Hatena::ブログ(Diary)

模型とかキャラ弁とか歴史とか このページをアンテナに追加 RSSフィード

2016-12-30

[]素人を「動員」してどうするつもりなの?「専門でないので言及しない」のは正当な理由である筈

下記ブコメへの返答記事ですので、第三者はスルー推奨。

filinion 行動を促すものが動員要求だ…つまり、兵器も風車も悪政も、文脈によってどちらにもなり得ると。Apeman氏の発言(https://goo.gl/7NpEoe)にはどう思いますか?私は「普段の発言は棍棒…動員要求でない方では」と思うのですが。

apesnotmonkeys

@apesnotmonkeys

ふだん「ニセ科学はひとを殺す」という棍棒を振り回しているから「じゃあこっちもどうぞ」と言われたわけだろ。もし優生学が科学として正しかったら、問題が「疑似科学がひとを殺す」から「科学もひとを殺す」へと移行するだけのことじゃん。

https://twitter.com/apesnotmonkeys/status/795564401193414656
http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/D_Amon/20161119/p1

そのような発言をする前に、Apeman氏の発言の対象が誰なのかをまずApeman氏に確認してくれればいいのにと思いますが、

http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/D_Amon/20161119/p1

に書いたことは私個人は下記のようなキクマコ先生の発言を念頭に置いています。Apeman氏の対象がキクマコ先生なのかとか、キクマコ先生のその手の発言を念頭に置いているものなのかは私にはわかりません。

きく☆まこ。(1/9,26ベアーズ)

@kikumaco

放射能デマが少なからぬ人たちから「反原発」のせいにされるのは、反原発運動に取り組んでいる人たちの少なからずが実際に放射能デマに寛容だからなので、一種の自業自得ではあるけれども、いいことではない。「反原発運動は放射能デマを駆逐できるか」が問われていることを真剣に考えたほうがいい

https://twitter.com/kikumaco/status/786380904474161152

きく☆まこ。(1/9,26ベアーズ)

@kikumaco

正義感も善意も運動も差別を厭わないものであるならただのクズである。放射能デマは差別と直結している。反原発運動から放射能デマを排除するのは急務のはずたけれども、運動の中の人たちにその危機感がないのなら仕方ない。デマと差別を排除できない運動は潰れてしまうほうがいいのだと思う

https://twitter.com/kikumaco/status/804517690446528512

キクマコ先生が放射能デマを批判すること自体は結構なことだと思います。粛々と放射能デマ批判をしていればいいのに、なんでキクマコ先生は反原発派に対し放射能デマを駆逐するよう運動論をぶつのでしょうね。

反原発派の大部分が同時に放射能デマのようなニセ科学批判の専門家というわけではないのに、素人を「動員」してどうするつもりなのでしょう。

そもそもキクマコ先生はなんで「反原発運動に取り組んでいる人たちの少なからずが実際に放射能デマに寛容」と思ったのでしょう。専門外なことに対して頓珍漢なことを言わないために言及しないのかもしれないではないですか。「専門でないので言及しない」のは正当な理由である筈です。

(「反原発運動に取り組んでいる人たちの少なからず」ってどう調査したどんな根拠があるのでしょうね)

これらの発言は運動論としても「反反沖縄基地運動は幸福の科学を駆逐できるか」「反反沖縄基地運動から幸福の科学を排除するのは急務」並みに陳腐な発言だと思います。

幸福の科学が勝手に関与してくるのに、仮にそれを排除できない方が悪いと言われれば、反反沖縄基地運動も反反原発も困ってしまうのではないでしょうか。まあ、そういう人々がそういうことを言われることはないのだろうとは思いますが。

反原発が放射能デマと共闘しているとかいうことがあって、それを批判するならまだわかりますが、反原発が放射能デマを駆逐できないことをもって批判するのは理不尽というか、無理難題を要求していると思います。

放射能デマを排除するのはニセ科学批判の急務である筈なのですから、そこは素人を「動員」しようとせずに専門家が駆逐してみせてくださいとしか。

というように思っています。

(そもそも運動論ってキクマコ先生の専門なのですかね)

この件、id:filinion氏のオレオレ優生学発言がなければ、件のApeman氏の発言はありませんでしたし、私がその言及対象をキクマコ先生と推定してブクマタワーで言及されたような記事を書くこともなかったでしょうに、filinion氏の言及姿勢はオレオレ優生学発言の責任を棚上げしすぎなのではないかと思いました。

件のApeman氏の発言にはキクマコ先生の名前なんてなかったのに、名前がないことをもって「そういう人がいるのか」と言われ、それに対してこうではないかと名前を出せば「糾弾して回る」扱い。これって「ジャングルは地獄」ではないかなあと思います。

