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2014-09-27

[]とある南京事件否定論者の英語での「情報戦

KUIDAORE氏という人は転載記事をこのように並べれば南京事件を否定できると思っているようです。

[ The New York Times : January 9, 1938 ]

"Wholesale looting was one of the major crimes of the Japanese occupation. Once a district was in their full control, Japanese soldiers received free rein to loot all houses therein. [...] Occupants of homes were robbed and any who resisted were shot."

"Many Chinese civilians who failed to leave the southern and southwestern sections of the city were killed, the total probably running as high as the total of military dead. This writer, visiting the South City after the Japanese had occupied the area, found sections of it almost demolished by Japanese shelling, and Chinese civilian dead were lying everywhere."

[ Documents of the Nanking Safety Zone : December 17, 1937 ]

"In other words, on the 13th when your troops entered the city, we had nearly all the civilian population gathered in a Zone in which there had been very little destruction by stray shells and no looting by Chinese soldiers even in full retreat."

(PDF)

*December 17, 1937 ”International Committee for Nanking Safety Zone”

The New York Times : January 9, 1938 : REAL PHOTOS, FILMS TAKEN NANKING IN 1937-1938

上はニューヨークタイムズの1938年1月9日の記事。

翻訳はサービス終了のお知らせ - Yahoo!ジオシティーズで読むことができます。

該当部分は

日本軍の占領の主要な犯罪は大規模な略奪であった。いったん地域が日本軍の完全支配下に入ると、そこの住宅はどこも日本兵の略奪がほしいままになされた。なにより先に食料が求められたようだが、高価な物はなんでも、ことに持ち運びの簡単な物を、勝手気ままに持ち去った。住宅に人がいる場合は強奪し、抵抗する者は射殺された。

市の南部および南西部から避難できなかった大勢の市民は殺害され、総計ではおそらく戦闘員の死亡総計と同数くらいにのぼるであろう。記者は日本軍が地域を掌握してからの市南部を訪れたが、一帯は日本軍の砲爆撃で破壊され一般市民の死骸がいたるところに転がっていた。

となります。

下は南京国際区安全委員会の第6号文書の一部で、翻訳はno titleで読むことができます。

この一文だけでは誰が誰にあてたものなのかも文脈も分からない転載ですが、該当部分は

言いかえれば、13日に貴軍が入城したときに我々は安全区内に一般市民のほとんど全体を集めていましたが、同区内には流れ弾による極めてわずかの破壊しかなく、中国兵が全面的退却を行った際にもなんら略奪は見られませんでした。

となります。

では、この南京国際区安全委員会の文書は上記ニューヨークタイムズの記事を否定するものになるでしょうか?なるわけがありません。

南京国際区安全委員会の一般市民のほとんど全体を集めていたという認識は間違っており、安全区の外にも一般市民が残っていたことは知られています*1し、南京市街が日本軍の砲爆撃で破壊されたことと、日本軍が安全区を攻撃しなかったことにより安全区が流れ弾によるわずかな破壊しかなかったことは矛盾しません。むしろ、流れ弾の存在が日本軍の砲爆撃があったことを示しているというものでしょう。

そして、この転載部分の前後を読めば、この転載の悪質な切り取り具合が分かろうというものです。

以下に前後を含めて引きます。(「平常名」は「平常な」に修正)

ところが、不幸にも貴下の兵士は、安全区内で当方が秩序を維持し、一般市民のための諸サービスを続けることを望みませんでした。その結果として、我々が12月14日の朝まで続けていた秩序維持と必要 なサービス提供の体制は瓦解しました。言いかえれば、13日に貴軍が入城したときに我々は安全区内に一般市民のほとんど全体を集めていましたが、同区内には流れ弾による極めてわずかの破壊しかなく、中国兵が全面的退却を行った際にもなんら略奪は見られませんでした。貴下が当地区を平穏に接収し、かつ市内の他の部分が整備されるまで、そのなかで平常な生活が乱されることなく続けられる準備はすっかり整っていました。それだと、市内で完全に平常な生活を進めることもできたのです。このとき市内に居住していた27名の外国人全員も中国人住民も、14日いらい貴軍の兵士が行っている強盗強姦・殺人の蔓延にまったく驚いています。

日本軍の兵士の所為で南京国際区安全委員会が行っていた「秩序維持と必要 なサービス提供の体制」が瓦解したこと。件の転載部分が「完全に平常な生活を進めることもできた」ことを説明するための前置きだったこと。日本軍の兵士による強盗・強姦・殺人が蔓延していたこと。こういうことを示す文の中であの一文だけを切り取ることで南京事件の否定に用いようとすることができる感覚。これは不誠実としか言いようがないと思います。

そして、その不誠実さはソースを確認すればすぐに判明するわけで、これでどれほどの英語圏の人々を騙すことができるというのでしょうか。まさしく知性に対する侮辱としか言えない切り取りだと思います。

日本の否定論者の相手がソースを確認しないことに対する信頼はいったいどれだけ海外で通用するのでしょうね。

KUIDAORE氏はヴォートリン日記からも以下を転載しています。

[ Diaries of Minnie Vautrin ]

December 8, 1937

"This evening we are receiving our first refugees - and what heartbreaking stories they have to tell. They are ordered by Chinese military to leave their homes immediately if they do not they will be considered traitors and shot. In some cases their houses are burned, if they interfere with the military plans. Most of people come from near South Gate and the southeast part of city."

December 9

"Tonight the flames are lighting the sky above the whole southwest corner of the city and during much of the afternoon we have seen clouds of smoke rising from every direction save northwest. The aim of the Chinese military is to get all obstructions out of their way - obstructions for their guns and possible ambush or protection for Japanese troops. McDaniel of Associated Press says he watched the fires being started with kerosene. The owners of these houses are the refugees who have been coming into the city in great crowds during the last two days."

December 10

"Fires have been seen around the city a good part of day, and tonight the sky to the west is aflame - the destruction of the houses of the poor just outside city wall."

