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2010-10-27

[]Nationとその訳語について

「民族」か「国民」か(メモ) - Living, Loving, Thinking, Againについてなのですが、

まあ、これはあちこち散在している独逸人が1つの大きな国家を建設して、その国民になろうぜということであって、「国民」と訳していけないわけはない。

に対しては一つの意見として特に反論があるわけではないのですが、

とにかく「民族」という訳語は、俺としては、ethnicityとかethnic groupの方に取っておきたいと思うのだ。

というのは違うのではないかと私は思います。

nation

[名]

1 国, 国家

the United Nations

国際連合

the law of nations

国際法.

2 *1国民(people)

the French nation

フランス国民.

3 民族, 種族. ▼言語・宗教を同じくするが1つの国家にまとまっているとは限らない. ⇒RACE2[類語]

the Jewish nation

ユダヤ民族.

nationの意味 - goo辞書 英和和英

nation [原義は「(文化・言語などを共有する)民族,国民」

1 (政治・社会的に統一された)国,国家(→country類義)
2 [the 〜;単数形で](政治・社会的統一体としての)国民(→race2類義)
3 民族,種族(人種・言語・文化などを共有する集合体としてのとらえ方で,必ずしも国を形成している必要はない);(北米先住民の)部族(連合)(tribe) the Jewish nation ユダヤ民族/the Navajo nation ナバホ族

ウィズダム英和辞典より。

nationという単語は一般的には上記のように訳されるわけですが、「the Jewish nation」のような場合に「民族」という訳語を使わないのは無理があると私は思います。

訳語の対応関係は、無用な混乱を避けるためにも、可能な限り一対一であることが望ましいとは思いますが、nationのような(集団自体か集団に属する人々かなど)文脈によって意味が大きく変わりうる概念の場合はそれは無理というものです。

nation

1 a country, considered especially in relation to its people and its social or economic structure:

the President's radio broadcast to the nation

an independent nation

the world's leading industrial nations

! In most situations, it is more usual to say country:I've been to countries all over the world.|Do you like this country?

2 a large group of people of the same race and language:

the Cherokee nation

ロングマン英々辞典4訂増補版より。

こういう英々辞典での記述もnationが民族や部族としての意味を持ちうることを示しています。

翻訳において、日本語と外国語の概念差から訳語の対応関係が複数対複数になることや、同じ単語でも文脈によって意味するところが変わることから訳語を変える必要が生じることは避け難いことだと私は思います。

こういうことは説明不要どころか言うのもおこがましいこととは思いますが。

そういうわけですから、私としては、文脈や経緯によってはnationに「民族」という訳語を当てるのもありですし、nation stateの意味 - goo辞書 英和和英のように「nation state」を「(単一)民族国家」と訳すのも文脈次第ではありです。

その点において、ナチズムの場合は、ドイツ統一からとり残されたドイツ民族がドイツ国外の各地に散在していたことと、そのことからの民族結集運動でもあったことという歴史的経緯を考えれば、「the Jewish nation」の場合と同様に「民族」と訳すのが正しいと思います。

ナチズムの場合のnationalを「国民」と訳すのは「the Jewish nation」を「ユダヤ国民」と訳すような違和感が私にはあります。これが「the Japanese nation」ならば「日本国民」(文脈によっては「日本国」)と訳すのが正しいと思いますし、実際にそう訳しますが。

tribal nationalismもその民族結集運動の点において「民族」と訳すのを否定しない(むしろ、肯定するのでは)と思います。

もちろん、こういう私の主張は、ナチズムを「国民社会主義」と訳すことを否定するものではありません。

私としてはナチズムの訳語としては「民族社会主義」を推しますが、それは個人個人の認識の差の範囲の問題と思います。訳語が「国民社会主義」であるか「民族社会主義」であるかは、個人個人の認識の差による訳語の選択の差の範囲であり、日本語と外国語の概念差から翻訳において正解と呼べるものが一つではないことは避け難いことと思います。

私的には、ナショナリズムという言葉にしても国家主義、国民主義、民族主義のどれに訳すかは一つに決められるものではなく、状況にあわせて選ぶものです。

そして、そういう状況に対し、個人個人の認識の差により訳語の選択に差が生じるのは仕方がないことだと思いますが、それでもナチズムのnationalを「国家」と訳すのは文脈的におかしいということに対しては広く同意が得られるのではないかと思います。


