CrowClawの日記

2018-10-08 彼女らの魂に安らぎあれ

バーチャルYoutuberキズナアイをめぐる一連の議論は、何の教訓も引き出せずに擁護・批判する両陣営が傷つけあうような、個人的に大変残念な方向に着地しつつあります。以下、そうなった理由を自分なりに考えて書いていきます。

尚、本件ではフェミニズム観点に問題を局限するため、既に多数が活躍している男性バーチャルYoutuberについては、その大半を意図的に無視していることを付言しておきます。ごめんなさい。


1.キズナアイ主体性に関する誤解

太田弁護士をはじめとするフェミニスト論客たちが誤ったのは、「キズナアイが性的表象であるか否か」の点ではなく、「キズナアイに(女性としての)主体性が存在するか否か」であると考えます。結論から言うと、キズナアイには明白な自我主体性が存在しており、そこが既存の所謂「萌え絵」との唯一にして最大の相違点でもあります。しかし、殆どのフェミニストたちはバーチャルYoutuberに対して無知であったために、既存の「萌え絵」とキズナアイの区別がついていませんでした。

キズナアイは、Activ8株式会社2016年に開発した3Dモデルであり、「人工知能」を自称し、普通のYoutuberと同じように企画などをこなしていくというスタイルが過去にない*1ものと受け止められ、局地的な人気を博すに至りました。

2017年12月には後発のバーチャルYoutuberである「輝夜月」や「ミライアカリ」が登場し、VRChatなどお手軽に3Dアバターを利用できるツールの普及も相まって、アマチュアも巻き込み爆発的なブームを引き起こしていきます。

キズナアイの動画は、既存Youtuberの「〜をやってみた」ような企画ものと、ゲーム実況ものに大きく分けられており、チャンネルも動画の傾向に合わせて分割されていますが、いずれの動画にせよ、既存Youtuberが用いる程度の「脚本」は存在すると推定されているものの、基本的にはキズナアイのアドリブで成立しており、キズナアイの「中の人」は実質的にキズナアイ本人とイコールであると見なされています。幾つかの動画においては、脚本を無視し当人のアドリブのままに暴走するようなシーンすら見られます。

アニメキャラを主人公として利用した既存の動画類では、アニメ絵を設置し合成音声に喋らせる(ゆっくり実況など)、音声はなく文字のみで解説を行うなどの手法が一般的でしたが、キズナアイの最も画期的な点として、声優や演者の情報を徹底的に秘匿することにより、演者を≒キズナアイ本人とし、イベントでのトークや生放送での雑談、Twitter等のSNSによるファンとのコミュニケーションを、動画上の「キャラクター性」を損ねることなくシームレスに結合することに成功したことが挙げられます。単なる「アニメキャラ」ではない、自我を持つAIとしての「キズナアイ」のアイデンティティは、日を追うごとに強固なものとして成立していきました。

故に、「キズナアイ」は碧志摩メグのような「萌えアニメキャラ」とも初音ミクとも異なる、所謂「アイドル声優」などに近い存在としてファンに受け入れられており、その前提を無視したこと炎上第一の原因となっているように思います。


2.フィクションバーチャルYoutuberの微妙な距離

バーチャルYoutuberブームを受けて、数多くのバーチャルYoutuberが企業や個人の手によって生み出されていくことになりますが、彼女ら彼らはキズナアイの作った基本路線を概ね踏襲しつつも、独自の方向性を打ち立てていくことになります。

フィクション性の高いバーチャルYoutuberとしては、「鳩羽つぐ」や「げんげん」が挙げられるでしょう。前者は(恐らく)幼児誘拐をテーマとした不穏なストーリーの「登場人物」として動画を投稿しており、声優は存在するものの、アドリブや演者のキャラクター性などは極力抑えられています。後者に至っては声優が存在せず合成音声での表現となっており、既存のゆっくり実況などに近いスタンスだと言えます。また、作品も一話完結型のコメディ(?)が多いです。これらのバーチャルYoutuberは、既存の「アニメキャラ」に限りなく近い存在であり、声優は存在していても、主体的な意思などは特に感じられません。

もう少しフィクションの濃度を下げた位置に、キャラとしての「基本設定」を守りつつ演者オリジナルの振る舞いをする一群があり、キズナアイもここら辺に含まれると考えられます。記憶喪失という設定の「ミライアカリ」、月のお姫様を自称する「輝夜月」など、アニメ的な企画動画も実況もこなせる点が大きな強みです。