(PDF) *Microfilmed collection of Vautrin papers includes her diary

該当部分の翻訳はno titleで読むことができます。

12月8日水曜日:夜、初めての避難民受入。南門付近や市南東部の人達が殆ど。中華軍、自宅からの即時立退きを命じ、従わないと反逆者と見做して銃殺。軍の計画を妨害すると、家が焼払われる事もあるとか。

12月9日木曜日:夜、南京市南西隅の空全体が火炎で照し出されている。午後は殆ど、北西以外の方角から濛々と煙が立ち昇る。中華軍の狙いは、総ての銃撃の邪魔や、日本兵に役立つ物を取り除く事。マクダニエル特派員は、中華兵が灯油を家に掛けて火をつけている所を目撃したと言う。この2日間、焼け出された人達が城内に大挙避難した。人々にこれ程の苦難を与えて迄もする価値があるのか疑問。

12月10日金曜日:日本軍、光華門のすぐ近くに。市街周辺各所で、殆ど一日中火災。夜は西の空が真っ赤。城壁のすぐ外側の貧しい人々の家が焼かれた。マギーによると、彼の邸宅は燻る焼跡の海に浮かぶ孤島のようだとか。

これはつまり、家屋の破壊や殺人は中国軍によるものだと言いたいのでしょう。

中国軍の清野作戦による家屋の破壊や略奪はよく知られていることです。

無論、このことは日本軍の砲爆撃による破壊を否定しません。

また、放火にしても行軍中の日本軍も放火していたこともよく知られていることです*2

南京城区が南京市の一部であり、南京安全区が南京城区のそのまた一部であることを考えれば騙される筈も無い話です。

だいたい、ヴォートリン日記はサービス終了のお知らせ - Yahoo!ジオシティーズサービス終了のお知らせ - Yahoo!ジオシティーズのような日本軍の行状も多数載っている本です。

つまり、こういう「情報戦」を行う人々はソースを確認した上で、日本軍の様々な行状を示すその内容の中から史実否定に役立ちそうな部分だけを切り取るということをしているということです。

これまた、相手がソースを確認しないことと相手の無知に対する信頼無しにはできない行為というものでしょう。

このような行為はある種の南京事件否定論者の不誠実さを証明しているだけというものです。

このような南京事件否定論者はその不誠実さゆえに歴史学的には問題にはなりませんが、ソースの切り取りぶりが示すその不誠実さゆえに説得不可能な相手だということも明らかでしょう。

こういう人々は無知ゆえに騙されて否定論を受け売りしているのではありません。不誠実さにより自ら否定論を作り出している人々なのです。

2014-03-17

[][]「サンフランシスコ平和条約で受諾したのは極東国際軍事裁判所の裁判ではなく判決」というのは文脈無視での俗流解釈による嘘

「サンフランシスコ平和条約第11条で受諾したのは法廷が課した刑の執行としての諸判決であり、東京裁判における事実認定を含む裁判ではない。judgmentsと複数形になっているのがその証拠だ。外務省による英文和訳が悪い」というような主張は日本国が事実認定を含めて東京裁判を受諾していることを否定するために用いられる使い古された嘘です。

この記事ではそういう主張の誤りについて説明します。

judgmentsと複数形になっている理由

サンフランシスコ平和条約第11条においてjudgmentsと複数形になっている理由は条文を読めば明らかです。

Article 11

第十一条

Japan accepts the judgments of the International Military Tribunal for the Far East and of other Allied War Crimes Courts both within and outside Japan, and will carry out the sentences imposed thereby upon Japanese nationals imprisoned in Japan.

日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。

対訳 サンフランシスコ平和条約

「the International Military Tribunal for the Far East and of other Allied War Crimes Courts both within and outside Japan (極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷)」というように極東国際軍事裁判所の他に複数の連合国戦争犯罪法廷のjudgmentも受諾するのですから、それが複数形のjudgmentsになるのは当然のことです。

「judgmentsと複数形になっているから諸判決だ」というのは発想が斜め上過ぎて何を言っているのかと困惑します。

極東国際軍事裁判所のjudgmentは何を指しているか

極東国際軍事裁判所のjudgmentが何を指しているかは判決文を読めば明らかです。

Judgment

International Military Tribunal for the Far East (極東国際軍事裁判所)

PART A

CHAPTERS I-III

Chapter I Establishment and Proceedings of the Tribunal (本裁判所設立および審理) 1-22

Chapter II The Law (法) 23-37

Chapter III Obligations Assumed and Rights Acquired by Japan (日本の権利と義務) 38-82

PART B

CHAPTERS IV-VIII

Chapter IV The Military Domination of Japan and Preparations for War (軍部による日本の支配と準備) 83-520

(part b) 281-405

(part c) 405-520

Chapter V Japanese Aggression Against China (中国に対する侵略) 521-775

(Sections III-VII) 648-775

Chapter VI Japanese Aggression Against the U.S.S.R. (ソ連に対する侵略) 776-842

Chapter VII The Pacific War (太平洋戦争) 843-1000

Chapter VIII Conventional War Crimes (Atrocities) (通例の戦争犯罪(残虐行為))1001-1136

PART C

CHAPTERS IX-X

Chapter IX Findings on Counts of the Indictment (起訴状の訴因についての認定) 1137-1144

Chapter X Verdicts (判定)

HyperWar: International Military Tribunal for the Far East

引用文の全角括弧内の翻訳は引用者が加えたもの。

これが極東国際軍事裁判所のjudgmentであり、その中には日本の侵略戦争や戦争犯罪に関する事実認定が含まれています。

サンフランシスコ平和条約第11条において受諾したjudgmentの中身がこれらであることは文脈的に明らかで、日本語訳でjudgmentを裁判と訳そうが判決と訳そうが、サンフランシスコ平和条約の英文における意味が変わることはありません。

judgmentは日本語では裁判とも判決とも訳され、日本語の法律用語としての裁判は(口頭弁論を経る)判決の他に(裁判所が行う)決定や(裁判官が行う)命令も含むものですが、仮に判決と解釈したところで、判決文に「本裁判所の設立および審理」(裁判が正当なものであることについての判決文)や各種事実認定なども含まれているわけですから、サンフランシスコ平和条約で日本国が東京裁判の正当性や合法性や事実認定を含めて受諾したことに変わりはありません。

judgmentの訳語は日本語における法律用語としてはどうなのか

そもそも、判決は法律用語的には「訴訟において、裁判所が当該事件について一定の厳重な手続を経た上で示す裁判のこと」*1であるわけで、判決は裁判の一形態であり、判決と訳せば東京裁判の事実認定などを受諾していることにならないということになるわけがありません。

サンフランシスコ平和条約第11条におけるjudgmentの訳語は「極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷」で為されたjudgmentsの全てが口頭弁論を経たものであれば裁判でも判決でもいいですが、口頭弁論を経ないものが含まれていれば法律用語的には裁判とするのが適切となります。

極東国際軍事裁判所条例*2の第四条(ロ)では「本裁判所ノ為ス一切ノ決定並ニ判決ハ、出席裁判官ノ投票ノ過半数ヲ以テ決ス」となっているので、極東国際軍事裁判所におけるjudgmentの訳語は法律用語的には決定も判決も含む裁判とするのが適切です。ならばサンフランシスコ平和条約第11条におけるjudgmentの訳語に裁判をあてることには何の問題もありません。極東国際軍事裁判所におけるjudgmentを受諾することが裁判を受諾することであることは法律用語的には明らかです。

