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2010-09-13

[][][]労働力が不足するから労働力を輸入するのではない。労働力の再生産にコストを払う気が無いから労働力を輸入するのだ

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諸君、余だ。

今日も今日とてヘイトスピーチや史実否定といった「愛国活動」に勤しんでいる諸君。

余は諸君に感謝している。

諸君が容易く分断されることに感謝している。

諸君の境遇に対する不満が滅多なことでは企業に向かうことがないことに感謝している。

諸君が労働運動を敵視し、労働運動により救済された人々をも敵視することに感謝している。

自分より悪条件でも働くからと外国人労働者を敵視し、自分より好条件で働いているからと公務員を敵視し、共に待遇改善を勝ち取ろうとはしないことに感謝している。その際、諸君らが自らの蔑視や嫉妬といった感情に基づいた言葉に対し必死で理屈をこねる姿を見るのはまことに楽しい。

諸君がそのようにあり続ける限り、諸君の活動により諸君の生活が向上することはなく、貧困問題が解決されることもないであろう。

そういう諸君の行動を支える諸君の性質を余は素晴らしく思う。

構造的問題を個人の努力の問題に帰し、努力不足であることを示すために自らの構造的問題の乗り切りぶりを自慢げに語りだすという、いわゆる「奴隷の鎖自慢」を始める奴隷根性。

「日本を裏から支配する在日」というような虚像に怯えるゼノフォビア

自国中心の比較で外国人に後進性や野蛮性を見出し、それを見下すことで虚栄心を満たすエスノセントリズム

いやはや、実に素晴らしい。まさしく愚民というもののあるべき姿がそこにある。

そういう諸君の性質が敵愾心を煽る方向へ諸君を操作することを容易にし、分断を容易にし、もって扇動と分割統治による支配を容易にするのだ。扇動する側にとってはまったくもってありがたい性質と言わざるをえない。

そういう諸君が少子化対策のための政策に反対する姿には、もう死ぬ。笑いすぎて死ぬ。少子化による次代の国内労働者の不足が「低賃金労働者の輸入」としての移民を後押しし、それが労働者であるところの諸君をより過酷な「価格競争」に追い込み、賃下げ圧力として働くことは明らかだからだ。諸君が低賃金でも多忙でも子育てしやすい社会を構築することを拒否することが諸君自身を追い込むのだ。喜劇と言わざるをえない。

これでは、今の社会で子育てできるだけの賃金を得られず、今の賃金で子育てできるような社会を構築しようとすることもしない諸君の血が諸君の代で途絶えるのも当然のことというものであろう。

だが、心配することはない。

諸君が一代限りの使い捨ての労働力として生を終えても諸君が擁護するところの企業は困ることはないのだから。

このグローバル化の時代、消費者も労働者も国境を越えて「輸入」可能なものなのだ。

次代のために諸君に子育てできるだけの賃金を払うという自国民を再生産するためのコスト。安価な労働力としての他国民を雇用するためのコスト。これらのコストの内、後者のコストの方が低い限り「低賃金労働者の輸入」としての移民を受け入れる方が企業にとって有利となる。そうである限り、企業がそれを求めるのは当然のことであり、企業にしてみれば諸君に子育てできるだけの賃金を支払う必要もなくなるわけだ。子作りするのは将来設計せずに子作りするものか子育てを含めて将来設計できる背景を持つものというのは当然の傾向というものであろう。かくして「低賃金労働者としての自国民」は「淘汰」される。

そもそもだ。終身雇用年功序列で企業が労働者に子育てできるだけの賃金を払うことにより自国民の再生産をし国内消費をも維持していた国が、それらに代わる社会システムを構築することもなしに終身雇用と年功序列を破棄すれば、それが少子化と消費低迷を加速させるのは当然。起こるべきことが起こったにすぎない。

その上で、終身雇用と年功序列に戻ることを拒み、子育て支援のようなそれらに代わる社会システムの構築も拒むというのであれば、その結果が次代の国内労働者の不足を補うための移民受け入れになるだろうことは自然の流れというものであろう。