2011-11-18

[]紫音さんの懐疑に答えます

警告:この記事には残酷な動画と画像が含まれます。そういうのが駄目な人は絶対に見ないでください。

必要があって行っていることなので御容赦願います。

など写真の真贋に対する紫音@sionsuzukazeさんの懐疑に対し説明したいと思います。

根拠としていたガーディアンの記事であるところのGeorge Monbiot: Behind the phosphorus clouds are war crimes within war crimes | US news | The Guardianを読みました。当然、時期からはイラクファルージャの件でRAIの動画に映っている死体は腐敗により黒くなったもので死因は不明だということが冒頭に書いてありました。

確かに死体は腐敗によっても黒くなります。

ゆえに懐疑の対象の写真は赤ん坊の焼死体のものと判断しました。

この赤ん坊の焼死体についてですが、イスラエル軍の攻撃の被害者で2009年1月にガザの病院に運び込まれたものです。

運び込まれた様子は下記URLの動画サイトで確認できます。(惨い動画ですのでそういうのが駄目な人は絶対に見ないでください)

http://blip.tv/sabbah-tv/israeli-war-crimes-burned-baby-to-death-in-gaza-1687911

無論、動画の解像度ではこの死体が黒くなった原因が腐敗によるものなのか焼け焦げたことによるものなのかは分かりません。

そこで高解像度の画像を準備しました。下記URLから閲覧できます。(赤ん坊の焼死体の画像です。そういうのが駄目な人は絶対に見ないでください)

http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/D/D_Amon/20090107/20090107164017.jpg?1321618443

私にはこの赤ん坊が黒くなった原因は焼け焦げたことによる炭化としか思えません。

特に右手指の損傷は炭化後の破損、腹部など各部のひび割れは炭化後に裂けたもので、腐敗ではありえないのではないかと思います。

私は腐敗により黒くなった死体がどのようになるかも知っていますがこのような状況ではありませんでした。このようではなく腐敗によりやや膨らみブヨブヨし、腐敗により皮膚が失われた部分からは腐肉がのぞいていたように記憶しています。

この赤ん坊の写真は、むしろ、過去の戦争の写真で見た焼夷弾で焼かれた焼死体の写真に近いと思います。

紫音さんにはどのように見えるのでしょうか。

ガーディアンの記事を引いて懐疑したということは腐敗により黒くなった死体に見えたということなのでしょうか。

お答えいただければと思います。


そもそもファルージャの場合はアメリカ報道に対する管理により攻撃後しばらく経つまで報道はファルージャに入れませんでした。RAIの動画に映っていた死体はその間に腐敗したものと思われます。

対して、ガザの場合は報道も人権団体もその攻撃による被害を現在進行形で目の当たりにしたのです。そして数々の死体も、このような表現をとらざるをえないのが非常に悲しいのですが、新鮮なままの状況で撮影されたのです。

懐疑するのは結構ですが、それらの状況の違いと実際の画像の差異を考慮していただければと思います。

2010-08-20

[][]本当に日本を糾弾するのが目的ならば他にも題材は一杯ある件

ヴェトミンが決定的なイニシアティブを握ったのは、「二百万人餓死事件」である。この事件は、ヴェトナムではことあるごとに、日本を非難する出来事として引き合いに出される。

一九四四年末から一九四五年にかけて、ヴェトナム北部と中部で、食糧飢饉のために二百万人が餓死したといわれる。ヴェトナムの主張によると、このような大勢のヴェトナム人が死亡した理由は、日本軍が食糧を強制調達したからだということが定説となっている。いまでも、北ヴェトナムを歩くと、老人たちは、日本軍進駐時代の苦しい思い出として、これに触れるのである。

この事件は、ホ・チ・ミンの独立宣言の中にもふれられている。「われわれ人民は、日本とフランスの二重支配を受けてきた。そのためにわれわれはいままでよりも一層苦しくなり、一層みじめになった。その結果、昨年末から今年はじめにかけて、クァンチ省から北部にかけて二百万人を超えるわが同胞が飢え死にした」

四四年十一月はじめ、トンキンは、大暴風雨に襲われた。ハノイをはじめ各地の鉄製電柱が、くの字型に折れ曲がった。トンキン・デルタの米作は壊滅的な打撃を受けた。

ハノイにいた日本軍の兵士は、こう証言している。「ハノイの町は、餓死した死体が、累々としていた。むごい死体が横たわっていた」。北部ヴェトナムの南端にあるヴィンにいた日本軍兵士もつぎのように証言している。

「わたしは、一九四五年春、ヴィンにいたが、北部は猛烈な食糧飢饉で、食糧がなく、ヴィンの町では死体がごろごろしていた。町のそばの川では、死体がどんどん流れてくる。かれらは、みな、草を食べていた。南と違って作物の出来が悪く、とにかくあの飢饉はひどかった」(前掲「日本の南方関与」)

