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2007-05-30

[]苦笑

ime.nuからのアクセスがあったので調べてみたら2chのこのスレッドに先日の記事のアドレスが貼られていました。

120 :名無しさん@七周年:2007/05/30(水) 07:32:25 ID:nAv55c8eO

すごいな

ここで指摘されてるような書き込みが本当にあるとは・・・

http://d.hatena.ne.jp/D_Amon/20070529/

121 :名無しさん@七周年:2007/05/30(水) 07:39:57 ID:ntMA49/k0

>>120

よーし俺だな、俺のことだなオッチャンと遊ぼうか

さーこいw

【社会】 「賃下げ、降板強いた」 人気ショー“マッスルミュージカル”出演者が救済申し立て

苦笑。


77 :名無しさん@七周年:2007/05/29(火) 20:49:13 ID:dhAH37Uv0

>>66

日本では権利権利と騒ぐ奴はプロ市民共産主義者しかおらんよ。

お国に帰りなさい。

この書き込みは非道いと思いました。こういう考え方の流布が、労働者が自らの権利を行使することを阻害しているのかもしれません。

権利を主張するとプロ市民認定。プロ市民を嫌う考え方を持つ人は自らの思想により自らの権利を行使できず泣き寝入り


102 :名無しさん@七周年:2007/05/30(水) 06:43:05 ID:R2e9Ihnz0

そんなこと言ってりゃ、そのうちスポーツジムだって給料安定しなくなるわ。

どこにいようが権利は保障されて当然。

何で最近は抗議するのが悪みたいな風潮になってんの?

そういう風潮になることを望んでいる人がいるからではと思いました。労働者の権利の行使を嫌がり、労働者から権利を剥奪したいと思っている人。例えば経団連のお偉方とか。

2007-05-29 言ってないことを読み取れマン

[]言ってないことを読み取れマン

言ってないことを読み取るマン、言ってないことを読み取らせるマン*1に続く新たなヒーロー、それが言ってないことを読み取れマン。

言ってないことを読み取れマンの得意技は根拠を示さない「悪意」をぶつけること。

「悪意」をぶつけられた相手は、語られていないその「悪意」の源泉を読み取り、真摯に対応しなければなりません。できなければ「戦争」です。

真意を具体的な言葉で語らないのに、読み取れないと的外れと非難され「もう戦争しかない」となるのが言ってないことを読み取れマンの恐るべきところ。そういう心の中のことは憶測しかできないというのに。

そう、言ってないことを読み取れマンの恐るべきところは、真摯に対応しようとすると自動的に憶測で語ることを求められることです。

言ってないことを読み取れマンが読み取って対応することを求めているのは、彼自身の語られていない内面に抱え込んでいるものなのですから。

ゆえに、言ってないことを読み取れマンが観念的な意味で使う言葉に対して具体的に常識論を語ることは自動的に的外れになってしまいます。

真摯に対応しようとすると具体的に語ることが封じられる、それが言ってないことを読み取れマン。


言ってないことを読み取れマンの語る「戦争」は現実の戦争ではありません。意味するところは「自分が苦しいから、お前も同じように苦しめ」といったところ。

言ってないことを読み取れマンは自らの境遇に苦しんでいます。その苦しみは鬱屈した不満となり、鬱屈した不満は解消を求めてぶつかる先を求めます。

しかし、そのぶつかる先は自らを苦しめているものにはなりません。

自分を苦しめているものに対してではなく、自分を助けてくれなかったものに対して自らが抱える鬱屈した不満を「悪意」としてぶつける、それが言ってないことを読み取れマン。

[]「氷河期世代」の「右傾化」に対し言ってないことを読み取るマン

私は言ってないことを読み取るマン。

今回は「氷河期世代」の「右傾化」に対し言われていないことを読み取ります。

彼らが「団塊世代」や「既存左翼」に向ける「悪意」から、語られていない彼らの内面にある「真意」と向き合うために。


「氷河期世代」の無職・パート・派遣の一部はネット右翼の全てではありませんが、その一角を占めています。

「30歳前後で月給10万、どうやって食べていくんですか」…棗一郎弁護士、語る - 2ちゃんねるとネット右翼(ネトウヨ)ウォッチング&その分析痛いニュース(ノ∀`) : 「何してるの?」 子供に話しかけられ、殴った無職の男(33)逮捕 - ライブドアブログなどからの憶測。

彼らは歴史認識問題などでとんでもないデマを信じ込んでしまっていたりすることからバカウヨクと呼ばれることがありますが、彼らの多くはバカではありません。素直で情報弱者なだけです。素直なのはそれまでの生涯で懐疑心を身につけられなかったため。情報弱者なのはそれまでの生涯で接した情報源が少なかったため。

懐疑心は教育に、情報源の量は生まれ育った環境*2に大きく影響されますから、彼らが素直で情報弱者なのは彼らの責任だけではありません。


彼らは国・自治体・企業の理不尽に刃向かう者を非難することから権威主義だの奴隷根性だのと言われますが、本質的にはそうではありません。それは権力に刃向かうという自らにできないことをする者に対しての羨望の裏返しです。

彼らは権力に刃向かうことを諦めています。それは自分と権力との力の差から権力に刃向かうことなんてとてもできないと思っているから。

彼らにとって権力に刃向かうというのはできないことでありバカげたことなのです。

そして、そう判断した自らの正しさを確認するために権力に刃向かう者が権力に踏み潰されることを望むのです。

権力に刃向かうことを諦めているがゆえの行動が、結果的に権威主義や奴隷根性という形を取るのが彼らの悲しいところです。

パートで家計を支える少女が茶髪を理由とした解雇通告に対し労働組合に加入しての運動で撤回したということがありました。*3

彼らは彼女を叩きましたが、それは自分達にはできないことをやり遂げた彼女に対する羨望の裏返しなのです。


彼らが匿名荒らしを行なうのは彼らの無力感と孤独感の裏返しです。

彼らは日々を無力感と孤独感に苛まれて暮らしています。低所得ということは移動や交際といった色々なことができないということでもありますから。

そして、その無力感を埋めるのが匿名空間での仮想的全能感であり、孤独感を埋めるのがネット上の同志との相互承認と共同体意識なのです。


彼らは自らを苦しい境遇に追い込んだ権力に対してではなく、彼らより恵まれた生活をしている庶民に対し「悪意」をぶつけます。

彼らと同じ庶民なのに、生まれ育った時代や環境が違うというだけで彼らより豊かな暮らしをしていることが許せないからです。

彼らの生活は苦しく、そこから抜け出せません。抜け出せないゆえ、彼らはせめて彼らより恵まれた生活をしている庶民が彼らと同じように苦しむのを望みます。そして、その望みを権力に託すのです。彼らより幸せに暮らしていた人々が彼らと同じように苦しむのを見て「ざまあみろ」と言うために。人々が権力に踏みにじられる姿を自らを権力と同一視して喜ぶために。