サンフランシスコ平和条約第11条の目的が連合国から日本国へ「日本国で拘禁されている日本国民」に対する刑の執行を引き継ぐことであることを考えると、判決と訳してしまうと決定や命令による刑の執行に不都合が生じるので、裁判と訳するのが適切となります。

サンフランシスコ平和条約第11条で刑の執行者となる日本国としては、不当な刑の執行をするわけにはいかないので、「極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判」を不当なものとすることはできませんから、それらを正当なものとして受諾するのは当然のこととなります。

「受諾したのは刑の執行としての判決であって裁判ではない」というのは、極東国際軍事裁判所の判決文を確認せずにサンフランシスコ平和条約第11条におけるjudgmentのみを狭い意味で解釈することによってのみ成立する嘘でしかありません。そして、この嘘が英語圏に対して通じるわけがないことは明らかですし、日本語でも法律用語的には通じるわけがありません。

東京裁判受諾に関する政府見解

過去の国会会議録からサンフランシスコ平和条約第11条に対する日本政府の立場は明らかです。


第12回国会 平和条約及び日米安全保障条約特別委員会 第4号 昭和二十六年十月二十六日(金曜日)における当時の政府委員である外務省条約局長西村熊雄氏の答弁。

第十一條は戰犯に関する規定でございます。この條約の規定は、日本は極東国際軍事裁判所その他連合国の軍事裁判所がなした裁判を受諾するということが一つであります。いま一つは、これらの判決によつて日本国民にこれらの法廷が課した刑の執行に当るということでございます。そうしてこの日本において刑に服しておる人たちに対する恩赦特赦、仮釈放その他の恩典は、将来は日本国政府の勧告に基いて、判決を下した連合軍のほうでこれをとり行うという趣旨が明かにされております。極東軍事裁判所の下した判定については、この極東軍事裁判所に参加した十一カ国の多数決を以て決定するということになつております。一体平和條約に戰犯に関する條項が入りません場合には、当然各交戰国の軍事裁判所の下した判決は将来に対して効力を失うし、又判決を待たないで裁判所が係属中のものは爾後これを釈放する、又新たに戰犯の裁判をするということは許されないというのが国際法原則でございます。併しこの国際法の原則は、平和條約に特別の規定がある場合にはこの限りにあらずということでございます。従つてこの第十一條によつて、すでに連合国によつてなされた裁判を日本は承認するということが特に言われておる理由はそこにあるわけでございます。戰犯に関する限り、米国政府の態度は極めて友好的であつたと私は一言ここに附加えておきたいと、こう思います。

参議院会議録情報 第012回国会 平和条約及び日米安全保障条約特別委員会 第4号

引用文中の強調は引用者による。

サンフランシスコ平和条約第11条が各軍事裁判所の裁判受諾と刑の執行の二つを規定するものであることは明らかで、刑の執行のみを受諾したなどということはありえません。

平和条約に裁判受諾に関する記述がある理由もこれを読めば明らかでしょう。


第162回国会 外交防衛委員会 第13号 平成十七年六月二日(木曜日)における当時の政府参考人である外務省国際法局長林景一氏の答弁。

先生も今御指摘のとおり、サンフランシスコ平和条約第十一条によりまして、我が国は極東国際軍事裁判所その他各国で行われました軍事裁判につきまして、そのジャッジメントを受諾しておるわけでございます。

このジャッジメントの訳語につきまして、裁判というのが適当ではないんではないかというような御指摘かとも思いますけれども、これは裁判という訳語が正文に準ずるものとして締約国の間で承認されておりますので、これはそういうものとして受け止めるしかないかと思います。

ただ、重要なことはそのジャッジメントというものの中身でございまして、これは実際、裁判の結論におきまして、ウェッブ裁判長の方からこのジャッジメントを読み上げる、このジャッジ、正にそのジャッジメントを受け入れたということでございますけれども、そのジャッジメントの内容となる文書、これは、従来から申し上げておりますとおり、裁判所の設立、あるいは審理、あるいはその根拠、管轄権の問題、あるいはその様々なこの訴因のもとになります事実認識、それから起訴状の訴因についての認定、それから判定、いわゆるバーディクトと英語で言いますけれども、あるいはその刑の宣告でありますセンテンス、そのすべてが含まれているというふうに考えております。

したがって、私どもといたしましては、我が国は、この受諾ということによりまして、その個々の事実認識等につきまして積極的にこれを肯定、あるいは積極的に評価するという立場に立つかどうかということは別にいたしまして、少なくともこの裁判について不法、不当なものとして異議を述べる立場にはないというのが従来から一貫して申し上げていることでございます。

参議院会議録情報 第162回国会 外交防衛委員会 第13号

引用文中の強調は引用者による。

judgmentの中身が極東国際軍事裁判所の判決文であり、それには「裁判所の設立、あるいは審理、あるいはその根拠、管轄権の問題、あるいはその様々なこの訴因のもとになります事実認識、それから起訴状の訴因についての認定、それから判定、いわゆるバーディクトと英語で言いますけれども、あるいはその刑の宣告でありますセンテンス、そのすべてが含まれている」ことはその判決文を読めば明らかです。

judgmentの日本語における訳語を変えたところで、それらを受諾したということに変わりはありません。


第165回国会 本会議 第4号 平成十八年十月二日(月曜日)における当時の内閣総理大臣である安倍晋三氏の答弁。

過去に日本がアジアでとった行為についてのお尋ねがありました。

さきの大戦をめぐる政府としての認識については、平成七年八月十五日及び平成十七年八月十五日の内閣総理大臣談話等により示されてきているとおり、我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えたというものであります。

いわゆるA級戦犯の国家指導者としての責任についてお尋ねがありました。

さきの大戦に対する責任の主体については、さまざまな議論があることもあり、政府として具体的に断定することは適当ではないと考えます。

いずれにせよ、我が国は、サンフランシスコ平和条約第十一条により極東国際軍事裁判所の裁判を受諾しており、国と国との関係において、この裁判について異議を述べる立場にはないと考えています。

衆議院会議録情報 第165回国会 本会議 第4号

引用文中の強調は引用者による。

外務省の役人ではなく内閣総理大臣自身が「極東国際軍事裁判所の裁判を受諾」していることを認めています。

このように安倍晋三氏のような人でも日本国の首相という責任のある立場につけば日本政府の公式見解に沿った言動をせざるをえないというわけです。

東京裁判史観を覆したいなら学問的手段で

日本国はサンフランシスコ平和条約で東京裁判を受諾しており、政府見解もそうなのですから、東京裁判における事実認定に基づいた国際社会における歴史観を覆すことは政治的手段では無理です。

