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2008-01-21

[]「虐殺少数派」のトリック

6「虐殺少数説」の登場

本章で見てきたように、一九八〇年代は、南京事件をめぐる激しい論争に触発されながら、南京戦に参加した旧軍関係者の記録や証言がつぎつぎに発掘、公表され、南京事件における捕虜の集団虐殺などの局面がかなり明確になり、また下級兵士たちの陣中日記や手記が公刊されて、強姦、略奪、暴行、放火など末端部隊における不法行為の実態も明らかになり、それらの新資料を基礎にして、南京事件調査研究会のメンバーを中心に、南京事件の多面的な実態とその原因分析をふくめた全体像の解明が急速な進展を見せた。こうした史料の発掘と研究の進展のなかで、「まぼろし派」「虚構派」は学問的には破綻した。

それにかわって南京事件の事実は認めながらも、犠牲者数や規模を小さく見積もることで、事件としての深刻な意味を過小評価して、戦争につきものの事件の一つにすぎない、中国の「三〇万人虐殺」は「虚構」であると主張する「虐殺少数説」が登場するようになった。「虐殺少数説」の役割は、虐殺問題を虐殺者総数の数量の論議に矮小化させ、肝心な虐殺の実態や被害者の実態にたいする関心を稀薄化させ、ある意味で「ゲーム化」した数字や計算の議論に「論争」を集中させる傾向をもたらしたことである。「虐殺少数説」の本音は「南京大虐殺」の否定にあり、南京事件の実態を解明してその事実を誠実に受け止めようというところになかったことは、「虐殺少数説」派の板倉由明の前述のような元兵士たちの証言封じの活動からも明らかである。

南京事件論争史―日本人は史実をどう認識してきたか (平凡社新書 403)P164-165より。

「虐殺少数派」のトリックその一。虐殺問題を虐殺者総数の数量の論議に矮小化。

ある種の「虐殺少数派」が歴史修正主義者と呼ばれる理由はその姿勢にあります。口先で「誠実」を装おうとも、その姿勢*1から『「大虐殺」を否定することで事件を否定したい』という本音が透けているのです。

本当に南京事件の実態を解明してその事実を誠実に受け止めようという姿勢があれば、そうそう歴史修正主義者と呼ばれることはないというものです。


板倉由明 『本当はこうだった南京事件』 (日本図書刊行会、発売近代文芸社、一九九九年)

同書の出版年は一九九九年であるが、板倉由明の単行本はこれ一冊であり、一九八〇年代からの主要論文が収録されている。板倉由明は板倉製作所の経営者であったが、一九八一年から南京事件の研究を始め、編集委員として偕行社『南京戦史』の編集に参加したという人物である。

板倉由明の主張の原点は、板倉由明「“南京大虐殺”の数字的研究―『三〇万虐殺説』虚構の証明」(1)〜(3)(雑誌『ゼンボウ』全貌社、一九八四年三月、一〇月、八五年四月)にある。板倉は「一〇万、二〇万、三〇万以上などという天文学的数字」の虐殺がありえなかったことを証明すれば、中国のいう南京大虐殺は虚構だったことになるとして「数字的研究」をおこない、不法殺害された被虐殺者数を一万ないし二万人と結論している。板倉は、資料から算出された中国兵の死者三万二〇〇〇〜三万五〇〇〇人中、不法殺害を八〇〇〇人と推定しているが、それは中国兵の投降兵、敗残兵、捕虜の殺害を不法殺害=虐殺とみなさないようにしているからである。

板倉は、南京の人ロを東京下町の人口密度と比較しながら、「私の推計では南京は三〇万都市である。いいところ四〇万で、人口百万というのは相当のホラであろう」などと統計資料も調べないで推定し、残留市民を皆殺しにしても「三〇万人虐殺」不可能と断定している。

板倉は「『南京大虐殺』とは、『南京大屠殺』虐殺紀念館の壁の数字、即ち三〇万の虐殺を必須要素とし、日本車占領後六週間、城内外都市部とその近郊で起こった虐殺事件をいう。この定義による限り、私は『南京大虐殺は無かった』と断言する」といい、いっぽう「『南京事件』とは日本軍の南京占領前後に発生した一連の不祥事をいう。不法殺害を一ないし二万人と推定する」と定義する。板倉は南京事件はあったが南京大虐殺は「虚構」であると主張し、日本の「南京大虐殺派」は「中国の主張する三〇万を至上命令とするイデオロギー信者」「中国政府への精神的服従」者であると決めつける。

板倉のいう「南京大虐殺=三〇万人虐殺」は「虚構」「でっち上げ」といういい方は、南京虐殺の事実を否定できなくなった人たちが否定のための方便としていい逃れ的にいう手法で、南京虐殺はまったくなかったと主張する南京大虐殺「虚構説」と意図的に混同させて、けっこうつかわれている。


秦郁彦 『南京事件―「虐殺」の構造』 (中公新書、一九八六年)

大蔵省参事官から防衛庁に転出、防衛研究所の研究員となった秦郁彦は、軍事史、戦争史研究に従事、その後いくつかの大学教授を歴任した。本書は秦が日本軍の戦闘詳報や参戦者の日誌など、当事発掘、収集が進んだ旧軍関係の史料をつかって南京における日本軍の虐殺、略奪、放火、強姦などの蛮行の事実を明らかにし、南京事件の全体像を描こうとしたものである。

同書で秦は「不法殺害は四万?」といういい方をして、約四万人という被害者数は「あくまでも中間的な数字にすぎない」として「新資料の出現で動くこともある」と柔軟な姿勢を見せていたが、その後、小野賢二らによって第一三師団山田支隊だけで、一万五〇〇〇〜二万の捕虜集団虐殺をおこなったという新資料が発掘されても(後述)、四万人という数字を変えず、むしろ「中間派」としての存在を示すためにこの数字を固定してしまった。

秦は、南京事件の犠牲者数を一般人一万二〇〇〇人、捕らわれてから殺害された兵士三万人、計三万八〇〇〇〜四万二〇〇〇人と推計するが、前掲のいわゆる「大虐殺派」の約二〇万人と大きく違うのは、戦闘意欲をまったく失っている「敗残兵」や「投降兵」の殺害を「戦闘の延長と見られる要素もある」として、虐殺とは見ないこと、また軍服を脱ぎ棄てて民間人の服装に着替えて難民区に逃げ込んだ兵士を「便衣兵」とみなして、その殺害を「処刑」と考えたことである。

