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2015-08-23 世界とつながる読書:『仕事に効く教養としての「世界史」』出口治明

世界史ほどイヤなものは無かった.一生、世界史と離れて過ごしたかった.そう思っていた.この本と出会うまでは.目から鱗が落ちる、という本に久しぶりに出会った.

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高校の社会科で、まごうこと無く「地理」を選んだ理系の僕は、世界史や日本史を選択するヤツの気が知れなかった.1000年の昔にどこの国がどの国に攻め入って、誰が皇帝になってどういう政治をして、でどの国が滅んで.それ何なん?どこがオモロいん?今の僕の人生になんか役に立つん?「地理」やったら、いまその土地に住んでいる人がいて、将来そこを訪ねるかもしれん.何より、地図が面白かった.自分の土地と比べて、ああそんな土地もあるんや、と想像できる.

僕は高校以来、世界史をあえて避けてきた.本屋でも絶対にそのコーナーには近づかなかった.自分の世界史の知識は、中学の社会と、高校で無理矢理教わったギリシャ時代まで、で終了していた.

ある日、阪大の仲野センセという奇人(もとい才人)から「スゴい人が大阪に来るから飲みに行きませんか」との奇異なお誘いがあった.その方は出口治明さんといって、ライフネット生命保険の会長さんなのだそうだ.普段は人を褒めない仲野センセが、この人はスゴい、この人はスゴい、そればかり連発するので、楽しそうな飲み会に出かけてみることにしたのだ.

仲野センセをはじめ、その飲み会でのメンバーが濃すぎたため、とんでもなく濃密な時間が流れた訳だが、出口さんが発する言葉は、軽々しく聞き過ごせない堅さがあった.「私は世界で1000以上の都市を訪ねましたけどね、」という言葉から始まるお話に、僕は心のシャッターを全開にしてしまった.

その出口さんから、光栄なことに、ご著書が送られて来た.表紙に「世界史」と大きく書いてある.僕は表紙を眺めながら、ずっしりとした本のページ数が344ページであることを確認し、人生で観念すべき時が来たな、と、1ページ目を開いたのだった.

仕事に効く 教養としての「世界史」

仕事に効く 教養としての「世界史」

大変驚いたのは、この本が「世界史の本」ではなく、「世界史をありえない方向から楽しむ本」であり、高校の時に僕が発した疑問「どこがオモロいん?人生になんか役に立つん?」に真っ向から答えてくれる本であったことである.

第3章「神は、なぜ生まれたのか。なぜ宗教は出来たのか」を、トイレの中でむさぼるようにして読んだ僕は、「ああ、この本が高校の社会の副読本として先生に勧められて読んでいたら、人生変わっていたかもな」と深く感じた.中学や高校の授業でイヤイヤ覚えてきた、世界史と日本史のさまざまな事象が「なぜ」その時に起こったのか、が、5000年の大きな世界の流れの中で、人間個人個人の「イヤや」「エエわぁ」の感覚に全て基づいて、納得する形で読ませてくれるのである.

「ペリーが日本にやって来た、本当の目的は何だったのか?」「歴史は、なぜ中国で発達したのか?」「アメリカはなぜ発達したのか?」教科書では決して教えてくれなかった、数千年と世界の全体からの視点、それが、偉人一人一人の人間としての感情から、書き起こされている.なんということだ.

合理主義を押し進めた結果、フランスでは革命後、1日を10時間、1時間を100分にした時代があったらしい.しかしそれは12年間しか続かなかったらしい.へ?それ、試した国があったん?それで、あかんかったん?ということがさらっと書いてある.なぜそれが試されたか.それが、時代と世界の仕組みの中で、解説されている.

僕は、世界史はダイバーシティのみだと思っていた.世界史は「あんなこともあった」「こんなこともあった」の図鑑だと思っていた.それは全く違っていた.世界は、時間も空間も統合されていた.出口さんが全世界百何十カ国を訪ねて、この本を書いた、という事実に、再び心のシャッターが全開になってしまった.そして、「地理」は「世界史」と同じものを、違う観点から見ていただけなのだということが、高校を卒業してから20年以上たった今、ようやく腹に落ちたのである.

次に海外出張へ行った時には、それがアメリカでもフランスでもイギリスでも中国でも、絶対に自分が世界を見る感覚が違うやろな、読後にそう思った.そう思いながら読み終えて、「おわりに」に出口さんがこう書いているのを見て、グッと来た.「このささやかな一冊が、世界の見方を変える一助となれば、喜びこれに過ぎるものはありません。」

ほんま、変わりましたよ.

2014-05-01

黒板への愛着.

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ここ数日、たくさんの新聞社の取材を受けて、黒板が好きな自分で良かったとしんみり感じた.湯川秀樹の愛用した黒板が、私の阪大に設置されたとのニュース公開のことである.

畳6畳分にもなろうかという巨大な黒板を使い始めて、もう何年にもなる.4年前、理化学研究所で数理物理学研究室を主宰させていただけることになった時、兼ねてからの夢だった、大きな大きな黒板を設置させていただけることになった.その当時の自分のブログ日記にも感動が記されている.実験物理学と違って実験器具が必要ない理論物理の研究で、最も重要なのは、アイデアをぶつけ合う研究者の議論の場であり、アイデアを具現化する場である.そこに大きな黒板があることは、非常に大きな意義があるとの信念がある.

実際、理研の数理物理学研究室の巨大黒板は、僕を含む若い研究員のお気に入りになった.黒板の前にしゃがみ込んでチョークまみれになって、同僚と毎日過ごす.ある日、おとなりの原子核実験の研究室にいらっしゃる @nabe87 さんがtweetしてくれた写真には、"the ideal laboratory"との言葉が添えられていていた.写真は当時の黒板にまつわる典型的な1シーンで、研究員が黒板の前でぶっ倒れている姿が写っていた.@nabe87さんの写真は、廊下の通りすがりからの名写真として残っている.

この黒板から幾多の研究成果が生まれた.いろんなシーンを覚えている.初めてこの黒板に式を書いたとき.自分の書いた式に共同研究者がその上からペケを書いたとき.研究室を訪ねる研究者の方々の感嘆の声.理研の一般公開で、研究者のガチ議論を展示した時の、子供の感想の声.研究室から出版された論文の数で評価をすることは簡単だ.でも、科学の価値はそんなもんじゃない.新しい概念や式を発見した瞬間の快感、それを共同研究者と共有する喜び、あらゆる科学者からの批判による冷や汗、研究が成就した時の共同研究者との握手.そういうものの全体が科学を作って、そして進めて行く.理論物理の研究に置いて、その全てを傍観し記録してくれているのが、黒板である.巨大な黒板は、その上に長い長い数式を書かせ、そして式を指差す人の指の汗を吸収し、真剣な議論の眼を受け止め、そして式を消し、また真っ黒に戻る、それを幾千も幾千も繰り返してきたのだ.黒板を見るだけで、走馬灯のようにその議論が思い起こされる.僕にとって黒板は、自分の歴史の一部であり、そして、研究の生活を見守ってくれるお釈迦様のようなものだ.そして、少なくとも研究室に所属してくれた若い才能ある研究員たちは、その人生の少なくない一部をこの黒板の前で過ごしてくれた同胞だ.

大きな黒板に感動したのは、サンタバーバラでポスドクだったときが初めてだったように思う.カリフォルニア大学サンタバーバラ校の理論物理学研究所には、その中庭にたくさんの黒板があり、あらゆる壁に黒板が付き、そしてその高さはまったく手が届かないほどであった.考え事をする時はよく中庭の黒板の前でウロウロしたものである.ウロウロしても一行も式が書けないことも多く、そう言う時は苦し紛れに全く関係ない式をスラッと書いて、そして消して、部屋に戻った.もちろん物理の意味は無いが、黒板に何か書くという行為自体が、自分の研究の心の整理に役立っていたようである.

黒板に式や図を書くと、チョークで手が汚れる.真っ白になる.服にチョークの粉が付き、そして汚れた手で払い落とそうとするものだから余計にチョークがつく.数時間も黒板で議論をすると、ひどい状態になる.けどそれは、僕にとって、勲章のようなものだった.科学の議論は一進一退で、数時間議論をして結局アイデアが全部死んでしまうこともよくある.それでも、手についたチョークの粉を水道で洗い流すとき、ひとりニヤリとするのである.それが、議論の楽しさ、そして研究の満足感につながっているのは明らかだ.

2012年の夏、「夏休みの宿題」と称して、黒板に向かう科学者を表現した動画を作成し公開した.これは、黒板を舞台に研究する研究者の姿をアーティスティックにただ表現したyoutube動画だった.その後、西村勇人さんという写真家の方がやって来て、巨大な黒板の数式を写真に撮らせてほしいとおっしゃった.どのような写真になるのかワクワクしながら撮影していただいたのだが、写していただいた黒板の写真を見て、驚くほど自分の奥の数式に対する感覚が凝集されていると感じた.その写真家の方がおっしゃるには、黒板の数式の美には、科学者の情熱と執念がこもっており、それは科学者でなくても感じることが出来る、とのことだった.僕は、理論物理学者にのみ分かり合えると思っていたこの黒板の感覚が、実はそうではなく多くの非科学者の方々にも共感してもらえると、そのとき初めて知った.僕の黒板に対する愛着はそのあたりから急速に周りに伝わるようになり、芸術系やサイエンスコミュニケーション系、メディア系の様々な方々とお会いする機会に恵まれるようになった.黒板への気持ちが、個世界を解放した.

阪大に着任の際にも、お願いをして居室に大きな黒板を据え付けてもらった.黒板は特注と言っても、そもそもほとんどの黒板が注文製品であり、枠を作ってそこにロールタイプの黒板紙を貼付けるだけである.巨大にするには、上下に二枚分の枠を作ればよい.阪大の巨大黒板も、理研のも、それだけである.しかし、壁一面が黒板であるという事実は、僕の心を大きく解放してくれる.何を書いてもいい、どこまで書いてもいい、というたったそれだけのことが、理論研究を大きく進めてくれる.

何をどこまで書いてもいい.

湯川秀樹の黒板が、阪大理学部に設置されたのは、僕の黒板に対する気持ちを理解して下さった方々の功績も大きい.改めて、関係者の方々にお礼申し上げたい.

今日も湯川秀樹の黒板で楽しそうに議論をする大学院生を見て、ちょっと、感動してしまった.

2014-03-02

たこ焼きの半径の上限と、カブトムシについて.

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大阪では、日曜日の昼はたこ焼きと決まっている.我が家のたこ焼き機は、たて4×よこ6=24個を同時に焼くことの出来る優れものだったはずなのだが(先月たこ焼きプレートを新調した)、よこ6列のうち、端の2列は電熱の加減が弱く、上手く焼けないというバッタもんだった.従って実効面積は4×4の16個しかない.従って、焼くのに手間がかかるというものである.

物理の研究で最も重要なのは、与えられた問題を解くことではなく、適切な問題を発することである.問題を発することこそ、物理的研究の進捗の9割を占めると言っても過言ではないだろう.その点に於いて、今日は私は妻に大敗したのである.妻は言った、「このたこ焼き機めんどくさい、もっと大きいたこ焼きをなんで焼かへんのやろか」

私は衝撃を受けた.「大きなたこ焼き」という発想そのものが私の頭の中から欠落していたのだ.私は4×4のたこ焼き機で如何に早くたこ焼きを焼くか、しか問題として考えておらず、周りの焼けにくいところからたこ焼きの汁を流し入れ...といった全くありきたりの解法を試していただけだったのだ.そうだ、何故、たこ焼き機そのものの改良を考えつかなかったのだろうか.私はがつんと頭を殴られた気がした.

この「たこ焼きの半径に何故上限が存在するのか」という問に、「そりゃ口に一口で入るサイズやからやろ」と答えるのは簡単である.そう答える前に、ちょっと待て.物理的な理由が存在するのではないか.そう考えるのが物理学者の正しい姿であろう.私は頭を巡らせた.何故この世には、半径2センチメートル以上のたこ焼きが存在しないのであろうか、と.

たこ焼きの本質がその存在の条件を規程しているはずである.たこ焼きの本質とは何か.それは明らかに、「中がトロッとしている」である.たこ焼きの表面は固めの、時には焦げ付きもある、層で覆われている訳だが、一旦口に含んで噛み砕くと、中からジューシーなあの、「アフ、アフ」というたこ焼きの本質が舌の感覚を完全に占有するのである.これがたこ焼きの本質であることは、誰もが認めることであろう.従って、中がトロッとしているということが、たこ焼きの大きさを規程していることは疑いが無かった.

では、中がトロッとしているということが理由で何故、たこ焼きの半径に上限が存在するのか.それはたこ焼きの構造に理由があるのだろう.そこで私は、たこ焼きと昆虫の大きさに共通点があることを見いだした.甲虫の大きさには上限がある.大きなカブトムシでも、角を除いた体部分は、断面を考えると大きくても半径2センチほどにしかならない.これはたこ焼きと同じではないか.子供の頃必至になって覚えたカブトムシの名前、ヘラクレスオオカブトなどを記憶にたどっても、やはり胴回りの半径は2センチから3センチにしかならない.果たしてこれは偶然だろうか.

