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模型とかキャラ弁とか歴史とか このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2008-12-29

続・痛い買い物

[][]続・痛い買い物

f:id:D_Amon:20081229222115j:image

約束したものも作れていないような何時になったら作れるのか分からない身なのにかかわらず相変わらず買い続けている模型。

振り返ると今年は痛車の模型展開が結構な注目をあびた年だったと思います。

通常の自動車模型ではありえないような販売量を記録した2月発売のハルヒ痛車。

CCPのきゃらコン、グッドスマイルカンパニーデカール単品販売というように他社も参入し、来年にはフジミも痛車用デカールを発売する予定で、この動きは当分続きそうです。

さておき。

今月もまた買ってしまいました。痛車関連商品を。

二個買いしてしまいそうな自分を抑えたアオシマの痛車シリーズ魔法少女リリカルなのはStrikerSチェイサー、結局買ってしまったアオシマの痛車シリーズリトルバスターズ!サバンナRX-7、グッドスマイルカンパニーの初音ミクデカール。

来年も買い続けてしまうだろう自分が痛い。

2008-12-28

マクロスFRONTIERの娘々娘(にゃんにゃ

[]マクロスFRONTIERの娘々娘(にゃんにゃんむすめ)のキャラ弁

f:id:D_Amon:20081228134517j:image

カミさんが作ってくれたキャラ弁。今回はマクロスFRONTIERの娘々娘(にゃんにゃんむすめ)。

カミさん曰く、マクロスは初代が好きで、マクロスFは認めないとのこと。

私はなかなか面白かったと思うのですが、カミさんによるとキャラクターデザインからして気に入らないそうな。

2008-12-13

[]ぶざまな姿でがっかりさせないでほしい

twitterではこう主張していた藤田直哉氏。

このエントリは色々理屈が破綻している。

http://d.hatena.ne.jp/D_Amon/20081209/p1

http://twitter.com/naoya_fujita/status/1047859549

しかし、そのような発言をしておいて、追記に対する反論である

http://d.hatena.ne.jp/D_Amon/20081210/p1

に対してまともな反論はせず。


倫理というより言葉の定義の問題ですね。

知識人は確かな知識に基づいて知性的な言動を行う人というものでしょう。

一知半解の知識で適当なことを吹くような反知性的な言動を行う人を知識人とは言いません。普通は愚か者扱いされるでしょうね。藤田氏の場合、それは「「一般大衆」の代弁者として偽悪的に振舞」っているがゆえのことなわけで、藤田氏にとっての「一般大衆」はそういう愚か者ということでしょう。

http://d.hatena.ne.jp/D_Amon/20081210/p1

に対する反応と思われるものがこれ。

しかし、僕は「知識人」なのか。ある人の定義からすると「(南京事件に対して)知識人は確かな知識に基づいて知性的な言動を行う人というものでしょう。一知半解の知識で適当なことを吹くような反知性的な言動を行う人を知識人とは言いません」ということなのだが、じゃあ俺は知識人じゃなく「大衆」ということになるが、「大衆」であるといってしまうとまた責められる。結論として「彼らの気に入る内容を言わなければ知識人ではない」という結論になり、さらに「大衆」であることにも責められる。こんな無茶な理屈に付き合う気はない。

the deconstruKction of right

一般論として言っている「知識人は確かな知識に基づいて知性的な言動を行う人というものでしょう」の前に「(南京事件に対して)」を加え「一知半解の知識で適当なことを吹くような反知性的な言動を行う人を知識人とは言いません。普通は愚か者扱いされるでしょうね。藤田氏の場合、それは「「一般大衆」の代弁者として偽悪的に振舞」っているがゆえのことなわけで、藤田氏にとっての「一般大衆」はそういう愚か者ということでしょう」の文の最初だけを切り取ることで文脈上の意味が変わるように引用。

あー、なんかよく見た手口だなあ…*1

私は別に藤田氏のことを知識人ではないと言っているわけではありませんね。

藤田氏は自分がそういう主張をするのは「「一般大衆」の代弁者として偽悪的に振舞」っているがゆえと主張していたのですから、その主張が知識人のものではなく藤田氏の考えるところの「大衆」のものとなるのは当然のことではないですか。

