「優良」への疑問まとめ

先日の「優良図書に推薦したいビデオゲームを探しています。」という質問は色々な所で取り上げられた。我ながらなかなか面白い試みだった、と思う。

ざっと反応を見てみると最初のうちは基本的には好評のようだった。まあ、例として出されたコンテンツの質が良かったため、単純なリストでも価値があった、と言うことだろう。

注目の点は質問終了後しばらくしてから起きた反応である。

「ところで優良なものの根拠というのは何なのでしょうか。」(メモと寸評を中心とした日記)


有害図書指定の時はやや絶対的な「科学的根拠」らしきものが必要とされ、優良図書認定のときは価値の多元性のようなところでヌルーく終わらせてしまえるという非対称性は一体どうしてなのだろうか。

「婦人参政権が完成しました!」(コメント欄にリンク)(ABAの日誌)


QWEN 『(前略)ここで求められている優良・道徳の規準とビデオゲーム特有の娯楽性は相反する種類の物ではないのか、と思うのです。募集結果の一覧も見ましたが、確かに良質な物が揃っているとは思うのですが、いざビデオゲームとして見てみた時に「果たしてこれはビデオゲームと呼んで良い物なのか」と疑問が起きる物ばかりなんですね。
(中略)
ビデオゲームとして優良を目指すならビデオゲームの形態を捨てる必要がある、つまりビデオゲームでなければならない理由が無くなるんです。もしくは使い古されたスタイルを無理矢理宛わせてどっちつかずになるか、だと思います。』

実に鋭い指摘だと思う。質問後しばらく経ってこのような反応が返ってきたのは面白い。


裏話をしてしまえば、実はあの質問の意図はここにあった。表向きは「ゲームポジティブキャンペーン」の一環であるが(もちろんこの意味合いも大きかったのだが)、もうひとつの隠された意図として「皮肉」というものでもあったのだ。「優良図書の基準」を自由に設定してかまわない、東京都の例を「参考」に留めたのはそのような理由からだ*1。案の定、上のような反応が返ってきたのは願ったりかなったり、といったところである。

本当はこれに対して自分の意見を述べさせていただ…と言いたい所だが、ネット環境が乏しいのでとりあえずまとめだけに留める。

*1:自由に決めて良い、と言うことをもう少し強調したかったのだが、字数制限に引っかかってしまった。そのあたり伝わりきれなかったようで、東京都の基準に無理に合わせてしまう回答が見られたのは失敗だった。次回への課題だ。