甲虫は外骨格という特別な構造を有する.これは、全体重を、体の表面の固い質で覆うことにより支えるという構造のことである.昆虫の体の内部は様々な器官のために動的様相を示さなくてはならないが、その自重を支えるためには周りの固い甲が必要となる.中がトロッとしている、これはたこ焼きとまるで同じではないか!

この発見から類推するに、たこ焼きを大型化するには、過去の昆虫の進化をたどってみれば良いことになる.実際、巨大な昆虫の化石が発見されており、その理由を知ることが出来れば、たこ焼きを巨大化することに成功する.もちろん、たこ焼き巨大化プロジェクトは、それを持ってあたらしいビジネス展開をするというセコい話ではない.純粋に、たこ焼きの半径に何故上限が存在するのかを問い、その答えを科学的に解明することこそが喜びなのである.(words by Sherlock Holmes. )

文献をひもとくと、太古の昆虫の巨大化には理由があり、それは地球上の大気中の酸素濃度が大きかったことと、昆虫の関節の構造のためであると知ることが出来る.そうだ、酸素濃度を上げてさえおけば、たこ焼きを巨大化することが出来る?! ーーー そんな訳が無いことは明白である.なぜなら、たこ焼きには関節が無いからである.すなわち、昆虫が太古に巨大化していた理由と、たこ焼きの半径に上限があることとは、関係ないかのように見えるのである.

こんなことで引き下がる私ではない.たこ焼きの半径に上限がある理由には、そもそも構造上の問題があるはずである.そう思って色々と記憶を辿ると、確か、昆虫の大きさの上限には外骨格の問題の議論があったことを思い出した.人間のような骨格ではなく外骨格という表面を覆うことで体を支える構造の場合、体躯を大きくしようとすると、体重のうち骨格が占める割合が大きくなりすぎて、生態的に損をするという議論である.これは、たこ焼きにそのまま当てはまるではないか!

たこ焼きの本質は、口に入れて一噛みした時に、中身のトロッとした「アフ、アフ」が来ることである.即ち、一口で表層を噛み切るためには、ある程度の表層の薄さが必要となる.この薄さで自重を支えるためには半径に上限が無いといけないのである.それでは、この表層の薄さを保ったまま、たこ焼きの半径を大きくすることが出来るであろうか?この問いこそが、文科省が常に欲している、真のイノベーションの瞬間であろう.

私は瞬間的に解に達した.甲虫は巨大化するために、体を扁平にしたのである.大きなムカデなどに代表されるように、昆虫は体を扁平にすることで、外骨格が離れている二点間の距離を最小に保ったまま巨大化することができ、うまく体の内部に支えを作ることで壊れにくい体を作り上げたのであるのでは無いか?よく、物理学者のパロディとして「牛を球と仮定せよ」みたいなのがあるが、それがまさに今回のたこ焼き半径上限問題の解を妨げていたのである.これは一大イノベーションである!

私は密かにほくそ笑んだ.解いたぞ.そこで、この大発見を家族に、とうとうと述べてみた.平坦な極限をとれば、たこ焼きの半径を無限大に出来るということを、コト細かに説明してみせた.すると、妻は言った.「それはたい焼きで実現されている」

2014-01-27

南部コロキウム.

南部陽一郎先生の息吹を感じながら進む講演.次々に学部生や教員から浴びせかけられる質問に、汗をかきながら答えてくれる講師たち.「おお、ええ質問するなぁ」「うわーそれ聞きたかったことやん」「なるほど、そういう視点で今の話聞いてたんやね」そんな感想を持ちながら、講師の素晴らしい講演に聞き惚れる.

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そんな南部コロキウムは、先週もう第4回を迎えた.半年前の2013年7月に始まって、毎回毎回、こんな面白い講演あるんやなぁと関心し興奮すること、しきり.こんな場所がホンマに欲しかった、と阪大に来てからずっと思っていた.実現、嬉しい.

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南部陽一郎先生の名を知らない物理屋は居ない.僕が初めて南部先生を見たのは、大学院生のM1の時やった.ある日研究室で「今日は南部先生が来るらしいで」という噂を聞き、ドキドキしながら待っていたものだ.本当に南部先生が廊下を歩いて来た時には、もう、ホンモノを自分の目で見ることが出来たという「うわー」感で一杯で、最後に研究室全員で南部先生を囲んで写真を撮ったことしか覚えていない.それほど、雲の上の人である.

毎日、弦理論の南部後藤作用を使って計算していても、毎日南部ゴールドストーン励起を計算していても、それは教科書で勉強した数式だということが頭に張り付いている.一方で、自分が大学院に入った頃から世に出た論文で勉強したり研究したりした数式は、全く違う風に自分で感じる.それらの数式には、たいてい、どんな人がその考え方を出して来たのかという人物像が生々しくくっついている.そういう数式には、なんとかしたらオレもその数式よりもっと凄いカッコいい数式を編み出せるんじゃないか、という感覚がついてくる.それが自分の研究の原動力になっていることも多々ある.

でも、「南部」の名がつくものは違う.どうやっても勝てない数式だ.何をどうやっても、勝てない.南部の数式は、勝つためのものではなく、鑑賞するためのものだ.南部の数式は、その向こうに広がる広大な荒野を導いてくれる地図だ.そんな風に、ずっと、ずっと、M1になってからもう18年、ずっと思って来た.

去年の冬のことだった.阪大に着任して、生まれて初めて南部先生のセミナーを聴いた時には衝撃が走った.ホワイトボードの前に立った南部先生は、新しい数式を生み出していた.南部先生は、一人の科学者だったのだ.そのことが、本当に衝撃だった.僕がさんざん鑑賞して来た、あの数式は、一人の科学者が生み出したものだという、その事実が、目の前に動く南部さんに凝縮されていて、まったく頭がおかしくなりそうだった.南部先生のセミナーは、ある恐ろしい結論で幕を閉じ、僕は人々が「南部は10年先を行っている」と呼んでいた理由を完全に理解した.まるで自分がお釈迦様の手のひらで楽しんでいた孫悟空のように思えた.「あれがホンモノの物理や.」その言葉が、心の底から出てきた.

そんな南部先生の息吹を感じながら、阪大理学部で物理を議論できる場を作りたい.その一心で、阪大の基礎理学プロジェクト研究センターに「理論科学研究拠点」が設立され、南部コロキウムの運営が始まったのは、2013年6月だった.果たして、その夢は現実になった.南部コロキウム.最新の理論科学と物理を、学部生が議論できる場に.

南部先生の、あの朗らかな笑顔と、射るような眼差し.科学への愛があふれるような言葉.一つ一つが、一瞬にして自分を、純粋に科学を愛する子供にコロッと変えてくれる.オレも南部先生の数式に勝てる式を書けるかもしれない.

2013-11-17

アインシュタインと世界線を交錯させてみた.

スイスの首都ベルン.11月は既に凍えるほど寒く、世界遺産に指定されているという美しい旧市街をのんびりぶらぶらする訳にもいかない.分厚いコートを着て急ぎ足で行き交う人がほとんどである.きっとアインシュタインもそんな風にこの街を歩いていたかもしれない、と思うと、寒々しい街の風景も何となく羨ましく見えた.

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反物質と重力 2013(Antimatter and gravity 2013)という名の国際研究会に呼ばれてベルンの街に再び足を踏み入れたのだが、来るまではあまり乗り気ではなかった.だいたい反物質の研究をやっている訳でもないし、超弦理論の研究者が反水素実験について何か具体的な提言が出来るとは考えられなかった.講演が憂鬱だ.しかし、いざ研究会の日が近づいて来てみると、何とか貢献できないかと考えるようになった.そもそも2年ほど前の松江の反物質研究会に、理研で反水素実験の研究をされている山崎さんのお誘いで講演をしたのがきっかけである.今回、Bern大学の研究会に足を踏み入れてみると、意気の上がった実験屋が熱心に議論しており、松江の時の感覚と同じく、なんだか見ていて羨ましくなってしまった.

物理をやっていても理論屋と実験屋ではスタンスが大きく違う.そのことは数理科学の今月号(2013年11月号)でも採り上げてみたのだが、そこで語られている萩原さんのような理論屋と、超弦理論の研究者では、さらにまたスタンスが大分違うように思う.実験とのコンタクトを考えない理論屋は数理物理学者と読んでも差し支えないと思われるが、超弦理論の研究者の大半はそこに属する気がする.しかし、この7〜8年ほどで状況はずいぶん変わって来ており、僕も含まれるたくさんの超弦理論の研究者が、ハドロン実験や物性実験とコンタクトが生まれ始めている.しかしこの状況は超弦理論研究者には新しいものである.僕は研究者として大学院で生まれた頃から、単位の無い世界で生きて来たため、実験と理論の関わりについて一から学ぶ必要があった.まだ学んでいるところである.今回の反物質国際会議でも、超弦理論と反水素実験の関わりを一から考える良い機会になった.分からないことだらけではあるけれども.

研究会での僕の講演はサマリートークの直前だったので、研究会の雰囲気を十分に反映させることが出来たと思う.分野違いの研究会ほど怖いものは無く、行ってみないとどんな議論がどんな研究者の間で交わされているか分からないものだから、ターゲット聴衆をどう設定するかがかなり曖昧になる.現地に行ってみて聴衆の一部の方々と話してみて初めて、どうすればメッセージが伝わるかが分かることも多い.今回は疑いも無くその種類の講演で、読んで下さったAmslerさんにあってすぐに相談してみた.

講演では自分なりの個人的なレビューと意見を取り入れてみたが、おそらくは聴衆の皆が面白いと思った訳ではないだろう.Amslerさんを含め幾人かの人が講演後、とても良い感想を伝えてくれたのが少し自分を安心させてくれるが、結局のところ、長い目で見て、自分のこの講演が彼らや自分にどういう効果があるかを考えると、なかなかもろ手を上げて喜べない.

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ベルン大学の研究会会場は、大学の非常に古い建物の一番上、ドームの中に作られた美しいスペースだった.よく言えば教会のモダンな聖堂のような感じである.アットホームな雰囲気で研究会が進む中、分からない検出器の説明のシャワーを浴びていると、外国に居るということのせいか、客観的に自分を見ることが出来るようになった.このような外国出張の良い効能はきちんと活かさねばならない.

来るまではベルンはアインシュタインが特殊相対性理論を発見した地であることなど気にも留めなかったのだが、ベルン大学の先生が「このレストランが、アインシュタインが昼食をとっていたお気に入りの場所だよ」と教えてくれたのをきっかけに、何となくアインシュタインで頭の中がいっぱいになってしまった.思えば、重力のギリギリの講演を、超弦理論をずっと学んで来た僕が、アインシュタインの地で出来るなんて、非常に幸福なことだ.有り難い機会を戴いたものだと思う.

講演が無事済むと研究会が終わってしまったので、アインシュタイン巡りを敢行してみた.アインシュタインの住んでいた家、ランチをとっていたカフェ、勤めていた特許庁.そして偶然にも「Gravity」という映画(邦題はゼロ・グラビティ)をやっていたので、ふらりと映画も観てしまった.アインシュタインもよもや、100年後にそんな3D映画をやっているとは思いもしなかっただろう.

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アインシュタインの家の居間で、椅子に座って天井を眺めていると、アインシュタインと世界線が絡んだということがとてつもなく信じられなくなって来た.アインシュタインが実際にこの部屋でお茶を飲みながら計算をし、原稿を書いていたということがまったく驚異的に思えて来た.たんなる一人の人間が、宇宙の原理をここで見つけてしまったという、単にその厳然たる事実が目の前に提示されて、自分がとても耐えられなくなって来た.

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アインシュタインは立ちながら小さな背の高い机で書き物をしていたという.その書き物台には、来場者のための記念書き込み帳が置かれていた.自分の名前を書いてみようとペンを手に取って書き始めたとたん、なんと自分はちっぽけなのだろうと、非常に空しくなった.それでも、いやしくも感想文を一言書き終わって、ペンを置いた時、さらに空しくなった.

ベルンは聖地である.

2013-11-10

科学者を展示する(続報):日本科学未来館に黒板。

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ついに科学未来館に、足下まである巨大黒板が設置された.2013年11月9日、10日と開催された「サイエンスアゴラ2013」で、理研のブースとして「理論物理の研究現場をのぞいてみよう」というイベントが開催された.科学未来館の目玉アート、「ジオコスモス」(地球が投影された大きな球体の映像展示物)の直下に、まさか理論物理の研究者が議論できる黒板が設置される日が来るとは.

これは、半年前の理研一般公開で研究室で開催した「科学者を展示する」というイベント(詳しくはブログ参照)の続編とも言うべきイベントで、一般公開での経験を生かし、またまた理論物理学研究者にガチで議論してもらうというもの.前回登場してくれた、研究室の研究員の方や初田さんに加えて、今回は肥山さんや私の共同研究者にもご登場いただいた.そやかて今僕が研究を進めているホットな話題というと岡さんとの話なので、それをそのまま科学未来館で「展示」するわけ.

今回の展示はシンプルだが、さらに、研究者による議論の展示の後に、研究者と来場者が対話できる時間を設け、質問からいろんな話をしたり.また、初田さんのアイデアで、小学生にはアインシュタイン方程式を黒板で書いてもらって記念撮影、というイベントも同時開催.

