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チョコミントモカ2.0(跡地) このページをアンテナに追加 RSSフィード

2010-06-10 さようなら!

[]重要なお知らせ。

突然ですが、チョコミントモカ2.0は終了しました!長きに渡りご愛読頂きありがとうございました!

※2012年よりチョコミントモカ3.0に移行しました。

2010-05-31 iPadに電話を付けちゃえば全て丸く収まる。

甘え

[]劇団、本谷有希子「甘え」

う〜ん、う〜ん、う〜んって感じ。前作に続いて”ポツドール化”が止まらないどころか、さらに進行してる。実際、元ポツドールの安藤玉恵(演技が最高だった!)を呼んじゃってるし、マジで今後はコレで行くの?と思うと涙が止まらない…。
いや、ポツドールは大好きだけど、それを本谷タンがやってどうする!?


とにかく残念だったのは次の点に尽きる。
「テーマの掘り下げが甘く、ポップではなくてなってきてる」
今回は事前に”夜這い”がテーマになってるとアナウンスされてたけど、劇中の扱いはあくまでも記号的に過ぎない。それ以上に、”共感”や”依存”の恐ろしさが実質的なテーマとして物語の表面をどす黒く覆っているが、それを十分に掘り下げず、しかもそのまま客に観せてしまっている。あのラスト(アレはねーよ)も本谷タンらしくない!
なぜ「遭難、」が凄まじい演劇になったか?と言われたら、人間の本質をエグるような際どいテーマを扱いながら、そこに大量に笑いを投下してポップなシリアスコメディーへと変換できていたからだ。このポップへの変換を放棄するなら、ポツドール三浦大輔と真っ向勝負になる。そこで勝負して誰が勝てるんだと。「激情」を観た時にあまりのエゲツなさにマジで吐きそうになった僕は激しく言いたい。


たぶん、意識的に今回は”アンチポップ”を目指したんだと思う。それは実験的で具体性を持たせないセットの作りだったり、何よりも笑いの量が明らかに減ってる点からも明らか。常に笑いの中心だった吉本菜穂子を切ってしまったのも徹底っぷりを感じる(※2人の関係は良好なようなのでご安心を)。
確かに最近の公演は「いつも同じ」とか「大人計画の焼き直し」みたいな批判もあった。だから、本谷タンは「変化」の必要性を強く感じていたのかもしれない。でも、その変化がこれまでの作風と対峙しかねないのは健全ではないような気がする。つーか、それで一体何と戦ってるの?と思っちゃう。


先日のペンギン〜の公演が集大成のような非常に良い内容だっただけに、本谷タンもこれまでの作風をもっと信じて欲しい。次回は、人間のグロテスクな本質をポップにコーディングしたような彼女らしい演劇を観せてくれ!と思わずにはいられない。

[]反省してない?

以前に書いたミドリカワ書房みんなのうた2」のレヴューに下記のコメントを頂きました。
ちょっと内容的に大事なことを含んでたので、ここでレスさせてもらいます。

うーん

でも「あの日の事は何にも〜」と「あの日に僕がやった事は〜」って節は悪意を感じる。

頭が固いと言われるかもしれませんがやっぱり反省してない、言い訳にしか聞こえない。

ひねくれた考えですが、はじめから悪意をムキだしな歌詞ならただの反社会的みたいに受け止められて受け入れられるのですが、なんかこう感動をエサにしたというか ちょっと斜に構えて感動しそうな歌詞にすりゃいいだろみたいな雰囲気を勝手にとらえてしまうというか。