秦や板倉のような「虐殺少数説」(実際は一万人、四万人でも大虐殺であるが、数字のマジックで、三〇万人、二〇万人と比較すれば大虐殺ではないかのような錯覚に陥る)は、「敗残兵」「投降兵」あるいは「捕虜」の殺害を戦闘にともなう「合法的」なものであるとして、虐殺行為とみなさないことが、前掲のいわゆる「大虐殺派」の犠牲者数約二〇万人説と大きく違うところである。

同書P166-169より。

「虐殺少数派」のトリックその二。数字のマジックで大虐殺ではないかのように錯覚させる。

「虐殺少数派」のトリックその三。「不法殺害」が少なくなるように「法解釈」することで犠牲者数を少なく推計。*2


犠牲者数に関する質問に簡単に答えないことがある理由

史実派が南京事件の犠牲者数に関する質問に簡単に答えないことがある理由の一つは、犠牲者数の推定を論点にすること自体がここでいう『「虐殺少数派」のトリックその一』のような「虐殺少数派」の手にのることになるからです。


犠牲者数より虐殺の構造の方を問題にすべきと考えるのも理由の一つです。犠牲者数自体は日本軍の体質と日本軍の戦力と南京の人口規模の結果であり、投降兵を殺害したり物資を略奪に依存したりせざるをえないように日本軍兵士を追い込んだ大日本帝国の在りようの方が重要な問題というものでしょう。


事件における犠牲者の推定数が虐殺と判断する範囲をどうとるかによって大きく変わりうるというのも理由の一つです。

期間的範囲をどうとるか。

地理的範囲をどうとるか。南京城区なのか。南京行政区なのか。さらに広大な範囲なのか。

虐殺行為とみなす範囲をどうとるか。民間人の殺害。捕虜の殺害。投降兵の殺害。逮捕した敗残兵の殺害。逃亡する敗残兵の殺害。戦闘における殺害(戦死者)。

こういった範囲をどうとるかによって、同じ情報に基づいていても犠牲者の推定数は大きく変わります。*3

「虐殺少数派」は敗残兵や投降兵の殺害を虐殺行為とみなしませんが、「大虐殺派」は虐殺行為とみなします。*4

中国は犠牲者に戦死者も含めているようです。*5

事件における犠牲者数を推定するためには、まず犠牲者とする範囲を定義するところから始めなければなりません。「お互いが納得できる犠牲者数」を推定するためには、犠牲者とする範囲の定義において合意を形成するところから始めなければならないわけです。


虐殺行為とみなす範囲に対する私の判断

私は犠牲者に戦死者も含むとは判断しませんが、中国がそう主張するのは侵略された側であることを考えれば分からないでもありません。

逃亡する敗残兵の殺害は(通常は戦死者扱いだとしても)南京事件においては虐殺の犠牲者に含めてもいいと私は判断します。私がそう判断するのには理由があります。

不公正だからです。*6

私は板倉由明が「適性派(ママ)」じゃまずいでしょう、山本さん(追記あり) - Apeman’s diaryのコメント欄でこう発言しました。

>降伏していない敵を攻撃するのは戦闘行為の一部である

これに関しては当時の日本軍の不法な捕虜殺害は知れ渡っていたわけで、捕まったら殺される以上、中国軍が「確実な死である降伏」より「生き延びる可能性がある敗走」を選択するのは当然なわけです。

「降伏していない敵を攻撃するのは戦闘行為の一部」であり不法殺害ではないとしても、(日本軍の行動から判断して)中国軍に降伏という選択肢は無いも同然だったことを考えれば、これを問題の無い行為として扱うのは公正とはいえないと思います。

この辺の判断は価値観によるでしょうが。

日本軍が投降兵も捕虜も裁判抜きに殺害してしまうような軍隊であり、それまでの戦闘でそれが知れ渡っていたがゆえに、中国軍兵士には事実上、投降という選択肢はなく、武器と軍服を棄てて便衣(民間人の服)を身につけて民間人の中に逃げ込むしかありませんでした。

日本軍はこうした敗残兵を掃討するために、ほぼ無差別に成年男子を「便衣兵」と認定して連行し集団処刑をおこなったので敗残兵も民間人も逃げ出すしかありませんでした。

日本軍による不法殺害により事実上、降伏という選択肢はないも同然。それにも関わらず降伏していないことをもって「不法殺害ではないから虐殺とはみなさない」というのは不公正というものです。

一般的に、追撃戦における残敵掃討は文学的表現としての虐殺ではありえても戦争犯罪としての虐殺ではありません。しかし、私は投降兵を殺害するような軍隊による虐殺犠牲者数推定には殺害された敗残兵の人数を含んでもよいと考えます。事実上、逃亡する以外の選択肢が封じられているからです。

合法(リーガル)と公正(フェア)は異なります。逃亡する以外の選択肢を封じておいて逃亡をもって「不法殺害ではない」というのは合法ではあっても公正ではありません。

*1:三〇万人説の否定に対する固執とか。

*2:「虐殺少数派」の「法解釈」については同書のP169からの記述で批判されていますが、そういう「法解釈」に問題があるのはサービス終了のお知らせ - Yahoo!ジオシティーズを読まれても明らかだと思いますので省略。

*3:同時に「範囲外」とされる犠牲者の扱いに対する問題もつきまといます。

*4:逆に言えば「虐殺少数説」を支持するということは投降兵の殺害は虐殺に当たらないという判断の表明となるわけで、人数だけに着目して「虐殺少数説」を支持しているような人はそういう所も認識しておいた方が良いと思います。

*5:中国側は否定しています。cf.南京事件をどうみるか―日・中・米研究者による検証

*6:不公正な殺害を犠牲者数に含めるという私の価値観の表明。

2008-01-13

[]SOBA氏提供のバナーを外すことにしました

ブログよりSOBA氏提供のバナーを外すことにしました。

バナー作者とそれを使っている他の人々を侮辱するとは「殿!ご乱心」か(笑)。

『「自民党TBP」 からパージ』の言い回しもあれですが、バナーをはってる人への侮辱は見逃せません。しかも御自分はまだバナーを: 雑談日記(徒然なるままに、。)