そういうわけで東京裁判史観を覆したい人々は学問的手段を用いるべきです。

そのためには地道で膨大な史料研究が必要で、知的で誠実でそういう史料研究を行う人が歴史修正主義者になることは、まあ、ありえないのですけどね。

2013-04-29

[][]靖国神社は歴史否認装置であり感情慰撫のための嘘製造機

中国政府は一九八五年、中曽根康弘首相が靖国神社の「公式参拝」を行なった際、正式に抗議を開始した。A級戦犯が祀られている神社に日本の首相が参拝することは日本政府の戦争責任認識を疑わせ、日本の侵略の被害を受けたアジアの人びとの感情を著しく傷つけるというのが、中国政府の一貫した批判であり、韓国政府もこの点では一致している。中曽根首相は中国政府の非難を受けて、翌年から参拝を中止した。ところが小泉首相は、中国や韓国の批判を「内政干渉」として斥け、逆に「外国の非難にも屈せず堂々と日本の立場を貫く指導者」というイメージをつくり出して、支持率の維持に利用した。その結果、中国や韓国の指導者は小泉首相との首脳会談をたびたび拒否し、日中、日韓の政治的関係は「最低」と言われるところまで落ち込んでいたのである。

日中、日韓の外交問題として見る限り、靖国問題は靖国神社がA級戦犯を祀っている点に絞られていく。政治もメディアもほとんどこのレベルで問題をとらえている。中曽根首相以来、中国や韓国の抗議を重視し、これを回避しようと考える政治家は、まずA級戦犯を靖国神社から外せないかと考えるし、近隣諸国との友好関係を重視する日本のメディアも同様である。日本経済新聞の富田メモ報道は、こうした状況で登場した。靖国神社と首相の参拝を支持する側は、このメモの証拠能力を低めようと画策したが、これは成功しなかった。そして日本経済新聞も含めて、朝日新聞のように小泉首相の靖国神社参拝に反対してきた側は、自説を補強するために富田メモを利用した。昭和天皇でさえ、戦争責任者であるA級戦犯が祀られた靖国神社には参拝を控えたのだから、小泉首相も当然、参拝を止めるべきだ、というわけである。韓国の主要なメディアでも、首相参拝を止めたいあまり、富田メモを肯定的に紹介する論調が目についた。

小泉首相は結局、二〇〇六年八月一五日に靖国神社参拝を行なった。中国・韓国政府は予想通り激しく反発したが、その後、小泉政権から安倍政権への交代によって、現在は小康状態に入っている。しかし、富田メモをめぐる議論の構図には、靖国神社をめぐる歴史認識の問題点をいくつも指摘することができる。以下、靖国問題における「歴史の偽造と否認」について分析したい。

第一に、靖国神社がA級戦犯を神として祀り、日本の首相がそこへ参拝することが、日本の戦争責任を否認する意味をもつことは明らかである。

なるほど靖国神社に参拝した戦後歴代の首相の中に、日本の戦争責任を公然と否認した首相はいない。小泉首相は、日本が「遠くない過去の一時期、国策を誤り、(中略)植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人びとに対して多大の損害と苦痛を与えた」ことに、「痛切なる反省の念」と「心からのお詫び」を表した一九九五年の村山首相談話を日本政府の立場として確認し、戦争責任を否認する意図のないことを明言した。

しかし、靖国神社は公式に、「先の大戦」は「自存自衛の戦争」であり、欧米の植民地支配からアジアを解放するための戦争であった、したがって、A級であるとBC級であるとを問わず「戦犯」というのは「ぬれぎぬ」であり、戦勝国の一方的な裁きによって押し付けられた不当なレッテルにすぎないと主張している。実際、靖国神社は単なる追悼施設ではなく、戦死した軍人を「英霊」としてその功績を讃え、神として聖なる存在へと祀り上げる顕彰施設であるが、戦死者を顕彰するためには、その戦争が侵略戦争であったのでは具合が悪い。A級戦犯を祀る靖国神社に参拝するという日本の首相の行為が、日本政府の戦争責任認識に不信を抱かせたとしても、決して不思議なことではない。

さて、しかしながら、もしも靖国神社の歴史認識上の問題点をこのA級戦犯合祀問題だけにしか見ないならば、それは問題の矮小化であり、依然として「歴史の偽造と否認」を続けることになる。もしもA級戦犯合祀だけが問題であるならば、A級戦犯さえ靖国神社から外してしまえば、何も問題はないことになる。たしかに中国政府は日本との関係に関する政治的配慮から、問題をA級戦犯に限って解決を容易にしようとしてきた。それは外交問題を解決する方策として理解可能な立場である。ところが、日本の政治やメディアが靖国問題をこの水準でしか理解していないとすれば、すなわち、A級戦犯さえ外されれば首相や天皇の参拝には何の問題もないと考えるとすれば、そこには意識的もしくは無意識的に「歴史の偽造と否認」が働いていると言うべきである。

歴史の否認の第二は、「A級戦犯」という概念に寄りかかるところに起因する。A級戦犯とは、東京裁判で満州事変からの中国侵略戦争および太平洋戦争の戦争指導責任を裁いた概念である。満州事変の準備段階から含むので一九二八年一月から、一九四五年八月までの戦争責任が裁かれたのである。いいかえれば、東京裁判と「A級戦犯」という概念は満州事変以前の日本のアジア侵略の歴史を問わなかった。一九二八年当時、日本はすでに朝鮮・台湾を含む多くの植民地を有する植民地帝国であった。しかし、東京裁判で日本を裁いた連合国のうち、米国・英国・オランダ・フランスは植民地支配国であり、日本の植民地支配の責任を問う意思も資格もなかったのである。ところが、靖国神社には、一八七四年の台湾出兵以来、日本が周辺アジア地域を侵略し植民地支配を確立していった過程での戦闘における日本軍戦死者が一貫して祀られてきた。

台湾の植民地支配は、武装蜂起などで抵抗する中国系台湾人をまず軍事的に制圧し、次に台湾先住民諸部族の抵抗を軍事的に制圧して確立された。朝鮮植民地支配は、江華島事件(一八七六)以来の日本軍の軍事攻撃によって、義兵闘争など朝鮮人の抵抗を制圧して確立された。これらの過程で戦死した日本軍死者も、植民地独立運動を制圧するための軍事作戦で戦死した日本軍死者も、すべて「帝国」=「天皇の統治」の拡大に功績のあった「英霊」として靖国神社の神となっている。靖国神社は近代日本の植民地主義と完全に一体だったのであり、A級戦犯刑死後と同様これらの戦死者を今も顕彰の対象にし続けることによって、植民地支配の責任を今も否認し続けているわけである。