この飢饉は、大規模な水害によってトンキン・デルタの米の生産が激減した、米軍の爆撃で鉄道が破壊され、南部から通常行われてきた米の移入がストップした、という複合原因によって発生したとみられているが、事実はどうであったのか、いまとなっては、確かめるすべもない。しかし、当時、きわめて大勢の死者が出たことほまちがいない。一説には、二十万人とも、四十万人ともいわれる。また百万人ともいわれる。だれも実相がわからないのだ。このことは、裏返していえば、当時の政権担当者がフランスだったのか、日本だったのか、微妙な時期であったとはいえ、救援活動というきわめて当然のことがまったく行われなかったことを示している。政策担当者は、国民のために何の措置もとらなかった。ヴェトナム人はだれからも見放されていたという事実が厳然と残っているのである。

ヴェトナム戦争全史(岩波現代文庫)P22-24より。

このようにベトナムでは日本軍の食糧強制調達による食糧飢饉により一説では二百万人が餓死したとも言われています。

この二百万人というのは推計値の一つであって、二百万人説の他に、この記述から分かるだけでも、二十万人説、四十万人説、百万人説といった諸説があり、規模を断定できるような根拠はありません。

何故、こういう話をするかと言えば、以下のid:the_sun_also_risesさんのコメントに応答するためです。

the_sun_also_rises comzoo 犠牲者数を特定できる資料なんて存在しない。僕は30万説は懐疑的に見ているが南京事件そのものは肯定している。難しいのは敗残兵の扱いだ。降伏しなければ掃討戦は通常の戦闘行為。認識の差がでる部分だ(メタブへ) 2010/08/16

はてなブックマーク - 南京大虐殺と選択的無知 - 模型とかキャラ弁とか歴史とか

ベトナム餓死事件の犠牲者数を特定できる資料なんて存在しないですが、この日本非難に用いられる出来事であるベトナム餓死事件に対して二百万人説をやたら懐疑的に見るような人を今のところ私は見たことがありません。

というかね、南京大虐殺と選択的無知 - 模型とかキャラ弁とか歴史とかに対するブックマークコメントがこれというのはどういうことなんだろうと思います。

the_sun_also_rises comzoo 民間人殺害は当時も国際法違反なのだが連合国(中国だって連合国だ)が日独へ行った戦略爆撃はどうなのだ。降伏後のソ連の満州千島の侵略と脱出民へのソ中朝の暴行はどうなのだ。そう言いたくなる(さらにメタブへ) 2010/08/16

はてなブックマーク - はてなブックマーク - 南京大虐殺と選択的無知 - 模型とかキャラ弁とか歴史とか

で、連合国のそういう行いを否定する人はいるの?

それと、戦略爆撃には敵の生産能力を破壊するための工場爆撃のような選択爆撃も含まれているわけで、文脈的にはおそらくこの言葉を無差別爆撃という意味で使っているのでしょうが、日本による重慶爆撃はドイツによるゲルニカ爆撃と並び無差別爆撃の歴史の中で重要な位置を占めていますよね。

the_sun_also_rises comzoo 彼我に関わらず戦争中の戦争犯罪に対して等しく批判するなら同感できる。なぜ殊更南京事件のみ批判するのか。日本人への犯罪は我慢せよと?隠れた政治的意図を感じるしそれではダブルスタンダードだ。 2010/08/16

http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/D_Amon/20100816/p1

殊更南京事件を否定したり矮小化したりしたがるような人々がいるから。

で、そういう人々への批判に対し、こういう被害妄想じみた言葉を語りだす人々が現れると。

誰も日本への犯罪は我慢せよと言ってないですし、隠れた政治的意図やダブルスタンダードを読みとるのは自身の偏見を疑った方がよいと思います。

こんなことを言っているより、そもそもの原因である殊更南京事件を否定したり矮小化したりしたがるような人々に対処した方が合理的なのにとも思いますね。

あと、推計値が使われている歴史上の事件なんて珍しくもないと思うのですが「犠牲者数を特定できる資料なんて存在しない」と発言することに何か意味があるのでしょうか?

歴史上のそういう事件全てに対してそういうならともかく、南京事件のような場合にだけそういうのはダブルスタンダードだ、とでも言えばいいのでしょうか。そういうのは相手にする価値もない難癖だと私は思いますよ。

この件に関しては、

反歴史修正主義は歴史修正主義に対するカウンターアクション。そもそも歴史修正主義者が偽りの歴史を流布していなければ、そういう活動をする必要は無いのだ。

反歴史修正主義者にとって、歴史修正主義者の偽りを暴くことが目的であり、大日本帝国の負の歴史について発言するのは偽りを暴くための手段にすぎない。

全てがそうとまでは断定せぬが、反歴史修正主義者にとって大日本帝国を糾弾するのは目的ではない。

偽りを暴くための手段として大日本帝国の負の歴史について発言することが、諸君には大日本帝国を糾弾することが目的のように見えているだけなのだ。

つまりだ。そもそもの疑問がおかしいのだ。

大日本帝国を糾弾するのに熱心な反歴史修正主義者が大日本帝国と同じようなことをしている中国に対して積極的に糾弾しているように見えないのは何故か? - 模型とかキャラ弁とか歴史とか

とチョビ髭閣下の言うとおり。(著者は私ですが)