さらにフィクション濃度を下げ、普通のYoutuberやストリーマーに近い一群には、「バーチャルのじゃロリ狐娘Youtuberおじさん」や「月ノ美兎」が含まれるでしょう。前者については、現実的には技術者の男性であることを明かしつつも、ギャップによる笑いを誘う要素として美少女アバターを利用している例であり、後者については、「真面目な委員長」というアニメ的な設定がありつつも、それを半ば無視して演者の個性を前面に押し出すことでストリーマーとしての人気を博した例です。ここまでくると、「キャラとしての主体性」に疑問を差し挟む余地はほとんどなく、むしろ「普通のYoutuberと何が違うのか?」と(フィクション性の高い)Vtuberファンから批判されるほどです。

このように、一言で「バーチャルYoutuber」といっても、その在り方は多種多様であり、十把一絡げに「こうだ」と規定できる理路は何もありません。ましてや詳しく知らないならば猶更のことです。


3.バーチャルYoutuberの「主体的意思」について

ようやく本題です。

第一項で私は、「キズナアイには明白な自我主体性がある」と(あえて)断言しましたが、当然ながら彼女が「AI」であるというのはアニメ的なフィクションに過ぎず、実際にはプロの声優が「キズナアイ」を演じ、その自我を形作っています。*2

そして、バーチャルYoutuberがブームとなり、GREEなどの大手も参画するメディア産業として成長していく過程で、キズナアイのような存在に憧れる女性たちが数多く出現してきます。

彼女らの出自は、ゲーム実況者であったり、ストリーマーであったり、声優の卵であったりと様々ですが、自らの意志で美少女アバターを利用することを選択したという点ではキズナアイと共通しています。

アバターを利用するメリットとしては、外見的な可愛らしさ以上に、ルッキズム評価されないというメリットがあります。特に女性のストリーマーの場合、トーク力やゲームの腕前よりもまず外見で評価されてしまう傾向が強かったのですが、バーチャルアバターの登場によりそれが解消され、「(美少女が求められるという)ルッキズム的要請に配慮しつつ、ルッキズムを半ば無視する」というアクロバットが可能になりました。

バーチャルYoutuberには、中の人の顔写真が公開される所謂「顔バレ」をしてしまい炎上した例もいくつかありますが、そうした批判は概ねファンにとっては「無粋」で「心ない」ものと見なされ、顔バレした演者も「美少女キャラ」として引き続き受け入れられているケースも見られます。

女性としての外見的な美しさを問われず、好きなゲームや好みの話題を語ることで、多くのファンの支持を得ることが出来るバーチャルYoutuberは、例えそれが既存の女性Youtuber達の既得権を幾らか侵害するものだったとしても、広範な支持を受けるのが自然ですし、これらが女性の主体的自己実現の手段ではないと断ずるのは、フェミニズム的な観点から言っても相当に無理があると思います。


4.キズナアイ欅坂46

では、バーチャルYoutuber産業は女性の自己実現のために役立っており、そこにフェミニストの言う「女性性の搾取」の問題など存在せず、批判は全く的外れなものなのでしょうか。

キズナアイは、ことあるごとにアイドルグループ欅坂46」の大ファンであることを公言しており、関連する動画もいくつか出しています。中には本気でけやき坂46のオーディションを受けるような内容のものもありますが、生放送で脚本を無視してでも欅坂について熱く語ったなどの逸話を見る限り、キズナアイの「中の人」が、アイドルに憧れてエンタテイメント業界に入った人物であることは容易に推定できる事実だと思います。

私の個人的な意見ですが、欅坂を含めて秋元康プロデュースの女性アイドルグループは、「恋愛禁止」が暗黙の了解とされているなど少女への人権侵害的な側面が目立つため、全く好きになれません。

翻って、バーチャルYoutuberであるキズナアイにとっては「恋愛禁止」はさしたる問題ではなく、例え中の人が密かに結婚していようが、それを隠し通すことは容易であると考えられます。何しろバーチャルなので、年も取りませんし、永久に「美しい少女」のままでいられるのです。

しかしながら、それは同時に「キズナアイ」がキズナアイを辞めることが出来ないということも意味します。

欅坂46のような「アイドル」は、アイドルをやめれば単なる女性に戻ることが出来ます。女優として華々しく再デビューすることもできますし、強硬なフェミニストとしてかつての自己を否定することもできるでしょう(アグネス・チャンがそうしたように)。それは本人の女性としての自己決定によるものであり、自由です。

