世界を救うまであと4分 第五話「キノコ」

第一話 第二話 第三話 第四話
「イモね」
誰に言うでもなく、キノコは呟いた。
午後になってから、照り返しもより一層厳しさを増し、彼女は生え際あたりに預けていたサングラスをかける。そして、西棟に吸い込まれていくアリの様に小さくなった生徒たちを見下ろしながら、再びこう呟いた。
「どいつもこいつもホンっト、イモ」
今は何限目だっけ?とキノコは考える。が、メンド臭くなってすぐにやめる。今まで肘をついていた窓際のさんがジットリと濡れている。キノコの汗だ。
「…イモね…」
キノコは、かつては生徒で溢れかえっていた空き教室を離れる。リノリウムの床を軽くキュッキュといわせながら、たまにくるりと身体を回転させ、そしてピタっと動きを止める。ちょうどキノコの目線の上方にあった、非常口の電燈のような格好で動きを止め、そして息も止める。
そしてゆっくりと息を吐き出し、自慢の刈り上げに手をやる。後頭部を自分の手で触る時の、ザリザリとした触感。キノコは恍惚とした表情をサングラスの奥に宿らせた。
「ナウいわ…」
ふと我にかえり、空き教室を出た所の廊下にある姿見に視線を移す。キノコの全身を捉えた長方形の鏡。ベルトをきつめにして、巻き込むようにミニにしたスカートが、キノコの均整の取れた足の長さを強調している。ミニスカートの付け根には、素肌を剥いたホッソリとしたウェスト。パーカーの上にブレザーを羽織っているからか、上半身はダボついて見えるが、それでも覆い切れないふくよかな胸が、キノコのブレザーを圧迫している。何者にも抗い難い美が、姿見の全面を支配していた。
「イケテル☆」
そして、誰もいないはずの東棟に本当に誰もいないか前後左右をキョロキョロと確認し、スカートをたくし上げ、そしてまたガバッっと降ろしてみる。たくし上げ、おろす。またたくしあげ、またおろす。段々と楽しくなって、腰を前後左右に振るような動きも加わる。イメージは何かの映画で見たストリッパーだった。
ぶー、ぶー、ぶー、
突然、ブレザーのポケットに入れていた携帯電話がなり、キノコは我にかえった。そして、駅の階段を踏み外したときの様なバツの悪さと同じシコリを胸の奥の方で感じながら、点滅を続けるディスプレイを見た。
着信:V
「もしもしーぃ?なぁーにぃヴァネッサ」
携帯電話で話しながら、キノコは無意識に刈り上げを撫でていた。
「なんかゾリゾリ音がすんだけど。何?」
とヴァネッサ。
「うん?なんでもない」
キノコは恥ずかしそうに手を後頭部から離し、ヴァネッサの話に集中した。
(続く)