「論壇」

世の中にはそういう彼らの言動を当然のものとする人もいます。*4

彼は「非氷河期世代*5」や「既存左翼」に対し「悪意」をぶつけ、対応次第では「戦争」だと言います。

彼の語る「戦争」は現実の戦争ではありません。「自分が苦しいのと同じように他の人間も苦しむ状況」を示す観念的なものです。(靖国とか持ち出すあたり彼自身もそれを分かっていないのかもしれませんが)

彼が求めているのは苦しみからの救済です。そして、その救済が成らないというのであれば、他人も同じように苦しむことを求めているのです。「戦争」は相手にその選択を迫る「脅迫」の言葉です。

彼の「悪意」は彼自身の「助けて欲しい」という願望の裏返しです。

彼は非難することにより相手の行動が彼を助ける方向に変わることを望んでいます。

非難により相手の行動が彼を助ける方向に変われば、彼はそれを自分の行動の結果だと思い込めます。変わらなければ助けてくれない相手を非難し続けることができます。以降、助けてもらえるか「戦争」になるまでその繰り返し。

こういう二択をつきつけるのは、単なる憐憫で助けられることは彼の名誉が許さないからです。


彼自身は世の中を変えるために自ら行動するつもりはありません。発言するだけです。

助けてもらえなかった場合の世の中を変える手段として「戦争」を持ち出しますが、その「戦争」は権力がおこすものであり、彼自身が自ら行動するものではありません。

これは彼自身は自ら行動せず他者に何かをやらせようとしているという意思の表れです。

その意思は彼自身の無力感の裏返しです。その無力感は彼自身には世の中を変える力はないと思っていることに因ります。

一人一人の力は権力に対してあまりにも無力。彼は自らの力で自らの境遇を変えることを諦めています。そして、彼には自ら運動を組織して権力に刃向かう気概はありません。

だからこそ彼は権力ではなく他者に「悪意」をぶつけるのです。他者に自らの境遇を変えてもらうために。

彼は権力の側を支持し他者に「悪意」をぶつけることで他者を権力に向けて嗾(けしか)けようとしているのです。

これにより他者を権力に向けて嗾けることに成功して自らの境遇を変えることに成功しても良し、境遇を変えることに失敗しても、そもそも嗾けることに失敗しても権力の側に立って他者を罵倒すれば良し。いずれにせよ彼自身は今以上に傷つくことはありません。

また、そのようにして権力の側に立って他者を非難することにより、彼は権力に対して何もできない自分自身の姿を見ることを避けることができるのです。

今までの人生で惨めなまでに傷つけられてきた彼自身の名誉を守るために何重にも防壁をはっているというわけですね。


このような勝手な憶測の結果、彼及び彼に同調する人々の「悪意」の根源は彼ら自身の無力感にあることが読み取れました。

彼らは自らの無力感の裏返しで「自分を救ってくれない他者」を責めていたのです。そして、責めることで「自分を救ってくれない他者」に救済を求めていたのです。

そういう彼らの「真意」に向き合うにはどのようにすればよいのでしょうか。

それは無力感の解消。

一人一人の力は弱くとも団結することで権力に立ち向かえることを行動で示すことです。無力ではないことを示すことです。

それは組合を組織し労働者のための組合活動を再生することであり、個に分断された人々に大衆運動を再生することです。彼らが自ら捨てている労働基本権を行使することです。

そのようにして権力に働きかけることで権力から権利を勝ち取ることです。そのようにして彼らに希望を与えることです。

働いても生活保護より低い賃金しか貰えない状況であれば最低賃金がおかしいのです。

働いても正社員になれないのであれば雇用制度がおかしいのです。

そういうおかしいことを正していくのです。

茶髪少女解雇撤回のような小さな勝利でも構いません。権力に対して団結して立ち向かうことが重要なのです。

彼らの無力感に凍てついた心は、そういう権力に刃向かう行動に対して反発を示すかもしれません。しかし、構わず突き進むことです。そのようにして突き進むことが彼らの心に希望を与え、いつの日か凍てついた心を溶かすことになるかもしれません。

私は言ってないことを読み取るマン。言われていないことを読み取って突き進み続けます。

*1:結論を直接語らずに相手が導き出すように誘導する人のこと。言ってもないことを読み取る人問題 - 模型とかキャラ弁とか歴史とかケーススタディ型洗脳の恐怖 - 模型とかキャラ弁とか歴史とか

*2:親が教育に不熱心とか低所得とか子供に構っている暇が無かったとか。低所得であることは情報源を制限されることでもあります。書籍や有料番組のような有料情報にアクセスし難くなりますから。

*3404 - gooニュース

*4国民全員が苦しむ平等 戦争を切に願う: 反米嫌日戦線「狼」(反共有理)

*5:「団塊世代」、「バブル世代」、「ゆとり世代」など

2007-05-25

[][]必要なのは懐疑心

ダマシへの対策としてはその種明かしが有効な手段。とはいえ、ダマシに対する種明かしを繰り返すだけでは騙されやすさの克服は困難です。

騙された人に対して種明かしを繰り返しても、それでダマシの手法自体に対する抵抗力を身につけられなくては何度でも似たような手法に騙されてしまうでしょう。むしろ、その繰り返しにより「もう何も信じられない」という猜疑心に凝り固まった状態になってしまうかもしれません。

騙されやすさの克服には予め騙されにくくなることが必要であり、そのためには懐疑心の鍛錬が有効。

ただ、単に懐疑心の鍛錬といっても、よく練られた懐疑心は簡単に身につけられるものではありません。

とりあえず、簡単にできる基本的な方法として「信じる前に三つの確認を行なうこと」を提案します。

その「三つの確認」は「事例の選択は適切か」、「その説で否定される相手は本当にそういう主張をしているのか(前提は正しいのか)」、「反証は可能か」です。

「事例の選択は適切か」

人は「論理的な整合性を持っているように見える新奇な説」に騙されがち。それゆえダマシは自説の論理的な整合性を装います。

自説に適合する事例だけを恣意的に選択して提示することで帰納的に自説が正しいと思わせる手法はその代表例。

対テロ戦争で売り上げを伸ばす米軍需産業 - 模型とかキャラ弁とか歴史とかでも述べましたが、事実を並べるだけでも嘘は吐けるのです。(これは、論理的な整合性だけでは正しいということにはならないということでもあります)

もちろん、広範な知識があって反例があることを予め知っていれば、そういう手法に騙されにくくなるわけですが、万能な知識を持つことは困難。

ダマシが自説を展開する分野に対する知識が乏しくても仕方がない状況もありえるわけです。そういう場合でも騙されにくくなるための方法は、「事例の選択は適切か」を確認することというもの。提示された事例に偏りが無いか調べれば説の真偽までは分からなくとも、相手の誠実さは分かるというものです。