の「それを使っている他の人々」の「一員」としてSOBA氏に加担する形になるのは嫌だからです。この度の「論争」はSOBA氏の方が悪いと認識しています。

加えて、こういうSOBA氏自身のコミュニケーションの問題に「それを使っている他の人々」を巻き込むような発言自体、数を頼みとする性根の嫌らしさが滲み出ているように感じて受けつけられません。

SOBA氏にはバナーを外すのはまだ早い。長期不当拘束⇒冤罪(人質司法)の構図がなくなった訳じゃない。裁判も終わってはいない。: 雑談日記(徒然なるままに、。)の賛同リストより当ブログを外されますようお願いいたします。


バナー賛同します - 模型とかキャラ弁とか歴史とかを読んでSOBA氏提供のバナーを貼られたカーツさん(はてなダイアリー)には申し訳ありません。

2008-01-09

[][]「中立」というポジションの魅力

「中立」な人の発言の特徴

  • 「よく分からないけど、どっちもどっち(どっちもバカ)」系の発言
  • 「つまらないことに熱くなってバカじゃないの」系の発言
  • 「どちらからも責められてつらい立場です」系の発言

上記のような発言は、歴史修正主義論争などにおいて史実派(肯定派)と否定派を「どっちもどっち」といってしまうような「中立」な人の心理をよく示していると思われる。

「よく分からないけど、どっちもどっち(どっちもバカ)」系の発言

「よく分からない」、つまり両者の意見の妥当性を判断するだけの知識もないのに関わらず、「どっちもどっち」と両方を見下している発言。両方の発言に価値を認めないので「どっちにも一理有る」というような表現にはならない。

「つまらないことに熱くなってバカじゃないの」系の発言

論争の対象になっていることは「つまらないこと」であり、それについて熱心に論じることは愚かであるとし、両方を見下している発言。

「どちらからも責められてつらい立場です」系の発言

「つらい立場」と自己憐憫している発言。「責められる」ことを理不尽と認識していることを示している。

仮説

本来、中立というポジションは論争の両者の意見の妥当性を判断するだけの知識が無ければとれない。

しかし、半端な知識しか無いのを自覚しつつ「中立」というポジションで論争に言及したがる人(そして半端な知識ゆえに頓珍漢な発言をしてしまう人)がいるのは「中立」というポジションに精神的に魅力があるからではないだろうか。

「中立」な人の発言の特徴から以下のような精神的魅力があることが考えられる。

  • 「両者を評価する立場」という上位視点で言及することにより論争に必要な知識を得るのに必要なコストを殆ど払わずに論争の両者を見下すことができ、ローコストで優越感を得られる。
  • 「両者を評価する立場」で言及することにより「自らの賢明さをアピール」することができ、簡単に自己顕示欲を満たせる。
  • 「どちらからも責められてつらい立場」の自分に対する憐憫に自己陶酔できる。

「中立」の背景には「(「両者を評価する立場」という「上」の位地に自分を置くことで)お手軽に優越感を得たい」というような心理的欲求があるのかもしれない。


相手に疑問をぶつけながら相手の知識に対する敬意が無いことや、自分で調べて知識を得ようという姿勢に乏しいことについては以下のように考えられる。

  • 論争の対象になっていることを「つまらないこと」と認識しているので相手の知識に対する敬意が無い。
    • あるいは、相手の知識に敬意を持っては優越感を満たしがたいので、「つまらないこと」と認識することで相手の知識に敬意を持たない。
  • 論争の対象になっていることを「つまらないこと」と認識しているので、その知識を得るためにコストを払う意欲が無い。
    • あるいは、知識を得るためにコストを払う意欲が無いゆえに、「つまらないこと」と認識することで知識を得るためにコストを払わない自分を正当化

というようなことを情報弱者な「普通の人々」 - 模型とかキャラ弁とか歴史とかを読み直して思いました。

知識があれば史実派(肯定派)と否定派のどちらが正しいかは一目瞭然で、それに対して「中立」なんていうのは賢明であることではなく只の無定見の表明に過ぎないんですけどね。

[][]「上から目線が気に入らない」

論争になっていることに関する知識がないのに関わらず上から目線で知ったようなことを言う評論家気取りの人が自分の無知を指摘された際に不勉強を省みない自らの態度は棚に上げて無知を指摘した人に対して言う言葉。

という場合がある。

[][]「頭が良いつもりなんだろうが」

論争において相手の知見が自分より優れていることを認めざるをえず相対的に自らの愚かさを自覚させられた際にその自覚の裏返しとして論争相手に使われる言葉。言われる人は「頭が良いつもり」なんてことはなく、その知見は謙虚で知的に誠実ゆえだったりする。