自ら「大衆」を演じておいて、その発言が「知識人」として扱われることを求めるわけですか。

あと、私は藤田氏が「大衆」であるとしても、そのことを責めたりしませんけどね。

知識人にあるまじき言動をする人が知識人を自称したりするようなことがあれば、それをおかしがったりするかもしれませんが。

正直、私は理屈の破綻をびしばし指摘してくるような反論の応酬を期待していたのですが、結果はあまりにも杜撰な曲解を使用しての藤田氏の逃亡だったわけでがっかりです。

「僕は「反・反歴史修正主義者」になる」とのことですが、はいはいそうですか、好きにすればいいと思いますよ。よく知りもしないのに知ったかぶった発言をして墓穴を掘る迂闊な人なんて世の中にありふれていて、そういう人が自ら墓穴を掘っておいて逆ギレするのもありふれていて、とりたてて特別なことはありません。充実した反論の応酬を期待していた私ががっかりというだけのことです。

*1歴史修正主義者の典型的史料歪曲手法とそっくり

2008-12-10

[][]愛国者であるから歴史修正主義を批判する

the deconstruKction of rightの追記に対して。

いや、それはwikiにすら書いてあることでしょう。そのぐらいを知っていないという「どうしようもない憶測」をあなたはされたわけですね。興味深いことです。

私は「件の藤田直哉氏の記事のように一知半解の知識で適当なことを吹くのは知識人にあるまじき行為とは思いますが、「「一般大衆」の代弁者として偽悪的に振舞」っているがゆえのことで、本人の資質の問題ではないと思うことにします」と述べてますね。

「そのぐらいを知っていない」というのが藤田氏の「一般大衆」像ということでしょう。

「歴史修正主義」という言葉を無自覚に罵倒語に利用している人たちに対して、「通俗的」な意味の方ではなく、「原義」の方で返すことで、「その用法を使う共同体」自体を相対化する意図の発言なのですが、いかがでしょうか。

「原義」の方で返すというのは「歴史修正主義という言葉の成立過程を知らないがゆえの無知に基づいた」今更の行動というだけの話ですね。「そのぐらいを知っていない」ことの表明にしかなりません。

邪馬台国どっちにあるか分からないよね、と言ってもここまで批判されないでしょう。それは「どうすんの」ってなっていないのは、ネット上で対立を孕んだ論争になっていないからでしょう。

それは「どっちにあるか分からないよね」と言っても批判はされないでしょう。「存在しない」といえば批判されるでしょうけどね。

南京事件否定論は「諸説のどれが本当か分からない」と主張しているのではなく「存在しない」と言っている説です。

そういうことが分かるように「邪馬台国の位置を特定できる史料がないからといって「邪馬台国なんて存在しなかった」と言えば否定論(歴史修正主義)扱いになるでしょうけどね」と書いたのですが読み取っていただけなかったようですね。

歴史学と歴史修正主義の関係について「どっちにあるか分からない」と表現しているのであれば、それは「本物と偽物のどっちが本物か分からない」と主張しているようなものですが、もとの発言は歴史学に基づいた諸説に対してのものなので、それはないですよね?

「科学的手法」自体への信頼感が低下しているときに「科学的である」ことを理由にした反論は無意味であると思います。「何故歴史学的でなければいけないのか」を説明して欲しいのです。

「信頼感が低下している」という前提を仮に真として、本物の方を信頼できないので本物と偽物で偽物の方を選ぶという人でもなければ、本物の方を選ぶでしょう。で、南京事件否定論は偽物。

本物にしても、より信頼度の高い本物が新たに登場すれば、そちらの方を選ぶでしょう。

「歴史学的でなければいけない」とすれば、それはそれより信頼度の高い方法を人間がまだ手に入れていないからです。仮に時空を越えて物事を直接的に観測できる技術が開発されれば歴史学はそれにとってかわられるでしょう。