「その説で否定される相手は本当にそういう主張をしているのか(前提は正しいのか)」

人は「従来の説を否定する新奇な説」に騙されがち。それゆえダマシは従来の説をいかにも非論理的で信用に値しないかのように思わせようとします。*1

ダマシはそのためには従来の説を歪め、勝手な解釈で勝手な定義を行なうことも厭いません(前提が正しくなくても正しいものとしてしまうわけです)。そして、その勝手な定義を否定することで従来の説が間違っているかのように思わせようとするわけです。

「その説で否定される相手は本当にそういう主張をしているのか」を確認し、相手の説を支える根拠も知るようにすれば、ダマシのそういう手口に騙されにくくなります。

「反証は可能か」

ダマシは自らの説が否定できないことをもって、自らの説の正当性を訴えることがあります。*2

確かに否定できなければ、間違っているとはできないわけで、ダマシはそれにより自説に何らかの正当性があるかのように装うわけです。

「反証は可能か」(あるいは、できても非常に困難か)を確認し、反証できない説は論ずるに値しないとすれば、ダマシのそういう手口に誤魔化されにくくなります。


もちろん、これらの方法は万能でも完璧でもありません。特に「反証は可能か」の確認は不適切な場合も結構あります。しかしながら、これらの確認を通るかどうかは、ある説が信用できるか否かの一応の目安とはなるでしょう。


騙されやすさの克服には、人は信じたい情報に対して懐疑心が鈍りがちであることに対する自戒も重要です。さもなくば、そういう心の隙を突かれて騙されてしまうことでしょう。

課題

人は楽な方に流れがち。

人がダマシの説を安易に受け売りしてしまうのも仕方がないのかもしれません。

物事を信じる前に懐疑的に確認するより、それらしい話を鵜呑みにしてしまう方が遥かに楽ですから。

総体としての人は懐疑的な姿勢を身につけるためにコストを支払うことが求められるような方法では騙されやすさを克服できないのかもしれません。

であるならば、多くの人が楽しみつつ懐疑心を鍛錬できるような方法を考案し普及させるというようなことが必要なのかもしれません。

*1南京事件否定論の「南京の人口は20万人だから30万人も殺せるわけがない」とか。「間違っている論理展開」と「わら人形論法」に耐性の無い人々 - 模型とかキャラ弁とか歴史とか

*2:従来の説の証明が困難なことをもってくる場合もあります。

2007-05-24

ピングー

[]ピングー

f:id:D_Amon:20070524115916j:image

カミさんのキャラ弁。今回はピングー。

嘴は梅干。最初はミニトマトで作る予定だったそうですが、ご飯に合わないかな、ということで変更したそうです。

わー、かわいいなあ。アハハハハ。

と書いたら、カミさんに「ムカツク、あんたバカにしてる?」と言われ、脛を蹴られました。

ピングー あたらしいおはなしシリーズ1

2007-05-23

[]技術自体は中立で使う人次第。しかし、

以前、本サイトの方にこういう記事を書きました。

思考法-演繹法と帰納法

自分ではあまり良い記事とは思っていないのですが、結構あちこちで紹介されました。

整理不足で、文字数を抑えるために書いたほうが良いと思ったことも書かなかった*1記事ですが、中立的で淡々とした記述に徹したのが良かったのだと思います。

そういう記事ですが、以下のような形で引かれているのを見ると苦笑してしまいます。他者に対して懐疑的でありながら自らを疑うことは知らないのではないかというような発言内容に。

ゆいネットワーク : 戦争責任者は靖国へはいけない 昭和天皇の不快発言に思う

no title

そして、思うのです。「引用されること自体は構わないのですが、貴方はそういう論理を自分自身に適用していますか」と。

ああ、もう、こういう人に「自分自身に対する懐疑」を伝えることができなかった私の記事の力不足に絶望。


なんというか、「我こそは論理的で現実的な先知先覚者で、そんじょそこらのお花畑とはわけが違う」というような人には、どうも自らに対する懐疑が欠けているような気がします。

真に論理的で現実的であるためには、自らに対しても懐疑的であることが必要というものでしょうに。

*1帰納演繹が論理的に相互変換できるという話(帰納は不完全な演繹)とか。

2007-05-20

[]相似している人々

「分断」を促進したのは誰か。 - 想像力はベッドルームと路上からに対しての応答です。

D_Amonさんの語る構図は確かに正しい。だが、『こういう構造を作り出したものに対してではなく、こういう構造の上に偶々乗っかっているだけのものに対して非難しているわけで、的外れな非難というものです。』という部分は違うと思う。

大枠の構図を敷いたのが自民党なら、その構図をミクロな部分まで促進したのは当時主軸となっていた団塊世代である。彼らはその構図を破棄し、自らの望むように変えることだってできた。だが意識的にしろ無意識的にしろその努力を怠った。結果、下の世代に相当の負債を残したのは事実だ。

その構図を作り出したものへの批判と、そしてそれを容認・促進したものへの批判は同時に行われて然るべきだろう。単に、その選択の責任が政権のみにあると言うならば、それは社会に所属する者としてあまりに無責任なのではないだろうか。

彼らがもし、『団塊ジュニア世代の労働条件悪化は自民党によって作られた。団塊世代への批判は的外れだ。』なんてことを恥ずかしげもなく言ったとしたら、僕は深い侮蔑と悪意の視線を彼らに向けることになるだろう。

ならば、私自身が団塊ジュニア世代なので恥ずかしげもなくそういうことを言っても「深い侮蔑と悪意の視線」を受けることはないというわけですね。

というようなことはさておき、私自身は団塊世代がそういうことを言っても問題ないと思います。世代という条件で一括りにされて発言内容が問題にされたり封じられたりするというようなことはあってはならないという考えだからです。

人は生まれる時代を選択できません。そういう選択できない条件で構成される集団に所属することをもって、そういう批判を行なうことは、私にしてみればヘイトスピーチに他なりません。そして、「僕は深い侮蔑と悪意の視線を彼らに向けることになるだろう」というのは世代を理由にして発言を封じるための脅迫というものです。

上記引用文は結局、「集団を構成する誰かに相応の理由があるのだから、その集団に所属すること自体を理由に差別してもいい」という構造。これはヘイトスピーチの基本構造です。そして、そういう構造への耐性を身につけていない人の認識は、容易にそういう構造を受け入れ「論理的」に差別を正当化するわけです。


そういうヘイトスピーチに曝されているのは団塊世代だけではありません。団塊ジュニア世代も曝されています。

彼らの世代の中には、未だに「フリーター」などの非正規雇用、あるいは「ワーキングプア」の問題を、「計画性の無さ」や「甘え」などの「自己責任」として語る人間は少なくない(それは正しい場合もあるのだが)。

というような貴方の発言にもある形で。

団塊ジュニア世代は人口が多いゆえに他の世代より激しい受験戦争に曝され、卒業してみればバブル崩壊就職氷河期だったという世代。他の世代より著しく条件の悪い椅子取りゲームに参加させられた世代です。