という場合がある。

2008-01-07

[]問題の無い懐疑派と問題の有る懐疑派

「否定派ではなく懐疑派」という人の懐疑派というのが、「そういう事件はあっただろうけど中国の言う30万人説は本当なのだろうか」程度なら私は問題ないと思います。

国内の肯定派でも「中国の言う30万人説の蓋然性は低いと思う。笠原説(あるいは秦説)くらいが本当なのではないか」というのが主流でしょうし。

しかし、あからさまに問題の有る主張をする「懐疑派」の人もいたりするんです。

例えば、殊更30万人説を問題にして、それを否定すれば何かしら戦争責任が免罪されるかのような主張をする人とか。

以下、ざっと思いつくもので「問題の有る懐疑派」と私が思うものを列挙。


  • 事件の存在は認めても、事件を矮小化するために言うことが否定論者と同じ。
    • 南京の人口は20万人。20万人のところで30万人は殺せない。ゆえに30万人はありえない」*1とか「犠牲者の名簿を出せ」とか。
  • 事件の存在は認めても、象徴的な数字を目の敵にして、それを躍起に否定する。(象徴的な数字は南京事件なら30万人、ホロコーストなら600万人とか)
    • その象徴的な数字を否定すれば(同時代比較で)大したことはしていない(だから反省する必要はない)と思っているかのよう。「大したことない」という論理 - ノーモアのコメント録
    • 否定するに当たって被害側がいかに嘘吐きでペテン師かを主張。
      • 象徴的な数字の否定をもって「あいつらは嘘吐き(あるいはペテン師)だ」というように被害側に対する差別視の正当化に用いる場合もある。
  • 事件の存在は認めても、過度の矮小化が前提だったりする。(南京事件なら被害者数が数十から数千人とか)
  • 被害側(ホロコーストならユダヤ人、南京事件なら中国人従軍慰安婦なら朝鮮人など)に対し(レイシズムが丸出しだったり透けて見えたりする)ヘイトスピーチを繰り返す。
  • ひたすら事件の矮小化目的で、慣用的に使われている表現の変更を求める。(「南京虐殺はあったけど南京大虐殺はなかった」とか)
  • 事件の存在は認めても、事実関係からありえない「しかたがなかった論」「大したことはしていない論」を展開して戦争責任を免罪しようとする。
  • 史学的な記述を政治的に後退させられ続けている歴史教科書の記述ですら自虐史観と呼んだりする。

目的によって分けると、

  • 事件について知らないがゆえに事件について知ることが目的になっているのが「問題の無い懐疑派」
  • (「大日本帝国的なもの」を擁護したかったり、レイシストで差別対象に負い目を持ちたくなかったりで)事件について知ることではなく事件を矮小化することが目的となっていて懐疑をその手段としているのが「問題の有る懐疑派」*2

懐疑派でも、こういう「問題の有る懐疑派」は歴史修正主義者と呼んで差し支えないと思います。

日本において南京事件で30万人という数字を殊更問題にしているのは否定派だったり(広義の否定派と言っても良いと思う)「問題の有る懐疑派」だったりで、傍から見て「30万人かそうでないのか」という論争を作っているのはこういう人達というものです。

で、こういう人達と議論にならないのは、既に過去の議論で決着済みのことを何度も蒸し返してループさせるからなんですね。

[]史実派(肯定派)と懐疑派

史実派は懐疑派と議論しなければいけませんか?

なんか議論しないと責められるようですけど、それは妥当なことでしょうか。

懐疑派の疑問は知識がないゆえなわけで、史実派のやることが懐疑派の疑問点に対する説明になるのは当然のことではないでしょうか。

「差分」なんて言いますが、「差分」に関する疑問への対応が説明になるのも当然ではないですか。

それで議論しないことを責められても困惑するしかないというものです。

議論をしたいのであれば、その前提となる相応の知識を身につけてからにするのが「議論のマナー」というものではないでしょうか。

知識が無いのに関わらず「よく分からないけど、どっちもどっちだよね」なんていうのは議論の土台にすら立っていないというものです。「議論しない」と「議論にならない」は違います。「議論にならない」相手と議論することはできません。


我ながら非道い書き方だと思います。

しかし、議論の前提となる知識を持っていないのに対等に議論をすることを求めたり、相手が知識を持っていること自体をバカにしたりする態度の方が非道いと私は思います。

敬意を持てとは言いません。ただね、議論の前提となる知識を持っていないにも関わらず相手をあからさまにバカにする態度はどういうことかと。それは頭に血が上って言葉が荒くなることもありますよ。


というようなことをbuyobuyoさんのこの記事の「どうしても言葉が荒くなる日もある」という言葉を見て(主旨とは関係ないですが)連想した日。

まあ、荒い言葉を使うと相手の反発も大きくなりがちで対話においては良くないんですがね。

*1南京事件で安全区の人口が増えた理由 - 模型とかキャラ弁とか歴史とか

*2:否定派が事件について否定できなくなると、せめて矮小化してやろうとしてこういう懐疑派になったりする。

2008-01-05

[]知らないからこそ気楽なことが言える

youichirou 「いくら何でも30万はないだろ。ウン千程度が関の山じゃね?」という疑問を持ったら「南京事件は無かっただなんていうとは歴史修正主義者め!」って非難される例とか。

はてなブックマーク - 「なにが歴史修正主義の問題なのか」についての私見 - Close To The Wall

id:youichirouさん、まず「ウン千程度が関の山じゃね?」というのを蓋然性のある主張にしてみてくださいませんか。

ウン千程度というのは知識の有る人から見れば過度な事件の矮小化にあたるわけで、歴史修正主義者と非難されても仕方がないのではと思います。

「いくら何でも30万はないだろ」というのはOKです。30万人説の蓋然性は低いですから。

ただ、30万人説の蓋然性は低いですが無いわけではありません。

戦史上の南京事件 - 模型とかキャラ弁とか歴史とかで引用した文に記載されているように、その数は資料の累積に基づいており、その資料の信頼性に応じた蓋然性はあるわけです。

それに真っ向から対抗するためには、それ以上に蓋然性の高い説を出してそれを受け入れさせる必要があります。

そして、それ以上に蓋然性の高い説を出そうというのであれば「ウン千程度」は無理です。「ウン千程度」の蓋然性は皆無と言っていいでしょう。

未公開資料に頼るまでもなく、1980年代に公開されていた日本語資料だけでも秦説のように万単位の虐殺は否定できないからです。*1

そういう事情ですから「ウン千程度」というのが事件の過度な矮小化と受け取られるのは仕方ないですし、事実上の事件の否定と受け取られるのも仕方ないでしょう。

で、そういうような否定しているように見える、あるいは矮小化しているように見える言動が海外に知られた結果が、そのカウンターとしての日本軍が行った過去の残虐行為の掘り返しなわけです。

そういう現象に対する私の個人的感情を述べれば「アホが傷を広げやがって」です。

私にしてみれば、そういう南京事件の否定や過度の矮小化は知らないからこそ言える無責任な発言なんですね。

私はそういう無責任な発言をしてほしくないのです。やるなら、きちんと蓋然性のある主張を、できれば南京事件について国際的に知られている東京裁判認定の20万人説以上に蓋然性のある主張をしてほしいのです。それが出来ないのであれば専門家に任せておいてほしいのです。

ですから、問題を悪くするだけの無責任な発言を批判するのは当然のことなんです。

追記(2008/01/07)