世界を救うまであと4分 第四話「羽熱砂」

第一話 第二話 第三話
毎朝、熱いシャワーを浴びた後、自ら冷水を頭から被り、「あーーー!」と必要以上に大きい声をあげるのが彼女の日課だった。それは、その朝も同じだった。
昇り始めた太陽がカーテンの隙間から覗き、彼女の赤みがかった栗色の長い髪を、より一層赤く照らした。時間が経って渇くほど赤みは増し、より一層彼女の一部と化した。
ヴァネッサは鏡台に手をつき、湿ったタオルを肩にかけたまま、12ラウンドを戦い抜いたボクサーのような虚ろな瞳で鏡に映った自分を見た。今日も美しい。ヴァネッサかわいいよヴァネッサ。これは実際にクラスメイトのヨウスケから言われた言葉だが、それを聞いて以来、彼女は毎朝鏡でこの言葉を一人呟いた。ヴァネッサ。漢字で書くと羽熱砂。ヴァネッサは名付け親である母親の絵理を心から憎んだ。羽熱砂かわいいよ羽熱砂。
父親のフローレンスはヴァネッサが2歳の時、すなわちほとんど記憶がない内に、家から出て行った。ヴァネッサの美貌は、間違いなく父フローレンスから受け継いだ物だった。パパはいまどこにいるの?幼いヴァネッサはよく母にそう訪ねた。さぁ知らない。アルザスで女の尻でもおっかけてるんじゃないの?返ってくる答えは大抵このヴァージョンで、あとはロレーヌだったりオーヴェルニュだったりコルシカだったりノルマンディーだったりと、地名が変わるだけであった。
鏡台の横の壁には、ポスターのように大きく引き伸ばした、ある女の顔の写真が貼ってあった。芽理沙だ。ヴァネッサが写真部の中川に、超望遠のレンズで撮らせたメリサの写真。貼ってあるのはメリサの顔写真だが、よく見ると写真には無数の縦に入った裂け目だらけだった。所々に横や斜めに入った裂け目もあった。そうした傷を持ってしても、メリサは全国の男共を魅了し続けるスーパーアイドルのメリサに違いはなかった。
「…merde」
ヴァネッサは呟いた。そして写真と対峙した。肩にかけていたタオルをベットに放り投げ、全裸でメリサの写真と対峙した。
「…merde」
メリサが転校してきて一年。一年前、メリサよりも全校生徒を魅了し、浮かれさせ、熱狂の渦の中心にいた人物のことを、ヴァネッサは誰よりも鮮明に記憶していた。
「…merde!」
その時だった。彼女の足元に、なにやらポタリと雫の様なものがしたたり、乳白色のカーペットを赤く染めた。それは血だった。終ったと思っていた生理。ヴァネッサの股座が、また新たな繊維、幾重にも折り重なるソレを求めていた。
「…merde!!!!!!」
滴る血はそのままに、ヴァネッサはメリサの写真に歩み寄り、鏡台にあったマジックをひっつかみ、額に何やら書き殴った。
「殺」
書き終えて、写真から少し離れると、ヴァネッサは満足そうにメリサの写真を見つめた。そして「プッ」と軽く吹き出した。ポタリ。また血が滴った。
「ちょっとー、もう起きたの〜?」
階下から母の声がして、ヴァネッサは我にかえった。そして、鏡台の引き出しからナプキンを取り出し、ガニ股になり無造作に股座にあてがった。鏡に映るその自分の姿を、ヴァネッサ見た。ヴァネッサは自分を見つめた。ふと、今あてがったナプキンを外してマジマジと見つめ、そしてメリサの写真の方を見た。そして何かを思いついたような表情を浮かべると、不敵に笑うのだった。




第五話

世界を救うまであと4分 第三話「メッセンジャー」

第一話 第二話
漆黒の闇の中に浮かぶのは、彼のその真っ白な顎髭だった。
「時間がありませぬ」
闇から全身を現した彼は、月の光に照らされると同時にそう口走った。いや、実際には口走ってなどいない。口は動いていないのだ。しかし、彼ははっきりと自分の声で語りかけた。時間がない?何の?一体、何の為の時間がないというのだ?
「あの方に危険が迫っています」
月明かりに照らされた彼が纏う、濃紺の鎧が鈍く光った。右手には槍を持っている。槍の先には何やら灰色の毛の塊のような物が刺さっている。
槍を持つ彼のその手の甲に、チラリと刺青が覗く。どうやら、爬虫類か何かの尻尾?のようなものが確認できる。龍だろうか?その昔、彼がその手で仕留めた伝説のドラゴン?
「“奴ら”です。あなたも十分にわかっているはず」
奴ら?あの方?彼の言うあの方とは、今朝出合ったあの女の子のことだろうか?こんな所にいては危険だ、いつ“奴ら”がやってきて君を八つ裂きにしてしまうかもわからないぞ!と注意するつもりが、やっとのことで自分の口から搾り出した言葉は「オハヨ」という、か細い声だけだった。オレは紺の鎧を纏いし勇者に尋ねる。“奴ら”が“あの子”をどうしようというのだ?
「時間がありませぬ。あの建物へ急ぐのです。“奴ら”はそこで企んでいます」
やはり彼の口は動いていなかった。闇に浮かぶ真っ白な顎鬚、ぼんやりと月明かりにその輪郭を晒す濃紺の鎧。彼が「あの建物」と指差した方を見る。そこにはかつて「体育館」と呼ばれた施設が亡霊の様に佇んでいた。人々が運動や競技を行ったり、演劇を鑑賞したりするコロシアムだ。そこで一体何が行われると、何が企まれているというのだ?そして一体誰が?何の為に?
幾多の問いと共に振り返ると、彼の姿は無かった。
・・・・・・ッ!
彼の姿がもうすでにそこにないのを理解すると同時に、凄まじい激痛がオレの脳内を駆け抜けた。思わず片膝をついてよろめく。
再生されたのは、いくつかの声だった。嘲笑う声。罵倒。怒号。泣き声。そして冷笑。その矛先は、一転に集中していることが漠然とわかる。あの女の子だ。
よろよろと、立ち上がると、オレは自分のねぐらを目差した。その晩、なんとも奇妙な夢を見た。オレがあの女の子の手を引いて、“奴ら”から逃れる夢だった。