この第二の否認、すなわち中国侵略戦争以前のアジア侵略、植民地主義の否認は、いわゆる右派修正主義者だけでなく、朝日新聞や「進歩的知識人」などA級戦犯の戦争責任を認める側にも根深く存在していることに注意しなければならない。欧米列強に伍する地位を築いた「明治」は偉大だったが「昭和」になって日本は悪くなったとか、日清戦争、日露戦争までは日本軍は健全だったが中国侵略以降に堕落したといった「歴史観」は、NHKや朝日新聞を通して「国民的作家」となった司馬遼太郎の影響もあり、日本人のリベラル層にも広く存在しているが、そこに伏在する植民地主義の否認が靖国問題においてはA級戦犯問題への矮小化となって現われると言える。

A級戦犯問題に焦点を絞ることは、満州事変以後の戦争責任についても矮小化することになる。これが靖国問題における第三の「歴史の否認」である。その構図は、前記の富田メモ報道とそれに基づく議論に顕著だ。「A級戦犯が祀られたことへの不快感から昭和天皇は靖国神社参拝を止めた」ということが強調され、それが肯定的に評価されればされるほど、「すべてはA級戦犯の責任であって、天皇には何も責任がない」、という印象が強まっていく。

これは、米国の政治的思惑から昭和天皇を免責した東京裁判の構図と同じである。東京裁判が裁いたすべての戦争の期間を通して日本の最高責任者(統治権者)であり、何よりも日本軍の最高司令官(大元帥)であった昭和天皇が訴追を免れ、戦後も「日本国および日本国民統合の象徴」(憲法第一条)として天皇の地位にとどまることができたのは、占領統治に天皇を利用し、東西冷戦の中で日本の共産化を防ごうとした米国の決定によるものにすぎなかった。こうして隠蔽され、否認されてきた天皇の戦争責任が、A級戦犯問題を強調することによってあらためて否認されてしまうのである。

満州事変以後の戦争責任の矮小化は、天皇のそれにとどまらない。A級戦犯以外の指導層、マスメディアや知識人、文化人、宗教者や教育者を含む国民各層の戦争責任が否認されていく。A級戦犯を外せばことが済むのであれば、それ以外の軍人の責任も、靖国神社自身の責任も問われなくなってしまうのである。

ここで、靖国神社が支えた戦争の歴史的評価から、そこに祀られた戦死者の戦死という出来事に目を向けてみよう。すると、靖国神社は単に戦争の侵略性とその責任を否認する性格をもつだけでなく、戦死者の戦死を「名誉の戦死」としてまつり上げることによって、そもそも出来事としての歴史を否認する装置であることが分かる。

靖国神社は兵士たちの戦死の実態をいわば「偽造」する。すなわちそれを、戦場での無残な血塗られた死から、崇高で英雄的な「名誉の戦死」へと神聖化していくのである。この意味での歴史の「偽造」にも、少なくとも三つの様態を区別することができる。

第一に最も明白なケースとして、朝鮮・台湾等の植民地出身の戦没兵士のケースがある。現在の靖国神社には、日本の戦争に動員されて戦死した朝鮮人二万人余り、台湾人二万人余り、合わせて五万人近くの植民地出身戦死者が祀られている。日本は植民地でも「皇民化」教育を行い、朝鮮人・台湾人にも「天皇の国家のために命を捧げて尽くすこと」を求めた。しかし、徴兵令施行後は強制的動員だっただけでなく、「志願」して軍人・軍属となった者の場合でも、その根底には、そのことによって異民族差別から逃れたいという動機があったのであり、靖国信仰を文字通り内面化してたわけではなかった。

植民地解放後、一九七八年に台湾の遺族から靖国神社に合祀取り下げ要求が初めて出された。その後、韓国の遺族からも取り下げ要求が出され、訴訟になっているが、その際の遺族の、主張は、「侵略と植民地支配の加害者と一緒に、加害民族の軍国主義の象徴である靖国神社に祀られていることは、耐え難い屈辱である」というものである。これらの取り下げ要求を靖国神社は一貫してすべて拒否している。その理屈はこうだ。「戦死した時点では日本人だったのだから、死後日本人でなくなることはありえない。日本の兵隊として、死んだら靖国に祀ってもらうんだという気持ちで戦って死んだのだから、遺族の申し出で取り下げるわけにはいかない。内地人と同じように戦争に協力させてくれと、日本人として戦いに参加してもらった以上、靖国に祀るのは当然だ」(一九七八年、靖国神社権宮司の言葉)。ここに見られるのは、植民地支配と徴兵令の強制力を無視した「自発的な名誉の戦死」の「偽造」にほかならない。

第二に、沖縄戦の民間人戦死者のケースである。沖縄はもともと、日本と中国の間にあって独自の琉球王国を形成していたが、一八七九年、明治政府が軍事力を背景に王国を滅亡させ、「沖縄県」を設置した。先住民アイヌのいた北海道と並んで、近代日本の植民地主義の最初の対象となった地域であり、朝鮮・台湾などと区別して「内国植民地」と言われることもある。日本の支配下で強力な同化政策が行なわれたが、太平洋戦争末期、日本軍は沖縄に上陸した米軍を相手に、「軍民一体」と称して非戦闘員であった住民をも巻き込んで悲惨な地上戦を展開、一〇万という民間人死者を出した。日本軍にスパイ視されて殺害されたり、投降して捕虜になることを禁じられ「集団自決」を強いられたりして、「友軍」と信じた日本軍の犠牲になったケースも少なくなかった。

こうして戦死した沖縄の民間人の多くが、靖国神社に祀られている。軍人・軍属を祀るはずの靖国神社に、なぜ民間人が祀られたのか。一九五八年、遺族援護法に基づく遺族年金等の支給対象に「軍の要請に基づく戦闘参加者」が加わると、沖縄の民間人死者の遺族にも「遺族年金等の支給が受けられるから」として申請を受ける人々が出た。靖国神社はこの「軍の要請に基づく戦闘参加者」を「準・軍属」と見なして祀ったのである。その結果、実質的には日本軍の戦争の被害者であった沖縄の住民が、軍の協力者として祀られることになった。「集団自決」を強いられた子どもやゼロ歳児に至るまで、「お国のため」の「名誉の戦死」を死んだ靖国の「英霊」とされたのである。ここには、沖縄戦の悲惨な実態、とくに民間人の大量死に対する軍の責任を隠蔽する「すりかえ」がある、と言えるだろう。