はてなブログ

youichirouさん、真摯な対応ありがとうございます。

「書いた数字そのものには余り意味はありません」とのことですが、その上で敢えて述べれば「ウン千程度が関の山じゃね?」ではなく秦説を主張していれば「歴史修正主義者め!」と非難されることはないのではと思います。

「ウン千程度が関の山じゃね?」というのは、いかにも「数千人程度が最上限」というのを高い蓋然性があるかのように主張しているように見えます。

[]消耗死と補給について

吉田裕による『餓死した英霊たち』評 - Apeman’s diaryコメント欄より。

みみずく 2007/03/02 12:26

めでたくwikipediaからはジンギスカンハウスの記述が削除されたようですが、Apemanさんの調査のほうは進んでおられますでしょうか。

せっかくですので、本文のほうにもコメントさせていただきます。

主張の方向性には異論ありませんが、主題である消耗死と補給について、戦史を学ぶものから見ると、ちょっと補足したくなる箇所があります。とりとめが無くなるので2点ほど。

消耗死について。古今東西を通して戦死よりも行軍や野営による消耗死のほうが多く、南方戦域での消耗死率も、日本史的に異例の割合であっても、世界史的にはありふれた数字です。

補給について。補給には調達・保管・輸送の3側面があり、水・食糧・飼葉に関して現地調達は(必要量をまかなえる限りにおいては)最善の調達手段です。

孫子にも「智将は敵に食む」とあり、ナポレオンの快進撃も現地調達が支えました。

二次大戦の日本軍では、島嶼方面では現地調達への過剰期待が悲劇を招きましたが、大陸方面での現地調達は概ね順調でした。

もちろん、インパール作戦は補給の本質を無視した暴挙だったこと、それ以上に戦争そのものが悲惨で不条理なことに変りはありません。

monro 2007/03/02 12:56

みみずくさん

お願いなんですが、日本軍は近代国家軍隊として現地補給をし、その中で餓死者や戦病死者を出していたわけですから、せめて20世紀に入ってからの他国軍隊との比較で教えてくださいよ。

Apeman 2007/03/02 13:15

ちょっと追記しようとしていったん削除したら、monroさんからコメントを頂戴しているのに気づきました。というわけでコメントの順番が入れ替わってしまいましたが、議論の流れに影響を与えることはないと思います。


書店に出かけるたびにインパール作戦関係、ないし評伝の類を探して当たってはいるのですが、なかなか戦後について書かれたものは見つかりませんね。


「古今東西を通して」という視点を忘れてはならないのはご指摘の通りだと思いますが、20世紀の戦争と中世、古代の戦争とを同列にならべるわけにもいかないのではないでしょうか? 例えばアレクサンダー大王や曹操が自軍の兵士を餓死・病死させたといったはなしに対して「個々の兵士の死に思いを馳せる」ような感受性を涵養せよということではなく、いまだにご遺族が存命であるような、そして現在の政府と相当程度の連続性を持つ政府だった時代のはなしですから。

また20世紀の戦争でも「現地調達」が直ちに否定されているわけではなく正当な対価を支払っていればいいわけですが、ご承知の通り旧軍にはその点で多くの不備がありました(軍票の乱発により現地経済を混乱させたことを含め)。特に東南アジア、大平洋戦域では交戦相手でない国、社会にも被害を与えたわけですし。

みみずく 2007/03/02 17:46

私もまだ学習中の身であり、掲示板での議論には興味がありませんので、お勧めの本「補給戦(中央公論新社)」を紹介して消えます。

失礼を承知で書きますが Apeman さんに補給を語れるだけの知識はありませんよね?

定番の古典書です。軍事関連での主張を継続されるなら、かならず役に立つはずです。最近は勉強もしないで他人の主張を受け売りするばかりの輩が多いですが、簡単に論破できるようになります。


牟田口氏の件は、ぶっちゃけ有名なデマです。無批判に信じ、裏も取らずに故人を辱める当エントリ、早めに削除されてはいかがでしょうか。

失礼なことを書きまくっていますが、このコメントは削除していただいても構いません。

できることなら、ネットにデマを拡大再生産しつづける当エントリ丸ごと削除していただければ嬉しいな、と思って書いていますので。


追伸:

軍票についても多大な誤解があるようです。

簡単な調査と学習で、多くの誤解が解けると思いますので、こちらも調べてみることをお勧めします。

Apeman 2007/03/02 20:26

もともと「伝聞であることを明記」+「仮定のうえでのはなしであることを明記」した記述を撤回するだけの根拠を


「故人を辱める」というなら、ナポレオンのみならず孫子を引き合いに出してインパール作戦を論じることこそ餓死・病死した将兵を「辱める」行為でしょう。

くま(仮) 2007/03/02 21:10

>みみずくさん

 クレフェルトの『補給戦』はみみずくさんもおっしゃる通りたいへんよい本ですね(Apemanさんもおヒマでしたらぜひぜひ)。

 しかしながら敢えて異を唱えさせていただきますと、自分がこの本を読んで受けた感想は

>補給について。補給には調達・保管・輸送の3側面があり、水・食糧・飼葉に関して現地調達は(必要量をまかなえる限りにおいては)最善の調達手段です。

>孫子にも「智将は敵に食む」とあり、ナポレオンの快進撃も現地調達が支えました。

 というものから遠いのです。

 たとえば本書の記述によればナポレオンの快進撃は、現地調達が支えたというよりはむしろ、従来に比べて「より穏当な」現地調達が支えたものであるように思われます。具体的に言って、正式の主計官を現地に派遣して補給物資を準備させる、帳簿に記録を残し領収書を発行する……といった手法が。

 以下は全くの個人的な夢想ですが、仮にクレフェルトがインパール作戦を論じた場合、その舌鋒は恐らくApemanさんよりもはるかに歯に衣着せぬものとなろうと自分は思います。


>軍票についても多大な誤解があるようです

 日本軍の軍票が現地経済に与えた影響の方向性および程度について書かれた書籍ないし資料で、お勧めのものがあったらぜひ教えてください。読んでみたいと思います。

みみずく 2007/03/02 21:56

>くま(仮)さん

消えるつもりでいましたが、冷静なコメントをいただけたので、あと1レスだけ。

ナポレオンが従来より穏当、という指摘は的確です。しかしナポレオン以前を基準にするなら、日本軍の現地調達も穏当です。(それ以前が悲惨すぎるだけですが)