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僕は共同研究者の初田さんと議論をして、まさに良い式が書け、これは半年前から思い描いていた描像が具現化した瞬間だった.まさか科学未来館でそんなことになるとは.論文が出来てしまった瞬間だった.共同研究者である岡さんとの議論も面白く進み、新しい方向性が見えてくる感じになった.こんな嬉しいことは無い.別に科学未来館でもどこでもいいのだが研究が進んだことが単純にいつものように嬉しい.そして、そのプロセスを、サイエンスアウトリーチの一部として使えていることが、嬉しさを倍増させてくれる.

半年前のトライアルでうまく行っていなかった点を考慮して、解説員が積極的に説明するようにした.このような形のアウトリーチになれていない来場者の人がほぼ全員なので、ここで何をしているのか、研究の内容は何なのか、科学の営みとは何なのか、などを丁寧に説明していく.珍しいですね、ですぐに出て行く人も居れば、前衛的だと唸る人も.大学生・高校生から小学生には、珍しさからか興味を引いたようで、「生ガリレオ」の写真を撮る人も多い.

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そもそも理研広報室の理解で、自立式の巨大黒板を作ってもらえたことが大きい.書き味も非常に良く、いつもの黒板を使っている雰囲気で議論することが出来た.また、漫画家の竹葉久美子さん(理論物理学者を主人公にしたマンガ「やさしいセカイの作り方」を描かれている)の画による、僕と初田さんの似顔絵が描かれた「のぼり」も登場し、来場者を誘ったことも楽しい.

研究者そのものを展示するという理研一般公開でのイベントは、色々な反響を呼んだ一方で物議もかもした.でも、そもそも、サイエンスアウトリーチって何だろう.僕は、それは「科学を身近に感じてもらう」の一言に尽きると思う.アウトリーチにはいろんなやり方があるし、黒ラブ教授なんて僕はファンである.

しかし、こうでなければいけない、ということは無い.どんな方法を使っても、まずは、科学を身近に感じてもらうことがもっとも大事だ.それがまずあって、その次に、例えば研究者の方々に要求する能力やレベル、充実感の問題や、研究成果をどう分かり易く伝えるかという大事な点、来場者がその後どのようにサイエンスにコミットするかという継続性、などいろんな本質的な(かつ難しい)面がやってくる.しかしながら、サイエンスを身近に感じてもらえなければ、いかに研究者が口を酸っぱくして研究成果を語っても、無意味である.

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科学者を展示するということは、まずは、人間としての研究者の営みを、まさに間近で身近に感じてもらうということである.理論物理学者が黒板で議論している様子なんて、理論物理学者になりたいと思った子供が経験するには遠すぎた.物理を勉強して、大学に入って、研究室に配属されて、それでようやく目にすることが出来る光景なのだ.けれど、考えてみれば、どんな職業だって、研究者より身近だろう.電車の運転手になりたい男の子が、電車の一番前に陣取る、それは当たり前の風景だ.そういうことが、科学者になりたい子供にも同じように経験できたら、どんなにいい影響があるだろう.

科学者と一緒に、科学者が議論に使った黒板で、嬉しそうにアインシュタイン方程式をチョークでなぞる小学生.書き終わったら得意げに「ママ!ほーてーしき書いたよ!」でキラキラの目.すごい嬉しかった.

「科学者を展示する」アウトリーチ手法、いろんな研究施設で是非トライしてほしい.それで、どんな風だったか、ぜひ僕まで教えて下さい.

むちゃ楽しかった.

2013-09-25

美と素粒子論.

物理の雑誌「パリティ」の編集委員を務めてもう3年目になるが、ついに念願の企画が世に出た.2013年10月号、特集「美と素粒子論」.大変嬉しい.

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これは素粒子理論屋としてもかなり個人的な感覚になるが、美しい理論というものがあるとずっと思って来たし、感じて来た.もちろん、同意しない素粒子論研究者も多いかもしれないことを注意しておく.しかし僕には、素粒子理論の世界において、理論の展開の仕方や論理の組み立て方、数式の変形の仕方や現象の整理の仕方、などなど至る所に「美しさ」を感じる瞬間がある.おそらく、そのような感情をひとまとめで「美しい」と自分が呼んでいるだけなのかもしれないが、それにしても、僕が素粒子論と違った状況で美しさを感じるときと何らかの共通性を保ったまま、素粒子論でも美しさを感じているのは疑いない.

美しさというのは非常に個人的な感情で、それが素粒子論という高度な数学的体系を操る際に感情として現れることに大きな矛盾を感じたまま、研究者の人生を歩んで来たように思う.それを、この数年いろいろな研究者の方と分野を超えて相互作用するようになって、改めて問うてみたくなった.僕の考えて来たある理論を「美しい」とおっしゃって下さった研究者の方がいて、その瞬間は克明に覚えているが、僕に取っては最高に嬉しい言葉だった.同様に感じる研究者が居るのではないか.そういうことを、他の研究者に聞いてみたくなった.

もちろん、個人レベルではいろんな人に聞いてみることは出来るが、もう少し広く知りたかった.そこでパリティで特集を組ませていただいたというわけである.日本に限らず世界の素粒子論研究者に、美について一般的に語ってもらうことで、どのように素粒子論が美と関与しうるのかを、頭ごなしに決めつけるのではなく、緩く聞いてみたかった.その結果が、この特集である.美について一家言ありそうな、ガチガチの素粒子論研究者にご登場頂けたおかげで、大変楽しい特集になった.僕と似た感情を持っている研究者も居れば、そうではない形の美を感じている研究者も居た.そういう当たり前のことを、改めて知ることが出来、この機会を持てて大変嬉しく思う.

人間が一つのことに打ち込むには、大きな動機が必要である.科学の研究者なんていうのは、人目を気にせず自分の好奇心に従って打ち込むのが生き甲斐になっているわけだが、その大きな動機とは何だろうか.美、なんて言うと、そんなユニバーサルなものなのかとか、そんな科学と縁のないものなのか、とかいう議論になるのは必至だろう.しかし、科学の創造の過程は人間の行為行動な訳で、動物としてのの人間の原始的な好奇心的行動にはユニバーサルな動機があっても良かろう.それは美でありうると考えている.もちろん美の定義はかなり個人的なものだし、加えてそもそも定義できるものかも分からない.しかし美という体系でくくり出せる何かがあるように感じる.

科学とアートというのは色々な試みのある分野であるが、科学そのものを生み出している科学者の創造性の原点としての美的感覚についてはあまり語られることは無かったように感じている.僕が知らないだけでさんざん語られているのかもしれないが、科学はそれにしても毎日その概念が進化しているものであるから、現在においてその美的感覚を語ることは何時の時代でも重要なことであろう.一方で人間の間の交流がインターネットの普及で根本的に変わりつつある今、美的感覚そのものが徐々に変化することは否めず、さらにアーティストの日々の活動が美の概念を日々変革していることも事実だろう.従って、美と科学、というテーマは永久のテーマである.

大上段はともかく、一人の科学者として、純粋に好奇心に従って企画させていただいたのみである.この特集を元に、いろいろな議論が巻き上がれば、もしくは科学者の創造的瞬間における美的感覚について広く知られるようになれば、編集委員として本望である.

2013-06-01

人生は解析接続.

大栗さんに呼んでいただいて、Caltechに一週間滞在している.毎日楽しく議論させてもらって、とても嬉しい.思えば、初めてCaltechに呼んでいただいたのは、ここから車で2時間ほどの場所にある、カリフォルニア大学サンタバーバラ校でポスドクを始めた時だった.大栗さんに呼んでいただいて、むちゃくちゃ緊張しながらセミナーしたことを覚えている.目の前にはWittenが座っていて、これ以上の幸福は無いのではと思ったものだった.今、Caltechの理論部は大変美しく改装され、巨大な黒板が鎮座している様子は理想郷のようだ.

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議論と一言で言ってもいろんなものがあるしいろんなやり方があるが、大栗さんのコメントはいつもcriticalだ.つまり、自分が見て見ぬ振りをして来たところをズバリと突く速球である.一瞬で自分の研究が死ぬこともある.今回も死ぬかと思った.セミナーの前日に非常に良い一撃をもらい、必死に計算したおかげでその一撃を有意義に活かすことが出来て、セミナーの内容が物理的に成立した.こんな風に死活問題の議論というのは非常にスリリングで、自分の科学が研ぎすまされて行くのを肌で感じることが出来る.僕の考えて来たことに真摯に向き合って下さった大栗さんに感謝したい.

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ゆったりしたCaltechの議論スペースに身を委ねて、コーヒー片手に細いチョークを握ってすらすらと黒板に式を書いていると、流れている時間が違うことに気付いた.なんでだろう、とよく考えてみた.気付いた一つの理由は、日本と時差があるのでメールが日中に全然来ず、思考が途切れないということだった.当たり前のことだが、日本ではひっきりなしにやってくるメールをやっつけるため、思考がとぎれとぎれになっていたのだ.そんな当たり前のことを、しかもいろんな人に言われて頭では知っていたのに、実感できていなかったということは、残念だ.

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ぼんやりと、まばゆいCaltechのキャンパスを考え事をしながら歩いていたら、途切れ途切れになっているのは物理の思考だけではなく自分の人生そのものだということに気付いた.

かねてから、人生は解析接続だと思っている.人生は複素平面のように実二次元では無いが、進んで行くと時々特異点にぶつかる.そこで解析接続をして、特異点を迂回し、更に先に進んで行く.見通しが良ければ非常に広いパッチを当てることが出来る.しかし見通しが悪ければ、パッチは小さい.最近、パッチが非常に小さくなっている気がする.そして、人生が細切れになっている.これは、大変まずい.パッチを大きく、そして大きな特異点も迂回できるように見通しを立てたい.それが、楽しい人生と言うものだろう.

複素解析は奥が深い.

2013-04-22

科学者を展示する.

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2013年4月20日、いよいよその「実験」を世に試す時がやって来た.理研の一般公開.理論物理学研究者そのものを展示する、という試みである.

展示中.「うぉーすげぇ、わけ分からん数式書いて英語でしゃべってる」「ひょえー、なにこれ」「科学者って必殺ワザ持ってるん?」「これカッコいいねぇ」「ぼくも黒板でさんすうするー」「がちガリレオ!?」

なぜこんな試みをしたか、少しその理由と顛末を書いてみよう.

通常、どこの研究所の一般公開へ行っても、科学の成果を分かり易く説明するコーナーがあふれている.子供をとりこにするような工夫があったり、大人を惹き付けるような仕組みがあったり.研究者も広報部も大変な努力を払って、世間の方々に科学の仕組みや効用を理解してもらいまた訴えている.僕はこのやり方に、かねてから少し、感覚的に疑問を持っていた.

その疑問の理由が明確になったのは、去年の一般公開の時である.僕は、延與放射線研究室の展示のお手伝いとして、対称性の破れを磁石で実演するコーナーを担当していた.小学校低学年の子供がやって来て、磁石をぐるぐる回して遊んだ後、握手を求めて来たのだった.そばに居た親が、「科学者と握手できるのよ、ほら、行きなさい」と、シャイな子供をこちらに誘導していた.恥ずかしそうに小さな小さな手を出したその子は、僕と握手をして、そして、目が輝いた.

僕は不思議な気持ちになった.科学のアウトリーチというのは、「科学って面白いでしょ、ほらこんなに役に立っているでしょ、素晴らしいでしょ」ということを説明する場所だと思っていた.しかし、例えば僕の研究の「超ひも理論」の場合、説明を聞いた人の反応は、眉間にしわを寄せ、「なんだか難しいことをやっているのですね」「物理苦手なので」がほとんどである.宇宙や素粒子に興味を持って来た人も、「へー、そうなんですか、分かっていないことばかりなのですね」という感じである.ところが、それが子供の場合、僕が科学者であるということがまず信じられないほどびっくりすることで、それで握手をする、という人間同士のふれあいが出来るということがまさに感動を呼んでいたのだ.僕は、子供と握手をした時に自分も感動を覚え、科学者をやっていて良かったと心から思った.

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そこでふと気付いたのである.科学者を展示してはどうか、と.科学の成果を知ってもらうだけでなく、本当の科学を創っているまさにその過程を知ってもらうのは、どうか.

理科離れとか科学立国復活とか、世間では色々という.科学と人間をつなぐものは何だろう.自分の人生を振り返ってみると、そこには科学そのものではなく科学者がいた.たいそうなものではない、人並みの経験である.アインシュタインのことをNHKの番組で知って興奮したり、「ホーキング宇宙を語る」で車いすのホーキングが凄いことをやっているらしいとびっくりしたり、高校の物理や化学の先生がひょうきんでとても楽しい授業だったり、大学に入って宿泊研修の夜に話した物理の先生の話にすごく感銘を受けたり.科学の内容は覚えていない.ただ、どんな人に(テレビであれ実際であれ)出会って、すごくエキサイトしたかと言うのは克明に覚えている.この経験こそが、科学のアウトリーチに欠けているのではないか、と理解したのだ.

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科学を分かってもらうと同時に、科学者を分かってもらう.人間として科学者が、近所のおっさんと同じように生活をし、ただ科学に没頭して研究成果を出すために人生を賭けている、その事実を展示すべきだ.それが、国民に科学に愛着を持ってもらう近道だ.そう信じるに至った.