移民には言語の違いや文化の違いによる軋轢などの問題が伴い、それらに関する各種コストは移民を受け入れる社会全体、そして国全体が負うわけで、当然、企業も負うことになるわけだが、企業は安価な労働力という形で還元を受けられる。対して、諸君はそういう負担の上に、外国人労働者との「価格競争」にもさらされるわけだ。

もしもだ。諸君がそういう「価格競争」を拒みたいならば、諸君は、少子化対策のための政策を後押しすべきだし、低賃金労働者として使いつぶされる外国人労働者の待遇改善を唱えるべきだ。そのようにすることが、結果的に諸君に対する「価格競争」の圧力を下げることになるのだから。無論、こういうことは蔑視や嫉妬から他人の足を引っ張ることに熱心な諸君にはできないことを承知の上で言っている。

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貧困でも結婚や子育てをしやすくなるような制度作りを行うことを拒否する諸君が、貧困を理由に結婚を諦め子供を諦め孤独に老いてゆき、一代限りの安価な労働力として使い捨てられるのだとしたら、それは自業自得というものであろう。

そうではないのに、それに巻き込まれる人々についてはただただ不幸と言うしかない。


総統猫チョビ髭閣下13歳

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死んだように眠る余の寝顔。

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余の眼力は貯金箱ごときに負けはせぬ。→google:image:KATバンク おすわりクロネコ貯金箱

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人間用の椅子を占有してみせる余。

2010-01-11

あけましておめでとうございます

[]あけましておめでとうございます

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すっかり遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

画像は虎柄の服を着た、というか着せられたチョビ髭閣下。

2009-02-21

[][][]ハシモト知事はファシストではない

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諸君、余だ。

なんでも世の中にはハシモト知事のことをファシストと呼ぶ者がいるそうではないか。中にはハシモトとファシズムを引っ掛けてハシズムなる言葉を使う者もいると聞く。

バカげたことだ。実にバカバカしい。

余に言わせれば、ハシモト知事は、断じて、まったく、絶対に、ファシストでありえない。

ハシモト知事がファシストだというのであれば、彼は手厚い社会保障と福祉で国民が安心して暮らせるようにし、安心して消費活動を行えるようにしてみせるべきだ。

教育や育児に対する手当てを充実させることで「国民の再生産」を支援してみせるべきだ。

低賃金労働者の輸入」としての外国人労働者の流入を規制してみせるべきだ。

有用で国民生活を向上させるような事業の推進により雇用を作り出し経済を不況から回復させてみせるべきだ。

国民を、飢え・失業・その他、国民の目前にある不安から救ってみせるべきなのだ。

そのようにして国民の絶大なる支持を得て、且つ、国民の生活不安に伴う共産主義の跋扈を防いでみせてこそ正しくファシストというもの。

そういう功績に基づいた絶大なる支持があってこそ、煩い連中をおおっぴらに弾圧でき、大多数の国民から弾圧自体に対する熱狂的な共感と支持を得ることができるのだ。

ところが、ハシモト知事はどうだ?

府の予算からまっさきに福祉と教育を削ったではないか。

救いを求める国民の嘆願の声に対し、まともに向き合いもせず、それどころか「あなたが政治家になってそういう活動をしてください」と突き放す始末ではないか。

余に言わせれば、明らかにハシモト知事はファシストではない。

では何か?