あと、僕が言っているのは、学者の中でも諸説あり、そこで何が正しいかは「肩書き」で判断するものと思われるからです。我々は中身だけで物事を判断しているでしょうか? いえ、結構肩書きで判断しているはずです。中身だけで判断できるリテラシーも専門性も、当たれる一次資料もない場合、基本的に「学会」とか「大学」とかという制度の肩書きを信用しますね。しかし、その「大学教授」とかの中で意見が割れている。互いの陣営は互いの主張を「あれは聞くに値しない」とそれぞれ言っている。内容を読んで調べたり、リテラシーがあれば判断できるが、そこまでリテラシーを「皆が」上げることは、「南京」問題だけについてのみであれば可能であるが、基本的に人は面倒なことに金も時間も使いたくないので、全てに関しては無理であり、この問題だけを特別に調べなければいけないと「論理的に」説得することも難しい。そこで「倫理や責任」とかが出てくるが、それはほとんど感情の問題ではないだろうか。感情に訴えかけて「動員」をするつもりであるならば、それは「非論理主義」である。非論理的でいいのならば、修正主義のほうが動員力がある(加害の事実を否認した方が心理的コストが低いから)。以上の理由で「啓蒙」は失敗する。(現に僕一人説得するのに数人がかりで何時間もチャットやっているのだから、数千万人を説得するにかかるコストは推して知るべし)

南京事件否定論は諸説の問題ではありません。偽物が本物ぶろうとしている問題です。「肩書き」で言えば、まともな歴史学者で南京事件否定論をとなえる人はいません。むしろ、「肩書き」で判断してくれる方が助かりますね。南京事件否定論を信じてしまうような人は歴史学の「肩書き」を信じてくれない人なわけです。

で、藤田氏にとっての「一般大衆」は「肩書き」に対する信頼は有るのですか?無いのですか?

「啓蒙」に関していえば、藤田氏のようなスタンスの人を説得することは無理かもしれませんが、世の多数の人に「南京事件否定論はトンデモ」ということを分かってもらうことはできるでしょう。

ネット上で言えば、南京事件否定論が蔓延したのは対抗する情報が殆ど存在しなかった初期で、対抗する情報が充実してきた現在は目に見えて弱体化しています。

私にとって「一般大衆」は南京事件否定論のどこが出鱈目か史料に基づいてきちんと説明すれば、南京事件否定論を信じることが如何に愚かなことか分かってくれる人々です。

分かってもらえないのは後戻りできい程のビリーバーか、既にごねることが目的になってしまっている人くらいではないでしょうか。

しかし今回、「科学=歴史学」を尊重している人々の非難の言葉は「倫理」や「感情」であって、論理の言葉ではなかった。そこは抑えておきたいと思います。「件の藤田直哉氏の記事のように一知半解の知識で適当なことを吹くのは知識人にあるまじき行為とは思いますが」とかね。僕の行動が「知識人にあるまじき行為」であることについてちゃんと実証主義的に証明された研究を持ってきてください。

倫理というより言葉の定義の問題ですね。

知識人は確かな知識に基づいて知性的な言動を行う人というものでしょう。

一知半解の知識で適当なことを吹くような反知性的な言動を行う人を知識人とは言いません。普通は愚か者扱いされるでしょうね。藤田氏の場合、それは「「一般大衆」の代弁者として偽悪的に振舞」っているがゆえのことなわけで、藤田氏にとっての「一般大衆」はそういう愚か者ということでしょう。

言葉の定義の問題ゆえに実証主義的に証明された研究なんて必要ありませんね。

科学を信じなければいけないということを論理的に言うことができない、その時点で僕はもう敗北していると思うのですがどうでしょうか。「科学を尊重しろ」ということ自体がイデオロギーなんですよ。非論理主義者、反知性主義者との衝突に際し、「科学的であること」をその正しさの根拠にすることはトートロジーです。よって、感情的にならざるを得ない。南京だけでこんなに騒ぎになり、邪馬台国とか、「アポロ」だったらこうはならなかったでしょう。そのこと自体が「感情」を駆動原理にしていることの証明であり、「感情」を優先しようとしてそのために都合のいいソースを見つけ(確証バイアス)論理が破綻し、相手を「倫理的に」罵倒しというパターンは両者ともそうであると僕には思えました。(例えば、相手側の陣営の著作は「読むに値しない」という断定は両者に見られます)