最後に第三に、日本軍の軍人・軍属の戦死を一般に「名誉の戦死」として顕彰し、崇高で英雄的な死として神聖化していく点に、「戦死」という出来事の否認、出来事としての歴史の否認がある。この意味では、「英霊顕彰」施設としての靖国神社そのもの、靖国思想そのものが歴史の否認を含んでいると言うべきである。

靖国神社に祀られている約二四六万の戦死者のうち、二〇〇万以上が太平洋戦争の戦死者であるが、その約六割は戦闘での死者ではなく、広義の「餓死」であった。日本軍は太平洋戦争中、食糧補給が困難であることを知りながらニューギニアなど南太平洋に大量の兵員を送り込んだが、彼らの大半は連合軍との戦闘によってではなく、熱帯のジャングルの中をさまよいながら食糧が尽きて死亡し、遺体は腐乱し、白骨化していったのである。その言語に絶する悲惨さは、しかし彼らが靖国神社に祀られることによって不可視化される。かれらは国家を守るという崇高な目的のために敵と英雄的に戦って潔く死んだ「英霊」となる。もとより「餓死」だけではない。戦場での戦闘死自体が悲惨である。ところが靖国神社は、その戦死のおぞましいもの、血塗られたもの、腐ったものすべてを拭い去り、「神」の「聖なる」空間、崇高な「神域」のなかに戦死を「昇華」してしまうのである。

とくに重要なのは、遺族感情への働きかけである。戦死者遺族の悲しみ、悼みの感情は、これを放置すれば、戦争とそれを遂行する為政者への疑問、批判、怒りにまで転化する可能性がある。戦死者を靖国神社に祀る臨時大祭と、その際の天皇の参拝は、この遺族の悲しみを喜びへと一八〇度転換させる「感情の錬金術」が働く場面であった。四人の息子が軍人となり三人が戦死して靖国神社に祀られた高知県の女性、筒井松は、雑誌『主婦の友』一九四四年一月号に載った記事の中で語っている。長男、次男の戦死の知らせを聞いてからは、なんと酷いことか、なんと悲しいことかと辛い気持ちでいたが、二人が靖国神社に祀られる臨時大祭に遺族として招かれ、天皇の参拝を見た瞬間、「電気に打たれたように悟らせていただいた」と。「お国のために死んだからこそ天皇陛下までが参拝してくださる。こんなに有難いことはない。わが子でかした!」と思い、辛いという気持ちほ消えて、それ以後はすっかり喜しく誇らしい気持ちになった、というのだ。このように、靖国神社と天皇参拝は、遺族に戦死を容認させ、国民一般に戦争を肯定させていくために決定的な役割を果たした。日本の軍人・軍属のすべての戦死は、このプロセスを通して、実態がどうであれ、「国家のために命を捧げた自己犠牲の行為」として聖化されていくのである。

状況への発言―靖国そして教育(高橋哲哉)」P93〜103より脚注及び振り仮名を略して引用。二〇〇七年に書かれたものであり、文中の「現在」は第一次安倍政権時のこと。

まず事実として第一に確認しておきたいのは、靖国参拝を国際社会における政治問題としたのは靖国神社へのA級戦犯合祀とその後の一九八五年の中曽根康弘首相(当時)の靖国神社公式参拝であることです。

つまり、ある種の人々が信じる偽史のように中韓あるいは朝日新聞が政治問題化させたのではないということです。

戦後の日本には東京裁判とサンフランシスコ条約により主にA級戦犯に戦争責任を負わせることで天皇と国民を免罪して(敗戦の結果の負担を旧植民地や「内国植民地」である沖縄に負わせつつ)国際社会に復帰したという経緯があります。

戦犯は濡れ衣であるとして戦争責任を否定しA級戦犯を神として祀っている靖国神社。そこへの中曽根元首相の公式参拝はそういう経緯による戦後の国際社会における「約束事」に背く行為であったわけです。

靖国参拝に対する中韓の抗議にしろ連合国の苦言にしろ、サンフランシスコ条約後の世界の枠組みにおける「約束事」を考えれば当然のことなのです。

第二に確認しておきたいのは、最初の合祀取り下げ要求は一九七八年の台湾の遺族によるものであり、一九八五年の公式参拝による中国政府の抗議開始前であるということです。つまり、ある種の人々が信じる偽史と異なり「合祀取り下げ要求は中国政府が靖国参拝を政治問題化させたことに追随して始まった」ものではないということです。

第三に確認しておきたいのは、昭和天皇が東京裁判において訴追を逃れ天皇制が温存されたのは、米国が日本占領統治に天皇を利用するためにそうしたからであり、日本側も国体護持のためにそれに乗ったことによるからということです。

つまり、ある種の人々が信じる偽史と異なり天皇制が温存されたのは「特攻が連合国を畏怖させたことによる」ものではないということです。

東京裁判は確かに不当な裁判と言えるでしょう。それは昭和天皇を免責するためにA級戦犯に戦争責任を負わせるというシナリオがあった裁判であり、国体護持のために日本側もそれに協力した裁判であり、戦争責任を公正に裁いたものではないのですから。

日本の近現代史について真っ当に学習している人には、聖断神話は所詮神話に過ぎず、実際の昭和天皇は軍事や外交に口出しし続けていたことはよく知られていることでしょう。(沖縄米軍統治関係など戦後も)

A級戦犯の一人である東条英機がそういう昭和天皇の意思を実現するために積極的に活動した者の一人であることもよく知られていることでしょう。

そんな昭和天皇が東京裁判で訴追を免れたのは、日米双方の思惑でA級戦犯に戦争責任を負わせることで昭和天皇の戦争責任を誤魔化した結果であり、東条英機らは、ある意味、昭和天皇の身代わりとなって処刑されたのです。それは昭和天皇も「国体護持のためにその身を捧げた忠臣」である東条英機のことを悪く書けないなと思います。

第四に確認しておきたいのは、靖国の問題はA級戦犯合祀問題だけではないということです。靖国の問題は国家神道にもあります。

国家神道は明治新政府が日本を「遅れて来た帝国主義国家」にするために(おそらくは国民国家におけるキリスト教の役割や植民地支配における宣教師の役割なども参考にしつつ)作りだしたもので日本の伝統などではありません。