そもそも座れる椅子が少なく、椅子が空いていても座れば怪我をするような壊れた椅子だったりするのに、椅子に座れないことをもって無計画だの努力不足だのと言われ、壊れた椅子に座ろうとしないことをもって贅沢だの我侭だのと呼ばれ、一部に最初から椅子に座ろうとしない人*1がいることをもって労働意欲の無い怠け者扱い。

団塊ジュニア世代に椅子に座れない人が多いのは団塊ジュニア世代の能力が他の世代に比べて低いからではないというのに。単に人数に対して非常に限られた数の椅子しかない状態という、そうならざるをえない状況の中に置かれているからだというのに。

こういう世代の置かれた状況による問題が世代の資質の問題として訳知り顔で批判されるわけです。「集団を構成する誰かに相応の理由があるから」という「論理」をもって。

私にしてみれば、それは世代という選択できない条件での分断に加担し憎悪を煽る行為です。


それと、私は「その選択の責任が政権のみにある」なんて主張はしていません。

むしろ、そういう政権の主張を鵜呑みにして扇動されてしまう「社会に所属する者」全体を問題にしています。

自民党が経団連利益代表として企業の利益に沿う形で政策を実施するのは当然のことですし、そういう政策で利益を得る人々が自民党を支持するのも当然のことです。

問題はそういう自民党の政策で不利益を蒙る階層に所属する人々も自民党の政策を支える宣伝を鵜呑みにして自民党を支持していること。

それに対して為すべきことは世代間闘争ではなく「扇動されやすさ」の克服というのが私の考えです。


例えば本来であれば労働者を守るべき「労働組合」が、「非正規雇用者」の組織化へ本格的に乗り出したのは極々最近のことだし、それですら「ワーキングプア」などの問題が社会問題として広く認知され、同時に既存の労働組合に対する「非正規雇用者からの批判」に直面してから慌てて行われたもののように見える(というか事実そうだろう)。

これに対しては明確に違うと答えておきます。

労働組合は(中には企業の代弁者となっているような御用組合もあるでしょうが)失業率最低賃金派遣労働を問題にし、アルバイトのような非正規雇用者の組合活動への勧誘も行っていました。少なくとも私が新人として参加した十年くらい前から一貫して。

ワーキングプアという言葉が世間一般で使われるようになる前からワーキングプアに該当する人はいたのです。ただ、今のように社会問題として表面化していなかっただけで。

この件に関しては団塊ジュニア世代の組合活動に対する無関心の方が問題。

そもそも組合を胡散臭がり参加する人が少ないので組織率が低い。中には組合活動自体を見下すような人もいる。そんな状態で労働者を守る運動をどれだけ効果的に行えるというのでしょうか。

組合を馬鹿にしてたり組合費の支払いを嫌がったりして組合に参加していなかった人が嫌がらせ人事や職務上の事故による裁判の当事者になった途端に保護を求めて組合に加入したりするのは納得はできないまでも我慢はできます。

しかし、組合活動に無関心だった人や見下していた人が、のっぴきならない状況になってから漸く本格的な組織化に向けて動き出すというのはともかく、守ってくれなかったと労働組合を批判するというのはどういうことでしょうか。そもそも参加者が少ないゆえに労働者を守れるだけの力を組織できなかったというのに。

労働組合はどこかで勝手に労働者の権利を守ってくれるものではありません。組織された労働者の団体交渉力無しには機能しないものです。

労働者を組織できなかった労働組合の方が悪いという批判があるかもしれませんが、労働組合は労働者が自分で自分の権利を守るために参加するものです。そういうのは労働者として余りにも当事者意識を欠いているのではないでしょうか。

だからといって、こういうことを書いても仕方が無いとも思います。こういう団塊ジュニア世代の組合活動への無関心をもって団塊ジュニア世代を批判しても何ら建設的なことはありませんから*2。団塊ジュニア世代が批判されるに足る「相応の理由」を示すだけで、何ら労働者を守ることには貢献しませんし。単に世代間の溝を深めて連帯を妨げるだけの何ら得るものはない虚しい行為です。

為すべきは今からでも組織率を増やして組合活動の影響力を増すことというもの。

「団塊ジュニア世代の労働条件悪化は自民党によって作られた」という部分は全くその通りだと思うのだけど、では「当の団塊世代は一体何をやっていたのか」という部分に言及されていないのはちょっと甘いと思う。

また、団塊の世代は年齢的に、90年代を通じて企業において様々な意思決定を行うポジションにいたはずなのだけれど、(プロセスはどうであれ)結局彼らは自民党のリストラ政策に乗ってしまった。

それが単に、「雇用の流動化」という事態になったのならばまだいい。もし自民党の言う政策を「厳密に」遂行していたのであれば、企業の余剰コスト(つまり必要のない人材)は淘汰され、真に能力のある人間だけが残り、そして、その企業への門戸も「年齢」ではなく「能力」によって開かれることになっていたはずだからだ。

だがしかし、各企業が行ったのは一部の人員の整理と新規雇用の抑制であった。それは業種・業界問わず一律に行われた。その為、人材の能力に関係なく、企業への門戸を潜ることは非常に困難な状況になってしまった。言わば、「人材の糞づまり」という状況である(ここ数年、新卒採用が「売り手市場」になったのも、単に景気の好転だけが要因ではないという点は明らかだろう)。

「当の団塊ジュニア世代は一体何をやっていたのか」という部分にも言及しませんでしたよ。

というような、言っても虚しいだけのことはさておき、当の団塊世代もテレビなどで流される自民党の政策を支える宣伝を鵜呑みにしていただけという話です。

団塊世代は、宣伝の結果、リストラによる人員の整理と新規雇用の抑制を行い労働強化をしつつ会社を縮小しなければ会社が潰れると信じ込んでいましたし、派遣労働により労働者の能力の有効活用が可能になると信じ込んでいました。それに対して、それらが人件費抑制のための建前に過ぎないという主張を行っても「世の中が分かっていない若造」と見られるのがおちでした。

自民党の政策を支える宣伝を鵜呑みにしていたのは団塊世代だけではありません。団塊ジュニア世代も自民党の政策を支える宣伝を鵜呑みにしていました。能力主義成果主義の導入により若者でも能力に合わせた高い給与が貰えるようになるというような種類の宣伝を。

そういう風にして老いも若きも男も女も自民党の政策を支える宣伝を鵜呑みにして自民党を支持した結果の与党自民党。その結果の政策の実施。

派遣労働を支持した人々は終身雇用の破壊に加担しました。

能力主義・成果主義を支持した人々は年功序列の破壊に加担しました。

リストラを支持し、雇用拡大政策に反対した人々は失業率増大と労働力の安売り競争に加担しました。

能力給を信じ、引き抜きに応じたり派遣労働に身を投じたりした人の中には能力給が「能力に合わせた給」ではなく「能力が必要な間は給」だということを思い知らされた人もいるでしょう。

これらは自民党の政策で不利益を蒙る人々も自民党の政策を支える宣伝を鵜呑みした結果なのです。にも関わらず、その大多数の人はおそらく今になっても自らが支持した政策が今の状況を作り出したことを想像すらしていません。