この文は根本的な世界認識に対する誤解の表れでしかないと思います。

「科学を信じなければいけない」なんてことはないですよ。

現時点では人間は自らが生きる世界について確からしく知る方法として科学を上回る方法を知らない。ゆえに、論理的帰結として「確からしさを求めるのであれば科学を信じるしかない」のです。

確からしさを求めないのであれば、出鱈目な「物語」を信じ主張するのも自由です。その結果として、確からしさを求める人々からトンデモ扱いされたとしても、それは当然の報いというものでしょう。


「読むに値しない」というのは議論のルール的にはアウトです。反論において相手の主張を読んで把握するのは当然のことで、相手の主張を把握しないで勝手に作り出した像に「反論」することは普通「藁人形」という、なんてことは(ネット限定かもしれませんが)今では常識ですね。

南京事件否定論に関して言えば、その主張は南京事件FAQなどで逐次反論されているわけで、藤田氏の「両者ともそうであると僕には思えました」というのは論争の経緯を知らないがゆえの発言ではないかと思えました。

「科学的でなければいけない、論理的でなければいけない」というのを無条件で反論を封じ込めて押し付けるためには「権威」が必要であり、「論理的ではなく、そして批判してはいけない権威」ってなんのことかと思えば、天皇がそうじゃないかと思うのですが、逆に言いますが、「科学教」による「科学信仰」の押し付けの状況こそ戦争当時の日本人を髣髴とさせ、軍靴の音が聞こえるとか、簡単に言える。

これも、「現時点では確からしさを求めるのであれば論理的帰結として科学的でなければならない」というだけの話ですね。

そして、確からしさを求めることは押し付けられていません。

現に物語は物語として、信仰は信仰として尊重されているでしょう。

似非科学や歴史修正主義の問題は、端的に言ってそれが虚偽であることです。

科学でないのに科学を装う。歴史学でないのに歴史学を装う。そういう虚偽が批判されているのです。

「科学でないのに科学を装うな。歴史学でないのに歴史学を装うな」というのは論理的に妥当な主張と私は思いますよ。

「歴史学を尊重していない」、と言われても、じゃあ「愛国心を尊重していない」とか相手に言われたらどう返すんだろう、とか思うわけですよ。「歴史学」を信仰しているか「愛国心」を信仰しているかの闘争にならざるを得ない。

「そんなのは本当の愛国心じゃない」と言えばいいと思いますよ。ありのままの自国を愛せないから虚偽の歴史で美化した自国の姿を捏造しているわけですから。

少なくとも私は自国の歴史の醜い部分を知っても自国を愛しているので歴史修正主義者より遥かに自国を愛していると宣言できます。自国の歴史の醜い部分を知って醒めるような愛国心は軟弱と言わざるをえませんね。

むしろ、歴史修正主義こそ歴史を偽り先人の遺した教訓を無にし外交関係を悪化させて国を危うくする非愛国的行為。

そもそも「歴史学」と「愛国心」を対置することがおかしいと思いますね。それらは両立できるものですよ。

[]全然、具体的な説明になっていないのですけど、どういうことですか

歴史修正主義批判がなされるのは「絶対的真実としての歴史があってそれに対する修正を許さない」からではない - 模型とかキャラ弁とか歴史とかにおいてMidas氏に質問したのですが、残念なことに具体的な返答をしていただけませんでした。

Midas 拙ブクマのその後の米を参照下さい(大体の事は書きました)。でもこんなとこで油売ってないで貴殿もあのスレへ行き自身の主張をカキコされどう違うのか実感なさるのが最良かと。なぜ直接「敵」と対面しないのですか?

はてなブックマーク - 歴史修正主義批判がなされるのは「絶対的真実としての歴史があってそれに対する修正を許さない」からではない - 非行型愚夫の雑記

の「大体の事は書きました」はこれですか?