この歌詞のせいで

>>「死刑になるほどの重罪を犯した人間であっても、人への感謝や優しさを見せることはありえるんだ」

とは思えません。やはり自分本位な人間の話だなぁという感想になります。

いきなり長々と変なコメントを残してすいません。


もう一度、僕のテキストを読み直して欲しいんですが、この歌詞で主人公は、反省して自ら進んで死を受け入れては絶対にいけないんです。言い訳にしか聞こえなくて良いんです。
死刑になるほどの罪(通常は殺人ですよね)を犯した人間が「法律に消される」と身勝手に自分の死に脅え、一方で「この僕を生んでくれて本当にありがとう」と母に感謝する(※文脈から刑が確定してると解釈するのが自然なので、母への感謝を語る部分は情状酌量とは無関係に素直な気持ちだと読むべきです)。
つまり、社会が死刑を存置する”物語”として求める「死刑になるヤツは殺されても仕方のない絶対悪」と思いたい心理を”解体”するのがミドシンの狙いだったはずです。だから、あなたがこの歌詞を読んでも尚「コイツは許せない!」と思ったのなら、解体の失敗かもしれません。しかし、意地悪な言い方をして申し訳ないですが、あなたやこの曲のリリースを見送ったソニーの人達のある意味で類型的な反応が皮肉にも死刑制度への批評として逆に機能したと思いますし、その意味ではミドシンの思い通りのような気もします。

だから、『自分本位な人間の話だなぁという感想になります』とありますが、「それが人間だよ」ってミドシンは言いたかったんだと思います(業の肯定ってヤツです)。
是非この曲だけでなく、ミドシンの他の曲も聴いてみて下さい。悪意ムキ出しの反社会性(=サブカル的)にも、共感を呼ぶことだけが目的化した感動(=歌謡曲的)のどちらに振り切れない、現在のポップミュージックシーンで稀有でタフな表現者として僕はミドシンを信頼してます。

という訳で、返信になってるのか?不安になってきましたが、コメントありがとうございました。

D

2010-05-20 最近、この1行コメントに何を書けば良いのか困ってる。

Berryz工房

[][][]Berryz工房川口リリア

アイドルのライヴは劇場で1度だけ観たAKB48を除けば、初体験ってことで緊張しながら会場へ向かう。
むむむ、平均年齢35歳以上と思われる客層に軽いショックを受けながら、自分も31歳なんだから同じ中年だろ!と猛省してその場でツイッターへ投稿。


周りを見渡すと女性ファンもチラホラ。しかも、カワイイ子が多い。見るからに”ヲタグループ”って感じの集団に1人だけカワイイ女の子がいるのを見たんだけど、あれはどのような経緯で結成されたんだろう?聖なる奇跡(セイント・ミラクル)である。でも、野郎どもが女の子の醜い奪い合いになってグループが崩壊する可能性は否定できない。そう、サークルクラッシャー!とか、いろいろ想像してたらライヴに集中できるか心配になった(バカ)。


開演まで席で待ってると、僕の目の前の席は東南アジア系の人だった。他にも外国人のファンを何人か見かけた。
邦楽のロックやパンクのライヴだと基本的に外国人の客はいない。例えばビークルアスパラガスなんかは英語で歌ってるけど、それでも会場にいるのは日本人だけだ。
日本語で日本人に向けて激ドメスティックな音楽をやってるBerryz工房が外国人をも惹きつけて、英語で海外のバンドと共振しながら音楽をやってるバンドには日本人のファンしかいない。ライヴが始まる前の時点で、僕の価値観がグラグラしつつあった。


ライヴはなぜか寸劇でスタート…。ちょっと小演劇が好きな僕としてはキツいものがあったけど、カワイイから許す。それがアイドルの正義。
いやー、やっぱりライヴで聴くと迫力が凄い。7人の女の子が歌って踊るだけで、この説得力。最初は全部口パクなのでは?と覚悟して行ったんだけど、どうやらちゃんと歌ってる模様。バックバンドなんて存在せず、要はカラオケなんだけど、そんなことが全く気にならない彼女たちのパワーに圧倒されちまった。


そして、客が作る空気が凄く良い。僕は2階席だったんだけど、1階の連中の暴れっぷりはパンク系のライヴにも全然負けてない(さすがにモッシュ&ダイヴはないけど)。
僕は勝手な偏見でオタ芸みたいなことをやるのかと思ったら、全然違った。ちゃんと主役はステージ上にいるってことをみんな分かってるし、曲中で『L・O・V・E みやび〜』みたいなコールも飛びまくるんだけど、楽曲を壊さずにむしろコーラスを足してる感じで、ポップ度が上がるのが凄い。乱暴に言っちゃえば、Berryz工房の楽曲をライヴで聴くっていう行為は、ニコニコ動画を観るのと同じ感覚だと思った。