私の敵であり、そして味方につけなければならない人々はそういう人々です。団塊世代も団塊ジュニア世代も関係ありません。


「企業の余剰コスト(つまり必要のない人材)は淘汰され、真に能力のある人間だけが残り、そして、その企業への門戸も「年齢」ではなく「能力」によって開かれることになっていたはずだ」の件に関しては認識が甘すぎると言わざるを得ません。気持ちは分かりますが、誰がどのようにしてそういう「能力」を評価するのですか。それにより生じるゴマすりと足の引っ張り合いと立場の差を利用したパワハラセクハラを考えれば終身雇用と年功序列の方が、そういう方面に気を使わないで仕事に専念できる分、まだましです。実際問題、年功序列の破壊は能力や成果による評価を強化するより、むしろ縁故と情実による人事を強化しただけというものでしょうに。企業風土の問題を先に解決することなしには、そういうのは只の願望にすぎません。


聞かれてもいない「当の労働組合は一体何をやっていたのか」という部分に言及すると、労働組合は終身雇用の破壊にも能力給の導入にも反対していました。失業率の増大を問題視し雇用拡大政策を訴えていました。最低賃金の引き上げを求めていました。手厚い社会保障を求めていました。トヨタなどの輸出大企業の内部保留の金額の大きさを示し、労働者への分配を求めるなどの形で。

私が分断される団塊世代と団塊ジュニア世代 - 模型とかキャラ弁とか歴史とかで語ったようなことは何ら特別なことではなく、労働組合において少なくとも十年位前からそうなるだろうと言われていたことにすぎません。

しかし、それらは世間には届きませんでした。これに関しては労働組合の宣伝方法の拙さもあるでしょうが、それ以前に宣伝力の差が圧倒的。

テレビや新聞ではリストラ・派遣労働・能力主義・成果主義について先に述べたような宣伝が繰り返し行われました。失業率増大に対する雇用拡大政策は「日本ではケインズ政策が失敗したのだからケインズ政策は意味が無い」というような言葉で否定され、失業率増大は放置されました。それは政府の雇用調整機能の放棄だというのに。

自民党の政策を支える宣伝がテレビや新聞で大々的に流されるのに対し、労働組合の宣伝手段といえばデモ行進、組合誌の配布、署名活動、後は一部の情報誌に取り上げられるくらい。

これは泣き言ではなく、労働組合がそういうどうしようもない状況に置かれていることの説明。労働者の組織率が高ければともかく、組織率が低い状況では労働組合が自らの主張を広める機会は非常に限られているわけです。

テレビや新聞を責めているわけでもありません。テレビにしても新聞にしても企業からの広告収入に依存している営利企業である以上、報道が企業よりになるのは当然のことですから。無料メディアや低額メディアのような広告への依存度が高いメディアに対してジャーナリズムを期待する方が酷というもの。

単にこの国では資本力の差が宣伝力の差になるというだけの話。それには有料メディアによるジャーナリズムの育成を怠った国民にも責任があるわけですが、今更言ったところで死んだ子の歳を数えるも同然。どうしようもありません。

圧倒的多数の人がテレビや新聞の影響下にあることは現実で、それが資本力の差を宣伝力の差に変えるのも現実。

その現実の上で企業側に利する宣伝に対抗しなければならないというのに、連帯するどころか良いように分断されているようではどうしようもありません。

「団塊世代」にしろ、あるいは「既存左翼」にしろ、「批判がある」ということは彼らの存在自体に何らかの注目と期待が抱かれている証拠だろう。

どうでしょうね。

私にしてみればそういう批判は、団塊世代による戦前・戦中世代への批判と同じようなものです。

世代を一纏めにして世の中を駄目にした責任を背負わせて批判しているのも同じ。宣伝に扇動されているだけなのに世の中を分かっているつもりになって批判しているのも同じ。確固たる思想も無くお祭り気分で叩いている連中が混じっているのも同じ。同じくらい醜悪で同じくらい駄目。まあ、世代が違うだけで同じような人間なのですから相似していて当然なのでしょうが。

「批判がある」ということは彼らの存在自体に何らかの注目と期待が抱かれている証拠、なんてことにはなりません。単に不満をぶつけるための批判対象が偶々彼らだっただけかもしれません。

そういう批判が仮に期待の裏返しとして、責任を押し付け批判するのは最悪の方法というものです。

何故なら彼らの大部分は自らに責任があるとは思っていないのですから。彼らの大部分はその時代に生まれてその時代を生きただけで、時代の意思決定に関わったわけではないのですから。時代に従っただけなのですから。責任があるとは思っていない所に「貴方達の責任だ」と批判しても、「何をいっているのだ」と当惑され、生じるのは批判に対する反発の感情とそれによる的外れな反論のみというのが関の山。「論座」での応答を見れば分かるでしょう。

何らかの期待をしているのであれば、せめて「何をどのようにして欲しいか」というのを明確に言語化すべきです。そのようにして漸く相手も方策を考えられるというもの。性質の悪いクレーマーの自己正当化でもあるまいに、一方的に不満をぶつけて、その不満に対して「何をどのようにして欲しいか」というのを相手の方が考えて察しろという方が無茶な要求です。本人の頭の中ですら明確に言語化できていないものを他人に察しろというのは駄目でしょう。言論によって世の中を変えたいのであれば。

「扇動された悪意」の中にも「真実」が含まれているかもしれないということを、一度考慮してみることも重要だと思うのだけれど。

「扇動された悪意」の中にも「真実」が含まれているかもしれませんが、含まれていないかもしれません。私にしてみれば「扇動された悪意」は「扇動された悪意」にすぎません。

(貴方自身はそう主張しているつもりはないのかもしれませんが)「悪意を扇動されてしまうのは団塊世代や既存左翼にも理由があるかもしれない。その理由が何かは団塊世代や既存左翼が考えて答えなければならない。さもなくば団塊世代や既存左翼は批判されても仕方がない」というのは、団塊世代や既存左翼に対する「扇動された悪意」を抱えていて、それを正当化したい人には感情的に受け入れやすい要求でしょうが、そうでない人には論理的に無茶な要求*3です。理由自体があるかどうか分からない不明確なものなのに、それをあるものとして考慮を求めているわけですから。それは無茶な要求であり、理不尽で無責任な負担の押し付けです。

人と人を分断して悪意を煽るそれらしい理屈なんてものはヘイトスピーチの手法を用いれば容易に作り出すことができるもの。それに対して悪意を煽られるのは対象にも理由があるからではないのかというのはヘイトスピーチに加担する行為。

「扇動された悪意」に対抗する明確な方法は、それが「扇動された悪意」にすぎないことを種明かしすることというものです。種明かしによって、向けるべき方向を歪められた意識を本来向けるべき方向に正すことができるのですから。

