に囲まれ道路から排除されており、少女達は他校の少女達とも諍いをおこし、堀河多華美は家に閉じ込められている。パケットが走る空は、すぐ下に人の死体ごと呑み込む道路が走っており、死がつねにそこにある。家事、家族の手伝いで虐待されながらも家に閉じ込められている多華美は、すぐに「仕方ない」と口にするけれど、語り手桐原奈琉は、その諦めに同意しない。

子供達が閉塞した世界にぎりぎりと締め付けられている状況というのは、石川博品がずっと書き続けてきたものだ。『アクマノツマ』や『菊と力』はわかりやすいけれど、ネルリなど多くの作品にある家族関係の軋轢はそのもっとも具体的で身近な実例としてあった。このどうしようもない「仕方ない」街で、二人が出会うことで、この仕方なさに流されることを拒否しようとする姿を描いているのが今作だ。進む先にも希望があるようにはまったくみえない話なんだけれど、二人の信頼関係と夜の描写の叙情性、これからどこへ行くのかというラストシーンは、夜の高速道路にいるような感覚を思い出させていわく言いがたい情感に満ちている。

いじられがちな多華美におびえる小動物の面影を見て、放っておけなくる語り手桐原奈琉の乱暴だけれどもじつは直情的な人情家でもある性格が良い。多華美もまた、おびえた小動物というばかりではない強さも持っていて、奈琉が大柄な多華美に体を預ける描写があるのが印象的。

閉塞的な夜の街で、囚われのお姫様を助け出す女騎士のお話。表紙にもなっているイラストが、レトロなSFっぽさをよく表していて、とてもよい雰囲気だ。

フェイク私小説、ゲーム二次創作、百合SFと、語り口や設定でバラエティに富む中篇集だけれど、信頼関係で結ばれた二人が、ともに荒々しい世界を前へ進んでいく、という点で一本筋が通っているのが秀逸。


ここ一月、溜まっていたタスクをなんとか片付けたけど、これからまたちょっとこういうレビュー記事は数ヶ月くらいないかも。

*1:後宮楽園球場』がモデルだろう