余は「日本的なるもの」とでも言うべきと思う。

「日本的」、そう、実に「日本的」だ。

かつては分からなかったが、今は「日本的」であるということがどういうことであるかを余は知っている。

そして、ハシモト知事は実に「日本的」だ。

余は常々疑問に思っていた。

為政者が国民を痛めつけているのに、何故その為政者の行為が諸君の共感と支持を得られるのだろうかと。

何故に国民を救うどころか国民を痛めつけることが支持されるのかと。

だが、その疑問は諸君の姿を見ることで氷解した。

諸君が苦痛に耐えかねて声をあげる同胞に対して「自己責任」と言う姿を見て。

諸君が「自己責任」という言葉の後に奴隷の鎖自慢のような自分語りを続ける姿を見て。

そういう、更なる苦痛に耐えた自分に、更なる苦痛に耐えている自分に、更なる苦痛に耐えられるであろう自分に自己陶酔しているかのような姿を見て。

余は諸君のそういう姿を見ることで、諸君が「日本的カリスマ政治家」に苦痛に耐えさせられるのが大好きなことを知った。「日本的」なるものがどういうものかを知った。

この国ではファシストすら登場できない。何故ならば国民に利益がある国民の人気を取れるはずの政策が国民に支持されないからだ。

ファシストとて為政者となるには国民の支持が必要。

だが、社会保障による国民の救済を国民自体が悪として拒否するような国では、国民の利益となる政策を権力獲得手段として人気取りに用いようとも支持される筈も無い。

民主主義においては政治の質には国民の質が反映される。

国民に見合った政治家。国民に見合った政府。国民に見合った政策。

ハシモト知事が知事であるのはハシモト知事が知事になることを選んだからではない。今の時代にハシモト知事を選ぶことが「日本的」なるがゆえに諸君に選ばれたのだ。

そこにあるのは「日本的なるもの」を「日本的なる人々」が支持しているという当然の構造だ。

「日本的」なる諸君に「日本的」なる政治家。実に当然のことではないか。


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ハシモト知事が歳出抑制により府財政黒字化への道筋をつけたことに対して文句を言っている者がいるそうだが、これもバカげたことだ。まったくもってどうしようもない。今更なにを言っているのだ。

需要不足による不況であろうと、不況で節約が叫ばれれば皆節約で、そういう過少消費によって需要不足による不況をさらに悪化させながら節約自慢をし、好況で浪費が祭り上げられれば、皆、空気に流されて浪費して過剰消費が限界を越えるまで浪費し続けながら浪費自慢をするのが諸君ではないか。

個人の消費活動だけでなく政府の財政政策までそれに倣うのが「日本」ではないか。

そういう国の政府が好況時にも公債を刷ってまで「ばら撒き」を続け、不況時に財政赤字解消のために歳出を抑えることに何の不思議があろう。不況時に公債発行を財源とした積極財政により景気上昇を図り、好況時に税収増と歳出減で返済するということを期待するほうが無理というものだ。

バブルの時代、官僚の薄給ぶりをバカにしていた諸君。不況の時代、官僚の給与が安定しているがゆえに給与の官民格差が逆転すれば官僚の給与の引き下げを叫ぶ諸君。

バブルの時代、大蔵省役人に対する大銀行の接待ぶりから官々接待のようなものまで官僚のバカげた放蕩ぶりが報道されても経済のための必要悪として容認していた諸君。不況の時代、深夜に帰宅する官僚に対する深夜タクシー運転手のささやかな「接待」まで吊るし上げる諸君。

バブルの時代、誰も使わないような施設や実際の交通需要を無視した無駄に大規模で維持管理費が嵩む道路を公債を発行してまで建設することを容認していた諸君。不況の時代、日常生活に必須な生活道路の補修費用すら削ることを当然のこととする諸君。

景気が良くて税収が増えているときにも「ばら撒き」を続け、そのために公債を刷り続けた政党が与党であり続けた政府。そのような政治運営を行ったことの責任に対する審判を下さなかった国民。

諸君ら「日本的なる人々」が「日本的なる」政府を構築し続けている限り、政府に総需要政策に基づいた景気調整機能など期待できる筈も無い。


諸君、余は需要創出政策とその財源としての政府紙幣発行を悪いこととは思わない。インフレ懸念はもっともだが、少なくとも需要不足が更なる需要不足を招き続ける現状を維持するよりはマシな政策と思う。

だが、諸君がそういう政策に反対することは当然のことと思う。

諸君は「神話」となるような「苦難の歴史」を欲しているのだから。

「日本的カリスマ政治家」に苦痛に耐えさせられるのが大好きなところの諸君においては、需要不況時に財政再建路線による官需減少で更なる需要減少を招くことによる苦痛は待望するところであろう。

企業と労働者が極限まで死に絶えるまでデフレスパイラルを継続し、国を「焼け野原」としてこそ新たな「苦難の歴史」の「神話」が誕生する。実に「日本的」ではないか。

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なに、こういう物言いは実に偏見に満ちた日本人観でエスニックジョークにもなっていないだと?