そして、それは小異があることをもって人々を分断し憎悪を煽り、それにより利益を得る人に対抗する手段でもあります。

*1:そういう椅子に座ろうとしない人の中には、頑張れば頑張るほど労働力の安売り競争を激化させるだけという現実に見切りをつけて諦めてしまった人もいるでしょうに。

*2:団塊ジュニア世代にしても時代の影響によりそういう風になっただけでしょうし

*3:というか「批判」をちらつかせての「脅迫」

2007-05-17

[]分断される団塊世代団塊ジュニア世代

96 :( 'A` ):2007/05/03(木) 19:20:30 (自動リンク防止のためID略)

>>1

その問いに答えるのは簡単です。

全共闘世代が、その既得権益を守るために、徹底的に団塊Jr.を犠牲にしたからです。

だから答は「お前らが言うな!この全共闘ブサヨ世代が!」となります。


(管理人より:もちろん>>96は間違っている訳ですが大体のネトウヨの想いを代表した見方

かもしれません。既得権益を守っているのは官僚自民党なんですが‥更に自民党が

構造改革で社会を2極化してフリータ等を悲惨な状況に追い込んだのですが‥)

階層分析は手段 - 模型とかキャラ弁とか歴史とかでこういうコメントを引用したわけですが、こういう団塊ジュニア世代の労働条件の悪さの原因を団塊世代の所為にする言葉をネットではしばしば見かけます。

そういう言葉が正しいかというと、引用元管理人コメントにもありますが、それは誤りです。

確かに団塊世代は団塊ジュニア世代に比べて労働条件が良かったわけですが、そういう労働条件を変えたのは団塊世代ではありません。自民党です。

1990年代の話。

自民党はリストラという名の首切りの奨励により労働市場を供給過剰にしました。その結果の求職者の供給過剰が労働力の安売り競争になったわけです。不況時の雇用拡大政策をするべきところをリストラ政策で人余りに拍車をかけたわけですね。

自民党は派遣労働を労働者の能力の有効活用という名目で推進しました。その実態は労働力の期間工化で、これにより(人件費の高騰理由である一方、高技能職の養成にも役立っていた)終身雇用制が破壊されました。

労働者による労働力の安売り競争も、終身雇用制の破壊も自民党の政策の結果なのです。*1

そして、これらの自民党の政策の結果、大企業の人件費を抑制したいとの意向が実現されたわけです。

労働条件の悪化は不景気の所為だけではないということですね。企業側にしてみれば収益のために労働者を安くこき使いたいというのは、ある意味、当然のことです。

団塊世代の労働条件が団塊ジュニア世代に比べて良いのは概ね事実ですが、団塊ジュニア世代の労働条件の悪化に手を下したのは団塊世代ではありません。団塊世代の労働条件が良いのは、単に自民党が労働条件を変える前に就職したからというだけの話です。

にも関らず、こういう団塊ジュニア世代の労働条件悪化の責任は、自民党から団塊世代に転嫁されているわけです。これは、こういう構造を作り出したものに対してではなく、こういう構造の上に偶々乗っかっているだけのものに対して非難しているわけで、的外れな非難というものです。

もっとも、自民党にしてみれば、団塊ジュニア世代の労働条件悪化による鬱屈した不満を団塊世代に向けさせることができるわけで、大助かりというものでしょう。

弱者*2と弱者を分断して、弱者が弱者を攻撃するようにしむけるのは昔ながらの統治手法。そのようにすることによって弱者同士がいがみ合い、互いに不満を吐き出している分には、弱者の不満が団結して権力に向かうということが起こり難くなるわけですから。

そこで展開されるのは、弱者と弱者が作り出された構造の中で踊らされて互いに不満をぶつけ合うという不毛な世界。本当に不満をぶつけるべき相手は、そういう構造を作り出したものだというのに。

そして、弱者は自分よりマシな条件の別の弱者の条件を羨み、憎しみ、叩き、条件が低い方に合わせて引き下げられることで「平等」が達成されることを望み、それは権力側の望みにも貢献するわけです。企業が望む人件費抑制や労働強化や社会保障負担削減といった形で。

*1:本筋とは関係ありませんが、団塊ジュニア世代で出生率が増加しなかったのも、労働者の生活の安定に寄与していた、そして、それにより家庭の構築にも寄与していた終身雇用制の破壊が原因の一つというものでしょう。

*2:ここでいう弱者は権力にとっての弱者であって、団塊世代は団塊ジュニア世代に比べれば強者だとかの批判は的外れということは予め言っておきます。

2007-05-16

おだてブタ

[]おだてブタ

f:id:D_Amon:20070516122030j:image

カミさんのキャラ弁。今回はタイムボカンシリーズのおだてブタ。

こういう感じだとご飯が適量な感じで助かるなあと思いました。

カミさん曰く、おかずのトンカツとブタをかけているそうです。

タイムボカンシリーズ ボカンGo Go Go

2007-05-15

[]「扇動されやすさ」が克服可能かという賭け

扇動されにくい群衆を求めることとは - Flying Floppy Waferに対しての応答です。

「真の」民主主義などと言ってしまう時点で私はこのひとは理想を追い現実を見ない人だと判断するが、民主制もいわば政体の選択肢の一つにすぎないのであって、むしろ民主制の欠点として、プロパガンダに弱いことが上げられるだろう。

まず、民主主義の辞書的な意味は「人民が権力を所有し行使するという政治原理。権力が社会全体の構成員に合法的に与えられている政治形態」(「大辞林 第二版」より)となります。

人が「扇動されやすさ」を克服できず一部の扇動者が実質的な権力を握る状態では、人は名目的な権力を所有していても実質的な権力を所有していないことになります。そういう扇動政治は政治思想としての民主主義から程遠いというものです。

「真の民主主義」という言葉は民主主義はそういう扇動政治とは別の形態として存在するということを示すための言葉です。

私はブックマークコメントで「「扇動されやすさ」を克服できないということは、総体としての人間は未来永劫、劇場型政治にいいように操られつづけ、真の民主主義に近づくことはありえないということですね。それならそれで、しょうがないです」と発言しました。真の民主主義に「到達」ではなく「近づく」と表現したのは、私自身、人がそういう真の民主主義に到達することはないだろうと考えているからです。人の怠惰と無関心がそれを阻害するからです。それでも、到達はできないにしても、近づくことくらいはできるだろうというのが私の考えです。総体としての人は同じような手口に騙され続ける愚か者ではないからです。

私は階層分析は手段 - 模型とかキャラ弁とか歴史とかにおいてこのように書きました。

「扇動されやすさ」が克服可能かは私にはわかりません。「扇動されやすさ」の克服が人という生き物の生来の性質に反した理想であるならば、それは達成し難いでしょう。

しかし、私は人は知識の獲得により「扇動されやすさ」を克服できる方に賭けています。「氏より育ち」という言葉を、完全にではありませんが信じているからです。

人は騙されやすい生物ですが、知っている騙す手口には、そう簡単に騙されたりはしません。扇動に対しても同じことです。ゆえに私は、人がそういう知識を獲得することで、例えば過去に学ぶことで、「扇動されやすさ」を克服できる方に賭けるのです。そして賭けに負けることも折込済みで賭けに敗れたときの諦観もしています。