世界戦史においては、日本軍による現地調達が、史上最後の大規模な直接的軍事的収奪活動だったとも言えますが、それも東西の歴史的背景と発展状態の違い(鉄道網・自動車の有無・弾薬への依存度の低さ)が生んだ必然ではないでしょうか。

軍票については私も体系立てた知識があるわけでもなく、詳しい書籍を精読したわけでもないので、人様に語れるほどの知識はありませんが、ご参考までに基本的なところを幾つか記しておきます。

・軍票とは軍に物資を提供した際に発行される領収書であって、支払いを保証するものではない。

・軍票による徴発はハーグ陸戦条約にて認められている(現金決済ができない場合の代替手段として。しかし大抵の軍隊にカネがないのは常識)

・軍票の意義の一つは、軍構成員による略奪を非合法化できたこと。軍票登場以前は、軍に現金が無くなったときに組織ぐるみでの略奪を肯定せざるを得なかった。

・人道的兵站で有名なアメリカ軍も、1970年代まで軍票を発行していた

・日本が軍票を決済していないのは、サンフランシスコ講和条約において戦勝国が権利放棄したことを根拠としている。(代償として各国「政府」に莫大な賠償金を支払っている)

・無秩序な軍票発行がインフレその他の害悪を撒き散らすのはは、マネーサプライと無関係に、非専門家により発行される軍票の本質的な弊害。日本軍固有の悪弊ではない。

・敗軍の軍票が換金されないのは珍しい話ではない。(収奪に際して略奪や暴行が伴わず、運が良ければ支払ってもらえるだけマシ)

戦争で戦争に手を染めた国は、ことごとく「悲惨」と「悪」とに手を染めざるを得ません。

にも関わらず戦争が「悪」と認識されるようになったのは、たぶんベトナム戦争以降でしょう。

それ以前の社会を生きた人々を、まして死者を、現在の価値観で裁くのはいかがなものでしょうか。

まだ戦争にロマンチシズムが息づいていた時代には、戦争における勝利は文明の栄誉ですらあったのですから。


>Apemanさん

私は断じて故人を辱める言動をしていません。

くま(仮) 2007/03/02 23:01

>みみずくさん

>世界戦史においては、日本軍による現地調達が、史上最後の大規模な直接的軍事的収奪活動だったとも言えますが、それも東西の歴史的背景と発展状態の違い(鉄道網・自動車の有無・弾薬への依存度の低さ)が生んだ必然ではないでしょうか。

 恐らく主張の骨子と思われるここについてですが、

 必然という言葉を「こうなったのには、こうなるだけの理由があったのだ」という意味で使っておられるのならば、かなりの部分同意できます。

 「しかたがなかったのだ」という意味で使っておられるならば同意できません。

 あくまでも自分の狭い知見の範囲内ではありますが、「日本軍の現地調達には当時の(日本政府および陸軍の少なからぬ要人の)価値観においてすら『ゆきすぎ』とみられるものが少なくなかった」と思われるからです。


 軍票については自分もこれから調べてみようと思います。

D_Amon 2007/03/03 17:53

>みみずくさん

クレフェルトの『補給戦』は補給において輸送力をかなり重視していて、北アフリカ戦線でのロンメルに対する戦略面での批判の根拠は輸送能力の限界を無視した補給の要求と進軍にあったと記憶していますが。(近世以前のような輸送力の乏しい時代から近代のような輸送手段の発展した時代への補給の形態の変化も本書の醍醐味の一つというものでしょう)

その観点から見れば『補給戦』は日本軍を正当化するどころか、むしろその駄目さを強調する根拠になると思います。

ガダルカナルニューギニアなど太平洋戦域における日本軍の展開は輸送力的に楽観視しし過ぎな軍事的行動だったわけで、近世以前の戦争での現地調達の記載をもって『補給戦』を日本軍の現地調達の正当化に用いるのはおかしいというものでしょう。

ガダルカナルなんかは日本からもアメリカからも遠く離れた島でしたが、日本軍の方はあの惨状だったわけで、(お分かりとは思いますが)消耗死は現地調達の問題というより輸送の問題というものです。

食料の現地調達にしてもベトナムのように現地の人々に大量の餓死者を出すような状況になっていたわけで、「大陸方面での現地調達は概ね順調でした」とするのは、それで日本軍の必要量をまかなえたとしても、あまりにも問題のある行為ではないでしょうか。

現地の人々の生活を破壊するような現地調達といい、近世以前ならともかく近代戦を戦う軍隊としてはありえない数の消耗死(まさしく、近代戦においては異例の割合)といい、日本軍の補給戦における問題は明らかで、それに対して、「古今東西を通して戦死よりも行軍や野営による消耗死のほうが多く、南方戦域での消耗死率も、日本史的に異例の割合であっても、世界史的にはありふれた数字です」とか「ナポレオン以前を基準にするなら、日本軍の現地調達も穏当です」とかいうのは「当時の日本軍は近代戦を戦える軍隊ではなかった」という意味では必然ではあっても、「近代戦を戦った軍隊」としては必然ではありません。

日本軍の現地調達や消耗死は「近代戦を戦った軍隊」としては問題のあるもので、それが非難されるのは当然のことというものでしょう。

「それ以前の社会を生きた人々を、まして死者を、現在の価値観で裁くのはいかがなものでしょうか」というのは、当時の日本軍の行動を正当化しようとする意図をもつ言葉と受け取れるわけですが、当時の日本軍は「近代戦を戦った軍隊」として同時代比較でも非常に問題のある行動をしていたわけで、裁かれてやむなしと思います。

みみずく 2007/03/04 01:08

>D_AMon さん

最近は稚拙な論理展開で旧日本軍の戦争を肯定しようとする輩も多いですが、そういう手合いは私も大嫌いです。反論の術を持たない他者を容赦なく悪者扱いすることで善人面しようとする輩と同様に、です。