で、この記事を示せば説明不要だろうと思っていたら、この記事に対するthe_sun_also_risesさんのブックマークコメントがこれ。

the_sun_also_rises 南京事件もチベットもガザ攻撃も連合軍の日独への戦略爆撃も全部戦争犯罪として批判すれば説得力を持つのにね。この弁は単に自分のダブルスタンダードを言い訳しているだけにみえる。 2010/08/17

no title

この記事をそういう風に受け取ってしまうわけですかと。

まあ、あれですね。他人に手前勝手なハードルを課し、そのハードルを越えてないから疑うという御馴染の論法。

この記事のコメント欄のid:natamaruさんと同類。

反歴史修正主義が歴史修正主義に対するカウンターアクションであることは日本の非道の中で何を取り上げているかを考えれば明らかというものでしょう。

日本の非道は南京事件とか従軍慰安婦とかに限りません。

今回の記事ではベトナム餓死事件を取り上げているわけですが、もし、本当に日本を糾弾するのが目的ならば他にも題材は一杯あるわけです。

シンガポールでの華僑虐殺の他、フィリピンやインドネシアといった東南アジア諸国において大日本帝国がどのようなことを行ったかを考えれば。

日中戦争や太平洋戦争が虐殺や虐待や凌辱や略奪といった日本の各地での非道の歴史でもあるのは変えられない事実。

その数々の非道の中で取り上げる比率が南京事件や従軍慰安婦に偏りがちな理由は、それらの否定に対する歴史修正主義者の熱心さが反映されているからというものです。

何故、それらが殊更取り上げられるかという背景を考えれば反歴史修正主義の基準は明確。それをダブルスタンダードなんていってしまうのはthe_sun_also_risesさん自身の偏見のなせることというものでしょう。


ドキュメントヴェトナム戦争全史 (岩波現代文庫―社会)


[]ミダス王は水槽脳の夢をみるか

Midas ↓ バカ勢ぞろい, 地獄への善意の道, 考えが浅い, 今週のサバト, 今週の民族浄化, ぼくのかんがえた理想, 基地外絶滅大作戦 修正主義はなくならない。誰も「私は史実A(含・遺物)があったという夢をみてるのではない」と証明不能。なのになぜそう実感、確信できるか。共依存してるから。修正主義は史実主義の他者。理性は単体では存在しえない

はてなブックマーク - 南京大虐殺と選択的無知 - 模型とかキャラ弁とか歴史とか

タッチ、タッチ、ハートタッチ、ハートタッチプリュギア。ミダスタッチは対象を黄金(うんこ)に変える、とかなんとか。

id:Midasさんの活動がまた活発になってきて嬉しいです。Midasさんにdisられたのであの記事の勝ちは鉄板。

しかしまあ、相変わらず言っていることが頓珍漢ですね。

Midasさんは自らが認識している現実が自己認識において水槽脳が見せられている夢ではないと証明可能なのでしょうか。

陳腐な懐疑論を前提に論を立てても無価値ですよ。人は確信できなくとも確からしさをあてにして生きているというものでしょうに。

歴史修正主義と反歴史修正主義とが供依存の関係でないことは歴史的経緯を考えれば明らか。

史実否定への対抗言論である反歴史修正主義はそれは歴史修正主義の存在なしに存在できませんが、史実否定である歴史修正主義は反歴史修正主義が存在しなくても存在できます。

仮にMidas説を真とすると、史実主義と修正主義は最初から両方とも存在していたのでなければ存在できないことになりますね。んな阿呆な。

まあ、歴史修正主義がなくなれば、それに対するカウンターである反歴史修正主義もなくなりますが、私としては心底そういう状況になってほしいと思いますね。

その分の資源を別のことに使えるようになりますから。


[]平気で嘘をついたり理解できないふりをしたりすることが通じる世界にでも生きているのですか?

skeleton-lair しょうがないやらあいつが悪いで人格攻撃を肯定する手腕に目が点に。修正主義や排外主義ぐらいだよ?それ通じるの。/修正主義を批判したいのか修正主義者を否定したいのか何がやりたいのかよくわからん。 2010/08/18

はてなブックマーク - 南京大虐殺と選択的無知 - 模型とかキャラ弁とか歴史とか

平気で嘘をついたり理解できないふりをしたりする人はそういう態度自体を批判されるのが普通だと思うのですが、id:skeleton-lairさんの周辺ではそういうのが通じるのでしょうか?

