メモ
傷だらけの偉大な負け組に捧ぐ:「役割演技式競技」における「ヒーロー」とは何者であろうか?: Analog Game Studiesで提示されてたことについて。
もしかしたらまとめるかも、的なメモ。
- 「ヒストリカルなシミュレーション・ゲーム等で、状況として与えられる“ジレンマ”」と「RPGにおいてGMから提示される“ジレンマ”」とは意味が変わってこないか(あ、ここでのジレンマって上記で言及されてるコヴェントリー・ジレンマ)。
吼えろペンだか、なにかに「自分の中で決着がついてないことがらをフィクションの中で中途半端に書いてそれで終わらせるな」とかいう記述があった(ような気がする、うろおぼえ)。(12/8、23時追記)『燃えよペン』起承転結激情編の中の炎尾燃で、「自分がどうしていいかわからんものを作品の中でいーかげんな結末をつけるなーっ」でした。mimizuku004さん、田中天さん、ありがとうございます。- RPGでGMからドヤ顔で「このジレンマどうしますか」と問いかけられ、呻吟したあげく「いや、僕もどうしたらいいかわからないんですけどね」と言われたら、それはGMに文句の1つも言って良いだろう。
- GMというのはオンセでもない限り手の届くところにいて、セッション中は投げつけるのに適したもの(ダイス、ペットボトル、ルールブック)がたくさんある。これによって相互の信頼が保たれているのである。
- ハードカバーのルールブックは痛い。D&DゲーマーがDMとPLとの相互理解につとめるのは相互確証破壊のあとに残るのが打ち身と部屋の片付けと壊れたミニチュアの修理と分かっているからです。
- ! ソフトカバーでサイズの小さなEssentialライン製品が流通するとこれまでの冷戦構造が壊れ、内戦的状況に! ハードからソフトへの変化がもたらす世界内戦!!
- 断るまでもありませんが冗談です。世界内戦って言葉、カッコ良いから一度使ってみたかっただけであまり意味知りません。
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- ハードカバーのルールブックは痛い。D&DゲーマーがDMとPLとの相互理解につとめるのは相互確証破壊のあとに残るのが打ち身と部屋の片付けと壊れたミニチュアの修理と分かっているからです。
- GMというのはオンセでもない限り手の届くところにいて、セッション中は投げつけるのに適したもの(ダイス、ペットボトル、ルールブック)がたくさんある。これによって相互の信頼が保たれているのである。
- 一方、シミュレーションとしてその場に置かれた人間が要求された決断を追体験し、その決断の周辺への理解を深めると言うのはかなり有効だと思う。
- RPGでGMからドヤ顔で「このジレンマどうしますか」と問いかけられ、呻吟したあげく「いや、僕もどうしたらいいかわからないんですけどね」と言われたら、それはGMに文句の1つも言って良いだろう。
- 苦悩に面した時、そこに超越者の恣意を感じたら、不快に思い最後まで抗うだろう。魂に石川賢と永井豪を受け継ぐものなら。
- 「おまえに、おれたちのきもちがわかってたまるか〜〜!」(『真夜中の戦士』)
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- つまるところ、ゲームの形態およびそれを共有し楽しむメンバーによって受け入れられる英雄像って自ずと違うんじゃねえの?
- 全員の認識が「このジレンマ、有り」「さあ、苦悩しよう」というところにあるのなら、なにも問題ない。それはそれでアリ、だし面白い結果も得られるのではないか。
- で、RPGって「君ならどうする」と世界から与えられた問題について“自己とは違う能力をもつキャラクター”によって「世界を改変する、できる」というフィクションを楽しむ、と言う側面があるんじゃないかと思うんだ。
- 初期のRPGの説明の時に「漫画や映画、小説で“僕ならこうするのに”と思ったことはありませんか? RPGならそれができるンです」という語られ方が多くしてたのはその反映じゃないかしら
- そうすると、RPGのゲーマーとしては「道は二つだけだと?」「誰が決めた」「他に道はあるはずだ」「お前の思うとおりになんか絶対なってやんない」。という、わがままを通すのが痛快、となるのではないだろうか。そこにドラマを見いだすというのがこれまでのあり方だったんじゃないだろうか。
- セッションを進めているウチに、GMとPLの両方でまったく意図しないままにジレンマに陥って、苦悩するというのはたまにある。そしてそこから素晴らしいドラマが展開することもあった。だから、“コヴェントリー・ジレンマ”そのものを忌避するわけではない。
- そうすると、RPGのゲーマーとしては「道は二つだけだと?」「誰が決めた」「他に道はあるはずだ」「お前の思うとおりになんか絶対なってやんない」。という、わがままを通すのが痛快、となるのではないだろうか。そこにドラマを見いだすというのがこれまでのあり方だったんじゃないだろうか。
- 初期のRPGの説明の時に「漫画や映画、小説で“僕ならこうするのに”と思ったことはありませんか? RPGならそれができるンです」という語られ方が多くしてたのはその反映じゃないかしら
- というか、この手のジレンマをドヤ顔でPL達に提示し、後味悪いセッションになった経験をしてないGMなんていないんじゃないだろうか(笑)GMとしてのはしかというか中二病というか。
- そうしてみると上条さんの説教というのは正しくPLの心の叫び。
- 割と本気で、「現実世界だと神様に文句付けて殴りかかれないけど、RPGならそれができる」つまり、問題設定者が手に届くところにいて、同じ時間を共有することによる制限ってあるよね。
- gdgdなやりとりも重苦しい沈黙も共に過ごすこと、が前提になってるからこそ、RPGの物語はカタルシスを求められるんじゃ無かろうか。
- あ、この表記楽ですね。
- gdgdなやりとりも重苦しい沈黙も共に過ごすこと、が前提になってるからこそ、RPGの物語はカタルシスを求められるんじゃ無かろうか。