装備の話をされているので、装備の話で返しますが・・・

「当時の日本軍は近代戦を戦える軍隊ではなかった」とは的確な表現です。

限りある資源を海軍装備に回し、火砲・戦車・トラックなどの陸軍装備は重視されず、結果として陸軍は装備も兵站も近代化されませんでした。

しかし陸軍は大陸で戦果を挙げ続け(同時に前近代的な悲惨も生み続け)、結局は海軍の破綻が敗戦の原因となりました。

先に書いた文の「必然」を補足しますが、日本には全軍を近代化するだけの資源や工業力がなく、大陸では前近代的な陸軍でも十分に役立つことから近代化が遅れ、その時点で開戦を回避することができなかった。その必然として「史上最後の大規模な直接的軍事的収奪活動」が発生した、という意味合いです。

擁護も批判もしているつもりはありませんが、私の信条が気になるのであれば、ご自由に想像いただければと思います。


>Apemanさん

ちょっと煽り気味のコメントを書いたことはお詫びいたしますので、早急に「信頼できるソース」または「調査中である旨の注意書き」を本文中に追記いただけないでしょうか。

議論をしているうちに、例のキーワードで検索すると当エントリがGoogleの上位に表示されるようになってしまいました。私は当エントリには2度と書込みませんが、適切な対処が行われることを切望しています。

Apeman 2007/03/04 11:59

みみずくさん

ちょっと不可解なのですが、あなたは「デマ」であるとする根拠をご存知なのではないですか? あなたが「デマ」だとおっしゃるから私は調査のうえ然るべき対応をとると申しあげたわけですが、私の調査をまてないとおっしゃるのならみみずくさんなりのご調査の一端を披露していただければあなたの意に添う結果になるのではないですか? 上にも書きましたが、あなたが「デマだ」とおっしゃったから「はいそうですか」はおかしいでしょう? べつに取り消したくなくてゴネているのではありません。うっかり断定的な書き方をしていたのであればすでに取り消すなり適当な付記を行なうなりしたでしょう。しかし書いたものを引っ込めるからには引っ込めるだけの根拠を知りたい、と考えているだけです。

D_Amon 2007/03/04 18:43

みみずくさん

何故に装備の話と解釈されるのでしょうね。

まあ、装備の問題もありますが方法の問題の方が大きいでしょう。

大井篤の「海上護衛戦」を読めば分かるように、輸送の方法が悪かったために米軍の通商破壊活動で容易に輸送船を沈められて補給を断たれ、また計画段階で補給の目途が立たないのに無理な進軍を強行することで徒に多大な消耗死を引き起こしたのですから、それらが裁かれるべきなのは当然というものでしょう。

過酷な軍事的収奪活動にしても補給の目途が立たないのに無理に進軍したのが原因の一つで、現地に送られた兵士が生き抜くためにそのような収奪活動を行なったことには同情の余地はありますが、計画段階で無理なことが明白な進軍を強行した人々が裁かれるべきなのは当然というものです。

陸海軍ともに兵站を軽視し無理な作戦を強行した結果の(近代戦においては異例な)消耗死と軍事的収奪なわけで、無理な作戦を強行しなければ多くの人が犠牲にならずに済んだのです。

無理な進軍の結果、戦線が崩壊し、その立て直しを図る際に敵に降伏することも許されずに前線に置き去りにされ餓死したり病死したりした人の身になって考えれば、そういう作戦を強行した人々は到底許すことができないのではと思います。

貴方の話は「装備的に仕方がなかった」と読めるわけですが、装備的に無理な作戦を強行することも十分問題のある行動です。


>結局は海軍の破綻が敗戦の原因となりました。

日中戦争の拡大と国民党への補給路を断つための軍事的展開が勝ち目の無い対米戦争の原因なわけで、大本を考えれば陸軍の無謀が敗戦の原因というものでしょう。海軍もそれに協力していたので同罪というものでしょうが。

海上輸送において陸海軍が仲違いしつつ、それぞれ独自に輸送船を運用するなんてことをし、輸送用に「陸軍空母」や「陸軍潜水艦」を運用するなんてことをしていたのを考えれば、そんなことをしなければならないほどに陸海軍が対立していた日本軍の体質の方も問題ですね。陸海軍は仲が悪いのが相場とはいえ。


>そういう手合いは私も大嫌いです。反論の術を持たない他者を容赦なく悪者扱いすることで善人面しようとする輩と同様に、です。

日本の戦争責任を追及している人でそういう人はいるんですかね。まあ、いるのかもしれませんが。

むしろ、あれこれ理屈を捏ねて「仕方がなかった」論をぶつことで当時の戦争責任者を免罪しようとするような人がいるから、「仕方がなかった」なんてことはなく明白な人災であったことを説明せざるをえないのではと思いますよ。

eichelberger199 2007/03/07 18:32

すでに退去を宣言されている方ですので、これは独り言です。軍票というものが、ご指摘のようなものだとすると、


>・軍票とは軍に物資を提供した際に発行される領収書であって、支払いを保証するものではない。

?・軍票による徴発はハーグ陸戦条約にて認められている(現金決済ができない場合の代替手段として。しかし大抵の軍隊にカネがないのは常識)

>・軍票の意義の一つは、軍構成員による略奪を非合法化できたこと。軍票登場以前は、軍に現金が無くなったときに組織ぐるみでの略奪を肯定せざるを得なかった。


 軍票が、軍が徴発をしたことを示す領収証にほかならないとすれば、「軍票で何かを購入する」というのは、経済的にはまちがった表現ではないということですね。軍票それ自体には交換価値はない。

 だとするとですね。先の戦争中に日本軍の慰安所で慰安婦から性的サービス受け、それに対して軍票で支払いをすると(南方戦線ではほとんどが軍票で支払われました)、これは経済的には、役務を徴発したのであって、売買ではないということになります。つまり、「商行為だった」とか、「ビジネスだった」とかいう言い方は、軍票の何たるかを知らない無知な言説だということになりますね。