そういうエスニックジョークにもならないものをエスニックジョークだと言うのが諸君ら「日本的なる人々」ではないのかね?

2009-01-02

新年挨拶2009

[]あけましておめでとうございます

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今年もよろしくお願いします。

画像は牛柄ならぬパンダ柄の服を着たチョビ髭閣下。

id:karinto様、グリーティングカードありがとうございました。

2008-04-22 総統猫チョビ髭閣下13歳

[][][][]大日本帝国を糾弾するのに熱心な反歴史修正主義者が大日本帝国と同じようなことをしている中国に対して積極的に糾弾しているように見えないのは何故か?

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諸君、余だ。

大日本帝国を糾弾するのに熱心な反歴史修正主義者が大日本帝国と同じようなことをしている中国に対して積極的に糾弾しているように見えない、と諸君が疑問に思っているようなので余が答えよう。

簡単なことだ。

正しい情報が流布されている分には批判する必要がないからだ。

正しい情報の下、諸君がどのように判断しどのように行動するかは諸君自身に委ねられているのだ。

考えてみるがよい。

反歴史修正主義は歴史修正主義に対するカウンターアクション。そもそも歴史修正主義者が偽りの歴史を流布していなければ、そういう活動をする必要は無いのだ。

反歴史修正主義者にとって、歴史修正主義者の偽りを暴くことが目的であり、大日本帝国の負の歴史について発言するのは偽りを暴くための手段にすぎない。

全てがそうとまでは断定せぬが、反歴史修正主義者にとって大日本帝国を糾弾するのは目的ではない。

偽りを暴くための手段として大日本帝国の負の歴史について発言することが、諸君には大日本帝国を糾弾することが目的のように見えているだけなのだ。

つまりだ。そもそもの疑問がおかしいのだ。

そして、そのおかしさは諸君自身の勘違いに立脚している。

そう、諸君は勘違いをしている。諸君自身の政治性ゆえに勘違いしている。

では、諸君自身の政治性とは何か?ステレオタイプに毒されていることだ。

諸君が「反歴史修正主義は左翼。左翼は反日で親中」というステレオタイプに毒されていることだ。

諸君の中には「ロリペドキモオタ死ね」的なオタクに対するステレオタイプな報道を不快に思っているものもいるのではないかと思う。

「反歴史修正主義者は左翼で反日親中」というのも同様のステレオタイプなのだ。

反歴史修正主義自体は史実を守るためのものであり、思想の左右や対国家感情とは無関係。

反日だから大日本帝国の負の歴史について発言するわけでもないし、親中だから中国を糾弾しないというわけでもないのだ。それは、中国のチベットに対する非道を南京事件否定論などの歴史修正主義と同じ手口で否定しようとする言動も批判対象となることから明らかというものだ。

結局のところ、オタクに対するステレオタイプな報道に影響される人々同様に、諸君が歴史修正主義者による反歴史修正主義者に対するステレオタイプな主張に影響されたにすぎない。

メディアリテラシーという言葉を好むところの諸君がそのように影響を受けてしまうのは実に嘆かわしいことだ。

だが、それも無理からぬことかもしれぬ。

国家の不名誉を自己の不名誉のように感じる人は未だ多い。そのような人が大日本帝国の負の歴史について発言する反歴史修正主義者に悪感情を抱きやすいのはやむを得ぬこと。そして、それは悪感情の対象に対するネガティブな評価を受け入れやすくする。これは構造的に避けられぬことだ。