Midas id:Apeman 君はまだ女の怖さを知らない。試しにこのスレ行って「ネタですよね?」て聞いてみwそんで事実関係をきっちり証明して消火してこいよ。なぜ彼女らが「公然と」このような「修正」に勤しめると思ってるんだ

はてなブックマーク - 未ブックマークエントリー

なんというか「今はもうネタじゃなくガチ(orベタ)」と言いたいだけですか?

でしたら「残念ながら構造が全く違う」なんてことにはなりはしません。

正直言ってガチな人なんて珍しくはないので全然返答になっていませんね。

ガチの人」を認識していなかったとすれば、はっきり言って、それは今までのMidas氏の認識が甘すぎただけということになります。あと、「ガチの人」に性別は関係ないので、それを「女の怖さ」なんて言っているとすれば、さらに輪をかけてMidas氏の認識は甘すぎると言わざるをえません。

2008-12-09

[]歴史修正主義批判がなされるのは「絶対的真実としての歴史があってそれに対する修正を許さない」からではない

the deconstruKction of rightでの藤田直哉氏*1に限ることではないのですが、歴史修正主義という言葉の成立過程を知らないがゆえの無知に基づいたどうしようもない憶測と、それを前提としたどうしようもない「批判」があるのは事実ですので、それについて説明したいと思います。

@crow_henmi 普通にパフォーマティヴに左翼を攻撃しているんでしょう。そして「歴史修正主義」という言い方には、「決まっている真実」があり、それを修正している、という意味を含意していると思うが、「決まっている真実」がない以上、「歴史修正主義」というレッテルもおかしい... 5:04 AM Dec 2nd from web in reply to crow_henmi

「決まっている真実」(虐殺の数)があると思い込み、疑わず、それを信じない人に「修正主義」とレッテルを貼って攻撃する思考停止型左翼を攻撃しているんでしょう。普通に。... 5:05 AM Dec 2nd from web

ホロコースト否定論や南京事件否定論といった各種否定論が歴史修正主義と呼ばれるのは、歴史に「決まっている真実(あるいは絶対的真実)」があって、それを修正しようとしていると見做されているからではありません。

はてなキーワードの歴史修正主義にも書いたことなのですが、そういう歴史上の事件を否定しようとする人々が修正主義を騙ったことにあります。

その部分を、はてなキーワードから引用しましょう。

歴史修正主義という言葉が使われる経緯

物語られた歴史historyは,見直し=修正revisionの可能性につねに聞かれている.見直し=修正を拒否する歴史は,イデオロギー的に絶対化された歴史である.だから,修正主義revisionismという言葉も,かつては必ずしも悪い意味ではなかった.ところが近年では,「歴史修正主義」という言葉はほとんどいつもネガティヴな意味で使われ,批判の対象に付けられるべき名前となった.「ホロコースト(ナチスドイツによるユダヤ人大量殺戮)などでっち上げ」「ナチ・ガス室はなかった」などと主張するホロコースト否定論者たちが,みずから歴史修正主義者revisionistを名乗って活動していることが大きい.1990年代後半の日本に,「自虐史観」批判を掲げて登場し,「日本軍慰安婦〉問題は国内外の反日勢力の陰謀」「南京大虐殺はなかった」とまで叫ぶに至った勢力が,「日本版歴史修正主義」と呼ばれるようになったのも,この連想か働いたためである.

「歴史/修正主義」高橋哲哉岩波書店)p.iiiより。

歴史の修正を騙り歴史を捏造・歪曲・否定しようとする人々が歴史修正主義者と呼ばれる所以は、このように彼らが自ら歴史修正主義者を名乗って活動していたことにある。

科学でないのに科学を騙る似非科学のように、歴史修正主義は歴史学でないのに修正主義という歴史学の立場の一つを騙る似非歴史学として登場したわけです。

そして、歴史上の事件に対して確からしさを求め続ける学問研究の成果である歴史学を偽物扱いし学問研究の成果というに値しない否定論を「真実の歴史」と騙り続けているわけです。