ウィズダム英和辞典

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ロングマン現代英英辞典 4訂増補版

*1:集合的に単数・複数扱い

2010-10-23

[]ナチ党と社会主義

Nationalsozialismusの訳語問題

ナチ党と民族社会主義

ナチズムは、正確にはドイツ語でNationalsozialismusという。「国家社会主義」「国民社会主義」「民族社会主義」などと訳されている。問題はNationalをどう訳すかであるが、語学的にはいずれも可能である。しかし、これは「民族社会主義」と訳すのが正しい。それは、ナチズムがドイツ民族−ドイツ国家でもドイツ国民でもなく−の社会主義を標榜するイデオロギーだからである。

いうまでもないことであるが、ドイツ国民は、基本的にドイツ国籍の保有者であるが、ドイツ民族は、ドイツ国民とは限らない。オーストリアをはじめとして中・東欧に広範に居住しており、さまざまな国民でありうる。「民族社会主義」は、これらのドイツ民族をも視野に入れたイデオロギーである。

他方、ドイツ国籍を持ったユダヤ人はドイツ国民であるが、ドイツ民族ではない。「民族社全主義」はドイツ民族の社会主義であり、ドイツ民族でないユダヤ人は排斥される。

やや意外に感じられるかもしれないが、ナチズムぱ元来ドイツで起こったイデオロギーではない。それは多民族国家オーストリア=ハンガリーで発生したイデオロギーなのである。その背景には、十九世紀のドイツ統一の歴史がある。

よく知られているように、ドイツ統一にあたっては、プロイセンを中心とした小ドイツ主義とオーストリア=ハンガリーを中心とした大ドイツ主義の対立があり、結局、プロイセンを中心とした小ドイツ主義が勝利を占めて、一八七一年、ドイツ帝国が成立したのである。この結果、ドイツ帝国の外部には、膨大なオーストリア=ハンガリーのドイツ民族がとり残されることとなった。

ナチズムは思想史的に見れば、このときの大ドイツ主義の系譜を引くドイツ民族結集の試みの一つであったと解釈することができる。

アドルフ・ヒトラー 権力編P141より。強調は引用者による。

ナチズムの訳語にはしばしば「国家社会主義」という言葉が使われますが、だからといって国家社会主義の対象を国家と考えるのは誤りです。

引用文から明らかなように「国家社会主義」の対象はドイツ民族でありドイツ国家ではないからです。そういう意味では「国家社会主義」という言葉は誤解を招きやすい訳語というものでしょう。

「国家社会主義」の対象はドイツ帝国外のドイツ民族を含む民族ドイツ人であり、ドイツ国籍を持つドイツ国民であろうと民族ドイツ人でない人々は「国家社会主義」の対象外でした。そればかりかドイツ民族の繁栄と生活向上のためには排除しても構わない存在だったわけです。そのことは排斥の対象がユダヤ人だけでなくロマなどの他民族にまで及んだことからも明らかというものでしょう。ホロコーストなどのナチスドイツによる非道なふるまいの背景には自民族の繁栄と生活向上のためには他民族を排斥しても構わないとする自民族中心主義があったわけです。

そのような「国家社会主義」の実態を考えればNationalsozialismusでのNationalが日本語では民族を意味することになるというのは当然のことで、その訳語には民族社会主義を充てた方が適切というものでしょう。

私が「全体最適はナチ」ではなく「ナチな全体最適」 - 模型とかキャラ弁とか歴史とかにおいて「国家社会主義」ではなく「民族社会主義」という言葉を用いたのもそのためです。

ナチ党と二五か条綱領の「社会主義的」要素

ナチズム・イデオロギー

ところで、ナチ党は一九二〇年二月二十五日、有名な二五か条綱領を発表している。これは同党唯一の綱領となったもので、ナチ党のイデオロギーの元来の形態をここに見ることができる。綱領は、大ドイツ主義的対外政策、反ユダヤ主義的人種主義政策、反大企業的社会経済政策の三本の柱からなっている。

第一の柱では、とくにオーストリアのドイツ民族をはじめとする全ドイツ民族の結集を訴えるとともに、「土地(植民地)」の獲得が主張されている。第二の柱では、ユダヤ人を「国家公民」から除外するとともに、場合によってはこれを国家から追放することが主張されている。

そして、第三の柱では、労働の義務と「全体の利益」の優先が強調されるとともに、不労所得の廃止、「利子奴隷制の打破」、トラストの国有化、大企業の利益参加、大百貨店市町村有化、土地改革、養老制度の拡充、「健全な中間層」の創設と維持などが主張されている。