しかしだ。歴史修正主義者の現実の姿を見てみるがよい。

彼らは議論において実に憐れな存在だ。彼らの拠って立つところの歴史修正主義が史学的には話にならないどうしようもない代物だからだ。

敵は間抜けな絶対悪と信じ込んだ憐れな新参歴史修正主義者が使い古された穴だらけの否定論を振りかざし敵も知らず己も知らずに反歴史修正主義者に突撃して返り討ちにあい、「えーマジ否定論?」「キモーイ」「否定論が許されるのは小学生までだよねー」「キャハハハハハハ」と笑われるのはもはや風物詩である。

敵を間抜け扱いして返り討ちにあった歴史修正主義者が笑われているのを見たウヨクが「ウヨクをバカにするなー」と逆切れするのもまた風物詩。「俺は御前らの感情に配慮しないが、御前らは俺の感情に配慮しろ」というわけだ。ウヨクが歴史修正主義と親和的ゆえの悲喜劇だ。


繰り返し言おう。

反歴史修正主義者にとって、歴史修正主義者の偽りを暴くことが目的であり、大日本帝国の負の歴史について発言するのは偽りを暴くための手段にすぎない。

何故、偽りを暴くかといえば、正しくない情報が判断材料として無価値などころか判断に際し悪条件となることをその理由の一つとして挙げられよう。

そうやって確保された正しさの下、諸君がどのように判断しどのように行動するかは諸君自身に委ねられている。

大日本帝国の負の歴史に対し、諸君はどのように判断するのか。

大日本帝国と自己を切断して糾弾するのか。

同胞の行為として自省し教訓とするのか。

古今東西の人類の非道を掻き集めて「他国も同じことをしている」と相対化するのか。

選択肢は様々だ。

もっとも、切断と相対化のように、不快さと向き合うことを避けている点では同じな選択肢もあるがな。

諸君、余は「昔は自虐史観教育のせいで左翼だったがネットで真実に目覚めた」と主張して歴史修正主義者になる人間がいることをまったく不思議に思わない。

そういうのは他罰的で不快さと向き合う勇気を持たぬものが向きを変えただけ。非難の対象が大日本帝国から「自虐史観」に変わっただけ。主張は変わっても内面が変わったわけではないのだ。


さてだ。

チベットの人権問題が脚光を浴びることにより大日本帝国と同じようなことをしている中国が問題になったわけだが、それに対し諸君がどのように判断しどのように行動するかも諸君自身に委ねられている。

人権問題を重視して人権団体に自ら助力するのも判断。

人権問題より中国との経済関係を重視して沈黙することを表明するのも判断。

複雑な問題ゆえに判断を保留することも判断といえよう。

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問題は、何らかの行動をした方が良いと判断したのに、そのための責任と手間を厭うものたちだ。責任と手間を厭うゆえに、自ら行動するのではなく、行動させられることを待ち望むものたちだ。自ら判断し行動できるのにかかわらず、その責任と手間を他者に転嫁することを恥とせぬものたちだ。

そして、それにより彼らは「特権」を得られるのだ。

彼らは自身が行動しない理由を導くべきものが導かないことに責任転嫁できる。

また、導かれて行動した際、行動が失敗であれば導いたものに責任転嫁できる。

責任を自身で負わないがゆえに彼らは「無辜」でいられるのだ。


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しかしだ。

余は彼らの存在に感謝せねばなるまい。

扇動政治が未だ有効なのは彼らのような存在があればこそとゆうものだからだ。

彼らのような「行動させられるもの」は煽動者にとって好都合な存在だ。

だからといって煽動者は彼らを一方的に利用しているというわけではない。むしろ煽動者と彼らは互恵関係にある。

扇動者は彼らを率いることで数的優位を得ることができる。そのようにして自らの望みの実現に近づける。

扇動者に率いられる彼らは彼らで責任を扇動者に「外注」できる。それゆえ、何があろうと「無辜な国民」でいられる。

そこに扇動者と「無辜な国民」の「美しい共犯関係」が成立するのだ。

そうではないかね?

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