ちなみに僕の前にいた前述の外国人ファンは凄かった。振り付けを完璧に覚えてて、踊りながら「りさこ〜!」と何度も絶叫して、汗だくで両手に巻きつけたサイリウムを振り回してた。しかも、興奮しすぎて途中でジャンプの着地に失敗。階段式の通路へ頭からダイヴし、あわや蒲田行進曲という危険すぎるシーンには焦った。結局、大事には至らずに頭部をかばった左手を強打しただけで済んだみたいだけど、痛めた左手をブラブラさせながら、右手一本で最後までサイリウムを振り回す姿にちょっと感動してしまった(マジで)。


セットリストはかなり自由度が高くて、最近ファンになった僕は知らない初期の楽曲も。逆に最新作の「雄叫びアルバム」に入ってて、シングルにもなってる”抱きしめて 抱きしめて”をなぜやらんのだ!と思ったり。
でも、”行け 行け モンキーダンス”→”青春バスガイド”→”流星ボーイ”→”雄叫びボーイ WAO!”の4連打で昇天した(バカ)。


本編終了後、アンコールが始まるまでの熱気が凄かった。ロックのライヴだと(特にライヴハウスでは)「アンコール=お約束」っていう感覚がどうしてもあるけど、アイドルのライヴは全然違う。みんなガチで拍手&コールしてて、メンバーが登場した時もちゃんと思いっきり盛り上がる。シニカルな空気など一切ない。この時にちょっとグッときて、ウルウルしちゃったのは本当の話。


寸劇あり、MCあり、衣装替えも当然あり。アンコール終了後はメンバーが1人1人本日の感想をコメントして、夏焼雅ちゃんは最後に投げキッスをして退場(笑)。客を喜ばせる為には精一杯やる。そして、お返しとばかりに場を全力で盛り上げるファン。このあまりにも健康的で多幸感溢れる空気がロックで育った僕には新鮮だった。アイドルが好きな人はそんなことは当たり前だろ!と言うんだろうけど、ロックではどうだろうか?
ヒット曲・代表曲をあえてやらない。今回は最新アルバムのツアーだから、過去の曲はやらない。大事なのは音楽だからとMCは一切せず、自分のコトバで客とコミュニケーションを取ろうとしない。どう考えても多くのファンがチケットを取れないのを分かってるのに小さな会場でしかライヴをやらないetc…。そして、客も客でアンコールで拍手をしなかったり、曲によって残酷なくらい盛り上がりの温度差を出してしまう。そんなことがロックでは当たり前のようにある。


アーティストが客に媚を売ったり、まして客の言いなりになる必要なんてない。でも、最近、”日本のロック”とやらが一体何と戦ってるのか?が僕には全く分からない。「商業音楽とは違うよ」っていうポーズを取ることがロックなの?あと、初期衝動なんかどーでも良いから、演劇とか落語とかアイドルみたいに練習しまくってフィジカルな鍛錬としての”芸”を客に見せるっていう芸事の王道を僕は今は観たい気分。あ、上手い下手の話じゃないよ。それだとメタル万歳!になっちゃうし。


そんな訳で、今僕のiPhoneに入ってる曲はアイドルヒップホップが8割を占めてるようになっちゃった。あはは。
ちなみに、このテキストはアイドル賛歌じゃなくて、日本のロックへのラブレターだと思って書きました。ベイベー。


D

夏焼雅はこの髪型の方が絶対イイ!今は松戸キャバ嬢みたいで…(※管理人の勝手なイメージです。実際に松戸キャバクラに行ったことはありません。松戸市民の皆さんにお詫び申し上げます)。
あと、嗣永プロは確かに凄かった。あの子がマイクを持つと一瞬で空気が変わる感じ。分り易く言えば、柏レイソルフランサがボールを持つと”時空がゆがむ”と表現される感じに似てる←もっと分かりにくいよ!


長くなっちゃったので、アルバムについては別の機会に。