修正主義という言葉はそういう彼らによって貶められ、その結果、歴史を捏造・歪曲・否定しようとする人々の呼称となってしまったわけですね。

歴史修正主義を批判する人々は「歴史は絶対的真実だ。修正は許さない」と主張しているわけではありません。そういう捏造・歪曲・否定を批判しているのです。だから、「絶対的真実なんてない」なんて歴史修正主義批判を「批判」することは荒唐無稽以外の何物でもありません。

歴史が「決まっている真実」として扱われていないことは、史料の発見や発掘や考証といった学問的手続きにより歴史が適宜修正されていることから明らかでしょう。

近年で言えば、桶狭間の戦いの様相は大幅に書き変えられましたし、伝説扱いだった夏王朝が実在した可能性は飛躍的に高まりました。

では、史料が絶対的真実として扱われているかといえば、そうではないことも明らかです。史料自体もその確からしさは厳しく追求されるわけです。

その結果、「シオン賢者の議定書」や竹内文書のような文書は偽書として扱われ史料としては扱われません。そういうものを根拠として主張する人はトンデモとして扱われます。

歴史が「決まっている真実」でない以上、新史料の登場によりそれまでの記述が覆ることもあります。

例えば、冷戦終結後、ソ連時代の史料の公開により独ソ戦の様相は随分と書き変えられました。

以上から明らかなように歴史の修正が批判されているわけではありません。

歴史修正主義批判は歴史の修正に対する批判ではなく、歴史の捏造・歪曲・否定に対する批判なのです。

歴史修正主義はなぜ悪いのか。聖書だって歴史修正主義だろw あんなもん嘘に決まってる。古事記も駄目だな。...

なぜ悪いかといえば、捏造や歪曲を真実として扱おうとするから、といったところですね。

聖書や古事記に関して言えば、それは歴史修正主義の問題というより史料としてどう扱うかの問題。

歴史学的にはそれらの内容が捏造や歪曲にまみれていることは確定的。

聖書にしても古事記にしても日本書紀にしても、その内容をそのまま歴史上の事実と主張すれば歴史学的にはトンデモ扱いされるでしょうね。でも、それは信仰や物語としてのそれらを否定することではありません。

もし事実として南京大虐殺がそんなにたくさんの数殺してなかったら、大袈裟に言いふらしてきた左翼の人こそが、イデオロギーに基づいて歴史を歪めていた「歴史修正主義者」になると思うんだが。...

中国国民党が主張する40万人説*2を日本に伝えたのは産経。産経って左翼だったんですね。

3020万人説*3を採用したのは東京裁判連合国って左翼だったんですね。

というのはさておき、この文は書いている人の「反歴史修正主義は左翼」という思い込みを暴露しているだけですね。

人数についてはサービス終了のお知らせ - Yahoo!ジオシティーズを読まれてみてはどうかと思います。

@crow_henmi しかし昔喧嘩になって調べたんだが、歴史学者の中でも意見が大きく割れているんだから、どうすんの、っていう。もうソース忘れたけど、アカデミックな権威の人が、数万から数十万まで別々のこと言ってたよ。..

諸説があること自体には問題はありません。

これまた、「「決まっている真実」(虐殺の数)があると思い込み、疑わず」という憶測に基づいた思い込みによる「批判」ですね。

現時点では、邪馬台国の位置については諸説があったりするわけですが、それで「どうすんの、っていう」こと扱いされたりすることはありませんよ。

邪馬台国の位置を特定できる史料がないからといって「邪馬台国なんて存在しなかった」と言えば否定論(歴史修正主義)扱いになるでしょうけどね。


件の藤田直哉氏の記事のように一知半解の知識で適当なことを吹くのは知識人にあるまじき行為とは思いますが、「「一般大衆」の代弁者として偽悪的に振舞」っているがゆえのことで、本人の資質の問題ではないと思うことにします。

ちなみに私は知識人でも人文系でもありません。自分のことはアホでバカでマヌケでろくでなしで腹黒、不精、駄目人間、不謹慎、偽善者と思っています。

歴史修正主義批判は虚偽を用いての戦争犯罪の否定に対するリアクションであって戦争犯罪の追及が目的というわけではない

Midas この件も「日本SUGEE!」も南京虐殺も、これまであったナショナリズムではない。左翼はまだ理解できてない。修正でなく捏造。今年初めまでは「ネタかベタか」的な論争が可能だった。もう無理。一方通行に近い


