安易にWebの流行に流される人は、「web 2.0 = game 0.5」である可能性に留意しておいた方がよい

少し前の話だが、web2.0がやたらと騒がれるので、その流れにのってweb2.0のアイディアをゲームに応用しよう、という一種の流行がゲーム系のblogを中心にあった。当時は忙しかったのでそのことについて触れられなかったが、当時ざっと見たところ、その流れに疑問を呈していたのは鶴見六百さんぐらいだったように記憶している。

他分野のアイディアを応用しよう、最新の考えを取り入れよう、という点だけは評価できる。常に新しいアイディアを考えることは重要だ。

だが、いくつか留意しておくべきことがある。まず、webとゲームは全く異なるメディアだということだ。そもそも比較すること自体、果たして正しいことなのかどうかすら分からない。そう簡単にアイディアの転用という訳にもいかない。

2つ目は、2.0、2.0と騒がれているが、web2.0が2.0である理由をゲームに置き換えると、0.5ぐらいの水準なのではないか、という可能性だ。数字については適当なので0.3かもしれないし、0.75かもしれないが、ともかく、web2.0で騒がれている特長はゲームには当てはまらないか、とっくの昔に実現しているものばかりである、ということは留意すべきだろう。例えば、web2.0web1.0と違うのは、ユーザー参加型になったことだ、などと言われたりもする。それはゲームで考えれば、プレイヤーが参加できる、というのはごく当然のことだ。というか、参加できなければ、それはもはやゲームですらない。

コンピューターゲームは40年の歴史があり、10数年のwebとは比較するまでもない。同じインタラクティブ・メディアといっても、あまりにも差がある。バージョンが一つ上がろうとも、webがハイパーテキスト、つまり紙の置き換え以上のものになったとは到底思えない。webの可能性は否定しないが、そこでの流行を流用しようとは、あまりにも安易過ぎる行為ではないか。

今のゲームは他分野のアイディアを単に流用して上手くいくほど未成熟なものではない。だからこそ、海外を中心にゲームデザイン研究の熱が高まり、学術的に整理されつつある。当てずっぽうが上手くいったのは黎明期だけだ、そして今はとっくの昔に成熟期に入った、ということだけは認識しておくべきだ。黎明期への憧れだけでは何も生み出さないのだ