こういう考えを「理想を追い現実を見ない」と判断されるのであれば、それはそれで仕方がないと思いますが、私にしてみれば、貴方の方が私を「理想を追い現実を見ない人」とすることで自らを優位な立場に置こうとしているように見えるわけです。

民主制は民主制で長所も多い(日本は立憲君主制だが)。

ただし、ひたすら現実的であれと説きたい。

群集は扇動に弱い。それは古今東西変わらない。これからも変わらないのである。

その現実を見ずに「扇動されないこと」を求めて行くと、結局寡頭制や独裁制へつながる。権力を行使しうる人間が扇動されなければ、扇動という脅威から逃れることはたやすくなる。逆説的だし短絡的のようだが、理想を追い求めた結果ロクでもないことになった事例ならそれこそ歴史に山と積まれている。

群集が扇動に弱いかどうかは、その群集を構成する人によるでしょう。宣伝に対する知識を身につけた人は容易に扇動されません。使い古された宣伝文句に対してはむしろ白けるのです。そして、そういう宣伝に対する知識は歴史を経て蓄積されつづけているわけです。群集の扇動されやすさはこれからも変わらないと断言できるものではありません。そういう断言の方が、前進と後退を繰り返しながらもトータルでは前進してきた人の歴史を否定するものと言えるでしょう。

後段に関しては、民主主義が扇動政治により全体主義に堕した歴史は「扇動されやすさ」が寡頭制や独裁制へつながることを示しているわけで、現実とは逆です。

スレ主は過去や現代の人間ができないことを、「私ならできる」と思う人なのだろう。

私は、過去や現代の人間ができなかったことは、「私にもできない」と思う。

科学ならともかく、政治や統治といった分野において、いったい人はどれだけ進歩したというのだろうか。

民主制を信じそれをうまく活用していこうと思うなら、「群集は一人の扇動者によってたやすく操作される」ことから目をそらしてはいけないし、その事実を変えることができると勘違いすべきではない。

近代民主主義の誕生は進歩ではないのでしょうか。三権分立基本的人権、万民の平等はそれ以前と比較して大いなる進歩ではないのでしょうか。政治や統治といった分野においても、人は過去にできなかったことを成し遂げてきたわけです。

「扇動されやすさ」に関しても、人は社会心理学や大脳生理学などの形でその仕組みを理解しつつあります。それらからもたらされる技術は扇動に利用されうるものであると同時に扇動に対する対抗手段ともなります。「扇動されやすさ」を克服できないという断定は単に貴方の思い込みではないでしょうか。

私にしてみれば貴方の態度は単なるシニシズムだと思いますよ。

2007-05-14

[][][]二つの判断基準

人がある話を受容するか拒絶するかの判断基準は極端な話、二つだけです。それは感情的な快・不快と論理的な正・誤。

この二つの判断基準は人の心の中に混在しています。

それゆえ人は、論理的に正しくても感情的に不快な話に対しては拒絶するために論理的に誤っていると思い込める理屈を捏ねたり、論理的に誤っていても感情的に快な話に対しては受容するために論理的に正しいと思い込める理屈を捏ねたりすることがあります。

人は論理より感情を優先することが往々にしてある生物です。「人は信じたいものを信じ、信じたくないものは信じない」という言葉がでるわけです。

それは論理的な正しさだけでは人を動かせないことがあることを意味します。

また、それは論理的に誤りでも相手にとって感情的に快であれば、話を受け入れさせることができることも意味します。例えば、以下に引用するコメントのように。

523 名前:無名の共和国人民 :07/05/08 03:09:51

http://blog.goo.ne.jp/littorio/e/ed90a12dad6eb282ed6fef1548d1f5ec

>学がある左翼は去り

>学の無い左翼が病気のように吠え

右翼が武器を捨て、知性をつけ書とペンを持った

>古い学の無い右翼は右翼である事を否定された


こんな右翼マンセーレスに青字付けるなんて

littorio君の程度が知れるねw

まいどさん 今日の御用は?

このコメントで引用されている文章は「学がある右翼」と自己認識している人物にとって快な話で構成されています。この文章の論理的な正・誤については言うまでもないでしょう。

こういう文章を喜んで受け入れるということは、本人がどう主張していようと本心では自らを右翼と認識していること、論理的な正・誤ではなく感情的な快・不快で物事を判断していることを示しています。

人はこのように自らにとっては感情的に快な情報を精査せずに受容してしまうことがあります。

こういう感情的な快・不快で物事を判断する人を動かす技術の基本は、相手が気持ち良く感じるように話を組み立てること、どうしても不快な話を受け入れさせねばならない場合は不快感を可能な限り小さくすることとなります。

そして、世の中にはそのためのノウハウを集めた本もあります。D・カーネギーの「人を動かす」がそれです。

人を動かす 新装版

この本には対立を避けつつ相手に感情的に受け入れやすい形で話をするノウハウが記述されています。

「人を変える九原則」であれば、まずほめる、遠まわしに注意を与える、自分のあやまちを話す、命令をしない、顔をつぶさない、わずかなことでもほめる、期待をかける、激励する、喜んで協力させる、というように。

紹介しておいてなんですが、私はこの本に載っていることを文字通り「人を動かす」ことに用いることをお勧めしません。

むしろ、この本は感情に訴えかける技術を利用して人を操作しようとする手法に対する対抗知識を得るために読むべきだと考えています。手口を知ること自体がこのような人心操作技術に対する防御手段になるからです。*1

課題

この二つの判断基準に従って考えれば、人に受容されやすい宣伝が満たすべき条件も見えてきます。

感情的に快な話であること。不快を避けられない場合は、それを最小限にとどめる話にすること。

論理的に正しいこと、あるいは論理的に正しくなくても詭弁などで論理的な正しさを装うこと。


これらの条件から、ある種の宣伝が人をひきつける理由も見えてきます。

選民思想は気持ちが良い。自己を偉大なる集団の一員とみなすことだけで優越感に浸れるから。

レイシズムは気持ちが良い。他者を愚劣なる集団の一員とみなすことだけで相対的に虚栄心を満たせるから。

歴史修正主義は気持ちが良い。凡庸なる自分を特別な知識を持っている特別な自分にしてくれるから。


さらに、これらから宣伝に扇動されないための課題も見えてきます。

話の感情的な快・不快に惑わされないこと。

いかに論理的に正しく感じられても、ついていけない話は拒否すること。「詭弁論理学」にも示されているように。

関連

階層分析は手段 - 模型とかキャラ弁とか歴史とか

「間違っている論理展開」と「わら人形論法」に耐性の無い人々 - 模型とかキャラ弁とか歴史とか

*1:こういう考えをしているので、私は各所で見るカーネギーの言葉を受け売りしている人に対して微妙なものを感じてたりします。

2007-05-13

[][]階層分析は手段

社会を構成する人々の階層分析が「右傾化」の原因探求に利用されているのを見ると私は陳腐に感じます。それは私が階層分析を有効な宣伝を行なうための手段と考えているからです。