国家神道は大日本帝国の植民地主義と軍国主義を支えた装置の一つであり、靖国はその国家神道の神社です。

植民地主義と軍国主義を真に自省するなら国家神道と靖国は日本人自らが拒絶すべきものです。

第五に確認しておきたいのは靖国はその機能上必然的に歴史否認装置となり、「感情を慰撫する神話」を作りだすために嘘の歴史を捏造することです。

靖国は戦争への国民動員や遺族感情の慰撫などのために戦死者を顕彰する施設であり、その機能を果たす上で不都合な事実の方を否定します。

植民地支配を否定し、侵略戦争を否定し、戦争犯罪を否定し、戦争責任を認めない遊就館史観は靖国の機能上必然的に捏造された嘘の歴史です。

無論、そんな遊就館史観は被害国である中韓東南アジア諸国だけでなく連合国全般にも受け入れられるようなものではないわけですが。

歴史修正主義と排外主義

ある種の人々の主張において、しばしば、靖国信仰と歴史修正主義と排外主義がセットになっていたりするのは当然のことなのだと私は思います。

日本の歴史修正主義には日本の植民地支配や侵略戦争や戦争犯罪といった歴史学的事実を嘘扱いする嘘を「中韓が嘘の歴史で日本を陥れている」という嘘が支えているという構図があるからです。

靖国信仰は嘘の歴史を信仰することを必要とし、嘘の歴史への信仰を維持するために「嘘吐き民族に国際社会において陥れられている」という嘘が信者に必要とされるという因果の上で、歴史修正主義が報復感情による民族憎悪を生み、民族憎悪が歴史修正主義への傾倒を生み、強烈な被害者意識が両者を支え信仰をより強固なものしているという構図。

歴史修正主義者がしばしば歴史学的事実を述べるものを中国人認定したり朝鮮人認定したり中韓の手先認定したりするのも、彼らのそういう信仰を考えれば当然のことなのだと思います。彼らの中では「日本を陥れる嘘を宣伝するものは嘘吐き民族かその手先」ということになっているのでしょう。嘘を宣伝しているのは彼ら自身の方であるのにかかわらず。

彼らを見ていると理解拒否の壁を作りだすのは信仰だけではなく、彼ら自身が嘘吐きであり加害者であることを認めることへの心理的負荷も理解拒否の壁を成しているのだろうなと思います。

2012-06-29

[]南京事件否定論や従軍慰安婦否定論歴史修正主義者が一方的に愚かな主張をしている問題であり、それにより被害者に二次加害している問題

南京事件否定論における「人口20万人のところで30万人は殺せない」的主張や従軍慰安婦否定論における「THE FACTS」的主張を見れば明らかなように歴史修正主義者は歴史学において何が史実とされており国際的に何が非難されているかを理解していません。彼らは情報の継ぎ接ぎで作り出した虚像を虚構と否定することで史実を否定したつもりになっているだけです。当然、そのような否定は歴史学的には無意味ですし、国際社会にも受け入れられようがありません。

南京事件否定論や従軍慰安婦否定論はトンデモの一種であり歴史修正主義者が一方的に愚かな主張をしているのです。

このような歴史修正主義者による史実の否定は同時に被害者を嘘つき扱いすることでもあり、それは名誉の毀損という二次加害をすることでもあります。

歴史修正主義者は自らの言動で過去の謝罪を無にし被害者に二次加害を行い自国の加害の歴史に対する無反省を世界に向けてアピールしているのです。

このような行為が国際的に非難されるのは当然で、そのような非難は「何十年も前のこと」というより「現代の二次加害と無反省」に向いています。

二次加害と無反省は現代の問題であり歴史修正主義者が自国の加害の歴史に対する和解をぶち壊し日本が非難され続ける原因を作っているのです。

歴史修正主義者に対する史実派の対応はそういう史実の否定と二次加害に対するカウンターアクションであり、歴史修正主義者がいなければ不要なことです。

世の中にはそういう史実派と歴史修正主義者を「どっちもどっち」と言いたがる人がいたりしますが、それはこういう現実に対する無理解の表明であり、進化論と創造論をどっちもどっちと言うのと同じくらい愚かなことです。


なぜこのようなことを書いたかといえば、

gacha_sendai

南京虐殺肯定派に欠けているのは知識というより南京虐殺自体に対する懐疑。RT @DavitRice: RT @AmonDaisuke: 南京事件で人口20万人説を唱える人に欠けているのは知識というより人口20万人説自体に対する懐疑というも…

https://twitter.com/gacha_sendai/status/213233223529009152

というように言い返してきながら、こちらの説明に対し

gacha_sendai

@AmonDaisuke 「数万人なり数十万人なりを一箇所に集めて、まとめて機関銃なり銃剣なりで殺した」と主張されていると思っていました。南京事件と呼称される物が小さな事件の集合である点は同意です。争点はその数や線引きである点やその行為は何十年後も非難される行為どうか。

https://twitter.com/gacha_sendai/status/213314850502344704

というようにあっさりと自らの無知による思いこみをさらけだす[twitter:@gacha_sendai]氏や、

toden8800 (極悪平和主義者)

この正論を言ってるようで物事を片面からしか見ずに決めつけているのがとても痛いw:「間違っている論理展開」と「わら人形論法」に耐性の無い人々 - 模型とかキャラ弁とか歴史とか (id:D_Amon / @AmonDaisuke) http://d.hatena.ne.jp/D_Amon/20061019/p2

https://twitter.com/toden8800/status/217570852122791936

というように言及し(ああ、よくいますよね。こういう風にwをつけて嘲笑うなど尊大な態度をしていれば自らの方が優位なように装えると勘違いしている人)、

toden8800 (極悪平和主義者)

@AmonDaisuke 例に上げてあることの逆からの話がないからです

https://twitter.com/toden8800/status/217590861830164480

と言いながら、その逆からの話を挙げることができなかった[twitter:@toden8800]氏のような人々がいるから。

世の中にはこのように歴史修正主義者が一方的に愚かな主張をしていることを理解しようとせず具体的な反論をする能力も無いのに歴史修正主義者への批判に対して言い返したくてたまらない人々が存在します。

彼らが歴史修正主義者であるか否かに関わらず彼らはその欲望において歴史修正主義者と同類な人々であり、彼らの史実派に対する言及の姿勢を見れば明らかなように彼らは史実派の敵であることを自ら選択している人々でもあります。

2012-04-10

[]皇国史観と万世一系 - それは昭和初期の問題でも現代の教科書問題でもある

まず、中国人に「天皇家は万世一系ではない」と言われたらどう思いますか? - 模型とかキャラ弁とか歴史とかについて。

読解できる人には読解できているでしょうが、この文は南京事件についてお気楽に「30万人はありえない」と言う人々、そのように言うことで加害国としての自国の歴史を自省するどころかむしろ中国人蔑視に用いるような人々に自らの心性の醜さを自覚してもらうための文として書きました。

