2011-11-03
『ぼくの古本探検記』をよみながら
昨日も今日も、天気予報は晴れ時々曇りだったのに、なぜか一日中曇り空。昨日ラジオを聴いていたら「明日は中気圧に覆われます」「中気圧という言葉があるんですか?」とアナウンサー。「すいません。勝手に作りました。けれどそういうのがぴったりな気圧配置です」という、なんだか天気予報らしいような、そうでないような会話が聞こえてきた。
****
一昨日(十一月一日)の話。この日はもう少し涼しいかと思っていたが、案外気温が高くなった。
「用事」の日だが、早めに出かけて…と思うものの、実際には家を出るのが少し遅くなった。まぁ、臨川書店の落穂拾いと百万遍古本市の均一をざっと覗くだけしかできるまい。
きょうのお供の本は『ぼくの古本探検記』(高橋輝次 大散歩通信社)。(この本については大散歩通信社のブログ「クリケット日和」のこことここをご覧ください。)
知らない本、知らない人名ばっかり出てくるが、そういう本を読みたくさせてくれる。一冊の本から次々に広がり、つながっていくさまが楽しい。高橋さんという一人の読み手が調査をひろげていくのを追体験できる。調べ物が好きな人(というのは変な表現かもしれないが)の醍醐味だ。インターネットならもっと簡単にわかる、というのは、手間の面ではそうかもしれないが、得られる情報が同じだとは限らない。インターネットにも限界はあるし、地道な調査にも違う限界がある。少なくとも、高橋さんの調べられたことはインターネットですぐに手に入れられるような情報ではない。そして、得た情報を充分に楽しんで、また調査をひろげ、以前に調べたことも大切にあたためておいて、いつひょっこり顔を出すかもしれない次の芽を捕らえることにも余念がない。
ウェブ上の連載でも読んでいた記事もあるが、やっぱり本で読んだほうが頭に残る。この本を読んで、とりあえず『犬は詩人を裏切らない』(清水正一 手鞠文庫)を日本の古本屋で見つけて注文した。
****
臨川書店に着いたのは十二時半過ぎ。初日に残った本は残っている感じだが、追加もしているようだ。初日のお昼ごろに追加されていた福武文庫はほとんど売れてしまっていた。この間の「福武追加しました」で、今頃になって福武文庫を再認識する。
てくてく歩いて百万遍へ。あんまりゆっくりはできないので、均一の平台だけを見て回る。百円均一もいい本があるけれど、欲しい本というわけでもない。結局赤尾照文堂の一冊五百円均一の台で「上林暁研究 第五号」(一九九七年三月)を買う。裏表紙が折れて、一部破れているが、それは別に構わない。けれど、この間の天神さんの古本市でこの雑誌を何冊か買った中にこの号があったかどうかを覚えていないので、ダブっているのではないか、というのが気にかかる(家に帰ってみてみたら、先日買ったのは四、六〜八、十、十一で、うまく穴がひとつふさがった形になっていた)。
もうこれだけでも充分と言えば充分。四十五分ほどで離脱して善行堂へ。
****
少々お疲れ気味だが、やっぱり毎日百万遍には行っている、という山本さん。これなんかおもしろいよ、と見せていただいたのが、『ソロモンの歌』(吉田秀和 河出書房新社)。吉田秀和は、気になる人だし、いいという人も多いけれど、音楽評論がメインフィールド、となると、どれから手を着けてよいかもわからない。そもそも音楽には暗いので、はっきり言って、どこに入り口があるのか見つけられない高い塔、という感じだった。「僕はこの本を読んで、吉田秀和に入っていったなぁ」と山本さんがおっしゃるので、それならぼくの同じ入り口から入ろう、と思う。「この本、シンプルやけど、野中ユリの装幀やね」。中世の木版画風の挿絵が扉の中央にあったり、ちょっと上よりの版面、筒型の函、いろいろ工夫がある。
ほかにも、発信人不明の「○○書店は既に何もなし」というメールの話(「古本の世界のことやから誰かが引っ掛けようとしてるのか、と思ったりもした」と山本さん。実は本当の報告メールで、名前を書き忘れていたが発信人はNiさんだった)とか、『ぼくの古本探検記』のこととか、ほかのお客さんの百万遍や臨川書店での成績の話など、本の話のよもやまを。
いつも火曜日は定休日の善行堂だが、古本市の間だけは特別に開店。火曜は「用事」が四時半から八時までなので、「用事」の後は無理で、今日は先にうかがった。「それではこれから『戦場』に行ってきます」と挨拶してお別れする。
****
百万遍初日、奈良、百万遍四日目と、一週間で三日もバタバタしたせいか、なんとなく疲れた。本の山もまた一つ増えたし、そろそろ読むほうもスピードをあげたいなぁ、と思うけれども、なかなかそうは行かないような気がする。
