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篠ノ目くぬぎ_CNS 放送局

2012年03月26日

「品」の語源 − 古代中国「魏」の制度「九品中正(きゅうひんちゅうせい)」を巡る古代中国のお話

「品」の語源 − 古代中国「魏」の制度「九品中正(きゅうひんちゅうせい)」を巡る古代中国のお話



日常生活で度々耳にする言葉,「品」。
「上品」「下品」「品が良い」「品が悪い」「品がない」などなど…。
これら一連の慣用表現に用いられる「品」という言葉は,いったい何に由来しているのか?
上記の疑問は,自分がTwitterタイムラインを眺めていた時に流れてきた投稿です。

「自分の記憶が正しければ,古代中国の三国時代(三国志の時代)に成立した国「魏」で定められた制度『九品中正(きゅうひんちゅうせい)』の『品』に由来しているはず…」
「確か,高校の世界史の授業で,先生がそんな雑談をしていたような…」
自分もどうであったか気になったので,久しぶりに,高校時代に使っていた世界史のノートを引っ張り出してきました。

結論から言うと,自分の世界史のノートにその雑談の内容は記されていませんでした。(まあ,雑談ですからメモしなかったんですねぇ。)
インターネット上での検索では,Wikipedia日本語版「九品(くほん)」の項目 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E5%93%81 を見つけました。
この項目には,
・「現在俗にいわれる上品・下品(じょうひん・げひん)の語源とされる」
・「中国の九品(くほん)」とは「中国で人物を鑑定したり、官吏を登用する際に用いた分類である」
・「仏教の九品(くほん)」とは「仏教で、経典を翻訳した際に、上記の中国の分類を用いて充当したものである」
と記されていました。

さて,ここまででこの話を終わらせては,「結局どういうことだよ?」というツッコミが間違いなく入るでしょう。
そこで,「九品中正(きゅうひんちゅうせい)」を巡る古代中国の歴史をざっくりと解説することにしたいと思います。



突然ですが,「科挙」という言葉を聞かれたことはあるでしょうか。
「科挙」は古代中国の,「隋」以降「清」に至るまでの各王朝で行われた官吏登用試験で,今の日本で言う国家公務員試験に相当するものです。
(一括りに「科挙」と書きましたが,試験内容は(場合によっては名称も),各王朝によって異なるようです。)
古代中国と言えば「科挙」がすぐ思い浮かぶくらい有名な制度で,周辺諸国の官吏登用制度にも影響を与えました。

この「科挙」ですが,上に記したように,始まったのは「隋」(581年 − 618年)の王朝からです。
「科挙」が誕生する以前の官吏登用制度が,今回テーマとなっている
「九品中正(きゅうひんちゅうせい)/九品中正法(きゅうひんちゅうせいほう)」あるいは「九品官人法(きゅうひんかんじんほう)」と呼ばれる制度です。
因みにその「九品中正」の前に存在した官吏登用制度は「郷挙里選(きょうきょりせん)」でした。
以下,順を追って説明します。

劉邦が建国した「漢」(通称:「前漢」)。
その7代目の皇帝である武帝(B.C.141年 − B.C.87年)の時代に,
董仲舒(とうちゅうじょ)という儒学者(儒教の学者)が提言した「郷挙里選(きょうきょりせん)」と呼ばれる官吏登用制度が制定されました。
これは「有徳者(徳のある者)を地方長官が官吏に推薦する」という制度で,儒家の思想を具現化したものでした。
乱暴に言うなら「『良い人』を官吏にすれば,国も良くなるだろう」というこの制度。
しかし,誰しもが予想する通り,地方豪族(有力者)の子弟ばかりが推薦される事態に陥り,この制度は思いっきり骨抜きになりました。

時代は下って「三国志」あるいは「魏」「呉」「蜀」で有名な三国時代。
「魏」(220年 − 265年)の初代皇帝である曹丕(曹操は初代皇帝ではありません)は,「郷挙里選」の悪弊を打破すべく,新たに「九品中正(きゅうひんちゅうせい)」を制定しました。
これは政府中央から派遣された「中正官(ちゅうせいかん)」と呼ばれる審議官が人材を9つの段階「品」に分け,
そして付けられた「品」に基づいて人々を役人に推薦する,という制度です。
しかし,これも誰しもが予想する通り,地方豪族(有力者)と中正官が癒着した結果,豪族子弟が高級官僚を独占するという事態に陥りました。
この状態を批判した有名な言葉として,西晋(265年 − 316年,「魏」「呉」「蜀」の三国を最終的に統一した王朝)時代の劉毅(りゅうき)という人物が言った,
「上品(じょうひん)に寒門(かんもん:栄えておらず,門構えも寂れている一族)無く,下品(かひん)に勢族(せいぞく:栄えている一族)無し」と言う言葉があります。
この制度もまた,思いっきり骨抜きになりました。

官吏登用制度の変遷をまとめると,
「前漢」に始まる「郷挙里選」,「魏」に始まる「九品中正」を経て,「隋」から「清」(中国最後の王朝)まではずっと「科挙」が用いられることになるのです。



Wikipediaに記されていた「中国の九品(くほん)」はこれで分かりました。
では,Wikipediaに記されていた「仏教の九品(くほん)」が「仏教で、経典を翻訳した際に、上記の中国の分類を用いて充当したものである」とはどういうことでしょうか。
これは簡単な話で,仏教がいつ中国に伝わってきたのかを知れば,その意味が分かります。

インドで生まれた仏教が中国に入ってきたのは西晋が滅亡した後,300年代に入ってからです。
「後漢」の時代,それに続く「魏」「呉」「蜀」の三国時代,その後の「西晋」の時代と,社会は不安定でした。
そんな社会不安の中,礼節や秩序を説く儒教の価値観が崩壊し,そこにちょうど入ってきたのが仏教だったのです。
「九品中正」が制定されたのが200年代前半,そして仏教が中国に入ってきたのが300年代前半。
ゆえに,仏教の経典(サンスクリット語で書かれている)を翻訳するときに,既に中国にあった「九品(くほん)」という概念を流用することができたわけです。



いかがでしょうか。今回改めて自分の知識を整理しながら記してみました。
もし内容に誤りがありましたら,教えていただけるとうれしいです。

今回はここまでで終わりたいと思います。



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