薄汚い格好で

 久しぶりにブックオフに行って本でも自分の本でも買おうかと思ったら、薄汚い格好をしてケータイを打ちながら必死になっているせどらーが二人もいた。ひとりは若い男、ひとりは若くない主婦。ふたりとも生活が苦しそうな薄汚い格好をしていて、人の迷惑も考えずに一角を占領してひたすらケータイと睨めっこしては本を物色している。

 長時間、同じ場所で、1冊1冊やっているので、邪魔な上に見苦しい。他のお客さんがいても完全無視である。特に主婦の方は平積みされている本を漁っているので座り込んで、他の客が通れないのに平然としている。店員も見かねているのか、そばで在庫整理なんかをしているのだが、一向に気にするふうでもなく厚顔無恥だ。

 本人はどう思っているのか知らないが、ケータイばかりサルのようにいじっていないで、ちょっとはマナーを覚えればいいのだが……。

ますます加速するせどりの価格破壊

 アマゾンではますます価格破壊が加速しているようだ。つまり、ますますバカが増えているということであり、そろそろ、今のようなせどりビジネスは、終わりの始まりが起きているとみなすべきなのだろう。誰もが無意味に始めて、誰もが価格競争をして、誰もが忙しいばっかりで儲からない。過当競争の嵐の中で生き残る人間はほとんどいない。生き残ったところで、それほど儲かるわけでもない。ほとほと馬鹿げているとしか言いようがない。

なんでも1円にする超バカ

 じりじり価値を1円に近づけて喜んでいるせどらーもバカ丸出しだと思っているが、もっとひどいのはいきなり1円価格をつけてくるウルトラ・バカもいる。それを書くのを忘れてた。

 モノの価値がわからないようじゃ、その人の人生は終わりである。なにせ、「いきなり1円」である。そのバカひとりがビルから飛び降りるのは勝手だが、それにつられたバカせどらーが脊髄で反応する。そして、レミングス状態になってモノの価値は失われ、消えていく。

 自分で書いた本じゃないから愛着もなければ、読んだ本でもないので理解もないのだろう。何度でも言うが、せどらーは揃いも揃ってモノの価値が分からない連中ばかりである。見事なまでにそうだ。

 そういう商売しかできないコモディティ・ビジネスには、今さら近づきたくないという気持ちでいっぱいだ。まあ、なぜかこのブログはやけにアクセス数が多いのようなので、調子に乗ってタラタラと「せどらー」に対する文句を書き連ねているが、本当は「せどらー」という言葉を見るのも聞くのもイヤだ。これだけ書いても、目を覚ますせどらーなんかひとりもいないと思われるが……。

いい本を無価値にする浅はかさ

 アマゾンを使ったせどりビジネスが浅はかで馬鹿馬鹿しいと思ったのは、いい本を無価値にする人間が多いことだ。ここで言っている「いい本」というのは内容のことである。内容がいい本であっても、それは価値につながらないところが、この商売の大いなる矛盾になっていると思う。

 なぜそうなるのかという理由はいろいろあるけれども、誰も指摘しないのは、せどらーに「本の価値が理解できていない」というものだ。これは大いに指摘したい。せどらーは本の真の価値を理解できないほど浅はかなのである。

 つまるところ、せどらーは「目利き」ではない。だからダイヤモンドすら価値がわからずに1円で売る暴挙に出る。せどらーが陰で嫌われているのも、こういう無神経さがあるからだろう。

せどらーと言えばレミングスを思い出す

 レミングというのは、集団行動でいっせいに崖から飛び降りて自殺するので有名な動物だが、彼らは何かに突き動かされているかのように死に向かっていく。せどらーもまた、レミングスにそっくりだ。

 なぜ誰も指摘しないのだろう?