目的を実現するための絶好の機会が、理研の一般公開だった.科学に興味を持つ人たちが何千人もやってくるイベント.うちの研究室では、敢えて、科学の説明のための準備は全く行わない、という極端な手法をとった.なぜならこの企画は「実験」だからである.科学には、極限状況を試すことで実際の自然をより深く理解するという手法がある.その教えに従うまでである.

果たして、それは成功だった.もちろん失敗した側面はいくつもある.しかし、科学者が実際に科学を生み出している現場を目にした来乗客の反応は、僕の想像を超えていた.前日までは、まあ30人くらいに見ていただければ最初の試みとしては良いかな、という予想をしていた.ところが、当日は千人ほどの方々に来場してもらい、何時間もそこにとどまって科学者の行動を眺め楽しむ人もいたのである.数々の驚きの声と感想を戴いた.

昨年、自分という理論研究者が研究をしている様子を動画にしてyoutubeに公開してみたのだが、それは最終的にはこの展示のためでもあった.科学は創作活動であり、中身を全部理解できなくても、それを人間として感じることが出来る.芸術と共通の側面を持ち合わせている.youtube動画ではまずそれを、世に問うてみたかったのである.例えば、書道は芸術だが、作品を見るだけでなく、書道家が大きな紙の上で大きな筆を持ち書道の実技をするというパフォーマンスも良くテレビで見るだろう.しかし、科学者がどうやって科学を生み出しているかという様子、特に理論物理の研究者がどうやって科学を創っているのかという様子を公開する、というのは聞いたことが無い.その一方で、朝永振一郎が研究室で楽しそうに物理の議論をしている白黒写真が、科学者としての自分の心に焼き付いている.書道において書道家が実演をするように、科学において科学者が実演をし、それを観客に見てもらうことを、科学者はなぜやらないのだろう.書道家が人間として認知されるからこそ書道が愛されるという側面もあるわけで、科学に愛着を持つ国民を増やし将来の科学者を育てるためには、この側面こそ探求してみる価値が多いにある.

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Youtubeは制作者から観客への一方的な流れなので、科学が創られているその一部をテレビ的に流しているだけである.やはり実物が実演しているところを見ていただくのが最も効果的で直接的である.それが、どんなものであれ、またどんな感情をもたらすものであれ、科学が人間の生み出したものであるということを、科学者でない人に最も単純に「感じて」もらうのは、科学を創っている現場を見てもらうことである.こういう理由で、理研の一般公開という最大の機会を利用して、このような展示を開催することにした.


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展示内容は単純である.1時間交代で、研究室の若手研究者に、毎日の研究者の議論風景をそのまま(前の日の続きで)黒板で披露してもらう.メインはこれだけである.科学の説明は付けず、議論している研究者の名前と、それぞれの必殺ワザ(カタカナで専門用語.「リサメーション」とか「ホログラフィー」とか「ニュークリアフォース」とか)を表示したパワポをiMacで表示.その横に黄色い理研のジャンバーを着た説明員に立ってもらう(これも研究者の回り持ち).質問をし易いように、説明員から声をかけたりする.

その他の展示は少しだけである.遠くから展示が目につき易いように、研究室入り口のすぐ外に大型テレビで、Youtubeの動画をループで大音量で流しておく.入口には、理論研究者の生態を感覚的に述べたスライドをループで流しておく.入り口そばの机で、僕が座って一日数式の計算をしている.観客は、(動画)→(スライド)→(計算する科学者の展示)→(議論風景の展示) の順に自然と誘導される.

なんと、あるセッションでは、実技の議論をしていた研究者が1時間の議論の後「論文ができました」宣言をした.これはなんとも僕の予想を遥かに超えていた.本当に、観客の目の前で、一つの科学が誕生したのである.

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来て下さった方のお話は様々だった.「私は会計関係の仕事をしていますが、科学者と同じような感覚もあるのだということを知って驚きました」「大学生の息子が研究者を目指すと言っていたのですが、息子が何をやりたいか分かった気がしました」まさにご自身と科学者を重ね合わせていらっしゃったのである.「式を書いているのに式に数字が無いのはなぜですか」「計算にゴールとノルマはあるのですか」「なぜ外国人がいて英語でしゃべるんですか」科学の内容について、手法について、次々と質問が来る.感動させるコメントがあった:「科学は芸術ですね」

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予想以上にたくさんの方に来場いただき、感動してもらって、科学にさらに関心を持ってもらえたという意味で、開催して良かったと思っている.一方、反省点はいくつもある.例えば、科学に興味を持ってもらったその後のフォローアップをやはりやっておかねばならない.今回は極み実験だったのでそれを完全に排したが、やはり、観客に興味を持ってもらったらその後に、もっと知ることが出来る方法なり解説を観客にお伝えするべきだった.twitter/facebook連動や一般公開の他の企画と連動した方が良い.また、この展示だけが理論研究者の全てではなく、世の中にはもっともっと多種多様な理論屋がいて様々なやり方の議論がある、ということも明示するべきだった.もちろん、つまらないと言って通り過ぎる方々もたくさんいたが、それは理解できる.期待していたことと違ってがっかりしたのだろう.僕は、この試みは美術館と同じで、そういう人たちは、一般公開のどこか他の場所、心にしみる作品の前で立ち止まってそれを鑑賞してもらえればそれで良いと思っている.

実演開催中.

「理論の研究者って、こんな風に議論して式を書いて研究してるのねぇ」

この一言が、心にしみた.

2013-01-19

と或る科学とデザインの夜.

昨夜は、そんなことを知らない人たちの前でしゃべってしまっている自分に自分で驚いてしまう夜だった.twitterで知り合ったある方との交流は、渋谷WOWでのトークイベントに発展した.HITSPAPERの主催するトークイベント「と或る科学とデザインの夜」で、自らの科学への関わり方を語っている自分が居た.

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デザインやアートの創造プロセスと、科学の創造プロセスが、あまりにも似ていると気付かされたのは、このイベントの元となった会合だった.たまたまあの動画を作って公開した頃で、非常に新鮮な驚きがあった.

今回のトークイベントでは、その類似性を前提として更に深くお話しできた感覚がある.アートディレクターの鹿野護さん、サイエンスコミュニケーターの林田美里さんとのお話は、どうも自分の中の時計の針を20年戻してくれたようだ.経験をそのままにして.

科学者のコミュニティで独房的な生活を送っていると、その中の常識として問わないことを問わないままにしているため、常識を破るということを敢えてする必要が無くなっている。科学革命は常識を破壊して現れることであるのに、その事実すら忘れ、数学のゲームとしての科学の小さな疑問を常識的に解決してしまうことに至極の満足を味わう。鹿野さんとお話したとき、その危険さ、一方でその重要さ、に気付かされた.

科学革命は常識を破る.常識を破る視点を備えている者のみが成し遂げられるのは明らかだ.しかし、常識を破ることをルールを無視して行うのは不可能だ.常識を破ることとルールを破る事は違う.ルールとは数学、そして実世界のことだ.時としてルールが変わる事がある.しかしそれは、常識が破壊されているのにルールが破壊されていないとたくさんの人が理解したときのパラダイムシフトが必要なのだと思う.常識の限界とルールの限界を両方極限まで知っている者が、科学革命を起こすのだと思う.

日々の科学活動は、小さな小さな問題解決の積み重ねである事は確かだ.今日も僕はある方程式の式変形をどうやってするかに心を砕いている.そしてノートの次の行に「=」をどんどん書いて式を連ねて行く.その一行一行が小さな問題解決であり、自分の科学の小さい進歩だと思う.そうやって小さな問題を無数に解決した結果、ようやく大きな景色に到達する.小さな問題を全部やらないと、大きな問題の解決方法には到達しない.だから、常識を破る事だけを考えるのは間違いである.

鹿野さんとイベント翌朝にツイッターでお話ししていたとき、その切り替えスイッチが大事だという話題になった.自分にはそのスイッチが欠けていたと思う.マクロとミクロのスイッチ.

なんでスイッチに気付かなかったのか.思えば、スイッチを実践しているBerkovitzという著名な研究者が居たではないか.彼とサンタバーバラで部屋を共にし、スイッチを切り替えている彼を、僕は目の当たりにしていたではないか.

きっと僕は今まで、スイッチは自分で作るものだと思っていたのだと思う.そしてそれは本当だと思う.でも、スイッチが自分で出来上がってくるのを待っているには、科学のコミュニティは小さすぎた.自分の内的なプロセスを客観的に見るには、同業者の間のみの世界では困難だという事を思い知った.

美を感じる事は楽しいし、科学とアートの類似からコラボレーションが生まれることは素晴らしい、そう感じて自分を外に放り出してみたが、まったく想像していなかった気付きがあった.そしてそれはこれからもあるんだろうなという予感が、すごく大きく在る.

2012-10-26

阪大.

10月1日に阪大に着任した.理研はしばらく兼務させていただく.

こんなに長期間、研究をすっぽかしたのは初めてだ.9月の末に引っ越してからそろそろ一ヶ月になる.大阪への引っ越し、阪大着任、講義や会議、その合間に理研の研究室運営と研究員会議代表幹事などの仕事、パリティ、などなどをこなした.いろんなことが有りすぎて、頭の中がまだ整理されていない.

その一ヶ月の間にも、論文を出し、理研科学講演会やYKISなどで講演もやり、youtubeに動画を公開した.そう言う意味で、一ヶ月研究できなかったからと言ってあまり焦りは無い・・・と言ったら完全に嘘になる.この一ヶ月、アレとコレの計算をしたい、とずっと思っていたが、全く体と心が着いて来なかった.

今日、なんとなく一段落した気がようやくして、まだ何も無い阪大の部屋で、机の上に散乱した講義や会議関係の書類を片付け、計算を始めた.なんと手が喜んでいることか!!頭に染み入る式が嬉しい.ずっと、コレを知りたいと思っていたことは、簡単な式になって目の前に結果として現れた.なにー?!っちゅう結果なので、これからよく考えねばならない.

阪大の研究室にはだんだんとなじんできているような気がする.毎日食事を共にして、院生ともちょっとずつ話をする.いろんな人のおかげで、なんとかスタートできた感じだ.これから、研究室での試みも始まるし、共同研究が進めば嬉しい.

慣れない講義も、なんとなく形になってきたような気もする.今年ばかりは準備は自転車操業にならざるを得ない.始めに全部用意してしまいたいと思ったが、結局、学生のレスポンスを見ながら進度や難易度を決めていかねばならないので、自転車操業にならざるを得ない.それでも、ようやく数週間分は準備が貯まったので、今日は研究の計算をやろうとようやく心が傾いた.今後はうまくバランスをとってゆかねばなるまい.

中性子星の研究は楽しい.思いついたアイデアがどこまでこの宇宙で実現しているのかと思いを馳せると、どんどんと引き込まれる.衛藤君と初田さんと書いた論文は、まだ序章に過ぎないと思っている.review論文を執筆中だが、それも今日、再開した.

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理研と阪大は、24時間テレビ会議でつながっている.テレビ会議システムを、テレビ会議のために使うのではなく、空間の時空連結のために使うという発想は、理研と阪大を兼務されていたある方のアイデアの拡張.まさにそこに人が居るような感覚に陥る.この手法がうまく機能するかどうかは、今後時間を見てゆかなければならない.少なくとも、何も無い阪大の部屋に、今唯一ある、かっこいい機械になっている.

部屋の入り口に、僕の似顔絵のシールを貼ってみる.youtubeの動画も、勝手に目標と決めた5000viewに近づこうとしているようだ.パリティでも、楽しい企画が進むことになった.中性子星の研究論文のおかげか、色々なところで講演に招待していただいている.研究をどんどん進める動機がようやく大きくなってきた.一ヶ月、ようやった、と自分と家族を褒めよう.

黒板が欲しい.

2012-09-25

科学は芸術.

科学のアウトリーチの王道は、もちろん、最先端の科学を分かり易く伝えることである.そのことは、理研の一般公開や、様々な一般講演で良ーく身に染みて理解してきたつもりだ.しかし、ちょっと違うんやないか、と思う面がある.

科学というのはそもそも芸術に近いところがあって、僕自身も芸術を創り出しているというイメージで科学をやっている.そういうと怒る人も居るかもしれない.科学は人間の生活に役に立つからこそ科学なのであって、そのために税金出しているんや、と.しかし、人の役に立つために全ての科学が生み出されるというと、それはとんでもなく間違っている.科学は自然すなわちこの世界を理解しようとする試みなのである.自然は美しい(はずであり)、その美しく秘められたものを掘り起こすという作業が、科学そのものなのである.

科学が芸術であるという議論はずっと昔からある.例えばチャンドラセカールの名著もその1つに過ぎない.まあそんな古びたものを持ち出さなくても、自分也の芸術というものを突き詰めているのがそれぞれの研究者なのだから、それでいいのである.しかし、アウトリーチという観点で見ると、科学のアウトリーチにおいては、ちょっと違った芸術的アウトリーチがもっとあっていいように思う.

で、夏休みの自由研究に、芸術作品を作ってみました.