しかし「キズナアイ」は、演者の自我とキャラクター性を強固に結び付けられ続ける限り、キズナアイであることを途中で放棄したり、「普通の女の子」に戻ることはできません。自らの外見が、女性的な魅力を都合よくデフォルメした「アニメ美少女」そのものであると指弾されても、姿かたちを変えることもできませんし、大人になることもできません。そして、強引に「キズナアイ」であることをやめた時点で、それが中の人セカンドキャリアの形成に役立つとも思えません。

故に、フェミニストキズナアイ批判するとすれば、アイドルに憧れ、都合の良い「アニメ美少女」の表象を身に纏ったはいいが、まさに自分自身が(男性中心の顧客の要望に応えることを中心とした)性搾取的な構造の中に取り込まれ、身動きが取れなくなっているという、まさにその一点を突くしかなかったと思います。

おそらくそのように批判されたとき、キズナアイ(とその製作者たち)は何も言い返せなかったはずです(何しろそれが生業だから)。ただ、一方でアイドル文化もYoutuber文化も、女性が主体的に参加しうるコンテンツである以上は、「性搾取だからやめちまえ」と強引に処断できるような類のものではなく、ならば何らかの形で「中の人」の交代やセカンドキャリアを考える道筋を(女性たちのために!)作っていくことこそが必要だとも言えたのではないでしょうか。


5.おわりに代えて

今回の論争では、批判者同士、お互いがお互いの文化的背景を全く理解せず、一方的な偏見に基づいて処断し、バーチャルYoutuber産業が抱える新しい構造的問題や、既存のアイドル文化を含めた女性差別の問題については、殆ど何も語られることなく、ただ不毛な煽りあいだけが継続するという状況になってしまいました。

ポリコレに違反していようが、誰かを差別していようが、それが文化であり誰かの生きる糧である以上は、その在り方に真摯に向き合い、あるべき方向性を探るのが文化批評の役割ではないかと感じるのですが、そういったことを真剣に語る論者は皆無でした。別に愚かしいなら愚かしいで構わないのですが、真面目にやる気がないなら何も言わずに放っておいてくれたほうがまだマシではないかと思います。既に言い尽くされていることではありますが、文化的摩擦の存在に配慮せず、単に「クールジャパン」のような浅薄文脈に乗って今回の起用を決めたと思われるNHKにも、大きな問題があるでしょうが、本題ではないので省略しました。

バーチャルYoutuberを目指し、あるいは既に活動している全ての人々の魂に安らぎがあることを望みます。

f:id:CrowClaw:20181008201712p:image

*1Ami Yamatoなどの先駆者は居ましたが、日本国内では無名でした

*2声優が誰なのか、ファンは当然全員知ってるのですが、ここでは特に記述の必要がないので省略します

2015-03-23 ファニーゲーム

「落ち度は、誘い出されたその馬鹿に反撃を許してしまった事だ。

だが、返り討ちにあって殺されてしまったのだから世話もない」

「そんな言い方……」

「何が悪い? これはそういうゲームだ」


尊師MMD」なるポリゴンモデルが人気である。第14回MMD杯で受賞した動画を幾つか見てみたが、どれも抱腹絶倒ものの傑作揃いだ。動画は↓のページから見ることが出来る。

尊師MMDとは (ソンシエムエムディとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

これら動画から、2012年頃から聞いていた「唐澤貴洋」弁護士への中傷事件が、沈静化するどころか全く違うフェーズへ拡大・深化を遂げていることを知る。


No such wiki - ShoutWiki Hub


上記は問題のまとめwikiであるが、こと「中心人物」とされた人々については実名は勿論のこと、住所、年齢、性別、職業、果ては顔写真まで掲載されており、やりたい放題の極地という趣を見せている(編集しているのは主に2ちゃんねる「なんでも実況J」板住民(なんJ民)と思われる)。唐澤氏が「尊師」と呼ばれていることも含めて、何となくネット黎明期の「オウムサイト」を彷彿とさせる。(事実、「旧尊師」の項目もある→No such wiki - ShoutWiki Hub