eichelberger199 2007/03/07 18:34

訂正です。


誤記

「「軍票で何かを購入する」というのは、経済的にはまちがった表現ではないということですね。」


正しくは、

「「軍票で何かを購入する」というのは、経済的にはまちがった表現だということですね。」


謹んで訂正いたします。

文中、私の発言の「楽観視しし過ぎ」は「楽観視し過ぎ」の誤り。

*1:その上、敗戦時の資料焼却が「これだけのことしかしていない」を日本側資料で蓋然性の高い主張にすることを不可能にしています。

2008-01-04

「家庭教師ヒットマンREBORN!」のイー

[]「家庭教師ヒットマンREBORN!」のイーピン

f:id:D_Amon:20080104130102j:image

カミさんのキャラ弁。今回は「家庭教師ヒットマンREBORN!」のイーピン。

作る前に「ラーメンマンとイーピンのどっちがいい」と私に聞いていましたとさ。

追記

画像では潰れ気味ですが、ちゃんと髪の毛もついてますよ。

見える、見えるはずだ。プチトマトと栗キントンの間に。

2008-01-03

[]愛国とか言うなら、まず否定論が他国の対日感情を悪化させる上に他国に政治カードを与えてしまうという現実を認識すべき

いや、下記はてなブックマークid:bin3336氏のコメントに対して思ったことなんですがね。

まあ、肯定派が愛国左翼だったら、「〜は否定できないから、(中国プロパガンダに対して)日本はこういう戦略で対抗すべきだ」のように建設的な意見を言うと思うけどね。

はてなブックマーク - 正しい意見を間違っているかのように印象づけるテクニック - 劇場管理人のコメント - 分裂勘違い君劇場グループ

で、建設的かどうかは分かりませんが、私は過去にこういう発言をしています。

既に学術的には歴史上の事実として確定している南京事件をわざわざ否定することで蒸し返し、中国に日本を責める口実を与え歴史認識カードを渡している南京事件否定論の方が売国行為であり戦後日本の名誉を著しく傷つける行為。南京事件否定論者には自らの行いが日本の恥を世界に曝していることを自覚してほしいものです。

戦史上の南京事件 - 模型とかキャラ弁とか歴史とか

南京事件否定論者の書き込みは彼らの意図とは裏腹にアメリカ人に「日本人はレイシストだ」と思わせる宣伝として機能しているわけで、アメリカ人の対日感情を悪化させる行為なわけです。まったくもって日本の恥。国内だけならともかく世界にまで恥を曝すのは勘弁して欲しいものです。

日本の恥を海外にまで曝さないでほしいものです - 模型とかキャラ弁とか歴史とか

歴史修正主義レイシズムが日本で容認されていると勘違いされることによる風評被害は日本の国益に反します。

歴史修正主義者達が、日本の中で内向きに閉じこもっているのならともかく、英文サイトにまで荒らし行為を行うなんていうのは日本の恥を世界に向けてさらす、まさしく国辱ものな振る舞い。

愛国者であればこのような行為を見過ごせようか。いや、ない。(反語)

世界に向けて日本の恥を叫ぶ人々 - 模型とかキャラ弁とか歴史とか

南京事件が政治問題と化したのは1970年代から1980年代の南京事件否定論論争から。結局、それが中国に歴史認識を巡る政治カードを与えてしまいました。

「中国のプロパガンダ」なんて言いますが、日本の南京事件否定論が「中国のプロパガンダ」に根拠と大義名分と国際的影響力を与えてしまったわけ。

現代史を振り返れば、否定論が歴史の一部を政治問題と化し、他国に非難の根拠を与えているのです。日本の一部政治家従軍慰安婦否定論を発言したために複数の国から従軍慰安婦に関する対日決議が為されたように。

本来なら歴史の一部で済んでいたことが政治問題となったのは否定論の責任。

真に戦後日本のことを思うのであればオウンゴールはいい加減にやめましょう。

追記

否定論側の人の一部には南京事件は戦勝国に政治で押しつけられた歴史という認識があるようですが、南京事件の様子は戦中から報道されていたわけで、その認識は誤りです。

歴史には、勝者が都合のいいように歴史を捏造した(と疑われる)部分がある例*1もありますが、南京事件はそれに当てはまりません。

追記2

bin3336 修正:↑不見識か・・・。なるほど。少なくとも、私のコメントについた星の数以上の人が肯定派の言説に納得していないということですね。

はてなブックマーク - 愛国とか言うなら、まず否定論が他国の対日感情を悪化させる上に他国に政治カードを与えてしまうという現実を認識すべき - 非行型愚夫の雑記

むしろ、そういう定型的な偏見による先入観がそれだけありふれているということですね。で、そういう人は偏見による先入観で生み出した藁人形を叩いて悦にいると。貴方は丁度良くその典型例を示してくれたわけです。

それにしても、いやはや…。「私のコメントについた星の数以上の人が肯定派の言説に納得していないということですね」みたいな多数派修飾論理の使用が、さらに貴方の内面を示しだしてますね。

追記3(2008/01/04)

Kanemori リベラルとか言うなら、まず「議論をするな!」型の論が言論の自由を悪化させる上に国民の知的水準を低下させてしまうという現実を認識すべき

「議論をするな!」ではなく「まず基本的知識を身につけてくれ!」ですね。基本的知識を身につければ否定論の頭の悪さや、否定論が行う捻じ曲げの手法がいかに言論の自由を悪化させ否定論に感染した人の知的水準を低下させてしまうか分かってもらえると思います。

「南京事件」新書二冊程度の基本的知識すら重荷で「まず基本的知識を身につけてくれ!」が「議論をするな!」に聞こえるというのではないでしょうから、否定論側のその手の手法に乗せられているのではないでしょうか。

バカな出鱈目を否定することは全然「議論をするな!」ということではないですよ。

バカな出鱈目は議論をするに値しないので議論の必要がないのです。

もはや議論の必要がないこと - 模型とかキャラ弁とか歴史とか

mmasuda 「政治的対立より"真実"が大事」という素朴なところに立脚している人には通じない罠。

通じないでしょうね。

でも、「そういうことを認めることが日本を政治的に滅ぼす」的な偽ユダヤ人の系譜の説を振り撒いて否定論をぶつ人には通じるでしょう。

まあ、「政治的対立より"真実"が大事」とか言う人が求める"真実"が歴史学的事実であれば私は特に問題ないと思います。

問題はバカな出鱈目を"真実"なんて言ってしまう人なのですから。

[][]歴史修正主義は、敗者が「実はこうだったんだよ」と捏造して自らを慰めるための「歴史」

そして、結果として、さらに惨めな思いをすることになる結果をもたらす「歴史」。

余計に悲しくなるようなことはやめましょうよ。

*1:例えば記紀

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