A scientist's life - condensed - YouTube

ここでは、科学の内容は一切触れないことが原則.ただただ、理論科学者が黒板に向かって計算をしていることをひたすら見ていただく.ただただ机に座って数式を書いているところを見ていただく.それが、素晴らしい芸術になりうるということを、僕は確信を持った.

黒板は美しい.これは科学者だけの想いであると信じていたのだけれど、実はそうではないらしいということを最近知った.これはひょんなfacebook+twitter経由の飲み会からだったのだけれど、まったく、数式+黒板の美しさを理解してくださる方々の裾野は広いようだった.しかも、科学は芸術活動であるということを理解してくださる芸術家も多いことに気がついた.

で、夏休みの自由研究は、それを人間の営みという形にして、動画として世に出す、しかもアップテンポの音楽、自分の頭の中に研究の時に流れているような脈動感、を載せて.この自由研究は、仁科センターの宮内さんというカメラの方のご協力で、三日で完成した.素晴らしい.思った通りの動画が出来上がった.僕のプロモーションビデオみたいになっているけど.

その動画で黒板に書かれている内容は、その時に僕が一番頭の中に溜め込んでいた研究内容.しかしそのことをここに書くことはするまい.だって、科学の内容を説明せずに、数式と研究をそのまま見せることが目的だから.でもちょっとだけ書いておくと、黒板の内容は、昨日アーカイブに出した論文(衛藤くんと初田さんとの共同研究)に基づいてます.あたかも動画では一人で研究したように見えるけど、実際はお二人との一年にわたるディスカッションに基づいて完成した内容.今度動画を作るとしたら、共同研究の動画を作ってみたい.

科学と芸術、どう思いますか?

2012-04-29

イギリスの重い雲の下で.

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朝日が照らすイギリス東部の田園風景の中を、高速鉄道がロンドン、King's Cross駅に向けて疾走している.まずいパニーニをほおばり、まずいコーヒーをすすりながら、幸せな時間である.

イギリス滞在は六日間だった.ケンブリッジ大学のニュートン研究所と、ダラム大学に呼ばれて、短い間だったが二度講演をした.旧友に会い、新しい人に会い、議論をするのは、全く楽しい.来て良かった.

物理というのは世界共通の言語なので、まったく初めて会った人とも、すぐに非常に深いところまで会話が出来るところが魅力の一つだ.僕はこれにいつも魅惑されながら過ごして来たように思う.友人でもそうでなくとも、物理の興味が近ければ、話し始めればすぐに、その人がどこまで深く考えたか、思索の道筋がどんなだったか、どんな風にそれを楽しんだか、が、手に取るように分かる.それが、日本人でもイギリス人でも、イラン人でも、会って話せば、まるで身体的な感触のように伝わるのである.生まれも育ちも文化も伝統も生活も人生も全く異なる人と会って、話すだけですぐにその人の貴重な財産について深い思索の底に一緒に降りて行ける、ということは、何物にも代えがたい魅力である.これが、自分の人生の糧になっている.

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ダラム大学にお邪魔するのは初めてだったのだけれど、Mantonとソリトンの本を書いたSutcliffeや、Wardがいる大学なので、ソリトン好きな人間としてわくわくしていた.Sutcliffeには今までお会いしたことが無かったが、会ってすぐに、BPS solitonのtopological numberが多いときのsizeについて、激論を交わす.互いの主張が矛盾するように見えたので、かなりエキサイトした.しかし結局最後は、一件矛盾するような話のどこに原因があったのか特定出来て、お互いニヤニヤ.で、まだ出版していない研究のことなどを議論する.会ってから3時間.まったくお互いの文化や育ちや人生を話さないうちに、これまで何年もお互いに考えて来たことをぶつけ合うことが出来る.これがまさに、理論物理の醍醐味.

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ケンブリッジに住んだのはもう6年前になる.日本を発ち、ヒースロー空港からのろのろと鉄道に乗り、ケンブリッジの宿舎のベッドに入り込む.次の朝、ニュートン研究所に到着してすぐ、研究所の芝生の匂いが、6年前の頃のことをはっきりと、しかもまざまざと、思い起こさせた.生活や研究、いろいろ辛かったことが思い起こされた.あれから6年になる.僕はその間何をやったんだろう、そう思って、自分の論文を眺め直したりしてみた.当時の日記を読み直したりしてみた.

なんとなく空しくなった.イギリスの典型的な、陰鬱な空に押しつぶされそうになった.家族や研究室から離れて一週間、地球の裏側に来たけれど、それは何のためだったのだろう、と感じた.呼ばれたら断らないというポリシーを貫くことに何の意味があるのだろうと思った.

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けどね、しばらくして、研究所に続々と人が集まって来たとき、懐かしい顔がたくさん目についた.PaulやNick、Ki-MyeongやSungjay、DavidやDavid.議論をする.さっきの空しさは消し飛んでいた.

理論物理の研究の魅力には二つある.一つは、こうやって世界のあらゆる研究者と、議論をし思索を戦わせ、深い交流が生まれること.世界を探検する秘密の合い言葉を共有しているような.もう一つは、一人だけでどこまでも深く思索に耽り、ノート百ページの計算に没入して恍惚とすること.この二つの魅力が、僕の人生を決定的に決定している.

日々のしょーもない雑用から離れることは重要や.人生を確認する.

2012-03-27 物性物理と超弦理論.

物理学会の年会が終わり、ほっと一息ついている帰路の新幹線の車内である.

学会では、午前と午後のセッションをそれぞれ1セッションとすると素粒子論領域で7セッションあったのだが、素粒子論の部屋に座ったのは結局そのうち3セッションだけだった.残りは他の領域をうろうろ.物性の領域1(量子エレクトロニクス)、領域5(光誘起相転移)、領域8(強相関電子系)や、理論核物理、宇宙物理などのシンポをはしごする.面白いものもあればまったく言葉がわからないセッションも.楽しい.

新幹線に乗って、なんだか寂しい気分になったのは、素粒子論のセッションに座っていた時間が少なかったせいか、友人たちと会って議論したりする時間が少なかったからかもしれない.夜は素粒子論委員会と素粒子論懇談会、無事委員長の一年が終わったのも、ホッとしたのかもしれない.物性のセッションに行って、新材料とかまったく分からずポツンと過ごしたのが思い出されて俺なにやってんねんやろなと思ったのかもしれない.

なにしか学会が終わって、今年度が終わって、なんとなくまた日記を書く気分になって、新幹線で久しぶりに書いてみることにしている.久しぶりと言えば、この3ヶ月、日記を書かなかったのだが、それも研究に没頭していたからだ.今日、その成果の論文を二つ出した.

一つ目は飯塚君との共著で、超弦理論を物性に応用する話.ランダウのフェルミ流体で成り立つラッティンジャーの定理(フェルミ面の囲う体積が荷電密度に比例するという関係式)を、重力理論に等価に写したときに、どの程度ユニバーサリティがあるのかを調べた.フェルミ面の重要な性質が高次元重力におけるガウスの法則で表される.面白すぎるよね.

二つ目は飯塚君と格子QCDの青木慎也さんとの共著で、超弦理論を原子核理論に応用する話.フレーバーが3以上の量子色力学を等価な重力理論に写し、バリオンにユニバーサルに斥力芯が存在するということを示した.中性子星の中心の物理に貢献できるかもしれない.この論文には、非専門家向けの長いレビューを付けた.超弦理論によるクォークの力学の計算に興味を持つ方にぜひ見ていただきたく思っている.

いずれも様々な議論や計算が思い起こされ、それが今日、世に出たのは、大変嬉しい.で、ホッとしている.読んでやってください.

以前は学会に参加しながらプログラムに面白かった講演の講評を自分で書き込んだりしていたものだが、結局学会から帰って来てそれを見直したりはあまりしないので、自己満足に陥っていたことに気付いた.で、今回は、ノート1ページに、今後研究になりそうなタネだけをメモしてみた.さて、それがどれだけ育つかな.学会や研究会は、自分の研究成果を議論するためだけのものではなく、タネを見つけるためのものでもある.今回は少しタネが出来たので、それで良かったことにする.安心してしまわないようにせねば.

新材料のシンポを聞いていて、良くわかった.自分の興味はここに集まっている人たちの興味の方向と直交している.ツライ.だからこそ聞きに行って良かった.僕の物理を掘り下げるということは、他の人の物理を知り、直交する方向に掘ることだ.

2012-01-09

数理連携10の根本問題の発掘.

こんなタイトルの研究会を年末に主催した.本当のところを言うと、成功するとは思っていなかった.オーガナイザーがそんなんゆうたらほんまあかんけど、でも、実のところ、うまくいかないと思っていた.

ところが.この研究会のなんと楽しかったことか.ほんまに、全く予想外やった.これは、研究会に参加して下さって議論を盛り上げて下さった皆様、そして、講演者の皆様、のおかげである.心より感謝している.

そもそもこの研究会を作ろうとなったきっかけは、ひょんなところだった.文科省と数理連携でやろうということになった時に、せっかくやるんやから、実験的な企画、しかも、誰もやったことのないような企画、そして、失敗してもいいような企画、やってみて良かったと思えるような企画、にしようということで、オーガナイザーの津田さんと小谷さんと盛り上がった.そうせな、やりがいも無い.補助金がらみの研究会が全国で多発して、研究者がそのオーガナイズに疲弊している昨今に、よけいな研究会なんて、まったく必要ない.しかし、全く新しい形の研究会なら、やってみたい.失敗してもいいから、やってみる、その言葉が、気分を軽くしてくれた.

「10の根本問題の発掘」って、えらく仰々しい.根本問題というところが、大上段に構えている.けど、実のところ、1個でも出てくればほんまにもうけもんやと思っていた.根本問題なんて、かなり難しい.人生をかけられるような問題を根本問題というなら、研究者はそれを求めて人生をかけて研究している訳で、そんな問題が、たった4日の研究会で出てくるなんて奇跡に近いように思えた.

しかし、オーガナイザーを中心として、招待講演者に招待議論者、総勢30名近い、エキスパート中のエキスパートが集結することになった.数学者、物理学者、生物学者、脳科学者.議論好きな方々に特に集まってもらい、議論から生まれるアイデアや考え方を成果とする研究会とした.

そうそうたるメンバーで開幕した初日、数学者の荒井さんの一言が僕の胸を刺した.「根本問題なんて無限にあるんです.」そう、大事なのは、難しい問題を考えることではなく、数学と諸分野の間にすっぽりとはまり両者の研究者の頭を刺激し、その問題が解けることによって科学に多大な影響があるような問題、そういう問題なのである.難しい問題なんて無限にある.けれども、重要な問い方というのは、なかなか出てくるものではない.講演者のうち、大栗さんもそのように発言されていた.

講演は30分用のスライドをお願いし、実際の講演時間は1時間20分.その長さに講演者の方々は当惑していたが、しかし、ふたを開けてみると、様々な質問や議論が飛び交い、座長が議論を静止しなければいけない事態がたびたび.分野外の聴衆に話す前提で講演を構成していただいたため、初歩的なところの議論からスタートし、分野の言葉が違うところから来るすれ違いも多々あった.しかし時間を忘れるほどの議論の濃密さで、楽しい時間はあっという間に過ぎていった.脳科学者、数学者、物理学者、生物学者が、こんな風に時間を一緒に過ごすような研究会は、初めてだったに違いない.

参加者の一人が、「あー、おれこんな研究会を開催したかったんすよ」とポロッと言ってくれたのが、オーガナイザーへの最高の賛辞だった.講演者の方々からいただいたスライドから、根本問題の発掘を、オーガナイザーなりにやってみている.結果は公開して、参加者や講演者のみなさまの意見を募り、今後に生かしたいと考えている.

今回の研究会を振り返ると、やはり、研究会とは話を聞く場ではなく、話を元に議論をする場でないと、楽しくないということである.分野外の話を議論のレベルまで持っていくには、講演者の力量が問われ、その意味では、今回は講演者の方々のご努力でここまで議論ができるような研究会になったのは明らかである.招待議論者(core discussant)という形で、議論をしていただける方を招待したことも良かったかもしれない.とにかく、分かりやすい話、そして、議論、である.普段の研究の延長線上にこのような異分野交流の研究会が連続的につながったのは、奇跡に思えた.

f:id:D-brane:20111229175808j:image:left研究会が終了した年末12月29日.部屋を片付け終わって、ドアを閉めようとする時、この部屋のドアを閉めたくない衝動に駆られた.この部屋でついさっきまで四日間、すばらしい科学者たちが思い思いの議論に熱を上げていたことが、信じられない感じだった.で、ドアを閉めて電気を消すのをやめて、講演者側のところに一つ椅子を持っていき、ひとり、広い会場に座ってみた.すると、いろんな議論が目の前によみがえってきた.すばらしい講演、鋭い質問、聴衆の間で戦わされる議論.何とも表現のしようもない、とてもとても贅沢な空気の中に、僕は一人座っていた.科学者をやっていて良かった、と思える瞬間だった.

2011-12-17

ベトナム.

ビーチに打ち寄せる波の音を聞きながら、ゆっくりと30年前の論文を読んでいる.こんなのはサンタバーバラでポスドクをしていたとき以来なんちゃうやろか.