第四話

世界を救うまであと4分 第二話「芽理沙」

第一話
「みんな今日は来てくれて本当にありがとう。それでは最後の曲です」
「えーーー」という予定調和のレスポンス。レスポンスというよりは、それは極めて動物的な反応で、最後の一曲を歌い終えるまでメリサは胸のムカツキを隠すのに必死だった。
飛堕理芽理沙(ひだりメリサ)。彼女はこの世に生を受けてわずか16年で、その二倍の数にあたる32年は生きてきたかのような波乱に満ちた人生を歩んできた。
その日は、メリサのセカンドツアーの最終日で、彼女を含め周りのスタッフも朝からピリピリと緊張していたが、その束縛からも解放され、これでやっと明日から学校に戻れる!と思いを馳せると、メリサの心は水面に新緑の葉が一枚落ちたときに出現した波紋が穏やかに拡がる様に、安らぎが満ちていくのを感じていた。
翌日。彼女は始業時間より一時間前にクラスに到着した。部活の朝連がある生徒のカバンがまばらに机に置いてはあったが、教室に人気は無かった。自分の荷物を置き、教室を出ようとしたその時、一人の男子生徒が擦れ違い様に教室に足を踏み入れた。海沢宗二だ。
背の丈はおよそ175cmほど、メリサよりほんの少し高い。青光りするような黒髪が印象的で、ブロンズ象のような顔の輪郭(特に頬骨が目を引く)を有する少年。少年と呼ぶには大分大人びた顔つきだ。
カイザワソウジ。メリサは心の中でそうつぶやいた。宗二はメリサなど存在しないかのような振りで教室に入ってくると、窓際の後ろの自分の席にカバンをバサッと置き、蚊の鳴くような声で「オハヨ」と呟いた。体が完全に教室の外に出てしまう直前のその刹那、メリサはそのか細い声を「確かに」聞き取り、体の動きを止めた。「おはよ」とだけ返すと、メリサはそのまま教室を後にした。
生徒の人数が減少し、今では空き教室の多い東棟の屋上。そこがメリサのアジトだった。
もうすぐこの敷地内に、とてつもない喧騒が訪れる。今日メリサが来てるぜ、えーマジでぇ、昨日アタシテレビで観たー、アタシも観た観た、なんだっけーホラメリサが今度出るっていうドラマぁ。それを考えると、心底ウンザリするメリサだったが、そうした喧騒に身を置きながらも耐える自分を客観視するのは楽しかった。
海沢宗二。何故アタシにあいさつを?彼については幾つかの噂を聞いたことがあった。ほとんど学校に来ない。家に引き篭もっている。いや駅前のレンタル屋でよく見掛ける。一人でボーリング場の1レーンを長時間借り切り、ピンをバカスカ倒していた。夜な夜なに学校に忍び込み、屋上でオナニーをしているらしい。
屋上とは、この東棟の屋上だろうか?この床の染みは、もしかしたら彼の…。メリサは、その染みを上履きのつま先で引き摺るようにしながら突っついてみた。そんなことを考えていると始業のベルが鳴り始めた。
せっかく昨日MP3プレイヤーに落とした「饅頭こわい」を聞こうと思ったのに、ソージのことを考えていたら時間が過ぎてしまった。軽く舌打ちをすると、メリサは屋上を後にした。