無論、それは学問の問題ではありません。そのような種類の発言を行う人々自身の心のあり方を問うているわけです。

そして、そういう文が平易な文であっても理解拒否されること自体は想定内でした。しかし、理解できない人の全てがそういう人というわけでもないでしょう。現代の教科書問題に関する前提知識を共有していないがゆえにその題材がなぜ万世一系なのかを理解できない人もいただろうと思いますし、そもそもこの文の対象となる種類の人々が実在することを知らない人もいただろうと思います。

ゆえに、そういう人向けになぜ万世一系を取り上げたかを説明します。


現代、歴史教科書の記述において歴史学は主に二つの軸で攻撃されています。

一つの軸は南京事件や従軍慰安婦や沖縄住民虐殺といった大日本帝国の非道に関する歴史学的事実の記述を消しさりたい、それができないならばできるだけ矮小化したいという歴史修正主義

もう一つの軸は神武天皇からの万世一系や神武東征など歴史学的には否定される記紀神話の記述を史実として記述したい、それができないなら史実と勘違いされるように記述したいという皇国史観の復活。

その具体例として「新しい歴史教科書をつくる会」(以降、つくる会と略します)の教科書が挙げられます。

つくる会の歴史教科書には、史実としてではなく参考としてですが、神武天皇とその東征についての記述があります。そして、参考としての記述となったのは、それらを史実として記述しては教科書検定を通らないがゆえに修正した結果でしかありません。

つくる会とその支持者の問題は歴史修正主義だけではありません。皇国史観の復活にもあるわけです。

歴史修正主義は歴史学的事実を嘘扱いする嘘。皇国史観は神武天皇からの万世一系など歴史学的事実とは認められないものを史実とする嘘。彼らはそれらの嘘により歴史教育を学問ではないものにしようとしているわけです。

産経脳という言葉について

私ははてなブックマーク - 中国人に「天皇家は万世一系ではない」と言われたらどう思いますか? - 非行型愚夫の雑記で産経脳という言葉を使いました。この言葉はネットスラングの一種ですが、私はこれを(産経新聞に限らず)産経的な方向性の思考という意味で使っています。産経(フジサンケイグループ)には産経的な方向性があり、歴史修正主義と皇国史観復活はその一部です。

例えば、産経とつくる会の関係。今でこそ絶縁していますが、かつてのつくる会と産経の関係は密接なものであり、それは産経の歴史修正主義と皇国史観復活へのコミットを意味します。今の(つくる会から分裂した会である)「教科書改善の会」と産経の関係を考えても、産経新聞の記事の傾向を考えても産経のそれらへのコミットは変わりないというものでしょう。

この言葉を社名によらない形で言いかえるとすれば、その一面の表現としかなりえませんが、それは現代に生き続ける大日本帝国イデオロギーというものでしょう。

皇国史観を流布する側がそれを信じているか信じていないかは重要ではない

歴史教科書に皇国史観を記述したい人々にしても本気で神武天皇からの万世一系を信じているわけではないのかもしれません。

しかし、それは重要なことではありません。

皇国史観にとって重要なのはそれ自体が支配の道具として機能するか否かです。

初期の大日本帝国は元老による寡頭政治だったわけですが、その元老は皇国史観を信じていたでしょうか?

おそらく彼らは天皇が神の子孫などと信じていなかったでしょう。彼らは国民支配の道具としてのカリスマとして天皇を持ちだしただけで、彼らにとっての天皇は替えのきく道具でしかなかったでしょう。

天皇讃歌として君が代を歌い、皇祖神であり太陽神である天照大神の象徴として日の丸を用い、記紀神話を史実として教え歴史教育を思想教育手段として用い、天皇を神の子孫である現人神として崇拝することを求めたのは、そういう天皇崇拝に立脚した国民化により日本国民を扱いやすい道具とするためだったというものでしょう。

そして、扱いやすい道具、天皇の権威に逆らえない道具として振る舞うのであれば、そのようにして支配される側が天皇を現人神と本気で信じている必要もなかったでしょう。

信じていないのに表向きは信じているようにふるまうよりは本気でそう信じこんでしまった方がそういう社会では、少なくとも精神的には、楽に生きられただろうとは思いますが。

皇国史観の結果としての昭和初期

皇国史観に基づく天皇崇拝に立脚した国民化がなされたからといって大日本帝国は最初から昭和初期の軍部ファシズム時代のような国だったわけではありません。

天皇制に関する歴史学的研究は禁止されないまでも迫害されたりしていましたが、大日本帝国は対外的には立憲君主国としてふるまっていましたし、統治能力に問題があった大正天皇の時代には結果として内閣と議会が国家意思決定の主役となりましたし、君主機関説の日本版である天皇機関説が政治の主流だった時代もありました。

しかし、その天皇機関説を排撃するような国民、軍部ファシズムを支えたような国民を育成したのは皇国史観に基づく教育というものでしょう。そういう国民の熱狂的な支持という意味では昭和初期の日本は衆愚政治的な意味でのポピュリズムの国でもあったのかもしれません。ただ、仮に昭和初期の日本をそのようなポピュリズムの国として、国民がもとから「愚か」であったわけではありません。「愚か」な国民になるように育成されたのです。

そして、そのような「愚か」な国民を育成したという意味において皇国史観と万世一系は昭和初期の日本の問題という近現代史の問題でもあるわけです。

イデオロギーを持ちこんでいるのはどちらか

つくる会と歴史教科書の問題を知れば、歴史修正主義と皇国史観を同時に唱えるような人が実在すること、私が産経脳と表現したような人が実在することはわかると思います。

そのような人、あるいはそのような人に親和的な人を対象とした文だからこそ、私は歴史修正主義と皇国史観を対置し、皇国史観の代表として神武天皇からの万世一系をとりあげたわけです。

当然、この文脈においては万世一系と南京事件を同類の宣伝としているわけはなく、万世一系と南京事件否定論・矮小化論を同類の宣伝としているのです。

説明は以上です。


現代の日本では歴史教科書採択問題において彼らのような歴史教育に大日本帝国イデオロギーを持ちこもうとしている側がそれに反対する側を「イデオロギー闘争だ」と非難し、歴史学に基づいた記述を「イデオロギー教育だ」と非難しています。

そして、つくる会やそこから分裂した会である「教科書改善の会」の教科書が実際に採択されているのを見ると、日本社会は彼らのような人々の試みの初期消火に失敗していると思います。というより消火する気がないのではないか、燃え盛ってもいいと考えているのではないかとすら思います。そのような試みに無関心というより、むしろそのような試みの消火をしようとすることが非難されることを考えれば。

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