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ここはベトナムのQui Nhonという街で、日本から一日半かけてやって来た.Elastic and Diffractive Scattering という会議で、そもそも僕の研究からはちょっと遠いのだが、non-perturbative QCDと言えば僕の研究分野な訳で、それでオーガナイザーの方に呼んでもらって、端っこで座っている.実験の話が半分以上なので、基礎的な言葉がわからず、また分かるつもりも薄く、何とものんびりと興味のある講演だけ聞きに行くという贅沢な時間の過ごし方をしている.スケジュールの中には理論セッションもあり、そこは楽しい.明日はchairをするし、明後日は自分の講演がある.

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自分がベトナムに来ることなんて、想像もしていなかったし、またこれからもあるのかどうかすら分からない.ホーチミンでの飛行機の乗り継ぎが23時間という悲惨なものだったので、ホーチミンで一泊せざるを得なかったのだが、こういう機会だからと戦争証跡博物館を訪ねてみる.閉館30分前だったが、やはり行っておくべきかと思って.すると驚いたのは、この博物館にはアメリカ人が多く訪ねて来ていることだった.確か韓国で戦争の博物館を訪ねたときには、日本人なんて誰もおらず、韓国人の小学生が大挙して見学していた.ここホーチミンはそうではなく、このあたりが政治や国民性が見え隠れするところかも知れない.現地で見ないと分からない、感情がうずまく.今までそんなことを何度も経験して来た.

Qui Nhonの現地の最寄り空港には、ホテルの歓迎が待ち受けていた.花の首飾りをかけてもらったの、初めて.で、バスに乗り込んでホテルに向かうのだが、中途に通る村があまりに前近代的なので驚く.電気もろくに通っていないような暗い村に、笠地蔵の話に出てくるような笠をかぶった現地の人々が、自分の背の高さより高い荷物を載せて、バイクや自転車で往来する.トタン屋根に、水たまりばかりの泥だらけの道.ベトナム戦争のアメリカ映画で見たような村の光景がそこには広がっていた.ほんまはアジアはこんなところがほとんどなんや、という、多分当たり前の事実が眼前に展開されて、言葉が無かった.広がる水田やその向こうの山々は見慣れた風景ではあったが、日本の僕の知る田園風景との違いがよけいに際立って見えた.

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近代的なホテルに到着すると、どうやら他の研究会も同時に開催するらしいことが、垂れ幕で理解された.不思議な感覚である.近いけれどもこんなに遠いところまで来て、知っている人たちと偶然に再会する.静かに一週間過ごそうと思って来たが、他にも研究会があってそちらにも知人友人の講演が並んでいると、ついついそちらにも出たくなってしまう.それにしても静かに部屋で波の音を聞きながら研究が出来るのは素晴らしい.インターネットが、遅いなりにも割と使えるので、論文を参照するにも不便が無い.けれども研究以外の仕事がひっきりなしにやってくるのに対応しなくてはいけないのは、インターネットの弊害である.こんなベトナムの田舎まで来て、こうやって日記をすぐにアップできるのも変なものである.それにtwitterを通じて、いつもおしゃべりしている人たちの会話をそのままここに持って来れるのも、不思議な感覚である.ベトナムの波の音が、湘南の波の音と一瞬聞き間違えるかのごとく.

せっかくいろんな会議をサボらせてもらってベトナムまで来ているのだから、30年前の論文の続きをゆっくり読もう.打ち寄せる波を見ながら論文を読むのは、本当にポスドクのとき以来だ.波の音は、悠久のときの流れを感じさせるだけでなくて、10年前の自分に一瞬で連れ戻す効果があるらしい.

物理をのんびりやろう.嬉しい.

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2011-12-14

ヒッグス粒子の探索:神と握手、なるか?

スカイライナーが、朝日が昇る前の東京から滑るように逃げて行く.

昨夜はヒグス(ヒッグスっていうのが世間ではスタンダードかな)のCERNセミナをweb中継で観た.データの最終図を見ると、秋からさらにぐぐっと線が下に押しやられ、まさに除外領域がどんどん増えているのが実感できる.で、ATLASとCMSの両方が同じ125GeV近傍を指し示していそうなところがまた示唆的で、ドキドキする.今年の大きなクリスマスプレゼントは、まだ幾千もの素粒子模型を死滅させる決定力は無かった.けれども、今年のLHCの大活躍を目にした誰もが、このままLHCが順調に走れば、来年のヒグス発見を疑わないだろう.

CERN中継が世間を騒がせていると言えば、秋のニュートリノ光速超えのニュースだろう.パリティ2月号掲載予定でちょっとだけ編集委員として僕も書かせてもらったが、実験で確定するというのはとっても難しいことなのだ.今回のヒグス発見へのATLAS/CMSの努力と、ニュートリノ光速超えのOPERA実験とを同列で比較するときっと実験の人に怒られるが、それにしても、ものすごい数のデータから物理を引き出して「確定」するというのは並大抵のことではない.ヒグス粒子の存在が98.9パーセント確実、という言葉が新聞に踊っているが、それは素粒子物理学的にはまだまだ「発見」では無いのだ.今までの実験の歴史で、99.9パーセント確実なものが、更に良く調べてみると実はありませんでした、なんてことは何度でもあった.

それにしてもLHCの巨大実験のスケールときたら、すごいよね.大学時代に学生実験で、一年をかけて実験を企画から作る経験をしたわけだが、その経験と現在のLHCの巨大実験が連続的に実はつながっているなんて、信じようとしてもなかなか実感できない.それほど、巨大だ.そんな精緻かつ巨大な素粒子実験にはいつもやきもきさせられるが、自然の本当の姿を見るというのは、大変な努力がいることなのだ.LHCも計画から既に数十年、目標の達成を目前にして、関わる人全てが心血を注いでいる.素粒子理論屋の一人としてエールを送るとともに、来年に来るはずの素晴らしい発見を心待ちにしたい.

ヒグス粒子のような基礎科学用語がインターネット上をこれだけ飛び交い、新聞にも大きく掲載されるというのは、科学者の端くれとしてほんとうに嬉しいことだ.この世界の最も小さい構成要素がどうなっているんだろう、という不朽の問いの答へ向け、人類が前進している、その事実が世間で言葉にされて話されている、それほど素晴らしいことは無い.この一週間は、素粒子業界ではない人に会うごとに「ヒッグスはどうなんですか」と聞かれたのだが、それだけ世間の関心が高いのは珍しい.ヒッグスの前に見つかった素粒子はトップクォークで、それは僕が大学4年の時だった.素粒子業界に入る前だったので、それがどのくらい業界内で騒がれたのかは知らない.当時、ある朝の新聞のトップ記事に大きく踊る「トップクォーク発見」の文字に、ものすごく興奮したのを思い出す.素粒子ってすごい、と全く単純に感動した大学生の自分がいた.今回のヒッグスの話も、きっと日本の科学を底上げする大きな力になる.

2011-10-15

生死と素粒子論.

弘前の学会.素粒子論懇談会が終わった夜、飲みに出たら、居酒屋に素粒子論屋が集結していた.いろんなグループがたまたま、というか、狭い街に大量の素粒子論屋がやってきて学会をしているもんやから、必然的に、飲み屋が素粒子論屋で埋まるという恐ろしいことになる.向こうのテーブルからは「摂動論が」とか聞こえてくるし、下の階からも聞き慣れた声が響く.で、いろんな人がテーブルを行ったり来たりの大宴会となった.僕は一階のテーブルではなぜか絞られ、向こうのテーブルでは握手し、こっちのテーブルではこりゃまた楽しい話題に花を咲かせた.

学会の醍醐味というのは、こうやって普段は離れている研究者と懇親することであることは間違いない.次の日の朝は招待講演ということやったのだが、二次会、と言っても一次会が9時からやったから(素粒子論懇談会は夜の8時まで)時間的に遅いのだが、のラーメンに誘われてついて行く.そこでの話題がまた最高やった.

まあ僕は素粒子論屋でも、いわゆる「フォーマル」分野に属する.素粒子論には後二つ分野があって、現象論と格子である.これらは、アーカイブでのプレプリントの分類に直結したコミュニティ分類になっている.僕は最近は現象論分野の方にプレプリントを出すことが結構あるので、フォーマルとは言いがたいのかもしれないが、やはりフォーマルなのである.大学院で研究を始めて10年以上は、自分の書いた数十の論文に一回も「単位」が登場しなかったのだから、まさにフォーマル分野である.そやから、現象論分野の人たちの語るのを聞くことは、やはり楽しい経験なのである.

素粒子現象論は、夜明けの時代を迎えている.LHCが動きだし、今にも、出版された論文の9割以上が死ぬという時代がやってきている.そういう生死を賭けたモデルビルダーの発言は、苦く、そして楽しい.その苦く楽しい現象論屋の人生観がにじみ出る二次会やった.

一方フォーマル分野の論文というのは、生きるか死ぬかという感じではない.美しいかそうでないか、という観点で判断がされる.たいていのフォーマル分野の論文は、美しくない.ごくまれに、大変美しい論文が登場する.そういうものを書きたいと常日頃考え、努力するのがフォーマル分野の素粒子論屋の姿、いや、あるべき姿、やと思う.一方、現象論分野は違う.生きる模型を書くことが、もっとも重要なのである.そこに、もちろん美しさという観点も入るはずなのは明らかだ.なぜなら自然は美しいはずのものであるので、生き残る模型というのは自然がそれを選んでいるのだから美しいはずだからだ.本当に、何千もの論文のうちたった一つという割合でしか、自然は選んでくれない.まさに、ほとんどの論文が、結果的に嘘だったということになるのである.しかし、それは科学のあるべき姿である.現時点で知られている現象を説明する模型を書き、そこから予言を出し、実験で確証する.間違っている予言は山のようにある.LHCが動きだし、ヒッグスの質量を確定する、もしくはヒッグスが発見されないかもしれない、そのような実験的革新は、まさに9割以上の素粒子現象論の論文を死滅させる.

「お前(の模型)はもう死んでいる」

凄いよ.そう友人と言い合える、素粒子現象論というのは.フォーマル分野に腰を据える自分から見ると、うらやましい.で、僕は時々最近現象論分野のプレプリントを出す.ちょっとでも自分がその生死の興奮を味わいたくて.しかし、フォーマル分野で育った人間は、踏ん切りも悪く、センスも悪い.それを承知で、乗り込んで行くのだ.

2011-10-11

高校生のまなざし.

会場に入ると、目を輝かせた高校生が立っていた.あっという間に、自分が高校生だった頃の毎日の楽しさがよみがえってきた.いや、高校生だった頃やないな、大学生やろか.会場の高校生達の科学的レベルは、既に大学生のそれに達していると言っても良かった.すごいね.

埼玉西部地区の科学教育振興展覧会に講師として呼ばれてお邪魔したのだが、なんと言っても高校生のポスター発表のレベルの高さには驚いた.理科離れ理科離れと言うが、こんなに科学が好きな高校生がいるとは!ポスターに記述される科学的手法の鍛錬さ、使用している科学的レベルの高さ、などなど、大学の基礎物理実験レベルの発表が存分になされている.高校2年生やで.

自身が高校2年生だった頃のことを思い返すと、まるで恥ずかしいことこの上ない.あの頃は脊髄反射でしゃべっていた頃で、なんにも考えずにただ毎日友達としゃべるのが楽しくて楽しくて仕方なかった.科学部なんてのが高校にもあったはずなんやけど、そんなものには目もくれず、ただ毎日帰宅部に所属して楽しんでいた.それで受験に突入した.受験という観点から数学にハマっていった自分があるけれども、なかなか主体的ではなかった自分という高校生の「常識」に照らし合わせると、この展覧会に出展している高校生のレベルには感服してしまった.

自分の講演では、いみじくも「科学者になるためのコツ」についても含んだ講演を依頼されていたわけだが、このポスター展示を講演前に観て、「ふーむ、はて僕に何か言えることがあるんやろか?」の疑問符が頭にこびりついた.で、少しだけ会場を離れて冷静になってみようとしたわけだが、結局は、どんな講演でも講演前は開き直るしか無いわけで、今回も開き直るべしとの結論.自分の高校時代大学一年生時代をあるがままに披露して、今までの人生をそのまま伝える、それが一番彼らにとって一緒に感じられることだろうと信じて、そのような話をすることにした.

結果、どのように彼らが思ったかは知る由は無い.しかし、彼らの科学者への熱いまなざしを僕は忘れることが出来ない.

2011-08-17

重い中性子星

再び、いやもう何回目だろう、韓国のAPCTPに来ている.三泊四日だの旅だが、えらく勉強になった.知りたかったことを一気に学べた.それもきっと、オーガナイザーの方々が議論中心の研究会にしてくださったからだろう.研究会は"From dense matter to conpact star in QCD and hQCD"という名で、名前に"hQCD"つまりホログラフィックQCDが入っている通り、中性子星と弦理論との接点も大きな課題として入っている.分野の専門家の話にとことん首を突っ込んで議論できるのは大変幸せだ.

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ポハンにはもう何度も来ているので、行くのも慣れたものである.釜山の空港からポハンまで直通バス、そこからPOSTECHまでタクシー.飛行機もバスもずっと寝つづけ、離着陸も気づかぬほどに熟睡したおかげで、ふだんの睡眠不足はかなり解消された.ここにまた戻ってきたな、そんな感覚を覚えながら、いつもの大学内ホテルにチェックインする.キャンパスの芝生は、記憶のものにも増して青々としていた.美しい.