第一と第二の柱が「民族社会主義」における「民族主義」を、第三の柱が「社会主義」を代弁するものであると解することができよう。ただ、これがナチズム・イデオロギーのすべてではない。この他に重要なものとしては、ヒトラー崇拝に結びついた指導者原理と反自由主義・反民主主義および民族共同体イデオロギーと階級闘争批判をあげることができる。

民族共同体イデオロギーは、階級闘争を主張するマルクス主義に対抗するイデオロギーであり、とくに反ユダヤ主義と結びついて、ユダヤ人マルクスの思想を奉じる共産党社会民主党を攻撃する、ヒトラー思想の中核をなすものであった。

他方で、二五か条綱領は決して問題のないものではなかった。とくに第三の柱の「社会主義的」要素をめぐって党内右派と党内左派が激しく対立したので、ヒトラーは一九二六年の党大会で綱領の「不可変」を宣言して、論争に終止符を打った。

実際のところをいえば、ワイマル共和国末期に党指導部と大企業が接近するとともに、綱領のこの部分は事実上空洞化され、第三帝国においては殆ど顧みられることがなくなった。

しかし、ではヒトラーは社会政策に全く関心がなかったかというと、そんなことはない。ただ、彼は弱者を保護する社会政策には無関心だったのである。彼の社会思想の基本には、ダーウィン進化論社会学説に応用した社会ダーウィニズムがあると考えられるが、要するに、生存競争を通じて強者が生き残り弱者が淘汰されるのが進歩につながるという考えである。

このため、ヒトラーは教育の機会均等を唱え、能力主義による人材登用を主張した。ただし、第三帝国の現実においては、この主張は、経済界官僚組織においてはほとんど実現されず、ナチ党を通じての政界進出に、一定の役割を果したに過ぎない。他方、労働政策においては、労働組合原理が否定され、能力主義に基づいた出来高賃金制や能率向上競争が奨励された。

アドルフ・ヒトラー 権力編P142-143より。

ナチ党の二五か条綱領に「社会主義的」要素があるのは事実です。

しかし、ナチ党が綱領のその部分に忠実に動いたかといえばそんなことはありませんでした。

綱領のその部分は選挙において大衆の支持を得る手段としては用いられたものの、党首であるところのヒトラーはそういう「社会主義的」要素を実現する気などありませんでした。

民族社会主義には民族共同体イデオロギーの面も民族主義と社会主義の寄り合い所帯の面もあるわけですが、「社会主義的」要素はヒトラーへの絶対的服従という指導者原理のもとヒトラーの意思で無にされたのです。

ナチ党と社会主義者

ナチ党は民族主義者と社会主義者の寄り合い所帯でもあったわけですが、そうした社会主義者がどのような扱いを受けたかについてはナチ党内の社会主義者であったシュトラッサー兄弟(兄グレゴール、弟オットー)の末路がよく現していると思います。

まずはヒトラーとオットーとの会談とその結果から。

ヒトラーは語る。

「あなたは、指導者がいわゆる理念に忠実であるか否かを判定する権利を党員に認めようとしている。それぱ最も低級なデモクラシーであり、私たちはこの類の事柄にかかずらうことを欲しない。私たちにとって理念とは指導者のことである。すべての党員はひたすら指導者に服従しなければならない」

これは『わが闘争』のなかで述べられている指導者原理に他ならない。

オットーはこれに対し、理念と指導者のあいだに齟齬があるか否かを決することが個人の良心に求められていると反論した。だがこの指導と服従のテーマは、ヒトラーにとって譲ることのできないものであって、これなくしてヒトラーの戦いの勝利もない。

会談は翌日もつづけられ、ヘス、兄グレゴール他二名が陪席した。産業国有化という社会主義の基本をめぐるオットーの主張によって、論戦は核心に入った。それは「マルクス主義だ」とヒトラーは断定する。

「デモクラシーはすでに世界を廃墟にした。あなたはそれを経済界にまで及ぼそうとするのか。そんなことをしたらドイツ経済は終わりだ」

「もし明日にも政権を握ったら、クルップ財閥をどうしますか」という質問に対する解答でヒトラーの資本主義観は明瞭になる。

「もちろんそのままにしておく。私がドイツの大企業をつぶすことを望むような気違いだと思っているのかね」(このやり取りにもとづいて三島由紀夫は、クルップに支配勢力を代表させたと推定される)