私としては、そういう人をかばいだてするように「人格攻撃はよくない」という人が現れるのは修正主義や排外主義ぐらいだと思います。あ、似非科学の場合などにもそういう人が現れることがありますね。


[]日中戦争を中国による日本侵略だと言う人々

munyuu これはひどい, はてサ, 歴史, 南京事件 学問的には数万から数十万の規模の戦闘があり、そこに戦争犯罪もあっただけのこと。責任があるのは日本を侵略し南京を戦場にした中国軍。中国の戦争責任を無視して日本に謝罪を求めるのがおかしい。 2010/08/17

はてなブックマーク - 南京大虐殺と選択的無知 - 模型とかキャラ弁とか歴史とか

id:munyuuさんの言うことがおかしいのはいつものことなんですが、こういう日中戦争を中国による日本侵略とするのはある種の人々の主張として珍しいものではありません。

例えば、以下のb:id:m-matsuokaさんの発言とか。

m-matsuoka 歴史 日本は対英米に関しては侵略戦争。対中国に対しては防衛戦争という2つの戦争を戦った。先制攻撃は侵略戦争だということを知らない日本人が多いのが問題。「自存・自衛」のために先制攻撃をしかけるのは珍しくもない 2010/07/18

はてなブックマーク - Twitter / 国東守(凶暴なモルちゃん): 大東亜戦争における、日本の戦争目的は「自存・自衛」だ ...

で、この発言に対して私はこういうコメントを書きました。

D_Amon メタァ, はてなブックマーク 「日本は対英米に関しては侵略戦争。対中国に対しては防衛戦争という2つの戦争を戦った。先制攻撃は侵略戦争」id:m-matsuoka氏の定義が斬新過ぎる。Japanese Invation of Chinaを防衛戦争というのはある種の人々には珍しくないが 2010/07/19

はてなブックマーク - はてなブックマーク - Twitter / 国東守(凶暴なモルちゃん): 大東亜戦争における、日本の戦争目的は「自存・自衛」だ ...

そうしたら、返ってきたコメントがこれ。

m-matsuoka 歴史, 国際, 政治 id:D_Amon侵略戦争の定義はパリ不戦条約で明確に定義されている。東京裁判が、その法論理の元で裁かれたのも知らないの?日本国憲法の第9条もその法論理の影響下で作られた条文ですよ。 2010/07/19

はてなブックマーク - はてなブックマーク - 亜門ブックマーク

いや、ニュルンベルク裁判を含め「平和に対する罪」の概念はパリ不戦条約によるものですし、憲法9条に関してもその通りなわけですが、そんなことは聞いてもいないし教えてもらう必要もないことな上に、パリ不戦条約は侵略戦争の定義なんかしていませんし、第一、それを根拠にするならば満州事変がパリ不戦条約違反とみなされていた時点で「対中国に対しては防衛戦争」なんてことは成り立たないというものでしょうに。

このコメントに対してはこういうコメントを返したのですが、無反応な模様。IDコールに気づくのが遅れた私のせいかもしれませんが。

D_Amon はてなブックマーク id:m-matsuoka氏、 Kellogg-Briand Pact(パリ不戦条約)は戦争放棄の条約であって、侵略戦争の定義なんてしていませんよ。 2010/07/21

私の知る限り、パリ不戦条約は戦争放棄の条約であって、侵略戦争を明確に定義してなんかいません。解釈において自衛権を否定するものではないとされていることから、自衛戦争以外の全ての戦争が条約違反となり、必然的にその中には全ての侵略(aggression)が含まれはしますが。

それでも、もしかしたら、こういう私の考えの方が間違いなのかもしれません。

そこでm-matsuokaさんに質問します。


  • 「侵略戦争の定義はパリ不戦条約で明確に定義されている」の根拠を示してくれませんか。
  • 満州事変はパリ不戦条約違反とみなされたわけですが、そのパリ不戦条約をどうしたら「対中国に対しては防衛戦争」ということになるのですか。

まさか、こういう理屈を鵜呑みにしたからではないですよね。

従い、日中戦争では歴史を注意深く見ると、実は一撃目は中華民国から第一次上海事変、という日本への侵略 (agression)行為をもってはじまっています。 それまでの中国大陸での戦闘行為は、上記基準に達しません。 満州事変なども実は国家対国家の戦争行為ではありませんし、一兵士が発砲しても小競り合いで、国際法上の侵略(agression)ではありません。

「戦争」と「侵略戦争」の違いについて -「戦争」と「侵略戦争」は違う- 歴史学 | 教えて!goo

ちなみに、戦後の話ですが、侵略(aggression)の定義は以下のリンク先のようになっています。


国連総会決議3314「侵略の定義(Definition of Aggression)に関する決議」

http://www1.umn.edu/humanrts/japanese/JGAres3314.html

http://www1.umn.edu/humanrts/instree/GAres3314.html

2008-12-10

[][]愛国者であるから歴史修正主義を批判する

the deconstruKction of rightの追記に対して。

いや、それはwikiにすら書いてあることでしょう。そのぐらいを知っていないという「どうしようもない憶測」をあなたはされたわけですね。興味深いことです。

私は「件の藤田直哉氏の記事のように一知半解の知識で適当なことを吹くのは知識人にあるまじき行為とは思いますが、「「一般大衆」の代弁者として偽悪的に振舞」っているがゆえのことで、本人の資質の問題ではないと思うことにします」と述べてますね。