第三話

世界を救うまであと4分 第一話「月光」

一瞬、闇が忍び寄ってきたようでゾッとした。マトモな生き物など、もう当の昔に死に絶えたはずなのに、とオレは考えながら、その暗闇の塊を凝視すると、それは黒いレトリバー犬だということがわかった。その黒い犬は、オレに気付いたかのように、プイと踵を返すと曲がり角の向こうに姿を消した。漆黒に彩られた毛の艶と、濡れた鼻の頭と、つぶらな瞳が月に反射して光っていた。
そう月!オレは月が、ただ月が見たくって、命の危険を冒してまで夜に外出した。“奴ら”がウヨウヨしているはずのこんな時間に、愚かにも外に出たのである。
どうしてこんなことになってしまったのか?オレにもよくわからない。“奴ら”に問うたところで、その問いは虚しく「うがーうがー」という声にかき消され、ぼんやりしていると次の瞬間、“奴ら”に喉笛を食いちぎられるのがオチである。“奴ら”が夜を支配し、オレが昼を支配する。これからもこんなことは続くのか?これから一体、幾夜という夜を、“奴ら”に怯えながらすごせというのか。
ああ、もう我慢できない。限界だ。オレは、どうなっても良いという捨て鉢な気持ちで外に出た。かつては、学校と呼ばれたあの場所。あの場所に、あの学校の屋上に登れば、月はもっとよく見えるかもしれない。ふと、夜に外に出たのは何年振りかと考えてみた。思い出せない。もう随分と長い間、時計やカレンダーを必要としない生活をおくってきた。
校門をくぐりぬけ、懐かしい下駄箱の前を通り過ぎ、自らの記憶と、今、現場で道順を感じ取っている五感とをすり合せ、屋上への階段を見つけ出す。そして一気に駆け上がる。息があがる。観音開きの鉄製の扉を体当たりでこじ開ける。すると、勢い余って屋上の床にゴロゴロと転がり、そして仰向けになって止まった。
眩しいぐらいの満月が輝いていた。昼間とそんなに変わりはないじゃないか。いや、さすがにそれは大袈裟だな、と思いつつつも、オレは空より放たれるその無造作な輝きを一身に受け、その輝きに心を奪われ、しばらく仰向けのまま身動きが取れないでいた。だがそれも長くは続かなかった。“奴ら”だ。
遠くから奇声とも呻き声ともつかない、まるで喉ボトケに穴が空いてヒューゼーと息が漏れるような、不穏な音と共に、その声は聞こえてきた。“奴ら”に間違えない。この棟の近くにいるはずだ。オレは足早に屋上を後にした。
もう、オレが心を通わす事が出来るような生き物は、全て死に絶えてしまったのだろうか?さっきの犬はどうだ?あの黒いレトリバー犬。あれは幻覚だろうか?いや、そんなことはない。あれは確かにそこにいた。闇に紛れても、その心の臓は黒々とした毛や赤い赤い肉や監獄の檻のようなあばら骨に守られながら、脈々と波打っていたはずだ。
やはり希望は捨てない。生き残りはオレだけではないはずだ。オレは呼びかける。まだ見ぬ誰かへ。君とオレ。“奴ら”の誰だってオレたちのことを止められない。オレたちならきっとやりとげられるはずだ。
我が名はソージ。神に見捨てられし不遇の魂。





第二話