これだけやっても警察は動かないどころかプロバイダーから削除すらされないのだから、ネットで匿名誹謗中傷が蔓延るのも当たり前であろう。


no title

基本的にはソーシャルゲームです。普通はネット上の嫌がらせをソーシャルな活動とはみなしませんが、使用された戦略や策略から、加害者たちが単独ではなく、実際はゆるやかに互いに連係していることがわかります。


そしてこのソーシャルな部分は、プレイヤー、つまりは加害者が参加し、実際に攻撃をエスカレートさせようというやる気を起こさせる強いモチベーションとして働きます。そうすることで仲間から賞賛と承認を得られるからです。


それは、だんだん厚かましく汚くなる攻撃を仕掛けることで「ネットポイント」が得られる、一種の仲間内のポイント制度みたいなものです。そういった攻撃を記録し、証拠として伝言板書き込み、戦利品や成績のように互いに見せびらかすのです。


ソーシャルゲームの全体的な構造がわかりましたよね。プレイヤーがいて、「悪役」つまり私がいます。戦場があり、仲間内のポイント制度もあります。


でも大事なのは「これはゲームではない」ということです。これは巨大なスケールで女嫌いの怒りをあからさまに示したものです。「男の子はそんなものさ」とか「ネットとはそんなもの」と片付けられるものではありませんし、無視したからといってなくなるものでもありません。単なるゲームじゃないのです。


彼女がそう言いたくなる気持ちもわかるが、それでもコレは単なるゲームである(そう捉えないと本質を見間違う)。

上記記事を受けて「女性差別けしからん」という声がにわかにわき上がっているようだが、誹謗中傷の度合いで言えば唐澤氏の方が悪質で酷いし、匿名者から長期間に渡り誹謗中傷を受けたという意味合いでは、スマイリーキクチ氏や多田野数人氏の方がよほど酷い目にあっている。

多田野氏に至っては、本人がセクシャルマイノリティであること*1が中傷の主な理由の一つなのだが、性差別にうるさい(自称)リベラル連中が、何故多田野氏の件では一様に口を閉ざすのだろうか。


キーパーソンインタビュー:ネット上の中傷「加害者を減らしたい」 お笑い芸人のスマイリーキクチさん - 毎日新聞

検挙された方々はみんな普通の社会人で、それなりの社会的地位の人もいました。しかし、検挙されても謝罪よりも被害者意識の方が強いようです。「私は悪くない」から始まって、最初は「犯人が憎い」「許せなかった」と言いますが、なぜ自分がやったかと問い詰められると、「ネット上の情報にだまされただけだ」「最初にウソを書いたやつが悪い」「みんなやっている人がいる。何で自分だけ」。そして「私もストレスを抱えてつらい」……。


 最後には「キクチのせいで犯罪者にされた」となる。「私が書いた回数は少ない」と言い張る人もいました。でも、万引きは1回でも犯罪になります。人を殴るのが1発ならいいのか、という話になりますか。


 仮に少年法がもっと厳しく改正されたとしますよね。未成年でも実名報道になって、テレビでも新聞でも顔写真が出る、名前も出る。そうしたらネット上の中傷は無くなると思いますか。僕は無くならないと思う。彼らは「新聞がやっている、テレビがやっている。だから俺たちもやる」となるだけで、結局、中傷に加担する人たちは、今と同じことを別の理由で正当化して続けていくだけだと思う。常に逃げ道を探して、無責任で人ごとになる。どうして中傷するのか、もっと根本から考える必要があるでしょう。ヘイトスピーチ差別表現も根は同じだと思います。

被害者の弁としてキクチ氏の意見は尤もだが、匿名の中傷を「無責任」から去来しているものと見るのはいかにも皮相だ。

唐澤氏への中傷では、2ちゃんねるへ殺害予告を書き込んだことにより実際に何人もの逮捕者が出ており、騒動の課程で実名や住所を晒されてしまった「ゲームのプレイヤー」も枚挙に暇がない。それでも彼らはやり続けるのである。何故か? 単なる横の繋がりや、評価経済の中で承認欲求を満たしたいから、だけではないだろう。


No such wiki - ShoutWiki Hub

騒動初期に弁護士事務所Twitterアカウントで複数人のアイドルアカウントをフォローしていたことが判明した。また、判明の5分後にTwitterアカウントに鍵が掛かっているため、なんJを覗いていた可能性が非常に高い。