「そのぐらいを知っていない」というのが藤田氏の「一般大衆」像ということでしょう。

「歴史修正主義」という言葉を無自覚に罵倒語に利用している人たちに対して、「通俗的」な意味の方ではなく、「原義」の方で返すことで、「その用法を使う共同体」自体を相対化する意図の発言なのですが、いかがでしょうか。

「原義」の方で返すというのは「歴史修正主義という言葉の成立過程を知らないがゆえの無知に基づいた」今更の行動というだけの話ですね。「そのぐらいを知っていない」ことの表明にしかなりません。

邪馬台国どっちにあるか分からないよね、と言ってもここまで批判されないでしょう。それは「どうすんの」ってなっていないのは、ネット上で対立を孕んだ論争になっていないからでしょう。

それは「どっちにあるか分からないよね」と言っても批判はされないでしょう。「存在しない」といえば批判されるでしょうけどね。

南京事件否定論は「諸説のどれが本当か分からない」と主張しているのではなく「存在しない」と言っている説です。

そういうことが分かるように「邪馬台国の位置を特定できる史料がないからといって「邪馬台国なんて存在しなかった」と言えば否定論(歴史修正主義)扱いになるでしょうけどね」と書いたのですが読み取っていただけなかったようですね。

歴史学と歴史修正主義の関係について「どっちにあるか分からない」と表現しているのであれば、それは「本物と偽物のどっちが本物か分からない」と主張しているようなものですが、もとの発言は歴史学に基づいた諸説に対してのものなので、それはないですよね?

「科学的手法」自体への信頼感が低下しているときに「科学的である」ことを理由にした反論は無意味であると思います。「何故歴史学的でなければいけないのか」を説明して欲しいのです。

「信頼感が低下している」という前提を仮に真として、本物の方を信頼できないので本物と偽物で偽物の方を選ぶという人でもなければ、本物の方を選ぶでしょう。で、南京事件否定論は偽物。

本物にしても、より信頼度の高い本物が新たに登場すれば、そちらの方を選ぶでしょう。

「歴史学的でなければいけない」とすれば、それはそれより信頼度の高い方法を人間がまだ手に入れていないからです。仮に時空を越えて物事を直接的に観測できる技術が開発されれば歴史学はそれにとってかわられるでしょう。

あと、僕が言っているのは、学者の中でも諸説あり、そこで何が正しいかは「肩書き」で判断するものと思われるからです。我々は中身だけで物事を判断しているでしょうか? いえ、結構肩書きで判断しているはずです。中身だけで判断できるリテラシーも専門性も、当たれる一次資料もない場合、基本的に「学会」とか「大学」とかという制度の肩書きを信用しますね。しかし、その「大学教授」とかの中で意見が割れている。互いの陣営は互いの主張を「あれは聞くに値しない」とそれぞれ言っている。内容を読んで調べたり、リテラシーがあれば判断できるが、そこまでリテラシーを「皆が」上げることは、「南京」問題だけについてのみであれば可能であるが、基本的に人は面倒なことに金も時間も使いたくないので、全てに関しては無理であり、この問題だけを特別に調べなければいけないと「論理的に」説得することも難しい。そこで「倫理や責任」とかが出てくるが、それはほとんど感情の問題ではないだろうか。感情に訴えかけて「動員」をするつもりであるならば、それは「非論理主義」である。非論理的でいいのならば、修正主義のほうが動員力がある(加害の事実を否認した方が心理的コストが低いから)。以上の理由で「啓蒙」は失敗する。(現に僕一人説得するのに数人がかりで何時間もチャットやっているのだから、数千万人を説得するにかかるコストは推して知るべし)

南京事件否定論は諸説の問題ではありません。偽物が本物ぶろうとしている問題です。「肩書き」で言えば、まともな歴史学者で南京事件否定論をとなえる人はいません。むしろ、「肩書き」で判断してくれる方が助かりますね。南京事件否定論を信じてしまうような人は歴史学の「肩書き」を信じてくれない人なわけです。

で、藤田氏にとっての「一般大衆」は「肩書き」に対する信頼は有るのですか?無いのですか?

「啓蒙」に関していえば、藤田氏のようなスタンスの人を説得することは無理かもしれませんが、世の多数の人に「南京事件否定論はトンデモ」ということを分かってもらうことはできるでしょう。

ネット上で言えば、南京事件否定論が蔓延したのは対抗する情報が殆ど存在しなかった初期で、対抗する情報が充実してきた現在は目に見えて弱体化しています。

私にとって「一般大衆」は南京事件否定論のどこが出鱈目か史料に基づいてきちんと説明すれば、南京事件否定論を信じることが如何に愚かなことか分かってくれる人々です。

分かってもらえないのは後戻りできい程のビリーバーか、既にごねることが目的になってしまっている人くらいではないでしょうか。

しかし今回、「科学=歴史学」を尊重している人々の非難の言葉は「倫理」や「感情」であって、論理の言葉ではなかった。そこは抑えておきたいと思います。「件の藤田直哉氏の記事のように一知半解の知識で適当なことを吹くのは知識人にあるまじき行為とは思いますが」とかね。僕の行動が「知識人にあるまじき行為」であることについてちゃんと実証主義的に証明された研究を持ってきてください。

