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2010-05-08

[]「恩を仇で返すメソッド」軍人版

まだいろいろ面白い話があった。それは南京市民との暖かい交歓物語で、市民が捕虜の身分の日本軍に好意と信頼を寄せている証拠と思われて、憂さを晴らす一服の清涼剤であった。

このようなことで、南京市民とトラブルが起こった話はついになく、筆者が接した範囲でも不愉快に感じた覚えはなかった。従って東京軍事裁判南京大虐殺事件が問題になると、嘘だ、報復のためのデッチ上げだ。本当であれば南京市民があのように友好的に接するはずがなく、必ず酷い仕返しをしたはずだ。また人間が、人間を二、三〇万人も短時日で殺せるはずはなく、殺したと思う人間の方が人間の面をかぶったけだものだ、と感じたものである。

大陸打通作戦P232より。

南京事件否定論のバリエーションの中には否定の理由を人間の報復感情に求めるものがあります。

日中戦争において捕虜となった日本人が報復に遭うどころか親切にされた事例をもって「ひどい目に遭わされた人間は機会があれば仕返しをする筈だ」「仕返しの機会があったのに仕返しされなかった。むしろ友好的に接してくれた」「よって、ひどい目に遭わされたということはない筈だ」と否定するわけです。

相手国で親切な扱いを受けたことをもって相手国での戦争犯罪の事実を否定しようとする、まさに、恩を仇で返すメソッド。

こういう論法については既にApemanさんが記事に書かれていますが、そのコメント欄の

Apeman 2009/09/15 22:24 D_Amonさん、monroさん


河村たかしメソッド」は彼の実に浅薄な人間観、想像力の欠如の産物ですから、「新書一冊」では直らないでしょうね。

「河村たかしメソッド」を支えているのは「人間はひどい目に遭えば仕返しするはずだ」という単純極まりないロジックだけです。最も政治家になってはいけないタイプの人間だと思います。

(強調は引用者による)

河村たかしメソッドとは - Apeman’s diary

という言葉通りのどうしようもないものだと思います。

問題は、「大陸打通作戦」の著者が日中戦争に従軍した軍人であることと、能力的には優秀な人物と思われること。

こういう人物をしてこれか、というところに南京事件否定論の問題の根深さを感じるのです。

こういう人物が南京事件否定論に与する発言を行うこと*1に対し、知能や階層に原因を求めることはできません。

むしろ、そこには言及したいという欲望はあるのに、言及対象について「知らない」というより「知ろうとしない」姿が見えます。

「知ろうとしない」のは意思の問題であり、つまり、それは南京事件否定論が事実の問題というだけではなく心理の問題でもあることを示しているわけです。

南京事件論争においては、よく「淡々と歴史学的事実を説明すればいい」というような「アドバイス」をしてくる人がいるのですが、それで解決するなら苦労はないんですよね。百科事典的な記述だけで事足りるわけですから。


大陸打通作戦―日本陸軍最後の大作戦 (光人社NF文庫)

大陸打通作戦 (光人社NF文庫)

*1:引用部分だけだと、そのときは「と感じた」だけと言い抜ける余地はあるものの

2010-05-04

[][]偽の脅威に騙されるな : ドイツ軍ラインラント進駐の教訓

一九三六年三月七日未明、ヒトラーは軽装備の歩兵一九個大隊を、静かにラインラントヘと進めさせ、そのうちの三個大隊には、ライン川の西岸にまで進出させた。

ヒトラーはそれから四八時間にわたり、固唾を呑んでフランスイギリスの対応を注視したが、英仏両国は意外にも、明白なヴェルサイユ条約違反であるドイツ側の行動を、軍事力を用いて阻止しようとはしなかった。

英仏両国の政府と軍の上層部は、ドイツ空軍が新鋭機を用いて行っていた派手な宣伝活動に幻惑されて、ドイツの軍事力、とりわけ航空兵力を過大評価していた。

そのため、現時点で英仏とドイツの新たな戦争が勃発すれば、自国の工業地帯がドイツ空軍の爆撃を受けて壊滅する可能性も無視できないとの判断から、英仏両国政府は「ラインラントの将来はドイツ政府を信頼して任せ、ヒトラー政権との間で新たな平和機構の樹立を目指すのが最善の道だ」とする、いわば妥協的な結論に到達していたのである。

ポーランド電撃戦」P28-29より。

ドイツ軍のラインラント進駐に対する英仏両国の対応は「チェンバレンの宥和政策」と並び、しばしば「平和主義が戦争を準備した」という「歴史の教訓」として平和主義を否定するために引かれる事例です。

確かに当時の時代背景として第一次世界大戦の惨禍による「戦争はもうこりごり」という厭戦感情による「平和主義」があったのは事実です。

しかし、英仏の上層部がその「平和主義」によってラインラント進駐を見逃したかといえば、そうではありません。

彼らがそう判断した直接の理由はドイツの戦力を過大評価した結果の「合理的判断」によるもので、それはドイツの宣伝に惑わされた結果だったわけです。

当時のドイツの戦力はドイツ側の認識でも英仏とまともにぶつかれば敗北は必至なものでしかなく、ドイツは相手が軍事的対応をとれば開戦を避けるために即座に撤退する方針でしたが、それは当時の英仏には認識しえないことでした。

このような当時の外交関係から教訓を読み取るとすれば、*1それは「偽の脅威に騙されてはいけない」ということだと思います。


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