高学歴を誇る金持ちのボンボンでありながら、唐澤氏がやってたことはまるで2ちゃんねらーである。


思うに、これらのような誹謗中傷事件を読み取るには、「何故彼女/彼がターゲットとして指名されたか」を考えなければならないんじゃないか。

「(中傷をする人には)共感能力が欠けている」とキクチ氏は言う。しかし、「足立区出身の元不良」で「そこそこ成功した(過度に有名でない、というとこがポイント)お笑い芸人」であるキクチ氏に対し、少なくない中傷者達は、自分と近しいもの、不可思議な連帯性のようなものを感じたのではないか。

だからこそ、誰かを集団で中傷する=集団暴行殺人の犯人である者達に対し、歪んだ黒い鏡に写った己の姿を見いだし、それをキクチ氏に「転嫁」してみせたのではないか。最も、「転嫁」された側であるキクチ氏が、そのことに気付かないのは当然であるが。


多田野氏のスキャンダルが判明したとき、球界は彼を事実上追放し、マスコミも含め、誰も彼に対して救いを差し伸べることはなかった。それは、彼が「AVに出ていた」からではなく、旧態依然としたホモソーシャルであるプロ野球界で、未だにゲイセックスがタブーと見なされているからではないか?

そして、「火遊び」によって周囲の承認を得ようとする悪芋たちにとって、「タブーに踏み込む」ことはこの上ない快楽を与えてくれるのではないか?


そう考えれば、日本の状況と異なり*2、女性がある程度の社会的地位を獲得したアメリカ社会にあって、女性差別は「タブー」であると同時に、この「ゲーム」に参加しているユーザー=自身を「弱者」「被害者」と思い込んだ男性達にとっては、抑圧された暗い鏡の中の自分へ手を差しのべる、唯一残されたアクセスの方法なのではないだろうか?


「深淵を見るものは……」の格言ではないけれど、何かを強く批判するとき、見えない鏡の中にいる自分自身を見つめられない者は、何れ火の中に己が身を投じるハメになるのではないか?


望んでそうしたいなら、まあ好きにすればいいが。


夜中に化粧してどこ行くの

自分の亡霊がやけにめかし込んでんね

俺のヘッドの中のあんたって一体誰なんだっけ

昨日ステージで何やってたんだっけ

こんなゲームにそもそもなんで参加してるんだっけ

名前すら持たずに

鏡に写ってるあんたって一体誰なんだっけ

D

*1:釈明会見で当人は否定しているが、ネット上では公然の事実と前提されている

*2:本邦においては、そもそも「ゲーム批評をするフェミニスト」のような存在は、あと20年以上経っても出てこないかもしれない。それぐらい状況は悪い

2014-12-27 奴隷の星

前の仕事を辞めて、最低賃金の職場で働き出してから、早3ヶ月が経った。

恐ろしいことに、生活はあんまり変わっていない。精神面ではむしろ以前より余裕がある。財産価値のありそうなもの(車とか)を軒並み売り払ったので、その金が入ってきたのもあるが、この社会はどんだけデフレに対応してるのか、と思う。

収入が相当に低くても、スマホをいじりつつそれなりの生活が出来てしまう。ということ自体、「奴隷的セーフティーネット」というか、貧しい大衆が現状肯定に傾く最大の理由なんだと、改めて知った。

実家の弟は、相変わらず引きこもりを続けている。以前は彼の将来を憂いて色々と余計な老婆心を発揮したのだが、母親も諦めている様子なので、もうこれでいいのかな、と(今になっては)思う。自分のことで心配をかけているのは申し訳ないが。


さて、2014年は大衆の急激な奴隷化が進行した年だった(と私は思っている)。

アベノミクスは、予想通り、富裕層を更に肥えさせ、日本のアメリカ化をより推し進めただけだった(今後もそうなるだろう)。しかし安倍さん本人さえ、大衆がここまで己を支持してくれるとは思ってなかったのではないか。しかも(本人一押しの)右翼的政策に対してではなく、大衆自身を痛めつける経済政策に対して。

はてなブックマーク - Midasのブックマーク / 2014年12月7日

Midas 「個人のブランド化」と言ってたこの人がアベノミクス大賛成なのは当然の展開。ここで声を大にして言っとくがアベノミクス民族浄化以外の何物でもない。後世の歴史書には必ず「エスニッククレンジング」と記される 2014/12/07

Midas アベノミクスは「借金して株を買ったら富を得れると国家が保証します」と主張してる。こんなトンデモはない。それと同時に(それ故に)よほど怠惰な人間でない限りこの誘惑に逆らうのも難しかろう 2014/12/07