倫理というより言葉の定義の問題ですね。

知識人は確かな知識に基づいて知性的な言動を行う人というものでしょう。

一知半解の知識で適当なことを吹くような反知性的な言動を行う人を知識人とは言いません。普通は愚か者扱いされるでしょうね。藤田氏の場合、それは「「一般大衆」の代弁者として偽悪的に振舞」っているがゆえのことなわけで、藤田氏にとっての「一般大衆」はそういう愚か者ということでしょう。

言葉の定義の問題ゆえに実証主義的に証明された研究なんて必要ありませんね。

科学を信じなければいけないということを論理的に言うことができない、その時点で僕はもう敗北していると思うのですがどうでしょうか。「科学を尊重しろ」ということ自体がイデオロギーなんですよ。非論理主義者、反知性主義者との衝突に際し、「科学的であること」をその正しさの根拠にすることはトートロジーです。よって、感情的にならざるを得ない。南京だけでこんなに騒ぎになり、邪馬台国とか、「アポロ」だったらこうはならなかったでしょう。そのこと自体が「感情」を駆動原理にしていることの証明であり、「感情」を優先しようとしてそのために都合のいいソースを見つけ(確証バイアス)論理が破綻し、相手を「倫理的に」罵倒しというパターンは両者ともそうであると僕には思えました。(例えば、相手側の陣営の著作は「読むに値しない」という断定は両者に見られます)

この文は根本的な世界認識に対する誤解の表れでしかないと思います。

「科学を信じなければいけない」なんてことはないですよ。

現時点では人間は自らが生きる世界について確からしく知る方法として科学を上回る方法を知らない。ゆえに、論理的帰結として「確からしさを求めるのであれば科学を信じるしかない」のです。

確からしさを求めないのであれば、出鱈目な「物語」を信じ主張するのも自由です。その結果として、確からしさを求める人々からトンデモ扱いされたとしても、それは当然の報いというものでしょう。


「読むに値しない」というのは議論のルール的にはアウトです。反論において相手の主張を読んで把握するのは当然のことで、相手の主張を把握しないで勝手に作り出した像に「反論」することは普通「藁人形」という、なんてことは(ネット限定かもしれませんが)今では常識ですね。

南京事件否定論に関して言えば、その主張は南京事件FAQなどで逐次反論されているわけで、藤田氏の「両者ともそうであると僕には思えました」というのは論争の経緯を知らないがゆえの発言ではないかと思えました。

「科学的でなければいけない、論理的でなければいけない」というのを無条件で反論を封じ込めて押し付けるためには「権威」が必要であり、「論理的ではなく、そして批判してはいけない権威」ってなんのことかと思えば、天皇がそうじゃないかと思うのですが、逆に言いますが、「科学教」による「科学信仰」の押し付けの状況こそ戦争当時の日本人を髣髴とさせ、軍靴の音が聞こえるとか、簡単に言える。

これも、「現時点では確からしさを求めるのであれば論理的帰結として科学的でなければならない」というだけの話ですね。

そして、確からしさを求めることは押し付けられていません。

現に物語は物語として、信仰は信仰として尊重されているでしょう。

似非科学や歴史修正主義の問題は、端的に言ってそれが虚偽であることです。

科学でないのに科学を装う。歴史学でないのに歴史学を装う。そういう虚偽が批判されているのです。

「科学でないのに科学を装うな。歴史学でないのに歴史学を装うな」というのは論理的に妥当な主張と私は思いますよ。

「歴史学を尊重していない」、と言われても、じゃあ「愛国心を尊重していない」とか相手に言われたらどう返すんだろう、とか思うわけですよ。「歴史学」を信仰しているか「愛国心」を信仰しているかの闘争にならざるを得ない。

「そんなのは本当の愛国心じゃない」と言えばいいと思いますよ。ありのままの自国を愛せないから虚偽の歴史で美化した自国の姿を捏造しているわけですから。

少なくとも私は自国の歴史の醜い部分を知っても自国を愛しているので歴史修正主義者より遥かに自国を愛していると宣言できます。自国の歴史の醜い部分を知って醒めるような愛国心は軟弱と言わざるをえませんね。

むしろ、歴史修正主義こそ歴史を偽り先人の遺した教訓を無にし外交関係を悪化させて国を危うくする非愛国的行為。

そもそも「歴史学」と「愛国心」を対置することがおかしいと思いますね。それらは両立できるものですよ。

[]全然、具体的な説明になっていないのですけど、どういうことですか

歴史修正主義批判がなされるのは「絶対的真実としての歴史があってそれに対する修正を許さない」からではない - 模型とかキャラ弁とか歴史とかにおいてMidas氏に質問したのですが、残念なことに具体的な返答をしていただけませんでした。

Midas 拙ブクマのその後の米を参照下さい(大体の事は書きました)。でもこんなとこで油売ってないで貴殿もあのスレへ行き自身の主張をカキコされどう違うのか実感なさるのが最良かと。なぜ直接「敵」と対面しないのですか?