講演は研究会の最初だったが、思った通りたくさんの質問をいただいて議論になり、いただいた一時間ではスライド10ページ、つまり半分までしか進めなかった.で、午後に議論セッションを作っていただき、残りの10ページのスライドの講演と議論をさせてもらった.関連分野の専門家にとことん自分の作用を見てもらえて議論してもらえるほど嬉しいことは無い.項の物理的な可能な意味付けなどは、やはり分野が違う人が見ると全く違うもので、面白い.

研究会に行ってベストなのは、自分の研究成果の議論が出来ると同時に自分の興味ある分野との関連を発見し議論で深めることが出来ることだろう.このふたつが完璧にそろうことはあまり無い.この意味で今回の研究会は大変良かった.この半年ほど知りたかったことが眼前に与えられた感じがした.いくら論文を読んでいても、専門が少し違うと理解するのは非常に困難になる.分かりやすく話してくださる方に教えてもらいそこで質問と議論が出来ることは、必須なのである.

それにしても、この重い中性子星は、すごい.ほんま、えらいこってでっせ.

2011-08-03

仁科センターBBQ.

研究者の顔が、一人の親の顔に戻る.笑顔のひととき.

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理研仁科センターのBBQは、毎年、理研キャンパスの隣りにある諏訪神社の花火大会に合わせて開催される、大規模行事だ.200人ほどの、センターに関係する人たちが一同に会し、花火をみながらビールを飲んで暑気払い.なんでも、その歴史は20年以上にものぼるらしい.続々と現れる職員の方々、みなさん笑顔でお肉やすいか、かき氷をほおばり、ビールをうまそうに飲む.子供は芝生を走り回り、小さな花火に大はしゃぎ.大きなセンターがこんなに一体感に包まれることは、なかなか無い.

昨年のBBQの時に、センター長からBBQ幹事を拝命した際には、「理論屋に出来るわけ無いでしょう」と心底思ったのだが、「実験屋は、理論屋にBBQができるかという実験をしているのだ」ということらしいと理解したので、謹んでお引き受けした.実験なら、失敗しても良かろう....いやいや.失敗するわけにはいかんのだ.こんなにたくさんの方々が楽しみにしているのだから.

BBQの一ヶ月半前.研究室の前沢君に右腕になってもらい、前年度幹事の玉川さんにノウハウを聴きに行く.その内容を聞くにつけ、恐ろしいことを引き受けてしまったと思った.しかし後には引けない.こうなったら、周りの皆さんにどんどん協力していただいて、皆のBBQを作るのみだ.

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ご協力をお願いして、たくさんのアシスタント事務の方々、理論系の研究者の方々、そしてもちろん実験系の方々のスーパーバイズの元に、素晴らしいチームワークが発揮された.伝統を誇るBBQ、そのノウハウの蓄積たるやただものではない.それを一つ一つ知ることは、仁科の伝統と現在を知ることだった.誇張ではない.幹事を引き受けたことで、僕は初めて、仁科センターの熱源室に足を踏み入れた.その轟音の凄いこと!いつもその建物の横を歩いていたのに、その建物の中ではこんなに凄い機械がごうごうと動き加速器を動かしているとは!ふわー.

幹事を勤め上げた前沢君、飯田君、木村君、本当におつかれさま.そしてご協力くださった皆さん、有り難うございました.ほんまに楽しかった.

2011-07-31

ふー、サイエンスライブショー「ユニバース」にゲスト出演.

あらら、お父さんお母さん、口開けて寝てるやん.

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科学技術館のサイエンスライブショー「ユニバース」に、ゲスト科学者として出演してきた.10分ほどの時間で、研究している内容などを聴衆に説明するコーナー.聴衆には、なんと1歳の赤ちゃんからおじいさんまで.一階で同時開催されているイベントのため、出演した日には聴衆は小学生、中学生、高校生が多い.

それにしても小学生に、パワーポイントのスライドで科学を説明するというのは、困難を極める.「ユニバース」が上演されている科学技術館のシンラドームは3Dの映像の楽しさを伝えてくれる.東京の星空、そして太陽系から、宇宙の大規模構造まで、「みたか」は3Dでぐるぐると自由自在に見せてくれる.聴衆から歓声が上がる.「うわぁー!」3Dの宇宙ステーションが目の前に迫り、触れるのではと空中に手を伸ばす子供たち.その興奮のコーナーの後に、ゲストコーナーだ.うーん!!

司会の大朝さんのおかげで、なんとかお話を最後まで乗り切った感じ.口をぽかんと開けて真剣に聴いてくれる子もいれば、親子で完全に睡眠モードに入っている、なーんてのも.いいんですよ〜、僕もプラネタリウムで暗くなって寝ちゃったことあるし...って自分を励ましたりして.

実は、当日の朝に、小学二年生の娘を前に練習してみたのだが、本番はそう甘くはないわけで.自分なりに、ふりがなをふったりドラえもんを入れたり、パワポの動画を出来るだけ使ったり、小学生を対象と考えた脚本書いたり、いろいろやってはみたのだが、聴衆の目は厳しい〜!!科学の一端を感じてくださった方がいれば、それだけで満足.果たしてどうだったかな.

司会の方と、後ろでソフトウェアを操作している学生さんたちの連携の素晴らしいこと.宇宙って、広くて、そして分かっていないことがたくさんあるんだなあ、ということが、3Dの授業で肌身で感じられる仕掛けになっていて、関心しきりでした.こんなプロジェクトを立ち上げた方々も凄い.

ゲスト科学者、なんていう肩書きでかっこ良く登場させてもらったが、なかなか力至らず.でも、貴重な機会を楽しませてもらいました.科学技術館と「ユニバース」のスタッフの皆様、大朝さん、ありがとうございました.

2011-06-17

パリの森での議論。

パリの宇宙物理学研究所の講堂は、驚くほど古めかしい感じだった。昔の基研の大講義室を思い出す。いや、椅子の感じや天井の高さなど、それよりも古い感じがする。本当はいかほどに古いかは、ついに現地の人に尋ねる機会を逸してしまった。それもそのはず、現地の人つまり宇宙物理の人が研究会には居ない。これはQCDの研究会なのだ。

日本からはるばるやってきたのだが、一日目に座長でうまくセッションをこなさなくてはならない、しかも自分がconvenerなのでセッションの成功は全て構成からの責任になっているわけで、ちょっとした重圧で気が重くなっていた。しかし、会場でChung-Iなど懐かしい方々、そして招待講演で御呼びしてはるばる来てくださった方々、研究会に講演を申し込んでくださった方々、に次々とお会いして、そのような沈んだ気持ちは吹き飛んでしまった。友人に会うというのは、素晴らしいことだ。そして、海を越えて友人に会うということは、ことさら嬉しいことだ。

f:id:D-brane:20110608113708j:image:w300:leftこの機会に、と思い立ち、こちらへ来る前に、パリの友人二人にコンタクトをとってみた。いずれももう5年以上も会っていない研究者で、同い年。同じ場所で少し共に時間を過ごしたのが、ついこないだのように思える。水曜日、パリの研究会は半日だけフリーの時間があり、事前からその時間を使えると踏んでいたので、パリ郊外のその友人の一人を訪ねてみることにした。パリからは鉄道RERで30分もかからない。しかし東京と違って、パリはすぐに田園風景に入る。うねうねと続く緑の丘に見入っていると、すぐに目的の駅に到着した。無人駅のように思える。東京との環境の違いに愕然とする。緑を探し求めて人の多い都会を歩き回る生活は、何なんだろうか。

f:id:D-brane:20110608114753j:image:w300:left駅からあるいてすぐのところにフランス高等科学研究所(IHES)があるはずである。てくてく歩いていると、小さな門が目に入った。ああ、ここがあのIHESなのか。天才数学者を集めた少数精鋭の研究所。以前から訪ねたいと思っていたのだが、なぜか機会を逸していた。門のIHESのプレートを触りながら、中に入ってみた。

f:id:D-brane:20110608151352j:image:w300:left昔は城だったというこの土地は、今でも森で覆われている。その中に、白く美しい建物が目に入った。前には芝生が広がる。アスペンを思い出した。こりゃ理論屋の天国やわ、と一瞬で感じた。そのまま、ぽけーっと芝生を眺めていた。そこでうろうろ歩いている自分の姿が目に浮かんだ。夏、ここに滞在させてもらえたら楽しそうやわ。もちろん、そこに議論を楽しむ研究者がたくさんうろうろしていたら、だけれども。

友人との待ち合わせまでに時間があったので、研究所にいらっしゃる日本人の方とお話ししたり、少し研究所内をうろうろしてみる。見事に、全てのドアが閉まっている。こりゃあまりいい雰囲気やないわな。そう一旦は思ったが、そもそもこの研究所が数学者のためのものであることを思い出すと、合点が行く。沈思黙考するには最適の環境なのである。そして、研究会が開かれている時期は全く違う雰囲気なのだろう。静かにできる時間があり、にぎやかに議論できる時間もある、それが研究者ごとのニーズに合ったとき、最高の研究所になる。

「Koji-san」と呼ばれて振り返ると、そこには友人の顔があった。森を歩きながら近況を話し、そして議論をする。そのまま黒板での議論になる。我々が書き下した量子力学系の取り扱いについて疑問点を呈され、そこから問題が発展するかもしれないことが明らかになる。楽しい、じつに楽しかった。

2011-06-06

パリの空の下で.

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体調が優れないまま成田から発ち、パリの街に降り立った.外国出張するときにはいつも、心が興奮状態になるものだが、今回は違って、少し沈んでいた.いや、沈んでいたというより、なんと言うか、ホッとしていた.なんでホッとしているんやろ、と機内で振り返ってみた.答えは明らかで、今週やらなくてはいけないことが一つしか無い、という明らかな事実が自分をホッとさせているのだった.

日常の業務から解放されるというのは、研究者にとって命綱であることが眼前で明らかになった気がした.今回の出張と重なっている業務や会議がたくさんあるが、それは全て、申し訳ないと思いながらも代理の方にお願いしたり、そのために調整したり.家族を含めいろんな人に無理を言って、一週間の時間を作った.その一週間がようやく始まると悟り、機内でホッとしたのだった.

自分の今までの日記を見ていると分かるが、何度も繰り返し、もやもやした頭の状態を如何に作り出し継続させて、研究の方向性を創出するか、を大事にしている.日常業務に阻まれて出来ないのは、このもやもやした時間をつくることだ.答えをあえて出さずに、答えが自然と出てくるようにする.それは、日常業務で瞬時に判断を迫られるのとは全く逆である.

貴重な一週間をどう過ごすか.幸い、自分がチェアをするセッションは今日という研究会初日で終わる.また、自分の講演は木曜日で、講演のドラフトも完成した.今週は、実験の最新の結果を、頭があふれるくらい聞いて聞いて聞き流すのも良いかもしれない.友人とゆったりと物理を話し込むのも良いかもしれない.古い友人にも会うつもりだ.会ったらすぐに研究の話だろうが、それでも、フランスに持って来た自分の体に染み入るような貴重な経験をするには、やはり、日本で時々思い出す古い友人の顔に直接会うことが効果的だろう.

頭をリセットしよう.で、パリの街に出発.会場のパリ天文台まで、徒歩5分の所にホテルをとってしまって、失敗した.もっと長い距離にしておくべきだった.歩くという行為は、研究の時間である.

2011-05-23

超固体。

「超」がつくものは凄いに決まっている.理研のプレスリリースをtwitterで知ったのは、もう一ヶ月ほど前になる.そこには「超固体」の文字が踊っていた.理研の河野低温物理研究室.「超固体は存在する

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で、早速河野さんにセミナーをお願いしたところ、快諾してくださった.今日の午後、河野さんを囲んで研究室セミナーが始まった.QCDの様々な相を研究している人間にとって、物性で出現する奇特な相のことを学んでおいて損は無いはず.そういう、かなり軽い興味から入ったのだが、そう、興味なんて軽いところからでいいのだ.超、がつくものは、超弦理論からなんから全部知っておきたい、そんなミーハーな興味でもいいのだ.

超固体という概念は、1970年にA.J.Leggett(2003年ノーベル物理学賞)が考えたものらしい.彼の論文"Can a Solid Be Superfluid?" がその論文の新奇さを物語る.レゲットの予言から40年、その実験的存在に決着がつきつつある.固体なのに超流動成分を持つ、超固体.その正体は未だ未解明だ.河野さんのグループの研究が、実験的決着をつけるのだろうか?...それにしても、理研研究本館一階に、そんな超固体を目指してあんな速さで検出器ごとぐるぐる回っている装置があるとは!

今日は、「超」がつく物理現象を、また一つ学んだ.次は?

2011-04-23

反物質チョコ?本日、理研一般公開。

「はしもとせんせーい、反物質チョコ食べてくださーい!」の声に、娘と駆け寄ってみると、なんとそこには、は、は、反物質チョコが!!しかもいろんな種類があるではないか.おそるおそる手を伸ばしてみた.反物質なら手を触れたら手が消滅してしまうことも忘れて・・・

ここは理研の研究本館6階エレベーターホール.山崎原子物理学研究室は、先日新聞などで取り上げられ有名になった、あの反水素の大量生成に成功したグループだ.今日は年に一度の、理研の一般公開.山崎研は、最後の手段をついに披露してしまった.「反物質チョコ」を配る!

