2011-02-08 新ブログ開始のお知らせ

2010-06-10 さようなら!
2010-05-31 iPadに電話を付けちゃえば全て丸く収まる。
■[演劇]劇団、本谷有希子「甘え」
う〜ん、う〜ん、う〜んって感じ。前作に続いて”ポツドール化”が止まらないどころか、さらに進行してる。実際、元ポツドールの安藤玉恵(演技が最高だった!)を呼んじゃってるし、マジで今後はコレで行くの?と思うと涙が止まらない…。
いや、ポツドールは大好きだけど、それを本谷タンがやってどうする!?
とにかく残念だったのは次の点に尽きる。
「テーマの掘り下げが甘く、ポップではなくてなってきてる」。
今回は事前に”夜這い”がテーマになってるとアナウンスされてたけど、劇中の扱いはあくまでも記号的に過ぎない。それ以上に、”共感”や”依存”の恐ろしさが実質的なテーマとして物語の表面をどす黒く覆っているが、それを十分に掘り下げず、しかもそのまま客に観せてしまっている。あのラスト(アレはねーよ)も本谷タンらしくない!
なぜ「遭難、」が凄まじい演劇になったか?と言われたら、人間の本質をエグるような際どいテーマを扱いながら、そこに大量に笑いを投下してポップなシリアスコメディーへと変換できていたからだ。このポップへの変換を放棄するなら、ポツドールの三浦大輔と真っ向勝負になる。そこで勝負して誰が勝てるんだと。「激情」を観た時にあまりのエゲツなさにマジで吐きそうになった僕は激しく言いたい。
たぶん、意識的に今回は”アンチポップ”を目指したんだと思う。それは実験的で具体性を持たせないセットの作りだったり、何よりも笑いの量が明らかに減ってる点からも明らか。常に笑いの中心だった吉本菜穂子を切ってしまったのも徹底っぷりを感じる(※2人の関係は良好なようなのでご安心を)。
確かに最近の公演は「いつも同じ」とか「大人計画の焼き直し」みたいな批判もあった。だから、本谷タンは「変化」の必要性を強く感じていたのかもしれない。でも、その変化がこれまでの作風と対峙しかねないのは健全ではないような気がする。つーか、それで一体何と戦ってるの?と思っちゃう。
先日のペンギン〜の公演が集大成のような非常に良い内容だっただけに、本谷タンもこれまでの作風をもっと信じて欲しい。次回は、人間のグロテスクな本質をポップにコーディングしたような彼女らしい演劇を観せてくれ!と思わずにはいられない。
■[音楽]反省してない?
以前に書いたミドリカワ書房「みんなのうた2」のレヴューに下記のコメントを頂きました。
ちょっと内容的に大事なことを含んでたので、ここでレスさせてもらいます。
うーん
でも「あの日の事は何にも〜」と「あの日に僕がやった事は〜」って節は悪意を感じる。
頭が固いと言われるかもしれませんがやっぱり反省してない、言い訳にしか聞こえない。
ひねくれた考えですが、はじめから悪意をムキだしな歌詞ならただの反社会的みたいに受け止められて受け入れられるのですが、なんかこう感動をエサにしたというか ちょっと斜に構えて感動しそうな歌詞にすりゃいいだろみたいな雰囲気を勝手にとらえてしまうというか。
この歌詞のせいで
>>「死刑になるほどの重罪を犯した人間であっても、人への感謝や優しさを見せることはありえるんだ」
とは思えません。やはり自分本位な人間の話だなぁという感想になります。
いきなり長々と変なコメントを残してすいません。
もう一度、僕のテキストを読み直して欲しいんですが、この歌詞で主人公は、反省して自ら進んで死を受け入れては絶対にいけないんです。言い訳にしか聞こえなくて良いんです。
死刑になるほどの罪(通常は殺人ですよね)を犯した人間が「法律に消される」と身勝手に自分の死に脅え、一方で「この僕を生んでくれて本当にありがとう」と母に感謝する(※文脈から刑が確定してると解釈するのが自然なので、母への感謝を語る部分は情状酌量とは無関係に素直な気持ちだと読むべきです)。
つまり、社会が死刑を存置する”物語”として求める「死刑になるヤツは殺されても仕方のない絶対悪」と思いたい心理を”解体”するのがミドシンの狙いだったはずです。だから、あなたがこの歌詞を読んでも尚「コイツは許せない!」と思ったのなら、解体の失敗かもしれません。しかし、意地悪な言い方をして申し訳ないですが、あなたやこの曲のリリースを見送ったソニーの人達のある意味で類型的な反応が皮肉にも死刑制度への批評として逆に機能したと思いますし、その意味ではミドシンの思い通りのような気もします。
だから、『自分本位な人間の話だなぁという感想になります』とありますが、「それが人間だよ」ってミドシンは言いたかったんだと思います(業の肯定ってヤツです)。
是非この曲だけでなく、ミドシンの他の曲も聴いてみて下さい。悪意ムキ出しの反社会性(=サブカル的)にも、共感を呼ぶことだけが目的化した感動(=歌謡曲的)のどちらに振り切れない、現在のポップミュージックシーンで稀有でタフな表現者として僕はミドシンを信頼してます。
という訳で、返信になってるのか?不安になってきましたが、コメントありがとうございました。