Midas 但し狂気とは正に主観的な認識(まさかそんな旨い話がそうそうある訳ない)と客観的な行為(でもとりあえず株でも買っとくか)のギャップのことであって大半の国民「私は懐疑的だけど株は買う」は巻き込まれる 2014/12/07

Midas こうしてみると大きな流れの前には個人などというものはひとたまりもないのだとよくわかる(「スゴい踏み絵を『ふんでみろ』とつき出されてるんだなぁ」と率直に感心してる)。 2014/12/07

ちなみに、私の車を売った金の一部は株の購入資金に充てた。



D

ゆらゆら帝国坂本慎太郎がニューアルバム「ナマで踊ろう」に発表した曲で、「あなたもロボットになれる」という曲がある。寡聞にしてPVがあるのを知らなかった。アニメは画家でもある坂本の手書き水彩画で作られている。

「ナマで踊ろう」は、「人類滅亡後の地球で、ハトヤのCMだけが流れているイメージで作られたアルバム」らしく、歌詞はディストピア的な未来社会における出来事がモチーフになったものが多い。

眉間に小さなチップを埋めるだけ

決して痛くはないですよ

ロボット 

新しいロボットになろう

不安や虚無から解放されるなら

決して高くはないですよ

ロボット

素晴らしいロボットになろうよ!

日本の二割が賛成している

不安や虚無から解放されるという……

「あなたもロボットになれる」が、よくあるディストピアSFと異なるのは、上記の歌詞がテレビCMを模した体裁で歌われていることだ。

つまり、人々は(全体主義的、管理主義的な政体などによって)無理矢理「ロボットにされる」のではない。「ロボットになること」の素晴らしさを認識し、各々が持つ「自由意思」とやらによって、決して安くはない代償を支払い、自分で眉間にチップを埋め込むのである。ちょうど、生活保護費をプリペイドカードで貰うように

日本の五割が賛成している

危険のランプが点滅している……

誰のものともつかない警句を残して、曲は唐突に終わる。

ゆらゆら帝国時代から、一切政治的なテーマの曲を作らなかった坂本が、このように露骨な作品を作ったことに対しては賛否両論あるようだが、逆の言い方をすると、彼がそこまで言わなければいけないほど事態は切迫しているということだ。

スティーヴン・ホーキングは、人工知能により人類は滅亡するかもしれないと言ったが、SFテーゼに従うなら、まさしく自らが生み出したものによって人類は滅びるのである(管理社会、情報社会、人権思想……)。

ナマで踊ろう(初回盤)

ナマで踊ろう(初回盤)


NHK クローズアップ現代

風俗店の求人広告です。

寮あり、食事あり。

託児所完備。

シングルマザー歓迎。

今、貧困状態に置かれた女性のサポートをうたい文句にする、風俗店が増えています。

最も貧しい女性に手を差し伸べるのは、今や風俗産業だけになった。これは、(恐らく安倍さんが予期すらしなかった)70年越しの慰安婦制度の勝利と言える。

奴隷はいやだ、ロボットはいやだと、口で言うのは容易い。だが、奴隷になることで、ロボットになることでより豊かな生活が保証されるとするなら、誰がそれに逆らえるだろうか。かく言う私も奴隷ロボとして働いているわけだが。


では、諦めて時代に身を任せるのが賢いのだろうか。外山恒一はこう言っている*1

【総選挙2014】「良識ある不良市民」は議会政治の枠外で「横議・横行・横結」せよ!(外山恒一)|ポリタス 「総選挙」から考える日本の未来

ニヒリズムに陥ってると批判されることはよくあるし、実際私はニヒリストなのだが、ニヒルとシニカルは似て非なるもので、私に云わせればこの期に及んでまだ選挙に期待している連中こそ(「期待はしてない」などと云い訳を用意している手合いなどは一層ますます)ニヒリズムならぬシニシズムに陥っている。

絶望的な状況を直視した上で自らのとりうる行動を模索するのがニヒリズムであり、絶望的な状況をうすうす察知しながら(しているからこそ)それを直視することを避け無意味なルーティンでやり過ごそうとするのがシニシズムである。

あれこれの屁理屈で投票の意義を説くシニカル野郎は後を絶たないが、選挙結果を左右するのは諸個人の果てしなく軽い「一票」の累積などではなく、マスコミの強力な世論誘導であることは、誰にでも(認めたくないだけでシニカル野郎どもにも)ちょっと考えるまでもなく明白な事実ではないか。