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物質は、反物質と接触すると、対消滅し光を出す.反水素とは、水素の反粒子である.反物質チョコは、正確には反チョコとも言うべきものであろう.あ、手が対消滅する!そう思って手を引っ込めた瞬間、娘の手には反物質チョコが既に四つも握られていた.そう、これは、チロルチョコの特別包装だったのだ.包装にはしっかり、反陽子陽電子、すなわち反水素が印刷されていた.これ、レアやわ.

ほくそ笑みながら、娘とその反物質チョコを奪い合い、一つを口に入れた.すると、一瞬で融けて消えた.さっすが反物質.その甘さは爆発的だった.ガンマ線は出なかったと信ずる.反物質チョコは、意外なことに、キナコモチの味がした.

そんなこんなの理研一般公開.広い和光キャンパスの至る所で、科学とふれあうイベントがてんこもり.幼稚園の子供たちからおじいさんおばあさんまで、理研を広く解放し、科学の心をちらりと持ってもらうイベントである.今年はうちの研究室は、この時期に研究室構成員が何人になるか見当がつかなかったため、研究室としての参加は見送ったのだが、おとなりの延與放射線研のお手伝いをするという有志PDが立ち上がり、昨年と同様の磁石の担当をさせていただくことになった.僕もその解説員としてお茶を濁すことに.午後の自分の担当が始まる前に娘といろんなところを見ておこうと思って、RIBF棟などを回る.

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小学校低学年でも作れる分光器.30分かけて一所懸命娘が作る.出来上がったのを覗いて虹色が見えたときの娘のうれしそうな顔と来たら.ふと横を見ると、50歳くらいのおばさんが、一人でまた一所懸命作っている.あーでもないこーでもないとうんうんいいながら、両面テープを貼っている.なんと素晴らしい光景だろう.日常的には科学研究に全く触れることもないであろう人たちが、自分の手で実験器具を作りそれで実験をし、科学を体験する.素晴らしいとしか言いようが無い.

轟音をたてて動いているスーパーコンピュータ、三等身になれるフレネルレンズ、空中に静止するシャボン玉、原子核衝突を見立てた空気砲、などなど、一日では到底全部は体験できない数の楽しい科学とのふれあい.娘は去年もらったビー玉が忘れられないらしく、今年も原子核衝突を擬したビー玉実験に並び、見事実験をしてビー玉を獲得していた.

自身の担当の段になり、若干緊張して持ち場に向かう.早速いろんな人が話しかけてくる.必死に対応していると、いつの間にか、宇宙ってすごいよね、対称性って何だろう、と熱心に熱心に語っている自分の姿があった.こちらが熱心になると、聞いてくださる方も熱心になる.この世の中は不思議だな、どんな風になっているんだろう.その気持ちを伝えたい一心だった.

小学生の子供たちにはクイズを出す.そのクイズに答えられた子供のうれしそうな顔と言ったら!で、その子が言った.「ぼくはしょうらい、かがくしゃになりたいんです」

ほんまに嬉しかった.「りけんでまってるで」

2011-04-09

新たな思いで.

地震からもうすぐ一ヶ月が過ぎようとしている.原発事故の問題は、まだまだこれからである.

震災のことはつらつら書くまい.研究記録として書いているこのブログには、生活も研究の一部と考えて書いてきた面もある.震災はそう言う意味で僕の人生に大きな影響を与えた.しかしそのことはつらつら書くまい.

嬉しかったこと.それを書く.年度末に論文を二つ、プレプリントサーバに公開した.

一つ目は、超弦理論の技術でクォークの強結合から原子核の生成を示した論文"Nucleus from String Theory”.ギリシャの森田君との共同研究.クォークの結合は強すぎるためその動力学を解析的に解くことは困難であるが、超弦理論で近年発達した手法を用いると、ある極限で解くことが出来るようになる.以前に飯塚君とPiljin Yiと書いた論文では、この手法を用いて、核子(陽子・中性子)の多体系を近距離で記述する量子力学の作用を導出した.今回の森田君との論文では、その量子力学を核子の数が大きい極限からの展開(=原子核が重い場合)で解き、一般に核子がお互いに寄り合って原子核を生成することを示した.

二つ目は、嬉しいことに、2010年度の研究室メンバー全員で書いた論文.”Anomaly-induced Charges in Nucleons”. 核子を電磁場中に置くと、核子内に量子アノマリの効果で電荷分布が現れる、という論文.いろいろと物議をかもしているようなので、ぜひ色んな人と議論したい.12月に衛藤君、飯田君、三輪君と出した論文の続きの議論が、非常に面白い方向に発展し、初め考えていたこととは大きく変化してシンプルかつ大胆な論文になったと感じている.素粒子原子核の院生なら誰でも理解できる内容やし.昨年度始めに、研究室がスタートしたとき、メンバーを集めて語ったこと、「みんな分野違うけど、議論しようや!」がほんまに大きな形になった.それが心から嬉しい.メンバーのうち、衛藤君は山形へ、石井君はケンブリッジへ発って行った.メンバー全員で集まるその最後の瞬間が、論文完成の瞬間やった.なんということやろ.偶然やないわ.これは、メンバー全員の力やと思う.こんな研究室にしたいと思っていた、それが理研で実現した.

どちらの論文もとても楽しい論文で、物理やってって良かった、と思う.共同研究者と巡り会わなかったら、絶対に出てけえへんかった.最後は皆、地震や引越でほんま大変やったと思うが(僕も含めて)、しかしそれで研究アクティビティが落ちたと思われるのは僕はシャクやわ.やってやろうやないか.日本から元気な論文を今こそ出す時や.

4月から研究室新メンバーがやって来て、また違ったにぎやかさになった.昼食後の雑談からの議論も楽しい.それぞれの自己紹介を聞いていると、みな全然違う畑からやって来ているのに、何となく興味の対象にオーバーラップがあり、それぞれの輪っかをつなげると大きな輪っかになりそうに思えた.素晴らしい人たち.研究室ホームページ http://ribf.riken.jp/MP/も一新した.

地震の直前に家庭環境が激変したため(引越、妻の出産+転職、育児分担、これらのエフォートは足し算ではなく、かけ算だった)、そこに発生した地震で、この一ヶ月はほんまにつらかった.しかし、ここから200キロしか離れていないところに生きている日本人の方々の日々の生活を考えると、自分の生活のつらさは吹けば飛ぶような微塵である.震災において、自分に今何が出来るか.それを毎日考えながら、出来ることを全部やっている.

2011-03-15

地震.

素粒子論グループ会員の安否情報を記入参照できるホームページを立ち上げました.関係者の方々、詳しくはsg-l 6306を参照してください.この作業に携わっている全ての方に感謝します.

2011-03-05

展望会.

10分間という短い持ち時間で、今年一年の自分の研究を振り返り、来年一年の展望を語る、というのは簡単ではない.しかし、10分間に凝縮しないと見えないことがたくさんある.本郷の初田研で毎年開催しているらしいそのような会を参考にして、展望会と名前を付けた会を昨日開催した.

それにしても、色んなまとめ方があるものだ.10分にまとめるというだけの条件だったので(しかし質問は何でも許すことにして、議論を含めた時間は30分)、発表の形態の多様さは僕の想像を超えていた.持ち時間のほとんどを使ってミニセミナー形式で研究成果を語ってくれる人もいれば、これからの自身の研究姿勢についての課題を具体的に見つめ直す人、自分の研究時間の構成割合を円グラフで示して来年にむけて身を引き締める人、多彩なoutlookのそれぞれの難しさを評価する人.矢崎先生にもご参加いただき、黒板での研究成果の発表はまるで講義を聴くかのようだった.

前日に自分のスライドを用意していて、はたと考え込んでしまった.僕はどうなんだろう.今年度何をしたか.来年度何をするか.今年度やった一番嬉しいことを皆に伝えるチャンスや.ほんで、来年度これを絶対やるということを宣言するチャンスや.はたしてそこで言える一言はなにか?

10分に制限したのは、言う言葉の数を減らすため.一年の成果を話すには10時間あっても足りないのは当たり前.なので、それを10分でするというのと、1分でするというのは、実は同じ.そやから、10分与えられていても、一言で終わらせないと行けない.一言でまとめないといけない.

そう思って出てきた一言は、「僕の原子核が出来た」やった.展望会ではしょっぱなに、皆に、超弦理論のホログラフィーでQCDから計算した原子核の、立体画像を見せた.皆のコメントの出ること出ること.嬉しかった.僕はこの、まあるい原子核を出すために、この4年やってきたんやわ.その厳然たる事実を、展望会の準備をするまで忘れていた.毎日の計算や思索は細かいステップに溺れ、一年という単位で物事を考える機会を失っていた.展望会は、まさに展望会になり、僕自身に素晴らしい機会を与えてくれた.研究室の皆のため、と思って開催してみたが、うん、研究室メンバーの一人としての自分にも大きく役立ったことは間違いない.

展望会の後は、というか途中から、お酒が入り、研究室を出て行く人の壮行会となった.この一年、新研究室の激動の中をくぐり抜け、研究室を生み出すことに協力してくれたメンバー達に礼を言った.彼らなしでは、この場所は単にがらんとした空虚な空間だったことだろう.それが、今では、広大な黒板は常に議論で埋め尽くされれ、ライブリーな雰囲気であふれ、時には研究会などで人がたくさん集う場所になった.理論物理をやる場所として、少なくとも僕の理想の場所になった.空虚な場所をこのような理想の楽園にしてくれたのは、研究室メンバーと、川合研を含む周囲の方々のおかげである.そのうちの少なくない数の人たちが3月で去って行ってしまうことは、本当に寂しい.しかし、彼らの旅立ちに際して、展望会という形でも、少しだけはなむけが出来たような気がした.けれどもこれはまさに直接そのまま、来年度の自分自身へのはなむけになってしまった.

2011-02-15

RCNP。

古い雰囲気の講義室。緊張した雰囲気で覗くと、がらんとした静かな講義室が目に入った。一目見て、そこで講演をした前回の雰囲気がありありと思い出された。前回は研究会の中の招待講演として呼ばれ、楽しく話したものの、やはり超弦理論に興味の無いハドロン物理学者も多いと見えて、僕の講演の前に退出する外国人もちらほら見えた。一方、わざわざ僕の講演を聴きにそのとき入室してくる人もいた。その情景が、ふっと思い出される。さて、今日はどんな雰囲気になるんだろう。

そう思いながらそーっと覗いていたのは、RCNP、阪大の核物理研究センターの講義室である。原子核の城と呼ぶにふさわしい場所のような気がしている。前の日記にもそう書いたのを覚えている。RCNPに足を踏み入れ、静かな玄関ホールに響く自分の足音を聞き、ホール奥のエレベーターのボタンを押すとき、何とも、城に入った気分がする。

講義室をこっそり覗いていた数分後、僕はすぐに熱い議論のさなかにいた。幸運にもRCNPの方々に今回呼んでいただいて、ぎっちり議論しましょうとの嬉しいお誘いだったのだが、まさにそれが瞬く間に実現していた。土岐さんと保坂さんってすごいね。むちゃ嬉しい。議論をし、瞬く間に二時間のセミナーが終わり(お付き合いくださった皆さん有難うございました)、その後も息もつかずに楽しい議論をたっぷり。大変楽しかった。

超弦理論を原子核に応用するということをやっている僕には、原子核を肌で毎日感じている研究者、そして今までの原子核物理の歴史を肌で知っている研究者、の意見は非常に貴重である。原子核と素粒子は、お隣の分野であるのに、交流が少ない。少なくとも、僕が院生のときには、ゼロだった。exactにゼロだった。その中で育った僕は、原子核のセンスを今学ぶしかない。幸い、素晴らしい原子核物理学者の方々と知り合う機会があり、こうして存分に議論させてもらっている。

セミナーで自分の話をすることはもちろん重要で、それについてのコメントも大変貴重なのだが、今回のRCNP訪問では、一つの質問を、呼んでくださった方に投げかけるというミッションを自分で抱いていた。その質問は、今後の自分の研究の方向性を決めるために重要なポイントであり、また、その答えは、自身の研究の遂行の将来的な実現性を占うためにも重要な答えとなるのは明らかだった。そしてその質問を聞ける人というのは、少なくとも僕にはとても限られていた。今回はその大変貴重な機会だった。

果たして、その質問には、大変具体的な返答をいただいた。その返答の一部は僕にも想像できたものだったが、明確に述べていただいたおかげで、具体性を帯び、そして明確な目標となった。そして、返答の一部は、僕の想像していた者とは全く違っていた。原子核をずっとやっている方には当たり前のことが、僕には全く当たり前ではない。それはメリットでもあるしデメリットでもある。しかしそれがメリットである面とデメリットである面をきちんと把握しておかないと、研究の意義が簡単に転げてしまう。今回たっぷり議論していただいて、厳しいコメントもいただき、自分の研究成果を客観的に振り返ることが出来たのは、大変大きな収穫だった。

帰りの飛行機は一瞬で眠りこけてしまい、また家に帰ってからは夜の育児の当番。

もうあと4日で引越も迫っている。人生、楽しい。