「右傾化」している人々に貧困層のような経済的弱者が多いのが事実としても、それを「不景気による経済的弱者の増加が『右傾化』の原因であり、景気が良くなれば解決するであろう」というように解釈する考え方には同意できません。

経済的弱者のような社会的弱者が鬱屈した不満を抱え込みやすいのは事実でしょうし、そういう不満を抱え込んだ人が不満を解消するための手段を求めがちなことも事実でしょう。

しかし、「右傾化」は不満を解消する手段の一つに過ぎません。不満は「現在の状況を作り出した体制への批判」に向かっても良いわけです。

そうはならないのは「右傾化」している人々になされている宣伝の影響というものでしょう。不満が体制批判に向かわないように別の方向に逸らすといった種類の宣伝の。

例えば、ネット上には以下に引用するような自民党に責任があることでもサヨク責任転嫁するような宣伝がまかり通っています。

1 :諸君、ブラマンやφ ★ :2007/05/03(木) 19:05:21 (自動リンク防止のためID略)

 正規社員から非正規社員への流れが進んでいる。派遣や請負、

さらには日々ネットカフェでその日の職を探す人が増加し、最近では、

24時間営業のファーストフード店で夜を過ごす若者まで登場してきた

といわれる。若者に過酷な状況を強いるのは何なのか、そしてそこから

抜け出すことはできるのか。日本労働弁護団事務局次長の棗一郎

弁護士に話を聞いた。

――フリーターや非正規社員などからの相談を通じてわかる、今の若者

の現状とはどのようなものでしょうか。

 私はフリーター全般労組、個人加盟のユニオンなどを通じてフリーター

の人々と付き合うようになりました。実態は労働者派遣なのに、請負契約

を装うことで企業が雇用責任を免れる偽装請負、偽装雇用の事件を担当

してますけど、その部分の若者の現状が一番ひどいですよね。日本は

何でこんなになっちゃったのかなってぐらい…。ちゃんと雇用関係に

なっていないで、月に10万〜15万円とか手取りでもらって、どうやって

食べてるのかな、と。しかし、それでも安定した職がある人はまだ「マシ」で、

スポット派遣といったものも広がっています。

(中略)

――若者が好きなときに働きたいということから「非正規」という選択を

取っているという議論もありましたが。

 誰が好きこのんで非正規で不安定雇用を望む人がいますか。文句を

言えば、解雇されちゃうんですよ。賃金は安いし、社会保険も労働保険も

ない、いつ解雇されるかわからない。もちろん、プラプラしている人もいる

でしょうけど、30歳前後にして月給10万でどうやって食べていくんですか、

家族を作っていくんですか、また、結婚したり、家を手に入れたりるん

ですか。普通に考えればいるわけないじゃないですか。

(以下略、全文はソース元でご確認下さい)

ソース(J-CAST) http://www.pheedo.jp/click.phdo?i=da95eedf5e92e5a13bbe5075f6ca0b60


(中略)


96 :( 'A` ):2007/05/03(木) 19:20:30 (自動リンク防止のためID略)

>>1

その問いに答えるのは簡単です。

全共闘世代が、その既得権益を守るために、徹底的に団塊Jr.を犠牲にしたからです。

だから答は「お前らが言うな!この全共闘ブサヨ世代が!」となります。


(管理人より:もちろん>>96は間違っている訳ですが大体のネトウヨの想いを代表した見方

かもしれません。既得権益を守っているのは官僚+自民党なんですが‥更に自民党が

構造改革で社会を2極化してフリータ等を悲惨な状況に追い込んだのですが‥)

「30歳前後で月給10万、どうやって食べていくんですか」…棗一郎弁護士、語る - 2ちゃんねるとネット右翼(ネトウヨ)ウォッチング&その分析

他には、対中ODAは自民党親中派(旧橋本派)が主導しているのにサヨク批判に用いられたり、北朝鮮への米支援も自民党*1が主導しているのにサヨク批判に用いられたり。

私は「右傾化」の実態は、このような宣伝の結果だと考えます。

「不景気による経済的弱者の増加」は、自らの境遇に対する不満をぶつけるための、あるいは自己愛を満たすための「正義」を欲する人々が増える条件ではあっても、「右傾化」の直接の原因ではないでしょうという話。

「右傾化」に見られる歴史修正主義レイシズム・反弱者救済にしても、宣伝の間違いに気づけない情報弱者な人が、歴史修正主義・レイシズム・反弱者救済を「正義」とし、反歴史修正主義・反レイシズム・弱者救済をサヨクとし「悪」であり「攻撃すべき敵」とする宣伝を鵜呑みにしているだけでしょうという話。

人間はいい加減に「扇動されやすさ」を克服すべき

この考えが正しいとして、そういう宣伝に対しては、その「正義」を砕く宣伝や、新たな「正義」を与える宣伝が対抗手段となりうるわけですが、私はそういう対抗宣伝に不毛なものを感じます。

そもそも、人々がそういう宣伝を鵜呑みにしなければ、そういう主張が蔓延することもありえないからです。

仮に対抗宣伝で短期的にはそういう宣伝を無効化できたとしても、そういう宣伝を行なう人がいて人々がそういう宣伝に対する耐性を身につけていない限り、人間は長期的には何度でも同じことを繰り返すことでしょう。

対抗宣伝の必要性については大いに認めるところですが、そういう宣伝に対する根本的な対策として人間はそういう宣伝に対する「扇動されやすさ」を克服すべきと私は思います。

「扇動されやすさ」が克服可能かは私にはわかりません。「扇動されやすさ」の克服が人という生き物の生来の性質に反した理想であるならば、それは達成し難いでしょう。

しかし、私は人は知識の獲得により「扇動されやすさ」を克服できる方に賭けています。「氏より育ち」*2という言葉を、完全にではありませんが信じているからです。

*1:自民党は米余りで困る日本の農家の米を買い取って北朝鮮に送ることで票田のご機嫌取りをしていたわけです。東南アジアの安い米を買って送った方が費用対効果が良いにも関らず。

*2:遺伝より環境が人を作るという意味で

2007-05-12

「ゲゲゲの鬼太郎」のぬり壁

[]「ゲゲゲの鬼太郎」のぬり壁

f:id:D_Amon:20070512123914j:image

カミさんのキャラ弁。今回は「ゲゲゲの鬼太郎」のぬり壁。

………って、おーい。

随分と簡単な構成ですが、理由があるそうです。カミさん曰く、友人に誰にでも簡単に作れるキャラ弁の作り方を紹介して欲しいと言われたとのこと。おむすびマンを勧めたら「綺麗に三角を作れないし、バランスを上手く出来ない」と言われたそうです。

確かにこれなら誰にでも簡単に出来そうだなあ、と思いました。

ゲゲゲの鬼太郎 音楽編(3)

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