D_Amon id:Midas氏、「修正でなく捏造」なんてことは分かりきっていることで、捏造なのに修正主義を自称していたから「ハイハイ、歴史修正主義ね」と呼んでいるだけのことです。修正主義自体が悪いというわけではないんです。

はてなブックマーク - 国籍法改正反対ビラのスレッドが凄い事になっている件 - 解決不能

Midas 残念ながら構造が全く違う。その解説は「ネタベタ論争」を1歩もでてない退屈な老人の説教。そのように事象を差異へと還元する姿勢こそ誰かさんの大好きなポストモダン。君らの話してるのは「敵」の言葉>id:D_Amon

はてなブックマーク - 未ブックマークエントリー

1.どういう風に「残念ながら構造が全く違う」のか分かりません。具体的に説明してください。私にしてみれば、こういう「情報戦」ぶりは相変わらずのものに過ぎません。

2.どうして「その解説は「ネタベタ論争」を1歩もでてない退屈な老人の説教」なのか具体的に説明してください。この種のトンデモを批判すると「ネタだよ(ベタでやっているわけではない)」「ネタにマジレスかっこ悪い」とか言われることがありますが、私はネタだろうがベタだろうがマジレスするときはマジレスします。

3.「そのように事象を差異へと還元する姿勢こそ誰かさんの大好きなポストモダン」の意図を測りかねるので具体的に説明してください。「修正でなく捏造」と差異の存在を主張したのはMidas氏の方ではないかと思うのですが。それに「事象を差異へと還元する姿勢」が何ゆえにポストモダンなのでしょうか。

4.「君らの話してるのは「敵」の言葉」というのが仮に事実だとして、何が問題なのでしょうか。私は別にポストモダン自体を敵視していませんし、仮に敵視しているとして、言葉の使用で問題になるのは使用者ではなくその正誤というもの。

それが「間違っていると指摘している言葉を自ら使用している」という指摘ならば、具体的に説明してください。


nichijo_1 歴史修正主義に反対しますリングのはてサと似たようなものだね.ある戦争責任に全く言及できないで戦争責任批判気取りをしているバカはてサと似た方向性.

及び日記

id:nichijo_1氏が主張する「ある戦争責任」がどういうものかはトラックバックされた記事を読んで把握しましたが、的外れとしか言い様がありません。

そもそも戦争責任批判気取りなんてしていませんし。

歴史修正主義を批判するのは、上記しているようにそれが似非歴史学だからであって、戦争責任を追求することが目的というわけではありません。

戦争犯罪や戦争責任について書くのは、歴史修正主義者がそれらを虚偽をもって否定しようとするから、その主張がいかに虚偽であるかを示すためにそれらについて書かなくてはならないからです。

つまり、目的ではなく結果。

その結果が、見る人によっては戦争責任の追及を目的としているように見えることがあるということまで否定はしませんがね。

実際問題、歴史修正主義に関する議論が収束し、それを批判する必要が無くなれば、私もその分の時間を別のことに使えて助かるんです。

そういう意味では、ここ最近話題になっている東浩紀氏の否定論の存在を容認するかのよう主張は、議論の収束を阻害するという点において邪魔者以外のなにものでもなかったりします。

まあ、歴史修正主義を批判する動機の一部に、多くの日本人を無駄死にさせた大日本帝国の指導層に対する怒りとか、安倍政権下での従軍慰安婦否定論の国際社会における自爆のような自国の傷を広げる行為に対する怒りとかが無いと言えば嘘になりますが、歴史修正主義に関する議論が収束すれば、それらについて言及する必要がなくなるというのは本当です。

続き

愛国者であるから歴史修正主義を批判する - 模型とかキャラ弁とか歴史とか

*1:本人曰く、「「一般大衆」の代弁者として偽悪的に振舞」っているらしい。

*2:コメント欄参照

*3:コメント欄参照

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