 1円の無価値という死に向かって、誰もが文句を言わずに淡々と死の行進(更新?)をしていくのである。はたから見ていると、淡々と本を無価値にしていく彼らの姿が気持ち悪くて仕方がないのだが、彼ら自身はまったく何も思っていない。

 いや、自分の姿を思い浮かべる想像力が欠けているというのか、客観的に判断ができていないというのか、とにかくその無意味さにおいて、集団自殺するレミングスそっくりである。

 その上、情報商材を売る低俗な詐欺師どもにも食い物にされ、ブログで自分のライバルに優しく語りかけたり、何かを教えたり、あらゆる「自殺行為」を嬉々としてやっているのだから、もうあまりの低レベルぶりに開いた口がふさがらない。

 もう少し、目を開けて自分を見つめてみればどうだろうか?

 まずは、自分がレミングスのようになっていることを客観的に知るのが、せどり=儲かる、という洗脳から覚める第一歩だろう。よく考えてみたほうがいい。誰もがカンタンにできるようなことで儲かると思うのが間違いのはじまりだ。

敵を敵と認識できない愚かさ

 実際に商売をしたことがある人ならわかると思うが、商売のライバルというのは、「商売仇」と言ってまぎれもなく「敵」である。仇(かたき)というのは、辞書で調べればわかるが、「うらみのある相手」のことであり、商売仇というのは、まさに叩き潰さなければならない存在である。

 ライバルを叩き潰さなければ自分がいつか潰されると思って間違いない。要は、ライバルというのは目ざわりな存在であり、自分の生活を脅かす最悪の存在であり、何とかして蹴り落としたい存在なのだ。

 商売というのはそれくらいシビアなものであり、生半可なことをしていては生活できないのである。

 ところが、である。

 ところが、なぜか「せどらー」と呼ばれる人種は、ゆとり教育か何かで頭がバカになった中途半端な連中が多いせいか、まったく商売的な厳しさを持ち合わせておらず、ライバルにホイホイとコツだのやり方などを教える「お人よし」ばかりである。

 せどらー同士で飲み会やらオフ会やら、みんなまとめてバカではないのかと結論づけざるを得ない。たぶん、競争で勝ち残るだとか、ライバルを蹴落とすだとか、そういう非情さから無縁のところで自滅していくのだろう。

 商売したいのであれば、ライバルを叩き潰す非情さが必要だ。しのぎを削って相手を叩き潰すのである。生き残りたいのならば、それくらいしなければならないのだが、いったいこの人たちは何を考えているのだろう。

 戦場で「相手を撃ったらかわいそう」と言うばかりか、銃の撃ち方まで教えてニコニコしている兵隊がいたら、誰でも「こいつはバカだ」と思うはずだ。いや、「こいつはただのバカではなく、超がつく大バカだ」と思い直すかもしれない。

 商売というのは日常生活の戦場である。だからこそ、敵を敵と認識できないせどらーはバカと言われても仕方がない存在である。自分がお人よしだと思ったら、そこから改めて、知り合いのせどらーは全員蹴落とすくらいの勢いがある人間だけが成功する。

 もっとも、そんな骨のあるせどらーがいるとは思えないが。なぜなら、そんな人はとっくに別の商売をしているはずだから……。

小銭レベルの話

 せどりで儲からないと書くと、「いや、儲かってるよ」と必ず言ってくる人もいる。それは、「宝くじは当たらない」と書くと、「いや、当たったよ」という人がいるのと同じだ。たまに運のいい人はいる。しかし、ほとんどがそういう部類ではないということを、宝くじに当たった「運のいい人」の人は忘れている。

 せどりが「儲かってるよ」という人は、本当に儲かっているのかどうか疑問だ。労働単価や労働時間を考えてみると、近くのコンビニでバイトしたほうがよっぽど儲かっていたという話になるかもしれない。

 大量仕入れ薄利多売で生きていく覚悟をした一部のプロをのぞくと、せいぜい普通のせどらーは、「小銭が儲かった」くらいのレベルだろう。

 せどりで1000円儲かっても、「せどりで儲かった!」とブログに触れ回って自慢することはできるが、それで今も将来も食っていけるのかどうかというと、「いや、ちょっと……」という話になるだろう。せどりとは、せいぜいそれくらいのレベルのみみっちい商売である。