資本主義体制を維持するつもりなら、社会主義について語る権利はないのではないかとオットーがたたみかけるように問うと、ヒトラーぱ明快に応ずる。

「社会主義という用語はトラブルのもとだ。私はすべての企業が社会化されるべきだと述べたことはない。反対に国家の利益を損ねる企業は、社会化することもあると主張しているのである」

ここで国家社会主義における「社会主義」がヒトラーの場合、ソ連型の国有化とも、ドイツ社会民主党の社会化政策とも異なり、そもそも経済的範疇に属するものでないことは明らかであって、産業国有化を重視するシュトラッサー派との違いは歴然としている(現中国におけるような社会主義的市場経済という概念は、当時存在しなかった)。

会談はいかなる結論も出せぬままに終わり、オットーは七月四日、「社会主義者はナチ党を去る」と新聞で宣言し、新党を結成して、やがて黒色戦線と名乗るが影響力はなく、翌三一年ドイツを後にする。

アドルフ・ヒトラー 権力編P52より。

オットーとの会談から明らかなようにヒトラーは「社会主義的」な政策を実施するつもりは毛頭ありませんでした。

ヒトラーは必要ならば共産党と共闘することも辞しませんでしたが、この会談での発言から分かるようにヒトラーの反マルクス主義、反デモクラシーは明らかです。

そのようなヒトラーを指導者としたナチ党において社会主義者が居場所を無くしていくのは当然のことでした。

ヒトラーにとって党内左派が唱えるような左翼スローガンは大衆の支持を獲得するための手段でしかありませんでした。むしろ、ヒトラーは財界に接近し、共産党の対抗勢力としてナチ党は財界の支持を得ることになりました。

オットーが去った後もグレゴールはナチ党に留まっていましたが、そのグレゴールもまたヒトラーと対立した結果、党役職を自ら辞任しました。

グレゴールの脱落は彼が理念に固執するかぎり避けられないものであった。ナチ党の社会主義的側面は、大衆的基盤を獲得できるかぎりでヒトラーにとって有用であり、資本主義的経済基盤を突き崩すことなどは求められてはいなかったのである。シュトラッサー兄弟を放逐することで、ヒトラーは偽装でしかない左翼的ポーズに真剣に忠誠を捧げるグループを切除して、安んじて財界と結ぶことができた。残るは、伝統的勢力の一つである国防軍の協力を得るために、社会主義的であることを標榜するレーム突撃隊の排除である。

三四年六月の血の粛清の直前、レームと結んだという噂が広がり、すでに舞台を退いていたグレゴールが、製薬工場で見つけ出されて、ゲシュタポ本部地下室で銃殺されたことは、事件の本筋から離れた一エピソードにすぎない。

アドルフ・ヒトラー 権力編P53より。

かくしてナチ党から社会主義は排除されたわけです。

結局のところ、「国家社会主義」における社会主義は、左派的な意味においては、名ばかりのものにすぎませんでした。

実際にナチ党のしたことといえば、障害者の排除に見られるように、弱者救済どころか弱者の排除だったり、(ネオリベリバタリアンが望むところの)労働組合原理の否定だったりしたわけです。そして、財界はそのようなナチ党の支配のもと、より大きな「経済的自由」を得ることができました。

そのようなヒトラーとナチ党ですが、ヒトラーに関して言えば教育機会の均等を唱えた点においては、公教育の廃止を唱えるようなリバタリアンよりはましと私は思います。その背景にあったのは人権思想ではなく社会ダーウィニズムであったわけですが。

結論

以上のことから、

ナチスについて少し調べればわかることだが、ヒトラーは「ただの極悪人」ではない。ユダヤ人への弾圧虐殺などがひどいのは言うまでもないが、上記のように、政策の方向性としては「左翼的な正義」が基調である。いわゆる「悪人」というよりもむしろ、「使命感に燃えた善人」に近いといってもいい部分がある。

ナチスの「25カ条綱領」は日本人必読では - モジログ

というようにヒトラーを「政策の方向性としては「左翼的な正義」が基調」とするのは事実として間違っています。

ただ、仮に「「左翼的な正義」が基調」というのが真だったとしても、それに何の問題が?ということも(一応、念のために)言っておきます。

ヒトラーが菜食主義者だったからといって菜食主義が否定されるわけではありませんし、ナチが健康志向だったからといって健康志向が否定されるわけでもありません。


アドルフ・ヒトラー 権力編―わが闘争の深き傷痕 (歴史群像シリーズ 42)

アドルフ・ヒトラー 権力編―わが闘争の深き傷痕 (歴史群像シリーズ 42)

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