はてなブックマーク - 歴史修正主義批判がなされるのは「絶対的真実としての歴史があってそれに対する修正を許さない」からではない - 模型とキャラ弁の日記

の「大体の事は書きました」はこれですか?

Midas id:Apeman 君はまだ女の怖さを知らない。試しにこのスレ行って「ネタですよね?」て聞いてみwそんで事実関係をきっちり証明して消火してこいよ。なぜ彼女らが「公然と」このような「修正」に勤しめると思ってるんだ

はてなブックマーク - 未ブックマークエントリー

なんというか「今はもうネタじゃなくガチ(orベタ)」と言いたいだけですか?

でしたら「残念ながら構造が全く違う」なんてことにはなりはしません。

正直言ってガチな人なんて珍しくはないので全然返答になっていませんね。

「ガチの人」を認識していなかったとすれば、はっきり言って、それは今までのMidas氏の認識が甘すぎただけということになります。あと、「ガチの人」に性別は関係ないので、それを「女の怖さ」なんて言っているとすれば、さらに輪をかけてMidas氏の認識は甘すぎると言わざるをえません。

2008-08-10

[]これが破れ太鼓というものか

「あたまがわるい」は何に対してかかっているのか - 模型とかキャラ弁とか歴史とかに対してはてなブログにおいて応答を頂きました。

ここでも「知能や知識」ではなく「理解することを拒否するという心理」を問題にしています。私はHALTAN氏の知能や知識の程度を見下しているわけではなく、理解に必要な知能や知識は十分にあるという評価のもと、理解することを拒否している心理を問題にしているわけです。

2008-08-09「あたまがわるい」は何に対してかかっているのか 模型とキャラ弁の日記id:D_Amon:20080809

「理解することを拒否している心理」そう仰られても、Apemanさんが当方に何を「理解」させたいのかもよく分からないんです。他者をナチス呼ばわりした(!?)ドイツ史の専門家氏のロジックを理解せよ、と要求されているのだとすれば、そんな要求は飲めません。

左が嫌いという人が左を批判する目的のエントリーで「左の旦那様」という言葉を用いるのをどう解釈しますか?(3-1)

それはあなた自身が答えているでしょう。「嫌いなものを貶めたいという感情に基づいた呆れや軽蔑といった見下しの感情がこめられた皮肉表現」に決まっているじゃないですか。

右が嫌いという人が右を批判する目的のエントリーで「国士様」という言葉を用いるのをどう解釈しますか?(3-2)

それも上記と同様でしょ? で、だから何?

どうも誤解があるようですが、自分は「左の旦那様」というカテゴリータグを使いつつも、一方で「貴方がたのこれまでのネット右翼との果てしない戦いには敬意を表して」はきましたよ。「嫌いなものを貶めたいという感情に基づいた呆れや軽蔑といった見下しの感情がこめられた皮肉表現」を使いつつも、そういう点は偉いもんだなあ、と思ってきました。

2008年08月10日 D_Amon これはひどい, これはいたい, やれやれ 「見下しの感情がこめられた皮肉表現」をエントリータグに使いながら「本当に「右も左も見下して」いたら」なんてエクスキューズを平気で言える卑劣さと対応に見られる虚勢が裏返った卑屈さ。素晴らしい生き様ですね

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20080810/p1

どうも仰りたいことがよく分かりませんが、「見下しの感情がこめられた皮肉表現」が不愉快である、ということなのでしょうか? 少なくとも自分はそう解釈させて頂きましたので、エントリータグを変更致しました。シンプルに「左」としましたが、これでは駄目でしょうか?


これが「響かない」ということなんだなということを実感しました。

「打てば響く」という慣用表現において使われる意味において絶望的に響かない異次元の応答。

まあ、「本当に」の意図が「基本的に見下しているけど、ある面においては敬意を払っているので、本当に見下しているわけではない」という単なるエクスキューズに過ぎないということが(そういうことを自覚することができないのかもしれませんが)本人の発言により確認できたので、私としてはこれで満足です。

ああ、私としては「左の旦那様」というカテゴリータグは使い続けてもらって全然かまいませんよ。私自身はそういう皮肉(とそこから覗ける感情)が大好きですし、HALTAN氏の内面が滲み出ている実にHALTAN氏らしいタグだと思いますし。

2005 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2006 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2007 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2008 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2009 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 |
2010 | 01 | 02 | 04 | 05 | 06 | 08 | 09 | 10 |
2011 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2012 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2013 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 12 |
2014 | 01 | 03 | 05 | 06 | 09 | 12 |
2015 | 01 | 03 | 04 | 05 | 08 |
2016 | 08 | 11 | 12 |
2017 | 01 | 06 | 12 |
2018 | 01 |
AX アクセス解析