かといって、いきなり路上に出て旗を振るのも何だから、個々人、脱税をしたり引きこもりをしたりすることから始めるのがいいんじゃないだろうか。

一度「反社会的存在」「社会の下層」と名指されたなら、そうではない者にとっては、それらの生存そのものが反逆的なのだから。

民族浄化に消え去ることなく、税金を無駄遣いしながら、来年もしぶとく生き延びていきたい。苦悩や不安や虚無を抱えたままで。

*1:ただし、言いながらも結局、具体的にはデモや選挙外政治行動を言外に示すことしか出来ないのが彼の限界とも感じる。結果的にそれ故「塀の中でぐるぐる回ってるような」旧左翼的なアナクロニズムの陥穽にはまっているのではないか

2012-12-01 はてなサヨクとファシズム

はてサ(はてなサヨク)判定としての週刊朝日橋下報道事件 - ARTIFACT@ハテナ系

http://b.hatena.ne.jp/Midas/20121130#bookmark-122239802

この辺の記事と、記事のブクマコメントで、差別ではないと言っている人を見ていくと、大体「はてサ」というものが見えてくるんじゃないだろうか

はてサは大衆そのもの。はてサは日本人よりも日本人的な人達。溝口や黒澤映画の中世農民のイメージ。泥臭い正義感と悪徳、仲間意識やこすっからさ、世間への怨みの共存はてサ。ウヨの方がしがらみから自由

はてなサヨク」は、kanoseさんが図らずも適切に書いているが、「これだからこうだ」と定義付けできるものではなくて、今風に言うと特定のクラスタとして理解すべき集団のことなのだろう。

はてな」はtwitterが日本で市民権を得る以前から、「お気に入り」「お気に入られ」機能を設置して、主にダイアリーブックマークを中心に住人間のコミュニケーションを促してきた。特定の話題、特定の傾向、特定の党派制で連なり「たがる」人々は、早い段階からそういう仲間意識みたいなものを持っていて、それがある機会に外部へ表出するときに、「あいつらは○○だ」と名指されてきたのではないか。

だから、この「名指し」は外部からの行為であるべきで、当人たちが自分をどう思うかは(多分)関係がない。こんなことを書いている私だって、Midasさんから見れば只の「悪質なはてサ」であろうし、またsa_tieさんの「行動が中途半端で下品なアニオタ軍オタ政治厨」という分析に正しく合致する一人であるだろう。

ライターのさやわか氏が以前「ニーツオルグ」というサイトを運営していたときに、「はてなダイアリーはコミュニケーションが目的化してるんじゃないか」(大意)と書いているのだが(ありふれた事件 #148)、2005年ぐらいからこの辺の状況はまるで進歩していない。


変わったのはむしろ、外部の社会状況の方ではないか。

東ひろきが、過去に「動物化した人々は島宇宙で暮らす」などと書いていたとき、「それは社会的課題でありつつもその中の住人は比較的幸せだからそれほど有害ではないでしょ」みたいな雰囲気があったような気がするのだが(東の意見を受容した人々の話であって、本人の主張のことではない)例えば橋下のような族長タイプの「野蛮な」為政者が本気で権力を握ってファシズムやりそうだーという段階において、そうした村人というのは一番操りやすく支配しやすい人種に分類されると思うのだ。

政治体制がこのままファッショなものになっていけば、将来的に、フォローでつながるtwitterクラスタCCCみたいなファッショ企業に情報管理されて、それぞれを分断統治するような戦略が現実化するのではないかと考えるが、(動物化した)村人はそういう社会環境を補完し成立させる存在であり、ファッショへの対抗へは決してなり得ない。

そう考えていくと、Midas閣下の「お前ら大衆全員ファシスト」という名指しは、彼の今までの意見を鑑みれば至極当然の結論ではある。


こういうファッショからは誰も逃げられないのだろうか。

福島の人々の一部がそうしたように、家族を連れて海外にでも逃げればいいのか。さもなくば、すべてを捨てて独りぼっちで引きこもるか。

新井英樹ザ・ワールド・イズ・マイン」は「抗うな、受け入れろ、全ては繋がっている」と書いたが(そういえば、あれもサブテーマはサヨク批判だな)、もう既に我々は社会に紐付けされた家畜の一群なのである。